こんかいの旅の裏テーマは脱亜入欧かもしれない。
旅人としてのありかたが脱亜入欧だということだ。
なめられたら怒る。
これは裏を返せば欧米人同様に扱われたいということにほかならぬ。
きのう書いた中国大使館の話が象徴的ではないか。
欧米人のみ行列しなくてもいい。
ビザ申請のときではなく、取得するさいのことだ。
中国大使館の門番(ベトナム人)は欧米人を優遇する。
欧米人は並ばないでもいいことを当然のように考えている。
わたしから「並べ!」と怒鳴られても無視する。
じゃあ、わたしも通せと門番に要求したらダメだという。
ここでもうひとつの疑問が生じる。
どうしてわたし以外のアジア人は門番に抗議しないのか。
申請のさい知り合った韓国人のおじさんも当たり前のように並んでいた。
目の前を行列しないで通り過ぎていく欧米人に対して怒りを覚えなかったのだろうか。
欧米人は優遇されるものとアジア人までが了解しているとしか思えない。
抗議をしたのはわたしだけである。
そうしたらしばらくして入っていいよとわずかだが行列を飛ばすことができた。
ここで中国大使館に入った行為を非難するむきもあろう。
けれども、わたしの立場も考えてほしい。
もし門番の気分をいちじるしく害して大使館に入れなかったらビザを取得できない。
もうその晩の寝台のチケットも買ってある。
「入れ」と門番から言われて、思わず入ってしまう行為をそう責めないでほしい。
さて、この行為の意味を考えてみよう。
アジア人の行列を抜け出して欧米人のように大使館へ入った。
まさしく脱亜入欧である。
こんかいの旅の感想で、わたしはしきりに欧米人への不満を書いている。
欧米人にことさらへつらうアジア人への不満も根をおなじくしている。
この意味するところはやはり脱亜入欧にほかならぬ。
脱亜入欧はわたしのみならず、いまもって日本のありかたを具現してはいないか。
こほん、こほん、こほん。
風邪をひいたわけではありません。
気まずさをごまかしているのです。
きのうあれだけ物々しいお別れをしておきながら、こほん。
照れをごまかすとき咳をします。こほん、こほん。
いえですね、あのですね、そのですね、パソコンありました。
ベトナムの山奥だからパソコンはあっても、さすがに日本語は無理だと思っていたら。
バスに連れて行かれたゲストハウス。
「地球の歩き方」に掲載されているわけでもない。
それなにに、どうやらここは日本人宿のようでして。
なんと日本語の情報ノートまであります。
さらに日本語可能のパソコンまで。即決ですね。
ベトナムドンが余っているからいいホテルに泊まろうと思っていたのですが。
かようなしだいでわずか6ドルの部屋へ泊まることに。
べつに汚いわけではないのですが。
いまビールをのみながらパソコンです。
なにをやっているのでしょうね。
今日は肝臓が悲鳴を。ビールをからだが拒否しています。
だから、少しずつのんでいます。
ゆうべの寝台列車はよかったです。
かなり酔っぱらって列車へ乗り込む。寝台列車はこんかいの旅ではじめて。
インドを思い出しました。ああ、またこのような旅ができるとは。
いま旅のさなかではありますが、とても信じられません。
しかし、あれはよくなかった。寝台列車でのハノイウォッカのがぶのみです。
少し今晩はお酒をひかえようと思います。
いまから部屋呑み。
寝台列車で食べようと思っていたつまみが大量に余っていますので。
うすい水割をつくって、ちびちびやりますね。
その水はいまゲストハウスの冷凍庫(部屋についているわけではない)。
はんぶんこおってるくらいがちょうどいいのです。
今晩は日本の桜の夢を見たいものであります。おやすみなさい。
それではしばらくのお別れ。
4月1日に中国へ入るなんて、まるでウソのようです。
はたして中国にどれだけ日本語使用可能のパソコンがあるのか。
もっと心配なのはお酒。どれだけ安いお酒があるのか。
どちらも行ってみないとわかりません。
飲代(のみしろ)と通信費(ブログ)の出費はあきらめています。
金に糸目をつけず(ほんとかよ!)お酒とパソコンを探し求めるつもりです。

お別れだから、かっこうのいいことを書きたいけれどもダメですね。
なにかでしめなければ、ううむ。

パンダ、パンダ、パンダ♪
2007年3月29日情報。
ベトナム、ハノイの中国大使館でビザを取る。
1ヶ月ビザ:30ドル。
2ヶ月ビザ:45ドル。
これ以上のビザが出るのかは調べていない。
必要なのは(土日をはさまない)4営業日。
月曜日に申請すると木曜日。
ハノイの旅行会社に依頼すると中国1ヶ月ビザ45ドルというのが相場。
2ヶ月ビザは65ドルと言われた。
「じぶんで大使館へ行ってもおなじ金額だよ」
これはウソね。15ドルもぼったくられる。
一部に2ヶ月ビザはでないという情報があったがかんたんに出る。
けれども、これは正確には2ヶ月ビザではないらしい。
ダブルエントリービザ。30日のステイを2回可能なビザ。
30日前に一度、中国の公安へ行きなさいとのこと。

中国大使館は(安宿の多い)旧市街からならバイクタクシーで往復1ドル。
ほんとうならもっと安く行けるのだろうが、
10円単位にどれだけこだわるかはアップツーユー♪
ハノイの中国大使館の門番(守衛)はかなり不愉快な男。
ビザを取りに行ったときのこと。
ファラン(欧米人)は行列しないで通してもらえるが、
非ファラン(日本人、韓国人、ベトナム人ほか)は行列しなければならない。
むかついたので怒鳴りつけたが、そしらぬふり。
ならばとファランのほうへ並べと声をかけたがこちらも無視。
うるさいと思ったのか門番がわたしを優先的に入れてくれた。
べつに並ぶ理由もないので従う。バカは怒鳴りつけるにかぎる。

(訂正情報)
ハノイで中国2ヶ月ビザは取れません↓

http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1178.html
いま検索してみたらベトナムとの国境の町、中国河口には銀行もあるみたい。
やっちゃった! さっきベトナムドンを大量におろさなければよかった。
わずか3時間ほどまえのこと。もう取り返しがつかない……。
まあ、仕方ないよな。朝、パソコンも使えなかったし、うん。
どうにかしていいレートで中国元に替えよう。
けれども、わたしが国境越えをするのは日曜日で銀行がやっていないわけで。
めんどうだな。えいえいおうでがんばるしかないか。
河口には旅行者にたかる有名人「ネズミ男」がいるらしい。
両替をごまかそうとしたり、なかなかおもしろい男とのこと。まだいるのかしらん。
毎日うちのブログをご覧になっているかたがどれほどいらっしゃるのか。
まったく見当もつきませんが、昨日の更新は恥ずかしい。
そこのネット屋では22時をすぎると料金が3倍になるのです。
なんとか間に合わせようと書き上げたのが昨日の記事。
まとまりもなく誤字脱字も多く――。
現場(ベトナム)のノリを大切にしたいので、あえて書き直すことはしない。
もっと書きたいことがあった気もするのだが……。

不愉快な体験だったが、どこかおもしろがってもいる。
ファラン(白人)といっしょにバスに揺られ香山に行くくらいなら、
よほどあちらのほうがいい。あれでよかったのだ。
久しぶりに全身で興奮した。生きているという感触を十全に満喫したのだから。

あれに近いことはたびたびあるが、わたしは怒るのをやめない。
そのたびに大声で怒る。
ベトナムはこうだからとわかったような顔をしない。
おかしいものはおかしい。
ベトナム人が日本へ来ても、日本人はかの旅行者からぼったりしない。
ベトナムは貧乏だからいいという意見もあろう。
学校の先生の好きな、他人の気持がわかる人間になろうだ(エスパーか!)。
ベトナム人は貧乏でかわいそうなんだから、同情しようというのだ。
訳知り顔で「これがベトナムさ」と両手をあげるやりかたである。

それでいいのかな。ほんとうにそれでいいのか。
おかしいと思ったら、怒るべきではないか。
たとえばベトナムの少女。雑貨屋の娘。まだ小学校高学年程度。
このくらいの少女からして、外国人と見るやぼろうとする。
前日に彼女の母親からウイスキーの小瓶を180円で買っていた。
「このウイスキーをふたつくれ」
この少女が紙に書いた数字は1000円近い。360円だろうが。
おとなげないと言われそうだが、金額の書かれた紙を地面へ投げつけた。
少女は泣きそうな顔をしたが、悪いとはからきし思っていないのは明らか。
どうして怒鳴られなければならないのという表情であった。
日本人旅行者はアジアの純真な(!)子どもと遊ぶ(遊ばれる?)のが
たいそう好きなようだが、わたしにはまるっきりわからない。

「他人の気持のわかる人間になりましょうね」
ああ、わかるね。ベトナムに枯葉剤を振りまいたアメリカ人の気持がわかる。
ベトコン兵士の首をまえにおき笑顔で記念撮影していた米軍兵士。
はじめてホーチミン市で見たときはかれらの気持がまったくわからなかったが、
いまはかなりのところまでわかる。
ベトナム人の首をかっきりたいと思うことがある。
さっきもそうだ。念のため下痢止め(安いインド製)を追加購入しようとしたら。
おなじ店なのにふっかけてくるのである。
ここでこの金額でこれを買った。そこまで主張してもおばさんはとぼけたふりである。
その場を離れないと、しばらくしてようやく先日の価格になる。
おばさん、枯葉剤はありませんか? 
ええ、ダイオキシンです(ベトちゃんドクちゃんの奇形児をご存知か)。
いくらですか。くださいな。あたまから振りかけてあげますから。
本日9時15分(日本時間11時15分)の寝台列車に乗ってラオカイへ行く。
ラオカイは中国との国境の町。
すぐに中国へは行かずにベトナム少数民族の町、サパに寄り道する予定。
山奥のサパに日本語使用可能のパソコンがあるとは思えない。
とするとつぎは中国だが、この大国に安価なネット屋はそれほどないような……。
高級ホテルのラウンジに宿泊者のみ使用可能の日本語パソコンがある程度では。
どういうことか。日本語でパソコンを使えるのは今日が最後。
おそらくとうぶんは無理。
列車の出発時間までえんえんとパソコンをやっているつもりだった。

ところが――。
ホテル周辺一帯が電気工事のため停電。
ひいきにしていたネット屋もこの近くなのでパソコン使用不能。
いつ電気がつくのか聞いたら夜の7時だという。
よりによって今日、停電とは。いちばんパソコンを使いたかった日に。
いくら嘆いても無理なものは無理である。
血まなこで日本語使用OKのパソコンを探す。
ひとつ知らないではないが、あそこは1時間100円も(?)取る。
50円がベトナムの相場である。
聞いて、聞いて、聞いた。ネット屋を見れば「ジャパニーズOK?」。
どこにもなし。
あたまに来たので昼からビールである。
ハノイは酒天国。というかこのベトナム首都は狂っているのではないか。
みんな平日の昼間から平気でビールをのんでいやがる。
瓶ビールとチャイニーズヌードルを注文。
本日、中国ビザを取得。ベトナムチャイニーズフードを食べるのも悪くない。
ところが、出てきたのはワンタンを揚げたもの。
ベトナム語を英語に翻訳する際、間違えたのだろう。
くそ。今日はどこまでもついてないのかとワンタンにかぶりつく。
瓶ビールを2本、まずいビアホイを3杯のんだ。
瓶ビールとビアホイを交互にのんだわけである。
いかにビアホイがまずいかよくわかった。

昼日中から酔っぱらってふらふらしているわたしである。
シティバンクのATMにベトナムドンをおろしに行く。
損得よりも安全だ。
たとえ両替事情で少しくらい損をしようが現金は多く持っていたほうがいい。
中国の田舎がどうなっているのかまるで情報がないのだから。
ベトナムドンでもキャッシュで持っていたら役に立つだろう。
カンボジアではシティバンクのワールドキャッシュカードでUSドルを引き出せたが、
ベトナムではドンしか無理。
こんな(個人旅行者には)重要な情報が現地に行ってみないとわからないのである。
ちなみにワールドキャッシュとは、日本の預金を海外で引き出すことが可能なシステム。
(現地通貨のみという建前だが、カンボジアではUSドルもOKだった)
これなら大金を持ち歩かなくてすむ。
ちなみに、わたしがワールドキャッシュカードを作ったのはタイへ行く2日前。
これがあればタイからどこへでも行くことができる。
どこの銀行も郵便局も発行までに10日かかるがシティバンクだけは当日発行。
このカードが作れなかったらこんかいのような旅はできなかった。

おっと、なにを書いていたのだったか。
ATMで現金を引き出しトイレを求めてホアンキエム湖の有料公衆便所へ。
トイレから出ると日本語の話し声が聞こえる。
日本人女性がふたり。ベトナム人の日本語ガイドがついている。もしや。
恥をしのんで声をかける。
すいません。このへんで日本語を使えるインターネットを知りませんか?
ありますよとのこと。ベトナム人がていねいな日本語で教えてくれる。
何度もあたまをさげて感謝する。
教えられたとおりに5分ほど歩くとファラン(白人)が大量に巣くっているカフェが。
この際、国籍など、どうでもいい。たずねる。日本語は使えますか?
ツアーが嫌いである。現地発のツアーも同様。
みんなといっしょに行動するのがいやでたまらない。
ツアーのみならずファラン(白人)も毛嫌いしている。
だが、ベトナムのツアーはみな英語ガイドがつき。
すなわち、ファランばかり。これもツアーを敬遠する理由。

今日はハノイ郊外の香寺へ。
ガイドブックによると「仏教の聖域」。
ハノイから車で1時間30分。車のチャーターは1日30USドルから。
ハノイからツアーの利用が便利。以上、引用。
何度もいうがツアーは嫌いだ。
どうせファランに囲まれるに決まっている。日本人との出会いなどない。
では、日本人旅行者はなにをしているかというと、
(おそらく)おカネがもったいないと日本人宿でごろごろしているのである。

きのう足を入手。
宿からちょっと離れたところでバイクタクシーを捕獲。
外国人のあまりいないところゆえベトナム語しか通じない。
大丈夫。こちらには「地球の歩き方」がある。
まずベトナム語の「あす」を指さす。それから行きたい場所を。
顔で判断している。草食系(わかりませんよね?)がよろしい。
ベトナム語しか話せないのは、かえっていいのだ。
そのぶん代金が安くなる。7・5ドル(900円)で話がまとまる。
ちなみにツアーに参加すると(ガイド、昼食、ボート代金こみで)16ドル。
なじみの旅行会社(ネット屋でもある)にバイクタクシーで行くと告げると、
危ないからやめろと言われるが、そのときはまだ意味をわかっていなかった。

約束の10分前の8時20分に来る。
来るか来ないかは五分五分だと思っていたので、定刻前に来たことだけで感動する。
ヘルメットをお願いしている。
なんだかんだ無頼をよそおいながらも、その実、安全に留意しているのだ。
道程のはんぶんを過ぎたころか。
バイクに乗ったおかしな若者がしきりにバイクタクシーの運ちゃんへ話しかけてくる。
わたしが雇った(依頼した)草食系の運ちゃんは、あいまいな反応をしている。
道案内をしてもらっているようにも見える。
川岸に到着。ここからボートに乗って香寺へ向かうのである。

さきほどのバイクのにいちゃんの家(事務所?)へ連れ込まれる。
ボート運賃は3750円だと言いはじめる。
「地球の歩き方」によると香寺入場料金こみで300円程度。
あたまに来てその家を飛び出す。
このままべつのバイクタクシーでハノイに帰ってもかまわない。
あわてたようにあのにいちゃんと、運ちゃんがバイクで追いかけてくる。
わたしの言い値でいいという。300円でいいというのだ。
それならばとかれのすすめるボートへ乗る。
漕ぎ手は太ったおねえさん。ふっかけてきたにいちゃんの女房らしい。
この夫婦の年齢はわたしとおなじくらいか。
バイクタクシーの運ちゃんは54歳だそうである。

香寺は山の頂上にある。
ゴンドラを使用せず、しっかり山登りをする。
「聖域」とのガイドブック情報を信じていたら、おおはずれ。
ベトナム人観光客であふれている。
酒もなかろうとわざわざハノイからウイスキーを持ち込んだのがバカみたいだ。
入口から山頂までくまなくビールを売る出店があるのだから。
この山には頂上までに寺がいくつもある。
いちおう仏教系だそうだが、ベトナム人のおがむ対象は仏像だけではない。
英雄(と思しき)像から虎にいたるまでまちまち。
頂上は洞窟になっている。ここが見どころのもよう。
山登りでからだは疲れ果てている。
山頂までの道のりにいくつか寺があった。
それまではベトナムの仏像などバカにしていたが、
このときはじめて無意識に手をあわせてしまう。
ベトナム人とおなじように賽銭もおいた。

「いい小説をかきたい」
「職業作家になりたい」
思わず祈っているじぶんがいた。見まわすと洞窟内はひと、ひと、ひと。
みなみな真剣にこうべをたれている。なにを祈っているのか想像する。
健康になりたい。無病息災でありたい。長生きしたい。家族仲良くありたい。
結婚したい。おカネをもうけたい。たい、たい、たいである。
ああ、と天啓のようにある想念がわく。
この「たい」が人間である。かくありたい! これが人間ではないか。
現実に対してプロテスト(対抗)していく。
現実をいなとする。現実を認めない。かくありたいと現実を否定しつづける。
動物ならわが子が死んだらそれまでである。しかし、人間は違う。
いつまでもわが子の部屋をたいせつに保存するのが人間である。
あたかも生きているようにだ。
ウソと言うな。フィクションと言え。
人間はフィクションをつむぎながら生きる。
日本を代表するドラマ作家、山田太一氏が終生追いつづけているテーマである。

フィクション。現実を否定する。こうじゃないと思う。
かくあれと思う。かくありたいと夢想する。
死んだ子は生き返るわけがない。けれどもよみがえれと願うのが人間だ。
切断した足が、はえてくるわけがない。それでも、はえてこいと祈るのが人間。
死者は復活しない。なくした四肢も再生しない。これが現実だ。
しかし人間は、わが子よよみがえれ、手足よ元にもどれと願望することができる。
これが人間だ。現実に立ち向かう人間のすがただ。
だとすれば、フィクション――。
小説と宗教というのは根をおなじくするのではないか。
かくあれ、かくあれ。かくありたい、かくありたい。人間だ。生きている人間だ。

ここに来てよかったと興奮しながら思う。
山頂まで徒歩で登ったのでくたくた。もうビールしかないではないか。
今日はいい日だ。ハノイ近郊へ到着してから1週間。はじめての快晴である。
汗もかいた。ビールがまずいはずがない。
下山しながら最初に瓶ビールが目に入ったところで金額を聞く。
しばらく考えて120円だという。高い。わたしの勘では80円なのだが。
登山時から目をつけていた出店へ。
ここのおばさんは自信たっぷりに160円だというのだ。
おいおい、あっちは120円だったぞ。
仕方がない。120円で我慢するか。先ほどの店をめざす。
その途中の出店。ここにもビールがある。いくらだ? 120円!
高い。山の上だから仕方がないのか。
その場を立ち去ろうとすると80円でいいというではないか。
やはり80円だったか(しかしこの店も会計をごまかそうとした)。
ならば、両隣(というほど近接している)の店も80円に違いない。
ベトナム人は外国人と見るやふっかけるので有名だが、まさかここまでとは。

そうそう、書き忘れた。
登山の際。さとうきびのジュースをのんだ。
おばあさんがふたりのんでいたのを見たからである。
おっと、ベトナム人はぼるからな。
おばあさんが精算しているときに、いくら払ったのか見に行く。
ふたりで50円。とすると1杯25円だな。
ところがわたしの精算の際には40円と言うのだから。
最前、老婆の会計を目撃したことを告げると、今度は1杯が50円になる。
あれはひとりぶんの料金だとウソぶくのである。
店内でおなじジュースをのんでいたおっさんに聞いても40円。
わたしはこの目でたしかに見たのだ。25円で間違いない。
ところが、これこそベトナム人なのである。
外国人は高い料金をはらって当然とみながみな考えている。
日本でたとえてみよう。
居酒屋が並んでいる通りがある。そこに外国人が入ってくる。
どの居酒屋でも店員と客が結託して異国の旅行者からカネをむしりとる。
これがベトナムの文化である。
このさとうきびジュースだけではなく、いろいろなところでこれを経験した。
ふつう旅行者は地元のひとが行く店へ行けば安いのではと考える。
大間違い。そういうところのほうが高くつく。
よほど外国人がつどうレストランのほうが安くあがるのである。
これがベトナムだ。

往復ともに徒歩。下山する。
ボートのもとへ。デブのおねえさんとバイクタクシーの運ちゃんが手を振っている。
なぜか運ちゃんもボートへ乗ってここまで来ているのだ。
おねえさんへ金額を確認すると300円ではなく330円だという。
たかだか30円だが、なんだかむかむかしてくる。
ベトナム人を殴りつけたいのだ。
こいつらは最初、3750円をわたしから奪うつもりだったのだ。
ボートでの復路、ふたりのベトナム人をにらみつけているわたしがいた。
「ポリス」という意味のベトナム語を連発しながらである。
着岸したら3750円(500000ドン)で、
このふざけたねえちゃんの頬をひっぱたいてやりたいという欲望が芽生える。
ツアーではない個人旅行者をこいつはどれだけカモにしてきたことか。

ボートがとまる。あのバイクのにいちゃんも迎えに来た。
ベトナム人は嫌いだ。
おまえら最初は3750円だと言っていたなと怒鳴りながら、
札びらでこのふたりの顔をひっぱたく(よくやるよなわたし……)。
まあ、許そうと330円を払おうとしたら、桁が違うとのたまいやがる。
3300円というのだ。これがかれらのやりくちだった。
いままで幾人の旅行者をこの手でだましてきたのだろう。
ふざけるな! 3300円なんて払うもんか。路上で大騒ぎする。
かれらはしきりに事務所で話そうと言うが、ひっかからないぞ。
ぜったいにあちらのペースには乗らない。
くそ、わたしが信用していたバイクタクシーの運ちゃんもグルだったのか。
腹が立って仕方がない。
英語を話すベトナム人が登場。若い女性である。
「あなたは3750円を払わなければならない」
くそったれ! ベトナム人というのはこころの底まで腐っている。
そんな法外な金額があるわけがないのに、おなじベトナム人の味方をする。
あっちへ行けとベトナム人女性を突き飛ばす。
怒れ。怒り狂え。しかし狂うなよ。ふりだ。狂ったふりをするんだ。
わたしのまわりにはベトナム人が集まる。ひとだかり。
ぐるりとベトナム人に囲まれる。事務所へ行こう。やだ。行かない。
例のにいちゃんがわたしのバックをつかんでくるので、さわるなと突き飛ばす。
生まれに感謝する。がたいがいいのだ。ちびのベトナム人はびびるはず。
いな、びびっているのはわたしであった。
ベトナム人に囲まれて恥ずかしいほど足が震えていた。
身振りでは激怒の演技をしながら、生理的肉体は恐怖におののいていた。

「ひとりで400円。ふたりで800円」
英語である。ここの地元のひとらしい。ボート代金の相場だ。
ならと450円をわたし釣りをくれとせまる。
「ふたりのりをひとりで乗ったから800円だ」
おなじおっさんがいう。もうわたしの周辺は大騒ぎになっている。
450円を差し出しながら、これで終わりだ。帰りたいと叫ぶ。
ボート漕ぎのデブのおねえちゃんが450円を受け取った。
よし、これで終わりである。その場を駆け足で逃げ出す。
あとから考えたら香寺入場料こみならどう考えても1000円が相場。
ぼったくり業者へ正規料金の半額しか払わなかったのである。
旅なれていることを自慢したいわけではない。運がよかっただけである。
バイクタクシーの運ちゃんは申し訳なさそうにあとをついてきた。
このひとのよさそうな運ちゃんがわたしを裏切ったわけである。
なぜベトナムが大国アメリカに戦争で勝ったかようやくわかったような気になったのはこのときだ。
中国の青島(ちんたお)から下関までオリエンタルフェリー。
月、木、土の20時発で翌々日の9:30下関港着。
料金は洋室大部屋で16000円。

山口県の山頭火関連観光名所はふたつ。
1.小郡(なんて読むのでしょうか?)。
a.其中庵(小郡町矢足其中庵公園内)年中無休
b.山口市小郡文化資料館(山口市小郡上郷)(083)973-7071
休館日は月曜・祝日。開館時間は9時~16時。
2.防府(「駅のてんじん口」)
a.種田山頭火句碑
b.種田山頭火生家跡
c.種田山頭火墓所
d.種田酒造場跡
*まあ、1日でまわれるでしょう。

山口-東京の深夜バスは7500~8000円
下関18:00発
小野田18:55発
宇部新川19:15発
新山口19:50発
湯田温泉21:10発

どこで乗車すればいいのか、いまいち山口県の位置がつかめない。
下関着が9:30で下関発が18;00だから宿泊しないでも観光は可能。
けれども湯田温泉といえば山頭火の愛した温泉として有名。
ここのビジネスホテルに一泊して温泉で旅の疲れを癒すのも一興かもしれない。

それとも山頭火めぐりはまたの機会にするか。
敦煌を最終目的地にするとして、ここから青島までの移動がひと苦労。
しかしこんかいの酒びたりの旅の最後が、
青島ビールで有名な青島というのはおもしろいと思うのですが。
敦煌から飛行機で上海へ飛んで、ここからフェリーか飛行機という手も。
上海から成田まで片道航空券がどれくらいするかだ。
どうせなら飛行機で帰るよりフェリーで帰国するほうが旅の終わりらしいか。
けれども上海からのフェリーは神戸、大阪へ着く。
どちらの都市にも知り合いがいるわけでもなく、なんだかな。
上海から青島に行く手もないわけではないが、うーん。
とんでもないことを書くと上海にあまり興味がないのだ。
北京と上海といえば、格安ツアー(航空券)でだれでも行けるところ。
無理して行きたいとも思わない。
大都市だから宿泊費もそうとうかかることが予想される。
敦煌から青島への飛行機などあるのだろうか。

せっかくいい部屋に泊まっているのである。
ゆうべ冷蔵庫できんきんに冷やしたビールをのみながら、
中国のガイドブックをだらだらながめた。
その楽しかったこと!
旅行というのは行くまえがいちばん楽しいというのが自説である。
(まあ、いまも旅をしているわけですが、えへへ)
もうベトナムも残り少ないからいっぱいでもビアホイをと思っていたが、
これは間違えかもしれない。
おそらく中国では冷蔵庫(冷凍庫も!)つきの安宿などないだろう。
とすると、ホテルで冷えたビールをのむなどこれが最後。
部屋のみこそ貴重なものなのかもしれない。
およそ2ヶ月ぶりに食べたチーズ(オーストラリア産)がうまかった。
レストランで食べたのではない。
買ってきたものをホテルの部屋でいただいた。
ファラン(白人)食を食べまいという誓いを破ったわけではない(ことにしてくれませんか)。

よくもまあ神経質で心配性のわたしが海外を旅行できているものだ。
旅行好きの特徴は、こまかいことにこだわらない楽天的な性格。
正反対だもんな……。
たいがいの旅行というのは、いざ行ってしまえばなんとかなるもの。
だから楽天的なのがいちばんいいのだ。なんとかなると思っていれば。
しかし神経質で心配性のわたし。
中国でのことが心配で仕方がない。
USドルをどれだけ持っていけばいいかで今日も悩んだ。
ワールドキャッシュカードではベトナムドンしか引き出せない。
たしかに中国では人民元が引き出せるが、それは大都市のみ。
中国の片田舎から入国するわたしは心配で仕方がないのだ。
まあ、ベトナムドンも日本円も人民元へ両替できるとは思うが。
それでも、わたしはいろいろ下準備をするのである。
楽天的に行こうとはならない。
石橋を壊れる寸前までたたいてしまう。お笑いくださいな。
ついに来ましたよ。いつまでも来ないのがおかしいと思っていましたが。
ホームシックです。日本が恋しくなりました。日本へ帰りたい。
なんとも言えず旅に疲れています。
なにが原因なのか考えてみます。
今日、いろいろなことをしたせいかもしれません。
中国のビザを申請。やはりハノイで2ヶ月のビザは無理だそうです。
それから中国との国境の町、ラオカイへの寝台チケットを購入。
29日の木曜日、9:15ハノイ発の列車です。
ラオカイからサパに寄り道をするつもりでしたが、
一路帰国をめざしそのまま中国入りする可能性もあります。

あるいはあれがいけなかったのか。
とにかく眠れません。
そこで、いっちょベトナムの睡眠薬でも買ってやろうかと。
スリーピングメディスンはないとのこと。
かわりにある薬を買いました。
英語の説明書を読んだところ、おそらくハーブの一種。
薬品というより健康食品に近いものだと判断しました。
精神が著しく疲労していたためホテルへ戻りさっそく服用。昼寝です。
いつまで経っても眠気が来ないので使用量を増やしました。
これが憂鬱の原因になったのかもしれません。

深い疲労があるのです。
今朝、ハノイ観光のハイライト文廟(孔子廟)へ行きました。
まったくこころ動かされるものがありませんでした。
どこも観光地はおなじだなというさめた感想しかなかったです。
長期間の旅行で好奇心が磨耗してしまったのでしょうか。
そうだとしたら、そろそろ帰国を考えるべき時期です。
からだの調子もおかしいのです。
こちらの原因は明確。お酒です。のみすぎが良くない。
かといって、お酒でものまないと旅が楽しくありません。
酔い心地の目で見るベトナムはとても美しい。
なみだが出てきます。

ホームシックを歓迎しようと思います。
いつまでもこの病(やまい)が到来しなければ帰国する気になりませんから。
中国では少しばかり駆け足をするつもりです。
成都でパンダを見る。
西安で中国仏教と道教の雰囲気を体感する。
最終目的地は敦煌。これより西へ行くのはやめようかと思っています。
敦厚から上海へは列車で40時間。1万5千円くらい。
この区間で思い切って飛行機を使うという手もあります。
上海から日本(大阪)へはフェリーで3日だったか。
大阪へ着いたら深夜バスで帰京。
安かったら飛行機を選択するかもしれません。
けれども、フェリー「鑑真号」で帰国するほうが劇的です。
鑑真。井上靖「天平の甍」でなじみぶかい高僧です。
うん、この予定なら中国は3週間程度の滞在でなんとかなるはず。
昨日までは2ヶ月近く中国へいようと思っていましたが。
さて、明日にはどうなることやら……。
3週間後の帰国を考えると精神も安定します。
やはりこのままハノイから帰国するわけにはいかない。
旅のしめが必要です。
それには敦煌がふさわしいと思うのです。

良くないと知りつつ、いまからお酒を少々(多々だよな……)。
それからハノイ名物の水上人形劇を鑑賞します。
お酒を入れないでこんなものを見に行っても、つまらないだけですから。
あと3週間。そう考えるといま旅先にいることがとても貴重に思えます。
なにか発見しただろうかと自問するのはやめます。
そもそも旅行したくらいでなにかを発見できるという前提がおかしいのです。
わたしはこんかいの旅でなにも発見していません。
旅は無駄です。カネと時間の壮大な無駄。
しかし無駄からしか生まれないものがある。これだけは信じたいのです。

(追記)書くことは精神の衛生によろしい。
この文章をしたためたことでだいぶ気持が落ち着きました。
ネガティブな感情が浄化されたように思います。
ベトナムは朝から疲れるわけだ。
まずはホテル探し。ゆうべは4ドルのきたない部屋に宿泊。
やはりダメだな。きたない部屋はNG。
朝、目が覚めたときに欝になるんだ。
今日もがんばろうという気力をそがれる。
監獄にいるような心持になるのがいやなのだ。
きたない部屋にいると帰国が釈放と同義になってしまう。

ホテル探し。これがなかなか疲れる。
安宿はエレベータなんてないから(かつ安い部屋は上階に多い)、
何度も階段をのぼりおりしなければならない。
泊まる、泊まらないの判断を瞬間にしなければならないから精神も緊張する。
中国ビザ待ちで、あと4日ほどハノイに滞在することが予想される。
パスポートを中国大使館に預けるから、そのあいだホテルを移れない。
ダメだったらかえればいいというわけにはいかないのである。

10近くホテルを見る。そのうちのひとつに決定。
12ドル。高いのか安いのかわからない。
フエだったら12ドルでパソコンつきの部屋に泊まれたがここはハノイ。
考えてみたらホーチミン市でも11ドルの部屋に泊まっていたか。
仕方ないとあきらめる。
ホテル探しの過程で、日本語使用可の安いネットカフェも発見。
うん、ハノイも悪くないかもしれない。

洗濯物がたまっている。
ホテルのランドリーに出すと高いから個人でクリーニング店に持ち込む。
ところが、悪質なところだった。
1キロ20000ドンだという。
これまでの記憶だと安いところで10000ドン。
高くても15000ドンだった。
なんかおかしいなと思いながらも支払う。
別のクリーニング店をたずねる。1キロ12000ドンだという。
血相をかえてさっきの店へ。洗濯物を取り戻し返金させる。
よく見れば、このおっさん、じつに悪そうな顔をしている。
なぜ気がつかなかったのだろう。まだまだ旅人修行がなっていない。
まあ、ここで悪態をつきながらもカネを返すのがベトナム人なのだと思う。
インド人だったら一度受け取ったカネをぜったいに返さないだろう。

中国へ向け大量の下痢止めを準備したい。
果たして中国で薬を買えるのかもわからない。
愛用のイモディムを、ハノイで買うことができるのか。
ホテルで薬屋はどこかと聞くと目の前だという。
たしかにある。メガネをかけたまじめそうなおばさんが薬剤師なのか。
これをくださいとイモディムを差し出す。
4カプセルで15000ドンとのこと。
ホーチミン市では10000ドンだった。
そのことを言っても、ここはハノイだからという。
どうしても必要なものだから高くても買うしかないのだが、
とりあえず様子を見ようと買い控える。
このへんがベトナム慣れしてきたということか。
べつの下痢止めを買ってみる。
こちらは価格がはっきりと明示されているから安心だ。

近くにもうひとつ薬屋がある。
イモディムはいくらかと聞くと、やはり4カプセルで10000ドンではないか。
ホーチミン市とおなじである。
あの薬局のおばさんは薬品でもぼろうとしていたのか。
やりきれなくなる。
イモディムと同成分(ロペミン!)でもっと安い下痢止めがあるという。
値段を聞くと、そちらはかなり安い。
理由をただすとインド製だからとのこと。
イモディムはタイの薬。そのため高い。
ふだんなら安いものに飛びつくわたしだが、
ここではあえて高価なイモディムを購入。
おなじ成分なのにと薬屋の兄ちゃんはふしぎそうな顔をしていた。
インド製を信用できないのである。
3年前、インドでも下痢になったがどの薬も効かなかったのを覚えている。
薬なんて服用者の思い込みが薬効の5割は占めると思っている。
ならばいくら同成分でも、悪いイメージのあるインド製薬品が効くはずもない。
40カプセルを750円で買う。
ベトナムの物価からしたら高い買い物である。
しかし、ここは日本円で考えたい。ずるいやりかたである。

まだ午前中だというのにビアホイをのんでいる一群がいる。
疲れた。ベトナムに疲れた。
ビール仲間に加わることにする。
日曜日くらい、なんてベトナム人も思っているのか。
ビアホイは水より安いけれども、水のように薄い。
かんたんにいえば、まずい。いくらのんでもぜんぜん酔わない。
聞くところによるとアルコール度は2%程度だそうである。
ベトナム名物のまずいビアホイをのみながらハノイの往来をながめる。
ああ、もう二度とベトナムに来ることはないだろうなと思う。
このまずいまずいビアホイをのむことももうないのだ。
いささか感傷的になる。

思えば、ベトナムはわたしにとってビアホイだった。
2ちゃんねるの海外板でどこのビールがいちばん安いかという議論があって、
ベトナムということで落ち着いたのを読んだことがある。
一度でいいからベトナムでビアホイをのみたいと思ったものである。
念願かなえてのビアホイではないか。
ビアホイをのみほす。おかしい。なんだか酔ったような気がする。
日本でも古本のヒキには自信があった。
なぜかほしい本を偶然にも安価で発見してしまう才能である(運も才能ならば)。
いろいろな天分の持ち主がいる。
それはもう天与のものとしか説明できないのだ。
どうしてか異性にもてるひと。ふしぎとおカネに苦労しないひと。
異性にはもてないけれども、同性の友人にめぐまれる人間もいるだろう。
どれだけダイエットをしてもやせないひとがいる一方で、
どれだけ食べても太らないひとがいるのとおなじである。
プラスばかりではなくおそらくマイナスもあるのだろう。
どれだけ注意しても事故や盗難に遭いやすい人間がいる。
友人になぜかいつも裏切られてしまう人生もあろう。
これは、星回りとしてしか説明できないものを、
人間はおのおの持って生まれてきているという思想だ。

長い前振りになったがどうやらわたしは本と相性がいいようである。
ほしい本がなぜか向こうからやってくるのだ。
今朝のことである。
ホテル探しをしているとある古本屋が目に入る。
ホテル密集地帯には、このような古本屋がよくある。
旅先でいらなくなった本を旅行者が売っていくのである。
交換もある。
といっても、1冊と1冊を交換していたら向こうも商売にならないわけで、
こちらも本を差し出せば少し買う本の価格が下がる程度なのだが。
英語の本が主流。
ファラン(白人)はなぜか旅先で読書をしたくなるようである。
こういうところでは日本の本はたいしてなく、
あっても手に取る気さえ起きないような書籍であることが多い。
「地球の歩き方」がある。どこだ? ま、まさか!

「地球の歩き方 03~04 西安とシルクロード」(ダイヤモンド社)

ぼろぼろのガイドブックである。年度も古い。3、4年前のバージョン。
それでもこれが見つかるとは。
この巻はどんぴしゃりである。敦煌が特集されている。
「歩き方」では中国は大きな1冊としてある。
けれども、中国はあまりに広い。
地域ごとに8分冊されたものが出版されている。
大きな中国編が1冊あれば、まあ、旅をできるだろうとふんでいた。
それでも、せっかく行くのだから詳細な情報がほしい。
なんとかしてこの西安とシルクロード編を入手したいと思っていたのだ。
そのために嫌いな日本人宿へ泊まろうかと思ったくらいである。
(あまりに汚いので宿泊しなかったが……)
本棚にある「歩き方」はこれと「シンガポール」のみ。
この偶然はいったいなんなのだろうか。
中国から呼ばれている! 
たわいもない幼児的な感慨だが、旅先の昂揚ゆえお許し願いたい。
御父参の小説を交換用として差し出す。
ちなみに当たり前だが御父参からメールの返信はない。
30000ドンでいいそうである。
ベトナムドンはインフレのせいで桁がおかしくなっているが、
日本円にするとだいたい220円くらい。
1000円と言われても、おそらく買っていただろう。
ぼられないために、年度が古い、ぼろぼろじゃないかとさんざんけちをつけたが、
じつはのどから手が出るほどほしかったのである。

明朝、ハノイの中国大使館へおもむく。
写真2枚はすでに用意してある。
ゆうべ屋台のプリクラもどきで証明写真ふうのを作ったら100円もしなかった。
旅行会社のひとに聞いたら、これで大丈夫だろうとのこと。
あした中国への旅がはじまる――。
2日前の早朝、ハノイに到着したのだけれども、
バスを乗り継ぎそのままハロン湾へ向かってしまったので、
今日がいわばハノイ初日。
ベトナムの首都である。これがよくない。
ホテルが軒並み高い。ほかの都市から考えたら信じられない価格。
そのくせこんでいるのだから摩訶不思議。
インターネットもほかの都市の倍額。2倍ですぞ。

ああ、もうハノイにいたくない。
2ヶ月の中国ビザを4日で取ると65ドル。翌日発給だと85ドル。
早く中国ビザを取ってハノイを去りたい。
今後の予定は少数民族の村サパ。それから国境の町ラオカイへ。
いざ中国である。

しかし問題がある。インターネットだ。
ハノイを逃すと日本語でパソコンを使えるところが思いつかない。
サパは山奥だから無理だろう。
とすると中国だが、検索したかぎりでは
日本語の使えるパソコンがそうあるようには思えない。
このハノイが最後の機会ということになる。
へたをすると「本の山」を1ヶ月更新できなくなるかもしれない。

そこまでして中国へ行きたいのか。
行きたいのである。
タイもカンボジアもベトナムもたいして興味がなかった。
けれども、中国はちがう。
死ぬまでに一度、行きたかったのである。
ほんとうに行けるとはいまだ信じられぬ。
もう中国のことしか考えていない。
かの国での旅にたえられるよう今日は実験的に格安のホテルへ宿泊した。
4ドル。きたないホテルである。本来ならぜったい泊まらない部屋。
すべては中国へ向けてである。
3月20日。フエ。朝から土砂降り。これは観光をできる天気ではない。
偶然にもパソコンのある部屋に宿泊していた幸運に感謝する。
パソコンがあれば、やりたいことはいくらでもある。
まず御父参の小説の感想を書かなければならない。約束は守る主義ゆえ。
それから次に行く国、中国についてもいろいろ調べたい。
ところがそうはうまく進まない。
パソコンのある部屋に宿泊するのはこんかいがはじめて。
いままではネット屋で、1時間いくらのパソコンを使っていた。
どうやらそちらのほうがいいようである。
自分を有名作家にたとえるのはおごりもはなはだしいが、
やはりしめきりのあるほうが集中できるのだ。
このパソコンを1時間いくらで買っていると思うだけで、
短い時間でまとまった内容の文章を書くことができる。
本日のようにそもそもただ(ホテル料金込み)だと、どうにも熱が入らない。
いつまで経っても中国の情報を調べようとしない。
御父参の小説の感想を書き出すことができない。困ったものである。
なにをしてるかといえば、だらだらとネットサーフィンなのだから。

11時ごろ、空腹が限界に。といっても、そとは土砂降り。
さあ、どうするか。今日もインド料理店でブランチにするか。
けれども、ベトナム物価的にはインド料理は超高級料理。
あまり贅沢をすることにも抵抗がある。
「地球の歩き方」を参考に、フエ名物のソバを食べに行くことにする。
正式名称はブン・ボー・フエ。
地図を見ると、歩いていける距離である。
大雨である。傘をさしながら歩く。歩行者はわたしだけである。
バイクや自転車はみなカッパをつけている。
途中、いくつかのレストランで浮気しそうになるが、なんとか目的地に到着。
メニューが出てこない。いきなりブン・ボー・フエが。
メニューはこれしかないことを了解する。
まあ、うまくないわけだ。名物にうまいものなしを確認する。
値段は10000ドン。80円。フエ名物のソバである。

ホテルへ戻る。またパソコンへしがみつく。
中国のビザ情報を調べる。
ハノイでは1ヶ月ビザと2ヶ月ビザが取れるらしい。
だが、2ヶ月ビザを取るにはそうとう大使館のひとに気に入られなければダメ。
価格は45ドル。期間は4営業日(土日ふくまず)。翌日発給の場合プラス20ドル。
中国旅行体験をつづったブログをいくつか読んでみる。
どれもありきたりだが、おそらくうちの旅日記もおなじ(それ以下?)なのだろう。
知りたかったのは、だいたいの雰囲気。
まあ、現地に行けば安宿もなんとかなるのではないかと予想する。
あたまが重いのでベットへ。
不眠症のわたしがなぜか睡眠薬ものまずに1時間も眠れてしまう。
いやいや御父参の小説の感想を書き始める。約束は約束である。
景気づけのため冷蔵庫からビールをとりだす。60円である。
おやつの時間のビールだが、もうちっともうしろめたさを感じない。
大麻を吸いながら1日中だらだらしているファラン(白人)パッカーよりよほどまし。
4時間かけて御父参の小説の感想を書く。
最初はべたほめをしようと思ったが、書き始めたらそうはいかなかった。
これを作者の御父参へメールで送ってもいいのか15分ほど迷ったのち送信。
おそらく返信はないであろう。
30分でいいかげんな(感動しました!)感想を書けばいいものを、
わざわざ4時間もかけて敵を作るおろかなわたしである。
無頼をほこる気持はほとんどなく、自分の対人関係能力の低さがやりきれない。
ごめんなさい、御父参……。

このあいだにビールを2本あけた。7時も近い。
さて、今晩の「のみ」(夕飯?)はどうしましょうか。
昨日とおなじところで、てきとうに済ませば安上がりなのだが。
まだ雨は降りつづいている。
突如、フエ名物の宮廷料理を食そうと思う。
かつて王様や貴族が召し上がった気高い料理が、
いまはカネさえ払えば庶民も食べられる。
いちばん安いコースでも10ドルである。
貧乏バックパッカーなら3日分の宿泊費に相当する。
わたしも当初はこんな名物料理を食べるつもりはなかった。
なぜ気持がかわったのか。蓄積したいと思ったからである。
恥ずかしながらいまだに職業作家をめざしている。
必要なのは、過剰な蓄積なのだと思う。
処世には無駄なものをあふれるほどためこまなければならないと思うのだ。
フエの宮廷料理など、この機会を逃したらもう食べられないだろう。
10ドル。1200円。日本円で考えれば、まあ出せない金額ではない。
はなはだあてにならない投資でもある。
いつかこの投資が実を結ぶのかはだれもわからない。
けれども、独立をめざすのならわずかな確率でもおのれに投資するしか道はない。

たかが1200円を支払うのに、これだけの能書きを必要とするわたしである。
行ったのはティンザー・ビエンレストラン。
雨のなか地図片手に探した。所要40分。客はファラン(欧米人)観光客のみ。
フエ宮廷料理は写真で見るのがいちばん。
検索したらいくらでも写真が出てくるだろう。
わたしはカメラを持たない旅なので、申し訳ないが写真はありません。
亀、竜、兎……いろいろな動物に模した料理が10品登場する。
むろん動物だけではないのだが。
大きくまとめれば、まず目で楽しむのがフエ宮廷料理である。
感想は、居酒屋のセットメニュー!
いぜんアジア料理はつまみがないと指摘したのを覚えていますか。
やはり王族はつまみの喜びを知っていたのである。
少しずついろいろなものをつまむ楽しさだ。
もうどうにでもなれとバカ高いビール(タイガービール大瓶180円)をがぶがぶのむ。

記憶のゆるすかぎりメニューを記す。
まず前菜というのか。口当たりのいいスナックが登場。
それからスープ。あれはホタテかな。魚介類入りのスープ。
パイナップルの外皮にさした串揚げ。
パイナップルの中身にさした春巻き。
エビの蒸したもの。
あっさりした魚をグリル。洋風のトマトソースがかかっている。
「こんなにあってほんとうに10ドルなんですか」
確認したのは、この段階であったか。
このレストランには10ドル、12ドル、15ドルのセットがある。
口のなかをさっぱりさせるためか大根の酢漬けが出される。
かたやきソバ。ふふふ、これでしめろというのだなと強がる。
かなり量は多いが食べられないことはない。
と思ったらさらにチャーハンが出てくる。
まずくはない。どの皿も味は上品である。大衆食堂のがさつさとは無縁。
わたしは注文したものを残すのがなによりいやなのだ。
もう最後はひとり大食い選手権である。
うまいまずいではない。食べなければならないのである。
やっとのところで最後のひと口を押し込み安心したらデザートが。
別バラなんて当方持ち合わせぬ。お茶でデザートを流し込む。
このデザートも単体で食べていたらかなりの美味だったはず。
いかにも高級そうな果物が複数、甘い汁とからめられていた。
14・5ドル。ベトナム旅行でいちばんの贅沢である。
ふだんなら寝酒用の(つまみの)夜食を買うのだが今日はパス。
ホテルへ戻ってからは宮廷料理を反芻(はんすう)しながらウイスキーをぐびぐび。
シャワーを浴びてから、またウイスキー。泥酔状態でいまこの日記を書いている。
明日は急ぎ足で王宮を観光して夜行バスでハノイに向かうか。
それともパソコンが部屋についているこのホテルへもう一泊するか。
まだ決めていない。テレビはNHKのニュースを流している。
「鱗粉(りんぷん)」(御父参JP)

→小説を書く楽しみと、読む楽しみの相違はなんだろうか。
キーワードは経験だと思う。
作者はおのれのある経験を、フィクションとして語ることに満足を見いだす。
人間は書くことによってのみ自己の体験を客観視することが可能になる。
たとえば時代小説のように一見すると経験をともなわない(タイムマシンはない!)
創作も、その実、作者の内部になにか熱源ともいうべきものがあり、
そこから書かれている。
その熱いものはやはり作者個人のある体験からもたらされたものといっていいだろう。
我われが小説を読む楽しみはさまざまにあるが、大きなものは追体験ではないか。
擬似体験である。
おのが経験せぬことを小説を読むことで、あたかも体験したかのように感じる喜び。
読者は主人公の経験を我が物とする過程で、あるものへの接近をこころみている。
作者にその小説を書かしめた熱源へ少しでも肉迫したいと欲望する。
作者はある感動体験から(この感動には喜怒哀楽すべてがふくまれる)
フィクションを創作する。
そのオリジナルの感動を、真剣な読者ならば、なんとか共有したいと思う。
そのとき読者が武器にするのがおのれの感動体験と想像力である。
感動体験と想像力。
これこそ作者が創作をする際、用いているものでもあるのだ。
作者読者相互における感動の融合によって、最高の読書体験が生み出される。

「鱗粉」の主人公は細谷真一。これは作者、御父参の本名でもある。
だが、小説のなかの細谷真一は16歳の少年に設定されている。
実際の細谷氏は50歳。
あとがきによると細谷氏が東南アジア自転車旅行をしたのは6年前。
商社マンをやめたのは40歳を過ぎたころだと聞く。
40過ぎの元サラリーマンが自転車で東南アジアをふらふらする。
これではどうにもシャレにならない。もしくは純文学にならざるをえない。
細谷真一氏が「鱗粉」の細谷真一を少年にしたゆえんであると思われる。
といっても、いまの少年は金持である。正確にいえば日本という国家が金持。
少年が東南アジアを自転車旅行するといっても無理がある。
そこで作者は、少年をスリの被害に遭わせる。
貧乏自転車旅行をするのに都合のいい設定にするわけである。
バカでなければこんな無謀な旅を考えつかない。
そのためだろう。作者は細谷少年を中卒という設定にする。
余談だが、小説のなかでの細谷少年のまぬけぶりはまさしく中卒である。
しゃべりかたもバカっぽい。ありきたりな感想しか持たない。
これは作者の緻密な計算のためか、それとも作者がほんとうに中卒レベルなのか。
いな、御父参はベトナムのニャチャンでバックパッカー向けの民宿を経営している。
ここの宿泊客を観察しているうちに、
あの知的障害児なみの少年が造形されたのかもしれない。

プロではない書き手の小説は完結しないで終わることが多い。
この対策として御父参は最初からゴールを準備している。
細谷少年は彼女とベトナムのサイゴンへ来ている。
この地で財布をすられるのは主人公の少年だけである。
少年は男の意地でタイのバンコクまでの自転車旅行を決意する。
なぜなら彼女がバンコクで待っているというからである。
ラストは読者のだれもが予想するようバンコクで彼女と再会する。
意外性はまったくないが堅実な小説作法といえよう。
細谷少年のバンコクまでの旅路が小説「鱗粉」の内容である。
のりを説明するならば、少年漫画とでもいおうか。
トラブルが生じる。少年が窮地に追い込まれる。助けが現われる。
言ってしまえば、この単調な繰り返しにすぎないのだが、
そこは作者の実体験からくるリアルな描写があるためだいぶ救われている。
行き先、行き先で少年のまえに女性が現われるのも、
陳腐といえないこともないが、わたしは作者のサービス精神を好ましく感じた。
以下のような描写は実にほほえましい。
細谷少年が深夜、となりに横たわるラオスの少女へ欲情するシーンである。

「……真一は一人心臓から送られてくる血液が
全て股間に集中して流れてくる様である。
いきり立ったジュニアは捌(は)け口を探していた」(P163)


おやじのポルノ志向と中卒少年の動物なみの性欲がひとつになった名文である。

ここまで書いてきてようやく告白するが、わたしはこの小説のよい読者ではない。
どうしても理解できない部分があるのである。
それが障害となり、作者の感動体験を共有することを不可能にしている。
この小説の大前提としてあるのが、
カネもたいして持たずに危険な自転車旅行をするのがえらいという思想である。
小説に登場するだれもが細谷少年をほめたたえる。感嘆する。
ひとりとして、そんなバカなことをするのはやめなさいと言うおとながいない。
中卒の細谷少年もなにを勘違いしたのかとんでもない感想を持つにいたる。

「日本社会はなんと甘いことかとつくづく感じた」(P119)
「日本は全ての点で恵まれすぎている」(P122)


中卒のどうしようもないガキがたかだか東南アジアを自転車でまわったくらいで、
日本に物申すようになるのはいかがなものか。尊大すぎはしないか。
細谷少年はそんなにすごいのだろうか。
日本でまじめに受験勉強をして高校に入った少年はいけないとでもいうのか。
かれらの心中には細谷少年を凌駕するほどのドラマがないといえるのか。
突き詰めれば、わたしはいわゆるバックパッカーと肌が合わないのだと思う。
日本人宿でくだらない貧乏旅自慢をする旅行者を毛嫌いしている。
たとえば、自転車で東南アジアをまわったとする。
どうしてこの行為が他人に拍手を当然のように要求できるのかわからないのだ。
物好きなだけでしょう。それはわたしにはやれないけど、やりたいとも思わない。
こうは考えずにあたかも白痴のように、
この種の武勇伝、冒険談に拍手するのがバックパッカーなのだろうか。
そうだとすれば、この小説はバックパッカーに向けて書かれたものである。
バックパッカーによるバックパッカーのための小説が「鱗粉」だ。
「民宿 御父参」を訪れるバックパッカーが漫画ばかりむさぼり読み、
まったく対象外のわたしがこの長編小説を読むことになったのは皮肉なものである。
旅行していて困るのは記憶力の減退である。
地名やホテル名がどうにもこうにも覚えられない。
恥ずかしい話だが、昨日の書き込みではいまいる場所をホエと書いていた。
今朝、急いで訂正。正しくはフエ。
自分のいまいる場所でさえなかなか覚えられないのである。
観光地をめぐるときは、いちいちガイドブックを開いて確認しなければならない。
いまはようやく記憶したけれども、ダラット滞在時はこの地名が覚えられず、
ネットに書き込むたびにガイドブックでたしかめたものである。
なにが原因かと、思い当たるのはお酒。
多量の飲酒で脳がかなりのダメージを受けている。
こちらはこじつけだが大量の読書もよくなかったか。
情報の過剰摂取で、容量が残り少なくなってしまった。
入れ物にたとえると、もはや記憶するスペースが脳に残っていない。
これでもむかしはけっこうなものだった。おおむかし。
中学生のころはプリント1枚の内容を意味と連関させずとも、
ものの10分もあれば丸暗記できたものである。
それがこのていたらくなのだから。

なにが書きたいのかというと、こんにちはである。
アジアの観光地を旅していると、とにかく日本語で話しかけられる。
といっても、せいぜいこんにちは程度なのだが。
少しでも旅なれた旅行者なら、日本語で話しかけられるとかえって警戒するのだが、
向こうはそうは思っていないようで、
それもそのはず、実際はこちらも警戒しながらも、
なんだかんだと身近な存在に感じてしまうものなのである。
かといって日本人がこんにちはでさえ現地語で言えるかというとあやしい。
これを責めているわけではない。
だれもが記憶力抜群の優秀な頭脳を持っているわけではないのだから。
それに身もふたもないことをいえば、日本人はお客さんなのである。
客が店側のご機嫌をうかがうことはない。
わたしはただの「こんにちは」でさえタイ語、クメール語(カンボジア)で言えない。

ところが、である。ベトナム語はいくつか言えるのである。
わずかなものである。
「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「123」程度。
これはわたしが意識して覚えたのではなく、
ベトナム人がこれらを言わせるようわたしに仕向けたのである。
これが効果があるのだ。
ふっかけた値段を言いながらいつまでも離れないバイクタクシーにひと言。
ベトナム語で「さようなら」というと相手が一瞬だけひるむのである。
それから、打って変わって金額をさげはじめる。
どんな旅なれた日本人でも日本語で話しかけられるとうっかり油断するのとおなじ原理か。
この事実を身をもって経験しても、アルコールでふやけた脳ばかりはどうにもならぬ。
どれだけベトナム語を覚えようとしてもまったく入ってこないのだ。
せめて1から10まで覚えたら、だいぶぼられることはなくなると思うのだが。
何度も覚えようとしたが、どうしても入ってこないのである。
酒は額面よりも高くつくということでしょうか。
いまベトナム、フエのホテルの一室からこれを書いています。
横には、ウイスキーの水割が。
バルコニーはあけはなたれ、子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきます。
(おお、リッチだぞ、なんだか)
「うるさい」と怒鳴り込みに行こうか迷っているところです(がくっ……)。

さてさて、これはほんとうなのです。
まさかベトナムのいわゆる安宿にパソコンつきの部屋があるとは。
日本人宿として知られるビンジュオンホテルの別館。
全室にパソコンがついています。いちばん安い部屋は12ドル。
そこは午後7時過ぎからしかあかないということで、
その時間まで15ドルの部屋を使わせてもらっています。
それで12ドルでいいとのこと。
いま思えば、3ドルをけちるのは日本人としてどうだかという思いもありますが。
けれども、ビンジュオンホテルの本館には日本人バックパッカーが、
3ドルのドミトリーに泊まっていることを思うと、まあいいかという気も。

今日は朝から雨。
ちなみに海外へ出てから雨に降られたのはこれがはじめて。
こんな日にホテルの部屋へ1日ひきこもる。
そんな経験のある旅も悪くないのではないか。
かくしてジーンズをクリーニングにだし、ホテルの一室にひきこもっています。
ランチは徒歩1分のインド料理専門店へ。
タイ、カンボジア、ベトナムとインド料理店があると聞くと、
かなりのめんどうをものともせずに訪れます。
なぜなら、インドは第二の故郷だからです。
こればかりは自慢しますが、
海外へ出てからファラン(白人)料理を食べたことは一度もありません。
パスタ、ピザ、ハンバーガーなどをいっさい断っているのです。
ファランのたむろしているところへ入っていくのがいやというのがその理由。
しかし、そうすると食べるものが限定されてくる。
ここでインド料理にご登場願うわけです。

「あなたどこのひと? へえ日本人。アリガトウ(日本語で)。
独身? そう、あたしもよ。
恋人は? いないってどうして。こんなにハンサムなのに」
インド料理店で働く30も越したかと思われるお嬢さん(あえて)から、
ふしぎなお言葉をいただく。
このまま会話をしていたら全旅行費用を吸い取られそうな危険を察し早々店外へ。
ふきんをぶらぶら散歩しホテルへ戻る。
御父参の小説のつづきをふたたび読み始める。
とにかく長いのでときおりネットで休憩しながらです。
いままで自費出版系出版社(文芸社、新風舎など)は詐欺だと思っていたが、
あのような会社も十分に社会貢献しているのだと思い知る。
ホイアンの観光を1日で済ませ、いまフエにいます。
ええ、まだベトナムです。
バス移動ではじめて日本人旅行者と会いました。
わたし、ふざけています。
バスに瓶ビールを平気で持ちこみますから。
一般バスではなく、海外旅行者のみが乗るバスだからいいかと。
瓶ビールを2本持ち込みました。

「のみませんか」
これをきっかけに話しかけたのです。
かれは4月から就職が決まっている、いわば卒業旅行の身。
話の途中で聞かれました。次はどこへ行くんですか?
自然に答えていました。
「中国です。次は中国へ行きます!」
4日連続の居酒屋「御父参カフェ」である。
今日は1時間ほどのんだらホイアンへのバスに乗る予定。
劇を求めている。ときにはこちらからしかけていく。
なにもないなんてつまらない。
よいことでも、わるいことでも、旅先ではなにかあったほうがよろしい。
ふたつ下の記事をプリントアウトして御父参へ渡した。
御父参こと細谷真一氏の書いた小説「日本人宿」の感想である。
自費出版の小説なんて渡されても、よほどの義理がないかぎりだれも読まない。
わたしは翌朝1時間で読んだ。即座に感想を書く。
印刷して本人に手渡す。
なにを求めての行動か自分でもわからないが、なにかを求めていることはたしかだ。
商業ベースで書かれた小説ではないから、けなそうと思ったらいくらでも可能。
誤字・脱字の異様な多さには最初、戸惑ったものである。
読了して思ったのは、これを批判するのはだれでもできること。
なら、わたしは反対をやってやろうじゃないか。
かといって、ウソをついたわけではない。
どんな小説にも長所と短所がある。
どちらを取り上げるかの問題だ(あるいは、どちらも指摘する)。

誤字・脱字のため御父参をいくぶんみくびっていたことを認める。
だまされたのである。
小説において、読者がだまされるということは、作者の手腕を示す。
気がつかなかったわたしも愚かである。
御父参が小説「日本人宿」を書いたのは5年前。
まだベトナム縦断もホテル開業もしていないのである。
その時点でホテル経営のウソを書いている。
作者から教えられて、やられたと悔しかった。だまされた。
言い訳はできる。
「かくありたい自分」を書いたという指摘はどちらにせよ間違っていない。
ホテルチェーンを展開させたいという願望である。
けれども、これをホテル開業前に書くか、
開業後の慰めとして書くかという相違の大きさは認めざるをえない。
読みが浅かったことを反省すると同時に、御父参のウソのうまさに拍手したい。

いまだ無名の人間の小説を読むことはたいへん刺激になる。
御父参は小説を書くのが楽しくてたまらないという。
朝の仕入れが終わった昼間に執筆することが多い。
本を読むことと比べたら、だんぜん書くほうがおもしろい。
話がどうなるのか自分でもわからなくて、毎日広がっていくのが楽しみ。
嫌味にならないよう細心の注意をはらい口をはさむ。
「なんだか天才みたいですね」
一発当てようとか、小説でカネをもうけようとかはまったく考えていない。
ただの趣味である。
というのも、御父参は商社マン時代に年収2000万円を取っていた。
「小説で2000万、稼いでるひとはそういないでしょう?」
だから、わざわざ小説で稼ごうとは思わない。
おカネを稼ぐのなら、もっとべつの方法を考える。
けれども、と口をにごす御父参である。
「新風舎や文芸社のひとに見てもらったとき、あと10万あれば本にできると言われた」
その10万円をいま出せないのがくやしいのだという。
いっそのこと忙しくなる7月まで宿をたたんで日本へ出稼ぎに行こうかとも。
そうしたら10万円なんて、すぐだから。
居酒屋だけだと、お客さんが入ったところで、純利益は100ドル。
これだってベトナムの水準から考えたら高収入なんです。
ベトナムでは医者の月収が100ドル。公務員が30ドルだから。
だけど、ときたま日本円で考えるとやりきれなくなる。

「あの小説で細谷さんが経験したことはどれくらいあるんですか」
ラオスの未亡人なんて、あんな都合のいいことあるわけがない。
御父参は経験したことよりも、体験していないことのほうが書きやすいらしい。
「実際に経験しちゃうとそれにひきずられてどうもうまく書けないですね」
ここで御父参が三島由紀夫と開高健の話を持ち出してきたのにはしんそこ驚いた。
「それ知っています。
三島由紀夫が開高健の小説をこう評したんですよね。
あれ(ベトナム戦争もの)をもしベトナムに行かずに書いたらすごかった。
ベトナムを見ることなく、日本で想像力を駆使して書いたのであれば」
御父参に最後まで言わせずに若輩が途中から口をはさんだ。

4日目でようやく会話の前段階ができあがったが、もう別れの時間は迫っている。
いろいろ聞きたいことがある。
「日本の若者って好きですか。いやになりませんか」
「いやね、日本でコンビニのまえで座り込んでいる若者よりはよほどましかと。
いくら英語が話せなくても、ここを探してくるのはそれなりにたいへんなことだから」
ううむ、あたたかいひとである。
聞きたいことがひとつあったのを思い出す。
居酒屋も今日が最後ということで少々高額の日本酒を2杯頼んだ。
ええい、酔いにまかせて聞いてしまえ。
「どうして40を過ぎてから会社をやめようと思ったんですか」
答えづらそうな御父参をまえにして、やはり聞かなければよかったと思う。
「むかし明治時代だったか。国鉄は定年が40歳だったんです。
人生50年と言われて40からは好きなことを・・・・・・」
「たしか40のときに世界一周をめざしたのでしたっけ」
「まだ世界一周は途中なんです。
こうした宿をやっていると毎日いろんな旅行者が来る。
すると、旅行をしているのとおなじなんですね。
まだ世界一周は終わっていないんです」
このあと御父参こと細谷真一氏は秘密でも打ち明けるようにあることを教えてくれた。
小説「日本人宿」の続編をいま書いているという。
「(あの小説の)心真一はアフリカに行くんですね」
細谷真一氏はアフリカ一周のバスを運営する計画も話してくださった。
このとき心真一と細谷真一がひとつになっているのをわたしは感じた。
現実と虚構があいおぎなうかのようにとけあい、
そのどちらでもないひとりの人間の生きかたになっていることを。
前進しようとすること。これがフィクションなのだと思う。
前に進むために人間はフィクションを必要とする。
ベトナム、ニャチャンの御父参から教わったことである。
生きる。あすへ向かう。進む。言いかたをかえれば旅である。
旅はフィクションだ。
その意味で、みなみな生きているかぎり旅をしている。
「まだ私の世界一周は終わってないんです」
ベトナムの居酒屋のマスターはさすがにいきなことを言う。

御父参が今年書き上げたという最新小説を買う。
1ドルを支払い「日本人宿」と交換してもらったのだ。
読後感想を書いたら、それを御父参へメールで送る約束をする。
こうして居酒屋「御父参カフェ」をあとにした。
今夜7時半のバスに乗ってホイアンへ向かいます。
お腹はなんとかなると信じて。
いまからバスでのむ酒を購入しなければ。
それから居酒屋「御父参カフェ」で1時間ほど酔っぱらう。
ああ、急がなければなりません。
それではつぎの更新はいつになるかわかりませんが、みなさまお元気で!
「日本人宿」(御父参JP)

→ベトナムのニャチャンで居酒屋&民宿を経営する御父参こと、
細谷真一氏が5年前に書いた小説である。
御父参にうかがったことがある。いまでも小説を書いているのですか?
書きつづけていらっしゃるとのこと。
どんな小説が好きなのかたずねると、いまは時代小説とのご返答。
好きな作家では、まったくかみあわなかった。
印象深い話を御父参からうかがう。
「小説っていうのは3つだと思うんですね。
女、カネ、人殺し。この3つを入れないとおもしろくならない。
なんにも起こらないのは、だれだって読みたくないでしょう。
女とのあれこれをひとは読みたいと思う。
人殺し。これはなかかできない。だからせめて小説では読みたいと思う。
でも、まだ私には、人殺しまでは書けませんが。
それからカネ。やはりカネなんです。私は商社マンの経験がありますから」

この御父参の発言は小説「日本人宿」をよく説明している。
主人公は心真一(こころしんいち)。
本名の細谷真一から「真一」を主人公に託したわけである。
心真一は、かくありたい細谷真一にほかならぬ。
真一は波乱万丈を生き抜く。
バックパッカー旅行で訪れたラオスでなぞの熱病におそわれるが、
宿の女主人の親切な看病で健康を取り戻す心真一。
女主人は未亡人で、宿を離れる前日に心真一とむすばれる。
現実にこんなことがあるはずがないなどと言ってはならぬ。
これは細谷真一の体験ではない。心真一の物語なのだから。
心真一はベトナムにホテルを開業させる。
ここまでは細谷真一とおなじだが、ここからが異なる。
心真一は、ホテルをチェーン化させることに成功する。
これは細谷真一の夢である。だが、夢と笑うなかれ。
細谷氏の夢は、そのなまなましい実感で読者をとりこにする。
敵役(かたきやく)を作るのは物語の常套。
小説をエンターテイメントと見定めた細谷真一氏は、
ありきたりなパターンを用いることをおそれはしない。
心真一がきずきあげたホテルチェーンをのっとろうとする「権藤」が現われる。
主人公と敵役の葛藤は、いつの時代も観客をはらはらさせるもの。
細谷真一氏のストーリーテーリングには舌を巻く。

物語の後半は興味深いエピソードの連続で読者を飽きさせない。
日本のやくざが登場するのもおもしろい。
シナリオ用語で「色事」「荒事」という言葉がある。
「色事」は男女の濡れ場。「荒事」は喧嘩の意味。
シーンがだれてきたら「色事」「荒事」を入れるというのがシナリオ業界の鉄則。
自殺未遂をする女性旅行者からは「色事」の魅力を、
お茶目なやくざからは「荒事」の醍醐味をそれぞれ感じる。
細谷真一ならぬ心真一はベトナムホテル業界で台頭するが、
奮闘むなしく権藤の術策にはまり撤退を余儀なくされる。
けれども、心真一はあきらめない。真一はアフリカに新天地を見出すのである。
その姿勢は、多くの読者の胸を打つことだろう。

フィクションということについて考えてみたい。
現実の細谷真一氏は、この小説における心真一とは異なる。
日々のホテル経営は楽なことばかりではないだろう。
いろいろな修羅場があったのではないかと、いち旅行者のわたしにも想像がつく。
現実は甘くない。現実はうまくいかない。現実はなにもない。
だから、ひとは物語をつむぐのである。
朝から日本人旅行者とつきあい疲れきった細谷真一氏が深夜机に向かう。
おそらくこの「日本人宿」は、そうして書かれたものだろう。
フィクションの持つ重みを、この小説から強く感じた。
たとえばネズミのような顔をした村上春樹は女にもてまくる物語をつむぐ。
たとえば田舎者の村上龍は最先端の風俗を取り入れた物語に固執する。
どちらも現実に対抗せんがためのフィクションである。
おなじ意味でのフィクションのすばらしさを、御父参の小説から感じた。
フィクションのちからに打ちのめされた。
小説を書きつづけるかぎり御父参はベトナムでくじけないだろうと思った。
3月16日。今晩も居酒屋「御父参カフェ」へ。
「こんばんは」
いままでとは打って変わって店内はがらりとしている。
御父参によると、毎年こうらしい。
春休みのシーズンが過ぎると7月まではまったくひまとのこと。
まだ春休みは残っているのにふしぎですねと問う。
「みんな日本へ帰るためホーチミン市やバンコクへ行くから、
この時期になるとニャチャンを出てしまうのですよ」
居酒屋は昨日までの活況がウソのように感じられる静かさである。
イカの塩辛、ポテトサラダ、一夜漬け、湯豆腐を注文する。
どれも味はしっかりしている。
とくに驚いたのは湯豆腐で、ちゃんとカツオでだしを取っていた。
社長さんが、店外にだされたテーブルで大騒ぎをしている。
とにかく御父参が、かれのことを社長さんと持ち上げているのだ。
社長さんは最初はへたくそな英語で外国人と話していたが、
その相手もいなくなると次なる標的は今宵唯一の宿泊者のHくんである。
「こっちへ来ませんか」
Hくんのまえにわたしも大声で呼ばれたが、辞退している。
あれこれと詮索されるのがめんどうだったのである。

ひとり黙々とビールを空けていくわたしにもう一度声がかかる。
すでにかなり酔っぱらっている様子。
これなら大丈夫と見当をつけ輪に加わることにする。
社長さんは、田舎紳士という言葉がみごと当てはまる。
あとで知ったことだが54歳。魚屋をしている。
こんかいのベトナム訪問は魚の輸入と関係している。
ベトナムへ来るごとに居酒屋「御父参カフェ」へ顔を出しているそうである。
「御父参はね、大学、畜産だけと、おれは水産でバカだから」
おやじはどいつもこいつも学歴ネタが好きである。
言葉とは裏腹に社長さんが御父参を見下している感じがびんびん伝わってくる。
「こいつはなかなか文才があるんだ。
おれも読んだけどね、まあ、悪くない小説だあれは」
泥酔した社長さんは気が大きくなったのか、
御父参の小説をHくんとわたしにプレゼントしてくれるという。
いずれも5ドルと6ドルで販売しているもの。
社長さんがカネを出すというのだ。
御父参が小説を取りに行ったすきに社長さんはこんなことを言う。
「まあ、たいした小説じゃないんだがね、がはは」
わたしは大笑いしてしまう。おとなの関係って笑えるな。

「おれもね、ぜったい社長になりますよ。
いまにね、見てろってんだ。おれ、やりますからね」
社長さんに啓発されて大口をたたいているHくんのことを書きたい。
28歳。日光の土産物屋の三代目らしい。
いまだ家業はつがずバイトをころころかえている。
海外へ出たのはこれがはじめて。
マレーシアから入って、タイ、ラオスともう3ヶ月半もふらふらしている。
おもしろいのは5歳年上のお姉さんといっしょに日本を離れたこと。
このお姉さんはまえからバックパック旅行を繰り返しており、
このたびとうとう弟へ悪い遊びを教えてしまったようである。
海外では、別れて行動しているが、ここニャチャンで再会したらしい。
偶然にも、お姉さんが「御父参カフェ」のまえを通りかかる。
ひとりではない。10近く年下のファラン(白人)の青年と腕を組んでいる。
インドでも見たことがある。女の一人旅。
行く場所、行く場所でファランと仲良くなり部屋をシェアする日本人女性旅行者。
「デリーではフランスの子と仲良くなってぇ、
アーグラではオーストラリアの男の子と意気投合してぇ」
こういうタイプの女性である。
弟もホストのような顔つきをしているから似たもの姉弟なのかもしれない。
日光で土産物屋を経営しているご両親はどんな顔をしているのだろう。
Hくんはほんとうにものを知らない。
湯治場という言葉にも、え、それなんですかと聞き返している。
学歴大好きの社長さんが、それとなくHくんの最終学歴を聞き出す。
高卒である。
2ちゃんねる海外板に「高卒を海外へ出すな」という
危険なタイトルのスレッドがあったことを思い出す。
この問題についてわたしの意見は控える。

「おれはね、言いますよ、ええ。
よく言われる。実家がしっかりしているから、ふらふらできるんじゃないかって。
それは違います。おまえらだって仕事をやめれば海外へいつだって行ける。
こんかいの旅でおれはほんとうにいろんな発見をしました。
無駄ではなかった。これを生かして、おれ、やりますからね」
Hくんである。
「女と魚は、おんなじなんだ。見るところがおんなじ。
目を見れば、女も魚もわかる。
魚は目がいいのを選ぶのが秘訣。女もそう。
目がいいのを選ぶと、おまんこがきゅうっと閉まっている」
社長さんである。
社長さんは「やせているねえ」を連発して御父参の奥さんのからだをなでまわす。
「セクハラですよ」
笑いながらわたしが言う。
「そうか、セクハラ? がはははは」
わかりやすく楽しい社長さんである。
御父参と奥さんは、台所へ引き下がる。
「やっぱり嫁は日本人のほうがいいと思うがな」
とたんに手のひらをかえす社長さんである。
「おれもそう思います。やっぱり女は日本人じゃないと」
だいぶ社長さんからおごってもらっているHくんは調子を合わせる。
わたしはおもしろい人びとにめぐりあえた幸運に感謝する。

「あなた、だめね」
ほこさきがわたしに向けられる。社長さんからご指導いただく。
「暗いのがだめね。もっとオープンにならなくちゃ。
かれ、かれ。名前なんだっけ。
そうそうHさんみたいに明るくならなくちゃ。
もっと、こう、フレンドリーにさ。おなじ日本人じゃないか。
おれはね、言うときは言うよ。言いたいことを言うのがおれの生きかた。
だけど、翌朝になれば、みーんなと握手できる。それがおれ」
はい、はいと神妙にお説教を受け入れる。
とくに怒りも起こらないのは、たしかにこの社長さんの人徳なのかもしれない。
このころになるとめちゃくちゃである。
社長さんは、日本人しかいないのに、
なぜか英語で(それもお世辞にもうまいとは言えない)話し始める。
Hくんはおごってもらえるならのんでおこうというのか、
勝手にタイガービール(高い!)を取り出しのんでいる。
わたしはまったくおごってもらう気はないけれども、
このカオス(混沌)が心地よくどうにでもなれと安いBGIビールをがんがんのむ。
海外でのむときはビールの本数をぜったいに記憶しておくのだが、
こんかいは例外。もう何本BGIビールをのんだか自分でもわからない。
3日目で御父参のことを信頼していることもある。
たしか7、8本のんだように記憶している。
ついに社長さんが酔いつぶれる。寝込んでしまう。
御父参がようやく登場する。
「おカネはらってくださいよ、社長さん」
わたしが心配すると、タクシーに乗せちゃえば大丈夫だからとのこと。
そうそう、なぜか社長さんがカツ丼を3人前注文したのだった。
若者に肉を食わせてやろうというつもりだったのか。
会計を済ませ、テイクアウト用のカツ丼を手に持ちながら、
ふらふらと今宵もベトナムの居酒屋をあとにする。
カツ丼はホテルで米焼酎とともにいただきました。
たいへんおいしゅうございました。ごちそうさまです、社長さん!
ウニがあるではないか。
昨日、居酒屋「御父参カフェ」でウニの写真を見た。
このゲストハウスではツアーもやっている。
その写真の1枚にウニが写っていたのである。
なんでも町のはずれにとりたての魚介類を食べさせる店があるのだとか。
「このウニっていくらくらいするんですかね」
いまはシーズンではないからウニはないと思いますよ。
御父参の回答である。
とりあえずこのレストランの名前と電話番号を教えてもらう。

翌日も早朝から目覚めてしまう。眠れない。下痢もひどい。
わたしは睡眠がからだにいちばんいいと信じている。
デパスを0.5mg服用。これで昼まで眠ることに成功。
強力下痢止めイモディムを2錠のみこむ。
これで効かなかったら、あんた、さすがに医者に診てもらいなさい。
イモディムの注意書きを思い出す。
ウニを食うか。大好物である。
ここから8キロの距離にあると聞いている。
とすると、うーん、バイクタクシー、30000ドン(240円)くらいか。
ホテルを出て最初に声をかけてきたバイクタクシーにレストランの名前を見せる。
いくらだ? 30000ドンだという。
まさに思っていたとおりである。
値段交渉をしようと思ったが、あまり熱が入らない。
うん、たしかに30000ドンが適正価格だよな。バイクに乗り込む。

レストランへ到着。客はだれもいない。
英語メニューはない。さあ、どうやって注文するか。
来いというので行く。いけすから魚を選べというのだ。
値段を聞くと、魚1匹おろすと180000ドン。
2000円の世界である。そんな高いものはいらない。
それにひとりで食べられるわけもない。
日本のグルメ番組で見慣れたものを発見する。これウニだよな?
1個20000ドン。170円か。
なにかわからんが、あるものが10000ドンだという。
あとで見てみたら日本のわさびチューブだった。
ウニをふたつ注文する。
シーズンではないせいか中身は貧弱なものである。
けれども、たしかにこれはウニである。
まさかベトナムの海を見ながら、なまウニでビールをのむとは。

なにかものたりない。もう1品ほしい。メニューを見る。ベトナム語だ。
「地球の歩き方」を参考にメニューを解読する。
おかゆがあるようである。
店員にたずねてみるとウニのおかゆもあるようだ。
ええい、今日はウニざんまいだ。
うまいものを食えば、きっとお腹の調子もよくなる。
ウニのおかゆを注文する。刺身とおなじで20000ドン。170円。
出てきたものを見るとおかゆというより雑炊である、ウニ雑炊。
なぜかなまで食べたときよりもウニがたくさん入っている気がする。
火の通ったウニを食べるのはこれがはじめてである。
なまでも食べられるものを(さっきまで生きていた)雑炊にするのだから贅沢だ。
これがとんでもなくうまい。ああ、ウニはこうして食べてもうまいのか。
なまで食べるよりも、こうして雑炊で食べたほうがはるかにいけるぞ。
ううう、もう1杯食べたい。
170円。都合のいいときだけ日本円で計算する。おかわりください。

ウニを計4個、たいらげたことになる。ビールの小瓶も2本。
バックパッカーがしてはならない贅沢である。
しかし、言わせてください。反論したいのです。
日本へ帰る。ときにはウニを食することもあろう。
そのときかならずベトナムで食べたウニを思い返す。
ベトナムを思いながら口に入れるウニは、きっと何倍もおいしく感じるはず。
すなわち、今日のニャチャンでのウニ体験は死ぬまで忘れられないものになるのです。
ウニをたらふく食べる。ビールものむ。
これで7ドルなら、そう高くはないと思うのですが、どうでしょうか。
お腹はいまのところなんとか持ちこたえている。
あす1日、様子を見ようと思う。
では、いまからまた居酒屋「御父参カフェ」へ行きます。
ニャチャンで日本語可能なネット屋をぶじ発見しました。
ううむ、中国行きはどうなるのか。
なんでも中国の青島から日本の下関へ行くフェリーがあるのだとか。
下関といえば山口県。そう、この場所は山頭火と縁がある。
記念館(?)もたしかあった。
旅のしめは山頭火。深夜バスで東京へ。
そんなプランがおぼろげながら生まれましたが、どうなることやら。
まあ、なるようにしかならないでしょう。
とにかくいま下痢がひどいのです。
ニャチャンのつぎに向かうのはホイアン。
ここはバスで12時間もかかるのです。
バスは夜の7時半発。お腹がもう少しおさまらないと、うーん。
それにファラン(白人)と12時間もおなじ空気を吸うことにたえられるか。
不眠症のわたしです。果たしてバスで眠れるか。
バスの中でのむ酒はなにを持っていこうか。
トイレに行けないから強い酒のほうがいい。
ウイスキー? だけど、まずいベトナムウイスキーをストレートでのめるか。
このさい高い洋酒を買ってしまおうか。
それとも例の米焼酎で行くか。
そうだ、まだ書いていませんでしたね。
あの脳神経を破壊するようなベトナム産米焼酎の名前を知っていますか。
「鬼」というのです。
この商品名を決めた人物は間違いなく完璧に日本語を理解していたと思われる。
鬼というほかない味ですから。
まずはホイアンだ。中国よりも目前のホイアンへ行かねば。
ううむ、もうしばらくニャチャンでからだを休めます。
3月14日。今日もニャチャンの居酒屋「御父参カフェ」へ行く。
2回目なので気後れはなし。どかりとソファへ座り込む。
ここへ宿泊している貧乏旅行者たちがテーブル席で騒いでいるが気にならない。
お互いに人間が違うことを本能的に感じるのであろう。
あちらも話しかけてこないし、こちらも輪に入ろうとは思わない。
イカの塩辛とポテトサラダを注文。
まさかベトナムで塩辛が食べられるとは思わなかった。
さっそく出てくる。こ、これは! イカの塩辛じゃないですか!
注文したのはいんちき塩辛ですよ。まさか本物が出てくるとは。わずか60円で。
ここほど良心的な海外の居酒屋はおそらくないであろう。
ビールも450mlの瓶で50円。
ポテトサラダがなかなか出てこないので、せかすと、
「今日はないんですよ」
「なら注文したときに言ってくれればいいのに」
ここに宿泊している貧乏旅行者ではないから、はっきり不満を口にする。
御父参(おとうさん)のこの対人関係におけるぎこちなさはなんなのだろう。

かわりに冷奴とアジのミリン干しを注文。どちらも60円程度。
アジの干物なんざ、気が狂うほど舌が歓喜するわけである。
日本をはなれて1ヶ月半、このような味に飢えていた。
いかにもな日本のつまみである。
出されるものがそろって少量なのがかえってうれしい。
日本の若者どもが(わたしも若いが)注文するのはカツ丼、親子丼ばかり。
なぜ塩辛や干物を注文しないのだろう。
あとで知ったことだがどちらもここで作っているものらしい。
のみながらすることもないのでテーブルの下をあさる。
日本人宿にはかならずある情報ノートやらなにやらを発見する。
御父参ことH氏を特集した新聞記事のコピーを見つける。
H氏は自分の掲載された新聞を大事にファイルしているのである。
御父参という名の由来もわかる。
H氏は雑誌「旅行人」に御父参というペンネームでたびたび寄稿しているのだ。

H氏は海外青年協力隊の経験がある。
その後、商社マンへ。ナイジェリアで油田関係の商品を取り扱う。
98年、41歳のとき世界一周をめざし会社を辞める。
ベトナムで観光ボランティアをやっているとき、
ホテルでそこの従業員に暴行された日本人女性旅行者の存在を知る。
これがきっかけとなり、ベトナムに日本人が安心して泊まれるホテルを作りたいと思う。
ここでふしぎなのだが、資金集めのために
なぜかシクロ(三輪自転車)でベトナムを縦断することを決意。
その後、中国、韓国とわたり日本の九州へ。
そこから今度は日本縦断をめざし北海道の宗谷岬に到着したのは、
ベトナムを出発してから1年のちのことであった。
このシクロ旅行が注目を浴び(?)開業資金1千万円のうち3割が集まる。
念願のゲストハウスをオープンしたのは2004年のことである。

このような情報を得ると、昨日の印象がだいぶかわる。
なかなかおもしろいひとではないか。
さらに親しみを抱いたのは、H氏が20年間小説を書いていることを知ったからだ。
新聞記事によると趣味は、小説を書くことだという。
いまだ陽の目を見ていないが、まだあきらめてはいないとのこと。
すべてのなぞが氷解する。
御父参のあのぎこちない接客態度はかれの自意識ゆえか。
小説を書こうなんて思うひとは、とびきり大きな自意識を持っているもの。
その自意識があの不自然な腰の低さの原因になっていることが判明する。
あんがいわたしもH氏と似たようなものかもしれない。
わたしも、いんちき臭い腰の低さと他人から思われているかもしれぬ。
それにしても、と思う。
シクロでベトナムと日本を縦断しても、いい小説は書けませんか。
経験と創作の関係について考えさせられる。
もちろん読んだことがないから御父参の小説をとやかく言うことはできない。
それにいい小説というものの定義がそもそもない。
H氏の小説は業界から売れるという評価はもらっていないけれども、
あるいはだれかのこころを動かす熱いものを有しているかもしれない。

「肉じゃがはありますか」
もう店内はひともまばらである。
注文してから出てくるのも早かった。150円。うまい。日本の味だ。
「おめでとうございます」
ひと目でそうとわかる作り笑いで、御父参はライターをくれる。
ここでBGIビールを5本のむと非売品のBGIライターをもらえるのだ。
昨日もいただいた。
わたしもぎこちなく笑いながら小声で「どうも」。
なぜ40を過ぎて会社を辞めたのか聞きたいけれども無理である。
そういったナイーブな質問をストレートにできるほどもう若くはない。
わたしにも聞かれたくないことはたくさんある。
明日も来ようと思いながらベトナムの居酒屋をあとにする。
ホテルへ帰ってからも興奮がおさまらない。
いくらウイスキーの水割をのんでも酔わないのである。
中国! 中国! 中国!
ベトナムと中国は国境を接している。
その中国の「地球の歩き方」が偶然から入手できたわけだ。
行ける、行けるぞ! 行こうと思ったら中国へも行ける! ああ、中国!
はじめの予定ではベトナムからラオスへ抜けタイへ戻る予定だった。
バンコクで日本への航空券を買って帰国する。
しかし、ラオスもタイもさほど興味があるわけではない。
ラオスはなにもない国ということで有名なわけだし、
タイは旅行のはじめに空気を味わっているから新鮮味がない。
中国へ行ってしまおうか。

中国はビザなしで2週間まで滞在可能である。
中国入国。選択肢はふたつある。
ビザなしの2週間をフルに使って中国をほんの少し味わい、またベトナムへ戻るか。
(その後は急ぎ足でラオス、タイと従来の旅を復活させる)
それともビザを取って本格的に中国を味わうことにするか。
ふたつにひとつである。
まったく中国に行かないという選択肢もあるが、
これは「地球の歩き方 中国」を入手できた幸運を捨てるようなものだ。
どうするか。中国。敦煌が思い浮かぶ。
井上靖の小説で有名である。敦煌へも行こうと思えば行けるのである。
敦煌をこの旅の最終目的地にしようか。

しかし中国である。インドとおなじく人口が多い。
旅も、インドとおなじく、そうとうハードなものになることが予想される。
中国では、これまでのようなのほほんとした旅ができないのは確実だ。
こんかいの旅の目的は、あるとすれば目的を持たないことが目的だった。
純粋に旅を楽しもうと思ったわけである。
これまでのところその目的は果たしている。
海外を旅するのが、ここまで楽しいとはついぞ知らなかった。
中国へ行ってしまえば、このポリシーを破ることになる。
中国では楽しんでばかりはいられないだろう。苦労もたぶんに予想される。
それに中国は旅行費用が高くつくのでも知られている。
わざわざつらい思いをするのに大金を使うのは、
まるでわたしの嫌いな日本の貧乏旅行者みたいではないか。

けれども、つらい思いをしなければという気持もあるのだ。
このままだと居心地がよすぎて、いつ帰国すればいいかわからない。
日本でいま重大なことが進行しているので、
この日までに帰らないといけないという期日はいちおうあるのだが、
それにしてもこんかいの旅は(インドと比べて)楽しすぎる。
最後に中国にがつんとやられたほうがいいのではないか。
なんだ、そのマゾヒスティックな考えかたは!
旅は楽しむものだろう。
中国などへ行かずにラオス、タイとビールをのみつづければいいではないか。
しかし、中国だ。中国。行くとなったら、このいきおいを利用するしかない。
いま行かなかったら二度と個人旅行者としては行けないぞ。
いましか中国は見られない。
作家が編集者とガイドを連れて見に行く中国がなんだ!

迷っている。ふたつにひとつである。ああ、中国!
わたしは宿命論者だから、中国へ行くか行かないかはもう決まっていると思っている。
ちっぽけなわたしがどう迷ったところで、行くときは行くし、
縁がなかったらどんな行きたくても中国入国はかなわないだろう。
中国! 中国がわたしのまえに現われた!
ベトナムのニャチャンにある日本人経営の居酒屋、
「御父参(おとうさん)カフェ」で飲食する。
入口付近に大勢の日本人の若者がたむろしている。
もろにわたしの嫌いなタイプばかりである。
がりがりにやせている。ひげをそっていない。へんな笑いかたをする。
放浪を気取っているくせに日本人宿へ泊まる矛盾した感性。
この居酒屋はゲストハウスも経営している。
あとでわかったことだが、この居酒屋にいる客はすべて宿泊者であった。
入りたくないわけである。しかし、「本の山」での約束がある。
勇気をふりしぼって入店する。
すると座る場所がないわけだ。どこに座ったらいいんですか?
みなから「おとうさん」と呼ばれている(きもいぞ!)中年男性へ質問。
「そこらへんのソファしか座るところがないですね」
スペースを空けてもらい腰をおろす。
「はい、、どうぞ」
と気安く場所を作ってくれた青年はやけにこざっぱりとした格好をしている。
これなら許せる。聞くと、いわゆる卒業旅行らしい。
4月から就職が決まっている。
大阪からフェリーで上海へ。中国を5日で出る。ベトナムへ。
ベトナムもまだ1週間もいないとか。旅行期間は残り10日ほど。
カンボジアからタイへ渡り、バンコクで航空券を買い帰国する予定。

敬語が使えないわけだ。いな、敬語を使えとは言わない。
せめて丁寧語は使おうよ。明らかにわたしのほうが年上だぞ。
なれなれしすぎる。
ちなみにわたしは年下相手でも完全な敬語、丁寧語を使う。
海外のみならず日本でも同様。
しばらく接しているうちに敬語を使わないのではなく、使えないのだとわかる。
ここのような日本人宿へ来る客はたいがい英語が話せない。
それとおなじで敬語もかれらは使えないのだ。
そう思うと、かれの無礼もあまり気にならなくなった。
「もしかして」
うわずった声でたずねるわたしである。
もしかして中国の「地球の歩き方」を持っていますか?
持っているという。ああ、来ましたよ偶然が!
わたしの持っているカンボジアの「歩き方」と交換してもらうことにする。
これで一気にかれのことを好きになる打算的なわたしである。
中国の「歩き方」は日本で買ったものではなく、
上海へ向かうフェリーで日本人からゆずってもらったものだという。
(どうでもいいがわたしのカンボジア「歩き方」もバンコク購入の古本)
「へえ、ガイドブックをなにも持たずに上海へ行ったんですか」
すごいですねを連発してかれを喜ばしてあげる。
得意げなかれの笑顔はかわいい。
本音をいうと、なんでガイドブックも持たずに海外へ行くのかわからない。
それは勇気があるというより、ただのバカだろうと思ってしまう。
あるいは、あれはかれの見栄で、
ほんとうは違うガイドブックを持っていったのかもしれない。
まあ、どちらでもいい。中国、中国、中国!

名物のマグロの刺身を注文するがなかなか来ない。
居酒屋のおとうさんは頭の回転がいいのか悪いのか、
注文した順番に料理を作る主義らしい。
マグロくらいちょっと切ったらいいと思うが、
そうはせずに先に注文が入った手のかかるカツ丼から作らないと気がすまない。
律儀な男である。まあ、日本ではぜったいに通用しないタイプだな。
自分とおなじ臭いを、ベトナムを自転車で縦断したことが自慢の、
この小男(こおとこ)からかぎあてる。
ようやくマグロの刺身の登場である。
ふむ。1ヵ月半ぶりの刺身。
どうですかと横にいる例のかれから聞かれる。
「味うんぬんより、とにかく色が悪いですね」
場が一瞬、凍ってしまったのを感じる。うひゃあ、またやってしまいましたよ!
空気の読めないことにかけては天才的なところがあるのだ。
「本音と建前を(ごにょごにょ)」
やさしい隣のおにいさんが一生懸命場をとりつくってくれる。
うん、これなら大丈夫。きみは4月から立派な新社会人だ。
わたしの本音をおとうさんが耳にしたかは定かではない。

ビールがきちがいのように安いのがよろしい。
たいがい日本料理店というのは酒がおそろしく高いのだ。
だから、日本食でのみたいと思ってもかなわぬ。
調子に乗って450mlのビールを5本もあけてしまう。
中国の「歩き方」が入手できてうれしいので、
提供者(交換者)のかれを徹底的にもてなすことにする。
ベトナムドンがあと3000(40円)しかないというので、
ものすごい割のいいレートで米ドルを両替してあげる。
お腹を壊しているというので強力下痢止めイモディムをプレゼント。
白菜のおひたしもアジフライもかれに分け与える。
青年よ、そんなに感謝しなくてもいいんだよ。
日本円に換算したらわずかなもの。
きみだって日本に帰ったら1回の宴会で5000円を使うんだろう。

居酒屋の主人、おとうさんについて書きたい。
ずるそうで抜け目のない小男といった印象。
やたら腰が低いのだが、演技なのが透けて見える。
本棚を見たら、とんでもないことをこの居酒屋はやっている。
日本の旅行エッセイ本を丸々コピーして2ドルで売ると書いてある。
著作権法をおとうさんは知らないのかと苦笑。
まあ、ビールが安いから許そう。わたしを特別扱いしてくれるのも気分がいい。
そこらのガキんちょといっしょにされても困るのではあるが。
若い女がいる。ベトナム人。聞くと、おとうさんの奥さんで30歳。
おとうさんは50歳だという。結婚したのは3年前。
なかなかやるじゃないかおとうさん。
「結婚するまえはもっと格好よかったのよ」
奥さんの証言である。

おとうさんが若者に注意している。
「ニャチャン、このへんはね、治安が悪いから気をつけなくちゃだめだよ。
引ったくりとか、すごい多いから。うちのお客さんも週に1回はやられている」
言っては悪いが、おそらくウソだろう。週に1回って、おいおい。
おとうさんは若者の恐怖感をあおりたて、自分への依存度を高めさせるわけだ。
もしかしたらいい人生なのかもしれない。
20歳も若い妻を獲得。頭の弱い日本の若者から「おとうさん」と慕われる。
うん、おとうさんは海外で成功した数少ない例なのかも。
かれが日本へ戻ってもろくな人生が待っているようには思えない。
ビールをのみたいだけのんで、マグロ刺身、アジフライ、白菜のおひたし。
これで7ドルである。いいんじゃないかな。
ここにいると書くことが増えそうなので今晩も行こうと思う。

追記)いま聞いたらニャチャンで日本語可能のパソコンはここだけらしい。
もうすぐここをチェックアウトするから、とうぶんパソコンはできないのか。
しかし、ゴキブリと暮らすのはいやだ。いやなんです……。
ベトナムのニャチャンにあるこのホテルはいかがなものか。
たしかに日本語可能のパソコンがフリーなのはよろしい。
けれども、1台しかないので、すさまじい争奪戦だぞ。
いざ占拠しても、つねにうしろが気になる。
落ち着いてインターネットをすることができない。

最大の問題はあれだな。海外で初めてあれを見た。
あれである。黒い、素早い、不愉快な、あれ。
あれだ。ゴキブリだ。2匹もいた。
いま12ドルの部屋に泊まっている。
ゴキブリは出る。電気は暗い。日当たりも悪い。
なんでこんなところが人気があるのかさっぱりわからない。
こうして書き込んでいるいまもつぎつぎにファランが。
満員だと断られている。
日本人もたくさんいる。昨日だけで5人も見た。

「何日このホテルへ滞在しますか」
いま、たったいまである。聞かれた。
今日、チェックアウトするよ。
だってゴキブリがいるんだもん。
しかし、ゴキブリを英語でどういったらいいのかわからないので、
必死でジェスチャーで示すも理解してくれない。
おっと、空き部屋待ちのファランがいまうしろにいる。
あの部屋に泊まるのか。
暗くて暑くてゴキブリの出るあの部屋に!

まじめな観光客なので今朝は6時に朝日を見にビーチへ。
そのついでにホテル探しも済ませてしまう。
そこらへんに転がっているバイクタクシーの肩をとんとん。
ホテル、グッド、チープ。これだけである。
ガイドブックには載っていないが客引きに熱心な(=安い)ホテルを教えてくれる。
ちょっとメインロードから裏に入ったあたり。
いいホテルを見つけた。バスタブつきで9ドルである。
ほんとうかわからんが、建てられて2ヶ月だという。
最初は10ドルだと言っていたが、顔をしかめたら9ドルに。
こういうのは悪くない。

で、いまからホテルをかわるわけだが、
唯一の難点はインターネットができなくなることである。
まあ、このところネット中毒気味だったから、
少しパソコンから離れるのもいいのかもしれない。
と言いながらも日本語可能なパソコンを必死で探すんだろうな。
さっきニャチャンに到着。
ダラットが山の上だったのと対照的に、ここニャチャンは海辺のリゾート地。
山から海へという旅である。
ホテルはめずらしく一発で決める。「地球の歩き方」推薦ホテル。
フリーインターネットというのが決め手。しかも日本語使用可ときた。
人気のホテルのようで、部屋もわたしの泊まったひとつしか空いていなかった様子。
値段は12ドル。安いのか高いのか。

しかしパソコンに問題が。
宿泊を決めてから気づいたのだが、パソコンはぜんぶで3台。
そのうち日本語を使えるのはわずか1台である。
ひとりであまり占有するな、譲りあえという注意書きまではってある。
調べてみたらフランス語、中国語、韓国語も、使えるのはこのパソコンのみ。
そのパソコンをさっきから4時間にわたって占拠しているのである。
日本人もたくさん宿泊している。
日本人がなにも言ってこないのは予想していたが、
ファランからは文句を言われる覚悟はできている。
ひやひやしながらネットをしている。
いまのところ面と向かって苦情は言われていない。

「海を見たらどうだい? たしかにきみはうちのゲストだが」
先ほど宿のオーナーからやんわりと注意された。
それでもパソコンをやめない自分勝手なわたしである。
こちらにも言い訳がある。
ニャチャンはだめだ。だめったらだめなのだ。
見どころが海しかない。ビーチしかない。
そのビーチでは大量のファランどもがだらだらしている。
海辺で寝転がっているののなにが楽しいのかわからない。
水着でごろごろするファランは、肉塊がならんでいるようである。
なにもすることがない。
さっきからずっとパソコンをしている。
びくびくしながら。
といいながらもずうずうしくグラスをかりて、ストロベリーワインをのみながら。

いまから日本人の巣窟へ乗り込む。
居酒屋「御父参(おとうさん)」である。日本人経営。
日本でガイドブックを見て、あ、ここへ行きたいと思ったもの。
さて、行ってみたら期待はずれなのかどうか。
たむろしている日本人からのけものにされはしないかという心配もある。
だけど、まあ、酒があるからなんとかなるのではという淡い期待もある。
それではベトナムの居酒屋へ行ってきます。
マグロの刺身が名物だとか。結果はあした報告します。
3月12日。ダラット。
海外にでてから困ったのが眠れないことである。
かならず5時間程度で目が覚めてしまうのだ。
疲労困憊しているという自覚がある。
眠りたい。早朝の起床後、デパス(睡眠薬)のお世話になることにした。
この昼寝のためにいまいる10ドルの部屋に決めたのかもしれない。
ダラットでは4ドルからシングルルームがある。
泊まらないかと執拗に誘われたがベトナムで監獄に泊まる趣味はない。
いまの部屋からの眺めはすばらしい。
南向きで窓のそとは一面畑である。窓をあけると高原の風が入ってくる。
昼寝を満喫した。

アリバイを作らなくてはならない。
ダラットまで来たのだから一度くらいは名物の高原野菜とやらを食べねば。
どこで食べられるのかわからないので「地球の歩き方」の世話になる。
どうせまずいのだろうと思いながらも。
ホテル宿泊費に込められていた朝食は辞退する。
だから、まあ、朝いちのビールとも言えないことはない。
これは問題だな。
とりあえずビール、ダラット野菜炒め、ご飯。
店内には赤毛女がふたり。海外旅行者用のレストランである。
ところが、うまいのだ。空の茶碗をつけてくれるのもうれしい。
茶碗にご飯を盛り、そのうえに野菜炒め。ぶっかけ飯である。
これにベトナムの醤油、ヌックマムをかけ味をこくする。
まるで肉体労働者のようにがっついてしまった。
あっという間にたいらげる。
赤毛のほうを見ると会計をしている。
どちらの赤毛もご飯をほとんど残している。
ここだけではない。
どうしてファランはああも食べ物を残すのだろう。
タイ、カンボジアとずっと目撃してきたことである。
不愉快でしようがない。

おまけに自家製ストロベリーワインを注文。
ミニグラスをたのんだら、ほんとうにひと口サイズである。
まあ、のめなくもないな。
急いで会計を済ませバイクタクシーで駅へ。
ここからミニトレインが出発しているのだ。
近くの村へ30分で行く。30分後にまた戻ってくる。
向こうにいられるのはわずか30分のみ。小旅行である。
実は、これを楽しみにしていた。
電車がすきなのである。海外で乗る電車。なんともいえない旅情がある。
むろんそのためには酒が必要である。
ウイスキーと水、プラスチックのグラスをこのために用意している。
ベトナムの田舎の風景をさかなに酒をのもうというのだ。
まだ昼過ぎだが、いいのである。これがわたしの旅なのだから。

予定を変更。駅の横の売店にストロベリーワインが売っている。
値段を聞くと240円。イチゴはダラットの名産でもある。
これをのんだほうが気分がでるな。
聞くと、グラスをかしてくれるというではないか。
ストロベリーワインの味は、先ほど確かめているから安心だ。
車両はふたつ。
ひとつは木の座席。もうひとつはソファである。
いちばんいい席にはファランが先に座っていた。くやしい。
あとで話すとドイツ人だという。
あまったもうひとつのソファへ腰をおろす。
列車が動き始めると同時にためらいもなくワインをのみ始める。
中年のドイツっぽ夫婦が笑いながらなにかいっている。
このひともワインで動き出したみたいだ。
おそらくそんなことを言っていたのだろう。
列車は20分で目的地に到着。
例のドイツっぽがガイドを雇っていたのでふたりのあとを尾行。
寺が見えたので追い抜く。先に観光をさせていただく。
七重の塔が見えたのでそちらへ向かう。
うえに登っていいかとジェスチャーで聞くとOK。
高いところが好きなのは煙となんだったか。
最上階には仏像が鎮座。そとへ出ると絶景である。田舎風景。
ドイツ夫婦がいつ来るかと思っていたらいつまで経っても来ない。
田園を見ながらひとり。ふるさとをひとりで見ている。
山頭火と放哉を足して二で割ったようないんちき臭い句をひねりだす。
気づくと「故郷」を口笛で吹いていた。うさぎ追いしかの山♪
連日通っているビアホールに確かうさぎのメニューがあった。
今日はうさぎを食らおうかしらん。
情緒があるのかふざけているのかわからないわたしである。

帰りの電車がとくによかった。
列車の先頭部分に出られるのである。
目の前を流れる風景を見、風を体全体に浴びながら、ワインをちびりちびり。
ああ、旅をしていると実感するのはこんなときだ。
列車の小旅行を終え、時間があまったので、
昨日行かなかったフラワーガーデンへおもむく。
なんてことはない小さな植物園である。きれいな花が見られる。
繰り返しになるがここダラットは新婚旅行のメッカ。
新婚カップルが花を背景に写真を撮るのであろう。
だが、今日は月曜日。入場者はわたしだけである。
これがよかった。どこまでも人間がきらいなのである。
花々にかこまれひとり。
またいかさまめいた句作をしてしまった。
山頭火にこのような句があったと記憶している。
「やっぱりひとりがよろしい雑草」
「やっぱりひとりはさみしい枯草」
どちらもよくわかる。山頭火の句は突き詰めれば感傷である。
だから、大衆に受け入れられるのだ。
安っぽいという批判もここから生じる。
昨日、新婚夫婦にかこまれていたらこうなっていただろう。
「やっぱりひとりはさみしい花々」
来るのを今日にしてよかったと思う。
「やっぱりひとりはよろしい花々」
遠くの山々を見やる。

昨日発見したホテルへ。
ダラットで唯一日本語の使えるインターネットである。
お世話になったところの悪口を言いたくないのだが、
ここは完全なファラン(欧米人)専用のホテル。
「うちには10ドルの部屋もある。なぜうちに宿泊しないのか」
聞かれたが、まさかファランがきらいだからともいえぬ。
ここのロビーがなんとも言えずファランくさいのだ。
ファランと宿の女主人がいかにも欧米人らしく雑談している。
ファンタスチック、グレート、ナイスの大安売りである。
しみじみと泣く旅人の居場所はない。

ブログをやっていてよかったと思う。
これでかなりの時間をつぶすことができる。
ひとり旅でなかったら、この時間を連れとの会話にまわすのだろう。
3日連続おなじビアホールへ。今日もとびきりの笑顔でお出迎え。
メニューをよく見るとうさぎのみならずワニがあるではないか!
あやふやな記憶だが、日本神話にうさぎとワニの話があった。
うさぎがワニをだまして整列させる。ワニを橋にするのである。
けれども、だましていたことがばれて、うさぎはワニにとっちめられる。
あるいは食べられてしまうのだったか。出雲地方の神話だったような。
よし、うさぎとワニを同時に食ってスーパー日本人になるか!
ごめんなさい。うさぎもワニも食べられません。意気地なしのわたし。
豚のもつ焼きでお茶をにごす。まあ、ビールとあわないわけがない。
ふつうのビールを3杯、黒ビールを1杯のみほす。
今日でここも最後だと思うとさみしいがこれが旅である。
旅という名の非日常はいともかんたんに日常に変容してしまう。
本日も会計でおまけをしてもらう。
どう考えても計算より少ないのである。
指摘するのも野暮なのでこころのなかで手を合わせる。
そして、手を振る。さようなら。
もう二度と来ないと思います。3日間、おいしいビールをありがとう。

昨日の串焼きの屋台を探すが見つからず。
さんざん探して似たような串焼きの店を見つける。
ここは屋台ではないので価格は昨日の倍だがやむをえぬ。
米焼酎をのんでいる若者集団を見つける。
あのくそまずい米焼酎を水で薄めもせずにのんでいるのに驚く。
どうせまたイッキをしているのだろう。
1杯のまないかと誘われたが、あれをそのまま常温でのむのは勘弁。
ホテルに戻りベトナム人に負けるかと、例の米焼酎を(冷たい)水割りでのむ。
これをのんでいるベトナム人を見たせいか昨夜ほど抵抗感はない。
串焼きをつまみながら米焼酎。
途中で寝入ってしまい串焼きは半分ほど残すことに。
食べ物さん、ごめんなさい。
さっきダラットからニャチャンへ行くバスのなかである小説が思い出された。
川端康成「伊豆の踊り子」のラストである。
青年は帰途の船で大声をあげて泣いたと記憶している。
わかるなと思う。しみじみ実感する。
あれが日本人の旅なのだ。あれが旅する日本人のすがたである。
もっと飛躍すれば、男の泣くのが日本の文化。
ここまで言ってしまっていいのかはわからないけれども。

ツアーやバス移動でファラン(白人)と行動をともにするといたたまれなくなる。
ファランはトラベル、ホリデーをエンジョイすることにしか興味がない。
インターレスティングくらいならまだいい。
ワンダフル、ビューティフルの世界になると日本人はついていけない。
なんであんなに情緒というものがないのだろう。
からっとしている。旅はカネを払って楽しむレジャーのひとつでしかない。
旅行中に泣くなどファランには信じられない行為なのではないか。
旅行のあいだはひたすら笑っていたいというのがファランだ。

移動しているときになにを考えているのか。
5時間や8時間のバス移動はざらである。
山田太一のことを考えている。かれのシナリオを思い返している。
日本では山田太一など読むのはどこか恥ずかしい気がするのだが、
ひとたび海外へでるとかのシナリオ作家の描くドラマががなぜだか思い浮かぶ。
山田ドラマこそ日本の劇である。
決して外国人にはわからない日本人のドラマだ。
そもそもあれは翻訳できないのではないか。
あまりに日本的すぎるがために外国人には理解できない。
山田太一は真の庶民を描いているのである。

移動中はなにもすることがない。
気づくと山田太一ドラマの主題歌を口ずさんでいる。
印象的なシーンを思い返している。
なぜか山田ドラマなのだ。シェイクスピアではない。
ふとなみだがこぼれそうになる。じめじめした日本人である自覚がわく。
「伊豆の踊り子」をふかく体感する。
3月11日。ダラット。
昨夜からお腹の調子がかつてないほど悪い。
これでもくらえと強力下痢止めイモディムを2錠ぶちこむ。
まじめにバイクタクシーで観光する。
いいのかなと思うほどの安価でバイクタクシーを1日借りきった。
わずか5ドル(600円)である。
ちなみにバスツアーに参加すると11ドル。
集団行動の苦手なわたしはなるべくツアーは避けている。
英語可能なバイクタクシーを1日借り切ると相場が18ドル(ガイドブック情報)。
5ドルがいかに格安かわかっていただけると思う。
むろん英語はまったくできない。そもそもプロのバイクタクシーでさえない。
雑貨屋のおやじである(52歳)。
小遣い稼ぎにたまに旅行者をひっかけるのだろう。
昨日ここで水やら酒やらを買ったのだが、モーターバイク、ツモローとうるさい。
14ドルなどとふっかけてきやがる。
「5ドルならいい」
こちらもめちゃくちゃな激安価格を提示してみる。
すると、いいと言うのである。今度はわたしが驚く番である。
「ウソでしょ? ほんとに5ドルで1日観光OKなの?」
破格である。

「ダティエン湖と愛の盆地」へ。
小さな自然公園と、ちゃちな子供向けの遊園地を合体させた行楽地。
言うまでもなく、ベトナム人向けの観光地である。
日曜日。カップルや家族連れがおおぜい押しかけている。
ダラットは新婚旅行の定番地。
ラブラブなカップルがあちこちで抱き合っている。
まあ、熱愛中の男女はそれでいとして、ほかのベトナム人はなにをしているのか。
こんな行楽地は日本人から見たらおもしろくもなんともないわけである。
カンボジアやベトナムの娯楽のとぼしさには驚かされる。
ふふふ。やっぱりな。ある家族連れが朝から酒盛りをしている。
一族郎党勢ぞろいといったてい。
料理を大量に持ち込み、朝から乾杯である。
目が合う。笑い出してしまう。
そうだよね。こんなとこ。酒をのむくらいしかすることない。賛成だ。
またもやのんでいけと言われる。
壊れているお腹を気にしつつ1杯だけいただく。
ウイスキー1ミニグラス。
座っていけとも言われるがお腹が心配で辞退する。

バイクタクシー氏へ寺へ行ってくれるよう頼む。
リンソン寺。ダラット仏教信仰の中心地。
ところがどう考えてもバイクは寺へ向かっていない。
旅行者のわたしにだって、そのくらいの地理感はある。
ブレン滝へ向かっていると言うではないか。
格安氏は老眼のため目も不自由なのである(英語のみならず)。
ガイドブックで指差した個所の上の写真が、かのブレン滝。
これが18ドル支払ってお願いした運ちゃんだったら激怒したと思う。
わずか5ドルである。怒る気すら起こらなかった。
「ならまず滝へ行きましょう」
なんてことはない。ただの滝である。きれいなことは確かだ。
こみあげてくるものがある。
こんかいの旅はいままでとはまったく異なる。
なぜかなみだもろいのである。めそめそしている。
感動したわけではないのだろう。たわいもない感傷だと思う。
ああ、まさかこんな風景が見られるとは。
もうすっかり自分の人生は終わっているとあきらめていたせいかもしれぬ。
感傷だ。ひよわな陶酔といってよい。しかし、実に心地よい感傷なのである。
まさかと信じられない。この自分がまさかこんなところへ。
もうしばらくここにいたいがひとり旅のため時間のつぶしようがない。
ビールでものむか、正午は過ぎているから問題はない。
サイゴンビール1本。

ケーブルカー乗場へ。これもベトナム人のための行楽地。
ケーブルカーをおりると竹林禅院である。まあ、お寺だ。
本殿に仏様がいる。どうにも目を合わせづらいわたしである。
合掌する気にもなれぬ。
死刑囚と弁護士のような対面という比喩は大げさすぎるのだろうか。
寺をおりるとトゥイェンラム湖。きれいだなと見ほれる。
だが、することがあるわけでもない。とすると、やはり行動はひとつ。
333ビール1本。

この場所であやしげな酒を売っている。
別のテーブルではのんでいるひともいた。ふむ、買ってみようか。
なんでも食べてやろう、なんでものんでやろう、である。
試飲させてもらう。まずい。
あれではないか。養命酒などとおなじで健康にいいとされる酒。
なにか奇怪な植物を見せられる。これから作られているとのこと。
240円。迷うほどの金額でもない。
ほこりをかぶったウイスキーが売っていたのでこれも買う。
なぜかこのウイスキーは激安。
ホーチミン市での価格の半額で買う。
バイクタクシーとの約束時間までまだだいぶある。
湖でもながめながらいま買った酒でものみますか。
湖畔のあばらやへ。水のみ注文。
あやしげな中国系の酒を150ml。

ダラット大教会、リンソン寺と宗教施設をはしごする。
キリスト教と仏教のちゃんぽんである。
どうしてか教会では落ち着けない。逃げるようにあとにする。
お寺では緊張することもない。
けれども、とりたててすることもない。
かまってくれるような(=寄付をせがむような)坊主もいない。
することがない。ならばと思うが、まさか寺で酒をのむわけにもいかない。
「ゴーバックホテル」と格安バイクがうるさい。
午後4時。おやじはもう帰りたいのだろう。
こちらはもうひとつくらい観光地をまわりたいのだが、
5ドルで無理を言ってはいけない。
ホテルへお願いする。部屋へ。トイレを済ます。
お腹が心配でランチは食べていない。ここでイモディムをもう一発。
冷蔵庫からきんきんに冷えたスパークリングワインを取り出す。
リュックへ入れてバイクタクシー氏のもとへ。
あとちょっとだけ。あそこへ行ってくれないか。
昨日の貝を食べさせる食堂である。
最後は6ドルくれと少々もめたが、最終的に5ドルでまとまる。
ダラットのひとはほかと比べてがっついていないような印象を受ける。

店のひととはもうすっかり顔なじみである。
「今日も来ましたよ。あの貝をください。
それからこれこれ、スパークリングワイン。開けてくださいな」
美味の極みといった貝をつまみにスパークリングワインをあける。
スパークリングワインフルボトル。
それにしてもこの貝はうまいよな。
見事なつまみになっている。
おそらく東南アジアにはつまみという感覚がないのではないか。
つまり、食べながらのむという習慣がない。
これはインドでもそうであった。
食べるときは食べる。酒をのむときは酒だけをのむ。
考えてみたらファラン(白人)もそうではないかな。
いやね、本式のフランス料理やイタリア料理は別だよ。
むかしインドでフランス人のグループと行動をしたとき驚いたものである。
先にビールだけぐびぐびのむのである。
さて、食べようかといんちき洋食屋へ行く。
そのときはいっさい酒をのまない。
もしかしたらつまみという食文化があるのは日本だけかもしれない。
もちろん日本でもなにも食べないで酒をのむひとがいることを知らないわけではない。

タイでも、カンボジアでも、つまみがないのに苦労した。
注文するとつまみではなく、なんというのか、一品料理になってしまうのだ。
でかい皿がどーんと出てくる。
これでご飯を食べたら店を出ていってくださいね、という感じ。
こちらはいろいろつまみながらだらだら酒をのみたいのだが、
どうもうまくいかないのである。
この貝は格別である。まさしくつまみ以外のなにものでもない。
つまみながら酒をのむ。
スパークリングワインの味は、うん、まあこんなもんでしょう。
毎日のみたいという味ではないけれども。
こういうことを書くと舌の貧しさがばれるが、炭酸ジュースみたいなものでしょ。
そもそもスパークリングワインが、である。
1本あけると、やはりかなり酔うわけである。
ふらふらしながら店外へ。まだ明るい。さてとネットがしたいな。
この間の経緯は昨日書いたとおりである。

ネットを終えホテルへ戻る。
寒い。みんなセーターを着込んでいるなか、わたしだけ半袖のTシャツ。
もう夜の10時も近いというのにガキがうようよおもてへ出ている。
遊んでいるのである。そこらの空缶で蹴鞠(けまり)をしている。
ここで入れてくれなどと頼んで現地人となれあうのが、
おそらくは旅ライターなどになる人間なのだろう。
わたしガキと遊ぶよりも酒である。
ホテル正面にあるビール酒場へ。
ここはビアホイではなく純粋な生ビールをだす店である。
昨日にも訪れている。そのときベトナム人の酔っぱらいにからまれた。
怒ったふりをして追い返した。
怒るというのは微妙で、たぶん笑うも泣くもおなじだとは思うが、
怒ることはかなり演戯的な部分があるのではないか。
まったく怒っていないのに、怒ったふりをすることがよくある。
店のひとがこれを申し訳なく思ったのか、
会計はこちらの計算よりも3割ほど安かった。
恩を忘れない日本人は今日もこのビアホールへ来るわけだ。

贅沢をしよう。もう二度とこんな旅はできないだろう。
昨夜の会計への感謝もある。
昨日顔なじみになった女の店員がとびきりの笑顔で迎えてくれる。
これだ、これをください。
ふつうのビールよりもかなり高額な赤ビールとやらを注文する。200円。
ふうむ。濃いビールである。カラメルの味がする。
東南アジアでたしかにビールばかりのんできたが、
なんだかこんかいの旅ではじめてビールをのんだような気がする。
店を閉める準備をしているのでつまみは注文しない。
つきだしのピーナツで十分。
かえってこのほうがビールの味がよくわかる。
例のウェイトレスが(女給は使っちゃいけませんか?)テレビのリモコンをくれる。
昨日とおなじようにNHKにチャンネルをかえる。
ここはふつうのビールと赤ビール。それから黒ビールまである。
黒ビールをください。黒ビール特有の焦げ臭さがなつかしい。
ビールってうまいものなんだなと覚醒する。
いままでは酔うためにだけビールをのんできたけれども。
ウェイターが果物を持てくる。
ありがたくいただく。会計である。40000ドン。きっかり払う。
お釣りがあるというではないか。そんなはずはないのだが。
8000ドンのお釣りをありがたくいただく。
どうやらこのレストランから好かれたようである。
海外でここまでの好待遇は初めてである。いや、日本でもないな。
もしかしたらウェイトレスのひとりがわたしを・・・・・・。
こんなおかしな勘違いをするのも海外ならではとお許し願いたい。
黒ビール。赤ビール。

正面のホテルへ戻る。小腹がすいたな。
先ほど屋台で購入しておいた串焼きを食べながら米焼酎を水割りでのむ。
米焼酎250ml。
なぜかダラットでは米焼酎が売っているのである。
ラベルは日本語。まさか日本製ではないと思うがジャパニーズの文字がある。
価格は500mlで140円と格安。
味は最低である。工業用のアルコールといったおもむき。
こんなものをジャパニーズの名のもとに売り出すのはよいことではない。
串焼きはつみれを2本。焼き豆腐1本。うずら卵が1本。
これでしめて80円。からいタレがかかっておりなかなか美味。
シャワーをあびながら洗濯をすませる。
まったく眠くない。酒をのもう。
ウイスキーの水割り。
吐き出しそうになる。さすがにもうからだが酒を受け付けない。
ぜんぜん眠くならないが、かといってすることもないので部屋の電気を消す。
おやすみなさい。長い酒びたりの1日が終わりました。
ダラットへ行くバスのなかでガイドブックを読むと、
この高原避暑地はワインの産地らしい。
まあ、とんでもない旅行者である。
旅行案内書もろくろく読まずにつぎ行く場所を決めているのだから。
おっと、ラッキー。ワインときましたか。
日本を離れてからビールとウイスキーばかりだったので、これはありがたい。
ワインをのむと頭痛が起こることが日本ではあったがこれも大丈夫。
なぜなら痛み止めをベトナムまで持ち込んでいる。

マーケットではどの店もワインをあつかっている。けれども、高い。
「地球の歩き方」に記載されている金額の倍は取る。
倍といっても日本人にはたいした金額ではないのだが、なぜかこだわってしまう。
よし、直売店を地図をたよりに探しだそうと決心する。
その途中であるレストランへ引き寄せられる。
店の外で酒をのんでいるグループがいるのだ。
かれらの食べている貝がとにかくうまそうなのである。
あれはホーチミン市でも食べた。
このやろうと叫びたくなるくらいうまいのを経験から知っている。
いっちょビールでものみますか。店内へ。
ビールの値段を聞くと思いのほか高い。
店外で一杯やっている呑み助どもはウォッカを持ち込んでいる。
そうそう、言い忘れたがダラットは寒い。
セーターやジャンパーを着込んでいるひともいるくらいだ。
わたしが日本を旅立ったのは真冬。
タイ、カンボジア、ベトナムと徘徊したが、どこも夏だった。
それだけにここダラットの涼しさはとても新鮮だった。

「また来るから」と店を出る。
もちろん言葉が通じたわけではない。ベトナム人オンリーの英語不可の食堂である。
ワイン直売所を探し当てる。うん、ここだ。安い。
ワインのフルボトルが赤白ともに220円。
スパークリングワインが400円。
ハーフボトルを赤白どちらも購入。あとはスパークリングワイン。
ふふふ、苦労して冷蔵庫つきの部屋を探したかいがあった。
スパークリングワインよ、きんきんに冷やしてのんでやるからな。
いまだシャンパンをのんだことがないわたしである。

ホテルへの帰途、また先ほどの食堂のまえを通る。
なにも考えずにずんずん店内へ侵入する。あの貝をくれ。
それからそうだ。これワイン。ここでのんでもいかな。
OK、OKである。
袋からだすとワインはコルクの本式である。
よかった。ホテルでのもうと思っても果たしてコルクを抜くあれがあったか。
「これ抜けますか?」
ジェスチャーでたずねると、うしし。あるある。まずは白ワインを開けてもらう。
すっきりさわやか。
ほめ言葉になるのかわからないが、ジュースのような口当たりである。
貝が焼きあがる。七輪でその場で焼いてくれるのである。
口に入れる。ああ、幸福。口福かな? じゅるじゅる、うんめえ!
あれはなんの貝なのか。
ネギとナッツがかけられている。からいタレにつけてすする。
ホーチミン市で食べたものより何倍もいける。
(これは会計の際に知るのだが、値段も2倍であった)
酒のつまみ以外になにものでもない貝をがっつきながら地酒をのみほす。
生きていてよかったなと思う。
こんなうまい貝なのだから、だれかと一緒に食べたかった。
こころ許せる人間とである。
けれども、わたしについてこれる人間などいないか。
いきなり見知らぬ食堂へ酒を持ち込みのみはじめるなんて。
やめようよと言われるに決まっている。
やはりひとりで旅をするしかないのか。

お客さんがだんだん増えていくのが自分の手柄のようにうれしい。
わたしが入店したときはゼロだった。
ここは呼び込みをさかんにやっている。
もちろんベトナム人相手だけである。
ファランがときおり通りかかるがすべて無視。
ほら、ひっぱれ、ひっぱれなどと店員へ声をかける。
バイクの集団がつかまった。ツーリングをしてきたような格好である。
お、ひとりがバイクで酒を買ってきている。
きみたちものむのですね。持ち込みで。ふふふ。
赤ワインも開けてもらう。こっちはなんか重いな。
とろりとしている。野暮(やぼ)ったいというのか、うーん。
お客さんがどんどん増えていく。
自分の発見した店が評価されているようで気分がよろしい。
みんな頼むのはわたしとおなじもの。これにも顔をほころばせる。

のんだ、のんだ。貝も食った。満足だ。会計をするぞ。
向こうのテーブルで先ほどのツーリング集団のひとりが手を振っている。
来ないか、のまないか、と言うのである。
ええ、行きましょうとも。
「学生ですか?」と聞いてみる。それくらい若々しかったのだ。
外国人の年齢というのはわからないものである。
違うと言う。全員、27歳。男5人、女2人。高校時代の友人だそうである。
ホイアン近くの高校出身。いまはみなホーチミン市にいるという。
共通の友人が今日ここで結婚式を挙げるのでやってきたとのこと。
そのカップルはここにはいない。
さしずめ結婚式後の同窓会といったところか。
ふたりをのぞいて、今晩のバスでホーチミン市に帰るらしい。
ひとり英語が達者な男がいる。
聞くとオーストラリアの大学へ4年間の留学経験がある。

好ましい青年たちである。青春とか希望ということばがふさわしい。
7人のうちひとつのカップルが結婚しているという。
そのほかの5人はみな独身。
「こいつらも結婚するかもよ」
まわりから冷やかされた男女が苦笑しながら否定している。
両隣でならんでいるのがたしかにあやしい。
「きみ結婚してあげてくれよ」
なんて男のほうがわたしに言うところを見ると、もっとあやしい。
ベトナムでも学校で英語を学ぶらしい。
どこで習ったのか少しだけ日本語を話す青年もいた。
いいなと思った。夢、希望、純粋、恋愛。
かれらの将来にこれからどんなことが待っているのだろう。
これからという若いちからにあふれている。
愕然とする。わたしもかれらと同世代なのである。
ところがこの青年たちの持つすがすがしさがわたしには皆無である。

「乾杯しようぜ」
わたしにも酒がつがれる。見るとジョニーウォーカーの赤。
ヨーと声をあげて一気にのみほす。ベトナム流である。
ううむとうなる。なにも舶来のウイスキーをイッキしなくても。
(あとで近所の店で聞いたらこのジョニ赤は日本円で1350円。
日本で買うよりも高いわけだ。ベトナムの酒のなかでも最高級の部類。
こんな高い酒をイッキでのむベトナム人がわからないが、
それだけこの日が特別な再会の日だったのかもしれない。お邪魔しました)
乾杯、乾杯、ヨー、ヨー。
元気をもらったような気がした。
「さようなら」
別れ際、女の子から日本語で言われた。
ベトナムのさようならを覚えていないのが恥ずかしくて、
「かれと結婚しちゃえよ。お似合いだぜ」
思わず口をついてでた。さようならのかわりにである。
さようなら、さようなら。
なんちゃって。ヨー(乾杯)! 日本はもう春ですか?
ダラットでホテル近くのネットカフェはぜんぶチェックするも日本語不可。
ならば「地球の歩き方」に記載されているネット屋へ行くが、ここも日本語はダメ。
そもそも日本語が表示されないのだから。
最後のたのみは、またもや「歩き方」。
ホテル「Dreams」というところに宿泊するとインターネットがただとのこと。
ここのパソコンが日本語使用可らしい。
地図片手にな10人以上のベトナム人のお世話になった。
なんとかそのホテルを発見したところで宿泊客以外にパソコンを使わせてくれるかわからない。
それでも行く。なぜ? もしかしたら伝えたいことがあるのかもしれません。
探すこと45分。ようやくたどり着く。
使わせてくださいとお願いする。もちろん有料。といっても1時間50円程度だが。
ここにパソコンが6台あるが、ぜんぶ日本語が使えるわけではない。
調べてもらったらこの1台だけである。
つまり、わたしはダラットでただひとつ日本語が使えるパソコンから書き込んでいるのだ。
こころしてお読みください。
ウソです。酒でもかっくっらて、いい気分で笑いながらご覧ください。
ファラン(白人)がきらいだ。
たとえばベトナム戦争博物館へ行く。
ファランどもは、真剣な顔で戦争の悲惨な写真を見ている。
笑っちゃうね、その顔だ!
なにそれ。わたしはまじめに世界を考えてますってか。
ファランなんてこんなものだろう。
ある写真でふきだしそうになった。
アメリカ兵がいま切ったばかりのベトナム人の首と記念撮影しているものである。
死体はひとつではない。3人死んでいる。首はない。米兵がもっているからである。
じつにうれしそうな顔で記念撮影に相対している。
これこそファランだと大笑いしたくなった。
日本兵もたしかに現地人の首くらい切るだろう。
しかし、あの心のそこからの笑顔は日本人にはまねできないものである。

期待していた戦争博物館も不快なファランを確認するだけに終わった。
がいしてこんなものである。
観光地など期待はずれに終わるのが常。
チーサック通りへ向かう。
「地球の歩き方」で有名な呑屋街として紹介されていたところ。
夜には屋台がならびあちこちでビアホイで乾杯する声が聞こえる。
のん兵衛のわたしとしてはここをはずすわけにはいかぬ。
地図を片手に徒歩で。
迷うことなくかんたんに行けたので自分でも驚いた。
チーサック通りである。
まだ明るいせいか屋台などひとつもない。
この通りを往復する。ひとつ怪しげな酒場があった。
まだ明るいのに酒をのんでいる客であふれている。
こういう場所へ、えいやと入っていくのが、恐く、また楽しいのである。

入ってみるとローカル度99%。
1%はわたしである。
つまりわたし以外はみなきっすいのベトナム人。
酒場全体を見渡せる場所へどっこいしょと腰をおろす。のむからな。のむぞ。
ビアホイを注文する。
値段を聞くと、なぜかわたしの宿泊しているゲストハウス周辺の倍である。
といっても、ぼられているわけではない。
ちゃんと黒板に明記されている。
考え直す。日本円で考えたらビール1リットル40円も80円もおなじか。
楽しいのである。
ベトナム人が酒をいかようにしてのむか。なにをつまみに酒をのんでいるか。
どのような姿勢で酒を酌み交わすか。
こういうのは入ってみないとわからない。
それは外国人がひとりもいないところへ入るのは勇気がいる。
けれども、見てみたいのである。
博物館に展示されていないベトナム人を! 米兵に打ち勝ったベトナム人を!

ぼられていないか気を配りながらつまみを買う。
どんな味がするのか。楽しみで仕方がない。
うまいものを食いたいのは事実。しかし刺激もほしいのである。
美味を発見したらそれを毎日食べているような旅はごめんだ。
豚のソーセージを3種類食べた。
3つめのがよかった。なまのニンニクといっしょに食べるのである。
これは酒がすすむ。
そうは言いつつもやはり異国の地。
あまり酔わないうちに店をでる。もう暗くなっている。
「地球の歩き方」によると、チーサック通りはそこらじゅうに呑屋があるのでしょう。
ウソだった。
チーサック通りで呑屋といえるのはわたしが行ったところだけ。
屋台などひとつも出ていなかったことを報告する。

今日のことを書く。
ベトナム最大の新興宗教カオダイ教の総本山へ行く。
昼のセレモニーを見る。
これは演劇だと思った。宗教と演劇は密接に結びついている。
これはわたしの直感。学術的裏打ちがあるわけではない。
「本の山」のカテゴリーに「演劇」と「宗教」が多いのはなにか関係しているのか。
クアトンネルへ。ベトコンゲリラの秘密基地である。
観光地的な享楽を満喫するも、こころへ響くものはなかった。
バスツアーが終了したのは夜7時前。
酒である。どこでのむか。たまには観光客らしくのもうと思った。
「地球の歩き方」ですすめられている観光客用の屋台でのむか。
行ってみる。ぬるいのである。
日本語のメニューが看板にでているところすらある。
たしかにお手軽に屋台気分を味わえる。
そもそもわたしが東南アジアへ行きたいと思ったのは単純である。
屋台でビールをのみたい。これくらいのささいな欲望が旅の動機だ。

しかしここではあんまりだ。ぬるい。ぬるいぞ。
その場を離れふらふらする。ふとバイクタクシーの運ちゃんと目が合う。
「ビアホイ!」
叫んでいる。ベトナミン・カミング。ノー・チーサックストリート。
ノー・ブイビエンストリート(わたしの宿泊場所)。
横にいる英語を少し話すおやじから20000ドンと言われる。
高い。だめだ。問答を繰り返す。
「ビアホイでいい」
ほんとか。ビアホイをおごってやったら往復無料(ただ)か。
よし、行こう。レッツ・ゴーである。
バイクは見知らぬ道をぐんぐん進む。
ここらあたりで後悔する気弱なわたしである。
いつものところでのんでいればよかった。
ああ、どんどん知らない場所へ入っていく。ぶじ帰れるだろうか。
いざビアホイレストランへ。ここもローカル度は99%である。
乾杯だ。のもう、のもう。遠慮はするな。ヨー(乾杯の意味)!
ぐいぐいのむ。エビをたのむ。ふむ、こうやって食うのか。
まあ、うん、その、エビだな・・・・・・。
またもや「地球の歩き方」の会話集でおしゃべり。
かの運ちゃんは36歳。既婚。子どもはふたり。
この会話がよかったのかといまになって思う。
帰途いくら請求されるかである。20000ドンか。
まさか強欲なベトナム人がビアホイくらいで満足するとは思えぬ。
それにあまりこの運ちゃんを酔わせたら事故に遭う。大丈夫か。運試しだ。
何回かヨーを繰り返しいざ会計。ぼられてはいない。あれだけのんで安いもんだ。
観光屋台でのんでいたらこんなもんじゃ済まなかったぞ。
あとはホテルへ帰るのみ。こいつ酔ってないかな。ゴーである。
飛ばずんだ。恐いったらありゃしない。
すいすいブイビエン通りへ。さあ、どうなるか。
あっさりお別れである。サンキュー・マイフレンドの世界だ。
ううん、気持がいい。てっきり運賃を要求されるかと思ったら。
約束を守る気持のいい男であった。酔払い運転で事故るなよー!

これから寝酒であります。今日はどこへ行くべきか。
あすはダラットへ向かいます。ベトナムの軽井沢だそう。
長袖のシャツがひさびさに活躍します。
ああ、そう、とうぶんブログの更新はできないと思います。
では、おやすみなさい。
いまベトナムにいるなんて信じられない。
昨日はベトナム戦争博物館、今日はクチトンネルへ。
このトンネルは戦争時代、ベトコンの拠点になったところ。
まさか中学のとき夏休みの自由研究であつかったベトナム戦争の舞台を訪問できるとは。
旅行はできないからだだったのである。
過敏性腸症候群。まあ、お腹がゆるいわけだ。トイレが近い。
日本だったら公衆便所があちこちにあるけれども、異国の地ではそうはいかない。
この疾病にかかったものは、まず旅行できないのではないか。
原因は不明。というか身体的な原因は判明していない。
こころの病気というやつである。しいていえばストレスが原因。

タイへ行こうと思った。6日間ならなんとかなるのではないか。
短期間でも海外へ行けば、苦しんでいる騒音恐怖症がなんとかなるかもしれない。
こんなことからタイへ行くことを決めたのである。
HISのお正月フェアで航空券を購入した。
1ヶ月先のチケットである。
そのうちあることに気づいた。
バンコクといえば旅行の出発地点ではないか。
バックパッカーはバンコクを拠点に放浪する。
バンコク発の航空券は安いという事情(伝説?)があるのである。
「地球の歩き方 東南アジア」を買ったのは出発日の2日前だった。
思ったものである。行きたい。なんとかして行きたい。
生きているうちに、もしカンボジアやベトナムに行けたら。
だけど、わたしはお腹に問題がある。
ここ1、2年の病気である。
あらゆる漢方薬をためしたが効果はなかった。

賭けである。ギャンブル。
こころの病気ならタイ(異国)へ行くことで過敏性腸症候群が治るかもしれない。
治ったら念願の東南アジア1周をしよう。
もし治らなかったら、あきらめるよりほかない。
万全の準備をしたかった。
わずか6日間のタイでも下痢がとまらなかったら旅行などできぬ。
ロペミンという最強の下痢止めの存在を知ったのもこの時期である。
近所の医者へだしてくれとお願いしたが、
いくらあたまをさげても処方してくれなかった。
強すぎるというのが理由である。
「いまはロペミンをだす医者はなかなかいないんじゃないでしょうかね」

そんなこんなのバンコク行きである。
事前に調べてはいた。
タイではこのロペミンと同成分のイモジンが薬局でかんたんに買えるらしい。
それでも行ってみないとわからない。
事実は、はい、日本では医者がだしたがらない薬も、
タイならだれでも薬屋で買えてしまう。
イモジンを購入したのはタイ訪問翌日であった。

過敏性腸症候群の処方薬でロペミンがだされることもある。
この疾病の症状は下痢である。
原因は不明。身体的要因と心理的要因が考えられる。
ロペミン(イモジン)は身体的な要因を取り除こうとするものである。
とりあえずなんとか旅行をすることのできるからだになった。
これは奇跡としかいいようがない。
日本ではあんなにトイレの近かったわたしが東南アジアを旅行できるとは。
イモジンが効いているのか、異国にいることで心理的ストレスが解消したのか。
どちらのおかげかわからないが、
日本では決して旅行をできないと断念していたわたしがこうして旅をしている。
ほんとうになにものかへ感謝をしたい。

みなさまは思っているのではありませんか。
「本の山」の記事を読んで、である。
そんな無茶をしたらお腹を壊すのではないか。
これに対する回答は以下である。
もともとお腹は壊れているのです!
だから、まあ、どんとこいってやつですね。
今日は1日ツアーに参加したので、お腹がくだってしまっては困る。
朝にイモジン(ロペミン2mg)を1錠。
昼にも、もう一発イモジンをビールで流し込む(おいおい・・・・・・)。
これで今日もなんとかなりました。
これはイモジンが効いているのか、プラせボ(心理的)効果なのか。
どちらにせよこんな旅行ができるとは思いもしませんでした。
もし行けたら。そう1ヶ月前、日本で願った地にいま自分はいる。
二度と海外放浪なんてできないと思っていたけれども。
ありがたいことです。

追記)喘息の症状も半減しました。
ベトナムなんて排気ガスがひどいから、身体的には悪化するはすなのにふしぎです。
イモジンの副作用を心配することもありますが、
まだ若いからと自分に言い聞かせています。
バックパッカー用語でだらだら長期滞在することを沈没という。
ここ2日、まったく観光をしていない。
昨日はホテル探しで疲れてしまったという言い訳ができる。
しかし、今日は何だ!
朝起きても、からだじゅうがだるい。動きたくない。
暑い中、博物館めぐりをしたくない。
そのまえにガイドブックでベトナムの勉強をしたいが、
どうしてあのたぐいの旅行案内書の文章はああもまずいのか。
読みたくない。
ホーチミン市のぎどぎどしたバイクタクシーの運ちゃんとつきあうのもごめんだ。
いきなりデパス(睡眠薬)をのむ。寝ようというのだ。
起きたら2時まえ。ありゃあ、やってしまいましたよ。
日本料理を食べたいがメニューを見ると高すぎる。
ならインドだ。インド料理。これは成功。
本物のインド料理が日本では信じられないような金額で食べられた。
どうして海外の日本料理はああも高いのかふしぎである。
それに、日本料理といってもトンカツや生姜焼き程度。
最近思うのは、ほんとうの日本食、国民食というのは居酒屋料理ではないか。
少しずついろんなものを食べられる。
これこそわたしが異国の地で求めている日本料理だがめったに見られない。
あっても日本で食べるよりも高くなってしまう。
おっと、あつく食を語ってしまった。
それからずっとネットである。もう5時間もブログを更新している。
ここに書いている旅行記は完全な日記である。
出版をめざしているとか、そんな高尚なものではない。
かつてインドを放浪したときは詳細な日記をつけていた。
こんかいの旅でも大学ノートは持っていったが、いまだ白紙である。
そう、「本の山」を日記がわりに使っている。
あくまでも日記。だから文章上のまずさはお許し願いたい。
なにしろ辞書がないのである。
日本ではひとつの記事を書くとき平均して10回は辞書を引いている。
この旅日記は文章にこだわったものではない。
もちろんできるだけおもしろいものにしたいと思ってはいるが、
あくまでも基本は備忘録である。

さて、そろそろお酒の時間であります。
明日こそはばりばり観光をしたいと思っています。
今日はとても楽しかったです。
きのうはブログの大量更新を済ませこぎたない店でビアホイをのんだ。
あのいくらのんでも酔わない酒である。
つまみを頼む。メニューを見てもなにがなんだかわからないので適当に注文。
ブタのソーセージが出てくる。
ああ、これならまえにカントーで食べたことがある。
横のベトナム人を見ると行商人からスルメイカを買っている。
へえ、そういうのもありなのね。まねっこする。
これならぼられることはない。旅人の知恵である。
左隣のベトナム人は、別の屋台からヌードルを注文している。
ううう、これもありなのか。
ヌードルをつまみにビアホイをのむベトナム人。えーい、またまねっこ。
そこで買うのもありなのかいとジェスチャーでたずねる。
ああ、いいんだ、と手で5をしめしてくれる。
おっ、5000ドン(40円)とは安いぞ。わたしもふらふら屋台へ。
くれ。いくらだ。20000ドンだ。ウソつけ。
そこのひとが5000ドンだと言っていたぞ。
あれなら確かに5000ドンだ。あれでいい。あれをくれ。
カネを置く。できたら持ってきてくれ。
ビアホイをのみながら待つ。キター!
味は、うどんだなこりゃ。豚の臓物が入っている。
こういうのがうまいんだ。高い豚肉料理よりもよほどうまいのだ。

うすぎたないファラン(白人)が話しかけてくる。
髪はぼさぼさ。髭は伸ばしほうだいといったいでたち。
ここに座ってもいいかというのである。
見ると、たしかにほかに席はない。いいよ。
こちらはビアホイを3本も入れている。いい気分で聞いてやる。
どこから来たんだい? え、なんだって? 知らないな。
「ヨーロッパだよ」
あ、そうかい。まあ、どうでもいいがね。
ファランは気難しい顔をしてビアホイをのんでいる。
明らかにわたしよりも年下である。
ファランをきらいになったのは年齢が関係していると思う。
大学生のころはファランがきらいではなかった。
むしろ好感をもっていた。
大学生のころに行ったインドではファランと話すとなにかうれしかったものだ。
それがどうしてここまでファランがきらいになったか。
態度がでかいからである。なにゆえか。英語を話せるからにすぎない。
では、なぜファランが英語を話せるか。がんばったからではない。
欧米諸国へ生まれたからである。
あの地域に生まれた人間が英語をマスターするのと、
日本人が英語を話せるようになるのとのあいだには天と地ほどの差がある。
日本人はどうがんばっても、まあ、よほどの才能がなければ英語は無理なのだ。
わたしより年下のファランがただ英語を話せるというだけでえらそうな顔をする。
これはおかしい。
どう考えたって、わたしのほうがそこらのごろつきファランよりものを知っている。
だが、いざ話す段になると英語力の差でこちらは引け目を感じざるをえない。
向こうが優越感をもっているのも不快だ。
暴論を言う。世界戦争を起こして、日本が世界各地を植民地にすればいいのだ。
そうすれば日本語がスタンダードになる。
世界のどこへ行っても日本語が通じるのが当たり前になるわけだ。

「マッサージに行かないか」
自転車に乗ったベトナム人がファランに声をかけた。
行くはずないだろう。断るファランである。
「きみはホリデーかい」
なめきった口調でファランが聞いてきた。
ほんとうは違うが、面倒なのでそうだと答える。
「いつベトナムへ来たんだ」
今度はこちらからの質問。昨日だという。なんだ来たばっかりかよ。
「だがね」とファランはつづける。
「おれは中国、カンボジアと来て、いまベトナムへいるんだ。
つまりだ、わかるか。おれはトラベルなんだ。ホリデーじゃない」
どのくらい旅をするんだ。1年か。2年か。聞いてやる。
「いつ終わるかわからないトラベルだ。(きみみたいな)ホリデーじゃない」
ほんとこのファランはバカだよな。
わたしもタイ、カンボジアと来て、いまベトナム。
ファランふうの言いかたををすればホリデーではなくトラベルである。
けれども、そんなことをわざわざ自慢しようとも思わない。
長期旅行なんてカネと時間と健康があればだれでもできることだろうが。
キリストのようなぼろぼろの格好をしたファランは腕を組んで
哲学者のようなむずかしい顔をしている。
日本の女パッカーなんて、こんなのにころりと引っかかるんだろうな。
うわあ、すてき!
「くそったれの毛唐め」
「なんと言ったんだ」
「いまのは日本語だ」
「だからどういう意味だと聞いている」
意味は通じなくても言語は感情を伝達する。
答える必要もないので沈黙する。ファランもあきらめたようだ。
このいんちきキリストといっしょにいたくないので会計を頼む。
ファランがよくやるウソくさい笑顔のさようならもなしだ。
宿へ戻ると入口に鍵がかかっていた。無理もない。11時半である。
ブザーを鳴らし開けてもらう。
さあ、こんかいのトラベルで初めての湯船であーる♪
わたしのいまいるブイビエン通りは、まるでバンコクのカオサン通りである。
安宿がぎっしり。各国の料理店があるのもおなじ。
ファラン(白人)が朝からビールをのんでいるのも似ている。
少し長く滞在しようと思う。そのためには安くていいホテルが必要。
安宿めぐりをやってみた。はたして掘出物はあるのか。
むかしインドのバラナシでもおなじことをやったことがある。

3、40軒のゲストハウス、ホテルをまわったか。
まあ、掘出物はないのである。
どの安宿もおなじようなもの。
いい部屋は高いし、安い部屋は窓がない。
日本人は窓がないきたない部屋にも平気で泊まるようだが、
あれだけはたえきれない。
監獄へ入っているような気分になってしまうのだ。

くらくらしている。
というのも安宿はエレベーターがない。
だから5階の部屋に行くときは階段をあがらなければならない。
これがかなり疲れるのである。
いまのホテルを見つけたときは方向感覚も失っていた。
この宿はやる気がない。
ふつう部屋を見せてくれと頼むとホテルのひとがついてくる。
このホテルはといえば、面倒だときた。
5階だから、ひとりで見て来い、である。一瞬、やめようかと思った。
部屋を見ると角部屋でなかなか悪くない。
両面に窓がついている。
バスルームを見て驚く。バスタブがついているのである。
湯船なんてこの1ヶ月、入ったこともなかった。
すかさず蛇口をひねってみる。ちゃんとお湯はでるかのチェックだ。
むふふ、でましたよん。わーい、今晩は湯船だ。
これで11ドルは、まあ、掘出物といってよい。ここに泊まることにした。

追記)お湯はでるけれども熱さが不十分で日本の湯船のようにはいきませんでした。
それでも、うん、プチ極楽を満喫しました。いい湯だな、あははん♪
あるひとからネット上でこのようなことを言われた。

>行きたいときに旅に出ることができるのは「自由」でしょうか。

わたしはこんかいの旅で自由を感じたことは一度もないし、
また自由を欲したことも皆無であると断言することができる。
わたしの求めているのは自由ではない。宿命である。
身もふたもないことを言えば、
この旅でなにがあるかはもう決められていると思っている。
わたしがだれと会い(=だれと会わず)なにが起こるか(=起こらないか)は、
すでに決定されていて、それを後追いしているにすぎないという認識があるのだ。
だれかと会う。なにかが起こる。
そのとき、ほほう、このようなものが準備されていたのかと知る。
役者である。
役者は未来を知らぬふうに振る舞うが、実は台本に厳しく制限されている。
旅人もおなじではないかと思っている。
わたしもいつか強盗に遭いパスポートと現金を強奪されるかもしれない。
されないでぶじに帰国できるのかもしれない。それはもう決まっている。
どれだけ安全に留意しても危険な目に遭ってしまう人間はいるのである。
いっぽうでむちゃくちゃな行動をしていてもかすり傷ひとつおわないひともいる。
自由か。わたしは自由か。
たしかにあすどこにでも行くことができる。
540ドルを払えば帰国することもできるのである(旅行代理店で調べた)。
自由とは、ふたつにひとつを人間が選べるという幻想である。
だが、ふたつにひとつを選んでいるのはほんとうにわたしか。
だれかに、大きななにものかに、選ばされているのではないか。
その裏をかきたい、とも思う。
しかし、それさえも大きなものに支配されているとしたら。
いかようにして人間は「自由」を獲得できるのだろう。
お答えする。

>行きたいときに旅に出ることができるのは「自由」でしょうか。

行きたいときに旅に出ることができるのは「自由」――
だと思うのは幻想ではないでしょうか。
わたしは旅に出ることを決めたという感覚がないのです。
決めさせられた。強いられた。そんな感触があるのです。
海外でふらふら遊び歩いている人間がこんなえらそうなことを書いて申し訳ありません。
3月5日は最悪の1日であった。
カントーにいた。迷っていた。
ホーチミン市(サイゴン)へ行くか、ミトーに行くかである。
大都会か田舎町か。ふたつにひとつ。
ミトーはホーチミン市へ行く途中にあるボートクルーズで有名な町。
クルーズならカントーで済ませているからそのためにミトーへ行くことはない。
わたしは朝起きてからその日の行動を決めることが多い。
ミトーだ。まだ都会へ行きたくない。ミトーへ行こう。

ミトーにはあやしげな観光スポットがある。ヤシ教団の寺の跡地だ。
この教団は新興宗教で、キリスト教、イスラム教、仏教、カオダイ教を
ミックスさせた教義をもつとのこと。
教祖が死んでいまは解散させられている。
教団の寺の跡地が観光名所になっているらしい。
ちょっとおもしろそうだよな。宗教には多大な関心をもっている。
くわえてミトーには象耳魚という名物料理がある。うん、食べてみたい。
よし、いっちょ行くか。思い立ったらすぐ行動へ移す。
急いで荷物をバックパックへまとめバスターミナルへ。
「ミトー、ミトー」と叫びながら。
これだ。このバスがミトーへ行く。ほんと? ほんとうだ。
カネを払いバスに乗り込む。
4時間後バスが停車。乗客はみんな下車するのでわたしも降りる。

ガイドブックによるとミトーへはバスターミナルから3、4キロ。
バイクタクシーでかっ飛ばすかと金額交渉をするとみなキチガイめいた金額を言う。
桁がひとつ違うのである。バスターミナルへ戻る。
いったいここはどこなんだ?
ホーチミン市(サイゴン)だという。
国内、国外、何度も旅行をしたが、こんなことは初めてである。
別の場所へ連れて行かれてしまった。
ここからミトーへのバスがあるという。当たり前だが。
どうしようか迷う。
また交通費を払ってミトーへ戻るか。
これは運命だと思ってミトーをあきらめるか。
行くなってことだよなと無理に自分を納得させる。
それにしても悔しい。逃した魚は大きいとでも言おうか。
ミトーにはなにかあったんじゃないか。
ヤシ教団の寺を見たらもしや「人間革命」(創価学会)が起きていたのでは?
だが、とも思う。これからミトーへ行くとなったら二度手間だ。
そんなに苦労をしてまで行って、
もしそこがくだらぬところだったら落胆は大きい。
行くなということだよな。自分に言い聞かせるしかない。

ホーチミン市はなんか肌にあわない。
バイクタクシーの顔がみんなぎどぎどしている。まあ、悪そうなんだ。
それでも料金交渉をしてブイビエン通りという安宿街へ。
ミトーへ行くつもりだったからホーチミン市の情報はまだ仕入れていない。
どこのホテルへ泊まるか。
面倒だからと古本で買ったガイドブックの前所有者がマーキングしているホテルへ。
これがダメ。ろくでもない部屋のくせに結構な金額を取る。
ホテル探しをしながらいらいらしてくる。こんなはずじゃなかった。
いまごろは田舎町のミトーにいるはずだった。
バイクにひっかけられる。リュックの取っ手がちぎれてしまう。
ごめんも言わずバイクは行ってしまう。ふざけるなだ。酒だ。ビアホイだ。
ホテルも決まらぬうちから酒である。
この店のおばあさんはわたしを露骨にきらう。
夜来てみて理由がわかった。ここはファラン(白人)専用なのである。
黄色い日本人にだすビアホイなどなかったのだろう。

ようやくホテルを決める。
うれしいことにここのテレビはNHKが入る。
1ヶ月ぶりのNHKニュースに感動する。
アーレフの上祐が新しい教団を立ち上げることを知る。
しかし、ここでまたショックなことが。
異常な円高がすすんでいるという。1ドル=115円だとか。
ううう、ちょっとまえワールドキャッシュカードで600ドルおろした。
プノンペンでのこと。
この先、このカードを使えるところがあるかわからないので、
使えるところで大量におろしてしまおうという計算だった。
トラベラーズチェックはあるが、いざというときのために残しておきたい。
計算したくもないがとっさにしてしまう。
3000円の損だ。ばかやろう。
暑い。エアコン付きの部屋なのにクーラーが動いていない。
フロントへ文句を言いに行く。どうやっても直らない。不愉快だ。
ここのホテルはシャワーもちょろちょろしか出ない。
くそ。ばかたれめ。最悪の1日だ。

せめてもの慰めを書く。
リュックのはずれた取っ手はなんとかなった。
ミシンを動かしているおばさんへ「なんとかならんか」とリュックをだす。
直せるとのこと。金額を聞くと100円程度。
これでも現地価格からしたらぼられてるのだろうが、もうとやかく言わない。
うれしかった。1000円で購入したリュックだから、
これが日本なら新しいものを買ったほうが安いとなっていただろう。
カントーの夜のボートクルーズでホタルを見た。
バカにしていた。たかがホタルじゃないか。
そんなものを見て喜ぶのは女子供くらいだろう。
ベトナムでは日本人の女二人旅を見る機会が多い。
あのようなおつむの弱そうなおねえちゃんがホタルごときで、
「うわあ、きれい」と大騒ぎ。
それに味をしめたベトナム人がこんなクルーズを用意したのだろう。
「地球の歩き方」の弊害でもあるが(ホタルを見ようと紹介されている)。
いいおとながホタルごときで感動なんてするもんかと思っていた。

それは例のサンさんはホタルがいっぱいなどと言ってはいた。
もちろんウソである。
ガイドブックにホタルが出る季節が書いてある。
いまはその時期ではないことくらい知っている。
きのう書いたダーンさんと別れボートへ。サンの息子がいる。
こいつなんて日本人に育てられたものだろうに片言の日本語も話せない。
かれが言う。「ホタルだ。あれがホタルだ」
目をこらすときらきら光っているものがある。
ボートが木々の茂みに入っていく。
ホタルをたたき落としてわたしの手のひらにおいてくれた。
こんなまぢかにホタルを見たのは初めてである。

うかつにも落涙しそうになった。
あの感傷はなんだったのだろう。
朝からのみつづけたビールのせいか。
ダーンさんとの出会いと別れがわたしのこころを鋭敏にしていたのか。
きれいだなと思った。
ホタルって、ほんとうに電気のように光るんだ。
手のひらの小さな輝きを見ながらある小説を思い出していた。
宮本輝の「螢川(ほたるがわ)」である。
どんな小説かというと、ホタルが出る小説である。
何年か一度、ホタルが大量発生して乱舞することがあるという。
その伝説じみた情報をたよりに一行はホタルを見に行く。
もしホタルが出たら、と母は思う。もしホタルが出たら大阪へ帰ろう。
宮本輝はあるインタビューで語っていた。
現実はホタルなんて出るはずがないんです。
ホタルの出ないことを書くのが純文学とよばれ尊ばれてきた。
自分はホタルを出す作家です。
ホタルを出す作家でありつづけたい。

この日、見ることのできたのはわずかなホタルである。
5つ、6つの輝きである。
しかし、わたしのこころのなかではホタルの大群が狂喜乱舞していた。
あたかも小説「螢川」のラストシーンのようにである。
わたしはこの記事でホタルの大群を、巨大な輝きを目撃したと書きたかった。
書けなかった。現実にひきずられていたがためである。
現実には、この時期、ホタルはあまり見ることができない。
ホタルの燃え盛る光輝をえがくためにわたしに必要なものはいったいなんなのだろう。
カントーのメコンデルタのボートクルーズといえば、
ベトナム観光のハイライトである。
旅行パンフレットに大きく掲載されているのは、おそらくこの写真のはず。
そうだからこそ、大枚をはたいてわたしもボートクルーズをやってみた。
朝の5時半にカントーの船着き場からボートで出発。
水上マーケットをふたつ見学する。
そのあいまにはマングローブ(?)やら南国特有の木々が生い茂るところへ。
川の支流をボートで分け入っていくわけだ。
ところがだ。これがちっともおもしろくないのである。
だからなにと思ってしまう。だからなに? だからなによ?
水上マーケット。だから? すなおに感動できないのである。
カメラでぱしゃぱしゃ撮っているファラン(白人)を見ると
バカじゃないかと思ってしまう。
なにが楽しいんだ、おまえらは。
わたしはとんでもない旅行者である。
それから憂鬱になる。大金を払ってボートを借り切ったのになぜ楽しめないのか。
もう日本へ帰るか。観光不感症にでもなってしまったとしか思えない。

酒だ、酒をのもうと思う。
へらへら笑っているボートマンへ川岸の茶屋へ向かわせる。
ボートマンが早口でベトナム語でなんか言っている。
外国人だからぼってしまえと言っていたのは確実である。
缶ビール1本にとんでもない金額を請求されるわけだ。
ふざけるなと思う。
なんてこいつらはうざいんだと思いながら交渉してまけさせる。
缶ビール2缶で160円。
ボートマンが7アップ(ジュース)を金を払わないでもらっていたから、
おそらくわたしからぼったぶんで入手したのだろう。
ボートで缶ビールをのむ。これだと思う。これだったのだ。
景色が一変しているのである。ものものみな美しい。
風景がこころにしみいってくる。
ああ、ベトナムくんだりまで来てよかったと思う。

ランチはボートマンへバカ高いレストランへ連れ込まれる。
おなじくボートで観光していたファランもみなそこへ連れて行かれている。
冗談じゃない金額なのである。
ボートマンを怒鳴りつける。
意外に思われるかもしれないが、海外でも日本語は通じるのである。
母国語でしゃべれば意味は伝わらなくても、喜怒哀楽といった感情は伝達可能。
片言の英語しか知らないボートマンへ英語でなんか言うならば、
よほど日本語で感情を込めて主張するに限る。
「ここはダメだ。高い。ほかへ行くぞ」
大声で怒鳴る。通じるわけである。
ハンモックでやすんでいたボートマンがびくっと立ち上がる。
うわあ、伝わるんだなと感動した。

ボートマンと川岸のこぎたない店でヌードルスープをすする。
今度はぼられないようにひとりでビアホイを買いに行く。
まあ、それでもぼられるわけだが。
ベトナム人は外国人と見るやぼることをまったく悪いと思っていない。
ビアホイの金額は承知している。
30円ほどぼられたが、この程度ならもうあきらめるしかない。
ボートにゆられながら水のようなビアホイをぐびぐびのむ。
ううむ、旅をしているなと実感する。
わたしは酒が入らないと旅情というものを感じ取ることができないようである。
こころがさめきっているのだろう。
テレビ番組「世界ウルルン滞在記」を実体験する。
ベトナムのカントーで、バカ高い1日ツアーに参加した。
サンさんという自称有名人にだまされてみることにしたのだ。
サンさんは現在36歳。
かれの人生の転機は9年前に日本の旅行雑誌に紹介されたことである。
そのページを片手に自称「サンさん」は、日本人相手にひと財産を築きあげた。
日本人の旅行者を見るや、雑誌のページを片手に話しかけるのである。
そのページを見ると9年前のサン氏はいかにも貧相なベトナムの青年。
いまはかっぷくもよく、いっぱしの事業家といったなりである。

かれのすすめるツアーはこうである。
早朝からボートで市場見学。夕暮れからまたボートへ。
今度はサンセット(夕日)と蛍(ほたる)を見る。
ここまではどのボートツアーもおなじである。
同内容のツアーをホテルのオーナーからあまりにも執拗にすすめられ激怒した。
サンさんのツアーの特徴はこのボート以外の時間である。
朝のボートと夕暮れのボートのあいまをサンさんの家で過ごせるというのだ。
それから夜のボートのあとにもおまけが。
かれの家でアヒルの肉を食いながら酒がのめるというのである。
このふたつのオプションのためサンさんのツアーはほかよりも6ドル高く36ドル。
「わたしサンさん」と話しかけてきたこのベトナム人は、
9年間も日本人を自宅へ招待しつづけてきたのである。
まあ、そんな家はもはや観光地といってもいいくらいだ。
決して実際のベトナム人の家を見られるわけではない。
けれども、なにかひかれるものがある。
ふつうのツアーに参加するくらいなら、こちらのほうがおもしろそうだ。
旅とは、いわばカネで経験を買うことである。
ならば、買ってみるか。そんな気持であった。

午前のボートを終え、サンさんの家へ行く。
サンのやろうはサイゴンへ行っていて今日はいないとかれの息子がいう。
「夜のボートまでこの家でしばらく休むか。それとも周辺を散歩するか」
人間ぎらいのわたしである。
この家にいて、サンの家族と月並なコミュニケーションを交わすのは疲れる。
どうせ9年間も同じことを繰り返してきたのだろう。
かれら一家はプロの役者である。
なにも知らない日本人をホームステイふうにもてなすプロである。
日本人旅行者は一般のベトナム人家庭(実際はそうではない)
を少し体験したような気になり満足する。
やだやだ。くだらねえ。ごめんだね。
そんなことをするくらいなら、まだ散歩でもしていたほうがいい。
家の外へ出る。散歩をしながらなにをやっているんだかと思う。
せっかくのツアーなのだからサンさんの家を見学しておけばよかったではないか。
これならホテルで昼寝でもしていたほうがまだましだ。

一本道なので迷う心配はない。
ある程度の距離まで歩き、そこから引き返そう。
30分ほどまっすぐな道を歩いたころか。
バイクに乗ったおっさんから話しかけられる。乗っていけというのだ。
なんなんだこれは。
最初はバイクタクシーかと思っていたらどうやらそうではないようだ。
町の中心部から離れたこんな田舎にバイクタクシーがいるはずがない。
なぜか7アップ(ジュース)をおごらされる。
わからない。これはいったいどういうことだ。
このおっさんがうちに寄っていけというのだから。
ようやく合点する。これがサンさんのツアーなのか。
もはや観光地になったサンさんの家へ満足しないお客さんには、
かれの知り合いの家へ招待してくれる。
なるほど。サンのやつ、なかなか考えるじゃないか!

ところがこのおっさんがすごいのである。
まったく英語を理解しない。あなたの名前は? 年は?
この程度の英語も通じないときたもんだ。
向こうは、ものすごい好奇心でこちらへ質問攻めである。
気さくなおっちゃんである。
通じる言語がないからすべて身振り手振りである。
なんだかよくわからない果物をかれの父親らしき老人がだしてくれる。
食べろというのである。
どうやって食べたらいいのかわからない。
果物を手でわってから食べるようである。
まいった。うじゃうじゃ虫がいる。
初海外の若者なら、えいやと食べるのだろう。
若手芸能人でテレビカメラがまわっていれば、おいしいを連発するはずだ。
わたしはそういう八百長がきらいである。
旅行者と現地人の月並な交流をカネで買ったはずなのに、
いざとなるとそれを拒否しようとするひねくれたわたしである。
だめだ。負けた。これは食べなければ許してもらえそうにない。
虫を手で取って食べる。すっぱい。ちっともうまくない。顔をしかめてみる。
今度はお菓子だ。食べてみると気が遠くなるほど甘い。
決してうまくはない。
インドで食べたスイーツを思い出す。
暑いところで酒をのまないひとは甘いものに走るしかないようだ。
まずいから食べたくない。食べろ食べろとしきりにすすめられる。
食べないわけにはいかない。無理矢理に口に押し込む。
冷たいお茶を何杯もだしてもらう。これも砂糖がたっぷり。

さて、どうしましょうか。まったく言葉が通じないのである。
斜に構えていても始まらない。なんとかしなければ。あれがあったか。
「地球の歩き方」をリュックから取り出す。
巻末に簡単な会話集がついていたことを思い出したのである。
まさかこれがあんなに役立つとは。
バンコクで古本で発見した幸運に感謝したい。
あなたの名前はなんですか。これからスタートである。
ダーンさん。46歳。子どもが3人いる。仕事は養鶏農家(だと思う)。
かれは技術者だと自分のことを紹介する。
ダーンさんは「地球の歩き方」にいたく興味をもった様子。
日本語とベトナム語が併記されたこの会話帳をフル活用して、自己紹介をしてくれる。
わたしのことも猛烈ないきおいで聞いてくる。
反省する。舐めていたな。
わたしはベトナム語を勉強する気などまったくなかった。
そのくせ日本へ来るファラン(白人)が英語で
日本人に話しかけることを憤っていたのだからとんだ矛盾である。
わたしは間違えていた。

ダーンさんがどこかへ行こうとしきりに誘ってくれる。
どこへかはわからない。だって通じる言葉がないのだから。
行きましょう。どこにだって行きますよ。
かれのバイクに乗せられ連れていかれたのは一軒の家。
ダーンさんは3軒も家があるそうである。
で、おそらくいまいるのが本宅。さっきいたのが実家だと思う。
奥さんを紹介してくれる。こちらは日本式でいくしかない。
笑顔でおじぎをする。
ここでもたくさんお菓子をだしてくれしきりに食べろとすすめてくれる。
どれもこれも脳みそがとろけるほど甘い。申し訳ないが、うまくはない。
ダーンさんは娘さんの写真を見せてくれる。24歳。独身。きれいなひとである。
お見合い用の写真らしい。
あとで息子さんがジェスチャーで教えてくれたところによると、
ダーンさんはわたしを結婚相手の候補に考えてくれていたようである。
サンさんのツアーはすんごい! お嫁さんまで紹介してくれるのですか。
ダーンさんはわたしと出会ったことをとにかく喜んでいるのが見て取れる。
こちらも純粋にうれしくなる。
そんなにわたしはたいした人間じゃないんですよ。
ただ日本人(外国人)というだけでいろいろほんとうにありがとうございます。

ダーンさんは家のなかをいろいろ見せてくれる。
食卓には夕飯の準備ができている。食べないかとダーンさんは言うのである。
そんな夕飯まで。それにこのあとアヒルを食うことになっていますから。
と言いたいが、それを伝える言葉がないのがもどかしい。食事はお断りする。
また応接間(?)へ戻り甘いもの攻勢である。
ふと思う。せっかくの機会じゃないか。もう二度とないぞ。
「本の山」にも食事はどんなものでも食べると決意表明している。
お腹はすいていないが食べてみたい。
一般のベトナム人の食卓をのぞいてみたい。
図々しいのですがやはりご馳走になりたいです。
とも言えないので、覚えたてのベトナム語カオを使う。カオはご飯の意味だったか。
「そうか。食べたいか。よくぞ言ってくれた。さあ食べよう」
こんな感じのジェスチャーをしてくれるダーンさんである。

夕飯のメニュー。赤飯のような炊き込みご飯。魚の煮付け。
ニラ玉のような玉子料理。インゲンらしきものを煮たもの。
ダーンさんもいっしょに食べてくれる。
わたしを気遣ってくれたのか空腹だったのか、ものすごい食べっぷり。
ご飯をあっという間に何杯もたいらげるダーンさんにひるむ。
酒ののみ比べなら負けない自信はあるのだが。
味は、意外と日本の家庭料理と変わらないかも――。
魚の煮付けがなかなか美味なり。ほかのものもなんなく喉を通る。
しきりに食べろとすすめてくれるが緊張のためそうはいかないのが申し訳なかった。
こういうときにどかどか食べられる無神経な人間を旅のベテランと言うのかもしれない。
ご馳走になっておいてあれですが、そろそろボートクルージングの時間で。
そう言うとダーンさんはわかった、わかった、バイクで送ると(言っているような)。
ダーンさんの息子さんから携帯で写真を撮られる。にっこり。
ダーンさんは住所を書いてくれる。
礼状をだしたくても何語で書いたらいいのかわかりませんが。
カメラをもたない旅なので写真も撮っていない。

ダーンさん一家とお別れ。「田舎へ泊ろう」のあのシーンである。
どうもどうもとあたまを下げるしかない。
もうボートの時間は過ぎている。まあ、いいじゃないかという気持である。
ボートから夕日を見るようなちゃちな観光よりよほどこちらのほうが刺激的だ。
バイクから夕日を見る。ああ、ダーンさんとお別れか。
愉快で親切なひとだった。サンさんのツアーは予想外にすばらしかった。
たとえカネで買ったものだとしても。
出会い。別れる。これを劇的というのだな。
出会いはまったくの偶然である。しかし別れるときには必然になっている。
これが旅である。
そして、劇的なるものとはこのような人間のありかたを言うのではないか。
カネで買った出会いと別れだとわかっていても、
こんなにさめたわたしであるのに、それでもこみあげてくるものがある。
もうこのひとと二度と出会うことはない。
人間は生まれ、死ぬ。今回の旅行でわたしがしきりに口にするフレーズである。
人間は生まれ、死ぬ。こんなベトナムの田舎でも、人間は生まれ、死ぬ。
それでも人間は生きているんだな。へんに感傷的な気分になる。

あれ、そっちじゃないぞ。サンの家はそっちではない。あっちだ。
通じない。ダーンさんはわたしをホテルまで送ってくれるようである。
愕然とする。打ちのめされる。
ダーンさんとの出会いはサンのツアーには入っていなかった。
カネで買ったものではなかった。ほんとうの偶然だった。
一本道でサン氏の家のほうから来たから、てっきり知り合いかと思っていたら。
ダーンさんはまったく見知らぬ外国人をあれほどもてなしてくれたのか。
やられた。なんなんだよ。ああ、そうだったのか。
しかし、一方で困る。
夕暮れのボートクルーズにカネを払っている。
やはり捨てるのはもったいない。どうやってサンさんの家へ行けばいいのか。
ボートのほうはなんとかなる。
ホテル付近にはサンさんの一味が複数たむろしているようで、
事情を話すとすぐに携帯で連絡を取ってくれる。
早くボートへ乗れと言われる。
ダーンさんとの別れが唐突なものになってしまった。
最後にダーンさんへベトナム語で言う。ありがとうございます。
3月2日、カンボジアとの国境の町、チャウドックで蛇(へび)を食べる。
ベトナム入国初日、わたしがまず求めたのはビアホイであった。
まあ、一種のビールである。
自家製の生ビールといった紹介をされることが多いが、
工場から直送されるというのが実際のようである。
特徴はとにかく安いこと。2リットルで60円とかいう世界である。

「ビアホイ!」
わたしにまとわりついてくるうさんくさいバイクタクシーのあんちゃんへ叫ぶ。
ちょっとした町のはずれへ連れていかれる。
いい感じに地元の呑み助どもが集まっていやがる。ビアホイだ。
感想は、これ水じゃない?
いくらのんでもさっぱり酔わないのである。
今日でベトナム滞在6日目。
ほぼ毎日のようにビアホイをのんでいるがこの感想はいまもって変わらない。
アルコール度数はへたをすると3%くらいではないか。

地元民と思われる酔っぱらいどもはビアホイをのんでいない。
なにかあやしげな酒をみんなでがぶのみしている。くそう。のんでみてえ。
今日は疲れている。まだ町の位置も把握していない。
今日のところはこれで帰ろう。本番は明日だ。
ビアホイをのんだことに満足して、この日は酒場をあとにする。
翌日は朝からひと通りの観光を済ませる。
なぜか小さな山へ登る。運動不足を意識しながら頂上へ。
なにもすることがない山の上。
せっかく来たのだからもう少しここにいたいが、
ひとりだと間が持たないのである。
仕方がない。ビールでものむか。こうして昼からビールを体内へ注入する。

暗くなりかけたら酒である。
なんか太田和彦みたいだなと苦笑しながら昨日の酒場へ。
行き方がわからないので、そこらのバイクタクシーをつかまえ、
ひと言「ビアホイ」。
これでこの日も連れていってもらうことができた。
ビアホイをのみながらひとりで作戦会議。さて、どう攻めるか。
わたしはメニューを見ながら、かなり長時間迷うほうである。
SNAKEとある。スネーク。蛇だよな。あの邪悪な生き物(聖書)。
なにか刺激がないことを最近、感じている。旅に飽きてきている。
旅を舐めているような不遜なところがある。
がつんと自分にショックを与えるか。蛇を食ってみるか。
それでも店員へ注文するまでそうとう迷う。
なにが蛇を食わせたか。ブログ「本の山」である。
ここに書くために蛇を食らう。チリ炒めを注文する。2ドル。240円。

蛇である。蛇のぶつ切りである。
もう少し蛇であることを隠してくれていることを期待したが、
そのまま蛇なのだ。
細い蛇が1センチ間隔くらいで切られている。かつ炒められている。
せっかく注文したのだから食べなければもったいない。
口に入れる。ぐえっ。蛇なんか食えるか。吐き出しそうになる。
とても食えたもんじゃないわけだ。骨を食べているようなもの。
蛇は、骨と皮だけである。肉らしきものはない。
ここで考え込む。ベトナムではたと思う。間違っているのはわたしではないか。
なにゆえ鰻(うなぎ)はOKで、蛇がNGなのか。
どちらも似たようなものともいえる。
しかし、蛇は食えぬ。だが、食わねばならぬ。
口に入れる。吐き出す。
これを繰り返しているうちにビアホイもつきる。

さて、昨日のあれを頼むか。あの正体不明の酒である。
今日もわたしの横で10人ほどのグループがこれをまわしのみしている。
あれだ。あれをください。あれだって。そうだ、うん。わたしもあれをのむ。
お誘いがかかる。いっしょにのまないかというのである。
待っていました。今日は体調も万全。日本の酒のみのパワーを見せてやる。
喜んで、である。
酒の正体はバナナワイン。ベトナム名は失念。強い酒である。
これを小さなおちょこ(グラス)に入れイッキを繰り返す。
グラスはひとつ。メンバー全員でひとつのグラスを使う。
ベトナムの呑み助の流儀だ。
かあっと口の中が燃えるような酒である。
味わうための酒ではない。酔うための酒。盛りあがるための酒。
酒精という言葉がどこかふさわしい。
テーブルを見回す。地元の呑み助連中といった感じ。
バカしているわけでは決してなく、いい意味で(ほんとか?)、
教養という言葉からもっとも離れた位置にいる人間という印象を受ける。

言葉が通じるわけもない。
隣の青年が中国人というので、大学で習った中国語で話しかけてみたが、これも駄目。
漢字による筆談がなんとか通じるくらいである。
これでいいのだ。酒のみに言葉はいらぬ。
杯(さかずき)を酌み交わせば立派な国際交流である。
乾杯しようぜと言われたら、わたしは絶対に逃げない。
よし、のみましょう。さっとグラスを空にする。
ベトナムののん兵衛もわたしの強さに感嘆をもらす。
それがうれしいわたしはさらに乾杯を繰り返す。
かれらは蛇の鍋を食べていた。
すすめられて口に入れるがやはり蛇をうまいと感じることはできない。
このへんで記憶があやふやになる。
果たしてどうやってホテルまで帰ったのだったか。
途中、どこかへ立ち寄って、この町の祭を見学したような記憶もあるのだが。

翌朝、ホテルのひとから昨夜はすごかったなと冷やかされる。
すごい酔っぱらっていたぞ。ふらふらで。
これがいちばん恥ずかしい。逃げるようにホテルをチェックアウト。
メコンデルタのクルーズで有名なカントーへ向かう。
そうそう。なぜか肘にすり傷ができていた。
この傷はいまもって完治していないことを最後に報告する。