「上野駅周辺」(山田太一/冬樹社)絶版
→テレビドラマシナリオ。1978年放送作品。20分×10回。
山田ドラマ批判として考えられるのはクサイ! 通俗的!
このようなものであろう。
山田太一になりかわって反論する気はないのだけれども、
ちょっといいかなと笑いかけてみる。
通俗的なのって、そんなにダメかい?
我われの生活の99%が通俗的なことの反復でしょう。
それを否定しちゃ、自分にダメ出しをしているみたいじゃないか。
わかるよ、きみの言いたいことは。
毎日が通俗的だからせめて余暇には通俗ではないもの、飛びぬけたものを求めたい。
うん、わかる、わかりますよ。
クサイ! たしかにクサイ感傷がいくつもある。
西欧の映画を見慣れているきみにはクサすぎて、目を開けていられないのかもしれない。
けれどもさ、考えてごらん。欧米の映画にはクサイシーンがないでしょう。
欧米人はクサイシーンを作ろうと思っても作れないんだよ。
そう考えると貴重じゃないかな。日本のクサさも悪いもんじゃないと思わない?
わたしだって、クサイと思う。通俗的だとあきれることもある。
けれども、いいなと思ってしまう。うまいなと舌を巻いてしまう。
「上野駅周辺」――。
岩手県から上京してきた若者たちがいる。
そのなかで上野で働いているものは、おりにふれて集まっている。
そのうちのひとり、典夫に中学の教頭から手紙が来る。
息子が上京して働きたいというから、よろしく頼むというのである。
どうしてたくさんの卒業生から自分が選ばれたのか典夫はふしぎに思う。
典夫「教頭はな、俺に手紙をよこしたんだ。卒業生は一杯いるよ。
そん中で、俺にだけ手紙をよこしたんだ。息子を頼むってなあ。
どういう気持か、俺は考えたよ。
俺は、なんてたって、あの中学じゃ筆頭のワルだったからな。
鑑別所にも入らねえで、こうやって、
とにかく東京でまともに働いているのは、教頭のおかげだよ。
二度目のお袋、たたき殺そうと思って、
雪ン中、男といるっていうのみ屋まで走ってった時、
教頭が横から俺、つきとばしてよ、雪ン中で、殴り合いして、
俺がワーワー泣き出したらよ、教頭も泣いてやがるんだ。
ワーワー泣いてやがるんだ。
他ン時も、根気よく、つき合ってくれたぜ。
教頭も、一番、手ェやいた生徒は、一番思い出深ェのかもしれねえ。
あのバカが、上野でまともに働いてるかって、喜んでてくれたのかもしれねえ。
とにかく息子をよろしく頼むっていわれたんだ。
そう簡単に、他所へやれると思うのかよ!」(P159)
教頭の息子というのが重久である。どうにも世渡りが下手である。
どこに勤めても田舎者特有の不器用な誠実さからクビになってしまう。
重久は同郷人の世話にはなりたくないと姿をくらませる。
ラーメン屋の出前の職を得るが(住み込み)、そこもクビになってしまったある日――。
人生は悪いことばかりではない。
重久は初恋のひと、泰子に銀座で出会う。3歳年上の美人である。
中学3年のとき重久は泰子にラブレターを渡したことがある。
泰子はすっかり都会になれてモデルなみの美女になっている。
その泰子から重久は夕食に誘われたのである。青山の料亭でおごってもらう。
重久は住所不定無職になった事情を話すと泰子はうちに泊まれという。
まさか人生でこんなことがあるとはと信じられない田舎者の重久である。
シャワーを浴びて出てきた重久。
泰子「フフ、そんなに窮屈?」
重久「は?」
泰子「まだコチコチじゃない」
重久「そういうわけでもないけど」
泰子「気になる?」
重久「は?」
泰子「女ひとりのところへ、泊ること」
重久「(目を伏せ)いえ」
(中略)
泰子「なにかしゃべって」
重久「ええ(急に頭を働かせようとする)」
泰子「そんなに無口じゃ、もてないから(とからかうようにいう)」
重久「フフ、あの、じゃ、あの」
泰子「なに?」
重久「仕事、なにをしているんですか?」
泰子「なんだと思う?」
重久「さあ」
泰子「二十四やそこらで、こんなマンションにどうして住めるんだろう?」
重久「(目を伏せたまま、微笑)」
泰子「まず、バーか、キャバレーか」
重久「そんな――(と首を振る)」
泰子「コールガールかな?」
重久「そんなこと(とやめさせ)思っていません」
泰子「じゃ、なんだと思ってる?」
重久「ぼく、東京のことあまり知らねえもんだから、見当つかないんだども」
泰子「じゃあ――(クスッと笑う)」
重久「え?」
泰子「そのまんまにしておくわ。ちょっと謎があった方が面白いじゃない」
重久「――(間少しあって)ええ」(P253)
ベルが鳴る。都会の遊び人風で二枚目の尾高が部屋に入ってくるや、泰子を殴る。
なにをすると重久は尾高をやっつける。
ところが、その重久をうしろから泰子が木彫で殴打するのである。
追い出される重久。追っていく泰子。マンションの廊下である。
重久「(エレヴェーターのボタンを押す)」
泰子「(重久の後姿を見て、それから普通の足取りで近づき)ごめんなさい」
重久「(いえ、というように首をちょっと振るが、泰子の方は見ない」
泰子「ごまかしたまま終れるかと思ってたけど、バレちゃったわね」
重久「――」
泰子「あんまり型通りで口惜しいけど何人かの男を相手にして食べてるのよ」
重久「(聞きたくない、というように首を振る)」
泰子「いくら東京でも、私の年で、このマンションに住める仕事、そうそうはないのよ」
重久「そんなに、このマンションに住みたいですか?」
泰子「住みたかないわ」
重久「じゃ、どうしてそんな事――」
泰子「(目を伏せ)成り行きね。そういう事になっちゃたのよ(腹立たしくいう)」
重久「あの男が、させるんですね? あの男がいけないんですね」
泰子「そう」
重久「警察にいったっていい」
泰子「警察に?」
重久「いえ、このまま逃げたっていい。
(パッと泰子を見て)東京じゃない所へ行ってしまえばいい(と泣き声のようにいう)」
エレヴェーターのドアがあく。
泰子「出来ないの。乗って」
重久「(乗らず)どうして出来ないんですか?」
泰子「(目を伏せたまま)乗って頂戴」
重久「いやです。あんな奴から、どうして逃げないんですか? どうしてですか?」
ビーッとエレヴェーターの閉まる音。
泰子「さようなら。乗って」
重久「いやです。どうしてですか」
エレヴェーター、閉まってしまう。
重久「どうして、そんな事しなきゃならねえんですか?」
泰子「好きなのよ」
重久「――(ショック)」
泰子「あの人が好きだから、言うなりになっちゃうの(さらりという)」
重久「――」
泰子「(エレヴェーターのボタンを押しに行き)逃げたくないのよ」
重久「――」
泰子「気持は嬉しいわ。でも、あなた、まだ、知らない事一杯あるのよ。
人間て、変なもんよね。どうして逃げないのかって思うの無理ないけど、
好きなのよ。仕様がないのよ」
重久「――」(P256)
重久は上野の仲間のところへ帰っていく。
かれらも重久を探していたところであった。
典夫「なんで――どうして戻って来た?」
重久「失恋――した」
高夫「――?」
典夫「失恋?」
洋子「失恋?」
重久「それで、淋しくて、来た」
繁「この野郎。洒落たこといいやがって(と重久を叩く)」
一同、笑う。
「俺なんかまだお前、失恋したくたって」
「相手も見つからねえ」などと口々になにかいって笑う。
重久、笑っていて、急に悲しくなって泣いてしまう。
慰める四人。
それを背景にして。
重久の声「お父さん。東京にも、こうやって故郷(ふるさと)があります。
それは、田舎の故郷と同じに、うるさかったり、ない方がいい時もあるけど、
時には、あったかく、なつかしく、やっぱり、あった方がいい故郷です」
上野駅周辺
賑やかな灯り。
沢山の人々。
終」(P267)
いいと思うな。これ、とってもいい。なに、悪臭? クサイと?
それはながながと失礼しました。ごめんなさい。
「幸福駅周辺」(山田太一/冬樹社)絶版
→テレビドラマシナリオ。1978年放送作品。20分×10回。
突然だが、山田太一はいま存命している最高峰の作家だと思っている。
どんな作家も、このテレビ作家にかなわないのではないかと照れずに言いたいのである。
多少は、それは、小声になってしまうかもしれないけれども、やっぱり言いたいのである。
山田太一ほど、人間の喜びと哀しみを、情感を込めながら美しく描いた作家はいまいと。
いままでどれだけの人間が山田ドラマに慰められてきたことか。
励まされてきたことか。
しょせんはテレビじゃないかとバカにするひとがいるかもしれない。
ちがうね。テレビだから、すごいのである。テレビでこれをやった。
本とか映画というのはマニアックなものでしょう。
私事を書くと、ここ数年、映画館で映画を観たことがない。
おなじようにもう何年も本を読んだことがないひともけっこういるはずである。
映画を観ないひとも、読書をしないひとも、テレビならふとしたひょうしに見る。
そのとき山田ドラマに打たれたひとがどれだけいることか。
シナリオを読みながら、ふきだしてしまう。
生活者のこすっからさがなんとうまく描写されているか。
泣きだしてしまう。
「人間の喜びと哀しみ……」そうつぶやきながら泣きだしてしまうのである。
こうとしか言いようがない。山田太一が描くのは、人間の喜びと哀しみである。
山田ドラマの住民は我われ同様に怒る、泣く。
なぜか。幸福を求めているからである。人間であるかぎりだれもが幸福になりたい。
だが、ままならぬ。ゆえに怒る、泣く。うまくいけば喜ぶ、笑う。
幸福を求めるというと単純なようだが、
そもそも幸福とはなにかという疑いから山田太一はいっときも目をはなすことがない。
人間は幸福をめざす。しかし人間にとってなにが幸福かはわからない。
山田ドラマで人間の哀歓が描かれるゆえんである。
「幸福駅周辺」――。
幸福駅というのが北海道にあるそうで、一時期ブームになったようである。
幸福らしきものを求めて東京(実際は川崎)からやってきた青年がいる。
ドラマのスタートである。ラストでひとり北海道から東京へ出てゆく少女がいる。
これも定かならぬ幸福を求めての行動である。
初恵はもう22歳にもなるのに東京で歌手になりたいという夢をいだいているのだ。
無謀な上京である。結果がどうなったかこのドラマで描かれることはない。
初恵の父、欣造は反対する。母は物故している。ひとり娘を手放したくないのである。
欣造「人間、夢を描くのは仕様がない。
しかしな、現実も見つめなければいけない。現実もな」(P125)
欣造に、想いを寄せている未亡人の愛子がいる。
愛子は堅物の欣造に問う。
娘は、初恵は、このまま北海道に閉じ込めていればいいのか。
愛子「平和ならいいね? 危険が少なそうなら幸せね?」
欣造「なして急に、ワイワイワイワイ」
愛子「私がね、私が諦めてばっかりいたからよ。
地道に暮らせ、平凡に生きろ、忍耐しろ我慢しろ、他所行けばひどい目にあう、
そんな事ばっかりいわれて、諦めてばっかりいたからよ!」
欣造「だからって、初恵そそのかされてたまるか!」
愛子「駅長(=欣造)は、なによ! 地道に生きてて幸せね?
真面目に真面目に、臆病に臆病に生きてて、幸せね?」
欣造「幸せだ。ああ、大いに幸せだ」
愛子「ごまかしてるんだ」(P130)
政権がかわろうが人間は幸福にならない。
イラクで戦争が始まろうが止もうが日本人の幸福には関係ない。
たとえエイズの特効薬が開発されたところで、大部分の日本人の幸福には無縁である。
こんなことを書くと、なんとも浅ましい、エゴイスティックな人間だと思われそうで、
決して大きな声では言えないけれども、我われの大部分はそういうところで生きている。
ご大層な悲劇も喜劇もないけれども、それでもそれなりに悲喜こもごも生きている。
幸福になりたくて生きている。
イラクの戦争を止めることよりも、自分が幸福になることのほうが難しい。
決してそんふうに突き詰めたりすることはないけれども、一生懸命に生きている。
山田ドラマがすくいとるのは、このような日常である。
描かれるのは我われのドラマだ。
英雄はいない。歴史にも関係しない。大きなことはなにもない。
それでも喜びがある。哀しみがある。ときに笑い、ときに泣く。
めったにはないけれども勇気をだして怒ることもある。そのあと後悔することもある。
人間のやむにやまれぬ哀歓。これが山田太一ドラマの全容である。
「崖」(井上靖/文春文庫)絶版
→病院の待合室で読み始めた。昭和36年東京新聞に連載されたもの。
上下巻あわせると全911ページ。
若者に人気らしい保坂和志という作家が、
「小説にストーリーしか求めていないバカは死んでください」(荒い要約)
といったようなことをどこかで書いていたけれども、真っ向から反対します。
小説の愉(たの)しみは、あらすじを追うことにあるのでしょう。違いますか。
これなんか退屈しない読み物だったけれどもな。
読みやすい文体で書かれた、
先が気になる小説のあらすじを追う愉悦はそんなバカにされるもの?
ある程度のスピードで読め、かつ美しい文章を書くのは至難のわざと思いますがね。
読者をひきつける物語を構築するのもかんたんではないのでは?
先が見えるうそ臭いストーリーならすぐ読者に捨てられてしまいますよ。
中間小説「崖」は事故で記憶を喪失した青年が快癒するまでを描く。
神経質なわたしが電車や待合室のなかでも読めたのはうれしかった。
家ではお酒をのみながら読んだ。
なんで読むかと聞かれたら、先を知りたいからと答えるほかない。
この先どうなるのか見てみたい。これはそんなにバカにされる欲望なの?
では、なんで井上靖はこのようなおもしろい物語を書けるのか。
もしかしたら仏教と関係あるのかと思ったけれども、
井上靖の場合はどうやら生まれ持った資質と思われる。
「わが文学の軌跡」を読んで了解した。
たとえば高校生のころにこんなことがあったという。
仲間と映画を見る。
そのあと井上青年は仲間に続編はこうしたらおもしろいのではと語る。
すると、ほかのひとはまったくそういうことを考えていない。
青年・井上靖だけがこの先のストーリーを想像していた。
仲間は井上靖の話をおもしろがる。
ここからは、くだらない自分語り。
この懐旧談から考えると、ストーリーテーリングの能力は天性のものなのか。
わたしなんかも、書きたいのはおもしろいものである。
少しでも大きなものを書きたいと思っている。
けれども、どうやら才能がないように思われるのである。
ウソでひとを楽しませたような経験がほとんどない。
(と思ったら、ひとつ思い出したが、2ちゃんねる、そうか、あれが物語か)
いっぽうで人生上の切実な問題がある。
これを小説を書くことでなんとかしたいが、エンターテイメントとは結びつかない。
かといって、私小説を書こうという気にも……。
まあ、おもしろい物語が好きなんだ。
けれども、それを自分が書けるかとなったら話は別で。
……わかりません。
「わが文学の軌跡」(井上靖/中央公論社)絶版
→今年なぜか敦煌くんだりまで行くことができ、
砂漠のなかにある映画のセットへ入ったときは感動したものである。
井上靖原作の映画「敦煌」のセットがそのままテーマパークになっている。
映画撮影時の写真とともに、原作者の近影がはられていた。
井上靖先生――。この作家とのふしぎな縁を感じずにはいられなかった。
そもそも小説を読み始めたのがこの著者の「しろばんば」であった。
井上靖に小説を読む愉(たの)しみを教わったといってもよい。
どうしてかいまになってまた井上靖なのである。
本を読み始めてからこんなわたしにも人生でいろいろなことがあった。
けれども、根本は変わらないということか。やはり井上靖が好きなのである。
本書は座談会形式。
篠田一士と辻邦生が聞き手となり、作者自身から井上文学の内実が語られる。
宮本輝の文学観との相似に驚かされる。
ほとんどおなじことを井上靖が言っているのである。
言うまでもなく先行作家は井上靖。
宮本輝はただならぬ影響を先輩の物語作家から受けたのであろう。
だが、唯一の、しかし根本的な相違がふたりの物語作家にはある。
井上靖はこの本のなかでいつか親鸞を書きたいと述べている(P123)。
いっぽうの宮本輝は創価学会。日蓮なわけである。
日蓮は浄土真宗を手ひどく攻撃した。南無阿弥陀仏を愚弄した。
宮本輝も親鸞には否定的なようである(「春の夢」の歎異抄批判)。
梅原猛によると、親鸞と日蓮の違いはこうである。
親鸞は死を見すえている。いっぽうで日蓮は生に拘泥(こうでい)する。
日蓮を、いかに生きるべきかしか問題にしない底の浅い思想と批判することも可能。
親鸞を、現世否定の、支配者にのみ都合のいいあきらめの思想と断罪することも可能。
日蓮と親鸞。宮本輝と井上靖。ふたりの物語作家のこの相違は興味深い。
これまた梅原猛の言だが、日本のインテリはがいして親鸞びいきなのだという。
比較的無知な民衆が日蓮思想に深いかかわりをもつ傾向にある。
井上靖は言う。
「(デビュー当時は)がまんして読むような小説ばかりが
評価されていた時代ですね」(P94)
「私小説は私小説で読んでいておもしろいですが、小説を書きだしたころは、
私小説は書くなといった気持がありましたね。
でないと、いいものは書けても、大きいものは書けない。
どうせ小説を書きだしたんだから、書けても、書けなくても、
おもしろいもの、大きいものを書いていこう、こういう気持でしたね」(P92)
井上靖も宮本輝も、「おもしろいもの、大きいもの」を書く物語作家である。
両者の根底に仏教があることはなにか「おもしろくて大きな」物語と関係しているのか。
そのとき親鸞と日蓮の相違はどのように影響するのか。
あるいは、物語の技術は作家それぞれの資質の問題で、仏教とは関係ないことなのか。
深い関心をいだいている問題である。
「わが一期一会」(井上靖/毎日新聞社)
→だいぶまえに母から買ってもらった本である。
一度も読まないで、いまになってようやくなのだから、まったく恥ずかしい。
おおむかしの中学生のころの話。
高校受験の入試は、当時このエッセイから多く出題されたのだったか。
いや、塾の教材でこの本からの抜粋を読んだのかもしれない。
抽象的なことを書く。井上靖の生きかたについてである。
この文学者は、追い求めることを生きる基本姿勢としているようなところがないか。
なにかを追い求める。手に入らないものを得ようと努力する。
決して入手できないものを、それが得がたいものだからという理由で、
結局はものにできないことをなかば知りながら、あきらめながら、それでも追求する。
たとえば「あすなろ物語」に克己という言葉が出てくる。
己に克つことなのできるはずがない。
だが、この物語のあすなろたちはがむしゃらに克己をめざす。
物語が終わったあとに読者は気づく。
だれひとりとして克己をなしえなかったことをである。
では、なにゆえ克己かなわなかったか。努力が足らなかったからではない。
星回りや運命というほかない大きなものにちっぽけな人間は勝ちようがないのである。
人間はいくら努力しようとできないものがある。哀しいが運命はあるのである。
ひとは思うがままに人生を生きられぬ。運命に左右される。
人間は巨大なものの影響力を偶然といったかたちでしか感知できない。
これを偶然と見るべきではないと井上靖は言いたいのではないか。
たしかに偶然だ。
しかし、それはこちらの気持の持ちようしだいで一期一会になりはしないか。
運命論というものがある。すべて運命に決められているという思想だ。
井上靖は運命論者に限りなく近い。けれども井上靖本人は否定する。
「運命というものに非常に興味を持ちますけどね、わたしは運命論者じゃない。
でも運命というものはおもしろいと思いますね。
歴史を振り返ってみると、人間が運命をつくっている。
乱世における武人の生死など運命的というほかないんですが、
それぞれがその運命を招んでいる」(井上靖「わが文学の軌跡」P86)
わかりやすく稚拙な換言をすると、こういうことではないか。
偶然のひとつひとつを一期一会と見ていくことでかれの運命が完成する。
ささいな出会いや事件への向き合いかたである。
受け流すのではなく一期一会をあたまの片隅にでも置いておく。
といっても、井上靖は説教をしているわけではない。
大会社の社長がにこやかに一期一会を成功の秘訣として語っているのとは訳が違う。
一期一会を重んじることで、
あるいは悲劇としかいいようがない運命が成就されるかもしれぬ。
だが、それもやはり運命だ。それが良かれ悪しかれ人間は運命を欲するものだ。
人間と運命は切り離せぬ。だが、運命はあまりにも巨大である。。
この日が差さぬ暗黒の大山にわけいるには一期一会を灯火(ともしび)にするほかない。
「憂愁平野」(井上靖/新潮文庫)絶版→母の墓参りへ行く日に、電車のなかで読んだ本。
昭和36年に連載された新聞小説である。
思うのね。井上靖、いいじゃないか。きれいで美しいものを読みたいじゃないか。
精神的にきつい日がある。そんな日には井上靖の中間小説を読むにかぎる。
文学的には取るに足らないものなのかもしれない。
けれども、それで励まされる人間がいる。
この読者を愚民と見くだすインテリとは生涯縁を切りたいと思っている。
井上靖はもてない男をえがくのがうまい。正確を期すと、もてないではない。
井上靖は、たとえば小谷野敦のようなゆがんだ小物(こもの)を描写したりはしない。
ふられた男である。ふられた男をえがく筆致が冴えわたる。
この「憂愁平野」では彫刻家である。かれは遠縁にあたる娘をずっと想っていた。
大いなる片想いである。そうとは知らぬ娘が兄のように慕う彫刻家のもとへ相談に来る。
娘は妻のある男性に恋をしている。告白をしたという。
女房もちの男へ愛を告白してきたというのである。
じぶんを長いこと愛している彫刻家へ向かって、こんな残酷な報告をする。
彫刻家は待てという。
「待て。――ウイスキーを飲みながら聞く」(P469)酒でものみながらでなければ、好きな娘の恋愛相談などのれるはずがない。
女にはこういう残酷なところがある。しかしこれは短所ではない。女の魅力だ。
邪推しすぎの感もあるが、これが井上靖の女性観ではあるまいか。
娘は彫刻家の気持を逆なでするように、みずからの愛を披露する。
妻のある年長の男性に愛を告白した。
「ずっと前から、何年も何年も前から、
わたしひとりだけで考えていたことを、みんな話しちゃいました」(P471)彫刻家は叫ぶ。「ばか……」
「口に出さないで仕舞っておけばいいんだ。
それを口に出したとあっては、もう駄目だ。救えん。
泥沼に落ちるだけの話だ。また薄汚いことをしたもんだ」
「薄汚いでしょうか」
「薄汚いに決っている。
愛だの恋だのというものは、死んでも口に出すもんじゃないんだ。
映画を見て、自分も一つあんなことをしてみようと思ったんだろう」(P472)のちに彫刻家は娘が恋敵と関係を持ったことを知るにいたる――。
いいね。片想いはよろしい。片想いにこそ純粋で誠実なものがある。
恋愛は相手がいることだから、ひとりではどうにもならない。
向こうが好いてくれないと恋愛は成立しない。
けれども片想いなら、相手がどう思おうが一向にかまわない。
相手に配偶者がいようが恋人がいようが片想いならば迷惑をかけない。
片想いをしたいと思った。
墓参りの日はたいがい雨なのだが、この日はめずらしく晴れた。
墓のまえで寿司を食べた。酒をのんだ。
(参考)「大きな片想い」
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ookina_kataomoi.htm
騒音対策の一環としてブログをやるというのはとてもいいと思うのね。
けれども、こういうのはよくない。
内にためこんでいくやりかた。愚痴ブログはいけませんぜ。
だれもじぶんをわかってくれないだの、旦那と別れようだの。
しまいにはたかが(あえてこう言う!)騒音くらいで死にたいなどと口走るのはダメ。
すなわち、悲劇にしてはいけないということ。
じゃあ、どうすればいいか。
喜劇にすればよろしい。笑劇にできればさらによろしい。
騒音に悩むじぶんを笑い飛ばしてしまえばいいのである。
ああ、わたしっておかしいよな。はたから見たら大笑いだ。
ならおまけでわたしも笑っちゃおう。こういうスタンス。
劇というものは、人間と人間の関係である。
関係を作らなくてはなりません。
そのために騒音元へ堂々と誇りを持って抗議にいく。
騒音キチガイというのは笑えるんだ。
隗(かい)より始めよでじぶんのことを書いてみよう。
こんなブログをしているといいこともあるわけさ。
7歳も年下の女の子からメールをもらったことがあった。
渋谷で働くいまどきの女の子。
で、会うことになった。まいったね。かわいいんだもん。
こちらはこんな子が来るとは想像もしていなかった。
だって、こんなブログの読者でしょう。
思いっきりいまどきのギャル。
はじめのほうでわたしがなにを言ったと思いますか。
「そのうるさい靴はなんなんですか?」
なんというのか知らないけど、細くて高いヒールの靴を履いている。
それがコンクリートに打ちつけられるとたいへんうるさい。
だからって、なにもねえ。
会ったばかりの、それもかわいい女の子に「うるさい!」はないでしょう。
しかもうるさいから、離れていこうとするわたし。
品のない居酒屋でビールをのむ。
見ると、名称はわからないけれどもやたらとツメをのばしている。
そのツメに落書きが(ネイルアートって言えよ!)。
「それはなんなんですか。ツメのなかにゴミがたまりませんか」
まじめな顔をして、こういうことを言い放つわけさ。
で、帰り。やけに足音が小さくなっている。
聞くと、やはり気をつかって音をださないようにしてくれていたとのこと。
立場上は反対よ。不釣合いなふたりなんだから。
わたしが奴隷のようにもてなすのが常識。
だけど、わたしはうるさいと言ってしまう。
しかも、このときこんなことをつけたしたな。
「その靴は自己顕示かなんかですか。個性のアピールっていうか。
ほら、みんなあたしを見なさい、みたいな。カツンカツン聞け見ろあたしをって」
最後まで若い女性の感情を逆なでするようなことを言う。
もう笑うしかないでしょ。これじゃあ、もてないわけだ、アハハ。
昨日のことである。「原一男 息子」で検索が集中した。
雑誌テレビライフを見て納得。NHKの有名番組に原先生が出演したのか。
「課外授業ようこそ先輩」。先生はドキュメンタリー監督の原一男さん。
小学6年生ぜんいんに映画を作らせる。対象は母。「母を撮る」――。
調べると深夜に再放送があったので先ほど視聴した。
原先生は変わらないな。髪の毛も黒々としているし。
だれも62歳なんて信じないのでは。独特の口調が懐かしかった。
まず子どもに自作のドキュメンタリーを見せる。
「極私的エロス・恋歌1974」。
こういう言いかたは適切ではないけれども、売りは出産シーン。
原先生の元妻と、現在の妻の出産シーンが撮影されている。
何回も見たけれども、この映画はわからないんだ。
どこかおもしろいのかさっぱりわからない。
これをおもしろいと思わないといけないんだど苦労した記憶がある。
いまなら正直に告白してしまう。わたしには芸術はわかりませんと。
で、このワケワカラン映画を小学6年生に見せてから――。
母を撮ろうとなる。
原先生自身が生前の母を撮ることができなかった。
だから、おまえたちは撮っておけ、というのである。
しかし、だらだら撮っても仕方がない。
「狙って撮る」、原先生は黒板に大書する。狙って撮らなければならない。
たとえば、こんなことを聞いてみたらどうだ。
僕を私を出産したとき、どんなことを思いましたか。
このあとに原先生はやばいことを言う。
ある生徒が、お父さんがいないことを告げる。
「ならどうしてお父さんと離婚したかお母さんに聞いてみたらどうだい?」
ふだんなら聞けないことを聞かなければだめだ。
勇気をだして、えいやと聞いてみる。
そういう苦労をしないといい映画は撮れない。
いつもだったら聞きにくいことを、映画だからと聞いてみる。
たとえば、そうだな。お母さんに、こんなことを聞いてみないか。
「お父さんのことをほんとうに好きですか?」
知りたいと思う。真実を知りたい。そこから映画を作っていく。
映画監督・原一男の生きかたである。
もちろんそこはNHK。
危ない方向へいかないようにエリート社員が「過激な映画監督」を監視する。
子どもたちが撮るのは、いかにもNHKらしいほのぼのとした映像である。
原先生も、ことさら変なことを学童にけしかけたりはしない。
なみだもろいおじさんと少年少女の牧歌的な交流は美しい。
このおじさんには秘密があった。当時中学生だった息子を自殺で亡くしている。
クライマックスは子どもの撮った映画の上映会である。
子どもやその母親たちと完成した映画を見る原先生の視線はあたたかい。
まとめに入る。原先生の生徒へのラストメッセージ。
「私は子どもを自殺で亡くしています。中学1年生でした。
みなさんもこれから難しい時期に入ります。
死と生のあいだで揺れるようなことがあるかもしれません。
けれども、そのとき死のほうへいってはいけません。死んではいけません。
きみたちはきょう、母親の愛を知ったでしょう。
お母さんはきみたちを生むのにどれだけたいへんだったか。
死んだりしたらお母さんが悲しみます。死んではいけません」
出産したときのことを生徒に聞かせた理由がここで明らかになるわけである。
いわゆる感動的な番組だったと思う。無難で手堅い作品である。
難癖をつける気はないのだけれども、たとえばこんなことを考えてしまう。
ひとりくらい両親を離婚に追い込んだ児童はいなかったのか。
みんながみんな原一男のような芸術家的夫婦生活を営んでいるはずがない。
どこの夫婦も、真実をなるべく見ないようにして生活しているのでは。
夫を本気で愛しているか。
こういう難題と正面から向き合ったら家庭なんてあっという間に崩壊してしまう。
愛だなんだというきれいごとに目をつむって
日々をやり過ごしているのが現状ではないか。
むろん子どもはもとより結婚経験のないわたしにはわからないことだが。
しかし、である。
子どものいる夫婦がそうそう愛した恋したとやっているわけがないとは思う。
そうした夫婦。いや、母親か。母のまえに子がカメラを持って現われる。
子どもが聞いたとする。子どもらしい残忍さ(純真さともいう)で、こう聞いたとする。
「お母さんは、お父さんのことをほんとうに愛している?」
1週間くらい毎日子どもがこれをやったらおかしくなってしまう夫婦もあるかもしれない。
言うまでもなく、仮定の話である。テレビを見るかぎり実際はそうなっていない。
けれども、もし子どものカメラのせいで両親の関係がおかしくなったら――。
そのとき原先生はどうするのだろう。
この程度のことで壊れるくらいなら壊しちまえとでも言うのだろうか。
片親に育てられたこの映画監督は両親の不和に苦しむ子どもの絶望を知らない。
「お母さんは僕を生んだとき、どんなことを考えた?」
わたしも、聞いたことがある。
この映画監督から聞けといわれたわけではないが、
当時、大学で原先生に教わっていた。
両親の不和に悩んでいた。切り開きたいと思った。真実が知りたかった。
あれは母にカメラを向けていたようなものであった。
ほんとうのことを聞かせてほしいと思った。
なんでこうなってしまったのか。これからどうすればいいのか。
母と向き合う過程で、ひどく母を苦しめた。傷つけた。
結果、母は自殺してしまったのである。
息子の目のまえで。名前を呼んだすぐあとに。ぽんと飛び降りてしまった。
わたしが知りたかったのは、血まみれで倒れている母ではなかった。
原先生は児童に自殺はよくないといっていた。
これを批難するつもりはない。
子どもを亡くした親の当たり前すぎる感情であり、訴えだ。
一方で、母を亡くした子はこう思っている。
自殺は、うん、わからない。ぜったいにしてはならないとは思わない。
自殺したほうがいい人生というのもあるんじゃないかな。
わからない。母の自殺から7年。まだわからないことばかりである。
7年。結局、このままで終わってしまうのかな。
「オトシマエをつけんとな」
母の自殺を報告したわたしに原先生は言った。オトシマエ。
世に出ることがオトシマエだと思っているわけではないが、
いまのところまったく芽が出ていない。五里霧中である。
問題が大きすぎてどこから手をつけたらいいかまるでわからない。
ふふふ、原一男の弟子らしくもない弱音を吐いてしまった。
演戯過剰で元気いっぱいの師匠を見習わなくてはならない。