2005/07/08(金) 21:33:48
「泰国パパイヤ削り(仮題)」(白石昇)
→作者の白石昇という男。ネットでは有名人。うん、ネットアイドル(笑)。
わたしも何度かこの有名人からレスをいただいたことがある。
しかしそのせいで感想を書くのがどれほどたいへんだったか。おかげで悟った。
文芸評論家なんて信じちゃダメ。
一度でも作者と会ってしまったら(ましてや飲んだりしたら)
客観的な批評なんてできるはずがない。作者の顔がちらついて。
(わたしも白石くんとリアルで会ったことはないのにもかかわらずかなり混乱した)
対象の小説がおもしろいかつまらないか、まったくわからなくなってしまう。
おもしろいような気もするし、作者を殴りつけたいような気もする。
だから、二種類の感想を書いた。
ひとつは罵倒。もうひとつは作者のHPにべた褒め感想を。
わたしとしては、どっちもまあ真実なわけです。
この小説がおもしろいのかどうか知りたいというかたは、
お手数ですがごじぶんでお読みください↓ ただし未完です。
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20050618000038
タイのタレント本を邦訳・出版するまでの過程を赤裸々に書いてあります。
2005/07/08(金) 14:33:05
「比較文明の社会学」(米山俊直・吉澤五郎編/放送大学教育振興会)絶版
→放送大学のテキストが安く(古本で)買えると嬉しくないですか。
入学試験のない大学。だれでも入れる放送大学。
そんな放送大学のテキストはものすごーくわかりやすいのではないだろうか(妄想)。
でも難点が。やたら高いんだ放送大学テキスト。いちばん薄いのでもいまは2000円とる。
そんなテキストが今回、200円で買えてとってもうれしかったのです。
流れとしては、「文明の生態史観」(梅棹忠夫)のつづきというのか。
執筆は15人の学者さんが分担。
「宗教と文明」「音楽と文明」「都市と文明」……と、
いろんな切り口から文明を比較してみようという構成。
なかにはひどい学者もいた。
専門用語を注釈なしで使って、参考文献にはじぶんの今までの著作を(おそらく)全部。
まあ、比較文明学の始祖・梅棹忠夫そのものが(学問的に)胡散臭いおかただから(笑)。
比較文明論はたぶん主観の要素が強いのだと思う。悪くいえば妄想。
このテキストでも「海と文明」を担当した学者さんが
なかなか質のいい妄想を展開している。
いままでは陸を中心に世界史をとらえていたけど、それを海中心に見たらどうなるか。
つまり陸地史観から海洋史観へ。
歴史教科書の眠くなるような情報提示とは異なり、かなり斬新な物語になっていた。
2005/07/08(金) 13:47:17
「アエラムック 新版 哲学がわかる。」(朝日新聞社)
→やっぱり哲学がわからない。
たくさんの哲学者(哲学学者?)が寄稿しているが、どれも鼻につく。
むかつく。あわない。
あーあ。こんな大学の先生がいたらいいのにな。
授業のはじめ。そわそわ挙動不審。
薄笑いしながら開口一番「哲学なんて、なんの役にも立ちませんから」。
「でも、とかいうと思ってるんでしょう?」と定まらぬ視線をさらに迷わせる。
「でもはない。いまどきの学生さんはデモなんて知らないでしょう。だから、デモはない」
くだらない駄洒落をいうと突然、奇声をあげる。
ヒヒヒヒヒ。笑っているようである。
笑いすぎかむせる。セキがおさまると、ぼそっ。
「哲学者なんてみんなキチガイですから」
しばらく沈黙したのち「見てると楽しいですよねキチガイって」と恍惚とした笑みを。
口からはよだれが。
「これから1年そんな授業をします。出席はとりません。評価は全員Aです」
いないよな、こんな先生。
アエラムックの先生、みーんな眠りそうな授業しそう。
で、いうのはこんなこと。
見せかけの非凡は凡庸の裏返しであり、
真理というものは常に一見凡庸然としたところにあるわけで、
それは古代プラトンのイデアがどーたら、こーたら……。
やだやだ。
2005/07/08(金) 13:41:20
「図解雑学 哲学」(貫成人/ナツメ社)
→哲学へのスタンスは一貫している。
たいした悩みごとのないひとがわざわざ苦悩したいがためにするもの。
哲学ずきは、じぶんだいすき。
おのれの周辺をぐるぐるぐる〜りお散歩。
おのれはあるだの、おのれはないだの、せっせとおのれに砂運び。
いつのまにか小高くなったおのれから見えるものはなんですか?
おっと暴走した。とにかく哲学がきらい。哲学愛好家も苦手。
でも、まあ、その、なんだ。
哲学者の名前がでてきてもビビらないよう最低限の知識くらいはと。
うん、「図解雑学」シリーズはよろしい。
このわたしまで、なんかわかったような気になるくらいだから。
世界の本質を求めた古代哲学者。
キリスト教のいんちきくさい世界観に賄賂を払いつづけた中世哲学。
疑えない「私」を発見したデカルト。
実存が本質に先行する不安におののいたサルトルも古くなってしまった現代。
行方不明の「私」は言語の内部に隠れていると推理した名探偵たる現代哲学者。
え、え?
もしかしていまわたし哲学していませんか?
「図解雑学」バンザーイ! 苦手分野を克服したのか?