バックパッカーは中国を好まないものが多い。
船で上海へ入っても、すぐに他国へ逃げだすのがバックパッカーである。
こんかい旅をして初めて気がついたのだが、
中国は物価が東南アジアと比べてそれほど高いというわけではない。
では、なにゆえバックパッカーは中国を敬遠するのか。
中国には貧乏旅行者がだらだらするのを許さない厳格なところがあるのかもしれぬ。
バックパッカーの楽しみというのは、どうやらだらだらすることにあるらしい。
まったりする、などという恥ずかしい死語は使わない。だらだらである。
各地でバックパッカーの情報ノートを見てきたが、
かれらの価値観では安価でごろごろできるところがすばらしい、となる。
「いいところなんで、気がついたら1週間もいちゃいました〜」。
観光名所にあえて行かないことがバックパッカーの自慢になるのである。
東南アジアやインドは怠惰な旅行者を実にあたたかく迎えてくれる。
ドミトリーつきの安宿もかならずある。旅行者はここで同国人とだべり無為を享楽する。

しかし、中国は、なのである。中国はそうは行かない。
どうしてかセコセコしてしまう。バカンスというわけにはいかない。
こういう説を考えてみた。試論である。
日本人は欧米人の物真似しかできない。
インドや東南アジアではファラン(白人)がとてもゆっくりとしたバカンスを取っている。
日本のバックパッカーというのは、かれらの物真似からスタートした。
むかしはヒッピーなどと言われていた連中である。
「地球の歩き方」のアジア方面のものに、やたら記載されている文章をご存知ですか。
「欧米人に人気」である。欧米人に人気があるからいいとでも言いたいのだろうか。
ファランを嫌悪するわたしはこのようなレストランには決して行かなかったが、
いわゆるバックパッカーというのはそうではないらしい。
中心に白人がふんぞりかえって大声でだべっている。
片隅でこそこそ日本人がかたまって、「まったり」している。
こんな構図をイメージするが、あながち間違いではないであろう。
そこで中国である。
中国は漢字のわからない欧米人には個人旅行がしやすいところではない。
したがってファランの真似ばかりしてきた日本人旅行者も、
(東南アジアにいるような)傍若無人な先輩がいないからどうしようもない。

中国はいいと思うのである。
タイ、ベトナム、カンボジアと比べたら段違いのおもしろさである。
なにより文化に深みがあるのがよろしい。
ハタチそこそこのボーイガールが中国へ来ても魅力はわからないだろう。
ある程度、ものを知ってから来ると、中国ほど興味深い国はない。
かつての日本(にとって)の先進国はこの中国だったのである。
文化はみな中国大陸を通過して伝来したのである。
中国を盲目的に礼賛するつもりはないが、それでも一定の敬意は必要であろう。
おりしも中国を勉強しようと思っていたのである。
ふとしたはずみでバンコクへ飛び立った。なにかの因縁があったのだろう。
こうしていま中国へ来ている。ありがたいことです。

中国旅行においてはびっしりとスケジュールをつめている。
ぼーっとする1日など作りようがない。
なにしろ見たいものが山ほどあるのである。だらだらしていたらもったいない。
今日は道教ゆかりの地、青城山(せいじょうざん)へおもむく。
中国で一般的に宗教といわれているのは儒教、道教、仏教。
この3つが混合したのが中国文化だとふつうは考えられている。
仏教は外来(=インドからの)思想。儒教はエリートの教訓。道教は民衆の慰め。
乱暴だが、この程度の知識しか持ち合わせていない。
道教とはなにかというのは非常に興味のあるテーマ。
日本へ帰ったら、これに関する本を読むことであろう。
そのとき道教の聖地を観光した経験は決して無駄にはならないと思うのだ。
3年前、インドを3ヶ月放浪したとき、それほど仏教に関心はなかったが、
暇つぶしくらいの感覚で仏教八大聖地を巡礼した。
帰国してから仏教を勉強したのだが、その際、この体験がどれだけ役立ったか。
青城山観光の目的もおなじである。

きのうのパンダで興奮したためか、疲れている。
出発が当初の計画より遅くなってしまう。
行きかたはこうである。メモにでかでかと「青城山」と書く。
これを見せながらバス停で情報を仕入れる。
バスを2回乗り換えるとたどり着けるようである。むろんのこと詳細は覚えていない。
旅行案内文としてはまったく役に立たないことを申し訳なく思う。
まあ、みなさんもメモに目的地を書いてください。
ほとんどの観光地がたぶんそれで行けますから。
バスがあまりにのろのろしているので到着は昼過ぎになってしまった。
こういうとき最終バスの時間を確認するのも旅行者の鉄則である。
帰れなくなったら洒落にならない。
まずは腹ごしらえで、入山ゲート近くの食堂でソバをすする。
ふだんはロープウェイなど邪道とおもっているのだが、今日は時間がないので、
往復ロープウェイを選択する。
「歩き方」には41元と記載されていた入山料は90元(1350円)。
ロープウェイが往復で60元(900円)なのも痛い出費である。
けれども、せっかくここまで来ておいてなにも見ないで帰るのはくやしい。札びらを切る。

道教はどうだったかと聞かれると答えに窮する。
ただ言語化はできぬものの、ある心象をいだいたのは間違いないのである。
帰国して中国関係の書籍を読むことで、このもやもやに言葉が与えられるのだろう。
道教の道士というのは、なかなかうさんくさくてよろしい。
中国人のおねえちゃんが道士に怒っていた。どうして水がこんなに高いんだ?
したでは2元で買える水がどうして6元もするんだ?
ねえ、あなたもそう思うでしょうと英語で聞かれた。道士を見たらにやにやしていた。
わたしがビールはいくらかと聞くと水とおなじ6元。下界では3元である。
まあいいかとビールでのどをうるおす。おい、ちょっと待て。ここは聖山だろう。
なんでビールなんて売っているんだよ!
と思うのはいまになってから。
このときは、ありがたや、ありがたやとビールをのんだのであります。
桜の木の下で道士のおねえさんがぶあつい本を読んでいる。
感心だなと思って近づいてみるとお昼寝中。
どこかパンダに似たかわいらしい道士さんであった。
頂上にはもっともらしい建築物が。
階段をあがるとてっぺんから絶景が見渡せるという仕組み。
ファランのおねえちゃんが悟り澄ましたような顔で写真をぱしゃぱしゃ撮っていた。
もしかしてなにか悟っちゃいましたか? それぜったい精神病ですよ!

往復ロープウェイにしたため時間があまっている。
このくらいの距離だったら往復歩いてもよかった。もったいないことをした。
しかし、することがない。となると、そうです、やっぱりビール。
ひとりだと間がもたないもんよ。カメラもないしね。
またビールは10元とかふっかけてくる。2本で12元で手を打つ。
酒のあてに冷やしソバを頼む。5元(75円)。
これがからくてうまいんだ。からいのってうまいよね(味盲寸前)。
ご機嫌で下山。ロープウェイの横でおかしな土産物を売っている。
道教秘伝の酒とある。こういうのものんでみたら中国理解の役に立つのだろうか。
酒好きだから買ったのではない。すべては勉強のためであるぞよ。
アル中などと言われるのは心外である。いくらと聞くと15元。
10元にしてよと言ったら、あっさり10元になる。道士さん、好きよ。
見るとアルコール度は16度。ワインとおなじくらいか。
これをロープウェイにのりながらのむわたしである。
聖山の絶景を満喫しながら口にふくむは道教秘伝の酒である。よきかな、よきかな。
成都駅へ直行する個人バスがあった。
こういうバスでは乗客が集まらないと出発しない。
ぼんやりバスにそなえつけてあったテレビを見ていたら、
日本軍兵士が中国人民をいじめていた。
中国ではこの手の反日ドラマが毎日放送されているという。
怒りに燃えるシナ人が勇ましかった。
ホテル近くの行きつけの店で今晩も深酒。中華料理に冷たいビールって最高だね!
朝である。メモ帳に大きく書く。
「成都大熊猫繁育研究基地」。
今日行くのはここである。大熊猫とはパンダのこと。
いよいよ、なのだ。この旅の目的のひとつ、パンダとご対面である。
パンダさん、きみと会うために中国くんだりまで来たのですよ〜。
ああ、パンダさんとお会いしたら、なにを言えばいいのか。
洗面所で鏡を見る。こんな顔でパンダさんとお会いしていいものか。
貧乏たらしい格好をしてはいないか。あのパンダさんと会うのだぞ。
本場のパンダさんなんだぞ。
くうん……。
日本のパンダは困ったときにこう鳴きます。くうん、くうん、くうん。
鏡のまえで無理やり笑顔を作る。大声で鳴く。空元気。くいーん♪
パンダは嬉しいときに鳴くのです。くいーん、くいーん、くいーん♪

バスは一度、乗り換えなければならないらしい。
降りろと運ちゃんの合図が入った。パンダ、降りま〜す。
バスはこれかな。メモを見せる。運ちゃんが、うなづく。
ああ、もうすぐパンダのふるさとへ行く。ついに行ってしまうのである。
パンダの絵が多く見受けられる。気分が高まる。
研究基地内は博物館と公園にわかれている。
博物館ではパンダの生態を勉強することができる。
パンダと会うまえに少しでもパンダのことを知らなければならない。
博物館に入ると、なみだがこみあげてきた。ついにここまで来ましたよ〜。
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れている。

パンダは1日のたいはんを食事にあてます。
それ以外は眠ります。パンダは遊ぶのも大好きなのです。
食べる。遊ぶ。寝る。これがパンダの生活であります。
パンダは母性愛の強い動物です。
子どものパンダを抱いてやるお母さんパンダはとても偉大です。
そして、見てください。
お母さんパンダに抱かれたお子さんパンダの安心しきった愛らしい顔を!
なんともかわいらしいではありませんか。
パンダは成年期に入ると群れを離れます。
おにいさんパンダは孤独を好むのです。パンダは平和的な動物です。
他の動物を襲うなど、よほどのことがないかぎりありません。
食べものは植物。いさかいをパンダは好みません。
とくにかわいいのは子どものパンダたちです。
かれらは毎日のようにじゃれあって遊びます。
木登りも得意なんですよ。お腹がすいたら仲良くお腹いっぱい食べるのです。
眠くなったらお互い抱きしめあってお昼寝です。
たまにさみしくなったらお母さんパンダに甘えます。
そんなことをしていたら、またお腹がすいちゃいますよね。
パンダは食べるのが大好きです。気がつくと、暗くなっています。
お星さまをつかみたいとパンダは木登りをします。
見てみてお母さん、ボクこんな大きな木にも登れるんだよ。
けれども、お星さまには届きません。星を見上げるパンダ。
お星さまはきれいだな。光っている。
いつまで見ていてもあきません。そのうちパンダは木の上で寝入ってしまいます。
まったくあの子はわんぱくなんだから。
お母さんパンダは木の下で上を見上げます。
お星さまとかぶさって子どものパンダが光り輝いているようにも見えます。
お母さんパンダはわけもわからずなみだぐみます――。

パンダというのは何時間、見ていてもあきないんだ。
わたしは朝から閉館時間まで食事もとらずにパンダに見入っていた。
基地内にはいくつかパンダの遊び場がある。年齢によってわけられている。
どのパンダもかわいらしい。
現物を複数見て思ったのは、とにかくグタアとしている。だらけている。
むかし「たれパンダ」というのが流行ったでしょう。
あれは加工しているのではなく、リアリズムでパンダをとらえた結果なのだと認識する。
ぼけえっとしているパンダを見ていると、こちらの気分もやわらいでくる。
なにもむずかしいことはないじゃないか。パンダを見習おう。
たくさん食べて、きゃあきゃあ遊んで、ぐっすり眠る。これでいいのである。
パンダはほんとうにおいしそうに竹を食べるのである。
わたしも竹を食べてみようかと思ったくらいである。
それから楽しそうに遊ぶこと。楽しくて仕方がないって感じなのである。
寝ているパンダの気持のよさそうな顔もよろしい。
からだ全体のちからが抜けているというのがよくわかる。

駆けているパンダがいる。急いで追いかける。
ごろごろ回っている。かと思ったら、すくっと立ち上がりヨンダッシュ。
もとい、ヨンダッシュしているのはこちらで、向こうはパンダッシュである。
パンダッシュとヨンダッシュ、いったいどちらが早いのか。
本場のパンダには勝てぬ。ああ、行ってしまう。と思ったら向きを変える。
こちらへ走ってくるではないか。目があう。パンダが鳴く。
耳を疑った。パンダはほんとうに「くいーん♪」と鳴くのである。
少なくともわたしの耳にはそう聞こえた。
まわりにはだれもいない。恥も外聞もない。わたしも叫ぶ。くいーん♪
パンダが鳴く。くいーん♪ ヨンダも鳴く。くいーん♪
かくしてパンダとヨンダのこころはひとつになりました。ボクはとても幸福でした。

1日中パンダの園(その)にいると、いろいろなパンダの動きを見ることができる。
どれもすばらしっくかわいかった。パンダ萌えである。萌え萌え♪
しかしなんでパンダはこんなにかわいいのだろうか。
ひとつ間違えたらクマみたいなもんだよな。
白と黒のシンプルなところがいいのだろうか。
白と黒。正反対の色の調和しているのが人間の視覚に心地よくうつるのか。
わからん。なんでパンダがこんなにかわいいのか、わからん。
本場の中国に来てもわからんかったわい。
お土産を買い込む。日本を離れて2ヶ月半、初めて買うお土産である。
ここで買わなかったらどこでなにを買えというのか。購入品は――。
パンダぬいぐるみ。パンダ写真集。パンダのコースター。
閉館を知らせるアナウンスがあったので、最後にもう一度、パンダに会いに行く。
お別れを言わなければならない。もうひともまばらである。
とあるところでパンダとふたりきりになった。
わたし「ねえパンダさん、教えてくれないか」
パンダ「――」
わたし「はるばる中国まで来たんだ。いろいろ生き迷っていてね」
パンダ「くうん」
わたし「日本に帰ってからどう生きていったらいいか」
パンダ「くいーん♪」
わたし「くいーんってなんだよ。真剣な相談なんだぞ。生きるか死ぬかの」
パンダ「くいーん♪」
わたし「――」
パンダ「くいーん♪」
わたし「くいーん♪」
「くいーん♪」(声をあわせて鳴くパンダと人間)

バスで駅前に戻る。こんな幸せな日はなかったと思う。実に、すてきな、1日でした。
中国へ来て、とてもよかった。パンダと会えて、こんなうれしいことはありません。
生きているもんだな。人間、死んではいけない。生きていてよかった。
こころから、そう思ったのです。
中国成都のパンダさんたちに、こころの深い部分を慰められました。
このあと、きのうとおなじ食堂でいつものように浴びるほどビールをのみましたが、
パンダの美しい思い出に比べたら、
なんと俗悪で味気ないその場かぎりの慰めであることでしょう。
楽山から成都へはバスで3時間。バスは発車すると、すぐさま高速道路へ。
極めて快適なバス移動であった。
さて、成都へ到着すると客引きが群がってくる。
最後まで食らいついてきたのはおばさんタクシー。
おそらく非公認のタクシーと思われる。白タクとよばれるもの。
初めての土地で不安な旅行者を食い物にするハイエナ。
とまで書いたらかわいそうかな。
まあ、正規のタクシー料金にちょい上乗せするくらいのかわいいものである。
たしかに、なのである。ここがどこだかわからない。
ガイドブックの地図には掲載されていないバスターミナルのようである。
おばさんは市内まで60元だの、50元にまけるだのほざいている。

中国旅行の秘訣を書く。駅を目指せ、である。
どこの観光地でも駅近くに向かうのがよろしい。
なぜなら駅近くにはかならずホテルが複数ある。むろん競争になる。
ことの必然として、宿泊料金はさがる。
もうひとつは、駅周辺は安い食堂が多いということがある。
駅とは移動する無数の人間が交差する場所である。人間、腹がへればメシを食う。
食うやつがいるところには、かならず料理するものが現われる。
宿とメシの利便性を説いたが、駅付近をおすすめする理由はこれだけではない。
中国での長距離移動は列車がメインとなる。
となると、切符を買うにつけても、乗車する都合においても、
駅近くに宿を取るのが最適ということになる。
さらにだ。駅というのは町の中心である。
市内を移動するバスも、駅前を通過するものが多くなる。
市内観光にも便利なのである(タクシーで観光する金満旅行者はこの例にあらず)。
まだあるのである。
中国では駅の近くにかならずといってよいほどインターネットカフェがある。
それも24時間営業のところがほとんどである。
列車待ちで時間をつぶすときなど重宝する。
かようなしだいで中国長期旅行のポイントとして駅近くの宿泊を推奨する。
これから中国を旅行しようと考えているかたはぜひ参考にしてください。

成都でも駅前に宿を取ろうと思った。目指すは駅である。
白タクおばちゃんは、ウソばかり言う。駅はここからとんでもなく離れている。
駅へ行く公共のバスはない。50元。特別価格。これはぜったい安い。
わたしの腕をとって強引にタクシーへ連れて行こうとするのである。
からだをさわられるのがひどく嫌いである。消えろ、とすごむ。
体格だな。男ならからだは大きいほうがいい。舐められたら終わりである。
落ち着いて周囲を見まわすと、ほう、あそこにありましたか。バス停留所発見である。
バスの乗車方法はわかっている。駅に行くのはどれかな。
日本人だと漢字がわかるからその気になればバスくらいは乗れるのである。
これが白人だったらまず無理だろう。さっきのおばさんと値段交渉するくらいしかない。
ちょうどいま停まっているバスが駅へ向かうようである。
これだとわずか2元(30円)である。48元も節約したことになる。

バスのなかで車掌さんが親切に教えてくれる。
終点が駅だから、このまま乗っていればそれでいいよ(筆談)。
中国をもっとも印象づけるのは駅である。どの駅も実に堂々としている。
見ばえがする。その下をアリのようにうごめく中国人民――。
中国といったらまずこの光景が思い浮かぶ。
無数のアリにまみれ駅周辺をふらふらする。待っているのである。
ほい、来ましたよ。ホテルの客引きである。
日本の繁華街で客引きについていくのはバカだが中国ではそうでもないのだ。
かえって、安く宿泊することもできる。
というのも、客引きをだすくらい商売熱心なのである。
薄利多売をねらっているのかもしれない。
連れて行かれたのは駅のちょい裏手。招待所といったようなものではない。
立派なホテルである。これはさすがにわたしには不釣合いかなと思う。
いかにも高そうなホテルなのである。
しかし、待てよとも思う。楽山のホテルで、チャイナ娘の値引交渉を見ている。
ここでもあれができるのではないか。
フロントのある立派なホテルである。一泊260元とはりだされている。
これはダメだと帰ろうとすると、いくらなら泊まるんだとフロントの青年が聞いてくる。
メモに書く。一泊百元(1500円)。三泊するから三百元。これでどーだい?
あっさりOKが出る。あれ、中国のホテルって、いったい?
この疑問は旅の終わりまでついてまわることになる。
フロントのかれはなかなかの好青年。かたことの日本語を話す。立派、立派とほめる。

いいホテルに泊まるとやはり気分がいい。いいホテルとは――。
きれいなホテルである。清潔なこと。窓から見える景色がよければなおよし。
シャワーですぐにお湯が出ることも重要なポイント。
ここは実にいいホテルである。駅前で立地もいい。
ほんと1500円でいいのかと思ってしまう。
「地球の歩き方」掲載のホテルなど、みんな最低400元はする。
ガイドブックと現実のこの相違はどこから生じるのだろうか。
寝床が決まったらつぎは列車の切符である。
いや、書く順番を間違えた。最初に列車の切符を買ったのである。
それからホテルを決めたのだった。
拍子抜けするほどあっさり3日後の西安行き寝台チケットが取れたので、
記憶が薄れていたのかもしれない。

これでもう今日はなにもすることがない。となったら酒である。
まず寝酒用に軽いつまみと冷えていないビールを近くの売店で購入。
信じられないほどへたくそな英語をつかう女の子がかわいかった。
顔に吹出物ができていたけれども、あれは中華料理のせいなんだろうな。
わたしもおかしなニキビが顔にできていた(すぐに治ったが)。
中国の食堂はひどい油をがんがんつかうせいだろう。お肌によくないのだ。
って、どうでもいいですね。
10以上の食堂に聞いて回って、ようやく1軒冷たいビールをだすところを発見。
3元(45円)で冷たいビールがのめるとうれしい。
異国で初めての食堂へ入ることほど、刺激的で楽しいことはそうはありませんよ。
楽しいんだ。これが旅の楽しみの半分以上をしめるのかもしれない。
メニューを渡される。中国語である。漢字がずらり。
さて、これはなにかなと恐るおそる注文する。どきどきですわ。
油っこい中華料理でビールとあわないものなど皆無といってもよい。
そうそう、このときは覚えたての中国語でさっぱりしたものをオーダー(中日会話事典)。
出てきたのはキュウリと豚肉の炒めもの。
うーん、やっぱり中華料理はぎどぎどしてからいもののほうがうまいかも。
なんて思う。この店には3日間通いつめることになる。冷たいビールは偉大である。