2005/06/28(火) 14:40:08

「夢見る沼」(井上靖/講談社文庫)絶版

→いきなり引用。小説内の会話から。

「運命というものか。そりゃあ、あるだろうね。
人間には、各人にこうなるように初めからできていたというものがあるだろうね。
だが、しかし、それはある程度人間の力で変えられるものだと思うね」(P133)


小説家ってすごいと思う。神様でもないのに他人の人生を描ける(=わかる)んだから。
どんな根拠をもって小説の中の人物を動かしていくのでしょう。
努力と運命の配分をどうやって決めているのか。
私小説や歴史小説のメカニズムならわかるんだけれども。
つまりは実際に起こったことを書くのだから。
もしかして物語作家って神様? 井上靖は現人神(あらひとがみ)?
2005/06/28(火) 14:40:08

「インド夢幻」(瀬戸内晴美/文春文庫)絶版

→安っぽいインド旅行記。
思う。描写ってなんだろうね。
インドで瀬戸内晴美が行った場所、わたしもすべて行ったことがある。
まあ、瀬戸内さんの行ったのは今から30年近くもまえという違いはあるけれども。

たとえばタージ・マハル。
インドでたぶんいちばん有名。あれなら30年まえから変わっていない。
で、瀬戸内さんが感動して一生懸命にタージ・マハルを描写しようとしているのがわかる。
しかしぜんぜんおもしろくない。
それならおまえはどう描写するのかって?
描写しようという気にならない。ガイドブックでも見てください。あれですあれ。
そんなことを書きたくなってしまう。
つまりは無感動なんです。これは時代的なものだと思う。
それをどう乗り越えるか。この平成ニッポンで。考えこんでしまう。
2005/06/28(火) 12:43:37

「加藤周一対話集〈第4巻〉ことばと芸術」(かもがわ出版)

→対話のお相手は以下。
桑原武夫、中村真一郎、針生一郎、吉田秀和、大町陽一郎、大岡昇平、
渡辺一夫 、小林秀雄、木下順二、野上弥生子、井上ひさし、武田泰淳、
一海知義、大野晋、渡辺守章。

対談対話は気楽に読み流せるところがよろしい。
さてさて。

小林秀雄はひどいやつだね

大家意識丸出しで加藤周一を格下扱いしているのが、なんとも。
「〜〜はどうですか」と話を振るのはきまって加藤周一のほう。
それを小林秀雄ときたらこう返す。
「僕はそれを読んだことがないからちょっと説明してくれないかな」
懇切丁寧に説明する加藤周一。
それを聞き終わって小林秀雄「それは違うと思うな」。理由は言わない。
こんな対話が何回も繰り返されるんだから。笑いがとまらなかった。

勉強になったのは木下順二との対話。
近代劇は個人対個人のドラマである。
が、ギリシア悲劇では、(個人は)もっと大きなものに対峙している。
個人の力ではどうにもならないものと向き合っている。
どうにもならないもの、それを運命と呼ぶか歴史と呼ぶか。
ふたりは対話をつづける。
ここで「歴史」ということばが加藤周一からでてきたのが新鮮だった。
個人のドラマがある。
それをいとも簡単に破壊できる大きなドラマ(=阪神大震災、イラク戦争など)。
歴史である。最近、なんでこうも世界史にひかれるのかわかったような気になった。
2005/06/19(日) 17:42:14

「私の読書法」(岩波新書)品切れ

→執筆者は清水幾太郎、杉浦明平、加藤周一、蔵原惟人、茅誠司、大内兵衛、
梅棹忠夫、中村光夫、八杉竜一、田中美知太郎、都留重人、吉田洋一、
宮沢俊義、開高健、渡辺照宏、千田是也、鶴見俊輔、松田道雄、松方三郎、円地文子。

ふう。この中で何人名前を知っていますか? わたしは9人。多いのか少ないのか。
こういうエッセイ集は大好き。これも大満足。みなさん一様に苦労されているのが

忘却対策。

せっかく読んでも忘れてはねえ……。
わたし7、8年前は本に書き込だりしていた。線引きと批判・感想。赤ペンで。
だからいま書き込みのある宮台真司の本なんぞを他人に読まれた日には死にたくなる。

5年前から読書ノートをつけるようになった。1、2年くらい続いたのかな。
こころに残ったことばを書き写して、その後にじぶんの考えを付記したり。
で、いまはこの通り。ネットに読了報告を書き込む。
我ながらよく続いていることに驚く。

この本から引用。

「だいたい、本というものは、読者が金を出して買い、
時間をつぶして読むものなのである。
読者のわかりやすいようにと、渾身の努力をするのが著者のつとめであるべきであって、
わけのわからない書き方をするくらいなら、はじめから本を書かないほうがいいのである。
ところが、そういうわけのわからない本をかえってありがたがって、
随喜の涙さえ流しかねない人がいるのだから、世の中は妙なものである。
わからないとなんだか深遠なような気がするのでもあろうか。
わたしにいわせれば、わかりにくい本の著者は、
実は、自分自身でもよくわかっていないのに、
それをごまかして書いているのだとしか考えられない。
ほんとによくわかっているのなら、著者が努力しさえすれば、
読む人にもよくわかるように、書けるはずであろう」(P114)

「わかりにくい本を深遠な本だと思いちがいしてありがたがるのも困りものではあるが、
文芸作品を読むとき、額にしわを寄せたり何かして、その作品のなかからむやみと
深刻な思想をよみとろうとするような行き方も、また、大いに考えものである」(p116)

これを書いたのは吉田洋一さん。数学者なんだって。
まったく同感としかいいようがありません。
2005/06/19(日) 16:47:36

「改訂 文学入門」(伊藤整/講談社文芸文庫)

→読んだよ、ええ、読みました。
ただ、あんまり記憶に残ってないんです。
まえに読んだ一連の丹羽文雄があまりにおもしろすぎたからかなぁ。
そういえば丹羽さん書いていた。文芸評論などあまり読まないほうがいいと。
あんなのを読んでいると小説が書けなくなるとまで。
その理由は、文芸評論で論じられることと、
小説を創作するメカニズムはまったく別のものだから。
そうすると伊藤整は丹羽文雄と正反対の考え方だったのか。
かれは批評から新しい小説を書こうとしたのだから。
この「文学入門」はその過程なわけです。

えーと、記憶に残っているのは、文学と社会構造は密接に関係しているという主張。
文学史は、社会構造の変遷の、いわば影絵なのだと伊藤整はいう。
源氏物語以後、長い間、日本文学が低迷した原因も社会構造に求める。
多様な階層の交流が文学発展の母胎になるのだという考えがその前提にある。
まあ、わたしから言わせたらだからどーしたと?
問題なのは小説。伊藤くんはどんな小説を書きましたか。
じつはあんま読みたくない。
だってこの「文学入門」わかりにくいんだもん。

ところで例の2ちゃんねるって文学だとは思いませんか。最先端の文学。
これほど「多様な階層の交流」が行なわれたのは有史以来初めてではないでしょうか。
すべては匿名のおかげであります。
医者も弁護士も工員も女給も、みーんなおんなじ名無しさん。