「秘密の花園」(バーネット/龍口直太郎訳/新潮文庫)

→この小説へ登場するのは孤児で「つむじまがり」の少女メアリー(10歳)。
その伯父のクレイヴンは大富豪だが気むずかしい。
かれの息子のコリンは病弱で死ぬことばかり考えている。
この一族は人間嫌いを特徴とする。
3人とも、どうしようもない変人である。
哀しいかな、以下の描写はわたしの自己紹介にもなると思う。

「そして彼女はとても自己中心で、ひとのことなど気にかけない子どもだったので、
今までどおりまったく自分のことばかり考えていた」(P14)

「旦那様はせむしなんですよ。それがあの方をあんなふうにさせてしまったのです。
旦那様は若いころは心のひねくれた青年で、奥様をおもらいになるまでは、
たくさんの財産も家屋敷も、何の役にもたたなかったのです。(中略)
そうです。奥様は亡くなられたのです。
そのために旦那様は今までよりもいっそう変になってしまわれました。
だれのこともおかまいになりませんし、それに、だれにも会おうとなさいません」(P26)

「だあれもあたしを好くようなひとなんかいないし、
あたしだってだれも好きじゃないわ」(P55)

「彼女は世間の人々やいろいろなものが大きらいだったので、
ただいやになっておこりっぽくなるのだった」(P132)


まあ、たいへんなものである。
これら人間嫌いの3人が、人間を好きになるまでの物語が「秘密の花園」だ。
変化はメアリーがもたらす。
インドで両親を亡くしたメアリーはイギリスの伯父のもとへ引き取られていく。
わがまま放題に育てられたメアリーは生きることのなにがおもしろいのかわからない。
メアリーを変えたのは自然である。この大邸宅の花園である。
10年ものあいだ封鎖されていた花園。
というのも、この場所でクレイヴン夫人が亡くなったためである。
偶然からこの花園のカギを発見した彼女はそこを「秘密の花園」と名づける。

彼女のはじめて好きになったものは駒鳥。
それから園丁の、これまた気むずかしい老人。
花園で自然と触れ合ううちにメアリーは変化していく。
そんなメアリーが、この家の若君、コリンと出会うシーンはなんとも美しい。
コリンはメアリーに輪をかけたように、とても甘やかされて育てられた。
いつもベッドの中で世を憎み、ヒステリーの発作を起こして使用人を困らせる。
父親のクレイヴンが旅行にばかりでている理由のひとつは、この息子である。
コリンがいつものヒステリー発作を起こしているとき、メアリーが呼びにやられる。
この場面が「秘密の花園」でいちばん好きだ。毒をもって毒を制す!
メアリーは意地悪な子だからコリンへ同情したりはしない。
うるさいと怒鳴りつける。
これまでだれひとりとしてコリンへこれをやらなかったのである。
おない年のいとこに叱責されたコリンは初めてのことに泣きやむ。

メアリーはコリンに「秘密の花園」のことを教える。
これまで「秘密の花園」はメアリーと、友人のディコンの内緒ごとだった。
ディコンは自然児ともいうべき地元の少年。草花や動物とも話すことができる。
メアリー、コリン、ディコン。3人の少年少女は「秘密の花園」で遊ぶ。
なにをして遊ぶかといえば草花の整理である。
箱庭療法にしてはあまりに大きな花園であった。
「秘密の花園」である。子どもは秘密を持つことで成長する。
メアリーがこの家に来たのは冬。
この花園は、一見すると、枯れているようにも見えた。
それが春の訪れと同時にどうだ。草花がいっせいに芽をだすではないか。
成長する。コリンも成長する。車椅子の少年が歩くことができるようになる。
花は咲きほこる。春が来たのである。
死ぬことばかり考えてきたコリンが花園で叫ぶのはこのときである。

「僕はいつまでも生きるんだ!」

冬来たりなば、春遠からじ。冬はかならず春になるのである。
そして春は夏へ、夏は秋へと移りゆく。秋が来た。
花園には春の色があるように、秋の色もある。
秋の花園から呼ばれたのであろう。
旅行先のクレイヴンはある晩、夢を見る。物故した愛妻の夢だ。
名前を呼ばれる。クレイヴンは問う。「どこにいるんだい?」
夢の中でクレイヴン夫人は答える。「花園のなかですよ、花園にいるんです」
クレイヴンは急いで故郷の屋敷へ戻る。
10年前に入り口を閉鎖した花園のそばへ行くと、
子どもの楽しそうな声が聞こえるではないか。
そこにコリンが飛びだしてくる。病床のコリンではない。
元気で立派な少年で、その目は亡妻とそっくりである。

「『わたしはこの花園が死んでしまったろうと思っていたよ』
と彼(父、クレイヴン)はいった。
『メアリーも最初はそう思ったんです。
だけど、花園は生きかえってきたんですよ』
とコリンはいった」(P420)


たまらなく花園へ行きたくなった。そうはいっても心当たりがない。
さしあたり近場で我慢する。歩いていけるところといえば……。
日本武道館から北の丸公園へ入る。ここは散歩道がある。
まだ紅葉とは言いがたいが木々は秋の色合いになっている。夕暮れどきだった。
日が沈もうとしている。今日が終わるのかと思った。そして秋も終わる。
冬来たりなば、春遠からじ。
苦笑する。あれは小説のなかの話じゃないか。
それも児童文学と分類されることも少なくない子供向けの読み物。
もうおとなである。メアリーやコリンのようにはいかない。
クレイヴン氏がいたか。せむしで人間嫌いのクレイヴン氏。
「秘密の花園」で息子を見たとき、かれはどれだけ喜んだことであろうか。
それだけでいいと思った。そういう物語があるだけこの世はいいものではないか。
北の丸公園を一周する。日本武道館では空手の全国大会が行なわれていたようだ。
大学生の集団があちらこちらに固まっている。
空手部か。見ると、男だけではなく女の空手部員もいる。
みな試合を終えた満足感か。上気したような顔をしている。
勝ったのだろうか。思い直す。そんなわけがない。
勝ち残ったのはひとり。ひとつの団体だけである。ほかはだれもどこも負けている。
空手家の群れにまぎれて帰途に着くことにした。
「物語と人間の科学」(河合隼雄/岩波書店)

→著者の講演集。河合隼雄の講演というのはたいへん人気があったという。
大学で教えていたときには、大教室へ入りきらないほど学生がつめかけたとか。
市民講座などでの評判もすばらしい。
河合隼雄は現代のキリストと思って間違いない。
聴衆のまえで講演するこの心理学者は、あたかも山上で説教をするイエスのようである。
両者とも人心操作に秀でていたのであろう。
聖書によると、イエスは多くの病めるものを治療した。
河合隼雄の心理療法は、イエスの治療と通じるところがある。
イエスはユダヤ教を錦の御旗にかかげたが、河合隼雄のそれはユング心理学。
実際は、ユング心理学がクライアントを回復させたのではなく、
河合隼雄という人間のもっているエネルギーが難業を可能にしたのだろう。
氏はいま病床である。先ごろ脳梗塞で倒れた。なんとか一命を取りとめたという話も聞く。
あとは死ぬ仕事である。ぜひとも復活をして、現代の神話を作ってもらいたい。
このまま死んでしまったら河合隼雄の偉大な業績をしめくくるなにかが足りない。
ユダが必要なのはわかるが、ここで揶揄しか書けぬような非力なわたしにはとうてい無理。
偉大なるユダの登場も、河合隼雄の病床からの回復とともに願っている。

まとめてみる。
繰り返しになるが、この心理学者の言説の根拠は無数の臨床体験である。
多くの悩めるものの相談を受けてきた。数知れぬ神経症患者を治癒へと導いた。
この経験が河合隼雄の主張の裏づけとなっている。

さて、気に食わないところを述べる。批判ではない。
河合隼雄の論説は主観が元になっている。主観には主観で相対するほかない。
好き嫌いをいうしかないのである。
河合隼雄の根底にある臨床体験というのはどれほどのものか。
1回の面談で1、2万円も払えるクライアントというのはおかしくないか。
お布施と言い換えてもいいくらいである。
現実にも、意外だが、新興宗教で神経症レベルなら治るという。
これだけおカネを払ったの「だから」治るという確信が病状を好転させる。
どうにも気に入らない。クライアントがである。
治るかわからないような心理療法へ何万、何十万とつぎこめる連中を、
とてもではないけれども、じぶんと同種の人間とは思えない。
それも河合隼雄の著作によると(一種の見栄だろうが)、
どこへ行っても改善しないので著者のもとへ相談へ来たものが多いらしい。
ということは、ほかでも大金を棄ててきた成り金ということにならないか。
どうしてもじぶんとおなじ人間とは思えない。
そういう金持の臨床例のみで、人間全体が語れるというのはおかしくはないか。
ちなみにわたしはなにがあっても心理療法(カウンセリング)など受けるつもりはない。
あんなものへカネを払うくらいなら、自殺したほうがいいとさえ思っている。
わたしのような人間も少なくないのではないか。
そうだとすれば、河合隼雄の臨床体験にこのタイプは入っていないということになる。

続ける。成長の思想が肌に合わない。
河合隼雄はことあるごとに成長を口にする。自己実現というのが、その最たるもの。
人間は死ぬまで成長していく。これがどうにも受けいれがたい。
人間は少なくとも70くらいまでは、まあ生きるだろうという、
そんな甘えた盲信によりかかっているようなところがないか。
わたしは明日死ぬかもしれないとたえず思って生きている。
すると、河合心理学の範疇にじぶんがいないという感触を受ける。
「とりかへばや、男と女」(河合隼雄/新潮文庫)絶版

→河合隼雄のやりくちをまねしてみよう。
ここに赤いリンゴがあります。もうひとつ。これは赤唐辛子。
風邪をひいたときはみなさんどうしますか。
子どものころを思い返してください。
リンゴをすりおろしてもらったでしょう。おいしかったのではありませんか。
風邪をひくと熱がでます。こういうときは汗をどんどんかいたほうがいい。
赤唐辛子を細かくきざんで料理へ入れる。
ちょいと辛いかもしれないけれども、えいや、と食べてしまう。
この、えいや、が何ごとも重要なんですね。
「えい」は、英語のA(エイ)に通じる。アルファベットのいちばん最初ですね。
これはいちばん大事だから最初になっている。エイはむかしから大切なんです。
だから、人間は、えいや、とやるほかない。

えいや、と赤唐辛子の入った料理を食べる。汗がでます。
風邪の治りが早くなるわけです。
いま見たのは赤リンゴと赤唐辛子。共通しているのは赤です。
これは自然科学ではなく、あくまでも主観ですが、
ユング心理学では、赤は風邪に効くと考える。
アーキタイプ。元型とユング派ではよんでいます。
風邪をひいたときはあたためたほうがいい。そのために必要なのは火。
ほうら、やはり赤に通じるでしょう。これは科学ではないけれども、人間の智慧です。

ユング心理学では、このように考える。
この心理学は治療理論であり、いかに患者を治すかをテーマにしています。
正確には治すのではなく、患者さんがじぶんのちからで治っていくわけですが。
風邪を治すには赤がいいという臨床例がいくつもある。
筆者もこれまでだいぶ患者さんが治っていくのを見てきました。
赤で風邪は治る。だからといって、赤旗新聞を取れというわけではありません(笑)。
手始めにどんなことをすべきか。それを教えるのは筆者ではない。
患者さんのほうがじぶんで考えるのですね。

こういうケースがありました。
40代の女性。赤のパジャマを着て、枕カバーも赤にした。
するとふしぎ、ユング心理学ではこういうことが頻繁に見られます。
わずか2日で風邪が治ってしまった。
べつのケースでは高校生男子。
この子はむかしからイチゴが食べられなかったのですね。
しかし、筆者と話をするうちに、赤いイチゴを食べてみる気になった。
じぶんから食べる気になったというのが肝心です。無理やり食べさせてはいけない。
赤いイチゴを食べた高校生は、若いから回復力もある。
1日で風邪を克服しました。
このときは感激しました。人間というのはわかりませんな。
これはたくさんの臨床例のほんの一例です。
しかし、どうでしょうか。
赤というのが風邪に効くというのが、頭ではなく、心でわかったのではないですか。
それが大切なのです。頭でいくら考えても風邪は治りません。
心にすとんと赤が入っていったとき、風邪が治っていくわけなのです。

以上で河合隼雄のものまねを終わる。
どうですか。なかなかさまになっていませんでしたか。
さすがに信じるひとはいないと思われますが。
だけど、信じるひともなかにはいるかもしれない。
子どもやボケ老人。信じたら風邪の治りも早くなる。
どんな病気も治るのではなく、患者がじぶんのちからで治っていくというのはもう常識。
わたしのペテンを信じてくれる患者がいたら、回復も早いと思われます。
で、なにが言いたいのかというと、河合隼雄がやっているのはこれと変わらないと。
いや、わたしなどとは比べものにならない巧妙なペテンであることは認めます。
実際に河合隼雄の心理療法を受けて治った患者も大勢いることと思う。
それを否定しているわけではないのです。

ただ、それでも、やはり河合隼雄はペテン師である。
最高級の詐欺師。いまや国民のそうとうがだまされているのですから。
具体例でいうと、たとえばわたしの稚拙なほら話。
赤リンゴと、赤唐辛子。これは赤という色へ着目しただけで、
味はといえば、いっぽうは甘い(酸っぱい)。もうひとつは、辛い。
ぜんぜん別物だと考えるのが、どちらかといえば一般的でしょう。
だって、どちらも食べ物。味で分類するのがふつうではありませんか。
しかし、そんなことを言おうものなら、臨床例で反論される。
おまけにユングというブランド。
ちなみにユングの原著はだれにも理解できないほど難解とされています。
わたしもかつてもっとも大衆向けといわれる「人間と象徴」を読んだけれども、
意味不明もいいとこ。
それが日本のユング派にとってはかえって都合がいい。
どうとでも解釈できるわけですね。ユングはこう言っている、となる。

ユング派への最大の反論はこうです。
ほうっておいても風邪は治ったのではないか。
これが真実なのです。風邪も神経症もほうっておいたら治ってしまう。
けれども、人間はなんとか早く治そうとあがく。
そこで必要とされるのがユング派の心理療法家ということ。
例をあげれば、ユング心理学ではアニマ、アニムスがどうのという。
これをものすごくいいかげんに説明すると(ほんと滅茶苦茶ですが)、
神経症の患者がいる。
男だとする。かれのまえに美女が現われて、かれを愛してくれたら、
ノイローゼなんて一発で治ると思いませんか。
女の神経症患者。摂食障害でもなんでもいい。
ある日、白馬の王子様が現われて、彼女をあたたかく抱きしめてくれたら、
こちらも一発で摂食障害くらいなら治りそうじゃないですか。
実際、治ると思います。これをむずかしく言っているのがユング心理学なのです。

ようやく話を「とりかへばや、男と女」へ。
「とりかへばや」は中世のマイナーな物語。
マイナーだからいけるとおもったのか(?)河合隼雄はこの物語でさんざん遊びます。
赤リンゴと赤唐辛子が、右大将や中将、尚侍、四の君などへ変わったということです。
河合隼雄は手品師のごとく、王朝の貴族を道具にして、みごとな見世物を展開する。
手品師のネタを見破ろうとするのはぶすい。手品はだまされて感嘆するもの。
我われが河合隼雄の著作へ向き合うときの態度はこうでなければなりません。
だまされる幸福を満喫する。あざやかな手品へ拍手喝采する。
ただし、やってはいけないことがあります。
じぶんでも河合隼雄のような手品、奇術ができると思ってはいけない。
友人や知り合いのまえで披露しようなどもってのほか。
はかりまちがえれば爆発して、大やけどをするはめにおちいるかもしれません。
ものを知らない若手教師やヤンママが河合隼雄の本を読むとき、
もっとも注意しなければならないのはこのことです。
「悲しくてやりきれない」(山田太一/「月刊ドラマ」92年12月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。平成4年放送作品。
山田太一の書く庶民の哀感こもるせりふというのは、なにをヒントにしているのだろう。
山田太一には、かたぎの会社での社会人経験がない。
大学を卒業後にすぐさま松竹の大船撮影所に配属されている。
映画会社。こういうのは語弊もあろうが、毎日がお祭りの世界である。
木下恵介組へ誘われ、監督の助手をしながらシナリオを学んでいる。
映画監督・木下恵介は高卒で、当時は監督にはなれないとされていた。
結局、首尾よく監督にはなったものの、終生、高学歴を嫌っていたという。
いっぽうで弟子の山田太一は早稲田卒。
大学時代の寺山修司との往復書簡からもわかるように、インテリとでもいおうか。
感情よりも、知性や論理を重んじる青年というイメージがある。
この青年がのちのシナリオ作家・山田太一になる過程でなにがあったのか。
木下恵介監督に鍛えられたという、ただそれだけなのだろうか。

「悲しくてやりきれない」から。
40手前だが独身で銀行勤務の名取裕子は、小さな本屋を開業したいと思っている。
開業資金は貯金。詩や絵本をあつかう小さな本屋。採算度外視。
とんとんでいい。食べていければいいという店。たったひとつの夢である。
そんな名取裕子のまえに現われるのが柄本明と役所広司である。

たとえばファミレスで店長をしている役所広司。

「金、金じゃなく、なにかしたかったって。
ほんというと、よく分るの。
レストランが、チェーンをどんどん増やしている時期に入社してね。
もう夢中でね。新婚旅行も二泊、京都だけ。
娘が生まれた時も、厚木の開店で泊り込み。
それでも、幼稚園の父の日とか、運動会とか、出たこともあったんだけど、
結局、ほっときすぎでね。
浮気ならともかく、仕事のしすぎで(女房子供に)愛想つかされるなんて、
情けないったらない。フフ。
それでもやめられない。
いまの店のテコ入れ頼まれて、またヒーヒーいってる。
われながら、どう仕様もない」(P139)


たとえば小さな印刷工場を経営している柄本明。

「金儲けじゃない、むしろ金儲けにさからうような、そういう店を持ちたかった。
ずっと、その気だった。
十日ほど前、取引のあった紙問屋が倒産して、
うちが振り出した手形が、他所へ回ってね。
月曜日までに落さないと、うちも危なくなる。金がない。
高利の金はもうこれ以上は無理なんです。
なんとか、そうでなく、当座五百万あれば、きりぬけられる。
あなたに、借りられないか、と思ったけど、
そんなもん、あなたが貸すわけがない。
だましました」(P141)


このふたりの男に翻弄される名取裕子というのが、おおまかなストーリー。
山田シナリオの特徴である、このリアルな生活者感覚は、どこから生じたのか。
山本周五郎や木下恵介のような庶民バンザイはやらない。
庶民のこすからさをあてつけるようなさめた知性も持ちあわせている。
情緒もふんだんに備えている。社会派というだけではない。
たとえば、こんなところ。最高である。
柄本明は共同出資者のふりをして名取裕子から開業資金をだましとろうとしている。

○列車の中
柄本「ぼくはまるでちがって――」
名取「え?」
柄本「いえ、詩。フフ」
名取「詩?」
柄本「急に思い出した」
名取「詩を?」
柄本「これでも、詩集と絵本の店を出そうとしているんです(と自分を指す)」
名取「どんな詩?」
柄本「黒田三郎の詩で」
名取「ええ」
柄本「ぼくは、まるでちがってしまったのだ、というんです」
名取「知らない」
柄本「ぼくは、まるでちがってしまった」
名取「ええ」
柄本「ぼくは昨日と同じネクタイをして、昨日と同じ服を着て、
不器用に、この世を生きているけれど」
名取「ええ」
柄本「それでも僕はまるでちがってしまったのだ」
名取「どうして?」
柄本「あなたと、こっそり、あの店をひらくと決めたからです」
名取「黒田三郎の詩でしょう?」
柄本「私のことでもあるんです。妻にも黙ってこっそり、夢みたいな小さな店を持つ」
名取「(うなずく)」
柄本「それだけで、世界が変わったみたいに胸がふくらんでいたんです」
(P127)


ぞくぞくするようなせりふのやりとりである。
この詩をたまたまわたしが知っていたせいもあるが、うなるほかない。
けれども、このせりふをスマップのだれかと、
そこいらのおねえちゃんでやれるわけもなく――。

(参考)
このドラマのタイトルは同名の曲があり、そこから取っている。
「悲しくてやりきれない」はこのドラマの主題歌でもある。
しみじみいい曲だと思う。いまは流行らないのだろうが。
下記のリンク先で聴くことができます。便利な時代になったものです。

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/kanashikute_yarikirenai.htm


「僕はまるでちがって」(「ひとりの女に」黒田三郎)

僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何も取柄がない
それでも僕はまるで違ってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれて
昨日と同じように不器用にこの世を生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ
「同棲時代」(山田太一/「月刊シナリオ」73年4月号)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和48年放送作品。
山田太一ドラマにはめずらしく原作がある。
漫画「アクション」に連載されていた上村一夫の人気漫画。
映画化もされた。テレビドラマ化はそのあと。
だからか、調べてみたら、だいぶ原作を改変してしまったらしい。
山田太一のような個性の強い作家が原作ものをあつかうとそうならざるをえない。
それでも原作者はこのドラマを高く評価していたという。

原作をまったく知らないわたしが山田ドラマとして読むとものたりない。
せりふが生きていない。音楽(吉田拓郎)と映像による情感を強調したものと思われる。
よってシナリオでそれを味わうのは無理。
画家志望の男と、それを支える女の、淡くも切ない同棲生活は、
いくたびかの困難を乗り越え、結婚を暗示させるところで終わる。
ドラマとしてのレベルはあまり高くないが、山田太一を知るうえでは貴重な資料。
山田太一は才能あるシナリオ作家。
他人の原作をそのまま映像化などできない人間である。
なんとかじぶんの色をだそうと試みた形跡が見られる。
ふだんの独力で書くシナリオならおそらくださなかったであろうものを発見する。
それも冒頭のナレーション。じぶんの世界観をまず打ち出さないと、
このシナリオ作家は筆が乗らなかったのではないか。
ヒロイン、今日子のナレーション。

「私は旅行会社につとめて五ヵ月になっていた。
臨時だけれど、割合月給はいい。毎日沢山の人の相手をした。
ほんとに都会には、人間はいくらでもいる。
そのくせ大抵の人間が、人間に不自由しているというのは、どういう訳だろう。
みんなが、多少とも淋しがっている。
中には死ぬほど淋しい思いをしているひともいるのだ」(P102)


今日子は売れない画家の次郎と出遭う。
部屋へ誘われる。押し倒される。拒絶して逃げる。

「ろくろく知らない次郎のことが頭から消えないのは、
私が孤独だったからかもしれなかった。
沢山の人とつき合いがあったら、次郎のことなど忘れているにちがいない。
あんなに小さな出逢いが、これほど忘れられないのは、
私が多分孤独すぎるからなのだろう。
それとも、こんな気持を恋というのだろうか」(P106)


山田太一は含羞(がんしゅう)のひとである。
いくらナレーションという独白とはいえ、
ふだんなら「孤独」ということばをなまでだす作家ではない。
「孤独」という一字をださないために、何十行、何百行を費やすドラマ作家である。
ところが、この「同棲時代」は原作もの。
山田太一は、なにかをとっかかりにして、この原作漫画の世界へわけいらねばならぬ。
それが「孤独」だったのではないか。「孤独」をとおしてこの原作を理解した。

ここで、はたと気づいたのである。「孤独」ではないか!
山田太一ドラマの最大のテーマは孤独であろう。
こう書くと陳腐きわまりないが、現代人の孤独である。
ひととひとはわかりあえぬ。
わかってほしい。わかりたい。けど、わかってもらえない。わからない。
さみしい。ひと恋しい。ひとを求める。
といっても、あるのは一瞬の感情の交流。またひとりに戻る。
やっぱり、ひとはわかりあえない。諦念が生まれる。人間はわかりあえない。
断念するしかないのか。いや、それでも、と思う。
一瞬はわかりあえたのではないか。それはとても貴重なことではないか。
それがあるためだけに生きていけるというほど、深い慰めになりはしないか。
山田太一が一貫して描き続ける「孤独」である。

話を飛躍して、現代のことを考えると、
いまのドラマがつまらないのは孤独を描いていないからではないか。
それは現代のテレビドラマをそう見ているわけではないけれども、
理由はあほらしくて見ていられないのだから製作サイドに問題があるでしょう。
現代人の孤独というのは、山田太一がテレビで活躍していた時代より、
はるかに深く、どうしようもない断絶になってしまった。
だから、もうテレビドラマであつかえる範囲を超えている。
現代の孤独を本気で描こうとしたらもうドラマが動かないくらいのものになっている。
結果として、いまのドラマは、あたかも孤独などないようなお祭り騒ぎになる。
もちろん、それなりに視聴率は取れている。
孤独を描いていないのにもかかわらず、ではなく、孤独を描いていないがために。
孤独は見つめるものから、忘れるものになったということかもしれない。
享楽の連続で孤独を忘れ年月をやりすごしていく。
いまは山田ドラマふうのものを放送したら、古臭いと受け入れられないと思う。
泥臭い。孤独なんて見たくない。気づかないでいたい。忘れたい。

では、いったいわたしはなんだろうか。
ため息をつくしかない。流行りものには目も向けず、
もうだれもかえりみない古いテレビドラマの絶版シナリオを読みあさっている。
風俗研究をしているわけではない。
笑いたいから、泣きたいから、読んでいる。感動したい。
そして、知りたい。どうしたらこんないいものを書けるのか。
けれども、かりにその創作の秘密を知って、作品にしあげたところで、時代は……。
考えすぎはよくない。このへんで思考を停止する。
更新がとまってしまったブログをよく見かける。
爆発的に流行ったといってもよいブログだが、継続するものは少数である。
といっても、自画自賛をしようというわけではない。
あちらのほうが正常だと、むしろうらやましいのだ。
安定した精神の持ち主なら、ブログなど書き続けられるものではない。
自発的にものを書くというのは、補償作用の意味合いが強い。
内面に満たされないもの、欠落をもつ人間のみがカネにもならない文章を書く。
書くことで、なんとか現実と折り合いをつけようというのだ。
もちろんみながプロのもの書きになれるわけではない。
才能というものがある。
ただ、指摘したいのは、ものを書く、書かざるをえないという背後にある不安定だ。
精神が安定していたら、生活が平和そのものだったら、
だれも文章など書く気にならないはずである。

現代における文学の衰退も、大雑把にいうと、このことと関係している。
いまあつい文学談義をしているものがどこにいようか。
ある作家の新作だけをたのみに生きているというような、
文学に賭けた切実な生きかたをしている読者がどこにいようか。
無理もない話なのだ。
時代は戦後混乱期ではない。
いくらマスコミが社会不安をあおろうが、どう見てもいまの日本は平和である。
硬直的という表現がふさわしいほどに安定している。
安定から文学が生れてくるわけがないのである。
いうまでもなく、だからといって、戦争が起こればいいと思っているわけではない。

話が脱線した。
ものを書くというのは、不安定と関係しているということを述べたかったのだ。
そして、そうだとしたら、ブログを毎日更新するなどほめるに値しない。
熱心なブロガーへどう対応したらいいかというと、
すごいですねと賞賛するのではなく、ひまですねとバカにするのでもなく、
かわいそうですねと哀れむべきなのではないか。
「なつかしき海の歌」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和51年放送。
山田ドラマの魅力はせりふにある。せりふが、なんともしっとりとしている。
水気がある。うるおいがあるのだ。読んでいて、つい声にだしてしまう。
せりふを言いながら、感情がこみあげる。なみだがこみあげる。
山田ドラマのせりふを読むと、はっとさせられる。真情溢れてしまう。
現実的なせりふがある。芝居がかったせりふがある。
山田脚本のせりふはこのどちらでもない。いや、このどちらでもある。
いいな、と思う。何度も読み返すせりふがある。そのたびに胸がつまる。
山田太一は、街で何気ない会話を盗み聞きするのが好きだという。
ふとした会話をいいなと思う。採取する。用いる。山田ドラマの舞台裏である。
一時期、まねをしていたことがある。ひとつも、いいせりふは聞き取れなかった。
山田太一の耳はどうなっているのだろう。とびきり感度がいいのだろうか。
ともあれ、山田ドラマのせりふはすばらしい。
今回の感想で、やたらとせりふを引用しているのはこのためである。

このドラマも、たいしたおもしろさである。
どうして山田太一は、こうも傑作を多産できるのか。
むかしのテレビドラマを知ったら、もう現代のドラマを見ることはできなくなる。

「なつかしき海の歌」。飛行機事故が起こった。
これをきっかけに生れるドラマである。
舞台はテレビ局。番組をさしかえることになる。ドラマから報道特別番組への変更。
テレビ局社員は一喜一憂する。喜ぶもの。悲しむもの。
喜ぶのは、これまで不遇だったニュースキャスター。
独占取材で、ひのき舞台へあがることが可能になる。
いっぽうでドラマのディレクターはいい気持がしない。
これが最後のドラマ撮影だというのに、放送されないとは。
もうひとり悲しむものがいる。無名の女優である。
苦節3年、ようやくテレビドラマの端役を獲得した。
このドラマ番組でデビューするわけだ。その旨をあちこちへ電報で知らせてある。
それが放送されないなんて。
この女優を哀れんだADが報道特別番組のビデオテープを盗みだす。
またもや改変である。報道特別番組は中止。元のままドラマが放送されることに。
ディレクターは犯人を知りあわてる。
かれはこの女優のシーンをすべてカットしていたのである。
せっかくドラマが放映されても、この女優は現われない。
なんとかカットした場面を戻そうとディレクターは奔走するが、かなわない。
こうしてドラマ「なつかしき海の歌」が放送されるところで、
このテレビドラマは終わる。女優はじぶんが映らないことを、まだ知らない――。

運命に翻弄される人間の喜びと悲しみを描いた作品である。
「喜びと悲しみと幾年月」で知られる映画監督・木下恵介の
一番弟子である山田太一にしか描けぬドラマである。
人間が喜び悲しむのは、なんによってか。

「ああ。どうも星回りが悪いのか、ここ二年ばかりついてないよ」(P123)

「おれが言わなくたって分ることだけど、逢ったのは、なんかの縁だからな」(P130)


「星回り」と「縁」である。このふたつがドラマを生む。
「星回り」に支配された人間は、「縁」によって、ときには喜び、ときには悲しむ。
木下恵介と山田太一に共通するドラマ思想である。
「終りの一日」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和50年放送作品。
ためしに「終りの一日 山田太一」でグーグル検索をすると、ヒットするのはわずか2件。
これほどの名作が残念でならない。
講談社文芸文庫から出版されても、読者はまったく違和感がないと思われる。
それにしても、テレビは損である。
たしかに放送時は多くのひとに見てもらえよう。
しかしテレビドラマは残らない(当時)。
シナリオはこうして残るが、この国でシナリオを楽しむものは少ない。
山田太一は、時代からジャンルから選ばれた稀有な存在なのだ。
漫画の勃興時に手塚治虫が登場したのとおなじ関係が、
テレビ業界と山田太一のあいだにもあるのではないか。
ジャンルの成長と、作家の成長が、相互に好影響をおよぼした。
もう漫画界に手塚治虫は現われない。テレビドラマに第二の山田太一は登場しない。
この日本を代表するドラマ作家は、わが国で正当な評価を受けているとは言いがたい。

このドラマの主人公は戦争未亡人。夫も子どももいない。
さびれた漁港のある町で教師をしている。
だが、その教職も校長の嫌がらせでやめざるをえない状況におちいる。
ドラマが描くのは、この女先生の「終りの一日」である。
学校を退職した女先生のもとへ、かつての教え子が現われる。
また仕事が続かず故郷へ帰ってきたのである。といって、家からも追い出された。
青年はかつての恩師の下宿を訪ねる。酒がある。ウイスキー。
のみませんかと教え子はいう。女先生は答える。
「こんな時、酒のむ男は、先生、好かんよ」
今日は特別な一日である。「終りの一日」だ。

「もらおう。ウイスキイ、もらおう(とコップをとり、
お膳へ行き、祐司の傍へ座って)先生に注いどくれ。
お酒でものみたい時は、何遍でもあった。でものまなかった。
そのあげくが、なんだ。辞めろ辞めろといわれて、古くさいといわれて、
時代に合わんといわれて、誰にも感謝されんで、
通り一遍の挨拶だけでやめさせられちまった。早く注がんか。
退職の日が、こんなもんだとは思わなかった。
こんなひとりぼっちのもんとは思わなかった(とのむ。むせて咳込む)」(P108)


「終りの一日」にはじめて酒をのんだ女先生は激変する。
波風が立たぬよう、おとなしく我慢、我慢で生きてきた。そのあげくが、なんだ。
アルコールをきっかけに(酔ったわけでない)先生は変わってゆく。
いまあるじぶんではなく、かくありたいと思うじぶんになろうとする。
かくありたいと欲する。変身を望む。これが演戯というものである。
先生は教え子に、じぶんの半生を語る。徹夜で語る。
早朝、おもてへでる。
一度くらい酔っぱらって早朝におもてを歩いてみたかったというのである。
99回なら我慢もしよう。けれども、最後の1回はちがうぞ。
「終りの一日」なんだからな。先生はかつての教え子を連れまわす。
校長の家へ行く。まだ夜も明けぬ早朝である。
校長をたたき起こす。殴りかかる。ふざけるなという。なめるなという。
学校へ行く。だれもいない教室にたたずむ。
海岸へ行く。夫の戦死の知らせがあった日に、走って来て泣いた場所だ。
夜が明ける。「無人の町なみ。廃屋。海、校庭などが夜明けを告げる」(P114)
教え子が、電車で札幌へ行く。先生は故郷へ残る決心をする。
電車は遠ざかっていく。ホームで見送る先生。もう電車は見えない。

「元気出さなくちゃ。元気出して、
愚痴なんかいわないタクマシーイッお婆さんにならなくちゃ。
イチニ、イチニ、イチニ(と悲しみをふりはらうように両手をあげる)」(P117)
「秘密」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和50年放送作品。
家族は情熱とは相容れない。劇的なものからは距離がある。
たとえ家族のスタート地点である結婚が男女の熱愛の結果であろうと、
家族を営むという行為は、その最初期の情熱を殺すことでもたらされる。
父親や子どもはまだいい。会社や学校という、家族以外の世界をもつ。息抜きも可能。
だが、専業主婦の母親は、あらゆるものから断絶している。
もう女でも妻でもない。ただ母として生きるしかないのである。
そして彼女こそこのドラマのヒロインである。

家族の平和を乱すものは電話である。いたずら電話。
名も知らぬ青年から主婦へ電話がかかってくる。つきあわないか、というのである。
声を聞いたかぎりまだ少年のようでもある。主婦役は中村玉緒。
中村玉緒はこの少年をつきとめ叱りつける。
こんないたずらをする理由を問いただす。ここでの少年のせりふがいい。

「(目をあげ、せきこんだように)オレ、もうじき留萌へ帰るんです。
兄貴と親父が漁師やってんだけど、兄貴が、肝臓悪くして入院したもんで、
オレ、手伝わなきゃなんないんです。
オレは、札幌とか、そういう街の方がいいんだけど、
だからオレ札幌の、車の整備工場へ就職したんだけど、一年ちょっとで、
帰ることになって(と次第にゆるい口調になって目を伏せて行き)
都会へ出て来て、いいことも別になかったし、悪いと思ったけど、
一度くらい、ちょっとくらい悪くたって、
思い出になるような事してみようと思って、
先輩の真似して電話かけたんです。
もうじき、留萌へ帰るから、安心して下さい。
先輩にもお宅へはかけるなっていいます。もう迷惑はかけませんから」(P89)


少年と別れたのちも、なぜか中村玉緒は気になる。
あのじぶんの子どもと変わらぬ年齢の少年を忘れることができない。
家族。主婦。相も変らぬ日常である。
夫は趣味の写真撮影に没頭。
高校生の娘は大学入学を機に家を出ることしか考えていない。
中村玉緒は電話帳で札幌中の自動車整備工場を調べ、少年をつきとめる。
電話へでた少年に中村玉緒は――。

「あのね、もしよかったら、その日曜、
私と半日くらい(ちょっと照れ)デイトしない?」(P92)


少年が札幌を去る日である。
中村玉緒と少年は札幌を歩く。歩く。歩き続ける。別れが、来る。
いったん別れたあと、中村玉緒は少年をひきとめる。路地裏へ連れ込む。
このとき少年を抱きしめ接吻した中村玉緒は、母だったのか、女だったのか。

「こうしたかったの。こうしてあげたかったのに、勇気がなかったの」(P98)

ドラマの終わりは、またもや日常である。
旦那の料理を作る中村玉緒。札幌を離れゆく列車内の少年と交互に映され――。
山田ドラマは、ふたたび日常へ舞い戻る。
あたかもテレビのまえにいる視聴者も、これから、
さて風呂へでも入るか、と日常へ帰参するのを暗示するかのように。
いな、その日常を励ますかのように。背中をぽんと押すように。
「また二人になる日」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和49年放送作品。
家族は、家族の再生産を目的とする。先ほど書いたことである。
では、家族の目的を果たしてしまった家族はどうすればいいのか。
このドラマのテーマである。

ロードムービー。短大卒業をひかえた沢野加恵ははじめての一人旅へ。
この旅行が終わったら、プロポーズへの返答をするつもりである。
九州である老夫婦と出会う。
ことさら加恵に親切にしてくれるこの老夫婦は、実は離婚寸前であった。
旦那はいう。

「いや、こんなことに今頃気づくのはおかしいのだが、
子供がいて、学校だ、就職だ、縁談だと次々厄介なことを持ちこんで来てる間は、
夫婦というものは向き合わないですんでるんですね。
お互いが、どれほどはなれてしまっているかに気がつかないでいられたんです。
気がついても深刻になる暇がなかった。
披露宴の席順をどうするか、引出物はなんにするか、
もっと前なら、就職してすぐシンガポールの出張所へ行くという息子の心配で、
話すことも相談することもいくらでもあった。
しかし、二人きりになり、さあ面倒をかけるものがいなくなったと思ったら、
(薄く笑い)しゃべることがないんですよ」(P75)


この老夫婦と出会ったことで加恵は、プロポーズを断わる決心をする。
最初からあつい恋愛感情はなかった。ただ、条件はそう悪くなかった。
どうせすごい恋愛なんてないんだから、このくらいで手を打とうかというあきらめ。
加恵を結婚へと迷わせたものである。
これではいけない。こんなことじゃいけない。
加恵は1年後の再会を老夫婦と約束して東京へ戻る。
老夫婦の問題は解決したわけではないことに注意したい。

山田ドラマの力学というのは「あきらめる/あきらめない」ではないか。
断念するか、断念しないかである。
人間が生きているとどうしようもない宿命めいたものとぶつかる。
断念しなければならないものは歴然として存在する。
しかし、と思うのだ。だが、しかし。
百回断念したら、一回くらいは、そう一回くらいは断念をやめるべきではないか。
かくありたいというじぶんをめざして行動してもいいのではないか。
これが山田太一の描く「人間・この劇的なるもの」である。
「あきらめる/あきらめない」のバランスこそ、山田太一ドラマを色づけるものだ。

青年の結婚観については、山田太一には秀逸のエッセイが別にある。
「路上のボールペン」に収録されている「決心」である。注記する。
「春日原まで一枚」(山田太一/「月刊ドラマ」83年6月号/映人社)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和49年放送作品。
家族ドラマ。山田太一が描くのはいつだって、一見すると、ありふれた家族である。
お茶の間である家族が山田ドラマを見るとき、ブラウン管は鏡となった。
ありきたりな家族というのは、そうとう各人が努力をしないと成り立たない。
家族がそれぞれ自由にふるまったら家族などすぐに崩壊してしまう。
家族というのは、そもそもあるものではなく、社会があっての家族である。
実社会へ対置するものとして家族がはじめて容貌をあらわす。
カネと契約で成立している(と一般的に思われている)社会というものの存在を条件に、
カネと契約ならぬ「愛」で結びついている(のがよいとされる)家族が誕生する。

家族の維持のために構成員は社会へ出て行かなければならぬ。
父親は労働をして収入を得る。
子どもは、たとえ行きたくなくても学校へ通わなければならない。
なにを目的に学業にいそしむかといえば、父親のようなよき労働者へなるため(男子)。
母親のようなよき主婦をめざす女子もいよう。
あるいは、母親のようになりたくないがために(社会進出!)学業をする女児もいる。
どちらにせよなぜ学校へ行くかという問いの答えは、家族の再生産というほかない。
家族を維持する目的(終着点)は、家族の再生産である。

本作品は、父と息子の成長がテーマ。
父親はよき社会人たるために、会社で上司のミスを背負わせれる。
息子は時計屋で働く。吃音で引っ込み思案。
生きていくというのは甘いことじゃない。
父親と息子へ共通する生きかたである。
かれらを叱咤するのが家族のかなめである専業主婦の母親。

「でも、いまお父さんに我慢して欲しくないの。
お父さん、部長の失敗の責任をかぶせられたのよ。
お父さんに、ちっとも罪のないことをよ、
それでも、お父さん、生きて行くっていうのはそういうもんだって、
抗議もしないで、罪を背負っちゃったのよ。
いま、懲罰ということで、平に格下げになってるの」(P56)

「邦男(息子)も、我慢しすぎないで頂戴、
我慢しすぎてるお父さんの傍で、あなたもなにか我慢してるの見るとお母さん、
たまらなくなるのよ」(P56)


父親は妻に励まされ、社長へ直訴をする。息子は、そんな父親を見て励まされる。
あきらめてばかりいちゃいけないんだと思う。
もう別の人間と婚約が決まっている恋人のもとへ愛を伝えに行く。
かくあるじぶんがいる。ダメだと思う。かくありたいと行動する。
山田ドラマが一貫して描く庶民のすがたである。
息子の求愛は成功する。家族の再生産に成功したのである。
すぐさま息子は公衆電話から母親へ報告する。

「もう、僕、吃らないよ」(P62)

さすがにこの結末は甘すぎるとしらけたことをわたしは報告して感想を終える。
先ほどのことです。場所は近所のスーパー。
レジで会計を終え、袋詰めという段階。ふとレシートを見たのが失敗でした。
間違えている。といっても、こちらが損をしたのは、わずか30円。
指摘するかどうか。こういうときにその人間の地がでるのです。
あれは意識した行動ではない。無意識にちがいありません。
その場でレジへ向かい、言ってしまう。
「計算がちがってますよ」

言ってから、おのが行動のミスに気づく。
即座にこの小心者は言い直す。
「といっても30円だから、まあいいです」
ときすでに遅し。
レジのおばさんが大声をだす。
ベテラン。じぶんが失敗をするはずがないと思っているのです。
「いいからこちらへ来てください」
自信満々であります。
やめてえ、とこちらの精神は悲鳴をあげている。
なんでそんな自信があるの? 
このおばさんに恥をかかせることになってしまいます。
もうどうしようもありません。おずおずレシートを提示。
ただしいのはこちら。
「あらあ!」
ここでまたレジのおばさんは高い声をだす。

おりしもレジ付近はものすごい混雑。
レジへの行列も半端ではない。
ケチであるわたしが指摘を逡巡したのはこのため。

パンダになりました!

その場にいた十数人の買物客が、みないっせいにわたしへ注目します。
やめてください。わたしをそんな見ないでください。
たかが30円でレジのミスを指摘した人間とばれてしまったのか。
もうこの場からなにもいわず逃げだしたいくらいでした。
レジのおばさんはそれを許さない。
計算をしなおすという。けれども、どうしたらいいのか迷っている。
このレジには長蛇の行列がついているのです。
「30円をください」
あせったわたしが言う。
受け入れられない。このおばさんの流儀がある。
まず80円をわたされる。
ここから50円をくれというのです。
いうまでもなく指示に従いました。

ここでようやく衆人の監視から解放されたしだい。
このやりとりをみなから見られていたのだと思うと、なんとも言えず恥ずかしい。
そのレジへ並んでいたひとへ軽くあたまを下げレジを去りました。
大失敗である。
わずか30円をケチったばかりにこの恥辱。
あのレジのおばさんもただでは済むまい。
スーパーのおばさんが、かげでなにを話しているか想像するとぞっとします。
もしや、と思う。
あだ名をつけられてはいないか。そのあだ名は「30円」。
近所なので明日も行くかもしれない。
店内へ入る。瞬間、みなが「30円が来た!」と思うのではないか。
ああ、後悔してもあとのまつりであります。
問いたい。みなさまならどうしますか。
レジを済ませたのち、30円、計算を間違えていると気づいたら……。
ところがどっこいなのである。
感動する。小説でも戯曲でもシナリオでも、なんだっていい。
心底から感激する。胸打たれる。落涙する。
すると、どうだ。驚くべきことが生じる。
道行くひと、すべてが美男美女に見えるのだ。
あのひとも、かのひとも、それぞれ美しい。
人間っていいなと思う。
見知らぬひとの会話の断片を耳にしただけではっとする。
みなみなすばらしく思える。
生きていることをありがたく思う。
芸術作品の功徳がもしあるとすれば、こういうことではないか。
テレビで美男美女を見ても、なんら興味がわかない。
こころ躍らぬ。
かといって、情報番組で見かける一般人にひかれるわけでもない。
まあ、美醜以前に人間がきらいなんだな。
こればかりはどうしようもない。救いようがない。
治さなければと思うが、努力してなんとかなるものなのかどうか。
優良ブログはたいてい、ぱっと開くと「はじめに」が書いてある。
もしくは「このブログの読みかた」といったようなもの。
うちも何度それを書こうと思ったことか。どうしてもできないのである。
じぶんのブログをうまく説明することができない。
言い訳もある。じぶんの顔を見ることができるものはいない。
鏡にうつっている顔は左右反対。

いつだったか。だいぶまえである。
こんなことはこれ一度きり。あるブログで「本の山」が紹介された。
リンクまではっていただいた。
そのときの紹介はこうである。
――このブログの「雑記」がおもしろい。

ふむ。うなるしかなかった。
うちのブログはカテゴリー「雑記」がおもしろいのか。
内幕をばらすと、いちばん手を抜いているのが「雑記」。
これを書いているときは、ほとんど酔っぱらっている。
思い直す。「雑記」がいちばんだというのは、もっともかもしれない。

「本の山」は3系統にわかれる。
・本の感想
・創作日記
・雑記(買った本の報告)

メインは本の感想である。勉強日記。学習報告。
だが、これがつまらないのはわからないでもない。
他人が読んだ本など、ふつうは興味を持たないでしょう。
かりにその本をじぶんも読んだことがあれば、多少の興味もいだくだろうが、
著者の名前さえ知らないような書籍の感想文など読む気がしないのが通常である。
プロの作家でもむずかしいのが書評というもの。
その本を読んだことのないひとに、原本にまつわるなにかを伝えようとするのだから。

書評で批判をするのでも楽ではない。
読み手は、その対象を読んでいないのである。
まずその書物の概略を紹介して、それから批判となる。
プロでも書評で成功するのはむずかしいのではないか。
それをプロでもないわたしが継続してやろうとしているのが「本の山」である。

「創作日記」は、まったく私的なもの。
唯一、このカテゴリーだけはあまり読み手の都合を考えていない。
じぶんのために書いている。いいかえれば、もっとも心血を注いでいるのが「創作日記」。
しかし、そういうものはえてして読み手には不評なことを知らないわけではない。
書かざるをえないだけである。

とすると、やはり「雑記」がうちのブログの「売り」となるのか。
哀しいようなさみしいような、それでもそれでも読んでもらえると嬉しいのだから複雑だ。
毎月1回の荻窪行脚。
引越しするなら荻窪しかないと思っていますが、調べてみたら家賃が高い~。
さっそうと、ささま書店へ。名物の百円棚をチェック。
あらまあ、なんとも間が悪いといいましょうか。
かつてじぶんがそれなりの価格で買った本が多数105円(税込)で並んでいる。
かなり落ち込む。たとえば――。
「バーナード・ショー名作集」「モリエール名作集」「モリエール笑劇集」。
このほかにも所持している戯曲が複数、かわいそうに百円でさらされている。
購入してだれかへプレゼントしようとも思ったが、もらった本ほど迷惑なものはありません。
あきらめる。見なかったことにする。
今日はどうも古本の相性がよくない。
ほしい本はあるにはあるのだが、どれもあたまの悪そうな線引きがなされている。
売ったのは、まちがいなく同一人物でしょう。
線引き本(ライン本)、書き込み本は、よほどのものではないと買いません。
ええ、百にひとつも買わないのですから。
けれども、やむなく1冊購入。

「中国の思想」(溝口雄三/放送大学教育振興会)絶版 105円

ぱらぱらめくると、いま知りたいことが書かれている。
中国の思想の変遷のみならず、それが日本へどのように受容されたかが、
詳述されているのです。
勉強をするのなら、もうあと1、2年しかないと思っている。
これを逃したらもうなにかを学習する機会はないのではないでしょうか。
生涯学習がうたわれている。だけど、まあ、あんなものを本気にするものはいません。
60歳を過ぎた人間が虚心にものを学べるはずがない。
どうしてもじぶんの(取るに足らない)人生経験を引き合いにだしてしまう。
読書をしながらも、どこかで実人生はこんなものではないと思ってしまう。
この態度をまちがえているとはいいません。これがただしいのです。
読書などというものは、実際、なんの役にも立たない。
ある程度の年齢になれば、生活体験を積めば、おのずから明らかになる。
人生を知らないものだけが、命がけで書物と向き合えるということです。
今現在、大作家とされている人物も、だれとはいいませんけれども、そのたいがいが、
青年期の読書体験を老年になってもひきずっていることに気がつきませんか。
若いうちにしか読書はできない。
作家デビューしてしまったら、対談やら雑文やらで忙しい。
当然、驕(おご)りも生じるでしょう。
勉強をする目的がなくなるわけです。売れれば、なおさらのこと。
なにがいいたいかというと、作家でさえも、年をとると読書をしなくなる。
いましかないとわたしがあせって読書をしているのはこのためです。
線引き本を、そうと知りながら買った理由も同様。

ささま書店での収穫はこの1冊のみで、さみしいかぎり。
来月に期待するよりほかない。つづいてブックオフ荻窪店へ。
いつもはバランスが取れているのです。
ささま書店で不漁のときはブックオフで帳尻があう。
ところが本日はブックオフのほうも不調。わずか3冊でした。

「オウムをやめた私たち」(カナリアの会/岩波書店)品切れ 105円
「現代無作法読本」(高橋義孝/文春文庫)絶版 105円
「フェンス」(オ-ガスト・ウィルソン/桑原文子訳/而立書房) 105円
酔ったいきおいで、どでかいことを語ってみよう。日本文化論。
日本の歴史において、最大の変化といえば明治の近代化。
ここで日本史が二分されるわけである。学者の主張だけではない。
高校や予備校で日本史を学んだかたはご理解くださると思う。
1学期は明治維新まで。2学期は太平洋戦争まで。そうではなかったですか。
こうして戦後史を学ばないまま受験戦争へ突入する学生が多いのは、
いまわたしが述べようとしていることと無関係だから省略する。

今回、書こうと思うのは、この明治維新に比する大きな変化が
いまの日本で起こっているのではないかということである。
それはネット革命。インターネットの普及により生じた変化である。
これはまさしく革命とよぶにふさわしい。
フランス革命のような市民革命の起こらなかったこの国で、
有史以来はじめて発生した革命といっても大げさではないように思われる。
日本では市民革命は起こらなかったが、ネット革命が生まれた。
何百年後かの学生は、そう学習するのかもしれない。

では、ネット革命とはなにか。
「負け組」の反乱である。
本来なら表舞台へ意見などできなかったような「負け組」が、
ネットの普及により発言が可能になった。
いままで発言権を持つものは「勝ち組」ばかりだったわけである。
国民全体へなにかを主張する役割をまかされていたのは、
新聞、雑誌、テレビ、ラジオ――。
いうまでもなく、これらマスコミへ登場する人物は「勝ち組」のみ。
各々の分野でひとかどの人物である。成功者というほうがわかりやすいか。
まあ、そこいらの人間ではないことは同意してくださると思う。
いままで世論をになってきたのは、これら「勝ち組」だったということである。
というのも、世論=我われ一般人が目にする意見といえば、
このような「勝ち組」のものしかなかったからである。

ここにいたって、ネット革命の意義を納得していただけるはずである。
インターネットでは、だれもが、ということはつまり、有名無名に関係なく、
意見を述べることができる。
読まれる、読まれないは別にして、とりあえず主張をすることだけは可能。
これを軽んじるなかれ。大革命と認識すべきである。
少しまえまでは、一般人(無名の人間)の思っていることなど、
どこにも発表する場がなかったのである。
新聞の投稿欄があるというかもしれない。けれども、あれは選ぶひとがいるでしょう。
テレビの街頭インタビューも同様。放送コードに引っかからない人間のみ登場可能。

ところが、そう、ネットの世界には検閲者がいない。
「勝ち組」の検閲が入らない。
だって、新聞記者もテレビ会社員も「勝ち組」というほかないエリートでしょう。
だから、ネット革命のすばらしさを声高に主張したいのである。
インターネットは、言論におけるかつてない革命である。
ネット世界においては、有名人の高言も、無名人の具申も同列に並べられる。
それはもちろん、有名人のものを読むほうが多いだろう。
だが、少なからず、無名のほうの人間の訴えも、
もしそれがなにか意味があることならば、
そしてそれがたとえマスコミからは無視されるたぐいのものであったとしても、
読んでもらえる可能性が残っているのである。
わたしが日本史上、はじめての革命というゆえんである。
(万葉集も催馬楽も川柳も、いちおう選者がいますよね)。

最初の革命が匿名掲示板、2ちゃんねるであった。
この掲示板の果たした役割は大きい。それからブログの流行である。
2ちゃんねるのほうは、だれが発信した情報だかわからない。信用できない。
だが、ブログは発信元の個人が、2ちゃんねるよりは限定される。
おなじブロガーの書くほかの記事をいくつか読めば、情報の真否は想像がつく。
2ちゃんねるからブログへといたるのが、ネット革命の歴史である。

以上がいうなれば公的な主張。ここからは、いわば私怨である。
気に食わないのだ。いまのニッポンのガンバリズム!
がんばれば報われる。成功者はみんながんばっている。敗残者は自業自得。
いまの日本にはこういう風潮がありませんか。
理由は簡単で、マスコミで発言するのが「勝ち組」オンリーだからである。
成功者はこう考える。
じぶんが成功したのだから、おなじようにがんばれば、ほかのひとも成功できるはず。
この「勝ち組」は運といったようなものを決して考えない。
だれもが生まれ落ちたときは平等。おなじ資質をもち、同時期にスタート。
だから、成功したじぶんは、努力した結果だ。これが「勝ち組」の思考法。
世の中には、運の悪いひとがいて、どれだけ努力しても報われないことがある。
「勝ち組」ではない、このブログを読んでくださっているみなさまには、
おそらくこんなことは常識ではありませんか。
原爆で死亡した無数の人間は努力が足らなかったのですか。

これにて「負け組」の、だれからも読まれないであろう演説を終わります。
わかります。わたしも有名人の発言は嫌いではありませんから。
がんばっていたら、いつか報われると信じたい。哀しいかな、これが人間というものです。
「猟銃・闘牛」(井上靖/新潮文庫)

→井上靖の初期小説集。昭和24年、「闘牛」で芥川賞を受賞。
読者はなぜ小説を読むかといえば、ひとつには人生のからくりを知りたいということがある。
我われの生きているこの人生はそれぞれ唯一無比のものだが、
頭から足先まで、どっぷりそのただ中へ浸かっているので、全体像が見えない。
客観視することができないのである。主観から離れられぬ。
小説ならば、他人の人生をいささかは客観的に見ることができるのかと期待する。
かくして小説は読まれるわけである。

小説の動因というのは、どこから生じるのか。
小説を動かしているものは、我われの人生を左右するものとおなじなのか。
小説は作家によって書かれる。作中人物は作者に動かされるわけだ。
だとしたら、我われさえも、なにものかに糸であやつられているとはいえぬか。
作者の手から離れたいという欲望は、小説の主人公の比ではない。
実人生を生きる我われの深刻な問題である。
果たして我われは小説を読むとき、そこに主人公の自由を見るのか。
それとも作中人物の作者への屈服を確認するだけなのか。
一瞬でもいいから、小説内の無形の男女は、作者の監視から逃れることはないのか。

入れ子構造である。
小説の登場人物は作者に支配される。
作者の人生は、たとえれば神のようなものに支配されている。
読者の人生も、作者同様にあるものの監視下にある。
ここで問題が生じる。読者は疑問に思う。
小説はだれが書いているのだろうか。
作者個人か。それとも個人の背後に存在する全体が作者の手を動かしているのか。
もし後者だとすれば、作中人物も、作者も、読者も、みないちように等しいことになる。
だれもかれもお釈迦さまの手のうえで転がされているという思想だ。
この地点まで到達して、そこから物語が開幕するのだと思う。
井上靖は、おそらくその高みにいる。
だが、どうやって個人がその高所へたどりつけるのか。
方法はないのかもしれない。個人がいくら努力しても、どうなるものではない。
登山許可証の発行されていない人間は、どうあがいたところで山頂へ登れぬ。
天賦の才能がないものは、いかなる手を講じても物語を作れぬ。
そういうことなのかもしれない。

「これもまあ星廻りとでも言いますか、
私の持って生れた不運でございました」(P40)

「人間の持っている蛇とは何でありましょうか。
我執、嫉妬、宿命、恐らくそうしたもの全部を呑み込んだ、
もう自分の力ではどうする事も出来ない業(ごう)のようなものでありましょうか」(P74)

「幸運が常にその為すとこについて廻る、
いわば三浦の持って生れた星廻りのようなものこそ、
津上の持っている、ともすれば破局へ突き進もうとする全く対蹠的なそれと、
根本的に相容れないのであった」(P174)
「こころの処方箋」(河合隼雄/新潮文庫) *再読

→本書「こころの処方箋」の別名をつけるならば「人とうまくつきあう法」。
あるいは、「幸福」になる方法。むかしから書き続けられてきたテーマである。
河合隼雄の好む表現に「近所迷惑」というものがある。
本書に一貫する論調は、近所迷惑を避けようである。
そのための処方箋が本書だというのである。
隣近所と大戦争をする人生があってもいいはずだが、
それは河合隼雄の説くところではない。
河合隼雄の根っこにあるのは心理療法家としての体験。
河合隼雄は異常を正常へ戻すがわにいる人間なのである。
戦争をしずめ平和を取り戻すのが河合隼雄の役割ということになる。
このエッセイも、癒し系などと分類されることであろう。
どこかに書かれていたことだが、困っている知人がいると、
この本をプレゼントするバカもいるそうである。
ああ、こんな本を読んで、納得しているじぶんが恥ずかしい。

赤面しながら、どのように癒されたのか告白する。
「ふたつよいことさてないものよ」。
河合隼雄の好きな呪文だという。
たしかにそうだよな、なんて思う。
いま騒音過敏症で苦しんでいる。だけど、この疾病のおかげでいいこともある。
治したいと真剣に願っているから、切実な勉強をするようになる。
仏教書なども身を入れて読むことが可能になる。
うわあ、安易なプラス思考じゃ~。

「同じ『運命』でも演奏次第で値段が違う」。
ここはそのまま引用する。
アマゾンのレビューでも引用をするアホがやたら多かったことを付記して。

「運命があるかないか、などと議論してもはじまらない。
そんなことはわかるはずがない。
要はどちらの考え方をとるかということで、筆者は、運命がある、
と考えるのが好きな方であるが、われわれの人生は、
そのような『楽譜』を与えられるにしろ、演奏の自由は各人にまかされており、
演奏次第でその価値はまったく違ったものになる、と思っている」(P126)


うんうん、などと何度も首肯してしまう。
この小文の「楽譜」を「台本」へ、「演奏」を「演戯」へさしかえたら、
これはそのまま福田恆存の評論「人間・この劇的なるもの」のテーマになる。
人間存在を、人生全体を、まじめに考えたら、
どうしたって宿命論者、運命論者になると思う。間違えていますかね。

最後にもうひとつ引用。笑ってしまった。

「一人でも二人であることを、少しおもしろくするために、
ぬいぐるみなどに名前をつけて、一緒に住んでいる人もある。
帰宅したときにも『今帰ったよ』とか、
『今日はこんなことがあってね』とか話しかけるのである。
うまくゆくと、ぬいぐるみの方からも
いろいろおもしろいことを喋ってくれるはずである」(P156)
「ユング心理学入門」(河合隼雄/培風館) *再読

→7年前にはじめて読んだときは、たいへん刺激されものだが、
多少の人生経験を経て、いまになって再読してみると、複雑な思いをいだく。
おもしろいことはおもしろいのである。珍説・奇説のオンパレード。
もしここに書かれたことがほんとうだとしたら、生きるのがずいぶん楽になる。
では、事実かどうか確かめればよいではないかと言われそうだが、
どうしたってユングの学説は確認しようがないのである。
信じるか、信じないかの問題になる。
「元型」「ペルソナ」「影」「アニマ」「アニムス」「自己実現」。
いずれもユング心理学の述語である。
どのひとつを取っても客観的に存在を認知できるものはない。
どれもが主観的に感じるしかないものなのである。
あるといえばあるし、ないといえばない。
まあ、あると考えたほうが生きやすいひとがいるというくらいは客観的な事実といってよい。

そもそもなんらかの学問としてこの心理学が創設されたわけではない。
なら、なんのための心理学か。
神経症の患者の治療を目的としてユング心理学は誕生した。
よって、我われはこう問うべきなのである。これしかないのだ。
果たしてユング心理学に基づく心理療法で神経症は治癒するのか。
ごたくはもういらない。学説の正誤など知ったことか。

治るのか?

これこそ最重要問題なのである。
しかし、河合隼雄は本書でこの問いに答えることはない。
といっても、それは河合隼雄の手落ちというわけでもないのだ。
心理療法家の守秘義務のためである。患者の秘密を守らなければならない。
こうなると、もうどうにもならない。
信じるか、信じないかだ。
河合隼雄は多くのクライアントを神経症から救ったと信じるか。
それとも、医師免許も持たぬ男が神経症を治療できるはずがないと思うか。
ふたつにひとつである。

心理療法がなまやさしい仕事ではないことは想像がつく。
こういったブログをやっているせいか、こんなわたしでも(こんなわたしゆえか)、
深刻な告白をされることがある。すると、神経がずたずたになる。
何日も本が読めなくなる。酒びたりになる。
とてもじゃないけど、じぶんにはカウンセリングはできないと思う。
心理療法家もわたしとおなじ人間。
どうして精神が参ってしまわないのかというと、ここでユング心理学の登場である。
ユングの教えを信じることで、精神の危機を乗り越えるのではないか。
ノイローゼになるということは、自己実現の可能性が残されているということ。
そう思って(いな信じて、いな念じて)クライアントの回復を待つ。
そのとき患者とともにおぼれてしまわないための浮き輪がユング心理学なのだろう。

問題をじぶんに引きつけて考えてみよう。
わけしり顔でごたくを並べるのなら、それは凡俗なユング学者とおなじである。
わたしは神経症患者である。ここからスタートしようではないか。
不眠症、アルコール依存症、騒音過敏症をわずらっている。
さあ、どうするか。ふたつにひとつである。ユングを信じるか、棄てるか。
すなわち、ユング心理学を学んだ心理療法家の治療を受けるか受けないか。
結論。冗談じゃない。受けるわけがない。
こういう心理療法というのは保険が利かない。
1回の面談で安くても1万円。高名な先生だと数万円は覚悟しなければならない。
こんな面談を月に何回も、さらに数ヶ月にわたって受けるひとの気が知れない。
自身の(=他人のではない!)不眠症、アル中、音恐怖症が、
こんな夢物語で治るなど、とうてい信じられぬ。
あまりにあっさりと結論に到達してしまったので、じぶんでも驚いている。

けれども、ユング心理学はおもしろい。これも否定できぬ事実である。
著者は夢と劇との類似を指摘する。棄てるには惜しい卓見なのでメモしておく。

「劇が一つの問題場面の設定と、その解決としての様式をもっていること、
および、劇の観客が主人公との同一視による情緒反応により、
浄化されることなどは、そのまま夢にも当てはまることである。
しかし、ここで大切なことは、夢においては、
各自が「自分自身のシェークスピア」として劇を作るのみでなく、
演出家であり、出演者であると同時に、観客でさえある点である。
つまり、夢においては、それを演じ、
観ることの両方から浄化される度合いが倍加するわけである。
このため、夢を見ること自体、すでに治療の意味をもっているとさえ考えられ、
神秘劇がそのような役割をもっていたように、
「夢こそは、治療的な神話である(therapeutic myth)。」
とまでいうことができる」(P167)
「日本文化のゆくえ」(河合隼雄/岩波書店)品切れ

→河合隼雄を心理学者や心理療法家とするのはあやまりではないか。
宗教家というのが、ただしい。
最上の宗教家が常にそうであるように河合隼雄もペテン師とかみひとえである。
キリストやブッダのことばに学問的裏づけを求めるものはいない。
同様、河合隼雄の発言も学問的正確さとは別次元で受け取らなければならない。
理解するたぐいの論文ではないということである。
納得するもの。もっといえば、信じる、信じないが問題になる。
人間にはだまされる幸福がある。
どのみち人間はなにかを信じなければ生きられぬ。
この世に信じるに値するものはなにもないということを信じて死ぬのも結構だが、
たいしておもしろい生きかたとは思えない。ありきたりだ。
なら、なにを信じるか。河合隼雄の主張はこのレベルへ食い込んでくるものである。
凡庸な学者が、学問レベルで河合隼雄を批判しようというのが間違えている。
河合隼雄の発言の根拠は学問などではない。
無数の臨床体験である。人間苦といってもよい。
河合隼雄はじっとクライアントの苦悶に耳を傾ける。人間のうめきによりそう。
そこから生まれてきたのが河合隼雄の言説なのである。
正誤や論理性を問うのは、見当ちがいもはなはだしい。

河合隼雄の日本文化論は、巨大な物語である。
ノンフィクションというよりも、むしろフィクションというべきだ。
河合隼雄の文化論に一貫するキーワードを見つけたので、その部分を引用する。

「宗教のことを詳細に論じるには、筆者の知識は不足すぎるが、
日本人の仏教は多分にアニミズムに通じている感じがする」(P250)


感じがする! これだ! 
河合隼雄の文化論は著者の「感じ」を表明したものなのだ。
「理論」や「分析」というよりも、個人的な「感じ」の具申。
河合隼雄の多岐にわたる著作を、これほどうまくまとめられる用語はない。
感じ。感じがする。これは学問ではない。
河合隼雄は個人的感触から物語を創造(捏造?)する。
つじつまをあわせるとまでいったら、氏の著作を愚弄したことになるのか。
都合のいいところだけ欧米と比較する。論拠になるところだけ神話から抜粋する。
日本神話もギリシア神話も、神話としては彼我を共通に論じるが、
日本人論になると、なぜか一神教との相違を大仰にもちだしてくる。
ここにいんちき臭さをかぎつけるものは多いが、
それは河合隼雄の実体を誤解しているためである。
何度もいうが、河合隼雄は学者ではない。宗教家なのである。
人間のたましいを癒す存在。
河合の文化論は、病んでいるこの国の民全体へもたらされた福音と捉えるべきだ。

河合隼雄の発言で、いちばん信用にたるのは宗教へ対してのものである。
信仰の内実というのは、学問にはとりあつかえぬ領域である。
そこを河合隼雄は実にうまくすくいとる。宗教家たるゆえんである。
学者にはこうも宗教を明確にいいあらわすことはできまい。
少し長いが引用する。近代科学と宗教を対比させている。

「わかりやすい例として繰り返しあげることになるが、たとえば、
最愛の人が交通事故で死亡したとき、誰でも「なぜ」と問うであろう。
これに対して自然科学はすぐに答を用意できて、「出血多量」などという。
しかし、これはその人の心を納得させるものではない。自然科学は、
人間の死をある個人とのかかわりを切り棄て「客観的」に記述している。
しかし、このときの「なぜ」は、自分とのかかわりにおいて
「なぜ私の最愛の人が事故死しなくてはならないのか」を問いかけているのである。
このとき、自分自身とのかかわりのなかで、その事象を理解する際に、
自分の意思や思考などを超えた存在を前提とせざるを得ないと感じるとき、
そこに宗教が発生すると考える。
自分自身とのかかわりを切ることなく事象に接し、そこに自分の存在を超えるもの、
あるいは、少なくとも自分の知的理解を超えるものを感じとり、
あくまでもそれを避けることなく理解しようとし続ける態度を
「宗教的」である、と考える。
このような態度のなかから、これまでに全世界において、
それぞれの体系をもった「宗教」が生まれてきたし、現在も生まれつつある。
そのなかで、世界宗教と呼ばれているようなものは、
世界のなかで相当多くの人がそれを共有しているわけである」(P219)
「山本周五郎のことば」(清原康正/新潮新書)

→山本周五郎は狂っている。狂信している。
貧乏人は絶対に正義。金持はいつだって悪い。
庶民はいつも虐げられているが、その実、正しいのはこの弱者のほう。
権力者はいつの時代も悪かつ横暴で、庶民は常に苦しめられている。
苦しい日々を送っている庶民こそ、人生をわかっている。それは哀しいものだ。
つらい思いをした人間は、他人の痛みを、哀しみを理解することができる。
この哀感を基盤に、貧しい庶民が助けあうさまは美しい。山本周五郎の文学である。

狂っている人間にしか書けないものがある。
冷静に考えたら、山本周五郎の善悪基準はおかしいでしょう。
けれども、そんな常識では人間は感動しない。
山本周五郎の狂気ゆえに、自らを庶民だと思う読者は励まされる。
かの作家の力強い断定に元気をもらうのである。
山本周五郎の創作の泉を想像すると怖気が走る。怨恨、嫉妬、劣等感、独善主義――。
だが、これらすべては文学として結晶することで肯定される。

人間・山本周五郎のゆがみはこうである。

「私はインフレ原稿料というものを、ついに一度も手にしたことがないうえに、
或るときなど持って来た記者の出しかたが気に障ったので、
かなり多額な(私としては)稿料を灰皿で燃してしまったことさえあった」(P175)
「愛ってなに?」(山口瞳/新潮文庫)絶版

→お酒をのみながら短編小説集を読む。
日本経済が成長していた時代は、サラリーマン生活もこういった読み物になる。
いまは、いまという時代は、どうなんだろう。
もうどうにもならないよな。
病的なものしか、サラリーマンが主人公では無理ではないか。
山口瞳のような健康的なサラリーマン文学は現代ではどうしたって不可能。
サラリーマンとは、近代資本主義が産みだした労働形態。反復と退屈を特徴とする。
この灰色の生活へ、さっと赤色の絵の具をかける。「愛ってなに?」と問う。
山口瞳の小説である。古き良き時代の読み物である。
「二十四の瞳」(原作:壷井 栄/脚本:木下恵介/新潮文庫)絶版

→何年かまえ、渋谷で行なわれた山田太一の講演会へ行ったことがある。
この「二十四の瞳」について、言及していたことを思いだす。
断念ということを、山田太一は、ゆっくり話しながら考え、また考えながら話していた。
安易な断定をかたくなにこばむ誠実さに圧倒された。

こんな内容であった。
卒業式の来賓は、みないちように学童を叱咤する。
夢を持てという。無限の未来などという。がんばればなんでもできるという。
そんなことはないわけですね。すべての子どもがプロ野球選手になれるはずがない。
やはり人間には、宿命というほかない、限界がある。
人間は、断念しないと生きていくことはできない。
これはある意味、とてもネガティブな考え方だけれども、
がんばれ、がんばれではひとはかならずいきづまる。
断念をしなければならないときがある。
では、断念してそれだけかというとそうではなく、人間にもできることがある。
泣くというのが、それです。人間はどうしようもない現実をまえに泣くことができる。
これはとても貴いことだと思う。

この文脈で、山田太一は「二十四の瞳」を持ちだす。
大石先生のあるせりふに注目する。
場面は作文の授業で、テーマは「将来の夢」。
生徒のひとり、富士子は泣き声をあげる。作文が書けないのである。
家業が傾いてついに破産してしまった娘、富士子は、将来の夢など考えることもできない。
行きたかった修学旅行にも参加できなかった。

「先生、私のうちね、もう何時まで住んでいられるか分らないんです。
もう人の物になってしまって……」
「もういいの、何にも云わなくってもいいの、
先生にも、どうしていいか分らないけど、
あんたが苦しんでいるの、あんたのせいじゃないでしょう、
お父さんやお母さんのせいでもないわ、
世の中の、いろんな事から、そうなったんでしょう、
だからね、自分にがっかりしちゃ駄目、
自分だけはしっかりしていようと思わなきゃね、
先生、無理なこと云ってるようだけど、先生もう他に云いようがないのよ、
その代り、泣きたい時は、いつでも先生のところへいらっしゃい、
先生も一緒に泣いてあげる」(P132)


一緒に泣く。それくらいしかできない。
現実は断念するほかなく、人間はどうしようもなく孤独だけれども、
いな、だからこそ、この一緒に泣くということの美々しさが増す。
山田太一の主張である。

映画の最後で「泣きみそ先生」とあだ名をつけられる大石先生は、
この映画の冒頭から終末まで、たしかに泣きどおしである。それはとても美しい。
個人は巨大なものへ翻弄されるばかりである。なにもできない。
大石先生がどう行動したところで時代のうねり、戦争をとめることはかなわないのだ。
大石先生は泣く。大石先生の涙は受動ではなく、能動である。
泣かされているのではない。泣いているのである。これは大きなちがいだ。
この意味において映画「二十四の瞳」は時代ではなく、人間を描いているといえよう。
「新・喜びも悲しみも幾歳月」(木下恵介/新潮文庫)絶版

→木下恵介は黒澤明のライバルと評された時期もあったが、現在の評価は天と地。
すっかり忘れられた映画監督になっているという。
わたしは山田太一の師匠というラインから、
あまり期待もせずにこのシナリオ本を手に取る。

上質な人情ドラマ。正々堂々としたセンチメンタリズムが胸を打つ。
読みながら、涙がとまらなかった。
この映画で描かれているものはなにか。タイトルそのままである。
人間の「喜び」、人間の「悲しみ」は、「歳月」によりもたらされる。
生まれる。成長する。老いる。死ぬ。ひとの一生である。
生死にはさまれた人間は、生きているあいだ、人間と出会い、別れる。
これがドラマである。ほかになにがあるか。強い信念を木下恵介は持っているに相違ない。

出会う。別れる。また出会う。
これがドラマとするならば、ドラマなるものはなにによって生じるのか。
縁である。木下恵介はことさら縁を強調する。
これはスクリーンで見ていたら気がつかないかもしれない。シナリオゆえの発見。
目についたものだけを引用してもこうである。

「不思議な縁だ」(P64)
「私だって、親には縁が薄かったんだから」(P120)
「ほんとにありがたい御縁よ」(P151)
「御縁がありすぎたんですよ」(P162)


木下ドラマの人物は、おのおの縁を噛み締める。
ほかの人生ではなく、こうしかなりようがなかった、めいめいの人生を味わう。
そこに感傷が生まれる。観客を泣かせる感傷である。

いくつもすばらしいシーンがある。
たとえば、こんな場面。好きだな。
灯台守の長尾は独身。かつての上司から結婚相手を紹介される。
その娘はあまりにも美人なので(紺野美沙子!)長尾は戸惑う。
じぶんにはもったいない。つい冷たくしてしまう。
ご縁がなかったのかというとそうではない。
ある晩、巨大な台風が長尾のいる灯台を襲う。長尾は生死をさまよう。
死ぬかと思ったが、なんとか生き延びることができた長尾は叫ぶ。

「次長、(顔を上げて)俺、結婚します、あの人と。
命があるうちだ。愛して、愛して、愛し抜いてやるんだ」(P98)


いいよな。いい。センチメンタルだ。なのに、ではなく、だから、いいのだ。

解説を弟子の山田太一が書いている。
山田太一が木下映画の特徴として書いていることは、そのまま山田ドラマにもあてはまる。

「人間というものは、やりきれなく、どうしようもないものだという
不信と諦(あきら)めのようなものが、
見かけはあたたかくさえ見えるシークエンスの底を流れている。
そして、そうした他者への不信と諦めと、
そこだけにとどまりたくないという希求とのせめぎ合いが、
この作品の、半ばかくされた主調音である」(P205)
「季節が変わる日」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。
戸塚ヨットスクール事件をネタにして書いたのだろうと思って調べてみたら驚きである。
あの体罰事件が表面化したのは1983年。
このドラマはその1年前の1982年に放送されている。
山田太一の時代をよみとる嗅覚には驚愕するほかない。

大和書房へ感謝をしたい。
この時代にシナリオ文学を広めようとした大和書房の冒険へ拍手したいのだ。
一度、出版されたら、絶版になろうが古書として流通する。
いまその恩恵にあずかっていることをしみじみ感じる。
大和書房の挑戦は失敗に終わった。この国にシナリオ文学が根づくことはなかった。
けれども、山田太一のシナリオはたしかに出版されたのである。
テレビはすぐに消えてしまう。テレビは現在を生きることしかできない。
シナリオはちがう。シナリオはこうして残る。ありがたい。
「日本伝説集」(武田静澄/現代教養文庫)絶版

→アラビアンナイト物語のつぎに読んだためか、
わが国の説話の貧乏臭さに多少うんざりする。
日本人にはどうしてこうも金持が似合わないのだろう。
美食といっても、白米を貧民よりいくらか多く食べる程度。
めかけを何人か囲えば、もうカネのつかいみちがないのだから。
そのうえ、金持のくせに、なにかあるとあっさり出家してしまう。
現世を享楽する、蕩尽(とうじん)するということに慣れていないのではないか。

日本の伝説は、葬式と相性がいいように思う。
通夜の晩に寝つけないひとが寄り合って語るというイメージ。
たいていの物語が死と密接に結びついている。抹香臭くもなろう。
その理由はこうではないか。
現実はいつの世も不条理。理不尽なことばかりである。勧善懲悪などあるわけがない。
この現世への怨恨が、説話が誕生する契機となるのではないか。
かわいそうな死に方をしたひとがいる。起こってはいけないことである。
現実はそんなふうであってはいけないけれども、しかし現実はでたらめで非情。
1+1=2と行かないのが浮世の定め。
だから、伝説が創作され、現実のマイナスが報いられる。
マイナスがある。このマイナスをもとにした伝説を語ることで帳尻をあわせる。
プラスマイナスをゼロにする。民衆感情の安定を図る。
こういった理不尽な事件(そのもっとも象徴的なものは死)への
補償作用としての伝説を、今回、強く意識する。
「アラビアンナイト物語 千夜一夜物語拾遺」
(バートン/大場正史訳/角川文庫)絶版


→中世イスラーム世界で成立した説話集。
日本人のわたしが読むと違和感をいだく箇所もあるが、
逆説的にそこがこの物語の魅力でもある。
努力の否定がなんとも小気味よい。
「アラジンと不思議なランプ」において、アラジンが裕福になるのは努力の結果ではない。
またアラジンの性格が好ましいものだったからというわけでもない。
(アラジンは親不孝者!)
ただ単に、偶然からランプを入手したという理由による。
「アリ・ババと四十人の盗賊」でも同様。
貧民のアリ・ババが富豪になるのは、ことさらかれががんばったからというわけではない。
偶然から「開けゴマ」で開く、秘密の財宝の隠し場所を発見したがため。
ここにはなんの教訓もない。押しつけがましいものがないのである。

「神さまのおきめなすったことは何事につけどうにもならないからね」(P186)

かりにこの物語からなんらかの思想を読み取るとすれば、さしずめこれくらいだろう。
シンプルで、美しい。
金持になるきっかけは努力ではないのである。
この物語の特徴をもうひとつあげれば、ゼイタクの礼賛。ゼイタクは悪ではない。
幸福とは金持になることだという絶対的な真理をもとに物語が成立している。
金持になるとは、いい家に住み、いい服を着て、宝石を所有し、美食を楽しむこと。
「アラジンと不思議なランプ」で姫がアラジンへ嫁ぐ理由は、アラジンが裕福だからである。
このお姫さまは、アラジンの財産に目がくらんだのである。
それをだれも悪いと思っていないのが、この物語のすばらしさではないか。
アラジンがハンサムだったからではない。アラジンの愛に打たれたわけでもない。
アラジンから贈られた宝石があまりにまばゆかったから、この王女は結婚を決める。
いっぽうのアラジンはなにゆえこの姫との結婚を望むかというと、
ひとえに王女の美しさに魅せられたがため。ここに性格といったものは関与しない。
アラジンは豪華絢爛の財宝を求めるのとおなじ理由で、美女を結婚相手に欲する。
「アラビアンナイト物語」では、食べ物の描写が実に生き生きとしている。
うまいものをたらふく食い、酒も浴びるほどのみ、最後にはデザートまでたいらげる。
読書中、食欲をいたく刺激されたことを報告する。
日本語を話す小さなパンダを飼っている、いな、同居している、
なんて書いたら、みなさまはわたしをキチガイあつかいするのでしょうか。
こほん♪ 深夜、あまりに静かなので咳をしてみます。すぐに応答があるのです。こほん♪
負けずにやり返します。こほん、こほん♪ パンダも、こほん、こほん♪
ええい! こほん、こほん、こほん♪ あちらも、こほん、こほん、こほん♪
まったくなにをやっているのでしょうか。
古本(こほん)に囲まれて、人間とパンダが……。

こほん♪

およよ。咳がハモったのであーる! 人間とパンダは顔を見合わせて笑います。
くすくす。こほほほほ~~~~。
言わずもがなですが、この小さなパンダをわたしはヨンダくんと呼んでいます。
ブログ「本の山」の管理人であります。
アマゾンの書籍レビューで失笑するパターンがある。
注意してみたらすぐにわかるだろうが、アマゾンはこればかりといってもよいのだ。
たとえば、イスラーム関係の新書。
こんな感じのレビューがほとんどである。
「じぶんはなんの知識もなかったけれども、この本を読んでひと通り理解することができた」
おい、なにを理解したんだ、理解したのならその内容を書いてみやがれ、と思うが、
アマゾンのレビューにそれを求めるのは酷なので、まあ見逃してやる(えらそう!)。
だが、許せないものがある。レビューの最後によくつけられる一文。
「これは必読の入門書である」
勘弁してくれよと思う。あなたはそれしかイスラーム関係の本を読んでないのでしょう。
なのに、どうしてその本が必読だとわかるのですか。
もしかしたらそこに書かれた内容は間違っているのかもしれない。

フィクションは別として、たいがいの読書はたえず批判を念頭に置かなければならない。
「へえへえ」と引き込まれない。常に「ほんとうか」と疑ってかかる。
最近、強く意識していることである。
具体例をあげれば、こんなふうにである。
大学者とされている河合隼雄。大学時代には心酔しきっていた。
恥ずかしい話だが、何十冊も著作を読んでいる。
いまになって読み返してみると、おかしいところがいくつかある。
河合隼雄の好む論調に、西洋と東洋の比較がある。
西洋はどうたらで、それに比べると東洋はこう。ユングは東洋への関心から、なんたら。
大学生時代は、このようなものを読んで、しきりに感心したものである。
「へえへえ」の読書だった。
いまはちがう。疑ってみる。
西洋ってなに? 東洋ってなに?
まさかキリスト教という結びつきだけで、西洋とひとくくりにしているのか。
東洋もそう。インドは東洋なのか。仏教圏を東洋と仮定しているのか。
だけど、そもそも小乗仏教と大乗仏教は別物だぞ。
インド仏教、中国仏教、日本仏教を、東洋とまとめてしまうのは無理がないか。
西洋と東洋を比較する。そのとき中東はどこへ行ってしまったのか。
東南アジアのヒンドゥー教地帯はどうなる。
ひとしきりこんな疑問が生まれるわけである。
結果、怪しいなと思う。間違っているとまではいわない(とてもいえない!)が、
ある種のうさんくささを感知する。

「へえへえ」をやめることである。
「へえへえ」といいたくなったら「ほんとうか」と顔をしかめてみる。
まったく未知の分野であったら「へえへえ」といわざるをえないのはわかる。
そのときはほんとうに理解しているのか、その本の内容を要約してみる。
じぶんで書いてみる。そうしたらどこかつまずく部分もあるかもしれない。
それを批判のきっかけにする。決して「へえへえ」とわかったような顔をしない。
大戦前の日本国民は、新聞へ「へえへえ」と追従したわけである。
結果があの惨事である。
皮肉をいうようだが、現代もおなじことである。
国民は、新聞の戦争反対に「へえへえ」をやっていないといえるか。
脱線した。読書の話をしていたのである。
ただ、こういうことはできるのかもしれない
新聞は書物よりも「へえへえ」を読者へ強要する傾向がある。

いまは放送しているのか。嫌いなテレビ番組があった。
「トリビアの泉」である。あれも嫌いだ。「世界一受けたい授業」。
どんどんじぶんが流行から離れていくような不安はあるが、
それでも、なんとしても、ぽかんと口をあけて「へえへえ」などといいたくないのである。