よく知らないが、戦前は文学書など読んでいると不良になると恐れられ、
書物を取り上げられることも少なくなかったらしい。
それが、いまはどうだ。
不良の読むものであった文学が教科書に掲載されている。
映画も同様である。
ある時期までは、子どもだけで映画館に入るのは校則で禁止されていた。
つまり不良のものであった。
それが、いまはどうだ。
映画はいつしか芸術になってしまった。
芸術ということにでもしないと、成り立たなくなったのである。
食えない映画監督を大学教授にしてメシ代を与えている。
その点、マンガのみいまだ健全である。
マンガは生産者と消費者の関係に偽善がない。
食えないマンガ家が、大学教授になるようなこともない。
さらにそのうえマンガはいまでは芸術として認識されている。
マンガと対照的なのがテレビドラマではないか。
マンガとは異なりテレビドラマは一貫して芸術とは縁がなかった。
だが、創成期からずっと大衆娯楽の王様としての地位を築いている。
最後に演劇というのは、もっとも悲惨である。
最初から最後までカッコづけの「芸術」でしかなかった。
日本において演劇は、不良のものとして侮蔑されることさえ少なかった。
所詮、金持の子弟の暇つぶし。これが日本演劇の実相だ。
すなわち、一度たりとして食えるものにはならなかったのである。
若者はあこがれる。
文学者。映画人。マンガ家。テレビ業界人。演劇人。
このうち可能性があるのはマンガとテレビだけである。
文学、映画、演劇をこころざすものは阿呆である。
たとえ成功しても食えないのがこれらの「芸術」なのだから。
なのに、どうしていまだ志願者がたえないのか。
ジャンルそのものはすでに終焉を迎えているというのに。
まったくふしぎなことである。