速読の新たな秘密を発見したようである。
惜しみなく公開する。
それは、ある書店でのこと。
月に1回、大学病院へ通っている。
薬の待ち時間がかならず1時間ほど発生する。
病院そばの書店で時間をつぶす。

月に1回である。
暇つぶしという理由のおかげで、ふだんは手にもしないような本も眺める。
速読の本があった。すべての本は30分で読めるとタイトルにある。
よし、やってやろうじゃないか、と思った。
よーいドンである。スタート。10分もかからずその本を読み終わった。
そのとき、ふと気づく。天啓がひらめいたのはこのときだ。
思えば、この書店に入ってからもう4冊も立ち読みしているではないか。
それぞれの本を10分程度で読んでいる。
日野原重明のエッセイや自己啓発書の類だが、それでも読んだことにはかわらない。

速読とは、なにも、むずかしいものではなかった。
関心をもったところだけを読む。これが速読の秘訣ではなかろうか。
やりかたはこうである。
書籍を開く。目次を見る。読みたいところの、だいたいの見当をつける。
最初のページをめくる。一定の速度で、ひたすらめくる。
目というものは実によくできている。
じぶんの興味のある部分では、ふしぎとストップする。
ほんとうである。ぜひ試してほしい。
で、関心のある箇所の情報を仕入れたら、またページをめくりつづける。
やわらかいノンフィクションなら10分で読み通せるはずだ。

速読=立ち読みである。

ここで確認しておきたいことがある。
速読はトクかどうか。
速読術の著者は、速く多くの本を読めればトクだとかたくなに信じている。
けれども、費用を考えたら果たしてどうだか。
10冊の本を読むにはそれだけのおカネがかかるでしょう。
図書館で借りるという手もあるが、ただの本は読まないのが人間というもの。
速読がトクかどうかはわたしにはわからない。
今回わかったのは、速読について書かれた本ほど、
速読しやすいものはないということである。
つまり、中身がない。立ち読みされてしまう。