引越をした場所は、いわゆる低所得層の多い地域。
このあたりでは焼酎が多くのまれているようである。
といっても、ブランド物の芋焼酎や麦焼酎ではない。
なにかで割ってのむための貧民用の焼酎。
郷に入ったら郷に従えで、底辺価格焼酎を買う。
それを割るための「サワーのもと」「ホッピー」はどこにでも売っている。
このごろのみはじめたのである。
のむと沈む。ずんずん沈む。
いぜん愛飲していたウイスキーやビールなら(たとえ安いものでも)昂揚した。
気分が盛り上がった。喜怒哀楽が激しくなった。
具体的にいえば、のむとブログを更新したくなった。ひと恋しくなった。
けれども低価格焼酎は――。
どんより沈むだけである。なにかをなそうという気にはならない。
焼酎は愚民政策の一環かもしれぬ(と言いながらもいまレモンサワーをのんでいる)。
ブログなんて書きたいことがなきゃ、更新しなくてよろしい。
たとえば、ベンチャー企業の社長がブログにはまっている。
毎日の記事といったって多忙自慢と世事批評くらい。
1日更新できなかったくらいであやまる。きのうは更新できないでごめんなさい。
バカを言いなさんな。だれもあなたのブログになど関心はない。
社長のご機嫌うかがいでやむをえずクリックしているだけ。
そもそもからして、人間は他者に興味を持たないものである。
忘れてはならない重要なことを、つい人間は忘れてしまう。
こんかい書いたことはそのひとつである。
「こころの処方箋」(河合隼雄/新潮文庫) *再読

→河合隼雄追悼読書。
ひそかに河合隼雄の代表作はこのエッセイではないかと思っている。
だれでも読めるわかりやすい言葉で、実に役に立つことが書かれているのだ。
ちょっと表現が正確ではないかもしれない。
いかにも役に立ちそうなことが書かれている、と書くべきだったか。
「役に立つ」と「役に立ちそう」では大違いである。
弁舌たくみな宣伝に乗せられて、屋台で役に立ちそうな十徳ナイフを買ったら、
缶は切れない、ビールの栓も抜けない、皮もむけない、
結局のところ、なにもできないゴミだったということもある。
一見、役に立ちそうだからといって、すぐ信じてはならないのである。
河合隼雄の本がどちらだか、わたしにはわからない。
ただ、あまりに役に立ちそうなのは、
なんだか怪しいぞと疑ってかかるくらいがいい、と思う。

この本は何回も読んでいるので、ほとんど内容を覚えてしまっているくらいだ。
今回の読書ではじめて気づいたことがある。まあ、鼻についたのである。
欧米人礼賛が少なくないのだ。数えたが6つあった。
我われも欧米人を見習おうという姿勢である。
どうしてかこの態度が気に食わない。
欧米人は決して日本人を見習おうなどと思うわけがない。
だのに、なにゆえ日本人がかれらをそうあがめなければならないのか。
ユングの心理学で語られる人間とは欧米人限定ではないかと思ってしまう。
たしかにユングは中国の易経に興味を持っていたようである。
けれども、あれはオカルトの一環で、
東洋人を宇宙人かなにかと思っていたのではないか。

ひどく欧米人が嫌いなわたしである。本書から欧米礼賛の例をあげる。
アメリカ人は話し合うことができる(P30)。
欧米人はユーモアのセンスがある(P59)。
ヨーロッパのひとは真の自立を知っている(P96)。
欧米人は表現方法がうまい(P137)。
欧米の民主主義は日本のような馴れ合いがない(P175)。
アメリカ人は権威の真の意味を知っている(P186)。
以前は気づかなかったのがふしぎなくらいである。
こうして集中的にピックアップするとみなさまも抵抗感を持ちませんか?
毛唐のくそったれめと。

しかし、本書は慰めになる。
「ものごとは努力によって解決しない」(P90)
これなどは心底から慰められる。
このことを深く理解している日本人がいたことに安心感をいだく。
たとえば、わたしは母の事件のことでいまも悩んでいる。
いろんなことを試したけれど、努力をしてもどうにもならないのである。
かなりさかのぼって母の主治医を訪ねてみるということもした。
インド仏跡巡礼もやった。
どうにもならないのである。死者がよみがえるはずもない。
どうしてと母には聞きたいことが山ほどあるが現世ではかなわない。
いまでも頻繁に母の夢を見る。ひとが飛び降りる夢もである。
救われないと思うが、救われないのが当たり前なのである。
これを努力でなんとかしようと思っても、どうにもならないのである。
だけど、人間だからどうにかしたいと思ってしまう。
そんなとき河合隼雄の「ものごとは努力によって解決しない」。
この言葉に触れると長い息を吐き出したくなる。ふうう。そうだようなと思う。
結局、待つしかないんだよなと慰められる。なにも(努力)しないで待つ。ただ待つ。
暗闇のなかで待つのは恐怖である。河合隼雄の言葉はほのかな灯(あかり)だ。
そのうち電池が切れて消えてしまうのかもしれない。
しかし、まだわたしという闇のなかで、河合隼雄はかすかな光をはなっている。
「満ちて来る潮」(井上靖/角川文庫)絶版

→昭和30年の新聞小説。
井上靖は膨大な量の中間小説を書いている。ほとんどが恋愛小説である。
わからないことが、ふたつあった。
なぜ井上靖は恋愛小説を書くのか(売れるからとか野暮なことは言わないで)。
なぜ恋愛ものは嫌いなわたしが井上靖の中間小説をこうも好んで読むのか。
恋愛ものが嫌いである。恋愛小説、恋愛映画。まったく関心がない。
美男美女がいちゃついているシーンなど、むかむかしてくるだけである。
けれども、井上靖の恋愛小説は――。

このたび気づいた結論は井上靖の書くものは恋愛小説ではない。
失恋小説である。だから、読むことができるのだ。
井上靖が描くのは、恋愛ではなく、失恋である。
ラストは表現媒体の性質上(新聞小説!)ハッピーエンドにせざるをえなくとも、
その過程でこの作家はふんだんに失恋を描写する。そこが美しい!
どうやらわたしは恋愛は嫌いだが失恋は好きなようである。
考えてみれば、こうも言えなくはないか。
これは個人的には大発見だったのである。
凡愚の市井人でさえも失恋においては巨大な運命と向き合うことができる。
ある女を好きになったとする。身も心もぼろぼろになるほど好きだ。
けれども、その女にはべつに好きな男がいる。どうにもならない。
どうにかしようと満身の思いで愛を告白する。受け入れてもらえない。
これだけ相手を好きだというのに、なおも相手を動かすことができぬ。
個人の意思、人間の努力のなんと無力であることか。
女ひとり、どうにもできぬのである。
このときかれは運命を見る。個を超える巨大なものを感知せざるをえぬ。

失恋シーンを引用しよう。
多田は笙子を好きである。結婚したいと思っている。
だが、笙子にはひそかに恋する相手がいる。妻のある男性である。
この日、最後の求愛をした多田を笙子ははねつける。
言ったのである。妻のいる男性を愛しているから、あなたとは結婚できないと。
それでもあきらめきれない多田である。

「じゃ、最後に一つ、あなたに伺いいましょう。
あなたはどうしても僕とは結婚できませんか」
「ええ」
「どういうわけで」
「いままでその理由ばかり申し上げて来たじゃありませんか。
どうかしていらっしゃるわ、多田さん」
「どうかしている!? なるほど、どうかしているでしょう。
おそらく、いま、僕はどうかしている」
ふたりが期せずして立ち停まったところは、そこだけ鋪道が明るくなっている、
フランス料理のネオンの看板がついているレストランの前であった。
笙子は多田信次の顔を見た。
威張っているのか、憤っているのか見当のつかない顔であった。
今まで見たいかなる場合の多田の顔より、
それは魅力のないものに笙子には見えた。
反対に多田には、今までのどんな笙子よりも、いまの笙子が美しく見えていた」(P292)


男にとって、求愛をかたくなにこばむ女の顔ほど美しいものはないのである。
ならば、ストーカーこそ、真に女の美を知るものと言えなくはないか。
好きで好きでこんなにも好きなのに、一度も自分をふりむいてくれない女の顔――。
自分を完全に拒絶する女の顔がどれだけ美しいか。
あの女には好きな男がいる。ああ、自分という存在を決定的に否定される苦痛。
これは苦痛なのか。快楽ではないか。苦は快なり。快は苦なり。
苦快一如だ。運命の女神よ!
やばいな。読書感想文から完全に逸脱している。暴走パンダ。このへんで、やめとこ。

紺野はダム建設技師である。人妻の苑子に恋をしている。
苑子にもいつしか紺野の想いが伝わる。
ある日のことである。苑子は紺野に言う。旦那と別れようと思っている。
ふたりはテレビ局の塔の上にいた。これはよくないとあわてて下界におりる紺野。
それから行くあてもなく街中を歩くふたりである。

「紺野さんは、一体塔の上で何をお考えになってらっしゃいましたの」
「僕ですか」
紺野はちょっと考えるようにしたが、
「天竜ダムの建設所長の大木田博士のことを、ふと思い出していましたね」
と言った。これは本当であった。紺野は苑子の話を聞いている時、
ふと大木田博士の短い言葉を突然思い出したのであった。
――僕は大抵のことは知っていますが、ただ一つだけ知らないことがありますよ。
いつだったかよくは覚えていないが、とにかく天龍ダムの事務所で、
大木田博士は紺野とふたりだけになった時、こんなことを言ったことがある。
紺野には、その時、彼が何を言い出すかまったく見当がつかなかった。
――一体、何です?
紺野が訊くと、大木田博士はまじめな顔で、
――それは恋愛です。恥ずかしい話だが、僕はまだ恋愛というものを知らない。
ダムのことばかり考えていて、
恋愛というものを経験する暇がなかったんでしょうかね。
大木田博士はちょっと照れたような顔をして、大きく肩をゆさぶって笑った。
紺野はこの時ほど自分の恩人であり、
大先輩であるこのエンジニーアを畏敬の目で眺めたことはなかった。
紺野はテレビ塔の上で、どういうものか、
この大木田博士の言葉を思い出したのだった。
しかし、紺野は大木田博士の名は口にしたが、このことは苑子には話さなかった」(P330)


手塚治虫氏も、恋愛をしたことがないともらしていたという。
突然、へんなことを思い出した。

では、恋愛とはいかなるものか。
人妻恋しの紺野さんに聞いてみよう。

「しかし、これだけは許されぬ。世の中に女は多いのに、
他人の細君に惚れるというのは何ということであるか。
しかし、何回、繰り返しても、いっこうに紺野の事件は解決しなかった。
瓜生苑子と一緒に、
もう一度同じ時間を持ちたいという欲望はいささかも衰えなかった」(P244)


ふうむ。単純明快である。井上靖先生によると、恋愛とは一緒にいたいと思うこと。
今現在、わたしの周辺に、だれか一緒にいたいという異性は存在していない。
ということは、恋愛をしていないということか。
恋愛をしたいと思う。それから振られたい。失恋したいのである。
ストーカーまでやれたら最高だが、わたしにそこまでできるかは自信がない。
しかし、やらねばばらぬ。すべては美を求めんがためである(言い放つ)。
「あめりか物語」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。1979年放送作品。全4回。
おもてに出ない歴史というものがある。
たとえばこの「あめりか物語」があつかう日系人の歴史だ。
明治時代に国の政策の一環として、アメリカに移民した貧農がいたことは知られていない。
ハワイやサンフランシスコでかれらがどれほど苦労したか。
日系人の物語である。日系1世、2世、3世の喜怒哀楽が描かれている。
あいだには日米間の戦争もあった。
米国籍の日本人の葛藤を、わかりやすくセンチメンタルにシナリオ作家は紹介する。

プロのシナリオ作家は視聴者を楽しませるものを書かなければならない。
私小説作家のように身辺雑記を書いていればいいというわけではない。
自分の知らない世界を描写することが要求される。
そのためになされるのが取材である。
この「あめりか物語」の、いわば構成比率は取材が95%と思われる。
ここで取材と対置するものとしてわたしが想定するのは実感である。
実感とは、作者の切実な思いというほどの意味。
先日、ながながと山田ドラマ「沿線地図」のせりふを引用した。
たとえば、もてない男の苦悩だった。みじめなダメリーマンの鬱積であった。
あれらは実は作者の実感から書かれていることが、エッセイを読むとわかる。
あのようなせりふの元となった感情体験がつづられているからだ。
実感のこもったせりふは山田太一ドラマ最大の魅力である。
何度、声に出して読んでも飽きない。

さて「あめりか物語」である。
山田太一には日系人の物語へのとっかかりがまったくない。
しいてあげれば取材対象者に「日本人のあなたに日系人の苦労がわかるもんか」
と見くだされた屈辱感くらい(これは「あとがき」に書かれている)。
まったく実感の置きどころがないのである。
留学体験もない。取材旅行からそれほどのものが引き出せるとは思えぬ。
それでもこれだけのものを書き上げてしまう山田太一の、
職人的ともいえるシナリオ技術には感服する。
このシナリオは楽しみながら日系人の歴史が勉強できるようになっている。
知らない世界を徐々に知らされる楽しみを満喫する。

よほど前衛的な作品でもないかぎりドラマや小説における愉悦の中心は「知る」ことだ。
当たり前のことだが、本作品を読みながら思い知らされる。
知る喜びである。
そのために作者が駆使する技術は「意外性」と「ふたつにひとつ」だ。
最初は悪人だと思っていたひとが善人であった。
愛しあっていると思ったら間違いだった。
「意外性」とは読者(視聴者)をだます技術にほかならぬ。
何度、山田太一からだまされたことか。
それがどれだけ心地よかったことか。

「意外性」が小さな刺激だとしたらば、
大きなショック(快楽)を与えるものとして「ふたつにひとつ」がある。
この「あめりか物語」から具体例をあげてみよう。
ローカルアメリカ人の嫌がらせに反抗するか我慢するかの「ふたつにひとつ」。
島に不時着した日本兵を守るか米軍に突きだすかの「ふたつにひとつ」。
おなじ日系人と結婚するか黒人のプロポーズに応じるか迷う女性の「ふたつにひとつ」。
どの「ふたつにひとつ」も、どちらを選ぶか興味が尽きない。
前提としてあるのが、わたしだったらという思いである。
わたしだったらこうするが、さてドラマではどちらが選ばれるか。
これはフィクションの楽しみの原形といってもよい。

順序は逆になるが、最後に小さな刺激を紹介する。
これは低質なドラマで頻繁に使用される小手先の技術。
けれども、これを巧みに使えるかで、ドラマの味わいが変わってしまう。
いきなり視聴者にショックを与える手法。混乱させる。
典型的なのは第4話の冒頭。
いきなり引ったくりのシーンからスタートする。
視聴者はなにが起こったかわからない。先を知りたくなる。
いわば軽いショック療法である。
これには盗難や喧嘩、つばぜりあいが使われる。
第2話。ホテルでの盗難も、この手法の具体例である。

以上、中、大、小の「知の誘惑」システム(笑)を分析してみた。
この知のからくりに感傷を加えたら「あめりか物語」の完成である。
このドラマにおける感傷は、泣くというかたちで現われる。
歴史のどうにもならぬ激流にのみこまれることによって生じる愛別離苦――。
愛するひとと別離する苦しみである。生別も死別もある。
ひとは愛別離苦に対して、ただもう泣くしかない。
いくら努力をしても克服できぬ愛別離苦を山田太一は美しく描く。
歴史のまえにはこうべを垂れるほかないのである。
今回の読了報告は、こちらの感動を書かない分析的なものとなってしまった。
決してこの山田太一ドラマを軽んじているわけではない。
シナリオ作家の職人芸のうち、目に見える部分のみを紹介したにとどまる。
この名職人は、わたしのような凡人の気づかぬ屋根裏にそっと工夫をしているのであろう。

最後に恒例のせりふの引用をする。
どうやらこの引用のみを楽しみにしている読者もいるようである。
期待には応えるのがうちのブログの方針である。

1916年、サンフランシスコでホテルを経営する圭造である。
日本でいざこざを起こして海外へ出た圭造であったが――。

「この年になって、足すくわれた。
帰りたかとよ。もう、日本へ帰りとうて、矢も盾もたまらん。
損得なんぞ、どうでもよか。
俺ば殺すって奴がおるなら、殺せばええ。日本で死にたか。
こぎゃん外国で、これ以上生きて行く気力もなんものーなった。
日本がなつかしうて、たまらん。
英語もすかん。洋食もすかん。
なんぼ景色がようても、そぎゃんもん、見とうもなか。
日本、恋しや、ばい(と唸るようにいい)
日本に生まれたなんて事は、いうてみりゃあ偶然のようなもんたい。
生まれた国がなんだっちゅうとか。
人間、世界の何処へでも出て行って生きりゃあよか。
そう思っとったが――日本、恋しや、ばい。
こりゃあ、一筋縄じゃあ、いかん事(こつ)ばい」(P69)


しつこいと言われそうだが、ここも「ふたつにひとつ」である。帰るか、留まるか。
「沿線地図」(山田太一/角川文庫)絶版 *再読

→小説バージョン。シナリオ版と比較するのが目的で読んでみた。
山田太一はシナリオ作家なのだと思う。
小説も決してつまらないわけではないけれども、
シナリオから得られるような感動がない。あの打ちのめされるような感動がない。
この程度なら自分でも書けるかなと傲慢にも思ってしまう。
シナリオを読むときに感じる、恐怖にも似た圧倒感がないのだ。

けれども、山田太一はよろしい。
なんでこんなに山田太一が好きなのかな。
初対面のひとなんかにたとえば聞かれる。好きな作家はだれですか。
ううむ、正直に山田太一と白状できるか。
見くだされそうだとか思ってしまう。
相手がインテリだったりすると、とくにねえ~
答えは小説「沿線地図」のなかにある。また引用しちゃうよ。

「フランス料理屋の小部屋などへ入ったのは、はじめてであった。
金がないわけではない。洋食に高い金を使う気がしないのだ。
洋食が一番つまらない。
高いビフテキも、運ばれて来て食べてしまえば十五分で終りである。
ワインをのめば、そのワインがまたバカ高いと来ている。
スープをのんでアイスクリームを食べたって、一時間ももちゃしない。
そこへ行くと、鍋物だって、中華だって、天ぷらだって、
もっといろいろな味が楽しめるし、時間もかけられるし、気取った給仕はいないし、
どれだけ楽しいか知れやしない。
こういう所を好きな人間というのは、どっかで自分を偽っているのだ」(P81)


まったく同感だよな。つまり、まあ、庶民ってこったな。
小市民根性と言い換えてもよい。
「金がないわけではない」などとまず金のことを考えるのがいいんだ。
庶民はカタカナの多い小説というのがもうダメなんだ。
村上春樹が好きというともてるらしいが(古い早稲田大学系情報)、
あんなものはね、登場する横文字の音楽がそもそもわかりゃしない。
アメリカちゅうのは敵国でしょうと聞いてみたくなる。
村上龍先生の人気もさっぱりわからない。
このひとも小説にカタカナを多く使うでしょう。モチベーションってなんですか。
この国には希望がないって、あたしら国のことなんてどうでもいいでがすよ。
だから、山田太一なんだよな。
たとえば、「沿線地図」から。小さな電気屋の主人。娘は家出してしまった。
妻は急用で実家へ戻っている。

「一人きりの夜というのは、四、五年ぶりであった。
『早めに閉めて、のむか』
ゆっくり独り言をいって、暫く外を見ていた。
寿司屋の出前が、自転車で駅の方から住宅地の方向へ通過して行く。
これであと十数える間に、誰も通らなかったらシャッターを閉めようと思う。
シャッターを閉め、テレビをつけ、
電子レンジでコップ酒の燗をして、ゆっくりのむのだ。
なにかエロがかった番組でもやってりゃあいいのだが、と思う」(P192)


いいね、いいね。商売にやる気がないのがまずよろしい。
決断力がなく、運まかせの生活態度全般が好ましい。
シャッターを閉める決断すらできないのかとバカにしてはいけません。
仕事のあとにクラシック音楽を聴くわけでもない。テレビというところがすばらしい。
ワインでもウイスキーでもない、コップ酒。
見たいテレビ番組はNHKではなくエロ番組。最高ではありませんか。
かっこつけるのはやめましょうぜ。人間、こんなものでしょう。
で、たまーになにかに目覚めたかのようにゲージュツに触れてみるけれども、
どれだけがんばってもわからないものはわからない。
それでも、わかったふりをする。帰宅してからモーツアルトはねえ、なんて言っちゃう。
おカネもほしいし、きれいなおねえちゃんにもあこがれるけど、
いざそのようなチャンスが来るとワナじゃないかだなんてたちまち尻込みしてしまう。
もちろんあとで後悔する。ウソをつく。
おれはねえ、もうちょっとで大金持になるところでさ、
けどな、おねえちゃんを救うためにな、おれはね、そのチャンスを棒にふったんだ。
とかなんとか。山田太一ワールドである。
山田太一がこれほど好きということは、わたしもこのワールドの住人なのかな。
まあ、生まれと育ちは変えられぬということだ。
「沿線地図」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。1979年放送作品。全15回。

(1)「いま幸福ですか?」

いまの連続ドラマでは毎回、タイトルがつくでしょう。
あれがいつから始まったか、だれが始めたかは調べたけれどもわからなかった。
1983年放送の大ヒットドラマ「ふぞろいの林檎たち」には各話のタイトルがある。
このドラマから例をあげると「学校どこですか?」「恋人がいますか?」
「生き生きしてますか?」「なにを求めてますか?」「親友は誰ですか?」
「キスしてますか?」「どんな夢見てますか?」「大きな声が出せますか?」
「ひとの心が見えますか?」「胸をはっていますか?」。
「ふぞろいの林檎たち」からほぼ5年前におなじTBSで放送されたのが「沿線地図」。
このころはまだ一話ごとにタイトルをつけるならわしはなかった。
けれども、たとえばなにかこの「沿線地図」全体にサブタイトルをつけるならば――。
「いま幸福ですか?」がいちばんふさわしいように思う。
いまあなたは幸福ですか。ほんとうに幸福ですか。満足していますか。
これでいいのですか。このままでいいのですか。こんなもんだとあきらめてはいませんか。
もっとなにかあるとは思いませんか。
いまのあなたはたかをくくっているだけでありませんか。
臆病になっているだけではないですか。一歩足を踏み出してみませんか。

ドラマの1、2、3話では、冒頭、高校生の志郎のモノローグからはじまる。
志郎は東大も確実と言われているほどの優等生である。
志郎の父の誠治は一橋大を卒業後、銀行へ就職。エリートコースを歩んでいる。
山田太一ドラマ「沿線地図」はこのように始まる。

●大型ノート

高校生らしい鉛筆の字が書く。夜のアパートの一室である。
鉛筆の走る音と、私鉄沿線のおそい夜の雰囲気音が、かすかに聞える。

「ぼくたちの心の中には、出来事に対して、他人に対して、
ひどく無関心なところがある。
なにかを、ぼくたちは、喪ってしまったような気がする」

書き終えると、志郎の声がそれを読む(P3)


第二話冒頭でも大型ノートに志郎の文字がつづられる。

「長いこと、ぼくは涙を忘れている。熱い感情を喪くしてしまっている。
なんだか、すべてに対して自分が冷たいような気がしてならない」(P26)


第三話も同様にスタートする。

「損か得か。楽か、楽じゃないか。
そういうことばかり考えて生きて行くことをやめようと思った。
しかし、それじゃあ、どう生きたらいいのかということは、よく分からなかった。
分からないまま、ぼくと道子は行動を起こした」(P52)


第四話にはもう志郎の独白はない。ひとりではないからである。
志郎はおない年の道子と同棲をしている。家出をしたのである。
高校を中退した。大学も行かないことにした。ありきたりがいやだった。
志郎と道子が出会うシーンから引用する。道子はおかしな子であった。
ふたりでハンバーガーを買った。道子はわざわざ歩道の真ん中で食べるのである。
店員から注意された。優等生の志郎はすぐに従った。道子は動かない。
歩道の真ん中でハンバーガーを食べている。志郎はありきたりな注意をする。

道子「(笑っている)」
志郎「おかしいかな」
道子「来て」
志郎「いやだね」
道子「どうして?」
志郎「大体――こんな事で、つっぱったって仕様がないじゃない。
道の真中で食べたからって、どうだっていうのさ?」
道子「私はね、こういうことでもつっぱってないと、
肝心な時も、つっぱれなくなると思うの(キッパリという)」
志郎「(その正当性にドキリとしている)」
道子「そうじゃない?」
志郎「(目を伏せ)そうじゃないと思うね(と辛うじて反論する)」
道子「いらっしゃいよ、こっちへ」
志郎「いやだよ」
道子「おたくって、そういう人? 
規則とか常識とか、そういうことに、すぐ従っちゃう人?」
志郎「すぐ従うってわけじゃないけど(といい返そうとする)」
道子「(かぶせて)でも従っちゃうんでしょう? 温和しいんでしょう?
勉強なんか出来て、ビクビクそうやって一生送っちゃうんでしょう
(と大きな声で挑発的にいう)」
志郎「(カッとなって)おっきな声で、なに言うんだよ!」(P11)


志郎が家に帰ると、母の季子が内職をしている。
益子焼きを主婦仲間に転売するのである。
いくらもうかるのかと志郎は聞く。微々たるものである。
季子は、それでも継続していけば、
いつかは数万円の利益がでる商品を扱えるかもしれないと言う。

志郎「幸せ?」
季子「え?」
志郎「そうなると、幸せ?」
季子「なによ、それ?」
志郎「すごく陳腐な質問していいかな?」
季子「どういうこと?」
志郎「お母さん、幸福?」
季子「(笑ってしまう)」
志郎「(自分もちょっと照れて、笑う)」
季子「えーと、これで、こっちは箱がないから、と(と、包む仕度をしたりする)」
志郎「(見ている)」
季子「これと、これが、中里さんの分と――」
志郎「(見ている)」
季子「なにしてるの。勉強しないなら、お風呂入っちゃうとか、
さっさとなんかして頂戴」(P19)


志郎と道子は東中野で同棲を始めた。
ふたりとも近くの市場で朝早くから働くことにした。
なにも問題はなかった。自由が快適だった。ところが連絡が入る。
志郎と道子、どちらもひとりっ子。親が会いたがっているのである。
志郎は父の誠治と会う決意をする。しゃぶしゃぶ屋へ入るふたり。
このあたりの会話のクソマジメさは、泥臭いと現代なら嘲笑されるであろう。
当時も、このシーンに象徴される山田ドラマの泥臭さを
敬遠したものは少なくなかったのではないか。
けれども、いまよりは少なかったはずである。
25年前は、なんでも笑い飛ばせばいいとはみんな思っていなかった。
どこか真剣なところがあった。まじめにものを考えるところがあった。
山田ドラマが支持されたゆえんである。しゃぶしゃぶ屋――。

志郎「お父さんは、損得をちゃんと考えて、順調に安全に生きて行こうとする人間と、
そうじゃない人間とどっちがいいと思う?」
誠治「若いうちは、どうしても無鉄砲な方がいいと思うのだろうが」
志郎「そうかな? 
若くたって、安全で楽で順調なコースを狙う奴の方が多いと思うな。
公務員の試験になんか殺到するっていうじゃない」
誠治「うむ」
志郎「ぼくにも、そういうところあるんだ。お父さんにもあるよね?
どっかへ就職すると、その人生を一生守っちゃうような所あるよね?」
誠治「いけないかな?」
志郎「いけないっていうより、幸福じゃないと思うんだ。
全然、いきいきしないで死んじゃうような気がするんだ」
誠治「一生というものは、お前が、たかをくくるような、簡単なもんじゃないよ」
志郎「多分そうなんだろうけど、ぼくは、とにかく、
いい大学、いい会社っていうような、
そんな事ばっかり考えて生きていくのがいやになったんだ」
誠治「――」
志郎「高校でやめれば、こんな事、のぞみようもないだろ?
いやでも、別の人生を歩こうとするよね?
こういう風に、自分の人生を狂わしてみたかったんだ」
誠治「――食べないか」(P106)


山田ドラマは視聴者へ問いかける。問題提起する。
あなたはどう思いますか? あなただったらどうしますか?
その場で笑っておしまいのドラマもときにはいいが、そればっかりではいけない。
山田太一ほどの作家なら視聴者を笑わせ泣かすことなどたやすいのである。
なるほど笑わせよう、泣かせようじゃないか。けれども、ちょっと考えてくれないかな。
ドラマの登場人物の生きかたをどう思いますか。なぜあなたはそう思うのですか。
あなたはいまどのように生きていますか。再び、問う。
高校も卒業しないで、ありきたりがいやだ、
いきいきしたいと同棲を始める男女をあなたはどう思いますか?

父の誠治は自分の根幹が揺れている。息子に大学くらい出ろと言えないのだ。
父の謹造のもとへ相談に行く。謹造はひとりがいいとアパート暮らしをしている。
謹造は孫のふしだらに激怒する。どうして息子を叱らないのかと誠治を叱る。
志郎をうまく叱れない父の誠治を、祖父の謹造が叱っているという構図に注意したい。

謹造「説得すりゃあいいことだ。男には学問が必要だ。そんな自堕落をしとったら、
一生下積みで終りだとかお前がよくいい聞かせればいい」
誠治「しかし――」
謹造「聞かなんだら、殴ってもいい、蹴とばしてもいい。
若いうちから女と同棲などしとるようでは、
ロクなもんにならんと分るまでいいきかせりゃあいい」
誠治「ええ。ただ――」
謹造「なんだ?」
誠治「怒鳴られそうですが、学問して、いい会社へ入って、課長だ部長だと、
昇って行くことが、あくまで――幸福なんだといい切る確信が、
親にないというか――」
謹造「なにをいうとる。女と同棲して、ゴロゴロしとる方が、
将来のためになるというのか?」
誠治「いえ、ごろごろしてるなら、勿論許しやしません。
しかし、あいつは朝五時半から起きて働いているんです」
謹造「かばうのか?」
誠治「かばうわけではありませんが――」
謹造「勝手をした子供を、叱ることも出来んのか!」(P152)


最終話近く、謹造は孫の志郎から道子が妊娠したことを聞かされる。
ありきたりなパターンである。若くして同棲。妊娠。先は知れている。

志郎「どう思う? うんだ方がいいと思う?」
謹造「うむ――(考えるような目)」
志郎「そりゃあ、おじいちゃんの年代の人は、おろすなんて、
とんでもないって、そう思うのかもしれないけど――」
謹造「んにゃあ」
志郎「(謹造を見る)」
謹造「うむことは、ない」
志郎「え?」
謹造「つまらんよ、うむことはない(といって上って行く)」
志郎「(意表をつかれた思いで見送る)」
謹造「(ふりかえらずに上って行く)」
志郎「(見送っている)」
謹造「(見えなくなってしまう)」
志郎「(――立っている)」(P333)


どういうことか解説する。志郎はいま父親になるかの境目なのである。
子を持つのは果たしていいことなのか。
謹造は考える。息子の誠治はなんともふがいない。
誠治も、孫に家出されてそれきりである。親子の関係などこんなものではないか。
つまらんよ、うむことはない――。
謹造はこの足でアパートへ戻ると首を吊る。
およそ現代のドラマでは考えられぬような暗さが「沿線地図」にはある。
ペーソスである。この横文字は哀愁と訳される。
つまらんよ。生きていることなんざ、つまらんものだ。
むろんドラマの結論ではない。山田ドラマはいつものようにラストは明るく終幕する。
だが、その明るさは、やりきれない厭世観を払拭するにはいたらない――。

(2)「ダメなひとはダメですか?」

「沿線地図」は初めは新聞小説として書かれた。
これを山田太一自身がシナリオ化してドラマ「沿線地図」が完成したわけである。
比較すると、なかなか興味深かった。小説には出てこない人物がいるのである。
小説の場合、どうしても物語の主筋を離れることが容易ではない。
しかし、テレビドラマはかなり遊びを許す余地が残っている
なんといっても1回45分を15回も放送できるのである。
このためテレビドラマには、小説にも映画にも登場しないタイプの人間が現われる。
これがまたすばらしいのである。
たしかに脇役なのであろう。だが、かれらのなんと輝いていることか。
幸福とはなにかを問うメインのかたくるしいストーリーよりも、
むしろこちらのほうが味わい深いということもできよう。

現代のテレビドラマは切実な人間を描かないでしょう。あるいは、切実な現実。
人間、がんばればなんでもできるというようなことを平気でいう。
ドラマにおいて、努力している人間はかならず最後には報われる。
だけどさ、あまり大声で言いたいことでもないけど、現実ってそうじゃないよね。
なにをやってもダメなやつというのはいるでしょう。
がんばっているんだけど、どうもヘマばかりしてしまう。そのうち性格がゆがんでくる。
テレビに登場するのは美男美女ばかりで、
みんな恋愛がすべてみたいなことを言うじゃない。
ドラマだけではなく、バラエティでも、なんでもさ。
けれども、現実にはもてない人間がいるわけでしょう。
がんばればもてるというのはウソだと思う。
まさか「電車男」を本気に受けとめるひとはいないよね。
宮台真司のように声高に「もてないやつは一生もてない」と宣言されるのは不快だけど、
かれはやっぱり事実を言っているわけで、もてないやつはもてないのよ。
おなじようにさえないやつは一生さえないままで終わることが多い。
「電車男」のようにがんばれ、なんて説教されたくないな。
やっぱダメだと、自分がダメなことがわかると、性格がゆがみます。
そういう人間を、山田太一は無視しないんだ。
がんばればなんとかなるという文脈ではなく、そのまま静かに描く。
とてもきれいだと思う。

「沿線地図」からふたりのダメ男を取り上げたい
まずは志郎の上司である正平(28)。おなじ淀橋青果市場で働いている。係長。
正平のト書きに山田太一はひどいことを書く。
「実にもてないだろうというタイプ」(P175)
正平は志郎が気に入らない。正平は高卒(もしくは中卒)。
だのに志郎は大学へも行ける環境なのにおかしなことを言って高校を中退している。
いつも休憩時間にはむずかしそうな本を読んでいるのも、
本など読んだことのない自分への当てつけのようで癪(しゃく)にさわる。
なにより不愉快なのは志郎がもてることである。
ふざけるな。もてない男の怨念である。
正平はことあるごとに志郎に当たる。じゃまだと蹴りつける。
ところが、憎たらしいほどに志郎のほうは人間ができている。
もてる男は人間性がゆがまないとでも山田太一は言いたいのか(笑)。
志郎は上司の正平をのみに誘う。相談にのってほしいとお願いするのである。
自分は未成年だから酒はのまない。係長はのんでください。
相談にのってもらうんだからぼくがおごります、なんて殊勝なことを言う志郎。
正平はみっともなく酔っぱらって正体をなくすまでのむ。
翌日、正平がカネを返そうとすると、志郎は今晩おごってくださいという。
昨日とおなじやき鳥屋である。

正平「そうかよ。競馬の話が、そんなに面白かったか」
志郎「ええ。トルコの話も、よかったけど」
正平「そんな事お前、あっちこっち行っていうなよ」
志郎「いいません」
正平「そりゃお前、お前より十年、年上なんだから、
その分世間のことは、くわしいや」
志郎「はい」
正平「お前ら、すぐ年上をバカにするけどよ」
志郎「そんなこと――」
正平「謙虚に聴く気になりゃあ、先輩は先輩だけのことはあるもんよ」
志郎「そう思いました」
正平「(志郎の顔を見て)調子いいな」
志郎「本当にそう思ったんです。自分はなんにも知らないなって、
つくづく思ったんです(終りは目を伏せていう)」
正平「そうか(とビールを注ぐ)」
志郎「時々、話聞かせて下さい」
正平「いや、俺もな」
志郎「はあ?」
正平「お前のこと、多少誤解してた向きもあるよ」
志郎「いえ――」
正平「しかしな、これでお前、仲良くやって行こうって、
さっぱりとしちまうわけにもいかねえんだよな」
志郎「そうですか?」
正平「たしかに、お前はよく働くよ」
志郎「いえ――」
正平「ミスも笈田なんかに比べりゃあ、ずっと少ないや」
志郎「はい」
正平「しかし、顔がいけねえ」
志郎「顔が、ですか?」
正平「俺は別にお前がいい顔をしているとは思わねえがな」
志郎「はい」
正平「女は思うだろ?」
志郎「さあ」
正平「思うから、十八でもう同棲なんてしてるんじゃねえか」
志郎「ちょっと、ちがうと思うけど」
正平「会社の女だって、みんなお前にはいい顔をする。
しかし、人格的にお前が特別すぐれてるか?」
志郎「いえ――」
正平「顔だよ。顔が女好きする顔だというだけで、お前はもてる」
志郎「しかし――」
正平「そりゃそうよ。そりゃあお前のせいじゃない。
お前に文句いうのは、スジがちがう。じゃ、誰に文句いったら、いいんだ?」
志郎「さあ――」
正平「お前が、そういう顔してて、俺がこういう顔してて、
顔のおかげでお前はもてて、俺はどっちかというと、あまりいい思いをしていない」
志郎「――(返事に困る)」
正平「それを誰かに文句いえるか? 
なんでこいつは顔がいいだけで、俺よりもてるんだ? って誰かに文句いえるか? 
いえねえや。そんな事いえば、笑いもんよ」
志郎「――(返事に困って、薄く微笑して顔を伏せていて、うなずく)」
正平「しかし、しかし不公平は、ちゃんと存在している。
したがって、不公平だなあ、畜生、と思う気持もなくならない」
志郎「――」
正平「なくならないまま陰(いん)にこもる」
志郎「――」
正平「だからな、お前みたいな二枚目とな」
志郎「二枚目じゃありません」
正平「二枚目なんだよ。女は、そう思うんだ」
志郎「――」
正平「お前みたいな奴と、心からうちとけることはあり得ないんだ。
二枚目でなくなりゃあ、別だよ。
二枚目でいる限り、俺は、お前と、うちとけないね。
畜生、なんだあの野郎、つまんねえ男のくせに、なんであいつばっかりもてるんだ、
と心の中で、やり場のない恨みをね、もってる」

(スナック「かもめ」でのもてない女のシーンが描かれ、再びやき鳥屋)

正平「まあ、お前なんか、一生見合いなんかしないかもしれないけどな」
志郎「いえ――」
正平「やなもんだぞ、お前。パッと逢ってよ、向うが綺麗でよ。
だけど俺のことなんか好きになる訳ねえな、
とピンと来ちまった時の見合いなんてのはよ」
志郎「はあ」
正平「いやなもんだぞ」
志郎「係長は――」
正平「なんだよ」
志郎「なんだか、決め込んでるけど、俺は二枚目じゃないし、
特別女にもててもいないんです」
正平「そんな事いったって駄目だよ。俺の方がいい男だと思うか?
俺の方が素敵だと、女が思うのか?」
志郎「――」
正平「顔がいいとか悪いとかいうことは、どうしようもねえことで、
どうしようもねえだけに、やりきれねえもんよ」
志郎「――」
正平「――(ビールをのむ)」(P195)


翌日も市場で志郎をいじめる正平である。
自分から台車をぶつけておいて、どかねえかと志郎のあたまを殴る。
壮絶なもてない男である。書き写しながら何度も大笑いをした。
いいシーンだと思いませんか。正平がいとおしくなりませんか。
このあと正平が、風邪を引いた道子の見舞いにいくシーンもすばらしい(P256)。
しかし、あまり正平をひいきにすると
書き手についてあらぬ邪推をされる危険があるのでこのへんでやめておこう。

ふたりめのダメ男は田中である。サラリーマン風。
志郎の父親の誠治は、ある晩、酔ってこの男と喧嘩をしたのである。
ふだんなら相手にしない誠治だったが、その日は息子のことでいらだっていた。
うっかり喧嘩の相手をしてしまった。相手を殴りつけた。
喧嘩を売ってきたわりには弱い男であった。
翌日のことである。田中から銀行に電話があった。昨日のバーで逢いたいという。
場面はバーの中である。

田中「(前回で喧嘩の相手をしたサラリーマン風の男である。
カウンターの奥でビールの小瓶を前にしている。孤独な印象でのむ)」
誠治「(入口を入って立つ)」
田中「すみませんでしたねえ」
誠治「いや(と身構えた気持で)どっちみち今夜は寄るつもりでした。
こわしたものはないそうだが、ともかくこの店に迷惑はかけたんで」
田中「いいえ。表へ出てやったからね。店は別に、どうってことはないですよ」
誠治「あなたは(怪我は)どうですか?」
田中「私?」
誠治「電話で伺おう、と思ったら切ってしまわれたんで」
田中「暗くて、よく見えないかもしれないけど、こっち側、
ここ(と今まで見えなかった左側を見せると、目のあたりがあざになっている)
はれちまった。フフ」
誠治「それは――すまなかった。しかし――」
田中「どうぞ(と腰掛けろ、という顔)」
誠治「昨夜の(とカウンターに手はつくが、腰掛けず)
私に、非がないとはいわないが、元々はあなたがからんで来た喧嘩でね。
どっちかといえば、あなたに非が多いと思う。その結果の殴り合いで、
多少顔がはれたからといって、私に補償の義務はないと思いますね」
田中「あなたに、いつ補償を求めましたか。金をよこせ、といいましたか?」
誠治「じゃあ、用事はなんです?」
田中「小杉さん(と外のバーテンへ)グラスもう一つくんないか」
誠治「(外へ)いいんだ。私はいいんだ」

(中略)

田中「(ビールをさし出し)一杯くらい、いいでしょう?」
誠治「(仕方なくグラスをとり)用件は、なんですか?」
田中「(注ぎながら)あの男(バーテン)、私のこと、なんていってました?」
誠治「別に――」
田中「(外で)聞いてたじゃないですか」
誠治「よく知らない、ということで――」
田中「蒲団屋の臨時雇いでね、打直しの見習いみたいなことを――やってる。
配達もしてるけど、あまり評判がよくなくて、馘(くび)かもしれねえ」
誠治「(うなずく)」
田中「前はね、ちょっとした病院の経理にいたんだけど、病院そこやめちゃってねえ」
誠治「――(うなずく)」
田中「あとは転々としている。臨時雇いを転々としてるんですよ」
誠治「――(うなずく)」
田中「もっとも、いい学校を出た訳じゃなし、
はじめから隅を歩いてたようなもんだから、たいして落ちぶれた気もないけど、
あんたみたいなエリートを見ると――」
誠治「そんなもんじゃありませんよ」
田中「ひがみが出る。面白くない」
誠治「なにが――いいたいんですか?」
田中「土下座をね、して貰おうと思って」
誠治「土下座?」
田中「手をついて、すみませんて、謝って貰いたい」
誠治「(ムッとして)なにをいう」
田中「嫌ですか?」
誠治「嫌って君。謝って貰いたいのは、むしろこっちの方だ。
君がいろいろいっても、私は相手にしなかった。
しかし、あまりしつこかった。たまりかねていい返したんだ。
土下座をして、あやまるなんて、そんな、理由がない。無茶をいわないでくれ」
田中「理由があるかないかなどという事は問題じゃないんです。
私は、ただあんたが土下座をして手をついて頭を下げるのを見たいんですよ」
誠治「私がそんな事をしてみても、なんの意味もない。
総理大臣や、どっかの社長にさせるなら面白いだろうが、
一介のサラリーマンに、そんなことをさせて、なにになるっていうんだ」
田中「じゃ、喧嘩したことを銀行へ行っていいますよ」
誠治「(田中を見る)」
田中「酔っぱらって私を殴ったことは事実だ。
どっちが悪いとか悪くないとかいったって、のんだくれて喧嘩したことを、
あんたは否定出来ない」
誠治「いくら欲しいんだ?」
田中「土下座をすればいいんです」
誠治「バカ気ているね」
田中「しかし、それが私の要求だ。他の事をのぞんじゃいない」
誠治「なら、銀行へ行って、いいたまえ」
田中「いいんですか?」
誠治「――(よくない)」
田中「私を警察につき出すわけにはいきませんよ。
金を要求してるんじゃないんだ。事実を報告に行くだけだ。
ちょっと大声で、客にも支店長にも聞えるようにいうだけだ。
伝わって、私の方は蒲団屋を馘になるかもしれないが、
どうせ時間の問題で、痛くもかゆくもない。
しかし、あんたはそうはいかないでしょう? 
支店次長っていえば、次は支店長だ。酒をのんで人を殴っちゃいけない。
どうせ人の失敗をさがして回ってるような奴が、いるだろうから、
すぐ本社まで伝わっちまう。馘になるわけはないが、出世にはさわるねえ」
誠治「その通りだ。たしかにその通りだが、私をいじめて、なんの得がある?
私を土下座させて、なにが楽しいんだ?」
田中「楽しいねえ。大の男を思いのままに土下座させたら、誰だって楽しいでしょう」
誠治「私にはそんな趣味はない。そんな事に快感もないね」
田中「じゃあ、あんたは育ちがいいんだ。私は、時々、こういう事をしてみたくなる。
誰かをガンとやってみたいね。屈服させてみたい。
土下座をさせて、はいつくばらしてみたいねえ(と興奮していう)」
誠治「――」
田中「チャンスがなかった。殴りかかりゃあ、殴られちまっている。
ハハハ、しかし、銀行員とは、うまい人を見つけたよ。
私は昨夜くらいの喧嘩は、しょっ中やってるけどね、別に、どうってことはない。
しかし、あんたにとっちゃ、一回でも大事って訳だ。不自由なもんだ。
ハハハ、どうするんだい? 土下座するのか、しないのか? どっちなんだい!」
誠治「――」
田中「いまにママや女の子が来ちまうよ。
その前ではいつくばるより、いまやっちまう方がいいんじゃないのかねえ」
誠治「――」
田中「やっちまいなよ。
ちょこっと膝をついて頭を地べたにこすりつけりゃあいいんだ。
簡単なことじゃないか。誰も見てないんだ。私以外に誰も見ていないんだ」
誠治「――」
田中「競争激しいんだろう? 支店長になるのは大変なんだろう?
もう一息じゃないか。
そんな時に、こんな事でケチつけたんじゃ、つまらないじゃないか。
這いつくばれよ。這いつくばっちまいなよ!」
誠治「――(ふるえて田中を見ている)」
田中「どうしたんだい? どうってことないじゃないか。
何秒かかるっていうんだ? あっという間のことじゃないか」
誠治「(心を決め)一回だけだ」
田中「ああ、勿論、一回だけだ」
誠治「またぞろこんなことをいって来たら」
田中「一回だけだといってるだろう」
誠治「――」
田中「早くしないかい。早くしないと、客も来るし、バーテンも入って来る。
人が増えたって、要求は変らないぜ。さあ、どうするんだ。
どうするんだ、支店次長さん。どうするんだい!」
誠治「(パッと膝をつく)」
田中「両手をつくんだ(すかさずいう)」
誠治「(両手をつき)すまん(と平伏する)」
田中「すみませんだ、すみません!」
誠治「すみません(と平伏する)」
田中「ハハハハハ、ハハハハ」(P201)


土下座をしたかいがあったのか、誠治は最終回のそれも最後で支店長に昇進するが、
わたしの興味はこの銀行員にない。田中である。田中さんと、さん付けしたいね。
すばらしいじゃないか、田中さん!
もしかしたらと思って、みなさまに聞いてみたい。
そもそもここまでお読みくださったかたが何人いるかわからないが。
みなさんは田中さんの気持はわかりませんか。
エリートを土下座させて這いつくばらせたいという、ぎらぎらした欲望である。
もてない男の正平もそうだが、
どうして山田太一はこのような屈折した人間をうまく描けるのであろう。
若いころの山田太一は美青年。ことさらもてなかったとは思えない。
それにそう。いくら助監督時代が長かったとはいえ、
山田太一は31歳のときにシナリオ作家としてデビューしている。
「沿線地図」の正平に田中さん。かれらを描けるのが山田太一の才能である。
この才能に気がついているものは意外に少ないように思われるので、
今回読者の迷惑もかえりみず、ながながと引用をした次第である。
「ずっと夢なんて見ていなかった」と栗原小巻は言った。
「それがおとなってもんじゃないか」と夫の杉浦直樹は言い返した。
「遠い国から来た男」である仲代達矢はなにも言わなかった。
「遠い国」へ行きたいと栗原小巻は言ったのである。
かつての婚約者、仲代達矢と一緒に中米のサン・ハイメに行くことにしたと。決めたと。
「おれはどうしたらいいんだ」と杉浦直樹は困惑した。老妻に泣きついた。
「私たちの年齢だったら」と栗原小巻は言った。
「もういつ死んだってそうふしぎはないんだから」
それまで無言だった仲代達矢は拍手をした。
「いい演技だった。まるでおれが二枚目になったような気がしたよ」
夫婦ふたりの演技ということになった。三人でそういうことにした。
「遠い国から来た男」はひとりで「遠い国」へ戻っていった。

友人に山田太一ドラマのシナリオを読ませたことがある。
貸したのではない。読めと言った。返さなくてもいいから読んでくれとお願いした。
「早春スケッチブック」という本だった。
「泣きそうにはなったよ」と笑いながら友人は言った。しかし――。
「けれども、これじゃ、なにも変わらないじゃないか。
慰められてそれで終わり。現実を変えようとかそういう気にならない」
そこが不満だと友人は言うのである。
痛いところをつかれた。どうとでも言い訳はできるのである。
しょせんはテレビ。見ているひとの感情を逆なでするようなものは無理だ。
それに、変えるって、いまさらなにを変えるって言うんだ。
もうなにも変わりようがないじゃないか。
青臭いことを言うなよと言いたかった。言ったのかもしれない。言ったのだった。
なにも変わるはずがない。

1960年はそうではなかった。大規模な安保闘争があった年である。
中国やソ連という夢があった。なにかが変わるかもしれないとだれもが思った。
この年に商社マンの仲代達矢は中米のサン・ハイメ(フィクション)へ行った。
婚約者の栗原小巻には「3年待ってくれ」という言葉を残してである。
サン・ハイメはひどい国だった。変えようと思った。打倒独裁政権。
日本でなにも政治運動に参加できなかったという負い目もあった。
反体制運動に加わった。武器を横流ししたのである。
逮捕された。刑務所である。12年――。
釈放されたらサン・ハイメはずっといい国になっていた。
栗原小巻はかつての同僚と結婚していることを聞いた。
怒った。絶望した。日本を捨てた。仲代達矢はサン・ハイメの国籍を取る。

妻の栗原小巻からジイジとよばれる杉浦直樹は日本で生きてきた。
定年してもう孫もいる。家にいてもすることがない。NPOでボランティアをしている。
あのまま会社に勤め重役にもなった。悪い人生ではなかった。
それほど豊かともいえないが、かといってさみしくもない老後である。
ある日、忘れていた男から連絡がある。話すのは46年ぶりである。
「遠い国から来た男」仲代達矢である。1960年からやって来た。
完全に忘れていたわけではない。いつもトゲのように刺さっていた――。
杉浦直樹は「遠い国から来た男」に会いに行った。
1960年から、まったくべつの道を歩くことになってしまったふたりの男。
1960年の日本でストップしている男と、2006年まで生きてしまった男。
2006年は1960年に言った。
「どっちが幸せだったかわかったもんじゃありません」

「遠い国から来た男」は祖国で迷っていた。会うか、会わないかである。
かつての婚約者である栗原小巻に会うかどうか。
そもそも会いたいと言ったところで、会ってくれるかどうかもわからない。
怖いという思いもある。老いたじぶんを見られたくない。老いた栗原小巻を見たくない。
美しいものを汚したくない。1960年をきれいなままで残しておきたい。
会う。会わない。ふたつにひとつである。
1960年は仕事か結婚かのふたつにひとつであった。
断わろうとすればサン・ハイメ行きを断われたのかもしれない。
けれども、仕事を取った。結婚はあとからでいいと思った。
サン・ハイメでも選択を迫られた。保身か革命かである。安泰か正義かだ。
若かった。純粋だった。青春の情熱のようなものに衝き動かされた。
逮捕された。12年。釈放された。日本かサン・ハイメか。後者を選択した。
日本を離れてから46年。
ふたつにひとつの連鎖の帰結が、今日の選択肢である。会うか会わないか。
仲代達矢と栗原小巻が会うのは番組開始から1時間以上も経過したのちのことである。
「遠い国」から日本には、そうは簡単に来られないのだ。
1960年は、我われのまえに突然、現われた――。
若い役者が白髪のかつらをつけて老人役を演じるのはありきたりである。
この番組では反対をやっている。
老いた仲代達矢と、おなじように年を取った栗原小巻が、
いっさいの若作りをせずにそのまま、かつて八ヶ岳へ旅行したシーンを再現した。
現代に戻ると栗原小巻は言う。
「あんな楽しいことなかった。あのあとなんにもなかった。なんにもない」

「遠い国から来た男」が成田を離れる飛行機を栗原小巻はくるまで見ていた。
夫が運転するくるまのなかである。
栗原小巻は言った。あと20年生きてやると。20年あったらなんでもできると。
夫の杉浦直樹は苦笑していた。2026年のことを想像していたのかもしれない。
2006年はなにも変わらなかった。
サン・ハイメから1960年が来たけれどもなにも変わらなかった。
果たして20年後はなにか変わっているのだろうか。
そして、なにか変わっていないものはあるのか。
2026年にも山田太一氏には生きていてほしいと思った。
20年後に甘く思い返せるようなロマンスは、
これからのわたしの人生で起こるのだろうかと思った。
もしかしたら、このままなにもないのかもしれないと思った。
けれども、20年後の懐旧のために、いま、自分がなにをすればいいかはわからなかった。
「経典にきく 上下」(武藤義一・奈良康明/放送ライブラリー)絶版

→瀬戸内寂聴でも五木寛之でもいいけれども、こういう人気作家の影響で、
たとえば仏教に興味を持ったとする。
学問とは縁のない一般読者が仏教を勉強しようとなる。
仏教入門だの、初めての仏教だの、口当たりのいい本を数冊読んでみる。
それからが問題なのだ。はたと動きがとまる。
これからどう勉強したらいいかわからない。
どこから手をつけたらいいか皆目見当がつかないわけだ。
かれらはまだ仏教がひとつではないことに気がついていない。
そう、仏教はひとつではない。無数にあるといってもよい。
原始仏教、大乗仏教、密教、禅宗、唯識、弘法大師、法然、親鸞、道元、日蓮、池田大作。
密教ひとつとっても、チベット密教だのなんだのと枝分かれしていく。
仏教を勉強するなど、天才学者でもどだい無理なのである。
どこかにしぼって勉強するほかない。選択をするしかない。
ならあれはなんなのだろうと思う読者は鋭い。
いちばん最初に名前をあげたような作家は、よくエッセイで「仏教ではうんぬん」と語る。
あの仏教というのはいったいなんなのだろう。
この仏教こそ、この読者が最初に興味を持ったものである。
結論をいうと、有名作家の口にする仏教はない。存在しない。
作家と読者の関係というのは、教祖と信者みたいなものでしょう。
教祖はみずからの権威づけに仏教を利用しているだけである。
作家はどこかで聞きかじった話を、仏教ではと語ってなんの問題もない。
三蔵法師の物語でも、聖徳太子の政治方針でも、なんでも仏教になってしまう。
五木寛之が好きなら五木教に入ればいいのである。瀬戸内教でもいい。
せいぜい本を買いあさることだ。それがお布施なのだから。
わたしが仏教に関心を持ったのは宮本輝がきっかけである。
宮本教の信者であることを否定する気はない。ただし創価学会の信者ではない。

本書は昭和51年度にNHK「宗教の時間」で1年間放送されたものを書籍化したもの。
仏教に縁のある人間ふたりを対談させるという形式。毎回、ゲストは入れ替わる。
仏教経典をとりあつかうのなら、こうするしかない。
というのも、仏教の経典というのは山ほどある。
ぜんぶに通じている人間などいるわけがない。
ある経典についてわけしり顔で語っているものが、
別の経典はまったく知らないということもありうる。
読んだこともない可能性だって、あるいは、いや、おおいに。
それでもこのテレビに出演したものは、みんな仏教者である。
仏教なんてこんなものだ。
出演者は学者ばかりではない。仏教好きの大会社の社長なども登場する。
こういうことを書くと仏教をわかっていないことになるのだろうが書いてしまおう。
みなさん気持が悪いのである。
なんでそろいにそろって、ああも腰が低いのか。
ありがとう、ありがとうと、この調子では
道ばたの郵便ポストにもあたまを下げるのではないか。
たとえるなら、そうだな。ふたりのサラリーマンが出会う。
名刺を渡し、どうも、どうも、とあたまを下げる。相手も負けじと低頭する。
どちらが低い位置にあたまを置けるか競争しているかのようである。
あたかも、より下にあたまを下げたものが仏教を理解しているとでもいいたげである。
そのくせ内心では、じぶんのほうが仏教をわかっていると誇っているのだ。
これを気持悪いと思うのが健全ではないか。
ところが、おつむの弱い読者はこの真似をしたがる。
うさんくさいほど腰の低い人間というのがたまにいるでしょう。吐き気がする。
この対談集でいちばんおぞましかったのはO氏。
肩書きはなんになるのかと思って巻末を見たら俳人になっている。
生涯無名で終った山頭火を売り出すことで有名になったのがO氏である。
かれはこんな話をする。ある有名な画家がいた。書痙症で筆を持てなくなった。
この画家が、両手のない尼僧をたずねたときのことだ。
この手のない尼さんは――。

「『先生、私は両手はないが口で書くけいこしましたよ』
と言って画仙紙を切ってもらって、蘭や竹を二、三枚かいて、
『私のようなものでも両手がなくても口で書けるんですから、
先生、左も右もないでしょう。心でお書きなさい』って、こうやったんですね」(P156)


画家は、わあ、と大声をだして、その場で左手で達磨(だるま)を書いた。
これをたいへん感動したとO氏が言うのである。
般若心経の精神を体現しているとも。奈良康明氏もしきりに感心している。
なんかセコイなあと思うのはわたしだけだろうか。仏教って、そんなものか。
ワーキングプアーとネットカフェ難民が(内心ではお互いを見くだしながら)
励ましあっているみたいではありませんか。

有名人が腰を低くして、ありがたいありがたいとぺこぺこする。
こころに仏さまがいれば、カネも名声もいらないなどとうそぶく。
若い女性に誘われたら、合掌して後ずさるようなことを言う。
やだよね~こういう仏教ファン。
なら、どういう人間がおもしろいのかというと、山頭火である。
山頭火は、きちんと僧籍を取っている。お坊さんなのだ。
日記を読むと、出家僧らしい殊勝なことも書いている。
ところが、酒をのむとめちゃくちゃになってしまう。
木賃宿で旅回りのものと言い争うこともしばしば。
こんなこともあったという。山頭火がなにで食べているかといえば行乞である。
家の門口で念仏をとなえて米やカネをいただくわけだ。
ときに後家さんがからだでお接待してくると言うのである。
わかりやすく書くと、旦那のいない未亡人とまぐわりましたよと。
酔っぱらうとうれしそうにこんなエロ話をする山頭火を見て、
聖人をイメージしていたものは驚いたという。いいよな山頭火。
欲望が強いんだ。煩悩(ぼんのう)が激しい。だから仏教を求める。
けれども欲望がうわまわってしまう。あとで反省する。仏教で自己をいさめる。
こういう仏教者がいいよな。
思いっきり俗物なんだけれども、ときにハッとするほど聖人であることに気づく。
聖人になるためには、俗な部分を消していくのではなく、
むしろ、おのれの俗なる部分を意識していく、欲望に忠実になる。
どこから見てもおとなしい聖人とは、つきあいきれない。
ジキルとハイドではないが、ある面からはとてつもなく俗物に見える。
そういう聖人をわたしは好むところがある。
なりたい、とまでは言わないが、欲望は否定しない。
有名になりたい。カネをもうけたい。女にもてたい。
創価学会に入りなさいとすすめられそうだな、アヒャヒャ。
「仏教を考える 梅原猛全対話3」(集英社)絶版

→全662ページのぶあつい対話集。梅原猛が幅広い仏教者と語らう。
登場するのはわたしでも名前を知っているような有名学者ばかりである。
だからというわけではないが、こんかいの読了報告では批判的読解を避け、
勉強ノートふうに仏教の流れを(梅原猛の仏教観に従い)まとめてみようと思う。
なるべくわかりやすく整理するつもりだが、あくまでも勉強ノート。
レジュメのようで読み手はおもしろくないかもしれない。
はじめにお断りします。

仏教とはなにか。この問いは決して仏教のなかからは出てこない。
西欧のキリスト教を母胎に発達してきた近代アカデミズム。
西欧人がキリスト教を参考に宗教という、いわばモノサシを作ったわけである。
キリスト教と比較すると、ほかの宗教はどうなるかという理屈だ。
我われが仏教を見るとき、
無自覚的にキリスト教をおおもととして意識していることを忘れてはならない。
宗教という用語は仏教から生まれてきたわけではないということである。
(P248)

では、キリスト教的な視座とはいかなるものか。
正統と異端をわける二分法の考えかたである。
キリスト教の歴史は異端排斥の繰り返しと見ることもできる。
常に異端を発見し排撃しつづけなければ正統を維持できなかったとも言えよう。
十字軍、魔女裁判、プロテスタントの誕生――。
いっぽうの仏教はどうか。増谷文雄はこう指摘する。

増谷「仏教というものはある意味で異端を平気で包容してきている。
それから仏教史を整理してみると、まず小乗がでてきて、大乗が出てくる。
小乗にとっては大乗はまさしく異端です。
ところが仏教全体からいうと、この異端が大きな役割をする。
中国に仏教がはいってきて経典の翻訳なんか一生懸命にやっているうちに、
教外列伝などといって禅が出てくる。
あれは経典仏教の否定で、たいへんな異端ですね。
ところが、中国仏教のいちばん生命の脈々としているのはこれでしょう。
日本にはいってきてからまた大いに起こったものが念仏宗派でしょう。
これだって聖道門と浄土門に分かって、
聖道門を捨て浄土門を奉ずるというたいへんな異端です。
そうすると、仏教全体が異端の歴史じゃないか、
こういう考え方に到達いたしました。
その全体をひっくるめてみると、これはキリスト教なんかとまったくちがう」

梅原「寛容ともいえるし、まただらしないともいえる。
キリスト教はバイブルは一つですからね。
こっちは釈迦が死んでから五百年もたってから釈迦の語った経典がでてくる。
ヨーロッパ社会ではそういうものは信じられないだろうが、インドでは信じられる。
インドのルーズさでもありましょうが逆から見れば、
一つのものしか許さない非寛容でなくて、精神さえおなじだったら、
どんどん新しいものが出てきてもそれを認める。
そういう豊かなところが仏教にはあります」(P212)


仏教におけるこの寛容性を梅原は「生命の海」と詩的に命名する。
たとえれば個々の教えは、生命の流れる河である。
すべての河が仏教という大きな「生命の海」に流れ込むと言いたいのであろう。
河の流れを上記の発言にそって、大雑把に図示してみる。
携帯からこのブログを閲覧しているひとは、ごめんなさい。
きちんと表示されないと思う。パソコンから文字サイズ「中」で見てください。

釈迦→原始仏教→小乗仏教⇔大乗仏教【インド】
                    ↓
                  漢訳経典⇔禅(不立文字)【中国】
                        ↓
                   聖道門(思想・実践)⇔浄土門(念仏信仰)【日本】


図示をしたことによって、仏教の全体図をおつかみいただけたと思う。
この図にそって、これから細かいところを見ていきたい。
(ちなみに日本で仏教が論じられるとき、中段の【中国】は抜かされることが多い)

(1)釈迦→原始仏教→小乗仏教⇔大乗仏教【インド】

キリスト教もそうだが、宗教は人間が死ぬことからはじまると言っていいのかもしれない。
イエスが釈迦が死ぬ。英雄の死である。
すなわち、中心点の消失。統率するものがいなくなる。
これでばらばらになったら、そこで終わりである。
英雄になれぬ凡愚の弟子たちは集合して師の教えはなんだったのか確認する。
「対機説法」「応病与薬」と言われるよう
釈迦は相手の深浅に応じて教えの内容を変えていた。
そのため弟子たちのまとめた最大公約数的な教説は戒律中心のものとなった。
この教えを小乗と批判したのが大乗仏教である。
私的な感想をはさむと、
「小乗仏教=私小説」「大乗仏教=大衆小説」と考えれてみるとおもしろいのではないか。
どちらの小説(仏教)もおもしろい、ためになる。
けれども、私小説は読者を選ぶ。満員電車で私小説を読む気にはなりにくい。
時間の余裕とある程度の文学的センスがないと私小説は読めない。
したがって私小説はあまり売れない。
いっぽうの大衆小説は満員電車でも楽しむことができる。だから売れる。
そのぶん純粋性、芸術性は低下するが、多くの読者を獲得するためには仕方がない。
もっぱら大衆が慰めを得るのは大衆小説である。
大衆小説読者にとって私小説は肩ひじをはって背伸びして読むもの。
それでも私小説家(出家僧)には一定程度の敬意をいだいている。
さて、大乗仏教誕生のダイナミズムを梅原猛と塚本善隆は以下のように語っている。
浄土思想の誕生にまですすんでいくのが飛躍なのかは、わたしには判断つきかねる。

梅原「つまり大乗仏教は、
世界宗教として東西文明の融合の上に立っている宗教だから、
非常に普遍的な性格をもつのではないかと思うのですが」

塚本「たしかにそうです。仏教が広域のギリシア的な世界に出ることによって、
だんだん世界宗教的な要素を深くしたと思います。
仏像の誕生でも、
なるほど最初は釈尊の姿を拝めるということだっただろうけれども、
仏像を拝んでいるとやはり神さまになってくると思います。
祈りをこめたいとか、いろんなことをお願いしたいという、
救いや祈願の対象にしたいというような情願は仏像を前にすればできてくると思います」

梅原「そこで浄土思想というものは、
一つには死の問題を中心にする思想であると思いますが、
もう一つ、ユートピア思想というか、
この世はきたない、どこかにきれいな世界があるにちがいない。
その世界を求めようとするのがその特徴ではないかと思います。
そのような思想は、どこの民族でもある思想じゃないかと思うのですが、
そのユートピア思想みたいなものが、
仏教の中ではっきり展開してくるのが浄土思想ではないかと思うのです」(P400)


(2)大乗仏教→漢訳経典⇔禅(不立文字)【中国】

中国の輸入したのは大乗仏教である。小乗仏教ではない。
むしろ積極的に中国は小乗仏教を捨てたと書いたほうがいいのかもしれない。
場違いなことを書くようだが、インドへも中国へも行ったことがある。
両国の仏教聖地を比較して思ったのは、中国の仏画仏像は人間くさいということ。
「福」という字を思った。中国仏教の印象は「福」である。
人間の幸福とむすびついた教えと思ったものである。
中国が「福」だとすると、インドは「苦」と表現するしかないという気がした。
学者ではないからめちゃくちゃなことを書くと、食べ物からして「苦」と「福」だ。
中華料理は安食堂で食べても裕福なのである。まあ、うまいんだな。
けれどもインドの安食堂でカレーなんて注文してごらんなさい。
食事が苦行になることうけあいである。犬でも食わないようなものが出てくる。
小乗と大乗を比べるに、より小乗のほうが苦である。修行を重んじる。
福の中国が小乗仏教になど関心をもつはずがない。
飛躍の連続で読み手もあきれていると思うが、もののついでで、
とんでもないことをつけたすと、中華料理というのはとにかく手を加える。
素材を生かすということをしない。煮て焼いて調味料をどばどば入れる。
中国はインド産の大乗仏教をこの手で料理してしまったように思える。
素材のインド大乗仏教経典がほとんど現存しないので、
我われは中華料理を食らうしかないのだが。

さて、この対話集ではインドから中国への仏教の伝播がどのように語られているか。
まとめて抜粋する。少し長いけれども、どうかおつきあいください。

塚本「要するに中国にはいってくると、初め中国が受け入れた仏教は、
人間が死後も生を受けて続いていく、
その中の人と天とはいいところだという考え方があって、
やはりそこは中国人の執着するところで、
もういっぺん金持の家に生まれたいというようなことを考えて、
あとの地獄とか畜生というものは、
悪いところに生まれたくない、人間に生まれたい、
あるいは天人に生まれたいということを造像の銘にも書いてますから、
そういうところは中国的だと思っているんです。
仏教ではむしろ六道輪廻を断つとか、
その外に出ることが仏であるという思想ですが、
中国人はそれを受け入れながら、
やっぱり人天のところに生まれてきたいというところが、
インド的な思想と違う受け取り方です」

梅原「インドでは輪廻の外に出たいのが、
中国ではこっちに生まれたいというわけですね」

塚本「そこが人間中心的なんですね」

梅原「インド人のもっている世界観の暗さと
中国人の現世主義・楽天主義の対比みたいな気がしますね」(P409)


インドと中国の、いわば土壌の比較である。
さらに梅原は経典が中国で偽造された可能性を指摘する。
ちなみに、引用文のカッコのなかは引用者が補足したもの。

「仏教は偽経の歴史であるといってもよいかと思います。
大乗経典も後につくられたものであるし、
その経典の注釈そのものにもニセモノがある。
たとえば『大智度論』は(インド人の)竜樹作だといわれるが、
これも(中国の翻訳僧である)羅什作という疑いが強い。
それに『起信論』『宝蔵論』は偽典といってもよい。
この偽経・偽典がつくられる背景には、やはり伝統を重んじ、
古人の書いたものの中にしか真理はないという考え方がある。
真理はすでにあるものであり、新しく発見されるものではないという時代に、
新しい真理を語ろうとしたら偽経・偽典をつくるよりしかたがない。
この点がヨーロッパとちょっと違うところだと思います」(P380)


(3)中国仏教→聖道門(奈良、平安)⇔浄土門(鎌倉)【日本】

インド(1)、中国(2)をふまえて、ようやく日本へ到着したわけである。
かたくるしい論文ではないので、また食べ物の話をしよう。
インドと中国の食べ物は似ていると言っても間違いではないのではないか。
共通項は、辛い。それから油っぽい。
中国人はそこまで抵抗なくインド料理を口にすることができると思う。
反対にインド人も中華料理なら親しみやすいはずである。
乱暴なことを言えば、陸続きなのだから当然である。
けれども、日本はちがう。日本料理はちがう。ぜんぜんちがう。
辛くて油っぽいものを食べる習慣は日本にはなかった。
だから、日本人がインドや中国へ行くと苦労するのである。
インド人に松屋のカレーを食べさせたらインド料理とは思わないだろう。
中国人にとってラーメンは中華料理ではなく日本料理である。
仏教でもおなじことが起こったと考えてみてはどうだろうか。
中国から仏教思想がやってきた。取りにいった(留学した)ものもいる。
当時の先端思想を輸入したとして空海、最澄が有名である。
総合学問としての仏教だ。
仏教には三つの要素がある。思想・実践・信仰――。
奈良平安時代には仏教の思想・実践といった面が重視された。
これに対して、信仰を重んじようというのが鎌倉仏教である。
この間の経緯について、この対話集から学んでみよう。
引用はどちらも梅原猛の言から――。

「日本の仏教につきまして、鈴木大拙さんが、
とくに禅と念仏が大切であるといわれている。
そういうことが基礎になっている。
奈良、平安の仏教は、どちらかといえば、愚になるというのではなくて、
無限に知識を吸収して行くことであった。
弘法大師の一生を見ても、仏教ばかりではなく、
俗世の多くの学問の、あらゆる知識を吸収した。
そういう仏教というものを、文化の体系と考えている。
少なくとも文化と矛盾しないもの、そういう考え方の上に立っている。
そういう宗教に行き詰まりがきて、鎌倉時代の仏教は、
たくさんの仏教がある中から一つを選んで行った。
そういうふうに、いわば愚に徹したのですね。
つまり、鎌倉仏教の共通な性格ではないかと思うのですけれども、
私は、むしろ日本の仏教を知るためには、知に徹した仏教と、
愚に徹した仏教の両方を知らなくてはならないと思うのですが」(P160)


「奈良仏教というのも大事だと思うのです。
つまりインド・中国から来た仏教は
そのまま巨大な知識としてわが国にたくわえられた。
その中から特に天台・真言という思想が独自な思想家最澄・空海によって
発展させられて日本仏教の基礎をつくった。
そういう長いストックがあって、鎌倉時代というのは、実践的要求に迫られて、
巨大な思想のストックからどれを選ぼうかという時代だったと思うのです。
それが日蓮になり親鸞になり道元になったわけです。
そういう意味で非常に仏教は簡単化された。
そのかわり実践的には強力になったと思うのです」(P428)


思い出すな。空海が恵果和尚に学んだという、西安の青龍寺に行ったことがある。
けちけち旅行だったから、タクシーではなくバスで。
この日はたしか一日で10本近くバスを乗り降りした。
バスは1元(15円)という信じられない安さなのである。
かつて長安へ留学した空海の苦労を思えば、とじぶんを叱咤したのであった。

(3.5)浄土門=法然、親鸞(南無阿弥陀仏)⇔日蓮(南無妙法蓮華経)

最後に取り上げるのは南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の対立。
いちばん最初の図ではスペースの都合でここまで入らなかった。
中年サラリーマンの教祖、司馬遼太郎は創価学会がひどく嫌いなようである。
こっぴどく学会を批判している。長いので引用はしない(54ページ)。
そのあと梅原猛が「おさえて、おさえて」というように日蓮宗について語る。
梅原はこの対話集を読んだかぎりにおいては、学会を毛嫌いはしていない。

「なぜ日蓮宗から新興宗教が出てくるかといいますと、こういうことだと思うんです。
中世の浄土宗で日本人の多くが死の情熱にかられた。
浄土宗はいわば死の原理、ここで仏教が極まった感がある。
そういうものに対する否定として日蓮が出てきた。
浄土というのは来世ではない、この世が浄土だ。ここでおどれ」(P55)

「南無阿弥陀仏の方は、「阿弥陀さん助けてくれ」で、
日本人のセンチメンタリズムの故郷みたいなものでしょう。
内へ内へと沈静していく。
片や南無妙法蓮華経は、「生命よめざめよ」で、
エネルギーがワッと外へ向いていく。
日本のインテリはだいたい内面へ向かう方が好きで、
従ってぼくも含めて親鸞が好きなんです」(P58)


で、鎌倉以降の仏教はどうなったかというと――。

「やはり徳川時代の宗門の保護、
これが仏教をダメにした大きな理由の一つだと思いますね。
徳川幕府は、仏教はキリスト教と闘って敗れたという判断に立って、
日本の思想界を仏教に全部まかせるわけにはいかない、
インテリは全部儒教でいこう、仏教の方は愚民政策である、
というふうに割り切って考えたんじゃないかと思うんです」(P45)


いろいろな仏教を見てきた。これらをみな仏教というくくりでまとめられるのか。
「すべての仏教に共通するものは何か」と梅原猛は話をすすめていく。
たとえば宗教家の山田無文はこんな回答をする。
ただしいかあやまりかはわからない。
この読了報告はそういうスタンスで書き始めたものではない。

梅原「(仏教)共通の思想は何ですか」

山田「すべてのこだわりを捨てたところに、共通の安心があると思うのです。
言葉をかえると生死を越えた境地ですかね。
自分の内側に何か超越的なものをつかむことにおいて、
すべての仏教に共通のものを見つけられると思います。
生死を越えた世界ですね。
題目は題目で生死を越え、念仏は念仏で生死を越え、禅は禅で生死を越える」(P126)


ながながとおつきあいくださりありがとうございます。
おかげでこの良書から知りえた知識をわたしなりにまとめることができました。
だれかに情報を伝達する(=教える)というのは、結局いちばんじぶんの勉強になる。
よく言われることですが、改めて納得いたしました。
「濁世の仏教 仏教史講義」(中村元+水上勉/朝日出版社)

→今年、中国まで遠征したのは、なにもパンダを見たかったからではなく、
(いな、パンダを見たかったのは事実だが)仏教への関心があったのである。
ご存知のように仏教はインドで生まれた。中国を経由して日本へ輸入された。
我われが仏典を読もうとしたら、漢訳のものをたよるほかない。
サンスクリット原典は失われているものがほとんどである。
仏教というとみなさまはどちらをイメージしますか。
インドで釈迦が説いた仏教か。日本の身近に存在する仏教か。
といっても、日本の仏教を定義するのはむずかしい。
独座して目をつむり、澄ました顔をしているのも仏教(禅)。
池田大作先生~と騒々しく叫びながら
公明党の選挙応援のため知人に電話しまくるのも仏教(創価学会)。
ひとつたしかなことは、インドの原始仏教と日本仏教はまったくの別物ということである。
宗門のトップやえらい学者先生はなんとかインドと日本をむすびつけようと、
おのおの難解な仏教述語をつぎはぎしているものの、
いまだうまく(我われ)大衆を丸め込む論理は発見されていないようである。
中国でなにがあったのだろう。中国でワンクッションあったはずである。
知識の乏しいわたしは学者のように漢訳仏典を読みあさることはできない。
ならせめて現地で中国仏教の感触をたしかめたい。
この目で見たい。聞きたい。味わいたい。中国へおもむいた理由である。
この旅の詳細はいずれ記す予定です。

本書は「朝日レクチャーブックス」。
人気作家が専門分野について、その道の碩学(せきがく)にお話をうかがうシリーズ。
タイトルの「仏教史講義」は看板に偽りあり。
仏教史のことなどぜんぜん触れていない。
仏教とタイトルに入れるのもどうだか。これは禅についての応答集。
水上勉が自身の関心のある禅について大家へ質問する。中村元が答えるの反復。
それにしても、と思う。なぜ中国仏教を概観する手ごろな参考書がないのだろう。
インド仏教や日本仏教に関しては、入門書から専門書まで多数出版されているのだが。
インド学者は釈迦の立場から日本仏教を批判する。
日本仏教サイドはインドへ向けて苦しい言い訳を繰り返す。
開き直ればいいのにと思う。
「釈迦など知らん。釈迦の言説に興味はない。
よしんば釈迦が伝説であろうといっこうに構わぬ。
そもそも日本仏教の宗祖でインドへ行ったものはおらぬ。
みな中国どまりだ。悪いか。文句あるか。
宗教の役目は人間を救うこと。こざかしい理屈をいうのはやめろ。
おまえはサンスクリット語を読めるのが自慢のようだが中国語はどうだ?
中国仏教についてなにを知っている? あんまりえらそうな顔をすんなよ!」

*本書は学研M文庫から復刊されているがオススメはしない。
「夏の故郷」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。1976年放送作品。20分×10回。
NHK銀河テレビ小説ふるさとシリーズ。
「幸福駅周辺」「上野駅周辺」「夏の故郷」「夏草の輝き」。
田舎をテーマに山田太一の書いたのがこの4作品である。
「夏草の輝き」は残念なことに、シナリオがどこにも発表されていない。
忘れてはならないのは山田太一は大体は都会育ちであること。
農村での生活など経験したことがない。
それでも取材だけでこのような傑作を書き上げてしまう。恐るべき才能である。
山田太一はドラマ作法について、ある雑誌でこんなことを言っている。
コンプレックスを武器にしている。劣等感である。
じぶんのなかで劣っている部分。マイナスの部分。
そこから取材対象者に同化していく。気持を理解しようと努める。ドラマを作っていく。

「夏の故郷」――。
嫁不足の農村が舞台である。村に残るのは家の長男ばかり。
ほかの若者はみんな東京へ出て行ってしまう。
村に残った女もいるが養子をもらわなければならない立場。
こんな嫁不足の農村に1年で1回だけ若者があふれる時期がある。
お盆のシーズンである。農家の長男グループはなんとか嫁を得ようと奮闘する。
農家の顔役である山影重一(54)が縁談促進実行委員会の会長に任命される。
ところが重一の長男も嫁不足のあおりで32歳になるのにまだ独身。
1年で1回、農村が若者であふれる「夏の故郷」が始まる――。

混雑するお盆を避けて一足早く帰郷したのが末子(21)である。
末子ほしさに独身の男が喧嘩を始めてしまう。仲裁に乗り出す重一だが。

重一「あ、いや、ちょっと聞いときたいことがあってな」
末子「なんですか?」
重一「こんな所まで連れ出したのは、他でもねえんだが(苦笑し)
さしで話っこ出来るところ、なかなかねえがらな」
末子「なんでしょう?」
重一「いや、あんたが帰ってきて、あんたに夢中になった男が四人もあった」
末子「ええ(と思い出すように笑う)」
重一「ま、みんな結婚したぐてたまらねえ奴らで、
たまたま、対象が現われたがら、一種の集団心理みてェなもんで、
あんたにまあ、夢中になってしまった」
末子「そのようですね(と薄く笑う)」
重一「そんで、あんた、中の誰かと結婚する気はないがね?」
末子「ないです」
重一「ねえのか?(とがっかりしていう」
末子「悪いけど、私は、やっぱり向うでいい人さがします」
重一「農家はいやが?」
末子「やっぱりね」
重一「そうが」
末子「でもこの夏は、いい夏だったわ」
重一「(苦笑)」
末子「私、いちどきに四人もの男性に好かれたことなかったし、
こんなにもてるなんて思ってなかったもの」
重一「そうか」
末子「自信ついた」
重一「(苦笑)」
末子「正直いうとね、私ら、東京で本当に地味に暮らしてますもんね」
重一「そうか」
末子「休みなんていっても、銀座なんか、めったに行かないものね。
せいぜい、ショッピングに上野さ出るくらいで、あとは洗濯したり、
テレビ見たりで、この夏みたいに、もてたことなかったわ(と淋しく笑う)」
重一「それでも東京がええか?」
末子「ええ」
重一「なんでだ?」
末子「さあ、なんでだろうねえ(と重一を見て)おじさんには悪いけど」
重一「(苦笑)」
末子「(淋しく笑う)」(P36)


この「淋しく笑う」がいいと思うのね。
ふたつある「淋しく笑う」。ほんと、ほんとにいいと思う。
末子の獲得には失敗した重一だが、まだあきらめていない。
帰郷組が大量に到着する日に盛岡駅で待ち伏せする。
すると、上京組の到着を待っているのはじぶんだけではない。
噂を聞きつけた娘の親たちがいるのである。
なにゆえか。娘を農家の嫁にやりたくないわけである。
結局、重一が迎えた若い女は次女の正子だけである。
どうでもいい男連中をくるまに乗せて村へ帰ることになる。
農村の男どもはすっかり変わっている。東京の流行スポットについて話している。
車中――。

重一「おう、お前ら」
菅原「なんですか?」
重一「故郷(ふるさと)帰ってきたんだから土地の言葉使えや」
正子「(いさめて)お父ちゃん」
重一「ええが。自慢してェ気持も分らねえじゃねえが、
東京で恰好よく暮らしているような事ばっかりいうな」
正子「やめて、お父ちゃん」
重一「――」
正子「(ふりかえって)ごめんね。
(重一に)わざと東京弁使ってるわけじゃないのよ。
東京にいれば、いやでも東京弁習わなきゃ仕様がないもの。
笑われないように、みんな、一所懸命東京弁になろうとしたのよ。
(ちょっと柔らかく)そんないい方したら、いけないよ、お父ちゃん」
重一「――」
三人の青年「――(目を落としている)」
正子「(その青年達を見て、すぐ目を正面に向ける)」
重一「――(運転している)」(P41)


山田太一は人間の劣等感(優越感)になんと敏感であることか。
小市民がちっぽけな自尊心をふりかざして生きるおかしみ。
山田ドラマを見て笑うとき、もしや我われは鏡を見ているのかもしれない。
お盆である。重一の家でも先祖代々の墓参りにおもむく。
重一はそこで農村を捨てて上京した級友と何十年かぶりに対面する。
声をかけられたのである。とても羽振りがいいようである。
全国に支店を持つカバン屋の社長。重一はさんざん自慢話を聞かされる。
帰宅する。妻の三千子は煮しめを皿に盛る。娘の正子はきゅうりを刻んでいる。
長男で独身の俊太郎と酒を酌み交わす重一である。

三千子「(煮しめを皿に盛って、いろりの部屋のほうへ)
ユリ根はお父ちゃもうちょっとだ(明るく)煮しめでつないでてェ」
重一「(いろりの傍で)ああ(と俊太郎に一升瓶から酒を注いでいる)」
俊太郎「――(注がれている)」
三千子「ねえ、どれだけ成功したか知れねえけど、
親の墓に二十年も参らねえでお墓ででっけェ声出して成功した成功したて、
後生が悪いよ」
重一「(のむ)」
三千子「うちは、お父ちゃが成功して、あんたな男になったら、別れとるよ。
な、俊太郎(と台所へ)」
重一「(低く)慰めるような事いいやがって――(のむ)」
俊太郎「――」
重一「お前の、同級でも、どっか行って、格好づいたの、おるか?」
俊太郎「ああ」(P53)


自動車の販売会社を始めたものがいる。
自衛隊へ入ってアメリカに留学しているものもいる。
仙台でホテルの副支配人になったものもいる。
東京にもたくさんいる。課長だか係長だか。毎晩、銀座でのみあるいていると聞いた。
女遊びの話も聞いた。そのくせ東京の郊外に家を建てたという。
写真をわざわざ送ってくるものもいる。

重一「――」
俊太郎「(我にかえり)ま、みんなええことしか、俺たちにはいわねえがらな」
重一「うむ」
俊太郎「まともに受けとったら、バカみるがらな」
重一「うむ」
俊太郎「お父ちゃ、世話好きだし、弁も立つがら、ほんと、東京さ出とったら、
あの男なんぞ足もとにも寄れねえ出世してだがも知れねえな」
重一「どうだか――(苦笑)」
俊太郎「癪(しゃく)だな、なんだか」(P54)


一家の話題はとなりの家の光子に移る。28歳。独身である。
お盆で帰郷したが身なりがおかしい。悪い噂が飛び交っている。
東京でだいぶ荒れた暮らしをしていたようである。子どもを堕ろしたとも。
長男の俊太郎は光子が上京するまえに告白して振られている。
いまだ光子のことが忘れられない俊太郎。
母の三千子は光子のことをこんなふうに言う。

三千子「(台所から出て来て)あんなのに兄ちゃんつかまったら大変だ(と低くいう)」
正子「どうして?」
重一「ありゃあお前、東京でなにをしてたか分らねえ」
三千子「あんなに都会ずれした女がこっちで結婚してえなんて言って来たんだ。
よくよくの事があったんだ」
俊太郎「やめろ、お母ちゃ」
重一「俊太郎」
俊太郎「お父ちゃも、やめろ」
重一「あんなのと、つき合うじゃねえぞ」
三千子「お前は、ろくろく女を知らねえがら、ああいうのにかかったら、
いいようにひき回されちまうだから」
俊太郎「(立ち上がる)」
重一「俊太郎」
俊太郎「誰も、つき合うなどと言うちゃいねえス。
ただ、俺は、悪口は好がねえ(と土間へ)」
重一「何処さ行くんだ?」
三千子「何処さ行く?」
俊太郎「何処さ行ぐが、俺にも分んねえ(と低くいって、出て行く)」
正子「――」(P55)


ところが、皮肉なものである。「夏の故郷」でまとまった縁談は二組。
ひとつは俊太郎と光子である。もうひとつは清太郎と富子。この富子がおもしろい。
ウヘエなのである。こんなことを言っていたのである。
舞台はスナック。農家の長男である清太郎が富子を口説いている。
どうにも手を焼いている。そこへやってきたのが重一。

清太郎「よろしくお願いします」
重一「なに言っとるか。迷っとる女性を、
ガーッとひっぱって行くくれェの積極性がなくて、亭主になんぞなれねぇぞ」
富子「お邪魔します(と一礼して掛ける)」
重一「いい女じゃねえか」
富子「いいえェ」
重一「美人だ、ほんとに」
富子「いえ、だからね――」
重一「うん?」
富子「自惚れていうわけじゃねえけど、東京で、もう少しいるとね、
なんか、ある日、どっかで、知り合った人が、私を愛してくれて、
その人が、実は、三井とか三菱とかそういうお金持だったりすることだって
人生にはないとはいえないでしょう?」
重一「あーあ、そういう想像までするのか?」
清太郎「そうなんです」
重一「しかし、そういったことは千に一つも、万に一つもねえことだからなぁ」
富子「そうなんですよね、私だって馬鹿じゃないから、
現実っていうものは知っているつもりだけど、
でも、事実は小説より奇なりというでしょう?
なにが起こるか分らないって事も事実よねえ」
重一「そりゃまあそうだが」
富子「デビ夫人のことだってあるし、人間の運命って分らないでしょう?」
重一「そうだな」
富子「私は、思想っていったら、ちょっと大げさだけど、
運命を出来るだけ自由にしておきたいのよね、むずかしくて分んないかしら?」
重一「うん、まあ――」(P94)


どうなのかな。わからなくなっている。
こういうところで大笑いするのはわたしだけかな。
美男美女の結婚なんてつまらないと思ってしまう。
さえないといったら問題があるけれども、
田舎のお兄ちゃんお姉ちゃんのこういう関係、とってもいいと思う。
「ロミオとジュリエット」より、こういう結婚感覚を好ましいと思う。
こういう微妙な関係を書くのは、大恋愛を描写するより、よほどむずかしいのでは?
人間の、この、なんていうのか、運命に対する感覚、
ほほえましいだけではなく、あまりにリアルで涙ぐんでしまう。

もう山田太一に関しては語りつくしたという気持がある。
この期に及んで出来るのはどこがすばらしいか紹介するくらい。
引用ばかりで読むのがいやになるかたがいらしたら申し訳なく思うけれども。
ごめんなさい。けれども、書き写していて、とても勉強になる。
これをあとで読み返すのも、楽しいんだ。
カテゴリー「山田太一」の記事は引用が多い。
中国を長期旅行したとき、ネットカフェでじぶんのブログを見た。
どこを見たか。山田太一のところである。
引用してある山田ドラマの名ぜりふを何度も小声で読んだ。
そのたびに涙があふれてきた。
「上野駅周辺」(山田太一/冬樹社)絶版

→テレビドラマシナリオ。1978年放送作品。20分×10回。
山田ドラマ批判として考えられるのはクサイ! 通俗的!
このようなものであろう。
山田太一になりかわって反論する気はないのだけれども、
ちょっといいかなと笑いかけてみる。
通俗的なのって、そんなにダメかい?
我われの生活の99%が通俗的なことの反復でしょう。
それを否定しちゃ、自分にダメ出しをしているみたいじゃないか。
わかるよ、きみの言いたいことは。
毎日が通俗的だからせめて余暇には通俗ではないもの、飛びぬけたものを求めたい。
うん、わかる、わかりますよ。
クサイ! たしかにクサイ感傷がいくつもある。
西欧の映画を見慣れているきみにはクサすぎて、目を開けていられないのかもしれない。
けれどもさ、考えてごらん。欧米の映画にはクサイシーンがないでしょう。
欧米人はクサイシーンを作ろうと思っても作れないんだよ。
そう考えると貴重じゃないかな。日本のクサさも悪いもんじゃないと思わない?

わたしだって、クサイと思う。通俗的だとあきれることもある。
けれども、いいなと思ってしまう。うまいなと舌を巻いてしまう。
「上野駅周辺」――。
岩手県から上京してきた若者たちがいる。
そのなかで上野で働いているものは、おりにふれて集まっている。
そのうちのひとり、典夫に中学の教頭から手紙が来る。
息子が上京して働きたいというから、よろしく頼むというのである。
どうしてたくさんの卒業生から自分が選ばれたのか典夫はふしぎに思う。

典夫「教頭はな、俺に手紙をよこしたんだ。卒業生は一杯いるよ。
そん中で、俺にだけ手紙をよこしたんだ。息子を頼むってなあ。
どういう気持か、俺は考えたよ。
俺は、なんてたって、あの中学じゃ筆頭のワルだったからな。
鑑別所にも入らねえで、こうやって、
とにかく東京でまともに働いているのは、教頭のおかげだよ。
二度目のお袋、たたき殺そうと思って、
雪ン中、男といるっていうのみ屋まで走ってった時、
教頭が横から俺、つきとばしてよ、雪ン中で、殴り合いして、
俺がワーワー泣き出したらよ、教頭も泣いてやがるんだ。
ワーワー泣いてやがるんだ。
他ン時も、根気よく、つき合ってくれたぜ。
教頭も、一番、手ェやいた生徒は、一番思い出深ェのかもしれねえ。
あのバカが、上野でまともに働いてるかって、喜んでてくれたのかもしれねえ。
とにかく息子をよろしく頼むっていわれたんだ。
そう簡単に、他所へやれると思うのかよ!」(P159)


教頭の息子というのが重久である。どうにも世渡りが下手である。
どこに勤めても田舎者特有の不器用な誠実さからクビになってしまう。
重久は同郷人の世話にはなりたくないと姿をくらませる。
ラーメン屋の出前の職を得るが(住み込み)、そこもクビになってしまったある日――。
人生は悪いことばかりではない。
重久は初恋のひと、泰子に銀座で出会う。3歳年上の美人である。
中学3年のとき重久は泰子にラブレターを渡したことがある。
泰子はすっかり都会になれてモデルなみの美女になっている。
その泰子から重久は夕食に誘われたのである。青山の料亭でおごってもらう。
重久は住所不定無職になった事情を話すと泰子はうちに泊まれという。
まさか人生でこんなことがあるとはと信じられない田舎者の重久である。
シャワーを浴びて出てきた重久。

泰子「フフ、そんなに窮屈?」
重久「は?」
泰子「まだコチコチじゃない」
重久「そういうわけでもないけど」
泰子「気になる?」
重久「は?」
泰子「女ひとりのところへ、泊ること」
重久「(目を伏せ)いえ」
    (中略)
泰子「なにかしゃべって」
重久「ええ(急に頭を働かせようとする)」
泰子「そんなに無口じゃ、もてないから(とからかうようにいう)」
重久「フフ、あの、じゃ、あの」
泰子「なに?」
重久「仕事、なにをしているんですか?」
泰子「なんだと思う?」
重久「さあ」
泰子「二十四やそこらで、こんなマンションにどうして住めるんだろう?」
重久「(目を伏せたまま、微笑)」
泰子「まず、バーか、キャバレーか」
重久「そんな――(と首を振る)」
泰子「コールガールかな?」
重久「そんなこと(とやめさせ)思っていません」
泰子「じゃ、なんだと思ってる?」
重久「ぼく、東京のことあまり知らねえもんだから、見当つかないんだども」
泰子「じゃあ――(クスッと笑う)」
重久「え?」
泰子「そのまんまにしておくわ。ちょっと謎があった方が面白いじゃない」
重久「――(間少しあって)ええ」(P253)


ベルが鳴る。都会の遊び人風で二枚目の尾高が部屋に入ってくるや、泰子を殴る。
なにをすると重久は尾高をやっつける。
ところが、その重久をうしろから泰子が木彫で殴打するのである。
追い出される重久。追っていく泰子。マンションの廊下である。

重久「(エレヴェーターのボタンを押す)」
泰子「(重久の後姿を見て、それから普通の足取りで近づき)ごめんなさい」
重久「(いえ、というように首をちょっと振るが、泰子の方は見ない」
泰子「ごまかしたまま終れるかと思ってたけど、バレちゃったわね」
重久「――」
泰子「あんまり型通りで口惜しいけど何人かの男を相手にして食べてるのよ」
重久「(聞きたくない、というように首を振る)」
泰子「いくら東京でも、私の年で、このマンションに住める仕事、そうそうはないのよ」
重久「そんなに、このマンションに住みたいですか?」
泰子「住みたかないわ」
重久「じゃ、どうしてそんな事――」
泰子「(目を伏せ)成り行きね。そういう事になっちゃたのよ(腹立たしくいう)」
重久「あの男が、させるんですね? あの男がいけないんですね」
泰子「そう」
重久「警察にいったっていい」
泰子「警察に?」
重久「いえ、このまま逃げたっていい。
(パッと泰子を見て)東京じゃない所へ行ってしまえばいい(と泣き声のようにいう)」
エレヴェーターのドアがあく。
泰子「出来ないの。乗って」
重久「(乗らず)どうして出来ないんですか?」
泰子「(目を伏せたまま)乗って頂戴」
重久「いやです。あんな奴から、どうして逃げないんですか? どうしてですか?」
ビーッとエレヴェーターの閉まる音。
泰子「さようなら。乗って」
重久「いやです。どうしてですか」
エレヴェーター、閉まってしまう。
重久「どうして、そんな事しなきゃならねえんですか?」
泰子「好きなのよ」
重久「――(ショック)」
泰子「あの人が好きだから、言うなりになっちゃうの(さらりという)」
重久「――」
泰子「(エレヴェーターのボタンを押しに行き)逃げたくないのよ」
重久「――」
泰子「気持は嬉しいわ。でも、あなた、まだ、知らない事一杯あるのよ。
人間て、変なもんよね。どうして逃げないのかって思うの無理ないけど、
好きなのよ。仕様がないのよ」
重久「――」(P256)


重久は上野の仲間のところへ帰っていく。
かれらも重久を探していたところであった。

典夫「なんで――どうして戻って来た?」
重久「失恋――した」
高夫「――?」
典夫「失恋?」
洋子「失恋?」
重久「それで、淋しくて、来た」
繁「この野郎。洒落たこといいやがって(と重久を叩く)」
一同、笑う。
「俺なんかまだお前、失恋したくたって」
「相手も見つからねえ」などと口々になにかいって笑う。
重久、笑っていて、急に悲しくなって泣いてしまう。
慰める四人。
それを背景にして。
重久の声「お父さん。東京にも、こうやって故郷(ふるさと)があります。
それは、田舎の故郷と同じに、うるさかったり、ない方がいい時もあるけど、
時には、あったかく、なつかしく、やっぱり、あった方がいい故郷です」

上野駅周辺
賑やかな灯り。
沢山の人々。
       終」(P267)


いいと思うな。これ、とってもいい。なに、悪臭? クサイと?
それはながながと失礼しました。ごめんなさい。
「幸福駅周辺」(山田太一/冬樹社)絶版

→テレビドラマシナリオ。1978年放送作品。20分×10回。
突然だが、山田太一はいま存命している最高峰の作家だと思っている。
どんな作家も、このテレビ作家にかなわないのではないかと照れずに言いたいのである。
多少は、それは、小声になってしまうかもしれないけれども、やっぱり言いたいのである。
山田太一ほど、人間の喜びと哀しみを、情感を込めながら美しく描いた作家はいまいと。

いままでどれだけの人間が山田ドラマに慰められてきたことか。
励まされてきたことか。
しょせんはテレビじゃないかとバカにするひとがいるかもしれない。
ちがうね。テレビだから、すごいのである。テレビでこれをやった。
本とか映画というのはマニアックなものでしょう。
私事を書くと、ここ数年、映画館で映画を観たことがない。
おなじようにもう何年も本を読んだことがないひともけっこういるはずである。
映画を観ないひとも、読書をしないひとも、テレビならふとしたひょうしに見る。
そのとき山田ドラマに打たれたひとがどれだけいることか。

シナリオを読みながら、ふきだしてしまう。
生活者のこすっからさがなんとうまく描写されているか。
泣きだしてしまう。
「人間の喜びと哀しみ……」そうつぶやきながら泣きだしてしまうのである。
こうとしか言いようがない。山田太一が描くのは、人間の喜びと哀しみである。
山田ドラマの住民は我われ同様に怒る、泣く。
なぜか。幸福を求めているからである。人間であるかぎりだれもが幸福になりたい。
だが、ままならぬ。ゆえに怒る、泣く。うまくいけば喜ぶ、笑う。
幸福を求めるというと単純なようだが、
そもそも幸福とはなにかという疑いから山田太一はいっときも目をはなすことがない。
人間は幸福をめざす。しかし人間にとってなにが幸福かはわからない。
山田ドラマで人間の哀歓が描かれるゆえんである。

「幸福駅周辺」――。
幸福駅というのが北海道にあるそうで、一時期ブームになったようである。
幸福らしきものを求めて東京(実際は川崎)からやってきた青年がいる。
ドラマのスタートである。ラストでひとり北海道から東京へ出てゆく少女がいる。
これも定かならぬ幸福を求めての行動である。
初恵はもう22歳にもなるのに東京で歌手になりたいという夢をいだいているのだ。
無謀な上京である。結果がどうなったかこのドラマで描かれることはない。
初恵の父、欣造は反対する。母は物故している。ひとり娘を手放したくないのである。

欣造「人間、夢を描くのは仕様がない。
しかしな、現実も見つめなければいけない。現実もな」(P125)


欣造に、想いを寄せている未亡人の愛子がいる。
愛子は堅物の欣造に問う。
娘は、初恵は、このまま北海道に閉じ込めていればいいのか。

愛子「平和ならいいね? 危険が少なそうなら幸せね?」
欣造「なして急に、ワイワイワイワイ」
愛子「私がね、私が諦めてばっかりいたからよ。
地道に暮らせ、平凡に生きろ、忍耐しろ我慢しろ、他所行けばひどい目にあう、
そんな事ばっかりいわれて、諦めてばっかりいたからよ!」
欣造「だからって、初恵そそのかされてたまるか!」
愛子「駅長(=欣造)は、なによ! 地道に生きてて幸せね?
真面目に真面目に、臆病に臆病に生きてて、幸せね?」
欣造「幸せだ。ああ、大いに幸せだ」
愛子「ごまかしてるんだ」(P130)


政権がかわろうが人間は幸福にならない。
イラクで戦争が始まろうが止もうが日本人の幸福には関係ない。
たとえエイズの特効薬が開発されたところで、大部分の日本人の幸福には無縁である。
こんなことを書くと、なんとも浅ましい、エゴイスティックな人間だと思われそうで、
決して大きな声では言えないけれども、我われの大部分はそういうところで生きている。
ご大層な悲劇も喜劇もないけれども、それでもそれなりに悲喜こもごも生きている。
幸福になりたくて生きている。
イラクの戦争を止めることよりも、自分が幸福になることのほうが難しい。
決してそんなふうに突き詰めたりすることはないけれども、一生懸命に生きている。
山田ドラマがすくいとるのは、このような日常である。
描かれるのは我われのドラマだ。
英雄はいない。歴史にも関係しない。大きなことはなにもない。
それでも喜びがある。哀しみがある。ときに笑い、ときに泣く。
めったにはないけれども勇気をだして怒ることもある。そのあと後悔することもある。
人間のやむにやまれぬ哀歓。これが山田太一ドラマの全容である。
「崖」(井上靖/文春文庫)絶版

→病院の待合室で読み始めた。昭和36年東京新聞に連載されたもの。
上下巻あわせると全911ページ。
若者に人気らしい保坂和志という作家が、
「小説にストーリーしか求めていないバカは死んでください」(荒い要約)
といったようなことをどこかで書いていたけれども、真っ向から反対します。
小説の愉(たの)しみは、あらすじを追うことにあるのでしょう。違いますか。

これなんか退屈しない読み物だったけれどもな。
読みやすい文体で書かれた、
先が気になる小説のあらすじを追う愉悦はそんなバカにされるもの?
ある程度のスピードで読め、かつ美しい文章を書くのは至難のわざと思いますがね。
読者をひきつける物語を構築するのもかんたんではないのでは?
先が見えるうそ臭いストーリーならすぐ読者に捨てられてしまいますよ。

中間小説「崖」は事故で記憶を喪失した青年が快癒するまでを描く。
神経質なわたしが電車や待合室のなかでも読めたのはうれしかった。
家ではお酒をのみながら読んだ。
なんで読むかと聞かれたら、先を知りたいからと答えるほかない。
この先どうなるのか見てみたい。これはそんなにバカにされる欲望なの?

では、なんで井上靖はこのようなおもしろい物語を書けるのか。
もしかしたら仏教と関係あるのかと思ったけれども、
井上靖の場合はどうやら生まれ持った資質と思われる。
「わが文学の軌跡」を読んで了解した。
たとえば高校生のころにこんなことがあったという。
仲間と映画を見る。
そのあと井上青年は仲間に続編はこうしたらおもしろいのではと語る。
すると、ほかのひとはまったくそういうことを考えていない。
青年・井上靖だけがこの先のストーリーを想像していた。
仲間は井上靖の話をおもしろがる。

ここからは、くだらない自分語り。
この懐旧談から考えると、ストーリーテーリングの能力は天性のものなのか。
わたしなんかも、書きたいのはおもしろいものである。
少しでも大きなものを書きたいと思っている。
けれども、どうやら才能がないように思われるのである。
ウソでひとを楽しませたような経験がほとんどない。
(と思ったら、ひとつ思い出したが、2ちゃんねる、そうか、あれが物語か)
いっぽうで人生上の切実な問題がある。
これを小説を書くことでなんとかしたいが、エンターテイメントとは結びつかない。
かといって、私小説を書こうという気にも……。
まあ、おもしろい物語が好きなんだ。
けれども、それを自分が書けるかとなったら話は別で。
……わかりません。
「わが文学の軌跡」(井上靖/中央公論社)絶版

→今年なぜか敦煌くんだりまで行くことができ、
砂漠のなかにある映画のセットへ入ったときは感動したものである。
井上靖原作の映画「敦煌」のセットがそのままテーマパークになっている。
映画撮影時の写真とともに、原作者の近影がはられていた。
井上靖先生――。この作家とのふしぎな縁を感じずにはいられなかった。
そもそも小説を読み始めたのがこの著者の「しろばんば」であった。
井上靖に小説を読む愉(たの)しみを教わったといってもよい。
どうしてかいまになってまた井上靖なのである。
本を読み始めてからこんなわたしにも人生でいろいろなことがあった。
けれども、根本は変わらないということか。やはり井上靖が好きなのである。

本書は座談会形式。
篠田一士と辻邦生が聞き手となり、作者自身から井上文学の内実が語られる。
宮本輝の文学観との相似に驚かされる。
ほとんどおなじことを井上靖が言っているのである。
言うまでもなく先行作家は井上靖。
宮本輝はただならぬ影響を先輩の物語作家から受けたのであろう。
だが、唯一の、しかし根本的な相違がふたりの物語作家にはある。
井上靖はこの本のなかでいつか親鸞を書きたいと述べている(P123)。
いっぽうの宮本輝は創価学会。日蓮なわけである。
日蓮は浄土真宗を手ひどく攻撃した。南無阿弥陀仏を愚弄した。
宮本輝も親鸞には否定的なようである(「春の夢」の歎異抄批判)。
梅原猛によると、親鸞と日蓮の違いはこうである。
親鸞は死を見すえている。いっぽうで日蓮は生に拘泥(こうでい)する。
日蓮を、いかに生きるべきかしか問題にしない底の浅い思想と批判することも可能。
親鸞を、現世否定の、支配者にのみ都合のいいあきらめの思想と断罪することも可能。
日蓮と親鸞。宮本輝と井上靖。ふたりの物語作家のこの相違は興味深い。
これまた梅原猛の言だが、日本のインテリはがいして親鸞びいきなのだという。
比較的無知な民衆が日蓮思想に深いかかわりをもつ傾向にある。

井上靖は言う。

「(デビュー当時は)がまんして読むような小説ばかりが
評価されていた時代ですね」(P94)

「私小説は私小説で読んでいておもしろいですが、小説を書きだしたころは、
私小説は書くなといった気持がありましたね。
でないと、いいものは書けても、大きいものは書けない。
どうせ小説を書きだしたんだから、書けても、書けなくても、
おもしろいもの、大きいものを書いていこう、こういう気持でしたね」(P92)


井上靖も宮本輝も、「おもしろいもの、大きいもの」を書く物語作家である。
両者の根底に仏教があることはなにか「おもしろくて大きな」物語と関係しているのか。
そのとき親鸞と日蓮の相違はどのように影響するのか。
あるいは、物語の技術は作家それぞれの資質の問題で、仏教とは関係ないことなのか。
深い関心をいだいている問題である。
「わが一期一会」(井上靖/毎日新聞社)

→だいぶまえに母から買ってもらった本である。
一度も読まないで、いまになってようやくなのだから、まったく恥ずかしい。
おおむかしの中学生のころの話。
高校受験の入試は、当時このエッセイから多く出題されたのだったか。
いや、塾の教材でこの本からの抜粋を読んだのかもしれない。

抽象的なことを書く。井上靖の生きかたについてである。
この文学者は、追い求めることを生きる基本姿勢としているようなところがないか。
なにかを追い求める。手に入らないものを得ようと努力する。
決して入手できないものを、それが得がたいものだからという理由で、
結局はものにできないことをなかば知りながら、あきらめながら、それでも追求する。
たとえば「あすなろ物語」に克己という言葉が出てくる。
己に克つことなのできるはずがない。
だが、この物語のあすなろたちはがむしゃらに克己をめざす。
物語が終わったあとに読者は気づく。
だれひとりとして克己をなしえなかったことをである。

では、なにゆえ克己かなわなかったか。努力が足らなかったからではない。
星回りや運命というほかない大きなものにちっぽけな人間は勝ちようがないのである。
人間はいくら努力しようとできないものがある。哀しいが運命はあるのである。
ひとは思うがままに人生を生きられぬ。運命に左右される。
人間は巨大なものの影響力を偶然といったかたちでしか感知できない。
これを偶然と見るべきではないと井上靖は言いたいのではないか。
たしかに偶然だ。
しかし、それはこちらの気持の持ちようしだいで一期一会になりはしないか。
運命論というものがある。すべて運命に決められているという思想だ。
井上靖は運命論者に限りなく近い。けれども井上靖本人は否定する。

「運命というものに非常に興味を持ちますけどね、わたしは運命論者じゃない。
でも運命というものはおもしろいと思いますね。
歴史を振り返ってみると、人間が運命をつくっている。
乱世における武人の生死など運命的というほかないんですが、
それぞれがその運命を招んでいる」(井上靖「わが文学の軌跡」P86)


わかりやすく稚拙な換言をすると、こういうことではないか。
偶然のひとつひとつを一期一会と見ていくことでかれの運命が完成する。
ささいな出会いや事件への向き合いかたである。
受け流すのではなく一期一会をあたまの片隅にでも置いておく。
といっても、井上靖は説教をしているわけではない。
大会社の社長がにこやかに一期一会を成功の秘訣として語っているのとは訳が違う。
一期一会を重んじることで、
あるいは悲劇としかいいようがない運命が成就されるかもしれぬ。
だが、それもやはり運命だ。それが良かれ悪しかれ人間は運命を欲するものだ。
人間と運命は切り離せぬ。だが、運命はあまりにも巨大である。。
この日が差さぬ暗黒の大山にわけいるには一期一会を灯火(ともしび)にするほかない。
「憂愁平野」(井上靖/新潮文庫)絶版

→母の墓参りへ行く日に、電車のなかで読んだ本。
昭和36年に連載された新聞小説である。
思うのね。井上靖、いいじゃないか。きれいで美しいものを読みたいじゃないか。
精神的にきつい日がある。そんな日には井上靖の中間小説を読むにかぎる。
文学的には取るに足らないものなのかもしれない。
けれども、それで励まされる人間がいる。
この読者を愚民と見くだすインテリとは生涯縁を切りたいと思っている。

井上靖はもてない男をえがくのがうまい。正確を期すと、もてないではない。
井上靖は、たとえば小谷野敦のようなゆがんだ小物(こもの)を描写したりはしない。
ふられた男である。ふられた男をえがく筆致が冴えわたる。
この「憂愁平野」では彫刻家である。かれは遠縁にあたる娘をずっと想っていた。
大いなる片想いである。そうとは知らぬ娘が兄のように慕う彫刻家のもとへ相談に来る。
娘は妻のある男性に恋をしている。告白をしたという。
女房もちの男へ愛を告白してきたというのである。
じぶんを長いこと愛している彫刻家へ向かって、こんな残酷な報告をする。
彫刻家は待てという。

「待て。――ウイスキーを飲みながら聞く」(P469)

酒でものみながらでなければ、好きな娘の恋愛相談などのれるはずがない。
女にはこういう残酷なところがある。しかしこれは短所ではない。女の魅力だ。
邪推しすぎの感もあるが、これが井上靖の女性観ではあるまいか。
娘は彫刻家の気持を逆なでするように、みずからの愛を披露する。
妻のある年長の男性に愛を告白した。

「ずっと前から、何年も何年も前から、
わたしひとりだけで考えていたことを、みんな話しちゃいました」(P471)


彫刻家は叫ぶ。「ばか……」

「口に出さないで仕舞っておけばいいんだ。
それを口に出したとあっては、もう駄目だ。救えん。
泥沼に落ちるだけの話だ。また薄汚いことをしたもんだ」
「薄汚いでしょうか」
「薄汚いに決っている。
愛だの恋だのというものは、死んでも口に出すもんじゃないんだ。
映画を見て、自分も一つあんなことをしてみようと思ったんだろう」(P472)


のちに彫刻家は娘が恋敵と関係を持ったことを知るにいたる――。

いいね。片想いはよろしい。片想いにこそ純粋で誠実なものがある。
恋愛は相手がいることだから、ひとりではどうにもならない。
向こうが好いてくれないと恋愛は成立しない。
けれども片想いなら、相手がどう思おうが一向にかまわない。
相手に配偶者がいようが恋人がいようが片想いならば迷惑をかけない。
片想いをしたいと思った。
墓参りの日はたいがい雨なのだが、この日はめずらしく晴れた。
墓のまえで寿司を食べた。酒をのんだ。

(参考)「大きな片想い」
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/ookina_kataomoi.htm
昨日のことである。「原一男 息子」で検索が集中した。
雑誌テレビライフを見て納得。NHKの有名番組に原先生が出演したのか。
「課外授業ようこそ先輩」。先生はドキュメンタリー監督の原一男さん。
小学6年生ぜんいんに映画を作らせる。対象は母。「母を撮る」――。
調べると深夜に再放送があったので先ほど視聴した。

原先生は変わらないな。髪の毛も黒々としているし。
だれも62歳なんて信じないのでは。独特の口調が懐かしかった。
まず子どもに自作のドキュメンタリーを見せる。
「極私的エロス・恋歌1974」。
自作の白黒映画を小学6年生に見せてから――。
母を撮ろうとなる。
原先生自身が生前の母を撮ることができなかった。
だから、おまえたちは撮っておけ、というのである。
しかし、だらだら撮っても仕方がない。
「狙って撮る」、原先生は黒板に大書する。狙って撮らなければならない。
たとえば、こんなことを聞いてみたらどうだ。
僕を私を出産したとき、どんなことを思いましたか。
このあとに原先生はやばいことを言う。
ある生徒が、お父さんがいないことを告げる。
「ならどうしてお父さんと離婚したかお母さんに聞いてみたらどうだい?」

ふだんなら聞けないことを聞かなければだめだ。
勇気をだして、えいやと聞いてみる。
そういう苦労をしないといい映画は撮れない。
いつもだったら聞きにくいことを、映画だからと聞いてみる。
たとえば、そうだな。お母さんに、こんなことを聞いてみないか。
「お父さんのことをほんとうに好きですか?」
知りたいと思う。真実を知りたい。そこから映画を作っていく。
映画監督・原一男の生きかたである。

もちろんそこはNHK。
危ない方向へいかないようにエリート社員が「過激な映画監督」を監視する。
子どもたちが撮るのは、いかにもNHKらしいほのぼのとした映像である。
原先生も、ことさら変なことを学童にけしかけたりはしない。
なみだもろいおじさんと少年少女の牧歌的な交流は美しい。
このおじさんには秘密があった。当時中学生だった息子を自殺で亡くしている。
クライマックスは子どもの撮った映画の上映会である。
子どもやその母親たちと完成した映画を見る原先生の視線はあたたかい。
まとめに入る。原先生の生徒へのラストメッセージ。
「私は子どもを自殺で亡くしています。中学1年生でした。
みなさんもこれから難しい時期に入ります。
死と生のあいだで揺れるようなことがあるかもしれません。
けれども、そのとき死のほうへいってはいけません。死んではいけません。
きみたちはきょう、母親の愛を知ったでしょう。
お母さんはきみたちを生むのにどれだけたいへんだったか。
死んだりしたらお母さんが悲しみます。死んではいけません」

出産したときのことを生徒に聞かせた理由がここで明らかになるわけである。
いわゆる感動的な番組だったと思う。無難で手堅い作品である。
難癖をつける気はないのだけれども、たとえばこんなことを考えてしまう。
ひとりくらい両親を離婚に追い込んだ児童はいなかったのか。
みんながみんな原一男のような芸術家的夫婦生活を営んでいるはずがない。
どこの夫婦も、真実をなるべく見ないようにして生活しているのでは。
夫を本気で愛しているか。
こういう難題と正面から向き合ったら家庭なんてあっという間に崩壊してしまう。
愛だなんだというきれいごとに目をつむって
日々をやり過ごしているのが現状ではないか。
むろん子どもはもとより結婚経験のないわたしにはわからないことだが。

しかし、である。
子どものいる夫婦がそうそう愛した恋したとやっているわけがないとは思う。
そうした夫婦。いや、母親か。母のまえに子がカメラを持って現われる。
子どもが聞いたとする。子どもらしい残忍さ(純真さともいう)で、こう聞いたとする。
「お母さんは、お父さんのことをほんとうに愛している?」
1週間くらい毎日子どもがこれをやったらおかしくなってしまう夫婦もあるかもしれない。
言うまでもなく、仮定の話である。テレビを見るかぎり実際はそうなっていない。
けれども、もし子どものカメラのせいで両親の関係がおかしくなったら――。
そのとき原先生はどうするのだろう。
この程度のことで壊れるくらいなら壊しちまえとでも言うのだろうか。
片親に育てられたこの映画監督は両親の不和に苦しむ子どもの絶望を知らない。

「お母さんは僕を生んだとき、どんなことを考えた?」
わたしも、聞いたことがある。
この映画監督から聞けといわれたわけではないが、
当時、大学で原先生に教わっていた。
両親の不和に悩んでいた。切り開きたいと思った。真実が知りたかった。
あれは母にカメラを向けていたようなものであった。
ほんとうのことを聞かせてほしいと思った。
なんでこうなってしまったのか。これからどうすればいいのか。
母と向き合う過程で、ひどく母を苦しめた。傷つけた。
結果、母は自殺してしまったのである。
息子の目のまえで。名前を呼んだすぐあとに。ぽんと飛び降りてしまった。
わたしが知りたかったのは、血まみれで倒れている母ではなかった。

原先生は児童に自殺はよくないといっていた。
これを批難するつもりはない。
子どもを亡くした親の当たり前すぎる感情であり、訴えだ。
一方で、母を亡くした子はこう思っている。
自殺は、うん、わからない。ぜったいにしてはならないとは思わない。
自殺したほうがいい人生というのもあるんじゃないかな。
わからない。母の自殺から7年。まだわからないことばかりである。
7年。結局、このままで終わってしまうのかな。
「オトシマエをつけんとな」
母の自殺を報告したわたしに原先生は言った。オトシマエ。
世に出ることがオトシマエだと思っているわけではないが、
いまのところまったく芽が出ていない。五里霧中である。
問題が大きすぎてどこから手をつけたらいいかまるでわからない。
ふふふ、原一男の弟子らしくもない弱音を吐いてしまった。
演戯過剰で元気いっぱいの師匠を見習わなくてはならない。
こんかいのアジア漫遊でなにが変わったかといえば白人への向き合いかたである。
東南アジア各国でのファラン(白人)旅行者の横暴を目の当たりにして嫌気がさした。
かれらにとっては東南アジアはむかしもいまも植民地なのである。
白人は東洋人の区別がつかない。タイ人もベトナム人も日本人もみなおなじに見える。
(まあ、大多数の日本人も欧米人の相違はわからないがね)
白人にとってアジアの人間は奴隷に過ぎない。
少なくとも白人よりは一段下に位置する人間である。
だから白人は東南アジアで堂々と英語で現地の人びと話しかける。
通じないと、なんて遅れているんだとあきれる。
われらが白人の誇る近代文明を模倣しながら英語も話せないのか。

ファランに媚びる日本人もいやでたまらない。
たとえば映画監督の原一男さん。勝手に師匠だと思っている。
このひとも自作になんとか賞を受賞と、欧米系の勲章を飾るのを好む。
むかしは日本では正当に評価されてないんだなくらいに思ったものである。
いまは少しちがう。あんまり欧米にへつらうなよ原さん……。
この映画監督だけではない。
日本のアーティストはむやみに欧米からの評価を求めるでしょう。
アートだけではない。アカデミックの世界でもそう。白人様に認めてもらいたがる。
じゃあ、そのファラン様がどの程度、日本をわかるかと思うのね。
かれらの理解できるのは、欧米の基準に当てはまった箇所だけでしょう。
日本独自のすばらしさは欧米人には決してわからない。
日本人がイギリス人よりもシェイクスピアを理解しているなどと主張しようものなら、
あいつらは烈火のごとく怒るはずである。
日本人がファランに認めてもらうためには、
世界のニナガワ(笑)のようにニッポンを欧米人にもわかるよう表現しないといけない。

アジア漫遊に出るまえは、洋物は嫌いではなかった。
むしろ、演劇などでは日本は遅れていると思ったものである。
英米演劇が大好きだった。
いまはちがうね。複雑な感情を要約するとこうなる。
けっ、シェイクスピアも所詮はファランじゃねえか!
あれだけ好きだったシェイクスピアもいまはへだたりを感じる。
かえって、恥ずかしがらずにこう言いたいくらいの気分である。
山田太一のほうがシェイクスピアよりも上である。
ストリンドベリよりも、ユージン・オニールよりも、山田太一のほうが優れている。
宮本輝のほうがフォークナーよりも上である。
まあ、この上下を決めたがるのもはなはだ欧米人的な思考法ではありますが……。
ベトナムのサパという村から、あれはどこに行くツアーでの出来事だったか。
いま引越の関係でガイドブックが手元にないので、正確な地名を記すことはできないが、
週に1回行なわれる少数民族のマーケットへ行ったときのことである。
サパからツアーのバスが出ている。
朝、ミニバスが各ホテルをまわりツアー参加者をひろっていく。
わたしのホテルへくるまが来たのは最後であった。
補助席しかあいていないのでやむなくそこへ座る。
ひどく座り心地が悪いのである。サパは山の上にある。
バスでくだっていくとき、きついカーブが無数にある。
そのたびに両手で座席をおさえなければならない。
これはまいったと思った。このシートに2時間も座っていたらへとへとになってしまう。
車内のツアー客を見まわす。ファラン(タイ語で白人)ばかりである。
補助席がほかにもいくつかあるがそこに腰を下ろしているのはファランではない。
見たことがある顔だ。サパへ来るときおなじバスになったタイ人ではないか。
女性だけのグループである。
なにを言いたいのか。正規の椅子を占めているのはファラン。
補助席に座らされているのはアジア人(有色人種)ということだ。
ツアー会社のベトナム人はファランを優先するのだろう。
ファランのホテルからおうかがいする。
おなじカネを払った観光客でも、肌の色によってこうもちがいがある。
だれもそれをふしぎに思っていない。
ファランは白人がいい席に座るのを当たり前と思っている。
ベトナム人も同様。タイ人もいまの座席に不満を持っていないようである。

わたしのシートはことさら環境が悪くバスが揺れると座っているのでさえ苦痛だ。
右隣のファランは哀れんだような笑みをもらしている。決して悪意があるわけではない。
白人がアジア人に見せる、どこか上から見下したような、例の余裕あふれる微笑である。
きみもたいへんだな。同情するよ。せいぜいがんばってくれたまえ。
痩身で癇の強そうな中年である。聞いていないので国籍はわからない。
夫婦で旅をしているようだ。奥さんがうしろの席に座っている。
バスがとまる。休憩である。
みな下車して、トイレへ行ったり、のみものを注文したり、さまざま。
わたしはひと足さきにバスに戻った。座席を右隣に移動するためである。
あの座席には耐えられない。なぜ日本人ばかり苦労しなければならない。
いまがマーケットへの中間地点。ファランもおなじ苦しみを味わったっていいじゃないか。
ここはわたしの座席だ。でんと腰を下ろした。
さあ、あの白人がやってくる。余裕たっぷりの笑顔をまだ崩していない。
「きみはあっちの席だろ」
こちらもにこやかに微笑して言い返す。
「あなたはこの座席を経験したほうがいい。きっとベトナムのいい思い出になる」
ファランはじぶんが命令すればアジア人は言うことを聞くと決めてかかっている。
そうはいかないぜ、おっちゃん。日本人は、わたしは、ちがうのである。
どかないで居座る。白人の顔から笑みが消える。
いきなり激昂する。こんな屈辱に耐えられるかといった顔つきである。
余裕を失った白人はおもしろいと内心では思うが、こちらも怒った顔をする。
こういうときは怒っていることをアピールしなければならない。ノーはノーである。
「どきなさい。そこは私の席だ」
「ならチケットを見せてみろ。ここがあなたの席だという証拠を!」
「ある、あるぞ……」
「いますぐ見せなさい。早く」
あるわけがないのである。どのみち早い者勝ちで決められた座席である。
なら休憩時間におなじことをやってなにが悪いものか。
「あなたもわたしもおなじ金額を支払っている。
わたしは移動しない。あなたがここに座りなさい」
ファランは狂ったような大声をだす。許せないのだろう。
白人のじぶんがこんな劣等な座席に座ることなどできるわけがない。
それもアジアの若僧に命令されて。白人は狂乱する。
「どけ、どけ」とわたしをちからづくでも動かそうという様子である。
こちらも狂わなければならない。負けるわけにはいかない。
手に持っていた水のペットボトルを壁にたたきつける。音をだすわけだ。
「今度はおまえがここに座れ。シット・ダウン・ヒア!」
車内はツアー客が集まっている。みながこのあらそいに注目している。
アジアの黄色い猿があろうことか白人様の座席を奪ったのである。
白人と猿が怒鳴りあっている。

旅行会社のベトナム人が仲裁に来る。
ファランに運転席の横はどうかとすすめている。
代わりにベトナム人が補助席に座るというのである。
「ああ、それならいい。こんな席に座れるもんか」
ファランはわたしをにらみつけるとバスの前方に移っていった。
これで終わりではないのである。バスが動きだす。なにかおかしい。
みなわたしのほうを見ているのである。うしろを見て、理由がわかる。
白人女性。先ほどの男の奥さんである。インテリぶった眼鏡をかけていた。
彼女が両手でなにかをつくりわたしに向けている。
中指を立てていたわけではなかったが、
こちらを侮辱するポーズだというのはすぐわかった。
国ごとで風習は変わろうが、このような敵対感情は正確に伝わるものである。
なみだぐましい夫婦愛ではないか。ハズバンドのかたきをじぶんが討つとでもいうのか。
真剣な表情でわたしへの怒りを両手で表現している。
こういうことができるのは白人ならではと感心する。
だが、感心してばかりもいられない。車内にいるファランがどうなるか注視している。
このときわたしが取った行動は考えたうえのものではない。
とっさにからだが動いたというほかない。
うしろを振り返る。白人のおばさんと目が合う。
それでも彼女は両手のポーズを崩さない。視線が衝突する。
わたしはペットボトルの水をゆっくり口にふくむ。
おばさんの顔にふきかけてやろうかと思ったそのとき、彼女はノーと顔を両手で覆った。
いきおいファックユーの意思表示もかたちを崩す。わたしは口中の液体をのみこんだ。
もし白人があの手真似をやめなかったら実際に水をふきかけていたかはわからない。
まわりがぜんいん敵のような気がしていた。みな白人である。
タイ人のグループもいるが補助席でよしとしている。
なにか成し遂げたという思いで、わたしは興奮していた。

このとき思ったのである。この構図をどこかで見たことがあるのではないか。
日本人が乗り物に入るといい席はどこも欧米人が占領している。
おなじアジア系のタイ人はひどい座席に座らされているが苦情を言わない。
わかりましたよね。明治維新のころの世界と日本との関係――。
いい座席たる植民地は欧米各国ですでに分配されている。
正当性があるわけではない。早く来たという理由だけである。
先に近代化に成功した。それだけに過ぎぬ。
ところが日本は乗り遅れた。バスに乗ってみたら最悪の座席しかなかったのである。
居心地のいい座席の数は限られている。どこかにあけてもらうほかないわけだ。
このときいい座席を求めて他人が座っていたところへ腰かけるのは、
そこまで悪いことかな。
日本人は乗り遅れたという理由だけで、我慢を強いられなければならないのか。
休憩でもなんでも椅子があいたら、さっとそこに座ってしまえばいいじゃん。
嫌味を言えば、あなたたちの信じるキリスト様は
隣人を愛せだのなんだのと言っているのでしょう。
問題は、戦前に日本がやったことを責めるべきか、である。
侵略戦争だと他国へ土下座してまわらなければならないのか、だ。
ほんとうである。このとき、ベトナムで、バスの車内で、こういうことを考えた。
結論は、日本はそこまで悪くはないのではないかであった。
よくない席をあてがわれたらそのまま座っているべきか。
タイ人のように白人様のご機嫌をうかがいながら。
むしろ、とまで思ったものだ。
よくやった。日本よ、かつての母国よ、よくやってくれた。
むかしの日本には骨があった。ファランヘ「どけ!」と言えたのである。

個人的な体験から飛躍しすぎだとお叱りを受けることだろう。
そうかもしれない。そうなのだろう。けれども――。
あの世界大戦も、あるいはこの小事件といささかは事情が似通っていたのではないか。
歴史にも国際政治にも疎(うと)い愚者の妄言をどうかお許し願いたい。