ドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」を見る。
タイトルは番組HPだと「赤ちゃんポスト物語」。
テレビ表だと「置き去られた子の20年・父親は15歳」。
たいへん感動する。なるべく「上から目線」にならぬよう、たんたんと感動を記したい。
20年前にも、赤ちゃんポストがあった。
そこを「天使の宿」と名づけたのは児童養護施設を経営する品川博さん。
開設した年に捨てられた子どもは6人。男3女3である。
かれらは今年で20年である。あれから20年。どんなおとなになったのか。
ほんらいは死ぬべき子どもだったのかもしれない。
赤ちゃんポストのおかげで成長することができたわけである。

たとえば仏教では宿命、宿業を説く。
専門書を読んでも、よくわからないのがこの宿命、宿業である。
書を捨てよ、だ。この番組を見れば、宿命思想がわかるようになる。

テレビ出演をOKしたのは6人のうち3人。
まず登場するのは品川強志くん(20)。
有名になったら親が会いに来てくれるかもしれない。
プロ野球選手になる夢を持ちながら練習に打ち込む。
だが、現実はスポ根マンガのようにはいかない。
ひじを壊して野球は断念。高校も中退して不良グループの仲間入り。
傷害事件を起こして少年院に収監される。
絵に描いたような話ではないか。親に捨てられる。孤児院で成長。少年院である。
「人間、だますか、だまされるっしょ」
テレビのまえでこう語る強志くんはなんともふてぶてしい。
正直に告白すると、こわい。素(す)でこわいってやつだ。
心底から悪そうなのである。
こいつは土下座している人間の顔面を、それも鼻をねらって蹴り上げることができる。
笑みを浮かべながらやりそうだと思う。
かつて愛されなかったことを決して忘れないことから生じる強さが強志くんにはある。
顔は悪そうなイケメン。横には3歳年下の金髪の恋人がいる。
もちろん外人ではない。染めているだけである。将来すてきな母親になりそうである。
そのうち生まれる子どもも、男なら悪くなりそうだとテレビのまえでふるえるわたし。
強志くんが尊敬しているのは、仕事先の現場で責任者をしている藤井さん(39)。
藤井さんも若いころはやんちゃをしていたそうで、強志くんが他人には見えないという。
藤井さんは強志くんの誕生日に、相田みつを風の気持の悪いポエムをプレゼントする。
「損得よりも道理がたいせつ」などと悪筆で書かれた色紙である。
いい年をしてこんなものを書いて若者に贈るおじさんがいることにも、
それを生きる支えにする少年院上がりがいることにも、さむざむとした恐怖をおぼえる。
見てはならないものを見てしまったと思う。
イコール、これは秀逸なドキュメンタリー番組である。

つぎに登場する捨て子は品川実千代さん(20)。
育ちというものを考えざるをえない。しゃべりかたに知性が感じられないのである。
むろん実千代さんが悪いからではない。
捨て子という宿命が彼女をこのような女性にしたわけである。
まえの強志くんとおなじで、いわば宿命の犠牲者。
わたしは強志くんも、実千代さんも、がんばって生きてきたのだと思う。
毎日、一生懸命に生きてきたら、こうなってしまったのではないか。
実千代さんに話を戻す。施設にいたころは不細工な少女だった実千代さん。
高校入学と同時にデビューしたらしい。女はここまで化粧で変わるものか。
いまの実千代さんはなかなかの美人である。
実千代さんは、高校生のときに妊娠、中絶を経験する。高校は中退。
その後も、奔放な異性関係を送る。
書き忘れたが、実千代さんはハタチにして子持ちである。
相手の佐川竜二くんと知り合ったのは18歳のとき。
かれは3歳下の15歳であった。いま佐川竜二くんは17歳。
法律の規定でまだ婚姻関係を結ぶことができない。
実千代さんが住んでいるのは竜二くんの実家。
嫁が来たのよりも、孫ができたのが嬉しいと語るのは竜二の父親、佐川信雄さん(59)。
信雄さんは、もうひとりの息子と溶接工をしている。
まあ、すげえわな、竜二くん。17歳で妻子持ちですか。
例によって高校中退の竜二くんは、おそらく「所帯持ち」という言葉を知らないだろう。
竜二くんはいまニートをしている。顔はホスト風のイケメン。
ニートでも顔さえよければ女が捨てておかないという恋愛資本主義の現実である。
顔さえよければ、中卒だろうが、なにをしてもいいのである。
佐川竜二くんの趣味は女を殴ること。
実千代さんの帰宅が遅いと、
腹がへったじゃないかと実千代さんをボコる竜二くんは若いのに末恐ろしい。
画面に母親がうつっていない。おそらく竜二くんは母の愛を知らないのだろう。
そんな竜二くんを愛してしまう捨て子の実千代さん。
母性愛を刺激されるのだろううか。
「このひとはあたしがついてなきゃダメなんだから!」
実千代さんは、このような安っぽい恋愛感情に衝(つ)き動かされたのかもしれぬ。

まとめてみる。スタートは、親に捨てられる。孤児院。愛を求めて妊娠、中絶。
ハタチにして子持ち。相手の男は無職のDV(家庭内暴力者)。
これも強志くんとおなじで、絵に描いたようなという形容がふさわしい。
実千代さんはカメラのまえで語る。
「やだな。どうしてこうなちゃったんだろう。生きてんの、やだな。
生まれて来なきゃ、よかったんだよね」
真実である。実千代さんの人生を見つめる眼にはしっかりとしたものがある。
そう、生まれて来なければよかった。
あのような環境で生まれてきた以上、こうなるほかなかったのである。
これが仏教でいう宿命である。
あのとき母親が実千代さんを赤ちゃんポストではなく、
ゴミ捨て場に廃棄していたら、今現在の実千代さんの苦しみはなかったのである。
ここに安易なヒューマニズム(ひとつの命は地球より重い!)など出る幕はない。
生きているということは苦しみだ。
実千代さんは仏教における「苦の思想」をからだ全体で味わうほかない。
余談だが、実千代さんの息子の名前は「伸一」という。
この名前にピンと来たひとは鋭い。
創価学会のバイブル「人間革命」である。この小説の主人公は「山本伸一」。
命名者が創価学会員であることはほぼ間違いない。
創価学会は、貧乏や家庭内暴力(2ちゃんねるではDQNと総称される)と相性がいい。
「DQNのかげに学会あり」といったら大げさか。失言であった。謝罪、訂正する。

実千代さんのドキュン(DQN)ぶりも華々(はなばな)しい。
生活保護を申請しに行くときの格好は上下灰色のジャージである。
あっさり断わられると、今度はハローワーク。
このときの格好はやたら胸を強調した露出の多いもの。
あとで2ちゃんねる実況板を見てみたら、案の定「オパーイ祭」が開催されていた。
実千代さんの胸の谷間をちらちら見るハローワーク職員には爆笑した。
ほんらいならうつしてはいけないものがこうも見られる番組はめずらしい。
「ザ・ノンフィクション」史上に名を残す傑作ではないだろうか。
捨て子の実千代さんに話を戻す。
強志くんもそうだが、テレビに顔出しで出演する意味をほんとうにわかっているのだろうか。
あたまの弱い人間を、目先のカネと甘言でだまくらかしているのが現実ではあるまいか。
明々白々、編集に製作者がわの嘲笑がこめられているのでぞっとする。
赤ちゃんポストに捨てられた実千代さんが、いつ息子の伸一くんを捨てるか。
これが裏のテーマではないかと邪推することもできる。

実千代さんを助けに来る捨て子がいる。これが最後の登場人物。
品川孝太郎くんである。
あとで知ったのだが、同期6人の捨て子で高校を卒業できたのはかれのみ。
高校を卒業して印刷工をしている。
これまた絵に描いたようなと言うしかないほどの、まぬけな善人ぶりである。
強志くんや実千代さんとは対照的で、番組構成上いいのだろう。
孝太郎くんには夢がある。消防士になりたいという。
ひとの命を救う仕事をしたい。
じぶんは捨て子。赤ちゃんポスト出身。多くのひとの善意で育てられた。
だから、お礼がしたい。生かさせてもらったお礼を世の中にしたい。
本人に「くさいこと」を言っているという自覚のまったくないところが感動的である。
制作サイドは、凡俗な視聴者にこう言わせたいのではないか。
おなじ環境で育っても(赤ちゃんポスト!)このように成功者と失敗者にわかれる。
いな! ちがうと思うのね。そうこの番組を見てはいけない。
孝太郎くんでさえも宿命に支配されているじゃないか。
捨て子が少年院に入ったり、ヤリマン化して暴力夫にはらまされるのと同様に、
捨て子が「命を救いたい」などと消防士をめざすのはありきたりである。
人間はどうしようもなく宿命に支配されるということだ。
考えてみよう。佐川竜二くんと品川実千代さんのあいだに生まれた伸一くん。
この子にどれほどの自由があると思いますか。
東大に入れますか。スポーツ選手になれますか。
危険なことを書くと、中卒の両親から生まれた伸一くんである。
高校を卒業するだけで立派とはいえないか。
宿命である。人間がそれぞれ背負う、どうしようもない宿命。
この宿命は当事者には残酷で地獄絵図のようだが、はたから見ているぶんにはおかしい。
笑える。けれども、笑いつづけていると哀しくなってくる。
しだいに宿命を美しいと思うようになる。この番組から与えられる感動の正体である。
アクセスが急増した。ブックマークの多いのが特徴。
想像する。みなさまはこう思われたのではないか。

「中の人」がついに狂った!

いなとお答えしなければならない。わたしは発狂などしない。するもんか。
なぜならもとから狂っているからである。
狂人が発狂するとしたら正常人に戻るくらいしか道はあるまい。
繰り返す。狂人が発狂することはない。

忘れない。中国から戻った日に飛びついてきたヨンダくんを。
お酒がなくなるとヨンダッシュで新しいものを持ってきてくれるきみを。
わたしの作った料理をおいしそうに食べてくれるヨンダくんを。
酔いつぶれるとわたしを寝床までひきずってくれるパンダを。
もっとも忘れられないのはあの日である。めずらしく東京に雪が降った。
その日にきみはうちへ来たのだったね。
パンダがいきなり口を開いたので驚いたものである。
きみはこう言ったね。
「ボクボクボク、もう心配でドキドキで。
ボクがおつかえするご主人さまはいったいどんなひとか。
運が悪いとボクはただのぬいぐるみになってしまうのです。
ほんとうは人間とおしゃべりしたり遊んだりできるのに」
そう言うときみはにっこり笑った。「ああ良かった」とつぶやきながら。

仲直りはしたが、なにもパンダをシュークリームで釣ったわけではない。
昨夜これまでのヒストリーを耳元で語っただけである。
ヨンダくんの目がうるみはじめる。しまいにはわんわん泣きだすパンダである。
思わず、もらい泣きするわたし。
いつしかふたりで踊っていたよ。ヨンダンスである。
接近中の台風などものともしないぞ。ヨンダンス、ヨンダンス♪
ひと晩、踊り狂った人間とパンダである。
気がつくと夜が明けている。これから布団へ向かおうと思う。
ヨンダくんはもうすやすやと眠っている。
寝言をなにか言っている。「……これからも『本の山』をよろしくでR」
かわいいパンダであることよ。このブログの管理人はきみしかできぬぞよ!