04/04/19 10:30
「地の群れ」(井上光晴/河出文庫)絶版
→井上光晴の代表作。舞台は長崎。
この小説で目をひいたのは「ピカドン部落」。
原爆被害者がよりそって暮らす集落のこと。
てっきり実在したのかと思っていたら、解説を読むとなんとフィクションとのこと。
やられた、「うそつきミッちゃん」(作者少年時のあだ名)に!
ピカドン部落の青年。全身に(原爆後遺症の)ケロイドがあり嫁のきてもない。
たまる性欲。当たり前のように部落民の少女をレイプ。
このことを誰かに話したら、おまえが部落だとばらすぞと脅しながら。
さて、このことに気づいた少女の母親が、犯人の青年をつきとめ深夜その家を訪問する。
しかし青年もその家族も知らんぷり。
母親は騒ぎ立てる。集まってくるピカドン部落の住民。
こんな真夜中にインネンをつけてくるとは、やっぱエタは怖かねと家族がいう。
切れた母親は言い返す。せせら笑いながら。
あんたらピカドン部落のもんが周囲からどう思われてるのか知らんとね?
ケロイドだらけで血もとまらん。あたいらエタはまだ人間だけど、
あんたらピカドン部落のものは人間でもない、穢(けが)れきっておると!
これを聞いて怒ったピカドン部落住民の投石により母親は死ぬ。
残ったのはピカドン部落民にレイプされ母親を殺されたエタの少女――。
差別、差別、差別、ぐふふ。
(注)この読了報告は本の内容を紹介したものです。
書き手に差別助長の意図はありません。たぶん。(管理人 Yonda? 記す)
「明日」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→第29回青少年読書感想文全国コンクール・高校の部「課題図書」だそうです。
読書感想文ってむかし大嫌いだった。
だって感想なんて「おもしろい・つまらない」しかないじゃん。
だから感想文には決まって戦争物の小説を選んだ。「太陽の子」とか(笑)。
とにかく戦争反対と書いていれば字数が埋まるから。
戦争反対! よーく考えよ、命は大事だよ♪ なんてさ。
教師集団もこれを「課題図書」にするとは読書感想文というものをよくわかっている。
この小説ほど感想文を書くのが楽なのはそうないのでは?
舞台は長崎、8月8日。原爆が落とされる前日の平凡な生活を描写する――。
井上光晴シーズンはこれにて終了。
忘れられた作家・井上光晴。読んでみたけど思い返す価値はなし。
作品よりも映画「全身小説家」で作者を楽しむべし。
それでは井上光晴さん、ご永眠ください。もう決して起こしませんから。
おやすみなさい。
04/04/19 09:45
「虚構のクレーン」(井上光晴/新潮文庫)絶版
→この小説を読んで戦争は良くないと思いました。
炭鉱で在日朝鮮人の人が差別されていたことを知り悲しくなりました。
差別はいけません。けれどもこの小説には戦争を扱っているのに明るさがありました。
戦時下でも若い人の青春のエネルギーは抑えきれないのだと楽しくなりました。
最後、「芹沢治子」さんが長崎の原爆で生死不明になるのには
泣いてしまいそうになりました。
お父さんに連れて行ってもらった長崎の原爆資料館のことを思い出しました。
テレビを見ると今もイラクで戦争のようなことが行なわれているようですが、
すぐやめるべきだと思います。なぜ話し合うことができないのでしょう。
日本はもう絶対に戦争をしてはいけないとこの小説を読んで強く思いました。
自衛隊のことなどまだわからないことが多いけど、これから勉強していきたいです。
(小学校低学年用読書感想文実例。無断転載可)。
「死者の時」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→なんかさ、もううんざり。
部落民や朝鮮人といった被差別者の苦しみを描けばそれが文学になるとでも?
あまりにも安易。舐めきっている。
そりゃ差別は良くないよ、かわいそうだね、不当な差別を受けて。
だけどさ、それを書いて、はい、文学でございー、というのはどうなの?
差別を告発する? 天皇制を問う? ずいぶん楽ちんな小説だこと(笑)。
被差別者の嘆きや怒りを書くなんて、何も書くことがない作家志望者がまずやる手法。
たとえば部落出身の中上健次は一言も差別反対だなんて
甘っちょろいことは書いていない。
あ、これがどういう小説かって?
部落民の青年が天皇万歳と特攻隊として出撃していく小説です。読みたいですか。
04/04/13 09:56
「辺境」(井上光晴/集英社文庫)絶版
→短編小説集。原一男の映画でだいぶまえから作者は知っていたけれども、
作品を読むのはこれがはじめて。どれもつまらない。
映画で見た作者はあれほどおもしろかったのに、作品はどうしてこんなに……。
くどい風景描写、いかにもな情緒的表現。
はいはい、たしかに文学ではございますね。ただし古き悪しき時代の。
被差別者の暗い情念。作者の売春婦への過剰な詩的ともいうべき思い込み。うんざり。
「小説の書き方」なんて本をだしているのなら、どれほどすごい小説を書くのかと思ったら。
04/04/13 09:56
「小説の書き方」(井上光晴/新潮選書)*再読
→恥ずかしいな、赤線がたくさん引いてある。
よし、恥をさらそう。どんなところに5年前のわたしは赤線を引いたのか。
「いいたいのは、(僕が)漠然と小説家を志望してそれで作家になったわけじゃない、
ということです。ぎりぎりの状況を逆転して前にすすむために、小説を書くしかなかった。
物語の原点はそこにこそ存在する。その意味をはっきりつかんでほしい」
「物語を書くというのは、自分と世の中との関係を新しく作るということです」
「つまるところ、表現とは生き方なんだな。自分の生き方を離れて、
表現の技術だけが一人立ちして歩くわけじゃない。先にも話した通り、
自らの原体験を持続して離さない。その姿勢と思想が表現になって形成されて行く」
「フィクション(虚構)の本質をひと口でいうと、現実よりも激しい物語を
作ることなんですね。事実より強い嘘を吐けるかどうか」
どれもなるほど至極のオコトバ。
ただ例として引用するご自分の小説がどれも、その、言いにくいのですが……(つまらない)。
04/04/13 09:27
「ドキュメント ゆきゆきて、神軍」(原一男/教養文庫)*再読
→同名映画の制作ノートと採録シナリオ。
これを読んだらあの映画が何倍もおもしろくなると思う。
えーと、「ゆきゆきて、神軍」というドキュメンタリー映画の主人公は奥崎謙三。
奥崎謙三は戦争中、自らもいたニューギニアでの不法な部下の処刑、人肉食を追求する。
映画のラストには奥崎謙三が元・上官の息子に発砲して重傷を負わせたという新聞記事。
原一男さんから影響を受けたのは二点。
まず、ひとつの表現をしようと思ったら10年かけるつもりでやるということ。
もうひとつは、表現をするためなら何をやってもいいということ。
この「ゆきゆきて、神軍」は撮影をはじめてから完成するまで5年だってさ。
それと、そう。この映画の撮影中に奥崎謙三から元・上官を殺すシーンを
撮ってもらえないかと原一男は頼まれたという。即答はできなかったらしいけど、
それからずっと撮るべきか悩みつづける原一男さん……おいおい!
もっとやばいのはこう述懐する原一男。
「奥崎さんもアホだよな。オレに撮らせたかったら、
オレに話なんかしないで、現場へ行っていきなり殺っちゃえばいいんだよ。
そうすりゃあオレは、結果として無我夢中で撮ってしまうと思うよ」(55ページ)
「全身小説家」(原一男/キネマ旬報社)*再読
→同名映画の制作ノートと採録シナリオ。
このドキュメンタリー映画の主人公は文学者・井上光晴。ガンで死ぬまでを描く。
あといかに経歴が虚偽だったかを入念なインタビューで暴いたり。
井上光晴関係者でこの映画を見て愉快な気分になったものはいないのでは……。
最後の撮影なんて修羅場だったろうと想像できる。
原さんとしては、死をまえにした井上光晴の姿を撮影したい。
でも家族としては、そんな寿命を縮める映画撮影などしてほしくないのは当然。
そんな中にキャメラを持って行くんだから、並みの神経じゃできません。
いや、しかし、表現のためだったら、
表現とはそういうもんだろうとつぶやく鬼才・原一男は是か非か。
04/04/13 08:42
「踏み越えるキャメラ」(原一男/フィルムアート社)*再読
→原一男は「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」などで知られている映画監督。
副題に「わが方法、アクションドキュメンタリー」とある。
原一男はいう。
表現をするとは何か。私たちが生きている日常。
この日常というのは監獄のようなもので、常に私たちを縛りつける、不自由にする。
表現とはそこから解放されたい、自由になりたいという欲望に他ならない。
だからキャメラをもったと原一男はいう。
キャメラをまわす。すると日常が変質する。ひとはキャメラのまえで演技をするからである。
かっこよく見られたいという思いはもちろん。お墓のまえでは泣き、不正には怒る。
ふだんはなあなあで済ませていたものに真っ向から向き合うことをキャメラから求められる。だれにだって「かくありたい」という自分がある。キャメラがその欲望を刺激するわけである。
したがってかれはキャメラがなかったらできないようなことまでやってしまう。
すると劇的なシーンが生まれる、それを原一男は撮りたいのである。
過激なものを、劇的なものを、なまの人間の葛藤を原一男は撮りたいのである。
表現は社会に向ける刃(やいば)と考えればこそである。
そのときキャメラは武器となる――。
この本を読んだのは何回目だろう。赤線や書き込みがたくさんある。
表現におけるわたしのお師匠さん(というのか?)は原一男さんかもしれない。
アジテーションがうまいんだ、このおっさん。こんなことを言っていたな。
もやもやした思い、あるだろう、それをすっとさせるために表現をするんだ。
自殺したい、ひとを殺したい、そういうネガティブな思いが表現を生み出すんだ。
で、キャメラを持とう町へ出ようとアジる(笑)。
だけどさ、うーん、確かに原一男さんの方法がすごいのは認めるし敬服もするけど、
おんなじことをやってもつまらない、コピーになってしまうと思うわけ。
じゃあ、何をおまえはやっているんだと聞かれたら自己嫌悪を吐露するしかない……。
04/04/07 15:48
「思想の達し得る限り(原名 メトセラ時代に帰れ)」
(バァナァド・ショウ/相良徳三訳/岩波文庫)品切れ
→戯曲。読み終えた自分をほめてやりたいほど退屈でしかも長い。
ゲーテの「ファウスト」に肉迫するつまらなさといったらわかってもらえるか。
さらに「六箇敷い」を「むつかしい」とルビなしで読まなければならない鬼の旧仮名・旧字体。昭和6年の翻訳で思いっきり直訳。中学生が訳したのかと思うほど稚拙な翻訳文。
意地ですよ意地、読み通したのは!
全五部。第一部はアダムとイブがでてくる。
徐々に年代が上がっていき、第五部ではなんと西暦31930年。
しっかり数字を数えてくださいよ。
内容もおよそ戯曲らしくない。でてくるひとがみなさんよく話すこと。
生命について、宗教について、科学について、よくもまあペラペラと。
物語のスタートはもし人間が300年生きることができたらという発想。
なんかよくわからないけど第五部では800歳の老人が登場します。
いやはや、これを読んだ後ならどんな本でもおもしろく感じられそうです。
この本、わたしは330円で買ったけど古書店では1500円なんぞつけているところがある。
ほんと本って価格と内容がつりあわないものですね……。
04/04/05 06:42
「ウィングス」(アーサー・L・コピット/額田やえ子訳/劇書房)品切れ
→戯曲。アメリカ産。初演は1978年。
読んだ理由? ブックオフで百円だったから(書き込みあり)。
おっと、それは買った理由か。とすると読んだ理由は、うーん、なんとなく。
劇書房つながりかも(笑)。
内容は「障害者もの」。概して障害者ネタはつまらない。
というのも、ドラマのおもしろさは人物と人物の葛藤から生まれるものなのに、
障害者ものは人物とその身体障害との葛藤に焦点を当てようとするから。
ところがこの戯曲は、と言えたらば良かったけど、「ところが」ではなく「やっぱり」。
やっぱりつまらなかったこの戯曲も。
えーと、今回の主人公が乗り越えるべき障害は言語障害。脳卒中とかの後遺症。
最後には少し良くなる。おめでとうございます。
作者の父親がそうなったという実体験があったらしい。ご愁傷様です。
「娼婦がテニスをしにきた日」
(アーサー・コープイット/斉藤皆子訳/「今日の英米演劇4」白水社)絶版
→戯曲。アメリカ産。初演は1964年。読んだ理由は作者つながり(表記は違うけど)。
一幕劇。高級テニスクラブになぜか娼婦が18人もきて無断でプレイをはじめた。
きちんとしたテニスウェアなのはいい。しかし問題なのは下にパンツをはいてないこと。
このこのことに困惑したしたテニスクラブ経営陣が繰り広げるどたばた喜劇。
最後までなぜ娼婦たちがこんなことをしているかの説明はない。
だから不条理劇というくくりに入れられる。
なんかおもしろいのね。どことはいえないけど。何回か吹き出してしまった。
「タイピスト」「虎」
(マレー・シスガル/鳴海四郎訳/「今日の英米演劇4」白水社)絶版
→戯曲。アメリカ産。初演は1965年。いやはや、アメリカという国はすごい。
ぜんぜん期待もせずにただの時間つぶしに読んだのがこんなにおもしろいとは。
どちらも登場人物はふたりだけなので演劇学校の練習などによく使われるらしい。
「今日の英米演劇」はこの巻しか持っていないけどぜんぶほしくなってしまった。
(のちに念願かない入手に成功する。2500円)。
04/04/05 05:51
「ペール・ギュント」(イプセン/毛利三弥訳/「世界文学全集24」講談社)絶版
→読書には二種類ある。
ひとつは名作とされているから、教養として、
といった世間的な評価におもねってする読書。
もうひとつは、ただ単に自分が読みたいからというごくふつうの読書。
どちらが良いともいえない。というのも、なかばいやいや読んだ名作が予想外におもしろいことがあれば(「オイディプス王」「かもめ」)、世評がなんだと
無名の作品を読んでやっぱりつまらないんだなぁとがっかりすることもあるのだから。
今回、この戯曲を読んだのは前者の理由からです。
いま「現代演劇101物語」(新書館)という本を参考にして読書している。
この本はギリシア悲劇からサム・シェパードまで、演劇史上の代表作を101個選択して
コンパクトにまとめたものでたいへん役に立っている。
「ペール・ギュント」もこの本で取り上げられていたというのが読んだ理由。
感想。つまらない。わけわからん。
解説によると、ノルウェイの民話が下敷きにあるそうで、他国人には理解しにくいらしい。
「人形の家」のような社会劇ではなく、夢想劇というのでしょうか、
夢の中を舞台化したような、そんなぼんやりとした戯曲でした。
「ヴァニティーズ」(ジャック・ハイフナー/青井陽治訳/劇書房)品切れ
→戯曲。アメリカ産。初演は1976年。これを読んだ理由は単純、泣きたかったから。
作者もタイトルも知らなかったけれども、裏表紙の解説を読むといかにもおもしろそう。
登場人物は女三人のみ(読みやすい!)。
三場の劇。
第一場はハイスクール卒業直前。
第二場はカレッジ卒業直前。
第三場はそれから6年後。
設定がうまいなと感心した。
青春の光と影みたいで、こりゃ泣けるぞとわくわくしながら読み始める。
……つまらなかった最後まで。なんでだろう。
この設定だったらもっとおもしろくできそうなもんだけどな。
三者三様の女の生き方といわれてもね。
アメリカでは当時、大ヒットしたらしい。日本でも何度も上演されているみたいです。
ということは、役者が光る戯曲なのかな。