わからないことはわからないと書く。
わかったようなことを書かない。
それはじぶんの意見ではない。まやかしものだ。
もし主張が通らなかったら死をも辞さない。
これが真の発言だと思っている。

駅前でスピーカーで騒いでる戦争反対者がわからない。
うるさいと何度も抗議にいったことがある。
決まって、集団に囲まれる。
あるときはあたまの悪そうな活動家に肩をこづかれたこともある。
たいがいは物分かりのよさそうなおっちゃんに説得される。
あと30分だから我慢してください。
あなたも戦争が起こったら困るでしょう。

笑えるのはこの姿勢である。
かれらはじぶんたちが戦争反対を主張しなければ、戦争が起こると信じている。
この英雄気分、笑えませんか。
この集団は、あたかも戦時中に戦争反対を訴えているかのような顔をしている。
バカをいいなさんな。
いまは新聞もテレビも戦争反対一色でしょう。
戦争賛成などいおうものならメディアから抹殺されかねない。
現代において戦争反対を主張することは勇気ある行為でもなんでもない。
マスコミに守られた、極めて保守的な訴えが、この集団でわめきたてる戦争反対なのだ。
顔ぶれを見ても、戦争を経験した世代が果たしているのかと思ってしまう。

わたしは戦争賛成といっているわけではない。
経験していないので、わからない。
まあ、読書で追体験した限りでは、起こらないほうがいいのかなとは思う。
だが、とも思う。戦争反対者の意見を要約すると、命は大切だ、になる。
そんな人生、さみしいじゃないか。
命とかえても守るものがある人生、人間は尊いと思う。
これは決して戦争に賛成しているわけではない。

駅前で懲りずに騒いでいるあの連中はどうにかならないものか。
やつらが戦時中に生きていたら、真っ先に隣組へ入るのではないかと疑う。
鬼畜米英と駅前で大騒ぎしていそうではないか。
新聞の提灯記事に一喜一憂。
竹やりで米軍兵士を殺そうと熱心にビラを配るのではないか。
現在、駅前で戦争反対と騒いでいる連中の幾人が、戦時中にそれをいえるか。
わたしは個人で抗議にいく。かれらは集団でこの個人を囲む。
これはあたかも戦時中に戦争反対者が受けた仕打ちのようである。
もちろん憲兵のような暴力はないが、それでもあの集団には胡散臭さを感じる。
何より不愉快なのが、

じぶんたちはいいことをしている、

という顔だ。
太平洋戦争中の隣組メンバーも、きっとあんな顔をしていたのであろう。