精神医学について知りたいと思ったとき、やってはいけないのは一般書の濫読である。
自称・精神科医の書いた一般書を読んでわかった気になるのはいちばんまずい。
例をあげないとわからないか。なら、こっそり。たとえば町沢静夫先生とか。
一般向けの本をたくさん書くようなお医者さんは、いつ患者を診ているのかふしぎである。
では、どう勉強したらいいかというと「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」。
医学生の読む精神医学の教科書を読んでしまうのが、いちばんためになる。
医学生とはいえ、所詮そこいらで遊んでいるハタチそこそこの小僧でしょう。
やつらが理解できるものをおとなの我われがわからないはずがない。
問題は、教科書だから単価が高いということ。
この手の本はブックオフはおろか、古本市場にもあまり出ない。定価で買うしかない。
おすすめというか、わたしが学んだのは「精神医学入門」(西丸四方・西丸甫夫/南山堂)。
定価は5100円+消費税。
よくもまあ、むかしのわたしはこんな本を定価で買えたもんだ。
だが、この教科書は絶品だった。
古典的教科書のため、いまでは決して不可能なものが掲載されている。
精神病患者の写真である。
熟練した精神科医は患者をひと目見たら正常異常がわかるというが、
それほどに患者の見た目は精神医学では重視されている。
けれども、いまの教科書だとプライバシー問題がからんで写真を掲載できない。
本書のおもしろみはここにある。
内容も、わたしがわかるくらいだから、平易と言っていいだろう。
医学エッセイの新刊を3冊買ったと思えば、それほど高くはないはずである。
調べてみたら希死念慮と自殺願望は異なるらしい。
自殺願望というのは、なにか理由があって自殺をのぞむこと。たとえば借金苦や失恋。
一方、希死念慮は定まった理由もなく漠然と死にたくなることだという。
いままで混同していた。
この分類でいうならば、いまわたしが苦しめられているのは希死念慮である。
ここ数日、とくに理由はないのに死にたくてたまらない。
いちおう7年前の事件をもちだすこともできるが、じぶんのなかではいまさらという感じ。
あれが原因で死ぬなら、もうとっくに死んでいるであろう。
うん、理由もないのに死にたいのである。
むろん、自殺予告ではない。この希死念慮で死ぬことは絶対にない。
いままで何度も経験しているからわかっているのである。
1週間から1ヶ月程度でこの抑鬱状態から脱することができる。
おそらく母親から躁鬱病体質を遺伝したのだろう。
どうしようもない。あきらめるほかない。
だが、死んではならない(と、いまのところは思っている)。
これでも一般的な日本人である。思うわけだ。
こんな甘えていてはいけない。もっとがんばらなくてはダメじゃないか。
世間様はみなみながんばっていらっしゃるというのに、このざまはなんだ!
人並みに自己嫌悪を感じる(ほんとうですって、ほんとうですよ!)。
だが、このような状態になったとき、がんばろうなどと思うのはことさらよくない。
鬱をこころの風邪というなら、風邪をこじらせるようなものである。
ひたすら待つように努めている。
好きなことばかりしていればいいのだが、経験者はわかるだろうが、
こういうときは好きなことでさえする気にならないものなのだ。
わたしには精神科や心療内科を受診するという選択肢はない(嫌いだからである)。
とにかくじぶんに言い聞かせる。がんばらない。甘ったれよう。このふたつである。
そもそも、日本人に鬱病が多いのは(これ、妄想かも)
「がんばれ」「甘えるな」が原因ではないか。
日本人の風潮として、がんばるひとというのがとくに賞賛される。
甘えない生きかたをみな格好いいものと信じている。
ほんらい宗教とは、がんばってもどうにもならないことがあることを教えるものなのに、
この国で流行るのは創価学会。がんばればなんでもできるという宗教なのだから――。
よほど日本人は甘えないでがんばるひとが好きなのでしょう。
がんばらない。甘えよう。こころに決めていることである。
けれども、巷間あふれているのは、がんばろうばかりなのだ〜よ。
人様のブログを拝見する。がんばった、がんばろうを連呼している。
ああ、申し訳ないと思わず萎縮してしまう。
生まれてきて、ごめんなさい、なんちゃって(笑)。
比較にならないほど悲惨な境遇でもがんばっているひとがいるのに、
わたしはいったいなにをやっているのだろうか。
そこで本に慰めを見いだそうとする。
もちろん、がんばるなと主張している本を選ぶ(遠藤周作やひろさちやのエッセイ)。
だけどさ、あはは、がんばるなという作家って、みんな異常なほど多作なんだ。
がんばるなと言っているじぶんが、いちばんがんばっているという矛盾。
だから、いいですか、だから「本の山」なのである。
わたしはほんとうにがんばっていない。なのに、がんばるなとメッセージを送ってみよう。
これはみなさまの想像以上に画期的なことかもしれませんぞ。
がんばっていない人間ががんばるなという。ブログが炎上してしまうかもしれない。
いまわたしが知りたいのは術策である。
どうしてこのことを書いたマニュアル本がベストセラーにならないのだろう。
すなわち、がんばっていないのに、がんばっているように見せかける方法。
甘えまくっているのに、さも甘えていないように見せかける方法。
だれでもいいからこのふたつの方法を研究して公刊してくれませんかね。
これこそ鬱病患者に最適な処方箋となるはずである。
鬱病患者はがんばっていないこと、甘えていることを恥じているのだ。
そんなかれらにがんばらなくていい、
甘えてもいいと言ったところでどれほどの効果があるものか。
いえいえ、申し訳ありませんと、こうべを垂れるくらいでしょう。
さあ、ここから一歩飛躍するのだ。
いかにごまかすか。どのようにウソをつくかを問題にしている。
どうすれば、がんばらないで、他人にはがんばっているように見られるか。
甘えているくせに、独立独歩しているように見せかけるか。
鬱病の特効薬とは、このことかもしれない。
えへへ、こんな長文を書いて、わたしってがんばっているでしょう(笑)?