04/01/17 09:45

「快速船」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。新薬が発明されました! この薬を飲んでごらんなさい。
かならずあなたの夢がかないます、ええ芥川賞でも別荘でも運命の恋人でも。
国民全員が飲んだらどうなるって? 
それは、それは、バランスというものがありまして、
各人の欲望の度合いによって調整されますけど、
でもまあこの薬を飲まなければ何も始まりません。
自己啓発運動へのパロディー。


「可愛い女」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。チェーホフに同名の小説があるけど、ちょっとだけ設定が似ている。
泥棒も警察も金貸しも裏ではグルになっているかもしれませんよ、観客のみなさん!
この演劇を観て家に帰ったらちゃんと社会批評するんですよ、いいですか。
当時、この戯曲を演出したのは千田是也さん。
かれの好きないかにもブレヒト的なお芝居。


「巨人伝説」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。安部公房らしくない。戦争を忘れちゃいけないよという作品。
読みにくいわけでもないけど、そうおもしろいものでもないです。


「城塞」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。ある精神病患者がいる。何度も過去のあるシーンを再現しなければ
気がすまないというのが症状。過去の一点で時間をとめてしまった。
とりかえしのつかない一瞬、劇的なあの一瞬、悔やんでも悔やみきれないあのひと時。
その時間を再び動かすのはストリッパーである。刺激的な快作です。


「おまえにも罪がある」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。どこにでもいる平凡な男。あえて平凡につとめているきらいもある。
ところがどーだい、ある日、散歩から安アパートに戻ったら見知らぬひとの死体が転がっている。
さあ、どうしたものか。何しろ今日は恋人がはじめて部屋に来る日である。
笑劇(ファルス)の典型。「ブラック・コメディ」を思わせる傑作です。


「どれい狩り」(安部公房戯曲全集/新潮社)*再読

→戯曲。再読してもおもしろいから名作に認定。再演したらいいのに。
04/01/17 09:07

「舞台と映像の音声訓練」(冨田浩太郎/未来社)

→もちろんこの年になって役者を目指すつもりなんてありません。
ただブックオフに百円で落ちていたので、役者さんの舞台裏でも斜め読みしようかと。
しかし彼はやばい方法論を提唱していますね。
なんでも今まで誰にも話したことのないような心の傷をあえて人前で表現することで、
感情の緊張がほぐれて良い演技ができるようになるんだとか。
東由多加(柳美里の師匠)みたいだ。
へたをすると精神病発症のきっかけにもなりかねないデンジャラスな訓練です。


「俳優タレント養成ガイド2003」(テアトロ)

→だからいまさら役者を目指すわけではないんです。
ブックオフにお年玉キャンペーンってありましたよね。
千円分買うとブックカバーがもらえる。
あと百円だったんです。それで購入したのがこれというわけ。
役者(志望も)って楽しいんでしょうね。写真を見るとみんな生き生きしている。
しかしその大半が養成機関卒業とともに厳しい現実と向き合わなければならない。
映画学校とかと同じです。
あちらは過去に映画を数本撮っただけの自称映画監督の食い扶持になっているわけですが。
若者に夢を売る商売には目を背けたくなる矛盾があります。
シナリオ学校しかり、小説教室しかり、漫画学校しかり……。
04/01/17 09:06

「演劇入門」(千田是也/岩波新書)品切れ

→やたらむずかしい。いますよね。演劇人や映画人で何を勘違いしたのか、
わざと表現を難解にするお方。新書なんだから、もっとわかりやすく書けと。
わたしが平明な表現になおします。こう言うております彼は。従来の演劇は良くない。
なぜなら余計なカタルシス(感情の浄化)を与えてしまい、
がために革命(社会変革)に用いるべきエネルギーを浪費させてしまうから。
ならどういう演劇がいいのか。
従来の演劇のように観客を陶酔させてはならない。
観劇することで観客をして(劇場の外の)現実社会を批評させるように
仕向ける演劇が良いのである。
かれはこういっているわけである。
無知蒙昧な大衆を演劇で教育しなければならないと。
初版は1966年。そういう時代があったということです。
それにしてもブレヒトの受売りばかりで恥ずかしくはないのでしょうか。


「演出のしかた」(倉橋健/晩成書房)

→良書。誰にでもわかる言葉で、いかに紙に書かれた戯曲を生き生きと舞台の
うえで再現すればいいかを教えてくれます。もっと早くこの本を読んでいたら、
今まで見た演劇が何倍もおもしろくなっていたのにとかなり悔しいです。
これまで読んだ演劇書のなかでいちばんためになったといっても言い過ぎではない。

さて、どのような演技が良いのか。
役になりきる演技か。
それとも役者自身の意識はいつも平静で、
計画的に観客へ情報を伝達する演技が良いのか。
すなわち役者はハムレットになるべきか。ハムレットをあやつるべきか。
答えはないと著者は言います。
04/01/07 14:31

「ふぞろいの林檎たちへ」(山田太一/岩波ブックレット)

→山田太一さんが(当時のバブル期のw)若者へ向けたメッセージ。
古本屋のまえのワゴンに50円と落書きされて落ちていたのを拾ったまで。
54ページ。自分をしっかり持ちましょうだと。なんか校長先生の朝礼演説みたいだ(w
04/01/07 14:31

「稲妻」(ストリンドベルイ/山室静訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。古本屋に「ストリンドベリ名作集」があったので買おうか迷う。
そこでこの「近代劇集」にひとつ入っていたのを思い出し、それを読んでから決めようと。
ストリンドベリはスウェーデンの劇作家・小説家。イプセンと比較されることが多い。
近代劇を築いたひととして有名らしい。この作品は晩年のもの。
孤独な老後を送る老人のまえに、5年前に離婚した元妻が現れる――。
かっちりと仕組まれた劇らしい劇。だけどこちらを揺り動かすまでの迫力はなし。
決めた。「ストリンドベリ名作集」は買わない。

(結局、数週間後に買いました、あはは)
04/01/07 14:05

「日本の現代演劇」(扇田昭彦/岩波新書)
「舞台は語る」(扇田昭彦/集英社新書)

→この二冊でやっと日本の戦後の演劇の流れがわかった。知りたかったのです。
このブログを読んでいるひとはトクしましたね。これからわたしが簡単に戦後演劇の
流れをまとめます。「1分でわかる日本現代演劇講座」♪
まず敗戦。こっぱみじんに日本という国はなぶりものにされたわけです。
これじゃいかん。欧米のすぐれた文化を一刻も早く日本に取り入れんと。
そんなかんなで盛り上がったのが「新劇」。これは戦前からあったもの。
欧米のありがたい戯曲を遅れた日本国民に見せて啓蒙してやろうという感じです。
シェイクスピアとかイプセンとか。だから新劇を観にいくというのは、
どこかお勉強をしにいくという雰囲気だったらしい。上から下にベクトルが向いている。
日本の創作劇もそんな感じ。
三島由紀夫、安部公房、木下順二、福田恒存。おかたいでしょ(笑)。
総じて新劇は「セリフ」を重視した。西欧風の言葉の劇を目指した。

それに対抗して「肉体」の重要性を主張する一派がでてくる。役者の肉体。
時は日米安保のころ。
反権力とか、とにかく若者が政治闘争していたあのうざったい時代です。
唐十郎、清水邦夫、鈴木忠志、別役実、寺山修司。
のちには商業演劇にいく世界の蜷川もそう。
この一派は「アングラ演劇」と呼ばれました。
学者や文化人が加わっている新劇を否定するわけです。
けれどもいつまでも「なんとか反対!」とか若者が怒っているはずもない。
ぷ、そんなのだっせえのという時代がきます。それが「つかこうへい」。
当時は若者のあいだで爆発的なブームになったそうです。
毒のある笑いがつかこうへいの演劇の魅力だとか。
で、次に来るのはバブルの時代で、これが前に書いた野田秀樹の時代なわけです。
野田秀樹のお芝居をわたしなりに要約すると「無意味言語の過剰氾濫による祝祭」。
バブルも消えうせ、さあ来ましたぜ平成不況。底なしの不景気、デフレ地獄。
いまは「静かな演劇」の時代だそうです。平田オリザ、岩松了。
登場人物が声高に葛藤するのではなく、あえて日常的な行為や会話を舞台で見せる。
そこから「見えないもの・聞こえないもの」を暗示するという。
私見ですが、高いお金を払ってまで「静かな演劇」など観にいきたくはありません。
はい、お疲れさま。こんな感じです、現代の演劇。
04/01/07 13:23

「野獣降臨(のけものきたりて)」(野田秀樹/新潮文庫)絶版

→戯曲。野田秀樹という名前を聞いたことがありますか?
東大法学部在学中から劇団をはじめて、
なんでも八十年代バブル期のカリスマだったとか。
当時のファンもいまこの戯曲を読み返したら、きっと赤面するはず。
全編、言葉遊びのみのお芝居。言葉のバブル。ストーリーらしいものはない。
へえ、へえ、こんな戯曲が受けた時代もあったんですね、こっぱずかしいですね。
不景気の今、野外上演してほしいです。大阪の汚い公園で。ホームレスの前で。
解説の井上ひさしによると、野田秀樹はめったに現れない天才だそうです。


「瓶詰のナポレオン」(野田秀樹/新潮文庫)絶版

→戯曲。200ページ。一時間半で読んだ。はにゃと思った。なんだこの感じは。
これも言葉遊びに終始する戯曲なのですが、ふしぎな魅力がある。
こういう雰囲気が一時代を作ったというのもわからなくもない気がしてくる。
テンポが良く、当時はかなりナウかったのではないか?
たとえば野田秀樹のお芝居を観ることが何かしら文化的なステータスであるかのような。
野田秀樹を全否定する気は失せる。ただやっぱりちょっと恥ずかしい。
04/01/02 09:10

「小林一茶」(井上ひさし/中公文庫)絶版

→戯曲。第十四回紀伊国屋演劇賞個人賞受賞作品にして、
第三十一回読売文学賞(戯曲部門)受賞作品だそうですよ、これ。
ワンパターン。まえに読んだ「頭痛肩こり樋口一葉」となんだか似ている。
まあ、戯曲の「型(かた)」なんてどれもつきつめれば同じかもしれないけど。
確実に(ご老人の)観客を楽しませるよう書かれているお芝居です。良くも悪くも。
以前、一回だけ井上ひさしのお芝居を観にいったことがある。観客は老人ばかり(w
それにしても、なんだかな。
お芝居なんてこんなものですと言われたら確かにそうだけど。
所詮は一夜の夢です、お客さんに笑ってもらえればいいんです、か。
井上ひさしの戯曲をはじめて読んだのは「天保十二年のシェイクスピア」。
それがあまりにもおもしろかったからこうして読んでいるわけですが……。
04/01/02 08:38

「友達・棒になった男」(安部公房/新潮文庫)

→戯曲。収録作品は三つ。期待していたらどれも肩透かし。とほほ。
「友達」は大都会に住むふつーの独身男性のおはなし。
かれはまあまあの会社に務め、ほどほどの婚約者がいる。
そこに登場するのは九人の大家族。九人そろって彼の部屋に乗り込む。
あなた孤独じゃないですか、かわいそうですね、大丈夫、私たちが一緒に住んであげるから。
友達、友達、安心ねと言いながら台所を食い散らかし、彼の給料は横取りする。
おもしろそうでしょ? 実際、おもしろく読み進めたら最後のほうでストーリーが破綻する。
安部公房ファンにはいかにも彼らしいとなるのだろうけど、わたしには「はあ?」。
残念というほかない。

「棒になった男」はいわゆる前衛作品。だからもちろんつまらない。
前衛がおもしろかったらまずいのです。
つまらないのを読者(観客)があれこれ意味付けしながら鑑賞するのが前衛作品。

三つ目の戯曲「榎本武楊」も失敗作。自らの歴史観を伝えるために戯曲を
書くのはおやめなさい。戯曲は観客を楽しませるために書くものです。
なんて偉そう(w ごめんなさいです。

ちなみに安部公房の小説は「砂の女」「箱男」しか読んでいません。
04/01/02 08:37

「幽霊はここにいる・どれい狩り」(安部公房/新潮文庫)絶版

→戯曲。収録作品は三つ。最初の「征服」は安部公房のいわば習作。

次の「どれい狩り」にはびっくり。日本人にもこんなおもしろい戯曲が書けたのか。
レイ・クーニーの笑劇よりも笑える。戯曲を読んでこんなに笑ったのは初めて。
わたしが今まで読んだ中でいちばん笑えた戯曲。こんな天才が日本にいたとは。
舞台はある成金の家。妻に先立たれ、息子も交通事故死。
そんなこんなで傷心の主人。
しかし保険金がたくさん入って大金持ちになっている。
それを詐欺師たちが見逃すはずもない。かれらが主人にすすめるのは高額の動物療法。
まずはライオン。ライオンの目をじっと見詰めれば精気が伝わり元気になると。
それでも効かないということで、次に出してきたのは新生物「ウエー」。
どこから見ても人間だが、詐欺師たちは太平洋の孤島で発見された新生物だと言い張る。
そこに「ご主人、だまされちゃいけませんよ」と登場する娘。女子大学生。
亡くなった息子の家庭教師をするつもりで来たが詐欺師たちを見てあきれかえる。
さあ、詐欺師と彼女が繰り広げる笑いの世界をとくとごらんあれ! 大傑作です。

三つ目の戯曲「幽霊はここにいる」は、なぜか幽霊と会話ができる男が巻き起こす
騒動を描く。「どれい狩り」ほどおもしろくはない。一回も笑わなかったです。
03/12/29 09:21

「鹿鳴館」(三島由紀夫/新潮文庫

→戯曲。かつて(今も?)三島賞の選考委員をしていた宮本輝が三島由紀夫を
こう評していた。三島の作品はガラス細工。人間がまともに生活をして50歳を
過ぎたらば、あんなものはとても読めやしない。それを公の場で発表するのではなく、
テルニストHPという自分のファンクラブHPに書き込んでしまう。その卑怯さは
いかにも作家らしいとここでは置いておいて、注目したいのはその内容なのです。
ガラス細工。よくも見事に言い切ったと思う。この「鹿鳴館」という戯曲集を
読了したのは三日前。しかしいまそれについて何がしかの感想を書こうと思っても
何も思い出すことができない。そうガラス細工のようにきらびやかであったこと以外は。


「熱帯樹」(三島由紀夫/新潮文庫)

→戯曲。あひゃ。これおもしろい! 三島さんってコンプレックス過剰で、
しかもホモで変態のキチガイだと思っていたけど、やはり世界のミシマといわれる
だけのことはあったのかもしれない。なんて今頃遅い?w こむつかしい顔をして、
三島由紀夫にはひとかどの才能があった。なんて言っちゃダメかな? えらそう?
期待していなかったからかな。この戯曲集に入っている三つとも「いける」。
ギリシア悲劇を思わせる「熱帯樹」。
精神年齢8歳の白痴青年がとってもかわいい「バラと海賊」。
劇が起こらないことを劇にした「シロアリの巣」。どれもいい。再読したいです。
03/12/29 09:18

「近代能楽集」(三島由紀夫/新潮文庫)

→戯曲。いまさら、それもわたくしごときが、三島由紀夫の「み」も語れるとは
思っておりませんが、それでも世界の名作戯曲を読み漁っている、その道半ばで、
三島戯曲がどのようにわたくしの目に映ったかぐらいは書いてもいいと思うのです。
三島由紀夫というブランドの呪縛からできうるかぎり逃れ、彼の戯曲だけを作品群から
引っこ抜く。そして置く。並べてみる。どこへ? たとえば「わが町」の右隣へ。
「欲望という名の電車」のそばに。「るつぼ」「アマデウス」「かもめ」と比較してみる。
この三島戯曲の代表作「近代能楽集」を。それがただ同じ戯曲という理由だけで。
するとミシマは恥ずかしかった。島国ニッポンそのものだった。つまり小さいのだ。
そのくせボディービルで自らを大きく見せようとするのだからさらに恥ずかしい。
言葉でわざとらしく飾り立てる。
上にあげた名作戯曲は読んだ翌日にも再読したくなった。
この「近代能楽集」を再読することはないでしょう。