04/07/02 11:47
「創価学会とは何か」(山田直樹/新潮社)
→これを読むと創価学会って怖いんですね。
悪戯電話とかやめてください。悪口は書きませんから(たぶん)。
本書はアンチ学会本。政治的な創価学会の力を警戒せよというのが主張のメイン。
もう創価学会が日本を動かすようになっているとのこと。
というのも、自民党だって創価学会の力を借りないと与党を維持できないから。
あはは。すごいや創価学会。
仏壇の中に次のように書いた紙を入れて勤行(ごんぎょう)するらしい。
「御祈念 打倒仏敵四人組(日顕・山友・竹入・新潮社)」。
ならなんで宮本輝は新潮社から本をだしつづけているのだろう。ふしぎである。
あと、げんなりしたこと。
宮本輝「優駿」の主人公の名前は「博正」というんだけど、
これ池田大作氏の長男の名前なんだね。笑えません。
04/07/02 11:19
「錦繍」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→宮本輝の小説でいちばん再読の回数が多いのがこれです。
どれだけ感銘を受けた小説でも5回も6回も読めばおのずと仕掛けが見えてくるもの。
エピソードもストーリー展開もほとんど記憶してしまっている。
実はそうとうにきわどい小説だと思う。信仰告白というのか、なんというのか。
たとえば犯罪被害者というものがいる。
この小説はその人たちに、あなたは自分のせいでそうなったのだと
罵倒しているようにも読めるわけである。
それはあなたの業(ごう)だ、あなたが悪かったからそうなったのだと。
宮本輝はこの小説で「因果」(仏教用語)を展開させている。
悪い「(結)果」(犯罪被害や障害児誕生)が出たということは、
必ず悪い「(原)因」があったに違いない。
ふつうはこんなこと言えないでしょ?
不幸な人に向かって、あなたが悪い、自業自得だ、なんて言えますか?
でも宮本輝は言えるんです。なぜなら信仰があるから。創価学会への。
そこが宮本輝を天才たらしめている根本だと思う。
宮本輝は「因」が「果」になるゆえんの「縁」を小説に書くわけです。
そして主張する、現在の重視を。今刻々と流れていると「時」を見よ。
これらも「因」である、
だから良い「因」をなせば必ず良い「果」(功徳)が得られる(=創価学会思想の根本)。
わたしが冒頭にこの「錦繍」を「きわどい」と形容した理由を
わかっていただけましたか。
おそらく宮本輝の小説の中でこれはもっとも宗教的な小説でしょう。
表層的な「感動」の底をじっと見つめていると恐ろしい「地獄」が見えてくる、
そういう小説です。
亜紀母子が満天の星空を見ていたとき、有馬はネズミを食い殺す猫を見ていた。
この場面に「錦繍」の魅力が象徴されている。
04/07/02 10:55
「幻の光」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→最愛の夫が原因不明の自殺、そこからどう主人公の女性は立ち直っていくか。
できすぎていると思った。そりゃ、そう書いちゃ、そのとおりだけど、うーん。
ふつうの小説家がスタート地点から小説を書き始めるとすれば、
宮本輝はゴール地点から書いているようなところがある。
宮本輝自身は中上健次との対談では次のような言い方をしているけれども。
「だから人間は、反対のことをやっていると思うのね。
心から花が生じるとか、心から月が生じるとか。
僕は、違うと思っている。『花こそ心よ、月こそ心よ』
そういう気持ちですね。
おそらく多分、いまの作家たちは、自分の心から花をつくろうとか、
自分の心から月をつくろうとしていると思う。
だから、小説がおもしろくないんです」(「道行く人たちと」)
04/07/02 09:28
「月光」(井上靖/文春文庫)
→先日のちょっとした小旅行のおり、往復の電車で読んだ本。青春恋愛小説。
といっても「セカチュウ」とは似ても似つかぬ。出版されたのは昭和35年。
「貞淑」だの「家柄」だの、今では聞きなれない言葉がずらりとせいぞろい。
主人公は結婚適齢期の女性。ふたりの男性から求婚されて迷っている。
ひとりは幼馴じみ。
「サザエさん」にでてくるノリスケさんみたいな感じ。
もうひとりは会社の同僚。
「美味しんぼ」にでてくる山岡士郎タイプ。豪放磊落(ごうほうらいらく)。
三人がそれぞれ自らの誠実を問い、愛に悩み、幸福を指向するその葛藤――。
ほのぼのとした気持ちになった。こんな時代があったのかと。
この小説を自分の恋愛と照らし合わせながらまじめに恋愛をした世代。
今はもうおじさん、おばさんなんだろうな。
もしかしたら、もうおじいさん、おばあさんかも。
電車に揺られながら、窓外に広がるのどかな田園風景にしばし見入った。
04/06/27 13:20
「優駿(上)(下)」(宮本輝/新潮文庫)*再読
→小説を読むというのはほんとうに楽しいことなのだと改めて実感させられた。
読みやすい文章、時間を忘れさせる物語、魅力的な登場人物――。
この「優駿」は至れり尽せりの感があります。
最初にこの小説を読んだときは圧倒的な感動に押しつぶされたかのようで、
ただ涙にまみれ、「生きよう、生きよう」と随喜の嗚咽をもらすのみだった。
恥ずかしいけどほんとうなんです。
今回の再読では残念ながらそこまでの感動は味わえなかった。
こういう小説を書けるひとは幸せだなぁと
観客席のいちばん後ろから舞台の上を見やる気分。
けっして自分が立つことのない舞台を、羨望の思いで、ため息をつきながら。
たしかにすばらしい舞台(小説)ではあったけど、それは舞台の上だけの話だから。
そう出口に近いいちばん後ろの席でわたしは思った。
ひとつ再読して気づいたことがある。これはネタバレになるから注意して。
宮本輝は最後にオラシオンを勝たせていないこと!
初読のときはまったく気づかなかったけど。
オラシオンは実際は負けているのに「運」のおかげて勝利したことになっている。
やはり宮本輝という作家の宿命を見据える視線には恐ろしいものがある。
04/06/23 20:00
「火の鳥4 鳳凰編」(手塚治虫/朝日ソノマラコミックス)*再読
→今回「仏教つながり」で読んだけど、手塚漫画のなかでこれがいちばん好き。
これほどの恐ろしい物語を作ることのできた手塚治虫の天分を思うと寒気がする。
そして、ここまで到達できた文学作品がどれほどあったろうかとも思う。
何度、読んでも感動する。物語の力に満ち溢れている。
昨晩、勘違いからうっかりトラックバックを消してしまいました。
たしか3件、あったように思います。
実はよくトラックバックの仕組みもわかっていないのです。
ごめんなさい。
今後、このようなことはいたしません。
なにとぞお許しください。
管理人 Yonda?