04/05/07 14:46

演劇の起源は宗教的な儀式・祭礼にある。
つまり演劇とは、人間の神々(=運命・偶然)への働きかけからスタートしたのである。
雨が降らないときや、獲物がとれないときには神々に祈りの舞いを奉納する。
あるいは春、豊作に恵まれたらば、神々への感謝を歌と踊りで示す。
仲間が死んだときには嘆き、新しい子が誕生したときには寿(ことほ)ぐ。
すべてを支配するもの=神々へ人間がささげるものとして演劇は2500年前に始まる。


(1)<神々 vs 人間>

アテネ国家が成立すると、この宗教的な祭儀を国家が中心になって行なうようになる。
ギリシア悲劇の誕生である。
アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスが知られている。
どの作品も神話から題材が取られている。
神々に翻弄される人間のすがたを描くものが多い。

ギリシア悲劇が衰退すると、喜劇が盛んになる。アリストパネスが喜劇の祖である。
アリストパネス喜劇は権力あるもの(国家や悲劇詩人)を
批評・風刺するところに特徴がある。
中心がギリシアからローマに移ると、ギリシア劇から影響を受けたローマ劇が生まれる。
このローマ劇も衰退すると、それからルネサンスまでの1000年あまり演劇は沈黙する。
中世の暗黒時代である。キリスト教会は演劇の上演を禁止した。
この間、プロパガンダ(宣伝)的な聖史劇、奇跡劇、道徳劇が教会の管理下で行なわれた。


(2)<人間 vs 人間(→神)>

15世紀にイタリアでコメディア・デラルテ(即興仮面喜劇)が流行する。
16世紀はご存知、シェイクスピアがさっそうと登場し、これまでの演劇の沈黙を破る。
イギリスのエリザベス朝時代はシェイクスピアのみならず、
数多くの傑出した劇作家を生み出した。
シェイクスピアは(現実社会ではなく)歴史書や昔話から
生き生きとした劇中人物を創造した。
かれの手によるハムレットやマクベスは絶対的な唯一神の下、
悩み葛藤し行動して死んでいく。
同時期、スペインではカルデロンが活躍した。

シェイクスピアから遅れること50年(宗教戦争のため)、フランスでも演劇の熱が高まる。
コルネイユ、モリエール、ラシーヌの時代である。
三人ともギリシア・ローマ劇から影響を受けている。
これら古典劇を研究する学者から「三一致の法則」が主張されたのはこの時代である。
「三一致の法則」とは、良い演劇は常に「筋」はひとつ、「時間」は一昼夜、
「場所」は一箇所でなければならないというものである。
18世紀にゲーテ、シラーなどドイツのロマン主義作家がこれを否定した。
このロマン主義の時代が終わると、演劇はいっとき衰退する。
スター中心の安易な演劇がしきりに行なわれた。


(3)<人間 vs 人間(→社会)>

近代劇は最北のノルウェーからもたらされた。
イプセンは近代社会に生きる人間の問題を劇の中で追及した。
スウェーデンからはストリンドベリ、ロシアからはチェーホフ、
イギリスからはバーナード・ショーといっせいに演劇界のバラが開花する。
これらの劇はルネサンス時代の単純な人間賛歌とは異なり、
近代資本主義の発達にともない複雑化する社会の中で悩む人間を
テーマにするものが多い。
これにシンクロ(同調)してアントワーヌがパリに「自由劇場」を創設する。
背景には舞台美術、照明、音響の発達がある。
アントワーヌは演出を重視し、演劇の(スター主義ならぬ)アンサンブル化を提唱した。
アンサンブルとは、演出家を中心として舞台にかかわるもの皆で(役者+裏方+劇作家)
ひとつの作品を生み出そうとすること。
いわゆる「演出の時代」はここに端を発している。
イプセンやストリンドベリの複雑な戯曲はこのような環境の下で上演された。

アメリカではオニールが登場し、のちにウィリアムズ、ミラーが活躍する足場を作った。
ドイツの共産主義者、ブレヒトは演劇史が生んだ奇形児である。
ブレヒトはこれまでの演劇を全否定し、観客を陶酔させない
=社会を変革するための政治劇を発表するなど、独自の演劇論を展開した。


(4)<人間 vs ????)>

第二次大戦(原子爆弾、アウシュヴィッツ)後、新しい演劇がパリで上演された。
ベケット「ゴドーを待ちながら」である。
無意味な会話のやりとりは人間の底に潜む不条理性を描いていると絶賛された。
ベケット、イヨネスコを創始者とする不条理演劇は世界各地に広まった。
フランスのジュネ、イギリスのピンター、アメリカのオールビーらである。
日本でも別役実が影響を受けている。


さて、ドラマとは人間の葛藤である。
(1)まず人間は神々と折り合いをつけることから演劇活動をはじめた。
(2)シェイクスピアは唯一神の下で葛藤する人間を詩的に描き出した。
(3)近代劇は神から離れつつある人間の問題を葛藤として提出した。
(4)自分がどこにいるのか、何と向き合っているかわからなくなった現代人は
不条理演劇に喝采をあげた。問題はここにある。
ここに演劇史上初めて劇中にドラマ(葛藤)がなくなってしまったのである。
演劇は自然をうつす鏡とハムレットに言わせたのはシェイクスピアである。
とすれば、不条理演劇に氾濫する意味を失った言葉と目的をもたないこっけいな動作は
どんなわれわれの現実をうつしているというのだろうか?
04/05/06 14:09

「回想の文学座」(北見治一/中公新書)絶版

→著者は文学座(日本の有名な劇団)に所属していた俳優さん。
福田恆存の演劇活動を知りたいなぁという理由で読む。
読後、演劇人はどいつもこいつもオオバカヤローだと確信するにいたる。
わたしから言わせりゃ役者なんて肉体労働者。ドカタとなんら変わりはないわけ。
なのにどーしてみなさんいっぱしに芸術家づらをなさるのか。
役者は個性なんていらない人形。
劇作家が書いたとおりにしゃべって、演出家の指示どおりに動けばいいの!
北見治一さん。きみごときに福田恆存や三島由紀夫を語れるとお思いか?
こともあろうかきみは両者とも揶揄しておられるが……。
(福田は学校の先生みたいで面白味がない。三島は典型的ないじめられっ子)。
でも内容の70%はつまらぬ自分史。安っぽい感傷に終始する。
かわいいところもある。
著者は35歳まで親に食べさせてもらっていたらしい。

(注)このブログは検索で来られる方が多いです。
役者のみなさま。失礼なことを書いて申し訳ありません。(管理人 Yonda? 記す)
04/05/06 14:09

「演劇の歴史」(フィリス・ハートノル/白川宣力・石川敏男訳/朝日出版社)絶版

→著者はイギリス人=どこかでシェイクスピアがいちばんと思っているふしがある。
上に感想を書いた「世界演劇史」がドラマ(戯曲=劇作家=言葉)中心に
論じていたのに比して、
こちらはプレイ(上演=役者=動き)の歴史をギリシア悲劇から現代演劇まで紹介する。
舞台や役者の写真が盛りだくさん。だけど、ごめんなさい、わたし興味ないんです。
いやね、古今東西の美男美女をこれでもかと見せつけられてもね……。
それに外人さんの名前は覚えにくいから。

この本の長所は内容ではなく「付録」にある。
終戦後からこの本の出版された昭和56年までに国内で刊行された海外戯曲が
翻訳者名とともにリスト化されている。
この本を古本市で買ったのが二ヶ月前。それからこのリストにどれだけお世話になったか。
まあ、わたしにとっちゃ内容のほうが「おまけ」みたいなもんです。

それと白川宣力! 石川敏男もだ! 
訳が変だぞ、日本語として読めない!
04/05/06 13:33

「世界演劇史」(ロベール・ピニャール/岩瀬孝訳/白水社文庫クセジュ

→著者はフランス人=どこかでフランス演劇がいちばんと思っているふしがある。
今現在、書店でふつうに買えるまともな演劇史の本はこれくらい。
もはや古典といってもいいくらい何度も版を重ねている。
読もう読もうと思いながらも、文字が小さくてぎっしりつまっっているのがいやで
ずっと敬遠していた。いざ読んでみるとなかなかの良書。
よくもまあ、これだけの薄い本にあれだけの内容を詰め込んだなと驚くくらい。
もっとも入門書ではない。あらかじめ名作とされる戯曲を(わたしのようにエッヘン)
読んでいないとまるっきりついていけないはず。そこが放送大学用教材とのちがい。

ハッ。 と目を見開かされたのは、エリザベス朝時代の観客はシェイクスピアも
ボクシングもおなじような欲望から見にきていたという記述。
相手をパンチでKOするのにスカッとするのと、
役者が名セリフをバシッと決めるのとの相似性。
つまるところ観客は刺激を欲しているのである。
わたしは格闘技(プロレスふくむ)を好きなように演劇を好きなのだと気づかされる。