いま哲学入門書を読み漁っている。
こういう読書しかできないのである。
なにかに関心をもつ。その方面の入門書をかため読みする。

どの哲学書も、まあ、わからないわけである。
よくもこんなわからない文章を書けるものだと感心してしまう。
文章を書く。声にだして読んでみる。すんなり耳に入るか確かめる。
わたしの文章作法である。
どうやら哲学者とやらは、これをやらないらしい。

唯一、ほほうと手を打ったのが中島義道「哲学の教科書」(講談社学術文庫)。
この男を1年前は知らなかった。
知ったきっかけは騒音問題。
中島もわたしとおなじで騒音に耐えられない体質のようだ。
日本における騒音問題の第一人者といってもよい。
騒音元へいちいち抗議しにいく。
駅前にある酒屋が流す音楽がうるさいという理由で看板を破壊したこともあるとか。
過激派である。

じぶんと似すぎていると思った。
立ち読みをした感想である。
この中島義道という男。よほど嫌われていると思われる。
少数の熱心なファンがいる一方で、大多数はかれを忌み嫌う。
書籍を家のなかに置いておくことすらいやでブックオフへ売り払う。
かくしてかのチェーン店に中島義道の書籍が氾濫するわけだ。
発売後1ヶ月しか経たない中島の新刊書が105円で売られているのを見たことがある。

さて、わたしも中島義道が嫌いである。
著書なんて、たとえ105円でも買うもんかとこころに決めていた。
それが、ついに――。
今回の読書である。
中島義道が嫌いなことに変わりはない。
だが、こんな笑える哲学入門書があるとは。そして、わかりやすいのだ。
同時に恥ずかしい。こんなガキくさいことを、よくもいいおとなが……。
悔しいが、おもしろいというほかない。

中島義道はいう。
哲学とは、子どもの視線を持ちつづけること。
哲学がわかるとは、「世界がわからないこと」をわかることである。
ようやく哲学というものが腑に落ちたという感触がある。
中島義道は徹頭徹尾、ガキである。子どもである。哲学者である。
この哲学者は、食べ物の好き嫌いが激しい。
成長を拒絶する男。哲学そのもの、哲学の権化である。
この精神的幼児が世に果たした役割は大きい。
我われは通常、哲学を敬して遠ざける。
わからないものはあがめておくという処世術である。
ところが哲学者・中島義道の書籍を読んで、我われは了解する。
哲学は、ガキの玩具であったか。
哲学などありがたくもなんともない。むしろ不快なものではないか!

「哲学はわからない→哲学者は嫌い」

かようにかれは大衆を啓蒙する。
ベストセラー作家・中島義道の功績である。