ホテルを出ると、さわやかな朝である。
4月中ごろの西安は朝晩こそ冷え込むが日中は半袖でかまわない。
いまも日かげに入ると肌寒いものの日ざしは暑いほどである。
なにかが始まろうとしている朝である。見上げると透き通るような青空。
西安の朝を歩いている。この街でわたしを知るものはひとりもいない。
どこへでも行くことができるような思いにとらわれる。青空のしたならどこへだって。
朝の小鳥がさえずっている。
目に映るものすべてが朝の輝きを備えているように感じられる。
朝だ。夜は明けたのである。西安の朝が始まっている。
開店準備をしている食堂の店内では、もう忙しそうにソバをすすっているものもいる。
南方飯店のまえを通り過ぎる。夜が遅いこの食堂はまだ店を開けていない。
おはようだ。今晩また行きますよ。
駅へ近づくにつれ重い荷物をかかえた中国人のすがたが目立つ。おはよう。
どこに行くのかな。話しかけてみたい。通じないのはわかっているけれども。
異国なのだ。いま西安にいる。西安よ、おはよう。言葉が通じない西安よ。
万物みな朝の祝福を受けているようである。なにもかもが日本とは異なる。
そのくせみながみな朝を謳歌(おうか)している。朝の喜びをうたいあげている。
旅人の感傷なのはじぶんでもわかっている。
感傷でもいい。自問する。この日のように朝を美しいと感じたことはあっただろうか。
ないわけではない。あった。記憶の闇から光がよみがえる。遠いむかしのことである。
まったき朝というものがあった。人間も自然も輝いている朝がかつてあった。
毎日のようにあった。あの完全な朝のことを今日まで長いこと忘れていた。
なにかが始まる予感にみながみな、人間も草花も玩具までも、踊りだしそうな朝があった。
始まりの朝があった。西安のような朝があった。
朝めざめるのは人間だけではないのである。
忘れないぞと誓う。西安の朝を忘れない。朝は始まりであることを忘れない。
朝の喜びを今度こそ決して忘れないぞと西安の路上で誓った。
西安で自由に使えるのは今日と明日の2日だけである。
あさっての午前中に天水(てんすい)行きの列車に乗る。
今日と明日で行きたいのは興教寺、香積寺、草堂寺。すべてお寺である。
「地球の歩き方」によると、どの寺院もバスで行けないことはない。
けれども、よほど注意して行かないと最終バスがなくなってしまうと注意書きがある。
最終バスは16時と早い。 これを逃したら帰ってこれなくなるわけである。
無理をしたくはない。バスで行くなら1日に寺ひとつが限界なのかもしれない。
とすると行けるのはふたつ。優先順位の低い草堂寺はあきらめるほかない。
いちばんいいのは本日なんとかふたつ寺をまわってしまうことだ。
興教寺、香積寺なら地図を見るかぎり行けないこともないような気がする。
問題は、このふたつの寺をむすぶバス路線があるかである。
このくらい郊外のバス路線になると現地の、
それもほんとうの地元のひとしかわからないという。
旅は運任せだと思っている。たとえば、ひととの出会いなど典型的である。
バスを1本遅らせることによって、会うひと、会わないひとが出現するのだから。
古典的なたとえを再度用いる。
旅は人生である。ならば、人生もまた運任せでいいのではないか。
ある朝、起きる時間を30分遅らせたことで、
いともかんたんに変わってしまうのが我われの人生なのである。
人生のことはむつかしくてわからないけれども、旅は運任せでいいよな。
というか、なるようにしかならない。異国のことである。出たとこ勝負で行くしかない。
運がよければうまくいくだろうし、
ついていなければひとつも観光地をまわれないかもしれない。
ホテルであれこれ心配していても始まらない。一歩踏み出すしかないのである。
行きたいとは思う。けれども、行けるかどうかはわからない。
人間にまつわること、万事がみなこうではありませんか。
なにかを成し遂げたいとは思う。しかし、結果はままならぬ。
おかしな哲学をしていると時間がなくなるばかりである。
もやもやした気分のままホテルを出ると、美しい朝である。西安の朝に打たれた。
なんだかすべてがうまくいきそうな気がしたものである。
西安駅前から興教寺は2回バスを乗り換えなければならない。
いつものメモ戦法しかない。行きたいところを書く。最終目的地。
そうして運転手、車掌、他の乗客の好意にすがるのみである。
気のいいひとが行きかたをメモに書いてくれる。
というか、待つというよりもむしろ書いてくれるひとを探しまわる。
興教寺に到着。それにしてもバスで移動するのはタクシーよりも数段楽しい。
観光となんの縁もないひとと空間をともにするのはいろいろ新鮮である。
興教寺へ行くには停留所から坂をのぼらなければならない。
田園風景を見て驚いた。春である。いつ春になったのかと思う。
東京を出たのは寒い2月であった。暑いタイ、カンボジア、ベトナムとまわった。
春はどこにもなかった。日本でいえば夏ばかりであった。
この旅ではじめて春を見たように思う。
西安郊外の草花は生きることの喜びを隠そうとしない。
育つことの楽しさをうたっている。
誕生と成長の幸福に――春の幸福に胸打たれる。春になっていたのかと思う。
日本の桜を見なかったのは今年がはじめてである。
いつしか松任谷由実の「春よ、来い」を口ずさんでいた。
もう西安には春が来ているのにである。
興教寺。ほとんど観光客のいないひっそりとした寺である。
玄奘(三蔵法師)の遺骨が埋葬されている寺院として知られている。
インドのナーランダを思い出す。
ナーランダは仏教大学でむかしから有名なところである。
仏法を求めてインドへ旅立った玄奘もナーランダで仏教を学んでいる。
リクシャーの男からここも行かないかと誘われたのが玄奘博物館だった。
「地球の歩き方 インド」にはこの博物館のことは記載されていなかった。
係りのひとがとてもよくしてくれたのを覚えている。
英語名で玄奘と書かれているが、だれのことだかわからない。
困っていると、かれが漢字で玄奘と書いてくれたのである。
玄奘なら知っていると思ったものである。三蔵法師だよな。
このあとナーランダにいまもある仏教大学を見学した。
真摯に仏法を学ぶ学生たちのすがたに、じぶんはなにをしているかと反省したものである。
玄奘とわたしには、些細でつまらぬものだが、このような物語がある。
いまあの玄奘の墓に来ているのだ。なにかの完結を意識せずにはいられなかった。
3年前インドで始まったものが、いま中国で終わろうとしている。
終わりは始まりを意識させるもの。さあて、これからどこへ行こうかな。
むろん日本へ帰らなければならない。そこからどこへ行くかである。
これは空間的な移動のみを意味してはいない。人間は精神においても移動する。
玄奘を祀(まつ)った塔のまえで合掌する。
あなたとおなじようにナーランダからここへ来た日本人です。
あたなの訳された般若心経をいつしかよむようになりました。
サンスクリット語のわからぬわたしにはあなた、
玄奘がいなければ般若心経はよめなかった。
こころが安らぐとてもいいお経だと、毎朝のように無明の闇のただなかでとなえています。
興教寺のひとに香積寺と書いたメモをさしだす。
ここってバスで行けますかね?
1回の乗り換えで行けるらしいので小躍りする。まだ昼過ぎである。
この調子なら今日ふたつの寺をまわることも可能なようだ。
停留所で待っていると先ほど寺にいたおばさんが坂をおりてくる。
どこかへ出かけるようである。
このおばさんが親切に車掌さんとの仲介を中国語でやってくれた。
小さなバスターミナルでおろされる。
ここでバスを乗り換えるのだが、聞くとここにそのバスは来ないらしい。
ここから1キロほど歩いたところに、そのバス停留所がある。
こういった地図ひとつさえない完全な見知らぬ土地を歩くのは恐怖であると同時に、
胸の高まりを感じる。旅をしているという実感がわいてくる。
なにかを求めて歩んでいることがとても心地いい。
「何を求める風の中ゆく」
山頭火の句はほとんどすべてこころに入っている。あたまではない。
思い出そうと思っても山頭火の句は出てこない。
ふとした拍子にこころからぽんと飛び出るのである。
ランチタイムである。どこかでメシでも食うか。ついでに酒ものめればなおよし。
だが、ここがなんという地名の場所かもわからない。西安郊外の町である。
いつもならこのような場所で食堂に入るのはそうとう迷う。
ところが今日はすぐに入店する食堂が決まる。ここしかないと思った。
というのも、食堂がひどく混雑している。それだけではない。
そのうち半数以上の客が昼間からビールをのんでいる。ここに入るほかないではないか。
昼からのむ酒ほどうまいものはない。ここの客の舌は信じられる。
臆面もなく食堂へ押し入り空いている席にどかりと腰をおろす。
どのように注文するのか観察するためである。かんたんであった。
前方に惣菜のウインドウがある。ここであれとこれをくれと言えばいいのか。
よしと席を立つ。まずビール。いくら? 45円か。よろしい。
それから惣菜をあれ。あれも。これもね。
それから、ほら、あれだよ。みんなが食べているドンブリ。うん、ぜんぶ食う。
だって、食べることは幸せだからね(以上、すべてジェスチャー)。
正確に伝わったようである。注文したものはすべて出される。
ドンブリの中身は、日本でいうならスイトンだと思う。雑炊のようなスイトン。
冷菜3品もスイトンもうまい。ビールも昼から進む、進む。
気兼ねしないでのめるのがいい。平日の昼間からのんでいるものばかりである。
調子に乗って3本も昼間からビールをのんでしまった。
にもかかわらず料金は信じられないほど安いのだから。
ひょいと入った食堂がこうもうまいとなにに感謝したらいいのかわからない。
ぐでんぐでんとは言わないまでも、かなりいい感じに酔っぱらっている。
こんな調子で香積寺へ行くバスを見つけられるのか。
運が良かったとしか思えない。
これがあっさり見つかってしまうのである。ここで降りろと教えてもらう。
日光は4月とは思えないほどの強さで万物を焼く。汗が流れる。
香積寺もバス停から歩かされる。道に迷うことはない。
バス停に降りて横道に入るとすぐに香積寺の仏塔が目に入るからである。
あれをめざして行けばいいのか。それなら迷うはずもない。
春の炎天のしたを歩いているといつしか酔いはさめた。
中国のビールについてはいつか詳述するが、そもそもアルコール度数が低いのである。
日本のビールはたいてい5%。比して中国のビールは3%前後である。
水とかわりないと思っても、
そう痛い目にはあわないはずである(ホンモノのビールならば)。
酔いもあったのだろう。香積寺の門前で感激する。
ひとりの日本人がバスでどうにかこうにかここまで来ました。
自己陶酔に近い情動といってよい。
香積寺は日本の浄土宗と縁のある寺院だからだろう。
入口に日本語で説明が書かれている(誤字多し)。
この寺は浄土宗の祖師のひとり、善導を記念して建立されたものである、云々――。
いいかげんな説明をいまから付記する。
正誤は定かならぬゆえ眉につばをつけてお読みください。
仏教といえば南無阿弥陀仏が出てきませんか。
この念仏を重視しようというのが、日本の浄土宗である。
開祖は法然である。
繰り返しますが、いいですか、有名な南無阿弥陀仏を発明したのは法然。
けれども、じぶんが考えたなどと言ってしまったら権威がなくなる。
いまでもそうでしょう。
デリダがどうの、ヴィトゲンシュタインがどうの、と言われたほうがありがたい。
日本人の精神風土はむかしから変わらない。
そこで法然が南無阿弥陀仏の根拠として利用したのが中国の善導和尚の著作。
日本の仏教大学たる比叡山には無数の経典、注釈書がホコリをかぶっていたのでしょう。
その中から法然は善導の書物を運び出した。ここに念仏で救われると書いてある。
だから、みなのものよ、南無阿弥陀仏ととなえなさい。そうすれば救われる。
この善導なる中国僧がどの程度の地位にあった宗教家なのかはよくわかっていない。
というのも、本元の中国では仏教史を研究するものが少ない。
インド同様、中国でも仏教は途絶えてしまっているのである。
どういうことか。善導は法然が(書物によって)師事したというだけで有名なのである。
けれども、どうやら善導の説いた念仏信仰は、法然の南無阿弥陀仏とは違うらしい。
善導の説く念仏修行は、仏を念ずるという意味である。
口称念仏をすすめているわけではない。
仏を思うことが念仏。仏を強く念ずれば救われると言っているに過ぎない。
ところが法然は、それを口でとなえる南無阿弥陀仏にしてしまった。
このほうが愚かな民衆にはわかりやすいから意図的にねじまげたのであろう。
南無阿弥陀仏と口から吐き出せば救われる。これが法然の浄土宗である。
(以上の記述に誤りがあったら教えてください。これから勉強したいことですので)
やはりまだ酒が残っていたのか。南無阿弥陀仏のいかがわしさを知らぬでもないのに、
構内を歩いているとなみだがあふれてくる。南無阿弥陀仏と思わずもらす。
正しくたって、間違っていたって、それがなんだというのか。
南無阿弥陀仏で救われる。そう信じて死んだ人間をだれがバカにできるもんか。
南無阿弥陀仏だ。阿弥陀仏さま、われをして極楽浄土に往生せしめよ。
救われたい。なんでもいいだれでもいいから、この愚人をお救いください。
空を見上げる。陽が燃えている。この身を焼き尽くせ、と思う。汗もなみだも顔を流れる。
ふと、思う。いまの顔を鏡に映したらそうとう笑えるんだろうな。
真剣なおのれをいつもこうして茶化してしまう。
どうしても純粋になれない。どこかで純粋を笑うような不純がわたしにはある。
たとえオウム信者であろうと、純粋な人間を目にするとかなわないものを感じる。
遠くからも目立つ塔の正式名称は香積寺善導塔という。
かつては上階へのぼることもできたが、いまは禁止されている。
高いところにそれほどあこがれはないので、そう聞いてもショックではない。
塔のまえで休んでいる中国人から声をかけられる。男の子。
19歳。大学生だという。専攻は哲学だそうである。
大学が休みだったので近場のここまでひとりで来たということである。
メモ帳を駆使して、お互い自己紹介をする。この大学生は英語をほとんど解さない。
いくら国際交流とはいえ、およそ10も年齢の離れた人間とは話が通じない。
お互いの好奇心が尽きたころに別れた。
そのまま日かげでわたしは休息を取った。これでは仏跡マニアだよなと自嘲する。
なんでこうも仏教ゆかりの地にこだわるのだろうか。
こんなところへ来るのは寺の跡取りくらいのものであろう。
ここまで来たからといって救いがもたらされたわけではない。すべては徒労に過ぎぬ。
そろそろホテルへ戻るかと腰をあげる。
寺の入口で先ほどの大学生が寺の僧侶と話をしている。
雷鳴のようにひらめく。
「ちょっと、ちょっと、そこのきみだよ、ボクちゃん!
まだ時間はあるかな。これから草堂寺へ一緒に行きませんか。
草堂寺。ガイドブックの、ほらほら、ここに載っています」
大学生の返答は、いいですよ。ただしおカネがないのですが……。
いいよ、いいよと答える。バス代金、入場料くらいならお支払いしましょう。
中国人のパートナーがいれば、ここから草堂寺へ行けるかもしれない。
そうしたら3日かかると思っていたところを1日でまわれることになる。
ガイド料金を考えたら、交通費、入場料など安いものである。
ここから草堂寺までひとりで行く元気はすでにない。
哲学大学生は寺の僧侶と中国語でなにか話している。
どうやらここ香積寺から草堂寺まで行けないこともないようである。
「レッツゴー」である。
ゆきずりの相手と旅をするのは、なんとも運命を感じさせる。
気のいい若者である。めずらしい日本人との交流を楽しんでいるように見える。
外見は、まじめだよな。いかにも哲学という風貌である。
それにしてもまだ10台か。じぶんの大学生のころを思い返す。
ここまでしっかりはしていなかったかもしれない。
バスに乗ったはいいが動物園が終点のようである。
はて、ここからどうすればいいのか。バイクタクシーの運ちゃんが寄って来る。
どうやらここから草堂寺へ行くバスはないようだ。バイクタクシーを使うほかない。
ふたりで協力して値下げ交渉をする。むろんカネはわたしが払う。
いくら高いといっても往復で1000円ちょいである。
この程度の金額を惜しんで、もう一生行けないかもしれない場所を棒に振ることはない。
バイクの後部座席にふたりでまたがって出発である。3人乗りのバイクである。
金額はぼられていないことがわかる。バス終点の動物園からかなりの距離を走った。
草堂寺へ着いてしまったのである。
まさか1日で3つも郊外の寺をまわれるとは思わなかった。
かれの入場料金を払ってやると言っているのに、この大学生は聞かない。
大学生料金だから安い。このくらいなら払うというのである。
予定外のバイクタクシー料金が入ってしまったのを負い目に感じているのかもしれない。
ここは鳩摩羅什(くまらじゅう)が仏典翻訳を行なった場所として知られている。
ちょっと、待てよ。ほんとうに知られているのか疑問に思う。
今日たずねた寺のなかでもっともさびれている。
鳩摩羅什は玄奘と比較しても決してひけを取らない偉人だが、
かの仏僧よりも扱いが低いのは否めない。
玄奘の大雁塔と鳩摩羅什の草堂寺を見比べたら一目瞭然である。
鳩摩羅什は法華経の名訳でもって有名らしい。
法華経を重んじる創価学会信者の作家、宮本輝もここをおとずれている。
どこかに日本の痕跡はないかと探していると日蓮宗の記念碑を発見する。
日蓮宗代表団がかつてここに来て石碑を建立したものと思われる。
いまの創価学会は日蓮宗と反目しているが、この新興宗教団体の母胎は日蓮宗である。
宮本輝のいくつもの名作が脳裏をよぎる。
今度は南無妙法蓮華経とつぶやくわたしである。
救われるなら南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、どちらでもいいのである。
ほんとうに苦しんでいる人間というのは、そういうものでしょう。
あっちでは救われない、これでなければダメだ、なんていう宗教は人間に冷たくはないか。
効くと思われるクスリはぜんぶのめばいいのである。
またバイクタクシーで動物園まえのバス乗り場まで送ってもらう。
ここからバスに乗り、別れの場所まで向かうのである。大学生とわたしはそこで別れる。
「地球の歩き方」に最終バスが16時と書いてあるのは間違い。
19時、20時まで、バスはあるようである。
大学生はわたしを見送ってくれるという。今日はなんという1日だったであろう。
ふしぎな偶然が相重なって、西安で行きたいところすべてに行ってしまった。
明日1日が余ってしまったよ。
横に立っている大学生を照らす西日は、おなじようにわたしにも襲いかかる。
女性なら日傘が必要なほどの強い日ざしである。
沈まんとする太陽は深紅の輝きをもって燃えている。
たましいを揺り動かすほど荘厳な夕陽である。こんなきれいな落陽を見たことがない。
重大な終焉(しゅうえん)を意識させる日暮れである。
始まったものは終わらなければならない。
生あるものはみな死ぬという、当たり前の道理を、
なんと自然は雄弁に語りかけてくるのだろう。
大きな赤い太陽が地平線にかかっている。
「消えるな」とどれだけの人民が懇願しても、この太陽が沈むことは避けられぬ。
朝が来るように夜が来るのである。
世界よおまえは美しい。時よとまれ、世界よおまえは美しい。
ファウスト博士ではないが、
いまこの瞬間に死んでもまったく悔いが残らないだろうと思った。
それほどに世界は美しかった。今日という1日は輝いていた。
じつにすてきな始まりと終わりであった。
万事、開始と終了があるのである。朝と夜。生と死。
だが、終わりでほんとうにすべてが消え去ってしまうのか。
もしやこの地点から宗教が始まるのではあるまいか。
釈迦そのひとは、あれだけ偉大な人物であったが、にもかかわらず死んだ。
これで終わりなのか。死んでしまったらおしまいなのか。
死にたいする激しい思いから、あるいは仏教が興ったとは考えられないか。
生は死によって幕を閉じる。
始まれば終わる。出会えば別れる。
大学生のかれとのお別れである。
もうかれと会うことは決してないであろう。しかし、これで終わりなのか。
別れたらすべてが消えてしまうのか。そうではない。終わりは同時に始まりである。
バスは西安駅へ到着する。空を見上げると薄暗い。終わりではないと思う。
明日になればまた陽光がこの西安をあかあかと照らすに相違ない。
いまわたしにできるのは酒をのむくらいである。
それから熟睡をする。来るべき朝を待たなければならない。
6時起床。朝食を食べに行かなくてもいいように、ゆうべパン(らしきもの)を購入。
もちろんオレンジジュースも忘れていない。ぬるいけれどもね。
中国の――あれはなんと言うのだろう、
ガイドつきの大尽旅行ではないから――パンはまずい。
水気がなくて、かさかさしている。甘いのか甘くないのかもよくわからない。
オレンジジュースで流し込もうと思ったけれども、からだが拒絶する。
大半をゴミ箱に捨ててしまう。
深酒した翌朝に、オレンジジュースをごくごくのむのは気持がいい。
パンのことは忘れることにする。
朝7時、駅前のバスターミナルに到着する。
法門寺(ほうもんじ)行きのバスはたしかにある。
けれども乗車率は半分もいっていない。
さあ、出発するのはいつになるやら。
情報を整理する。
いま「法門寺」でネット検索したが行きかたを書いてあるサイトはなかった。
以下に記すのは2007年4月段階の情報(まあ、そう変わるものでもないと思うが)。
法門寺にはツアーに参加しなくても個人で行くことができる。
ツアーだと興味のない観光地にも連れて行かれる。時間を制限される。
土産物屋で拉致される。なにより集団行動をしなくてはならない。
このような不便を廃するために個人で行く方法をここに書く。
西安駅の東側(右側)バスターミナルから法門寺へ直通バスが出ている。
原則的に早朝の1本のみ。
出発時間は……この日は7時半であった。法門寺までは3時間弱。
帰りの時間が車掌から知らされる。おなじバスが午後2時、法門寺を発つ。
行き先は西安駅。「乗り遅れないようにご注意ください」
法門寺を4時間かけてゆっくり見ることができるというわけだ。
構内に入ると、まず目に入るのが塔である。
何重の塔になるのが数えようとするが、日ざしが強いのであきらめる。
天空を刺さんばかりの生命感にあふれた塔である。
天に近づくことに古来、中国人はなにがしかの意味を見出してきたのだろうか。
西安市内の大雁塔、小雁塔の美麗なる長身がよみがえる。
上階をめざす仏僧の目にいかなるものが見えていたのか。
かれには天空の先に存在するなにかが見えていたのか。
それとも、仏僧とは名ばかり、
ただ下界にひざまずく無理蒙昧たる群集を見下ろしたかったのか。
法門寺は仏舎利(釈迦の遺骨)を保存している寺院として名を知られている。
相次ぐ戦争でインドを統一したアショーカ王は、生命の尊さにめざめ仏法に帰依した。
王がこの妙法を広めんと各地に仏舎利を送ったのは、
釈迦入滅から100年以上も経過したのちである。
そのひとつがインドから遠く離れた西安の地へ届いたというわけである。
仏舎利は以前、見たことがある。3年前のインド放浪のとき。
仏教八大聖地巡礼の途中で立ち寄ったのがのがサヘート・マヘートである。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という名前のほうが日本人には親しみぶかいであろう。
スリランカ寺に宿泊させてもらった。
それなりの寄付(宿泊料金)を払うと、住職がなら見せてやろうと仏舎利をだしてくれた。
ひと目見ただけでその輝きにまつげがこげそうになったので、あわてて目を閉じた、
というのはもちろんウソで、おい、これはそこらへんに落ちている石だろうと思った。
旅というものは、空間的な移動と等号ではむすばれぬ。
内面の意味世界においてはじめて旅は成立する。
3年前、インドで仏舎利を見た。今日また仏舎利のある、今度は中国の寺へ来ている。
旅情にひたるのはこんなときである。
めずらしいものや目新しいものを見ることをあまり重んじていない。
どんな遺跡を見たところでつまらぬものである。
求めているのは内面の意味である。物語である。じぶんにとっての意味だ。
祇園精舎から法門寺へ一本の線がつながった。これが旅だと思う。
塔の下にある地価宮殿も参観することができる。
壁面に仏陀の生涯が描かれている。
いつの時代に描かれたものかはガイドがいないからわからない。
あんがいつい最近、観光客用に描かれたものかもしれない。
真偽真贋など、どうでもいいのである。
じぶんに言い聞かせる。きみがいいと思うなら、
たとえそれがなんら価値のない赤子の落書きでもいいではあるまいか。
実際、親にとっては子の描く絵はどんなものよりも尊いわけでしょう。
美術的価値など、所詮はソロバン勘定の思想である。
盗んだら高く売れるかを考えるあさましい算段ではないか。
古いからありがたがって見るのかい。
ホンモノだから「なるほど」なんて感心するのかい。
きみはきみがいいと思ったものをそのままあがめたまえ。
難しいのは事実である。だが、若者は困難に立ち向かわなければならぬ。
かくありたいと思う気持を捨ててはいけない。
釈迦の生涯を順々に見てゆく。いいなと思う。
インド放浪を思い返し胸が熱くなる。真剣で切実な放浪だった。
中国でインドの旅をふりかえるひと時を持てたのは幸福としか言いようがない。
この壁画のおかげである。
芸術的価値は知らぬが、わたしにはたいへん意味があった。
仏教って、なんなのだろう。わたしは仏教徒だろうか。
どこかの宗派に所属しているわけではない。
じぶんの葬式に坊主が来るのはお断り願いたい。
仏教の根幹に三宝帰依という教えがある。仏法僧の三宝を敬えという教えである。
かりにこれが仏教であるならば、
坊主(職業的僧侶)が嫌いなわたしは仏教徒ではないのか。
しかし、仏教を勉強しようとしている。般若心経を毎日よむようにしている。
それをなんと名づけたらいいのかわからないが、大きなものの存在は否定しない。
個など太刀打ちできぬほどの巨大なものの存在を身をもって知っている。
法門寺を出る。ほかの見どころとしては横に博物館がある。
別料金である。記憶は定かでないが法門寺で60元。博物館で40元。
ネットで検索してみたら3年前の料金は法門寺20元。博物館18元。
ひどい値上げである。
ランチタイムなのでなにか腹に入れようと思うが、適当な店構えのところがない。
すなわち、ひとりで気軽に入れるような食堂が法門寺の近くにはないのである。
大人数で食卓を囲むような食事処(しょくじどころ)ばかり。
気持の落ち着かぬところでなにを食べようとおいしく感じるものではない。
時間もなくなってきたので昼食抜きで博物館へ入る。
いかにもな展示品ばかりである。絹織物、磁器、瑠璃(ガラス)、金銀の供え物――。
いちばんの売りは仏舎利を納めていた八重の宝箱のようである。
どれも逸品なのであろうが、こころ奪われるものはなかった。
ひとつだけ気に入った仏像があった。といっても小さなものである。
仏像というよりも、あれは地蔵かもしれない。お地蔵さん。
ことさら目立つところに陳列されているわけでもない。
その仏像からしばらく目が離せなかった。
笑っているのである。不謹慎かもしれないが、それがとてもかわいい。
ホコホコと笑っているのである。見ているとなんとも幸せな気分になる。
なんでかと考えて気づく。
その仏像を見ているうちに、いつとはなしにじぶんもおなじ笑顔をしているのだ。
ホコホコと笑っている。仏さまもわれもホコホコ。これはいいものを見たな、と思う。
ひと通り見てから、もう一度あの仏像にお会いしたいと引き返した。
中国人の少女が、まさにおなじ仏像に見入っていたので驚いた。
携帯電話で写真を撮っている。
わかるひともいるものだと思った。少女に好ましいものを感じた。
2時10分前にバスのところへ行くとだれもいない。
バスにはカギがかけられ、入ることができないようになっている。
運転手が近づいてきたので、もうすぐ出発ではないのかと聞くと2時半に変更だという。
アジアって、どこも時間にルーズだよな〜。アジアンタイム。
昼飯でも食ってくるかと言うと、「おう、それがいいな」。
でもさ、わたしが来るまで出発しないでくれよ。置いていかれたら泣くぞ。
わかったよ。まかせとけ。運転手の返答である(以上の会話は筆談と身振りによる)。
バスの進行方向へ向け歩き出す。程よくボロッちい食堂を発見。
はいはい、ぬるいビールしかないのはわかっているよ。
「没有時間」だ。バスが2時半に出発する。なんでもいいから早くできるものを。
「快だよ快!」
まさかこんな田舎のメシ屋でぼられることはないだろう。
ビールをごくり。ぬるいがビールにはかわりない。
まず出てきたのがキュウリとカマボコ(?)を油であえた冷菜。
これは酒のつまみにちょうどいい。これだよこれ。これが食いたかった。
つぎに出てきたのは、あれはなんいうのかな。まあソバの一種なのか。
キシメンを3センチずつに切断したようなものが入っている。スイトンではない。
空腹である。ソバもどきとキュウリがとても合う。
ソバもどきをすする。キュウリを口に押し込む。
口中に広がる美味をビールが波のように流していく。波のように押してきて引いていく。
せまい口内が美味の大海であふれた。ソバ、キュウリ、ビールのハーモニー。
口惜しいのは時間である。これは賭けなのか。
果たして中国人はどこまで時間にルーズなのか。
もしかしたら2時半という変更された時間もさらに遅れるのではないか。
しかし、待てよ。もしバスに行かれてしまったら西安駅まで帰る手段がない。
これほど困ることはない。だが、目のまえの食物の誘惑に打ち克つのもたいへん。
やむなくソバもキュウリも1/3ほど残す。請求金額は知れたもの。
こんな田舎町のボロ食堂でも、これだけの美味が味わえるのだから中華料理は奥が深い。
2時5分にバスに戻ると、わたしが最後の客だったようである。バスはすぐに出発した。
行きは3時間かかったのに帰途はわずか2時間で西安駅前に到着する。
バスのなかで中国人の若者たちから華山(かざん)という観光地を教えてもらう。
ひとり英語のうまい子がいた。なんでも絶景が望めるらしい。
バスは法門寺行きとおなじ場所から、これまた早朝7時に出ているという。
西安で使えるのはあと2日である。まあ、行けないとは思うが情報をメモしておく。
午後4時半、西安駅到着。このくらい早い時間に戻ってこれるとうれしい。
いつものようにネット屋へ行く。帰国してから、さて引越をどうするか。
満州の問題もある。なんとかして父の生まれた場所へたどり着きたい。
2時間のパソコンを終えホテルに戻る。
毎日、きちんと部屋をきれいにしてくれるのでうれしい。まあ、当たり前だけど。
窓から日暮れの西安をながめる。中国だ。いま中国にいるなんて。
シャワーを浴びながら洗濯を済ませる。今日も南方飯店へゴーなのだ。
こよいは魚を食べてみようかと思う。
からだが疲れきっている。東南アジアと中国で、こうも違うとは。
パワーが桁違いなのである。
たとえ栄養のあるものでも摂取(消化)できないと逆にからだを壊してしまう。
たとえるならいまはそんな状態ではないかと思う。
情報収集をしなければならないのでホテルのフロントへ行く。
行きたいところは決まっているのだ。しかし、どうやって行くのかわからない。
ガイドブックをなぜ読まないのか。何度も読んださ。
こう書いてあるのだ。くるまをチャーターする以外ない。
チャーター料金は1日500元(7500円)が相場。払えませんって。
西安郊外にある行きたい場所は以下である。
法門寺(仏舎利=釈迦の遺骨が保存されている名刹)。
興教寺(玄奘の遺骨が埋葬されている)。
香積寺(浄土宗発祥の地)。
草堂寺(鳩摩羅什が仏典翻訳を行なった寺院)。
法門寺をのぞくと、どれもマイナーな場所である。
旅行会社主催のツアーがあると「歩き方」に書いてあったので調べたが存在せず。
この場合のツアーというのは、
中国人グループが上記の場所にくるまをチャーターして行く。
そのメンバーに個人旅行者が加えられるのをツアーと称するのであろう。
ともあれ、上記4つの寺の行きかたをなんとかして調べなければならない。
ホテルのフロントに日本語を解する女の子がいたので驚く。
23歳。なんでも四国の温泉宿で3年間、働いていたという。
契約が切れたので戻ってきた。このホテルに勤めはじめたのは3ヶ月まえである。
今日、行こうと思っていた法門寺の行きかたがあっさりわかる。
彼女の実家がこの法門寺の近くにあるそうである。毎日、そこから通勤している。
これは確実な情報と見て間違いない。
西安駅前から頻繁に法門寺方面行きのバスが出ているとのこと。
それから魔法の言葉を教えてもらう。これを知りたかったのである。
みなさまも中国旅行をなさる際、このひと言を知っているだけでだいぶ変わりますよ。
「請叫我下車(チンジアウォーシアチュー)」だ。
訳すと、下車を教えてください。
いままでの中国旅行でこの言葉を知っていたら、どれだけ楽だったか。
この内容の中国語がわからないからジェスチャーでお願いするしかなかった。
でも今日からはこれで万事OKである。
車掌か運転手に、まず行き先の書いたメモを見せる。行くとなったら「請叫我下車」。
発音が通じないときはメモにこれを書けばいい。助かったと思う。
興教寺、香積寺、草堂寺への行きかたも調べてもらう。
このホテルは旅行会社も併設しているので便利である。
いまいち情報が集まらない。草堂寺にいたっては中国人も存在を知らなかった。
そもそもこんな場所へ公共バスで行く人間はいないのである。
彼女の上司から何度もくるまのチャーターをすすめられる。
300元(4500円)まで下がったが、それでもお断りする。
行くまえから決めるつけるのは夢のない話だが寺などどこもおなじなのである。
くるまで安易に行ってしまえば、なんの記憶にも残らないだろう。
わざわざ苦労してバスで行くから感動が生まれるのだ。バスにこだわる理由である。
「請叫我下車」があれば、なんとか行けそうな気になってきた。
ホテル最寄りのバス停留所を彼女が教えてくれるという。
外光に照らされた顔を見ると、ほがらかでかわいい子である。
東京ディズニーランドに行ったことがあるらしい。社員旅行で連れて行ってもらった。
「恋人とかできなかったの?」
え、なんのこと? その日本語わかりません、だってさ。ウソをつけ!
そのオトボケに免じて根掘り葉掘り聞くのはやめる。
「なんで中国人ってさ、あちこちに痰(たん)を吐くの?」
ほら、カーッペって、と身振りで示す。「痰を吐く」がわからないくらいの日本語能力。
驚いたんだよ。きれいなおねえさんとかも平気でやっているじゃない、カーッペ。
「マナーが悪いのだと思います。あたしはやりません。やったことないです」
中国人が日本人を見ると笑いながら言う「ミシミシ」ってどういう意味?
彼女もこの問いには答えてくれなかった。
携帯電話の番号を教えてくれる。「困ったことがあったら電話してください」
いい子である。
朝、起きるのも遅かった。行きかたを聞くのでもだいぶ時間を食ってしまった。
もう昼前である。早く行かなければならない。
ところが駅へ行くとバスターミナルが見つからない。
彼女は駅の西にあると言っていた。どこにも見当たらない。
駅近くのインフォメーションで聞く。「法門寺行きのバスはどこですか」
英語であっちだよと教えてくれる。駅の西ではなく東であった。まったくもう……。
まあ、かわいい子だったから許そう。故意に間違えたわけではあるまい。
しかしバスターミナルへ行くと法門寺行きのバスはないという。
聞いたひとがタクシーの運転手で、ならおれのくるまに乗れという。
信用できない。べつのひとに聞いたが答えはおなじ。バスはない。
正確には1本ある。早朝の1本のみ。もう今日はないの? ない!
まいったなと思っていると、そばにいたおじさんが教えてくれる。
ここにはないが南関バスターミナルに行けば法門寺行きのバスがある。
謝謝! で、そのターミナルにはどうやって行けばいいの?
あるバス番号をメモに書いてくれる。中国人はやさしいな。
だが、このバス番号は間違えていた。バスの運転手から正確なバス番号を教えてもらう。
今度はまたそのバスを探さなければならない。ようやく見つかる。
ひどく混雑したバスである。
横にいたおじいさんに、早速「請叫我下車」をためす。
大きくうなずいてくれる。駅前停留所から南関バスターミナルまでバスで30分。
バスを降りたはいいがどこにもバスターミナルらしきものはない。
聞くと、ここからかなり歩かなければならないらしい。
歩くこと15分。やっとのことで南関バスターミナルに到着。
ここでバスチケット買おうとすると、法門寺行きのバスはここから出ていないと言われる。
さっき駅前で教えてくれたひとはなんだったのだろう。
悪意があるようには思えなかった。しかし1時間近くかけて来たのに「バスはない」。
あんまりじゃないか。乗り継ぎでもなんでもいいから、法門寺へ行くルートはないか。
すると、直通でなくてもいいのならバスはあるにはあるという。だが発車は16:30。
あと4時間近くも待たなければならない。法門寺も閉まっていることだろう。
うめくしかない。1時間かけてここまで来たのがすべて徒労に終わったのである。
そばに子犬かなにか小動物がいたら蹴りつけていたかもしれない。
だれが悪いのか。わたしは悪くない。教えてもらったとおりに来ただけである。
あやまった情報の提供者が悪いのか。
だが、たしかにここから法門寺へ行けるのである。
ついていなかった。こう言うしかない。ついていなかったのである。
これからふたたび駅前に帰らなければならないのかと思うとからだが動かない。
バイクタクシーの運ちゃんが声をかけてくる。乗らないか? おう、乗ってやる。
バス停留所まで15分歩くのがめんどう。5元(75円)支払う。
うまいソバでも食えよ、にいちゃん! 行きとおなじバスで駅前へ戻る。
さて、どうするかである。もう2時を過ぎている。
今日、法門寺に行くことは無理である。
旅では、思いのほかどうにもならないことに出会う。
その際、人間はあきらめるほかない。
旅を人生にたとえるものは多い。ならば、これは偉大なる人生訓かもしれぬ。
どうしようもないことは、あきらめる。
法門寺は明日行くことにしよう。複数のひとにバスの発車時間をたしかめる。
早朝ということにかわりはない。けれども、あるひとは7時という。べつのひとは8時。
1本だけなのはたしからしいから乗り過ごせないわたしとしては7時に来るほかない。
なら明朝は6時起床か。起きられるかな。
予定を変更して兵馬俑(へいばよう)を見に行くことにする。
秦兵馬俑博物館。世界遺産。「西安最大の見どころ」らしい。
中国最初の皇帝は、ご存じのように始皇帝。どの権力者も死を避けられぬ。
始皇帝は思う。ただの墓ではつまらない。そこで作らせたものが兵馬俑とよばれている。
焼き物人形で作られた目もくらむほどの兵馬の大群である。
おのが亡骸(なきがら)を死の闇においても兵馬に守らせようと始皇帝は思ったのか。
かんたんな兵馬俑の説明は以上で終わり。
行きたいかと聞かれたら、とりたてて興味があるわけではない。
何度勉強しても中国史というものはわからない。
したがって始皇帝にも関心の持ちようがない。
では、なぜ行ったか。貧乏人根性である。合言葉は「もったいない」。
せっかく西安まで来ておいて兵馬俑を見ないのはもったいないではないか。
しかし、なにゆえもったいないと考えるのか。
西安観光客の9割は行くところだからというのがひとつ。
いつか兵馬俑を見たいと思っている日本人が存在するであろうことがもうひとつの理由。
「兵馬俑など知らん」と忘れ去られた寺院ばかりをめぐる堅物には敬意を表したい。
こういう御仁はスーパーでタイムサービス、出血覚悟の大安売りをしていても、
かたくなにみずからの求めるブランドの豆腐のみ購入して帰宅するのだろうから。
決して真似できぬ行為である。
兵馬俑へは駅前から306路線バスが頻繁に出ている。
この306路線は東線ルートといわれ見どころがいくつもある。
もう時間がないので、そのうちふたつを選択する。兵馬俑博物館と秦始皇陵。
駅前から兵馬俑までは1時間強。今日はじめての観光名所である。
90元(1450円)取られるのが惜しいが、さりとて見なくても後悔するのだろう。
率直な感想は、ファラン(白人)が多い!
中国の観光地でやつらをあまり見かけなかったが、ここに集まっていやがったのか。
パックツアーの欧米人旅行者ばかりである。ファランが嫌いなわたしは、やられたと思う。
これだけで兵馬俑の印象が悪くなる。
観光地の欧米人にからだをぶつけられることが多い。
白人が来てもどかないからだと思う。
ファランはアジア人を人間と思っていないのである。アジア人はみなみな雑役夫。
観光は欧米人の権利であって、この権利ほど守られなければならないものはない。
すべての世界遺産は欧米人が発見したのである。よって、道をゆずれ、となる。
この兵馬俑でも見物しているといきなり肩をつかまれどかされた。
「なんだこの野郎!」と日本語で怒鳴る。例によって白人である。
かれがしたのとおなじように肩をつかんでやり邪魔だとどかした。
兵馬俑の混雑ぶりは異常なくらいである。
しばしもめたのち、かの白人はクレイジーという罵言を残して去っていった。
白人様が観光なさるときは、アジアの下等民は場所をあけなければならないのである。
こういうことがあったからだろうか。兵馬俑もちっともおもしろくない。
ただの人形である。いくら精巧に作られていようが人形に過ぎぬ。
ここには生がない。死ばかりである。こんなものを見てなにがおもしろいのかわからない。
まえからふしぎに思っていたことがある。
文学者とよばれるような作家先生は取材旅行の際、なにゆえああも大仰に感激するのか。
やはり作家先生ともなられるおかたは、みなさま感受性や想像力が豊かなためか。
わたしはどの観光地へ行っても、
どこかで舌を出しているような感覚を脱することができない。
なんだいと斜に構えてしまうのである。
作家先生のように、もっともらしく感動を表明することができない。
これは世代的なものなのだろうか。
以前にもこんな記憶がある。瀬戸内寂聴のインド旅行記を読んでいたときのことだ。
タージ・マハルへの感動の仕方がふつうではないのである。
気持悪いというほかないほどの修辞でもってかの建築物を称揚していた。
わたしの感覚からすると、期待はずれなのである。ただの白いお城でしょう。
左右対称、よくがんばりましたねというくらいの。
インドのバックパッカーとも話したけれども、みんなそのくらいの感想だった。
ぶっちゃけね、と教えてくれたものだ。観光地って、つまらないよね。
このへんの現代的な感覚をもっともうまく描写するライターがゲッツ板谷である。
沢木耕太郎の「深夜特急」よりもゲッツ板谷の「インド怪人紀行」だ。
このような感覚の相違は世代的なものなのか。いま論じていることである。
瀬戸内寂聴はわたしの祖父母の世代。沢木耕太郎は両親の世代。
ゲッツ板谷はひとまわり上である。
わたしが若いかどうかは置いておいて、いま若者とよばれる日本人が旅をしても、
どうしたって上の世代のような派手な表現はできないのではないか。
現代ではだれでもちょっとしたおカネさえあれば、どこにでも行けるのである。
情報もあふれている。過剰な思い入れをするのは不可能。
かえって過剰を戯画にしてしまいたくなる。笑っちゃいたくなる。
現代の若手文学者が(そもそも存在しないけれども)インドの寺を見て、
わかったふうなことを書いたら読者は失笑するしかないでしょう。
なぜかと言うと、だれでも見に行くことができるから。
実際はそうではないとすぐにばれてしまうから。
いまは世界のどこへ行ったところで観光客であふれかえっている時代なのである。
つまり、ありきたりをいとわず言うなら、現代には感動がなくなった。
あるいは秀逸な旅行記は、見ないことで書かれるのかもしれない。
見てしまったらどのみちつまらないのである。
いかに目をふさいで、こころに存する風景を大切にするか。
情報を耳に入れぬように努めるか。見たいものだけを見るか。
世代の問題と、技術の問題をいま論じた。あとは人間の傾向性の問題である。
世代とは関係なく、文学者の資質によって書く紀行文も左右されるのだろうか。
大仰な感動を描けないのは、書き手に才能がないからなのか。
もっとも尊敬する作家のひとり、宮本輝も兵馬俑を訪れている。
氏はわたしの両親の世代である。「ひとたびはポプラに臥す」から抜粋。
「私は十二年前、西安に訪れたときも兵馬俑を見たが、
その何千体もの兵士や軍馬の不思議なたたずまいの前で、
ただ黙するしかなかった」
描写しないという選択をしている(笑←このようになぜか笑ってしまう)。
このあと参考書から引いたと思われる兵馬俑の紹介がつづいて――。
「私は兵馬俑を目にするたびに、人間とは弱いものだなと思う。
いかなる天下人も、みずからの死だけは意のままにはできず、
死後もなお全中国から集めた精鋭集団の陶像によって
死の世界に立ち向かうと同時に、自分の財宝を盗掘から守ろうとしたのである。
兵馬俑が、もっと違う目的で造られたものであったとしても、
私には、権力者の死への恐怖が、
平凡な庶民の死への向き合い方よりもはるかに卑屈に思えてならない」(P30)
お決まりと庶民礼賛と死生観の吐露である。
これも、わたしにはできない。
世代のせいでできないのか。技術がないためか。才能がないのであろうか。
恥ずかしいと思ってしまうのである。生死の問題をわかったようなことが書けない。
笑いでごまかしたくなる。
たとえば、仏寺から受けた感銘よりも、お腹を壊した話を書いてしまう。
才能がないのをごまかしているだけかもしれない。
高いカネを払ったが毛唐が不愉快なのではやばやと退散する。
秦始皇陵へはバスですぐである。始皇帝の陵墓(りょうぼ)である。
上にのぼることができ、周辺の風景が見渡せる。
ここはすばらしい。なにがいいかというと、ひとがいないのがよろしい。
欧米人のみならず中国人の観光客もいない。もう時間が遅いためであろう。
売店で缶ビールを買う。もちろん冷えてはいない。
10元とうるさいが6元だと言い張る。90円の缶ビールはそれでも相場より高い。
考えてみれば昼食を食べる暇がなかった。
缶ビールで口をゆすぎながら階段を一段ずつのぼっていく。ひとがいない。
わたしだけである。いいな、と思う。観光地でなにがいやかといえば観光客である。
じぶんもそのひとりなのになにを言うのかと叱られるのは覚悟のうえである。
テレビの世界遺産番組では観光客があまり映らないように撮影しているでしょう。
テレビの感動を現地で味わえると思うのは間違いである。
だいたいにおいて観光地に行った作家先生は、
秘境でものぞいてきたようなことを書くものである。
作家先生の目には雑多な観光客は映らないのだろうか。
お供している編集者やカメラマン、現地ガイドが人間の壁を作っているのかもしれない。
秦始皇陵の頂上にのぼる。さっそく売店の客引きがやってくる。
これが観光地の現実である。ものを思う余裕などあるものか。
この現実を虚構に変えるのが、作家の手腕なのであろう。
あたかも悟ったかのようなことを、照れもなく書きつづる。
頼むから静かにしてくれと売店のオヤジを追い払い、西安郊外の田園風景を見やる。
ううう、なにかわかったようなことを書かなければならないのか。
ここで決めぜりふを言えるのが一流作家になるための条件なのかもしれない。
そのことがわかった。これは想像以上に大きな発見ではないかと思う。
秦始皇陵。どちらを向いても地平線がつづいている。
ここで夕陽でもだしたらもっともらしいが4月の日暮れにはまだ早い。
遠くから読経でも響かせようかと思ったが、この近くに寺はない。
うしろをふりむくとまたあのオヤジである。写真集を手にしている。
「わかった。きみには負けたよ。50元でいい。定価200元を50元だ」
ビールの空き缶をぶつけたと書いたらかっこいいができるはずもない。
空き缶を握りつぶすのみである。
公共バスではなく、うっかり個人バスに乗ってしまう。
公共バスは乗客の有無にさほどこだわらずに進むが個人バスはそうではない。
車内が満員になるまでえんえんと乗客を探しつづける。
西安駅に到着するまでに2時間近くもかかった。
駅前のネットカフェへ行く。毎日、通っている。それからホテルへ戻りシャワー。洗濯。
さあ、のむぞと思う、この一瞬が、いちばん幸せである。
3日連続で南方飯店へ。安食堂である。なんでも安いのがいい。
失敗をおそれずたくさん注文することができる。
たしかに日本人なら漢字は読めるが、どんな料理がでてくるのかまではわからない。
南方飯店の主人は若い。わたしよりひとつ下である。妻子がいる。
とても威勢がいい。はつらつとしている。楽しくて仕方がないというように仕事をする。
夜の9時過ぎに一家そろって晩飯を食べる。そのとき1本だけビールをのむ。
じつにうまそうにのむ。ちょっと高いビールを好んでいるようである。
昨日、お互いの自己紹介をだいぶやった。気さくなものである。
これはどんな料理かとたずねるとジェスチャーで教えてくれる。
まあ、味覚が身振りでわかるはずもないのだがわかったような気になってしまう。
出てくるものも、たいがいかれの身振りと大差がないのだから驚く。
安くてうまい。決して勘定をごまかさない。いつも元気で明るい。
お客さんの足が途切れないのも納得である。
ゆうべは中年のカップルがビールをがぶのみしていた。
10本近く空き瓶がテーブルに置かれていた。
おかげでこちらは冷たいビールにありつけなかった。
ぬるいビールを負けじとのんだものである。
今日は冷たいビールがあるという。うれしいかぎりである。ゆうべ約束したもんな。
冷菜から注文する。ここはひとり客も少なくない。
まえのテーブルに座っているおやっさんの酒ののみかたがおもしろかった。
まずビール。チンジャオロースと空心菜の炒め物を注文。
ビールをあけると白酒。強烈な酒である。
これをのむペースが感嘆するほど形になっているのである。
中国ののん兵衛ここにあり、なのだ。
ほほう、白酒はそのようにのむものなのかと勉強する。
ひと口にどれくらい白酒を入れたらいいのか。つまみとの配分はどれくらいがいいのか。
習うより慣れよだ。こちらも白酒を注文する。真似をしてのみはじめる。
すると、いままで顔をしかめながらのんでいた、あの悪魔の中国酒がうまいのである。
口にコップをどうつけて、どの角度でのみほすべきか。
ここまで計算しないとあの白酒をのみこなすことはできぬ。
見ていると、師匠が笑みを浮かべている。おまえもよくのむなあという微笑。
杯(さかずき)をあげると、師匠も右手をつきだす。乾杯である。
酒場の異文化交流ほど潤滑に行なわれるものはないと思っている。
なにより言葉がいらないのがいい。
今日もよくのんだ。ふらふらしている。
あとはホテルへ戻ってベットへ倒れこむだけである。
その余力だけ残すように計算して、酒を体内に流し込む。
まえを向くと師匠が米飯(ミーファン)を注文した。負けじとこちらも注文。
最後はやはり米がなくちゃいけねえ。