なにも書きたいことはないのだ。
じぶんの意見めいたものはない。世間に訴えたいことなどありはしない。
それでもニュースを見るのが好きである。毎日、いろいろな不幸が起こる。
ひとの不幸が楽しいなどと不謹慎なことを言うつもりはまるでない。
お悔やみ申し上げますだ。

テレビでは、ニュースキャスターと識者(文化人)が不幸の原因を分析しながら憤っている。
あたかも完全な社会があるとでも言いたげである。そこではどんな不幸も起こらない。
わたしにはわからない。なぜスーパーのエスカレーターでお子様が重体になったのか。
なにゆえ小学校低学年のお子様が刺し殺されたのか。
社会が悪いのかどうかもわからない。
社会を改善したらあらゆる不幸がなくなるのかどうかもわからない。
いつの時代、どこの国にそんな社会があったのかも、
未来にどこかの国で万民が幸福になる社会が成立するのかもわからない。
わからない分際で小声でつぶやく。「運が悪かったんじゃないかな」

運不運というのは現代日本の表舞台ではタブーではないか。
成功者にはそうなるべき原因があった。たとえば先見の明である。
したがって不幸なものにも、原因が特定されなければなるまい。
社会が悪い。犯罪者が悪い。警察が悪い。企業が悪い。親が悪い。教師が悪い。
運が悪かったではおさまりがつかないのである。
現代日本人は運にかわるなにものかの存在を一心に求める。

「不幸なのはXが悪かったから。X≠運」

嫌いな人間がふたりいる。乙武洋匡さんと本村洋さんである。
どうしてこのふたりが嫌いなのかずっとわからなかったが最近思い当たった。
なんのことはない。同年齢なのである。生まれた年がおなじだ。
ふたりともご活躍なさっている。だから、嫉妬しているのだと思われる。
乙武洋匡さんは「不幸なのはXが悪かったから」の定式に、
身体障害は不幸ではないと言い張る。
本村洋さんは「不幸なのはXが悪かったから」に対してXを加害少年に断定している。
言うなれば、おない年のふたりは負けていないのである。運命を認めていない。
人生の敗北者たるわたしがかれらを忌み嫌うゆえんである。