やられてしまいましたね、と思う。さて、どうしましょうか。
まったく違うところに降ろされてしまったようである。
車道に出る。車の往来さえまばらである。とりあえず歩いてみる。
検問所らしきものが現われる。ここから先は徒歩では行けないようである。
立ちどまる。わたしは待っていた。

張掖バスターミナルでいつものようにメモを片手に物乞いをしたのである。
金品を乞うのではない。求めているのは情報である。
メモには「黒水国漢墓群/黒水国城堡遺址」と書いておいた。ここに行きたい。
どなたか哀れな日本人に行きかたを教えてくだせえ、という物乞いである。
実に食いつきが悪かった。だれも黒水国なんたらを知らないのである。
無理もないのかもしれない。
かつて黒水国というものがあったらしいのだが、史書にはいっさい記載されていない。
砂漠の片隅にその黒水国とやらのお墓とお城の跡がありますよ、というのである。
少なくともガイドブックにはそう書いてあったから、そういうことなのだろう。
どうしても行きたいというわけではないが、なにかロマンを感じはしないか。
かつてその城はあった。しかし存在を示す記録はどこにも残っていない。
ところがたしかに跡はあるのである。
茫漠たる砂漠の跡地で、かつてここにいた人間を想う。人間の喜びと悲しみを想う。

ようやく「黒水国」を知っているひとがいた。かれに連れられあるバスへ乗せられる。
バスの車掌はおばさんであった。乗車して15分くらいか。ここだから降りろと言われた。
草原であった。道を進んでいくうちに明らかにここではないと思った。
ひとを発見したので「黒水国」と書いたメモを見せると違うという。
わたしは車道に戻った。
心細いものである。ここがどこだかわからないというのがいちばんの問題である。
ここまでバスで来たのだから、もう一度バスが来ると信じたい。
しかし、いまのわたしはどこへ行きたいのか。それでも「黒水国」跡地へ行きたいのか。
もう張掖市街地へ戻ったほうがいいのか。道には歩いている人間はいない。
たまに車が通るだけである。むろん、わたしを見てとまってくれる車などいるわけがない。
時間はたっぷりあるので考えてみる。なにをわたしは見たいのか。
見えないものを見たいと思った。目に見えるものなど、どうでもいいではないか。
わたしは見えないものを見たい。なら、やはり黒水国を目指すしかない。
バスらしきワゴン車が視野に入ったので、両手をあげて大声をだす。停まれ。
バスであった。なかに入り込む。メモを見せ、ここに行きたいと言った。
チケットは、ほら、ここにある。まえのバスに違う場所で降ろされたんだ。
筆談で説明するしかない。運賃を請求されなかったから、ともかく通じたようである。

15分後、ふたたび降ろされる。
黒水国城堡遺址はそこから歩いて15分ほどのところにあったことはあったのである。
しかし、これは、と思う。
砂漠の片隅に打ち捨てられた遺跡などというとロマンを感じさせるが、
これはただ荒れ果てているだけではないか。
観光客どころか、人っ子ひとりいないのである。
いちおう料金所はあったが朽ち果てている。むろん係員もいない。
ガイドブックによると入場料が定められているらしいが、
支払う相手がそもそもいないのである。とりあえずなかに入ってみる。
歩きながら、どんな顔をしたらいいのか迷う。
いわゆる作家先生ならもっともらしい深刻な顔をして遠くを見つめるのであろう。
けれども、それはカメラマンという観客がいてはじめて成立する演技である。
どんな文豪だって、ここまでなにもないところにひとりで来たら面食らうはずだ。
むかしを想像するといっても瓦礫のようなものしかよすがはないのだから。
ビールをのみたいと思う。酒を入れたら、ちっとは感興も生まれるかもしれない。
しかし、売店どころか、人間からしていないのだ。
あひゃひゃ。下品な笑いをもらす。

帰途はうまく白タクに拾われた。
すでに5人乗っており、わたしが加わったことで満員になる。
バスターミナル近くの食堂で昼食を取る。魚香茄子でぬるいビールを3本。
うしろでは中国人が昼間から白酒をのんで騒いでいた。
例のジャンケン大会である。負けたものが白酒をイッキ、イッキ、イッキ!
おまえら昼間から白酒は人間としてまずくないかと最初は思ったが、
異国の見知らぬ食堂で明るいうちからビールを3本ものむ日本人と比べると、
どちらが上でどちらが下というものでもあるまいと思いなおす。

バイクタクシーをつかまえ万寿寺木塔へ行く。
ここは中国の観光地の典型である。
おカネを払いなさい。そうしたら高いところへ登れますよ、というわけだ。
おかしな偏見かもしれないが、中国の観光地のどれほどがこのパターンなのだろう。
四の五の言わせず高いところへ登らせておカネを取ろう、みたいな(笑)。
人民はよほど高いところが好きなのだろうか。まったく馬鹿と煙は(自主規制)。
150円払って木塔へ入る。階段を登る。だれともすれ違わなかった。
最上段に到着する。四方を見まわすが、なにも見えなかった。
もっと高いところへ行きたいと思ったわたしはよほどの馬鹿野郎なのか。
高いところから人間を見たい。ままならぬ生死に挟まれた人間の喜怒哀楽を見たい。
可能ならば、それをスケッチしたい。そのためにはこの程度の高さではダメなのである。

歩いて大仏寺へ行く。ここの見どころは涅槃大仏である。
わかりやすく言うと、大仏さんが横臥している。まだわかりにくいかな。
仏さまが寝ていますよと。なんでかって、いまから死ぬためである。
大仏さんのうしろには釈迦の涅槃(入滅=死亡)を悲しむ十大弟子が配されている。
この大仏さんのどこかありがたいかというと、どうやらその大きさにあるようだ。
大きいから、ありがたい。
このへんに中国人の感性を理解するヒントがあると思うのは間違えているのか。
先に見たよう中国人は高いところが好きである。さらに大きなものが好き。
まるで子どものようである。子どもは「高い高い」をしてあげると喜ぶ。
大きなものを見せてやると「すげえ」なんて感想をもらす。
インド仏教が中国に入って人間味が増したとは何度か読んだことだが、
この場合の人間味とは幼児化を意味するのかもしれない。
幼子(おさなご)のごとく仏さまにひれ伏す。もっと言えば甘える。
インドでは人間を導く師匠であった仏さまが、
中国ではわが子をだきしめるお父ちゃんお母ちゃんになってしまった――。
裏手の博物館を見学する。古い経典が展示されていた。
当たり前のことに気づく。インドの仏教経典は横書きで記されている。
あの文字がサンスクリット語だったのかパーリ語だったのかは、
専門知識のないわたしにはわからない。理解できるのは、横書きということのみ。
それが中国語に翻訳されると縦書きになる。中国の仏教経典は縦に漢字が並んでいる。
この横から縦への文字の変動は、思いのほか経典の内容を変容せしめたのではないか。
このように書いてしまうと、なんのことはない事実の指摘だが、
実際にこの目で現物を確認すると、ことのほか重大な発見をしたような思いにとらわれる。

3日後にはわたしは敦煌にいるのである。
想像する。仏教美術の結晶たる敦煌の莫高窟――。
仏教とはいかなる教えなのか。
その一端でもいいから、こんかいの旅でつかめたらと思う。
もちろん観光地をまわったくらいで、なにか発見があると思うのは勘違いも甚だしい。
だがしかし、それでも……。
もうすぐ黄金週間である。ゴールデンウィーク。
5月1日からの1週間は中国も大型連休なのだ。
そのため交通機関が異常な混雑を見せ、ホテル料金も軒並み値上がりするという。
わたしはこの黄金週間の期間中に北京へ。さらに瀋陽へ向かう計画を建てていた。
ネットカフェでメールをチェックしたら、中国の長春にいる知り合いからの連絡が来ていた。
彼女にわたしはある依頼をしていた。
父の生まれたのは、かつて満州とよばれた中国東北地方である。
いまの地名で言うならば父は長春で生まれ、瀋陽で育った。
祖母が生存中に詳細な記録を残していたため、どちらも正確な住所が判明していた。
敦煌のあとは旧満州へ行く。満州でかの地を確かめたいと思っていた。
父の生まれた場所に立ち、住んでいた付近を歩きまわりたい。
このためなんとかして現在の住所がわからないかと
長春にいる知り合いに調査をお願いしていたのである。
彼女からのメールはまず謝罪から始まっていた。
わからなかったというのである。瀋陽はかつて奉天、長春は新京という名がついていた。
わたしのもとにあるのは奉天と新京の住所である。
ここから瀋陽と長春の現住所を探さなければならない。
それができなかったというのである。戦前の話である。無理だったという。
それからメールは中国の黄金週間のことに触れていた。どうするのだと。
舐めてかかったら手ひどい目に遭うぞと軽い文体ながら恐ろしいことが書かれていた。
列車のチケットを入手するのはほぼ無理と思ったほうがいい。
いわゆる自由席券でもぐりこんでも、そこには地獄が待っている。
この期間の列車は身動きもできないほどの混雑。だからトイレへも行けない。
指定席券を取れなかったら、飲まず食わずを覚悟して列車に乗るべし。
そうメールに書かれていた。ホテルの料金も2倍にはねあがるらしい。

中国語で列車は火車という。
中国を個人旅行するとき、この火車票(チケット)の確保がいちばん問題になる。
中国の列車は乗車券を取るのが困難である。
理由がいくつかあって、最大のものは乗車する駅でしかチケットが買えない。
どういうことか。東京では、名古屋から大阪に行く列車のチケットが買えないのである。
名古屋発の列車の乗車券は名古屋でしか買えない。
したがって、長期の予定が建てにくい。まず東京から名古屋へ行く。
名古屋で3日遊んで、翌日には大阪へ行く。
このような場合、東京で名古屋の乗車券を買えないため、
名古屋発のチケットが満席だったら(中国では満席が多い)、
チケットが取れるまで名古屋で待たなければいけないのである。
このため旅行者はある場所へ到着したら、まずやらなければならないのは、
つぎの目的地へ行くための乗車券の確保である。
しかしこの乗車券の事前購入もいろいろ複雑で、
駅によって何日後の列車のチケットが取れるかが変わるのである。
ある駅では1週間先のチケットまで取れる。べつの駅では4日以内のものしか不可能。
つたない説明でおわかりいただけたか自信がないが、
ひと言でいえば混雑しているということである。
ただでさえ混みあっている列車がさらに混雑する黄金週間が迫ってきている――。

わたしの問題でいえば敦煌から動けなくなるのではないかという不安だ。
列車は無理でもバスなら乗れるというのは事実のようである。
しかし、地図をお広げください。まさか敦煌から北京へバスで行くのは無理でしょう。
まえまえからどうしようかと考えてはいたのである。
とはいえ、いくら悩んでもどうなるものでもない。
その駅でしか列車の乗車券は買えないのである。
出たとこ勝負でいくしかないではないか。そこにこんかいのメールである。
さて、どうするか。
いくら制限のない旅だとはいえ、敦煌近辺に10日近く足止めされるのは困る。
ホテルのフロントへ相談すると、隣接している旅行会社をすすめられた。
行ってみると、そこは飛行機専門の旅行会社。
試みに聞いてみると、敦煌から北京の片道航空運賃は1000元(1万5000円)。
黄金週間のチケットもいまなら難なく取れるという。
意外と安いというのが正直な感想だった。
けれども、やはり列車に乗って北京へ行きたい。
敦煌近辺の嘉峪関から北京まで直通の列車が出ている。34時間の鉄道旅行。
これを中国旅行のハイライトとして体験してみたいのである。
旅行会社のオーナーと思しきおじさんが登場する。
「5月2日、嘉峪関から北京へ行く列車の寝台乗車券がほしい」
「よし、わかった」である。
ここは飛行機専門だが特別に列車の乗車券も手配してくれるというのだ。
なんとも頼もしいおじさんだった。
待つこと15分である。これでどうだとチケットを手渡される。
感動して受け取ると、乗車券には「張掖→北京」と記されている。
張掖とはいまいる場所である。
やはりいくら旅行会社とはいえ、張掖で嘉峪関発の乗車券は取れないのである。
話が違うではないかと抗議すると、これでいいとおじさんは譲らない。
説明を受けて、納得する。
この乗車券で張掖から北京までのきみの寝台は確保されている。
だから寝台の心配はない。
あとはきみが嘉峪関に行った際に、かの地でここ張掖までの乗車券を取ればいい。
どれだけ混んでいようがこの乗車券があれば車掌は入れてくれるはずだ。
無理と言われたら、いちばん安い券を買いなさい。
あれならスペースなど考えないでいくらでも発行している。
嘉峪関から張掖までは2時間半。立ちっぱなしでも我慢できない時間ではないだろう。

そういう裏技があったのかと感動する。中国のことは中国人に聞けである。
この手は列車で長距離を移動する際にかなり有用な裏技ではないかと思っている。
事前に途中駅から最終目的地まで買っておくという作戦である。
わずか1時間足らずで容易に黄金週間の乗車券を入手することができた。
このあと長春にいる知り合いにチケットが取れたことを報告するとたいへん驚かれた。
こういうことだったのである。
旅行会社に取られた手数料は30元(450円)。わたしは安いと思った。