よく泣く。毎日かもしれない。
めそめそしている。
酔ったら泣く。しらふでも泣く。
涙もろい。

何年前だったか。
尊敬する山田太一氏の講演会へ行ったことがある。
氏は「泣く」ことの重みを訴えていた。
当時、直木賞を受賞したのが、ちょうど江國香織「号泣する準備はできていた」。
この作品ともからめて山田太一氏は、現代における「泣く」という行為について、
お話くださった。

山田太一氏の師匠といえば映画監督の木下恵介氏。
「二十四の瞳」で有名である。
山田太一氏は、この映画を例にだした。
主人公の大石先生が泣くシーンがある。
修学旅行先で、かつての教え子と偶然出会った。
学校教育よりも口減らし(現金収入)という理由で退校した生徒である。
「おなごせんせい」は、どうしようもない。泣くほかない。
教え子が泣く。先生も泣く。一緒に泣いてあげることしかできない。
号泣の二重奏が映画ではくりひろげられる。

泣く、というのは、もっとも人間的な行為ではないか。
かつて渋谷の講演会で山田太一氏はそう言った。
老年の氏のお言葉が最近、少しわかったような気になる。
人間とはいかなる存在か。
ドラマをえがきつづけた山田氏にとっては、最大の関心事であったであろう。
人間。のぞんでもいない場所へ産み落とされ、いつ死ぬともわからぬ存在。
ままならぬ生と死にはさまれた人間にできるのは、泣くことだけけかもしれぬ。
生も死もままならぬ。どうしようもない。泣くしかない。
日本のテレビドラマを牽引した山田太一氏の重い発言に平伏するのみである。