「仏教を考える 梅原猛全対話3」(集英社)絶版
→全662ページのぶあつい対話集。梅原猛が幅広い仏教者と語らう。
登場するのはわたしでも名前を知っているような有名学者ばかりである。
だからというわけではないが、こんかいの読了報告では批判的読解を避け、
勉強ノートふうに仏教の流れを(梅原猛の仏教観に従い)まとめてみようと思う。
なるべくわかりやすく整理するつもりだが、あくまでも勉強ノート。
レジュメのようで読み手はおもしろくないかもしれない。
はじめにお断りします。
仏教とはなにか。この問いは決して仏教のなかからは出てこない。
西欧のキリスト教を母胎に発達してきた近代アカデミズム。
西欧人がキリスト教を参考に宗教という、いわばモノサシを作ったわけである。
キリスト教と比較すると、ほかの宗教はどうなるかという理屈だ。
我われが仏教を見るとき、
無自覚的にキリスト教をおおもととして意識していることを忘れてはならない。
宗教という用語は仏教から生まれてきたわけではないということである。
(P248)
では、キリスト教的な視座とはいかなるものか。
正統と異端をわける二分法の考えかたである。
キリスト教の歴史は異端排斥の繰り返しと見ることもできる。
常に異端を発見し排撃しつづけなければ正統を維持できなかったとも言えよう。
十字軍、魔女裁判、プロテスタントの誕生――。
いっぽうの仏教はどうか。増谷文雄はこう指摘する。
増谷「仏教というものはある意味で異端を平気で包容してきている。
それから仏教史を整理してみると、まず小乗がでてきて、大乗が出てくる。
小乗にとっては大乗はまさしく異端です。
ところが仏教全体からいうと、この異端が大きな役割をする。
中国に仏教がはいってきて経典の翻訳なんか一生懸命にやっているうちに、
教外列伝などといって禅が出てくる。
あれは経典仏教の否定で、たいへんな異端ですね。
ところが、中国仏教のいちばん生命の脈々としているのはこれでしょう。
日本にはいってきてからまた大いに起こったものが念仏宗派でしょう。
これだって聖道門と浄土門に分かって、
聖道門を捨て浄土門を奉ずるというたいへんな異端です。
そうすると、仏教全体が異端の歴史じゃないか、
こういう考え方に到達いたしました。
その全体をひっくるめてみると、これはキリスト教なんかとまったくちがう」
梅原「寛容ともいえるし、まただらしないともいえる。
キリスト教はバイブルは一つですからね。
こっちは釈迦が死んでから五百年もたってから釈迦の語った経典がでてくる。
ヨーロッパ社会ではそういうものは信じられないだろうが、インドでは信じられる。
インドのルーズさでもありましょうが逆から見れば、
一つのものしか許さない非寛容でなくて、精神さえおなじだったら、
どんどん新しいものが出てきてもそれを認める。
そういう豊かなところが仏教にはあります」(P212)
仏教におけるこの寛容性を梅原は「生命の海」と詩的に命名する。
たとえれば個々の教えは、生命の流れる河である。
すべての河が仏教という大きな「生命の海」に流れ込むと言いたいのであろう。
河の流れを上記の発言にそって、大雑把に図示してみる。
携帯からこのブログを閲覧しているひとは、ごめんなさい。
きちんと表示されないと思う。パソコンから文字サイズ「中」で見てください。
釈迦→原始仏教→小乗仏教⇔大乗仏教【インド】
↓
漢訳経典⇔禅(不立文字)【中国】
↓
聖道門(思想・実践)⇔浄土門(念仏信仰)【日本】
図示をしたことによって、仏教の全体図をおつかみいただけたと思う。
この図にそって、これから細かいところを見ていきたい。
(ちなみに日本で仏教が論じられるとき、中段の【中国】は抜かされることが多い)
(1)釈迦→原始仏教→小乗仏教⇔大乗仏教【インド】
キリスト教もそうだが、宗教は人間が死ぬことからはじまると言っていいのかもしれない。
イエスが釈迦が死ぬ。英雄の死である。
すなわち、中心点の消失。統率するものがいなくなる。
これでばらばらになったら、そこで終わりである。
英雄になれぬ凡愚の弟子たちは集合して師の教えはなんだったのか確認する。
「対機説法」「応病与薬」と言われるよう
釈迦は相手の深浅に応じて教えの内容を変えていた。
そのため弟子たちのまとめた最大公約数的な教説は戒律中心のものとなった。
この教えを小乗と批判したのが大乗仏教である。
私的な感想をはさむと、
「小乗仏教=私小説」「大乗仏教=大衆小説」と考えれてみるとおもしろいのではないか。
どちらの小説(仏教)もおもしろい、ためになる。
けれども、私小説は読者を選ぶ。満員電車で私小説を読む気にはなりにくい。
時間の余裕とある程度の文学的センスがないと私小説は読めない。
したがって私小説はあまり売れない。
いっぽうの大衆小説は満員電車でも楽しむことができる。だから売れる。
そのぶん純粋性、芸術性は低下するが、多くの読者を獲得するためには仕方がない。
もっぱら大衆が慰めを得るのは大衆小説である。
大衆小説読者にとって私小説は肩ひじをはって背伸びして読むもの。
それでも私小説家(出家僧)には一定程度の敬意をいだいている。
さて、大乗仏教誕生のダイナミズムを梅原猛と塚本善隆は以下のように語っている。
浄土思想の誕生にまですすんでいくのが飛躍なのかは、わたしには判断つきかねる。
梅原「つまり大乗仏教は、
世界宗教として東西文明の融合の上に立っている宗教だから、
非常に普遍的な性格をもつのではないかと思うのですが」
塚本「たしかにそうです。仏教が広域のギリシア的な世界に出ることによって、
だんだん世界宗教的な要素を深くしたと思います。
仏像の誕生でも、
なるほど最初は釈尊の姿を拝めるということだっただろうけれども、
仏像を拝んでいるとやはり神さまになってくると思います。
祈りをこめたいとか、いろんなことをお願いしたいという、
救いや祈願の対象にしたいというような情願は仏像を前にすればできてくると思います」
梅原「そこで浄土思想というものは、
一つには死の問題を中心にする思想であると思いますが、
もう一つ、ユートピア思想というか、
この世はきたない、どこかにきれいな世界があるにちがいない。
その世界を求めようとするのがその特徴ではないかと思います。
そのような思想は、どこの民族でもある思想じゃないかと思うのですが、
そのユートピア思想みたいなものが、
仏教の中ではっきり展開してくるのが浄土思想ではないかと思うのです」(P400)
(2)大乗仏教→漢訳経典⇔禅(不立文字)【中国】
中国の輸入したのは大乗仏教である。小乗仏教ではない。
むしろ積極的に中国は小乗仏教を捨てたと書いたほうがいいのかもしれない。
場違いなことを書くようだが、インドへも中国へも行ったことがある。
両国の仏教聖地を比較して思ったのは、中国の仏画仏像は人間くさいということ。
「福」という字を思った。中国仏教の印象は「福」である。
人間の幸福とむすびついた教えと思ったものである。
中国が「福」だとすると、インドは「苦」と表現するしかないという気がした。
学者ではないからめちゃくちゃなことを書くと、食べ物からして「苦」と「福」だ。
中華料理は安食堂で食べても裕福なのである。まあ、うまいんだな。
けれどもインドの安食堂でカレーなんて注文してごらんなさい。
食事が苦行になることうけあいである。犬でも食わないようなものが出てくる。
小乗と大乗を比べるに、より小乗のほうが苦である。修行を重んじる。
福の中国が小乗仏教になど関心をもつはずがない。
飛躍の連続で読み手もあきれていると思うが、もののついでで、
とんでもないことをつけたすと、中華料理というのはとにかく手を加える。
素材を生かすということをしない。煮て焼いて調味料をどばどば入れる。
中国はインド産の大乗仏教をこの手で料理してしまったように思える。
素材のインド大乗仏教経典がほとんど現存しないので、
我われは中華料理を食らうしかないのだが。
さて、この対話集ではインドから中国への仏教の伝播がどのように語られているか。
まとめて抜粋する。少し長いけれども、どうかおつきあいください。
塚本「要するに中国にはいってくると、初め中国が受け入れた仏教は、
人間が死後も生を受けて続いていく、
その中の人と天とはいいところだという考え方があって、
やはりそこは中国人の執着するところで、
もういっぺん金持の家に生まれたいというようなことを考えて、
あとの地獄とか畜生というものは、
悪いところに生まれたくない、人間に生まれたい、
あるいは天人に生まれたいということを造像の銘にも書いてますから、
そういうところは中国的だと思っているんです。
仏教ではむしろ六道輪廻を断つとか、
その外に出ることが仏であるという思想ですが、
中国人はそれを受け入れながら、
やっぱり人天のところに生まれてきたいというところが、
インド的な思想と違う受け取り方です」
梅原「インドでは輪廻の外に出たいのが、
中国ではこっちに生まれたいというわけですね」
塚本「そこが人間中心的なんですね」
梅原「インド人のもっている世界観の暗さと
中国人の現世主義・楽天主義の対比みたいな気がしますね」(P409)
インドと中国の、いわば土壌の比較である。
さらに梅原は経典が中国で偽造された可能性を指摘する。
ちなみに、引用文のカッコのなかは引用者が補足したもの。
「仏教は偽経の歴史であるといってもよいかと思います。
大乗経典も後につくられたものであるし、
その経典の注釈そのものにもニセモノがある。
たとえば『大智度論』は(インド人の)竜樹作だといわれるが、
これも(中国の翻訳僧である)羅什作という疑いが強い。
それに『起信論』『宝蔵論』は偽典といってもよい。
この偽経・偽典がつくられる背景には、やはり伝統を重んじ、
古人の書いたものの中にしか真理はないという考え方がある。
真理はすでにあるものであり、新しく発見されるものではないという時代に、
新しい真理を語ろうとしたら偽経・偽典をつくるよりしかたがない。
この点がヨーロッパとちょっと違うところだと思います」(P380)
(3)中国仏教→聖道門(奈良、平安)⇔浄土門(鎌倉)【日本】
インド(1)、中国(2)をふまえて、ようやく日本へ到着したわけである。
かたくるしい論文ではないので、また食べ物の話をしよう。
インドと中国の食べ物は似ていると言っても間違いではないのではないか。
共通項は、辛い。それから油っぽい。
中国人はそこまで抵抗なくインド料理を口にすることができると思う。
反対にインド人も中華料理なら親しみやすいはずである。
乱暴なことを言えば、陸続きなのだから当然である。
けれども、日本はちがう。日本料理はちがう。ぜんぜんちがう。
辛くて油っぽいものを食べる習慣は日本にはなかった。
だから、日本人がインドや中国へ行くと苦労するのである。
インド人に松屋のカレーを食べさせたらインド料理とは思わないだろう。
中国人にとってラーメンは中華料理ではなく日本料理である。
仏教でもおなじことが起こったと考えてみてはどうだろうか。
中国から仏教思想がやってきた。取りにいった(留学した)ものもいる。
当時の先端思想を輸入したとして空海、最澄が有名である。
総合学問としての仏教だ。
仏教には三つの要素がある。思想・実践・信仰――。
奈良平安時代には仏教の思想・実践といった面が重視された。
これに対して、信仰を重んじようというのが鎌倉仏教である。
この間の経緯について、この対話集から学んでみよう。
引用はどちらも梅原猛の言から――。
「日本の仏教につきまして、鈴木大拙さんが、
とくに禅と念仏が大切であるといわれている。
そういうことが基礎になっている。
奈良、平安の仏教は、どちらかといえば、愚になるというのではなくて、
無限に知識を吸収して行くことであった。
弘法大師の一生を見ても、仏教ばかりではなく、
俗世の多くの学問の、あらゆる知識を吸収した。
そういう仏教というものを、文化の体系と考えている。
少なくとも文化と矛盾しないもの、そういう考え方の上に立っている。
そういう宗教に行き詰まりがきて、鎌倉時代の仏教は、
たくさんの仏教がある中から一つを選んで行った。
そういうふうに、いわば愚に徹したのですね。
つまり、鎌倉仏教の共通な性格ではないかと思うのですけれども、
私は、むしろ日本の仏教を知るためには、知に徹した仏教と、
愚に徹した仏教の両方を知らなくてはならないと思うのですが」(P160)
「奈良仏教というのも大事だと思うのです。
つまりインド・中国から来た仏教は
そのまま巨大な知識としてわが国にたくわえられた。
その中から特に天台・真言という思想が独自な思想家最澄・空海によって
発展させられて日本仏教の基礎をつくった。
そういう長いストックがあって、鎌倉時代というのは、実践的要求に迫られて、
巨大な思想のストックからどれを選ぼうかという時代だったと思うのです。
それが日蓮になり親鸞になり道元になったわけです。
そういう意味で非常に仏教は簡単化された。
そのかわり実践的には強力になったと思うのです」(P428)
思い出すな。空海が恵果和尚に学んだという、西安の青龍寺に行ったことがある。
けちけち旅行だったから、タクシーではなくバスで。
この日はたしか一日で10本近くバスを乗り降りした。
バスは1元(15円)という信じられない安さなのである。
かつて長安へ留学した空海の苦労を思えば、とじぶんを叱咤したのであった。
(3.5)浄土門=法然、親鸞(南無阿弥陀仏)⇔日蓮(南無妙法蓮華経)
最後に取り上げるのは南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の対立。
いちばん最初の図ではスペースの都合でここまで入らなかった。
中年サラリーマンの教祖、司馬遼太郎は創価学会がひどく嫌いなようである。
こっぴどく学会を批判している。長いので引用はしない(54ページ)。
そのあと梅原猛が「おさえて、おさえて」というように日蓮宗について語る。
梅原はこの対話集を読んだかぎりにおいては、学会を毛嫌いはしていない。
「なぜ日蓮宗から新興宗教が出てくるかといいますと、こういうことだと思うんです。
中世の浄土宗で日本人の多くが死の情熱にかられた。
浄土宗はいわば死の原理、ここで仏教が極まった感がある。
そういうものに対する否定として日蓮が出てきた。
浄土というのは来世ではない、この世が浄土だ。ここでおどれ」(P55)
「南無阿弥陀仏の方は、「阿弥陀さん助けてくれ」で、
日本人のセンチメンタリズムの故郷みたいなものでしょう。
内へ内へと沈静していく。
片や南無妙法蓮華経は、「生命よめざめよ」で、
エネルギーがワッと外へ向いていく。
日本のインテリはだいたい内面へ向かう方が好きで、
従ってぼくも含めて親鸞が好きなんです」(P58)
で、鎌倉以降の仏教はどうなったかというと――。
「やはり徳川時代の宗門の保護、
これが仏教をダメにした大きな理由の一つだと思いますね。
徳川幕府は、仏教はキリスト教と闘って敗れたという判断に立って、
日本の思想界を仏教に全部まかせるわけにはいかない、
インテリは全部儒教でいこう、仏教の方は愚民政策である、
というふうに割り切って考えたんじゃないかと思うんです」(P45)
いろいろな仏教を見てきた。これらをみな仏教というくくりでまとめられるのか。
「すべての仏教に共通するものは何か」と梅原猛は話をすすめていく。
たとえば宗教家の山田無文はこんな回答をする。
ただしいかあやまりかはわからない。
この読了報告はそういうスタンスで書き始めたものではない。
梅原「(仏教)共通の思想は何ですか」
山田「すべてのこだわりを捨てたところに、共通の安心があると思うのです。
言葉をかえると生死を越えた境地ですかね。
自分の内側に何か超越的なものをつかむことにおいて、
すべての仏教に共通のものを見つけられると思います。
生死を越えた世界ですね。
題目は題目で生死を越え、念仏は念仏で生死を越え、禅は禅で生死を越える」(P126)
ながながとおつきあいくださりありがとうございます。
おかげでこの良書から知りえた知識をわたしなりにまとめることができました。
だれかに情報を伝達する(=教える)というのは、結局いちばんじぶんの勉強になる。
よく言われることですが、改めて納得いたしました。
「濁世の仏教 仏教史講義」(中村元+水上勉/朝日出版社)
→今年、中国まで遠征したのは、なにもパンダを見たかったからではなく、
(いな、パンダを見たかったのは事実だが)仏教への関心があったのである。
ご存知のように仏教はインドで生まれた。中国を経由して日本へ輸入された。
我われが仏典を読もうとしたら、漢訳のものをたよるほかない。
サンスクリット原典は失われているものがほとんどである。
仏教というとみなさまはどちらをイメージしますか。
インドで釈迦が説いた仏教か。日本の身近に存在する仏教か。
といっても、日本の仏教を定義するのはむずかしい。
独座して目をつむり、澄ました顔をしているのも仏教(禅)。
池田大作先生〜と騒々しく叫びながら
公明党の選挙応援のため知人に電話しまくるのも仏教(創価学会)。
ひとつたしかなことは、インドの原始仏教と日本仏教はまったくの別物ということである。
宗門のトップやえらい学者先生はなんとかインドと日本をむすびつけようと、
おのおの難解な仏教述語をつぎはぎしているものの、
いまだうまく(我われ)大衆を丸め込む論理は発見されていないようである。
中国でなにがあったのだろう。中国でワンクッションあったはずである。
知識の乏しいわたしは学者のように漢訳仏典を読みあさることはできない。
ならせめて現地で中国仏教の感触をたしかめたい。
この目で見たい。聞きたい。味わいたい。中国へおもむいた理由である。
この旅の詳細はいずれ記す予定です。
本書は「朝日レクチャーブックス」。
人気作家が専門分野について、その道の碩学(せきがく)にお話をうかがうシリーズ。
タイトルの「仏教史講義」は看板に偽りあり。
仏教史のことなどぜんぜん触れていない。
仏教とタイトルに入れるのもどうだか。これは禅についての応答集。
水上勉が自身の関心のある禅について大家へ質問する。中村元が答えるの反復。
それにしても、と思う。なぜ中国仏教を概観する手ごろな参考書がないのだろう。
インド仏教や日本仏教に関しては、入門書から専門書まで多数出版されているのだが。
インド学者は釈迦の立場から日本仏教を批判する。
日本仏教サイドはインドへ向けて苦しい言い訳を繰り返す。
開き直ればいいのにと思う。
「釈迦など知らん。釈迦の言説に興味はない。
よしんば釈迦が伝説であろうといっこうに構わぬ。
そもそも日本仏教の宗祖でインドへ行ったものはおらぬ。
みな中国どまりだ。悪いか。文句あるか。
宗教の役目は人間を救うこと。こざかしい理屈をいうのはやめろ。
おまえはサンスクリット語を読めるのが自慢のようだが中国語はどうだ?
中国仏教についてなにを知っている? あんまりえらそうな顔をすんなよ!」
*本書は学研M文庫から復刊されているがオススメはしない。