ザ・ノンフィクション「女たちの『サラダ記念日』〜愛と哀しみの20年〜」を見る。
以下に感想を記す。
うちのブログのザ・ノンフィクションの感想はひそかに人気がある。
まえにほかのブログで絶賛されていた。
番組は毎回、見ている。おもしろかったら感想を書くというスタンス。

今回のはだめだめ。なんじゃ、こりゃ。感想を書くレベルではない。
けれども、まあ、先週がすばらしかったので、その余波というか。
おまけみたいなもんですな。
20年前のベストセラー「サラダ記念日」。バブル全盛期。
あのころ青春を過ごした女たちはいまどのように生きているか。
製作スタッフは女ばかり。
「あたしたち女の生きかたを模索する」なーんて企画書には書いてあるんだろうな。

最初に登場するのは小澤ちひろさん(43)
素人ではない。著書多数。テレビ出演経歴もあるプロのパン屋さん。
お店の宣伝をテレビにしてもらおうと思ったのだろう。
このおばさんはなにがしたいのだろう。
テレビに出て、幸福な生活を自慢したいとしか思えない。
ひとの幸福なんて、はっきり言えば見たくないのである。
唯一の傷は離婚経験。
バブル女が亭主に不倫されたくらいで離婚しましたとさ。
夫の浮気に怒る妻というのがどうも理解できない。
女は若さ(ゆえの輝き)を武器に男を釣るわけでしょう。
なら妻の容貌が落ちたとき、夫が別の若さを求めても構わないんじゃない?
愛だなんだといい年をして女子高生みたいなことを言うのはやめようぜ、おばさん。
だけど、このおばさんは「勝ち組」。
テレビをうまく利用してパン屋をオープン。いまやカリスマ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/dreamhouse/lastweek_030613.html
世渡りのうまい女である。
いまの悩みは、娘の菜穂さんがひとり暮らしをしたがっていること。
菜穂さんは芸大をめざす予備校生。
番組ラストで引越を終了する。あんな小さかった娘がひとり暮らしをするとは……。
娘の小さいころの写真をだしてミュージックスタート。
これで感動しろって言うんですか、フジテレビさん?

つぎに登場するバブル女は金古真理さん(45)。
詳細は忘れたけれども、とにかく「勝ち組」だ。
有名な会社の重要なポストにヘッドハンティングされたとか。
なにかのブランドの会社だったかな。
やり手で業界では知られているようである。
検索してみたら、このひとも私人ではない。公人といっていいのでは。
ネット上のあちこちでかっこいい女のアピールをしている。
テレビスタッフに誘われたんだろうな。
「あなたみたいな新しい生きかたをしている女性を取り上げたいんです」
バッカじゃねえの。ただ結婚していないだけでしょうが。
仕事に生きる女、金古真理45歳のビューティフルライフってか。
このおばさんは香ばしいんだ。
カメラを向けられると、なにか個性的なことを言おうと必死になっている。
「知的好奇心を刺激されることには、夢中になってしまいますね」
と言いながら渋谷109へ。
「会議室よりも、こういう現場のほうがアイディアってわいてきます」
ああ、かっこいいですね、なんてすてきなんでしょう金古真理。
「いいものを見ていると、なんていうか」
しばらく考え込む、いい女、金古真理。
「脳がパフパフしてきます」
パフパフってなんですか、金古さん? 一流の女は言語感覚も一流。
金古さんは興奮すると、脳がパフパフしてきちゃうんですって。
パフパフはすごい豪華マンションに住んでいる。
名前とは正反対。カネコマリ「金困り」の金古真理さんは大金持で美人♪
このひとをテレビに出す意味ってなんかあるの?
なにも困っていることはなさそうだしさ。
「勝ち組」の宣伝をドキュメンタリーでやらなくてもいいと思いますがね。

三番目は石井葉子さん(45)。三人目にしてようやく一般人が登場する。
石井さんは介護相談員。月給17万円。
23歳で結婚はしたものの夫の家庭内暴力で離婚している。
番組があまりにつまらないから2ちゃんねるの実況板をながめていた。
番組よりも、むしろこちらのほうがおもしろいのである。
で、石井葉子さんは太めの女性でいらっしゃる。
石井さんが家庭内暴力を告白すると「不幸キター」と大喜びする2ちゃんねる。
このあとがひどい。人間として許せないことが書かれている。
「朝起きて横にこんなブタ(石井葉子さん)が寝ていたら殴りたくなるよな」
あなたいま笑いませんでしたか? ほんとですか? わ、わたし?
もちろん笑ってなどいません。2ちゃんねるは悪魔のスクツです。
なぜ国家は規制しないのでしょう。便所の落書きよりも低劣だ。
さてさて石井葉子さんの生きがいは息子の宏祐(こうすけ)くん。高校生。
かれの高校を決めるときは迷ったという。
夫に殴られるのがいやで離婚した石井葉子さんのお悩みは息子の進学先。
ありきたりでつまらないけれども、まあ生活者なんてみんなこんなもので、
けれども、そうはいっても、こんなものをドキュメンタリーに撮ってなんになる?
進学に悩む孝行息子から送られた手紙を読み返す石井葉子さんの幸せを
バカにしてはいけないのかはわからないが、
こんなシーンで視聴者が感動すると思っているスタッフの甘さは軽蔑しなければならぬ。
貧しい暮らしのなか、息子のことを考え、高い私立へ行かせる母の愛は美しいのか。
息子の野球を観戦しに行くのがなによりの楽しみだという石井葉子45歳、母の喜び。
泣いてください。さあ、みなさま。ハンカチのご用意はよろしいでしょうか。
母の日ですよ。プレゼントを片手に母へ近寄る高校球児、石井宏祐くん。
ああ、あなたの息子と生まれし喜びよ、お母さん。
あなたがあたしの息子でよかった、ありがとうコウスケちゃん。
なみだがとまらなかったわたしである(ウソ)。

番組は終わった。結局なんだったのだろう。
だるだるだった。おもしろいところはひとつしかなかった(「脳がパフパフ」)。
ザ・ノンフィクションの魅力は、なかなか見ばえのする不幸をもつ人間を、
目先のカネで釣り上げ、人間だれもが潜在的にもつ露出願望を刺激しながら、
番組のためという名目のもと、非常識な行動にかれらを駆り立てることから生じる、
不幸かつ低知能な人間固有のあからさま喜怒哀楽を撮影することにある。
今回は残念でならない。次回に期待したい。
あした23日、月曜日、午後9時からTBSで
山田太一ドラマ「遠い国から来た男」が放送されます。
なぜかわたしからお願いします。なるべくご視聴ください。
当日、番組放送直後からここに感想を書く予定です。

番組公式サイト(たぶん)↓
http://www.tbs.co.jp/program/dramasp_20070723.html
「経典にきく 上下」(武藤義一・奈良康明/放送ライブラリー)絶版

→瀬戸内寂聴でも五木寛之でもいいけれども、こういう人気作家の影響で、
たとえば仏教に興味を持ったとする。
学問とは縁のない一般読者が仏教を勉強しようとなる。
仏教入門だの、初めての仏教だの、口当たりのいい本を数冊読んでみる。
それからが問題なのだ。はたと動きがとまる。
これからどう勉強したらいいかわからない。
どこから手をつけたらいいか皆目見当がつかないわけだ。
かれらはまだ仏教がひとつではないことに気がついていない。
そう、仏教はひとつではない。無数にあるといってもよい。
原始仏教、大乗仏教、密教、禅宗、唯識、弘法大師、法然、親鸞、道元、日蓮、池田大作。
密教ひとつとっても、チベット密教だのなんだのと枝分かれしていく。
仏教を勉強するなど、天才学者でもどだい無理なのである。
どこかにしぼって勉強するほかない。選択をするしかない。
ならあれはなんなのだろうと思う読者は鋭い。
いちばん最初に名前をあげたような作家は、よくエッセイで「仏教ではうんぬん」と語る。
あの仏教というのはいったいなんなのだろう。
この仏教こそ、この読者が最初に興味を持ったものである。
結論をいうと、有名作家の口にする仏教はない。存在しない。
作家と読者の関係というのは、教祖と信者みたいなものでしょう。
教祖はみずからの権威づけに仏教を利用しているだけである。
作家はどこかで聞きかじった話を、仏教ではと語ってなんの問題もない。
三蔵法師の物語でも、聖徳太子の政治方針でも、なんでも仏教になってしまう。
五木寛之が好きなら五木教に入ればいいのである。瀬戸内教でもいい。
せいぜい本を買いあさることだ。それがお布施なのだから。
わたしが仏教に関心を持ったのは宮本輝がきっかけである。
宮本教の信者であることを否定する気はない。ただし創価学会の信者ではない。

本書は昭和51年度にNHK「宗教の時間」で1年間放送されたものを書籍化したもの。
仏教に縁のある人間ふたりを対談させるという形式。毎回、ゲストは入れ替わる。
仏教経典をとりあつかうのなら、こうするしかない。
というのも、仏教の経典というのは山ほどある。
ぜんぶに通じている人間などいるわけがない。
ある経典についてわけしり顔で語っているものが、
別の経典はまったく知らないということもありうる。
読んだこともない可能性だって、あるいは、いや、おおいに。
それでもこのテレビに出演したものは、みんな仏教者である。
仏教なんてこんなものだ。
出演者は学者ばかりではない。仏教好きの大会社の社長なども登場する。
こういうことを書くと仏教をわかっていないことになるのだろうが書いてしまおう。
みなさん気持が悪いのである。
なんでそろいにそろって、ああも腰が低いのか。
ありがとう、ありがとうと、この調子では
道ばたの郵便ポストにもあたまを下げるのではないか。
たとえるなら、そうだな。ふたりのサラリーマンが出会う。
名刺を渡し、どうも、どうも、とあたまを下げる。相手も負けじと低頭する。
どちらが低い位置にあたまを置けるか競争しているかのようである。
あたかも、より下にあたまを下げたものが仏教を理解しているとでもいいたげである。
そのくせ内心では、じぶんのほうが仏教をわかっていると誇っているのだ。
これを気持悪いと思うのが健全ではないか。
ところが、おつむの弱い読者はこの真似をしたがる。
うさんくさいほど腰の低い人間というのがたまにいるでしょう。吐き気がする。
この対談集でいちばんおぞましかったのは大山澄太。
肩書きはなんになるのかと思って巻末を見たら俳人になっている。
生涯無名で終った山頭火を売り出すことで有名になったのが大山澄太である。
かれはこんな話をする。ある有名な画家がいた。書痙症で筆を持てなくなった。
この画家が、両手のない尼僧をたずねたときのことだ。
この手のない尼さんは――。

「『先生、私は両手はないが口で書くけいこしましたよ』
と言って画仙紙を切ってもらって、蘭や竹を二、三枚かいて、
『私のようなものでも両手がなくても口で書けるんですから、
先生、左も右もないでしょう。心でお書きなさい』って、こうやったんですね」(P156)


画家は、わあ、と大声をだして、その場で左手で達磨(だるま)を書いた。
これをたいへん感動したと大山澄太が言うのである。
般若心経の精神を体現しているとも。奈良康明もしきりに感心している。
なんかセコイなあと思うのはわたしだけだろうか。仏教って、そんなものか。
ワーキングプアーとネット難民が(内心ではお互いを見くだしながら)
励ましあっているみたいではありませんか。

有名人が腰を低くして、ありがたいありがたいとぺこぺこする。
こころに仏さまがいれば、カネも名声もいらないなどとうそぶく。
若い女性に誘われたら、合掌して後ずさるようなことを言う。
やだよね〜こういう仏教ファン。
なら、どういう人間がおもしろいのかというと、山頭火である。
山頭火は、きちんと僧籍を取っている。お坊さんなのだ。
日記を読むと、出家僧らしい殊勝なことも書いている。
ところが、酒をのむとめちゃくちゃになってしまう。
木賃宿で旅回りのものと言い争うこともしばしば。
こんなこともあったという。山頭火がなにで食べているかといえば行乞である。
家の門口で念仏をとなえて米やカネをいただくわけだ。
ときに後家さんがからだでお接待してくると言うのである。
わかりやすく書くと、旦那のいない未亡人とまぐわりましたよと。
酔っぱらうとうれしそうにこんなエロ話をする山頭火を見て、
聖人をイメージしていたものは驚いたという。いいよな山頭火。
欲望が強いんだ。煩悩(ぼんのう)が激しい。だから仏教を求める。
けれども欲望がうわまわってしまう。あとで反省する。仏教で自己をいさめる。
こういう仏教者がいいよな。
思いっきり俗物なんだけれども、ときにハッとするほど聖人であることに気づく。
聖人になるためには、俗な部分を消していくのではなく、
むしろ、おのれの俗なる部分を意識していく、欲望に忠実になる。
どこから見てもおとなしい聖人とは、つきあいきれない。
ジキルとハイドではないが、ある面からはとてつもなく俗物に見える。
そういう聖人をわたしは好むところがある。
なりたい、とまでは言わないが、欲望は否定しない。
有名になりたい。カネをもうけたい。女にもてたい。
創価学会に入りなさいとすすめられそうだな、アヒャヒャ。