04/08/11 09:38
「ASIAN JAPANESE アジアン・ジャパニーズ」(小林紀晴/新潮文庫)
→これを読んで、ふいと インドへ行っちゃおうかな と思った。
恥ずかしいことだと思う。
難解な仏教書がきっかけだったり、大失恋がきっかけだったら、かっこがつくのですが。
旅行エッセイ。
著者がアジアを放浪するさなかに出会った日本人旅行者を
写真と一緒にレポートしたもの。
欠点と長所はコインの表裏の関係にある。
著者の幼さが、うまく鋭敏な感性へと転化している。
まえにも書いた。
旅で出会う人はその旅行者の本質と係わっているのではないか。
そう思ってみると、写真が掲載された旅行者はみなどこか似た部分を持っている。
それは純粋さである。
みな一様に真剣で、それゆえに一本気に悩んでいる。
行くことにしましたインド。3ヶ月。
今回のインド旅行でいったいどのような人と出会うのでしょうか。
それにしても信じられない。2週間後にはじぶんがインドにいるなんて。
04/07/29 07:59
「海岸列車(上・下)」(宮本輝/文春文庫)*再読
→ふと思った。タクシーが宮本輝の小説をダメにしたのではないか。
宮本輝はこれを書く数作前から、小説の質が哀しくなるほど落ちはじめた。
その原因はタクシーにあるのではないか。
登場人物がやたらタクシーに乗る。そのくらいなら歩け。電車を使え。
そう怒鳴りつけたくなるくらい小説内人物が頻繁にタクシーを利用する。
タクシー。安易な交通手段。
金を払っても楽をしたいがためにひとはタクシーに乗る。
宮本文学本来の魅力とは異質の(小説内)道具であるように思うのはわたしだけか。
「春の夢」で金のない哲也は陽子に会うため雨にぬれながら隣駅まで歩いた。
「青が散る」で二日酔いの燎平は夏子がいるホテルまでタクシーに乗らず歩いた。
「海岸列車」では歩くことをやめてタクシーに乗る――。
「海岸列車」上巻を読み始めてすぐ投げ出したくなった。
偶然を簡単に使いすぎるんだもん。そんなことあるわけないじゃん。
無理して読みつづけても、偶然の一致の連続。シンクロニシティ大安売り。
それとやめてください宮本輝先生。創価学会思想の抜書きは。
「因果倶時」(創価学会用語)とかいわれても一般読者は興ざめです。
あと日蓮が二箇所、言及されているのにもげんなり。
やたら長いけどページ数を食っているのはグルメ自慢、日本の悪口、若者への説教。
この後に宮本輝が連綿と書きつづける長編小説の欠点(上記3点)、
その萌芽がすべてこの「海岸列車」にあるといっても過言ではありません。
04/07/29 07:19
「五千回の生死」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→近松門左衛門の有名なことばがある。
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。
……虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有たもの也」
宮本輝が作家として目指した境界はここにあるのではないか。
虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。
その間にある感動を宮本輝は書こうとする。
かれは信じているのである。
その感動を与える以外に芸というものの存在理由はあるものかと。
「五千回の生死」は短編小説集。
ここに収録されている「アルコール兄弟」は
宮本輝が全集に入れるのを拒んだという逸話がある。
読んでみるとたしかに失敗作。なにを書いているのかさっぱりわからない。
「避暑地の猫」(宮本輝/講談社文庫)*再読
→宮本輝作品としては異色作。悪人しか出てこない小説を書こうとしたらしい。
この悪人路線は「避暑地の猫」一作でやめてしまったようです。
天才にしか書けない小説。
うーん。天才とは書きましたが、再読した今回は裏の設計図が見えてきたのも事実。
創価学会の思想から、ある程度までは絵解きすることができる。
といっても、所詮「ある程度まで」。
そこから先は天才にしか見えない「光と闇」があるのだと畏怖するほかありません。
04/07/28 08:18
「酒とつまみ 第5号」
→お酒の雑誌のナンバー1はこれ。
「サントリー・クォータリー」の5倍はおもしろい。
理由はたぶんビンボーだから。
たしかにあっちはサントリーの広告もかねているから、
写真はいっぱいだし、著名作家に文章を書かせている。
一方、こっちはカラー写真なんてひとつもないし、書いているのは無名ライターばかり。
取材費というより自腹で飲んで報告していそうな感じ。
だけど、そのチープ感がたまらないんだ。うわわん。
限られた書店でしか売っていないけど、見つけたら買ってあげてください。
なんか応援したくなるのです。
04/07/25 10:50
「道行く人たちと」(宮本輝/文春文庫)*再読
「メインテーマ」(宮本輝/文春文庫)*再読
→どちらも宮本輝の対談集。
対談相手は作家、評論家、映画監督と多様。
なんであれ、いろんな分野におけるひとかどの人物たちである。
なんなんでしょう、成功する人と、失敗する人の差というのは。
成功した落語家なんてすごいこと言うもん。自画自賛の極み。
貧乏自慢からはじまり、自らが発見した成功方程式を喜色満面に語ること、語ること。
あーあ。わたしも成功したいな。どうすればいいのでしょう。
宮本輝は小説でよく「天分」とか「星まわり」という言葉を使う。
わたしの「星まわり」ってよほど悪いのかな。
どんな「天分」を与えられているのでしょうか。
なんか元気のない読了報告でごめんなさい。こんな日もあります。
04/07/22 11:32
「インド怪人紀行」(ゲッツ板谷/角川文庫)
→またもやインド旅行記。なんでこんなのばっか読んでいるんでしょう(笑)。
でも旅行エッセイっておもしろくないですか?
あることに気づいた。
紀行文には「作者=出会う人・遭遇する事件」という法則があるに違いない。
作者が旅行中に出会う人というのは、ものの見事に作者自身を現わしているということ。
宮本輝が「命の器」というエッセイで書いていた。
どの人にもその人の「命の器」というものがある。
人間はその器の似ている人としか出会わないという法則がある。
この広大な宇宙の神秘のひとつとしてそういう法則があるという。
たとえば、ついている人はなぜかついている人と関係していく。
意地悪な人はどうしてかおなじような性質をもつ人間とつるんでいく。
これを考え尽くすとひどく残酷な思想になるように思うのだけれども。
で、旅行中に出会う人というのも、
この「命の器」が関係しているのではないか という推測はわたしのオリジナルです。
たとえば、前述のたかのてるこは善人としかなぜか出会わない。
さて、この本の著者、ゲッツ板谷はどうか。どんな「命の器」を持っているのか。
ゲッツ板谷は見事天晴れというほかない職人的売文家である。
売文業に誇りをもって、とにかく読みやすくおもしろい文章を書こうとしている。
テレビを見ながら読める文章を書くことのできる人はある意味で天才かもしれない。
文体はどこまでも軽い。
ガンジス河を見たところで文学者のように深刻ぶることはない。
「きったねえ河」、それで終わりである。
著者は1964年生まれ。 ぎりぎりの笑いを取る。
たとえば、駅にたむろするインド人の写真の下に、
「ホームに寝転ぶインド人。凶暴なシャチを放ちたくなった」
と書くんだから。
結果、彼が出会う人・遭遇する事件もなんとも不可思議かつ豪快で笑えるのである。
04/07/21 09:20
「風呂で読む 漂白詩人」(大星光史/世界思想社)*再読
→芭蕉、五行、良寛、一茶、井月、放哉、牧水、山頭火、以上8人を掲載。
この本ではじめて作品に接した俳人・歌人も少なくない。
五行と牧水はとりわけお気に入り。単体の句集がほしくなっている。
だけど、俳句・短歌は風呂で読むのがいちばんという気もする。
部屋でじっとにらめっこすると疲れそうだから。
お風呂でぽーっとしながら、一句読み、その意味をぼんやり考え味わう。
極楽の時間であります。
04/07/20 13:10
「ガンジス河でバタフライ」(たかのてるこ/幻冬舎文庫)
→インド旅行記。インドにもう一度行きたいな、でも行けない。
だから定期的にこういう旅行エッセイを読み、精神の安定を図る。
こういう本にあーだ、こーだいうのは無粋。
旅行エッセイは文章も写真も内容もどーせどれも似たり寄ったりなんだから。
インド旅行の雰囲気が脳内で味わえればそれで良し。
だけど、このたかのてるこさんはどんなお顔をしているのかとふと思った。
すごいんだこのひと。インド人に声をかけられてほいほい家までついていく。
もちろん男。何度も何度もついていく。
それで危害に遭ったりはしないんだから、ほんとたかのてるこって何者?
よほどのブスと自分を思っているのか。
それともリアル天然ちゃんで、たまたま人徳があって悪いインド人が寄ってこないのか。