あかるいうちから酒をのんだ。
すべての計画を放擲(ほうてき)。
活字はおろか漫画でさえ開けないような精神状態でした。
ウイスキーソーダをごくりごくり。
すると少しだけ元気がでる。井上靖の軽い小説をひまつぶしに読む。
昼間から酒をのんでだらだらして!
おまえは世間に申し訳ないと思わないのか!
思います。ごめんなさい。もっとひどいことを白状します。
夕暮れどき。ラーメンの屋台が登場。チャルメラの大音量。
ベランダからうるさいと怒鳴りました。
あのう、すんごいうるさいんですけど!
あるじはこちらをにらめつけると移動しました。

わがままってそんなにいけないのかな。
日本人で、自殺するひと、みんな、こんな感じじゃないですか?
すなわち、甘えていて、ごめんなさい――。
先日、片山飛佑馬くんの遺稿「アパシー」を読んだ。
片山くんは25歳で、小説「アパシー」を遺して自殺した。
読みながら思ったのは、なんでそんなにじぶんに厳しいのだろう。
甘えたっていいじゃないか。
甘えられる環境にいるなら好きなことをしていればよかったのに。
なにも死ぬことはない。
片山くんのご両親はどちらも芸術関係。理解のありそうな親である。
なのに、片山くんはみずからを追い詰める。
甘えていては生きていけないと自死を選択する。

わたしの師匠は映画監督の原一男さんである。
偉大な師というほかありません。
原先生から学んだのは、好きなことしかするなということ。
他人にどれだけ迷惑をかけてもいいから、好きなことだけやっていろ。
それは風当たりも強いだろう。泣かれることもあろう。
けれども、すべてをじぶんの表現に賭けてみろ。命がけで打ち込んでみろ。
おれはそうやって生きてきた。
スーパーエゴイスト・原一男の生きかたである。

死にたいというメールが来ると、どうにも哀しくなる。
もっといいかげんに生きましょうよ。
インドへ行きませんか。東南アジアに行きませんか。
当たり前のことがわかります。
みんなブラブラしているけれども、いっこうに引け目を感じていない。
まあ、なんとかなるんじゃない。ならなかったら、そのとき考えよう。
その場しのぎの人生。そのくせ楽しく生きている。
かの地には乞食も少なくない。
とんでもない身体障害者(身体欠陥者)が物乞いをしている。
思うのは、仕方がないということ。どうしようもない。
かわいそうだけど乞食をするしかないほどのカタワに生まれてきてしまったひとがいる。
じぶんがなにかしてあげようと思ってもなにもできない。
人間は、だれもがある星のもとに生まれてくるのかもしれない。
どのみちその環境下でしか生きられぬ。ならせめてその枠内で楽しもうじゃないか。

これは言い訳ではありません。応援歌です。
白石昇先生、鈴木雄介くん、上野祐二氏、美香さんへの応援歌であーる♪

みんな、死ぬなよ♪
山道で迷っていた。ふたつにひとつである。
このまま登るか、あきらめて引き返すかである。
そろそろ体力は限界に近づいている。
このままだと下山する余力の有無も心配しなくてはならない。
日本の登山ではないのである。わたしは片言の中国語しか話せない。
そもそも、である。通り過ぎる登山者も、いなくなってしまっている。
少しまえまでは下山してくる若者をたびたび見かけたものである。
だが、いまはひとの気配が感じられない。
この華山は峻険な山として中国で知られている。
険(けわ)しい山である。人間を包み込む山ではない。人間を突き放す山だ。
たとえ登山者を奈落の底へ落そうと景色ひとつ変えないであろう冷たい山である。
古来、そういう山として知られてきた。最近では縁結びの山としても有名という。
ジェットコースターやお化け屋敷に男女で参加すると恋心が生まれることがある。
危険をともに経験したという連帯感が、ときに恋愛感情に錯覚される。
おそらくそれとおなじ仕組みであろう。崋山は危険な山であった。若い男女が多かった。

登っていくうちに洒落にならないぞと思い始めた。
同行者がいたならば、顔を見合わせて苦笑いしたであろう。これは、まずくないか。
ひとり旅のわたしは自問自答するほかない。このとき、ひとりがふたりになる。
ひとりで会話をする。――これは山登りというより登山だよな。
おいおい、そのふたつはおなじ意味だぞ。
いや、ちがう。山登りというのは、わいわいがやがや楽しむもの。
比して、登山は生命をも賭して行なう厳しいもの。
うん、なるほど。そういう意味合いでなら、これはたしかに登山というほかない――。
限りなく90度に近い絶壁をクサリをたよりに登っていかなければならないのである。
登りながら下を見ると震えがとまらなかった。手を離したらへたをすると死ぬぞ。
冗談だよなと思う。崋山って、ただの観光地だろう。なんでこんな危険があるのだ。
ひとりの心細さが胸をしめつける。万が一、足でもくじいたらどうしたらいいのだろう。
さらに、そこがひとの通らないところだったらば。不安が絶え間なく襲ってくる。
大げさなようだが死をも思わせる山である。
いつ死んでもいいとひとまえでは強がるわたしだが、こういうところへ来ると真実がばれる。
当たり前だが、死にたくないのである。

何度、斜面をはいあがったことだろう。手も足も使いものにならないくらい酷使した。
この険しい山道があとどれだけ続くのだろう。
いちおう地図はあるがじぶんがいまどこにいるのかわからない。ひとも通らない。
もう昼過ぎである。このまま登っていって戻れなくなるくらいなら、
まだ気力のあるいまのうちに引き返したほうがいいのではないだろうか。
前進するだけが勇気ではない。
あきらめるのは、ときとして前進よりも偉大で崇高な勇気を必要とするものである。
この急斜面に、あとどれだけおのれの身体がもちこたえるかだ。
どれだけのエネルギーをわが身体は所有しているのか。

いろいろと道を間違えたのだと思う。
崋山へはツアーで行くのが一般的である。
西安のたいがいのホテルで崋山1日ツアーに参加できる。
個人で行くこともできなくはない(いまとなってはオススメしないが)。
西安駅東側のバスターミナルから崋山行きのバスが朝1本出ている。
わたしが乗車した日は7時半に発車した。いちおう出発時間は7時になっている。
西安駅から崋山まではバスで2時間半。
到着してからが問題である。ここで朝飯でも食べろと契約された食堂に入れられる。
中国人旅行者はみな従っていた。
大きなあやまちを犯したのはこのときである。崋山はどこだ? とわたしは聞いた。
あっちだという。なら朝食などいらない。わたしは崋山へ向けて歩き始めた。
いまから思えば、これが大失敗だったのだ。
崋山観光はロープウェイで頂上付近まで行く。そこから登山を始めるのだ。
このバスストップからロープウェイ乗場まで、再度バスを利用しなければならなかった。
そうとは知らぬわたしは、みなから離れひとり崋山を登り始めたのである。

小さな入口で入山料を支払う。90元(1350円)だったか。
最初はいいのである。平坦な道が続いている。ひとりで山を登るのは楽しい。
だれにも気兼ねすることなく内面世界へ沈静することができる。
歩く。意識するのは呼吸のみである。息を吸って、その息を吐き出す。
生きているとはなんと単純なことかと思う。吸う、吐く。
これが生命の隠すことのない実質である。
息を吸う。吐き出す。この反復をやめたときひとは死ぬのだ。
生きていると思う。わたしは生きている。
異国の山のなかでなら、照れもなくかつて愛したひとのことを思い出すことができる。
10年近くもまえの話である。わたしを拒絶する冷たい顔がとても美しかった。
きれいだったと思い返す。
かつての友のことを思う。これも10年もまえのことになる。
連夜のごとく酒をのんだ。バカな話をした。青臭い友情を誓ったりもした。
相手を思って涙を流すようなクサイ友情劇をむかし演じたことがあった。
すべて終わってしまったことである。
むかしの男も女も、いまはなにをしているのか知らない。
あることがきっかけで、ありとあらゆる人間関係が切れてしまった。
いまわたしは西安郊外の崋山などという山を登っている。
むかしの仲間はだれひとりとしてこのことを知らないであろう。
山を登るのみだと思う。山があったら登るしかない。
この中国でもいくつか山を登ったものだ。すると眼前にべつの山が現われる。
人間は山を登るしかない。なぜを問うてはならない。目のまえの山は登るほかない。
「分け入つても分け入つても青い山」である。
若者はいつまでも平地で遊んでいるわけにはいかないのだ。
おのおの進路を定める。それぞれの山を登るほかない。
むろん高低に相違はあるだろう。まれに平らな野原を歩いていくようなコースもある。
かと思えば、高山の続く道のりもあろう。山中で迷い餓死するものがいてもふしぎはない。
それでもめいめい定められた山に登るほかないのである。

低地ではにぎやかなものであった。簡易食堂も軒を連ねている。
どこもビールを売っているのがうれしい。
それも山の流水で冷やしてあるのだから笑みがこぼれる。
まだ昼前だというのに我慢ができなかった。ビールをくれ、だ。
そうそこのきんきんに冷えたやつ。水がわりにビールをのむふざけた登山者である。
ビールを口中にふくみながら、おかしいなと思う。
登山客は決して少なくないのである。けれども、みなみな進行方向が反対。下山している。
あるじに地図を見せる。ここはどこだか教えてもらう。
ロープウェイ乗場がはるか彼方であることに気づく。
いま歩いているのは異端の道ということになる。
といっても、ここまで登ってきたら、いまさら引き返すのも億劫(おっくう)である。
これもまた旅である。ひとり旅とはこういうものだ。運任せなのがかえっていい。
店のあるじにこの道を登っていけば頂上まで行けるか尋ねる。
行ける、とのことである。現地のひとが言うなら確実だと安心する。
今日はまだ時間がある。わたしには頑強な肉体もあるではないか。
楽なロープウェイではなく、あえて厳しい山道を選択するのも悪くはない。
この旅は、どこか修行の性質を帯びたものでなければならない、と思っている。
ビールばかりのんでいるわけにはいかない。
反骨精神がもたげる。ひとと違ったことがしたいという欲望だ。

行けども行けども、なのである。かえって道が悪くなってくる。
どんどん山道は厳しさを増してゆく。行き交う登山客も減るばかりである。
その挙句がクサリの登場だ。まさかこんな悪路があるとは思わなかった。
ふつうにロープウェイに乗っていればよかったと後悔する。
だれもいない。ひとりの登山である。休息を多くする。休む、登るの繰り返し。
開けた場所で下を見る。なんと厳しい山であることか。
持っているもので勝負するしかないのである。
水はある。携帯食物は持参していない。けれども手足はある。若さもある。
荒い呼吸を繰り返しながら、まえのみを見て足を動かす。
これほどおのが身体の存在を明確に意識したことはなかった。
このとき、わたしは肉体だった。精神ではなかった。
肉体は考えた。精神の代わりに肉体が考えたのである。
この肉体をなんとかして生かさなければならない。山ばかりではない。
帰国してからの問題もある。
精神はものを書いて食べていきたいと思っているようである。
たわいもない精神め、と肉体は思う。
年収150万でも食べていければそれでいいと精神のやつは言っている。
精神はとかく夢見がちなのだから困ったものである。
肉体は鏡に映すことができる。目がある。鼻がある。口がある。手があり、足がある。
精神よ、おまえはいかほどのものを持っているのか。
持っているもので勝負するしかないことを知らないのか。
精神よ、おまえは鏡を持たなくてはならない。
なにを持っているのか。なにを持っていないのか。
息も絶え絶えの精神は打ちひしがれる。
知力は乏しい。難解な思想小説を書くことはできない。
美形ではない。顔を売り物にはできぬ。私小説も恋愛小説も説得力がないであろう。
お洒落でもない。気の利いた洒脱な会話を書くことはかなわぬ。
おまえはだれだ? わたしとは何者だ? 
わたしはわたししか描けぬ。わたしわたしわたし――。
いまさら自分探しかと自嘲する。気持が悪いとしか言いようがない。
そうだ。ないない尽くしのなかで、ある種のキモさをわたしは持っている。
ほかに、なにかないか。ないのだ。なにもない。わたしにはなにもない。
だが、「ない」ということ自体が武器ではないか。
「ない」から「ある」を思う。かくありたいと思う。かくあれと思う。
精神の反逆である。肉体よ、おまえはなければそれで終わりであろう。
だが、精神は違うぞ。なくても、ないがゆえに、あるを思うことができる。
異国の険しい山道は、通常なら不可能である、
精神と肉体の会話を可能にしたのかもしれない。

どれだけ限界を超えたことであろうか。
この登りを終えて、まだきつい登りがあったら、もうあきらめて下山しよう。
いく度となくじぶんをそのようにをだました。今度こそと思うのである。
今度こそ、どこかに行き着くのではないか。
ひとがいる。ここはどこか問う。かれは指を刺す。あれがロープウェイだという。
ようやく入口にたどり着いたのである。
ふつうの観光客ならこの高さからスタートするのである。
入口までのなんと苦しい道のりであったか。時計を見ると、3時をまわっていた。
観光客が大勢集っている。なかには白人旅行者もいる。
なんだい、と思う。楽をしやがって。
ここから通常の登山をしようと思ったが身体がどうにも動かない。
具体的にいうと、足がもちあがらないのである。
売店で割増料金のカップラーメンとコーラを買う。
コーラにはベトナムで購入したウイスキーを入れる。
ウイスキーコークをのむと肉体も精神も等しく喜悦の叫びをあげる。
顔をあげる。山が無限に連なっている。どの山も尖(とが)っている。
分け入つても、と思う。これでは、分け入つても分け入つても、だよなと苦笑する。
けれども、ながめるぶんには悪くない。絵葉書にもなりそうな絶景である。
あの山々を分け入つてゆくのはさぞかし難儀だろうな。
時間が来たのでカップラーメンのふたを開ける。フォークでソバをすする。
低劣な油分と辛味が舌を刺激する。これをうまいと思うわが舌の哀しさよ。
酒をのむ。ウイスキーをがんがんのむ。中国では入手するのが難しいウイスキーである。
少しずつのもうと思っていたが、もうケチケチするのはやめようと思った。
ここまで来れたのがなによりうれしい。
がんばった。けれども、がんばったからではない。運が良かったのである。
下手をしたらあのがんばりが命取りになっていたかもしれないのだから。
多少、酔ったところで構わない。あとはロープウェイで下山するだけである。
崋山の観光名所を見られないことに口惜しさはない。
見ることがなんだ。見ないことにも価値はある。
あればそれでいいのか。ないのはいけないのか。
酔ったのだろうか。哲学めいた稚拙な問答をあたまのなかで繰り広げる。

ロープウェイで下山。ミニバスでバス乗場へ移動。
いちいちカネを取るのが癪(しゃく)にさわる。
西安駅行きのバスは、親切な娘さんがわざわざ手を取るように教えてくれた。
バスの最後の乗客となった。大した幸運である。
わたしの数分後に来たひとはこのバスに乗れず1時間以上も待たなければならなかった。
うつらうつらしていたらバスはなじみ深い西安駅へ到着した。
いつのまにか懐かしささえ感じるようになっていた。西安にはもう6日もいるのである。
明日はこの西安を発たなければならない――。
ということは、今度はいつインターネットをできるかわからないということでもある。
動かない足を上半身で杖のように用いネットカフェへおもむく。
このカフェの店員ともすっかり顔なじみになっている。さよならだ。
ホテルへ戻りシャワーと洗濯。じつに居心地のいいホテルであった。
それから6日連続で南方飯店へ。いくらかセンチメンタルな気分になる。
もう一生この安食堂には来ないであろう。6日間、よくのみ、よく食べた。
どの料理も、なかなかのものだった。ともかく安かった。
明日、西安を発つとは言わなかった。
そのぶん、のもうと思った。お別れのぶん、のもうと思った。食おうと思った。
疲れているから、そんなには身体が受けつけなかった。
けれども、いっぱいのもうと思ったのだ。たらふく食べようと思ったのだ。
とにかく思ったのだ……。
第16回東急東横店渋谷大古本市へおもむく。
渋谷もひさしぶりだな〜。なにか変わっているのだろうか。
まあ、わたしは駅から一歩も外へは出ないけれども。だって、こわいんだもん♪
若者の町シブヤ。いきなり竹刀で叩かれてもふしぎはないのでしょう(大きな誤解)。
わたしには古本市くらいがお似合いです。
最先端のスポットは村上龍先生のご著作で勉強します(ウソ)。
ここも毎回、来ていたけれども、掘出物がないのだ〜よ。
渋谷という地名と相性が悪いのだとずっと思っていた。ところが、ところが――。

「木下恵介集」(日本シナリオ文学全集1/理論社)絶版 1000円

ついにこれが見つかったかという感動がある。
ちなみにシナリオ専門古書店、矢口書店では4000円。
もちろん、ここ1年近く売れてはいないが。
いまは木下恵介なんてだれも知らないのかな。わたしも知らなかった。
山田太一のお師匠さんということで興味をもったのである。
レンタルビデオで借りてこいと言われるかもしれない。
ダメなんです。映画は苦手。映像は疲れる。シナリオで読むのを好む変人なのだ。
古本の状態も悪くない。これはいい買物をした。
こうなると購入にいきおいがつくのである。
得をしたのだから余計に買ってしまおうと考える。ええ、はい、浅はかな消費者です。

「図説 敦煌」(大橋一章/河出書房新社) 600円

定価1800円は買えない身体になって敦煌から帰ってきたわたしわたしわたし。

「本棚が見たい!2」(川本武/ダイヤモンド社)絶版 600円

これも本来なら2〜300円でしか買わない類の本なのだが今日は特別である。

「東アジアの仏教」(岩波講座「東洋思想」第12巻)絶版 1400円

漢字仏教圏の講座。どうせ読んでもアホなわたしにはわからないのだろうけれども。
中国仏教について知りたいのです。

ここでまたヒットが! おおう! ずっと探していた本をこのタイミングで発見するとは。
山田太一のシナリオはなぜか古書市では出てこないものと相場が決まっていた。
なぜかブックオフにしかないのが山田太一の絶版シナリオだった。それが――。

「シャツの店」(山田太一/大和書房)絶版 500円

これはなかなかない本ですよ〜。
「日本の古本屋」にもない。出ても2000円とかつけるバカばかり(かしこいの?)。
矢口書店なら3000円。
脳がスパークする。今日はフェスティバルなのだ。脳の制御がぶち切れる。

「保存版 山頭火」(石寒太編/毎日新聞社)絶版 735円
「暮らしがわかるアジア読本 中国」(河出書房新社) 840円
「シナリオ創作論集」(松本孝二編/映人社)絶版 315円


合計金額は6040円。われながらよく買ったと思う。
思うに、古本というのはあれだな。まず買わなければならない。
1冊カゴに入れると、その本がべつの本を呼んできてくれる。
したがって、最初の1冊をカゴに入れる(買う)というのが最重要。
古本ってふしぎだよな。
買うとなったらついたくさん買ってしまう。かと思えば1冊も買わないときがある。
本は人間の情熱の結晶。人間以上に奇妙な縁が働くのかもしれない。

(追記)これで「本の山」新記録です。1日10記事更新ははじめて。
ほめてとは言いません。拍手もいらない。ヒマでいいねと憫笑してくださいませ♪
病院のそとへ出ても、まだ怒りはおさまっていなかった。
ふざけるなよ〜。待合室で順番を飛ばされたのである。
患者の苗字が医師とおなじだったから、あれはもしかしたら縁故で、
意図的な順番替えだったのか。
新患だったから、これで20分も待たされた。
もちろん苦情を言うわけである。
「わたしのほうが順番は先だと思うのですが」
待合室にいる全員がわたしに注目する。
こういうことを日本人は言ってはならないのである。
無言で辛抱しなければならない。「おしん」かって!
看護婦さんも、この手の抗議にはなれていない。
病院では医療サイドが偉いのである。反旗をひるがえすなど、もってのほか。
おまえら患者は医療がOKしなければクスリひとつ入手できないのだよ〜という姿勢。
むろん、あちらがわの手落ち。
いちおうの謝罪はしてもらうが、顔を見るかぎりわたしを無粋なやつと認識している模様。
中島義道先生ならここでひと悶着起こすのだろうが、なんの肩書きもないわたしには無理。
今後も通いたいこともある。ぐっとこらえました。

ぷんぷん。いいやい。
現実から逃げてやる〜と言って入るのはブックオフ新宿靖国通り店。

「文藝別冊 総特集 河合隼雄」(河出書房新社) 105円
「退屈論」(小谷野敦/弘文堂) 105円


あっちゃんの「退屈論」は以前調べたときは絶版になっていたけれども、
いま検索すると在庫僅少。もしかしたら増刷されたのかな。
いんや、売れ残りの在庫がまた店頭に出ただけかもしれない。
小谷野敦はいまわたしがもっとも注目するブロガーである。
2ちゃんねるのヲチ(観察)スレッドともどもおかしくてたまらない。
小谷野敦周辺には笑いの原風景がある。
笑うものが笑われるという構図が実に笑えるのである。
すなわち、小谷野がバカをあざ笑う。2ちゃんねらーが小谷野に失笑する。
小谷野が2ちゃんを挑発する。このような連鎖がたまらなく笑える。
むろん、わたしも名無しで2ちゃんへ書き込むことがある。
そうそう。匿名についてこの際、書いておきたい。
あっちゃん(小谷野先生)は匿名を毛嫌いしているようである。
なにか意見を言うのなら名を名乗れとたびたびお書きになっている。
言い訳をする。恥ずかしいのである。
たとえば、白石昇先生や工藤伸一先生――。
だれも知らないでしょう。そのくせ実名で発言しているかれら――。
端的に恥ずかしいのです。
わたしも自己顕示欲の面では両先生に劣らないものをもっています。
けれども、かれらにはない羞恥心も同時にもちあわせている。
新人賞でも取ったら、名前を公開します。
ふたつか、みっつくらい取ってから。恥ずかしがりやなのであーる♪
ともあれだ。遅ればせながら「もてない男」小谷野敦先生、結婚おめでとうございます〜。

つぎなるブックオフは大久保明治通り店。
早稲田大学理工学部のすぐそばである。だからだろう。毎回、ろくな本がない。
ブックオフは地域によってかなり品ぞろえが変わるぞ。
いつ行ってもそれなりの収穫があるところもあるが、
反対にいつ行こうがダメなところもある。
ここは早稲田の古書店街へ行く途次にあるので覗いているだけ。

「紅花」(井上靖/文春文庫)絶版 105円
「黒い潮・霧の道」(井上靖/文春文庫)絶版 105円


井上靖の文庫は定期的に補充する必要がある。
まあ、悪くはない買物である。
炎天である。公園を抜けて早稲田へおりる。子どもが水遊びをしていた。
ブックオフ早稲田駅前店へ行くが収穫はゼロ。
思えば、引越前に大量に本を売却したのはここであった。
早稲田大学本部キャンパスへ行く途中にある古本屋にも顔を出す。
おそらくわたしの在学中もあったのだろうが、通うようになったのは卒業後である。
ここで「ストリンドベリ名作集」「オニール名作集」を格安で入手したのだった。
その恩があるから、いまでも早稲田へ行くとかならず寄ることにしている。
1冊買う。たしか半年以上まえに来たときもあったような気がする。
考えてみれば、あいだにアジア漫遊をはさんだので、この界隈に来るのは半年振りだ。

「シナリオマガジン ドラマ 1988年5月号」(映人社)入手不可 200円

山田太一ドラマ「夢を見たくて」のシナリオが掲載されている。
以前来たときは100円でなければ買わないと思ったのだったか。
いまのように山田太一のシナリオを読み込むようになるとは思わなかった。
こうなったら当然、買いである。
それから、それから。どこのワゴンで買ったのだったか。

「三田文学 2006年 秋季号」 100円

一部で話題になった片山飛佑馬クンの「アパシー」が掲載されている。
「三田文学」の編集長って、まだ加藤宗哉だったんだね。遠藤周作の金魚の糞(ふん)。
師匠に人生を食いつぶされた弟子が、七光りで編集長ですか〜。きんもっ。

浅川書店前にシナリオ雑誌が大量に積まれている。
びびっと来ましたね。1冊ずつ手に取り収録シナリオをチェック。
うふふ。予感的中。4冊ほど購入する。400円。
なかでもお宝は浦山桐郎特集号である。
「私が捨てた女」「キューポラのある街」「非行少女」のシナリオが掲載。
「キューポラのある街」のシナリオは是が非でも入手したいと思っていた。
とても好きな映画である。なぜかシナリオも読んでみたくなるなるのだ。
映画監督・浦山桐郎は原一男さんの師匠。わたしからすると祖父師匠である。
あとは「女の園」(木下恵介)シナリオ。「藍より青く」(原作山田太一)シナリオ。
山田太一が青年期に自主制作した映画のシナリオ掲載号もゲット。
もうこのへんまで来るとマニアックでだれもついて来れないと思う(苦笑)。
最後にブックオフ高田馬場店。

「人間のなかのX」(遠藤周作/中公文庫)絶版 105円
「説得術」(増原良彦/講談社新書)絶版 105円


遠藤周作のは大学生時代にずっと探していた本である。
つい買ってしまったけれども、まあ、読まないだろうな。
ふうう。引越してしまったから高田馬場から自宅へ帰るのがたいへんである。
けれども、書物の収穫はなかなかのものである。
列車のガラス扉にうつるわが顔はどこかニヤニヤしていて気味が悪い――。
「本棚が見たい!」(川本武/ダイヤモンド社)絶版

→ひとに本棚を見られたくない。
もののわかるひとが見たら、ひと目でわたしがばれてしまうからである。
「本の山」のようなブログをやっているくせに意外だと思われるかもしれない。
それは違う。本棚ではタイトルのみ一望のもとに眺められる。
並ぶ本の色合いだけでも、ばれるものがあるのである。
ある本とべつの本の位置関係だけでも、ある種の精神構造が明白になる。
それと、みなさまは、ここに感想を書いているものだけしか
わたしが読んでいないとお思いですか?
これ以上、書いてしまうとやぶ蛇なのであわてて口をつぐむ。

ひとに本棚を見られたくないのに、そのくせ、ひとの本棚は見たいのである。
白状するが、覗き見根性は人一倍旺盛である。
ミラーマン、植草教授にもひけを取らないと思っている(おびえている)。
ひとの隠しているものを見たいという、ほとんど犯罪的な欲望があるが、
これはわたしだけなのだろうか。植草教授が逮捕されたとき、
ワイドショーの男性識者は一様にかの経済学者を理解できないというような顔をしたが、
わたしにはかれらのほうが得体の知れない生物に思えてしまった。
だれだってひとの隠しているものは見たいでしょう?

「本棚が見たい!」なのである。
著名人の本棚がカラー写真で公開されている。それからインタビューである。
まあ、恥ずかしい写真は1枚もなかった。むろん、それでもおもしろいのではあるが。
たぶん、ここを撮ってくれという依頼が本人からかなりあったのではないか。
この本には山田太一の本棚も掲載されている。
目を皿のようにして見たものである。
こんなものをという驚きと(覗き見る)喜びに身もだえした。
けれども、肝心の書庫は地下にあるという。
そこは撮影のみならず閲覧も拒否されたとか。当たり前の話である。

うちの本棚はクローゼットに隠してある。
どういったらいいのか。クローゼット用の小部屋がついているのである。
そこに本棚を4つ入れてある。重要な本はすべてこちらに収納している。
どうでもいいような本ばかりおもての本棚に並べている。
いざとなったらクローゼットの扉を閉めてしまえば完全犯罪だ。
本棚は、わたしにとって、ここだけは隠しておきたいという場所である。
だから他人の本棚を見たいというのは、まったく矛盾していないと思っているが、いかが?
「好きになっちゃったベトナム」(下川裕治責任編集/双葉社)絶版

→逆説めいたことを言うが人間がもっとも旅と無縁なのはまさに旅をしているときだ。
旅の本質は行為ではない。思念のうちにのみ存在するのが旅である。
旅行のプランを練っているときほど楽しい時間はないでしょう。
ひとはそのとき旅をしている。旅とは思い思われるものなのだから。
旅に出るまえ、かれは旅をしているといえよう。
旅から戻る。回想する。このときもかれは旅をしている。
どういうことか。たとえば旅をしたいと思うとき、ひとは旅をしている。
かつての旅を思い返しているからである。
いつかゆく旅に思いを馳せているからである。
芭蕉が旅を始めたのは「おくのほそ道」の1行目を記したときであった。

人生で旅ほどおもしろいものはないといまのところ思っている。
見知らぬ土地で見聞を広めるのは人間に許された数少ない愉楽である。
たしかに人生はつまらない。だが、旅があるではないか、とも思う。
カネがない。時間がない。にもかかわらずひとは旅をできるのである。
旅行記を買ってくるがよろしい。いつかここに行くと決めるのである。
そのうえで本を読み始める。そのときあなたは立派な旅人である。
けれども、なんとか都合をつけて実際の旅に出るのがやはりよろしい。
人生は一度きりである。思い切って旅立つしかないではないか。
その旅は生きているあいだ無制限で旅として使えるのですぞ。
酒をのむ。ブックオフにて105円で買ったこの本を開く。かつて旅したベトナムを思う。
このときわたしはほんとうの旅をしていた。
現地でのんだビアホイはまずかったが、日本で思うビアホイは最上級の酒である。
ここに旅の不思議がある。旅の愉悦がある。
「男性自身傑作選」(「山口瞳大全第10巻」/新潮社)絶版

→これをささま書店にて315円で買えたときはうれしかったな。
週刊新潮に連載されていた名物エッセイ「男性自身」の著者自選による傑作集である。
山口瞳は日本が誇る最上のエッセイストのひとりだと思っている。
毎晩、酒をのみながらこの本を開くのが楽しみで仕方がなかった。
そのうち終わらないでくれと思うようになったものだ。
書物に終わりがあることを嘆くほどおもしろかったのである。
どんなものであれ最高品質のものは、そのジャンルの特性をおのずから明らかにする。
「男性自身」を読みすすめながらエッセイとはなんであるかわかってしまったのである。
おそらく勘違いであろうが、このような飛躍をするのは当人にとっては楽しいもの。
どうかもうしばらくおつきあいください。

「枕草子」「徒然草」からして、エッセイの本質というのは「好き/嫌い」である――。
人間の基準というのはふたつあるように思う。
ひとつは「正しい/誤り」という分類。もうひとつがエッセイの根幹たる「好き/嫌い」。
論文とエッセイはともすれば見分けがつかない。
だが、この基準に照らせば、その文章が論文かエッセイかの区別が容易につく。
正誤を問題にしていたら論文。好悪(こうあく)を問題にしていたらエッセイである。
論文というのは、とかくつまらないものでしょう。なぜなら人間味がないからなのです。
人間というのは正誤では生きていない。好悪で生きている。
たまにこれをわからない学者がとんちんかんなことを言います。

ひとは、正論ばかりの品行方正な人間をかならずしも好きになるわけではない。
むしろどう考えてもひととして生きかたを間違えているような人間を、
それゆえに好きになるのが我われである。
からだにいい無農薬野菜を薄味で調理したものがすばらしいのはわかる。
けれども、あんなものを毎日、食べたいなんて思うのは病気でしょう。
いかにもからだに悪そうな化学薬品たっぷりの料理をかえって好んだりする。
子どもの味覚は正直だという。子どもは健康にいい食品なんて食べたがらない。
ドミノピザとか、いかにもヤバそうなのを求める。
子どものみならずおとなの我われも正誤では生きていない。
それは正誤は気にするけれども、最終的な判断をくだすのは好悪である。
好き嫌いというのは、それだけ人間にとって根深いものなのである。
生半可な理性ではどうにもならないものが好き嫌いにはある。
だから、と言いたいのである。
これまでエッセイは書かれつづけてきたし、我われはエッセイを好んで読む。
他人の好き嫌いとじぶんのそれを比較するのはおもしろいのである。

会話がいちばんはずむのは好き嫌いをテーマにしたときではないか。
ことによると、たいがいのおしゃべりは、あれが嫌い、これが好きの表明かもしれない。
好きなものと嫌いなものを聞いたらその人間がわかるというのも決して大げさではない。
もしブログでエッセイを書こうと思っているかたがいらしたら好き嫌いを書けばよろしい。
それが新鮮なものであれば、エッセイはおもしろいものになる。
つまり、エッセイの秘訣は「わたし」を追求するということか。
「わたし」とはなにか。なんのことはない。好き嫌いである。
好き嫌いには正誤がない。これを好きなのは正しいということはない。
ひとそれぞれなのである。好き嫌いには絶対的な正解がないのである。だから難しい。
人間をみがくということは、好き嫌いを洗練させることなのかもしれない。
ひとはそのためにエッセイを読む。むろん、そんな向学心はなくともエッセイは楽しい。
人間はおもしろいということだ。まったく好き嫌いは果てしないテーマである。
「花壇」(井上靖/角川文庫)絶版

→建築会社の社長、江波棟一郎はオリエント旅行中、ある事件に巻き込まれる。
砂漠の真ん中でタクシーの運転手が病気になったのである。
これでは動きが取れない。偶然、知り合った白人の老紳士が江波に援助を申し出る。
じぶんのタクシーに同乗しないかというのである。
行きたいところがあるからと一度は断わった江波だが、老紳士は申し出を引っ込めない。
ついでだからそこへも行きましょうと言ってくれる。
江波はありがたく好意を受けることにする。
ところが、このタクシーが事故で崖の下に転落する。
たまたま地盤がゆるんでいたのである。
老紳士とタクシー運転手は即死。江波だけが運よく生き残った。
江波は考える。あの日、あの時間にあの場所を通ったから事故に遭遇したのである。
もし老紳士が親切心をださずに日本人を誘わなかったらこの事故は起きなかった。
老紳士はたいへんな人徳者で、この旅も無医村に診療所をつくるための下準備であった。
なぜ老紳士は死んで、じぶんは生き残ったのか。
江波は帰国すると周囲の反対を押し切り会社を辞める――。

江波の感慨を本文から引くとこうである。

「一人の人間が生きて行くということは、大勢の他の人間の運命を変えたり、
他の人間の人生によく働いたり、悪く働いたり、複雑なものなんでしょうね」(P107)


老年の井上靖は、主人公のさりげない会話に物語の真実を埋め込んでいる。
ありきたりな人生観だが、物語のすべてがこのせりふに凝縮されているといえよう。
しつこいがこの平易な文章を整理しながら繰り返すとこうなる。
「一人の人間が生きて行く」→「大勢の他の人間の運命を変える」
「一人の人間が生きて行く」→「他の人間の人生によく働いたり、悪く働いたりする」
上記の図式を「複雑なもの」と形容している。
このほんらい複雑なものを、わかりやすく読者のまえに提示するのが物語である。
少なくとも、井上靖の小説はそうである。複雑なものがわかりやすく書かれてある。
では、この複雑なものの正体とはいかなるものか。

事故直後から江波の内部に老紳士が住まう。
死んだ老紳士の声が江波には聞こえるのである。老紳士はこう話しかけてくる。

「――私も死に、運転手も死ぬ。あなただけが生きる。
私たち二人がなぜ死ぬかも判らないし、あなた一人がなぜ生きるかも判らない。
どういうわけで、そういうことになるのかは、誰にも判らない。
誰にも判らないから、
こういうことを説明するために運命という便利な言葉ができている。
すべてを運命というものに押しつけ、
一切を運命というもので片付けてしまう以外仕方がない」(P110)


複雑なものは運命とよぶほかない――。
井上靖は運命を描く作家なのである。
歴史から運命を見ることは容易だ。
栄枯盛衰という運命の別名を後追いすればいいのだから。
しかし、現代から運命を抽出せんためには、どれほどの視力が必要なのだろうか。
たとえば宮本輝は創価学会という色眼鏡をかけたわけである。
(宮本輝は運命を宿命へと捏造する作家だ)
井上靖に信仰はなかったようである。とすると、もともと超人的な裸眼をもっていたのか。
この視力は通常のものとは異なり、老いとともに冴え渡るもののようにも思える。
老眼にしか見通せぬものが、あるいは運命なのではないか。
「闘牛」で芥川賞を受賞したとき、井上靖は42歳になっていた。
「図解雑学 仏教」(廣澤隆之/ナツメ社)*再読

→このブログに「アジア漫遊記」を記す際、
まさか仏教の基本事項に間違いがあってはならないので復習として再読する。
毎度のことながら、膨大な内容をよくもまあコンパクトにと感心する。
基本事項はすべて網羅されているといってよい。
ここからスタートして、ここにゴールすればよいという、いわば教科書である。
新たな分野を勉強する場合、
なにから始めなければならないかというと語彙(ごい)の獲得である。
専門用語の大まかな意味を知らなければ議論についていけない。
その際、この「図解雑学 仏教」ほど役に立つものはない。
仏教を学ぶうえで知らなければならない用語がすべて絵つきで解説されている。
ここから仏教という大海原に出ればよいのである。
この小著は航海の羅針盤ともなる。
いまどこにいるのかがすぐわかるようになっている。
これはいささか個人的な問題だが、記憶力が弱いので「図解雑学」シリーズは重宝する。
ぱっと名前が出てこないことがよくある。「図解雑学」本を開けば一発なので助かる。
いくらバカにされようが、わたしは「図解雑学」のファンであることをやめないであろう。
これは新しい知のかたちだ(笑)!
「文藝別冊 総特集 河合隼雄」(河出書房新社)

→KAWADE夢ムック。
河合隼雄は作家との相性がいい。対談ではかけあい漫才になっているところもある。
どちらもウソつきだから、ウソとウソの相乗効果で話がはずむのであろう。
学者がマジメに河合隼雄を論じようとすると、わけのわからぬ文章ができあがる。
あれはウソなのだから真に受けてはいけないということだ。
河合隼雄の本を読むと元気になるひとが多いのは、あれがウソだからである。
真実は人間を追い詰める。比して、ウソのなんとほがらかなことか。
ここらでちょいっと楽をさせてもらう。
河合隼雄をマジメに論じたらおかしな方向へ言ってしまう。
いくつか引用をする。偉大なるほら吹きをご覧ください。

「だいたい、僕らのところに相談に来る人は、常識的な答えのない人です。
常識的な答えがあったら相談に来るわけないんですから。
だから、常識で考えても仕方ないから、夢でも見ませんかって言うんです。
夢というつかみ所のないものでも、ああでもないこうでもないとやっていると、
面白い答えが見つかったりする」(P45)

「僕らの仕事はその逆ですね。
努力とか、完結しようとせずに、そんなのやめなされと(笑)。
そういうことをやってるんですね、だから、こんなこと言いますよ、
あなたは常識で考えるかぎり、治ることありませんって。
しかし偶然ってことがあるから、一緒に待ちましょうって。
努力している人というのは、偶然が来ても見えないんですよ」(P85)


瀬戸内寂聴との対談もおもしろかった――。

「あれ(写経)はいいんですよ。私もときどき勧めます。
寂庵なら寂庵へわざわざ出かけて行き、大勢で集まり、お経を書くという、
そうした全てがたいへんいいんです。
集中力も必要ですし、あんなに他人に迷惑をかけない、いいものはないですよ。
歌など歌われたらたいへんですからね(笑)」(P176)

瀬戸内「私、今「源氏物語」の現代語訳をしていますでしょう。
あの時代は何か不幸があると、これは前世の因縁のためだ、
といってすべて前世のせいにしてしまうんです(笑)。
つくづくこれは救いだなと思う」
河合「そうです。救いですし、身近な人を恨まなくても済みます。
前世という考え方がないと、自分がこうなったのも親が悪いんだとか(笑)、
教師のせいだとか、周囲のものを悪者にしてしまうんです。
ところが前世という考え方は、悪者をつくらない。
よほど俺は前世で悪いことをしたんだ、と自分ですべての責任を引き受けてしまう。
これはたいへんな知恵ですよ」
瀬戸内「光源氏が女を口説くのにも前世の因縁をよく持ち出します。
本当に便利ですね(笑)」(P180)
「こころの声を聴く」(河合隼雄/新潮文庫)

→河合隼雄対話集。
ようやくわかりましたよ!
河合隼雄の著作はすべてウソであった。河合隼雄は希代のウソつきであった。
ユングの冠をつけたおかたい研究書も、実のところはみーんなウソ! ウソ八百だ!
そもそも、である。河合隼雄の著書は、一見すると難解に思われるものも、
みなみな一般読者でも読めるでしょう。意味がわかる。
そこいらの主婦やリーマンにも読めてしまう。
よくよく考えたらこれはおかしいのである。一般人にわからないのが学問なのだから。
だれにでも読める河合隼雄の学術書というのはかなり危険なのである。
一般読者は学問を正しいものだと思っている。
だから、学問をしたと勘違いしたそこいらの主婦がわかったようなことを言い始める。
子どもに学校でちょっとなんかあったら、こころに傷がうんぬんとバカ騒ぎする。
根拠は、だって河合隼雄先生が言っているざーます、である。
会社員も会社員で、学問的に正しい上司との交際をしようとして、かえって煙たがられる。
このような主婦や会社員に言いたい。
河合隼雄の主張はすべてウソだぞ。ウソはウソとして楽しまなければならない。
ウソを真に受けたら、とんでもないことになるからな。

亡くなったのを契機に、
日本人は河合隼雄との正しい向き合いかたを考えるべきではないか。
河合隼雄先生のおっしゃることは正しい、という受容の仕方はやめよう。
河合隼雄先生はウソをおっしゃっている、と見たほうがいいのではないか。
ウソを否定的な意味合いで断じているわけではない。
ウソだからいいのである。ウソだから役立つのである。
たとえば、死にたいというひとがいる。
このひとにいくら正しいことを言っても無駄なのである。
ひとは生きるべきだ、なんていう正しい説教をしたところで、なんにもならない。
正しいことといえば、この世に生を受けた人間はいつか死ぬ。このくらいでしょう。
正しいことは、役に立たないのである。
河合隼雄にとって、なにより大事なことは相談に来る悩めるものを救うことだった。
いくら正しい学問をマスターしていても、
ひとりの人間に相対するときはなんの役にも立たない。
人間と向き合うことを、心理学では臨床という。
この対話集で河合隼雄はこんなことを言っている。

「私は人間のこころのことをやっていて、前からそう思っていたわけです。
ところが私がやり出したころは、それこそシステム論が強いわけですから、
そういう固いシステムをもっていないものは学問ではない、
科学ではないと批判されるわけです。しかし私に言わせると、
そういう科学とか学問でつくったものは実際に役に立っていない。
われわれは、臨床をやっているわけですから、
役に立たないと話にならないわけですよ」(P202)


役に立つ学問を追及していたら、いつのまにかウソになってしまった。
これが河合心理学の真相ではないだろうか。
河合心理学は正しくない。ウソである。だからクライアントは治癒にいたる。
河合隼雄はほら吹きである。だから学術書も楽しく読めてしまう。
忘れてはならないのは、それでもウソだということである。
ウソを正しいと思ってしまうと問題が生じる。
マジメな顔をして、アニマがどうのアニムスがどうのと語ってはいけない。
(アニマ、アニムスはユング心理学の述語)
思いつめた顔をして毎日の夢の記録など取るな、と言っている。
ここで重要なのはニヤニヤではないか。
夢の話などニヤニヤしながらすればいいのである。
思えば、偉大な師である河合隼雄先生もいつもにこやかに笑っていらっしゃった。
あれは見方をかえればニヤニヤとも言えなくはありませんか。
どこかでウソをついているというやましさがあったのでしょう。
あるいは「無意識(こんなものあるのか?)」に後ろめたさを感じていた。
河合隼雄の著書を読むときは、このニヤニヤを忘れてはならない。
著者がニヤニヤしながら書いているのに、
読者がマジメな顔をしていたらおかしなことになってしまう。
ふふふ、河合先生たら飛ばしちゃって! このくらいの余裕を読者も持ったほうがいい。

しかし、河合さんのウソはおもしろいよな〜。
たとえば、この本から――。
人間は老いも若きもブラブラしているほうがいい。
なにもしないでブラブラ遊んでいるのがいちばん楽しいんです。
そういうなにもしないひとから時どきなにかをするひとが現われる。
それが芸術だったりする(P98、P120)。
こんなウソをさりげなく言う河合隼雄先生は最高だよ!
え、これウソですよね?
芸術というのは汗水流して努力した結果でしょう(ニヤニヤ)?
「日本の面影」(山田太一/岩波現代文庫)

→テレビドラマシナリオ。1984年放送作品。全4回。
山田ドラマは、ひと言でいうなら泣きのドラマなんだな。
感情に喜怒哀楽があるという。すべてにおいて人間は泣くわけである。
喜んで泣く。怒って泣く。哀しくて泣く。楽しくて泣く。
繰り返すが、山田ドラマの基調は泣くである。
泣かないというのも、泣くが網羅するところの感情領域だ。
口惜しいけれども泣かない。やりきれないけれども泣かない。
泣かないで生きてきたひとにも我慢できない瞬間というものがある。
こみあげてくるものはどうしようもない。泣くしかないではないか。
この「泣く/泣かない」のあわいにたたずむ人間を山田太一は好んで描く。
それが正しい人間のすがただからである。
たとえば、人間の喜怒哀楽。そのどれほどが人間自身の手によるものか。
すべて向こうから来るものではないか。
喜びも哀しみも、個人の意思とは無関係に、むしろ逆なでするようなかたちで、
あちらがわから来るものではありませんか。
人間は能動の存在ではない。受動でしかないとは思いませんか。
ちっぽけな人間は、喜怒哀楽すらままならぬ。
どうしようもない。やりきれない。
このとき赤子のような個人が巨大なものに手をあげる。
受け入れるしかないのを知りながらもノーと拒絶する。
その結晶が山田ドラマにおけるなみだなのである。

このドラマの主人公はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)。
明治時代の日本研究家である。白人の親日家のさきがけとして知られている。
シーンは松江の中学校。
ここで教鞭(きょうべん)を取るハーンだが、学校をやめることになった。
そのことを教え子たちにいうハーン。

●中学校・教室

うつむいている生徒たち、その中に小豆沢も石原も大谷もいる。
しんとしている

ハーン「発つのは、十一月です。まだ二ヵ月もある」
小豆沢「(急に涙を拭く)」
石原「――(泣かない)」
大谷「(泣いている)」
静かで、鼻をすする声のみ、ハーン、ホロリとして、涙ぐむ」(P248)


ハーンは日本人女性、小泉セツと結婚する。
待ちに待った赤子が生まれた日である。
産室でハーンとセツは顔を合わせる。

セツ「(そのハーンを見つめる)」
ハーン「(微笑)」
セツ「(幸福で、涙ぐむ)」(P292)


いつから日本人は泣かなくなったのだろう。
明治期の人間ドラマを描きながら、
あたかも山田太一はこう問いかけているかのようである。
なにゆえ日本人は泣かなくなったのか。
明治時代に西欧から輸入されたのが近代化、産業化、合理化である。
すなわち、人間万能主義だ。人間はやろうと思えばなんだってできるという思想だ。
壁にぶつかっても人間は泣いてはいけない。
その壁を超えてゆくのがあるべき人間のすがただという思想。
がんばれ、がんばれと人間の尻を叩いていく流儀。
貧乏人はすべからく金持になるべし。
そのためには英会話を勉強して資格を取らなければならない。
前向きでなければならない。泣いてなんかいるのは負け犬だ。
人間はがんばればなんだってできる。
テレビ「愛は地球を救う」では身体障害者が登山に挑戦している。
見習え。泣くのは人間のクズだ。人間は常に挑戦しつづけなければならない。
――いつから日本人はこうなってしまったのか。泣かなくなったのか。

山田太一はなにゆえドラマで人間をして泣かしめるか。
山田ドラマの登場人物はどうしてああも泣くのか。
根本の思想を山田太一はハーンの口を借りて語っている。

ハーン「私は、なぜ生きているのか? 死んだらどうなるのか?
分らないことばかりだ。 なぜ感じたり考えたりできるのか?
人間には、どうにもならないことがいっぱいある。
人間は、無力だよ。世界の中心になどいない。
少なくとも、そういう恐れを抱く必要はないかね?
でなければ、人間は途方もなく傲慢になってしまわないか?
自分がここにいるのは、
目に見えない大いなるもののおかげかもしれないとは思わないかね」(P119)
ホテルを出ると、さわやかな朝である。
4月中ごろの西安は朝晩こそ冷え込むが日中は半袖でかまわない。
いまも日かげに入ると肌寒いものの日ざしは暑いほどである。
なにかが始まろうとしている朝である。見上げると透き通るような青空。
西安の朝を歩いている。この街でわたしを知るものはひとりもいない。
どこへでも行くことができるような思いにとらわれる。青空のしたならどこへだって。
朝の小鳥がさえずっている。
目に映るものすべてが朝の輝きを備えているように感じられる。
朝だ。夜は明けたのである。西安の朝が始まっている。
開店準備をしている食堂の店内では、もう忙しそうにソバをすすっているものもいる。
南方飯店のまえを通り過ぎる。夜が遅いこの食堂はまだ店を開けていない。
おはようだ。今晩また行きますよ。
駅へ近づくにつれ重い荷物をかかえた中国人のすがたが目立つ。おはよう。
どこに行くのかな。話しかけてみたい。通じないのはわかっているけれども。
異国なのだ。いま西安にいる。西安よ、おはよう。言葉が通じない西安よ。
万物みな朝の祝福を受けているようである。なにもかもが日本とは異なる。
そのくせみながみな朝を謳歌(おうか)している。朝の喜びをうたいあげている。
旅人の感傷なのはじぶんでもわかっている。
感傷でもいい。自問する。この日のように朝を美しいと感じたことはあっただろうか。
ないわけではない。あった。記憶の闇から光がよみがえる。遠いむかしのことである。
まったき朝というものがあった。人間も自然も輝いている朝がかつてあった。
毎日のようにあった。あの完全な朝のことを今日まで長いこと忘れていた。
なにかが始まる予感にみながみな、人間も草花も玩具までも、踊りだしそうな朝があった。
始まりの朝があった。西安のような朝があった。
朝めざめるのは人間だけではないのである。
忘れないぞと誓う。西安の朝を忘れない。朝は始まりであることを忘れない。
朝の喜びを今度こそ決して忘れないぞと西安の路上で誓った。

西安で自由に使えるのは今日と明日の2日だけである。
あさっての午前中に天水(てんすい)行きの列車に乗る。
今日と明日で行きたいのは興教寺、香積寺、草堂寺。すべてお寺である。
「地球の歩き方」によると、どの寺院もバスで行けないことはない。
けれども、よほど注意して行かないと最終バスがなくなってしまうと注意書きがある。
最終バスは16時と早い。 これを逃したら帰ってこれなくなるわけである。
無理をしたくはない。バスで行くなら1日に寺ひとつが限界なのかもしれない。
とすると行けるのはふたつ。優先順位の低い草堂寺はあきらめるほかない。
いちばんいいのは本日なんとかふたつ寺をまわってしまうことだ。
興教寺、香積寺なら地図を見るかぎり行けないこともないような気がする。
問題は、このふたつの寺をむすぶバス路線があるかである。
このくらい郊外のバス路線になると現地の、
それもほんとうの地元のひとしかわからないという。
旅は運任せだと思っている。たとえば、ひととの出会いなど典型的である。
バスを1本遅らせることによって、会うひと、会わないひとが出現するのだから。
古典的なたとえを再度用いる。
旅は人生である。ならば、人生もまた運任せでいいのではないか。
ある朝、起きる時間を30分遅らせたことで、
いともかんたんに変わってしまうのが我われの人生なのである。

人生のことはむつかしくてわからないけれども、旅は運任せでいいよな。
というか、なるようにしかならない。異国のことである。出たとこ勝負で行くしかない。
運がよければうまくいくだろうし、
ついていなければひとつも観光地をまわれないかもしれない。
ホテルであれこれ心配していても始まらない。一歩踏み出すしかないのである。
行きたいとは思う。けれども、行けるかどうかはわからない。
人間にまつわること、万事がみなこうではありませんか。
なにかを成し遂げたいとは思う。しかし、結果はままならぬ。
おかしな哲学をしていると時間がなくなるばかりである。
もやもやした気分のままホテルを出ると、美しい朝である。西安の朝に打たれた。
なんだかすべてがうまくいきそうな気がしたものである。

西安駅前から興教寺は2回バスを乗り換えなければならない。
いつものメモ戦法しかない。行きたいところを書く。最終目的地。
そうして運転手、車掌、他の乗客の好意にすがるのみである。
気のいいひとが行きかたをメモに書いてくれる。
というか、待つというよりもむしろ書いてくれるひとを探しまわる。
興教寺に到着。それにしてもバスで移動するのはタクシーよりも数段楽しい。
観光となんの縁もないひとと空間をともにするのはいろいろ新鮮である。
興教寺へ行くには停留所から坂をのぼらなければならない。
田園風景を見て驚いた。春である。いつ春になったのかと思う。
東京を出たのは寒い2月であった。暑いタイ、カンボジア、ベトナムとまわった。
春はどこにもなかった。日本でいえば夏ばかりであった。
この旅ではじめて春を見たように思う。
西安郊外の草花は生きることの喜びを隠そうとしない。
育つことの楽しさをうたっている。
誕生と成長の幸福に――春の幸福に胸打たれる。春になっていたのかと思う。
日本の桜を見なかったのは今年がはじめてである。
いつしか松任谷由実の「春よ、来い」を口ずさんでいた。
もう西安には春が来ているのにである。

興教寺。ほとんど観光客のいないひっそりとした寺である。
玄奘(三蔵法師)の遺骨が埋葬されている寺院として知られている。
インドのナーランダを思い出す。
ナーランダは仏教大学でむかしから有名なところである。
仏法を求めてインドへ旅立った玄奘もナーランダで仏教を学んでいる。
リクシャーの男からここも行かないかと誘われたのが玄奘博物館だった。
「地球の歩き方 インド」にはこの博物館のことは記載されていなかった。
係りのひとがとてもよくしてくれたのを覚えている。
英語名で玄奘と書かれているが、だれのことだかわからない。
困っていると、かれが漢字で玄奘と書いてくれたのである。
玄奘なら知っていると思ったものである。三蔵法師だよな。
このあとナーランダにいまもある仏教大学を見学した。
真摯に仏法を学ぶ学生たちのすがたに、じぶんはなにをしているかと反省したものである。
玄奘とわたしには、些細でつまらぬものだが、このような物語がある。
いまあの玄奘の墓に来ているのだ。なにかの完結を意識せずにはいられなかった。
3年前インドで始まったものが、いま中国で終わろうとしている。
終わりは始まりを意識させるもの。さあて、これからどこへ行こうかな。
むろん日本へ帰らなければならない。そこからどこへ行くかである。
これは空間的な移動のみを意味してはいない。人間は精神においても移動する。
玄奘を祀(まつ)った塔のまえで合掌する。
あなたとおなじようにナーランダからここへ来た日本人です。
あたなの訳された般若心経をいつしかよむようになりました。
サンスクリット語のわからぬわたしにはあなた、
玄奘がいなければ般若心経はよめなかった。
こころが安らぐとてもいいお経だと、毎朝のように無明の闇のただなかでとなえています。

興教寺のひとに香積寺と書いたメモをさしだす。
ここってバスで行けますかね?
1回の乗り換えで行けるらしいので小躍りする。まだ昼過ぎである。
この調子なら今日ふたつの寺をまわることも可能なようだ。
停留所で待っていると先ほど寺にいたおばさんが坂をおりてくる。
どこかへ出かけるようである。
このおばさんが親切に車掌さんとの仲介を中国語でやってくれた。
小さなバスターミナルでおろされる。
ここでバスを乗り換えるのだが、聞くとここにそのバスは来ないらしい。
ここから1キロほど歩いたところに、そのバス停留所がある。
こういった地図ひとつさえない完全な見知らぬ土地を歩くのは恐怖であると同時に、
胸の高まりを感じる。旅をしているという実感がわいてくる。
なにかを求めて歩んでいることがとても心地いい。
「何を求める風の中ゆく」
山頭火の句はほとんどすべてこころに入っている。あたまではない。
思い出そうと思っても山頭火の句は出てこない。
ふとした拍子にこころからぽんと飛び出るのである。

ランチタイムである。どこかでメシでも食うか。ついでに酒ものめればなおよし。
だが、ここがなんという地名の場所かもわからない。西安郊外の町である。
いつもならこのような場所で食堂に入るのはそうとう迷う。
ところが今日はすぐに入店する食堂が決まる。ここしかないと思った。
というのも、食堂がひどく混雑している。それだけではない。
そのうち半数以上の客が昼間からビールをのんでいる。ここに入るほかないではないか。
昼からのむ酒ほどうまいものはない。ここの客の舌は信じられる。
臆面もなく食堂へ押し入り空いている席にどかりと腰をおろす。
どのように注文するのか観察するためである。かんたんであった。
前方に惣菜のウインドウがある。ここであれとこれをくれと言えばいいのか。
よしと席を立つ。まずビール。いくら? 45円か。よろしい。
それから惣菜をあれ。あれも。これもね。
それから、ほら、あれだよ。みんなが食べているドンブリ。うん、ぜんぶ食う。
だって、食べることは幸せだからね(以上、すべてジェスチャー)。
正確に伝わったようである。注文したものはすべて出される。
ドンブリの中身は、日本でいうならスイトンだと思う。雑炊のようなスイトン。
冷菜3品もスイトンもうまい。ビールも昼から進む、進む。
気兼ねしないでのめるのがいい。平日の昼間からのんでいるものばかりである。
調子に乗って3本も昼間からビールをのんでしまった。
にもかかわらず料金は信じられないほど安いのだから。
ひょいと入った食堂がこうもうまいとなにに感謝したらいいのかわからない。

ぐでんぐでんとは言わないまでも、かなりいい感じに酔っぱらっている。
こんな調子で香積寺へ行くバスを見つけられるのか。
運が良かったとしか思えない。
これがあっさり見つかってしまうのである。ここで降りろと教えてもらう。
日光は4月とは思えないほどの強さで万物を焼く。汗が流れる。
香積寺もバス停から歩かされる。道に迷うことはない。
バス停に降りて横道に入るとすぐに香積寺の仏塔が目に入るからである。
あれをめざして行けばいいのか。それなら迷うはずもない。
春の炎天のしたを歩いているといつしか酔いはさめた。
中国のビールについてはいつか詳述するが、そもそもアルコール度数が低いのである。
日本のビールはたいてい5%。比して中国のビールは3%前後である。
水とかわりないと思っても、
そう痛い目にはあわないはずである(ホンモノのビールならば)。

酔いもあったのだろう。香積寺の門前で感激する。
ひとりの日本人がバスでどうにかこうにかここまで来ました。
自己陶酔に近い情動といってよい。
香積寺は日本の浄土宗と縁のある寺院だからだろう。
入口に日本語で説明が書かれている(誤字多し)。
この寺は浄土宗の祖師のひとり、善導を記念して建立されたものである、云々――。
いいかげんな説明をいまから付記する。
正誤は定かならぬゆえ眉につばをつけてお読みください。
仏教といえば南無阿弥陀仏が出てきませんか。
この念仏を重視しようというのが、日本の浄土宗である。
開祖は法然である。
繰り返しますが、いいですか、有名な南無阿弥陀仏を発明したのは法然。
けれども、じぶんが考えたなどと言ってしまったら権威がなくなる。
いまでもそうでしょう。
デリダがどうの、ヴィトゲンシュタインがどうの、と言われたほうがありがたい。
日本人の精神風土はむかしから変わらない。
そこで法然が南無阿弥陀仏の根拠として利用したのが中国の善導和尚の著作。
日本の仏教大学たる比叡山には無数の経典、注釈書がホコリをかぶっていたのでしょう。
その中から法然は善導の書物を運び出した。ここに念仏で救われると書いてある。
だから、みなのものよ、南無阿弥陀仏ととなえなさい。そうすれば救われる。

この善導なる中国僧がどの程度の地位にあった宗教家なのかはよくわかっていない。
というのも、本元の中国では仏教史を研究するものが少ない。
インド同様、中国でも仏教は途絶えてしまっているのである。
どういうことか。善導は法然が(書物によって)師事したというだけで有名なのである。
けれども、どうやら善導の説いた念仏信仰は、法然の南無阿弥陀仏とは違うらしい。
善導の説く念仏修行は、仏を念ずるという意味である。
口称念仏をすすめているわけではない。
仏を思うことが念仏。仏を強く念ずれば救われると言っているに過ぎない。
ところが法然は、それを口でとなえる南無阿弥陀仏にしてしまった。
このほうが愚かな民衆にはわかりやすいから意図的にねじまげたのであろう。
南無阿弥陀仏と口から吐き出せば救われる。これが法然の浄土宗である。
(以上の記述に誤りがあったら教えてください。これから勉強したいことですので)

やはりまだ酒が残っていたのか。南無阿弥陀仏のいかがわしさを知らぬでもないのに、
構内を歩いているとなみだがあふれてくる。南無阿弥陀仏と思わずもらす。
正しくたって、間違っていたって、それがなんだというのか。
南無阿弥陀仏で救われる。そう信じて死んだ人間をだれがバカにできるもんか。
南無阿弥陀仏だ。阿弥陀仏さま、われをして極楽浄土に往生せしめよ。
救われたい。なんでもいいだれでもいいから、この愚人をお救いください。
空を見上げる。陽が燃えている。この身を焼き尽くせ、と思う。汗もなみだも顔を流れる。
ふと、思う。いまの顔を鏡に映したらそうとう笑えるんだろうな。
真剣なおのれをいつもこうして茶化してしまう。
どうしても純粋になれない。どこかで純粋を笑うような不純がわたしにはある。
たとえオウム信者であろうと、純粋な人間を目にするとかなわないものを感じる。

遠くからも目立つ塔の正式名称は香積寺善導塔という。
かつては上階へのぼることもできたが、いまは禁止されている。
高いところにそれほどあこがれはないので、そう聞いてもショックではない。
塔のまえで休んでいる中国人から声をかけられる。男の子。
19歳。大学生だという。専攻は哲学だそうである。
大学が休みだったので近場のここまでひとりで来たということである。
メモ帳を駆使して、お互い自己紹介をする。この大学生は英語をほとんど解さない。
いくら国際交流とはいえ、およそ10も年齢の離れた人間とは話が通じない。
お互いの好奇心が尽きたころに別れた。
そのまま日かげでわたしは休息を取った。これでは仏跡マニアだよなと自嘲する。
なんでこうも仏教ゆかりの地にこだわるのだろうか。
こんなところへ来るのは寺の跡取りくらいのものであろう。
ここまで来たからといって救いがもたらされたわけではない。すべては徒労に過ぎぬ。

そろそろホテルへ戻るかと腰をあげる。
寺の入口で先ほどの大学生が寺の僧侶と話をしている。
雷鳴のようにひらめく。
「ちょっと、ちょっと、そこのきみだよ、ボクちゃん!
まだ時間はあるかな。これから草堂寺へ一緒に行きませんか。
草堂寺。ガイドブックの、ほらほら、ここに載っています」
大学生の返答は、いいですよ。ただしおカネがないのですが……。
いいよ、いいよと答える。バス代金、入場料くらいならお支払いしましょう。
中国人のパートナーがいれば、ここから草堂寺へ行けるかもしれない。
そうしたら3日かかると思っていたところを1日でまわれることになる。
ガイド料金を考えたら、交通費、入場料など安いものである。
ここから草堂寺までひとりで行く元気はすでにない。
哲学大学生は寺の僧侶と中国語でなにか話している。
どうやらここ香積寺から草堂寺まで行けないこともないようである。
「レッツゴー」である。

ゆきずりの相手と旅をするのは、なんとも運命を感じさせる。
気のいい若者である。めずらしい日本人との交流を楽しんでいるように見える。
外見は、まじめだよな。いかにも哲学という風貌である。
それにしてもまだ10台か。じぶんの大学生のころを思い返す。
ここまでしっかりはしていなかったかもしれない。
バスに乗ったはいいが動物園が終点のようである。
はて、ここからどうすればいいのか。バイクタクシーの運ちゃんが寄って来る。
どうやらここから草堂寺へ行くバスはないようだ。バイクタクシーを使うほかない。
ふたりで協力して値下げ交渉をする。むろんカネはわたしが払う。
いくら高いといっても往復で1000円ちょいである。
この程度の金額を惜しんで、もう一生行けないかもしれない場所を棒に振ることはない。
バイクの後部座席にふたりでまたがって出発である。3人乗りのバイクである。
金額はぼられていないことがわかる。バス終点の動物園からかなりの距離を走った。

草堂寺へ着いてしまったのである。
まさか1日で3つも郊外の寺をまわれるとは思わなかった。
かれの入場料金を払ってやると言っているのに、この大学生は聞かない。
大学生料金だから安い。このくらいなら払うというのである。
予定外のバイクタクシー料金が入ってしまったのを負い目に感じているのかもしれない。
ここは鳩摩羅什(くまらじゅう)が仏典翻訳を行なった場所として知られている。
ちょっと、待てよ。ほんとうに知られているのか疑問に思う。
今日たずねた寺のなかでもっともさびれている。
鳩摩羅什は玄奘と比較しても決してひけを取らない偉人だが、
かの仏僧よりも扱いが低いのは否めない。
玄奘の大雁塔と鳩摩羅什の草堂寺を見比べたら一目瞭然である。
鳩摩羅什は法華経の名訳でもって有名らしい。
法華経を重んじる創価学会信者の作家、宮本輝もここをおとずれている。
どこかに日本の痕跡はないかと探していると日蓮宗の記念碑を発見する。
日蓮宗代表団がかつてここに来て石碑を建立したものと思われる。
いまの創価学会は日蓮宗と反目しているが、この新興宗教団体の母胎は日蓮宗である。
宮本輝のいくつもの名作が脳裏をよぎる。
今度は南無妙法蓮華経とつぶやくわたしである。
救われるなら南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも、どちらでもいいのである。
ほんとうに苦しんでいる人間というのは、そういうものでしょう。
あっちでは救われない、これでなければダメだ、なんていう宗教は人間に冷たくはないか。
効くと思われるクスリはぜんぶのめばいいのである。

またバイクタクシーで動物園まえのバス乗り場まで送ってもらう。
ここからバスに乗り、別れの場所まで向かうのである。大学生とわたしはそこで別れる。
「地球の歩き方」に最終バスが16時と書いてあるのは間違い。
19時、20時まで、バスはあるようである。
大学生はわたしを見送ってくれるという。今日はなんという1日だったであろう。
ふしぎな偶然が相重なって、西安で行きたいところすべてに行ってしまった。
明日1日が余ってしまったよ。
横に立っている大学生を照らす西日は、おなじようにわたしにも襲いかかる。
女性なら日傘が必要なほどの強い日ざしである。
沈まんとする太陽は深紅の輝きをもって燃えている。
たましいを揺り動かすほど荘厳な夕陽である。こんなきれいな落陽を見たことがない。
重大な終焉(しゅうえん)を意識させる日暮れである。
始まったものは終わらなければならない。
生あるものはみな死ぬという、当たり前の道理を、
なんと自然は雄弁に語りかけてくるのだろう。
大きな赤い太陽が地平線にかかっている。
「消えるな」とどれだけの人民が懇願しても、この太陽が沈むことは避けられぬ。
朝が来るように夜が来るのである。
世界よおまえは美しい。時よとまれ、世界よおまえは美しい。
ファウスト博士ではないが、
いまこの瞬間に死んでもまったく悔いが残らないだろうと思った。
それほどに世界は美しかった。今日という1日は輝いていた。
じつにすてきな始まりと終わりであった。
万事、開始と終了があるのである。朝と夜。生と死。
だが、終わりでほんとうにすべてが消え去ってしまうのか。
もしやこの地点から宗教が始まるのではあるまいか。
釈迦そのひとは、あれだけ偉大な人物であったが、にもかかわらず死んだ。
これで終わりなのか。死んでしまったらおしまいなのか。
死にたいする激しい思いから、あるいは仏教が興ったとは考えられないか。
生は死によって幕を閉じる。
始まれば終わる。出会えば別れる。
大学生のかれとのお別れである。
もうかれと会うことは決してないであろう。しかし、これで終わりなのか。
別れたらすべてが消えてしまうのか。そうではない。終わりは同時に始まりである。
バスは西安駅へ到着する。空を見上げると薄暗い。終わりではないと思う。
明日になればまた陽光がこの西安をあかあかと照らすに相違ない。
いまわたしにできるのは酒をのむくらいである。
それから熟睡をする。来るべき朝を待たなければならない。
6時起床。朝食を食べに行かなくてもいいように、ゆうべパン(らしきもの)を購入。
もちろんオレンジジュースも忘れていない。ぬるいけれどもね。
中国の――あれはなんと言うのだろう、
ガイドつきの大尽旅行ではないから――パンはまずい。
水気がなくて、かさかさしている。甘いのか甘くないのかもよくわからない。
オレンジジュースで流し込もうと思ったけれども、からだが拒絶する。
大半をゴミ箱に捨ててしまう。
深酒した翌朝に、オレンジジュースをごくごくのむのは気持がいい。
パンのことは忘れることにする。

朝7時、駅前のバスターミナルに到着する。
法門寺(ほうもんじ)行きのバスはたしかにある。
けれども乗車率は半分もいっていない。
さあ、出発するのはいつになるやら。
情報を整理する。
いま「法門寺」でネット検索したが行きかたを書いてあるサイトはなかった。
以下に記すのは2007年4月段階の情報(まあ、そう変わるものでもないと思うが)。
法門寺にはツアーに参加しなくても個人で行くことができる。
ツアーだと興味のない観光地にも連れて行かれる。時間を制限される。
土産物屋で拉致される。なにより集団行動をしなくてはならない。
このような不便を廃するために個人で行く方法をここに書く。
西安駅の東側(右側)バスターミナルから法門寺へ直通バスが出ている。
原則的に早朝の1本のみ。

出発時間は……この日は7時半であった。法門寺までは3時間弱。
帰りの時間が車掌から知らされる。おなじバスが午後2時、法門寺を発つ。
行き先は西安駅。「乗り遅れないようにご注意ください」
法門寺を4時間かけてゆっくり見ることができるというわけだ。

構内に入ると、まず目に入るのが塔である。
何重の塔になるのが数えようとするが、日ざしが強いのであきらめる。
天空を刺さんばかりの生命感にあふれた塔である。
天に近づくことに古来、中国人はなにがしかの意味を見出してきたのだろうか。
西安市内の大雁塔、小雁塔の美麗なる長身がよみがえる。
上階をめざす仏僧の目にいかなるものが見えていたのか。
かれには天空の先に存在するなにかが見えていたのか。
それとも、仏僧とは名ばかり、
ただ下界にひざまずく無理蒙昧たる群集を見下ろしたかったのか。
法門寺は仏舎利(釈迦の遺骨)を保存している寺院として名を知られている。
相次ぐ戦争でインドを統一したアショーカ王は、生命の尊さにめざめ仏法に帰依した。
王がこの妙法を広めんと各地に仏舎利を送ったのは、
釈迦入滅から100年以上も経過したのちである。
そのひとつがインドから遠く離れた西安の地へ届いたというわけである。

仏舎利は以前、見たことがある。3年前のインド放浪のとき。
仏教八大聖地巡礼の途中で立ち寄ったのがのがサヘート・マヘートである。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という名前のほうが日本人には親しみぶかいであろう。
スリランカ寺に宿泊させてもらった。
それなりの寄付(宿泊料金)を払うと、住職がなら見せてやろうと仏舎利をだしてくれた。
ひと目見ただけでその輝きにまつげがこげそうになったので、あわてて目を閉じた、
というのはもちろんウソで、おい、これはそこらへんに落ちている石だろうと思った。

旅というものは、空間的な移動と等号ではむすばれぬ。
内面の意味世界においてはじめて旅は成立する。
3年前、インドで仏舎利を見た。今日また仏舎利のある、今度は中国の寺へ来ている。
旅情にひたるのはこんなときである。
めずらしいものや目新しいものを見ることをあまり重んじていない。
どんな遺跡を見たところでつまらぬものである。
求めているのは内面の意味である。物語である。じぶんにとっての意味だ。
祇園精舎から法門寺へ一本の線がつながった。これが旅だと思う。

塔の下にある地価宮殿も参観することができる。
壁面に仏陀の生涯が描かれている。
いつの時代に描かれたものかはガイドがいないからわからない。
あんがいつい最近、観光客用に描かれたものかもしれない。
真偽真贋など、どうでもいいのである。
じぶんに言い聞かせる。きみがいいと思うなら、
たとえそれがなんら価値のない赤子の落書きでもいいではあるまいか。
実際、親にとっては子の描く絵はどんなものよりも尊いわけでしょう。
美術的価値など、所詮はソロバン勘定の思想である。
盗んだら高く売れるかを考えるあさましい算段ではないか。
古いからありがたがって見るのかい。
ホンモノだから「なるほど」なんて感心するのかい。
きみはきみがいいと思ったものをそのままあがめたまえ。
難しいのは事実である。だが、若者は困難に立ち向かわなければならぬ。
かくありたいと思う気持を捨ててはいけない。
釈迦の生涯を順々に見てゆく。いいなと思う。
インド放浪を思い返し胸が熱くなる。真剣で切実な放浪だった。
中国でインドの旅をふりかえるひと時を持てたのは幸福としか言いようがない。
この壁画のおかげである。
芸術的価値は知らぬが、わたしにはたいへん意味があった。

仏教って、なんなのだろう。わたしは仏教徒だろうか。
どこかの宗派に所属しているわけではない。
じぶんの葬式に坊主が来るのはお断り願いたい。
仏教の根幹に三宝帰依という教えがある。仏法僧の三宝を敬えという教えである。
かりにこれが仏教であるならば、
坊主(職業的僧侶)が嫌いなわたしは仏教徒ではないのか。
しかし、仏教を勉強しようとしている。般若心経を毎日よむようにしている。
それをなんと名づけたらいいのかわからないが、大きなものの存在は否定しない。
個など太刀打ちできぬほどの巨大なものの存在を身をもって知っている。

法門寺を出る。ほかの見どころとしては横に博物館がある。
別料金である。記憶は定かでないが法門寺で60元。博物館で40元。
ネットで検索してみたら3年前の料金は法門寺20元。博物館18元。
ひどい値上げである。
ランチタイムなのでなにか腹に入れようと思うが、適当な店構えのところがない。
すなわち、ひとりで気軽に入れるような食堂が法門寺の近くにはないのである。
大人数で食卓を囲むような食事処(しょくじどころ)ばかり。
気持の落ち着かぬところでなにを食べようとおいしく感じるものではない。

時間もなくなってきたので昼食抜きで博物館へ入る。
いかにもな展示品ばかりである。絹織物、磁器、瑠璃(ガラス)、金銀の供え物――。
いちばんの売りは仏舎利を納めていた八重の宝箱のようである。
どれも逸品なのであろうが、こころ奪われるものはなかった。
ひとつだけ気に入った仏像があった。といっても小さなものである。
仏像というよりも、あれは地蔵かもしれない。お地蔵さん。
ことさら目立つところに陳列されているわけでもない。
その仏像からしばらく目が離せなかった。
笑っているのである。不謹慎かもしれないが、それがとてもかわいい。
ホコホコと笑っているのである。見ているとなんとも幸せな気分になる。
なんでかと考えて気づく。
その仏像を見ているうちに、いつとはなしにじぶんもおなじ笑顔をしているのだ。
ホコホコと笑っている。仏さまもわれもホコホコ。これはいいものを見たな、と思う。
ひと通り見てから、もう一度あの仏像にお会いしたいと引き返した。
中国人の少女が、まさにおなじ仏像に見入っていたので驚いた。
携帯電話で写真を撮っている。
わかるひともいるものだと思った。少女に好ましいものを感じた。

2時10分前にバスのところへ行くとだれもいない。
バスにはカギがかけられ、入ることができないようになっている。
運転手が近づいてきたので、もうすぐ出発ではないのかと聞くと2時半に変更だという。
アジアって、どこも時間にルーズだよな〜。アジアンタイム。
昼飯でも食ってくるかと言うと、「おう、それがいいな」。
でもさ、わたしが来るまで出発しないでくれよ。置いていかれたら泣くぞ。
わかったよ。まかせとけ。運転手の返答である(以上の会話は筆談と身振りによる)。
バスの進行方向へ向け歩き出す。程よくボロッちい食堂を発見。
はいはい、ぬるいビールしかないのはわかっているよ。
「没有時間」だ。バスが2時半に出発する。なんでもいいから早くできるものを。
「快だよ快!」
まさかこんな田舎のメシ屋でぼられることはないだろう。
ビールをごくり。ぬるいがビールにはかわりない。
まず出てきたのがキュウリとカマボコ(?)を油であえた冷菜。
これは酒のつまみにちょうどいい。これだよこれ。これが食いたかった。
つぎに出てきたのは、あれはなんいうのかな。まあソバの一種なのか。
キシメンを3センチずつに切断したようなものが入っている。スイトンではない。
空腹である。ソバもどきとキュウリがとても合う。
ソバもどきをすする。キュウリを口に押し込む。
口中に広がる美味をビールが波のように流していく。波のように押してきて引いていく。
せまい口内が美味の大海であふれた。ソバ、キュウリ、ビールのハーモニー。
口惜しいのは時間である。これは賭けなのか。
果たして中国人はどこまで時間にルーズなのか。
もしかしたら2時半という変更された時間もさらに遅れるのではないか。
しかし、待てよ。もしバスに行かれてしまったら西安駅まで帰る手段がない。
これほど困ることはない。だが、目のまえの食物の誘惑に打ち克つのもたいへん。
やむなくソバもキュウリも1/3ほど残す。請求金額は知れたもの。
こんな田舎町のボロ食堂でも、これだけの美味が味わえるのだから中華料理は奥が深い。
2時5分にバスに戻ると、わたしが最後の客だったようである。バスはすぐに出発した。

行きは3時間かかったのに帰途はわずか2時間で西安駅前に到着する。
バスのなかで中国人の若者たちから華山(かざん)という観光地を教えてもらう。
ひとり英語のうまい子がいた。なんでも絶景が望めるらしい。
バスは法門寺行きとおなじ場所から、これまた早朝7時に出ているという。
西安で使えるのはあと2日である。まあ、行けないとは思うが情報をメモしておく。
午後4時半、西安駅到着。このくらい早い時間に戻ってこれるとうれしい。
いつものようにネット屋へ行く。帰国してから、さて引越をどうするか。
満州の問題もある。なんとかして父の生まれた場所へたどり着きたい。
2時間のパソコンを終えホテルに戻る。
毎日、きちんと部屋をきれいにしてくれるのでうれしい。まあ、当たり前だけど。
窓から日暮れの西安をながめる。中国だ。いま中国にいるなんて。
シャワーを浴びながら洗濯を済ませる。今日も南方飯店へゴーなのだ。
こよいは魚を食べてみようかと思う。
からだが疲れきっている。東南アジアと中国で、こうも違うとは。
パワーが桁違いなのである。
たとえ栄養のあるものでも摂取(消化)できないと逆にからだを壊してしまう。
たとえるならいまはそんな状態ではないかと思う。
情報収集をしなければならないのでホテルのフロントへ行く。
行きたいところは決まっているのだ。しかし、どうやって行くのかわからない。
ガイドブックをなぜ読まないのか。何度も読んださ。
こう書いてあるのだ。くるまをチャーターする以外ない。
チャーター料金は1日500元(7500円)が相場。払えませんって。

西安郊外にある行きたい場所は以下である。
法門寺(仏舎利=釈迦の遺骨が保存されている名刹)。
興教寺(玄奘の遺骨が埋葬されている)。
香積寺(浄土宗発祥の地)。
草堂寺(鳩摩羅什が仏典翻訳を行なった寺院)。
法門寺をのぞくと、どれもマイナーな場所である。
旅行会社主催のツアーがあると「歩き方」に書いてあったので調べたが存在せず。
この場合のツアーというのは、
中国人グループが上記の場所にくるまをチャーターして行く。
そのメンバーに個人旅行者が加えられるのをツアーと称するのであろう。
ともあれ、上記4つの寺の行きかたをなんとかして調べなければならない。

ホテルのフロントに日本語を解する女の子がいたので驚く。
23歳。なんでも四国の温泉宿で3年間、働いていたという。
契約が切れたので戻ってきた。このホテルに勤めはじめたのは3ヶ月まえである。
今日、行こうと思っていた法門寺の行きかたがあっさりわかる。
彼女の実家がこの法門寺の近くにあるそうである。毎日、そこから通勤している。
これは確実な情報と見て間違いない。
西安駅前から頻繁に法門寺方面行きのバスが出ているとのこと。
それから魔法の言葉を教えてもらう。これを知りたかったのである。
みなさまも中国旅行をなさる際、このひと言を知っているだけでだいぶ変わりますよ。
「請叫我下車(チンジアウォーシアチュー)」だ。
訳すと、下車を教えてください。
いままでの中国旅行でこの言葉を知っていたら、どれだけ楽だったか。
この内容の中国語がわからないからジェスチャーでお願いするしかなかった。
でも今日からはこれで万事OKである。
車掌か運転手に、まず行き先の書いたメモを見せる。行くとなったら「請叫我下車」。
発音が通じないときはメモにこれを書けばいい。助かったと思う。

興教寺、香積寺、草堂寺への行きかたも調べてもらう。
このホテルは旅行会社も併設しているので便利である。
いまいち情報が集まらない。草堂寺にいたっては中国人も存在を知らなかった。
そもそもこんな場所へ公共バスで行く人間はいないのである。
彼女の上司から何度もくるまのチャーターをすすめられる。
300元(4500円)まで下がったが、それでもお断りする。
行くまえから決めるつけるのは夢のない話だが寺などどこもおなじなのである。
くるまで安易に行ってしまえば、なんの記憶にも残らないだろう。
わざわざ苦労してバスで行くから感動が生まれるのだ。バスにこだわる理由である。
「請叫我下車」があれば、なんとか行けそうな気になってきた。

ホテル最寄りのバス停留所を彼女が教えてくれるという。
外光に照らされた顔を見ると、ほがらかでかわいい子である。
東京ディズニーランドに行ったことがあるらしい。社員旅行で連れて行ってもらった。
「恋人とかできなかったの?」
え、なんのこと? その日本語わかりません、だってさ。ウソをつけ!
そのオトボケに免じて根掘り葉掘り聞くのはやめる。
「なんで中国人ってさ、あちこちに痰(たん)を吐くの?」
ほら、カーッペって、と身振りで示す。「痰を吐く」がわからないくらいの日本語能力。
驚いたんだよ。きれいなおねえさんとかも平気でやっているじゃない、カーッペ。
「マナーが悪いのだと思います。あたしはやりません。やったことないです」
中国人が日本人を見ると笑いながら言う「ミシミシ」ってどういう意味?
彼女もこの問いには答えてくれなかった。
携帯電話の番号を教えてくれる。「困ったことがあったら電話してください」
いい子である。

朝、起きるのも遅かった。行きかたを聞くのでもだいぶ時間を食ってしまった。
もう昼前である。早く行かなければならない。
ところが駅へ行くとバスターミナルが見つからない。
彼女は駅の西にあると言っていた。どこにも見当たらない。
駅近くのインフォメーションで聞く。「法門寺行きのバスはどこですか」
英語であっちだよと教えてくれる。駅の西ではなく東であった。まったくもう……。
まあ、かわいい子だったから許そう。故意に間違えたわけではあるまい。
しかしバスターミナルへ行くと法門寺行きのバスはないという。
聞いたひとがタクシーの運転手で、ならおれのくるまに乗れという。
信用できない。べつのひとに聞いたが答えはおなじ。バスはない。
正確には1本ある。早朝の1本のみ。もう今日はないの? ない!
まいったなと思っていると、そばにいたおじさんが教えてくれる。
ここにはないが南関バスターミナルに行けば法門寺行きのバスがある。
謝謝! で、そのターミナルにはどうやって行けばいいの?
あるバス番号をメモに書いてくれる。中国人はやさしいな。

だが、このバス番号は間違えていた。バスの運転手から正確なバス番号を教えてもらう。
今度はまたそのバスを探さなければならない。ようやく見つかる。
ひどく混雑したバスである。
横にいたおじいさんに、早速「請叫我下車」をためす。
大きくうなずいてくれる。駅前停留所から南関バスターミナルまでバスで30分。
バスを降りたはいいがどこにもバスターミナルらしきものはない。
聞くと、ここからかなり歩かなければならないらしい。
歩くこと15分。やっとのことで南関バスターミナルに到着。
ここでバスチケット買おうとすると、法門寺行きのバスはここから出ていないと言われる。
さっき駅前で教えてくれたひとはなんだったのだろう。
悪意があるようには思えなかった。しかし1時間近くかけて来たのに「バスはない」。
あんまりじゃないか。乗り継ぎでもなんでもいいから、法門寺へ行くルートはないか。
すると、直通でなくてもいいのならバスはあるにはあるという。だが発車は16:30。
あと4時間近くも待たなければならない。法門寺も閉まっていることだろう。
うめくしかない。1時間かけてここまで来たのがすべて徒労に終わったのである。
そばに子犬かなにか小動物がいたら蹴りつけていたかもしれない。
だれが悪いのか。わたしは悪くない。教えてもらったとおりに来ただけである。
あやまった情報の提供者が悪いのか。
だが、たしかにここから法門寺へ行けるのである。

ついていなかった。こう言うしかない。ついていなかったのである。
これからふたたび駅前に帰らなければならないのかと思うとからだが動かない。
バイクタクシーの運ちゃんが声をかけてくる。乗らないか? おう、乗ってやる。
バス停留所まで15分歩くのがめんどう。5元(75円)支払う。
うまいソバでも食えよ、にいちゃん! 行きとおなじバスで駅前へ戻る。

さて、どうするかである。もう2時を過ぎている。
今日、法門寺に行くことは無理である。
旅では、思いのほかどうにもならないことに出会う。
その際、人間はあきらめるほかない。
旅を人生にたとえるものは多い。ならば、これは偉大なる人生訓かもしれぬ。
どうしようもないことは、あきらめる。
法門寺は明日行くことにしよう。複数のひとにバスの発車時間をたしかめる。
早朝ということにかわりはない。けれども、あるひとは7時という。べつのひとは8時。
1本だけなのはたしからしいから乗り過ごせないわたしとしては7時に来るほかない。
なら明朝は6時起床か。起きられるかな。

予定を変更して兵馬俑(へいばよう)を見に行くことにする。
秦兵馬俑博物館。世界遺産。「西安最大の見どころ」らしい。
中国最初の皇帝は、ご存じのように始皇帝。どの権力者も死を避けられぬ。
始皇帝は思う。ただの墓ではつまらない。そこで作らせたものが兵馬俑とよばれている。
焼き物人形で作られた目もくらむほどの兵馬の大群である。
おのが亡骸(なきがら)を死の闇においても兵馬に守らせようと始皇帝は思ったのか。
かんたんな兵馬俑の説明は以上で終わり。
行きたいかと聞かれたら、とりたてて興味があるわけではない。
何度勉強しても中国史というものはわからない。
したがって始皇帝にも関心の持ちようがない。
では、なぜ行ったか。貧乏人根性である。合言葉は「もったいない」。
せっかく西安まで来ておいて兵馬俑を見ないのはもったいないではないか。
しかし、なにゆえもったいないと考えるのか。
西安観光客の9割は行くところだからというのがひとつ。
いつか兵馬俑を見たいと思っている日本人が存在するであろうことがもうひとつの理由。
「兵馬俑など知らん」と忘れ去られた寺院ばかりをめぐる堅物には敬意を表したい。
こういう御仁はスーパーでタイムサービス、出血覚悟の大安売りをしていても、
かたくなにみずからの求めるブランドの豆腐のみ購入して帰宅するのだろうから。
決して真似できぬ行為である。

兵馬俑へは駅前から306路線バスが頻繁に出ている。
この306路線は東線ルートといわれ見どころがいくつもある。
もう時間がないので、そのうちふたつを選択する。兵馬俑博物館と秦始皇陵。
駅前から兵馬俑までは1時間強。今日はじめての観光名所である。
90元(1450円)取られるのが惜しいが、さりとて見なくても後悔するのだろう。
率直な感想は、ファラン(白人)が多い!
中国の観光地でやつらをあまり見かけなかったが、ここに集まっていやがったのか。
パックツアーの欧米人旅行者ばかりである。ファランが嫌いなわたしは、やられたと思う。
これだけで兵馬俑の印象が悪くなる。
観光地の欧米人にからだをぶつけられることが多い。
白人が来てもどかないからだと思う。
ファランはアジア人を人間と思っていないのである。アジア人はみなみな雑役夫。
観光は欧米人の権利であって、この権利ほど守られなければならないものはない。
すべての世界遺産は欧米人が発見したのである。よって、道をゆずれ、となる。
この兵馬俑でも見物しているといきなり肩をつかまれどかされた。
「なんだこの野郎!」と日本語で怒鳴る。例によって白人である。
かれがしたのとおなじように肩をつかんでやり邪魔だとどかした。
兵馬俑の混雑ぶりは異常なくらいである。
しばしもめたのち、かの白人はクレイジーという罵言を残して去っていった。
白人様が観光なさるときは、アジアの下等民は場所をあけなければならないのである。

こういうことがあったからだろうか。兵馬俑もちっともおもしろくない。
ただの人形である。いくら精巧に作られていようが人形に過ぎぬ。
ここには生がない。死ばかりである。こんなものを見てなにがおもしろいのかわからない。
まえからふしぎに思っていたことがある。
文学者とよばれるような作家先生は取材旅行の際、なにゆえああも大仰に感激するのか。
やはり作家先生ともなられるおかたは、みなさま感受性や想像力が豊かなためか。
わたしはどの観光地へ行っても、
どこかで舌を出しているような感覚を脱することができない。
なんだいと斜に構えてしまうのである。
作家先生のように、もっともらしく感動を表明することができない。
これは世代的なものなのだろうか。
以前にもこんな記憶がある。瀬戸内寂聴のインド旅行記を読んでいたときのことだ。
タージ・マハルへの感動の仕方がふつうではないのである。
気持悪いというほかないほどの修辞でもってかの建築物を称揚していた。
わたしの感覚からすると、期待はずれなのである。ただの白いお城でしょう。
左右対称、よくがんばりましたねというくらいの。
インドのバックパッカーとも話したけれども、みんなそのくらいの感想だった。
ぶっちゃけね、と教えてくれたものだ。観光地って、つまらないよね。
このへんの現代的な感覚をもっともうまく描写するライターがゲッツ板谷である。
沢木耕太郎の「深夜特急」よりもゲッツ板谷の「インド怪人紀行」だ。

このような感覚の相違は世代的なものなのか。いま論じていることである。
瀬戸内寂聴はわたしの祖父母の世代。沢木耕太郎は両親の世代。
ゲッツ板谷はひとまわり上である。
わたしが若いかどうかは置いておいて、いま若者とよばれる日本人が旅をしても、
どうしたって上の世代のような派手な表現はできないのではないか。
現代ではだれでもちょっとしたおカネさえあれば、どこにでも行けるのである。
情報もあふれている。過剰な思い入れをするのは不可能。
かえって過剰を戯画にしてしまいたくなる。笑っちゃいたくなる。
現代の若手文学者が(そもそも存在しないけれども)インドの寺を見て、
わかったふうなことを書いたら読者は失笑するしかないでしょう。
なぜかと言うと、だれでも見に行くことができるから。
実際はそうではないとすぐにばれてしまうから。
いまは世界のどこへ行ったところで観光客であふれかえっている時代なのである。
つまり、ありきたりをいとわず言うなら、現代には感動がなくなった。

あるいは秀逸な旅行記は、見ないことで書かれるのかもしれない。
見てしまったらどのみちつまらないのである。
いかに目をふさいで、こころに存する風景を大切にするか。
情報を耳に入れぬように努めるか。見たいものだけを見るか。
世代の問題と、技術の問題をいま論じた。あとは人間の傾向性の問題である。
世代とは関係なく、文学者の資質によって書く紀行文も左右されるのだろうか。
大仰な感動を描けないのは、書き手に才能がないからなのか。
もっとも尊敬する作家のひとり、宮本輝も兵馬俑を訪れている。
氏はわたしの両親の世代である。「ひとたびはポプラに臥す」から抜粋。

「私は十二年前、西安に訪れたときも兵馬俑を見たが、
その何千体もの兵士や軍馬の不思議なたたずまいの前で、
ただ黙するしかなかった」


描写しないという選択をしている(笑←このようになぜか笑ってしまう)。
このあと参考書から引いたと思われる兵馬俑の紹介がつづいて――。

「私は兵馬俑を目にするたびに、人間とは弱いものだなと思う。
いかなる天下人も、みずからの死だけは意のままにはできず、
死後もなお全中国から集めた精鋭集団の陶像によって
死の世界に立ち向かうと同時に、自分の財宝を盗掘から守ろうとしたのである。
兵馬俑が、もっと違う目的で造られたものであったとしても、
私には、権力者の死への恐怖が、
平凡な庶民の死への向き合い方よりもはるかに卑屈に思えてならない」(P30)


お決まりと庶民礼賛と死生観の吐露である。
これも、わたしにはできない。
世代のせいでできないのか。技術がないためか。才能がないのであろうか。
恥ずかしいと思ってしまうのである。生死の問題をわかったようなことが書けない。
笑いでごまかしたくなる。
たとえば、仏寺から受けた感銘よりも、お腹を壊した話を書いてしまう。
才能がないのをごまかしているだけかもしれない。

高いカネを払ったが毛唐が不愉快なのではやばやと退散する。
秦始皇陵へはバスですぐである。始皇帝の陵墓(りょうぼ)である。
上にのぼることができ、周辺の風景が見渡せる。
ここはすばらしい。なにがいいかというと、ひとがいないのがよろしい。
欧米人のみならず中国人の観光客もいない。もう時間が遅いためであろう。
売店で缶ビールを買う。もちろん冷えてはいない。
10元とうるさいが6元だと言い張る。90円の缶ビールはそれでも相場より高い。
考えてみれば昼食を食べる暇がなかった。
缶ビールで口をゆすぎながら階段を一段ずつのぼっていく。ひとがいない。
わたしだけである。いいな、と思う。観光地でなにがいやかといえば観光客である。
じぶんもそのひとりなのになにを言うのかと叱られるのは覚悟のうえである。
テレビの世界遺産番組では観光客があまり映らないように撮影しているでしょう。
テレビの感動を現地で味わえると思うのは間違いである。

だいたいにおいて観光地に行った作家先生は、
秘境でものぞいてきたようなことを書くものである。
作家先生の目には雑多な観光客は映らないのだろうか。
お供している編集者やカメラマン、現地ガイドが人間の壁を作っているのかもしれない。
秦始皇陵の頂上にのぼる。さっそく売店の客引きがやってくる。
これが観光地の現実である。ものを思う余裕などあるものか。
この現実を虚構に変えるのが、作家の手腕なのであろう。
あたかも悟ったかのようなことを、照れもなく書きつづる。
頼むから静かにしてくれと売店のオヤジを追い払い、西安郊外の田園風景を見やる。
ううう、なにかわかったようなことを書かなければならないのか。
ここで決めぜりふを言えるのが一流作家になるための条件なのかもしれない。
そのことがわかった。これは想像以上に大きな発見ではないかと思う。
秦始皇陵。どちらを向いても地平線がつづいている。
ここで夕陽でもだしたらもっともらしいが4月の日暮れにはまだ早い。
遠くから読経でも響かせようかと思ったが、この近くに寺はない。
うしろをふりむくとまたあのオヤジである。写真集を手にしている。
「わかった。きみには負けたよ。50元でいい。定価200元を50元だ」
ビールの空き缶をぶつけたと書いたらかっこいいができるはずもない。
空き缶を握りつぶすのみである。

公共バスではなく、うっかり個人バスに乗ってしまう。
公共バスは乗客の有無にさほどこだわらずに進むが個人バスはそうではない。
車内が満員になるまでえんえんと乗客を探しつづける。
西安駅に到着するまでに2時間近くもかかった。
駅前のネットカフェへ行く。毎日、通っている。それからホテルへ戻りシャワー。洗濯。

さあ、のむぞと思う、この一瞬が、いちばん幸せである。
3日連続で南方飯店へ。安食堂である。なんでも安いのがいい。
失敗をおそれずたくさん注文することができる。
たしかに日本人なら漢字は読めるが、どんな料理がでてくるのかまではわからない。
南方飯店の主人は若い。わたしよりひとつ下である。妻子がいる。
とても威勢がいい。はつらつとしている。楽しくて仕方がないというように仕事をする。
夜の9時過ぎに一家そろって晩飯を食べる。そのとき1本だけビールをのむ。
じつにうまそうにのむ。ちょっと高いビールを好んでいるようである。
昨日、お互いの自己紹介をだいぶやった。気さくなものである。
これはどんな料理かとたずねるとジェスチャーで教えてくれる。
まあ、味覚が身振りでわかるはずもないのだがわかったような気になってしまう。
出てくるものも、たいがいかれの身振りと大差がないのだから驚く。
安くてうまい。決して勘定をごまかさない。いつも元気で明るい。
お客さんの足が途切れないのも納得である。
ゆうべは中年のカップルがビールをがぶのみしていた。
10本近く空き瓶がテーブルに置かれていた。
おかげでこちらは冷たいビールにありつけなかった。
ぬるいビールを負けじとのんだものである。

今日は冷たいビールがあるという。うれしいかぎりである。ゆうべ約束したもんな。
冷菜から注文する。ここはひとり客も少なくない。
まえのテーブルに座っているおやっさんの酒ののみかたがおもしろかった。
まずビール。チンジャオロースと空心菜の炒め物を注文。
ビールをあけると白酒。強烈な酒である。
これをのむペースが感嘆するほど形になっているのである。
中国ののん兵衛ここにあり、なのだ。
ほほう、白酒はそのようにのむものなのかと勉強する。
ひと口にどれくらい白酒を入れたらいいのか。つまみとの配分はどれくらいがいいのか。
習うより慣れよだ。こちらも白酒を注文する。真似をしてのみはじめる。
すると、いままで顔をしかめながらのんでいた、あの悪魔の中国酒がうまいのである。
口にコップをどうつけて、どの角度でのみほすべきか。
ここまで計算しないとあの白酒をのみこなすことはできぬ。
見ていると、師匠が笑みを浮かべている。おまえもよくのむなあという微笑。
杯(さかずき)をあげると、師匠も右手をつきだす。乾杯である。
酒場の異文化交流ほど潤滑に行なわれるものはないと思っている。
なにより言葉がいらないのがいい。
今日もよくのんだ。ふらふらしている。
あとはホテルへ戻ってベットへ倒れこむだけである。
その余力だけ残すように計算して、酒を体内に流し込む。
まえを向くと師匠が米飯(ミーファン)を注文した。負けじとこちらも注文。
最後はやはり米がなくちゃいけねえ。
西安2日目。きれいなホテルの一室でめざめるのは心地よい。
今日は市内の見どころを一気にまわるつもりである。
朝食のためそとへ出るが、中国人って朝なにを食べているんですか。
現地の知人などいるはずもない旅だから、このような初歩的なことで戸惑う。
またソバしかないよな。これなら早いし、まあそうまずいものもない。
かくして朝からソバをすする日本人である。

個人旅行の楽しみと苦しみは旅程作りにある。
作家先生なら編集者とガイドがプランを建ててくれるのだろうが、
それはうらやましいけれども、どこかつまらなくないか。
相反する気持がある。うらやましい。けど、つまんなくないか。
地図とガイドブックを何度も見比べて建てたのが今日の計画である。
仏教寺院を4つまわるつもりである。ぜんぶ安いバスで行く。

まずはメモ用紙に「青龍寺」と書き込む。この時点から戦闘開始である。
だれも日本人旅行者に親切にする義理などないのだ。むろん義務もない。
同様、わたしも中国人から道を教えてもらう権利はない。ひとの好意にすがるのみだ。
図々しくならなければならない。これは日本人にとってかなりの労苦。だから戦闘開始。
えいや、と気をひきしめないと中国人民に押しつぶされてしまう。
いいか。「青龍寺」だ。中国語でチンロンスー。ここに行く。行きたいではなく行く。
バス停留所へ。購入した地図を見て、あたりをつけていたバスに入る。
チンロンスー。このバス行くか。着いたら教えてくれとジェスチャー。
ここだと降ろされる。さあ、チンロンスーだ。行きたいではなく行く。
近くにいるひとにメモを差し出し、チンロンスー・ザイ・ナーリーだ。
あっちだよ。あのおばさんも行きそうだな。ついていけよ。
ほうほう、シェシェ、サンキューである。
バス停から坂をのぼると寺らしきものがある。入場料を払わなくてもいいの?
まあいいかと入る。青龍寺は弘法大師空海が恵果和尚のもと修行をした場所である。
日本の仏教団体(?)が建立した中日(日中ではない)友好の石碑がある。
おもては中国語、うらが日本語である。空海の紹介が書かれてある。
なんでカネをだした日本人が母国語をうらに書くのだろうか。
わが国の美徳の謙遜というやつかな。

空海についておさらいする。804年、遣唐使のおまけとして中国大陸上陸。
恵果和尚に師事したのはわずか半年だが、どうしてか一番弟子になる。
阿闍梨の位を師から授与される。恵果死亡の後、計2年足らずの修行で帰国。
それからの日本での活躍ぶりは学校で習ったはず(ということにしておく)。
ペテン師の香りがぷんぷんしませんか?
そもそも遣唐使の末席にでも入れるのがおかしい。若僧はどんな汚い手口を使ったか。
空海が師事した恵果というお坊さんは死期が迫っていたわけだ。
あんがいもうろくジジイだったのではないか。
ボケじいさんにハンコを無理やり押させる詐欺商法まがいの「秘法伝授」だったのでは。
フランスがえりならぬシナがえりのハクを存分に生かして日本でのしあがる空海。
こういう愚民的疑問を一掃する主張が歴史の常識となっている。
すなわち、空海は天才だった。ふたりといない秀才であった。
だから、あらゆるふしぎはない。
こう考えると、ペテン師疑惑がきれいに晴れることは晴れるが、だがしかし――。
そもそも空海の持ってきた密教なんていうのは釈迦が教えたものとはまったく別物で――。
密教のみならず根本の大乗仏教が、
正統の釈迦信者を言い負かすために作られた大がかりなペテンだから――。
これ以上、無知をさらけだすのはやめたい。
だけど、まあ、空海さんがここで学んだと思うと感慨深い。
わたしは中国から日本へなにを持って帰ることができるか自問する。
パンダグッズと酒だけでは、どうにも格好がつかないな。

寺をでると日本人の大群が。団体旅行客である。
見ると、そちらにも寺がある。もしやと思い、たずねる。
「あのう、青龍寺って、これがそうなんですか?」
初老の日本人が横柄に首肯。ひええ、とんでもない間違いをするところだった。
あとで知ったことだが、最初に入ったのは寺の裏庭のようなものらしい。

しっかり入場料を払い、今度はホンモノの青龍寺へ入る。
ガイドの女の子が寄って来る。日本語でガイドします。すべて無料です。
あたし大学生。勉強のためここでバイトしてます。
かわいい女の子である。鼻の下にうぶげのはえているのがチャーミングだった。
ほんらいならガイドはただでもめんどうだからお断りするのだが、
あまりにほのぼのした子などでお願いしてみた。
いいのかな。わたしひとりにガイドひとり。贅沢なのかもしれない。
日本人の特徴というのは、場の調和を乱さない。自己主張をしない。
たとえばなにかの場面で質問ありますか? と聞かれても決して挙手しない。
そういう点では、わたしは日本人離れしている。質問はどんどんする。
こんかいのガイドにもいやな質問ばかりした。われながら意地悪じいさんみたいだった。
「これが日本から送られた仏教書です」
「こんなもの送られても困るでしょう。中国人は日本語を読めないんだから」
こんな調子である。

それとガイドの子の日本語。ダメだよ。たしかに外国人としては立派だがダメ。
日本人旅行者はガイドのしゃべる日本語がわからなくても聞き流すでしょう。
それが日本人のいいところであることは否定しない。
日本で不法行為をしているアメリカ人が日本のお巡りさんから尋問されると、
英語が間違えていると嘲笑しながら矯正しようとすると聞いたことがある。
こうまではひどくなくても欧米人は現地ガイドの英語が間違えていたら正そうとする。
少なくとも正確な意味を知りたいと思う。
この行為のよしあしは留保しても、結果的にガイドの英語力はあがる。
比して、日本語ガイドは――。
このことを意識したわけではないが、時間があったので丁寧にガイドにつきあった。
日本語の意味がわからないところは、正直にそれはわからないと伝えた。
何回も言いなおしてくれてようやく理解する。
正確な発音を教える(ってほどじゃないけどね)。
このような些細な点でも欧米諸国と日本の相違を意識する。
最後にガイドいわく「記念に名前を書きませんか」。
奉納というやつかな。おカネを取られそうだったのでお断りする。
「字がへたで、じぶんで見るのもいやなくらいなので」
ガイドの彼女はまったくいやそうな顔をしないので、うむ、やはりかわいいとうなる。
最前の団体旅行者からたっぷりふんだくったのかもしれないけれども。
ガイドと別れてからもう一度ひとりで構内を一周する。
ひとと一緒だと、どうにも落ち着いてものを見ることができないのである。

青龍寺と書いたメモを破り大雁塔(だいがんとう)と書く。
バスはすぐに見つかる。すんなりゆきすぎて怖いくらいである。
大雁塔まえの広場には大きな噴水がある。
日曜日だからであろう。いままさに水のショーが始まろうとしている。
大音量の音楽と、踊りだす水の霊たち。それを大歓声で歓迎する無数の中国人民。
またかと笑われそうだが、あふれるなみだの始末に困った。
いいなと思った。美しいじゃないか。きれいだよ。喜んでいる人民もいい。
華やかなお祭って感じでさ。まさかこの人生でこんなものが見られるとは。
なにもかも信じられない。
中国にいることも、水が踊ることも、つられて人間が踊りだすことも。
いいな。いい。美しい。生きてるって楽しいじゃないか。
酔ってもいないのにこの感傷はなんなのであろう。
昼夜欠かさずのむ酒が脳内の感情制御部分を決定的に破壊したのかもしれない。

大雁塔は玄奘(げんじょう)が経典翻訳を行なった場所として知られている。
玄奘は、三蔵法師という名前のほうがみなさまには親しみやすいのかもしれない。
いまある教えにあきたらず、
さらなる仏法を求めてインドへの危険な旅を敢行した僧である。
多くの仏典、注釈書を持参して長安へ戻る。
いうまでもなく仏典はインドの文字で書かれている。サンスクリット語。
これを自国語の漢字にうつしかえたのが玄奘の偉業である。
おかげで日本人の仏僧も経典を読解できることになったのである。
いちばん有名なのは般若心経であろう。あれも玄奘訳が流布している。
展示室で般若経の漢訳経典を見たときは打ち震えた。
このように玄奘が翻訳してくれたから、凡愚のわたしも般若心経を読めるのである。
大雁塔へのぼるには別料金。
頂上からは西安市内が見渡せるという触れ込みだが感動するほどのものでもない。
アリバイづくりにカネがかかるのは犯罪者も観光客もおなじということか。

ランチは、うん、まずはビール。冷えてるね。よしよし。
お客さんがぎっしり入った大衆レストランである。
それからなにを頼もうか。いわゆる中華惣菜を頼んでもいいのだが、
それは夜の楽しみに残しておきたいような気もする。またソバでいいや。
よく頼んだソバがあるのだが、名前を忘れてしまった。
ブタの骨付き肉が入っていて、からいソバがあるのだが――。
肉片をつまみにビールをのみ、ソバで腹を満たす。
見ると、ひとり客はいない。中華料理はひとりで食うものではないんだな。
みんなで人数分+1くらいの皿を注文する。いろんなもので米を食う。
これが正しい中華メシ。ひとりじゃできません。ええ、ソバでもすすっときます。
さみしいからビールも許してね。西安のひとも昼からがんがんビールをのんでるけど。

大雁塔と書いたメモを破り捨て、新しいページに大興善寺(だいこうぜんじ)と書く。
売りは「中国密教発祥の地」「仏教経典翻訳の中心地」。
ネットで調べていたら空海がここで催しを開いたこともあったという。
申し訳ないが、仏教施設もここで3つめである。
青龍寺と大雁塔に深く感動していたこともある。ふらふらになっていた。
もういいやという気持と、せっかく来たのだからひとつでも多く吸収したいという
貧乏根性との葛藤である。
ここはまえにふたつと比べると観光客が比較にならないほど少なかった。
たまに中国人団体観光客が駆け足で通り抜けていくくらいであった。
かえって、くつろぐことができたのかもしれない。
もっとも印象に残ったのは入り口近くの寺院内に模造された地獄である。
ありとあらゆる地獄絵図がちゃちな人形で描かれている。
内臓をカラスについばまれる悪人。釜で茹でられる淫婦。針山に刺しぬかれる美丈夫。
ちゃんと中央には閻魔(えんま)さまがいる。
テーマパークのような地獄に、かえって感心する。
いくらなんでもこれを見て仏心を喚起されるものはいないだろう。
しかし、地獄とはなんだろうか。7年前にわたしの目撃したのは地獄だったのか。
広島、長崎が地獄であることに異を唱えるものは少ないだろう。
地獄には般若心経がよく似合う、と思う。
わたしの知るかぎりにおいて、仏教の創始者釈迦は地獄など説いていない。
だが、地獄を作りだしてしまう人間のどうしようもない宿業とはいかなるものか。
安っぽいとバカにしながら半時間もひとの来ない地獄にいたわたしである。
極楽よりも地獄のほがこころ安らぐのである。
行楽地で見た家庭円満の微笑より、広島長崎の地獄のほうが仏教に近しいと思うのは、
なにか根本的なあやまりがあるのだろうか。
おもちゃの地獄である。
けれどもここは、いままでアジアで見たどの寺院よりも居心地がいい。
むろん、繰り返しになるが、菩提心が刺激されるというのではない。
神聖な気分になるのでもない。ひたすら俗悪な地獄である。ハリボテの地獄に過ぎぬ。
だというのに、なにゆえここを立ち去りにくいのか。
もしやわたしの生きている世界だからではないか。

くたくたである。もうひとつ行く。メモ帳に小雁塔(しょうがんとう)と記す。
からだのふらふらを通り越して脳がぐらぐらしている。
小雁塔は「高僧義浄ゆかりの地」ということである。義浄? だれだそれ?
ギジョーねえ。知人にはいないな(ぼけている)。
とりあえず大雁塔に行ったのだから、小雁塔にも行かんとまずいよな。
もうこの程度の思考能力しか残っていない。体力たるやそれ以下である。
アリバイを作らなくては死罪になってしまうとおびえながら別料金を支払う。
小雁塔へのぼるためである。大雁塔の経験から、もとよりなにも期待していない。
階段をのぼっていると、お腹が突発事故を起こした。それでも貧乏人は強い。
頂上までがむしゃらに駆け上がる。むろん、頂上はそれなりに高いところにある。
けれども、諸君、いいかな。
人間はいかに高いところまでのぼりつめようがなにも見えるものではないのだよ。
おっと、説教している場合ではない。お腹が、お腹が、やばいのです。
いまたとえ眼前に釈迦そのひとが現われてもわたしを救えはしないだろう。
施設内のトイレに走ると、これが思いっきり中国式。
ドアもない。ウンコがそこらへんに落ちている。
わたしは人間である(人民ではない)。ここで妥協したら人間でなくなってしまう。
この小雁塔で、本日の行くべき観光地はすべておもむいたことになる。
大丈夫。仏さまがついている。距離からしたら近いもの。
このままホテルに帰ろうではないか。部屋のきれいなトイレで用をたそう。
ここでタクシーではなく、あくまでもバスに乗る、わが貧乏人根性よ。
それからは地獄でした。一心に仏さまにお祈りしました。
もしかしたらいきおいで神さまのほうにもお願いしたかもしれない。
バスが駅前に着くところまでは我慢できた。
ここからホテルまでは徒歩5分。その5分のなんと長かったことか。
うっとくると、歩みをとめてこらえる。
大丈夫かなと思ったらおそるおそる足をだす。
地獄は先ほどの大興善寺になどあるもんか。いまのわたしこそ地獄のただなかにいる。
そう思ったものである。ホテルへ到着。エレベータが来るまでの苦悶。
ふうう。結果は間に合ったのです。仏さまはいたと実感したのはこのときです〜。

シャワー。洗濯。ネット屋でパソコン。
南方飯店でがぶのみ、どか食い。この食堂でだいぶ日中友好をやらかしたようです。
列車は定刻どおりに西安駅へ到着する。二日酔いとは縁がない。
いくらのんでも翌朝にはけろっとしている。持って生まれた丈夫なからだに感謝したい。
西安は、かつて長安とよばれた古都である。
中国史のなかで何度も大きな役割を果たした。
日本人が身近に感じるのは遣隋使、遣唐使ではないか。
かれらが目指したのがここ長安(西安)であった。
迷わずホテルの客引きについていく。最初に声をかけてきたもののあとを追う。
こういうのは縁である。
人間がちっぽけな頭脳で選択するより、よほど大きなちからが働いている。
少なくとも、そう信じている。

「地球の歩き方」によると、西安は歴史ロマンあふれる古都。
したがって観光地をすべてまわろうと思ったら1ヶ月はかかるとのこと。
旅行者は取捨選択を迫られるわけである。この旅は求法の道のり。
なにより重視したいのは仏教関係の遺跡である。
それ以外は、たとえ有名だろうがなんだろうがすっ飛ばしていこうと決める。
ゆうべ寝台列車で計算した必要日数は6日である。
西安に6日滞在して可能なかぎり見てまわる。
いち都市に6日もいるのは西安が初めて。それだけ魅力を感じたのである。
こんかいの中国旅行のハイライトを西安に求めることにする。
ホテルの金額交渉では6日を売りにしたい思った。
6日も宿泊するのだから安くしろ! という論法である。
この客引きおじさんはホテルのなかでもけっこうな役職にあるようである。
かれと直接、金額交渉をするが、折れないんだなこれが。
1時間以上も値引交渉をする。結局、1日108元(1620円)でまとまる。
中国人は「8」という数字が好きなのだ。「八」。末広がりだからか。
ホテルでも商店でも価格の末桁が8になっていることが多い。
縁起のいい数字と信じられている。ゆえに108元。
108×6=648元。合計金額も最後が8になっているでしょう。

この値引交渉はわれながらやり過ぎたと反省する。
最後はあちらも泣きそうになっていた。何度、最低価格と提示されたか。
清潔で窓からの見晴らしもいい。すばらしいホテルに出会えた幸運を感謝する。
ここに宿泊できるのなら、よけいな体力消耗はない。ゆっくり眠れることだろう。
6日間、西安を味わいつくしてやろうと改めて思う。
しかし、そうとはいいながらも、ゆうべ寝たのは寝台である。
硬臥とよばれる座席。横にはなれるが、そこまで快適というわけではない。
疲労を無視するわけにはいかない。だが、時間がないのもたしかである。
6日しかないのだ。今日から動きださなくてはならない。

まずはなにか腹に入れよう。朝からなにも食べていない。これではいくさもできまい。
ホテルを出てふらふら駅に向けて歩く。いいところである。
駅の大通りからちょっと入ったところにある。そばには安食堂が多い。
このようなとき、どの食堂に入るかは全感覚器官をもちいた賭けとなる。
五感では足りない。あるのかわからぬ第六感まで動員せねばうまいメシにはありつけぬ。
食べるものなどなんでもいいというひとの気が知れない。食はすべての始まりだ。
うまいものを食わなくてはパワーがでるはずもない。もうランチタイムは過ぎている。
日本でも見知らぬ食堂へ入るときは勇気がいるでしょう。異国ならなおさらである。
ここだ! いきおいよく入店。店主と目が合う。いい目をしている。
冷たいビールはあるか。有没有冷的啤酒?
「イオウ(あるよ)!」と威勢のいい声が返ってきた。よろしい。一発目であるとは。
鍋を頼む。どんぶりで出てきた。鶏肉がなかなかうまい。
だが、これではごはんが食べられない。麻棘豆腐を追加。肉の入っていない麻婆豆腐だ。
ビールを昼間から2本入れ、腹にもしこたまつめこんだ。これで百人力よ。
うまいし安い。雰囲気もいい。南方飯店である。
この食堂にこれから西安滞在中、毎日通うことになる。

駅前からバスで鐘楼(しょうろう)へ行く。ここは町の中心にある見晴台。
ここから東西南北の大路を見渡すことができる。
どの方角を向いてもまっすぐ大路が流れている。整然とした美を感じる。
中華人民共和国とつぶやいている。ついに中国に来たぞ。これが中国なのか。
長安――。古来、多くの日本人と縁のある中国の大都市である。
タイのバンコクから、ついにここまで来たかという念に胸を打たれる。
見渡すかぎり近代的なビルが並んでいる。
そのくせ道路の区画は異常にさえ感じるほど整っている。
管理された近代化を、中国を、鐘楼からしかと見たぞ。
そう深く感じ入ったのは酔眼ゆえか。
近くの歩いていける鼓楼(ころう)にものぼる。
小銭を払うと太鼓をたたけるようである。カネを払ってまで騒音をだす趣味はない。

もうひとつ今日行っておきたいのは興慶宮公園(こうけいきゅうこうえん)。
鼓楼の受付服務員に聞いたところ8時まで開園しているそうである。
よかった。なんとか間に合いそうである。
だが、ここからが地獄であった。鐘楼周辺というのは、東西南北がわからなくなるんだ。
もちろん地図は持っている。けれども、どう見てもわからない。
じぶんが東西南北、いったいどの大路を歩いているのかさえわからなくなるのだ。
行きたいのは興慶宮公園である。バスで行きたい。
どの停留所でどのバスに乗ればいいのか。知りたいのはこのことである。
ところが、聞くひと聞くひと、まったく違うことを教えてくれるのである。
結果として鐘楼のまわりを東西南北一周することになる。
1時間以上もふらふらしていて、はたと気づく。
地図を見るかぎりバスに乗らなくても、1時間歩けば行ける距離だよな。
くやしいがいまとなってはいたしかたない。
結局、バスが見つかったのは1時間半は経過したころだった。
ひとから聞いたのか、じぶんで発見したのか覚えていないほど疲れていた。

興慶宮公園で日本人に縁のあるのは阿倍仲麻呂記念碑である。
ほかに玄宗や楊貴妃にゆかりの建物もあるそうだが、わたしは日本人である。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
百人一首で覚えた和歌である。阿倍仲麻呂は遣唐留学生として17歳で唐を訪れる。
それから30年である。唐で出世をしためずらしい日本人、阿倍仲麻呂。
かれにも望郷の思いがあった。日本