また人間関係の話で恐縮している。
相談する人間がいないので、ここに書いているのかもしれない。
「会いたい」というひと言が、どうにもうまく出てこない。
「会いたい」といわれるのは楽なのである。
こんなわたしに会いたいのですか。なら会いましょう、と進行する。
「会いたい」というのは責任があると思っている。
相手を楽しませなければならない。
こちらから「会いたい」とお願いして、相手に迷惑をかけるわけにはいかない。
ここで尻込みしてしまうのだ。
与えるものはなにもないのに「会いたい」などというのは間違えているのではないか。
この考えがおかしなものだということはわかっている。
わが身をふりかえる。
「会いたい」といわれてだれかに会うとき、相手からなにか求めているわけではない。
相手がそんなことで躊躇(ちゅうちょ)していたら、なにをバカなことをと思うだろう。
だが、じぶんのこととなるとそうはいかない。
山田太一のテレビドラマが好きである。
山田ドラマの住民は会うことへのためらいがある。含羞(がんしゅう)がある。
それでも会いに行く。いざ対面してやっぱりまごまごする。
あれでいいのだと安心する。しかし、ドラマならぬ現実では、あれができないのである。