ビザというのは外国での滞在許可証のようなものである。
この期限が切れると不法滞在になってしまい、怖い国ではなにをされるかわからない。
というか、なにをされても文句をそう強く言うことはできない。
中国がどういう国なのかはいまもってわからないが、
共産党との余計なトラブルは防ぎたいところ。
ここ張掖で観光ビザの延長を申請する予定だった。
ワンバージョン古い「地球の歩き方」しか持っていないが、
いちおう張掖の公安(警察)に行けばビザの延長は可能と書いてある。
もうひとつ、関心のあることがあった。
ベトナム、ハノイの中国大使館で「2ヶ月ビザ」をわたしは取得している。
ふつうの1ヶ月ビザは30ドルだったが、これは45ドルも取られた。
このビザの有効性が不明なのである。
ベトナム、中国の国境で聞いたら、これでは1ヶ月しか滞在できないと言われた。
べつのところで中国人に聞くと二ヶ月平気だろうとの回答だった。
いずれにせよ公安に行かなければならないのは事実である。
中国へ入国してすでに24日が経過している。

張掖の警察署はひとを拒むような暗い雰囲気を持っていた。
日本の警察署がやたら地元民との交流をうたっているとは大違いである。
こういう建物に外国人の身でひとり入ってゆくのはあまり気持のいいものではない。
門番がいるわけでもない。日本人らしくにやにや笑いながら建造物侵入である。
しかし、だれもいない。受付といったようなものがないのである。
正面に階段。左右に廊下がのびている。
勝手に入っていっていいものだろうかと迷いながらもビザ延長という目的を思い出す。
階段を登る。相変わらずだれもいないのである。小学校規模の建物である。
廊下をふらふら歩く。見ると部屋には部署名が記載されている。
わたしが行きたいのは「外国人出入境管理科」である。
ようやく部屋から人間が出てきた。
急いでかけより「外国人出入境管理科」と書いた紙を見せる。
かれはここの職員のようで目的地まで連れて行ってもらえた。

公安の外国人科は、驚くほど小さな部屋だった。4人の職員が働いている。
パスポートをさしだす。これでなにを求めているのかはわかるだろう。
公安はしばらく待てとジェスチャーで示す。
英語で応対できるものがひとりしかいないようである。
異常なほどハイテンションな中国人が現われる。がたいもなかなかのものである。
いきなり握手である。
中国のみならず、アジアにはこのようなタイプの人間が少なからずいる。
照れ屋の日本人は、馴れていないので戸惑うことしきりである。
何度も握手を繰り返す。ウェルカム・トゥー・チャイナと言いたいようである。
「ビザをくれ。というか、チェックしてくれ。もうすぐ1ヶ月なんだ」
「おおおおお〜〜〜〜ポコペン、ポコペン」
「な、なんだい?」
「これは残念だ。日本の友人にたいへん申し訳なく思うアルヨ」
「なんだって、かしら!」
こちらも場を盛り上げる。
あたまをかきむしりながら、いやいやをする中国公安幹部。
「ここではダメなんだ。ビザの延長は張掖ではできないアルヨ」
「なにい。このガイドブックには可能と書いてあるではないか」
「ふふふ、日本鬼子よ、おまえはもう死んでいる!」
「な、なにを言いだす?」
「これだあ。ここを見ろ。このガイドブックは古いんだ〜」
ガガーン! その場で崩れ落ちるわたしであった。
以上の英文和訳の文責は日本人のわたしにある。
中国公安の英語をいささか聞き間違えたところがあるかもしれないが、
内容はこのようなものである。
酒泉の公安に行けという。あそこでならビザの延長をあつかっている。
「しかしガイドブックには酒泉では15日の延長しかできないと書いてある。
我要三十天的ビザ(30日のビザをくだせえ、お代官さま)」
知っている中国語を使うことでシナ公安から温情を引き出そうとする作戦である。
「大丈夫だ。いまでは酒泉でも30日の延長が可能になっている」

結局のところ張掖では観光ビザの延長はできないようである(2007年4月)。
時間に余裕を持って行動していてよかった。
もし今日が滞在30日目だったらどうなっていたことか。
ちなみに、帰国後に最新の「歩き方」をチェックしたが、情報の訂正はされていない。
先月だったか。さらに新しいバージョンが出たようで、これも調べたが直っていない。
「歩き方」は情報収集から出版まで1年近く時間のロスが生じるので、
このような誤りはどうしようもないことなのである。
繰り返し、書いておく。張掖では観光ビザの延長はできませんから。

4月26日。張掖からバスで酒泉へ向かう。所要3時間。
午後4時半、酒泉バスターミナル到着。まず重い荷物をホテルに置かなければならない。
チェックインしてタクシーで酒泉の公安へ。このとき午後5時15分。
酒泉公安局外国人出入境管理科は閉まっているのである。
ここは張掖とはことなり規模が大きいようである。外国人科は別棟になっていた。
ドアをどんどん叩くがもちろん開けてくれるはずもない。
門番が近寄ってくる。
「なんで閉まってるんだよ。急いで来たっていうのに。
このガイドブックには18:30までやっていると書いてあるじゃないか」
「今天閉門(今日はダメだよ)」
明朝来いというのである。またもやガイドブックの情報が古かったようだ。
明日の開門時間を確認して、その場をあとにする。

翌朝、ふたたびおなじ場所へおもむく。
いくつか不安がないわけでもないのである。
観光ビザの延長をする場合、ときによって下記の条件が必要とされるらしい。
1.滞在しているホテルの宿泊証明書
2.必要な旅行費用の所持(100ドル×滞在日数)
中国ではいまだに外国人の泊まることのできない宿泊場所がある。
いまはそんなものはなくなったとしたり顔でいう中国通も多いが、
この国の広さを忘れてはならない。場所によりけりなのである。
中国全土を旅したものでもないかぎり軽々しい断定は避けたほうがいいと思う。
ちなみに、わたしが酒泉で宿泊したホテルも外国人不可のところであった。
フロントでそう言われ断わられたのである。泊めることはできない。
「我是中国人」とニコニコしながら「部屋はありますか?」と再度問う。
共犯の依頼である。フロントが上司に電話してOKが出たという経緯があった。
公安をまえにして、なにもこの日にあのようなホテルに宿泊しなくても、と後悔していた。
宿泊証明書を求められたら非常に困るのである。
滞在費用のほうはなんとかなると踏んでいた。シティバンクのカードがある。
ここからいくらでも引き出せるとうそぶいたら通用するのであろう。

結果はどちらも必要なかった。申請書類の宿泊場所には
「歩き方」から適当なホテル名をピックアップして書いておいたのだが、
少しも疑われることはなかった。
しかし、酒泉の公安は鼻持ちならないジジイだった。
張掖とは違い、実際に多くの外国人が観光ビザ延長のため来るのであろう。
外国人はいわばお願いする立場である。だからだと思う。
ふんぞりかえっているのである。
へたくそな英語しか話せぬ横柄な中国役人はあまり気持のいいものではない。
「ほう、ベトナムから中国へ入国したのかい?」
「イエス」
「それはどこかな」
地名を答えると、そんな地名は中国にはないと主張するのである。
ビザ延長など簡単なものである。パスポートに所定の用紙を貼ればいいだけ。
なのに、みずからの権力を誇示するように、このようなコミュニケーションを楽しむわけだ。
わたしはガイドブックを取り出し、中国のここから入国しましたと説明する。
めんどうなことこのうえなかった。

ようやく観光ビザの延長は終わったのだが、このあとトラブルがあった。
むしろ、わたしがトラブルをあえて起こしたというのが正確かもしれない。
カネを払わないと主張したのである。延長代金を払わない。
なぜならベトナムで「2ヶ月ビザ」として15ドル多く支払っている。
ハノイの中国大使館職員はこの観光ビザで2ヶ月滞在可能だと言った。
それなのに、どうしてここでもう一度料金を支払わなければならないのか。
言うまでもなく、本気で支払わないつもりではなかった。時間もあったので遊んだのである。
どうやらハノイの中国大使館で意志の疎通がうまくいかなかったようである。
口惜しいが、更新料金は払わなくてはならないのだろう。
もう支払う覚悟はできているのである。しかし、ごねてみたらどうなるのだろう。
蛮行の動機である。おもしろいほど中国役人の態度が豹変した。
あれだけ偉そうだった男が、下手に出るのである。
どこの国でも公務員はおなじなのだろうか。
こちらが下手に出ると居丈高になり、反対に怒るとペコペコしはじめる。
あいそ笑いをしながら、決まりだからを繰り返すのみである。
人民元をぽんと放り投げる。ちょっといい気分だったとここに告白しておく。
これで中国滞在可能期間が5月26日まで延長されたわけである。

わたしは酒泉の西バスターミナルへ向かった。
午後1時発、敦煌行きのバスがあるというのである。
今日いよいよ敦煌の地を踏む。
ベトナムのニャチャンで敦煌へ行こうと思ったのはもう1ヶ月以上もまえのことである。
まさかほんとうに行けるとは思っていなかった。
ところが、いま敦煌が目前にある――。