昨日、久しぶりに「死にたいメール」をいただいた。
ブログを開設した当初はよく来たものである。
無視をしたものも、返信したものもあった。
今年に入ってからは、はじめてである。
顔も知らないひとからのメールだ。自殺がほのめかされている。
死にたいと書いてある。生きるべきか、死ぬべきか、ご意見をください、とある。
ここで生意気にも忠言をさせてください。
みなさまがもし知らないひとから「死にたいメール」をもらったらどうすべきか。
苦しいでしょうが、削除するべきです。決して返信をしてはならない。
他人には最善のアドバイスをできるが、自分で実行することはかなわぬ。
言うは易し、行なうは難し、である。
口で言うのはかんたんだが、いざ自殺予告メールが来て無視するのはむずかしい。
久々ということもあった。
毎日、なにか劇的なことはないかと期待しているわたしである。
つい返信してしまったのだ――。

メール送信者は男らしい(自己申告による)。
死にたい理由はプライバシーがからむので公開しない。
(ちなみにブログで書くことの許可はもらっている)
最近、ようやく実感としてわかったのは、ひとの苦しみははかりがたいということである。
騒音恐怖で悩まされてから、はじめて納得した。
どういうことか。他者の苦悩は決してわからないという、実に当たり前のことだ。
たとえば、配偶者、子どもをいちどきに犯罪で亡くしてしまった人間がいる。
かれは、たとえば摂食障害、たとえば醜形恐怖で自殺を考えているひとを、
おまえの苦しみなど軽いものではないかと笑うかもしれない。
だが、これは間違いである。
過食症の女も、醜形恐怖症の男も、おのおの死にたいという苦しみは、
この犯罪被害者といっこうに変わらない。
むしろ、かれよりも苦しんでいるかもしれない。
マスコミに注目され裁判に情熱を傾けているかれよりも、
神経症患者のほうが苦しんでいるという可能性を否定しないでもらいたい。
少なくともわたしは、そういう人間でありたいとこのごろ思っている。

件名: Re: はじめまして(緊急返信)
日時: 2007年08月01日 21:46:42

ご返信が遅くなって申し訳ありません。
もう4時間も経ってしまっています。
まだ生きていますか? 
どこのだれだかわからないあなたが心配です。

まだご存命だと仮定してお返事を書きます。
愚見を聞きたいとおっしゃる。
生きるべきか、死ぬべきか。むずかしい問題です。
わかりません。
わたくしも毎日、生きるか死ぬか迷っていますから。

ただひとつ思ったことを。
ブログの性質上、「死にたい」メールはけっこう来ます。
どれも読みたくなくなるほどの長文が特徴です。
このような長文メールには、
失礼を承知で返信はいたしません。
けれども、あなたはすっきりとした短文メール。
好意をいだいたゆえんです。
おっと、うっかりすると、こちらが長文メールになってしまう。

鬱病ですか。
医者にかかったのかどうかなどというくだらないことは聞きません。
精神科医は大嫌いですから。カウンセラーも。
本人が鬱病というなら鬱病なのでしょう。
死にたい。それは困りましたね。
いちおう世間では生きていたほうがいいことになっているからもっと困る。
顔も名前も知らないひとに、生きろというは変。
かといって死ねというのはもっとおかしい。
しかし、あなたは問うている。生きるべきか、死ぬべきか。
大問題です。難題です。

生きていればいいことがあるなんてウソです。
自殺すると地獄に落ちるというのもウソ(というか、たしかめようがない)。
うーん、どっちでもいいと思うとしかお答えできません。
死ぬときは死ぬでしょうし、生きるときは(たとえ)何度自殺を試みようが生きる。
これがわたしの人生観です。

こういうメールではご返信がないことが多いのです。
ひとつ、おうかがいします。
あなたからのメールをブログで引用してもいいですか?
鬱病でおつらいことでしょう。
8月6日までにお答えいただけたらうれしいです。
「不可」という、ひと言メールでも構いません。
ご返信、お待ちしています。お大事に(あいまいな表情で)。

「本の山」管理人Yonda?


実はウソを書いている。
わたしの場合に限っては、生きていていいことがあった。
今年、中国の敦煌まで行くことができた。
父の誕生した旧満州の該当地をたずねあてることができた。
心底から、生きていてよかったと思った。
7年前、母の事件の直後にあとを追わないでよかったと思った。
ただし、これはわたしの場合で、万人に当てはまるわけではない。
最初、メールを見たとき、いたずらかどうかわからなかった。
禅問答でもされているような気になった。
ちょっと気のきいた答えをしたいと色気が出たのである。
現代では、悲観的な意見がなぜか好まれる。上記の返信をした次第である。

翌朝、つまり今朝、返信があった。携帯電話からである。
内容を読むと、どうやら本気で自殺を考えているようである。
携帯電話からのメールというのにも、震えた。
こちらからメールを送ったらすぐに確認できるのが携帯である(ちがいますか)。
申し訳ないが、顔どころか名前も知らないひとに振り回されるのはごめんだ。
うっかり生きろなどと言ってしまったら、どんな返信が来るか知れたものではない。
生きろというのなら100万円振り込め!
よしんば、こう言われたら(かれがそういうタイプの男性ではないのはわかっているが)
払わなければならないとわたしは思っている。
人命を救助するというのはそういうことだ。
安易にひと助けなどできると思うほうが間違えている。
他人の命を救いたいと思ったら、こちらも命を賭けなければならない。
わたしには、人命救助は、できない。1日考えた結論である。

件名: 全面降伏です
日時: 2007年08月02日 20:49:18

Yonda?です。
お返事が遅くなって、すみません。
ぶじご帰宅したでしょうか。
すなわち、いま生きていますか。

最初は悪ふざけだろうと思ったのです。
たちの悪いジョークではないかと。
誤解していました。
本気だったのですね。
こうなると非力なわたしにはどうしようもありません。

全面降伏です。無条件降伏。
おのが矮小さを白状します。
器が小さいのです。
とてもではないですが、ひとの生き死にには関われません。
そんな大人物ではないのです。

生きるべきか、死ぬべきか。
ほんとうに申し訳ありませんが、わたしにはわかりません。
お答えしようがありません。
これ以上、メールをいただいても困惑するばかりです。
お役に立てないことを謝罪いたします。
ごめんなさい。

なぜわたしが生きているか。
書くことのできるのはこれくらいです。
待っています。わたしはなにかを待っています。
それは永遠に来ないかもしれない。
けれども、来ると思って待っています。
おそらく、それは来ないのでしょう。
現代では来ないと言うひとのほうが多い。
わたしもそれが来ないことをなかば知っている。
しかし、それでも、わたしは待ちつづけます。
これがわたしの今現在の生きかたです。
抽象的でわかりにくいとは思いますが……。

あなたにも待てと言いたいわけではありません。
来ないものなど待てるか!
そう思われるのも、ごもっともです。
死ぬなと申し上げているわけではありません。
が、言うまでもなく、死ねとも言ってはいない。
つまらぬ独白でありました。

もうなにも意見することはございません。
人間、生きるときは生きる。死ぬときは死ぬ。
あなたの存在の根幹たるエネルギーがまだあれば、
生き延びることと思います。
かりにもうエネルギーがなければ死んでしまう。
宿命の思想です。

くだらないメールしか送れぬわたしをお笑いください。

Yonda?


北海道在住のかれはいまごろ死んでいるのかもしれない。
メールの文面から推察すると、あの落ち着いた感じはリアルなものがある。
死にたいと言うひとに限って死なない、と知ったかぶるひとがいる。
バカを言いなさんな。
母は死にたい死にたいとさんざんわたしを振り回した挙句、息子のまえで飛び降りた。
何度も生きてと懇願したが、無駄であった。なにもできなかった。かえって母を苦しめた。
さて、北海道の男性である。わたしの勘だとかれは自殺をするのであろう。
もう自殺している可能性も高いと思っている。なにも申し上げることはない。
だれも知らぬあの世がよいところであることを願うだけだ。
たしかに、わたしにはわからない。
見ず知らずのひとに自殺予告をする感性がわからない。
けれども、人間はそんなものなのかもしれない、とも思う。
あんがい死の間際は、あてにもならぬものに救いを求めるのかもしれない。
ひとり死亡である。北海道で青年男子自裁――。
死にたいと言われ、いつもひとりのこされるわたしである。
つぎの「死にたいメール」には返信をしまいぞと思うが、また返信をしてしまうかもしれぬ。
これもまた宿命という。

(参考記事)「分け入つても分け入つてもゴミの山」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-637.html