山道で迷っていた。ふたつにひとつである。
このまま登るか、あきらめて引き返すかである。
そろそろ体力は限界に近づいている。
このままだと下山する余力の有無も心配しなくてはならない。
日本の登山ではないのである。わたしは片言の中国語しか話せない。
そもそも、である。通り過ぎる登山者も、いなくなってしまっている。
少しまえまでは下山してくる若者をたびたび見かけたものである。
だが、いまはひとの気配が感じられない。
この華山は峻険な山として中国で知られている。
険(けわ)しい山である。人間を包み込む山ではない。人間を突き放す山だ。
たとえ登山者を奈落の底へ落そうと景色ひとつ変えないであろう冷たい山である。
古来、そういう山として知られてきた。最近では縁結びの山としても有名という。
ジェットコースターやお化け屋敷に男女で参加すると恋心が生まれることがある。
危険をともに経験したという連帯感が、ときに恋愛感情に錯覚される。
おそらくそれとおなじ仕組みであろう。崋山は危険な山であった。若い男女が多かった。

登っていくうちに洒落にならないぞと思い始めた。
同行者がいたならば、顔を見合わせて苦笑いしたであろう。これは、まずくないか。
ひとり旅のわたしは自問自答するほかない。このとき、ひとりがふたりになる。
ひとりで会話をする。――これは山登りというより登山だよな。
おいおい、そのふたつはおなじ意味だぞ。
いや、ちがう。山登りというのは、わいわいがやがや楽しむもの。
比して、登山は生命をも賭して行なう厳しいもの。
うん、なるほど。そういう意味合いでなら、これはたしかに登山というほかない――。
限りなく90度に近い絶壁をクサリをたよりに登っていかなければならないのである。
登りながら下を見ると震えがとまらなかった。手を離したらへたをすると死ぬぞ。
冗談だよなと思う。崋山って、ただの観光地だろう。なんでこんな危険があるのだ。
ひとりの心細さが胸をしめつける。万が一、足でもくじいたらどうしたらいいのだろう。
さらに、そこがひとの通らないところだったらば。不安が絶え間なく襲ってくる。
大げさなようだが死をも思わせる山である。
いつ死んでもいいとひとまえでは強がるわたしだが、こういうところへ来ると真実がばれる。
当たり前だが、死にたくないのである。

何度、斜面をはいあがったことだろう。手も足も使いものにならないくらい酷使した。
この険しい山道があとどれだけ続くのだろう。
いちおう地図はあるがじぶんがいまどこにいるのかわからない。ひとも通らない。
もう昼過ぎである。このまま登っていって戻れなくなるくらいなら、
まだ気力のあるいまのうちに引き返したほうがいいのではないだろうか。
前進するだけが勇気ではない。
あきらめるのは、ときとして前進よりも偉大で崇高な勇気を必要とするものである。
この急斜面に、あとどれだけおのれの身体がもちこたえるかだ。
どれだけのエネルギーをわが身体は所有しているのか。

いろいろと道を間違えたのだと思う。
崋山へはツアーで行くのが一般的である。
西安のたいがいのホテルで崋山1日ツアーに参加できる。
個人で行くこともできなくはない(いまとなってはオススメしないが)。
西安駅東側のバスターミナルから崋山行きのバスが朝1本出ている。
わたしが乗車した日は7時半に発車した。いちおう出発時間は7時になっている。
西安駅から崋山まではバスで2時間半。
到着してからが問題である。ここで朝飯でも食べろと契約された食堂に入れられる。
中国人旅行者はみな従っていた。
大きなあやまちを犯したのはこのときである。崋山はどこだ? とわたしは聞いた。
あっちだという。なら朝食などいらない。わたしは崋山へ向けて歩き始めた。
いまから思えば、これが大失敗だったのだ。
崋山観光はロープウェイで頂上付近まで行く。そこから登山を始めるのだ。
このバスストップからロープウェイ乗場まで、再度バスを利用しなければならなかった。
そうとは知らぬわたしは、みなから離れひとり崋山を登り始めたのである。

小さな入口で入山料を支払う。90元(1350円)だったか。
最初はいいのである。平坦な道が続いている。ひとりで山を登るのは楽しい。
だれにも気兼ねすることなく内面世界へ沈静することができる。
歩く。意識するのは呼吸のみである。息を吸って、その息を吐き出す。
生きているとはなんと単純なことかと思う。吸う、吐く。
これが生命の隠すことのない実質である。
息を吸う。吐き出す。この反復をやめたときひとは死ぬのだ。
生きていると思う。わたしは生きている。
異国の山のなかでなら、照れもなくかつて愛したひとのことを思い出すことができる。
10年近くもまえの話である。わたしを拒絶する冷たい顔がとても美しかった。
きれいだったと思い返す。
かつての友のことを思う。これも10年もまえのことになる。
連夜のごとく酒をのんだ。バカな話をした。青臭い友情を誓ったりもした。
相手を思って涙を流すようなクサイ友情劇をむかし演じたことがあった。
すべて終わってしまったことである。
むかしの男も女も、いまはなにをしているのか知らない。
あることがきっかけで、ありとあらゆる人間関係が切れてしまった。
いまわたしは西安郊外の崋山などという山を登っている。
むかしの仲間はだれひとりとしてこのことを知らないであろう。
山を登るのみだと思う。山があったら登るしかない。
この中国でもいくつか山を登ったものだ。すると眼前にべつの山が現われる。
人間は山を登るしかない。なぜを問うてはならない。目のまえの山は登るほかない。
「分け入つても分け入つても青い山」である。
若者はいつまでも平地で遊んでいるわけにはいかないのだ。
おのおの進路を定める。それぞれの山を登るほかない。
むろん高低に相違はあるだろう。まれに平らな野原を歩いていくようなコースもある。
かと思えば、高山の続く道のりもあろう。山中で迷い餓死するものがいてもふしぎはない。
それでもめいめい定められた山に登るほかないのである。

低地ではにぎやかなものであった。簡易食堂も軒を連ねている。
どこもビールを売っているのがうれしい。
それも山の流水で冷やしてあるのだから笑みがこぼれる。
まだ昼前だというのに我慢ができなかった。ビールをくれ、だ。
そうそこのきんきんに冷えたやつ。水がわりにビールをのむふざけた登山者である。
ビールを口中にふくみながら、おかしいなと思う。
登山客は決して少なくないのである。けれども、みなみな進行方向が反対。下山している。
あるじに地図を見せる。ここはどこだか教えてもらう。
ロープウェイ乗場がはるか彼方であることに気づく。
いま歩いているのは異端の道ということになる。
といっても、ここまで登ってきたら、いまさら引き返すのも億劫(おっくう)である。
これもまた旅である。ひとり旅とはこういうものだ。運任せなのがかえっていい。
店のあるじにこの道を登っていけば頂上まで行けるか尋ねる。
行ける、とのことである。現地のひとが言うなら確実だと安心する。
今日はまだ時間がある。わたしには頑強な肉体もあるではないか。
楽なロープウェイではなく、あえて厳しい山道を選択するのも悪くはない。
この旅は、どこか修行の性質を帯びたものでなければならない、と思っている。
ビールばかりのんでいるわけにはいかない。
反骨精神がもたげる。ひとと違ったことがしたいという欲望だ。

行けども行けども、なのである。かえって道が悪くなってくる。
どんどん山道は厳しさを増してゆく。行き交う登山客も減るばかりである。
その挙句がクサリの登場だ。まさかこんな悪路があるとは思わなかった。
ふつうにロープウェイに乗っていればよかったと後悔する。
だれもいない。ひとりの登山である。休息を多くする。休む、登るの繰り返し。
開けた場所で下を見る。なんと厳しい山であることか。
持っているもので勝負するしかないのである。
水はある。携帯食物は持参していない。けれども手足はある。若さもある。
荒い呼吸を繰り返しながら、まえのみを見て足を動かす。
これほどおのが身体の存在を明確に意識したことはなかった。
このとき、わたしは肉体だった。精神ではなかった。
肉体は考えた。精神の代わりに肉体が考えたのである。
この肉体をなんとかして生かさなければならない。山ばかりではない。
帰国してからの問題もある。
精神はものを書いて食べていきたいと思っているようである。
たわいもない精神め、と肉体は思う。
年収150万でも食べていければそれでいいと精神のやつは言っている。
精神はとかく夢見がちなのだから困ったものである。
肉体は鏡に映すことができる。目がある。鼻がある。口がある。手があり、足がある。
精神よ、おまえはいかほどのものを持っているのか。
持っているもので勝負するしかないことを知らないのか。
精神よ、おまえは鏡を持たなくてはならない。
なにを持っているのか。なにを持っていないのか。
息も絶え絶えの精神は打ちひしがれる。
知力は乏しい。難解な思想小説を書くことはできない。
美形ではない。顔を売り物にはできぬ。私小説も恋愛小説も説得力がないであろう。
お洒落でもない。気の利いた洒脱な会話を書くことはかなわぬ。
おまえはだれだ? わたしとは何者だ? 
わたしはわたししか描けぬ。わたしわたしわたし――。
いまさら自分探しかと自嘲する。気持が悪いとしか言いようがない。
そうだ。ないない尽くしのなかで、ある種のキモさをわたしは持っている。
ほかに、なにかないか。ないのだ。なにもない。わたしにはなにもない。
だが、「ない」ということ自体が武器ではないか。
「ない」から「ある」を思う。かくありたいと思う。かくあれと思う。
精神の反逆である。肉体よ、おまえはなければそれで終わりであろう。
だが、精神は違うぞ。なくても、ないがゆえに、あるを思うことができる。
異国の険しい山道は、通常なら不可能である、
精神と肉体の会話を可能にしたのかもしれない。

どれだけ限界を超えたことであろうか。
この登りを終えて、まだきつい登りがあったら、もうあきらめて下山しよう。
いく度となくじぶんをそのようにをだました。今度こそと思うのである。
今度こそ、どこかに行き着くのではないか。
ひとがいる。ここはどこか問う。かれは指を刺す。あれがロープウェイだという。
ようやく入口にたどり着いたのである。
ふつうの観光客ならこの高さからスタートするのである。
入口までのなんと苦しい道のりであったか。時計を見ると、3時をまわっていた。
観光客が大勢集っている。なかには白人旅行者もいる。
なんだい、と思う。楽をしやがって。
ここから通常の登山をしようと思ったが身体がどうにも動かない。
具体的にいうと、足がもちあがらないのである。
売店で割増料金のカップラーメンとコーラを買う。
コーラにはベトナムで購入したウイスキーを入れる。
ウイスキーコークをのむと肉体も精神も等しく喜悦の叫びをあげる。
顔をあげる。山が無限に連なっている。どの山も尖(とが)っている。
分け入つても、と思う。これでは、分け入つても分け入つても、だよなと苦笑する。
けれども、ながめるぶんには悪くない。絵葉書にもなりそうな絶景である。
あの山々を分け入つてゆくのはさぞかし難儀だろうな。
時間が来たのでカップラーメンのふたを開ける。フォークでソバをすする。
低劣な油分と辛味が舌を刺激する。これをうまいと思うわが舌の哀しさよ。
酒をのむ。ウイスキーをがんがんのむ。中国では入手するのが難しいウイスキーである。
少しずつのもうと思っていたが、もうケチケチするのはやめようと思った。
ここまで来れたのがなによりうれしい。
がんばった。けれども、がんばったからではない。運が良かったのである。
下手をしたらあのがんばりが命取りになっていたかもしれないのだから。
多少、酔ったところで構わない。あとはロープウェイで下山するだけである。
崋山の観光名所を見られないことに口惜しさはない。
見ることがなんだ。見ないことにも価値はある。
あればそれでいいのか。ないのはいけないのか。
酔ったのだろうか。哲学めいた稚拙な問答をあたまのなかで繰り広げる。

ロープウェイで下山。ミニバスでバス乗場へ移動。
いちいちカネを取るのが癪(しゃく)にさわる。
西安駅行きのバスは、親切な娘さんがわざわざ手を取るように教えてくれた。
バスの最後の乗客となった。大した幸運である。
わたしの数分後に来たひとはこのバスに乗れず1時間以上も待たなければならなかった。
うつらうつらしていたらバスはなじみ深い西安駅へ到着した。
いつのまにか懐かしささえ感じるようになっていた。西安にはもう6日もいるのである。
明日はこの西安を発たなければならない――。
ということは、今度はいつインターネットをできるかわからないということでもある。
動かない足を上半身で杖のように用いネットカフェへおもむく。
このカフェの店員ともすっかり顔なじみになっている。さよならだ。
ホテルへ戻りシャワーと洗濯。じつに居心地のいいホテルであった。
それから6日連続で南方飯店へ。いくらかセンチメンタルな気分になる。
もう一生この安食堂には来ないであろう。6日間、よくのみ、よく食べた。
どの料理も、なかなかのものだった。ともかく安かった。
明日、西安を発つとは言わなかった。
そのぶん、のもうと思った。お別れのぶん、のもうと思った。食おうと思った。
疲れているから、そんなには身体が受けつけなかった。
けれども、いっぱいのもうと思ったのだ。たらふく食べようと思ったのだ。
とにかく思ったのだ……。
第16回東急東横店渋谷大古本市へおもむく。
渋谷もひさしぶりだな~。なにか変わっているのだろうか。
まあ、わたしは駅から一歩も外へは出ないけれども。だって、こわいんだもん♪
若者の町シブヤ。いきなり竹刀で叩かれてもふしぎはないのでしょう(大きな誤解)。
わたしには古本市くらいがお似合いです。
最先端のスポットは村上龍先生のご著作で勉強します(ウソ)。
ここも毎回、来ていたけれども、掘出物がないのだ~よ。
渋谷という地名と相性が悪いのだとずっと思っていた。ところが、ところが――。

「木下恵介集」(日本シナリオ文学全集1/理論社)絶版 1000円

ついにこれが見つかったかという感動がある。
ちなみにシナリオ専門古書店、矢口書店では4000円。
もちろん、ここ1年近く売れてはいないが。
いまは木下恵介なんてだれも知らないのかな。わたしも知らなかった。
山田太一のお師匠さんということで興味をもったのである。
レンタルビデオで借りてこいと言われるかもしれない。
ダメなんです。映画は苦手。映像は疲れる。シナリオで読むのを好む変人なのだ。
古本の状態も悪くない。これはいい買物をした。
こうなると購入にいきおいがつくのである。
得をしたのだから余計に買ってしまおうと考える。ええ、はい、浅はかな消費者です。

「図説 敦煌」(大橋一章/河出書房新社) 600円

定価1800円は買えない身体になって敦煌から帰ってきたわたしわたしわたし。

「本棚が見たい!2」(川本武/ダイヤモンド社)絶版 600円

これも本来なら2~300円でしか買わない類の本なのだが今日は特別である。

「東アジアの仏教」(岩波講座「東洋思想」第12巻)絶版 1400円

漢字仏教圏の講座。どうせ読んでもアホなわたしにはわからないのだろうけれども。
中国仏教について知りたいのです。

ここでまたヒットが! おおう! ずっと探していた本をこのタイミングで発見するとは。
山田太一のシナリオはなぜか古書市では出てこないものと相場が決まっていた。
なぜかブックオフにしかないのが山田太一の絶版シナリオだった。それが――。

「シャツの店」(山田太一/大和書房)絶版 500円

これはなかなかない本ですよ~。
「日本の古本屋」にもない。出ても2000円とかつけるバカばかり(かしこいの?)。
矢口書店なら3000円。
脳がスパークする。今日はフェスティバルなのだ。脳の制御がぶち切れる。

「保存版 山頭火」(石寒太編/毎日新聞社)絶版 735円
「暮らしがわかるアジア読本 中国」(河出書房新社) 840円
「シナリオ創作論集」(松本孝二編/映人社)絶版 315円


合計金額は6040円。われながらよく買ったと思う。
思うに、古本というのはあれだな。まず買わなければならない。
1冊カゴに入れると、その本がべつの本を呼んできてくれる。
したがって、最初の1冊をカゴに入れる(買う)というのが最重要。
古本ってふしぎだよな。
買うとなったらついたくさん買ってしまう。かと思えば1冊も買わないときがある。
本は人間の情熱の結晶。人間以上に奇妙な縁が働くのかもしれない。

(追記)これで「本の山」新記録です。1日10記事更新ははじめて。
ほめてとは言いません。拍手もいらない。ヒマでいいねと憫笑してくださいませ♪
病院のそとへ出ても、まだ怒りはおさまっていなかった。
ふざけるなよ~。待合室で順番を飛ばされたのである。
患者の苗字が医師とおなじだったから、あれはもしかしたら縁故で、
意図的な順番替えだったのか。
新患だったから、これで20分も待たされた。
もちろん苦情を言うわけである。
「わたしのほうが順番は先だと思うのですが」
待合室にいる全員がわたしに注目する。
こういうことを日本人は言ってはならないのである。
無言で辛抱しなければならない。「おしん」かって!
看護婦さんも、この手の抗議にはなれていない。
病院では医療サイドが偉いのである。反旗をひるがえすなど、もってのほか。
おまえら患者は医療がOKしなければクスリひとつ入手できないのだよ~という姿勢。
むろん、あちらがわの手落ち。
いちおうの謝罪はしてもらうが、顔を見るかぎりわたしを無粋なやつと認識している模様。
中島義道先生ならここでひと悶着起こすのだろうが、なんの肩書きもないわたしには無理。
今後も通いたいこともある。ぐっとこらえました。

ぷんぷん。いいやい。
現実から逃げてやる~と言って入るのはブックオフ新宿靖国通り店。

「文藝別冊 総特集 河合隼雄」(河出書房新社) 105円
「退屈論」(小谷野敦/弘文堂) 105円


あっちゃんの「退屈論」は以前調べたときは絶版になっていたけれども、
いま検索すると在庫僅少。もしかしたら増刷されたのかな。
いんや、売れ残りの在庫がまた店頭に出ただけかもしれない。
小谷野敦はいまわたしがもっとも注目するブロガーである。
2ちゃんねるのヲチ(観察)スレッドともどもおかしくてたまらない。
小谷野敦周辺には笑いの原風景がある。
笑うものが笑われるという構図が実に笑えるのである。
すなわち、小谷野がバカをあざ笑う。2ちゃんねらーが小谷野に失笑する。
小谷野が2ちゃんを挑発する。このような連鎖がたまらなく笑える。

つぎなるブックオフは大久保明治通り店。
早稲田大学理工学部のすぐそばである。だからだろう。毎回、ろくな本がない。
ブックオフは地域によってかなり品ぞろえが変わるぞ。
いつ行ってもそれなりの収穫があるところもあるが、
反対にいつ行こうがダメなところもある。
ここは早稲田の古書店街へ行く途次にあるので覗いているだけ。

「紅花」(井上靖/文春文庫)絶版 105円
「黒い潮・霧の道」(井上靖/文春文庫)絶版 105円


井上靖の文庫は定期的に補充する必要がある。
まあ、悪くはない買物である。
炎天である。公園を抜けて早稲田へおりる。子どもが水遊びをしていた。
ブックオフ早稲田駅前店へ行くが収穫はゼロ。
思えば、引越前に大量に本を売却したのはここであった。
早稲田大学本部キャンパスへ行く途中にある古本屋にも顔を出す。
おそらくわたしの在学中もあったのだろうが、通うようになったのは卒業後である。
ここで「ストリンドベリ名作集」「オニール名作集」を格安で入手したのだった。
その恩があるから、いまでも早稲田へ行くとかならず寄ることにしている。
1冊買う。たしか半年以上まえに来たときもあったような気がする。
考えてみれば、あいだにアジア漫遊をはさんだので、この界隈に来るのは半年振りだ。

「シナリオマガジン ドラマ 1988年5月号」(映人社)入手不可 200円

山田太一ドラマ「夢を見たくて」のシナリオが掲載されている。
以前来たときは100円でなければ買わないと思ったのだったか。
いまのように山田太一のシナリオを読み込むようになるとは思わなかった。
こうなったら当然、買いである。
それから、それから。どこのワゴンで買ったのだったか。

「三田文学 2006年 秋季号」 100円

一部で話題になった片山飛佑馬クンの「アパシー」が掲載されている。
浅川書店前にシナリオ雑誌が大量に積まれている。
びびっと来ましたね。1冊ずつ手に取り収録シナリオをチェック。
うふふ。予感的中。4冊ほど購入する。400円。
なかでもお宝は浦山桐郎特集号である。
「私が捨てた女」「キューポラのある街」「非行少女」のシナリオが掲載。
「キューポラのある街」のシナリオは是が非でも入手したいと思っていた。
とても好きな映画である。なぜかシナリオも読んでみたくなるなるのだ。
映画監督・浦山桐郎は原一男さんの師匠。わたしからすると祖父師匠である。
あとは「女の園」(木下恵介)シナリオ。「藍より青く」(原作山田太一)シナリオ。
山田太一が青年期に自主制作した映画のシナリオ掲載号もゲット。
もうこのへんまで来るとマニアックでだれもついて来れないと思う(苦笑)。
最後にブックオフ高田馬場店。

「人間のなかのX」(遠藤周作/中公文庫)絶版 105円
「説得術」(増原良彦/講談社新書)絶版 105円


遠藤周作のは大学生時代にずっと探していた本である。
つい買ってしまったけれども、まあ、読まないだろうな。
ふうう。引越してしまったから高田馬場から自宅へ帰るのがたいへんである。
けれども、書物の収穫はなかなかのものである。
列車のガラス扉にうつるわが顔はどこかニヤニヤしていて気味が悪い――。
「本棚が見たい!」(川本武/ダイヤモンド社)絶版

→ひとに本棚を見られたくない。
もののわかるひとが見たら、ひと目でわたしがばれてしまうからである。
「本の山」のようなブログをやっているくせに意外だと思われるかもしれない。
それは違う。本棚ではタイトルのみ一望のもとに眺められる。
並ぶ本の色合いだけでも、ばれるものがあるのである。
ある本とべつの本の位置関係だけでも、ある種の精神構造が明白になる。
それと、みなさまは、ここに感想を書いているものだけしか
わたしが読んでいないとお思いですか?
これ以上、書いてしまうとやぶ蛇なのであわてて口をつぐむ。

ひとに本棚を見られたくないのに、そのくせ、ひとの本棚は見たいのである。
白状するが、覗き見根性は人一倍旺盛である。
ミラーマン、植草教授にもひけを取らないと思っている(おびえている)。
ひとの隠しているものを見たいという、ほとんど犯罪的な欲望があるが、
これはわたしだけなのだろうか。植草教授が逮捕されたとき、
ワイドショーの男性識者は一様にかの経済学者を理解できないというような顔をしたが、
わたしにはかれらのほうが得体の知れない生物に思えてしまった。
だれだってひとの隠しているものは見たいでしょう?

「本棚が見たい!」なのである。
著名人の本棚がカラー写真で公開されている。それからインタビューである。
まあ、恥ずかしい写真は1枚もなかった。むろん、それでもおもしろいのではあるが。
たぶん、ここを撮ってくれという依頼が本人からかなりあったのではないか。
この本には山田太一の本棚も掲載されている。
目を皿のようにして見たものである。
こんなものをという驚きと(覗き見る)喜びに身もだえした。
けれども、肝心の書庫は地下にあるという。
そこは撮影のみならず閲覧も拒否されたとか。当たり前の話である。

うちの本棚はクローゼットに隠してある。
どういったらいいのか。クローゼット用の小部屋がついているのである。
そこに本棚を4つ入れてある。重要な本はすべてこちらに収納している。
どうでもいいような本ばかりおもての本棚に並べている。
いざとなったらクローゼットの扉を閉めてしまえば完全犯罪だ。
本棚は、わたしにとって、ここだけは隠しておきたいという場所である。
だから他人の本棚を見たいというのは、まったく矛盾していないと思っているが、いかが?
「好きになっちゃったベトナム」(下川裕治責任編集/双葉社)絶版

→逆説めいたことを言うが人間がもっとも旅と無縁なのはまさに旅をしているときだ。
旅の本質は行為ではない。思念のうちにのみ存在するのが旅である。
旅行のプランを練っているときほど楽しい時間はないでしょう。
ひとはそのとき旅をしている。旅とは思い思われるものなのだから。
旅に出るまえ、かれは旅をしているといえよう。
旅から戻る。回想する。このときもかれは旅をしている。
どういうことか。たとえば旅をしたいと思うとき、ひとは旅をしている。
かつての旅を思い返しているからである。
いつかゆく旅に思いを馳せているからである。
芭蕉が旅を始めたのは「おくのほそ道」の1行目を記したときであった。

人生で旅ほどおもしろいものはないといまのところ思っている。
見知らぬ土地で見聞を広めるのは人間に許された数少ない愉楽である。
たしかに人生はつまらない。だが、旅があるではないか、とも思う。
カネがない。時間がない。にもかかわらずひとは旅をできるのである。
旅行記を買ってくるがよろしい。いつかここに行くと決めるのである。
そのうえで本を読み始める。そのときあなたは立派な旅人である。
けれども、なんとか都合をつけて実際の旅に出るのがやはりよろしい。
人生は一度きりである。思い切って旅立つしかないではないか。
その旅は生きているあいだ無制限で旅として使えるのですぞ。
酒をのむ。ブックオフにて105円で買ったこの本を開く。かつて旅したベトナムを思う。
このときわたしはほんとうの旅をしていた。
現地でのんだビアホイはまずかったが、日本で思うビアホイは最上級の酒である。
ここに旅の不思議がある。旅の愉悦がある。
「男性自身傑作選」(「山口瞳大全第10巻」/新潮社)絶版

→これをささま書店にて315円で買えたときはうれしかったな。
週刊新潮に連載されていた名物エッセイ「男性自身」の著者自選による傑作集である。
山口瞳は日本が誇る最上のエッセイストのひとりだと思っている。
毎晩、酒をのみながらこの本を開くのが楽しみで仕方がなかった。
そのうち終わらないでくれと思うようになったものだ。
書物に終わりがあることを嘆くほどおもしろかったのである。
どんなものであれ最高品質のものは、そのジャンルの特性をおのずから明らかにする。
「男性自身」を読みすすめながらエッセイとはなんであるかわかってしまったのである。
おそらく勘違いであろうが、このような飛躍をするのは当人にとっては楽しいもの。
どうかもうしばらくおつきあいください。

「枕草子」「徒然草」からして、エッセイの本質というのは「好き/嫌い」である――。
人間の基準というのはふたつあるように思う。
ひとつは「正しい/誤り」という分類。もうひとつがエッセイの根幹たる「好き/嫌い」。
論文とエッセイはともすれば見分けがつかない。
だが、この基準に照らせば、その文章が論文かエッセイかの区別が容易につく。
正誤を問題にしていたら論文。好悪(こうあく)を問題にしていたらエッセイである。
論文というのは、とかくつまらないものでしょう。なぜなら人間味がないからなのです。
人間というのは正誤では生きていない。好悪で生きている。
たまにこれをわからない学者がとんちんかんなことを言います。

ひとは、正論ばかりの品行方正な人間をかならずしも好きになるわけではない。
むしろどう考えてもひととして生きかたを間違えているような人間を、
それゆえに好きになるのが我われである。
からだにいい無農薬野菜を薄味で調理したものがすばらしいのはわかる。
けれども、あんなものを毎日、食べたいなんて思うのは病気でしょう。
いかにもからだに悪そうな化学薬品たっぷりの料理をかえって好んだりする。
子どもの味覚は正直だという。子どもは健康にいい食品なんて食べたがらない。
ドミノピザとか、いかにもヤバそうなのを求める。
子どものみならずおとなの我われも正誤では生きていない。
それは正誤は気にするけれども、最終的な判断をくだすのは好悪である。
好き嫌いというのは、それだけ人間にとって根深いものなのである。
生半可な理性ではどうにもならないものが好き嫌いにはある。
だから、と言いたいのである。
これまでエッセイは書かれつづけてきたし、我われはエッセイを好んで読む。
他人の好き嫌いとじぶんのそれを比較するのはおもしろいのである。

会話がいちばんはずむのは好き嫌いをテーマにしたときではないか。
ことによると、たいがいのおしゃべりは、あれが嫌い、これが好きの表明かもしれない。
好きなものと嫌いなものを聞いたらその人間がわかるというのも決して大げさではない。
もしブログでエッセイを書こうと思っているかたがいらしたら好き嫌いを書けばよろしい。
それが新鮮なものであれば、エッセイはおもしろいものになる。
つまり、エッセイの秘訣は「わたし」を追求するということか。
「わたし」とはなにか。なんのことはない。好き嫌いである。
好き嫌いには正誤がない。これを好きなのは正しいということはない。
ひとそれぞれなのである。好き嫌いには絶対的な正解がないのである。だから難しい。
人間をみがくということは、好き嫌いを洗練させることなのかもしれない。
ひとはそのためにエッセイを読む。むろん、そんな向学心はなくともエッセイは楽しい。
人間はおもしろいということだ。まったく好き嫌いは果てしないテーマである。
「花壇」(井上靖/角川文庫)絶版

→建築会社の社長、江波棟一郎はオリエント旅行中、ある事件に巻き込まれる。
砂漠の真ん中でタクシーの運転手が病気になったのである。
これでは動きが取れない。偶然、知り合った白人の老紳士が江波に援助を申し出る。
じぶんのタクシーに同乗しないかというのである。
行きたいところがあるからと一度は断わった江波だが、老紳士は申し出を引っ込めない。
ついでだからそこへも行きましょうと言ってくれる。
江波はありがたく好意を受けることにする。
ところが、このタクシーが事故で崖の下に転落する。
たまたま地盤がゆるんでいたのである。
老紳士とタクシー運転手は即死。江波だけが運よく生き残った。
江波は考える。あの日、あの時間にあの場所を通ったから事故に遭遇したのである。
もし老紳士が親切心をださずに日本人を誘わなかったらこの事故は起きなかった。
老紳士はたいへんな人徳者で、この旅も無医村に診療所をつくるための下準備であった。
なぜ老紳士は死んで、じぶんは生き残ったのか。
江波は帰国すると周囲の反対を押し切り会社を辞める――。

江波の感慨を本文から引くとこうである。

「一人の人間が生きて行くということは、大勢の他の人間の運命を変えたり、
他の人間の人生によく働いたり、悪く働いたり、複雑なものなんでしょうね」(P107)


老年の井上靖は、主人公のさりげない会話に物語の真実を埋め込んでいる。
ありきたりな人生観だが、物語のすべてがこのせりふに凝縮されているといえよう。
しつこいがこの平易な文章を整理しながら繰り返すとこうなる。
「一人の人間が生きて行く」→「大勢の他の人間の運命を変える」
「一人の人間が生きて行く」→「他の人間の人生によく働いたり、悪く働いたりする」
上記の図式を「複雑なもの」と形容している。
このほんらい複雑なものを、わかりやすく読者のまえに提示するのが物語である。
少なくとも、井上靖の小説はそうである。複雑なものがわかりやすく書かれてある。
では、この複雑なものの正体とはいかなるものか。

事故直後から江波の内部に老紳士が住まう。
死んだ老紳士の声が江波には聞こえるのである。老紳士はこう話しかけてくる。

「――私も死に、運転手も死ぬ。あなただけが生きる。
私たち二人がなぜ死ぬかも判らないし、あなた一人がなぜ生きるかも判らない。
どういうわけで、そういうことになるのかは、誰にも判らない。
誰にも判らないから、
こういうことを説明するために運命という便利な言葉ができている。
すべてを運命というものに押しつけ、
一切を運命というもので片付けてしまう以外仕方がない」(P110)


複雑なものは運命とよぶほかない――。
井上靖は運命を描く作家なのである。
歴史から運命を見ることは容易だ。
栄枯盛衰という運命の別名を後追いすればいいのだから。
しかし、現代から運命を抽出せんためには、どれほどの視力が必要なのだろうか。
たとえば宮本輝は創価学会という色眼鏡をかけたわけである。
(宮本輝は運命を宿命へと捏造する作家だ)
井上靖に信仰はなかったようである。とすると、もともと超人的な裸眼をもっていたのか。
この視力は通常のものとは異なり、老いとともに冴え渡るもののようにも思える。
老眼にしか見通せぬものが、あるいは運命なのではないか。
「闘牛」で芥川賞を受賞したとき、井上靖は42歳になっていた。
「図解雑学 仏教」(廣澤隆之/ナツメ社)*再読

→このブログに「アジア漫遊記」を記す際、
まさか仏教の基本事項に間違いがあってはならないので復習として再読する。
毎度のことながら、膨大な内容をよくもまあコンパクトにと感心する。
基本事項はすべて網羅されているといってよい。
ここからスタートして、ここにゴールすればよいという、いわば教科書である。
新たな分野を勉強する場合、
なにから始めなければならないかというと語彙(ごい)の獲得である。
専門用語の大まかな意味を知らなければ議論についていけない。
その際、この「図解雑学 仏教」ほど役に立つものはない。
仏教を学ぶうえで知らなければならない用語がすべて絵つきで解説されている。
ここから仏教という大海原に出ればよいのである。
この小著は航海の羅針盤ともなる。
いまどこにいるのかがすぐわかるようになっている。
これはいささか個人的な問題だが、記憶力が弱いので「図解雑学」シリーズは重宝する。
ぱっと名前が出てこないことがよくある。「図解雑学」本を開けば一発なので助かる。
いくらバカにされようが、わたしは「図解雑学」のファンであることをやめないであろう。
これは新しい知のかたちだ(笑)!
「文藝別冊 総特集 河合隼雄」(河出書房新社)

→KAWADE夢ムック。
河合隼雄は作家との相性がいい。対談ではかけあい漫才になっているところもある。
どちらもウソつきだから、ウソとウソの相乗効果で話がはずむのであろう。
学者がマジメに河合隼雄を論じようとすると、わけのわからぬ文章ができあがる。
あれはウソなのだから真に受けてはいけないということだ。
河合隼雄の本を読むと元気になるひとが多いのは、あれがウソだからである。
真実は人間を追い詰める。比して、ウソのなんとほがらかなことか。
ここらでちょいっと楽をさせてもらう。
河合隼雄をマジメに論じたらおかしな方向へ言ってしまう。
いくつか引用をする。偉大なるほら吹きをご覧ください。

「だいたい、僕らのところに相談に来る人は、常識的な答えのない人です。
常識的な答えがあったら相談に来るわけないんですから。
だから、常識で考えても仕方ないから、夢でも見ませんかって言うんです。
夢というつかみ所のないものでも、ああでもないこうでもないとやっていると、
面白い答えが見つかったりする」(P45)

「僕らの仕事はその逆ですね。
努力とか、完結しようとせずに、そんなのやめなされと(笑)。
そういうことをやってるんですね、だから、こんなこと言いますよ、
あなたは常識で考えるかぎり、治ることありませんって。
しかし偶然ってことがあるから、一緒に待ちましょうって。
努力している人というのは、偶然が来ても見えないんですよ」(P85)


瀬戸内寂聴との対談もおもしろかった――。

「あれ(写経)はいいんですよ。私もときどき勧めます。
寂庵なら寂庵へわざわざ出かけて行き、大勢で集まり、お経を書くという、
そうした全てがたいへんいいんです。
集中力も必要ですし、あんなに他人に迷惑をかけない、いいものはないですよ。
歌など歌われたらたいへんですからね(笑)」(P176)

瀬戸内「私、今「源氏物語」の現代語訳をしていますでしょう。
あの時代は何か不幸があると、これは前世の因縁のためだ、
といってすべて前世のせいにしてしまうんです(笑)。
つくづくこれは救いだなと思う」
河合「そうです。救いですし、身近な人を恨まなくても済みます。
前世という考え方がないと、自分がこうなったのも親が悪いんだとか(笑)、
教師のせいだとか、周囲のものを悪者にしてしまうんです。
ところが前世という考え方は、悪者をつくらない。
よほど俺は前世で悪いことをしたんだ、と自分ですべての責任を引き受けてしまう。
これはたいへんな知恵ですよ」
瀬戸内「光源氏が女を口説くのにも前世の因縁をよく持ち出します。
本当に便利ですね(笑)」(P180)
「こころの声を聴く」(河合隼雄/新潮文庫)

→河合隼雄対話集。
ようやくわかりましたよ!
河合隼雄の著作はすべてウソであった。河合隼雄は希代のウソつきであった。
ユングの冠をつけたおかたい研究書も、実のところはみーんなウソ! ウソ八百だ!
そもそも、である。河合隼雄の著書は、一見すると難解に思われるものも、
みなみな一般読者でも読めるでしょう。意味がわかる。
そこいらの主婦やリーマンにも読めてしまう。
よくよく考えたらこれはおかしいのである。一般人にわからないのが学問なのだから。
だれにでも読める河合隼雄の学術書というのはかなり危険なのである。
一般読者は学問を正しいものだと思っている。
だから、学問をしたと勘違いしたそこいらの主婦がわかったようなことを言い始める。
子どもに学校でちょっとなんかあったら、こころに傷がうんぬんとバカ騒ぎする。
根拠は、だって河合隼雄先生が言っているざーます、である。
会社員も会社員で、学問的に正しい上司との交際をしようとして、かえって煙たがられる。
このような主婦や会社員に言いたい。
河合隼雄の主張はすべてウソだぞ。ウソはウソとして楽しまなければならない。
ウソを真に受けたら、とんでもないことになるからな。

亡くなったのを契機に、
日本人は河合隼雄との正しい向き合いかたを考えるべきではないか。
河合隼雄先生のおっしゃることは正しい、という受容の仕方はやめよう。
河合隼雄先生はウソをおっしゃっている、と見たほうがいいのではないか。
ウソを否定的な意味合いで断じているわけではない。
ウソだからいいのである。ウソだから役立つのである。
たとえば、死にたいというひとがいる。
このひとにいくら正しいことを言っても無駄なのである。
ひとは生きるべきだ、なんていう正しい説教をしたところで、なんにもならない。
正しいことといえば、この世に生を受けた人間はいつか死ぬ。このくらいでしょう。
正しいことは、役に立たないのである。
河合隼雄にとって、なにより大事なことは相談に来る悩めるものを救うことだった。
いくら正しい学問をマスターしていても、
ひとりの人間に相対するときはなんの役にも立たない。
人間と向き合うことを、心理学では臨床という。
この対話集で河合隼雄はこんなことを言っている。

「私は人間のこころのことをやっていて、前からそう思っていたわけです。
ところが私がやり出したころは、それこそシステム論が強いわけですから、
そういう固いシステムをもっていないものは学問ではない、
科学ではないと批判されるわけです。しかし私に言わせると、
そういう科学とか学問でつくったものは実際に役に立っていない。
われわれは、臨床をやっているわけですから、
役に立たないと話にならないわけですよ」(P202)


役に立つ学問を追及していたら、いつのまにかウソになってしまった。
これが河合心理学の真相ではないだろうか。
河合心理学は正しくない。ウソである。だからクライアントは治癒にいたる。
河合隼雄はほら吹きである。だから学術書も楽しく読めてしまう。
忘れてはならないのは、それでもウソだということである。
ウソを正しいと思ってしまうと問題が生じる。
マジメな顔をして、アニマがどうのアニムスがどうのと語ってはいけない。
(アニマ、アニムスはユング心理学の述語)
思いつめた顔をして毎日の夢の記録など取るな、と言っている。
ここで重要なのはニヤニヤではないか。
夢の話などニヤニヤしながらすればいいのである。
思えば、偉大な師である河合隼雄先生もいつもにこやかに笑っていらっしゃった。
あれは見方をかえればニヤニヤとも言えなくはありませんか。
どこかでウソをついているというやましさがあったのでしょう。
あるいは「無意識(こんなものあるのか?)」に後ろめたさを感じていた。
河合隼雄の著書を読むときは、このニヤニヤを忘れてはならない。
著者がニヤニヤしながら書いているのに、
読者がマジメな顔をしていたらおかしなことになってしまう。
ふふふ、河合先生たら飛ばしちゃって! このくらいの余裕を読者も持ったほうがいい。

しかし、河合さんのウソはおもしろいよな~。
たとえば、この本から――。
人間は老いも若きもブラブラしているほうがいい。
なにもしないでブラブラ遊んでいるのがいちばん楽しいんです。
そういうなにもしないひとから時どきなにかをするひとが現われる。
それが芸術だったりする(P98、P120)。
こんなウソをさりげなく言う河合隼雄先生は最高だよ!
え、これウソですよね?
芸術というのは汗水流して努力した結果でしょう(ニヤニヤ)?
「日本の面影」(山田太一/岩波現代文庫)

→テレビドラマシナリオ。1984年放送作品。全4回。
山田ドラマは、ひと言でいうなら泣きのドラマなんだな。
感情に喜怒哀楽があるという。すべてにおいて人間は泣くわけである。
喜んで泣く。怒って泣く。哀しくて泣く。楽しくて泣く。
繰り返すが、山田ドラマの基調は泣くである。
泣かないというのも、泣くが網羅するところの感情領域だ。
口惜しいけれども泣かない。やりきれないけれども泣かない。
泣かないで生きてきたひとにも我慢できない瞬間というものがある。
こみあげてくるものはどうしようもない。泣くしかないではないか。
この「泣く/泣かない」のあわいにたたずむ人間を山田太一は好んで描く。
それが正しい人間のすがただからである。
たとえば、人間の喜怒哀楽。そのどれほどが人間自身の手によるものか。
すべて向こうから来るものではないか。
喜びも哀しみも、個人の意思とは無関係に、むしろ逆なでするようなかたちで、
あちらがわから来るものではありませんか。
人間は能動の存在ではない。受動でしかないとは思いませんか。
ちっぽけな人間は、喜怒哀楽すらままならぬ。
どうしようもない。やりきれない。
このとき赤子のような個人が巨大なものに手をあげる。
受け入れるしかないのを知りながらもノーと拒絶する。
その結晶が山田ドラマにおけるなみだなのである。

このドラマの主人公はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)。
明治時代の日本研究家である。白人の親日家のさきがけとして知られている。
シーンは松江の中学校。
ここで教鞭(きょうべん)を取るハーンだが、学校をやめることになった。
そのことを教え子たちにいうハーン。

●中学校・教室

うつむいている生徒たち、その中に小豆沢も石原も大谷もいる。
しんとしている

ハーン「発つのは、十一月です。まだ二ヵ月もある」
小豆沢「(急に涙を拭く)」
石原「――(泣かない)」
大谷「(泣いている)」
静かで、鼻をすする声のみ、ハーン、ホロリとして、涙ぐむ」(P248)


ハーンは日本人女性、小泉セツと結婚する。
待ちに待った赤子が生まれた日である。
産室でハーンとセツは顔を合わせる。

セツ「(そのハーンを見つめる)」
ハーン「(微笑)」
セツ「(幸福で、涙ぐむ)」(P292)


いつから日本人は泣かなくなったのだろう。
明治期の人間ドラマを描きながら、
あたかも山田太一はこう問いかけているかのようである。
なにゆえ日本人は泣かなくなったのか。
明治時代に西欧から輸入されたのが近代化、産業化、合理化である。
すなわち、人間万能主義だ。人間はやろうと思えばなんだってできるという思想だ。
壁にぶつかっても人間は泣いてはいけない。
その壁を超えてゆくのがあるべき人間のすがただという思想。
がんばれ、がんばれと人間の尻を叩いていく流儀。
貧乏人はすべからく金持になるべし。
そのためには英会話を勉強して資格を取らなければならない。
前向きでなければならない。泣いてなんかいるのは負け犬だ。
人間はがんばればなんだってできる。
テレビ「愛は地球を救う」では身体障害者が登山に挑戦している。
見習え。泣くのは人間のクズだ。人間は常に挑戦しつづけなければならない。
――いつから日本人はこうなってしまったのか。泣かなくなったのか。

山田太一はなにゆえドラマで人間をして泣かしめるか。
山田ドラマの登場人物はどうしてああも泣くのか。
根本の思想を山田太一はハーンの口を借りて語っている。

ハーン「私は、なぜ生きているのか? 死んだらどうなるのか?
分らないことばかりだ。 なぜ感じたり考えたりできるのか?
人間には、どうにもならないことがいっぱいある。
人間は、無力だよ。世界の中心になどいない。
少なくとも、そういう恐れを抱く必要はないかね?
でなければ、人間は途方もなく傲慢になってしまわないか?
自分がここにいるのは、
目に見えない大いなるもののおかげかもしれないとは思わないかね」(P119)
ホテルを出ると、さわやかな朝である。
4月中ごろの西安は朝晩こそ冷え込むが日中は半袖でかまわない。
いまも日かげに入ると肌寒いものの日ざしは暑いほどである。
なにかが始まろうとしている朝である。見上げると透き通るような青空。
西安の朝を歩いている。この街でわたしを知るものはひとりもいない。
どこへでも行くことができるような思いにとらわれる。青空のしたならどこへだって。
朝の小鳥がさえずっている。
目に映るものすべてが朝の輝きを備えているように感じられる。
朝だ。夜は明けたのである。西安の朝が始まっている。
開店準備をしている食堂の店内では、もう忙しそうにソバをすすっているものもいる。
南方飯店のまえを通り過ぎる。夜が遅いこの食堂はまだ店を開けていない。
おはようだ。今晩また行きますよ。
駅へ近づくにつれ重い荷物をかかえた中国人のすがたが目立つ。おはよう。
どこに行くのかな。話しかけてみたい。通じないのはわかっているけれども。
異国なのだ。いま西安にいる。西安よ、おはよう。言葉が通じない西安よ。
万物みな朝の祝福を受けているようである。なにもかもが日本とは異なる。
そのくせみながみな朝を謳歌(おうか)している。朝の喜びをうたいあげている。
旅人の感傷なのはじぶんでもわかっている。
感傷でもいい。自問する。この日のように朝を美しいと感じたことはあっただろうか。
ないわけではない。あった。記憶の闇から光がよみがえる。遠いむかしのことである。
まったき朝というものがあった。人間も自然も輝いている朝がかつてあった。
毎日のようにあった。あの完全な朝のことを今日まで長いこと忘れていた。
なにかが始まる予感にみながみな、人間も草花も玩具までも、踊りだしそうな朝があった。
始まりの朝があった。西安のような朝があった。
朝めざめるのは人間だけではないのである。
忘れないぞと誓う。西安の朝を忘れない。朝は始まりであることを忘れない。
朝の喜びを今度こそ決して忘れないぞと西安の路上で誓った。

西安で自由に使えるのは今日と明日の2日だけである。
あさっての午前中に天水(てんすい)行きの列車に乗る。
今日と明日で行きたいのは興教寺、香積寺、草堂寺。すべてお寺である。
「地球の歩き方」によると、どの寺院もバスで行けないことはない。
けれども、よほど注意して行かないと最終バスがなくなってしまうと注意書きがある。
最終バスは16時と早い。 これを逃したら帰ってこれなくなるわけである。
無理をしたくはない。バスで行くなら1日に寺ひとつが限界なのかもしれない。
とすると行けるのはふたつ。優先順位の低い草堂寺はあきらめるほかない。
いちばんいいのは本日なんとかふたつ寺をまわってしまうことだ。
興教寺、香積寺なら地図を見るかぎり行けないこともないような気がする。
問題は、このふたつの寺をむすぶバス路線があるかである。
このくらい郊外のバス路線になると現地の、
それもほんとうの地元のひとしかわからないという。
旅は運任せだと思っている。たとえば、ひととの出会いなど典型的である。
バスを1本遅らせることによって、会うひと、会わないひとが出現するのだから。
古典的なたとえを再度用いる。
旅は人生である。ならば、人生もまた運任せでいいのではないか。
ある朝、起きる時間を30分遅らせたことで、
いともかんたんに変わってしまうのが我われの人生なのである。

人生のことはむつかしくてわからないけれども、旅は運任せでいいよな。
というか、なるようにしかならない。異国のことである。出たとこ勝負で行くしかない。
運がよければうまくいくだろうし、
ついていなければひとつも観光地をまわれないかもしれない。
ホテルであれこれ心配していても始まらない。一歩踏み出すしかないのである。
行きたいとは思う。けれども、行けるかどうかはわからない。
人間にまつわること、万事がみなこうではありませんか。
なにかを成し遂げたいとは思う。しかし、結果はままならぬ。
おかしな哲学をしていると時間がなくなるばかりである。
もやもやした気分のままホテルを出ると、美しい朝である。西安の朝に打たれた。
なんだかすべてがうまくいきそうな気がしたものである。

西安駅前から興教寺は2回バスを乗り換えなければならない。
いつものメモ戦法しかない。行きたいところを書く。最終目的地。
そうして運転手、車掌、他の乗客の好意にすがるのみである。
気のいいひとが行きかたをメモに書いてくれる。
というか、待つというよりもむしろ書いてくれるひとを探しまわる。
興教寺に到着。それにしてもバスで移動するのはタクシーよりも数段楽しい。
観光となんの縁もないひとと空間をともにするのはいろいろ新鮮である。
興教寺へ行くには停留所から坂をのぼらなければならない。
田園風景を見て驚いた。春である。いつ春になったのかと思う。
東京を出たのは寒い2月であった。暑いタイ、カンボジア、ベトナムとまわった。
春はどこにもなかった。日本でいえば夏ばかりであった。
この旅ではじめて春を見たように思う。
西安郊外の草花は生きることの喜びを隠そうとしない。
育つことの楽しさをうたっている。
誕生と成長の幸福に――春の幸福に胸打たれる。春になっていたのかと思う。
日本の桜を見なかったのは今年がはじめてである。
いつしか松任谷由実の「春よ、来い」を口ずさんでいた。
もう西安には春が来ているのにである。

興教寺。ほとんど観光客のいないひっそりとした寺である。
玄奘(三蔵法師)の遺骨が埋葬されている寺院として知られている。
インドのナーランダを思い出す。
ナーランダは仏教大学でむかしから有名なところである。
仏法を求めてインドへ旅立った玄奘もナーランダで仏教を学んでいる。
リクシャーの男からここも行かないかと誘われたのが玄奘博物館だった。
「地球の歩き方 インド」にはこの博物館のことは記載されていなかった。
係りのひとがとてもよくしてくれたのを覚えている。
英語名で玄奘と書かれているが、だれのことだかわからない。
困っていると、かれが漢字で玄奘と書いてくれたのである。
玄奘なら知っていると思ったものである。三蔵法師だよな。
このあとナーランダにいまもある仏教大学を見学した。
真摯に仏法を学ぶ学生たちのすがたに、じぶんはなにをしているかと反省したものである。
玄奘とわたしには、些細でつまらぬものだが、このような物語がある。
いまあの玄奘の墓に来ているのだ。なにかの完結を意識せずにはいられなかった。
3年前インドで始まったものが、いま中国で終わろうとしている。
終わりは始まりを意識させるもの。さあて、これからどこへ行こうかな。
むろん日本へ帰らなければならない。そこからどこへ行くかである。
これは空間的な移動のみを意味してはいない。人間は精神においても移動する。
玄奘を祀(まつ)った塔のまえで合掌する。
あなたとおなじようにナーランダからここへ来た日本人です。
あたなの訳された般若心経をいつしかよむようになりました。
サンスクリット語のわからぬわたしにはあなた、
玄奘がいなければ般若心経はよめなかった。
こころが安らぐとてもいいお経だと、毎朝のように無明の闇のただなかでとなえています。

興教寺のひとに香積寺と書いたメモをさしだす。
ここってバスで行けますかね?
1回の乗り換えで行けるらしいので小躍りする。まだ昼過ぎである。
この調子なら今日ふたつの寺をまわることも可能なようだ。
停留所で待っていると先ほど寺にいたおばさんが坂をおりてくる。
どこかへ出かけるようである。
このおばさんが親切に車掌さんとの仲介を中国語でやってくれた。
小さなバスターミナルでおろされる。
ここでバスを乗り換えるのだが、聞くとここにそのバスは来ないらしい。
ここから1キロほど歩いたところに、そのバス停留所がある。
こういった地図ひとつさえない完全な見知らぬ土地を歩くのは恐怖であると同時に、
胸の高まりを感じる。旅をしているという実感がわいてくる。
なにかを求めて歩んでいることがとても心地いい。
「何を求める風の中ゆく」
山頭火の句はほとんどすべてこころに入っている。あたまではない。
思い出そうと思っても山頭火の句は出てこない。
ふとした拍子にこころからぽんと飛び出るのである。

ランチタイムである。どこかでメシでも食うか。ついでに酒ものめればなおよし。
だが、ここがなんという地名の場所かもわからない。西安郊外の町である。
いつもならこのような場所で食堂に入るのはそうとう迷う。
ところが今日はすぐに入店する食堂が決まる。ここしかないと思った。
というのも、食堂がひどく混雑している。それだけではない。
そのうち半数以上の客が昼間からビールをのんでいる。ここに入るほかないではないか。
昼からのむ酒ほどうまいものはない。ここの客の舌は信じられる。
臆面もなく食堂へ押し入り空いている席にどかりと腰をおろす。
どのように注文するのか観察するためである。かんたんであった。
前方に惣菜のウインドウがある。ここであれとこれをくれと言えばいいのか。
よしと席を立つ。まずビール。いくら? 45円か。よろしい。
それから惣菜をあれ。あれも。これもね。
それから、ほら、あれだよ。みんなが食べているドンブリ。うん、ぜんぶ食う。
だって、食べることは幸せだからね(以上、すべてジェスチャー)。
正確に伝わったようである。注文したものはすべて出される。
ドンブリの中身は、日本でいうならスイトンだと思う。雑炊のようなスイトン。
冷菜3品もスイトンもうまい。ビールも昼から進む、進む。
気兼ねしないでのめるのがいい。平日の昼間からのんでいるものばかりである。
調子に乗って3本も昼間からビールをのんでしまった。
にもかかわらず料金は信じられないほど安いのだから。
ひょいと入った食堂がこうもうまいとなにに感謝したらいいのかわからない。

ぐでんぐでんとは言わないまでも、かなりいい感じに酔っぱらっている。
こんな調子で香積寺へ行くバスを見つけられるのか。
運が良かったとしか思えない。
これがあっさり見つかってしまうのである。ここで降りろと教えてもらう。
日光は4月とは思えないほどの強さで万物を焼く。汗が流れる。
香積寺もバス停から歩かされる。道に迷うことはない。
バス停に降りて横道に入るとすぐに香積寺の仏塔が目に入るからである。
あれをめざして行けばいいのか。それなら迷うはずもない。
春の炎天のしたを歩いているといつしか酔いはさめた。
中国のビールについてはいつか詳述するが、そもそもアルコール度数が低いのである。
日本のビールはたいてい5%。比して中国のビールは3%前後である。
水とかわりないと思っても、
そう痛い目にはあわないはずである(ホンモノのビールならば)。

酔いもあったのだろう。香積寺の門前で感激する。
ひとりの日本人がバスでどうにかこうにかここまで来ました。
自己陶酔に近い情動といってよい。
香積寺は日本の浄土宗と縁のある寺院だからだろう。
入口に日本語で説明が書かれている(誤字多し)。
この寺は浄土宗の祖師のひとり、善導を記念して建立されたものである、云々――。
いいかげんな説明をいまから付記する。
正誤は定かならぬゆえ眉につばをつけてお読みください。
仏教といえば南無阿弥陀仏が出てきませんか。
この念仏を重視しようというのが、日本の浄土宗である。
開祖は法然である。
繰り返しますが、いいですか、有名な南無阿弥陀仏を発明したのは法然。
けれども、じぶんが考えたなどと言ってしまったら権威がなくなる。
いまでもそうでしょう。
デリダがどうの、ヴィトゲンシュタインがどうの、と言われたほうがありがたい。
日本人の精神風土はむかしから変わらない。
そこで法然が南無阿弥陀仏の根拠として利用したのが中国の善導和尚の著作。
日本の仏教大学たる比叡山には無数の経典、注釈書がホコリをかぶっていたのでしょう。
その中から法然は善導の書物を運び出した。ここに念仏で救われると書いてある。
だから、みなのものよ、南無阿弥陀仏ととなえなさい。そうすれば救われる。

この善導なる中国僧がどの程度の地位にあった宗教家なのかはよくわかっていない。
というのも、本元の中国では仏教史を研究するものが少ない。
インド同様、中国でも仏教は途絶えてしまっているのである。
どういうことか。善導は法然が(書物によって)師事したというだけで有名なのである。
けれども、どうやら善導の説いた念仏信仰は、法然の南無阿弥陀仏とは違うらしい。
善導の説く念仏修行は、仏を念ずるという意味である。
口称念仏をすすめているわけではない。
仏を思うことが念仏。仏を強く念ずれば救われると言っているに過ぎない。
ところが法然は、それを口でとなえる南無阿弥陀仏にしてしまった。
このほうが愚かな民衆にはわかりやすいから意図的にねじまげたのであろう。
南無阿弥陀仏と口から吐き出せば救われる。これが法然の浄土宗である。
(以上の記述に誤りがあったら教えてください。これから勉強したいことですので)

やはりまだ酒が残っていたのか。南無阿弥陀仏のいかがわしさを知らぬでもないのに、
構内を歩いているとなみだがあふれてくる。南無阿弥陀仏と思わずもらす。
正しくたって、間違っていたって、それがなんだというのか。
南無阿弥陀仏で救われる。そう信じて死んだ人間をだれがバカにできるもんか。
南無阿弥陀仏だ。阿弥陀仏さま、われをして極楽浄土に往生せしめよ。
救われたい。なんでもいいだれでもいいから、この愚人をお救いください。
空を見上げる。陽が燃えている。この身を焼き尽くせ、と思う。汗もなみだも顔を流れる。
ふと、思う。いまの顔を鏡に映したらそうとう笑えるんだろうな。
真剣なおのれをいつもこうして茶化してしまう。
どうしても純粋になれない。どこかで純粋を笑うような不純がわたしにはある。
たとえオウム信者であろうと、純粋な人間を目にするとかなわないものを感じる。

遠くからも目立つ塔の正式名称は香積寺善導塔という。
かつては上階へのぼることもできたが、いまは禁止されている。
高いところにそれほどあこがれはないので、そう聞いてもショックではない。
塔のまえで休んでいる中国人から声をかけられる。男の子。
19歳。大学生だという。専攻は哲学だそうである。
大学が休みだったので近場のここまでひとりで来たということである。
メモ帳を駆使して、お互い自己紹介をする。この大学生は英語をほとんど解さない。
いくら国際交流とはいえ、およそ10も年齢の離れた人間とは話が通じない。
お互いの好奇心が尽きたころに別れた。
そのまま日かげでわたしは休息を取った。これでは仏跡マニアだよなと自嘲する。
なんでこうも仏教ゆかりの地にこだわるのだろうか。
こんなところへ来るのは寺の跡取りくらいのものであろう。
ここまで来たからといって救いがもたらされたわけではない。すべては徒労に過ぎぬ。

そろそろホテルへ戻るかと腰をあげる。
寺の入口で先ほどの大学生が寺の僧侶と話をしている。
雷鳴のようにひらめく。
「ちょっと、ちょっと、そこのきみだよ、ボクちゃん!
まだ時間はあるかな。これから草堂寺へ一緒に行きませんか。
草堂寺。ガイドブックの、ほらほら、ここに載っています」
大学生の返答は、いいですよ。ただしおカネがないのですが……。
いいよ、いいよと答える。バス代金、入場料くらいならお支払いしましょう。
中国人のパートナーがいれば、ここから草堂寺へ行けるかもしれない。
そうしたら3日かかると思っていたところを1日でまわれることになる。
ガイド料金を考えたら、交通費、入場料など安いものである。
ここから草堂寺までひとりで行く元気はすでにない。
哲学大学生は寺の僧侶と中国語でなにか話している。
どうやらここ香積寺から草堂寺まで行けないこともないようである。
「レッツゴー」である。

ゆきずりの相手と旅をするのは、なんとも運命を感じさせる。
気のいい若者である。めずらしい日本人との交流を楽しんでいるように見える。
外見は、まじめだよな。いかにも哲学という風貌である。
それにしてもまだ10台か。じぶんの大学生のころを思い返す。
ここまでしっかりはしていなかったかもしれない。
バスに乗ったはいいが動物園が終点のようである。
はて、ここからどうすればいいのか。バイクタクシーの運ちゃんが寄って来る。
どうやらここから草堂寺へ行くバスはないようだ。バイクタクシーを使うほかない。
ふたりで協力して値下げ交渉をする。むろんカネはわたしが払う。
いくら高いといっても往復で1000円ちょいである。
この程度の金額を惜しんで、もう一生行けないかもしれない場所を棒に振ることはない。
バイクの後部座席にふたりでまたがって出発である。3人乗りのバイクである。
金額はぼられていないことがわかる。バス終点の動物園からかなりの距離を走った。

草堂寺へ着いてしまったのである。
まさか1日で3つも郊外の寺をまわれるとは思わなかった。
かれの入場料金を払ってやると言っているのに、この大学生は聞かない。
大学生料金だから安い。このくらいなら払うというのである。
予定外のバイクタクシー料金が入ってしまったのを負い目に感じているのかもしれない。
ここは鳩摩羅什(くまらじゅう)が仏典翻訳を行なった場所として知られている。
ちょっと、待てよ。ほんとうに知られているのか疑問に思う。
今日たずねた寺のなかでもっともさびれている。
鳩摩羅什は玄奘と比較しても決してひけを取らない偉人だが、
かの仏僧よりも扱いが低いのは否めない。
玄奘の大雁塔と鳩摩羅什の草堂寺を見比べたら一目瞭然である。
鳩摩羅什は法華経の名訳でもって有名らしい。
法華経を重んじる創価学会信者の作家、宮本輝もここをおとずれている。
どこかに日本の痕跡はないかと探していると日蓮宗の記念碑を発見する。
日蓮宗代表団がかつてここに来て石碑を建立したものと思われる。
いまの創価学会は日蓮宗と反目しているが、この新興宗教団体の母胎は日蓮宗である。
宮本輝のいくつもの名作が脳裏をよぎる。
今度は南無妙法蓮華経とつぶやくわたしである。
救われるなら南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、どちらでもいいのである。
ほんとうに苦しんでいる人間というのは、そういうものでしょう。
あっちでは救われない、これでなければダメだ、なんていう宗教は人間に冷たくはないか。
効くと思われるクスリはぜんぶのめばいいのである。

またバイクタクシーで動物園まえのバス乗り場まで送ってもらう。
ここからバスに乗り、別れの場所まで向かうのである。大学生とわたしはそこで別れる。
「地球の歩き方」に最終バスが16時と書いてあるのは間違い。
19時、20時まで、バスはあるようである。
大学生はわたしを見送ってくれるという。今日はなんという1日だったであろう。
ふしぎな偶然が相重なって、西安で行きたいところすべてに行ってしまった。
明日1日が余ってしまったよ。
横に立っている大学生を照らす西日は、おなじようにわたしにも襲いかかる。
女性なら日傘が必要なほどの強い日ざしである。
沈まんとする太陽は深紅の輝きをもって燃えている。
たましいを揺り動かすほど荘厳な夕陽である。こんなきれいな落陽を見たことがない。
重大な終焉(しゅうえん)を意識させる日暮れである。
始まったものは終わらなければならない。
生あるものはみな死ぬという、当たり前の道理を、
なんと自然は雄弁に語りかけてくるのだろう。
大きな赤い太陽が地平線にかかっている。
「消えるな」とどれだけの人民が懇願しても、この太陽が沈むことは避けられぬ。
朝が来るように夜が来るのである。
世界よおまえは美しい。時よとまれ、世界よおまえは美しい。
ファウスト博士ではないが、
いまこの瞬間に死んでもまったく悔いが残らないだろうと思った。
それほどに世界は美しかった。今日という1日は輝いていた。
じつにすてきな始まりと終わりであった。
万事、開始と終了があるのである。朝と夜。生と死。
だが、終わりでほんとうにすべてが消え去ってしまうのか。
もしやこの地点から宗教が始まるのではあるまいか。
釈迦そのひとは、あれだけ偉大な人物であったが、にもかかわらず死んだ。
これで終わりなのか。死んでしまったらおしまいなのか。
死にたいする激しい思いから、あるいは仏教が興ったとは考えられないか。
生は死によって幕を閉じる。
始まれば終わる。出会えば別れる。
大学生のかれとのお別れである。
もうかれと会うことは決してないであろう。しかし、これで終わりなのか。
別れたらすべてが消えてしまうのか。そうではない。終わりは同時に始まりである。
バスは西安駅へ到着する。空を見上げると薄暗い。終わりではないと思う。
明日になればまた陽光がこの西安をあかあかと照らすに相違ない。
いまわたしにできるのは酒をのむくらいである。
それから熟睡をする。来るべき朝を待たなければならない。
6時起床。朝食を食べに行かなくてもいいように、ゆうべパン(らしきもの)を購入。
もちろんオレンジジュースも忘れていない。ぬるいけれどもね。
中国の――あれはなんと言うのだろう、
ガイドつきの大尽旅行ではないから――パンはまずい。
水気がなくて、かさかさしている。甘いのか甘くないのかもよくわからない。
オレンジジュースで流し込もうと思ったけれども、からだが拒絶する。
大半をゴミ箱に捨ててしまう。
深酒した翌朝に、オレンジジュースをごくごくのむのは気持がいい。
パンのことは忘れることにする。

朝7時、駅前のバスターミナルに到着する。
法門寺(ほうもんじ)行きのバスはたしかにある。
けれども乗車率は半分もいっていない。
さあ、出発するのはいつになるやら。
情報を整理する。
いま「法門寺」でネット検索したが行きかたを書いてあるサイトはなかった。
以下に記すのは2007年4月段階の情報(まあ、そう変わるものでもないと思うが)。
法門寺にはツアーに参加しなくても個人で行くことができる。
ツアーだと興味のない観光地にも連れて行かれる。時間を制限される。
土産物屋で拉致される。なにより集団行動をしなくてはならない。
このような不便を廃するために個人で行く方法をここに書く。
西安駅の東側(右側)バスターミナルから法門寺へ直通バスが出ている。
原則的に早朝の1本のみ。

出発時間は……この日は7時半であった。法門寺までは3時間弱。
帰りの時間が車掌から知らされる。おなじバスが午後2時、法門寺を発つ。
行き先は西安駅。「乗り遅れないようにご注意ください」
法門寺を4時間かけてゆっくり見ることができるというわけだ。

構内に入ると、まず目に入るのが塔である。
何重の塔になるのが数えようとするが、日ざしが強いのであきらめる。
天空を刺さんばかりの生命感にあふれた塔である。
天に近づくことに古来、中国人はなにがしかの意味を見出してきたのだろうか。
西安市内の大雁塔、小雁塔の美麗なる長身がよみがえる。
上階をめざす仏僧の目にいかなるものが見えていたのか。
かれには天空の先に存在するなにかが見えていたのか。
それとも、仏僧とは名ばかり、
ただ下界にひざまずく無理蒙昧たる群集を見下ろしたかったのか。
法門寺は仏舎利(釈迦の遺骨)を保存している寺院として名を知られている。
相次ぐ戦争でインドを統一したアショーカ王は、生命の尊さにめざめ仏法に帰依した。
王がこの妙法を広めんと各地に仏舎利を送ったのは、
釈迦入滅から100年以上も経過したのちである。
そのひとつがインドから遠く離れた西安の地へ届いたというわけである。

仏舎利は以前、見たことがある。3年前のインド放浪のとき。
仏教八大聖地巡礼の途中で立ち寄ったのがのがサヘート・マヘートである。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という名前のほうが日本人には親しみぶかいであろう。
スリランカ寺に宿泊させてもらった。
それなりの寄付(宿泊料金)を払うと、住職がなら見せてやろうと仏舎利をだしてくれた。
ひと目見ただけでその輝きにまつげがこげそうになったので、あわてて目を閉じた、
というのはもちろんウソで、おい、これはそこらへんに落ちている石だろうと思った。

旅というものは、空間的な移動と等号ではむすばれぬ。
内面の意味世界においてはじめて旅は成立する。
3年前、インドで仏舎利を見た。今日また仏舎利のある、今度は中国の寺へ来ている。
旅情にひたるのはこんなときである。
めずらしいものや目新しいものを見ることをあまり重んじていない。
どんな遺跡を見たところでつまらぬものである。
求めているのは内面の意味である。物語である。じぶんにとっての意味だ。
祇園精舎から法門寺へ一本の線がつながった。これが旅だと思う。

塔の下にある地価宮殿も参観することができる。
壁面に仏陀の生涯が描かれている。
いつの時代に描かれたものかはガイドがいないからわからない。
あんがいつい最近、観光客用に描かれたものかもしれない。
真偽真贋など、どうでもいいのである。
じぶんに言い聞かせる。きみがいいと思うなら、
たとえそれがなんら価値のない赤子の落書きでもいいではあるまいか。
実際、親にとっては子の描く絵はどんなものよりも尊いわけでしょう。
美術的価値など、所詮はソロバン勘定の思想である。
盗んだら高く売れるかを考えるあさましい算段ではないか。
古いからありがたがって見るのかい。
ホンモノだから「なるほど」なんて感心するのかい。
きみはきみがいいと思ったものをそのままあがめたまえ。
難しいのは事実である。だが、若者は困難に立ち向かわなければならぬ。
かくありたいと思う気持を捨ててはいけない。
釈迦の生涯を順々に見てゆく。いいなと思う。
インド放浪を思い返し胸が熱くなる。真剣で切実な放浪だった。
中国でインドの旅をふりかえるひと時を持てたのは幸福としか言いようがない。
この壁画のおかげである。
芸術的価値は知らぬが、わたしにはたいへん意味があった。

仏教って、なんなのだろう。わたしは仏教徒だろうか。
どこかの宗派に所属しているわけではない。
じぶんの葬式に坊主が来るのはお断り願いたい。
仏教の根幹に三宝帰依という教えがある。仏法僧の三宝を敬えという教えである。
かりにこれが仏教であるならば、
坊主(職業的僧侶)が嫌いなわたしは仏教徒ではないのか。
しかし、仏教を勉強しようとしている。般若心経を毎日よむようにしている。
それをなんと名づけたらいいのかわからないが、大きなものの存在は否定しない。
個など太刀打ちできぬほどの巨大なものの存在を身をもって知っている。

法門寺を出る。ほかの見どころとしては横に博物館がある。
別料金である。記憶は定かでないが法門寺で60元。博物館で40元。
ネットで検索してみたら3年前の料金は法門寺20元。博物館18元。
ひどい値上げである。
ランチタイムなのでなにか腹に入れようと思うが、適当な店構えのところがない。
すなわち、ひとりで気軽に入れるような食堂が法門寺の近くにはないのである。
大人数で食卓を囲むような食事処(しょくじどころ)ばかり。
気持の落ち着かぬところでなにを食べようとおいしく感じるものではない。

時間もなくなってきたので昼食抜きで博物館へ入る。
いかにもな展示品ばかりである。絹織物、磁器、瑠璃(ガラス)、金銀の供え物――。
いちばんの売りは仏舎利を納めていた八重の宝箱のようである。
どれも逸品なのであろうが、こころ奪われるものはなかった。
ひとつだけ気に入った仏像があった。といっても小さなものである。
仏像というよりも、あれは地蔵かもしれない。お地蔵さん。
ことさら目立つところに陳列されているわけでもない。
その仏像からしばらく目が離せなかった。
笑っているのである。不謹慎かもしれないが、それがとてもかわいい。
ホコホコと笑っているのである。見ているとなんとも幸せな気分になる。
なんでかと考えて気づく。
その仏像を見ているうちに、いつとはなしにじぶんもおなじ笑顔をしているのだ。
ホコホコと笑っている。仏さまもわれもホコホコ。これはいいものを見たな、と思う。
ひと通り見てから、もう一度あの仏像にお会いしたいと引き返した。
中国人の少女が、まさにおなじ仏像に見入っていたので驚いた。
携帯電話で写真を撮っている。
わかるひともいるものだと思った。少女に好ましいものを感じた。

2時10分前にバスのところへ行くとだれもいない。
バスにはカギがかけられ、入ることができないようになっている。
運転手が近づいてきたので、もうすぐ出発ではないのかと聞くと2時半に変更だという。
アジアって、どこも時間にルーズだよな~。アジアンタイム。
昼飯でも食ってくるかと言うと、「おう、それがいいな」。
でもさ、わたしが来るまで出発しないでくれよ。置いていかれたら泣くぞ。
わかったよ。まかせとけ。運転手の返答である(以上の会話は筆談と身振りによる)。
バスの進行方向へ向け歩き出す。程よくボロッちい食堂を発見。
はいはい、ぬるいビールしかないのはわかっているよ。
「没有時間」だ。バスが2時半に出発する。なんでもいいから早くできるものを。
「快だよ快!」
まさかこんな田舎のメシ屋でぼられることはないだろう。
ビールをごくり。ぬるいがビールにはかわりない。
まず出てきたのがキュウリとカマボコ(?)を油であえた冷菜。
これは酒のつまみにちょうどいい。これだよこれ。これが食いたかった。
つぎに出てきたのは、あれはなんいうのかな。まあソバの一種なのか。
キシメンを3センチずつに切断したようなものが入っている。スイトンではない。
空腹である。ソバもどきとキュウリがとても合う。
ソバもどきをすする。キュウリを口に押し込む。
口中に広がる美味をビールが波のように流していく。波のように押してきて引いていく。
せまい口内が美味の大海であふれた。ソバ、キュウリ、ビールのハーモニー。
口惜しいのは時間である。これは賭けなのか。
果たして中国人はどこまで時間にルーズなのか。
もしかしたら2時半という変更された時間もさらに遅れるのではないか。
しかし、待てよ。もしバスに行かれてしまったら西安駅まで帰る手段がない。
これほど困ることはない。だが、目のまえの食物の誘惑に打ち克つのもたいへん。
やむなくソバもキュウリも1/3ほど残す。請求金額は知れたもの。
こんな田舎町のボロ食堂でも、これだけの美味が味わえるのだから中華料理は奥が深い。
2時25分にバスに戻ると、わたしが最後の客だったようである。バスはすぐに出発した。

行きは3時間かかったのに帰途はわずか2時間で西安駅前に到着する。
バスのなかで中国人の若者たちから華山(かざん)という観光地を教えてもらう。
ひとり英語のうまい子がいた。なんでも絶景が望めるらしい。
バスは法門寺行きとおなじ場所から、これまた早朝7時に出ているという。
西安で使えるのはあと2日である。まあ、行けないとは思うが情報をメモしておく。
午後4時半、西安駅到着。このくらい早い時間に戻ってこれるとうれしい。
いつものようにネット屋へ行く。帰国してから、さて引越をどうするか。
満州の問題もある。なんとかして父の生まれた場所へたどり着きたい。
2時間のパソコンを終えホテルに戻る。
毎日、きちんと部屋をきれいにしてくれるのでうれしい。まあ、当たり前だけど。
窓から日暮れの西安をながめる。中国だ。いま中国にいるなんて。
シャワーを浴びながら洗濯を済ませる。今日も南方飯店へゴーなのだ。
こよいは魚を食べてみようかと思う。
からだが疲れきっている。東南アジアと中国で、こうも違うとは。
パワーが桁違いなのである。
たとえ栄養のあるものでも摂取(消化)できないと逆にからだを壊してしまう。
たとえるならいまはそんな状態ではないかと思う。
情報収集をしなければならないのでホテルのフロントへ行く。
行きたいところは決まっているのだ。しかし、どうやって行くのかわからない。
ガイドブックをなぜ読まないのか。何度も読んださ。
こう書いてあるのだ。くるまをチャーターする以外ない。
チャーター料金は1日500元(7500円)が相場。払えませんって。

西安郊外にある行きたい場所は以下である。
法門寺(仏舎利=釈迦の遺骨が保存されている名刹)。
興教寺(玄奘の遺骨が埋葬されている)。
香積寺(浄土宗発祥の地)。
草堂寺(鳩摩羅什が仏典翻訳を行なった寺院)。
法門寺をのぞくと、どれもマイナーな場所である。
旅行会社主催のツアーがあると「歩き方」に書いてあったので調べたが存在せず。
この場合のツアーというのは、
中国人グループが上記の場所にくるまをチャーターして行く。
そのメンバーに個人旅行者が加えられるのをツアーと称するのであろう。
ともあれ、上記4つの寺の行きかたをなんとかして調べなければならない。

ホテルのフロントに日本語を解する女の子がいたので驚く。
23歳。なんでも四国の温泉宿で3年間、働いていたという。
契約が切れたので戻ってきた。このホテルに勤めはじめたのは3ヶ月まえである。
今日、行こうと思っていた法門寺の行きかたがあっさりわかる。
彼女の実家がこの法門寺の近くにあるそうである。毎日、そこから通勤している。
これは確実な情報と見て間違いない。
西安駅前から頻繁に法門寺方面行きのバスが出ているとのこと。
それから魔法の言葉を教えてもらう。これを知りたかったのである。
みなさまも中国旅行をなさる際、このひと言を知っているだけでだいぶ変わりますよ。
「請叫我下車(チンジアウォーシアチュー)」だ。
訳すと、下車を教えてください。
いままでの中国旅行でこの言葉を知っていたら、どれだけ楽だったか。
この内容の中国語がわからないからジェスチャーでお願いするしかなかった。
でも今日からはこれで万事OKである。
車掌か運転手に、まず行き先の書いたメモを見せる。行くとなったら「請叫我下車」。
発音が通じないときはメモにこれを書けばいい。助かったと思う。

興教寺、香積寺、草堂寺への行きかたも調べてもらう。
このホテルは旅行会社も併設しているので便利である。
いまいち情報が集まらない。草堂寺にいたっては中国人も存在を知らなかった。
そもそもこんな場所へ公共バスで行く人間はいないのである。
彼女の上司から何度もくるまのチャーターをすすめられる。
300元(4500円)まで下がったが、それでもお断りする。
行くまえから決めるつけるのは夢のない話だが寺などどこもおなじなのである。
くるまで安易に行ってしまえば、なんの記憶にも残らないだろう。
わざわざ苦労してバスで行くから感動が生まれるのだ。バスにこだわる理由である。
「請叫我下車」があれば、なんとか行けそうな気になってきた。

ホテル最寄りのバス停留所を彼女が教えてくれるという。
外光に照らされた顔を見ると、ほがらかでかわいい子である。
東京ディズニーランドに行ったことがあるらしい。社員旅行で連れて行ってもらった。
「恋人とかできなかったの?」
え、なんのこと? その日本語わかりません、だってさ。ウソをつけ!
そのオトボケに免じて根掘り葉掘り聞くのはやめる。
「なんで中国人ってさ、あちこちに痰(たん)を吐くの?」
ほら、カーッペって、と身振りで示す。「痰を吐く」がわからないくらいの日本語能力。
驚いたんだよ。きれいなおねえさんとかも平気でやっているじゃない、カーッペ。
「マナーが悪いのだと思います。あたしはやりません。やったことないです」
中国人が日本人を見ると笑いながら言う「ミシミシ」ってどういう意味?
彼女もこの問いには答えてくれなかった。
携帯電話の番号を教えてくれる。「困ったことがあったら電話してください」
いい子である。

朝、起きるのも遅かった。行きかたを聞くのでもだいぶ時間を食ってしまった。
もう昼前である。早く行かなければならない。
ところが駅へ行くとバスターミナルが見つからない。
彼女は駅の西にあると言っていた。どこにも見当たらない。
駅近くのインフォメーションで聞く。「法門寺行きのバスはどこですか」
英語であっちだよと教えてくれる。駅の西ではなく東であった。まったくもう……。
まあ、かわいい子だったから許そう。故意に間違えたわけではあるまい。
しかしバスターミナルへ行くと法門寺行きのバスはないという。
聞いたひとがタクシーの運転手で、ならおれのくるまに乗れという。
信用できない。べつのひとに聞いたが答えはおなじ。バスはない。
正確には1本ある。早朝の1本のみ。もう今日はないの? ない!
まいったなと思っていると、そばにいたおじさんが教えてくれる。
ここにはないが南関バスターミナルに行けば法門寺行きのバスがある。
謝謝! で、そのターミナルにはどうやって行けばいいの?
あるバス番号をメモに書いてくれる。中国人はやさしいな。

だが、このバス番号は間違えていた。バスの運転手から正確なバス番号を教えてもらう。
今度はまたそのバスを探さなければならない。ようやく見つかる。
ひどく混雑したバスである。
横にいたおじいさんに、早速「請叫我下車」をためす。
大きくうなずいてくれる。駅前停留所から南関バスターミナルまでバスで30分。
バスを降りたはいいがどこにもバスターミナルらしきものはない。
聞くと、ここからかなり歩かなければならないらしい。
歩くこと15分。やっとのことで南関バスターミナルに到着。
ここでバスチケット買おうとすると、法門寺行きのバスはここから出ていないと言われる。
さっき駅前で教えてくれたひとはなんだったのだろう。
悪意があるようには思えなかった。しかし1時間近くかけて来たのに「バスはない」。
あんまりじゃないか。乗り継ぎでもなんでもいいから、法門寺へ行くルートはないか。
すると、直通でなくてもいいのならバスはあるにはあるという。だが発車は16:30。
あと4時間近くも待たなければならない。法門寺も閉まっていることだろう。
うめくしかない。1時間かけてここまで来たのがすべて徒労に終わったのである。
そばに子犬かなにか小動物がいたら蹴りつけていたかもしれない。
だれが悪いのか。わたしは悪くない。教えてもらったとおりに来ただけである。
あやまった情報の提供者が悪いのか。
だが、たしかにここから法門寺へ行けるのである。

ついていなかった。こう言うしかない。ついていなかったのである。
これからふたたび駅前に帰らなければならないのかと思うとからだが動かない。
バイクタクシーの運ちゃんが声をかけてくる。乗らないか? おう、乗ってやる。
バス停留所まで15分歩くのがめんどう。5元(75円)支払う。
うまいソバでも食えよ、にいちゃん! 行きとおなじバスで駅前へ戻る。

さて、どうするかである。もう2時を過ぎている。
今日、法門寺に行くことは無理である。
旅では、思いのほかどうにもならないことに出会う。
その際、人間はあきらめるほかない。
旅を人生にたとえるものは多い。ならば、これは偉大なる人生訓かもしれぬ。
どうしようもないことは、あきらめる。
法門寺は明日行くことにしよう。複数のひとにバスの発車時間をたしかめる。
早朝ということにかわりはない。けれども、あるひとは7時という。べつのひとは8時。
1本だけなのはたしからしいから乗り過ごせないわたしとしては7時に来るほかない。
なら明朝は6時起床か。起きられるかな。

予定を変更して兵馬俑(へいばよう)を見に行くことにする。
秦兵馬俑博物館。世界遺産。「西安最大の見どころ」らしい。
中国最初の皇帝は、ご存じのように始皇帝。どの権力者も死を避けられぬ。
始皇帝は思う。ただの墓ではつまらない。そこで作らせたものが兵馬俑とよばれている。
焼き物人形で作られた目もくらむほどの兵馬の大群である。
おのが亡骸(なきがら)を死の闇においても兵馬に守らせようと始皇帝は思ったのか。
かんたんな兵馬俑の説明は以上で終わり。
行きたいかと聞かれたら、とりたてて興味があるわけではない。
何度勉強しても中国史というものはわからない。
したがって始皇帝にも関心の持ちようがない。
では、なぜ行ったか。貧乏人根性である。合言葉は「もったいない」。
せっかく西安まで来ておいて兵馬俑を見ないのはもったいないではないか。
しかし、なにゆえもったいないと考えるのか。
西安観光客の9割は行くところだからというのがひとつ。
いつか兵馬俑を見たいと思っている日本人が存在するであろうことがもうひとつの理由。
「兵馬俑など知らん」と忘れ去られた寺院ばかりをめぐる堅物には敬意を表したい。
こういう御仁はスーパーでタイムサービス、出血覚悟の大安売りをしていても、
かたくなにみずからの求めるブランドの豆腐のみ購入して帰宅するのだろうから。
決して真似できぬ行為である。

兵馬俑へは駅前から306路線バスが頻繁に出ている。
この306路線は東線ルートといわれ見どころがいくつもある。
もう時間がないので、そのうちふたつを選択する。兵馬俑博物館と秦始皇陵。
駅前から兵馬俑までは1時間強。今日はじめての観光名所である。
90元(1450円)取られるのが惜しいが、さりとて見なくても後悔するのだろう。
率直な感想は、ファラン(白人)が多い!
中国の観光地でやつらをあまり見かけなかったが、ここに集まっていやがったのか。
パックツアーの欧米人旅行者ばかりである。ファランが嫌いなわたしは、やられたと思う。
これだけで兵馬俑の印象が悪くなる。
観光地の欧米人にからだをぶつけられることが多い。
白人が来てもどかないからだと思う。
ファランはアジア人を人間と思っていないのである。アジア人はみなみな雑役夫。
観光は欧米人の権利であって、この権利ほど守られなければならないものはない。
すべての世界遺産は欧米人が発見したのである。よって、道をゆずれ、となる。
この兵馬俑でも見物しているといきなり肩をつかまれどかされた。
「なんだこの野郎!」と日本語で怒鳴る。例によって白人である。
かれがしたのとおなじように肩をつかんでやり邪魔だとどかした。
兵馬俑の混雑ぶりは異常なくらいである。
しばしもめたのち、かの白人はクレイジーという罵言を残して去っていった。
白人様が観光なさるときは、アジアの下等民は場所をあけなければならないのである。

こういうことがあったからだろうか。兵馬俑もちっともおもしろくない。
ただの人形である。いくら精巧に作られていようが人形に過ぎぬ。
ここには生がない。死ばかりである。こんなものを見てなにがおもしろいのかわからない。
まえからふしぎに思っていたことがある。
文学者とよばれるような作家先生は取材旅行の際、なにゆえああも大仰に感激するのか。
やはり作家先生ともなられるおかたは、みなさま感受性や想像力が豊かなためか。
わたしはどの観光地へ行っても、
どこかで舌を出しているような感覚を脱することができない。
なんだいと斜に構えてしまうのである。
作家先生のように、もっともらしく感動を表明することができない。
これは世代的なものなのだろうか。
以前にもこんな記憶がある。瀬戸内寂聴のインド旅行記を読んでいたときのことだ。
タージ・マハルへの感動の仕方がふつうではないのである。
気持悪いというほかないほどの修辞でもってかの建築物を称揚していた。
わたしの感覚からすると、期待はずれなのである。ただの白いお城でしょう。
左右対称、よくがんばりましたねというくらいの。
インドのバックパッカーとも話したけれども、みんなそのくらいの感想だった。
ぶっちゃけね、と教えてくれたものだ。観光地って、つまらないよね。
このへんの現代的な感覚をもっともうまく描写するライターがゲッツ板谷である。
沢木耕太郎の「深夜特急」よりもゲッツ板谷の「インド怪人紀行」だ。

このような感覚の相違は世代的なものなのか。いま論じていることである。
瀬戸内寂聴はわたしの祖父母の世代。沢木耕太郎は両親の世代。
ゲッツ板谷はひとまわり上である。
わたしが若いかどうかは置いておいて、いま若者とよばれる日本人が旅をしても、
どうしたって上の世代のような派手な表現はできないのではないか。
現代ではだれでもちょっとしたおカネさえあれば、どこにでも行けるのである。
情報もあふれている。過剰な思い入れをするのは不可能。
かえって過剰を戯画にしてしまいたくなる。笑っちゃいたくなる。
現代の若手文学者が(そもそも存在しないけれども)インドの寺を見て、
わかったふうなことを書いたら読者は失笑するしかないでしょう。
なぜかと言うと、だれでも見に行くことができるから。
実際はそうではないとすぐにばれてしまうから。
いまは世界のどこへ行ったところで観光客であふれかえっている時代なのである。
つまり、ありきたりをいとわず言うなら、現代には感動がなくなった。

あるいは秀逸な旅行記は、見ないことで書かれるのかもしれない。
見てしまったらどのみちつまらないのである。
いかに目をふさいで、こころに存する風景を大切にするか。
情報を耳に入れぬように努めるか。見たいものだけを見るか。
世代の問題と、技術の問題をいま論じた。あとは人間の傾向性の問題である。
世代とは関係なく、文学者の資質によって書く紀行文も左右されるのだろうか。
大仰な感動を描けないのは、書き手に才能がないからなのか。
もっとも尊敬する作家のひとり、宮本輝も兵馬俑を訪れている。
氏はわたしの両親の世代である。「ひとたびはポプラに臥す」から抜粋。

「私は十二年前、西安に訪れたときも兵馬俑を見たが、
その何千体もの兵士や軍馬の不思議なたたずまいの前で、
ただ黙するしかなかった」


描写しないという選択をしている(笑←このようになぜか笑ってしまう)。
このあと参考書から引いたと思われる兵馬俑の紹介がつづいて――。

「私は兵馬俑を目にするたびに、人間とは弱いものだなと思う。
いかなる天下人も、みずからの死だけは意のままにはできず、
死後もなお全中国から集めた精鋭集団の陶像によって
死の世界に立ち向かうと同時に、自分の財宝を盗掘から守ろうとしたのである。
兵馬俑が、もっと違う目的で造られたものであったとしても、
私には、権力者の死への恐怖が、
平凡な庶民の死への向き合い方よりもはるかに卑屈に思えてならない」(P30)


お決まりと庶民礼賛と死生観の吐露である。
これも、わたしにはできない。
世代のせいでできないのか。技術がないためか。才能がないのであろうか。
恥ずかしいと思ってしまうのである。生死の問題をわかったようなことが書けない。
笑いでごまかしたくなる。
たとえば、仏寺から受けた感銘よりも、お腹を壊した話を書いてしまう。
才能がないのをごまかしているだけかもしれない。

高いカネを払ったが毛唐が不愉快なのではやばやと退散する。
秦始皇陵へはバスですぐである。始皇帝の陵墓(りょうぼ)である。
上にのぼることができ、周辺の風景が見渡せる。
ここはすばらしい。なにがいいかというと、ひとがいないのがよろしい。
欧米人のみならず中国人の観光客もいない。もう時間が遅いためであろう。
売店で缶ビールを買う。もちろん冷えてはいない。
10元とうるさいが6元だと言い張る。90円の缶ビールはそれでも相場より高い。
考えてみれば昼食を食べる暇がなかった。
缶ビールで口をゆすぎながら階段を一段ずつのぼっていく。ひとがいない。
わたしだけである。いいな、と思う。観光地でなにがいやかといえば観光客である。
じぶんもそのひとりなのになにを言うのかと叱られるのは覚悟のうえである。
テレビの世界遺産番組では観光客があまり映らないように撮影しているでしょう。
テレビの感動を現地で味わえると思うのは間違いである。

だいたいにおいて観光地に行った作家先生は、
秘境でものぞいてきたようなことを書くものである。
作家先生の目には雑多な観光客は映らないのだろうか。
お供している編集者やカメラマン、現地ガイドが人間の壁を作っているのかもしれない。
秦始皇陵の頂上にのぼる。さっそく売店の客引きがやってくる。
これが観光地の現実である。ものを思う余裕などあるものか。
この現実を虚構に変えるのが、作家の手腕なのであろう。
あたかも悟ったかのようなことを、照れもなく書きつづる。
頼むから静かにしてくれと売店のオヤジを追い払い、西安郊外の田園風景を見やる。
ううう、なにかわかったようなことを書かなければならないのか。
ここで決めぜりふを言えるのが一流作家になるための条件なのかもしれない。
そのことがわかった。これは想像以上に大きな発見ではないかと思う。
秦始皇陵。どちらを向いても地平線がつづいている。
ここで夕陽でもだしたらもっともらしいが4月の日暮れにはまだ早い。
遠くから読経でも響かせようかと思ったが、この近くに寺はない。
うしろをふりむくとまたあのオヤジである。写真集を手にしている。
「わかった。きみには負けたよ。50元でいい。定価200元を50元だ」
ビールの空き缶をぶつけたと書いたらかっこいいができるはずもない。
空き缶を握りつぶすのみである。

公共バスではなく、うっかり個人バスに乗ってしまう。
公共バスは乗客の有無にさほどこだわらずに進むが個人バスはそうではない。
車内が満員になるまでえんえんと乗客を探しつづける。
西安駅に到着するまでに2時間近くもかかった。
駅前のネットカフェへ行く。毎日、通っている。それからホテルへ戻りシャワー。洗濯。

さあ、のむぞと思う、この一瞬が、いちばん幸せである。
3日連続で南方飯店へ。安食堂である。なんでも安いのがいい。
失敗をおそれずたくさん注文することができる。
たしかに日本人なら漢字は読めるが、どんな料理がでてくるのかまではわからない。
南方飯店の主人は若い。わたしよりひとつ下である。妻子がいる。
とても威勢がいい。はつらつとしている。楽しくて仕方がないというように仕事をする。
夜の9時過ぎに一家そろって晩飯を食べる。そのとき1本だけビールをのむ。
じつにうまそうにのむ。ちょっと高いビールを好んでいるようである。
昨日、お互いの自己紹介をだいぶやった。気さくなものである。
これはどんな料理かとたずねるとジェスチャーで教えてくれる。
まあ、味覚が身振りでわかるはずもないのだがわかったような気になってしまう。
出てくるものも、たいがいかれの身振りと大差がないのだから驚く。
安くてうまい。決して勘定をごまかさない。いつも元気で明るい。
お客さんの足が途切れないのも納得である。
ゆうべは中年のカップルがビールをがぶのみしていた。
10本近く空き瓶がテーブルに置かれていた。
おかげでこちらは冷たいビールにありつけなかった。
ぬるいビールを負けじとのんだものである。

今日は冷たいビールがあるという。うれしいかぎりである。ゆうべ約束したもんな。
冷菜から注文する。ここはひとり客も少なくない。
まえのテーブルに座っているおやっさんの酒ののみかたがおもしろかった。
まずビール。チンジャオロースと空心菜の炒め物を注文。
ビールをあけると白酒。強烈な酒である。
これをのむペースが感嘆するほど形になっているのである。
中国ののん兵衛ここにあり、なのだ。
ほほう、白酒はそのようにのむものなのかと勉強する。
ひと口にどれくらい白酒を入れたらいいのか。つまみとの配分はどれくらいがいいのか。
習うより慣れよだ。こちらも白酒を注文する。真似をしてのみはじめる。
すると、いままで顔をしかめながらのんでいた、あの悪魔の中国酒がうまいのである。
口にコップをどうつけて、どの角度でのみほすべきか。
ここまで計算しないとあの白酒をのみこなすことはできぬ。
見ていると、師匠が笑みを浮かべている。おまえもよくのむなあという微笑。
杯(さかずき)をあげると、師匠も右手をつきだす。乾杯である。
酒場の異文化交流ほど潤滑に行なわれるものはないと思っている。
なにより言葉がいらないのがいい。
今日もよくのんだ。ふらふらしている。
あとはホテルへ戻ってベットへ倒れこむだけである。
その余力だけ残すように計算して、酒を体内に流し込む。
まえを向くと師匠が米飯(ミーファン)を注文した。負けじとこちらも注文。
最後はやはり米がなくちゃいけねえ。
西安2日目。きれいなホテルの一室でめざめるのは心地よい。
今日は市内の見どころを一気にまわるつもりである。
朝食のためそとへ出るが、中国人って朝なにを食べているんですか。
現地の知人などいるはずもない旅だから、このような初歩的なことで戸惑う。
またソバしかないよな。これなら早いし、まあそうまずいものもない。
かくして朝からソバをすする日本人である。

個人旅行の楽しみと苦しみは旅程作りにある。
作家先生なら編集者とガイドがプランを建ててくれるのだろうが、
それはうらやましいけれども、どこかつまらなくないか。
相反する気持がある。うらやましい。けど、つまんなくないか。
地図とガイドブックを何度も見比べて建てたのが今日の計画である。
仏教寺院を4つまわるつもりである。ぜんぶ安いバスで行く。

まずはメモ用紙に「青龍寺」と書き込む。この時点から戦闘開始である。
だれも日本人旅行者に親切にする義理などないのだ。むろん義務もない。
同様、わたしも中国人から道を教えてもらう権利はない。ひとの好意にすがるのみだ。
図々しくならなければならない。これは日本人にとってかなりの労苦。だから戦闘開始。
えいや、と気をひきしめないと中国人民に押しつぶされてしまう。
いいか。「青龍寺」だ。中国語でチンロンスー。ここに行く。行きたいではなく行く。
バス停留所へ。購入した地図を見て、あたりをつけていたバスに入る。
チンロンスー。このバス行くか。着いたら教えてくれとジェスチャー。
ここだと降ろされる。さあ、チンロンスーだ。行きたいではなく行く。
近くにいるひとにメモを差し出し、チンロンスー・ザイ・ナーリーだ。
あっちだよ。あのおばさんも行きそうだな。ついていけよ。
ほうほう、シェシェ、サンキューである。
バス停から坂をのぼると寺らしきものがある。入場料を払わなくてもいいの?
まあいいかと入る。青龍寺は弘法大師空海が恵果和尚のもと修行をした場所である。
日本の仏教団体(?)が建立した中日(日中ではない)友好の石碑がある。
おもては中国語、うらが日本語である。空海の紹介が書かれてある。
なんでカネをだした日本人が母国語をうらに書くのだろうか。
わが国の美徳の謙遜というやつかな。

空海についておさらいする。804年、遣唐使のおまけとして中国大陸上陸。
恵果和尚に師事したのはわずか半年だが、どうしてか一番弟子になる。
阿闍梨の位を師から授与される。恵果死亡の後、計2年足らずの修行で帰国。
それからの日本での活躍ぶりは学校で習ったはず(ということにしておく)。
ペテン師の香りがぷんぷんしませんか?
そもそも遣唐使の末席にでも入れるのがおかしい。若僧はどんな汚い手口を使ったか。
空海が師事した恵果というお坊さんは死期が迫っていたわけだ。
あんがいもうろくジジイだったのではないか。
ボケじいさんにハンコを無理やり押させる詐欺商法まがいの「秘法伝授」だったのでは。
フランスがえりならぬシナがえりのハクを存分に生かして日本でのしあがる空海。
こういう愚民的疑問を一掃する主張が歴史の常識となっている。
すなわち、空海は天才だった。ふたりといない秀才であった。
だから、あらゆるふしぎはない。
こう考えると、ペテン師疑惑がきれいに晴れることは晴れるが、だがしかし――。
そもそも空海の持ってきた密教なんていうのは釈迦が教えたものとはまったく別物で――。
密教のみならず根本の大乗仏教が、
正統の釈迦信者を言い負かすために作られた大がかりなペテンだから――。
これ以上、無知をさらけだすのはやめたい。
だけど、まあ、空海さんがここで学んだと思うと感慨深い。
わたしは中国から日本へなにを持って帰ることができるか自問する。
パンダグッズと酒だけでは、どうにも格好がつかないな。

寺をでると日本人の大群が。団体旅行客である。
見ると、そちらにも寺がある。もしやと思い、たずねる。
「あのう、青龍寺って、これがそうなんですか?」
初老の日本人が横柄に首肯。ひええ、とんでもない間違いをするところだった。
あとで知ったことだが、最初に入ったのは寺の裏庭のようなものらしい。

しっかり入場料を払い、今度はホンモノの青龍寺へ入る。
ガイドの女の子が寄って来る。日本語でガイドします。すべて無料です。
あたし大学生。勉強のためここでバイトしてます。
かわいい女の子である。鼻の下にうぶげのはえているのがチャーミングだった。
ほんらいならガイドはただでもめんどうだからお断りするのだが、
あまりにほのぼのした子などでお願いしてみた。
いいのかな。わたしひとりにガイドひとり。贅沢なのかもしれない。
日本人の特徴というのは、場の調和を乱さない。自己主張をしない。
たとえばなにかの場面で質問ありますか? と聞かれても決して挙手しない。
そういう点では、わたしは日本人離れしている。質問はどんどんする。
こんかいのガイドにもいやな質問ばかりした。われながら意地悪じいさんみたいだった。
「これが日本から送られた仏教書です」
「こんなもの送られても困るでしょう。中国人は日本語を読めないんだから」
こんな調子である。

それとガイドの子の日本語。ダメだよ。たしかに外国人としては立派だがダメ。
日本人旅行者はガイドのしゃべる日本語がわからなくても聞き流すでしょう。
それが日本人のいいところであることは否定しない。
日本で不法行為をしているアメリカ人が日本のお巡りさんから尋問されると、
英語が間違えていると嘲笑しながら矯正しようとすると聞いたことがある。
こうまではひどくなくても欧米人は現地ガイドの英語が間違えていたら正そうとする。
少なくとも正確な意味を知りたいと思う。
この行為のよしあしは留保しても、結果的にガイドの英語力はあがる。
比して、日本語ガイドは――。
このことを意識したわけではないが、時間があったので丁寧にガイドにつきあった。
日本語の意味がわからないところは、正直にそれはわからないと伝えた。
何回も言いなおしてくれてようやく理解する。
正確な発音を教える(ってほどじゃないけどね)。
このような些細な点でも欧米諸国と日本の相違を意識する。
最後にガイドいわく「記念に名前を書きませんか」。
奉納というやつかな。おカネを取られそうだったのでお断りする。
「字がへたで、じぶんで見るのもいやなくらいなので」
ガイドの彼女はまったくいやそうな顔をしないので、うむ、やはりかわいいとうなる。
最前の団体旅行者からたっぷりふんだくったのかもしれないけれども。
ガイドと別れてからもう一度ひとりで構内を一周する。
ひとと一緒だと、どうにも落ち着いてものを見ることができないのである。

青龍寺と書いたメモを破り大雁塔(だいがんとう)と書く。
バスはすぐに見つかる。すんなりゆきすぎて怖いくらいである。
大雁塔まえの広場には大きな噴水がある。
日曜日だからであろう。いままさに水のショーが始まろうとしている。
大音量の音楽と、踊りだす水の霊たち。それを大歓声で歓迎する無数の中国人民。
またかと笑われそうだが、あふれるなみだの始末に困った。
いいなと思った。美しいじゃないか。きれいだよ。喜んでいる人民もいい。
華やかなお祭って感じでさ。まさかこの人生でこんなものが見られるとは。
なにもかも信じられない。
中国にいることも、水が踊ることも、つられて人間が踊りだすことも。
いいな。いい。美しい。生きてるって楽しいじゃないか。
酔ってもいないのにこの感傷はなんなのであろう。
昼夜欠かさずのむ酒が脳内の感情制御部分を決定的に破壊したのかもしれない。

大雁塔は玄奘(げんじょう)が経典翻訳を行なった場所として知られている。
玄奘は、三蔵法師という名前のほうがみなさまには親しみやすいのかもしれない。
いまある教えにあきたらず、
さらなる仏法を求めてインドへの危険な旅を敢行した僧である。
多くの仏典、注釈書を持参して長安へ戻る。
いうまでもなく仏典はインドの文字で書かれている。サンスクリット語。
これを自国語の漢字にうつしかえたのが玄奘の偉業である。
おかげで日本人の仏僧も経典を読解できることになったのである。
いちばん有名なのは般若心経であろう。あれも玄奘訳が流布している。
展示室で般若経の漢訳経典を見たときは打ち震えた。
このように玄奘が翻訳してくれたから、凡愚のわたしも般若心経を読めるのである。
大雁塔へのぼるには別料金。
頂上からは西安市内が見渡せるという触れ込みだが感動するほどのものでもない。
アリバイづくりにカネがかかるのは犯罪者も観光客もおなじということか。

ランチは、うん、まずはビール。冷えてるね。よしよし。
お客さんがぎっしり入った大衆レストランである。
それからなにを頼もうか。いわゆる中華惣菜を頼んでもいいのだが、
それは夜の楽しみに残しておきたいような気もする。またソバでいいや。
よく頼んだソバがあるのだが、名前を忘れてしまった。
ブタの骨付き肉が入っていて、からいソバがあるのだが――。
肉片をつまみにビールをのみ、ソバで腹を満たす。
見ると、ひとり客はいない。中華料理はひとりで食うものではないんだな。
みんなで人数分+1くらいの皿を注文する。いろんなもので米を食う。
これが正しい中華メシ。ひとりじゃできません。ええ、ソバでもすすっときます。
さみしいからビールも許してね。西安のひとも昼からがんがんビールをのんでるけど。

大雁塔と書いたメモを破り捨て、新しいページに大興善寺(だいこうぜんじ)と書く。
売りは「中国密教発祥の地」「仏教経典翻訳の中心地」。
ネットで調べていたら空海がここで催しを開いたこともあったという。
申し訳ないが、仏教施設もここで3つめである。
青龍寺と大雁塔に深く感動していたこともある。ふらふらになっていた。
もういいやという気持と、せっかく来たのだからひとつでも多く吸収したいという
貧乏根性との葛藤である。
ここはまえにふたつと比べると観光客が比較にならないほど少なかった。
たまに中国人団体観光客が駆け足で通り抜けていくくらいであった。
かえって、くつろぐことができたのかもしれない。
もっとも印象に残ったのは入り口近くの寺院内に模造された地獄である。
ありとあらゆる地獄絵図がちゃちな人形で描かれている。
内臓をカラスについばまれる悪人。釜で茹でられる淫婦。針山に刺しぬかれる美丈夫。
ちゃんと中央には閻魔(えんま)さまがいる。
テーマパークのような地獄に、かえって感心する。
いくらなんでもこれを見て仏心を喚起されるものはいないだろう。
しかし、地獄とはなんだろうか。7年前にわたしの目撃したのは地獄だったのか。
広島、長崎が地獄であることに異を唱えるものは少ないだろう。
地獄には般若心経がよく似合う、と思う。
わたしの知るかぎりにおいて、仏教の創始者釈迦は地獄など説いていない。
だが、地獄を作りだしてしまう人間のどうしようもない宿業とはいかなるものか。
安っぽいとバカにしながら半時間もひとの来ない地獄にいたわたしである。
極楽よりも地獄のほがこころ安らぐのである。
行楽地で見た家庭円満の微笑より、広島長崎の地獄のほうが仏教に近しいと思うのは、
なにか根本的なあやまりがあるのだろうか。
おもちゃの地獄である。
けれどもここは、いままでアジアで見たどの寺院よりも居心地がいい。
むろん、繰り返しになるが、菩提心が刺激されるというのではない。
神聖な気分になるのでもない。ひたすら俗悪な地獄である。ハリボテの地獄に過ぎぬ。
だというのに、なにゆえここを立ち去りにくいのか。
もしやわたしの生きている世界だからではないか。

くたくたである。もうひとつ行く。メモ帳に小雁塔(しょうがんとう)と記す。
からだのふらふらを通り越して脳がぐらぐらしている。
小雁塔は「高僧義浄ゆかりの地」ということである。義浄? だれだそれ?
ギジョーねえ。知人にはいないな(ぼけている)。
とりあえず大雁塔に行ったのだから、小雁塔にも行かんとまずいよな。
もうこの程度の思考能力しか残っていない。体力たるやそれ以下である。
アリバイを作らなくては死罪になってしまうとおびえながら別料金を支払う。
小雁塔へのぼるためである。大雁塔の経験から、もとよりなにも期待していない。
階段をのぼっていると、お腹が突発事故を起こした。それでも貧乏人は強い。
頂上までがむしゃらに駆け上がる。むろん、頂上はそれなりに高いところにある。
けれども、諸君、いいかな。
人間はいかに高いところまでのぼりつめようがなにも見えるものではないのだよ。
おっと、説教している場合ではない。お腹が、お腹が、やばいのです。
いまたとえ眼前に釈迦そのひとが現われてもわたしを救えはしないだろう。
施設内のトイレに走ると、これが思いっきり中国式。
ドアもない。ウンコがそこらへんに落ちている。
わたしは人間である(人民ではない)。ここで妥協したら人間でなくなってしまう。
この小雁塔で、本日の行くべき観光地はすべておもむいたことになる。
大丈夫。仏さまがついている。距離からしたら近いもの。
このままホテルに帰ろうではないか。部屋のきれいなトイレで用をたそう。
ここでタクシーではなく、あくまでもバスに乗る、わが貧乏人根性よ。
それからは地獄でした。一心に仏さまにお祈りしました。
もしかしたらいきおいで神さまのほうにもお願いしたかもしれない。
バスが駅前に着くところまでは我慢できた。
ここからホテルまでは徒歩5分。その5分のなんと長かったことか。
うっとくると、歩みをとめてこらえる。
大丈夫かなと思ったらおそるおそる足をだす。
地獄は先ほどの大興善寺になどあるもんか。いまのわたしこそ地獄のただなかにいる。
そう思ったものである。ホテルへ到着。エレベータが来るまでの苦悶。
ふうう。結果は間に合ったのです。仏さまはいたと実感したのはこのときです~。

シャワー。洗濯。ネット屋でパソコン。
南方飯店でがぶのみ、どか食い。この食堂でだいぶ日中友好をやらかしたようです。
列車は定刻どおりに西安駅へ到着する。二日酔いとは縁がない。
いくらのんでも翌朝にはけろっとしている。持って生まれた丈夫なからだに感謝したい。
西安は、かつて長安とよばれた古都である。
中国史のなかで何度も大きな役割を果たした。
日本人が身近に感じるのは遣隋使、遣唐使ではないか。
かれらが目指したのがここ長安(西安)であった。
迷わずホテルの客引きについていく。最初に声をかけてきたもののあとを追う。
こういうのは縁である。
人間がちっぽけな頭脳で選択するより、よほど大きなちからが働いている。
少なくとも、そう信じている。

「地球の歩き方」によると、西安は歴史ロマンあふれる古都。
したがって観光地をすべてまわろうと思ったら1ヶ月はかかるとのこと。
旅行者は取捨選択を迫られるわけである。この旅は求法の道のり。
なにより重視したいのは仏教関係の遺跡である。
それ以外は、たとえ有名だろうがなんだろうがすっ飛ばしていこうと決める。
ゆうべ寝台列車で計算した必要日数は6日である。
西安に6日滞在して可能なかぎり見てまわる。
いち都市に6日もいるのは西安が初めて。それだけ魅力を感じたのである。
こんかいの中国旅行のハイライトを西安に求めることにする。
ホテルの金額交渉では6日を売りにしたい思った。
6日も宿泊するのだから安くしろ! という論法である。
この客引きおじさんはホテルのなかでもけっこうな役職にあるようである。
かれと直接、金額交渉をするが、折れないんだなこれが。
1時間以上も値引交渉をする。結局、1日108元(1620円)でまとまる。
中国人は「8」という数字が好きなのだ。「八」。末広がりだからか。
ホテルでも商店でも価格の末桁が8になっていることが多い。
縁起のいい数字と信じられている。ゆえに108元。
108×6=648元。合計金額も最後が8になっているでしょう。

この値引交渉はわれながらやり過ぎたと反省する。
最後はあちらも泣きそうになっていた。何度、最低価格と提示されたか。
清潔で窓からの見晴らしもいい。すばらしいホテルに出会えた幸運を感謝する。
ここに宿泊できるのなら、よけいな体力消耗はない。ゆっくり眠れることだろう。
6日間、西安を味わいつくしてやろうと改めて思う。
しかし、そうとはいいながらも、ゆうべ寝たのは寝台である。
硬臥とよばれる座席。横にはなれるが、そこまで快適というわけではない。
疲労を無視するわけにはいかない。だが、時間がないのもたしかである。
6日しかないのだ。今日から動きださなくてはならない。

まずはなにか腹に入れよう。朝からなにも食べていない。これではいくさもできまい。
ホテルを出てふらふら駅に向けて歩く。いいところである。
駅の大通りからちょっと入ったところにある。そばには安食堂が多い。
このようなとき、どの食堂に入るかは全感覚器官をもちいた賭けとなる。
五感では足りない。あるのかわからぬ第六感まで動員せねばうまいメシにはありつけぬ。
食べるものなどなんでもいいというひとの気が知れない。食はすべての始まりだ。
うまいものを食わなくてはパワーがでるはずもない。もうランチタイムは過ぎている。
日本でも見知らぬ食堂へ入るときは勇気がいるでしょう。異国ならなおさらである。
ここだ! いきおいよく入店。店主と目が合う。いい目をしている。
冷たいビールはあるか。有没有冷的啤酒?
「イオウ(あるよ)!」と威勢のいい声が返ってきた。よろしい。一発目であるとは。
鍋を頼む。どんぶりで出てきた。鶏肉がなかなかうまい。
だが、これではごはんが食べられない。麻棘豆腐を追加。肉の入っていない麻婆豆腐だ。
ビールを昼間から2本入れ、腹にもしこたまつめこんだ。これで百人力よ。
うまいし安い。雰囲気もいい。南方飯店である。
この食堂にこれから西安滞在中、毎日通うことになる。

駅前からバスで鐘楼(しょうろう)へ行く。ここは町の中心にある見晴台。
ここから東西南北の大路を見渡すことができる。
どの方角を向いてもまっすぐ大路が流れている。整然とした美を感じる。
中華人民共和国とつぶやいている。ついに中国に来たぞ。これが中国なのか。
長安――。古来、多くの日本人と縁のある中国の大都市である。
タイのバンコクから、ついにここまで来たかという念に胸を打たれる。
見渡すかぎり近代的なビルが並んでいる。
そのくせ道路の区画は異常にさえ感じるほど整っている。
管理された近代化を、中国を、鐘楼からしかと見たぞ。
そう深く感じ入ったのは酔眼ゆえか。
近くの歩いていける鼓楼(ころう)にものぼる。
小銭を払うと太鼓をたたけるようである。カネを払ってまで騒音をだす趣味はない。

もうひとつ今日行っておきたいのは興慶宮公園(こうけいきゅうこうえん)。
鼓楼の受付服務員に聞いたところ8時まで開園しているそうである。
よかった。なんとか間に合いそうである。
だが、ここからが地獄であった。鐘楼周辺というのは、東西南北がわからなくなるんだ。
もちろん地図は持っている。けれども、どう見てもわからない。
じぶんが東西南北、いったいどの大路を歩いているのかさえわからなくなるのだ。
行きたいのは興慶宮公園である。バスで行きたい。
どの停留所でどのバスに乗ればいいのか。知りたいのはこのことである。
ところが、聞くひと聞くひと、まったく違うことを教えてくれるのである。
結果として鐘楼のまわりを東西南北一周することになる。
1時間以上もふらふらしていて、はたと気づく。
地図を見るかぎりバスに乗らなくても、1時間歩けば行ける距離だよな。
くやしいがいまとなってはいたしかたない。
結局、バスが見つかったのは1時間半は経過したころだった。
ひとから聞いたのか、じぶんで発見したのか覚えていないほど疲れていた。

興慶宮公園で日本人に縁のあるのは阿倍仲麻呂記念碑である。
ほかに玄宗や楊貴妃にゆかりの建物もあるそうだが、わたしは日本人である。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
百人一首で覚えた和歌である。阿倍仲麻呂は遣唐留学生として17歳で唐を訪れる。
それから30年である。唐で出世をしためずらしい日本人、阿倍仲麻呂。
かれにも望郷の思いがあった。日本が忘れられなかった。
帰国できるかもしれぬという報が入る。
異国の友と別れの宴(うたげ)をひらく。そのおりに詠んだ歌とされている。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
天空に輝く月よ、そなたはあの月に見える。故国の奈良、三笠山で見た月に。
哀しいことに帰国はかなわず阿倍仲麻呂は客死(かくし)の最期を迎える――。
空想からわれに返ると、なんてことはない安っぽい石碑なのである。
これを目当てに来た日本人旅行者のたいはんはがっかりするであろう。
けれども、わたしはこの石碑の向こうに日本を見た。阿倍仲麻呂の見た日本を、である。
いけない。感傷に走りすぎている。酒が足らぬのではないか。
公園の売店でぬるいビールを買う。酒のあてにみなが食しているソバをもらう。
ソバかと思ったら、ところてんであった。からいところてん。
むかしからところてんのどこがうまいのかわからない。半分ほど残す。
ビールはきちんとのみほす。土曜日のためか興慶宮公園では入場料を取られなかった。

腹ごなしというわけではないが、わざわざ苦労して来たのである。
公園を一周することにする。
家族連れが多い。みんな楽しそうである。
たそがれどき。闇が迫るなか子どもの笑顔が輝いている。
「みんなかへる家はあるゆふべのゆきき」
山頭火のセンチメンタルな句を思い出す。
みんな帰る家はあるけれども放浪者のじぶんは……という自嘲の句である。
長いことを旅をしている。
いまとなってはこのわたしが日本で生きていたとは思えないくらいである。
いつかは帰らなくてはならない。何ごとにも終わりがあるのである。
しかし、まだである。中国でなにかを見たい、つかみたい。
この大国ならつまらぬ旅行者のわたしにもなにかを与えてくれるのではないか。
なにかを求めているのである。見たい、聞きたい、知りたい。
それがなんなのかはじぶんでもわからぬ。だけれども――。

バスで駅前へ帰る。
駅前はたいがい終点(=始点)になっているのでバスの乗降に便利だ。
ホテルへ戻りシャワーと洗濯。ネット屋を見つけ1時間ほどパソコン。酒である。
先ほどの南方飯店へ行ってもよかったのだが、昼夜連続は気恥ずかしくて他店へ。
駅近くの食堂である。ここはダメ。皮肉にも昼の南方飯店のよさを実感する。
小さい中華饅頭でビールをのむがうまくない。
近くの売店で冷たいビールを売っていたので、ホテルの部屋でのみなおすことにする。
明日の計画を建てながらである。
中国ではビールはコーラよりも安い。ときとして水よりも安いことがある。いい国だ。
今日はパンダのふるさと成都を離れる日である。
夜行列車で西安へ向かうことになっている。
だからといって、体力を温存したりはしない。
完全に中国旅行のリズムに乗ることに成功している。
今日も朝から晩まで観光をするつもりである。
せっかく中国くんだりまで来た。つぎいつ来れるかはわからない。
これが最後かもしれぬ。なら、ひとつでも多くのものを見ておきたい。
それがかけがえのない財産になるはずである。
そういう世界で生きていこうとすでに腹を決めているのである
生きていけなかったら切腹するのみ。
切ろうとしてもかっさばけぬほどに財宝を腹へつめこんでおきたい。
無形の宝物をである。どこに宝が落ちているかはガイドブックには書いていない。
じぶんで見つけなければならない。これがこんかいの中国旅行である。

荷物をホテルに預け(ここは無料だった)チェックアウト。
いままで書いていなかったが中国のホテルは独特の料金体系を取る。
たとえば、このたびのホテルは3日300元で契約している。
デポジット(保証金)を前払いで払わなければならないのである。
外国人の場合、相場よりも多く取られることがよくあった。
まあ、かならず返ってくるのだから問題はないのだが。
このホテルには500元くらい前払いしたかな。
チェックアウト時になにも問題がないと(ホテルの備品など)保証金の200元が返される。
アジアでこのよう料金体系を選択しているのは中国だけである。
どういうことか。中国人はおなじ中国人でさえ信用していないということである。
金持が食堂へ行くとき、家から油を持ち込むのが過日ニュースで報道された。
廃棄用の油を使われるかもしれないとおびえているわけである。
中国人の厚顔無恥ぶりは中国人がいちばんよく知っているのである。
おれだったら安ければどんな劣悪な食用油でも使う。
だから、おなじ中国人のあいつらもそう考えるに相違ない。
これが中国人の思考法である。

中国人とはいかなる人種か。たとえば、あれはショックだったな。
かなり見ばえのよいホテルである。
ロビーのエレベータまえに灰皿がある。痰(たん)を入れるなかれと書いてある。
そのまえで堂々と痰を吐き散らす中国人にはぞっとした。
貧乏人ではない。けっこうな身なりをした富裕層がである。
痰といえば、おそらくみなさまが中国へ行って、いちばん驚かれるのはこの痰ではないか。
中国人はところかまわず痰を吐く。かーっぺとことさら大きな音を立ててだ。
妙齢の女性までおなじことをするのだから、なんという国なのであろうか。
しかし、1ヶ月もしたらわたしも真似をして痰を吐くようになったことを最後に付記する。

バスで青羊宮(せいようきゅう)へおもむく。
ここは有名な道教宮観。まあ、道教の寺である。なんでも四川道教の中心地だとか。
道教とはなんぞやという知識はこちらがわにはないわけである。
よって、いうなれば予習ということになるのかな。帰国してから復習するための予習。
乱暴なことを愚者の軽率からいってしまうと、寺ってどこもおなじではないか。
ヒンドゥー教、カオダイ教(ベトナムの新興宗教)、仏教、道教――。
とにかくえらいひとが祀(まつ)ってあるという意味においてである。
正確を期すとひとではない。ひと以上、カミ以下の畏怖対象である。
民衆は、この(人間を超える)大きなものへこうべを垂れる。
個が個として生きようとするとかならずどこかでゆきづまる。
かれは個を超えるものと対峙する必要に迫られる。
必要がなくてもかまわない。物見遊山でもいいのだ。
儀礼上、こうべを垂れる際、この人間はおのれを超えるものと対面している。
この体験は意識するせざるを問わず、明日からの生活の励みになる。
個はおのが位置を知らぬ。
ただ全体をまえにしてのみ個はそれを一瞬かいま見ることができる。
寺にある遺物は、それへと通じる異物でもあるのである。
宗教的建築物は異界でなければならない。
異界は狂気の世界である。儀礼なくしてひとが長くとどまれる場所ではない。
だが、はやばやとこの道教寺をあとにしたのは狂気に呑まれそうになったからではない。
霊感は持ち合わせていない。ただ時間がなかったのである。
予定では、ここのほか、ふたつ観光をしようと思っている。
急ぎ足で、思う。この旅では数えきれぬほど寺へ入った。
そのうちいくつが異界を感じさせてくれただろうか。

バスを乗り継ぎ杜甫草堂(とほそうどう)へ行く。
杜甫といえば詩聖として名高い大詩人。ここはかれをダシにした観光地。
杜甫は生涯のうち4年をここ成都で過ごしたという。
もっとも詩作に集中できた、いわば輝かしい時期であった。
地団駄を踏むほどくやしいわけである。
日本で、杜甫詩集を買ってあった(角川文庫のバカ向けのですけどね)。
いつか読もうと思いながらタイ、バンコクへ旅立ってしまった。
いま杜甫詩集があったら。かたくるしい岩波文庫のでもよろしい。
1500円でも買っていたと思う。
恥ずかしい。中国を旅行するのに杜甫すら読んでいなかったとは。
言い訳をすると、当初の旅程に中国は入っていなかったのである。
この観光地の売り文句は「中国文学の聖地」――。
文学立身を志すわたしは、それでもなにかを得よう得たいと目を凝らした。
杜甫の石像がある。背景には「国敗れて山河あり」が書かれてある。
杜甫よ、と呼びかける。若き文学学徒は詩聖になにを語りかけたか。
「杜甫先生、あなたがおのみのお酒、おいしそうですね」
酒をのむ姿勢の杜甫が石像になっているのである。
実にいい顔をして酒をのんでいる。まこと、うまそうである。
「杜甫先生、やはり酒と文学は一如ですよね。どちらも味わいなのですから」
そのとき、杜甫がかすかにうなずいたのを見逃さなかった。
「中国文学の聖地」でアル中を悪化させるわたしである。

杜甫詩集の博物館がある。
古来、編まれてきた杜甫詩集を年代順に展示しているのである。
日本の岩波文庫まで陳列されていた。
古い書物を見ると、いいようもなくこころが安らぐ。
所持したひとのことを想うのである。
いく度、どんな気持でこの書物をひもといたのか。

ここ杜甫草堂は遺跡ではない。ただの観光地。もっといえばテーマパークである。
ミッキーマウスのかわりを杜甫がしているようなもの。
したがって土産物屋の充実振りが華々しい。こっちがメインかと疑いたくなるほど。
日本語を話せる店員もごろごろいる。ここは日本の団体旅行者の定番スポットなのか。
チーフっぽいおじさんの日本語にはしんそこ驚いた。
イントネーションが完璧なのである。たどたどしさがみじんもない。
細やかな発音を完全に使いこなせている。日本人よりもうまいくらいである。
かれの日本語に敬意を表して土産を買う。杜甫酒――。
おそらく中身は安物だろう。杜甫と名づけたから価格が2倍、3倍になっている。
おじさんは、それはちがいますよと言う。
これはここでしか作っていない地酒で、特別にみなさまにお分けしているのです。
のんでみますか?
「いただきます」
強いんだ。アルコール度は52だから。
うかがう。中国人って、こういう白酒(ばいじう)をいつのんでいるんですか?
「いつでものみますよ。中国の食べ物、からいでしょう。のどがかわく。
そこへこの白酒をぐいっといれる。あとは、そうですね、食前にのむひともいます。
これを一杯のんで食欲を向上させるんです」
むかしも、たとえば杜甫も、このお酒をのんでいたわけですか?
「ええ、そうです」
自信たっぷりに言うおじさんである。
500mlの杜甫酒を80元(1200円)で買う。ここでは値切らなかった。
日本人の顔に泥を塗りたくない。
もっと買いなさいと言われたが、これからまだ旅がつづくのでと断わる。
「ミシミシ」とはどういう意味かと聞いた。
中国人が日本人に笑いながら投げかけてくる言葉である。
かの商人は一瞬困ったような顔をして、わからないと言った。

後日談だが、この酒はこのあと1ヶ月以上バックパックにおさまっていた。
わざわざ日本へ持って帰ってきたのである。
友人宅で乾杯した。これだけ苦労して持ち帰った杜甫酒である。
その友人はなんと言ったか。
杜甫酒よりも、ひと瓶3元(45円)の白酒のほうがうまいと放言。
殺意をおぼえたのは言うまでもない。
写真がある。左奥にあるのが杜甫酒。右手前方にあるのが最低の安酒。

http://blog65.fc2.com/m/moocontinent/file/200705221552L.jpg

もう3時を過ぎている。あとひとつ行きたいところがあるのだ。
成都動物園である。ここにはパンダ館があり、
「常に十数頭のパンダがいて、こんなに多くのパンダが見られるのはここだけ」
そう「地球の歩き方」に記載されている。
たしかにパンダはおととい研究基地で見ている。
けれども、せっかく来たのだから動物園のパンダとも面会したい。
ガイドブックを見ると、どれだけたくさんのパンダがいることか。
しかし、バスが見つからないのである。
だれにどう聞いても成都動物園へ行くバスがわからない。
動物園の閉園時間は刻々と迫っている。タクシーを使わないという決まりを破る。
もう今晩には成都を発つのである。
たかだか500円をケチって最後にパンダとお別れができないのはあまりにもさみしい。
ランチを食べる時間もない、あわただしい1日である。
タクシーはさすがに早い。500円もいかずに動物園へ到着。4時近くだったか。
あと1時間ある。十分な時間である。

ところが、なのである。まったく「地球の歩き方」は――。
成都動物園は大熊猫研究基地に比べたら見劣りすることはなはだしい。
まるでパンダなんかいないのである。
なによりよくないのは、ガラス越しでしかパンダを見られないこと。
研究基地では柵をはさんで3メートルのところにパンダがいたのだが。
ここではくもったガラス越しに遠くにいるパンダを眺めるのみ。
せっかくタクシーまで使って来たのに、これではその甲斐がないではないか。
どうにもパンダとこころを通わせようのない設計なのである。
パンダはおととい丸一日満喫したからよしとしよう。
さて、なにをするか。疲れている。朝から観光地を駆け巡った。
昼食も抜いている。うん、酒ですな。
動物園の売店で聞くと、冷たいビールがある。別の売店で串焼きを数本購入。
いまさらパンダ以外の動物など見る気もしない。
かといって、せっかく来たのである。ここでビールをのみながらゆっくりしよう。
動物に興じる中国人でも見ているほうが、かえって新鮮かもしれぬ。
成都もこれで終わりか。なんとか行きたいところはすべて網羅した。

閉園のアナウンスに重い腰をあげる。バスで駅前へ戻る。
寝台列車に乗り込むまえに酒を入れておかなければならない。
3日連続でおなじ食堂へ入る。もう顔なじみである。
言わなくても冷たいビールがでてくる。
さてと、あまり時間はないけれども、なにをつまみましょうかな――。
ほろ酔い気分でホテルへ戻り荷物を取る。
もう中国へ来て何日になるのか。中国を舐めはじめている。
具体的に書くと、時間ぎりぎりで列車に乗り込むわけだ。
「歩き方」には1時間前に駅へ行けと書いてあるが、おまえの言うことはもう信用しない。
このときは15分前に駅構内へ入ったのだったか。それでも余裕である。
座席でもビールをぐびぐび。白酒もいっちゃいますか。
いつ寝たのか覚えていないのは毎度のことである。
バックパッカーは中国を好まないものが多い。
船で上海へ入っても、すぐに他国へ逃げだすのがバックパッカーである。
こんかい旅をして初めて気がついたのだが、
中国は物価が東南アジアと比べてそれほど高いというわけではない。
では、なにゆえバックパッカーは中国を敬遠するのか。
中国には貧乏旅行者がだらだらするのを許さない厳格なところがあるのかもしれぬ。
バックパッカーの楽しみというのは、どうやらだらだらすることにあるらしい。
まったりする、などという恥ずかしい死語は使わない。だらだらである。
各地でバックパッカーの情報ノートを見てきたが、
かれらの価値観では安価でごろごろできるところがすばらしい、となる。
「いいところなんで、気がついたら1週間もいちゃいました~」。
観光名所にあえて行かないことがバックパッカーの自慢になるのである。
東南アジアやインドは怠惰な旅行者を実にあたたかく迎えてくれる。
ドミトリーつきの安宿もかならずある。旅行者はここで同国人とだべり無為を享楽する。

しかし、中国は、なのである。中国はそうは行かない。
どうしてかセコセコしてしまう。バカンスというわけにはいかない。
こういう説を考えてみた。試論である。
日本人は欧米人の物真似しかできない。
インドや東南アジアではファラン(白人)がとてもゆっくりとしたバカンスを取っている。
日本のバックパッカーというのは、かれらの物真似からスタートした。
むかしはヒッピーなどと言われていた連中である。
「地球の歩き方」のアジア方面のものに、やたら記載されている文章をご存知ですか。
「欧米人に人気」である。欧米人に人気があるからいいとでも言いたいのだろうか。
ファランを嫌悪するわたしはこのようなレストランには決して行かなかったが、
いわゆるバックパッカーというのはそうではないらしい。
中心に白人がふんぞりかえって大声でだべっている。
片隅でこそこそ日本人がかたまって、「まったり」している。
こんな構図をイメージするが、あながち間違いではないであろう。
そこで中国である。
中国は漢字のわからない欧米人には個人旅行がしやすいところではない。
したがってファランの真似ばかりしてきた日本人旅行者も、
(東南アジアにいるような)傍若無人な先輩がいないからどうしようもない。

中国はいいと思うのである。
タイ、ベトナム、カンボジアと比べたら段違いのおもしろさである。
なにより文化に深みがあるのがよろしい。
ハタチそこそこのボーイガールが中国へ来ても魅力はわからないだろう。
ある程度、ものを知ってから来ると、中国ほど興味深い国はない。
かつての日本(にとって)の先進国はこの中国だったのである。
文化はみな中国大陸を通過して伝来したのである。
中国を盲目的に礼賛するつもりはないが、それでも一定の敬意は必要であろう。
おりしも中国を勉強しようと思っていたのである。
ふとしたはずみでバンコクへ飛び立った。なにかの因縁があったのだろう。
こうしていま中国へ来ている。ありがたいことです。

中国旅行においてはびっしりとスケジュールをつめている。
ぼーっとする1日など作りようがない。
なにしろ見たいものが山ほどあるのである。だらだらしていたらもったいない。
今日は道教ゆかりの地、青城山(せいじょうざん)へおもむく。
中国で一般的に宗教といわれているのは儒教、道教、仏教。
この3つが混合したのが中国文化だとふつうは考えられている。
仏教は外来(=インドからの)思想。儒教はエリートの教訓。道教は民衆の慰め。
乱暴だが、この程度の知識しか持ち合わせていない。
道教とはなにかというのは非常に興味のあるテーマ。
日本へ帰ったら、これに関する本を読むことであろう。
そのとき道教の聖地を観光した経験は決して無駄にはならないと思うのだ。
3年前、インドを3ヶ月放浪したとき、それほど仏教に関心はなかったが、
暇つぶしくらいの感覚で仏教八大聖地を巡礼した。
帰国してから仏教を勉強したのだが、その際、この体験がどれだけ役立ったか。
青城山観光の目的もおなじである。

きのうのパンダで興奮したためか、疲れている。
出発が当初の計画より遅くなってしまう。
行きかたはこうである。メモにでかでかと「青城山」と書く。
これを見せながらバス停で情報を仕入れる。
バスを2回乗り換えるとたどり着けるようである。むろんのこと詳細は覚えていない。
旅行案内文としてはまったく役に立たないことを申し訳なく思う。
まあ、みなさんもメモに目的地を書いてください。
ほとんどの観光地がたぶんそれで行けますから。
バスがあまりにのろのろしているので到着は昼過ぎになってしまった。
こういうとき最終バスの時間を確認するのも旅行者の鉄則である。
帰れなくなったら洒落にならない。
まずは腹ごしらえで、入山ゲート近くの食堂でソバをすする。
ふだんはロープウェイなど邪道とおもっているのだが、今日は時間がないので、
往復ロープウェイを選択する。
「歩き方」には41元と記載されていた入山料は90元(1350円)。
ロープウェイが往復で60元(900円)なのも痛い出費である。
けれども、せっかくここまで来ておいてなにも見ないで帰るのはくやしい。札びらを切る。

道教はどうだったかと聞かれると答えに窮する。
ただ言語化はできぬものの、ある心象をいだいたのは間違いないのである。
帰国して中国関係の書籍を読むことで、このもやもやに言葉が与えられるのだろう。
道教の道士というのは、なかなかうさんくさくてよろしい。
中国人のおねえちゃんが道士に怒っていた。どうして水がこんなに高いんだ?
したでは2元で買える水がどうして6元もするんだ?
ねえ、あなたもそう思うでしょうと英語で聞かれた。道士を見たらにやにやしていた。
わたしがビールはいくらかと聞くと水とおなじ6元。下界では3元である。
まあいいかとビールでのどをうるおす。おい、ちょっと待て。ここは聖山だろう。
なんでビールなんて売っているんだよ!
と思うのはいまになってから。
このときは、ありがたや、ありがたやとビールをのんだのであります。
桜の木の下で道士のおねえさんがぶあつい本を読んでいる。
感心だなと思って近づいてみるとお昼寝中。
どこかパンダに似たかわいらしい道士さんであった。
頂上にはもっともらしい建築物が。
階段をあがるとてっぺんから絶景が見渡せるという仕組み。
ファランのおねえちゃんが悟り澄ましたような顔で写真をぱしゃぱしゃ撮っていた。
もしかしてなにか悟っちゃいましたか? それぜったい精神病ですよ!

往復ロープウェイにしたため時間があまっている。
このくらいの距離だったら往復歩いてもよかった。もったいないことをした。
しかし、することがない。となると、そうです、やっぱりビール。
ひとりだと間がもたないもんよ。カメラもないしね。
またビールは10元とかふっかけてくる。2本で12元で手を打つ。
酒のあてに冷やしソバを頼む。5元(75円)。
これがからくてうまいんだ。からいのってうまいよね(味盲寸前)。
ご機嫌で下山。ロープウェイの横でおかしな土産物を売っている。
道教秘伝の酒とある。こういうのものんでみたら中国理解の役に立つのだろうか。
酒好きだから買ったのではない。すべては勉強のためであるぞよ。
アル中などと言われるのは心外である。いくらと聞くと15元。
10元にしてよと言ったら、あっさり10元になる。道士さん、好きよ。
見るとアルコール度は16度。ワインとおなじくらいか。
これをロープウェイにのりながらのむわたしである。
聖山の絶景を満喫しながら口にふくむは道教秘伝の酒である。よきかな、よきかな。
成都駅へ直行する個人バスがあった。
こういうバスでは乗客が集まらないと出発しない。
ぼんやりバスにそなえつけてあったテレビを見ていたら、
日本軍兵士が中国人民をいじめていた。
中国ではこの手の反日ドラマが毎日放送されているという。
怒りに燃えるシナ人が勇ましかった。
ホテル近くの行きつけの店で今晩も深酒。中華料理に冷たいビールって最高だね!
朝である。メモ帳に大きく書く。
「成都大熊猫繁育研究基地」。
今日行くのはここである。大熊猫とはパンダのこと。
いよいよ、なのだ。この旅の目的のひとつ、パンダとご対面である。
パンダさん、きみと会うために中国くんだりまで来たのですよ~。
ああ、パンダさんとお会いしたら、なにを言えばいいのか。
洗面所で鏡を見る。こんな顔でパンダさんとお会いしていいものか。
貧乏たらしい格好をしてはいないか。あのパンダさんと会うのだぞ。
本場のパンダさんなんだぞ。
くうん……。
日本のパンダは困ったときにこう鳴きます。くうん、くうん、くうん。
鏡のまえで無理やり笑顔を作る。大声で鳴く。空元気。くいーん♪
パンダは嬉しいときに鳴くのです。くいーん、くいーん、くいーん♪

バスは一度、乗り換えなければならないらしい。
降りろと運ちゃんの合図が入った。パンダ、降りま~す。
バスはこれかな。メモを見せる。運ちゃんが、うなづく。
ああ、もうすぐパンダのふるさとへ行く。ついに行ってしまうのである。
パンダの絵が多く見受けられる。気分が高まる。
研究基地内は博物館と公園にわかれている。
博物館ではパンダの生態を勉強することができる。
パンダと会うまえに少しでもパンダのことを知らなければならない。
博物館に入ると、なみだがこみあげてきた。ついにここまで来ましたよ~。
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れている。

パンダは1日のたいはんを食事にあてます。
それ以外は眠ります。パンダは遊ぶのも大好きなのです。
食べる。遊ぶ。寝る。これがパンダの生活であります。
パンダは母性愛の強い動物です。
子どものパンダを抱いてやるお母さんパンダはとても偉大です。
そして、見てください。
お母さんパンダに抱かれたお子さんパンダの安心しきった愛らしい顔を!
なんともかわいらしいではありませんか。
パンダは成年期に入ると群れを離れます。
おにいさんパンダは孤独を好むのです。パンダは平和的な動物です。
他の動物を襲うなど、よほどのことがないかぎりありません。
食べものは植物。いさかいをパンダは好みません。
とくにかわいいのは子どものパンダたちです。
かれらは毎日のようにじゃれあって遊びます。
木登りも得意なんですよ。お腹がすいたら仲良くお腹いっぱい食べるのです。
眠くなったらお互い抱きしめあってお昼寝です。
たまにさみしくなったらお母さんパンダに甘えます。
そんなことをしていたら、またお腹がすいちゃいますよね。
パンダは食べるのが大好きです。気がつくと、暗くなっています。
お星さまをつかみたいとパンダは木登りをします。
見てみてお母さん、ボクこんな大きな木にも登れるんだよ。
けれども、お星さまには届きません。星を見上げるパンダ。
お星さまはきれいだな。光っている。
いつまで見ていてもあきません。そのうちパンダは木の上で寝入ってしまいます。
まったくあの子はわんぱくなんだから。
お母さんパンダは木の下で上を見上げます。
お星さまとかぶさって子どものパンダが光り輝いているようにも見えます。
お母さんパンダはわけもわからずなみだぐみます――。

パンダというのは何時間、見ていてもあきないんだ。
わたしは朝から閉館時間まで食事もとらずにパンダに見入っていた。
基地内にはいくつかパンダの遊び場がある。年齢によってわけられている。
どのパンダもかわいらしい。
現物を複数見て思ったのは、とにかくグタアとしている。だらけている。
むかし「たれパンダ」というのが流行ったでしょう。
あれは加工しているのではなく、リアリズムでパンダをとらえた結果なのだと認識する。
ぼけえっとしているパンダを見ていると、こちらの気分もやわらいでくる。
なにもむずかしいことはないじゃないか。パンダを見習おう。
たくさん食べて、きゃあきゃあ遊んで、ぐっすり眠る。これでいいのである。
パンダはほんとうにおいしそうに竹を食べるのである。
わたしも竹を食べてみようかと思ったくらいである。
それから楽しそうに遊ぶこと。楽しくて仕方がないって感じなのである。
寝ているパンダの気持のよさそうな顔もよろしい。
からだ全体のちからが抜けているというのがよくわかる。

駆けているパンダがいる。急いで追いかける。
ごろごろ回っている。かと思ったら、すくっと立ち上がりヨンダッシュ。
もとい、ヨンダッシュしているのはこちらで、向こうはパンダッシュである。
パンダッシュとヨンダッシュ、いったいどちらが早いのか。
本場のパンダには勝てぬ。ああ、行ってしまう。と思ったら向きを変える。
こちらへ走ってくるではないか。目があう。パンダが鳴く。
耳を疑った。パンダはほんとうに「くいーん♪」と鳴くのである。
少なくともわたしの耳にはそう聞こえた。
まわりにはだれもいない。恥も外聞もない。わたしも叫ぶ。くいーん♪
パンダが鳴く。くいーん♪ ヨンダも鳴く。くいーん♪
かくしてパンダとヨンダのこころはひとつになりました。ボクはとても幸福でした。

1日中パンダの園(その)にいると、いろいろなパンダの動きを見ることができる。
どれもすばらしっくかわいかった。パンダ萌えである。萌え萌え♪
しかしなんでパンダはこんなにかわいいのだろうか。
ひとつ間違えたらクマみたいなもんだよな。
白と黒のシンプルなところがいいのだろうか。
白と黒。正反対の色の調和しているのが人間の視覚に心地よくうつるのか。
わからん。なんでパンダがこんなにかわいいのか、わからん。
本場の中国に来てもわからんかったわい。
お土産を買い込む。日本を離れて2ヶ月半、初めて買うお土産である。
ここで買わなかったらどこでなにを買えというのか。購入品は――。
パンダぬいぐるみ。パンダ写真集。パンダのコースター。
閉館を知らせるアナウンスがあったので、最後にもう一度、パンダに会いに行く。
お別れを言わなければならない。もうひともまばらである。
とあるところでパンダとふたりきりになった。
わたし「ねえパンダさん、教えてくれないか」
パンダ「――」
わたし「はるばる中国まで来たんだ。いろいろ生き迷っていてね」
パンダ「くうん」
わたし「日本に帰ってからどう生きていったらいいか」
パンダ「くいーん♪」
わたし「くいーんってなんだよ。真剣な相談なんだぞ。生きるか死ぬかの」
パンダ「くいーん♪」
わたし「――」
パンダ「くいーん♪」
わたし「くいーん♪」
「くいーん♪」(声をあわせて鳴くパンダと人間)

バスで駅前に戻る。こんな幸せな日はなかったと思う。実に、すてきな、1日でした。
中国へ来て、とてもよかった。パンダと会えて、こんなうれしいことはありません。
生きているもんだな。人間、死んではいけない。生きていてよかった。
こころから、そう思ったのです。
中国成都のパンダさんたちに、こころの深い部分を慰められました。
このあと、きのうとおなじ食堂でいつものように浴びるほどビールをのみましたが、
パンダの美しい思い出に比べたら、
なんと俗悪で味気ないその場かぎりの慰めであることでしょう。
楽山から成都へはバスで3時間。バスは発車すると、すぐさま高速道路へ。
極めて快適なバス移動であった。
さて、成都へ到着すると客引きが群がってくる。
最後まで食らいついてきたのはおばさんタクシー。
おそらく非公認のタクシーと思われる。白タクとよばれるもの。
初めての土地で不安な旅行者を食い物にするハイエナ。
とまで書いたらかわいそうかな。
まあ、正規のタクシー料金にちょい上乗せするくらいのかわいいものである。
たしかに、なのである。ここがどこだかわからない。
ガイドブックの地図には掲載されていないバスターミナルのようである。
おばさんは市内まで60元だの、50元にまけるだのほざいている。

中国旅行の秘訣を書く。駅を目指せ、である。
どこの観光地でも駅近くに向かうのがよろしい。
なぜなら駅近くにはかならずホテルが複数ある。むろん競争になる。
ことの必然として、宿泊料金はさがる。
もうひとつは、駅周辺は安い食堂が多いということがある。
駅とは移動する無数の人間が交差する場所である。人間、腹がへればメシを食う。
食うやつがいるところには、かならず料理するものが現われる。
宿とメシの利便性を説いたが、駅付近をおすすめする理由はこれだけではない。
中国での長距離移動は列車がメインとなる。
となると、切符を買うにつけても、乗車する都合においても、
駅近くに宿を取るのが最適ということになる。
さらにだ。駅というのは町の中心である。
市内を移動するバスも、駅前を通過するものが多くなる。
市内観光にも便利なのである(タクシーで観光する金満旅行者はこの例にあらず)。
まだあるのである。
中国では駅の近くにかならずといってよいほどインターネットカフェがある。
それも24時間営業のところがほとんどである。
列車待ちで時間をつぶすときなど重宝する。
かようなしだいで中国長期旅行のポイントとして駅近くの宿泊を推奨する。
これから中国を旅行しようと考えているかたはぜひ参考にしてください。

成都でも駅前に宿を取ろうと思った。目指すは駅である。
白タクおばちゃんは、ウソばかり言う。駅はここからとんでもなく離れている。
駅へ行く公共のバスはない。50元。特別価格。これはぜったい安い。
わたしの腕をとって強引にタクシーへ連れて行こうとするのである。
からだをさわられるのがひどく嫌いである。消えろ、とすごむ。
体格だな。男ならからだは大きいほうがいい。舐められたら終わりである。
落ち着いて周囲を見まわすと、ほう、あそこにありましたか。バス停留所発見である。
バスの乗車方法はわかっている。駅に行くのはどれかな。
日本人だと漢字がわかるからその気になればバスくらいは乗れるのである。
これが白人だったらまず無理だろう。さっきのおばさんと値段交渉するくらいしかない。
ちょうどいま停まっているバスが駅へ向かうようである。
これだとわずか2元(30円)である。48元も節約したことになる。

バスのなかで車掌さんが親切に教えてくれる。
終点が駅だから、このまま乗っていればそれでいいよ(筆談)。
中国をもっとも印象づけるのは駅である。どの駅も実に堂々としている。
見ばえがする。その下をアリのようにうごめく中国人民――。
中国といったらまずこの光景が思い浮かぶ。
無数のアリにまみれ駅周辺をふらふらする。待っているのである。
ほい、来ましたよ。ホテルの客引きである。
日本の繁華街で客引きについていくのはバカだが中国ではそうでもないのだ。
かえって、安く宿泊することもできる。
というのも、客引きをだすくらい商売熱心なのである。
薄利多売をねらっているのかもしれない。
連れて行かれたのは駅のちょい裏手。招待所といったようなものではない。
立派なホテルである。これはさすがにわたしには不釣合いかなと思う。
いかにも高そうなホテルなのである。
しかし、待てよとも思う。楽山のホテルで、チャイナ娘の値引交渉を見ている。
ここでもあれができるのではないか。
フロントのある立派なホテルである。一泊260元とはりだされている。
これはダメだと帰ろうとすると、いくらなら泊まるんだとフロントの青年が聞いてくる。
メモに書く。一泊百元(1500円)。三泊するから三百元。これでどーだい?
あっさりOKが出る。あれ、中国のホテルって、いったい?
この疑問は旅の終わりまでついてまわることになる。
フロントのかれはなかなかの好青年。かたことの日本語を話す。立派、立派とほめる。

いいホテルに泊まるとやはり気分がいい。いいホテルとは――。
きれいなホテルである。清潔なこと。窓から見える景色がよければなおよし。
シャワーですぐにお湯が出ることも重要なポイント。
ここは実にいいホテルである。駅前で立地もいい。
ほんと1500円でいいのかと思ってしまう。
「地球の歩き方」掲載のホテルなど、みんな最低400元はする。
ガイドブックと現実のこの相違はどこから生じるのだろうか。
寝床が決まったらつぎは列車の切符である。
いや、書く順番を間違えた。最初に列車の切符を買ったのである。
それからホテルを決めたのだった。
拍子抜けするほどあっさり3日後の西安行き寝台チケットが取れたので、
記憶が薄れていたのかもしれない。

これでもう今日はなにもすることがない。となったら酒である。
まず寝酒用に軽いつまみと冷えていないビールを近くの売店で購入。
信じられないほどへたくそな英語をつかう女の子がかわいかった。
顔に吹出物ができていたけれども、あれは中華料理のせいなんだろうな。
わたしもおかしなニキビが顔にできていた(すぐに治ったが)。
中国の食堂はひどい油をがんがんつかうせいだろう。お肌によくないのだ。
って、どうでもいいですね。
10以上の食堂に聞いて回って、ようやく1軒冷たいビールをだすところを発見。
3元(45円)で冷たいビールがのめるとうれしい。
異国で初めての食堂へ入ることほど、刺激的で楽しいことはそうはありませんよ。
楽しいんだ。これが旅の楽しみの半分以上をしめるのかもしれない。
メニューを渡される。中国語である。漢字がずらり。
さて、これはなにかなと恐るおそる注文する。どきどきですわ。
油っこい中華料理でビールとあわないものなど皆無といってもよい。
そうそう、このときは覚えたての中国語でさっぱりしたものをオーダー(中日会話事典)。
出てきたのはキュウリと豚肉の炒めもの。
うーん、やっぱり中華料理はぎどぎどしてからいもののほうがうまいかも。
なんて思う。この店には3日間通いつめることになる。冷たいビールは偉大である。
峨眉山から楽山はバスで1時間もかからない。
どちらも世界遺産かつ仏教聖地。セットで観光するのが通常である。
バスで英語のうまい中国娘と知り合う。北京の大学生で、ひとり旅だとか。
よほどわたしがぐうたらに見えたのか、ホテルの世話までしてもらう。
「一緒のホテルに泊まりませんか」である。
ここで衝撃的な光景を目撃する。
中国旅行初期に彼女と知り合えたのは、とくに益するところが大きい。
中国人の値切るすがたを目前で観察できたことがなりよりも収穫だった。
彼女の選択したホテルは外国人のわたしを考えてくれてか、かなりムリメなところ。
うわっ、高そうと尻込みするようなホテルである。
フロントで金額交渉をする中国娘。うしろでお口あんぐりの日本人。
値切りかたが強引なんだ。まるで口論をしているかのようである。
何度もフロントはこれが底値だと金額を提示するが、
チャイナっ子は頑として首をたてにふらない。
フロントの価格表には260元と書いてあるのである。
それがいくらまで落ちたか。なんと100元。半額以下である。
恐るべし中国である。シナ娘がすごいのか、ホテルのいいかげんさがすごいのか。
これが中国であったかと、だらしない日本人はのけぞるばかりである。

部屋に入り、はてと思う。このような場合、隣の部屋をトントンすべきなのか。
お食事でもご一緒にとかなんとか。
けれども、めんどくさいな。わたしの酒量についてこれるひとはおそらくいまい。
疲れているから、ひとりでがぶがぶのみたいのである。
だが、こういうチャンスを逃してはならないのではないか。
旅先のロマンスってやつだ。
だけど、あの子、気が強そうだしな。いや、気が強い子は好きなんだけど。
なんて誘えばいいの。ここは誘わなくてはならないよね。
日本鬼子のイメージを少しでも改善させなければ。
などと逡巡(しゅんじゅん)していると、ドアがノックされる。あの子である。
「いまから外へ出ますので」
ああ、そうですか、なんて、あいまいな笑顔で見送るわたし。
ちょっとホッとする。やはりひとりのほうが気が楽でいい。
さみしがりやのくせに、その実、孤独が好きなんだよな。
孤独だと、だれかいたらと思うけれども、
いざひとと一緒だと今度はひとりになりたくてたまらない。
これをわがままという。

ひとりは楽しいな~お酒、お酒と歌いながら、町へ繰りだす。
このあたりでは鍋が流行っているようである。
どの食堂でもみな鍋を囲んでいる。
さあ、問題である。どこの食堂に入るか。混雑している食堂に入るのは旅先の鉄則。
よし、ここだと決める。ひとり鍋である。
食堂のひとは外国人かつひとり客なのにとても親切にもてなしてくれる。
ビールは冷えてないがやむなし。
からい四川鍋である。ウインドウで具を選び鍋へどぼんだ。
お決まりの白菜と、お、ウインナなんてあるのか。豆腐は欠かせないぞ。
それから、ううん、これは珍味だ。脳みそがある。豚か羊か。
珍味が好きなのである。あん肝や白子は日本での好物である。
楽山で食うひとり鍋はうんまい。
豆腐がね、おいちいの。からいスープにお豆腐ぷるりん。ビールをごくり。
火が通ったら脳みそをぱくり。これは想像通りの味だ。口のなかでとろけるよ~。
鍋はビールではない。勇気をだして白酒(ばいじう)を注文。
ほんとはものすごく怖いことなんだよな。
初めての町。それも異国。ひとり旅。だのに、強い酒をがんがん入れる。
命知らずというほかない。しかし、そういう危険な酒がうまいんだ。
いい気持に酔っぱらって店を出る。この店はいい。
明日もここでのみたいぞよ。成都へ行くのをあさってに延期する。ただ鍋のために、だ。

翌朝、ノックで起こされる。ドアを開けるとチャイナっ子。
「いまから観光に行きます。そのあとすぐ北京へ帰りますので」
ああ、それはそれは。昨日は、ええ、ありがたいことでして。
グッドなホテルをチープなプライスで、ともごもご。
本音は、野暮な日本人でごめんなさいである。それにしても早起きだな。
それに礼儀正しい(というのでしょうか)。
しばらくボーっとして、うんとこしょ。楽山大仏を見ますか。
ホテルまえでタクシーを拾おうとすると、これに乗れば5元でいいという声が。
あるタクシー。すでに中国人夫婦が乗っている。楽山に行くのだと言う。
いま助手席に乗れば5元でいいと言うのである。
それならばと乗車。楽山大仏に着くと、メーターは20元。
中国人夫婦は20元を支払い下車。
わたしが5元払おうとすると運ちゃんはメーターを示し20元だという。
こういうときに中国もアジアだと痛感する。
タイ人も、カンボジア人も、ベトナム人もこれをやる。中国人もやるわけだ。
けれども、日本人はこんなケチくさいこと、決してやらないでしょう。
東南アジアなら怒鳴ってすごむのだが、なんだかね、疲れてしまって。
もういいやと思いまして。かといって支払うわけでもない。
ただただぼんやりシートに座っていたわけさ。
ああいいよ。好きなようになさい。もう動きたくもない。そんな感じ。
すると困るのは運転手。新たな客が乗車したがっているのである。
今度は5元でいいと言う。はいはいと5元支払い下車。
東南アジアだったらかならずこういう場合は、車体に蹴りこみ、悪態をつくのだが、
もう旅も2ヶ月を経過して、いまいるのはあれほどあこがれた中国。
その中国からこんな仕打ちを受けるとは。なにかする気力はなかった。
疲れていたのである。

中国の世界遺産はカネを取るぞ。
だいたい100元(1500円)取られると思って間違いない。
中国に安価で滞在することは可能だが、観光しようと思ったら日本以上に費用がかさむ。
なぜなら中国で観光をするのはカネ持ちだけだからである。
峨眉山もバス代、入山料、ロープウェイ料金で5000円はかかったのではなかったか。
しかし、これをケチるような旅行をしたくはないのである。
たしかに激安招待所でごろごろしていればカネはかからないだろう。
食事も5元のソバで済ませたら1日1000円もかけずに生活できる。
だが、それではあんまりではないか。あえて無駄をしようと思っている。
この無駄からしか生まれぬものがある。
その不定形のものこそ、わたしが欲するものなのである。

有名な楽山大仏を見る。なにで有名かというと、
美しいわけでもなく、繊細な造形があるわけでもなく、ただでかい!
それだけである。でかい。
でかい大仏というのは、大仏とはそもそも大きい仏という意味なのだから、
あるいは間違った言葉遣いかもしれないが、でかい大仏というほかないのである。
インド仏教と中国仏教の相違は、レポートに書くのでなければ、
この程度の認識でいいと思う。
インドの仏様は中国に来て大きくなりました。
たぶんおいしい中華料理を食べ過ぎたんでしょうね。
で、大仏を見たからといって、感動するような旅行者ではない。
造りがちゃちいんだ。粗製というほかない。
いかにも中国産の大仏なんて書いたら13億のシナ国民から怒られてしまうので、
ありがたい、まこと、こころ洗われる大仏であった、ということにしておく。

「歩き方」には掲載されていないが、楽山のなかにまた別の聖地がある。
むろん別料金でゼニをふんだくる。しかし、ここは見てよかった。
洞窟のなかにたくさんの仏像があるのである。それがなんとも美しい。
ひとつの洞窟で胸打たれた。石を彫ってあるのである。
構図を説明すると、まんなかに仏様が鎮座している。
まわりに修行僧がおおぜい描かれている。小さな僧ばかりである。
ひとりの僧から目が離せなかった。とてもいい目をしていた。
ひとを殺すという目をしていたのである。
殺意は仏に通じるという感覚が、じつに見事に描かれている。
憎悪、憤怒、絶望から仏に向かっていく経路が、
論理ではなく視覚で一瞬にしてわかるようになっているのである。
とてもいいものを見た。ありがたいと思った。
まだそんな年でもなにのに仏像を見ると、ふしぎとなごやかな気持になる。
思えば、仏様に伴走していただいた旅であった。
タイ、カンボジア、ベトナム、あらゆるところで仏様と対面した。
専門家ではないからまるでわからぬのだが、
人間の顔としてみると、仏像それぞれに違いがあった。
その相違を見るのがおもしろかった。
いま中国にいる。
タイ、カンボジア、ベトナムと、ずっと仏様のうしろすがたを追ってきたようにも思う。
考えてみれば、3年前のインド放浪からなのかもしれぬ。
なにかが一本の線でつながったかのようなふしぎな感動が身を走る。

ランチはビールとチャーハン。中国で食べた最初の焼き飯はなかなかだった。
中国ではヌードル、炒飯のたぐいは信じられないくらい安いんだ。
これは高級料理店でも変わらない。
ヌードルやチャーハンは日本人にとっては一食でしょう。
けれども、本場ではそうではない。
何種類か惣菜を取って、スープもあり、ご飯で食べる。これが正式な食事。
チャーハンやヌードルは軽食。もっと言ってしまえばおやつくらいの感覚。
そのためかどの食堂でも3~10元(50~150円)も払えば食べられる、
もっとも安い中華料理のひとつになっている。

楽山見物のあとはバスで市内へ戻る。ふらふらお散歩。
スーパーを眺めたり、市場を冷やかしてまわったり。
大型書店で「我最高感動的日文」という本を買う。シリーズ3冊ぜんぶである。
日本語の感動的な文章が左ページに、その中国訳が右ページに掲載されている。
いわゆる日本語教則本のひとつである。
夏目漱石から村上春樹、トルストイ、アンデルセンまで抜粋されている。
トルストイは、訳文が日本語の名文という扱いなのかな。
あと日本語の会話集、単語集を各1冊ずつ。
なんとかして中国語を思い出したいのである。
だから、せめてもの参考になればと。まあ勉強のベクトルは正反対なのだが。
中国語で日本語を学ぶという。ともあれ、計5冊も買ったわけである。
レジで店員にぶち切れる日本人である。
書籍の扱いが雑すぎる。買った本の背中ページを押し開いて、書店のハンコを押す。
そういう決まりになっているのは想像がつくが、もう少し丁寧に扱ってもいいのではないか。
さらに本をレジの台に投げ出すのである。
投げ捨てるという形容のほうが正しいかもしれぬ。
本は大事に取り扱うものだと(日本人だからか)わたしは信じている。
思わず、店員を怒鳴りつけていた。もっと丁寧に扱えよ! 日本語である。
意味はわからないだろうが怒気は伝わる。
なにこのひと、おかしいんじゃない、という顔を女店員にされた。
おかしいのはおまえだ。おかしいのは中国だ。言ってやりたがったが中国語がわからぬ。
阿修羅の表情で外へ出る。

お酒の時間ですよ~。昨日の食堂へ。二日目だから気分はリラックス。
カルビのいいところが入ったというので、反射的にいくら? と聞いてしまう貧乏旅行者。
心配すんな。うちの店が高いはずがないじゃないか。聞くと、確かに激安である。
じゃあ、その肉と、豆腐ははずせない。あと野菜をてきとうにみつくろって。
今日も脳みそあるんだ。なら、もらおう。うん、まあ、このくらいで。
お鍋ぐつぐつ、お客さんいっぱい。各テーブルで鍋ができるようになっている。
まえに若者のグループが座る。最低価格の白酒で乾杯している。
女の子もひとりいて、彼女だけは酒をのまない。
みんな彼女にいいところを見せたいのか、がんばってのむこと、のむこと。
若いせいか、食うほうもすごい。
がつがつ食らい、がぶがぶのむ若者は見ていて気持がいい。
こちらも負けるもんかとなる。けれども白酒は、もう少し高いのをのませてもらうよ。
あれをのんだら死んでしまいそうで怖い。いや死ぬのは怖くないのだが、
えとあのその、海外旅行保険にも加入していないから、
ひとに迷惑をかけたくないというか、ごめんなさい、
小瓶1元(15円)の白酒はいくらわたしでものめません。
どういう酒か。空き瓶に入れられた、メーカーすらわからぬ酒である。
のんでみないかと店員にすすめられたが、笑ってごまかした。
今日もよくのんだものである。あしたはパンダだ。パンダのふるさと成都である。
ひとり鍋だけど楽しい。店内の客もみんな愉快に笑っている。
まあ、これだけうまくて、しかも金額は激安だから、しかめ面をしているほうがおかしい。
酔ったのか。店内をぐるりと見まわす。まるで仏様に囲まれているような気になった。
朝である。駅をでると、客引きのおばさんにつかまる。
駅から峨眉山のふもとまではけっこう距離がある。
バスを探してもよかったが、おばさんのいきおいに呑まれてしまった。
おばばくるまに乗せられ、いざ峨眉山めざして、である。
あるゲストハウスに連れて行かれる。テディベアゲストハウス。
例の熊のプーさんを、中国人らしく無断借用、宿のシンボルにしたところだ。
ここのオーナーもおばさん。いくらだ? 120元。高い。
いくらなら泊まるか。90元(1450円)にしてくれ。よし、それでいい。
こんな会話を中国語ではなく、英語で交わす。
もうからだが中国に適応しているため英語を話したり聞いたりするのが億劫だった。
英語が嫌いであることを自覚する。

なぜおばさんが英語を話すのか、しばらくして了解する。
ここはファラン(白人)専用のゲストハウスだったのである。
白人旅行者のバイブル「ロンリープラネット」(ガイドブック)にも、
優良宿として掲載されている。
ファラン嫌いのわたしは、まずいところに入ったと思ったが、もうどうしようもない。
しかし、どうして、ああもファランはうざいのだろう。
ゲストハウスの壁の一面に英語でくだらない落書きが。
ファランは自己主張が激しい。
植民地には、はっきりそうと示さなければ気が済まないのだ。
ここはレストランも併設していて、メニューを見ると、バカ高いファランめしばかり。
夜になると、それはそれはうざいこと。
欧米人特有の、わざとらしい笑み。きみトラベルをエンジョイしているかい。
そうかい、そうかいと、おもしろくもない話に余裕のある微笑。
なあ、まったくチャイナは困ったもんだ。欧米に比べて、なんとスローな進歩か。
だが、それもいいもんだ。ライフはエンジョイするものだ。
チャイナも、まあ、なかなかのものではないか。
要約すれば、「上から目線の共有」から生じる鼻持ちならぬ微笑である。
まったく殴りつけてやりたくなる。

中国を旅するファランの生態が判明する。
東南アジアではひとりで行動していた旅行者も中国ではグループ化する。
3人というのが、いちばん多いようである。
タクシー対策と思われる。3分割すれば安くあがるという計算だろう。
ファランはひとりでバスに乗れないのである。漢字が読めない。
さらにタイ、カンボジア、ベトナムだったら、
当たり前のように現地人に英語で話しかけていた白人だが(植民地と思ってだろう)、
ここ中国で人民に英語で話しかけてもいやそうな顔をされるだけであろう。
これは日本でも同様である。日本も白人は楽な旅をできない。
我われ日本人は道端で異人に声をかけられたら、まず逃げるでしょう。
それでいいのである。欧米列国に侵略されていない証拠なのだから。
かたいや東南アジア。あそこらは完全にファランから舐められているわけである。
だが、ことの必然として白人ガイドブックにはめちゃくちゃ書かれるわけである。
日本人は不親切だ。たいはんが英語を話せない。
そのくせアジアのぶんざいで物価が高い。

ゆうべは寝台で寝たので疲れている。
峨眉山へのぼるのは明日にして、ふもとを散策することにする。
まずは報国寺。仏教、道教、儒教、すべてが祀(まつ)られている。
中国人は現実主義者である。役に立つものにしか価値を見出さぬ。
言い換えれば、役に立ちさえすれば、なんでも一緒くたにしてしまう。
仏教、道教、儒教から3人の崇拝対象をピックアップして、寺のアイドルにしている。
いちばん奥の寺でババアの祈っているのが印象的だった。
白衣をはおったババアばかり数えきれぬほどで寺の構内を埋め尽くす。
おなじ文句の念仏(なのか?)をふしをつけてうたっている。
寺山修司の映画のような、えたいの知れぬ恐怖を感じる。
口称念仏というのは国を問わず無知蒙昧の大衆に相性がいい。
口を動かしているのだから、なにかいいことをしているという気分になる。
見返りを期待できるのもよろしい(たとえ死後の見返りであるにせよ)。
体内から聖なる言葉が出るという感覚も庶民には喜ばしいものではないか。
老いると人間は、おのが無力を知るにいたる。
結局、どうにもならないのが、おおかたの人生なのである。
そのとき称(とな)えることのできる呪文があるのはありがたいことなのだろう。
呪文の意味など、わからなくていい。わからないほうが、かえってありがたみがある。
中国の老婆の斉唱はいつになってもやまないので、わたしは寺の外へ出た。

伏虎寺(ふっこじ)へ行く。
ここへ行くまでの山道が、神秘なる中国を体現していて、味わい深いものがあった。
寺も中国を感じさせる。
龍あり虎ありで、我われ日本人の中国イメージとぴったり適合するのである。

酒をのもうという時間になった。どこでのもうか思案するのもまた楽しみである。
のみ屋ストリートのようなものがあったので、最初に目がついたところに入る。
冷たいビールをごくり。メニューを見ると、思いっきり観光地価格である。
おなじ料理でも昆明の倍は取る。
安い串焼きをまず注文する。これは峨眉山から取ってきたのではないか。
肉よりも、キノコのほうがうまいのである。それも安い(1本8円)。
安いキノコばかり食べていると、店主のおっさんがうるさい。
あれを食べろ、これを食べろと、しつこいこと、このうえないのである。
50元もするチキンだの、魚だの。
中国の食堂では、水槽に魚を泳がせているところが多い。
その場で殺して食べるのである。
新鮮な魚に、これでもかと調味料をふりかけ、油で焼くのが中国流である。
逆らう。魚香茄子を注文する。これは麻婆茄子みたいなものである。
出てきたのを見ると、肉が入っていないので怒る。
メニューをつきつけ肉入りと書いてあることを示す。
作り直すという。見にいったら肉なしの魚香茄子を再度、フライパンに戻している。
ここに肉を切って入れるという作戦だ。
それではダメだ。最初から作り直せと伝えたいが、そこまでの中国語は無理。
とにかく、いらねえ、食わねえとしりぞける。
わたしの怒りがホンモノであることを察知して、店主もあわてる。
筆談で交渉である。いらないむねを伝える。
店主の態度がいままでとはがらりとかわり低姿勢になったので許す。
明日もまた来るからビールを冷やしておくよう頼む。
中国で冷たいビールにありつくのはなかなか困難なのである。
宿へ戻って、またビール。パソコンをしながらのむ。つまみは高いから頼まず。就寝。

バスを出ると雪がふっているのである。峨眉山へはまずバスでのぼる。
おりると雪である。積もってもいる。これはてえへんだ。
わたしはTシャツのうえに長袖をはおっただけ。寒くてどうしようもない。
「歩き方」に書いてあるレンタルジャンパーの店をあわてて探す。
靴も藁(わら)ですべりどめの補強をしてもらう。手袋も購入。
この旅で初めての雪である。
日本を発ったのは寒い2月であった。タイ、カンボジア、ベトナムと夏だった。
夏というのは正確ではないかもしれないが、
ともかく日本では夏というほかない暑さだった。
突然の冬の来襲である。ジャンパーを着てもまだ寒い。
歩くほかない。大勢の中国人観光客とともに歩き始める。
皮肉ではなく、このような難行はいいものだ。
じぶんが仏法を求める修行僧になったかのような自己陶酔がある。
日本から仏心を求めて中国の冬山にのぼる。うーん、ヒロイックな妄想やね。
金頂からは眺めがいいと聞いていたが、吹雪でそれどころではない。

山頂近くの華厳寺に参拝する。中国の仏像に手をあわせる。
素朴な感想を述べると、中国はでかいんだ。なにもかもでかいが、仏像もでかい。
なにを愚かなことをと笑われそうだが、この大小がポイントではないか。
インドの仏跡で、大きな仏像を見たことがない。
どういうことか。インドのホトケが、中国に来ると大きくなるのである。
小乗仏教が大乗仏教になったなどと学問を無視してまでこじつけるつもりはないが、
それでも大きなホトケさまというのは、
中国仏教の真諦(しんたい)をあらわしているように思える。
大きいものにひとはなにを見るであろうか。
小さい箱と、大きな箱。ふたつにひとつ。通常どちらを取りますか。
ここでわざわざ小さい箱をお土産にするのがインド人だ。インド仏教だ。
欲望を煩悩と別称する思想である。
中国人は当たり前だろうと大きな箱を選択する。大は小をかねると言うではないか。
大きな仏教である。豊かな仏教である。
幸福をめざし、みながすがるに足る大きさを持った仏教、仏像である。
直感的に、中国仏教は「福」の宗教だとひらめく。「福」を求めるのが中国仏教。
比較したらインド仏教にはなんという語がふさわしか。「苦」ではないか。
「苦」を直視する宗教。
以上の仏教分類にはなんら学問的な裏づけはない。
ただひとりの日本人が――かれはインドにも行った――中国の雪山で
こごえながら考えたことである。中国の仏教は幸福と結びついている。
「苦」の仏教が中国で「福」になった。

販売所でカップラーメンとペプシコーラーを買う。
ペプシは当たり前だが、冷蔵庫に入れてなくても冷えている(雪山!)。
こっそり取り出すのはウイスキー。ベトナムで買ったものをペットボトルにつめている。
熱々のカップ麺をすすりながら、昼間の雪山でのむウイスキーコークが
どれほどうまかったかは、どう表現しても、ご理解いただくのはむずかしいと思う。
以前、このような表現をするのは作家(志望ふくむ)の怠慢だという指摘を
読んだことがあるが、どうにも表現できないのである。
からだの芯からこごえている。そこに熱いカップラーメン! ウイスキーコーク!

「地球の歩き方」には峨眉山観光は1日で可能と書いてあるがとんでもない。
万年寺、清音閣は予定を変更して明日行くことにする。
疲れきったからだで下山する。昨日とおなじ食堂へ。
今日はがんばったからと、魚を注文する。水槽へ見にいき、これをくれと注文。
まあ、中華風にじゃんじゃん油を入れて、よきにはからえである。
30元(450円)くらいだったのではないか。
もちろん好物のキノコの串焼きも店内にあるだけの在庫を食いしめる。
ビールもがぶがぶのむ。

翌日の万年寺、清音閣は山の中腹のためであろう。
雪もなくピクニック気分で、とても楽しいものだった。
山道を歩くことほど楽しいものはない。程よく汗をかいたら昼食。
やっぱりランチからビールをのんじゃうんですねえ。
けれども、中国人だって、平気の平左で、昼間からビールをのんでおられまする。
またもや魚香茄子をオーダー。麻婆茄子が好きなのである。
油を吸った茄子っておいしいよね。ご飯も注文。ビールものむ。ううん、太っちゃう。
穏やかな山道を歩きながら、突如、満州に行こうと思う。
まだ中国でどこへ行くかほとんど決めていない。
ところがこの日、好天のもと歩いていると、満州が思い浮かんだ。
そうだ。行こうと思えば、満州にだって行くことができるのである。
とりあえず敦煌に行くところまでは漠然と決めていた。
そのあとである。満州に行こうではないか。父の生まれたのが満州である。
10年近くまえだったか、いつか行くと約束をしたのを急に思い出した。
いまわたしがいる中国は父が誕生した場所でもあるのである。満州――。
このスケジュールだと父の誕生日に満州に行くことも可能かもしれない。
まだ時間はたっぷりある。
うまく行けば父の誕生した場所をたずねあてることもできるかもしれぬ。
よし、満州へ行くぞ。決意を固めたのはこのときである。
無心に歩いていると湖にでる。その湖がなんとも枯淡として味わい深い。
背景の山とひとつになって、まるで風景画のようなまとまりを見せている。
これほど中国らしい風景を見たのは初めてである。
美しいと思った。中国へ来てよかったと思った。

下山する。この日のうちにバスで楽山まで行く予定だが、
発車までまだ時間があるというので、ふいと目についた食堂へ入る。
餃子でビールである。なにか嬉しかったので、高い青島ビールを注文する。
まだ中国の旅は始まったばかりである。満州。ここがゴールになるのだろうか。
1ヶ月後のじぶんは果たしてどこにいるのか。
時間が迫ってきたので急いでビールを流し込む。
昆明で朝、起きたはいいが、なんにもすることがない。
昨日とおなじ食堂で二日連続、朝から坦々麺をすする。なれるとわるくないものだ。
今晩は7時半の夜行列車で峨眉山へ行くことになっている。到着するのは翌朝。
中国の寝台車に乗るのは初めてなので、疲れないようになにも予定を入れていない。
列車の時間までいかに時間をつぶすかだ。
荷物を招待所の専用ルームに預けると10元取られる。
さてこれで重い荷物のない自由の身。いまから晩までなにをするか。
歩こう。中国を歩こう。なんの目的もなく歩いてみようじゃないか。
果たしてどこに行き着くものか。
たとえどこに行ったとしても、昆明駅は町の中心。バスがないはずはなかろう。
万が一なにかあったらタクシーを使えばよい。
行き先も決めずに気の向くまま歩き始める。

パンダも歩けば本屋にあたる。中型書店があったので入る。
探すのはもちろん日本語書籍。日本を離れて2ヶ月。日本語が恋しくてたまらない。
どんなくだらない本でもいいから日本語の本を読みたかった。
日本ではあれだけの分量を読んでいたわたしが、
まったく活字とは縁のない旅行をしているのだ。ふふふ、日本語を発見。
安っぽい日本語の教科書である。
それでも、いわゆる教科書的な名文が収録されているのは魅力。
あるかぎり購入する。3冊で100元(1500円)くらい。

行きたいところは決まった。この日本語をどこか静かなところで読みたい。
ビールの1杯でものめればなおよし。
昆明といえば大都会である。だが、この都会には喫茶店がないのである。
静かにゆっくり本をひもとける場所が中国(昆明)にはない。
これは衝撃的な、そしてとても哀しい発見だった。
中国では本を読むような空間が町に存在しないのである。
食堂はあるにはあるが、食べたら出て行けという雰囲気。
ほかにコーヒーをのませる店というものがない。
いっそのこと一流ホテルへ入ろうか迷ったものである。
さすがにティーラウンジくらいあるでしょう。
そこで高いビールを注文してもいいから、いま手元にある日本語を読みたい。
けれども、一流ホテルにはどうしても入れぬ。
そこで入ったのがデパートだが、日本の百貨店のようなレストランコーナーはない。

仕方なく入ったのがマクドナルドである。
騒がしい音楽が絶え間なく流れているので、あまり読書には向いていないが、
ここのほかに読書をできる場所が昆明にあるとは思えない。
マクドナルドで日本語を読みながら、何度も落涙の危機に襲われる。
ちょっとでも感傷的なエッセイを読むと、目がうるんでしまうのである。
日本はいいなと思う。日本の情緒をとてもなつかしく思いだす。

コーヒー1杯でどのくらい時間をつぶしたのだったか。
インターネットもしたいので頃合を見て、駅付近へ戻る。
中国では、たいがい駅の近くに24時間営業のネット屋がある。
軽くネットをやって、さあのむぞと思う。
駅ビル(というのか、ともかく駅構内)に日本食レストランを発見する。
とんこつラーメンの店である。
哀しいが、中国ではとんこつラーメンが代表的な日本食なのかもしれない。
ここでカレー丼と、小鉢の和風惣菜2品をオーダー。
なんでも主食を頼むと、小鉢が安く買えるのである。
目当てはこの小鉢であった。日本食など、いつ以来であろうか。
高いが、冷たい缶ビールも売っている。店員はみな中国人。
どれどれ、日本人の我が輩が、味見をしてあげましょう。

これは日本食ではありません。営業をやめるべきです。
本音はこうだが、言うだけ野暮というものである。
かなり高額でも冷たい缶ビールがあることに感謝しなくてはならない。
初めての寝台列車が怖い。
こういうときに酒をがぶのみするわたしという人間を精神分析したら、
どのような結果が出るのだろうか。
ふつうは初めて中国の寝台列車に乗るなら時間に遅れぬよう最大限の注意を払う。
しかし、わたしときたら、酔ってしまえば怖いものなしと、大酒を食らう。
カレー丼はまずいのでほとんど残す。
小鉢ふたつも、どちらも半分しか食べられなかった。
さあ、寝台列車である。いちおうバックパックには先ほど買った昆明の地酒が入っている。
黄緑色の強い酒で、店員がやたらすすめるので買ったしだいである。

酔っているけれども、それでも緊張しているおかげだろう。
寝台のある車両はすぐに見つかる。初めて乗る中国寝台列車。
なんだ~と思う。プラットホームに売り子がいるではないか。
冷えてはいないが、ビールも大瓶1本3元(45円)で売っている。
もうぬるくてもいいか。ないよりましだ。ビールを2本仕入れる。
寝台に荷物をのせる。酔っているから、なにごとも陽気なものである。
でたらめな中国語を話しながらへらへら笑っている日本人最強!!!!
列車が動き始めると、すぐにビールの栓を抜きひとりで乾杯。
マイ栓抜きとマイジョッキはこの旅の必需品である。
ビールの2本など、すぐに消えてしまう。泥酔者になにも怖いものはない。
胸をはって食堂車へ。ここではぬるいビールが6元(倍ですね)もする。
だが、背に腹は代えられぬ。90円のぬるいビールを注文。
おかしな日本人客がいるというので、列車のスタッフが集まってくる。
みんなでのもうぜと、昆明の地酒をシートから持参して、みなにふるまう。
すると、カップラーメンをおごってくれるひとがいる。
ふむ、シナのカップラーメンは初めてぞよと、インスタント麺でビールをあおるわたし。
この後は記憶がない。地獄絵図が展開されたのではないか。

目が覚めると、まったく別の寝台にわたしは寝ていたようである。
思うことは、ほう、まだ生きていたのか、なのだからノンキなものである。
しかし、自己嫌悪はしっかりとある。ゆうべはだいぶヤンチャをしたようだ。
ううう、なにも覚えていないぞ。ジュースでものむかと食堂車へ。
列車の職員(工作員)みんながニヤニヤしながらわたしを迎えてくれる。
この列車でいちばん偉いトレインマネージャーがやたら親切にしてくれるのである。
なぜかわからぬが職員のためのまかない食のご相伴にあずかる。
食べろ、食べろと、賓客のような大もてなしである。
これはまずい。だが、思い出せぬ。ゆうべなにがあったか。
だいぶ国際交流をやったような記憶はあるのだが。あるいは日中親睦だったか。
お腹いっぱいご馳走になって、食堂をあとにする。
シートに戻ると、同席客からさんざんからかわれる。
ゆうべは、あなた、いったい何本ビールをのんだのですか。
ごめんなさい。まさか列車に乗るまえからのんでいたとは口が裂けても言えまい。
それにしても、あろうことか中国でこれをやってしまうとは。
日本の恥である。あたまをかきむしりたい。
けれども、と思う。トレインマネージャーも怒ってはいなかった。
あんがいすばらしい宴会を開催してしまったのかもしれない。
といっても、ひとにめいわくをかけたのは、ほぼ間違いないわけであり……。
あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~とうなっているうちに列車は峨眉山に到着した――。
朝起きて、外へ出てみる。昨日は暗くてわからなかったが、うーん、中国である。
眼前にそびえる巨大な昆明駅。うごめく無数の人民たち――。
人民、人民と歌いながら踊りたくなる。
中国でよくつぶやいたのは「人民め!」である。ひとり言。
中国人の厚顔無恥ぶりに辟易すると、かれらは人間ではないとおのれを慰めたものだ。
かれらは人間ではなく、人民なのだから仕方がないではないか。
昆明の朝は寒い。さあて朝食をどうするか。
招待所の横に位置する食堂がなかなか流行っているようである。
よし、食らおう。中華を食い尽くしてやる。

みなとおなじものを頼む。指さし、うなづくのみ。言葉はいらないのだ。
食べてみたら、あらら、これは坦々麺じゃあーりませんか。
日本を離れて2ヶ月。久しぶりの坦々麺である。
からいが、うまいが、しかし、だがな、いまは朝だぞ、モーニング。
なんで朝っぱらから中国人は坦々麺なんて食べられるのか。
見ると、坦々麺をすするのは、決して裕福とはいえない格好をした中国人ばかり。
ふうむ。そういうことかと納得する。坦々麺、4元(60円)なり。美味。
吐く息が白くなるほどの寒い中国の朝、熱くてからい坦々麺をじゅるじゅるすする悦楽。

昆明では、石林という奇岩で知られる景勝地が観光スポット。
けれども、ここに行くには観光ツアーに参加するしかない。
中国人のツアーに、ひとりで参加するのも気後れする。
寺だけでいいと思う。昆明では寺をひとつ見て、それでよしとしよう。
「歩き方」には円通禅寺というのが載っている。
売りは、唐代の古刹。現代ふうに言いなおすと、古いお寺である。
もちろんタクシーを頻繁につかえる贅沢旅行ではない。
バスを活用しなくてはならないのはわかっている。
しかし、どうやってバスに乗ればいいのかわからないのである。
タイ、カンボジア、ベトナムでも市内バスに乗ることはめったになかった。
外国人が日本に来たときのことを考えてください。
JRや地下鉄ならすぐに乗れるでしょう。バスはバスでも長距離バスなら乗車も容易。
けれども外国人旅行者が市内バスを乗りこなそうと思ったらたいへん。
日本人が日本で近郊バスを乗るのでさえ、見知らぬ場所ではむずかしいのだから。
この困難が、中国を旅する外国人にもふりかかる。

個人旅行でいちばん重要なことは決意である。決めること。
じぶんはここになにがなんでも行く。そう決断すことだ。
行き先を漢字でメモに書く。これを持ってバス停に行って聞きまわる。
人間、真剣に行きたいと思えば、たいがいのところへはたどり着けるというのが、
わたしの旅行信条である。
このたびも運がよかった。横断歩道で旅行会社の客引きに声をかけられる。
かれは石林ツアーにわたしを勧誘したいようだったが、
わたしにその意思ばないとわかると、ついでだからとでもいうように、
懇切丁寧にバスの乗車方法を教えてくれた。
バス停のわきに行き先一覧があること。
番号によって行き先がわかれているから、まずバスの番号に注意すること。
バスに乗ったら運転手か車掌に、目的地に着いたら教えてくれと頼むこと。
この親切な中国人のおかげで中国人だらけのバスに乗る勇気が出る。

バスは行き先にかかわらず一律1元(15円)である。
なんとか目的のバスに乗ることができた。もうこれだけで嬉しいのである。
ひとりでバスに乗れたということだけで感激できる。
この楽しさを知ってしまうと、海外にパック旅行で行くひとの気がしれぬ。
めんどうだから楽しいのである。達成感があるのである。
行き先を書いた紙を、さっとバスに乗り込みさしだす。
行くとうなづいたら運転手の近くに位置を占める。
運転手がふりかえって、ここだと示したら「ありがとう」と行って下車する。
わずか1元で円通禅寺に到着したときはとても嬉しかった。

白状すると、禅寺など舐めていたのである。
タイでもベトナムでも、数えきれぬほどの寺院を見てきた。
いまさら寺でもあるまいと思っていた。
まるで期待しないで寺へ入ったら――。
中国だ。これは中国の寺だ。思わず、泣きだしそうになった。
なみだがあふれていたことを告白する。
いかにも中国のお寺なのである。いま、わたしは、中国に来ている。
そう思うと胸をつきあげるものがある。
古来、多くの日本人が中国にあこがれてきたのである。
多くの仏僧が恋焦がれたのが中国である。
そのような大それた場所にいまじぶんが立っているということが信じられぬ。
中国の寺だから使用されているのは漢字である。
読んでいると、だいたいの意味はわかる。仏教。求法の欲望が刺激される。
知りたい。道を知りたい。これからどう生きていけばいいのか。
なにをすればいいのか。生きるとはどういうことなのか。死ぬとはどういうことか。
仏教よ、教えてくれ。仏像よ、口を開け。
おれは仏法を知りたいんだ。生死のからくりをかいま見たいんだ。

2時間ほど寺のなかをぶらぶらしていた。
「地球の歩き方」を開く。いま中国にいる。この昆明からどこへでも行けるのだ。
さあ、どこに行くか。仏教を追求したい。中国仏教を体感したいのだ。
どこもかしこも行きたいように思える。
中国は手強いぞ。東南アジアの小国とはわけが違う。
興奮して寺をあとにする。

まだ昼過ぎである。といって、なにもすることはない。行きたいところもなし。
「歩き方」を見ると、近くに動物園があるようである。昆明動物園。
結論から先に書くと「地球の歩き方 中国 06~07」の地図は誤り。
動物園の位置を正しく記していない。
結果、動物園に着くまでかなりの時間を要した。
動物園入口で飛び上がりそうになる。パンダの絵が描かれているのである。
パンダは成都が有名だが、ここ昆明にもパンダはいたのか。
まいっちゃうな。パンダとのご対面だよ。いきなりだな、突然だな。
どう挨拶しようかな。いろいろ迷いながらゲートをくぐる。
まずは猿の芸を楽しむ。
中国まで来てお猿さんでもないと思うが、悪くはない見ものであった。
それからはパンダの捜索である。
売店のおばさんにたずねて(筆談)悲しい事実が判明する。
半年前かそのあたりに昆明の大熊猫(パンダ)は老衰で崩御したとのこと。
ああ、パンダくん。まあ、いい。成都までお楽しみはお預けだ。

園内の喫茶店でおやつにフランクフルト。
なぜかここには冷たいビールがあったので2本のみほす。
値段は7元と相場よりも高いがやむなし。
ほろ酔いで園内をまわっていると遊園地が併設されている。
むかしから絶叫マシーンは苦手なのである。酔った勢いで乗ってみようかと思う。
どうせヒマだしぃ。10元(150円)をケチってもさぁ。
中国のちんけな遊園地であそぶ孤独者は美しいかもしれぬ。
「酔ったひとは乗っちゃダメよん」の注意書きを無視して侵入。
感想は、ダメなものはダメ。むかしと変わらず絶叫マシーンは苦手。
気持が悪くなった。こんなもののどこが楽しいのかわっぱりわからない。
けれども、さっきまで仏教に打たれていた求道旅人が、
もう酔っぱらって絶叫マシーンですか? あんまりじゃないですか?
じぶんでもそう思うが、これがわたしなのだと開き直るほかない。

無性に歩きたい。行きはバスで来たが、帰りは駅前まで歩くことにする。
中国を足で味わおうなんて大仰なことを思っていたのかもしれない。
中国の、それも昆明なんていう大都市は、東京と変わらないわけである。
歩いていて、それがよくわかった。
べつに中国を感じさせるものなどなにもない。
マクドナルドがあって、どこかで見たようなデパートがあって、そのくらいである。
少しがっかりするが、それでも駅に到着するとなんだか嬉しい。

まずはシャワーだ。それから今日はどこでのむか。
駅前の大通りから、いくばくか裏側に入ったところでのむことにする。
昆明駅前の食堂は、だいたいこんなスタイル。
店の前にウインドウが。そこに今日の惣菜が盛りつけられている。
チャーハンに惣菜3品でいくら、というように金額が決っている。
アルミのプレートにじぶんで惣菜をのっけてかまわない。
さて、今日おもむいた食堂は――。
またもや「ミシミシ」である。ゆうべの食堂でもそうであったが、
日本人であるむねを伝えると、中国人は決って「ミシミシ」と言うのである。
意味はわからなくても、言語というものは感情を伝える。
「ミシミシ」が日本を愚弄する言葉であることは間違いないのである。
だが、意味がわからない。
この後、日本語を解する中国人に会うたびに「ミシミシ」の意味を聞いたものである。
知ってか知らずか、だれも教えてくれなかった。
この言葉の正確な意味を知るのは、敦煌到着まで待たなければならない。
どうかみなさまも敦煌までこの謎をお忘れなきよう。
筆者もみなさまを少し焦らしてみたくなりました。

といって、そこまで反日感情が強いというわけでもない。
テレビで放送されるような反日運動は、まあ特別なものといってよい。
たとえ概念として日本人が嫌いでも、
いま目のまえに日本人がいたら、かれをことさら嫌う理由はないのである。
この食堂でもめずらしい外国人ということでだいぶよくしてもらった。
ビールはぬるかったけどね。
この食事スタイルは気に入っている。
たくさんのおかずを少しずついただけるのは酒のみにとって悪いはずがない。
酒場歌手がまわってくる。おばさんとおねえさんの中間。
お客からカネをもらって歌うのである。
ムード的にわたしが頼まなければならない雰囲気になった。
10元(150円)だというので、まあいいかと一曲お願いしてみる。
中国歌曲などひとつも知らないので、国歌をお願いしたら場が騒然とした。
日本人は、ほらさ、中国人とかいうと愛国心のかたまりのように思うじゃない?
けれども、いざ国歌を頼んだら、みんなニヤニヤしているわけだよ。
歌手さんも、歌いたくないビームを発している。
仕事だからと中国国歌を歌い始める歌手。
みなさん、こんな想像をしてはいませんか。
中国人のことだから、肩を組んだりして、みんなで国歌を合唱とか。
同志よ立ち上がれ~とか。
ぜんぜんそんなことないのだ~よ。食堂の人民はみなふきだしそうになっている。
まあ、カラオケでいきなり「君が代」を歌い始めたバカがいるって感じ。
へええ、中国ってこうなのかと発見があった。
朋友、朋友♪ のところでわたしも笑いだしそうになって、
けれども、ここで笑ったら国際問題だぞとみずからを抑えてぐっとこらえた。

この食堂で新しい酒にトライ。
でかい旅行カバンをかついだ男性ふたり組が来店。
一品物の惣菜のあとに、それを注文したのである。それは小瓶に入れられた液体。
かれらは熱々の惣菜をひと口つまむ。それから目をつむって、えいやとそれをのむ。
いかにもまずそうにのむのである。
負けるもんかと思う。日本男児、ここにありを中国国民に知らしめなければならぬ。
おい、オヤジ(と言ったのだったか)。
わしにもその酒をくれんか。ああ、それだ。そこの若いのがのんでいるそれ。
これが白酒(ばいじう)との出会いであった。中国版の焼酎である。
アルコール度は、ウソじゃないぞ、52度だ~(口から火を吹く)。
先ほどのご両人に見せつけるようにわたしも白酒を口にふくむ。
くわああ、まずいぜえ。だが、吐かぬ。どかんとのみほす。
ふたりも「やるなあ」という顔でこちらを見ている。ふっ、大和魂さ。

ふらふらになって店を出る。しかし、まだのもうというのだからこの日本人は。
屋台で串焼きを売っていたので、酒のあてにしようと数本注文。
ホテルには昨日購入したぬるいビールがまだ何本かあったはず。
焼けるのを待っていると、昆明でも女衒(ぜげん)のババアが声をかけてくる。
中国って、もしかして、売春天国なんですか~。
マルクス主義がどうして売春を誘致するのか考えてみようと思ったが、
この泥酔状態では無理である。とりあえず女衒おばさんにはお引取り願う。
お土産の串焼きを片手に、つぎはビールだとニコニコしながら
昆明の闇を千鳥足で歩くわたしであった。
朝9時のバスで河口から昆明へ。
吐くのはいやなので朝からなにも食べていない。
果たして昆明へは何時に着くのか。ガイドブックに載っていないからわからない。
もちろんバスの運転手にも乗客にも聞いたさ。
答えはひとそれぞれ。うーん、アジアンタイム。

バス車内に外国人はわたしひとりである。
はたと気づく。ついにファラン(白人)を引き離したか。
タイからカンボジア、ベトナムといつも態度のでかいファランと行動をともにした。
バスに乗れば決ってファランがかたまって、尊大にも周囲を見くだしていた。
けれども、中国までは追いついてこれなかったか。
それもそのはずである。河口に入って驚いたのはまったく英語が通じないこと。
これではファランは中国を個人旅行できない。
ところが日本人は可能なのである。漢字でだいたいの意味ならわかる。
中国語を話せなくても、筆談という手がある。ざまーみやがれ毛唐どもよ!
さらばだ、ファラン!
白人連中はベトナムからラオスに向かうしかないのである。

悪路と聞いていたがそれほどでもないので拍子抜けする。
だが、最初のトイレ休憩はそれなりに衝撃的だった。中国公衆便所初体験。
よく知られていることだが、中国の公衆便所にはドアがない。
小のみならず大もである。いろいろなタイプの公衆便所があるが、
いまから思えばはじめてのトイレはかなり原始的な部類に入ろう。
中央に下水道のようなものがある。
あたまのなかで長い赤線を横にひいてください。
その線に大便小便が落とされる。ついたてはいちおうあるが下水は共同。
よし、図示してみようではないか。

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               ↑ ←♂
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便所に入る。ひどい悪臭に襲われる。大便をしている人間と目があう。
こういう手順である。クソをする人間というのは、どうしてああも滑稽なのだろう。
中国で知りえた真理のひとつである。
よくもまあ、ひとまえでウンコをできると思いませんか?
しかし、これが中国なのである。中国人=たとえひとごみの中心でもクソをできる民族。
こうご記憶なさることを推奨する。
かの国の漢字を用いて四字熟語で中国国民のメンタリティを表現するならこれしかない。
厚顔無恥――。中国人は厚顔無恥である。

ランチタイムに休憩を取るのはアジア各国とおなじである。
ドライブインのような食堂へ。
どう注文したらいいかわからない。こんなところへ来る外国人は少ないのだろう。
見よう見まねで食べものにありつく。
食べられさえすれば、なんでもよかったというのが本音である。
酒を売っていないのは腹立たしいかぎり。飲酒運転防止のため。
魚の煮つけを食らう。ご飯がやたらと多い。かっこむ。まずい。
テーブルのまえのおっさんが話しかけてくる。わかるはずないだろうが。
このおっさんはわたしが外国人であるということを理解できない。
中国は広いから、おなじ中国人でもことばが通じないこともめずらしくないのである。
さしてうまそうにも見えぬチキンをがむしゃらにメシとほおばる中国人に恐怖する。
まだ中国3日目なのである。
バスに戻る。途中の売店でようやく缶ビールを発見。命の水である。

バスが昆明に着いたのは、もう暗くなりかけたころである。
ここで降りろと言われたわけではないが、みんなここで下車している。
わけもわからずバスから出る。しかしバスターミナルでもなんでもない。
いったい、ここは昆明のどこなんだ。
寒いというのもいけない。4月初めの昆明は寒い。ジャンパーを着ているものさえいる。
バスは乗客を降ろして去ってゆく。乗客もおのおの散りぢりに。
いままで2ヶ月、アジアを旅してきて、こんなに困ったことはなかった。
アジアならどこでも、バスを降りたら客引きが群がってきたものである。
悪人顔をさけて、そのうちのひとりについていけばそれで寝床は確保できた。
ところが、ここ昆明では客引きどころか、だれもかまってくれない。
こごえるくらい寒い。半袖のTシャツでいるのはわたしくらいである。
あわてて長袖のシャツをはおる。
さてと思う。さて、どこに行けばいいのか。
まずはである。ここがどこだか知らなければならない。
しかし、だれに聞いたらいいのだ。中国では英語は通じないのだから。
とりあえず駅へ向かおうと思う。
昆明からは列車で移動するつもりである。切符を売っているのは駅。
駅前に宿を取るのが、いちばん都合がよいように思われたのである。
警察官の乗ったくるまが近づいてきた。
助けを求めた。駅はどこですか。嬉しいことに、乗せていってくれるという。
くるまでわずか5分。昆明駅に到着した。
このときの中国の警察官にはほんとうに感謝している。
寒くて、場所もわからぬ。あんなに心細かったことは後にも先にもない。

駅の切符売場はすぐに見つかった。
「地球の歩き方」によると、中国では列車のチケットがとにかく取れないという。
どこかに到着したら、その足で、つぎの行き先までの火車票(列車券)を取るべし。
昆明のつぎに行くのは仏教の聖地、峨眉山――。
昆明にはさしたる魅力を感じていない。早く移動しなければ。
しかし、中国の列車のチケット購入方法からしてわからない。
まず時刻表が必要である。制服を着た駅員に「我要時刻表」と書いてみせる。
売店へ連れて行ってくれる。1元の新聞紙の裏側に昆明発着の時刻表がある。
謝謝である。ほとんどなんの予備知識もなく中国へ来ているのである。
思えば、わたしが時刻表の読みかたを覚えたのは3年前のインド放浪であった。
ふむふむ。昆明から峨眉山へ行く寝台車はある。
これを紙に書いて窓口にだせば切符を買えそうだぞ。
個人旅行では、ひとつひとつ目先の問題をクリアーしていくしかない。

列車はなんとかなる。ならまず荷物をどこかのホテルに置くか。
ここでもわからないことだらけなのである。
河口はベトナムとの国境の町。まあ、ベトナムとおなじであった。
しかし昆明はきっすいの中華人民共和国である。
「地球の歩き方」によると、外国人が泊まってはいけないホテルがあるという。
で、このガイドブックに掲載されているのは高額のホテルばかり。
300元や400元のホテルしか紹介されていないのである。
1泊に5000円は払えない。どうすればいいのか。
駅前をふらふらしていると客引きにつかまる。待っていましたよ!
1泊90元の招待所へ連れて行かれる。たしか招待所は外国人はダメと……。
「我不是中国人(中国人じゃないんだ)」
かれの返答は「可以、可以」である。クーイー、クーイー。
なつかしい中国語だ。そうかクーイーなのか。うん、クーイーってことにしておこう。
チェックインをいいかげんに済ませる。
中国のホテルの室内は暗いところが多い。ベット横にしかあかりがないことも多々。
なぜかはわからぬ。ほかの東南アジア諸国と異なるところである。

荷物を置いて、ホッとひと息つくが、まだ今日やるべきことは終わっていない。
あさっての寝台券を取らなければならない。
何個か候補を紙に記して行列へ並ぶ。思うは、ビールである。
チケットを取ったらゆっくり中華料理でビールをのめる。
まえにエッセイで中国鉄道旅行の苦労を読んだことがあるが、
実際はまったくそんなことはなかった。すんなりあさっての寝台券が取れる。
ようやくビールタイムである。駅前の安食堂に片っ端から聞いて回る。
なにを聞いて回るのか。冷たいビールはあるかである。
ところが「没有(メイオウ)」ばかり。
10以上の食堂でたずねたがどこにも冷たいビールはなかった。
しかし、酒はのまなければならない。ぬるいビールでがまんすることにする。
ビール大瓶3元(45円)。食事は15元(225円)で惣菜を取り放題。
麻婆豆腐やらなじみの中華でぬるいビールをごくごくのんだ。
むろん外のみだけで終わるはずもない。
この日は売店で冷えてないビールを買って部屋のみ。
昆明に来て、ようやく中国来訪の実感が生まれる。なにより麻婆豆腐を食べた。
中国め。人民め。負けるもんか。おかしなファイトを燃やしながら寝入った。
へえ、こいつも日本人か。
河口の中国銀行で両替をしていた。両替にはパスポートが必要である。
うしろに並んでいた男性も赤いパスポートを持っていたのである。
同国人の気安さで声をかける。
「この角というのはなんなのですか」
中国の通貨には元の下に角がある。モウと呼ぶらしい。
「中国の公衆便所はカネを取りますが、そういうときにつかえますから、
捨てないほうがいいですよ」
親切に教えてくれる。銀行のまえに大きなスーパーがあるという。
ここも角単位で価格がついているとのこと。
感謝して、さっそくスーパーへ入る。まずなんといっても酒である。
中国ではどのような酒が売られているか。
ビールとワインには事欠かないのである。
しかし、棚のどこを探してもウイスキーはない。
タイ、カンボジア、ベトナムは、ウイスキーに伴走してもらった。
バックパックのなかには常にウイスキーが入っていた。
外でのむのはビール。ホテルの部屋に戻ってからはウイスキー。
バランスが取れた飲酒生活である。
けれども、まさか中国にウイスキーがないとは。絶句する。

河口の町をぶらついていると、また先ほどの男性と会う。
「こんな時間から置屋ですか?」
かれの第一声である。年齢はわたしと同じくらいか。
サングラスをかけている。日本人長期旅行者特有の求道者めいたところはない。
バカンスとして旅を楽しんでいるといった様子である。
チャラいと言ってしまえばそうなのだが、ふしぎと不快感はない。
「置屋、行きましたか?」
「昨日、バイタクに連れて行かれましたよ」
聞くと、かれは毎日置屋通いをしているという。
最安値は50元だったと自慢するが、嫌味なふうには感じない。
じめじめとしたところのないのがよろしい。
どこのホテルに泊まっているのか聞かれる。そこの70元の、と口を濁す。
かれは30元(450円)のところに宿泊しているとのこと。
ホテル代はけずって、もっぱらオンナにつぎこむ方針のようである。
このへんは異常なほど買春目的の日本人が多いらしい。
すでに日本を離れて3ヶ月半。バンコクから入って、マレー半島を南下。
再度、タイへ戻り、ミャンマー、中国と足を伸ばした。
そろそろビザが切れるので、これからベトナムへ日帰りで行く。
中国はビザなしで15日間滞在可能。
ひとたびベトナムへ出れば、また15日間いられるという仕組みである。
ネットカフェの探しかたや安食堂の場所を教えてもらう。

夕方、バスの停車場におもむく。河口から昆明(こんめい)へはバスしかない。
かつては列車もあったようだが、いまでは移動手段はバスのみである。
翌朝のバスチケットを取っておこうと思ったのである。
バス乗り場に大きなリュックを背負った旅行者がいる。
日本人には思えないので、英語で話しかける。バスのチケットはどこで買えますか?
向こうも(わたし同様に)へたくそな英語で教えてくれる。
かれはいまから夜行のバスで昆明に行くという。
「なんだ日本人じゃん」
最初に気がついたのはわたしである。お互い、声をだして笑う。
かれは壮絶な世界旅行者である。
もう日本を離れてから1年近くなるというではないか。
まずオーストラリア。そこで英語を勉強して、西欧各国をめぐる。
アフリカ。南アメリカ。アメリカ合衆国。インド。東南アジア。
このような旅をしている。もう旅も終わりが近づいているらしい。
南アフリカ共和国とペルーで強盗に遭った話は衝撃的だった。
あわせて100万円近く取られたという。
親に借金して旅を続けているとのこと。
人間がとてもいい。放浪者にありがちな臭みがまったくない。
すごい世界一周をしているのに自然体なのが、なんとも好ましい。
かれのことを好きになる。
「いちばん良かった国はどこですか」
「国というより、人間がおもしろいですね。
どの国へ行っても人間が変わる。そこがとてもおもしろい」
それでも、強いてあげるならミャンマーがよかったという。

ふざけて河口の話をする。知ってました? ここ売春で有名らしいですよ。
なんでも50元でやれるとか。
さっき聞きかじったことを、知ったかぶって語るのは、旅行者の常ゆえお許しを。
「え、50元? 安い。なら、いまから行ってこようかな」
「すぐそこですよ」
「荷物どうしよう」
「見ててあげますよ」
「いや」とかれは思い直す。「ぼくはミャンマーで悟ったんです」
もう性欲には振り回されないと真剣に語る表情がおかしい。旅人っていいよな。
聞かれる。「なんで夜行のバスで行かないんですか」
ホテル代も浮くし、夜行なら寝台で横になれる。
寝ているうちに着くのだから楽ちんではないか。
ここで旅なれたかれを、ちょっぴり脅してみる。
河口から昆明のバスは道がひどいって有名ですよ。
寝台バスだと一睡もできない。
さっきあった日本人(サングラスくん)も、そう言ってました。
かれは昆明から来たんですけど。寝台はゆれる、くさいで眠れないって。
もっと脅す。どちらのチケットを取りましたか。
河口から昆明に行くバスはふたつのルートがあるんです。
ひとつは比較的楽だけど、もうひとつは地獄だって。みんなげえげえ吐くとか。
ベトナムのネットカフェで仕入れた知識を披露(ひろう)する。
見ると、かれの持っているチケットは地獄経由のバスである。
「まあ、旅なれたかたですから、大丈夫だと思いますけれども」
最後には、しっかりと励ますのを忘れない。
バスに乗るというかれと別れる。1年も世界各地を旅するってどんな感じなんだろう。
この夜もゆうべ同じ屋台でビールをしこたまのむ。女衒(ぜげん)に誘われても無視。
世界旅行者のかれのようになにかを悟ったわけではないけれども、ね。
「アジア漫遊記」はまだ完結していない。
いちばん印象深かった中国のことを書いていないからである。
今日、明日のふつかでなんとか書き切ってしまいたいと思っているが、無理かもしれない。
基本スタイルは備忘録。
中国を出国したのが5月17日だから、もうすぐ3ヶ月である。
もはやギリギリという感もある。
なんとか記憶に残っているかぎりを書きとめておきたいと思う。
なお、旅行者にとっていちばんかんじんな金額のデータはすでに忘れてしまった。
交通費や食費にまつわる詳細かつ正確な情報は期待しないでもらいたい。
それと、これいわゆる旅エッセイではない。
公刊されている旅行エッセイと比較するとたぶんに物足りないと思う。
伏してあやまりたいが言い訳もある。
とにかく忘却が怖いのだ。旅がなかったことになってしまう。
いまここに荒いスケッチでもいいから記憶を文字化しておきたいと思ったゆえんである。
なお、文章の性質上、あまり凝った文体を選択することは不可能。
誤字脱字をなくすのはもちろんだが、それ以上のものを期待されても困る。
要約すると、ほんとうに申し訳ないが、これから記すのは自己満足の旅行メモ。
写真1枚すらないものである。
はじめに謝罪して気が楽になったので、本文を書き始めることにしたい。

日本を出国したのは2月4日。バンコクからカンボジアへバスで。
カンボジアからベトナムへはボートで入国した。
丸まる1ヶ月をつかい南北ベトナムを縦断。
ベトナムのラオカイから中国の河口に足を踏み入れたのは4月1日である。
早朝から少数民族の集まるバックハー市場へ行っていたので、国境越えは夕方であった。
中国の入国でもめる。役人が通してくれないのである。
理由はパスポートの写真。この旅券を取得したのは1998年。
9年前の顔写真と、いまのわたしの顔が違っているのは当たり前であろうに。
中国役人は真剣にパスポートを疑ってかかっている。
あとで日本人旅行者にこのことをパスポートを見せながら話すと、
中国役人は間違っていないと笑いながら言われた。
それだけこの9年間で顔が変わってしまっているのである。
もう日本を出国して2ヶ月が経過している。
このくらいのトラブルであわてるはずもない。
その場に座り込み、「いいですよ、何時間でも待ちますよ」とふてくされる。
30分ほどパスポートを調べていたのだったか。
ようやく中国へ入国させてくれる。

中国――。中国である。ほんとうにこの国に来ることができるとは。
10年近くあこがれていた国である。
こんかいの旅で中国へ来る予定はなかった。
タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスとめぐり、またタイへ舞い戻る。
これが当初の計画だった。
ベトナムのニャチャンで運よく「地球の歩き方 中国」を入手することができ、
中国行きが実現したのである。
いま中国にいる。わが足は中国大陸を踏みしめている。
そう思うと叫びだしたいような感動があった。からだが震えていた。中国だぞ。

さっそくバイクタクシーにつかまる。
東南アジアならどの観光地にもいる旅行者をたかるやからである。
いいホテルを知っている、が関係するきっかけだった。
だまされようと思った。顔を見るかぎり小物である。
多少はたかられるだろうが中国入国初日。中国人になれておくのも悪くない。
こういうろくでなしの特徴は友人を装うこと。金額をはじめに聞いても言わない。
もうタイ、カンボジア、ベトナムで、このようなチンピラには慣れっこ。
せいぜいお互い利用しましょうや、と思う。
最初に連れて行かれたホテルはうるさいからダメ。
屋上で工事をしている。うるさいからいやだと言う。
違うな。言ってはいない。身振りで伝えたのだ。
このバイタク(バイクタクシー)の運ちゃんはまったく英語はしゃべれない。
つぎに連れて行かれたホテルは、まるでラブホテルのようである。
めんどくさいのでここに決める。70元(1050円)だ。

脳が興奮している。記憶が反乱を起こしている。
バイタク兄ちゃんの話す中国語が断片ながらわかるのである。
大学で2年間、中国語を勉強したことがある。10年ほどまえの話である。
それでも若いころに覚えたもののためか、まだ残っているのである。
外国旅行で必要なのは、なんといっても数字である。
金額交渉、バスの出発時間、到着時間。数字がわからないと話しにならない。
ホテルの一室でこずるそうな運ちゃんに基礎中国語の講義をしてもらう。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、100である。
聞くと、耳が覚えているのである。
ちなみにベトナムには1ヶ月も滞在したが「1、2、3」しか数字を覚えていない。

よかったと思う。じぶんは中国語を習ったことがある。これがなんと自信になったか。
バイタク運ちゃんとの筆談交えの会話で、脳がびりびり震える。
「オンナを買わないか」としきりに言う男である。
聞くと、かれには妻子がいる。36歳と言っていたな。
こちらを信用させるためか自宅へ招待してくれるという。
なんでも見てやろうである。こんな命、惜しいもんか。
バンコクで帰りの航空券を捨てたときにじぶんに言い聞かせたことである。
いつ死んだってかまいやしない。むしろ、死ねたらこれ幸いだ。
行きましょう。お宅訪問をさせてくださいな。
かれの住むアパートはバイクで15分ほど。
奥さんと子どもがいる。ううむ? もしかして、こやつ、ほんとうに信頼できるのか。

なにをしたい? 朋友(パンヤオ)だからなんでも言ってくれ。
そうだな、まずはビールだ。それから中華料理でも食おうじゃないか。
うん、おごってやる。
バイタクに連れて行かれたのは、けっこうな構えのレストランである。
このあと中国各地でものを食うことになるのだが、かなり高級な部類に入る。
注文は中国人にまかせる。金額は、まあ、たかが知れたものであろう。
チンジゃオロースが20元(300円)くらいだったかな。
そうそう、なんでこんなに余裕があるかというと、カードが使えたからである。
シティバンクのワールドキャッシュカード。
世界のどこのATMからでも、日本の預金を、それも現地通貨で引き出せますよ、
というのがこのカードのサービス内容。
ガイドブックによると中国銀行のATMならすべてOKとのこと。
先ほど、おそるおそる調べたら、ぶじに中国元の札束がでてきた。
ただし、恐怖したことも記しておかなければ。
河口の中国銀行ATMでは暗証番号を入れなくても現金が出てきた。
どういうことか。もしわたしがこのカードを奪われたとする。
犯人は暗証番号を知らなくてもカネを引き出し放題ということである。
落とした場合も同様だ。

ビールを頼む。運ちゃんはビックブルという栄養ドリンクをのんでいる。
しかし、中国って国は! ビールが冷えていないのである。
4月の河口はかなり暑い。なにゆえビールが冷えていないのか。
ここから10キロも離れたベトナムでは、みんなビールは冷やしてのむぞ。
ぬるいビールなどのめるか。憤慨すると、運ちゃんが席を立つ。
氷を持ってきてくれるというのである。
よろしく頼むってやつだ。氷到着で、ようやくビールである。
1本で足りるはずがない。ビールのおかわり。
またバイタクの運ちゃんをパシリにつかう。よく働くナイスガイである。
ナイスガイは欠食児童のような食いっぷりである。
何日もまともなものを食べていなかったのだろうか。
もにすごい勢いでおかずとご飯をほうばる。
酒のみのわたしはあっけにとられながら、ビールをぐびぐび。
かれがひと息ついたようである。
満腹したかれは、なんとも動物的な満足感を見せている。
さあ、メシはもういいな。つぎはオンナだな。これではまるで動物である。

好奇心からついていく。河口というのは売春で有名な町である。
マーケットの2階、3階に巨大な売春街がある。
まんなかは吹き抜けになっており、ぐるりと1周、置屋が並んでいるのである。
30~40は、その手の店があるのではないか。
いちおう床屋のスタイルになっているところが多い。
日本の散髪屋をイメージしてもらってかまわない。
鏡があって、髪を切ってもらう椅子があってという、あれである。
そこに女がたむろしている。男が通りかかると強引に店内へ誘い込む。
商談がまとまったらふたりで奥へというシステムらしい。
もとより見学だけのつもりだが、まあ、すごいもんだ。
白痴美という言葉がはじめて実感をもって迫ってきた。
バイタクの運ちゃんが置屋のババアと交渉している。
申し訳ないが、片言ならわたしも中国語をわかる。
なにを話しているんだと聞き耳を立てると、リベートを取るとか、
そういった類の悪だくみではないのである。
日本の友人だからよくしてやってくれと言っている。
まあ、こちらに買うつもりはないのだが。
そんなわけで置屋の密集地帯をぐるりと回る。
もうひとつ、似たような売春マーケットがあるのだから、まったく河口って町は。
そこにも30店舗近く娼婦のつどう床屋があった。

なぜだ。なぜおまえはオンナを買わないんだ?
なんでだろうね。買うものではないと思っているからかもしれない。
バイタクとホテルへ戻る。
お兄ちゃんの目がねちっこさを増す。さてと、そろそろかな。
こずるそうな表情でこう言ってくる。今日はだいぶガイドをしたと思う。
いくらくらいお礼をしてくれるかな。
やらなくていいだろうと思う。メシもおごってやった。
そのまえにも、わけのわからんジュースをのませている。
なにより、おまえの友情押売りが気に入らない。
「そうだね。いくらがいいかな」
ニコニコかれに笑いかけながら背中を押す。極めて友好的な態度。
おお、日中友好よ!
ドアのまえまで握手をしながら「きみの友情には感謝している」。
さっとドアを開け背中を突き飛ばす。ドアを閉める。カギを閉める。
これで終わりである。
なんのトラブルにもならなかった。かれもすぐに帰宅したようである。
まあ、奥さんと子どもを大切にな。
たまには簡単にカモにできない日本人がいてもいいだろう。

ようやくひとりになった。やっぱりひとりはよろしい酒だ。
酒がぜんぜん足りていない。まずはすっきりシャワーを浴びる。
もう外は真っ暗である。手持ちのガイドブックにはこの町の情報がない。
すなわち、地図を持っていない。だけど、まあ、なんとかなるだろう。
ふらふらとホテルを出る。直進すればいいんだ。帰るときはバックするだけ。
歩いていると、先ほどの売春マーケットに到着する。
そのマーケットまえの路上に、いくつか串焼きの屋台が出ている。
聞くと、ここのビールは冷えているという。たった3元(45円)だぜ。
屋台で串焼きをつまみにビールをぐびぐび。串焼きは0.5元(8円)から。
ベトナムでいちばん心配だったのは、中国に安い酒はあるのかということ。
これで安心である。
育ちが悪いせいか、高級店よりも、屋台でビールのほうが落ち着く。
たまに女衒(ぜげん)のババアが声をかけてくる。
こういう情報はあまり書きたくないけど、オンナひと晩100元(1500円)だってさ。
バイタクの運ちゃんは200元と言っていたから、中間搾取目的だったのかな。
それとも、もう時間が遅いためか。
ウソでもなんでもなくめんどくさい。ビールをのんでいたほうがいい。
見知らぬ町の片隅で、あやしげな串焼きをかじりながら、現地のビールをあおる。
こんな幸福がほかにあるかと思うのね。
有名になる。取り巻きと仕事半分で海外へ。みんなと乾杯。
こんなものは、つまらないよ。
旅はひとりがよろしい。気ままな、期限もない旅なら、もっといい。
幸せというのは、こういうものだと心底から実感する。
風景がぼやけてくる。よほどのんだようである。中国初日だというのに。
明らかに千鳥足でホテルまで戻る。

最後に例のバイタクの運ちゃんについての後日談を書く。
河口を離れる朝、バスストップで例の兄ちゃんと会う。
向こうは笑顔で「よお!」。こちらも苦笑いしながら「じゃあな!」。
アジアのこういうところがすばらしいと思う。
根に持たないというのか、悪気がないというのか。
うまいこと外国人旅行者をカモにするんだぜ兄ちゃん、あばよ!
あろうことか、近所で花火大会が開かれるのである。
ノーノー、であーる(拒絶)。
花火なんざ、見たくもない。けどね、パンダ、告白しまっす。
お祭ムードに影響されて、携帯電話を固く握りしめました。
だれかに電話したい。だれかと花火を見たい。
冷やしたビールを1ダースくらい持って。
だれに電話しようかな。しょぼーん。電話する相手いませーん♪
いいもん。もう、いいやい。ふん、あっかんべえだ。
地元を離れる決意をする。まあ、うるさいのがいやだってこともある。
花火はうるさい。

住みかを出て最寄の駅へ向かう道すがら。
ひと、ひと、ひと、なのだ~よ。花火大会見学希望者の群れ。
みんな楽しそう。カップルもやたら多い。
まだ花火も打ちあげられていないのに、周辺はラブラブでアチチなわけダンヨ~。
おまえらみんな死んじまえ。花火のかわりに爆弾でも落せばいいのだ。
幸せなやつは、みんな、死んでしまえ!
なんて、考えるわたしではない(断言)♪
中国で悟ったのであーる。
幸福そうなひとを見るとわたしまで嬉しくなる。
幸せっていいな。人間の笑顔っていいな。
いま幸福なひとはみんながんばっているからだ。かれらをねたむのはダ~メ。
いま不幸なひとはみんながんばっていないから当然。
不幸なのはがんばっていないから! がんばればだれでも幸福になれる!
がんばった人間だけが花火を見ながら愛する異性や仲間と乾杯できるのだ~。

えええ? ウソなんてついていませんよ(苦しい笑いをする)。
がんばれがんばれと歌いながら最寄の某駅へ。
閑散としたこの駅が1年で1回だけひとであふれるのが今日である。
その日に、住みかを逃げだすわたしわたしわたし♪
どこへ向かうのか。久しぶりの荻窪である。調べたら半年ぶりだお!

いきなり荻窪へ行くのは芸がないので、ひとつまえの阿佐ヶ谷へ。
ここにもブックオフがある。
荻窪までは健康的に歩こうという計画である。
およよ! なんだこれは! 阿佐ヶ谷でもお祭をしていやがる。
もう8月なのになぜか七夕祭(おそらく旧暦換算)。
気が狂うほどのひと込みだ。ビールを300円で売っているが、あえて買わない。
嫌いだ。幸せなやつらが嫌いだ(できるだけかわいく)!
みんなカップルや家族連れで七夕祭を楽しんでいるんだぜ(涙目)。
なんだよ。遠路はるばる阿佐ヶ谷まで来てやったというのに。
ブックオフ阿佐ヶ谷店。

「青衣の人」(井上靖/角川文庫)絶版 105円

ここはいつ来てもしけたものしかない。
ええい、暴言だ。言ってしまおう。阿佐ヶ谷の民度は低い!
流れるのは汗か涙か。荻窪まで歩く。道は覚えている。
神保町の田村書店とならぶ激安古本屋である、ささま書店に到着――。

「仏教の思想Ⅰ、Ⅱ」(梅原猛著作集5、6/集英社)絶版

これが2冊でわずか630円である。これですべてが救われる。
帰宅してから調べたら、たしかに角川文庫から同名タイトルが出ている。
むろん、文庫版も絶版。だが調査の結果、
文庫バージョンよりも、このハコ入り著作集のほうが収録内容が多いことが判明。
梅原猛の仏教論文はすべてこの2冊に収録されているのである。
この著者の対話集「仏教を考える」は先ごろ読んだばかり。
梅原猛の仏教論を読みたいと思っていたら、ささま書店である。
ほかのことではついていないわたしだが、こと本に関してはちがう。
古本のヒキがやたらいい。
「仏教の思想Ⅰ、Ⅱ」が月報つきで630円である――。
定価だと4200円。といっても定価を支払っても絶版だから読めない。
それがわずか630円でわがもとへ。
梅原猛の仏教論は説教くさくないのがよろしい。
しかも学者とは思えないほど文章がわかりやすい。
頭脳だけではなく感情もまじえて文章を書いているのがすばらしい。
荻窪ささま書店を出ると、もうホクホクなのであーる♪

ひきつづきブックオフ荻窪店へ。ががーん! ちょーショックなことが。
105円コーナーがなくなっていたのである。
おそらく単行本105円コーナーのないブックオフなど荻窪店だけではないか。
店員へ聞くと、2ヶ月くらいまえからこうなっているとのこと。
アジアをふらふら旅しているうちに日本ではこんな大きな変化があったのか。
なんとか平静を保とうとする。105円も200円も大差ないではないか。
カッカするのはやめよう。思えば本が105円で買えるのがそもそもおかしいのだ。

「図解雑学 心の病と精神医学」(景山任佐/ナツメ社) 200円
「プロの小説家になる 作家養成塾」(若桜木虔/KKベストセラーズ) 200円
「何がなんでも作家になりたい!」(鈴木輝一郎/河出書房新社) 200円
「アジアの誘惑」(下川裕治/講談社文庫) 105円


内容説明はいらないだろう。どれもタイトルそのままである。
荻窪から中央線。新宿で電車を乗り換える。
ようやくホームタウン駅に到着すると、まだ花火大会は終わっていない。
そのくせ混雑を見こして帰途に着く群衆で駅はあふれかえっている。
みなが上空を見ている。わたしも視線を向ける。花火が散る。
夏だと思った。駅前のスーパーで枝豆、冷奴用の豆腐、トマトを購入。
ビールは冷蔵庫に冷えている――。
ひさびさに復活のこのシリーズ。
引越で本を大量廃棄。だのに、引越先では本棚をふたつも購入。
スペースはたくさんあります。
本をいっぱい買わなければならないのであーる(義務)。

新宿京王百貨店へ「第57回東西老舗大古書市」。
新宿駅へ着く。引越をしたから到着する場所が異なる。
どうして、どうして、日本では、道を聞くのがこんなに恥ずかしいのでしょう。
わたし~も、ニッポンジンなのだ~よ。
JRのインフォメーションで質問。京王百貨店はどこですか(もじもじ)。
田舎者みたいなパンダでっす!

デパート7階へスーパーヨンダッシュ♪ 時間ももう遅い。
うっひょお! 本の山ダンヨ~。本、本、本だべさ。
どこから見ようか、あたふたするヨンダなのです。
律儀に端から端まで歩きます。スキップしながらONE! ONE! ONE!
おっと、パンダはワンとは鳴きません。くいーん♪
どれにしようかな。どのご本にしようかな。

「仏教―流伝と変容―」(朝日カルチャーブックス56/大阪書籍)上下 絶版

2冊で1260円。朝日カルチャーセンターでの講義をまとめたもの。
インド仏教から、中国仏教、南伝仏教、朝鮮仏教、日本への伝来まで、
各分野の研究者が一般受講生へ向けわかりやすく講義する――。
仏教ブックというのは選ぶのが難しいんだ。
あまりに一般向けのものを選ぶと、笑いだしたくなるような説教が書かれている。
けれども、専門書をえいやと開くと、なにがなんだかさっぱりわからぬ。
学者というのはほぼ欠陥人間と見て間違いない。
かれら学者は正しければなんでもいいと思っている。
書いている内容が正しければ、読み手を退屈させてもいいと思っている。
これは正しい。なんか文句ありますか? という姿勢である。
学者の文章にはひどいものが多いでしょう。
読み手のことをまったく考えない悪文。
だが、いくら学者でもおつむの弱い朝日カルチャーセンター受講者をまえにしたら、
わかりやすく語るではないか。こんかい甘い期待をしたわけである。
おなじ古書店のブースからもう1冊。
図録。展覧会などで売りに出されるカタログである。

「仏教伝来」(白川義員写真展)

定価は記載されていない。1000円で購入。
インド、中国、そのほかのアジア諸地域、日本における仏教聖地の写真集。
思えば、3年前にインドへ行った。今年はタイのバンコクから中国へ陸路で。
中国からは海路で日本へ帰国。
いつもこころのどこかに仏教を意識していた。
仏教伝来が念頭にあった。
写真には縁のないわたしがこの図録を買ったのはこのためである。
イメージで仏教を理解したいと思ったのだ。
バカが仏教を勉強しようとすると、こうもたいへんなわけで(笑)。
井上靖がこの図録に寄稿していたことも購入を後押しした。

「中国古典散歩」(駒田信二=編/文春文庫)絶版

210円で購入。いま中国のことを勉強したくて仕方がない。
けれども、どうしても専門書からは入れない。
このような軽い一般書を、つい求めてしまう。
早くしなければと思う。早く中国旅行の思い出をブログに書かなければならない。
中国には1ヶ月半滞在した。けちけち旅行であった。
記憶が薄れぬうちに書きとめておきたいと思う。
いざ中国の本を読んでしまったら、かならず影響を受ける。
率直な中国観がゆがめられてしまう。
近日中に「アジア漫遊記」の中国編を書き始める予定である。
事実は変わらない。事実はただひとつのものである。
正否が問題になるのはこの事実なのだ。
一方で物語はひとつではない。いくらでも変わりうる。
おなじ事実を他人に語るのでも、話者によって物語は変わりうる。
おもしろい物語と、つまらない物語にわかれるということだ。
物語においては正否は問題にならない。
正しい物語も正しくない物語もない。なぜなら物語は楽しむためのものだから。
物を語る楽しみ、物語を聞く楽しみ。
事実を物語にする過程で虚構が加味される。ウソのことだ。
物語の愉楽にはこのウソが大きく関係しているように思われる。

運命はただひとつである。運命はそのひとによって変えようがない事実だ。
だが、かのひとが人生を語るとき、物語はいかようにも変更することが可能。
平凡なサラリーマンの人生でも、語られようによっては聴衆を満足させられる。
となると、重要なのは、いかに語るかだ。
物を語るとき、ベース(モデル、枠)があると容易である。
これが宗教の役割だと思われる。
たとえば宗教は善悪の基準、いかに生きるべきかを説明する。
この枠組みに沿うにしろ逆らうにしろ、物語にとって宗教は欠かせぬものだ。
まったくの虚無のなかからは物語が誕生しようもない。
善なるものが提示されていて、はじめて悪行を為しうるということだ。
善悪が定められていなければ、悪事すらできぬのである。

物語が好きだ。ウソが好きだ。事実など、どうでもいいとさえ思っている。
正しいか、正しくないか。こればかり求める学者にはついていけない。
なんの味わいもないではないか。完全正解の事実などつまらぬものだ。
たとえばだ。天才学者が仏教の究極の真実を発見したとする。
けれども、この正しい事実で救われる人間がどれほどいるものか。
わけもわからぬ南無阿弥陀仏(南無妙法蓮華経)を唱えるほうがよほど救われるのだ。
物語と宗教、事実と虚構について、こんなことを考えた。