04/08/22 06:26
「ヒンドゥー教の本」(学研)
→インド人の80%以上が信仰しているのがこのヒンドゥー教。
だけど日本ではほとんど知られていないと思う。少なくとも文学の分野では。
どんな宗教かとわたしが聞かれて、一言で答えなければならないとしたら、うーん。
おかしな宗教です。奇天烈宗教、奇想天外、言いすぎかな(笑)
だって10年間、腕を下ろさない修行者(サードゥー)とかいるし。
ヒンドゥー教を簡単に説明すると、この宗教の究極の目的は輪廻転生からの解脱。
なぜって生きてるのってつらいじゃん。特にインドは暑いし、貧しいし。
というか、生きている限り「苦」はつきまとう。
動物に生まれようが、人間に生まれようが。
じゃあ、どうすれば解脱できるのか。悟ればいい。
「梵我一如」(ぼんがいちにょ)ということを。
「梵」(ブラフマン=宇宙の根本原理)と
「我」(アートマン=個人の本体)が
同一のものであることを知ること、それが「梵我一如」の意味することである。
あってるのかどうかわからないけど、こういうことかな。
自分というものを突き詰めればそれは即宇宙の真理なんだと。
偶然と思えたものはすべて必然だったんだと。宿命のさなかにしか自由がないと。
ぶっちゃけ(こういうのが正しいのかわかんないけど)自分の中にも神がいるんだと。
そのことを発見するのが「梵我一如」ではないのでしょうか。
そしてそのとき初めてひとは解脱できる――。
よくわかりませんね。インドでたしかめてきます。それでは、
インドへ行ってきます!
(注)思い出します。こうしてうちの主人は去年の8月、ボクを置いてインドへ旅立ったのです。管理人 Yonda? 記す。
04/08/21 08:32
「シャクンタラー姫」(カーリダーサ/辻直四郎訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。インド産(笑)。
えとですね、このカーリダーサは4、5世紀の人で、インドでもっとも有名な劇詩人。
「インドのシェイクスピア」なんて西欧で言われたこともあったらしい。
うそうそ! シェイクスピアなんておおげさにもほどがある。
つまらない。ギリシア悲劇をぜんぶ読んだわたしだから読了できたようなもの。
(つまらないものに慣れているから)
王様がお寺で美女と出会って大恋愛して子どもまで作っちゃいました。
しかーし、聖者にふとしたことから呪われて王様の記憶が消失。
美女がお城に会いに行っても、王様は知らぬ存ぜぬの一本槍。
だけど神様は見ているもの。指輪がきっかけとなって王様の記憶が復活!
ふたりはめでたくむすばれました。
だから何? なんて言わないのがおとなってもんです。
「ヒンドゥー教 インドという<謎>」(山下博司/講談社選書メチエ)
→第一部はわかりやすくてよかったけど、第二部のインド哲学史がさっぱり……。
インド哲学ねえ。
世界が鉄でできていようが、夢でできていようが、愛でできていようが、
そんなことはどうでもいいんです。
哲学なんて大っ嫌い。世界の成り立ち? 興味ありません。
酔生夢死でいいです。お酒さえあったら。
04/08/20 07:54
「ひろさちやが聞く ヒンドゥー教の聖典」(ひろさちや・服部正明/すずき出版)
→何か知識を得たいと思ったら、
この本のような対談形式のものがいちばんわかりやすい。
話し言葉というのはごまかしがきかない。
書き言葉のように、わかっていないことをさも理解した風に書くことができない。
というのも、目の前に聞き手がいるから。
最低、その人にわかってもらわなくちゃならないから。
この本はよろしい。わかりやすい。
宮本輝がよくいう。
難しいことを簡単に言えるようになってこそ本物だと。
だからひろさちや氏も、服部正明氏も本物である。
話を難しくしようとする服部正明氏を、
わかりやすいほうへ簡単なほうへと 誘導するひろさちや氏の手腕には脱帽。
ヒンドゥー教を仏教、キリスト教、ユダヤ教などと比較してくれるがたいへんわかりやすい。
うん、勉強ってつながっている。
いぜんギリシア神話で学んだことが、こんかいインド神話を学ぶ際どれほど役に立ったか。
04/08/20 07:53
「VITAL 1700 英単語・熟語」(吉田研作/文英堂)
→中学必修語から高校英語1まで、だそうです。
道理で知らない単語・熟語はひとつとしてない。
でも思うんです。英語を「読む・聞く」と「話す」の間には大きな隔たりがあると。
わたしは英語を読める、ある程度までなら聞くこともできる。だけど、話せない。
日本にあまた英会話学校があるけど、学校に通って話せるようになったひとなどいるのか。
英会話とは技術ではないのだと思う。
じゃあ、なんなんだと聞かれたらこう答える。英会話は欲望である。
話したい。どうしてもこれを伝えなくてはならない。
その欲望が「英会話」をただの「会話」にする。
英会話をしたいというのがおかしい。したいのは会話でなければならない。
「戯曲の書き方」という本に書いてあった。
登場人物のセリフがうそ臭いとしたら、それは欲望に基づいて話していないからだ。
ハムレットは危険なデンマーク城内でどうしても話さなければならないことを話したのだ。
旅とはドラマである。出会いである。別れである。
わたしは話したい、聞きたい、感じたい。
だから今回、こんな恥ずかしい英単語集で基礎を固めた。
とすると、話せるかどうかは、あとはわたしの欲望次第ということになる。
04/08/20 07:25
「インド昔話抄」(山室静/レグルス文庫/第三文明社)
→古いものが大好き。新しいものは大嫌い。なんでだろう?
むかしは人並みに新しもの好きだったのに……。
昔話はよろしい。現代のわけがわからん前衛小説なんかよりよほどいい。
昔話が現代まで残ったのにはきっと理由があると思う。
幸福とは何か。生きるとは何か。死ぬとはどういうことか。いかに生きるべきか。
昔話はそういった究極的な問いへの回答を暗示している。
しかもだれにでもわかる平明な形で書かれている。
思い出しませんか。幼少、祖父や祖母から聞いた昔話を。あの何ともいえぬときめきを。
04/08/16 04:25
「万人に語りかけるブッダ 『スッタニパータ』を読む」
(雲井昭善/NHKライブラリー)
→インドに持参しようと思っている「ブッダのことば(スッタニパータ)」。
これはその解説書。
スッタニパータというのはあまり日本では知られていなかったらしい。
理由はその大部分が漢訳されなかったから。
したがって北伝仏教の国である日本では古来、あまりかえりみられることはなかった。
南伝仏教で重視された原典とのこと。スリランカとか。
特徴はブッダの生まれた地方の方言で書かれていること。
すなわち成立が古いと予想されること。
ブッダ入滅ウン百年後に書かれた法華経などとは異なり、
かなりブッダその人のことばが入っていると予想されるゆえんです。
以上のことをこの解説書で教わった。
それは感謝するけど、この本自体はなんだかな。
というのも著者はその「スッタニパータ」を解説・引用しながら、
いまの日本へありきたりな説教を織り交ぜるんだ……。
最後には例によって気持ちの悪い自作のポエム(自信作2つ)を書き入れたり(苦笑)。
雲井さん、わかりやすい解説だけじゃ満足できませんでしたか。ああ、そうですか。
そこまでしてじぶんのポエムを世に問いたかったのですね。
うん、そう考えると、かわいく思えないこともない。
04/08/13 09:06
「釈尊の生涯」(中村元/平凡社ライブラリー)
→インド行きが正式決定して、いまやばいってくらい勉強意欲が噴出している。
インドに行ったら三ヶ月間、ろくに本を読めなくなるからでしょうか。
出発までのあと九日間、気が狂うくらい勉強してやるといささか躁状態。
仏教にヒンドゥー教、インド神話。それにあと完全に忘れている英会話も。
ほんと一分一秒でも勉強する時間が惜しい感じなのです。
本書の内容はタイトルどおり。
仏教って難しいイメージがありませんか。
やたら難解な漢字ばかりの専門用語が出てきて。
でもあれって後世の仏教徒が釈尊の教えを解釈したものなんだと。
釈尊自体は「対機説法」というけれども、人を見てその人にあった教えを説いたのだと。
学のないひとへは平易なことばで。哲学的な問いには、それにあわせたことばで。
そんな観点から神話化された釈尊の実体に迫っていこうというのが本書。
文章もわかりやすくなかなか勉強になった。
04/08/11 10:12
「タイ怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→帰国便で一万円払えば、タイで途中降機できるんです。
だからタイへ行こうか迷いながら読んだのがこの本。
タイ行くのやーめた。なんかインド修行旅行とはあわない。
タイは別口で旅行したい。
04/08/11 10:12
「インド聖地巡礼」(久保田展弘/新潮選書)
→インドでは聖地をまわろうと思う。
山頭火に「どうしようもないわたしが歩いている」という句がある。
実に宗教的な句です。
この句は「どうしようもないわたしが/歩いている」ではなく、
「どうしようもない/わたしが歩いている」と読むべき。
どうしようもない。だから歩くほかない。
この「どうしようもない」こそ、古今東西あらゆる宗教の湧き出る泉ではないか。
芸術さえもと思う。
この地点から出発していない芸術が古典として後世に残ることはあるのか。
どうしようもない痛みは人をして宗教へ芸術へと向かわせる。
インドの聖地を歩きたい。
聖なる大河、ガンガーを河口から源流へとさかのぼりたい。
釈尊の生誕地、悟った場所、初転法輪の場、入滅地を巡礼しながら
仏教思想について考えてみたい。
現在のわたしがあるのは父と母が出会ったからである。
なぜ出会ったのか。なぜそのもとでわたしは生まれなければならなかったのか。
そこにはどうしようもない力が働いている。
仏教の縁起思想である。今回のインド旅行で持っていく本は二冊。
「山頭火句集」と「ブッダのことば」。
えーと、本書「インド聖地巡礼」はだめ。
助かったのは、聖地を知るという情報面だけ。
何より文章がまずい。百科事典みたい。旅情みたいなものがまったく感じられない。