「団塊お嬢ジャーニー」
http://akiyochan.at.webry.info/きのうの記事「バカは死ねよ!」はいくらなんでもひどいと自分でも思いました。
きょう冷静になって上記ブログを読み直したのです。
バカは死ねよです。バカは目ざわりだから死んでください。
ごめんなさい。感想はゆうべとおなじでした。
「団塊お嬢ジャーニー」。教養あふれるブログタイトルだと思います。
作者は秋桜と自称します。団塊の世代の専業主婦だそうです。
山田太一ドラマ「遠い国から来た男」の感想だけではなく、
すべてのブログ記事がくだらない。
くだらないなら見なければいいではないか。その通りです。
けれども、とにかく腹が立ってしようがないのです。
どこが不快か書いてみることにします。
これは嫌いなブログに共通することです。
わたしは不愉快なブログは精神衛生上見ないようにしております。
ただこのたびの団塊ババアさまはひどすぎる。
ひと言、申し上げたいゆえんでございます。
かんたんなことです。バカだってこと。
バカが自覚もなくえらそうに世事に意見しているのが許せない。
ものをほんとうに考えた形跡が見られない。
テレビや新聞レベルで、なにか考えたつもりになっている。
テレビを批判できるあたしって、ちょースゴくねえ。
大衆は怒っているぞ〜、あたし、大衆のオピニオンリーダーざます。
こんな感じがいやでいやでたまらないのです。
ふたつにわけて分析します。
ひとつ。おばさんが嫌い(もちろん全員ではなくある種の典型的なおばさんです)。
若い女性の意見を世間が重んじるのは発話者が「若い」「女性」だからです。
ところが勘違いするかたがいらっしゃる。
あたしという「人間」がすぐれているからみんなあたしの話を聞いてくれるんだ。
美人に多い、痛々しい誤解です。
人間だれしも年を取る。いつまでも若い女性ではいられません。
このとき、かのひとはおばさんになります。
おばさんは鏡を見まいとする。
若いころとおなじようにあたしのスペシャールなご意見を述べる。
ババアがなにぬかしてるんだ、となる。
本の1冊でも読んでからものを言え、と怒鳴りつけたくなるのです。
例の団塊お嬢さまはブログを見るかぎり、読書をする習慣がないようです。
もっぱらテレビばかり見ているわけです。
ソファーで煎餅(せんべい)でもかじりながら、へらへら笑っているのでしょう。
想像しただけで気持が悪くなります。お食事中のかたにはあやまりたいです。
このおばさんがブログで意見する。秋桜が世間を斬る!
かっこいいですね。美しいとは思いませんか。
秋桜先生は投稿マニアだそうです。あれですあれ。ひまなひとがよくやるあれ。
新聞や雑誌の読者投稿欄にせっせと「あたしの意見」を送りつけるおかしなひと。
いくら新聞でもそうそう秋桜先生の投稿を載せてはくれない。
けれども、ブログなら掲載拒否をされるということがない。
この先生がブログを好む理由であります。
秋桜先生は頻繁に怒っています。ネットで言論統制が行なわれているというのです。
自分の意見があまりに鋭いからヤフーに検閲されていると本気で思っている。
キチガイというほかありません。
http://akiyochan.at.webry.info/200707/article_5.html
http://akiyochan.at.webry.info/200706/article_8.html
http://akiyochan.at.webry.info/200706/article_3.htmlもうひとつ。民主主義が嫌い。おばさんも嫌いだが民主主義も嫌い。
団塊の世代は、はじめて本格的な民主主義教育を受けた日本人グループです。
民主主義はすばらしい。民主主義ほど正しいものはない。民主主義は絶対正義!
では、民主主義とはなんでありましょうか。
つまらぬ数の論理です。多数決です。みんなで決めよう! これが民主主義です。
民主主義を成立させるためには必要なことがあります。
おのおの自分の考えを持つこと。これがないと民主主義が成り立たない。
各自、自分で考えて、意見を言うことで、国政に参加していく。
この民主主義という思想があって初めて「団塊お嬢ジャーニー」が誕生するわけです。
あんなどうしようもないおばさんにも「自分の考え」とやらがある。
何ごとに対しても意見を持つ。それを世間へ向けてブログで発信する。
民主主義とはかくも醜いものなのであります。
どこが醜悪か。自分の考えを持つのが当たり前だという民主主義的態度です。
自分の考えを持つことなど、それほど大切なことでありましょうか。
たいがいの人間は(もちろんわたしも含めて)自分の考えなんてありはしない。
テレビで流されるデマと、ベストセラー数冊で形成されたお粗末なものです。
わたしはそれをわかっているから、世事にコメントしようなどとは思わない。
かりに、なにか具申したとしても、書いている自分が眉唾だと思っている。
たとえば、この国では死刑制度がまだ存在している。
死刑制度に関係するニュースがテレビで流される。
バカなブロガーという人種がこぞって、死刑賛成反対だのと騒ぐでしょう。
おれはこう思っている、あたしはこう思っている。おれおれあたしあたし。
これに吐き気をもよおすのはわたしだけでしょうか。
なにゆえこう言えないのか。わからない。わたしにはわからない。
ほんとうに死刑制度を考えたらば、そうそう意見できるものではありません。
あなたは犯罪被害者ですか。身近に犯罪者の家族はいますか。
そうでもないのに、なぜかんたんに自分の意見を述べられるのでしょう。
わたしは犯罪の被害に遭ったことはない。近親に犯罪者もいない。
だから、死刑制度をどう思うかと聞かれても答えようがありません。わからないのです。
けれども、民主主義という制度はわたしに答えを求める。
のみならず何ごとにも意見を持っているひとを優秀だと称揚する。
ふざけた話であります。
民主主義をけなすと、ならおまえはファシズムを好むのかと問われるでしょう。
バカなひとはかならずこのような二者択一的な思考をします。
もしかしたらファシズムのほうがいいのかもしれない――と答えてしまうと問題だから、
こう回答いたします。民主主義はなんらすぐれたところのない政治形態だが、
ほかにかわるものがないのでやむをえないと思っている。
ふたつ嫌いなものを書きました。(ある種の)おばさんと民主主義が嫌い。
賢明な読み手は、わたしがおばさんブログ「団塊お嬢ジャーニー」を
誹謗中傷しているだけではないことを理解してくださると信じています。