時事ネタは嫌いだがあえて書く。
いまNHKニュースを見ていたら、戦争反対童話「ガラスのうさぎ」の著者が登場。
最後のメッセージをこのたび書いたという。著作の紹介。
まあ、NHKではやっていけないはずの宣伝である。
だが、これも戦争反対のためなら許されるという判断か。
「ガラスのうさぎ」作者は、戦争でいく人もの近親者を亡くした。
だから、戦争に反対する。戦争を許すな。命を守れ。
戦争を経験したものでしか発せない(という設定の)メッセージである。
いいか。いまからだ。とんでもないことを書くぞ。
戦争経験者はすべからく戦争に反対する、というようなことをマスメディアはいう。
疑え! マスメディアを疑いたまえ!
おおやけには登場しないが、戦争を体験した世代で、
かの戦争を肯定するひとも存在することをみなさまはご存知ですか。
戦争のために命を亡くした近親――。
かれらは我われ日本人を守るために死んだのである。
母国のために命を賭けたのである。これを安易に否定していいのか。
中学校の団塊アホ教師がそう言っていたからという理由で、
戦争反対にやすやすと同意していいのか。
だまされるなと言いたい。
戦争体験者にも、戦争反対とは言えぬものもきっといるはずである。
このひとたちは無視されてもいいのか。
かるがると人命尊重とかなんとかで、戦争反対とあなたは言えますか。
具体例を書く。こういう平和論では、問題は正しさではないと思っている。
おのが体験である。本で読んだことなど、どうだというのか。
わたしは母を自殺で亡くしている。
だからといって、自殺反対主義者ではない。
あの大好きな母が自殺を選択したのである。
その母の選択を尊重してやれずになにが息子だ。
たとえば自殺遺児を支援するグループ「あしなが育英会」がある。
かれらが書いた本を何度もすがるように読んだわたしである。
だが、どうしても納得できない。
なにゆえ「あしなが育英会」は自殺遺児が親の後を追うことを簡単に否定するのか。
親の生き方(死に方)を否定するのは子として間違えてはいないか。
親がぎりぎりのところで選択した自死を、あまりに軽んじてはいないか。
ほんとうに自殺をしてはならないのか。きみたちはこの問題を無視してはいないか。
生きていればそれでいいのか。長生きすればそれでいいのか。
同様だ。賢明な読者には不要なことだが、あえて単語を入れ替える。
「母→父」「自殺→戦争」。
わたしは父を戦争で亡くしている。
だからといって、戦争反対主義者ではない。
あの大好きな父が戦争を選択したのである。
その父の選択を尊重してやれずになにが息子だ。
たとえば戦争遺児を支援するグループがある。
かれらが書いた本を何度もすがるように読んだわたしである。
だが、どうしても納得できない。
なにゆえ、かの集団は、戦争遺児が親の主張を肯定することを簡単に否定するのか。
親の生き方(死に方)を否定するのは子として間違えてはいないか。
親がぎりぎりのところで選択した戦争を、あまりに軽んじてはいないか。
ほんとうに戦争をしてはならないのか。きみたちはこの問題を無視してはいないか。
生きていればそれでいいのか。長生きすればそれでいいのか。
みたび問う。
生きていればそれでいいのか。長生きすればそれでいいのか。