メールアドレスを公開していると、こんなことがあるのか。
自主映画の上映会に制作者から誘われておもむく。電話の内容。
「この日はひまですか」「ええ、行けます」「そうだと思っていました」
最後のひと言はよけいだと思う。
上映される映像作品は4つ。
プラス、自称芸人のコント。アマチュアバンドのミニライブ。
合計5時間。カネを取る。800円。
上映作品の紹介が書かれた紙を渡される。
読んで口元をゆがめる。仲間内でほめあっているのが、なんとも見苦しい。
「あんた芸術、(ゆえに)あっしも芸術」
こういう世界である。今回上映される作品の、映像作家3人によるなれあい。
批判をうけつける窓口はないようである。これはたいへんだぞ。気をひきしめる。
1本目は音楽映画。芸術ぶっているのが鼻につくが、こんなものなのだろう。
音楽はライブ。オルガン、バイオリン、歌手。
笑ったのは、この映画が終わるや、すぐさまこの音楽集団が去っていったこと。
わたしの横にいたのはこの映画に出演していた女児と保護者。
彼女らも最初の映画が終わると退出。ちなみに客席は30人くらい。
おそらくわたし以外は、ぜんいん制作者の身内と思われる。
2本目はこの上演会に招待してくれたHさんの作品。
関係を壊したくないので、この感想は後日、本人へメールで伝える。
ここには書かない。
このあと、映画の主演俳優によるライブ(芸?)が行なわれるとのことなのだが、
関係者によると遅刻しているようである。
プロでもなんでもない。芸人を自称している風来坊だぞ。
時間感覚だけは大物気取りなのが笑える。30分遅刻して登場。
ギター片手に意味不明の物語り。こめかみが痙攣(けいれん)する。
映画も3本目。プログラムを見て警戒していたのがこれである。
88分。この長い上演時間にセンサーが危険を察知したのだ。
案の定、実験前衛映画。
パンフレットにはだれが書いたのか、構想から2年の大作映画とある。
ひたすら退屈なのだ。男が路地でえんえんと女を追う。それだけ。
これみよがしにため息を何度もつくが、
最前列にいるこの映画監督はうしろを振り向かない。
かわりにわたしが振り返る。客席は30人。半数が目をつむっている。
まあ、寝ているわけだ。わたしのような不眠症はこういうときにも損をする。
まえにある座布団をこの映画監督へ投げつけてやろうと何度も思う。
地獄の88分が終了。この作品だけである。拍手がひとつもない。
聞こえてくれと思いつつ「つまらない〜」と小声でいってみる。
Tというこの映画監督は、聞こえたのかどうか。こちらを向くことはない。
これはさすがに物申さねばと思う。詰問しよう。
こんな映画をひとに見せるのは失礼でしょう。
どこがおもしろいのですか。おカネを取って見せるものではない。
映画監督のTへ話しかけるすきをねらう。
かれは知人と談笑している。この退屈な映画についてのようだ。
ふきだしそうになる。おまえは上映時間、寝ていただろうが。
自主映画上演会の実態である。
そうそう、映画の直後だったか。
この映画の主演女優によるライブが。バンドというのか。
彼女は顔をくしゃくしゃにさせて、自己陶酔している。
これは歌ではない。騒音である。顔をしかめる。さいわい2曲で終了。
大笑いしたのがこのあと。歌手はいう。
「聴いてくれてありがとうございます。
この曲を収録したCDを、あの、無料ですので、もらってくださいませんか」
一人ひとりに丁寧に手渡し。じぶんの立ち位置をよく把握していると感心する。
この女優、いや歌手か、音楽会社の名刺でも見せられたら、なんでもするんだろうな。
このバンドもじぶんたちの演奏が終了したら帰っていった。
自主映画の上演会はまだ終わらない。
休憩時間があったので近所のコンビニへ缶ビールを買いに行く。
精神が壊れそうなのである。最後の映画をビール片手に見る。
この映画だけ客が多い。監督が社交的で友人知人が多いのだろう。
ああ、わかった。観客数=アーティストの人脈ということか。
途中、ビールが気管に混入。げぼげぼ咳をする。
許せ。この上演会を5時間ぜんぶ見たのは、おそらくわたしだけなのだから。
このくらいは大目に見てくれよ。
帰途、すべてがいやになる。夢を追うって、なんだろう。
見せられたのは夢じゃないよな。夢の残滓(ざんし)だよ。残りかす。
みながみな、鏡にうつるじぶんだけを見ていたいのである。
映画監督はじぶんの映画を最前列で見る。決して客席を振り返らない。
俳優も歌手も、じぶんの出演した映画だけ見て、客席をあとにする。
他人のつくった映画など見る時間はないというのか。
あるいは、深刻な顔をしてオルガンをひいて退散。他人のライブなど聴きたくもない。
それをぜんぶ、5時間も見せられたわたしはどうなるのだろう。
これは疲れるわけである。放射線を浴びつづけた気さえする。
「私は特別である」
有害な放射線の正体である。
私を特別とみなしてくれるのなら、その限りにおいて、相手も特別と認知する。
このような発表会の裏側である。
いや、思い直す。あんがいプロの世界もこんなものかもしれない。
芸術家はみな、じぶんが世界でいちばんだと思っている。
そう思わなければ芸術などやれないという事情もある。
他人の作品に感動することなどめったにない。
だが、人様からの賞賛をもっとも必要とするのがこの芸術家という種族。
このため大したことのない芸術作品をほめる。
かわりにじぶんの作品もほめてくれと暗に要求しているわけである。
なにもアマチュアの世界だけではない。プロも内情はこんなものだろう。
映画、演劇、音楽、絵画、彫刻、文学――。
ふふふ。そうだよね。ブログもおんなじさ(笑)。
疲れた。こんな疲労した1日もめずらしい。
夢を追う。表現をする。なんと迷惑な行為であることか。
それをじぶんもやっているのだから苦笑するほかない。
酒だ。のむぞ。帰宅後、痛飲する。
いつもはくだらないとバカにしているテレビをやたらありがたく感じる。