昭和22年3月6日、生まれる。本名は宮本正仁。

→中学生の宮本少年、父の浮気癖、それによる母のアル中に悩む。
→読書に逃避。母から10冊の古本を買ってもらい耽読する。
→母が自殺未遂。その日、井上靖の『あすなろ物語』を読み感銘を受ける。
→母のアル中は治らず、苦しむ母はさまざまな新興宗教に手を出すようになる。
→母、創価学会に入会。
→高校生になった宮本はそんな母を憎悪し、学会も嫌悪する。
→宮本、大学受験に失敗。
→予備校には通わず、図書館で世界の文学作品(主に仏、露)を耽読。
→無名の新設大学、追手門学院文学部英米語学文学科に一期生として入学。
→テニス部に入る。読書からテニスに関心を移す。
→1学年下に在学していた、現在の妻、大山妙子と交際を開始。初エッチ。いやん。
→父、逝去。宮本母子は借金取りに追われるようになる。
→なんとか大学を卒業。小さな広告代理店(サンケイ広告社)に就職。競馬にハマる。


→紆余曲折はあったものの、大山妙子との結婚にこぎつける。
→突然「不安神経症」を発症する。勤務もままならなくなる。
→病気を治すために、母のすすめで創価学会に入会。
→折伏に走り回る。同僚の女性事務員の勧誘に成功。
→創価学会中等部を担当。中等部主催の演劇会で脚本を書く。処女作。
→池田大作の次の言葉にインスピレーションを受ける。
→「サルトルは言った。文学はアフリカの飢えた子供に何ができるのか?」
→宮本、自分が小説で素晴らしい学会の教えを広めようと決意する。
→会社に辞表をだす。タイを舞台にした小説(「無限への羽根」)を書き始める。落選。
→作家デビューするまでの無職の3年間は老母の収入のみで生活していた。
→創価学会文芸部の要職にいた、池上義一と知り合う。
→池上の主催する同人誌「わが仲間」に加わる。池上の仕事を手伝うことも。
→池上の指導のもと『泥の河』『蛍川』と書きつぐ。
→『蛍川』で芥川賞。『泥の河』で太宰治賞。文壇デビュー。
→不運にも結核を発病。入院生活を余儀なくされる。
→病床、池田大作から励ましの手紙をもらい、いたく感動する。
→真摯に自身と他者の「貧・病・苦」へ目を向け、人間観・人生観を深める。
→名作『青が散る』『錦繍』『優駿』を次々と発表する。


→学会員の援助もあり流行作家となる。
→収入の大幅アップ。名声と社会的地位の獲得。
→宮本「やはりオレは正しかった」と盲信。
→以降、自我肥大が無限に進行していく。
→一代で成り上がった、中小企業の社長状態。とほほ。
→駄作を連発するも、学会員のおかげか売上は好調。年収1億円を突破。
→平穏で安定した家庭生活。ふたりの息子(陽平・大介)も順調に成長する。
→芥川賞選考委員に就任。いまや文壇(あるのか?)の権威となる。
→息子の大介を幻冬舎へ入れる。
→人間苦を忘れ、書くのは学会員しか信じられないような絵空事ばかり。
→突如、テルニストなるHPに独裁者として降臨。
→ネット上に宮本王国を建設し、国民(信者)の救済のため説教を繰り返す。
→還暦を迎え講演会で断言。「人生は勝利しなければ駄目だ」


→たとえば家族の不慮の死といった、
人生観を揺るがすような突然の不運がないかぎり、
宮本輝はおのが勝利を誇りながら説教小説を書き続けることだろう。
めでたし、めでたし。
04/06/18 09:31

「酒と酒飲み 知りたかった博学知識」(博学こだわり倶楽部/KAWADE夢文庫)

→タイトルそのまま。お酒にまつわるどーでもいい(かつ眉唾な)知識を紹介。
お酒を飲みながら「へえ、へえ」などと読み、翌朝になったらきれいさっぱり忘れている。
どーしょもないね、わたしもこの本も……。
04/06/18 09:04

「古本屋五十年」(青木正美/ちくま文庫)

→今月の新刊! 新刊をすぐに読むのは久しぶりだなぁ。
最近、よく行くようになった古本屋の舞台裏をのぞきたくて読んだ。
しかーし、例によって例によって、作者の文学趣味的私小説的述懐が多い。
そんなことどーでもいいの。あなたが高校の夜学中退だろうが、貧乏だろうが。
知りたいのは古本屋の舞台裏なんだから。
しろうとの「なんちゃって文学」的な文章を読むのはつらい。
それとこれもありがち。やたら引用が多い。
自分の日記から、同人誌に書いた自分の文章から、文豪の小説から。
どんな本か読まなくてもわかっていただけるかと。
唯一、笑った個所を下に引用する。

「古本屋というのは本に寄生する虫の群れだ。働く虫の群れだ。
彼らは本以外には興味を持たなくなってしまう。青い空、樹々の緑、季節の移り変り、
わが子の成長……。そんなものには関心がない。いい本だ、悪い本だ、
これは高くなる、これは安い、儲かった、損をした、高過ぎる、安過ぎる、
――と言って、中身をじっくり読んで評価するなどということはない。読むだって?
活字を拾い、たまには目次、序文を読んでみるくらいのものでしかないのが古本屋だ」(P110)
04/06/16 14:28

「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読

→風呂で読んだ。
読んで乾かして読んでをもう何回、繰り返したのだろう。
いちおう読書的にはつながっている。
というのも、山頭火は得度した禅僧だから。曹洞宗派も仏教の一派。
仏教の唯識思想から山頭火の俳句を見てみるとおもしろい。
唯識思想というのは、外界のすべてを心の現象に帰す仏教の考え方。
たとえば花を見る。しかしこれは花が実在しているということではない。
ただ目という機関を通して花のイメージが心に写っているに過ぎないのだとする。


「分け入つても分け入つても青い山」

山頭火の代表句である。
木々豊かな山が続いている景色をうたったものだが、
消しても消しても煩悩がでてくる山頭火の心象と読むこともできる。
景色と心象が絶妙のバランスを取ったとき山頭火の句はきらりと輝く。
禅の思想である。唯識思想である。
山頭火の句において一瞬は永遠であり、永遠が一瞬となる。


「國文學 1995年1月号 山頭火と放哉 ―― 流転と演戯」(學燈社)絶版

→まえにも指摘したけど、雑誌國文學に書いている研究者って文章がへた。ゆるい。
こんなんで大学教授とかやっているなんて信じられないと毎回のように思う。
ま、それはそれとして、山頭火と放哉である。
上野千鶴子が山頭火とその愛読者をバカにして放哉こそ天才であると主張していた。
この上野千鶴子だけじゃなく、現役の歌人、俳人にもそう思っているひとが多いらしい。
山頭火は大衆的。放哉のよさはクロウトしかわからないというのがその主張。

ふーんとしらける。
たしかにこちらは西行も芭蕉もよく知らない。ただの山頭火好き。
俳句史における山頭火の位置なんてどーでもいい。
ただただ山頭火の句が好きである。わかりやすいから、楽しいから。
放哉の句はへんに疲れる。西行や芭蕉はお勉強という感覚以外では読めない。
べつによろしい。バカにしたかったらしてください。大衆でけっこうと開き直る。