05/01/05 13:21:49
「ユリイカ 詩と批評 特集・ギリシア悲劇 1982年8月号」(青土社)絶版
「週刊朝日百科 世界の文学52 ギリシア悲劇」(朝日新聞社)絶版
→突然ですが、ここで問題です。
どちらが悲劇でしょう?
スマトラ沖地震と、夏のパチンコ店前駐車場幼児熱中症死亡事件。
ただしこの場合の悲劇はアリストテレスの定義にしたがうものとします。
答え。パチンコです。
不謹慎ですが(ごめんなさい)スマトラ沖地震は悲劇ではありません。
言葉を正確に使えば、スマトラ沖地震は悲劇の題材になりません。
舞台で津波に流される外国人を見せられてもカタルシスは得られないのです。
一方で、これから述べる若妻は十分、ギリシア悲劇的であります。
*
その日、若妻のA子はいらだっていた。
暑い。もう何日、真夏日が続いているのだろう。
A子の住むアパートには冷房がなかった。
それもこれも夫のB男のパチンコ中毒が原因。
B男は生活費もろくにくれないのです。生後8ヶ月の子を持つA子は大変です。
その日の朝もA子はB男と喧嘩をした。
もうパチンコはやめて。
泣き叫ぶA子にB男は、おれだってやめたいんだ、だけど、だけど……。
ドアの閉まる音がします。今日も同じことの繰り返しです。
A子は車で15分の大型スーパーへ買い物に行きます。
その帰りのことなのです、A子がパチンコ店へ入ろうと思ったのは。
夫のB男がどうしてあんなにはまるのかその理由を知りたい。
それがわかれば夫にパチンコをやめさせることができるかもしれない。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。そんな心境です。
ちょっとだけ、500円だけやってみよう。
我が子のD介はそのまま車内に寝かせておきます。
すぐ帰ってくるんだからと店内へ(これが「ハマルティア」=悲劇的あやまち!)。
すずしい、A子は安らぎます(ここで気づけば……)。
するとどうでしょう、パチンコで玉が出るわ、出るわ。
これがパチンコの楽しさだったのか。A子は有頂天です。
夫の気持ちがようやくわかった。これは夢中になるわけだ。
まだ玉が出る。いったいいくらのもうけになるのだろう。
ああ、今日はなんて良い日なんだろう。
夫との関係改善のきっかけが見つかり、こうしてお金も増えて。
幸せが来るのかもしれない。自分と、夫のB男と、あ、D介!
A子は立ち上がり駐車場へ走ります。
この後の「悲嘆の場」が成功するかは、
ひとえにA子の女優としての力量にかかっています。
*
この物語はアリストテレスの悲劇論に忠実です。
読者(観客)はA子に「憐憫」を感じる。
じぶんだっていつちょっとした失敗で大きな不幸に巻き込まれないかと「恐怖」する。
明日をも知れぬ人生をわれわれも送っていることを気づかされる。
まさにそこにカタルシスが生じるのです。
アリストテレスは近親間の殺害が悲劇にとって効果的だと主張している。
その点でもこの物語は都合がいい。
問題は、自由と宿命の配分量にある。
悲劇の主人公は自由な行動として、そうとは知らずに「あやまち」を犯す。
その結果、宿命としか思えないほどの(「あやまち」に比して過分の)
不幸に見舞われる。
これが悲劇だ。アリストテレスのいう悲劇だ。
「自由(なふとした行動)」から
「宿命(と思わなければやりきれぬ不幸)」への転換が
悲劇の秘密としてある。
悲劇=「自由→宿命」
では、自由を宿命になしうるものは何か。それは神だ!
演劇が宗教的な祭儀を起源にもつゆえんである。
(注)長々と私的な読書メモを書き連ね申し訳ありません。管理人 Yonda? 記す。
05/01/05 12:34:48
「小説とは本当は何か」(中村真一郎/河合文化教育研究所)
→河合塾がだした本。
高校生向けの文化セミナーで中村先生が話したことがもとになっている。
しめしめと思う。とすると話し言葉だな、ふふふ。
しかも高校生向けときたもんだ。こりゃ、わかりやすそうだ。
お世話になります河合塾(以前グリーンコースに所属していた)。
全4回の講義。うわあ、夏期講習みたいだ(遠い目)。
1、西洋の小説の歴史。
2、今度はニッポン。
3、近・現代の小説とは。
4、これからの小説。
批評家さんたち(卵ふくむ)が、みんなバカのひとつ覚えのごとく、
文学の自覚化がどうのといっているのはこういう文脈だったのね。
お勉強しました。
でも、ふしぎ。
なんで小説は発展しなくちゃならないの?
なんで全体小説とやらを目指すのがそんなにえらいの?
こちらはいい小説を読んで感動したいだけなのに。
これって安っぽい? 教えて、中村せんせーい。
05/01/05 12:12:01
「ドラマを解剖する」(マ−ティン・エスリン/山内登美雄訳/紀伊国屋書店)絶版
→165ページの本。2時間ちょっとで読み終わった。
だけど、なんにも印象に残ってないんだ。
同窓会。クラスにひとりはいる「あんなやついたっけ?」。
同様、こんな本、読んだっけ?
あまりにも当たり前のことばかりが書いてあるからかもしれない。
どの演劇書にも書いてあるようなことばかり。
最初の意気込みはすごかったのに残念。
いわく世界はドラマでできている。
映画、テレビ、小説、詩、漫画だけではなく、
首相演説も、井戸端会議も、お台場デートも、砂場遊びもドラマである。
だからドラマを解剖するとは――(失速)。
あれ、こっから先が肝心なのに……。
いまだ世界は解剖されえず。
05/01/05 11:40:40
「グリークス」(ジョン・バートン&ケネス・カヴァンダー/吉田美枝訳/劇書房)
→戯曲。イギリス産。いや、ギリシア産というべきか。
というのも、この戯曲はギリシア劇を10本くっつけたものだから。
まともに上演しようとすると9時間かかるという(6時間半で読んだ)。
さて、われわれがギリシア劇を読もうとする際に障害となるものがいくつかある。
劇のスムーズな進行をさまたげる訳注。
現代では意味不明のコロス(ギリシア劇固有の合唱隊)の叫び。
何より迷惑なのが、学問的には正しいのだろうけど、どこかおかしな日本語。
それらをぜんぶ取っ払ったのがこの「グリークス」なのである。
目くじらを立て抗議する学者連中はさておき、
ギリシア劇は果たしてエンターテイメントになるのか。
答え。なる。
「グリークス」製作過程で削られたものにはわたしもNO。
残したものこそギリシア劇で愛すべき部分だと諸手を上げて賛成したい。
みなさまの答えは? どちらを選択する? 正しさか面白さか。
05/01/02 09:41:43
「詩学」(アリストテレース/松本仁助・岡道男訳/岩波文庫)
「詩論」(ホラーティウス/松本仁助・岡道男訳/岩波文庫)
→徹底的にふざけたくなった。許せ。
古代ギリシアのアリストテレス氏(年齢不詳)は語る。
「ドラマ(=悲劇、以下同じ)ちゅうのはね、行為なんですよ。
人間の行為。行為を行為する。つまり行為の再現。まあ、物真似や。
なんでするのかいうたら、そりゃみんなが好きだからでしょう。
好きでしょ? ほら、おままごとだってそうやん。
それに見るのも好き。なにかドラマがやってるとつい見ちゃういうのが人間や。
じゃあ、そのドラマとはいかなるものか、いかにあるべきか。
それをわしは語りたいねん。
まず、これだけは言っときたい。ええかな。
ドラマはな、観客の恐怖と憐憫の感情を刺激するものなんや。
そんでな、そのふたつのマイナス感情を浄化する、なくすちゅうことや。
これをむつかしいことばでカタルシスちゅう。覚えんでもええわ。
これが目的なわけ。ドラマは観客のカタルシスが目的。
これだけわかればあとはいいんやけど、まあ、もうちょっとつきあって。
あとな、みもふたもない話をすると、
ドラマちゅうのは舞台の上の人間が幸福になったり不幸になったりすることや。
ええか、それにも、うまい、へたがある。教えたる。
うまいドラマはな、うそくさくないねん。ほんものっぽいわけや。
それに、うまいドラマの中では出来事が必然的に起こる。
しょっちゅう交通事故なんて起きたらあかんのや。
つまり人が不幸になるときは、偶然からではなく、
自らのあやまちによって奈落のそこに落ちなければならないということや。
なによりドラマで大切なことは筋や筋。出来事がどう起こるか。
それを忘れたらあかん。ほんじゃわしの講義はここまで。
もっと知りたければわしの本を買ってくれ。おすすめだ。
哲学書なのに意外とわかりやすいと評判だぞえ」
このじいちゃん、意外とまともなことを言っていると思った。