ある発見をした。
きのう、おとといと世評めいたことを記した。
とても気分がよいのである。
ここ数日、鬱々とした毎日を過ごしていた。
それがどうだ!
たとえだれも読んでいないブログだとしても、さらにあれほど稚拙な私論なのだが、
それでもおのが意見を全体へ向けて述べるというのは
ストレス発散にたいそう効果がある。
無名のじぶんが何ものかになったような錯覚は、めったに味わえぬ快感であった。
だれにも読まれぬブログで政治的な文章をつづるだけであれだけの満足がある。
とすると、マイク片手に駅前で大騒ぎするのは、いったいどれほどの悦楽なのか。
日々の憂さなど、あれですべて吹っ飛ぶことと思われる。
カウンセラーにかかるより、よほど治癒効果があるであろう。
うちにためこんだ鬱憤を、関係のない政治的発言として吐き出す。
鬱積を騒音として排泄する。
どうしてかれらがあの迷惑な街頭活動をやめようとしないのか身をもって了解した。
連帯感も魅力なのだろう。
同志と正義のために闘争する!
立派な生きる意味ではないか。
ひとにやさしくなりたい。
拡声器騒音ごときで目くじらを立てるのはおとなげないとわれながら思う。
大音量を鳴らしながら押売に来る訪問販売車も許せるような人間になりたい。
ここまで騒音に敏感になったのは、ここ1年くらいのことなのである。
どうしたらむかしのわたしに戻れるのだろうか。
一度、駅前でお願いしてみようかな。
わたしにも拡声器でなにかを訴えさせてください。
つまり、みずからが加害者になることで活路を見いだす。
思えば、わたしとてかならずだれかに迷惑をかけているのである。
人間はだれもが生きている過程で、意識せず他人に迷惑をかけているもの。
だから、じぶんも周囲の無自覚な迷惑にたえねばならぬ。忍耐である。
あたまではわかっているのだ。いかに実践するかである。
こころの広い人間になりたい。
般若心経を読んでも(騒音は空!)、聖書を読んでも(敵を愛せ!)、
このじぶんというものはどうしようもなく御しがたい。