思えば、わたしがいまこうして、なんなくバックパック旅行をできるのは、
すべてインドのおかげである。
2年半前だったか。インドを3ヶ月放浪したことがある。
あれはまさしく放浪という言葉が似つかわしい。
なにかを求めての、恥ずかしいくらい真剣な、命がけの旅だった。
今回の旅行などあのインドから比べたらおままごとのようなもの。
インドではガイドブックに載っていないところへもばんばんおもむいた。
どうやっていくのか。現地で情報収集である。
政府の観光局から、バス停にいるひとまで、あらゆる情報源をたよりにした旅。
なんとかして変わりたい。なにかをつかみたい。人生をどうにかしたい。
切なくなるくらい青臭い純粋な旅であった。
なにかあるんじゃないかと思っていた。
なにかを、みずからも知らぬなにかを求めた放浪であった。
インドは、この純粋な青年をものの見事に翻弄してくれた。
もう一度インドへ3ヶ月行けといわれてもお断りする。
インド人ほどうそつきで、カネにがめつく、自己主張が強い――、
つまりあれほど不愉快な人種は世界のどこにもいないと思っている。

けれども、インドでもまれたおかげで、いまバックパック旅行がさほど苦でない。
タイの空港へ降りた瞬間、自分のなかのインドスイッチが入ったのを感じた。
2年半前からあたかも継続していたかのような感触である。
あの続きが始まったとでもいおうか。
一回スイッチが入ったらあとは簡単で、からだが勝手に動いてくれた。
しかし、あのインドと比較したら――。
タイもカンボジアもゆるいのである。やさしすぎる。拍子抜けする。
こちらの姿勢もここ3年でだいぶ変わってしまっている。
旅行をしたくらいで人間が変わるはずないじゃないか。
たかが海外へでたくらいで劇的なことなどあるわけがない。
はなからそうあきらめている。
インド放浪時ほど切実ではないのである。どこか斜に構えている。
たとえばインド放浪の際は、明確な目的があった。
ガンジス河を河口から源流までさかのぼりたい。
仏教八大遺跡を訪問して、人間として向上したい。

今回はとりたてて旅の目的のようなものはない。
タイ6日間の小旅行から離陸するためにアンコールワットが必要だったが、
かの世界遺産もいざ訪問してみたら、ただの観光地とでもいえばいいのか。
まあ、田舎もんがディズニーランドへ行ったのとおなじ感覚しかない。
インドの旅が放浪だとすれば、今回の東南アジアは徘徊である。
ボケ老人がふらふら徘徊するのとおなじである。
酔っぱらって徘徊しているだけである。
たしかにインドと比べたらはるかに快適な旅である。
しかし、けれども――。
いい年をしてみなさまを赤面させるような青臭いことを言いたくないけれども。
明日、ベトナムに入る。これといった目的はない。
どうしても見たいというようなものもない。
いけないと思う。これではいけない。
いけないのかとも思う。それでいいではないか。そんなものだろう。
まだなにかあるときみは言うのかい?
今朝こそこの居心地のいいゲストハウスを離れてシアヌークビルへ行こうと思った。
けれども、シアヌークビルはカンボジアにただひとつのリゾート地。
こんな海辺のリゾート地へ行っても、わたしは海で泳ぐわけでもなく、
なにもすることがなくて朝からビールをのんでいるのが関の山。
健康にもよくないし、おカネもかかる。なら、行くのをやめよう。

ベトナムのビザを取ることにする。
本来、日本人ならベトナムはノービザでOK。ところがこれは2週間まで。
もしかしたらベトナムが気に入って2週間以上滞在することになるかもしれない。
いざ、そうなったときにベトナムでビザを取るのはなかなか厄介らしいので、
念のためカンボジアで取得しておく。30ドル(3600円)。
行ってみてベトナムが嫌いになったらすぐ出国するから、
そのときはこのビザ料金が無駄になる。まあ、一種の賭けである。

早朝、旅行会社へビザを申請したのだが、即日発行ではないらしい。
明日の夕方までビザは取得できない。
困ってしまったのである。あと2日、プノンペンでなにをするか。
もうガイドブックへ載っている観光スポットはひとつ残らずまわってしまっている。
1日中、ネットでもやるしかないのか。

突如、動物園へ行くことにする。カンボジアの動物園である。
いい年をしたおとなが平日の昼間にひとりで動物園へ行く。
ガイドブックには入場料は2ドル書いてあったが実際は5ドル。
何年もまえからガイドブックの情報は更新されていないのだろう。
わざわざカンボジアくんだりまで来て動物園へ行くのはわたしくらいだろうから。
いやね、日本のパンダを代表してカンボジアのアニマル諸君へ挨拶でもしようかと。

だれもいないわけだ。人間ぎらいのわたしには最高の環境というべきか。
外国人観光客はもとより、カンボジア人の入場者もいない。
あんた考えてみてごらんなさい。異国のだだっぴろい動物園にぽつんとひとり。
猿と顔を見合わせて哲学しちゃいましたよ。なぜわたしはいまここに存在するのか。
暑い。おりのなかの動物を見てよろこぶほど幼稚でもない。
なにもすることがないので、ただひとつ開いていた売店で缶ビールを買って、
のんでいましたよ。ごくごく、ごくごくであーる♪

今日はなんとかこれで時間をつぶせた。
問題は明日である。なにをしようか。どこへ行こうか。
ベトナムは最初から田舎へ飛び込むつもりである。チャウドック。
おそらくネットはとうぶんできなくなると思う。
なら明日はほんとうに1日中ネットでもやっていようか。
日本を離れてから、まったく母国の情報を仕入れていない。
この3週間でなにがあったのだろう。
なにかおもしろい犯罪は起こっていないか(不謹慎ですね)。
だれかやんちゃをした芸能人はいないか。

いまいるゲストハウスは最高なのです。
きれいで立地も良くスタッフも親切で。
これから昨日見つけた屋台へ焼鳥を買いに行きます。
なみだがでるほどうまいのであります。
部屋にはビールが冷えている。
なぜかアサヒのスーパードライ。
バンコクで製造しているものらしくやたら安いのです。
みなさまもどうかいいお酒を♪ おやすみなさい。
「ゆれるベトナム」(名波正晴/凱風社)

→プノンペンのゲストハウスへ置いてあった本。
新聞記者が肩書きと豊富な取材費を武器にベトナム各地を取材してまわった本。
ベトナムの現在(いま)を概観せんとする記者の鼻息は荒い。

つぎに行くのがベトナム。恥ずかしい話だが、この国のことをまったく知らない。
だから基礎的な情報としては役に立ったのは事実。
しかし、新聞記者くささというのはどうにかならないものか。
がんばったものがむくわれていることをやたら強調する。
権力者よりもことさら民衆に肩入れする。
民衆よ、がんばれ! 我われ新聞記者が見守っているからな。
権力者は決まって悪。民衆はいつも正しいのに苦しまなければならない。
正しい民衆を見守る新聞記者はつねに正義。新聞は正義の味方。
報道は世界を変える。新聞記者は正義の味方、月光仮面♪

取材対象が語った記者へのほめ言葉を採録するのはいかがなものか。
「あなたみたいな好奇心旺盛な記者はいません」だの……。
まあ、自画自賛は新聞の得意技だから、これはこれでいいのかもしれない。
「忘れないよ! ヴェトナム」(田口ランディ/幻冬舎文庫)

→プノンペンのゲストハウスへ置いてあった本。
30を過ぎたおばさんフリーライターが、はじめてのベトナムに舞い上がって、
浮ついた気分のままいきおいで書いてしまった旅行エッセイ。
バカはバカなことを書いてもバカだとわからないからバカなわけで、
とするとこれはバカでなければ書けない本ということになる。
30を過ぎても、女子高生のようなバカ丸だしの感想を堂々と述べられるのは、
考えてみたらある種の才能と言ってもいいのかもしれない。
我われは、たとえば知的障害者を哀れむが、この是非はともかくとして、
ことバカにかぎっては、疑いもなく、バカであることは幸福へ通じているようだ。
「新・好きになっちゃった カンボジア&ラオス」
(下川裕治責任編集/双葉社)


→プノンペンのゲストハウスへ置いてあった本。
ううむ。こういうのを読むと、わたしは旅人としては未熟だと実感させられる。
みなさまもうちのブログが読書日記からいきなり旅日記になったので、
驚いていらっしゃるのではありませんか。
楽屋話をすると、アクセス数は激減しています。

こういうことだな。書評ブログとしてはある程度のレベルはあったが、
旅行ブログとして見たらあまりにも質が悪い。
仕方がない。ここで専門という言葉を使うのがただしいのかわからないが、
わたしの専門は読書というか、インドアのほうだから。
旅行といっても、だれも行ったことのないような秘境に分け入るわけではない。
だれも読んだことのないような本は紹介できても、
前人未到の地を訪問することは旅行初心者のわたしには荷が重い。
正直に告白すると、わたしにはできない。

なんとかしたいな。旅行ブログとしての質も高めたい。
だけど、そのためには、あえて危険に飛び込むようなこともしないと。
ひととちがう経験をするためには、やっぱりそういう冒険心が必要なわけで。
書くために自分を動かしていく。書かざるをえないような状況へ追い込む。
ところが、旅を支配するのは偶然なわけだから、結局のところ、
個人の欲望だけではどうにもならない。
これからだれと出会うか、なにと向き合うかは自分で決められない。
とすると、書くものがおもしろくなるかどうかも、個人の努力ではいかんともしがたく。
あなたまかせというほかなく。
きのうはふざけた1日を送った。反省の意味をこめてここに記す。
朝、起きる。よごれものをランドリーサービスにだしてからはぼんやり。
テレビで日本のプロレスを見たり、
このゲストハウスにあった日本語書籍を読んだりしながら。
カンボジア発の日本語情報誌「はうとぅ@かんぼじあ」を熟読する。
これによると去年の10月にオープンした日本料理店があるようである。
まだガイドブックに載っていないな。話のタネに行ってやろうと思う。
店名は「空夢 SORAN」。プノンペン288通りにあるという。

そとへでて声をかけてきたバイクタクシーにこの店を知っているかと聞く。
知っているという。さあ、金額交渉だ。1ドルと言っていたのが半分へ。
さっそうとバイク(の後部座席)へまたがり出発。
ところが見つからないわけである。
何度、288通りを往復してもそんな名前の日本料理店はない。
こうなったら意地だ。バイクタクシーの運ちゃんとなぜかこころがひとつに。
番号がわかっているので電話してみる。日本語で、クメール語で道をたずねる。
結局、2回も電話したのだったか。もちろん、電話代はわたしが払っている。
それでも、見つからないのである。
とうとう発見する。なんの看板もでていない。どう見てもふつうの民家。
これを見て入るいちげんの客はいないと思われる。

バイクタクシーの運ちゃんは怒り狂っている。なんだこの店は。
やる気がないのか。看板もなにもでていないんじゃわかるはずがないじゃないか。
ファッキン・ディス・レストランだそうである。
仕方なく1ドル支払う。これだけ探してもらったら、やはり払わざるをえない。
さて、果たしてここは隠れた名店なのか。
がりがりにやせた日本人のおばさんがいる。ほかに客はだれもいない。
「何度も電話してくれたひとですか」
そうです。だけど、看板もなにもでていないからわからなかったです。
これでもお客さんって、来るものなんですか。
「ぽつぽつですね。お友だちを紹介してくれたりで。
看板をだすと大家に断らなくてはいけないので(うやむや)」
行ったことはないが場末のスナックって、こんな感じなんだろうなと思う。
まあ、やる気がないわけである。しんそこやる気が見て取れない。
もうけようという意思をいささかも感じない。

てんぷら定食をたのむ(3ドル)。
せっかくだからビールも注文すると1.5ドルも取るのに瓶ではなく缶ビール。
ビールをグラスへついでくれるおばさんの手が異常なほどふるえている。
ぶるぶる震えるがりがりの手。すべてを了解する。そういうことか。
味についてとやかく言うのはやめる。元気を吸い取られたような気がした。
観光をする気力も失せ、エアコンの効いているゲストハウスへ戻る。
このままではいけないと思いながら、冷蔵庫から冷たいビールを。
ああ、あのおばさんのようになってしまう。
どんよりだらだら日本語書籍を読みふける。
それからお昼寝。いけない、いけない!

夕食は本日改装オープンするプノンペンの有名日本食レストラン
「ツーチャン食堂」へ。日本人のたまり場のようである。
ここもよどんだ空気がたまらない。客は全員日本人。
右側はフレッシュな若者バックパッカー。カップルである。
左側はおっさんばかり。
なんでこんな疲れた顔をしているのというおっさんがずらり。
この対照がみょうにおもしろかった。わたしが左右どちらに座ったかは秘密。
まずは冷奴とビールを注文する。
しばらくすると横の席に日本人のおっさん二人組が座る。
カンボジア人の女をどちらも連れている。明らかに売春婦である。

このおっさんが笑わせてくれた。
わたしが焼き魚をつまみにビールを2本のみおわろうとするころ。
「まだソーメンが来ないんですよ」
おっさんが相方へ話しかけている。ふきだしそうになった。
おいおい、もう1時間も経っているぞ。ぜったい注文を忘れてる。
海外の日本人はすごいな。
ソーメンを注文して1時間も来ないのに文句ひとつ言わないのか。
ああ、このおっさんに話しかけたい。意地悪なわたしである。
「あの、ですね。さっきそこのひとがソーメンを食べてましたから、
きっと注文が入っていないんだと思いますよ」
おっさんは立ち上がる。ソーメン獲得に乗りだした。
それでも、おっさんは怒らないのである。どうして日本人は海外で怒らないのか。
「もうソーメンはいいよ」などと日本語で言っている。
笑いをおさえるので必死だった。
カンボジアまで買春しにくるほどのリビドー(性欲)旺盛なおっさんが、
ソーメンの到着を文句ひとつ言わずに1時間も待っているのだから。
日本だったら注文したソバを10分待たされただけで怒鳴り散らしそうなこのオヤジが。

いい年をしたおっさんである。娘がいるなら年頃だろう。
子どもがこんな親を知ったらどう思うか。
カンボジアで売春婦を連れて日本食レストランへ行きソーメンを1時間待つお父さん。
やだよな。おっと、売買春の是非を論じているわけではない。
この問題はよくわからない。だから語らない。これがわたしのスタンス。
まあ、人間、生きていたらなにをしてもいいとは思っているが。
前の日はごはんがなかなか来なくても怒らない日本人。
この日はソーメンである。
この奇妙な偶然にはゲストハウスに戻ってから大笑いした。
先ほど5歳年下の日本人男子と鍋を食った。カンボジアの鍋。
おっと、わたしの年齢がわからないと文脈がつかめないな。
まあ、ご想像にまかせる。そこから5年、引いてください。

かれとはタイからカンボジアに向かうバスで一緒になったらしい。
わたしは覚えていない。
というのも、日本人旅行者はみなヒゲをそらずやせているため区別がつかないのだ。
あちらが記憶していた。声をかけられた。せっかくの再会。
夕飯にともに鍋を食うことにする。

今回の旅で日本人と連れ立つのはこれがはじめてである。
果たしてどんな出会いなのか。
すべての邂逅(かいこう)は宿命だと思っている。
この会食もどこかに縁があったに相違ない。
待ち合わせ場所はかれの宿泊しているゲストハウスのロビー。
15分待ったが来ない。フロントにあれこれたずねると宿泊帳を見ろという。
かれの年齢が判明する。

これは縁がなかったかとそとにでるとかれがいる。
ずっとそとで待っていたらしい。
ジュンです。ジュンって呼んでください。
元気のいい若者である。昼会ったときには気づかなかったが、かなりのイケメン。
鍋だ。鍋を食おう。鍋はひとりでは無理だ。この出会いは無意味ではない。
自分に言い聞かせる。

ジュンくんはシェリムアップの日本人宿に1週間沈没したらしい。
わたしはビールを注文するが、かれは手持ちの水。問題はない。
鍋である。
わたしはあれこれ注文をだしたいのだが、ジュンくんはやたらOKを連発する。
イエスOKサンキューである。テーブルにある具をすべて鍋に入れていいというのだ。
勝手にOKを連発して金額を了解した気になっている。
ひとり旅ははじめて。今回は3ヶ月の予定。英語はまったく話せない。

ごちゃごちゃ言うつもりはもうとうない。
それでいい。どかどか食べようじゃありませんか。
鍋は自分で作るのか。店員が作ってくれるのか。
わたしが聞くと、にやけた店員が鍋にものを投げ込む。
ジュンはへらへら笑いながらOKOKサンキューを呪文のように唱えている。
鍋が煮上がる。食ってみる。まあ、こんなもんか。ジュンはうまいを連発。いいことだ。

ジュンがごはんを注文しているようだ。
へらへらしながら例の給仕へライスサンキューを繰り返している。
それは酒をのまないなら米が必要だなと思う。
しかし、いつまで経ってもかれのごはんが来ない。
「あれ、Mさん、ごはんを注文していませんでした?」
イエスとはジュン氏。
にやにや笑っている給仕(男)を呼びつけ、ごはんは? 急いで、と怒鳴りつける。
いちおう英語で言ったが、ここでは英語は通用しないのは雰囲気からわかっている。
30秒でライスがジュンくんのまえに。これが英語が通じたためではない。
かれはわたしの勢いに抵抗感を示している。

かのボーイがジュン氏に話しかけている。
わたしの耳が判断するに、まっとうな英語ではない。
ジャストをなにかの意味と混合しているようだ。
かわいいジュンくんは困ってしまって、「なにを聞いているんですか?」
わたしもボーイの言語はわからないが、海外の店員が聞くことといったらひとつ。
いまは向こうのゲストハウスから来たが、1ヶ月前は日本へいた。
とりあえずあちらのジャストへ敬意を示して、ふたつの回答をしたわけだ。

相手にあわせなければとわたしも必死でビールを1本におさえる。
そのあいだも、まあ、わたしはいろいろやるわけだ。
つけるタレはほかにないか調べたり、麺(ヌードル)はいつ入れるべきかたずねたり。
イエスOKサンキューとは正反対の世界である。
これをひと言でいえばノーだ。
ジュンくんはいまどきの若者らしく、鍋の途中でいきなりギブアップ。
もうおなかいっぱいです。あとは食べてください。タバコを吸い始める。
「せっかく注文したんだから最後まで食べませんか」
OKOKと注文したのはジュンちゃんでしょうとは口が裂けてもいわない。

「カンボジア人って、日本人をバカにしていると思いませんか」
ジュン氏に問うてみる。
あなたのようなOKOKの日本人がいるから、とは決していわない。
かれの回答は、そんなことはない。
カンボジア人は日本人へフレンドリーだ。
それはあなたが日本人宿のカンボジア人としか接していないからでしょう。
これもいわない。ぐっとこらえる。
「地球の歩き方」でさえカンボジア人は日本人を愚弄していると明確に書いている。
なぜかはわからないふりをしておく。

会計。わたしが計算機を取り出すとジュンさんが困った顔。
にやけたボーイ相手にOKを連発している。
この給仕はろくなサービスもしていないのにチップを要求してくる悪質なタイプ。
ジュン氏にはなにもかもサンキューOKらしく言い値で支払っている。
わたしはこれこれの金額を払ってくださいねというのである。
すなわち、カンボジア人ではなく、同国人が計算機を使わせてくれない。
しまいにはかのジュン氏、あのボーイにチップまでやっている。

さっきまであれほど貧乏旅行自慢をしていたのはだれですか?
かれにいう。わたしはあの男、虫が好かないんですが、どうですかねえ。
「よくやってくれたじゃないですか」とはジュン氏。
だって、あなたがごはんを注文しても、ぜんぜん持ってこなかったじゃないですか。
「あれはカンボジア時間です。タイやカンボジアの時間感覚にはなれました」
じゃあ、わたしが怒鳴ったら即座に持ってきたのはなんなの? とは聞けない。

ジュンくんもおかしな日本人(=わたし)を相手にして
そうとう疲れたであろうことは想像にかたくない。
こちらも破裂寸前で、にこにこにこにこ世間話。
別れた。ゲストハウスでウイスキーをあおる。
書かなければ死んでしまうと深夜、ネット屋を求めて走りだしていまである。

日本人はどうして怒らないのだろう。
怒らなくてもいい。せめてノーといえないのか。
わたしはいまゲストハウスのいちばんいい部屋に泊まっている。
これは運である。運がよかった。
早速、翌日、フロントが部屋をうつれといってくる。ノーである。
こんなゲストハウスで予約などあるはずがない。
どうせファランヘまわすつもりだろう。ノー。わたしが先に泊まっている。
フロントは顔をしかめただけである。
翌日からは、さいわいファランなみの待遇を受けている。
これを喜んでいいのかはわからない。
今日、大量の頭蓋骨と出会った。ポルポト政権下で殺害されたものである。
ファランの若い女がカメラを頭蓋骨へ向けた。
思わず日本語で「こらっ」と叱った。
かのファランは恥ずかしそうな顔をしてカメラをしまった。
ジュンくんも、おかしな同国人と出会って、なにか刺激を受けたと信じたい。
いまから宿へ戻り、酒をのみ眠る。
1日に100を見ようとしない。現地ツアーに参加するなどもってのほか。
観光地の情報を他人から100教えてもらっても意味がないのである。
1日に1つでもいいから(教示されるのではなく)自分で発見したい。
ある観光地にたとえ見所が100あろうが、そのすべてを見る必要はないのだ。
重要なのは、たくさん見ることではない。
1つでもいいからこころを動かされるものと出会うことである。
青臭いと笑われようがこの基本を忘れてはならない。
向こうから来る旅ではなく、こちらから行く旅にしたいのである。
どんな幼稚なものでも自分の感想を大切にしたい。
これは読書と同様である。多読を自慢する読書家ほどものを知らぬものはいない。
高みからあれも読めこれも読めと、他人に指示するような読書家は最低だ。
あの国も行った、この国も行った、あそこはいい、あそこはだめだと
わけしり顔で論じる旅行者はじつはなにも見ていないのではないか。

旅の楽しみは食である。
食だけはカネをなるべく惜しまずいろいろ挑戦したい。
最上から最低まで食べ尽くせ、わが胃袋よ!
屋台でばかり食べないで、思い切って高価なものも注文してみる。
もう二度と食べる機会がないかもしれないのだから。
わたしは物価の安いバンコクで500バーツ(1800円!)もするフカヒレを食べた。
結果、あまりうまくなかったのだから泣きたいくらいだが、
こればかりは食べてみなければわからない。
日本での衛生観念をふりすてて屋台のものも食べてみる。
キーワードは貪欲である。うまいものへの執着。美味なるものを食したい。
ことばなんか通じなくてもジェスチャーでかなりのところまで意思は通じる。
注文したものとべつのものが出てきても、それがかえっておいしいこともある。

宿は妥協する。宿ばかりは食ほど柔軟にはいかない。
高級ホテルに泊まった翌日に、きたないドミトリーに寝られるものではない。
この寝床だけがわたしの旅の弱点である。
どうにもこうにもきたない宿に我慢ができないのである。
まずいメシはこらえられても、うすよごれた部屋で寝るのだけは勘弁してほしい。
ある程度のカネがかかっても清潔かつ快適な寝床を確保したい。
ちなみにいま宿泊しているゲストハウスは最高である。
わずか10ドル(1200円)でカラーテレビ、ホットシャワー、エアコン、冷蔵庫つき。
今回の旅で冷蔵庫がついてきたのは初めてである。
あまりのうれしさに今朝などは観光前にバルコニーへ出て冷たい缶ビールを!
ポルポト政権に惨殺された人間の骨を見に行くのだから許されると思っての行為。
まあ、どう考えても朝ビールは許されないだろう。今後はやらない。
格好はつねに身奇麗にする。
東南アジアの日本人パッカーというのは、どうしてああもうすぎたないのか。
男はひげをそらないで、あたまにタオルかなんかまきつけて。
女も女で、ファランのまねか、ぼろぼろの民族服(?)を羽織ってふらふらしている。
ノーである。日本とかわらぬ格好を押し通す。
現地化するといいながらきたない格好をするのはアジア諸国に失礼極まりない話だ。
きのうプノンペンに到着。
きたない話だが、もどした。おなかの調子もわるい。
一人旅の不自由を感じるのはこんなときである。
だれかと一緒であれば、ちょっとジュースでも買ってきてよと頼める。
だが、一人だとそうはいかない。
はじめての街である。夜も遅い。店も閉まりはじめている。
求めているのは、ただのコンビニ。雑貨屋である。
ジュースを数本。それと水も何本か。
深夜のために買っておきたい。
けれども、その雑貨屋が簡単には見つからないのである。
ガイドブックにはスーパーが記載されているが9時に閉店している。
こまった、こまった。
けだるいからだに鞭打って夜のプノンペンをさまようわたしである。
この晩は、酒をのまずに眠る。日本からもちこんだデパス(睡眠薬)をごくり。
こういうのも、きっと、あとにはいい思い出になるのだろうなと思いながら。
ネットを終えて、明日のバスチケットを買わなければと近くの日本人宿へ。
こういうところで買うと、乗客が日本人だらけになっていやなのだが、
わたしの泊まっているところからいちばん近いのがこのタケオゲストハウスなのだ。
かつてバンコクからカンボジアへ来たとき、わたしを除く日本人全員が行ったところである。
ゲストハウスの入口はレストランになっている。
吐気がする。日本人ばかり10数人集まって、味噌汁を食っていやがる。
だめだ。そう思い、すぐさまその場を離れる。
5分ほど歩いたころ、やはりあそこで買うのが利便上、いちばんいいと気づく。
人間、いやでもやらなければならないことがある。
意を決して、ふたたびタケオゲストハウスへ。
運良く、宿のおばさんがでてきたので、明日のプノンペン行きバスチケットを購入。
そのあいだしばらく日本人宿を見学。
ここでバイトをしているという若い女がいる。
どうせ1日500円あたりで嬉々として働いているのだろう。
カンボジアで働きながら旅行した、というのが、なんらかのステータスになるのか。
レストランにいるのは老若男女日本人ばかり。
老人もいるのである。若者へしたり顔で教えを説いている。きんもー♪
ここへ入っていけるひとと、どうしても無理なひとがいる。
あるいは前者をアウトドア派(外向的)、後者をインドア派(内向的)というのかもしれぬ。

ここって缶ビールはいくらなんですか。
そこへたむろしているおにいさんへ聞く。
「そこにいるバイトのおねえちゃんに聞いたらどうですか」
それができないから、まだ話しやすそうなあなたへ聞いているのですよ。
まるっきりわからない。なんでカンボジアまで来て、日本人同士味噌汁をすすりあうか。
とりあえずバスチケットを買えたから、よしとしよう。
さあ、のむぞ。歩きはじめる。
ローカル度95パーセントの食堂で声をかけられる。食っていかないか。
おそらくひとつしかないであろう英語メニューを見せられる。
ビール大瓶が2ドルか。どこもこの価格である。まあ、高いんだ。
どうだい? ビールを2本で3ドル。これじゃいけませんかね。
だめだという。なら、しようがない。その場を去ろうとすると、それでいいという。
ちなみに、そこは本物のローカル食堂である。
屋台が地元民の食堂といったようなことをガイドブックは書いているが、
実のところ屋台で食べているのは半数以上が外国人旅行者である。
この食堂は人気があるようである。ひっきりなしに客の出入りがある。
ビールをのみながら2皿注文する。
何度、咀嚼(そしゃく)を繰り返しても、まずいわけである。
どうしてこんな店がカンボジア人であふれているのかさっぱりわからない。
思えば、食べるのは嫌いではなく、カンボジアへ来てからいろいろ食べているが、
うまいと思ったのは、アンコール遺跡の屋台でのんだサトウキビのジュースくらいだ。
カンボジアの料理は、言ってしまえば、刺激がないのである。
かといって、繊細な味わいを追求しているわけでもない。
これをまずいという言葉以外でどう表現したらいいのかわたしは知らない。

明日、例のタケオゲストハウス12時出発のバスへ乗って
カンボジアの首都、プノンペンへ向かう。
バスを待ちながら味噌汁でものもうか迷っているところである。
なにかないか、なにかないか。
なんてことをうめくように願いながらも、いざなにかあると、ふうむ、考えさせられる。
アンコール遺跡のはずれでぶったおれたわけだ。
体中がつったような感じ。あれはなんだったのか。
両ふくろはぎ、両もも、両うで、両手、肩、首、腰、すべてがつったような感じなのである。
体中に激痛が。そのときわたしは自転車で遺跡をまわっていた。
もはや遺跡まわりはあきらめた。
本来なら今日は休んでいてもよかったのである。体も異常なほど疲弊していた。
なぜ外出したかというと、3日観光可能なパスを40ドルで購入していたから。
せっかくおカネを払ったのだから3日、観光しなければもったいないという貧乏根性。
もう遺跡は断念。あとはなんとかゲストハウスへ戻ることを考えなければ。
しかし、どうやっても自転車をうまくこぐことができない。
すぐに横転してしまうのである。
しばらくその場でうずくまり痛みが去るのを待つ。
うんとこしょと自転車へまたがるが、ふたたび痛みから自転車ごとたおれてしまう。
だめだ。もう動けない。なんとか車をチャーターして自転車とともに街へ帰らないと。
たおれた自転車の横で痛みにたえているわたしの横を、
何台ものトゥクトゥクが通り過ぎていく。
バイクに乗ったふたりのポリスが現れる。
ヘルプ・ミーである。クデュー・ヘルプ・ミー。車を、車を!

カンボジアン・ポリスはその場で車の手配をしてくれた。
パトカーへ乗せられる。体の痛みはやまない。サイレンまで鳴らしている。
病院へ直行してくれているようである。
このような状況下で、肉体の痛みは痛みとして、精神は冷静に物事をながめている。
あらあ、おもしろい。いまパトカーで運ばれているわけか。
まさかこんなことになるとは今朝は思ってもいなかった。これからどうなるのだろう。
病院へついてパトカーからおりるとき、なぜか証拠写真を撮られた。

病院でのこと。「つる」というのを英語でなんといったらいいかわからない。
とにかく体中がつっているのである。
だから、へたに動かすのがいちばん痛いのだ。
ベットへ寝かされる。注射を打つという。
ほんとうにこの医者はわたしの病状をわかっているのか。
尻に注射を打つという。体を裏返しにしようと看護婦はわたしに手をかける。
やめてくれ。動かさないでください。痛みにベットから飛び上がる。
するとなにが起こったのかわからない医者と看護婦はわたしを取り押さえようとする。
だから、やめてください。体にさわらないでくれ。そっとしておいて。
ドーント・タッチ・ミーである。
苦労していすに座ることに成功する。薬をのまされる。ストップ・ペインとのこと。
注射を右腕に2本。左腕に1本。
お、いいぞ。なんか痛みがひいてきた気もする。

ここで日本人が登場。
そういえば言っていたかもしれない。Is there anyone who can speask Jpanese?
長身ですらっとしたきれいなおねえさん。
「体中がつっているんですが、そのことを伝えてくれませんか」
あとで知ったことだが、近くの旅行会社で働いているとのこと。
クメール語はぺらぺらである。
かの女性のご援助のおかげで、なんとか医師と会話をすることができる。
驚いたのは、そのときはかった血圧が「110/70」であったこと。
日本では考えられないほどの低血圧である。
カンボジア医師の診断は、急に体を酷使したからだろうとのこと。
ランチをしっかりと食べなさい。
日本人女性のNさんからこわい話を聞かされる。
カンボジアはとにかく医療費が高いという。
まえにNさんがこのおなじ病院へかかったときには200ドル請求されたとか。
200ドル! わたしは海外旅行保険へ入っていない。
(というか帰国日の決まっていない旅行者はたしか入れないのです)
自己責任とはわかっているが、うーん、200ドルはいくらなんでもきつい。
しきりにNさんへ感謝し、詫びるわたしである。
「すいません、お仕事中に。ほんとうに助かりました」
またまたNさんはわたしをこわがらせるようなことをおっしゃる。
「あと問題なのは警察ですね。運んでもらったわけでしょう。
それに自転車まで。いま自転車は警察にあるそうです。
だから、自転車を取りに行ったとき、いくら賄賂(わいろ)を請求されるか」

がくがくぶるぶるであーる!
結果はどちらも杞憂に終わった。診療費は31ドル(=120×31円)。
警察からは賄賂を請求されるどころか、丁寧にゲストハウスまで送ってもらう。
自転車も警察から返しておいてくれるという。
親切極まりない対応である。ありがとうございます。
これが昨日である。
路上でぶったおれてパトカーで運ばれたのがわたしだとは我ながら信じられない。
その晩は元気をつけなければと焼肉定食(らしきもの)をビールでながしこんだ。
思えば、昼ビールをやめたのがよくなかったのかもしれない。
暑いから昼はまったく食欲がないのである。
ビールでものまなきゃ、まずいカンボジアのメシなどのどを通らない。
そのせいで今回の失敗になったのなら、今後、大いに考えなければならない。
なにをって、昼ビールの復活である。
さて、いまからお世話になったNさんへ礼状ならぬ、感謝のメールを書きます。
いただいた名刺にアドレスが記載されていたので。
というわけで、まあ、カンボジアでもドタバタやっております♪
ふと思ったのだが、日本は食に関してかなりおかしな国ではないか。
ふつうどこの国でもいちばん安くておいしいのはその国の食事でしょう。
インドなら日本では食べられないようなカレーが格安で食べられる。
屋台で食べるタイ料理も、信じられないくらい安くていけるわけだ。
カンボジアはまだ語るほどには試してはいないが、おそらくそうだろう。
タイでうれしかったのは好物のインド料理が日本よりかなり安いこと。
それと日本よりインドへ近いせいだと思う。
より本場の味に近いインド料理が多岐にわたって食べられる。
あるいはこうとも言える。
日本はどの国の料理も日本食にしてしまう。
いぜん何度も日本でインド料理を食べたことがあったが、
本場で食べた味とは程遠いものばかりであった。

さて、日本料理ってなんだろう。
バックパッカーが日本へ来て、安くておいしい日本料理を食べようと思ったら。
日本料理といえば和食だが、これは決して安いものではない。
なら吉野家の牛丼やてん屋の天丼が、安くておいしい日本料理なのだろうか。
たしかに日本国民には広く受け入れられてはいる。
けれども、あれを日本料理と外国人へ言い切ってしまうのは恥ずかしくないか。
わたしにとって旅行の楽しみは食がかなりの割合をしめる。
そのためこのようなことを思ったしだいである。
これからカンボジア料理でビールであーる♪
今日、アンコールワットへおもむく。
日本人が、まあ、すごいんだ。
ある回廊に日本人のツアーが5組もいるという感じ。
日曜日だからかしらん。
カンボジア人がめちゃくちゃな日本語で一生懸命にガイドしていた。
日本人の自由時間か。
ガイドのひとりがわたしのまえへ休みにくる。せっかくだからいろいろ聞いてみた。
わたしはツアー客でもないのに丁寧に教えてくれた。
カンボジアが肌にあわない最大の原因が判明する。
なんでもカンボジア人は酒をのまないらしい。
酔うとうかっり他人の悪口などを言ってしまうのが国民性とあわないとのこと。
そうでもないのである。
カンボジア人はどこかインド人に似た不愉快さがある。
ともかくカンボジア人が酒をあまりのまないのは確かだと思う。
酒の香りには敏感であらゆる酒場、酒屋をチェックしたが(危ないぞ!)、
ぐでんぐでんに酔いつぶれるカンボジア人を見たことがない。
すると、どうなるか。やたら酒の価格が上がるわけである。
観光にまつわる人間が悪質。かつ酒が高い。
せっかく4000円近くのカネを払って1ヶ月のビザを取ったが、
この調子だと早々とベトナムへ逃げだしそうである。
ベトナムは自家製ビールのビアホイで有名だから、うーん、どうだろうか。

1週間前の話をする。タイでのこと。
みごとにタイ人にだまされたのである。
王宮前。家族連れの自称・軍人から話しかけられる。
妻と思しき女性と小さな子どもを何人も連れていたから、てっきり信用してしまった。
タイ人の価格では、オートリクシャーはこれくらい安いんだ。
これとこの観光地をまわって、それでもタイ人ならこの価格だ。
おれがあの運転手へ言ってみよう。
そうしたらタイ人プライスでOKだ。
その価格が驚きの安さだったので、いいこともあるもんだと乗車。
かの自称・軍人のおっさんは友達だからよろしく頼むとなぜか英語で(気づけよ!)。
子どもたちと握手して別れた。
タイ人にもやさしいひとがいるものである。
ところが、連れていかれたのは観光地ではなくスーツの仕立屋。
あの軍人のおっさんも、やたらここを推薦していたから、あらあらグルですか。
仕立屋の女店員はへんてこな日本語を使う。
今日が最後だ。うちはメンバー制。
あなたはラッキーだ。明日になったらこの価格で買えない。
「なら明日来ます」と言い残し店外へ。
はあ、いつものあれですかとため息をつきながら運転手へ言う。
あの観光地へ行く約束だろう。
で、どうされたかというと、該当地でもなんでもないお寺のまえでおろされ、
ここがそうだ、待っているからなと言われる。
うしろを振り返ると、かの運ちゃんはもうその場から立ち去ろうとしている。
とめない。やられたかとおのが迂闊(うかつ)を恥じるのみである。

さて、いまどこにいるのでしょう。
ふらふらしていると見たところのある場所へ。
昨日来たお寺である。これでもう道に迷わないとほっとする。
昼の3時。なにをしようかな。
もう一度、おなじお寺を見ても仕方がないし。
気づくと寺のまえの屋台でまだ日が明るいというのに酒をのんでいるおじさんがいる。
日曜日だからなのだろう。
そうだな。まあ、わたしものむとしますか。いいじゃないですか昼酒。
おじさんの横のテーブルに座り、どうやってビールをたのめばいいか。
なにかつまみも食べたいのだがとジェスチャーで聞く。
ビールはすぐ手に入ったが、つまみがどうにもならない。
すると、おじさん。じぶんんおまえにあるつまみを食べろという。
それどころかわたしのために新たなつまみまで注文してくれる。
ビールまで。見ず知らずの外国人へおごってくれたのである。

しばらくすると、少し英語のわかるおっちゃんが登場。
聞くと、かのおじさんは59歳。地元のひと。このあたりの顔役らしい。
「だけど。ヤクザじゃないよ」
なぜかヤクザという日本語だけ知っているようであった。
ああ、えらいひとか。ありがたくご馳走になります。
おじさんは疲れたからと帰宅。
たくさんビールが余っているので、英語のわかるおっちゃんとのみはじめる。
昼日中の屋台である。
このおっちゃんは妻も子もいる50歳。ありきたりだが一期一会を感じる。
あの詐欺にあわなかったらこの出会いはなかったのだから。
おっちゃんからのむ場所をかえようじゃないかというお誘い。
もちろんですとも。こちらもひと通りバンコクの観光は終えている。
なにもすることがないのである。
そのおっちゃんの友だちの家へ。
それから双方怪しげな英語で国際交流しながら、がんがん酒をのむ。
のみしろをだすといくらいっても受け取ってくれなかった。
(タイ人がビールを3本100バーツ=330円で買っているのには驚く)
みんな酔っ払っているからかえって会話がはずむ。
この英語は間違っているかなど気にする必要がなくなるからだ。
「なぜジャパンはニホンともいうのか?」
サンがライズする国だからですよ。
日がサン。サンがライズするイーストのカントリー。
だからニホン(この説明、もしかして間違っていますかね?)。
暗くなるまでえんえんとのみつづけ最後はおっちゃんと奥さんにバス停まで送ってもらう。
精神の緊張が継続するのもこのときまで。
見知らぬ土地のバスで寝入ってしまう(おいおい!)。
しかし、そこは神の恩恵か。
まったく関係のないひとがおまえはここで降りるんだろうとわたしを起こしてくれる。
あ、寝ていたのか。異国でなんというおそろしいことを。
だが、ぶじホテルまで戻れた。
そこになにか神の御手のようなものを感じたといったら大げさなのだろうか。

あれから1週間。いまカンボジアである。
ベトナム、ラオスと抜け、またタイへ戻る予定。
あのおっちゃんがすすめてくれたタイのチェンマイにはぜひとも行きたい。
旅行が楽しいかと聞かれたら、なんとも答えかねる部分があり、
というのも、わたしが根っからのインドア派だからだと思う。
楽しいなと思うときもあれば、なにをやっているんだかと思うときもある。
なにをやっているのか。酒をのみつづけているだけではないのか。
酒の確保のことばかり考えている旅で恥ずかしくはないのか。

しかし、ときには思うのだ。
たとえば、バスに揺られているとき。よかった。これでよろしい。
一度きりの人生だ。なにをしたっていいじゃないか。
やろうと思ったことは、なんだってやるべきである。
バスから星を見る。どれがわたしの星だろうか。
どの星回りにわが人生は左右されているのだろう。
なんとも感傷的な夢想だが、これは旅先でなら許されると勝手に思っている。

ファラン(白人)は嫌いだが、日本人パッカーも好きではない。
群れたがる。貧乏自慢ばかりする。
バンコクからカンボジアへのバスは多数の日本人と行動をともにした。
日本語で話したのは10日ぶりである。
ところが、まるっきり言葉が通じないのである。
アウトドア派とインドア派がわかりあうには日本語では不十分なのかもしれない。
まいったのは食事のとき。
どこのテーブルに座ったらいいかわからないのだ。
遠足のグループ決めではぐれたような心持ち。
なんとかわたしを受け入れてくれた同国人へ感謝をしたい。

どうして日本人はこうなのだろう。
そのバスグループにはファランも乗車していたのだが、
かならず先頭に立つのはファランなのである。
入国審査のときなどその典型。
わたしは真っ先に走り出すが、日本人はいつものろのろ。
入国カードにどう書いたらいいかみんなで相談している。
わたしが入国終了してからファランたちがなにを話していたか。
日本人をバカにしているのである。
どうして日本人はこうもとろいんだ。ファランたちがそう話している。
そこには日本人はわたしだけ。なんとも歯がゆかった。
ところでこの日本人集団は、今度は韓国人パッカーをバカにしているのだ。
途中まで韓国人グループも参加していたのである。
チームコリアなどと命名して日本人が韓国人を愚弄している。
きみたちもファランから見下されているんだぞ。

ファランはもうどうしようもないわけだ。
タイ人も日本人も韓国人もみんな一緒。いち段階したにいる存在。
タイ人ツアーコンダクターと、ファラン同様お客である日本人を混同している。
ファランはじぶんたちの荷物を日本人へ運ばせようとするのだから。
日本人はおどおどファランヘ従っている。
わたしも荷物を取ってくれと言われる。
取ってやる。まだあると言う。
言い返す。「ありがとうぐらい言いなさい(You have to say "Thanku you")」
どうして欧米人はありがとうも言えないのだろうと、今度は日本語で同国人へ。
一瞬、場が沸く。しばらくしてから、そのファラン女がサンキューと。
「やっと言いましたね」と日本人大学生から言われた。
くだらない自慢話かもしれない。

ところが、日本人。
バスが深夜、あるゲストハウスへ到着する。
このゲストハウスへ宿泊させるためのバスツアー会社の策略である。
わたしは真っ先にひとりで逃げだす。
道がわからなくなって原点へ戻ってみると、わたし以外の日本人が全員、
ひとつのサイクルリクシャーにぎゅうぎゅうづめでのっかっている。
みんなでガイドブックへ載っている日本人宿へ行くのだと言う。
乗りませんかという声もかからないし、かかるまえにわたしはまた逃げだす。
なにから逃げていたのだろう。
飛び込みでいくつかゲストハウスを。2軒目でヒット。そこへチェックイン。
すぐさま荷物を置く。もう深夜0時近い。この近くでビールをのめるのはどこ?
すごい形相をしていたのかもしれない。
教えられた場所へ行き、ビールをぐびぐび。
そのレストランでなんとかジェスチャーで氷(アイス)をもらう。
ゲストハウスへ帰り、タイから持ち込んだウイスキーの水割りをつくる。
またぐびぐび。シャワーを浴びる。お湯はでないが酔っているから気にならない。
シャワーのあと、またウイスキーをのみながら睡魔の到着を待つ。
低料金のわりになかなかきれいな部屋である。あたりだ。うれしい。
すべてがうまくいった。群れずにひとりですべてを決められた。
いまこうしてウイスキーをのんでいる。幸福だ。
旅をしてよかったと思うのはこんな一瞬である。
このような感慨はある種の人間からは嫌悪されるものであることを知らないわけではない。
集団行動ができない最低の日本人であることを認める。
だが、しかし――。このへんで眠りに落ちる。
昨夜のことである。

そして、また夜が来る。こうして語るべき友もなく、酔ってパソコンへ向かっている。
なにをやっているのかという自己嫌悪につつまれる。
日本人宿へ行きたいとも思う。だけど、日本人パッカーは酒をのまないからな。
のんでもだれかみたいにキチガイのようなあおりかたはしない。
だから、やはりわたしはひとりでのむほかない。旅するほかない。
おっと、また感傷にやられてしまいそうだ。悪質な感傷に。
このあたりで今夜はやめておこう。さて、これからもう一杯だけビールを。
いまカンボジアにいます。
他人の存在を無視して頭を整理するために書きます。
すなわち、メモですね。

カンボジアで流通しているのはUSドル。
現地通貨のリエルもあるけれどもドルが主流。
で、わたしが持っているのは日本円のキャッシュ(万札)と、
USドル建てのトラベラーズチェック(TC)。
TCというのは旅行者のための小切手。
サインがないと使用できないので、万が一盗難されても再発行できるのが売り。
なぜこれを持っていったかというと前回のインド旅行の余りが大量にあったから。
結論をいうとUSドルのキャッシュ(現金)を持っていくべきだった。
しかし、だがね、言い訳。
当初はタイを6日ほどふらふらして帰国するはずだった。
まさか行くともわからないカンボジアやベトナムのために準備はできない。
わざわざUSドルの現金を日本で買っていくのも面倒。再両替もたいへん。

はあ(ため息)。TCはカンボジアでは不利。
2%も手数料を取られてしまう。
先ほど300ドルのTCを現金のUSドルにしたら294ドルに。
つまり現金化するだけで6ドルも損している。
日本円で書くと(1ドル=120円)、
36000円の額面が35280円にしかならない。
720円(6ドル)も損している。
ちなみにこの6ドルというのは、わたしがいま宿泊しているゲストハウスの1泊分料金。
ふんがー(じだんだをふみながら)!

なんとかならないかと考える。
では、いまいるカンボジアでUSドルを日本円で買ったらどうなるか。
1ドル127円とのこと。
日本でなら1ドル120円なのが、カンボジアでは127円もする。
わかりやすく100ドル単位で考えてみよう。
(日本)100ドル=12000円
(カンボジア)100ドル=12700円
700円も多く払わないと100ドルをカンボジアでは買えない。
すなわち、100ドルにつき700円も損することになる。
これと比べたら100ドルから240円(2ドル)を
手数料として取られるトラベラーズチェック(TC)のほうがまだましということか。
ううう、ようやく頭の整理がついてきたぞ。

ところで、ここまでついてきている読者はひとりでもいらっしゃるでしょうか。
みなさまには、どうでもいいことですよね。ごめんなさい。
もうこうなったら徹底的にやりましょうとも。
前回のインド放浪は2004年の8月から。
ということは大量のTCを購入したのもこの時期。
さてこの時期の為替はと調べてみると(海外でよくやるわ!)1ドル=110円。
具体例で書く。
(2004年8月)300ドル=33000円
(2007年2月)300ドル=36000円
わたしは300ドルにつき3000円も得している。
これでなぞがとけた! どうですかお客さーん♪
わたしは300ドルのTCを現金化するために720円損しているけれども、
このTCは2年半前に買ったがために3000円得している。
はい、これがほんとうの結論。3000円-720円=2280円。
まあ、損はしていないわけである。
書きながら、調べながら、ようやくこの結論に行き着いた。
がために精神の安定を得たことをたいへんうれしく思う。
そうなのだ! わたしは損をしていない!
(厳密にいうと2年半前、日本でTCを買う際にも手数料は発生していますが、
これを考えるともうわけがわからなくなるので、このへんでやめますね)

みなさま、どうでしょう。
おひとりでもこのどうでもいい脳内計算についてこれたかたはいますか。
再度、謝罪します。じぶんのためだけに書いたのです。
だけど、書かなければならなかったのです。
はじめて訪れる異国の地で、6ドルも損をする(実際はそうではないことは上記)。
あわてふためいてしまって、とりあえずビールでものもうと思ったら、
カンボジアでは缶ビールが1ドルもしたが、やむなく購入。
ぐびぐびのんだあとにパソコンのまえで冷静に考えた結果が今回の記事であります。
いまタイのバンコクにいる。バックパッカーの聖地、カオサン付近。
ふたつの選択肢があった。
ひとつ、6日で帰国する。
もうひとつは、復路航空券を捨てて、東南アジアをぶらぶら。
ほんとうにバンコクへ来るまでどちらにするか決めていなかった。
決断したのは帰国日当日である。この日、どれほど迷ったことか。
ふたつにひとつ。
日本に帰れば、もう年齢的に海外放浪(訂正して漫遊)することは無理だろう。
かといって、帰国便を放棄して、このまま異国に残ってもなにがあるというのか。
劇的なことなどあるはずがないのはもとから承知している。
健康上の悩みも少なくはない。金銭上の問題もある。ふたつにひとつ。
どちらかを選ぶしかない。
選んだ結果はどうなるかわからない。
もしもう片方の選択肢を決断していたらどうなっていたか知るよしはないのである。

いまカオサン近くのネットカフェからこれを書いている。
ゲストハウスにあるネットコーナー(有料)。
これは運がいいのだろう。
なぜかここではビールをのみながらネットをすることができるのだから。
久しぶりに本を買ったので報告する。どれも古本。

「地球の歩き方 アンコールワットとカンボジア」 480バーツ

日本円にすると1700円を超過し、定価でこのガイドブックを買ったのと変わらない。
考えてはみた。たしかにバンコクにも紀伊国屋書店がある。そこまで行こうか。
こんな古本屋でぼられるより、よほど新しいものを購入したほうがいいではないか。
だが、しかし――。
カンボジアへ行くのは明日である。いまから地図片手に紀伊国屋を探すのは面倒。
それもバンコクの紀伊国屋が日本の書籍を定価で売っているかも知らない。
往復の交通費を考えたら、定価どころではないのは疑いもない事実。
以上の理由から1年古いバージョン、書き込みありのガイドブックを定価で買ったしだい。
けれども、まさかである。じぶんがアンコールワットへ行くことがあろうとは。
いまでも信じられない。なにものかに感謝したい。
みょうにち、カンボジアへ入国する。

「地球の歩き方 ベトナム」 300バーツ

これはべつのある屋台から購入。
いちおうガイドブックはあるのである。東南アジア各国を網羅した薄い旅案内書。
紹介されているのはタイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、ラオス、カンボジア。
ところが、やはり情報も少ないわけで。
もう二度と行かないであろうことは、まず間違いない。
せっかく行くことができたのだから、より深く各国を味わいたい。
国別の「地球の歩き方」を求めたゆえんである。
ああ、熱いものがこみあげてくる。ベトナム!
中学生の夏休み自主研究でベトナム戦争を扱ったのだった。
まさかベトナムへ行くことができるとは。この人生で。生きているものである。
恥ずかしいほど大仰な感傷で読み手を赤面させてはいけませんね。ごめんなさい。

「山頭火句集」(ちくま文庫) 80バーツ

タイの古本屋にろくな日本語書籍はないのである。ミステリーもどきばかり。
まあ、タイを好む日本人の知識レベルがわかるというもの(うっひょお、えらそう!)。
唯一、異彩を放っていたのがこれ。
というか、うちに2冊もあります。
1冊は書き込みがなされている。
もう1冊はいく年かまえのインド放浪(漫遊)へ持参したもの。
3冊目をバンコクで買うことになろうとは思いもよらなかった。
することがないのである。夜。酒をのみながら。
一人旅だからだれかと話すというわけにもいかない。よってこの書籍を購入。

明朝6時半のバスで、いざカンボジアである。
あまり遅くまで起きているわけにもいかない。寝なければと思う。
かといって、そうは眠れない。だから、こうして駄文を書いている。
酒をのんでいる。まだ足らないようだ。ちっとも眠くならない。
早くもっとのまなければ。飲酒を義務のように書いているのがわれながらおかしい。
「酒は飲んでいない。飲むにも酒がないのだ。
酒のあるような所に居ない。山の中だ。人間も一人も居ない」


戦争博物館で見たハガキからの一部引用。
60年以上まえ、カンチャナブリへ進出(侵略?)してきた日本人兵士のハガキである。
かれはなにを思ったか。初の海外なのは間違いない。
日本の使命を背負って遠路はるばるだ。
わたしのような物見遊山とはことなる。かれが海外から日本の家族へハガキを送った。
そのコピーが博物館に展示されていたのである。
むろん機密事項ゆえ送り先の住所は書かれていない。
のちの家族への言葉から、どうやらカンナチャブリらしいことが明らかになった。

「酒は飲んでいない。飲むにも酒がないのだ。
酒のあるような所に居ない。山の中だ。人間も一人も居ない」


わたしはカンナチャブリへ二泊した。連日、昼から当たり前のように酒をのんだ。
このハガキを見たのとおなじ博物館で日本人兵士の写真も見た。
それが忘れられない。
こう言ってはなんだか、いかにも学のなさそうな典型的な百姓タイプ。
異人(外国人)に負けてはならんと決して高くはない背を最大限まで伸ばして、
股を開きながらカメラをにらみつけている。
いいなと思った。なみだがでそうになった。いいよ。いいじゃないか。

どうしてこうなってしまったのか。日本人。
ファラン(白人)と見るや、なんでもぺこぺこ、へらへらするのだから。
タイ人はタイ人で、もっと露骨にファランを優遇する。
たとえばコンビニの行列といった段階からファランを優先するのである。
日本人がタイへ来てこの種の冷遇を感じなかったらよほど運がいいのではないか。
もしくは鈍感という可能性もあるが。

カンナチャブリである。ここには3つも戦争博物館がある。
そのどれもがまるで日本人を悪魔かなにかのように紹介している。
この場所でかつて黄色い猿がこともあろうかファランさまをなぶりものにした。
忘れまじ、というのであろう。
日本人以外にファランをあそこまで痛めつけたアジア人はいないのではあるまいか。
ファランを牛馬なみに酷使した。異人だからなにをしてもいいのである。
博物館にはどこにもゲストブックがある。来訪者が感想を書く。
見てはいけないものを見た。
日本人がこのゲストブックになんと書いているか。

「ごめんなさい」

バカをいうなと怒鳴りつけたくなる。
広島や長崎の原爆博物館へ来たファラン御一行が「ごめん」などと書くものか。
朝からビールをひっかけて、笑いながら原爆をエンジョイするのがファランでは?
カンナチャブリの博物館では、どのファランも真剣な顔をしている。
わたしはにやにやしながら大股で歩く。
なにも楽しくはないが、意図的に笑みをたやさない。
胸をはる。敵を見据える。そうだ。かつての日本人のようにである。
おおむかし、このカンナチャブリから日本人はこう書いたのである。

「酒は飲んでいない。飲むにも酒がないのだ。
酒のあるような所に居ない。山の中だ。人間も一人も居ない」


ならば、わたしはこう書こう。

「酒ばかり飲んでいる。どこでも酒ばかりだ。
ファランも朝から酒を飲んでいる。山の中とは思えない。白人ばかりだ。
そんな中で、あなたの顔を見た。とても感動した」
いまタイのカンチャナブリーでこれを書いています。
映画「戦場に架ける橋」の舞台として有名なところです。
この映画は見たことがあるような、ないような。
たとえあったとしてもだいぶまえのことでしょう。
どんな映画か調べてみたら、第二次大戦中の捕虜収容所の話。
日本軍にとらえられた白人兵士たちが主役。
過酷な収容所の生活と日本人兵士との交流をえがく。
カンチャナブリーに到着したのは夕方。バンコクからバスで3時間半。
戦争博物館へ行くのは明日になりそうです。

バンコクに着いてはじめて発した言葉はなんだと思いますか。
「列に並べ」です。
ファラン(毛唐=白人)のカップルを叱り飛ばしました。
空港のタクシー乗場でのこと。
割り込もうとするファランを一喝したのです。
うしろでタイ人が笑っていました。
どこの国から来た? 聞いたのはわたしです。
むにゃむにゃ。そんな国は知らねえ。鼻で笑ってやりました。

タイの有名な寺院、ワットポーでのこと。
もちろん禁煙です。しかし、これまたファラン。見たところフランスかな。
若い女。おもむろにわたしの横で煙草をすいはじめる。
当方、喘息のため紫煙はNG。
まず手で煙を振り払う。喫煙をやめる気配はない。声をかけました。
煙草をやめなさい。ここは禁煙です。原文は英語。
ここでかのファラン女はどうしたか。
こちらを向き、なにがなんだかわからないという顔。
アジアの人間から注意されるという事態が理解できない。
にやにや笑いながら煙草をすいつづけるのです。
あっちへ行け。怒鳴りつけました。まだ笑っていやがる。
肩を突き飛ばしてやりました。それでようやく場を離れたしだい。

タイ人はファランと見るやペコペコします。
もともとファランはアジアの有色人種を見下しています。
タイ人のほうもそれに馴れている。既成の主従関係があるのです。
そこへ日本人が入っていくからおかしなことになる。
ちなみに、ファランにへりくだらないのは日本だけです。
日本でファランが通行人へ話しかけてごらんなさい。
はあ? ここは日本ですよ。日本語で話してください。
我われから見たら当たり前のこの対応も、ほかのアジア各国からしたら珍しいのです。
ファランさまが話しかけてやっているのに無視するとはなにごとだ!
ファランのバックパッカーに日本ほど評判の悪い国はないそうです。
かれらにことさら低姿勢にならないからでしょう。

王宮近くの小汚い食堂。ファランであふれています。
昼からビールをのむとなったらこの手のファランくさいところしかないのでやむなく入店。
ファランが席を立ったのを確認したからでもあります。
チャオプラヤ河でも見ながら真昼間からビールもなかなか悪くないかもしれない。
あそこへ座りたいという。
するとタイ人ときたら! あれは予約席だというのだから。
バカをいいなさんな。こんな場末の食堂に予約してくる人間がいるもんか。
ようはアジア人にいい席を与えたくないのだろう。
見ると、この食堂。河沿いのいい席はすべてファランで占められています。
タイ人はみんな奥のほうに座っている。
場の空気を読めない日本人がおかしなことをいうとさぞタイ人は驚いたことでしょう。
「予約席だからダメ」
いつ来るかもしれないファランのためにたえず空けておかなけれならない。
すぐさま激怒して、店を出ました。
タイ人はなぜわたしが憤っているのか理解できないようでした。

いまタイのカンチャナブリーにいます。
かつて日本の兵隊が捕虜収容所でファラン兵へいろいろやんちゃをしたことで有名。
具体的にいうと、ファランの捕虜をさんざんこきつかって鉄道を建設した場所。
通常の日本人観光客なら、我われ日本人は……と反省するのでしょう。
わたしはそうではない。よくやった。よくやった日本人!
ファランに真正面から歯向かった過去のあるわが国をほこりに思います。
タイのファランはおかしいです。
朝から公衆の面前でビールをのみやがる。
ボートに乗っても当たり前のような顔をして料金を払わない。
上記のようなファランのめちゃくちゃを許さない日本が祖国でよかったです。
いまカンチャナブリーのネット屋にいます。
わたし以外の客、10人ほどは、みなファラン――。
大日本帝国万歳と叫びたい。あすの戦争博物館訪問がいまから楽しみです。
突然ですが、バンコクにいます。どこにいてもわたしはわたし。
トラブルを引き起こす宿業を持っているようです。
屋台でのこと。
うすぎたないおばさんが日本人に笑顔を振りまいている。
なぜかこの屋台だけ日本人がたくさん。若者。
そこは同じ日本人。聞く。どうして?
なんでも近くのホテルに日本人がたくさん。
HISのパック旅行。大学生いっぱい。ホテル中、ニッポンジンだらけ。
で、そのHISのガイドがすすめているのがこの屋台ということらしい。
食べてみる。まあ、うまくないわけです。
ならつぎはあれを頼もう。あれをくれ。断られる。閉店だという。
ならば、仕方がない。別の屋台へ。
しばらくしてから近くのコンビニへ。
例の屋台を見ると、あれあれ、まだやっているではないか。
またまたあたまの弱そうな日本人の若者に囲まれて、
屋台の気のいいおばさんを演じている。
なんだい。ふざけるな。憎しみがこみあげる。
終わったんじゃなかったのかと問い詰める。
完全な無視。ならば嫌がらせ。
この屋台の食いもんは腹を壊すよん。日本語で言ってみる。
日本人大学生はわたしの言うことなど信じない。
わたしよりもHISを信じるのは無理もないことなのか。
しばらくして去っていった。
おばさんが怒る、怒る。わたしも怒っている。
なにゆえわたしだけ入店拒否で、HISから送り込まれる大学生だけちやほやするか。
口論。おばさん包丁を取り出す。こちらは酔っている。
刺せるものなら刺してみろと挑発する。ほらほら、刺してみやがれ。
結局、周囲のひとから引き離されたわけだが、
まさかバンコクで刺す刺されるの修羅場に遭遇しようとは。
それもこぎたないおばさん相手に。
いま思えばかなり危険だったのか。
思えば、今回は海外旅行保険に入っていないのだった。