「ひとり日和」(青山七恵/河出書房新社)
→第136回芥川賞受賞作。
選考委員がこの作品を芥川賞に推したのはニートが正社員になる話だからではないか。
だれもが思っていることだけれども、いまのニッポンはもうメチャクチャだ。
生きていることになんのはりあいもないひたすら退屈でむかむかする国になってしまった。
だれがこんなふうな国にしたのか。
文学にそれほどの力はないのは重々承知だが、それでもいまの文学者の責任は重い。
とくに石原都知事や村上龍である(「ひとり日和」を強烈にプッシュしたのはこのふたり)。
石原、村上は、まるで地道に働くことが愚かであるようなことをさんざん書いてきている。
両者のみならず、そもそも作家の存在がサラリーマンとは相容れないのは言うまでもない。
身もふたもないことを言えば、自由、個性、希望、自己実現といったような言葉がよくない。
才能のある人間はほんのひと握りだから、
大多数の人間は退屈な人生をごまかしながら生きてゆくほかない。
唐突に話は飛ぶが、
これこそ青山七恵の退屈な小説がベテラン作家に賞賛されるゆえんである。
いまさら暴れる若者など描かれたら、権力者は困るのである。
現代文学は、終わりなき日常を、ほどほどにやり過ごす術を教えるものでなければならぬ。
青山七恵の「ひとり日和」をつまらないというものは文学をわかっていないのである。
現代文学には現代が描かれていなければならない。
青山七恵は無思想、無感覚の状態で現代をふらふら生きているからこそ、
芥川賞を受賞するような最先端の文学作品を書けたのである。
なるほど現代にはたしかなものはなにもない。
だからこそ、なにもない青山七恵が評価されなければならないのである。
壊すものがまだ残存していた時代には、破壊者や保存者が文学者たりえた。
ところが、いまはほんとうになーんにもないのである。
したがって、破壊殲滅も伝統保持も空々しい。
青山七恵の「ひとり日和」が傑作と称されるのはこのためである。