だれからも嫌われない文章を書くのはむずかしいよね。
いくら曖昧表現が得意の日本語だって、
言葉をつづるということはやはりなにかを断定することなのだから。
断定するとは、円を描くようなもの。
かならず読み手のうちから円からもれるものが生じてしまう。
かれらはふざけるなと思う。当然の反応である。怒らないほうがおかしい。
該当する読み手から書き手は嫌われてしまう。
シナリオライターの山田太一は、テレビドラマを書くうえでなにより苦労するのが、
視聴者の感情を傷つけないことと論じていた。
庶民の日常生活を愚弄するようなことは決してテレビドラマでは描けないということだ。
唯一の例外が山田ドラマ「早春スケッチブック」である。
ブログというのは、言うなればテレビドラマの正反対に位置する。
というのも、社会的責任が軽いからである。
むろん、おカネだって一銭ももらっていない。
したがって、ブログは書き手にとって、ある意味での解放区である。
文筆でメシを食っているプロの作家さんが、
それでもブログをするのはこのためかと思われる。
要は歯に衣着せぬ本音を吐きだしたいのである。
公刊物でそんな愚行を為すわけにはゆかぬ。
おカネを取っておいて購買者に不愉快な思いをさせるのはプロとして許されざること。
けれども、ブログなら、
そもそもじぶんに好意を持っているひとしか読まないだろうという計算がそこにはある。
わたしもふくめてブロガーはこのことを決して忘れてはいけない。
好きなことを書けるのはブログだからなのである。
(えへへ、ほんとはそれでも自主規制しているでしょう、みなさん?)
そして、好きなことを書いている以上、嫌われるのは仕方がないとあきらめよう。
2ちゃんねるで毎日のように悪しざまにののしられようが、
キチガイ(これも公刊物では使えないよね)から連日コメント欄で粘着されようが、
好きなことを書いているのだから必然の道理と達観するほかないのである。
思い返せば、わたしも勇気がいったな。
以前このブログで女性様をいささか重んじないような妄言を吐いたときである。
世の中には男と女しかいない。すなわち、世界の半分を敵にまわしたということである。
このときブログだからまあいいかという甘えがあったことを否定できない。
いや、ブログという媒体の性質のみを問題にするのは間違いである。
わたしがプロではないから書けたことである。
よしんば、職業作家であったら、口が裂けても言ってはならないことだ。
自戒している。わたしは決して辛口の論客などではない。
責任もなにもない外野から、野次を飛ばしている群集のひとりに過ぎないのだ。
つまらぬ愚民である。
ところで脳内統計だが、
うちにブログをお読みくださっているかたの男女比は9:1ぐらいではないか。
言うまでもなく、女性が1割である。
数少ない女性の読み手をさらに遠ざけるようなことを書いてしまう
おのれの宿業にはわれながらあきれるほかない。
もしかりにいまも読んでくださっている女性がいらしたらあの件は伏してお詫びしたい。
お許しください。ごめんなさい。