「ずっと夢なんて見ていなかった」と栗原小巻は言った。
「それがおとなってもんじゃないか」と夫の杉浦直樹は言い返した。
「遠い国から来た男」である仲代達矢はなにも言わなかった。
「遠い国」へ行きたいと栗原小巻は言ったのである。
かつての婚約者、仲代達矢と一緒に中米のサン・ハイメに行くことにしたと。決めたと。
「おれはどうしたらいいんだ」と杉浦直樹は困惑した。老妻に泣きついた。
「私たちの年齢だったら」と栗原小巻は言った。
「もういつ死んだってそうふしぎはないんだから」
それまで無言だった仲代達矢は拍手をした。
「いい演技だった。まるでおれが二枚目になったような気がしたよ」
夫婦ふたりの演技ということになった。三人でそういうことにした。
「遠い国から来た男」はひとりで「遠い国」へ戻っていった。
友人に山田太一ドラマのシナリオを読ませたことがある。
貸したのではない。読めと言った。返さなくてもいいから読んでくれとお願いした。
「早春スケッチブック」という本だった。
「泣きそうにはなったよ」と笑いながら友人は言った。しかし――。
「けれども、これじゃ、なにも変わらないじゃないか。
慰められてそれで終わり。現実を変えようとかそういう気にならない」
そこが不満だと友人は言うのである。
痛いところをつかれた。どうとでも言い訳はできるのである。
しょせんはテレビ。見ているひとの感情を逆なでするようなものは無理だ。
それに、変えるって、いまさらなにを変えるって言うんだ。
もうなにも変わりようがないじゃないか。
青臭いことを言うなよと言いたかった。言ったのかもしれない。言ったのだった。
なにも変わるはずがない。
1960年はそうではなかった。大規模な安保闘争があった年である。
中国やソ連という夢があった。なにかが変わるかもしれないとだれもが思った。
この年に商社マンの仲代達矢は中米のサン・ハイメ(フィクション)へ行った。
婚約者の栗原小巻には「3年待ってくれ」という言葉を残してである。
サン・ハイメはひどい国だった。変えようと思った。打倒独裁政権。
日本でなにも政治運動に参加できなかったという負い目もあった。
反体制運動に加わった。武器を横流ししたのである。
逮捕された。刑務所である。12年――。
釈放されたらサン・ハイメはずっといい国になっていた。
栗原小巻はかつての同僚と結婚していることを聞いた。
怒った。絶望した。日本を捨てた。仲代達矢はサン・ハイメの国籍を取る。
妻の栗原小巻からジイジとよばれる杉浦直樹は日本で生きてきた。
定年してもう孫もいる。家にいてもすることがない。NPOでボランティアをしている。
あのまま会社に勤め重役にもなった。悪い人生ではなかった。
それほど豊かともいえないが、かといってさみしくもない老後である。
ある日、忘れていた男から連絡がある。話すのは46年ぶりである。
「遠い国から来た男」仲代達矢である。1960年からやって来た。
完全に忘れていたわけではない。いつもトゲのように刺さっていた――。
杉浦直樹は「遠い国から来た男」に会いに行った。
1960年から、まったくべつの道を歩くことになってしまったふたりの男。
1960年の日本でストップしている男と、2006年まで生きてしまった男。
2006年は1960年に言った。
「どっちが幸せだったかわかったもんじゃありません」
「遠い国から来た男」は祖国で迷っていた。会うか、会わないかである。
かつての婚約者である栗原小巻に会うかどうか。
そもそも会いたいと言ったところで、会ってくれるかどうかもわからない。
怖いという思いもある。老いたじぶんを見られたくない。老いた栗原小巻を見たくない。
美しいものを汚したくない。1960年をきれいなままで残しておきたい。
会う。会わない。ふたつにひとつである。
1960年は仕事か結婚かのふたつにひとつであった。
断わろうとすればサン・ハイメ行きを断われたのかもしれない。
けれども、仕事を取った。結婚はあとからでいいと思った。
サン・ハイメでも選択を迫られた。保身か革命かである。安泰か正義かだ。
若かった。純粋だった。青春の情熱のようなものに衝き動かされた。
逮捕された。12年。釈放された。日本かサン・ハイメか。後者を選択した。
日本を離れてから46年。
ふたつにひとつの連鎖の帰結が、今日の選択肢である。会うか会わないか。
仲代達矢と栗原小巻が会うのは番組開始から1時間以上も経過したのちのことである。
「遠い国」から日本には、そうは簡単に来られないのだ。
1960年は、我われのまえに突然、現われた――。
若い役者が白髪のかつらをつけて老人役を演じるのはありきたりである。
この番組では反対をやっている。
老いた仲代達矢と、おなじように年を取った栗原小巻が、
いっさいの若作りをせずにそのまま、かつて八ヶ岳へ旅行したシーンを再現した。
現代に戻ると栗原小巻は言う。
「あんな楽しいことなかった。あのあとなんにもなかった。なんにもない」
「遠い国から来た男」が成田を離れる飛行機を栗原小巻はくるまで見ていた。
夫が運転するくるまのなかである。
栗原小巻は言った。あと20年生きてやると。20年あったらなんでもできると。
夫の杉浦直樹は苦笑していた。2026年のことを想像していたのかもしれない。
2006年はなにも変わらなかった。
サン・ハイメから1960年が来たけれどもなにも変わらなかった。
果たして20年後はなにか変わっているのだろうか。
そして、なにか変わっていないものはあるのか。
2026年にも山田太一氏には生きていてほしいと思った。
20年後に甘く思い返せるようなロマンスは、
これからのわたしの人生で起こるのだろうかと思った。
もしかしたら、このままなにもないのかもしれないと思った。
けれども、20年後の懐旧のために、いま、自分がなにをすればいいかはわからなかった。