2005/04/17(日) 07:33:47
「世界地図なら日本史と世界史がひと目でわかる!」(別冊宝島1111/武光誠)
→こーゆーのばっか読むからバカにされるんだ。とほほ。
今までじぶんは高校で世界史を学んでいないと思い込んでいたけど、
それは誤りであることが判明。そういえばやったかも、覚えたかも試験前日に。
で、試験が終わった翌日にはすっかり忘れているという……。
さて、なんでいま世界史か。答えは簡単。知りたかったから。
海外文学を読むなら最低限の世界史くらいは知っておこうと。
宗教にしろ、哲学にしろ、世界史が大前提としてあると。
しかし、そこで迷うわけです。どうやって世界史を独学すればいいか。
どの本から入ればいいのか。
もうはなっから覚えようとは思っていない。受験なんてないんだから。
大枠がわかればそれでいい。瑣末なことはその場で調べたらいいのだから。
本著は独創的な構成。
紀元前20世紀から現代までひとつの世界地図を使う。
つまり5世紀なら5世紀に、どんな国がどこに勃興していたか、何が起こったか、
そんな5世紀のすべてを世界地図でひと目で見ることができるようになっている。
いわゆる横から見る世界史ってやつでしょうか。
ぱらぱら見てると、なんかね、じぶんが神になったような気分になってくる。
ほう、下界ではおろかな人間どもがこりずに戦争をしておるな、ふぉっふぉっふぉ。
はい、神様ならぬわたしが世界史を見ると――。
気づいたこと、ひとつ。
人間って戦争が大好きな生き物なのね〜。
宗教が出てはいがみあって殺し合い。
おなじ宗教でもあれはちがうこれはちがうとすぐに分裂して。
どうしてもっとみんなで仲良くできないんでしょう。
気づいたこと、ふたつ。
日本っておかしな国だと。ヨーロッパから見るとほんと東の果てにある。
日本以外のどこでも国と国とが血なまぐさい殺し合いをしているのに、この国は例外。
すべては海で守られたこの地形のせい。
ということがこの本を見るとほんとうによくわかる。
だから、日本史と世界史、きれいにわかれるのかと納得。
日本史と世界史がまったく別々なものとして成立しうる。少なくとも明治維新までは。
世界史学習、もうちょっと続きます――(あ、この本は2日後に2時間半で再読)。
2005/04/16(土) 11:21:39
「人のセックスを笑うな」(山崎ナオコーラ/河出書房新社)
→タイトル(だけ)がよろしい。
タイトルの命令形って、おそらく実用書が起源。
「いまマンションを買うのはやめなさい」
「やせたいのなら好きなものを食べなさい」
「買ってはいけない」
「人のセックスを笑うな」
うん、実にタイトルがよろしい。
今までの命令形は上からなんだ。上の立場から命令する。
でも本著のタイトルは下からの命令形。
いじめられて、バカにされ、嘲笑される対象が最後に言うのだ。
「人のセックスを笑うな」。
うん、「立ち位置」がよろしい。
的確に今現在における文学の文化的位置を把握している。
お笑い芸人(ダウンタウンのどっちだったか)が
「読め!」という本をだしているのと実に対照的ではありませんか。
すばらしいタイトルだと思う。100円の価値はある。
「人の宗教を笑うな」「人の政治を笑うな」「人の文学を笑うな」。
どれもいまいちぴんとこない。やっぱこれに限る。
「人のセックスを笑うな」――。
2005/04/16(土) 10:54:15
「神、この人間的なもの―宗教をめぐる精神科医の対話」(なだいなだ/岩波新書)
→あ〜、このひとと「ひろさちや」を混同していたかも。
おなじ「ひらがな5文字」だから、ま、仕方ないよね(おいおい!)。
ごめんなさい。
内容。スタート地点は「なぜむかしは精神分裂病がなかったのか」。
ゴール、宗教団体と精神科医はおなじ客層を奪い合うライバル関係にある。
つまり、むかしは精神病患者を宗教がめんどうをみていたから、精神科医は不要だった。
以上を論じた上での結論は、
だから新興宗教なんかに負けないで我ら精神科医ゴーゴー、ハッスルしようぜ!
読み物として楽しかったです。なによりわかりやすいのがよろしい。
たとえばこんな主張がある。イエス、ブッダ、ムハメドは呪術医だった。
彼らは今でいう心身症の患者を治す(当時の奇跡)ことで信者を獲得した云々。
あと、あれも印象的。
宗教っていうと我々はまず教義を知ろうとしませんか。
仏教というのはどういう教えか。カトリックとプロテスタントはどう違うのか。
でも実際に入信(改宗)するひとの多くは、
その宗教団体の教義にではなく、
人間にひかれたことがきっかけとなっている。
そして入信で得られる安心感とは、集団への帰属意識に他ならない。
このなだいなださん、みじんも宗教意識を持ちあわせていない、そこがおもしろい。
笑ったのは、創価学会への揶揄。
どの日本史(現代史)の本も書けないあの「折伏大行進」について言及している。
(折伏大行進=戦後の一時期、創価学会員が急激に増加したことを学会ではこういう)
当時、たいへんだったらしい。
看護婦にひとりでも学会員がいると、同僚の看護婦、患者とあっという間に広がり――。
とくに精神科領域だと信心すれば治るとだいぶお客さんを取られたとのこと。笑える。
いま世界史を勉強している。ふしぎなわけです。
なんで人間ってこんな人殺しが好きなの。
そのひとつの答えを「神、この人間的なもの」から引用。
「人間の歴史は、狂気と正気の戦いでも、正気と正気の戦いでもなく、
狂気と狂気の戦いだ。集団の狂気ほど強い正気意識を持つものはない。
それが宗教だ。(著者は国家も民族主義もマルクス主義もひとしく宗教とみなす)
だから平和主義者を始祖に持つ宗教同士が戦い合った」(184ページ)
*この新書はかなり満足度が高い。啓発的でした。
岩波新書ナンバー1かもしれない。おすすめです。
2005/04/16(土) 09:58:38
「ハートで古文を読む方法」(高橋いづみ/飛鳥新社)絶版
→どえらい本を見つけてしまったのかもしれない。
ブックオフ105円コーナーで。
まえのほうをぱらぱら読む。こ、これこそわたしの求めていた本では?
いぜん読んだ「古典の読み方」(by東大教授)は最悪だったけど……。
著者は駿台予備校の講師。
「古文を理解するのに、品詞分解も現代語訳も必要ない」らしい。
高橋いづみ先生はいう。
文法、めんどくさいでしょ? うんうん。
単語、おぼえたくないでしょ? うんうん。
そんなあなたのためにあるのがこの本だと。
この本1冊を読めば古文文法&単語の知識がいっさいなくても古文が読めるようになる!
うそお、ほんと、たった218ページ読むだけでいいの?
理由はというと、ふむふむ。
古文はハートで読むべし。古文だってむかしの人がハートで書いたんだから。
ハートに古いも新しいもない。ハートが通じれば文法・単語がわからなくてもOK。
そんな著者の主張は高校生ならぬ大人のわたしには通用しないが、
とにかく読みましたよ高橋いづみ先生! ありがとう高橋いづみ先生♪
これでもうどんな古文も読めるようになっているんですよね。
古文のアンソロジーを買ってあるので近々試してみます、楽しみだな!
(始終にやにやしながらこの読了報告を書いていたことを最後にご報告)
予備校講師ってある意味、宗教の教祖(=詐欺師)だと思う。
じぶんについてくればかならず合格させてやる!
脱線。どうせだまされるなら、もっとうまい詐欺師に出会いたいな……。
一生だましてくれるようなすばらしい詐欺師にはどこで会えるのか。
やっぱじぶんが詐欺師になるしかないのか。それでじぶんもだますという方法。
2005/04/16(土) 09:24:32
「日本の古典 ゼミナール」(大野晋他7名/朝日新聞社)絶版
→むかしむかし、それはわたしもまだ生まれぬ昭和49年、
朝日新聞社主催の文化講演会がありましたとさ。テーマは「日本の古典」。
わたしでも名前くらいは知っているようなチョー有名な国文学者が7人も勢ぞろい。
一週間に一度、計七回。朝日新聞購読者のまえで語った内容を採録したのがこの本。
いかにもわたしが好きそうな本だと思いませんか?
著名な学者(権威に弱い!)が、
(きっと)わかりやすい語り口調で(ええバカです)。
ところがどっこい、読み終わるのに時間がかかったなぁ……。
ひとつわかったのは、語り口調ノットイコールわかりやすいってこと。
語り口調かならずしも平明にあらず。
講演がへたくそな学者さんってけっこういるんだ。
やたら「あの論文を参照してください」とかいうドアホも。
一般人が大学の紀要なんて読むはずないでしょうが。
まあ、学者の本分は研究だから。
「チョーク芸人」の予備校講師とはちがうということか。
仕方がないのかな。
そんな中でひとり輝いていたのが加藤周一さん。
このひとすごいね。古事記から明治文学まで一回の講演でやっちゃうんだから。
それもわかりやすく。斬新に。なるほどと何度もうなった。
ページにしてわずか30ページ。
翌日、もう一度読み返しました。加藤周一のページだけ。