2005/06/19(日) 16:05:16

「佛にひかれて」(丹羽文雄/中公文庫)絶版

→すべて見せます丹羽文雄。
小説のネタにしつづけてきた丹羽家の恥ずかしい過去を大公開。
そんなエッセイである。
おもしろいね、ひとの不幸って。笑えるね、ひとの秘密って。
実際にあったことは、ただそれだけでおもしろいものだとうなった。
丹羽文雄のお父さんもやるなあ。
義母と密通。檀家の未亡人ともやりほうだい。
4回も妻をとっかえて、最後の奥さんは自殺ですか〜。
丹羽文雄のお母さんも、不倫相手を自殺させているから負けてない。
そんな両親を畏怖していた丹羽文雄自身も立派なアルツハイマーになって、
しっかり娘を殺しているんだから(娘・本田桂子は4年前に介護疲れが原因で死去)。
とりあえず丹羽文雄はここらで一区切りにしますが、
いや、ほんとにすごいですね文学。

ブ・ン・ガ・ク♪ 文学万歳〜〜〜〜♪
2005/06/19(日) 15:35:44

「有情」(丹羽文雄/集英社文庫)絶版

→小説に思想がないとずっと丹羽文雄は言われていたらしい。
いま考えたらおかしな話だけど。小説は哲学や思想とは別物なのだから。
だけれども、そうは答えられず丹羽文雄がたどりついたのが親鸞。
実家のお寺が浄土真宗だから、結局、親鸞から逃げ出して(家出=文学立身)、
親鸞に帰ってきたという。まあ、元のさやに収まったということでしょうか。
なんでも亀井勝一郎に
「丹羽文学の真髄には無救の思想がある」
と指摘されたのがきっかけとか。
この小説でもたびたび親鸞が言及されるけど、そこがなんか許せない。
親鸞を「落としどころ」にしているような気がするから。
親鸞という便利なフリーパスを使うことで何者かから逃げているように思える。
そのような感想をもつのはまだ若いからでしょうか。
この小説から引用する。

「この世には、手の出しようのない途方もない大きな力があり、
それで人間があやつられているという考えが私にあった。
どこからそれが来るのかわからない。
抵抗のしようのない力である。そのものは善悪をわきまえていない。
ときには理不尽にあらわれることもあり、
感謝しないではいられないようなあらわれ方もする。
この世には人間以外の何ものかがいる。
しかし、つきとめることはできないのだ。
人間の形をしたものを求めていたので、わからなかったのかも知れない」(「有情」P92)

悔しいけど、なんか慰められる。ほんとうに大きな力なんてあるのかな。
これからわたしはどうなるのでしょう……。
2005/06/19(日) 13:44:18

「無慚無愧(むざんむき)」(丹羽文雄/集英社文庫)絶版

→情痴作家といわれた丹羽文雄が終生こだわったのが生母の問題。
丹羽文雄は寺の長男として生まれる。
7歳のときに母が家出。その家出の原因というのが、
じぶんの夫(養子)と実母がはるかまえから通じていたのを知ったこと。
わかりにくい? つまり丹羽文雄の父(養子で寺にきた)と祖母ができていた。

うーん、愛欲地獄!

で、血は争えぬというわけで、家出した丹羽の母もかなり
エキセントリックな性格で丹羽を困らせるわけです。
そのへんを書いたのが出世作の「鮎」。
その「鮎」から約40年後に書くのは「無慚無愧」。
この小説で丹羽文雄はかれの「不幸」(創造の源泉)の原因たる祖母を描き切る。
いいね、いいね。文学ってすばらしいもんです。
家出した母が文雄少年と会うために戻ってきたシーンがいい。
舞台は寺から追い出された祖母の隠居家。
みずからの業にのたうちまわる祖母。
読んでいると、どこからか太鼓の音が聞こえてきた。太鼓どんどん。
寺の鐘が鳴る音も。鐘はがんがん。
「太鼓どんどん、鐘はがんがん」これこそ読みたいものなのである。
「太鼓どんどん、鐘はがんがん」これを書きたいのである。
それいけ、それいけ、「太鼓どんどん、鐘はがんがん」。
鳴らせ、鳴らせ、「太鼓どんどん、鐘はがんがん」。

太鼓どんどん、鐘はがんがん!
2005/06/19(日) 13:07:36

「こおろぎ」(丹羽文雄/現代文学大系46/筑摩書房)

→短編小説。お勉強として丹羽文雄の中・短編小説をいくつか読むことにした。
だけど、なんだかな。やりきれない暗い話が多いんだ。
これは終戦直後の田舎。都会育ちの未亡人が村の男に慰み者にされる。
最後は肺病をうつされてお亡くなりに。合掌。


「柔媚の人」(丹羽文雄/現代文学大系46/筑摩書房)

→短編小説。文学ってなんのためにあるんだろうね。
人間を知るため? 知ったからといってどーにもならないと思うけど。


「雪」(丹羽文雄/日本文学全集21/河出書房)

→だとすると、文学って娯楽? つまり時間つぶしの一形態?
これなんかいい娯楽作品だと思うな。読んでいてわくわくしたから。
雪山に閉じ込められた温泉宿の従業員。さてどうなるのか。


「浜娘」(丹羽文雄/日本文学全集21/河出書房)

→いまどき丹羽文雄の小説なんて読んでいるのわたしだけだろうな。ふふふ。
そんな特権意識、自己愛撫のために文学ってあるのかもしれない。
わたしが特別になるための文学。
「ある作家を英雄視する→その読者のわたしも特別」みたいな。
でもベストセラーとかはちがうよね。
みんなが読んでいるから読むという形式も文学にはある。

え? 「浜娘」? えーとね、これも未亡人もの。
浜娘が妻子ある男の子どもをはらむけど、堕胎したからぜんぜんOK。
現代はすばらしい。生まれてくる不幸を未然に回避できるのだからという話。
よく考えればそれ正しい。生まれてこなければ不幸なんてないんだから。
さすが丹羽文雄さん! いうことがちがう。 ……????
2005/06/19(日) 12:31:24

「厭がらせの年齢」(丹羽文雄/新潮日本文学28)

→多くの追悼記事で代表作にあげられていたのがこの短編。
日本文学ではじめて老人介護の問題を取り上げたともいわれている。
発表は昭和22年。タイトルが流行語にもなったらしい。
読んでいて笑いがとまらなかった。
第一にこの小説自体のおもしろさ。ぼけ老人の描写が笑えるんだ。
第二は、丹羽文雄といえば、ほらあのアルツハイマーで有名なわけで。
丹羽文雄は81歳で発症して20年間、ボケまくったのです。
介護疲れが原因で娘はアルコール中毒に。
その娘さんも4年前に亡くし、それでも生きつづける丹羽文雄はじぶんの名前もわからず、
大と小を毎日定量垂れ流すだけの生命体へ。
文学者ってすごい。
そんなじぶんのすがたをを60年近くもまえに小説で予言していたのだから。
丹羽文雄っておもしろいな〜と涙を流さんばかりに笑いながらふと思った。
神様とか仏様って、……いるのかも。


「蛾」(丹羽文雄/新潮日本文学28)

→犯罪小説。なぜ男は妻の連れ子を殺したのか。
興味があるのは、偶然が必然に変わるとき。
なぜ行為はなされなければならなかったのか。
ニュースに登場する犯罪者だって昨日までは新聞をにやにや眺めていたはず。
それがどうして犯罪を起こしてしまうのか。
偶然? あるいは必然なのか。宗教の領域である。
丹羽文雄は晩年、宗教文学に行き着いた。
このような小説を書くのは道理である。
2005/06/19(日) 11:59:46

「鮎」「菜の花時まで」(丹羽文雄/新潮日本文学28)

→東京に住んでいるのはやっぱりよろしい。
丹羽文雄、丹羽文雄とつぶやきながら神保町でも歩けば、
100円や200円で文学全集の端本やらなにやら、すみやかに回収できるから。
ちなみに丹羽文雄、ほとんど絶版になっています。

「小説作法」の「参考作品」を読むより、よほどこの「鮎」を読むほうが勉強になる。
「鮎」は丹羽文雄28歳の出世作となった短編小説。
丹羽文雄が全力でこの「鮎」を書いたのがよくわかる。
同時に、これを書かなければならなかったことも。
この小説を誉めるためなら、
「鮎」一作だけが真実で、あとの丹羽文学はおまけとまで言いたいくらい。
「私」の現実に真正面から対峙する抜き差しならぬ緊張は、
読者に作者の痛みを伝えるには十分すぎるほど。

丹羽文雄の「小説作法」を一言で要約したら、
「私(じぶん)をよく見ろ、その私を描け」ということになる。
丹羽文雄は「鮎」でそれを見事に実行している。
この作家は信じられる。
丹羽文雄は決して軽薄な風俗作家ではないことが「鮎」でわかった。
2005/06/19(日) 11:12:58

「小説作法(全)」(丹羽文雄/文藝春秋新社/1958年)絶版

→この本の存在を知ったのはエッセイ集「読書と私」(文春文庫)。
三好京三という直木賞作家がべた褒めしていた。
この本のおかげでじぶんは作家になることができたと。
実を言うと丹羽文雄も三好京三もほとんど知らなかった……。
だけど、そんなすごい本なら、
いや、ええ、はい、正直にいいます、作家になりたいんです。
読後、検索したら三浦綾子も「氷点」を書く際、この「小説作法」を参考にしたとのこと。
(そういえば中学生のとき「氷点」で小説を読む喜びを知った)

「小説作法(全)」は本来二冊にわかれていた「正編」「続編」を合体させたもの。
活字は二段組かつ旧字旧仮名でたいへん読みにくい366ページ。
「正編」ではまず自作「女靴」「媒体」の創作過程を公開する。
(この二作は「参考作品」として収録されている)
モデルはなにで、どういう発想からその元ネタがこの小説になったのか。
続いて、小説全般における創作指導へと移行していく。

この「小説作法」がおもしろいのは、むしろ「続編」のほう。
ある新人賞で最終候補まで残って落選した小説(原稿用紙100枚)をぜんぶ添削する。
一気にその落選小説を読ませるのではなく、少しずつ分割して。
合間に丹羽文雄が、ここがいけない、ここをこう直せ、と指導する。
それが実に的確な助言なのである。うなってしまう。
プロはこういうふうに小説を読む(=書く)ものなのかと。
その落選小説がつまらないかといえば、意外や、けっこうおもしろいのもポイント。
もっとおもしろいのは、丹羽文雄がこの落選小説を
著者に許可を取らないで添削していること。
(「小説作法」は「文学界」に連載された)
そのためあとからこの落選小説の著者から手紙がくる
当然、それも公開される。丹羽文雄のそれへの返答も。

その後も読者との一問一答、
読者の書いた小説の一部分を添削というように「小説作法」は続く。
勉強になりました。うまい小説を読むよりも、はるかに勉強になる。
へたな小説をあえて読む。そこに確かな指導者の手が入る。
この過程で学ぶことが多かった。
それに芸になっている。笑えるんだ。
へたな小説にツッコミを入れる丹羽文雄さん、おかしい。