これから書く暴論は民主主義を否定することになるのかもしれないのだが、
そもそも民主主義とはどういうものか文学部卒のわたしはわかっていないので、
もしご意見くださるかたがいらしたら、そこからお教え願いたい。

いまでこそ駄文を多産しているが、学生時代は文章を書くのがいやでしかたがなかった。
作文でほめられたことは小中高で一度もない。
小学校の担任は、かならず全員の作文を保護者便りに掲載すると
年度初めに公約していたが、わたしの作文が取り上げられることはなかった。
受験科目の小論文も同様。
ある予備校の講座を取っていた。これまた一度としてほめられたことがない。
いつも評価が低かった。
学校教員も予備校講師もいうことは、おなじである。
じぶんが思ったことをすなおに書こう。教育的作文の姿勢である。

時期的にいちばん身近な小論文の話をする。
たとえば、こんなお題がだされる。
死刑廃止についてどう思うか。
脳死についての意見を述べよ。
こういう問いがある。これは自由に書いていいということでしょう。
この問いの回答になぜこう書いたらいけないのか。

関係ないね!

こんなことを書こうものなら0点をつけられる。
たとえ設問に「自由に思うことを書きなさい」と付記されていても、
この「関係ないね!」だけは許されない。どうしてだろうか。
いまのわたしは大学入学などどうでもいい。
問われたら、率直に回答する。関係ないからわかりません。
死刑のことはわからない。
身近に死刑囚がいるわけでも、犯罪被害者がいるわけでもない。
どうしたって、わからないと答えるほかない。脳死も同様。
はじめからして、と問いにケチをつけたくもなる。
死刑や脳死は概念ではないのだ。
Aさんが、B、C、Dさんを殺して死刑になった。
Eさんが脳死で、臓器移植を待っているFさんがいる。
この個別のケースならせめて意見もいえよう。
だがそれも関係者かどうかで大きく主張はことなる。
そのとき「関係ないね!」という回答は、
場合によってだが、もっとも誠実なものになるのではないか。

テレビの街頭インタビュー。
みなさま、たいしたものだと感心する。
あたまのなかにはブランド品しかないようなお嬢さんが、小泉政権に物申す。
安酒の多飲で赤ら顔のおやっさんが、少年犯罪について意見を述べる。
上司への殺害妄想と部下の女子社員との不倫妄想しかないと
あからさまに顔に書いてある中年会社員が、
カメラを向けられると一丁前にどんな社会問題でも論評してみせる。
たいしたもんだね。ニッポンは。これが民主主義ってやつなのか。
どうしてみんなわからないといわないのか。関係ないと正直にならないのか。
昨今、流行っている個人ブログを見て思うことでもある。

なにゆえこんなことを書くつもりになったのか。
まえから思っていたことではある。
先ほど見たニュースが直接のきっかけ。
関係ないではないかといわれたら否定しない。たしかに関係ない。
加藤紘一氏宅放火事件。
この事件に関して、言論の自由および民主主義を守るため、
広範なアピールを目的にある会が結成されたという。
またもや個人ではない。集団である。数の論理。反対者を囲むつもりか。
詳細は一番下のリンク先をご覧ください。
わからないのである。民主主義を守るとはどういうことか。
あの終戦の日、加藤紘一氏宅の放火を知って、事件の非はもちろんだが、
それでもある感銘を受けたことをわたしは隠さない。
意見をもつ、発言をする、主張するというのは、こういうことだ!
もし意見が通らなかったら犯罪をも辞さない。
命を賭けて物申す。有言実行。行動に裏打ちされた発言の重さ。
民主主義というのは、ホームルームの多数決とおなじですか。
無関係の大多数の投げやりな小論文が重んじられる社会なのでしょうか。
そんな民主主義よりも、わたしは、個人の文字通り懸命の絶叫を信じたいと思っている。

(参考)民主主義の保護者グループ↓
http://www.labornetjp.org/news/2006/1156855983852staff01