帰国してから1週間。
いまさらのようだが各方面に礼状(メール)を書く。

写真を送ってくれた中国、大学院生のHくん。
カメラを持たない旅だったので写真はこれだけである。
ちなみにわたしは雪山をバックにぎこちない笑顔。
中国人とはいえ、年下になめられたくないので久しぶりに和英辞典を開く。

それから天水でご馳走になったWさん。
北京在住の38歳。奥さまお子さんによろしくと書いた。
「あなたに会えてうれしい」
中国語でかれはそう言ってくれた(そのくらいの中国語ならわかる)。
わたしのほうこそですよ、と書いた。

ベトナム、ニャチャンでお世話になったOさんにも礼状を。
思えばこのベトナムの居酒屋めあてに国外脱出したのかもしれない。
すてきなご主人であった。

満州でお世話になったXさんにもメールを送る。
記憶のないのがまこと恥ずかしいが、Xさんのまえで酔いつぶれたようである。
詫びるしかあるまい。

日本在住のMさんにもご迷惑をかけた。
いくらお土産を持参したとはいえ、まだ感謝は足らないように思う。
お礼まいりというと危ない不良のようだが、
つぎこそかんぷなきまでに酔いつぶしたい。
いな、酔いつぶれる幸福を味わってもらいたい。

日本に1週間もいるともうダメだ。
この国のくだらない(すばらしい?)価値判断基準が当たり前になってしまう。
忘れてはならない。日本だけではないことを。
世界各地に日本を非常識と笑う国がある。日本だけが絶対ではない。
ややもすると日本に押しつぶされてしまう。
忘れてはならぬ。海外を。あなたの笑顔を、あなたの言葉を。
本日、放送された「星ひとつの夜」の感想を記す。

これまでの山田太一ドラマのベクトルは「ホント→ウソ」だったわけである。
ありきたりなウソが圧倒的なホントにくつがえされあわてる登場人物たち。
ホントに翻弄されながらも人間は新たなウソを求めていく。
たとえば家族。家族という人間関係はウソでしょう。フィクションだ。
なにかあればあっという間に崩壊してしまう、もろいきずなに過ぎない。
だから壊せと山田太一は言うのではない。
ウソでなにが悪いとひらきなおる。あえてウソを生き抜く人間がいてもいいではないか。
ウソである家族をそうと知りつつ守る尊さを、
このシナリオ作家は代表作「岸辺のアルバム」で描いている。

最新作「星ひとつの夜」へ話を移す。
玉木宏はウソを生きる若者という設定。
仕事はデイトレーダー。自宅のパソコンで株の売買をしている。
いまでは取引金額が90億円(!)である。
インターネットがバーチャル(ウソ)の世界だとは批判的な文脈でよく語られる。
玉木宏の母であるいしだあゆみはウソに生きる息子を認めていない。
汗水流して働けという。
そうして勉強していかなければダメな人間になってしまう。
人間は苦労をして成長するものだ。
若い人間が多額のカネを手に入れたらおかしくなってしまう。
カネのありがたみがわからなくてはダメだ。
それではいつまで経っても人間というものがわからないじゃないか。
いしだあゆみは息子を(少なくとも)ドラマのなかでは許していない。
旧来の考えかたといえよう。

だが、デイトレーダーの玉木宏を理解する中年が現われる。
渡辺謙だ。清掃員をしている。低賃金のブルーカラー。
まさしく玉木宏の正反対の存在である。
渡辺謙は玉木宏のなりわいを否定しない。肯定する。
それでいいんじゃないかな。
たしかにそういう生活をしているとゆがみも生じるであろう。
将来、困ることがあるかもしれない。
けれども、かんじんなことは生き抜くことではないか。
ウソでもホントでも生き抜くことだ。
きみはそういう生きかたを選択した。なら生き抜くことである。
それに、だれがホントの現実を知っているというのか。
パソコンに朝から晩まで1日中へばりついている若者が
どうして現実を見ていないと言えよう。
玉木宏だって現実を見ているんだ。

しかし、なにゆえ渡辺謙は、玉木宏の地に足着かない生活を認めることができるのか。
かれもウソを生きる男であることがドラマ終盤明らかになる。
渡辺謙は11年の刑務所暮らしを経て出所したばかりである。
罪状は殺人。愛人を絞殺したとして司法に裁かれた。
ところが、かれは実のところやっていない。愛人を殺してはいない。
どういうわけか状況証拠はすべて渡辺謙に不利に働いた。
「おれが検事や裁判官でも有罪にしただろう」
渡辺謙のことばである。
現実にはこういうことがある。どうしようもないことがある。
これが現実。事実。ホントだ。
おれは殺していないのに、どうしようもなく殺人犯にされてしまった。
弁護士もこのままあらそうより罪を認めたほうが早く出所できるという。
渡辺謙は弁護士の助言にしたがう。
やってもいない殺人の罪で11年も服役したのである。
かれは殺人をしたことになっている。
そう、渡辺謙もウソを生きているのである。ウソを生きざるをえない。
がためにウソとホントの残酷な関係について何度も考えた。

常識人なら自宅で株を売買するだけの若者を認めないだろう。
ウソの生活だと批判するに決まっている。
だが、「きつい現実」を見てきた渡辺謙はことなる。
玉木宏だって、じゅうぶんに現実を生きているではないか。
じぶんがこのウソの人生(=冤罪)を生きてきたのとどこに変わりがあろう。
渡辺謙は玉木宏に語りかける。
ホントだけじゃつまらないよな。
だけど、ホントはすごいこわいんだ(冤罪で11年!)。
ついウソにもすがりつきたくなる(もしやほんとうに殺人をした?)。
山田ドラマの骨子である。繰り返す。
現実はつまらない。同時に、現実は恐ろしいものだ。事実はやりきれない。
だから、人間はフィクションにすがりつく。

現実にこんなことがあるかと憤る視聴者もいるであろう。
たしかに、である。現実にこんな出会いがあるわけがない。
ドラマで何度も言及されるように、ふたりは「不自然なつきあい」である。
番組の最後にテロップで流れるとおり「このドラマはフィクションです」。
現実にあった話ではない。作りごとだ。嘘八百にすぎぬ。
それでもいいではないか。現実はつまらない。現実だけではつまらないじゃないか。
ウソにすがりついて悪いもんか。
しかし、現実ってなんだ。おい、視聴者よ。おまえの言う現実ってなんだい?
それは果たして絶対といえるか。
世の中には自宅でパソコンをいじくるだけで何十億も稼ぐ人間がいるんだぜ。
これはウソじゃない。ホントだ。現実である。
これまでフィクションと言われたらたまらない。
どうだい? 現実はこわいだろう。ホントには寒気がしないか。
しだいに、ドラマ世界のウソとホントの見分けがつかなくなる。
もしかしたら、と思う。もしかしたらこんな「不自然なつきあい」もあるのかもしれぬ。
現実は想像以上である。だとしたらば――。
じぶんの人生にも、あるいは、まさか、いつか。

「星ひとつの夜」。明けない夜はない。星ひとつの夜にも朝が来る。
玉木宏はホントを追求しようと決意する。ウソではないホントを。
これまでの山田ドラマとは反対である。
山田太一は2007年、ウソを求める人間ではなく、ホントを求める人間を描いた。
大金持の玉木宏はふんだんな資金をもちいてこの冤罪事件の再調査を開始する。
真犯人を捜し始める。ウソではなくホントを。
日本のテレビドラマを牽引してきた巨匠の眼をここに見るのは飛躍しすぎか。
現代日本はウソばかりである。
むかしなら人間を脅かしたようなホントもいまは見えなくなっている。
ならばホントを。どこかにきっとあるホントを求めてみたらどうだろうか。
かつてはウソにすがって人間は生きた。
暗い「星ひとつの夜」に光る星はウソであった。
だが、現代――。
この孤独地獄という暗闇に光る星がもしあるとすれば、それはホントではないか。
光は人間にあるのではないか。
ドラマ冒頭、保護司の井川比佐志は出所まもない渡辺謙に助言する。
このせりふこそドラマ「星ひとつの夜」全体を動かした起点である。
「孤独はいけないからねえ」
5月20、日曜日――。
ここ湯田温泉は、山頭火が風来居をかまえた土地。
あさその跡地と思われるところをぶらぶら歩く。
句碑もとりあえず見ておく。
「ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯」

列車で新山口駅へ。
このへんは小郡とよばれている。
其中庵(ごちゅうあん)と名づけた住居に山頭火が7年住んだことで知られている。
地図を手に入れなくてはならない。
観光案内所がどこにあるかと駅員に聞くと、反対側の出口だという。
時間がかぎられているので、いきおい駆け足になる。
夜の8時までにすべての観光を終わらせなくてはならない。

地図をたよりに小郡文化資料館へ。
山頭火の展示コーナーはほんとちっぽけなもの。
それでも、ある感慨をいだかずにはいられない。
山頭火の使用した物品が陳列されている。
直筆と思われる揮毫(きごう)に目をうばわれる。
「母ようどんそなへてわたくしもいただきます」
放浪の俳人が、自殺した母の47回忌に作った句である。
母よ、母よ、母よ。
母とは、生まれ落ちしふるさと。帰るべきぬくもり。
山頭火は、根源的なふるさとを消失している。放浪するほかないのだ。

小郡にはほかに其中庵がある。
もちろん当時のものではなく観光用に復元したもの。
資料館のかたに其中庵で昼食を食べてもいいかたずねると、どうぞどうぞとのこと。
まさかお酒をのんでもいいかとは聞けませんが、まあ昼食がいいならおそらく。
それになんといってもあれだけ酒を愛した山頭火の住居跡。
管理している役人が許可しなくても、真の庵主は笑って許してくれることでしょう。
近くのローソンに行くと「山頭火」という銘柄の生酒が置いてある。
300mlで400円なり。ほかに発泡酒を1本購入。
お弁当はチェーン店の小僧寿司で仕入れる。

其中庵は住宅地をわけいった場所にある。小高い丘のうえである。
うれしいことに日曜日だというのにだれもいない。
管理している係員もいないのである。
おじゃましますとつぶやきながら障子をあけはなつ。
窓もあけると風通しがよろしい。
山頭火ふうの袈裟(けさ)が壁にかけられている。
ほかには山頭火の位牌らしきものも。
東京に住んでいると、このような無防備に驚いてしまう。
だれでもかんたんに持っていくことができてしまうではないか。
このあたりが田舎ならではのおおらかさなのかな。
あるいは、山頭火好きにおかしなひとはいないという信頼があるのか。
お昼時である。
おもむろに弁当をひらき発泡酒をのみはじめる。ひきつづき銘酒「山頭火」。

其中庵で山頭火とひとり、である。
この場合の山頭火は酒の銘柄だが。
あけはなたれた障子。ふきぬける風。青空がなんともすがすがしい。
旅の終わりを感じる。
最後にこの其中庵に来ることができてよかった。
まさか其中庵でひとり、酒をのめようとは。
これを草葉のかげからの、かの俳人のおはからいだと思うのは、
あまりに都合のよい妄想なのはわかっている。けれども――。
まるで山頭火がすぐそばにいるかのようなのである。
小僧寿司の「旬鮮寿司」が思っていたよりもはるかにうまいのもうれしい。
いわゆる海鮮ちらしである。
680円とは思えないほどの刺身が飯のうえに盛られている。
久しぶりのウニがなんともいえぬよろこびである。

ゲストブックが置いてある。
ここを参観した旅行者が一筆感想をしたためるのだ。
ぱらぱらながめる。やはり関東からは少ない。近場からの観光客が多い。
「おれは偉くなってみせるぞ 学生」
微苦笑する。
かと思えば、青年時代の山頭火への耽溺を、
懐旧の念とともにつづった老人の記述もある。
わたしも、なにか、書こうか。
タイ、ベトナム、カンボジア、中国を経て、ようやく山頭火へ到達しました。
たとえば、こんなことをである。
気恥ずかしくて、けっきょく書くことができなかった。
ここに記録を残さなくても、山頭火を訪問した事実は変わらない。

13:10の列車で広島へむかう。到着するのは15:50。
ぬるいなと思う。日本での旅は楽すぎて張り合いがまったくないではないか。
ことばが通じるのがなによりよくない(のか? 笑)。
新幹線だと広島まで1時間もかからないらしいが、
中国がえりがそう贅沢するわけにもゆかぬ。
そうそう、山口県でよく聞かれて困ったことがある。
どこから来ましたか、である。
まさか東南アジアを1周、中国を1周してから、とはいえまい。
あいまいな笑みとともに、えーと東京ですと答えるしかない。

定刻に広島駅到着。
平和記念館がしまるのは6時だから、あと2時間しかないことになる。
路面電車へ駆け込む。
切符の買いかたがわからないので近くの乗客に聞くが驚いたような顔をするだけである。
ああ、ここはアジアではない。いな、アジアだが日本なのである。
タイ、カンボジア、ベトナム、中国ではわからないことがあると、
すぐそこいらのひとに聞いたものである。
身振り手振りでかれらは教えてくれた。だが、ここは日本だ。
あっちと指さされたほうを見ると案内所があった。
路面電車では切符がそもそもないらしい。降車時に現金で支払う。

「原爆ドーム前」下車。
広島。とうとうほんとうのゴールについてしまった!
もうあとは帰るだけだ。そのような感動がこみあげてくる。
これはことさら原爆ドームに感銘したわけではないということだ。
いうなれば自己陶酔である。わが旅の終わりに胸熱くなったにすぎぬ。
平和記念館の入場料は、わずか50円。
多くのひとに見てもらいたいということなのでしょう。

感想は、なんだかな。ちょっとちがうんじゃないか。
てっきりグロかと思っていたのである。
これでもかと原爆の悲惨さを訴えているかと。
ところが、やたらと教育的なのである。啓蒙的というべきか。
大嫌いな左翼の、きつい悪臭に思わず顔をしかめてしまう。
偽善的なのもやりきれない。
原爆を落とした敵国アメリカへの恨み節が皆無なのだから。
世界から核を廃絶しようと未来に目を向けている(つもりなんだろうな……)。
これが中国だったら――。
中国旧満州地方には日本軍(日本国)を非難する観光施設があふれている。
こんなところへ観光に来る外国人客は日本人くらいと思われる。
その日本人から高いカネをふんだくって日本の悪口を読ませるのが中国だ。
わざわざ日本語の説明をつけているのもいやらしい手口。
けれども、かの中国のほうが日本の原爆資料館よりよほどすっきりしている。
わざとらしい偽善がないのがかえって心地よいくらいだ。
原爆を落としたアメリカへ怒ることなく、
シナ人、朝鮮人(強制連行したとされる三国人)へ土下座する広島平和記念館――。

たとえばカンボジアにはキリング・フィールドがある。
内戦時代の大量虐殺の跡地である。
なんの罪もない市民を、政治犯の名のもとにかたっぱしから処刑した。
この観光名所には掘り出された頭蓋骨がそのまま山のように積まれている。
いちおう禁止のむねは書かれているが手でさわることも可能である。
なんともいえない事実の重みに胸打たれたものだ。
しかし、広島は――。
事実を(左翼)思想で歪曲していると書いたらお叱りを受けるのだろうか。
平和がいちばん! 戦争ぜったい反対! 命はなによりたいせつ!
けっと舌を打ちたくなる。
肥えたおねえちゃんが展示された写真を見ながら泣いている。
興醒めするったら、ありゃしない。
どうせ1週間もすれば忘れるくせに、いっときの同情でそう泣くなよ。
あざ笑ってやりたくなるわたしはなんと根性が曲がっていることか。

広島の痛みは当事者にしかわからない。
体験していない人間がそうやすやすとわかるものではないのである。
痛みは、苦しむしかない。もだえるしかないではないか。
それがどうして核廃絶の運動になってしまうのか。
みんなで活動しようとなってしまうのか。
当事者(家族ふくむ)が痛みを忘れるために左翼運動に走るのならまだわかる。
だが、まったく原爆と縁のないものが政治運動(平和運動)をするとなると――。
それは他人の痛みを利用しているだけなんじゃないかといいたくなるのだ。 
なんにもない人生。広島の痛みをネコババして人生に重みをもたせる。
このような左翼的な生きかたが不愉快でしようがないといっている。
広島平和記念館はがいしてそうではないかといっているのだ。

やばいぞ。右翼かなわたし……。
平和記念館はファラン(白人)が多い。これにも吐き気がする。
腕をくんで真剣な顔でなにを考えていらっしゃるんですか?
なんだい、おい。人類について思想してるってか。つばを吐きかけたくなる。
この異常なファラン嫌いは、いったいなんなのだろう。
じぶんでももてあましている。ファランを見るとにらみつけたくなるのだから。
記念写真をぱしゃぱしゃ撮りやがって。
ハッピーですか。原爆をエンジョイしてますか。問うてみたくなる。
おもてへ出る。あるグループに目をひかれる。
日本人一家に、若いファランがひとり。
日本人の娘と、このファランは愛しあっているようだ。
結婚をするのだろう。ひとつ歴史を見つめなおそうというのですか。
平和。自由。恋愛。幸福。
すべてをぶち壊してやりたくなるいじけたわたしが広島にいる。

夕飯はお好み焼きにビールを1杯。
「中生(チュウナマ)」といったら通じなかった。
おかしな顔をされた。広島では生ビールをなんとよぶのでしょうか。
若いおねえちゃんの集団が鉄板のまえで腕をふるうおっちゃんと談笑していた。
「わあ、かばちたれってはじめて聞きました~。広島弁なんですよね~」
食べ終わるとこうである。
「おいしかったです。ありがとうございます」
ありがとうございますの大合唱。
客として入っておいてこんなに感謝をするのはやはり日本人ならではか。
礼儀正しい、よき娘であることよ。
あと、そうだ。
バスを降りるとき、ありがとうございますと乗客が運転手にいうのを耳にした。
あれはいったいなんだったのでしょうか。
広島名物のお好み焼きはちっともうまくない。ビールで流し込む。

深夜バスの乗り場はすぐわかったが東京行きが4台もある。
どれに乗ったらいいのかわからないので付近をたむろしている運ちゃんにたずねる。
「知らんじゃけ」
冷たいものである。
アジアではたくさんバスに乗ったが、まったくわが故国は……。
あるいは、もしやあれは外国人だったからみんな親切にしてくれたのかもしれない。
高速バスのなかで日本を強烈に意識する。
だれも話さないのである。そのかわりに「すみません」。
すいません、ちょっといいですか。
あ、すいません。
すみません、すみません、ニッポン人ですみません♪
タイ、カンボジア、ベトナム、中国。
どの国でも、たまたまバスに乗り合わせたひと同士が語らうのを目撃した。
あたかも旧知のごとく談笑するので驚いたものである。
3ヶ月半もアジアをふらふらするうちに、
いつしかそれが当たり前だと思うようになっていた。
ところが、日本はちがうのである。
見知らぬもの同士は会話しない国。すいません、すいませんの母国よ。
ここは日本なんだなと思う。
喘息(ぜんそく)のひどい発作に見舞われる。
もうてっきり治ったものと思っていたらこれである。
タイ、カンボジア、ベトナムと旅をつづけるうちに喘息はどんどんよくなっていった。
中国では冬山と初夏を交互するようなこともあったが喘息はでなかった。
それが日本に帰るとふたたび復活する。
空気は日本のほうがよほどいいのである。とすると、心理的な原因。
すいません、すいません、喘息ですみません。

高速バスは定刻の8時に東京駅へ到着する。
これも日本だよな。
チケットにはただし書きがあって、高速道路工事中のため大幅に遅れるとある。
途中、運転手さんへ聞いたときも、まず定刻には着かないといわれた。
ところが、こうである。
アジア諸国のバスなら、定刻に着く着くといいながらかならず遅れる。
日本は遅れる、かならず遅れる、すみませんといいながら定刻に着いてしまう。
ともあれ日本だ。東京である。
帰ってきたか。終わった。ついにこの旅も終わったか。
はらのそこから息を吐きだした。
けさ下関に上陸。
二泊三日の船旅はとてもたのしいものでした。
一期一会はもう船旅にしかないのかもしれません。

ただいま山頭火の生誕地、山口県の防府(ほうふ)におります。
カップ酒をふたつもって墓参いたしました。
一杯はじぶんが。もう一杯は山頭火の墓石に献酒。
まあ、ぶっかけたわけです。
あれだけ酒の好きだった山頭火のこと。
安酒ですが、よろこんでくれたと信じたいです。

山頭火とわたくしは境遇が似ています。
思い込みの激しさを笑われるかもしれませんが。
まずなんといっても母の不幸。
山頭火の一生は自害したご母堂をとむらうためのものとも言えるのです。
早稲田の文科をでているのもおなじ(山頭火は中退)。
お酒をどろどろにのむのも共通。
甘えた性格もそうであります。
やむにやまれず各地を放浪するのもおなじではないでしょうか。

山頭火の墓石のまえで旅の終わりを報告しました。
山頭火さん、タイ、カンボジア、ベトナム、中国とわたくしは放浪しました。
浴びるようにお酒をのみつづける旅でありました。
終わりました。ぶじ帰国しました。
防府は快晴です。
山頭火のお墓はさびれた寺のなかにあります。
だれもいません。わたくしだけです。
昼日中からカップ酒をのみました。墓石にもかけました。
酒のにおいがあたりにただよいました。
山頭火は言いました。
「おまえになにがわかる。なにがわかるというのか」
返答しました。わかります。わたくしはわかります。

山頭火は終生、無名でした。
地元の防府ではホイトウあつかいされていたそうです。
乞食坊主として見下されていたのです。
それがいまではどうでしょう。
土産物屋には「山頭火糠漬け」というわけのわからぬ食品まであるしまつ。
なにもない町、防府はかつては見向きもしなかった山頭火を、
神仏のようにあがめたてまつっているではありませんか。
皮肉なものです。

こんばんは湯田(ゆだ)温泉で一泊します。
山頭火の愛した温泉です。
あしたは小郡(おこごり)へ向かいます。
ここも山頭火と縁のある場所なのです。
それから急ぎ足で広島をめざします。原爆ドーム。
こんかいのアジア漫遊でいくつか日本軍の痕跡を目撃しました。
戦争を、あの戦争を、わたくしのなかで終わらせなければなりません。
20時広島発の深夜バスで帰京いたします。
ひとは生まれ死ぬ。
けれども、ひとは生きる。
だから、ひとは生きる。

もうすぐこの旅も終わろうとしています。
青島(チンタオ)からフェリーで下関へ向かう。
山口県では山頭火を見るつもりである。
旅のゴールは広島。原爆ドーム。
戦争を終わらせなくてはなりません。

無名でよかった。
日本では、無名であることを嘆いてばかりいた。
今は感謝したい。
無名でよかった。
無名でなければ、こんな旅はできなかったでしょうから。

旅を総括すると人間だ。
人間がよろしい。
人間の記憶がいちばんなのです。
ことに笑顔が素晴らしい。
人間の笑顔。
言葉が通じなくても笑顔は万国共通。
敦煌をアンコールワットを忘れても、あなたの笑顔は忘れない。

ありがとうございます。
何に感謝したらいいのか。
大きなケガも病気もなく、旅を終えようとしている。
凡庸なことしか書けない。
ありがとう。
この旅で会ったすべてのひとに感謝したい。
まるで優等生の感想文じゃないか!
落第生が、登校拒否児が、こんな文章を書いていいのか。
しかし、ありがとうだ。
ありがとうとしか言えません。

ひとは生まれ死ぬ。
けれども、ひとは生きる。
だから、ひとは生きる。
恥ずかしいことを書く。
わたしは生まれてきてよかったです。

(これは、ある親愛なる方のご協力で書き込んでいます)
満州国新京市の地図は偽満州国務院で売っている。
闇でもなんでもなく、正規のお土産商品である。
100元(1500円)と言われた。
かつては20元で購入できたということをネットで知っていたのでねばる。
わたしのちからでは70元が精一杯。
たしかに30元の新京地図もあるのだが印刷がわるく詳細が読めない。
もしかしたらいつか新京を舞台にした小説を書くかもしれぬ。
そのような打算を抜かしても、新京の地図を買えるのはおそらくここだけだろう。
購入したゆえんである。

きょうも酒ばかりのんでいる。
昼は、これは書きたくない。親友のM氏が飼っている犬を思い出さずにはいられぬ。
昼は、ごめんなさい、犬を食べました。
中国東北部の名物だと聞いたので。
犬鍋の小さいの+米飯で12元(180円)。
5元のキムチもたのむ。3ヶ月ぶりのキムチである。
結論から先に書くと犬肉はまずい。
これは入った店の問題ではない。繁盛している三和狗肉店で食べたのだから。
3/4残す。ほとんど食べられなかった。
ちなみに隣の中国人はおなじものをたいらげていた。
のんだビールは2本。

偽満州国務院で新京の地図を買う。
帝宮まえの公園で地図をながめていると、ひまな中国人が集まってくる。
まったく悪意は感じられない。
「それは日本の地図だな」程度。
桜木小学校へ向け歩く。
途中、和風ラーメン店があったので思わず入ってしまう。
コロッケと餃子を食らう。どちらも日本の味だった。
のんだビールは3本。お会計は19元なり(300円)。

なにもないことはわかっているのだ。
父一家の住んでいたところに行ったところでなにもない。
そうとは知りながら胸躍るのが人間である。
父の住んでいた場所は、現在も住宅地であった。
日本の表現を用いれば団地というほかない。
ここに父一家は住んでいたのか。ため息をつくしかない。
騒がしい。わけいると演芸会をやっているではないか。
垂れ幕によると自治会主催とある。
つぎつぎに芸を披露している。
こどもの歌唱、主婦の舞踊、老人の呻吟。芸はやむことがない。
見ていて、なみだをこらえるのに苦労した。
美しいと思ったのだ。
高級ホテルで鑑賞する商業的なだしものよりはるかに美しい。
ここには表現の原点がある。
日常は退屈だ。それでも目立たないように生きている。
けれども、こんな生活は不満がたまる。なんとかしたいと思う。
はけ口をさがさずにはいられぬのが人間だ。

奇跡のようだと思う。
きのうここに来ていたら、この演芸会と出会えなかったのだから。
美しい。世界よ、おまえは美しい。時よ、とまれ!
どこかの博士なら叫んでいたかもしれぬ。それほど美しかったのである。
おそらく60年前。70年前か。
ここに日本人がたくさん住んでいた。
ひとが集まれば祭である。
きっと日本人もここで歌い踊ったことだろう。
あすをも知れぬ人間である。満州国の行末などだれも知らなかった。
かれらは歌ったに違いない。踊ったはずである。
あたかも、そう、きょうのように!
じぶんがいつの時代にいるのかわからなくなった。

近所のこぎたない食堂へ入る。
おそらくこの店へ来た外国人はわたしがはじめてではないか。
フレンドリーでうれしい。
落花生のつまみ。それから回鍋肉。
酒はビールと白酒(ばいじう=きつい焼酎)。
回鍋肉の豚肉が、脂身だけだったのは残念。
帰りはタクシーに乗ってもよかったのだが、
店員さんがバス停まで案内してくれる。
歩きながら、この場所をあらためてながめる。
父一家の住んでいたところである。
まさかこんかいの旅でこのような地域に来ることができるとは。
生きているふしぎに慟哭する。わんわん泣きたくなる。
言うまでもなく、ひとの目があるから泣けないのだが。
もういいだろうと思う。ここまで来たら旅を終えてもいい。
旅の終了を意識する。
そろそろ日本へ帰らなければならない。
個人が行くことのできる限界まで、わたしは到達したのだから。
もう行くところはないだろう――。
瀋陽(奉天)の父の生まれた場所は高級中華料理店になっていた。
中国ではこのような高級店へ入ったことがない。
父の誕生日を祝うつもりで入店する。
さして冷たくないビールが10元である(150円)。
ちなみに町の食堂では冷えたビールが3元(45円)。
メニューの写真をたよりにつまみを注文する。
父は贅沢が好きだった。
懐石料理の店で600円も、700円もする小瓶のビールを愛した。
かつて貧乏をした反動であろう。
よく言っていたものである。
「九州の片田舎から出てきて、つてもなにもない。
そんななかでおれはこれだけのものを築きあげた。
なかなかのものだと思うね」
いっときは居酒屋を3店、スナックを2店経営していた父である。

28元もするつまみは、ちっともうまくない。
父のように高いものを、高いという理由から愛することがわたしにはできない。
それでもビールを3本のみ店をあとにする。
まだそとは明るいのにわたしはほろ酔いである。
ここで父が生まれた。そこへ父の誕生日、息子のじぶんがいる。
「男はな」
これも父の決まり文句である。
「男は3つのものにはまりやすい。
これで人生をダメにしてしまう。
3つ。のむ、うつ、かう、だ。
酒をのむ。博打をする。それから女」
でもな、と父はつづけたものだ。
「おれは、のむ、うつ、かうはやらない」
とんでもない。
のむはやっているではないかと、いつもこのくだりで苦笑したものである。
父はそうとうな酒のみである。
朝と深夜、1日2回酒をのんでいる。のむのはビールのみ。
「のむ、うつ、かうはやらない。
だけど、くう。くうというのは、いちばんカネがかからない。
くうといっても限界があるからな。
のむ、うつ、かうのようにぜんぶ吸い取られるわけではない。
くう。くう楽しみ。くうこと。男はたくさんくえなければならない」

ちいさな床屋があったので、ここで髪を刈る。
もちろんことばなんて通じない。
おばさんはやけに丁寧に髪を切ってくれる。
いいんだよ、と思う。外見をそれほど気にするわたしではない。
父の生まれた場所へなにかを残したかったのかもしれない。
たとえば髪を、である。
おばさん、知っているかい? 何十年もまえ、ここに日本人がたくさん住んでいたんだ。
わたしの父も住んでいたんだ。
満州。狭い島国をぬけだしてかれらは大陸になにを夢見たのだろう。
知っているかい、おばさん。
むかしむかし、ここには野心あふれる日本人がいっぱい、
それはいっぱい住んでいたんだぜ。
こころのなかで呼びかける。
さっぱりして店外へ。生まれ変わったような気がすると書いたらおおげさか。
このへんは、おそらく団地ではないか。住宅街である。

くおう。のもう。もっとビールをのもう。がつがつくおう。
地元ののみすけどもが集まっている串焼き屋があったので入る。
串焼きが0.5元から。きんきんに冷えたビールは3元。
やはりわたしにはこのような安っぽい店があっている。
ようやくこころ落ち着ける場所を発見したような気になる。
きょうは父の誕生日だからと朝から生ビールをのんでいる。
ビールの好きな父を思うとビールでものまないとやりきれない。
もちろん父を愛しているのである。
どれだけ仲たがいしても父子である。
父がわたしのことを思ってくれているのも知っている。
けれども、どうもうまくいかない。
早く文学立身しなければ。どうだ、と父に見せつけてやりたい。
あなたの息子はなかなかのものだぞと教えてやりたい。
なんとかして、どうにかして。
雲をつかむような話なのはわかっている。しかし――。
時間をかけたいという気持もある。
わたしの表現したいのは、そんじょそこらのものではない。
巨大なものを、人間を超える大きなものを、おれは書きたいんだ!
無理かもしれない。無理なのだろう。だが、やってみたいのである。
負けるとわかっていても向かっていくのが男ではないか。
ふふふ、演歌の世界である。父は演歌が好きなことを思い出す。
いっぽうで、息子はむかしから演歌が嫌いである。
いま演歌を聞いたら、あるいはと思う。好きになっているかもしれない。

あたかも、やけぐい、やけ酒である。
意地になってビールをぐいぐいのみ、串焼きをがつがつくらった。
くう、のむ、というより、やっつけるという表現が適切かもしれない。
男は、酒を、のめなければならない。めしを、たらふく、くえなければならない。
でないと、だいいち、元気がでないではないか。立ち向かっていけないではないか。
じぶんが父と似てきているのを感じる。
焼き鳥屋の息子が芸術家になれるはずがない。
つきつめればわたしも焼き鳥屋の感性しか持ちあわせていないのである。
いいじゃないか、とも思う。焼き鳥屋のような作家がいて悪いもんか。
いま父は何歳(いくつ)になっているのだろう。
おぼえていない。とんだ親不孝の息子だ。
しかし、父だってわたしの年齢をおぼえていないのである。
むかしから会うたびに、いま何歳なんだと聞かれた。
にたもの親子である。笑い出したくなる。乾杯だ。誕生日の父に乾杯だ。

日が暮れはじめた。屋外でのんでいる。
店のまえにテーブルと椅子が乱雑に並べられているのだ。
のみながら道行くひとをながめる。
だが、わたしが見ているのは現在ではない。失われた国家、満州である。
串焼きをこしらえている台からは煙がたえまなく天空へ流れゆく。
夕暮れ。朱に染まる大空。こもれびがあたたかい。これが満州の光なのか。
酒をのむ。つまみをほおばる。たまらない気分になる。なきだしたくなる。
ひとは生まれ死ぬ。この旅の途中で何度、ひとりごちたであろう。ひとは生まれ死ぬ。
かつてここに住んだ多くの日本人がいまはもう存在しない。
そうなのか。ほんとうにそうなのか。ほんとうに存在しないのか。
通りを歩く中国人のむなぐらをつかんで問いつめたいような気分になる。
あなたは、あなたは、知らないのですか。
かつてここに多くの日本人が夢と希望をもちながら生きていたことを。
みんな忘れてしまったのですか。だれもおぼえていないのですか。
わたしは、忘れない。忘れないぞ。いくら酒をのもうが忘れるもんか。
祖父は、父の父は、満州で亡くなっている。
言うまでもなく、会ったことはない。
かれは、おじいさんは、どんな気持で満州へ行ったのだろう。
父は満州で生まれた。
出生後、すぐに父が死ぬこととなる。
何度、言われたことか。
「おれには親父がいない。だから、どう父親としてふるまえばいいかわからない」
祖父をうばった満州。父をはらんだ満州。
満州国で、わたくしは、ビールをのんでおります。
だれかへ、どこかにいるだれかへ、大声で叫びたいような欲望にかられる。

いま新京にいる。長春ではない。満州国新京市にいる。
みょうにち、父一家の住んでいた場所へおもむく。
見えるだろうか。期待している。長春でも満州は見えるか。
満州国は歴史から抹殺されている。中国では偽満州国とよばれている。
ふざけるなと思う。なら父はどこで生まれたというのか。
父の戸籍を見たことがある。出生地は満州国と明示されいた。
なぜ満州国がなかったことになっているか。
ファラン(白人)が認めなかったからではないかと邪推したくもなる。
おっと、わたしは歴史には暗い。
書くことのできるのは、せいぜい感傷ぐらいであることを忘れてはならない。
ファランから受けた横暴をすぐ忘れて
日本への怨恨をいつまでもひきずる中国へ物申すつもりはない。
それは政治家や学者の仕事である。
わたしのなすべきことは、いな、なしうることは、
満州を思い滂沱(ぼうだ)するくらいである。なみだを落とすくらいだ。
わたしは、見えない満州国を、見えない満州国民を、この目でしかと見た――。
河合塾の現代文講師、大川邦夫先生がよく言っていた。
見えないものを見ることが重要なんだ。
あれは小手先の受験テクニックだったのか。
講座名は「見えてくる現代文」。
ふしぎな講座であった。
授業は扇情的でとにかくおもしろいのだが、
受ければ受けるほど現代文の偏差値が下がるのである。
宗教家のような老先生だった。
師は、人間修行がそのまま現代文の偏差値向上にむすびつくと本気で信じていた。

いま瀋陽にいる。満州時代の奉天である。
父はここで生まれた。
祖母が詳細な記録をしたためていたおかげで正確な住所までわかっている。
強く念ずればかなう、などとオカルトめいたことを主張するつもりはない。
だが、しかし、まさかである。
きのう町をぶらぶら歩いていたらプリントアウト(中国語で打印)可能な店が。
あるありがたいご縁で入手した旧満州の地図をここでプリントアウトした。
なんたる僥倖(ぎょうこう)か!
北京でならできると思っていたが、その北京を捨てたわたしである。
100元(1500円)払ってもかまわないくらいうれしかった。
しかし、うん、中国人は、言いたくないが、厚顔無恥だ。
ほんとうに100元くれと言ってくるのである。
特別に打印してやったのだから100元だ。
背のたかいお姉さんのことばである。
払えといわれたら払いたくなくなる。少し負けさせ80元で手を打った。
その気になれば50元まで下げられたのだろう。
相場は20元もいかないのではないか(打印5枚)。
だが、この地図は80元の価値はある。うれしかったのである。

あしたは父の誕生日。
この記念日にわたしが歩きまわる町は瀋陽ではない。奉天である。
見えない町を見ようと思う。
ここにかつて日蓮寺が。アパートが。遊園地が。学校が。父の生まれた場所が。
見えないものを見る。人間のふしぎなちからである。
とすれば、狂人はもっとも人間らしいのか。
見えないものを見る。
このことをはじめてわたしに教えてくれた老師はもう物故している。
けれども、わたしは師の顔をまざまざと思い返すことができる。
見ることができると言っていい。
師よ、わたくしは、みょうにち満州国奉天市を歩きます。
ムー大陸さんへ

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こちらからはどうしても書き込めないのです。
ちなみに「避難所」も「逃げたい心」も重くて書き込めません。
それと悪戯をしているそこのあなた! いいかげんやめなさい!

「新京桜木小同窓会ひろば」
http://noura.sakura.ne.jp/sakuragi/bbs39.cgi

タイトル「はじめまして」

ブログ「分け入つても分け入つても本の山」管理人のYonda?と申します。
このたびはいろいろお調べいただき、なんと感謝のことばを申し上げればいいのか。
月並みですが、ほんとうにありがとうございます。
おかげさまで父のいた満州を見ることができます。
まさか桜木町3丁目の正確な場所がわかるとは。
中村芳満さまにはただもうあたまをさげたい気持でいっぱいです。

奉天の地図もありがとうございます。
ここだと思われる場所がありました。
あしたそこをたずねる予定です。
中村芳満さまとのネットでのふしぎなご縁、じつにありがたいことであります。

あさって新京へおもむきます。
微力ですが、なにかわかりましたらご報告いたします。

※「美香」という名前でこちらに書き込んでいる人間はわたしではありません。
うちのブログの無断転載です。おそらく悪戯目的だと思われます。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
たったいま瀋陽へ着きました。
いま駅のネット屋からこれを書いています。
おかしいと思われるかたもいるでしょう。
早すぎる。
北京をすっとばしたのです。
北京にいたのはわずか5時間。

昨日の20時に北京へ到着。
瀋陽行きの列車のチケットを取ろうとする。
時刻表があるのでぜんぶ調べています。
しかし、どれも取れない。
ゴールデンウィークの「メイオウ(=ないよ!)」です。
こまったな。5/6が父の誕生日。
この日を瀋陽でむかえたいのですが。
バスで行くしかないのか。

ホテルで休もうと思う。
客引きについていく。
ゴールデンウィーク価格である。
客のほうが多い。ホテルがたらないくらい。
金額も(おそらく)倍以上。
1台のワゴンに乗せられる。
これがやけに駅から離れたところへ行く。
パンフレットでは駅のすぐそばだったのです。
文句を言う。あちらも言い返してくる。

ここだおりろと言われる。
おりるとホテルもなにもない。
ふつうやるか!
こんかいの旅でこんな仕打ちを受けたのははじめて。
外国人をわけのわからぬ場所でほっぽりだす。
北京の人間はひどいな。
この都市が嫌いになる。
タクシーをつかまえ北京駅へ戻る。
観光客であふれかえっている。

また別の客引きに声をかける。
ちっともらちがあかない。
ホテルがないのだという。
150元(2250円)払っても、バストイレなしの部屋。
そんな部屋は50元だって泊まりたくない。
切符売場に引き返す。
あすにでも北京なんか去ってしまおう。
また時刻表とにらめっこ。
券を買おうとするも「メイオウ、メイオウ」。

あやしげなおっさんがチケットをひらひらさせている。
見ると瀋陽へ行くチケット。
出発時間は1時間後の0時58分。
49元(750円)と格安。
このまま瀋陽へ行ってしまおうか。
べつに北京なんて見なくたっていい。
万里の長城と故宮。盧溝橋くらいでしょう。
迷う。ふたつにひとつ。北京をすてるか、とどまるか。
これもなにかの因縁。
そのチケットを定価で買う。

腹ごしらえ。
ビールをのみながらチケットを見る。
これはほんものかしらん。
L61次。
時刻表を見ても載っていない。
とりあえず駅へ。うん、通れるみたいだ。
お、列車もある。
信じられないくらいのオンボロ車。
定刻に出発する。
瀋陽へ着くのは翌日の11:55.
遅すぎる。
持ち込んだビールをのみはじめる。
これで3日連続列車のなかにいることになる。
硬座。3人がけだがわたししかいないので横になることができるのでうれしい。

朝、起きる。めちゃくちゃな旅をしていることに自己陶酔。
からだが頑丈なんだ。じぶんでも驚く。
さきほど瀋陽へ着く。
ネットの文字が目に入ったので、ともあれこのことを書きたくて飛び込んだしだい。
ぶじ瀋陽へ着きました。

ここはパソコンが重くてグーメールは開けません。
返事が遅れて各方面へご迷惑をおかけします。
さあ、ホテル探しです。ヤマトホテルへ泊まりたいです。
どれだけ値引き交渉にのってくれるか、です。
たくさんのコメント、ありがとうございます。
後日、返答いたします。

冷たいビールを売っているスーパーが11時にしまるのです。
ブログと冷たいビール。
後者を選択する情けないわたしです。

けさ9:30のバスで敦煌から嘉峪関(かよくかん)へ。
5時間半かかりましたが日本人食堂で大量の日本語書籍を仕入れたので平気です。
急いでホテルを決める。
ゴールデンウェークはホテル代も上がると聞いていましたが、
ここ嘉峪関はそんなことがなかったです。
あっさり値下げ交渉がとおってしまい、失敗したと思いました。
90元(1350円)。あの感じなら70元くらいまで落ちたかも。
でも、お湯が大量に出るので満足です。

あしたのチケットは張液から北京までしか買っていません。
急いで列車チケットを取りに。
市内にチケット売場があるとの「歩き方」情報。
探しましたが見つかりません。
3人のひとへ聞いてようやく見つかる。
地図が間違っていたのです。
せっかく見つかったのですがゴールデンウェークのせいでしょう。お休み。
バスに乗りあわてて嘉峪関駅へ。
嘉峪関から張液までの硬座が取れました。
これで立ちっぱなしは避けられたわけです。

時間は5時。昼食を食べていません。
駅前は食堂が集まっています。
冷たいビールを探さなければなりません。
ひとつひとつ聞いていきます。
6店目でようやくありました。
これがうれしいのです。
豆腐とネギをあえたもの。ニラ玉。注文したのはこのふたつ。
ニラ玉は、完全に日本の味でした。
ビールは明るいうちから3本(よくのむよな)。
合計で19元でした(300円)。

6時。ここの日暮れは9時近く。
まだ観光ができる。
万里の長城の最西端。
山に作られた万里の長城。
このふたつをタクシーを借り切って見に行きました。60元。
バスでは行けないところなのです。
ホテルへ戻りシャワー、洗濯。
すぐさま外へ。この段階で10時。
冷たいビールを探す。閉店時間を聞く。11時。
よし1時間ネットをできる。
そばのネット屋へ駆け込む。日本語が使える。
おそらく中国すべてのネット屋で……。くやしい。
たくさんのコメントが入っていのを見る。
ああ、冷たいビールが去っていく。時よ、とまれ!

あすは11:50の列車で北京へ。
北京に到着するのは翌日の21時ごろ。
こんな長時間列車に乗るのは初めて。
しかしこの長距離を万里の長城は守っていたのです。
おやすみなさい。