こんかいの旅の裏テーマは脱亜入欧かもしれない。
旅人としてのありかたが脱亜入欧だということだ。
なめられたら怒る。
これは裏を返せば欧米人同様に扱われたいということにほかならぬ。
きのう書いた中国大使館の話が象徴的ではないか。
欧米人のみ行列しなくてもいい。
ビザ申請のときではなく、取得するさいのことだ。
中国大使館の門番(ベトナム人)は欧米人を優遇する。
欧米人は並ばないでもいいことを当然のように考えている。
わたしから「並べ!」と怒鳴られても無視する。
じゃあ、わたしも通せと門番に要求したらダメだという。
ここでもうひとつの疑問が生じる。
どうしてわたし以外のアジア人は門番に抗議しないのか。
申請のさい知り合った韓国人のおじさんも当たり前のように並んでいた。
目の前を行列しないで通り過ぎていく欧米人に対して怒りを覚えなかったのだろうか。
欧米人は優遇されるものとアジア人までが了解しているとしか思えない。
抗議をしたのはわたしだけである。
そうしたらしばらくして入っていいよとわずかだが行列を飛ばすことができた。
ここで中国大使館に入った行為を非難するむきもあろう。
けれども、わたしの立場も考えてほしい。
もし門番の気分をいちじるしく害して大使館に入れなかったらビザを取得できない。
もうその晩の寝台のチケットも買ってある。
「入れ」と門番から言われて、思わず入ってしまう行為をそう責めないでほしい。
さて、この行為の意味を考えてみよう。
アジア人の行列を抜け出して欧米人のように大使館へ入った。
まさしく脱亜入欧である。
こんかいの旅の感想で、わたしはしきりに欧米人への不満を書いている。
欧米人にことさらへつらうアジア人への不満も根をおなじくしている。
この意味するところはやはり脱亜入欧にほかならぬ。
脱亜入欧はわたしのみならず、いまもって日本のありかたを具現してはいないか。
こほん、こほん、こほん。
風邪をひいたわけではありません。
気まずさをごまかしているのです。
きのうあれだけ物々しいお別れをしておきながら、こほん。
照れをごまかすとき咳をします。こほん、こほん。
いえですね、あのですね、そのですね、パソコンありました。
ベトナムの山奥だからパソコンはあっても、さすがに日本語は無理だと思っていたら。
バスに連れて行かれたゲストハウス。
「地球の歩き方」に掲載されているわけでもない。
それなにに、どうやらここは日本人宿のようでして。
なんと日本語の情報ノートまであります。
さらに日本語可能のパソコンまで。即決ですね。
ベトナムドンが余っているからいいホテルに泊まろうと思っていたのですが。
かようなしだいでわずか6ドルの部屋へ泊まることに。
べつに汚いわけではないのですが。
いまビールをのみながらパソコンです。
なにをやっているのでしょうね。
今日は肝臓が悲鳴を。ビールをからだが拒否しています。
だから、少しずつのんでいます。
ゆうべの寝台列車はよかったです。
かなり酔っぱらって列車へ乗り込む。寝台列車はこんかいの旅ではじめて。
インドを思い出しました。ああ、またこのような旅ができるとは。
いま旅のさなかではありますが、とても信じられません。
しかし、あれはよくなかった。寝台列車でのハノイウォッカのがぶのみです。
少し今晩はお酒をひかえようと思います。
いまから部屋呑み。
寝台列車で食べようと思っていたつまみが大量に余っていますので。
うすい水割をつくって、ちびちびやりますね。
その水はいまゲストハウスの冷凍庫(部屋についているわけではない)。
はんぶんこおってるくらいがちょうどいいのです。
今晩は日本の桜の夢を見たいものであります。おやすみなさい。
それではしばらくのお別れ。
4月1日に中国へ入るなんて、まるでウソのようです。
はたして中国にどれだけ日本語使用可能のパソコンがあるのか。
もっと心配なのはお酒。どれだけ安いお酒があるのか。
どちらも行ってみないとわかりません。
飲代(のみしろ)と通信費(ブログ)の出費はあきらめています。
金に糸目をつけず(ほんとかよ!)お酒とパソコンを探し求めるつもりです。

お別れだから、かっこうのいいことを書きたいけれどもダメですね。
なにかでしめなければ、ううむ。

パンダ、パンダ、パンダ♪
2007年3月29日情報。
ベトナム、ハノイの中国大使館でビザを取る。
1ヶ月ビザ:30ドル。
2ヶ月ビザ:45ドル。
これ以上のビザが出るのかは調べていない。
必要なのは(土日をはさまない)4営業日。
月曜日に申請すると木曜日。
ハノイの旅行会社に依頼すると中国1ヶ月ビザ45ドルというのが相場。
2ヶ月ビザは65ドルと言われた。
「じぶんで大使館へ行ってもおなじ金額だよ」
これはウソね。15ドルもぼったくられる。
一部に2ヶ月ビザはでないという情報があったがかんたんに出る。
けれども、これは正確には2ヶ月ビザではないらしい。
ダブルエントリービザ。30日のステイを2回可能なビザ。
30日前に一度、中国の公安へ行きなさいとのこと。

中国大使館は(安宿の多い)旧市街からならバイクタクシーで往復1ドル。
ほんとうならもっと安く行けるのだろうが、
10円単位にどれだけこだわるかはアップツーユー♪
ハノイの中国大使館の門番(守衛)はかなり不愉快な男。
ビザを取りに行ったときのこと。
ファラン(欧米人)は行列しないで通してもらえるが、
非ファラン(日本人、韓国人、ベトナム人ほか)は行列しなければならない。
むかついたので怒鳴りつけたが、そしらぬふり。
ならばとファランのほうへ並べと声をかけたがこちらも無視。
うるさいと思ったのか門番がわたしを優先的に入れてくれた。
べつに並ぶ理由もないので従う。バカは怒鳴りつけるにかぎる。

(訂正情報)
ハノイで中国2ヶ月ビザは取れません↓

http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1178.html
いま検索してみたらベトナムとの国境の町、中国河口には銀行もあるみたい。
やっちゃった! さっきベトナムドンを大量におろさなければよかった。
わずか3時間ほどまえのこと。もう取り返しがつかない……。
まあ、仕方ないよな。朝、パソコンも使えなかったし、うん。
どうにかしていいレートで中国元に替えよう。
けれども、わたしが国境越えをするのは日曜日で銀行がやっていないわけで。
めんどうだな。えいえいおうでがんばるしかないか。
河口には旅行者にたかる有名人「ネズミ男」がいるらしい。
両替をごまかそうとしたり、なかなかおもしろい男とのこと。まだいるのかしらん。
毎日うちのブログをご覧になっているかたがどれほどいらっしゃるのか。
まったく見当もつきませんが、昨日の更新は恥ずかしい。
そこのネット屋では22時をすぎると料金が3倍になるのです。
なんとか間に合わせようと書き上げたのが昨日の記事。
まとまりもなく誤字脱字も多く――。
現場(ベトナム)のノリを大切にしたいので、あえて書き直すことはしない。
もっと書きたいことがあった気もするのだが……。

不愉快な体験だったが、どこかおもしろがってもいる。
ファラン(白人)といっしょにバスに揺られ香山に行くくらいなら、
よほどあちらのほうがいい。あれでよかったのだ。
久しぶりに全身で興奮した。生きているという感触を十全に満喫したのだから。

あれに近いことはたびたびあるが、わたしは怒るのをやめない。
そのたびに大声で怒る。
ベトナムはこうだからとわかったような顔をしない。
おかしいものはおかしい。
ベトナム人が日本へ来ても、日本人はかの旅行者からぼったりしない。
ベトナムは貧乏だからいいという意見もあろう。
学校の先生の好きな、他人の気持がわかる人間になろうだ(エスパーか!)。
ベトナム人は貧乏でかわいそうなんだから、同情しようというのだ。
訳知り顔で「これがベトナムさ」と両手をあげるやりかたである。

それでいいのかな。ほんとうにそれでいいのか。
おかしいと思ったら、怒るべきではないか。
たとえばベトナムの少女。雑貨屋の娘。まだ小学校高学年程度。
このくらいの少女からして、外国人と見るやぼろうとする。
前日に彼女の母親からウイスキーの小瓶を180円で買っていた。
「このウイスキーをふたつくれ」
この少女が紙に書いた数字は1000円近い。360円だろうが。
おとなげないと言われそうだが、金額の書かれた紙を地面へ投げつけた。
少女は泣きそうな顔をしたが、悪いとはからきし思っていないのは明らか。
どうして怒鳴られなければならないのという表情であった。
日本人旅行者はアジアの純真な(!)子どもと遊ぶ(遊ばれる?)のが
たいそう好きなようだが、わたしにはまるっきりわからない。

「他人の気持のわかる人間になりましょうね」
ああ、わかるね。ベトナムに枯葉剤を振りまいたアメリカ人の気持がわかる。
ベトコン兵士の首をまえにおき笑顔で記念撮影していた米軍兵士。
はじめてホーチミン市で見たときはかれらの気持がまったくわからなかったが、
いまはかなりのところまでわかる。
ベトナム人の首をかっきりたいと思うことがある。
さっきもそうだ。念のため下痢止め(安いインド製)を追加購入しようとしたら。
おなじ店なのにふっかけてくるのである。
ここでこの金額でこれを買った。そこまで主張してもおばさんはとぼけたふりである。
その場を離れないと、しばらくしてようやく先日の価格になる。
おばさん、枯葉剤はありませんか? 
ええ、ダイオキシンです(ベトちゃんドクちゃんの奇形児をご存知か)。
いくらですか。くださいな。あたまから振りかけてあげますから。
本日9時15分(日本時間11時15分)の寝台列車に乗ってラオカイへ行く。
ラオカイは中国との国境の町。
すぐに中国へは行かずにベトナム少数民族の町、サパに寄り道する予定。
山奥のサパに日本語使用可能のパソコンがあるとは思えない。
とするとつぎは中国だが、この大国に安価なネット屋はそれほどないような……。
高級ホテルのラウンジに宿泊者のみ使用可能の日本語パソコンがある程度では。
どういうことか。日本語でパソコンを使えるのは今日が最後。
おそらくとうぶんは無理。
列車の出発時間までえんえんとパソコンをやっているつもりだった。

ところが――。
ホテル周辺一帯が電気工事のため停電。
ひいきにしていたネット屋もこの近くなのでパソコン使用不能。
いつ電気がつくのか聞いたら夜の7時だという。
よりによって今日、停電とは。いちばんパソコンを使いたかった日に。
いくら嘆いても無理なものは無理である。
血まなこで日本語使用OKのパソコンを探す。
ひとつ知らないではないが、あそこは1時間100円も(?)取る。
50円がベトナムの相場である。
聞いて、聞いて、聞いた。ネット屋を見れば「ジャパニーズOK?」。
どこにもなし。
あたまに来たので昼からビールである。
ハノイは酒天国。というかこのベトナム首都は狂っているのではないか。
みんな平日の昼間から平気でビールをのんでいやがる。
瓶ビールとチャイニーズヌードルを注文。
本日、中国ビザを取得。ベトナムチャイニーズフードを食べるのも悪くない。
ところが、出てきたのはワンタンを揚げたもの。
ベトナム語を英語に翻訳する際、間違えたのだろう。
くそ。今日はどこまでもついてないのかとワンタンにかぶりつく。
瓶ビールを2本、まずいビアホイを3杯のんだ。
瓶ビールとビアホイを交互にのんだわけである。
いかにビアホイがまずいかよくわかった。

昼日中から酔っぱらってふらふらしているわたしである。
シティバンクのATMにベトナムドンをおろしに行く。
損得よりも安全だ。
たとえ両替事情で少しくらい損をしようが現金は多く持っていたほうがいい。
中国の田舎がどうなっているのかまるで情報がないのだから。
ベトナムドンでもキャッシュで持っていたら役に立つだろう。
カンボジアではシティバンクのワールドキャッシュカードでUSドルを引き出せたが、
ベトナムではドンしか無理。
こんな(個人旅行者には)重要な情報が現地に行ってみないとわからないのである。
ちなみにワールドキャッシュとは、日本の預金を海外で引き出すことが可能なシステム。
(現地通貨のみという建前だが、カンボジアではUSドルもOKだった)
これなら大金を持ち歩かなくてすむ。
ちなみに、わたしがワールドキャッシュカードを作ったのはタイへ行く2日前。
これがあればタイからどこへでも行くことができる。
どこの銀行も郵便局も発行までに10日かかるがシティバンクだけは当日発行。
このカードが作れなかったらこんかいのような旅はできなかった。

おっと、なにを書いていたのだったか。
ATMで現金を引き出しトイレを求めてホアンキエム湖の有料公衆便所へ。
トイレから出ると日本語の話し声が聞こえる。
日本人女性がふたり。ベトナム人の日本語ガイドがついている。もしや。
恥をしのんで声をかける。
すいません。このへんで日本語を使えるインターネットを知りませんか?
ありますよとのこと。ベトナム人がていねいな日本語で教えてくれる。
何度もあたまをさげて感謝する。
教えられたとおりに5分ほど歩くとファラン(白人)が大量に巣くっているカフェが。
この際、国籍など、どうでもいい。たずねる。日本語は使えますか?
ツアーが嫌いである。現地発のツアーも同様。
みんなといっしょに行動するのがいやでたまらない。
ツアーのみならずファラン(白人)も毛嫌いしている。
だが、ベトナムのツアーはみな英語ガイドがつき。
すなわち、ファランばかり。これもツアーを敬遠する理由。

今日はハノイ郊外の香寺へ。
ガイドブックによると「仏教の聖域」。
ハノイから車で1時間30分。車のチャーターは1日30USドルから。
ハノイからツアーの利用が便利。以上、引用。
何度もいうがツアーは嫌いだ。
どうせファランに囲まれるに決まっている。日本人との出会いなどない。
では、日本人旅行者はなにをしているかというと、
(おそらく)おカネがもったいないと日本人宿でごろごろしているのである。

きのう足を入手。
宿からちょっと離れたところでバイクタクシーを捕獲。
外国人のあまりいないところゆえベトナム語しか通じない。
大丈夫。こちらには「地球の歩き方」がある。
まずベトナム語の「あす」を指さす。それから行きたい場所を。
顔で判断している。草食系(わかりませんよね?)がよろしい。
ベトナム語しか話せないのは、かえっていいのだ。
そのぶん代金が安くなる。7・5ドル(900円)で話がまとまる。
ちなみにツアーに参加すると(ガイド、昼食、ボート代金こみで)16ドル。
なじみの旅行会社(ネット屋でもある)にバイクタクシーで行くと告げると、
危ないからやめろと言われるが、そのときはまだ意味をわかっていなかった。

約束の10分前の8時20分に来る。
来るか来ないかは五分五分だと思っていたので、定刻前に来たことだけで感動する。
ヘルメットをお願いしている。
なんだかんだ無頼をよそおいながらも、その実、安全に留意しているのだ。
道程のはんぶんを過ぎたころか。
バイクに乗ったおかしな若者がしきりにバイクタクシーの運ちゃんへ話しかけてくる。
わたしが雇った(依頼した)草食系の運ちゃんは、あいまいな反応をしている。
道案内をしてもらっているようにも見える。
川岸に到着。ここからボートに乗って香寺へ向かうのである。

さきほどのバイクのにいちゃんの家(事務所?)へ連れ込まれる。
ボート運賃は3750円だと言いはじめる。
「地球の歩き方」によると香寺入場料金こみで300円程度。
あたまに来てその家を飛び出す。
このままべつのバイクタクシーでハノイに帰ってもかまわない。
あわてたようにあのにいちゃんと、運ちゃんがバイクで追いかけてくる。
わたしの言い値でいいという。300円でいいというのだ。
それならばとかれのすすめるボートへ乗る。
漕ぎ手は太ったおねえさん。ふっかけてきたにいちゃんの女房らしい。
この夫婦の年齢はわたしとおなじくらいか。
バイクタクシーの運ちゃんは54歳だそうである。

香寺は山の頂上にある。
ゴンドラを使用せず、しっかり山登りをする。
「聖域」とのガイドブック情報を信じていたら、おおはずれ。
ベトナム人観光客であふれている。
酒もなかろうとわざわざハノイからウイスキーを持ち込んだのがバカみたいだ。
入口から山頂までくまなくビールを売る出店があるのだから。
この山には頂上までに寺がいくつもある。
いちおう仏教系だそうだが、ベトナム人のおがむ対象は仏像だけではない。
英雄(と思しき)像から虎にいたるまでまちまち。
頂上は洞窟になっている。ここが見どころのもよう。
山登りでからだは疲れ果てている。
山頂までの道のりにいくつか寺があった。
それまではベトナムの仏像などバカにしていたが、
このときはじめて無意識に手をあわせてしまう。
ベトナム人とおなじように賽銭もおいた。

「いい小説をかきたい」
「職業作家になりたい」
思わず祈っているじぶんがいた。見まわすと洞窟内はひと、ひと、ひと。
みなみな真剣にこうべをたれている。なにを祈っているのか想像する。
健康になりたい。無病息災でありたい。長生きしたい。家族仲良くありたい。
結婚したい。おカネをもうけたい。たい、たい、たいである。
ああ、と天啓のようにある想念がわく。
この「たい」が人間である。かくありたい! これが人間ではないか。
現実に対してプロテスト(対抗)していく。
現実をいなとする。現実を認めない。かくありたいと現実を否定しつづける。
動物ならわが子が死んだらそれまでである。しかし、人間は違う。
いつまでもわが子の部屋をたいせつに保存するのが人間である。
あたかも生きているようにだ。
ウソと言うな。フィクションと言え。
人間はフィクションをつむぎながら生きる。
日本を代表するドラマ作家、山田太一氏が終生追いつづけているテーマである。

フィクション。現実を否定する。こうじゃないと思う。
かくあれと思う。かくありたいと夢想する。
死んだ子は生き返るわけがない。けれどもよみがえれと願うのが人間だ。
切断した足が、はえてくるわけがない。それでも、はえてこいと祈るのが人間。
死者は復活しない。なくした四肢も再生しない。これが現実だ。
しかし人間は、わが子よよみがえれ、手足よ元にもどれと願望することができる。
これが人間だ。現実に立ち向かう人間のすがただ。
だとすれば、フィクション――。
小説と宗教というのは根をおなじくするのではないか。
かくあれ、かくあれ。かくありたい、かくありたい。人間だ。生きている人間だ。

ここに来てよかったと興奮しながら思う。
山頂まで徒歩で登ったのでくたくた。もうビールしかないではないか。
今日はいい日だ。ハノイ近郊へ到着してから1週間。はじめての快晴である。
汗もかいた。ビールがまずいはずがない。
下山しながら最初に瓶ビールが目に入ったところで金額を聞く。
しばらく考えて120円だという。高い。わたしの勘では80円なのだが。
登山時から目をつけていた出店へ。
ここのおばさんは自信たっぷりに160円だというのだ。
おいおい、あっちは120円だったぞ。
仕方がない。120円で我慢するか。先ほどの店をめざす。
その途中の出店。ここにもビールがある。いくらだ? 120円!
高い。山の上だから仕方がないのか。
その場を立ち去ろうとすると80円でいいというではないか。
やはり80円だったか(しかしこの店も会計をごまかそうとした)。
ならば、両隣(というほど近接している)の店も80円に違いない。
ベトナム人は外国人と見るやふっかけるので有名だが、まさかここまでとは。

そうそう、書き忘れた。
登山の際。さとうきびのジュースをのんだ。
おばあさんがふたりのんでいたのを見たからである。
おっと、ベトナム人はぼるからな。
おばあさんが精算しているときに、いくら払ったのか見に行く。
ふたりで50円。とすると1杯25円だな。
ところがわたしの精算の際には40円と言うのだから。
最前、老婆の会計を目撃したことを告げると、今度は1杯が50円になる。
あれはひとりぶんの料金だとウソぶくのである。
店内でおなじジュースをのんでいたおっさんに聞いても40円。
わたしはこの目でたしかに見たのだ。25円で間違いない。
ところが、これこそベトナム人なのである。
外国人は高い料金をはらって当然とみながみな考えている。
日本でたとえてみよう。
居酒屋が並んでいる通りがある。そこに外国人が入ってくる。
どの居酒屋でも店員と客が結託して異国の旅行者からカネをむしりとる。
これがベトナムの文化である。
このさとうきびジュースだけではなく、いろいろなところでこれを経験した。
ふつう旅行者は地元のひとが行く店へ行けば安いのではと考える。
大間違い。そういうところのほうが高くつく。
よほど外国人がつどうレストランのほうが安くあがるのである。
これがベトナムだ。

往復ともに徒歩。下山する。
ボートのもとへ。デブのおねえさんとバイクタクシーの運ちゃんが手を振っている。
なぜか運ちゃんもボートへ乗ってここまで来ているのだ。
おねえさんへ金額を確認すると300円ではなく330円だという。
たかだか30円だが、なんだかむかむかしてくる。
ベトナム人を殴りつけたいのだ。
こいつらは最初、3750円をわたしから奪うつもりだったのだ。
ボートでの復路、ふたりのベトナム人をにらみつけているわたしがいた。
「ポリス」という意味のベトナム語を連発しながらである。
着岸したら3750円(500000ドン)で、
このふざけたねえちゃんの頬をひっぱたいてやりたいという欲望が芽生える。
ツアーではない個人旅行者をこいつはどれだけカモにしてきたことか。

ボートがとまる。あのバイクのにいちゃんも迎えに来た。
ベトナム人は嫌いだ。
おまえら最初は3750円だと言っていたなと怒鳴りながら、
札びらでこのふたりの顔をひっぱたく(よくやるよなわたし……)。
まあ、許そうと330円を払おうとしたら、桁が違うとのたまいやがる。
3300円というのだ。これがかれらのやりくちだった。
いままで幾人の旅行者をこの手でだましてきたのだろう。
ふざけるな! 3300円なんて払うもんか。路上で大騒ぎする。
かれらはしきりに事務所で話そうと言うが、ひっかからないぞ。
ぜったいにあちらのペースには乗らない。
くそ、わたしが信用していたバイクタクシーの運ちゃんもグルだったのか。
腹が立って仕方がない。
英語を話すベトナム人が登場。若い女性である。
「あなたは3750円を払わなければならない」
くそったれ! ベトナム人というのはこころの底まで腐っている。
そんな法外な金額があるわけがないのに、おなじベトナム人の味方をする。
あっちへ行けとベトナム人女性を突き飛ばす。
怒れ。怒り狂え。しかし狂うなよ。ふりだ。狂ったふりをするんだ。
わたしのまわりにはベトナム人が集まる。ひとだかり。
ぐるりとベトナム人に囲まれる。事務所へ行こう。やだ。行かない。
例のにいちゃんがわたしのバックをつかんでくるので、さわるなと突き飛ばす。
生まれに感謝する。がたいがいいのだ。ちびのベトナム人はびびるはず。
いな、びびっているのはわたしであった。
ベトナム人に囲まれて恥ずかしいほど足が震えていた。
身振りでは激怒の演技をしながら、生理的肉体は恐怖におののいていた。

「ひとりで400円。ふたりで800円」
英語である。ここの地元のひとらしい。ボート代金の相場だ。
ならと450円をわたし釣りをくれとせまる。
「ふたりのりをひとりで乗ったから800円だ」
おなじおっさんがいう。もうわたしの周辺は大騒ぎになっている。
450円を差し出しながら、これで終わりだ。帰りたいと叫ぶ。
ボート漕ぎのデブのおねえちゃんが450円を受け取った。
よし、これで終わりである。その場を駆け足で逃げ出す。
あとから考えたら香寺入場料こみならどう考えても1000円が相場。
ぼったくり業者へ正規料金の半額しか払わなかったのである。
旅なれていることを自慢したいわけではない。運がよかっただけである。
バイクタクシーの運ちゃんは申し訳なさそうにあとをついてきた。
このひとのよさそうな運ちゃんがわたしを裏切ったわけである。
なぜベトナムが大国アメリカに戦争で勝ったかようやくわかったような気になったのはこのときだ。
中国の青島(ちんたお)から下関までオリエンタルフェリー。
月、木、土の20時発で翌々日の9:30下関港着。
料金は洋室大部屋で16000円。

山口県の山頭火関連観光名所はふたつ。
1.小郡(なんて読むのでしょうか?)。
a.其中庵(小郡町矢足其中庵公園内)年中無休
b.山口市小郡文化資料館(山口市小郡上郷)(083)973-7071
休館日は月曜・祝日。開館時間は9時~16時。
2.防府(「駅のてんじん口」)
a.種田山頭火句碑
b.種田山頭火生家跡
c.種田山頭火墓所
d.種田酒造場跡
*まあ、1日でまわれるでしょう。

山口-東京の深夜バスは7500~8000円
下関18:00発
小野田18:55発
宇部新川19:15発
新山口19:50発
湯田温泉21:10発

どこで乗車すればいいのか、いまいち山口県の位置がつかめない。
下関着が9:30で下関発が18;00だから宿泊しないでも観光は可能。
けれども湯田温泉といえば山頭火の愛した温泉として有名。
ここのビジネスホテルに一泊して温泉で旅の疲れを癒すのも一興かもしれない。

それとも山頭火めぐりはまたの機会にするか。
敦煌を最終目的地にするとして、ここから青島までの移動がひと苦労。
しかしこんかいの酒びたりの旅の最後が、
青島ビールで有名な青島というのはおもしろいと思うのですが。
敦煌から飛行機で上海へ飛んで、ここからフェリーか飛行機という手も。
上海から成田まで片道航空券がどれくらいするかだ。
どうせなら飛行機で帰るよりフェリーで帰国するほうが旅の終わりらしいか。
けれども上海からのフェリーは神戸、大阪へ着く。
どちらの都市にも知り合いがいるわけでもなく、なんだかな。
上海から青島に行く手もないわけではないが、うーん。
とんでもないことを書くと上海にあまり興味がないのだ。
北京と上海といえば、格安ツアー(航空券)でだれでも行けるところ。
無理して行きたいとも思わない。
大都市だから宿泊費もそうとうかかることが予想される。
敦煌から青島への飛行機などあるのだろうか。

せっかくいい部屋に泊まっているのである。
ゆうべ冷蔵庫できんきんに冷やしたビールをのみながら、
中国のガイドブックをだらだらながめた。
その楽しかったこと!
旅行というのは行くまえがいちばん楽しいというのが自説である。
(まあ、いまも旅をしているわけですが、えへへ)
もうベトナムも残り少ないからいっぱいでもビアホイをと思っていたが、
これは間違えかもしれない。
おそらく中国では冷蔵庫(冷凍庫も!)つきの安宿などないだろう。
とすると、ホテルで冷えたビールをのむなどこれが最後。
部屋のみこそ貴重なものなのかもしれない。
およそ2ヶ月ぶりに食べたチーズ(オーストラリア産)がうまかった。
レストランで食べたのではない。
買ってきたものをホテルの部屋でいただいた。
ファラン(白人)食を食べまいという誓いを破ったわけではない(ことにしてくれませんか)。

よくもまあ神経質で心配性のわたしが海外を旅行できているものだ。
旅行好きの特徴は、こまかいことにこだわらない楽天的な性格。
正反対だもんな……。
たいがいの旅行というのは、いざ行ってしまえばなんとかなるもの。
だから楽天的なのがいちばんいいのだ。なんとかなると思っていれば。
しかし神経質で心配性のわたし。
中国でのことが心配で仕方がない。
USドルをどれだけ持っていけばいいかで今日も悩んだ。
ワールドキャッシュカードではベトナムドンしか引き出せない。
たしかに中国では人民元が引き出せるが、それは大都市のみ。
中国の片田舎から入国するわたしは心配で仕方がないのだ。
まあ、ベトナムドンも日本円も人民元へ両替できるとは思うが。
それでも、わたしはいろいろ下準備をするのである。
楽天的に行こうとはならない。
石橋を壊れる寸前までたたいてしまう。お笑いくださいな。
ついに来ましたよ。いつまでも来ないのがおかしいと思っていましたが。
ホームシックです。日本が恋しくなりました。日本へ帰りたい。
なんとも言えず旅に疲れています。
なにが原因なのか考えてみます。
今日、いろいろなことをしたせいかもしれません。
中国のビザを申請。やはりハノイで2ヶ月のビザは無理だそうです。
それから中国との国境の町、ラオカイへの寝台チケットを購入。
29日の木曜日、9:15ハノイ発の列車です。
ラオカイからサパに寄り道をするつもりでしたが、
一路帰国をめざしそのまま中国入りする可能性もあります。

あるいはあれがいけなかったのか。
とにかく眠れません。
そこで、いっちょベトナムの睡眠薬でも買ってやろうかと。
スリーピングメディスンはないとのこと。
かわりにある薬を買いました。
英語の説明書を読んだところ、おそらくハーブの一種。
薬品というより健康食品に近いものだと判断しました。
精神が著しく疲労していたためホテルへ戻りさっそく服用。昼寝です。
いつまで経っても眠気が来ないので使用量を増やしました。
これが憂鬱の原因になったのかもしれません。

深い疲労があるのです。
今朝、ハノイ観光のハイライト文廟(孔子廟)へ行きました。
まったくこころ動かされるものがありませんでした。
どこも観光地はおなじだなというさめた感想しかなかったです。
長期間の旅行で好奇心が磨耗してしまったのでしょうか。
そうだとしたら、そろそろ帰国を考えるべき時期です。
からだの調子もおかしいのです。
こちらの原因は明確。お酒です。のみすぎが良くない。
かといって、お酒でものまないと旅が楽しくありません。
酔い心地の目で見るベトナムはとても美しい。
なみだが出てきます。

ホームシックを歓迎しようと思います。
いつまでもこの病(やまい)が到来しなければ帰国する気になりませんから。
中国では少しばかり駆け足をするつもりです。
成都でパンダを見る。
西安で中国仏教と道教の雰囲気を体感する。
最終目的地は敦煌。これより西へ行くのはやめようかと思っています。
敦厚から上海へは列車で40時間。1万5千円くらい。
この区間で思い切って飛行機を使うという手もあります。
上海から日本(大阪)へはフェリーで3日だったか。
大阪へ着いたら深夜バスで帰京。
安かったら飛行機を選択するかもしれません。
けれども、フェリー「鑑真号」で帰国するほうが劇的です。
鑑真。井上靖「天平の甍」でなじみぶかい高僧です。
うん、この予定なら中国は3週間程度の滞在でなんとかなるはず。
昨日までは2ヶ月近く中国へいようと思っていましたが。
さて、明日にはどうなることやら……。
3週間後の帰国を考えると精神も安定します。
やはりこのままハノイから帰国するわけにはいかない。
旅のしめが必要です。
それには敦煌がふさわしいと思うのです。

良くないと知りつつ、いまからお酒を少々(多々だよな……)。
それからハノイ名物の水上人形劇を鑑賞します。
お酒を入れないでこんなものを見に行っても、つまらないだけですから。
あと3週間。そう考えるといま旅先にいることがとても貴重に思えます。
なにか発見しただろうかと自問するのはやめます。
そもそも旅行したくらいでなにかを発見できるという前提がおかしいのです。
わたしはこんかいの旅でなにも発見していません。
旅は無駄です。カネと時間の壮大な無駄。
しかし無駄からしか生まれないものがある。これだけは信じたいのです。

(追記)書くことは精神の衛生によろしい。
この文章をしたためたことでだいぶ気持が落ち着きました。
ネガティブな感情が浄化されたように思います。
ベトナムは朝から疲れるわけだ。
まずはホテル探し。ゆうべは4ドルのきたない部屋に宿泊。
やはりダメだな。きたない部屋はNG。
朝、目が覚めたときに欝になるんだ。
今日もがんばろうという気力をそがれる。
監獄にいるような心持になるのがいやなのだ。
きたない部屋にいると帰国が釈放と同義になってしまう。

ホテル探し。これがなかなか疲れる。
安宿はエレベータなんてないから(かつ安い部屋は上階に多い)、
何度も階段をのぼりおりしなければならない。
泊まる、泊まらないの判断を瞬間にしなければならないから精神も緊張する。
中国ビザ待ちで、あと4日ほどハノイに滞在することが予想される。
パスポートを中国大使館に預けるから、そのあいだホテルを移れない。
ダメだったらかえればいいというわけにはいかないのである。

10近くホテルを見る。そのうちのひとつに決定。
12ドル。高いのか安いのかわからない。
フエだったら12ドルでパソコンつきの部屋に泊まれたがここはハノイ。
考えてみたらホーチミン市でも11ドルの部屋に泊まっていたか。
仕方ないとあきらめる。
ホテル探しの過程で、日本語使用可の安いネットカフェも発見。
うん、ハノイも悪くないかもしれない。

洗濯物がたまっている。
ホテルのランドリーに出すと高いから個人でクリーニング店に持ち込む。
ところが、悪質なところだった。
1キロ20000ドンだという。
これまでの記憶だと安いところで10000ドン。
高くても15000ドンだった。
なんかおかしいなと思いながらも支払う。
別のクリーニング店をたずねる。1キロ12000ドンだという。
血相をかえてさっきの店へ。洗濯物を取り戻し返金させる。
よく見れば、このおっさん、じつに悪そうな顔をしている。
なぜ気がつかなかったのだろう。まだまだ旅人修行がなっていない。
まあ、ここで悪態をつきながらもカネを返すのがベトナム人なのだと思う。
インド人だったら一度受け取ったカネをぜったいに返さないだろう。

中国へ向け大量の下痢止めを準備したい。
果たして中国で薬を買えるのかもわからない。
愛用のイモディムを、ハノイで買うことができるのか。
ホテルで薬屋はどこかと聞くと目の前だという。
たしかにある。メガネをかけたまじめそうなおばさんが薬剤師なのか。
これをくださいとイモディムを差し出す。
4カプセルで15000ドンとのこと。
ホーチミン市では10000ドンだった。
そのことを言っても、ここはハノイだからという。
どうしても必要なものだから高くても買うしかないのだが、
とりあえず様子を見ようと買い控える。
このへんがベトナム慣れしてきたということか。
べつの下痢止めを買ってみる。
こちらは価格がはっきりと明示されているから安心だ。

近くにもうひとつ薬屋がある。
イモディムはいくらかと聞くと、やはり4カプセルで10000ドンではないか。
ホーチミン市とおなじである。
あの薬局のおばさんは薬品でもぼろうとしていたのか。
やりきれなくなる。
イモディムと同成分(ロペミン!)でもっと安い下痢止めがあるという。
値段を聞くと、そちらはかなり安い。
理由をただすとインド製だからとのこと。
イモディムはタイの薬。そのため高い。
ふだんなら安いものに飛びつくわたしだが、
ここではあえて高価なイモディムを購入。
おなじ成分なのにと薬屋の兄ちゃんはふしぎそうな顔をしていた。
インド製を信用できないのである。
3年前、インドでも下痢になったがどの薬も効かなかったのを覚えている。
薬なんて服用者の思い込みが薬効の5割は占めると思っている。
ならばいくら同成分でも、悪いイメージのあるインド製薬品が効くはずもない。
40カプセルを750円で買う。
ベトナムの物価からしたら高い買い物である。
しかし、ここは日本円で考えたい。ずるいやりかたである。

まだ午前中だというのにビアホイをのんでいる一群がいる。
疲れた。ベトナムに疲れた。
ビール仲間に加わることにする。
日曜日くらい、なんてベトナム人も思っているのか。
ビアホイは水より安いけれども、水のように薄い。
かんたんにいえば、まずい。いくらのんでもぜんぜん酔わない。
聞くところによるとアルコール度は2%程度だそうである。
ベトナム名物のまずいビアホイをのみながらハノイの往来をながめる。
ああ、もう二度とベトナムに来ることはないだろうなと思う。
このまずいまずいビアホイをのむことももうないのだ。
いささか感傷的になる。

思えば、ベトナムはわたしにとってビアホイだった。
2ちゃんねるの海外板でどこのビールがいちばん安いかという議論があって、
ベトナムということで落ち着いたのを読んだことがある。
一度でいいからベトナムでビアホイをのみたいと思ったものである。
念願かなえてのビアホイではないか。
ビアホイをのみほす。おかしい。なんだか酔ったような気がする。
日本でも古本のヒキには自信があった。
なぜかほしい本を偶然にも安価で発見してしまう才能である(運も才能ならば)。
いろいろな天分の持ち主がいる。
それはもう天与のものとしか説明できないのだ。
どうしてか異性にもてるひと。ふしぎとおカネに苦労しないひと。
異性にはもてないけれども、同性の友人にめぐまれる人間もいるだろう。
どれだけダイエットをしてもやせないひとがいる一方で、
どれだけ食べても太らないひとがいるのとおなじである。
プラスばかりではなくおそらくマイナスもあるのだろう。
どれだけ注意しても事故や盗難に遭いやすい人間がいる。
友人になぜかいつも裏切られてしまう人生もあろう。
これは、星回りとしてしか説明できないものを、
人間はおのおの持って生まれてきているという思想だ。

長い前振りになったがどうやらわたしは本と相性がいいようである。
ほしい本がなぜか向こうからやってくるのだ。
今朝のことである。
ホテル探しをしているとある古本屋が目に入る。
ホテル密集地帯には、このような古本屋がよくある。
旅先でいらなくなった本を旅行者が売っていくのである。
交換もある。
といっても、1冊と1冊を交換していたら向こうも商売にならないわけで、
こちらも本を差し出せば少し買う本の価格が下がる程度なのだが。
英語の本が主流。
ファラン(白人)はなぜか旅先で読書をしたくなるようである。
こういうところでは日本の本はたいしてなく、
あっても手に取る気さえ起きないような書籍であることが多い。
「地球の歩き方」がある。どこだ? ま、まさか!

「地球の歩き方 03~04 西安とシルクロード」(ダイヤモンド社)

ぼろぼろのガイドブックである。年度も古い。3、4年前のバージョン。
それでもこれが見つかるとは。
この巻はどんぴしゃりである。敦煌が特集されている。
「歩き方」では中国は大きな1冊としてある。
けれども、中国はあまりに広い。
地域ごとに8分冊されたものが出版されている。
大きな中国編が1冊あれば、まあ、旅をできるだろうとふんでいた。
それでも、せっかく行くのだから詳細な情報がほしい。
なんとかしてこの西安とシルクロード編を入手したいと思っていたのだ。
そのために嫌いな日本人宿へ泊まろうかと思ったくらいである。
(あまりに汚いので宿泊しなかったが……)
本棚にある「歩き方」はこれと「シンガポール」のみ。
この偶然はいったいなんなのだろうか。
中国から呼ばれている! 
たわいもない幼児的な感慨だが、旅先の昂揚ゆえお許し願いたい。
御父参の小説を交換用として差し出す。
ちなみに当たり前だが御父参からメールの返信はない。
30000ドンでいいそうである。
ベトナムドンはインフレのせいで桁がおかしくなっているが、
日本円にするとだいたい220円くらい。
1000円と言われても、おそらく買っていただろう。
ぼられないために、年度が古い、ぼろぼろじゃないかとさんざんけちをつけたが、
じつはのどから手が出るほどほしかったのである。

明朝、ハノイの中国大使館へおもむく。
写真2枚はすでに用意してある。
ゆうべ屋台のプリクラもどきで証明写真ふうのを作ったら100円もしなかった。
旅行会社のひとに聞いたら、これで大丈夫だろうとのこと。
あした中国への旅がはじまる――。
2日前の早朝、ハノイに到着したのだけれども、
バスを乗り継ぎそのままハロン湾へ向かってしまったので、
今日がいわばハノイ初日。
ベトナムの首都である。これがよくない。
ホテルが軒並み高い。ほかの都市から考えたら信じられない価格。
そのくせこんでいるのだから摩訶不思議。
インターネットもほかの都市の倍額。2倍ですぞ。

ああ、もうハノイにいたくない。
2ヶ月の中国ビザを4日で取ると65ドル。翌日発給だと85ドル。
早く中国ビザを取ってハノイを去りたい。
今後の予定は少数民族の村サパ。それから国境の町ラオカイへ。
いざ中国である。

しかし問題がある。インターネットだ。
ハノイを逃すと日本語でパソコンを使えるところが思いつかない。
サパは山奥だから無理だろう。
とすると中国だが、検索したかぎりでは
日本語の使えるパソコンがそうあるようには思えない。
このハノイが最後の機会ということになる。
へたをすると「本の山」を1ヶ月更新できなくなるかもしれない。

そこまでして中国へ行きたいのか。
行きたいのである。
タイもカンボジアもベトナムもたいして興味がなかった。
けれども、中国はちがう。
死ぬまでに一度、行きたかったのである。
ほんとうに行けるとはいまだ信じられぬ。
もう中国のことしか考えていない。
かの国での旅にたえられるよう今日は実験的に格安のホテルへ宿泊した。
4ドル。きたないホテルである。本来ならぜったい泊まらない部屋。
すべては中国へ向けてである。
3月20日。フエ。朝から土砂降り。これは観光をできる天気ではない。
偶然にもパソコンのある部屋に宿泊していた幸運に感謝する。
パソコンがあれば、やりたいことはいくらでもある。
まず御父参の小説の感想を書かなければならない。約束は守る主義ゆえ。
それから次に行く国、中国についてもいろいろ調べたい。
ところがそうはうまく進まない。
パソコンのある部屋に宿泊するのはこんかいがはじめて。
いままではネット屋で、1時間いくらのパソコンを使っていた。
どうやらそちらのほうがいいようである。
自分を有名作家にたとえるのはおごりもはなはだしいが、
やはりしめきりのあるほうが集中できるのだ。
このパソコンを1時間いくらで買っていると思うだけで、
短い時間でまとまった内容の文章を書くことができる。
本日のようにそもそもただ(ホテル料金込み)だと、どうにも熱が入らない。
いつまで経っても中国の情報を調べようとしない。
御父参の小説の感想を書き出すことができない。困ったものである。
なにをしてるかといえば、だらだらとネットサーフィンなのだから。

11時ごろ、空腹が限界に。といっても、そとは土砂降り。
さあ、どうするか。今日もインド料理店でブランチにするか。
けれども、ベトナム物価的にはインド料理は超高級料理。
あまり贅沢をすることにも抵抗がある。
「地球の歩き方」を参考に、フエ名物のソバを食べに行くことにする。
正式名称はブン・ボー・フエ。
地図を見ると、歩いていける距離である。
大雨である。傘をさしながら歩く。歩行者はわたしだけである。
バイクや自転車はみなカッパをつけている。
途中、いくつかのレストランで浮気しそうになるが、なんとか目的地に到着。
メニューが出てこない。いきなりブン・ボー・フエが。
メニューはこれしかないことを了解する。
まあ、うまくないわけだ。名物にうまいものなしを確認する。
値段は10000ドン。80円。フエ名物のソバである。

ホテルへ戻る。またパソコンへしがみつく。
中国のビザ情報を調べる。
ハノイでは1ヶ月ビザと2ヶ月ビザが取れるらしい。
だが、2ヶ月ビザを取るにはそうとう大使館のひとに気に入られなければダメ。
価格は45ドル。期間は4営業日(土日ふくまず)。翌日発給の場合プラス20ドル。
中国旅行体験をつづったブログをいくつか読んでみる。
どれもありきたりだが、おそらくうちの旅日記もおなじ(それ以下?)なのだろう。
知りたかったのは、だいたいの雰囲気。
まあ、現地に行けば安宿もなんとかなるのではないかと予想する。
あたまが重いのでベットへ。
不眠症のわたしがなぜか睡眠薬ものまずに1時間も眠れてしまう。
いやいや御父参の小説の感想を書き始める。約束は約束である。
景気づけのため冷蔵庫からビールをとりだす。60円である。
おやつの時間のビールだが、もうちっともうしろめたさを感じない。
大麻を吸いながら1日中だらだらしているファラン(白人)パッカーよりよほどまし。
4時間かけて御父参の小説の感想を書く。
最初はべたほめをしようと思ったが、書き始めたらそうはいかなかった。
これを作者の御父参へメールで送ってもいいのか15分ほど迷ったのち送信。
おそらく返信はないであろう。
30分でいいかげんな(感動しました!)感想を書けばいいものを、
わざわざ4時間もかけて敵を作るおろかなわたしである。
無頼をほこる気持はほとんどなく、自分の対人関係能力の低さがやりきれない。
ごめんなさい、御父参……。

このあいだにビールを2本あけた。7時も近い。
さて、今晩の「のみ」(夕飯?)はどうしましょうか。
昨日とおなじところで、てきとうに済ませば安上がりなのだが。
まだ雨は降りつづいている。
突如、フエ名物の宮廷料理を食そうと思う。
かつて王様や貴族が召し上がった気高い料理が、
いまはカネさえ払えば庶民も食べられる。
いちばん安いコースでも10ドルである。
貧乏バックパッカーなら3日分の宿泊費に相当する。
わたしも当初はこんな名物料理を食べるつもりはなかった。
なぜ気持がかわったのか。蓄積したいと思ったからである。
恥ずかしながらいまだに職業作家をめざしている。
必要なのは、過剰な蓄積なのだと思う。
処世には無駄なものをあふれるほどためこまなければならないと思うのだ。
フエの宮廷料理など、この機会を逃したらもう食べられないだろう。
10ドル。1200円。日本円で考えれば、まあ出せない金額ではない。
はなはだあてにならない投資でもある。
いつかこの投資が実を結ぶのかはだれもわからない。
けれども、独立をめざすのならわずかな確率でもおのれに投資するしか道はない。

たかが1200円を支払うのに、これだけの能書きを必要とするわたしである。
行ったのはティンザー・ビエンレストラン。
雨のなか地図片手に探した。所要40分。客はファラン(欧米人)観光客のみ。
フエ宮廷料理は写真で見るのがいちばん。
検索したらいくらでも写真が出てくるだろう。
わたしはカメラを持たない旅なので、申し訳ないが写真はありません。
亀、竜、兎……いろいろな動物に模した料理が10品登場する。
むろん動物だけではないのだが。
大きくまとめれば、まず目で楽しむのがフエ宮廷料理である。
感想は、居酒屋のセットメニュー!
いぜんアジア料理はつまみがないと指摘したのを覚えていますか。
やはり王族はつまみの喜びを知っていたのである。
少しずついろいろなものをつまむ楽しさだ。
もうどうにでもなれとバカ高いビール(タイガービール大瓶180円)をがぶがぶのむ。

記憶のゆるすかぎりメニューを記す。
まず前菜というのか。口当たりのいいスナックが登場。
それからスープ。あれはホタテかな。魚介類入りのスープ。
パイナップルの外皮にさした串揚げ。
パイナップルの中身にさした春巻き。
エビの蒸したもの。
あっさりした魚をグリル。洋風のトマトソースがかかっている。
「こんなにあってほんとうに10ドルなんですか」
確認したのは、この段階であったか。
このレストランには10ドル、12ドル、15ドルのセットがある。
口のなかをさっぱりさせるためか大根の酢漬けが出される。
かたやきソバ。ふふふ、これでしめろというのだなと強がる。
かなり量は多いが食べられないことはない。
と思ったらさらにチャーハンが出てくる。
まずくはない。どの皿も味は上品である。大衆食堂のがさつさとは無縁。
わたしは注文したものを残すのがなによりいやなのだ。
もう最後はひとり大食い選手権である。
うまいまずいではない。食べなければならないのである。
やっとのところで最後のひと口を押し込み安心したらデザートが。
別バラなんて当方持ち合わせぬ。お茶でデザートを流し込む。
このデザートも単体で食べていたらかなりの美味だったはず。
いかにも高級そうな果物が複数、甘い汁とからめられていた。
14・5ドル。ベトナム旅行でいちばんの贅沢である。
ふだんなら寝酒用の(つまみの)夜食を買うのだが今日はパス。
ホテルへ戻ってからは宮廷料理を反芻(はんすう)しながらウイスキーをぐびぐび。
シャワーを浴びてから、またウイスキー。泥酔状態でいまこの日記を書いている。
明日は急ぎ足で王宮を観光して夜行バスでハノイに向かうか。
それともパソコンが部屋についているこのホテルへもう一泊するか。
まだ決めていない。テレビはNHKのニュースを流している。
「鱗粉(りんぷん)」(御父参JP)

→小説を書く楽しみと、読む楽しみの相違はなんだろうか。
キーワードは経験だと思う。
作者はおのれのある経験を、フィクションとして語ることに満足を見いだす。
人間は書くことによってのみ自己の体験を客観視することが可能になる。
たとえば時代小説のように一見すると経験をともなわない(タイムマシンはない!)
創作も、その実、作者の内部になにか熱源ともいうべきものがあり、
そこから書かれている。
その熱いものはやはり作者個人のある体験からもたらされたものといっていいだろう。
我われが小説を読む楽しみはさまざまにあるが、大きなものは追体験ではないか。
擬似体験である。
おのが経験せぬことを小説を読むことで、あたかも体験したかのように感じる喜び。
読者は主人公の経験を我が物とする過程で、あるものへの接近をこころみている。
作者にその小説を書かしめた熱源へ少しでも肉迫したいと欲望する。
作者はある感動体験から(この感動には喜怒哀楽すべてがふくまれる)
フィクションを創作する。
そのオリジナルの感動を、真剣な読者ならば、なんとか共有したいと思う。
そのとき読者が武器にするのがおのれの感動体験と想像力である。
感動体験と想像力。
これこそ作者が創作をする際、用いているものでもあるのだ。
作者読者相互における感動の融合によって、最高の読書体験が生み出される。

「鱗粉」の主人公は細谷真一。これは作者、御父参の本名でもある。
だが、小説のなかの細谷真一は16歳の少年に設定されている。
実際の細谷氏は50歳。
あとがきによると細谷氏が東南アジア自転車旅行をしたのは6年前。
商社マンをやめたのは40歳を過ぎたころだと聞く。
40過ぎの元サラリーマンが自転車で東南アジアをふらふらする。
これではどうにもシャレにならない。もしくは純文学にならざるをえない。
細谷真一氏が「鱗粉」の細谷真一を少年にしたゆえんであると思われる。
といっても、いまの少年は金持である。正確にいえば日本という国家が金持。
少年が東南アジアを自転車旅行するといっても無理がある。
そこで作者は、少年をスリの被害に遭わせる。
貧乏自転車旅行をするのに都合のいい設定にするわけである。
バカでなければこんな無謀な旅を考えつかない。
そのためだろう。作者は細谷少年を中卒という設定にする。
余談だが、小説のなかでの細谷少年のまぬけぶりはまさしく中卒である。
しゃべりかたもバカっぽい。ありきたりな感想しか持たない。
これは作者の緻密な計算のためか、それとも作者がほんとうに中卒レベルなのか。
いな、御父参はベトナムのニャチャンでバックパッカー向けの民宿を経営している。
ここの宿泊客を観察しているうちに、
あの知的障害児なみの少年が造形されたのかもしれない。

プロではない書き手の小説は完結しないで終わることが多い。
この対策として御父参は最初からゴールを準備している。
細谷少年は彼女とベトナムのサイゴンへ来ている。
この地で財布をすられるのは主人公の少年だけである。
少年は男の意地でタイのバンコクまでの自転車旅行を決意する。
なぜなら彼女がバンコクで待っているというからである。
ラストは読者のだれもが予想するようバンコクで彼女と再会する。
意外性はまったくないが堅実な小説作法といえよう。
細谷少年のバンコクまでの旅路が小説「鱗粉」の内容である。
のりを説明するならば、少年漫画とでもいおうか。
トラブルが生じる。少年が窮地に追い込まれる。助けが現われる。
言ってしまえば、この単調な繰り返しにすぎないのだが、
そこは作者の実体験からくるリアルな描写があるためだいぶ救われている。
行き先、行き先で少年のまえに女性が現われるのも、
陳腐といえないこともないが、わたしは作者のサービス精神を好ましく感じた。
以下のような描写は実にほほえましい。
細谷少年が深夜、となりに横たわるラオスの少女へ欲情するシーンである。

「……真一は一人心臓から送られてくる血液が
全て股間に集中して流れてくる様である。
いきり立ったジュニアは捌(は)け口を探していた」(P163)


おやじのポルノ志向と中卒少年の動物なみの性欲がひとつになった名文である。

ここまで書いてきてようやく告白するが、わたしはこの小説のよい読者ではない。
どうしても理解できない部分があるのである。
それが障害となり、作者の感動体験を共有することを不可能にしている。
この小説の大前提としてあるのが、
カネもたいして持たずに危険な自転車旅行をするのがえらいという思想である。
小説に登場するだれもが細谷少年をほめたたえる。感嘆する。
ひとりとして、そんなバカなことをするのはやめなさいと言うおとながいない。
中卒の細谷少年もなにを勘違いしたのかとんでもない感想を持つにいたる。

「日本社会はなんと甘いことかとつくづく感じた」(P119)
「日本は全ての点で恵まれすぎている」(P122)


中卒のどうしようもないガキがたかだか東南アジアを自転車でまわったくらいで、
日本に物申すようになるのはいかがなものか。尊大すぎはしないか。
細谷少年はそんなにすごいのだろうか。
日本でまじめに受験勉強をして高校に入った少年はいけないとでもいうのか。
かれらの心中には細谷少年を凌駕するほどのドラマがないといえるのか。
突き詰めれば、わたしはいわゆるバックパッカーと肌が合わないのだと思う。
日本人宿でくだらない貧乏旅自慢をする旅行者を毛嫌いしている。
たとえば、自転車で東南アジアをまわったとする。
どうしてこの行為が他人に拍手を当然のように要求できるのかわからないのだ。
物好きなだけでしょう。それはわたしにはやれないけど、やりたいとも思わない。
こうは考えずにあたかも白痴のように、
この種の武勇伝、冒険談に拍手するのがバックパッカーなのだろうか。
そうだとすれば、この小説はバックパッカーに向けて書かれたものである。
バックパッカーによるバックパッカーのための小説が「鱗粉」だ。
「民宿 御父参」を訪れるバックパッカーが漫画ばかりむさぼり読み、
まったく対象外のわたしがこの長編小説を読むことになったのは皮肉なものである。
旅行していて困るのは記憶力の減退である。
地名やホテル名がどうにもこうにも覚えられない。
恥ずかしい話だが、昨日の書き込みではいまいる場所をホエと書いていた。
今朝、急いで訂正。正しくはフエ。
自分のいまいる場所でさえなかなか覚えられないのである。
観光地をめぐるときは、いちいちガイドブックを開いて確認しなければならない。
いまはようやく記憶したけれども、ダラット滞在時はこの地名が覚えられず、
ネットに書き込むたびにガイドブックでたしかめたものである。
なにが原因かと、思い当たるのはお酒。
多量の飲酒で脳がかなりのダメージを受けている。
こちらはこじつけだが大量の読書もよくなかったか。
情報の過剰摂取で、容量が残り少なくなってしまった。
入れ物にたとえると、もはや記憶するスペースが脳に残っていない。
これでもむかしはけっこうなものだった。おおむかし。
中学生のころはプリント1枚の内容を意味と連関させずとも、
ものの10分もあれば丸暗記できたものである。
それがこのていたらくなのだから。

なにが書きたいのかというと、こんにちはである。
アジアの観光地を旅していると、とにかく日本語で話しかけられる。
といっても、せいぜいこんにちは程度なのだが。
少しでも旅なれた旅行者なら、日本語で話しかけられるとかえって警戒するのだが、
向こうはそうは思っていないようで、
それもそのはず、実際はこちらも警戒しながらも、
なんだかんだと身近な存在に感じてしまうものなのである。
かといって日本人がこんにちはでさえ現地語で言えるかというとあやしい。
これを責めているわけではない。
だれもが記憶力抜群の優秀な頭脳を持っているわけではないのだから。
それに身もふたもないことをいえば、日本人はお客さんなのである。
客が店側のご機嫌をうかがうことはない。
わたしはただの「こんにちは」でさえタイ語、クメール語(カンボジア)で言えない。

ところが、である。ベトナム語はいくつか言えるのである。
わずかなものである。
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「123」程度。
これはわたしが意識して覚えたのではなく、
ベトナム人がこれらを言わせるようわたしに仕向けたのである。
これが効果があるのだ。
ふっかけた値段を言いながらいつまでも離れないバイクタクシーにひと言。
ベトナム語で「さようなら」というと相手が一瞬だけひるむのである。
それから、打って変わって金額をさげはじめる。
どんな旅なれた日本人でも日本語で話しかけられるとうっかり油断するのとおなじ原理か。
この事実を身をもって経験しても、アルコールでふやけた脳ばかりはどうにもならぬ。
どれだけベトナム語を覚えようとしてもまったく入ってこないのだ。
せめて1から10まで覚えたら、だいぶぼられることはなくなると思うのだが。
何度も覚えようとしたが、どうしても入ってこないのである。
酒は額面よりも高くつくということでしょうか。
いまベトナム、フエのホテルの一室からこれを書いています。
横には、ウイスキーの水割が。
バルコニーはあけはなたれ、子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきます。
(おお、リッチだぞ、なんだか)
「うるさい」と怒鳴り込みに行こうか迷っているところです(がくっ……)。

さてさて、これはほんとうなのです。
まさかベトナムのいわゆる安宿にパソコンつきの部屋があるとは。
日本人宿として知られるビンジュオンホテルの別館。
全室にパソコンがついています。いちばん安い部屋は12ドル。
そこは午後7時過ぎからしかあかないということで、
その時間まで15ドルの部屋を使わせてもらっています。
それで12ドルでいいとのこと。
いま思えば、3ドルをけちるのは日本人としてどうだかという思いもありますが。
けれども、ビンジュオンホテルの本館には日本人バックパッカーが、
3ドルのドミトリーに泊まっていることを思うと、まあいいかという気も。

今日は朝から雨。
ちなみに海外へ出てから雨に降られたのはこれがはじめて。
こんな日にホテルの部屋へ1日ひきこもる。
そんな経験のある旅も悪くないのではないか。
かくしてジーンズをクリーニングにだし、ホテルの一室にひきこもっています。
ランチは徒歩1分のインド料理専門店へ。
タイ、カンボジア、ベトナムとインド料理店があると聞くと、
かなりのめんどうをものともせずに訪れます。
なぜなら、インドは第二の故郷だからです。
こればかりは自慢しますが、
海外へ出てからファラン(白人)料理を食べたことは一度もありません。
パスタ、ピザ、ハンバーガーなどをいっさい断っているのです。
ファランのたむろしているところへ入っていくのがいやというのがその理由。
しかし、そうすると食べるものが限定されてくる。
ここでインド料理にご登場願うわけです。

「あなたどこのひと? へえ日本人。アリガトウ(日本語で)。
独身? そう、あたしもよ。
恋人は? いないってどうして。こんなにハンサムなのに」
インド料理店で働く30も越したかと思われるお嬢さん(あえて)から、
ふしぎなお言葉をいただく。
このまま会話をしていたら全旅行費用を吸い取られそうな危険を察し早々店外へ。
ふきんをぶらぶら散歩しホテルへ戻る。
御父参の小説のつづきをふたたび読み始める。
とにかく長いのでときおりネットで休憩しながらです。
いままで自費出版系出版社(文芸社、新風舎など)は詐欺だと思っていたが、
あのような会社も十分に社会貢献しているのだと思い知る。
ホイアンの観光を1日で済ませ、いまフエにいます。
ええ、まだベトナムです。
バス移動ではじめて日本人旅行者と会いました。
わたし、ふざけています。
バスに瓶ビールを平気で持ちこみますから。
一般バスではなく、海外旅行者のみが乗るバスだからいいかと。
瓶ビールを2本持ち込みました。

「のみませんか」
これをきっかけに話しかけたのです。
かれは4月から就職が決まっている、いわば卒業旅行の身。
話の途中で聞かれました。次はどこへ行くんですか?
自然に答えていました。
「中国です。次は中国へ行きます!」
4日連続の居酒屋「御父参カフェ」である。
今日は1時間ほどのんだらホイアンへのバスに乗る予定。
劇を求めている。ときにはこちらからしかけていく。
なにもないなんてつまらない。
よいことでも、わるいことでも、旅先ではなにかあったほうがよろしい。
ふたつ下の記事をプリントアウトして御父参へ渡した。
御父参こと細谷真一氏の書いた小説「日本人宿」の感想である。
自費出版の小説なんて渡されても、よほどの義理がないかぎりだれも読まない。
わたしは翌朝1時間で読んだ。即座に感想を書く。
印刷して本人に手渡す。
なにを求めての行動か自分でもわからないが、なにかを求めていることはたしかだ。
商業ベースで書かれた小説ではないから、けなそうと思ったらいくらでも可能。
誤字・脱字の異様な多さには最初、戸惑ったものである。
読了して思ったのは、これを批判するのはだれでもできること。
なら、わたしは反対をやってやろうじゃないか。
かといって、ウソをついたわけではない。
どんな小説にも長所と短所がある。
どちらを取り上げるかの問題だ(あるいは、どちらも指摘する)。

誤字・脱字のため御父参をいくぶんみくびっていたことを認める。
だまされたのである。
小説において、読者がだまされるということは、作者の手腕を示す。
気がつかなかったわたしも愚かである。
御父参が小説「日本人宿」を書いたのは5年前。
まだベトナム縦断もホテル開業もしていないのである。
その時点でホテル経営のウソを書いている。
作者から教えられて、やられたと悔しかった。だまされた。
言い訳はできる。
「かくありたい自分」を書いたという指摘はどちらにせよ間違っていない。
ホテルチェーンを展開させたいという願望である。
けれども、これをホテル開業前に書くか、
開業後の慰めとして書くかという相違の大きさは認めざるをえない。
読みが浅かったことを反省すると同時に、御父参のウソのうまさに拍手したい。

いまだ無名の人間の小説を読むことはたいへん刺激になる。
御父参は小説を書くのが楽しくてたまらないという。
朝の仕入れが終わった昼間に執筆することが多い。
本を読むことと比べたら、だんぜん書くほうがおもしろい。
話がどうなるのか自分でもわからなくて、毎日広がっていくのが楽しみ。
嫌味にならないよう細心の注意をはらい口をはさむ。
「なんだか天才みたいですね」
一発当てようとか、小説でカネをもうけようとかはまったく考えていない。
ただの趣味である。
というのも、御父参は商社マン時代に年収2000万円を取っていた。
「小説で2000万、稼いでるひとはそういないでしょう?」
だから、わざわざ小説で稼ごうとは思わない。
おカネを稼ぐのなら、もっとべつの方法を考える。
けれども、と口をにごす御父参である。
「新風舎や文芸社のひとに見てもらったとき、あと10万あれば本にできると言われた」
その10万円をいま出せないのがくやしいのだという。
いっそのこと忙しくなる7月まで宿をたたんで日本へ出稼ぎに行こうかとも。
そうしたら10万円なんて、すぐだから。
居酒屋だけだと、お客さんが入ったところで、純利益は100ドル。
これだってベトナムの水準から考えたら高収入なんです。
ベトナムでは医者の月収が100ドル。公務員が30ドルだから。
だけど、ときたま日本円で考えるとやりきれなくなる。

「あの小説で細谷さんが経験したことはどれくらいあるんですか」
ラオスの未亡人なんて、あんな都合のいいことあるわけがない。
御父参は経験したことよりも、体験していないことのほうが書きやすいらしい。
「実際に経験しちゃうとそれにひきずられてどうもうまく書けないですね」
ここで御父参が三島由紀夫と開高健の話を持ち出してきたのにはしんそこ驚いた。
「それ知っています。
三島由紀夫が開高健の小説をこう評したんですよね。
あれ(ベトナム戦争もの)をもしベトナムに行かずに書いたらすごかった。
ベトナムを見ることなく、日本で想像力を駆使して書いたのであれば」
御父参に最後まで言わせずに若輩が途中から口をはさんだ。

4日目でようやく会話の前段階ができあがったが、もう別れの時間は迫っている。
いろいろ聞きたいことがある。
「日本の若者って好きですか。いやになりませんか」
「いやね、日本でコンビニのまえで座り込んでいる若者よりはよほどましかと。
いくら英語が話せなくても、ここを探してくるのはそれなりにたいへんなことだから」
ううむ、あたたかいひとである。
聞きたいことがひとつあったのを思い出す。
居酒屋も今日が最後ということで少々高額の日本酒を2杯頼んだ。
ええい、酔いにまかせて聞いてしまえ。
「どうして40を過ぎてから会社をやめようと思ったんですか」
答えづらそうな御父参をまえにして、やはり聞かなければよかったと思う。
「むかし明治時代だったか。国鉄は定年が40歳だったんです。
人生50年と言われて40からは好きなことを・・・・・・」
「たしか40のときに世界一周をめざしたのでしたっけ」
「まだ世界一周は途中なんです。
こうした宿をやっていると毎日いろんな旅行者が来る。
すると、旅行をしているのとおなじなんですね。
まだ世界一周は終わっていないんです」
このあと御父参こと細谷真一氏は秘密でも打ち明けるようにあることを教えてくれた。
小説「日本人宿」の続編をいま書いているという。
「(あの小説の)心真一はアフリカに行くんですね」
細谷真一氏はアフリカ一周のバスを運営する計画も話してくださった。
このとき心真一と細谷真一がひとつになっているのをわたしは感じた。
現実と虚構があいおぎなうかのようにとけあい、
そのどちらでもないひとりの人間の生きかたになっていることを。
前進しようとすること。これがフィクションなのだと思う。
前に進むために人間はフィクションを必要とする。
ベトナム、ニャチャンの御父参から教わったことである。
生きる。あすへ向かう。進む。言いかたをかえれば旅である。
旅はフィクションだ。
その意味で、みなみな生きているかぎり旅をしている。
「まだ私の世界一周は終わってないんです」
ベトナムの居酒屋のマスターはさすがにいきなことを言う。

御父参が今年書き上げたという最新小説を買う。
1ドルを支払い「日本人宿」と交換してもらったのだ。
読後感想を書いたら、それを御父参へメールで送る約束をする。
こうして居酒屋「御父参カフェ」をあとにした。
今夜7時半のバスに乗ってホイアンへ向かいます。
お腹はなんとかなると信じて。
いまからバスでのむ酒を購入しなければ。
それから居酒屋「御父参カフェ」で1時間ほど酔っぱらう。
ああ、急がなければなりません。
それではつぎの更新はいつになるかわかりませんが、みなさまお元気で!
「日本人宿」(御父参JP)

→ベトナムのニャチャンで居酒屋&民宿を経営する御父参こと、
細谷真一氏が5年前に書いた小説である。
御父参にうかがったことがある。いまでも小説を書いているのですか?
書きつづけていらっしゃるとのこと。
どんな小説が好きなのかたずねると、いまは時代小説とのご返答。
好きな作家では、まったくかみあわなかった。
印象深い話を御父参からうかがう。
「小説っていうのは3つだと思うんですね。
女、カネ、人殺し。この3つを入れないとおもしろくならない。
なんにも起こらないのは、だれだって読みたくないでしょう。
女とのあれこれをひとは読みたいと思う。
人殺し。これはなかかできない。だからせめて小説では読みたいと思う。
でも、まだ私には、人殺しまでは書けませんが。
それからカネ。やはりカネなんです。私は商社マンの経験がありますから」

この御父参の発言は小説「日本人宿」をよく説明している。
主人公は心真一(こころしんいち)。
本名の細谷真一から「真一」を主人公に託したわけである。
心真一は、かくありたい細谷真一にほかならぬ。
真一は波乱万丈を生き抜く。
バックパッカー旅行で訪れたラオスでなぞの熱病におそわれるが、
宿の女主人の親切な看病で健康を取り戻す心真一。
女主人は未亡人で、宿を離れる前日に心真一とむすばれる。
現実にこんなことがあるはずがないなどと言ってはならぬ。
これは細谷真一の体験ではない。心真一の物語なのだから。
心真一はベトナムにホテルを開業させる。
ここまでは細谷真一とおなじだが、ここからが異なる。
心真一は、ホテルをチェーン化させることに成功する。
これは細谷真一の夢である。だが、夢と笑うなかれ。
細谷氏の夢は、そのなまなましい実感で読者をとりこにする。
敵役(かたきやく)を作るのは物語の常套。
小説をエンターテイメントと見定めた細谷真一氏は、
ありきたりなパターンを用いることをおそれはしない。
心真一がきずきあげたホテルチェーンをのっとろうとする「権藤」が現われる。
主人公と敵役の葛藤は、いつの時代も観客をはらはらさせるもの。
細谷真一氏のストーリーテーリングには舌を巻く。

物語の後半は興味深いエピソードの連続で読者を飽きさせない。
日本のやくざが登場するのもおもしろい。
シナリオ用語で「色事」「荒事」という言葉がある。
「色事」は男女の濡れ場。「荒事」は喧嘩の意味。
シーンがだれてきたら「色事」「荒事」を入れるというのがシナリオ業界の鉄則。
自殺未遂をする女性旅行者からは「色事」の魅力を、
お茶目なやくざからは「荒事」の醍醐味をそれぞれ感じる。
細谷真一ならぬ心真一はベトナムホテル業界で台頭するが、
奮闘むなしく権藤の術策にはまり撤退を余儀なくされる。
けれども、心真一はあきらめない。真一はアフリカに新天地を見出すのである。
その姿勢は、多くの読者の胸を打つことだろう。

フィクションということについて考えてみたい。
現実の細谷真一氏は、この小説における心真一とは異なる。
日々のホテル経営は楽なことばかりではないだろう。
いろいろな修羅場があったのではないかと、いち旅行者のわたしにも想像がつく。
現実は甘くない。現実はうまくいかない。現実はなにもない。
だから、ひとは物語をつむぐのである。
朝から日本人旅行者とつきあい疲れきった細谷真一氏が深夜机に向かう。
おそらくこの「日本人宿」は、そうして書かれたものだろう。
フィクションの持つ重みを、この小説から強く感じた。
たとえばネズミのような顔をした村上春樹は女にもてまくる物語をつむぐ。
たとえば田舎者の村上龍は最先端の風俗を取り入れた物語に固執する。
どちらも現実に対抗せんがためのフィクションである。
おなじ意味でのフィクションのすばらしさを、御父参の小説から感じた。
フィクションのちからに打ちのめされた。
小説を書きつづけるかぎり御父参はベトナムでくじけないだろうと思った。
3月16日。今晩も居酒屋「御父参カフェ」へ。
「こんばんは」
いままでとは打って変わって店内はがらりとしている。
御父参によると、毎年こうらしい。
春休みのシーズンが過ぎると7月まではまったくひまとのこと。
まだ春休みは残っているのにふしぎですねと問う。
「みんな日本へ帰るためホーチミン市やバンコクへ行くから、
この時期になるとニャチャンを出てしまうのですよ」
居酒屋は昨日までの活況がウソのように感じられる静かさである。
イカの塩辛、ポテトサラダ、一夜漬け、湯豆腐を注文する。
どれも味はしっかりしている。
とくに驚いたのは湯豆腐で、ちゃんとカツオでだしを取っていた。
社長さんが、店外にだされたテーブルで大騒ぎをしている。
とにかく御父参が、かれのことを社長さんと持ち上げているのだ。
社長さんは最初はへたくそな英語で外国人と話していたが、
その相手もいなくなると次なる標的は今宵唯一の宿泊者のHくんである。
「こっちへ来ませんか」
Hくんのまえにわたしも大声で呼ばれたが、辞退している。
あれこれと詮索されるのがめんどうだったのである。

ひとり黙々とビールを空けていくわたしにもう一度声がかかる。
すでにかなり酔っぱらっている様子。
これなら大丈夫と見当をつけ輪に加わることにする。
社長さんは、田舎紳士という言葉がみごと当てはまる。
あとで知ったことだが54歳。魚屋をしている。
こんかいのベトナム訪問は魚の輸入と関係している。
ベトナムへ来るごとに居酒屋「御父参カフェ」へ顔を出しているそうである。
「御父参はね、大学、畜産だけと、おれは水産でバカだから」
おやじはどいつもこいつも学歴ネタが好きである。
言葉とは裏腹に社長さんが御父参を見下している感じがびんびん伝わってくる。
「こいつはなかなか文才があるんだ。
おれも読んだけどね、まあ、悪くない小説だあれは」
泥酔した社長さんは気が大きくなったのか、
御父参の小説をHくんとわたしにプレゼントしてくれるという。
いずれも5ドルと6ドルで販売しているもの。
社長さんがカネを出すというのだ。
御父参が小説を取りに行ったすきに社長さんはこんなことを言う。
「まあ、たいした小説じゃないんだがね、がはは」
わたしは大笑いしてしまう。おとなの関係って笑えるな。

「おれもね、ぜったい社長になりますよ。
いまにね、見てろってんだ。おれ、やりますからね」
社長さんに啓発されて大口をたたいているHくんのことを書きたい。
28歳。日光の土産物屋の三代目らしい。
いまだ家業はつがずバイトをころころかえている。
海外へ出たのはこれがはじめて。
マレーシアから入って、タイ、ラオスともう3ヶ月半もふらふらしている。
おもしろいのは5歳年上のお姉さんといっしょに日本を離れたこと。
このお姉さんはまえからバックパック旅行を繰り返しており、
このたびとうとう弟へ悪い遊びを教えてしまったようである。
海外では、別れて行動しているが、ここニャチャンで再会したらしい。
偶然にも、お姉さんが「御父参カフェ」のまえを通りかかる。
ひとりではない。10近く年下のファラン(白人)の青年と腕を組んでいる。
インドでも見たことがある。女の一人旅。
行く場所、行く場所でファランと仲良くなり部屋をシェアする日本人女性旅行者。
「デリーではフランスの子と仲良くなってぇ、
アーグラではオーストラリアの男の子と意気投合してぇ」
こういうタイプの女性である。
弟もホストのような顔つきをしているから似たもの姉弟なのかもしれない。
日光で土産物屋を経営しているご両親はどんな顔をしているのだろう。
Hくんはほんとうにものを知らない。
湯治場という言葉にも、え、それなんですかと聞き返している。
学歴大好きの社長さんが、それとなくHくんの最終学歴を聞き出す。
高卒である。
2ちゃんねる海外板に「高卒を海外へ出すな」という
危険なタイトルのスレッドがあったことを思い出す。
この問題についてわたしの意見は控える。

「おれはね、言いますよ、ええ。
よく言われる。実家がしっかりしているから、ふらふらできるんじゃないかって。
それは違います。おまえらだって仕事をやめれば海外へいつだって行ける。
こんかいの旅でおれはほんとうにいろんな発見をしました。
無駄ではなかった。これを生かして、おれ、やりますからね」
Hくんである。
「女と魚は、おんなじなんだ。見るところがおんなじ。
目を見れば、女も魚もわかる。
魚は目がいいのを選ぶのが秘訣。女もそう。
目がいいのを選ぶと、おまんこがきゅうっと閉まっている」
社長さんである。
社長さんは「やせているねえ」を連発して御父参の奥さんのからだをなでまわす。
「セクハラですよ」
笑いながらわたしが言う。
「そうか、セクハラ? がはははは」
わかりやすく楽しい社長さんである。
御父参と奥さんは、台所へ引き下がる。
「やっぱり嫁は日本人のほうがいいと思うがな」
とたんに手のひらをかえす社長さんである。
「おれもそう思います。やっぱり女は日本人じゃないと」
だいぶ社長さんからおごってもらっているHくんは調子を合わせる。
わたしはおもしろい人びとにめぐりあえた幸運に感謝する。

「あなた、だめね」
ほこさきがわたしに向けられる。社長さんからご指導いただく。
「暗いのがだめね。もっとオープンにならなくちゃ。
かれ、かれ。名前なんだっけ。
そうそうHさんみたいに明るくならなくちゃ。
もっと、こう、フレンドリーにさ。おなじ日本人じゃないか。
おれはね、言うときは言うよ。言いたいことを言うのがおれの生きかた。
だけど、翌朝になれば、みーんなと握手できる。それがおれ」
はい、はいと神妙にお説教を受け入れる。
とくに怒りも起こらないのは、たしかにこの社長さんの人徳なのかもしれない。
このころになるとめちゃくちゃである。
社長さんは、日本人しかいないのに、
なぜか英語で(それもお世辞にもうまいとは言えない)話し始める。
Hくんはおごってもらえるならのんでおこうというのか、
勝手にタイガービール(高い!)を取り出しのんでいる。
わたしはまったくおごってもらう気はないけれども、
このカオス(混沌)が心地よくどうにでもなれと安いBGIビールをがんがんのむ。
海外でのむときはビールの本数をぜったいに記憶しておくのだが、
こんかいは例外。もう何本BGIビールをのんだか自分でもわからない。
3日目で御父参のことを信頼していることもある。
たしか7、8本のんだように記憶している。
ついに社長さんが酔いつぶれる。寝込んでしまう。
御父参がようやく登場する。
「おカネはらってくださいよ、社長さん」
わたしが心配すると、タクシーに乗せちゃえば大丈夫だからとのこと。
そうそう、なぜか社長さんがカツ丼を3人前注文したのだった。
若者に肉を食わせてやろうというつもりだったのか。
会計を済ませ、テイクアウト用のカツ丼を手に持ちながら、
ふらふらと今宵もベトナムの居酒屋をあとにする。
カツ丼はホテルで米焼酎とともにいただきました。
たいへんおいしゅうございました。ごちそうさまです、社長さん!
ウニがあるではないか。
昨日、居酒屋「御父参カフェ」でウニの写真を見た。
このゲストハウスではツアーもやっている。
その写真の1枚にウニが写っていたのである。
なんでも町のはずれにとりたての魚介類を食べさせる店があるのだとか。
「このウニっていくらくらいするんですかね」
いまはシーズンではないからウニはないと思いますよ。
御父参の回答である。
とりあえずこのレストランの名前と電話番号を教えてもらう。

翌日も早朝から目覚めてしまう。眠れない。下痢もひどい。
わたしは睡眠がからだにいちばんいいと信じている。
デパスを0.5mg服用。これで昼まで眠ることに成功。
強力下痢止めイモディムを2錠のみこむ。
これで効かなかったら、あんた、さすがに医者に診てもらいなさい。
イモディムの注意書きを思い出す。
ウニを食うか。大好物である。
ここから8キロの距離にあると聞いている。
とすると、うーん、バイクタクシー、30000ドン(240円)くらいか。
ホテルを出て最初に声をかけてきたバイクタクシーにレストランの名前を見せる。
いくらだ? 30000ドンだという。
まさに思っていたとおりである。
値段交渉をしようと思ったが、あまり熱が入らない。
うん、たしかに30000ドンが適正価格だよな。バイクに乗り込む。

レストランへ到着。客はだれもいない。
英語メニューはない。さあ、どうやって注文するか。
来いというので行く。いけすから魚を選べというのだ。
値段を聞くと、魚1匹おろすと180000ドン。
2000円の世界である。そんな高いものはいらない。
それにひとりで食べられるわけもない。
日本のグルメ番組で見慣れたものを発見する。これウニだよな?
1個20000ドン。170円か。
なにかわからんが、あるものが10000ドンだという。
あとで見てみたら日本のわさびチューブだった。
ウニをふたつ注文する。
シーズンではないせいか中身は貧弱なものである。
けれども、たしかにこれはウニである。
まさかベトナムの海を見ながら、なまウニでビールをのむとは。

なにかものたりない。もう1品ほしい。メニューを見る。ベトナム語だ。
「地球の歩き方」を参考にメニューを解読する。
おかゆがあるようである。
店員にたずねてみるとウニのおかゆもあるようだ。
ええい、今日はウニざんまいだ。
うまいものを食えば、きっとお腹の調子もよくなる。
ウニのおかゆを注文する。刺身とおなじで20000ドン。170円。
出てきたものを見るとおかゆというより雑炊である、ウニ雑炊。
なぜかなまで食べたときよりもウニがたくさん入っている気がする。
火の通ったウニを食べるのはこれがはじめてである。
なまでも食べられるものを(さっきまで生きていた)雑炊にするのだから贅沢だ。
これがとんでもなくうまい。ああ、ウニはこうして食べてもうまいのか。
なまで食べるよりも、こうして雑炊で食べたほうがはるかにいけるぞ。
ううう、もう1杯食べたい。
170円。都合のいいときだけ日本円で計算する。おかわりください。

ウニを計4個、たいらげたことになる。ビールの小瓶も2本。
バックパッカーがしてはならない贅沢である。
しかし、言わせてください。反論したいのです。
日本へ帰る。ときにはウニを食することもあろう。
そのときかならずベトナムで食べたウニを思い返す。
ベトナムを思いながら口に入れるウニは、きっと何倍もおいしく感じるはず。
すなわち、今日のニャチャンでのウニ体験は死ぬまで忘れられないものになるのです。
ウニをたらふく食べる。ビールものむ。
これで7ドルなら、そう高くはないと思うのですが、どうでしょうか。
お腹はいまのところなんとか持ちこたえている。
あす1日、様子を見ようと思う。
では、いまからまた居酒屋「御父参カフェ」へ行きます。
ニャチャンで日本語可能なネット屋をぶじ発見しました。
ううむ、中国行きはどうなるのか。
なんでも中国の青島から日本の下関へ行くフェリーがあるのだとか。
下関といえば山口県。そう、この場所は山頭火と縁がある。
記念館(?)もたしかあった。
旅のしめは山頭火。深夜バスで東京へ。
そんなプランがおぼろげながら生まれましたが、どうなることやら。
まあ、なるようにしかならないでしょう。
とにかくいま下痢がひどいのです。
ニャチャンのつぎに向かうのはホイアン。
ここはバスで12時間もかかるのです。
バスは夜の7時半発。お腹がもう少しおさまらないと、うーん。
それにファラン(白人)と12時間もおなじ空気を吸うことにたえられるか。
不眠症のわたしです。果たしてバスで眠れるか。
バスの中でのむ酒はなにを持っていこうか。
トイレに行けないから強い酒のほうがいい。
ウイスキー? だけど、まずいベトナムウイスキーをストレートでのめるか。
このさい高い洋酒を買ってしまおうか。
それとも例の米焼酎で行くか。
そうだ、まだ書いていませんでしたね。
あの脳神経を破壊するようなベトナム産米焼酎の名前を知っていますか。
「鬼」というのです。
この商品名を決めた人物は間違いなく完璧に日本語を理解していたと思われる。
鬼というほかない味ですから。
まずはホイアンだ。中国よりも目前のホイアンへ行かねば。
ううむ、もうしばらくニャチャンでからだを休めます。
3月14日。今日もニャチャンの居酒屋「御父参カフェ」へ行く。
2回目なので気後れはなし。どかりとソファへ座り込む。
ここへ宿泊している貧乏旅行者たちがテーブル席で騒いでいるが気にならない。
お互いに人間が違うことを本能的に感じるのであろう。
あちらも話しかけてこないし、こちらも輪に入ろうとは思わない。
イカの塩辛とポテトサラダを注文。
まさかベトナムで塩辛が食べられるとは思わなかった。
さっそく出てくる。こ、これは! イカの塩辛じゃないですか!
注文したのはいんちき塩辛ですよ。まさか本物が出てくるとは。わずか60円で。
ここほど良心的な海外の居酒屋はおそらくないであろう。
ビールも450mlの瓶で50円。
ポテトサラダがなかなか出てこないので、せかすと、
「今日はないんですよ」
「なら注文したときに言ってくれればいいのに」
ここに宿泊している貧乏旅行者ではないから、はっきり不満を口にする。
御父参(おとうさん)のこの対人関係におけるぎこちなさはなんなのだろう。

かわりに冷奴とアジのミリン干しを注文。どちらも60円程度。
アジの干物なんざ、気が狂うほど舌が歓喜するわけである。
日本をはなれて1ヶ月半、このような味に飢えていた。
いかにもな日本のつまみである。
出されるものがそろって少量なのがかえってうれしい。
日本の若者どもが(わたしも若いが)注文するのはカツ丼、親子丼ばかり。
なぜ塩辛や干物を注文しないのだろう。
あとで知ったことだがどちらもここで作っているものらしい。
のみながらすることもないのでテーブルの下をあさる。
日本人宿にはかならずある情報ノートやらなにやらを発見する。
御父参ことH氏を特集した新聞記事のコピーを見つける。
H氏は自分の掲載された新聞を大事にファイルしているのである。
御父参という名の由来もわかる。
H氏は雑誌「旅行人」に御父参というペンネームでたびたび寄稿しているのだ。

H氏は海外青年協力隊の経験がある。
その後、商社マンへ。ナイジェリアで油田関係の商品を取り扱う。
98年、41歳のとき世界一周をめざし会社を辞める。
ベトナムで観光ボランティアをやっているとき、
ホテルでそこの従業員に暴行された日本人女性旅行者の存在を知る。
これがきっかけとなり、ベトナムに日本人が安心して泊まれるホテルを作りたいと思う。
ここでふしぎなのだが、資金集めのために
なぜかシクロ(三輪自転車)でベトナムを縦断することを決意。
その後、中国、韓国とわたり日本の九州へ。
そこから今度は日本縦断をめざし北海道の宗谷岬に到着したのは、
ベトナムを出発してから1年のちのことであった。
このシクロ旅行が注目を浴び(?)開業資金1千万円のうち3割が集まる。
念願のゲストハウスをオープンしたのは2004年のことである。

このような情報を得ると、昨日の印象がだいぶかわる。
なかなかおもしろいひとではないか。
さらに親しみを抱いたのは、H氏が20年間小説を書いていることを知ったからだ。
新聞記事によると趣味は、小説を書くことだという。
いまだ陽の目を見ていないが、まだあきらめてはいないとのこと。
すべてのなぞが氷解する。
御父参のあのぎこちない接客態度はかれの自意識ゆえか。
小説を書こうなんて思うひとは、とびきり大きな自意識を持っているもの。
その自意識があの不自然な腰の低さの原因になっていることが判明する。
あんがいわたしもH氏と似たようなものかもしれない。
わたしも、いんちき臭い腰の低さと他人から思われているかもしれぬ。
それにしても、と思う。
シクロでベトナムと日本を縦断しても、いい小説は書けませんか。
経験と創作の関係について考えさせられる。
もちろん読んだことがないから御父参の小説をとやかく言うことはできない。
それにいい小説というものの定義がそもそもない。
H氏の小説は業界から売れるという評価はもらっていないけれども、
あるいはだれかのこころを動かす熱いものを有しているかもしれない。

「肉じゃがはありますか」
もう店内はひともまばらである。
注文してから出てくるのも早かった。150円。うまい。日本の味だ。
「おめでとうございます」
ひと目でそうとわかる作り笑いで、御父参はライターをくれる。
ここでBGIビールを5本のむと非売品のBGIライターをもらえるのだ。
昨日もいただいた。
わたしもぎこちなく笑いながら小声で「どうも」。
なぜ40を過ぎて会社を辞めたのか聞きたいけれども無理である。
そういったナイーブな質問をストレートにできるほどもう若くはない。
わたしにも聞かれたくないことはたくさんある。
明日も来ようと思いながらベトナムの居酒屋をあとにする。
ホテルへ帰ってからも興奮がおさまらない。
いくらウイスキーの水割をのんでも酔わないのである。
中国! 中国! 中国!
ベトナムと中国は国境を接している。
その中国の「地球の歩き方」が偶然から入手できたわけだ。
行ける、行けるぞ! 行こうと思ったら中国へも行ける! ああ、中国!
はじめの予定ではベトナムからラオスへ抜けタイへ戻る予定だった。
バンコクで日本への航空券を買って帰国する。
しかし、ラオスもタイもさほど興味があるわけではない。
ラオスはなにもない国ということで有名なわけだし、
タイは旅行のはじめに空気を味わっているから新鮮味がない。
中国へ行ってしまおうか。

中国はビザなしで2週間まで滞在可能である。
中国入国。選択肢はふたつある。
ビザなしの2週間をフルに使って中国をほんの少し味わい、またベトナムへ戻るか。
(その後は急ぎ足でラオス、タイと従来の旅を復活させる)
それともビザを取って本格的に中国を味わうことにするか。
ふたつにひとつである。
まったく中国に行かないという選択肢もあるが、
これは「地球の歩き方 中国」を入手できた幸運を捨てるようなものだ。
どうするか。中国。敦煌が思い浮かぶ。
井上靖の小説で有名である。敦煌へも行こうと思えば行けるのである。
敦煌をこの旅の最終目的地にしようか。

しかし中国である。インドとおなじく人口が多い。
旅も、インドとおなじく、そうとうハードなものになることが予想される。
中国では、これまでのようなのほほんとした旅ができないのは確実だ。
こんかいの旅の目的は、あるとすれば目的を持たないことが目的だった。
純粋に旅を楽しもうと思ったわけである。
これまでのところその目的は果たしている。
海外を旅するのが、ここまで楽しいとはついぞ知らなかった。
中国へ行ってしまえば、このポリシーを破ることになる。
中国では楽しんでばかりはいられないだろう。苦労もたぶんに予想される。
それに中国は旅行費用が高くつくのでも知られている。
わざわざつらい思いをするのに大金を使うのは、
まるでわたしの嫌いな日本の貧乏旅行者みたいではないか。

けれども、つらい思いをしなければという気持もあるのだ。
このままだと居心地がよすぎて、いつ帰国すればいいかわからない。
日本でいま重大なことが進行しているので、
この日までに帰らないといけないという期日はいちおうあるのだが、
それにしてもこんかいの旅は(インドと比べて)楽しすぎる。
最後に中国にがつんとやられたほうがいいのではないか。
なんだ、そのマゾヒスティックな考えかたは!
旅は楽しむものだろう。
中国などへ行かずにラオス、タイとビールをのみつづければいいではないか。
しかし、中国だ。中国。行くとなったら、このいきおいを利用するしかない。
いま行かなかったら二度と個人旅行者としては行けないぞ。
いましか中国は見られない。
作家が編集者とガイドを連れて見に行く中国がなんだ!

迷っている。ふたつにひとつである。ああ、中国!
わたしは宿命論者だから、中国へ行くか行かないかはもう決まっていると思っている。
ちっぽけなわたしがどう迷ったところで、行くときは行くし、
縁がなかったらどんな行きたくても中国入国はかなわないだろう。
中国! 中国がわたしのまえに現われた!
ベトナムのニャチャンにある日本人経営の居酒屋、
「御父参(おとうさん)カフェ」で飲食する。
入口付近に大勢の日本人の若者がたむろしている。
もろにわたしの嫌いなタイプばかりである。
がりがりにやせている。ひげをそっていない。へんな笑いかたをする。
放浪を気取っているくせに日本人宿へ泊まる矛盾した感性。
この居酒屋はゲストハウスも経営している。
あとでわかったことだが、この居酒屋にいる客はすべて宿泊者であった。
入りたくないわけである。しかし、「本の山」での約束がある。
勇気をふりしぼって入店する。
すると座る場所がないわけだ。どこに座ったらいいんですか?
みなから「おとうさん」と呼ばれている(きもいぞ!)中年男性へ質問。
「そこらへんのソファしか座るところがないですね」
スペースを空けてもらい腰をおろす。
「はい、、どうぞ」
と気安く場所を作ってくれた青年はやけにこざっぱりとした格好をしている。
これなら許せる。聞くと、いわゆる卒業旅行らしい。
4月から就職が決まっている。
大阪からフェリーで上海へ。中国を5日で出る。ベトナムへ。
ベトナムもまだ1週間もいないとか。旅行期間は残り10日ほど。
カンボジアからタイへ渡り、バンコクで航空券を買い帰国する予定。

敬語が使えないわけだ。いな、敬語を使えとは言わない。
せめて丁寧語は使おうよ。明らかにわたしのほうが年上だぞ。
なれなれしすぎる。
ちなみにわたしは年下相手でも完全な敬語、丁寧語を使う。
海外のみならず日本でも同様。
しばらく接しているうちに敬語を使わないのではなく、使えないのだとわかる。
ここのような日本人宿へ来る客はたいがい英語が話せない。
それとおなじで敬語もかれらは使えないのだ。
そう思うと、かれの無礼もあまり気にならなくなった。
「もしかして」
うわずった声でたずねるわたしである。
もしかして中国の「地球の歩き方」を持っていますか?
持っているという。ああ、来ましたよ偶然が!
わたしの持っているカンボジアの「歩き方」と交換してもらうことにする。
これで一気にかれのことを好きになる打算的なわたしである。
中国の「歩き方」は日本で買ったものではなく、
上海へ向かうフェリーで日本人からゆずってもらったものだという。
(どうでもいいがわたしのカンボジア「歩き方」もバンコク購入の古本)
「へえ、ガイドブックをなにも持たずに上海へ行ったんですか」
すごいですねを連発してかれを喜ばしてあげる。
得意げなかれの笑顔はかわいい。
本音をいうと、なんでガイドブックも持たずに海外へ行くのかわからない。
それは勇気があるというより、ただのバカだろうと思ってしまう。
あるいは、あれはかれの見栄で、
ほんとうは違うガイドブックを持っていったのかもしれない。
まあ、どちらでもいい。中国、中国、中国!

名物のマグロの刺身を注文するがなかなか来ない。
居酒屋のおとうさんは頭の回転がいいのか悪いのか、
注文した順番に料理を作る主義らしい。
マグロくらいちょっと切ったらいいと思うが、
そうはせずに先に注文が入った手のかかるカツ丼から作らないと気がすまない。
律儀な男である。まあ、日本ではぜったいに通用しないタイプだな。
自分とおなじ臭いを、ベトナムを自転車で縦断したことが自慢の、
この小男(こおとこ)からかぎあてる。
ようやくマグロの刺身の登場である。
ふむ。1ヵ月半ぶりの刺身。
どうですかと横にいる例のかれから聞かれる。
「味うんぬんより、とにかく色が悪いですね」
場が一瞬、凍ってしまったのを感じる。うひゃあ、またやってしまいましたよ!
空気の読めないことにかけては天才的なところがあるのだ。
「本音と建前を(ごにょごにょ)」
やさしい隣のおにいさんが一生懸命場をとりつくってくれる。
うん、これなら大丈夫。きみは4月から立派な新社会人だ。
わたしの本音をおとうさんが耳にしたかは定かではない。

ビールがきちがいのように安いのがよろしい。
たいがい日本料理店というのは酒がおそろしく高いのだ。
だから、日本食でのみたいと思ってもかなわぬ。
調子に乗って450mlのビールを5本もあけてしまう。
中国の「歩き方」が入手できてうれしいので、
提供者(交換者)のかれを徹底的にもてなすことにする。
ベトナムドンがあと3000(40円)しかないというので、
ものすごい割のいいレートで米ドルを両替してあげる。
お腹を壊しているというので強力下痢止めイモディムをプレゼント。
白菜のおひたしもアジフライもかれに分け与える。
青年よ、そんなに感謝しなくてもいいんだよ。
日本円に換算したらわずかなもの。
きみだって日本に帰ったら1回の宴会で5000円を使うんだろう。

居酒屋の主人、おとうさんについて書きたい。
ずるそうで抜け目のない小男といった印象。
やたら腰が低いのだが、演技なのが透けて見える。
本棚を見たら、とんでもないことをこの居酒屋はやっている。
日本の旅行エッセイ本を丸々コピーして2ドルで売ると書いてある。
著作権法をおとうさんは知らないのかと苦笑。
まあ、ビールが安いから許そう。わたしを特別扱いしてくれるのも気分がいい。
そこらのガキんちょといっしょにされても困るのではあるが。
若い女がいる。ベトナム人。聞くと、おとうさんの奥さんで30歳。
おとうさんは50歳だという。結婚したのは3年前。
なかなかやるじゃないかおとうさん。
「結婚するまえはもっと格好よかったのよ」
奥さんの証言である。

おとうさんが若者に注意している。
「ニャチャン、このへんはね、治安が悪いから気をつけなくちゃだめだよ。
引ったくりとか、すごい多いから。うちのお客さんも週に1回はやられている」
言っては悪いが、おそらくウソだろう。週に1回って、おいおい。
おとうさんは若者の恐怖感をあおりたて、自分への依存度を高めさせるわけだ。
もしかしたらいい人生なのかもしれない。
20歳も若い妻を獲得。頭の弱い日本の若者から「おとうさん」と慕われる。
うん、おとうさんは海外で成功した数少ない例なのかも。
かれが日本へ戻ってもろくな人生が待っているようには思えない。
ビールをのみたいだけのんで、マグロ刺身、アジフライ、白菜のおひたし。
これで7ドルである。いいんじゃないかな。
ここにいると書くことが増えそうなので今晩も行こうと思う。

追記)いま聞いたらニャチャンで日本語可能のパソコンはここだけらしい。
もうすぐここをチェックアウトするから、とうぶんパソコンはできないのか。
しかし、ゴキブリと暮らすのはいやだ。いやなんです……。
ベトナムのニャチャンにあるこのホテルはいかがなものか。
たしかに日本語可能のパソコンがフリーなのはよろしい。
けれども、1台しかないので、すさまじい争奪戦だぞ。
いざ占拠しても、つねにうしろが気になる。
落ち着いてインターネットをすることができない。

最大の問題はあれだな。海外で初めてあれを見た。
あれである。黒い、素早い、不愉快な、あれ。
あれだ。ゴキブリだ。2匹もいた。
いま12ドルの部屋に泊まっている。
ゴキブリは出る。電気は暗い。日当たりも悪い。
なんでこんなところが人気があるのかさっぱりわからない。
こうして書き込んでいるいまもつぎつぎにファランが。
満員だと断られている。
日本人もたくさんいる。昨日だけで5人も見た。

「何日このホテルへ滞在しますか」
いま、たったいまである。聞かれた。
今日、チェックアウトするよ。
だってゴキブリがいるんだもん。
しかし、ゴキブリを英語でどういったらいいのかわからないので、
必死でジェスチャーで示すも理解してくれない。
おっと、空き部屋待ちのファランがいまうしろにいる。
あの部屋に泊まるのか。
暗くて暑くてゴキブリの出るあの部屋に!

まじめな観光客なので今朝は6時に朝日を見にビーチへ。
そのついでにホテル探しも済ませてしまう。
そこらへんに転がっているバイクタクシーの肩をとんとん。
ホテル、グッド、チープ。これだけである。
ガイドブックには載っていないが客引きに熱心な(=安い)ホテルを教えてくれる。
ちょっとメインロードから裏に入ったあたり。
いいホテルを見つけた。バスタブつきで9ドルである。
ほんとうかわからんが、建てられて2ヶ月だという。
最初は10ドルだと言っていたが、顔をしかめたら9ドルに。
こういうのは悪くない。

で、いまからホテルをかわるわけだが、
唯一の難点はインターネットができなくなることである。
まあ、このところネット中毒気味だったから、
少しパソコンから離れるのもいいのかもしれない。
と言いながらも日本語可能なパソコンを必死で探すんだろうな。
さっきニャチャンに到着。
ダラットが山の上だったのと対照的に、ここニャチャンは海辺のリゾート地。
山から海へという旅である。
ホテルはめずらしく一発で決める。「地球の歩き方」推薦ホテル。
フリーインターネットというのが決め手。しかも日本語使用可ときた。
人気のホテルのようで、部屋もわたしの泊まったひとつしか空いていなかった様子。
値段は12ドル。安いのか高いのか。

しかしパソコンに問題が。
宿泊を決めてから気づいたのだが、パソコンはぜんぶで3台。
そのうち日本語を使えるのはわずか1台である。
ひとりであまり占有するな、譲りあえという注意書きまではってある。
調べてみたらフランス語、中国語、韓国語も、使えるのはこのパソコンのみ。
そのパソコンをさっきから4時間にわたって占拠しているのである。
日本人もたくさん宿泊している。
日本人がなにも言ってこないのは予想していたが、
ファランからは文句を言われる覚悟はできている。
ひやひやしながらネットをしている。
いまのところ面と向かって苦情は言われていない。

「海を見たらどうだい? たしかにきみはうちのゲストだが」
先ほど宿のオーナーからやんわりと注意された。
それでもパソコンをやめない自分勝手なわたしである。
こちらにも言い訳がある。
ニャチャンはだめだ。だめったらだめなのだ。
見どころが海しかない。ビーチしかない。
そのビーチでは大量のファランどもがだらだらしている。
海辺で寝転がっているののなにが楽しいのかわからない。
水着でごろごろするファランは、肉塊がならんでいるようである。
なにもすることがない。
さっきからずっとパソコンをしている。
びくびくしながら。
といいながらもずうずうしくグラスをかりて、ストロベリーワインをのみながら。

いまから日本人の巣窟へ乗り込む。
居酒屋「御父参(おとうさん)」である。日本人経営。
日本でガイドブックを見て、あ、ここへ行きたいと思ったもの。
さて、行ってみたら期待はずれなのかどうか。
たむろしている日本人からのけものにされはしないかという心配もある。
だけど、まあ、酒があるからなんとかなるのではという淡い期待もある。
それではベトナムの居酒屋へ行ってきます。
マグロの刺身が名物だとか。結果はあした報告します。
3月12日。ダラット。
海外にでてから困ったのが眠れないことである。
かならず5時間程度で目が覚めてしまうのだ。
疲労困憊しているという自覚がある。
眠りたい。早朝の起床後、デパス(睡眠薬)のお世話になることにした。
この昼寝のためにいまいる10ドルの部屋に決めたのかもしれない。
ダラットでは4ドルからシングルルームがある。
泊まらないかと執拗に誘われたがベトナムで監獄に泊まる趣味はない。
いまの部屋からの眺めはすばらしい。
南向きで窓のそとは一面畑である。窓をあけると高原の風が入ってくる。
昼寝を満喫した。

アリバイを作らなくてはならない。
ダラットまで来たのだから一度くらいは名物の高原野菜とやらを食べねば。
どこで食べられるのかわからないので「地球の歩き方」の世話になる。
どうせまずいのだろうと思いながらも。
ホテル宿泊費に込められていた朝食は辞退する。
だから、まあ、朝いちのビールとも言えないことはない。
これは問題だな。
とりあえずビール、ダラット野菜炒め、ご飯。
店内には赤毛女がふたり。海外旅行者用のレストランである。
ところが、うまいのだ。空の茶碗をつけてくれるのもうれしい。
茶碗にご飯を盛り、そのうえに野菜炒め。ぶっかけ飯である。
これにベトナムの醤油、ヌックマムをかけ味をこくする。
まるで肉体労働者のようにがっついてしまった。
あっという間にたいらげる。
赤毛のほうを見ると会計をしている。
どちらの赤毛もご飯をほとんど残している。
ここだけではない。
どうしてファランはああも食べ物を残すのだろう。
タイ、カンボジアとずっと目撃してきたことである。
不愉快でしようがない。

おまけに自家製ストロベリーワインを注文。
ミニグラスをたのんだら、ほんとうにひと口サイズである。
まあ、のめなくもないな。
急いで会計を済ませバイクタクシーで駅へ。
ここからミニトレインが出発しているのだ。
近くの村へ30分で行く。30分後にまた戻ってくる。
向こうにいられるのはわずか30分のみ。小旅行である。
実は、これを楽しみにしていた。
電車がすきなのである。海外で乗る電車。なんともいえない旅情がある。
むろんそのためには酒が必要である。
ウイスキーと水、プラスチックのグラスをこのために用意している。
ベトナムの田舎の風景をさかなに酒をのもうというのだ。
まだ昼過ぎだが、いいのである。これがわたしの旅なのだから。

予定を変更。駅の横の売店にストロベリーワインが売っている。
値段を聞くと240円。イチゴはダラットの名産でもある。
これをのんだほうが気分がでるな。
聞くと、グラスをかしてくれるというではないか。
ストロベリーワインの味は、先ほど確かめているから安心だ。
車両はふたつ。
ひとつは木の座席。もうひとつはソファである。
いちばんいい席にはファランが先に座っていた。くやしい。
あとで話すとドイツ人だという。
あまったもうひとつのソファへ腰をおろす。
列車が動き始めると同時にためらいもなくワインをのみ始める。
中年のドイツっぽ夫婦が笑いながらなにかいっている。
このひともワインで動き出したみたいだ。
おそらくそんなことを言っていたのだろう。
列車は20分で目的地に到着。
例のドイツっぽがガイドを雇っていたのでふたりのあとを尾行。
寺が見えたので追い抜く。先に観光をさせていただく。
七重の塔が見えたのでそちらへ向かう。
うえに登っていいかとジェスチャーで聞くとOK。
高いところが好きなのは煙となんだったか。
最上階には仏像が鎮座。そとへ出ると絶景である。田舎風景。
ドイツ夫婦がいつ来るかと思っていたらいつまで経っても来ない。
田園を見ながらひとり。ふるさとをひとりで見ている。
山頭火と放哉を足して二で割ったようないんちき臭い句をひねりだす。
気づくと「故郷」を口笛で吹いていた。うさぎ追いしかの山♪
連日通っているビアホールに確かうさぎのメニューがあった。
今日はうさぎを食らおうかしらん。
情緒があるのかふざけているのかわからないわたしである。

帰りの電車がとくによかった。
列車の先頭部分に出られるのである。
目の前を流れる風景を見、風を体全体に浴びながら、ワインをちびりちびり。
ああ、旅をしていると実感するのはこんなときだ。
列車の小旅行を終え、時間があまったので、
昨日行かなかったフラワーガーデンへおもむく。
なんてことはない小さな植物園である。きれいな花が見られる。
繰り返しになるがここダラットは新婚旅行のメッカ。
新婚カップルが花を背景に写真を撮るのであろう。
だが、今日は月曜日。入場者はわたしだけである。
これがよかった。どこまでも人間がきらいなのである。
花々にかこまれひとり。
またいかさまめいた句作をしてしまった。
山頭火にこのような句があったと記憶している。
「やっぱりひとりがよろしい雑草」
「やっぱりひとりはさみしい枯草」
どちらもよくわかる。山頭火の句は突き詰めれば感傷である。
だから、大衆に受け入れられるのだ。
安っぽいという批判もここから生じる。
昨日、新婚夫婦にかこまれていたらこうなっていただろう。
「やっぱりひとりはさみしい花々」
来るのを今日にしてよかったと思う。
「やっぱりひとりはよろしい花々」
遠くの山々を見やる。

昨日発見したホテルへ。
ダラットで唯一日本語の使えるインターネットである。
お世話になったところの悪口を言いたくないのだが、
ここは完全なファラン(欧米人)専用のホテル。
「うちには10ドルの部屋もある。なぜうちに宿泊しないのか」
聞かれたが、まさかファランがきらいだからともいえぬ。
ここのロビーがなんとも言えずファランくさいのだ。
ファランと宿の女主人がいかにも欧米人らしく雑談している。
ファンタスチック、グレート、ナイスの大安売りである。
しみじみと泣く旅人の居場所はない。

ブログをやっていてよかったと思う。
これでかなりの時間をつぶすことができる。
ひとり旅でなかったら、この時間を連れとの会話にまわすのだろう。
3日連続おなじビアホールへ。今日もとびきりの笑顔でお出迎え。
メニューをよく見るとうさぎのみならずワニがあるではないか!
あやふやな記憶だが、日本神話にうさぎとワニの話があった。
うさぎがワニをだまして整列させる。ワニを橋にするのである。
けれども、だましていたことがばれて、うさぎはワニにとっちめられる。
あるいは食べられてしまうのだったか。出雲地方の神話だったような。
よし、うさぎとワニを同時に食ってスーパー日本人になるか!
ごめんなさい。うさぎもワニも食べられません。意気地なしのわたし。
豚のもつ焼きでお茶をにごす。まあ、ビールとあわないわけがない。
ふつうのビールを3杯、黒ビールを1杯のみほす。
今日でここも最後だと思うとさみしいがこれが旅である。
旅という名の非日常はいともかんたんに日常に変容してしまう。
本日も会計でおまけをしてもらう。
どう考えても計算より少ないのである。
指摘するのも野暮なのでこころのなかで手を合わせる。
そして、手を振る。さようなら。
もう二度と来ないと思います。3日間、おいしいビールをありがとう。

昨日の串焼きの屋台を探すが見つからず。
さんざん探して似たような串焼きの店を見つける。
ここは屋台ではないので価格は昨日の倍だがやむをえぬ。
米焼酎をのんでいる若者集団を見つける。
あのくそまずい米焼酎を水で薄めもせずにのんでいるのに驚く。
どうせまたイッキをしているのだろう。
1杯のまないかと誘われたが、あれをそのまま常温でのむのは勘弁。
ホテルに戻りベトナム人に負けるかと、例の米焼酎を(冷たい)水割りでのむ。
これをのんでいるベトナム人を見たせいか昨夜ほど抵抗感はない。
串焼きをつまみながら米焼酎。
途中で寝入ってしまい串焼きは半分ほど残すことに。
食べ物さん、ごめんなさい。