04/07/20 12:50
「熊野誌 第五十号記念別冊 特集 中上健次・現代小説の方法」
(熊野地方史研究会・新宮市立図書館・中上健次資料収集委員会)
→今から20年前に中上健次が東京堂書店でやった講演、
「現代小説作法」(四回連続) のテープを文字に起こしたもの。
いいでしょ、読みたいでしょ?
あの中上健次先生による「現代小説の書き方講座」ですぞ。
話し言葉だからすらすら読むことができた。でも難しいんだなぁやっぱ。
難しいというのか、うーん、作家ってほんと精神病患者と紙一重だと思った。
話すことが支離滅裂、飛びまくり、精神医学でいうところの「思考奔逸」。
二日酔いの話からいきなり小説の構造へ話が飛ぶ。
しかし中上本人の中ではどうやらつながっているらしいのだからすごい。
というか、あの顔と体で話すことに「わかりません」とは間違っても言えない(笑)。
だけど中上はもう死んでいるし、ここはネットだから言う。
なに言ってんのかさっぱりわかりませんよ、中上せんせ〜い。
ところどころで「なるほど」とうなずくともう話は別のほうへ飛んでいる。
引用。
「文字を書くというのは、単に書くことが好きだからということじゃなくて、
うめく行為 みたいなものとほとんどくっついている」(P28)
特集:創価学会関連本
04/07/20 12:19
「大乗仏教入門」(平川彰/レグルス文庫/第三文明社)
「教学の基礎 仏法理解のために」(創価学会教学部編/聖教新聞社)
「やさしい生命哲学」(聖教新聞教学解説部編/第三文明社)
「現代科学から仏法を見る なぜ祈りが叶うのか」(スタンレーオオニシ/第三文明社)
→ちょっとえらくないですか? 見てください、この読んだ本を。
偉いとこはふたつ。
ひとーつ、物語も娯楽性もまったくない無味乾燥な本を4冊読んだこと。
ふたーつ、ふつう知人から送りつけられる類の宗教本を自腹を切って買ったこと。
創価学会員って半端じゃなく多いらしい。
だから教義も簡単かと思っていたら、とんでもない。すんごい難しい。
「十界互具」、「一念三千」、「心身不二」、「願兼於業」――。
一週間くらいこんな言葉と格闘していたような気がする。
いまじゃそこらへんの学会員さんより詳しくなっているかもしれない(笑)。
書きましょうか、「3分でわかる創価学会!」。
さてさて、創価学会という宗教団体はとかく胡散臭げに見られおり、
学会員は毛虫か何かのように嫌われているらしいけど、どうしてどうして。
創価学会の教義自体はものすごく深くて中身がある。
たしかに宮本文学の根源たるにふさわしい、汲(く)み尽くせないほどの深みがある。
古今東西どれだけの秀才が集まったらこんな深遠な哲学を構築できるのかと思うほど。
そんなに誉めるのならなぜおまえは入信しないのかって?
そこなんです。なんで入信しないんでしょう……。
嫌いなところがある。創価学会に入らないと不幸になるという教義。
ふーん、なら不幸でいいもんと開き直りたくなる。
いきがっているわけじゃない。心底から、あるいは地獄の底から、
不幸? いいよ、おいで、どんとこいと鼻で笑う自暴自棄で冷たいわたしがいます。
04/07/20 11:36
「星々の悲しみ」(宮本輝/文春文庫)*再読
「二十歳の火影」(宮本輝/講談社文庫)*再読
「命の器」(宮本輝/講談社文庫)*再読
→宮本輝は天才である。
現代小説を何か読む。たいがいの小説は底を察することがまあできる。
しかし宮本輝の小説はあまたある現代小説と根本から異なっている。
底が見えない深みがある。
あるいはいくらハシゴをのぼっても、とうていたどりつけない高みに氏の小説はある。
わたしごときがどれだけ人生経験をつもうが書けないものがそこに書かれているのである。
なんであんなすごい小説を宮本輝は書けるのだろうか。
その秘密はどこにあるのかと宮本輝個人に興味を持つ。
すると宮本輝の裏側に2500年の歴史を持つ仏教が見えてくる。
仏法、日蓮、創価学会――。
宮本輝は作家になりたくて創価学会に入信したのではないという。
創価学会に入ってしばらくしてから、この教えを小説で広めたいと思ったとのこと。
共産党には共産主義の作家がいる、キリスト教もそう、なら創価学会からは自分が、と。
かなわないなと思う。
宮本輝の小説には何か壮大なもの――宇宙的な広がりのある何ものか――
を信じている人間でなければ書けないものが描かれている。
信じることから生じる力強さがある。
04/07/04 07:14
「春の夢」(宮本輝/文春文庫)*再読
→まえにこれを読んだのは大学に入ったばかりのころだったか。
だからだと思う。上質な青春小説として記憶に残っている。
今回再読してみて、あららと思った。うわっと。
よく言えば荒削り、わるく言えばへたくそな小説。
大学で東洋哲学を受講しただけの(たいして頭も良くないという設定の)主人公、
哲也がおかしい。
「歎異抄」否定の仏法議論を友人とする。輪廻転生に思いをよせる。
いくらなんでも不自然だって!
一言、「哲也は創価学会員であった」と書けたらすべて解決するんだけど(笑)。
そして初期小説だからだと思う。
読んでいて恥ずかしくなるくらいに宮本輝の(しいては創価学会の)仏教観がでている。
デビュー作の「螢川」「泥の河」で書くまいと自制していたものを
すべて放り出したかのようである。
登場人物のひとり、磯貝は哲也に本を投げつけた後に言う。
「俺が投げたから、その本は井領(哲也)のところに飛んで行ったんや。
本が勝手に飛んで行ったんやないで。結果の前には、必ずその原因があるんや。
それが物理学の基本やろ。
原因のない結果なんて、この宇宙にひとつとしてあるか?
あったら教えてくれ。(……)
この世のいっさいの出来事は原因があるから結果があるんや」
両親をどちらもふしぎな鉄道事故で亡くし、自らも重い心臓病を患う磯貝はつづける。
「 なんで人間は、
生まれながらに差がついているんや。
それにも原因があるはずや。
そしたら、生まれる前に、その原因を作ったとしか考えられへんやないか。
そう考えるのが、一番理にかなってると思えへんか?
ある人は金持の家に生まれる。ある人は貧乏な家に生まれる。
ある人は五体満足で生まれる。ある人は不具で生まれる。
あらゆる事柄に原因と結果があるのに、人間だけが、
持って生まれたそんな差別に何の原因もないと考える方がおかしいやないか。
人間は覚えてないだけで、
この世以外の人生を、以前に確かに経験してるはずや。
それで、いろんな借金をかかえて死んだんや。
それから眠って目を醒ますみたいに、また生まれてきた。
そやけど借金は消えていない……」(P106)
ここに宮本文学の原点を、見る。
宗教と文学のぎりぎりの接点を、見る。物語を生む豊かな土壌を、見る。
前世の因縁うんぬんと高額のツボをうっかり買ってしまう危険性まで、見る。
このツボと池田大作氏が同じかどうかはまだわからない。
04/07/04 06:13
「愛と死との戯れ」(ロマン・ロラン/片山敏彦訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス産。
この戯曲には人生の究極的なテーマが凝縮している。
主要登場人物は三人。
三人とも「愛を取るか、(愛ゆえの)死を取るか」のはざまで葛藤する。
ときはフランス革命。
登場するのは高名な老政治家、その若い妻。
彼らの家に逃げ込んでくる革命家は、その妻の愛人である。
密告され、追っ手は迫っている。
愛か、死か。
愛とは何かが問われている。
(革命家は)愛するなら生きるべきか、愛するなら死ぬべきか。
そして政治問題がある。
政治とは「みんなの幸福」を目指すものである。
となると、ここには個人の幸福か、全体の幸福かという問題も出現する。
革命家の存在は是か非か。
三人は迷いに迷う。ここには確かに「劇」がある。