03/11/25 06:19
「エロ本」(ノート=ウドム・テーパニット/白石昇訳/白石昇事務所)
→気鋭のタイ文学者であり、また2ちゃんねらーでもある白石昇氏の翻訳作品。
著者はタイの売れっ子芸人。映画も作るわ、本を書いたらバカ売れするわで、
まさに(そんな言葉があれば)タイドリームの体現者といってもよいおかた。
かといって日本によくあるタレント本かと思ったらこれがちょっと違うんだな。
終始一貫して疑問形なのである。
日本のゲーノージンのようにおれイズムを訴えたりはしない。
ちょっとわてはこう思うんだけど、はてどないでっしゃろと読者にツッコミを入れちゃう。
それがなんとも居心地が良い。新鮮である。あー、これがタイの感覚なんだなと思う。
タイといえば訳者の白石氏による詳細な(注)はこれだけでも一冊の本にできるレベル。
タイでいま流行っている俳優、歌手からタイ料理、お菓子、ビタミン剤まで写真つきで紹介。
タイの現在(いま)がこれ一冊でわかると言い切ってもいいくらい。
で、結局、この本は何なんだろう。どう定義したらいいのか。
タイのガイド? タレント本? エッセイ? 人生指南書? トンデモ本?
答えは、そのすべてであり、そのどれでもないのである。
確かなのはノート=ウドム・テーパニットという人間が紙面の裏で生きているということ。
有名人ゆえの苦悩をぼやいたり、
シャワーのすばらしさを考えたり、
お菓子をぽりぽり食べたり、
時にはまじめに幸福について考えちゃったりもするひとりのタイ人がいるのである。
感動するのも笑うのもすべては彼がいるからなのだ。タイという国に。
勝手に断定して申し訳ないが、著者はタイの寺山修司である。
なんとか読者を笑わせよう、怒らせよう、考えさせよう、とにかくサービス精神が旺盛!
私たち読者ができることは彼の手の上にのり踊ることである。
ふと思った。
手の上ではなく私はタイという精神的に豊かな国の上で踊っていたのではないか。
まあ、そんなことはどうでもいい。楽しく、笑いながら踊れたのだから。
このような傑作が日本で評価されていないのがふしぎで仕方がない。
最後に本書を日本に紹介してくださった白石昇氏に敬意を表したいです。
03/11/25 06:17
「嘘つき男・舞台は夢」(コルネイユ/岩瀬考・井村順一訳/岩波文庫)
→戯曲。フランス古典喜劇。ラシーヌとほぼ同時代のひと。
喜劇といっても、もちろん笑えやしない、古臭くて。
「舞台は夢」は考えさせられる。演劇ってなんだろう?
実際に起こったこと。あるいは起こらなかったこと。
それを舞台で繰り返すこと。それを演じること。見ること見られること。
ギリシア悲劇からシェイクスピア、時代を隔てて山田太一に野島伸司まで。
ひとは見たがる。何を? 何が楽しくて? 何のために?
「抜目のない未亡人」(ゴルドーニ/平川祐弘訳/岩波文庫)
→戯曲。スペイン、フランスときて今度はイタリアの劇作家でござーい♪
もてもて未亡人のおはなし。彼女にプロポーズするのは四人。
イギリス人、フランス人、スペイン人、同国のイタリア人。
いやはや、それぞれが各自(国)の流儀で口説こうとするわけです。
おフランスではこうなっているざーますよ、なんてさ。あはは。
シェイクスピア喜劇みたい。なぜってその未亡人は変装して男をテストするわけで。
さーて、どの男を選んだかは読んでのお楽しみ。え、楽しいかって? ……(無言)。
「ヘッダ・ガーブラー」(イプセン/福田恒存訳/中央公論社)絶版
→戯曲。岩波文庫で一度読んだことがある。著者はご存知近代劇の父! お国はノルウェイ。
退屈な人妻のおはなし。ネエなぁにぃか、おもしろいこと、ないかなぁ?
みのもんたに相談することはないけれども、昼ドラも退屈。
そんな主婦が150年前くらいのノルウェイにいてもふしぎはない。子どもはなし。
自分の将来なんて先の先まで見えてしまう。夫は凡庸、平板な日常。
ヘッダは人生を生きたいのである! 福田恒存による詳細な解説がついている。
氏いわく「ヘッダはマクベス夫人ではない。女ハムレットである」。
03/11/25 06:17
「三大悲劇集 血の婚礼 他二篇」(ガルーシア・ロルカ/牛島信明訳/岩波文庫)
→戯曲。著者はスペインの劇作家。ギリシア悲劇に影響を受けたらしい。
「血の婚礼」(夫も息子も宿敵に殺された母親。最後一人の息子まで殺される受苦を描く)
「イェルマ」(どうしても妊娠できない人妻。なんでどうしてと夫の首をしめて殺害)
「ベルナンダ・アルベの家」(ブス五姉妹。姉の婚約者を妹が奪う。のち首吊り自殺)
ロルカは女の情念による悲劇を書いた。スペイン人は熱いね。三つ目のみ傑作。
03/11/20 07:10
「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)*再読
→人生を変えうる一冊なんて書いちゃって、再読してみたけれども、えーと。
そこまでではないような気もするのですが、これはいったいどういうことか。
再読して改めて魅力を再発見するタイプの本があればそうでないものもある。
ただたんにストーリーが目新しかっただけということなのかな、うーん。
ストーリーがわかっていても楽しめるというのは戯曲にとって重要なわけです。
「ハムレット」なんてみんな知っているのに観にいくわけだから。
戯曲というものは再読してみてはじめて持っているちからがわかるものなのかもしれない。
03/11/19 02:15
「小説新人賞は、こうお獲り遊ばせ 下読み嬢の告白」(奈河静香/飛鳥新社)
→ブックオフ100円本。2時間で読めて5回笑えた。それがすべて。
03/11/19 02:15
「東京の秋」(山田太一/ラインブックス)絶版
→シナリオ本。むかしはこんな文芸ちっくなものがテレビでやっていたのかと隔世の感。
03/11/19 02:15
「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(トム・ストッパード/松岡和子訳/劇書房)品切れ
→戯曲。「ハムレット」に登場する脇役二人を主役にしてみたらどうなるか?
答え。つまらないからやめたほうがよかった。
「レティスとラベッジ」(ピーター・シェーファー/黒田絵美子訳/論創社)絶版
→戯曲。日本版は黒柳徹子が主演! おもしろいおばさんのおはなし。
日常よりも演劇が、ほんとよりもうそが好きなおばさん。現代に英雄はいない。
ならどうすればいいか。英雄ごっこをしよう! 終わりなき日常に果敢に挑んだ黒柳徹子は!?
「エクウス」(ピーター・シェーファー/倉橋健訳/テアトロ)絶版
→戯曲。どうしても読みたくてネット古書店で買ってしまった作品。
それほどでもないような。活字で読むより舞台で見たほうがいいというのか。
なぜって男女の役者が舞台上で全裸になるから。……じゃなくて見せ場の関係上(w
脱ぐというのは本当で、そのため韓国演劇では前衛演劇のさきがけになったらしい。
内容は、馬に異常な関心を持つこころの病んだ少年と精神科医の葛藤。
秘密を小出しにする技法があざといというのか、巧いというのか迷うところ。
「ロボット」(チャペック/千野栄一訳/岩波文庫)
→戯曲。SFの有名な古典らしい。人間そっくりのロボットを作り販売した会社。
みなさまの予想通りロボットたちが人間さまに反抗するわけで、さてどうなるか。
小学校のころの担任が「ロボットになるな!」と熱く語っていたのを思い出した。
著者によるとロボットの定義は自殺しようとしない、恋愛しない、感動しないの三つだそう。
03/11/09 19:45
「マーヴィンの部屋」(スコット・マクファーソン/松本永実子訳/而立書房)
→戯曲。しんみりと、じんわりと、来ます。ことばにできない感動が。
読み終わってスーパーに買い物に行きましたが、そこで来たのです。
その場で泣き出したくなるような、さみしさといとおしさがないまぜになったような。
そんな感動にすっかりやられてしまったわたしは涙を隠すのに骨をおりました。肉売場の前で。
寝たきりの父と障害者のおばの介護にあけくれるオールドミスの女性が主人公。
不運は重なるもの。白血病を宣告され、骨髄移植のために何年も会っていない妹と連絡を取る――。
読み終わってからずっと考えつづけた。なんなんだろうこのふしぎな感動は。
わかったのは、肝心なことを著者は語らせていないということ。
登場人物の誰もが言いたいことを言えないでいる。そのため逆説的に「間」が語っているのです。
何を? どうしたってことばにできないものを。それはおそらく愛なんだろうなチェッ。
登場人物が自分の思いをぶちまけることで葛藤を生みだすのが従来の演劇だとすれば、
本作は登場人物たちが思っていることを言えないがためにできてしまう「間」を見せようとする。
この「マーヴィンの部屋」は著者の第三作にして最終作品。33歳、エイズで死亡――。
03/11/09 10:07
「検察官」(ゴーゴリ/舟木裕訳/群像社)
→ご存知、名作戯曲の新訳! 国語便覧には必ず載っています。
名物にうまいもんなし、とは旅行好きの決り文句でありますが、はたして名作は?
へえ、これが名物なんだ、あの有名な、ふーん。一度食べたからもういいや。
名物を名作へ、食べるを読むへ変えれば、この「検察官」の感想になります。
「結婚」(ゴーゴリ/堀江新二訳/群像社)
→なにこれ、おもしろいじゃん。ぜったいつまらないと思っていたのに。
「検察官」の横に夫婦みたいに仲良く並んでいたから引き離すのがかわいそう。
それが買った理由。なのに、こりゃあ笑いがとまらない。
何より訳がいいのである。登場人物がみーんなかわいらしい。チューしたいぐらい。
お見合いのおはなし。といっても女はひとりで男は五人。さあ、誰を選ぶのか。
あはは。「検察官」の次に読んだからこんなにおもしろく感じたのかもしれません。
また食べ物のはなしで恐縮ですが、まあ、「検察官」と食べ合わせが良かったということか。
03/11/09 10:07
「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)
→戯曲。叫びたくなる。
ちょっと待ってよ、そりゃないって! もういいかげんにして!
戯曲を読むのは終わりにして早く「次」に行きたいというのに。
だって戯曲は半端じゃなく高いから……。なのに、なのに、なんでこんなにおもしろいの?
ええ、泣きました。セリフの一言ひとことがなんて重いんだろう。
これを読んだら胸がいっぱいになって、その日は他の本を読む気にならなかった。
アメリカの古典劇。調べてみたらとっても有名らしいけどみなさん知っていました?
わたしは知らなかった。世界各地でプロアマ問わずに上演されているらしい。
カントリーの平凡な生活を、なんでここまで感動的に描けるのだろう。
ひとの人生を変えうるチカラを持った書物に久々に出会いました。1800円、高くない!
「ピアノ・レッスン」(オーガスト・ウィルソン/桑原文子訳/而立書房)
→戯曲。黒人もの。中上健次の「路地」じゃないけど、なんかキュークツ息苦しい。
先祖伝来の想い出がしまいこまれたふるいピアノがあります。
弟は売ろうといいます。姉は反対しますが、かといってピアノ(黒人の歴史)に触れることはありません。
最後に姉が今までさわることのなかったピアノをひきます。
自分の娘にピアノを教えるのです。だからピアノ・レッスン。だからなに? So what?
わたしがネタバレをするのはよほど入手困難な本か、よほどつまらないかのどちらかです。
03/11/04 21:02
「ナイチンゲールではなく」(テネシー・ウィリアムズ/村田元史訳/「テアトロ」11月号)
→戯曲。テネシー・ウィリアムズが27歳のときに書いた習作。当時、上演されることはなかったらしい。
刑務所でのおはなし。搾取にリンチとやりたい放題の所長。それに対するは刑務所のドン。
さて、所長のスパイかと思われていたジムが所長秘書との愛に目覚め、刑務所のドンと結託して――。
アメリカにありがちな三流映画のような……といったら失礼かな。読みとおせるぐらいの
おもしろさはあるけど、そこどまり。この著者がのちに「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」を
書くとはとても信じられない。その飛躍には何があったのか。それを知りたい。
「週刊朝日百科 世界の文学42 テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーほか」
→アメリカの演劇史が盛りだくさんの写真とともにコンパクトに紹介されている。
読もうか迷っていた劇作家の情報があって、思っていたより役に立った。
喜志哲雄さんによると「ニール・サイモンの戯曲にはT.ウィリアムズやA.ミラー
ほどの文学性はない」。「エドワード・オールビーはアメリカ版の不条理劇」。
どちらも全集を買おうか迷っていたけど、とりあえずはやめることにする。
「カッコーの巣の上を」(デール・ワッサーマン/小田島雄志・若子訳/劇書房)
→戯曲。いいよ、これ。とってもいい。読んでいて不覚にも落涙。
そうとうスレているはずなんだけどなわたし。えーと、おはなしの舞台は精神病院。
ドラマというものは何者かが現れ日常の均衡が壊れることからスタートするものですが、
ここに登場するのがなんとも愉快なマクマーフィさん。「人生はお祭り」を地で生きるナイスガイ。
管理としめつけが大好きなオールドミスの婦長さんはとうぜん彼が気に入らない。
さてさて、どんな葛藤が繰り広げられるかはぜひご一読を。1700円と高いけど決して後悔させません。
続けてこれが原作の映画「カッコーの巣の上で」を見たけど、こちらにはがっくし。
映像、苦手です。イメージを押しつけられる感じが窮屈で。せっかくの脳内上演をぶち壊された思い。
ひとからイメージを与えられるより、自分でイメージを作るほうが楽しい……。
03/11/03 10:11
「ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン」(ピーター・シェファー/伊丹十三訳/劇書房)
→戯曲。インカ帝国を滅ぼすために探検に出かけた男たちの物語。なんかいまいち。
「レイ・クーニー笑劇集」(小田島雄志・恒志訳/劇書房)
→戯曲。収録作品は「ラン・フォー・ユア・ライフ」と「パパ・アイ・ラブ・ユー」。
登場人物全員が必死になって動き回るファルス(笑劇)。すべては観客を笑わすために!
シェイクスピアの「間違いの喜劇」を100倍おもしろくした感じといえばいいのか。
こんな演劇も可能だったのかと新たな発見をした気分。シナリオ創作の勉強になる。
2500円と高いけどお薦め。失意落胆しているときに読むと肩がほぐれそう。再読候補。
「くたばれハムレット」(ポール・ラドニック/松岡和子訳/白水社)絶版
→戯曲。お芝居の舞台裏を演劇にしてしまうというのは古く「夏の夜の夢」から。
ハムレットを演じることになった役者の成長物語。
ほら幽霊がでてきて、それは主人公にしか見えなかったりして、幽霊に色々教えてもらって、
最後はお別れという――。ありがちとか言っちゃ悪いね。可もなく不可もなく。
「アマデウス」(ピーター・シェファー/江守徹訳/劇書房)*再読
→戯曲。モーツァルトのお話。初読のときはすんごい大傑作だと思ったけどなんだかな。
うまいんだけど、おもしろいんだけど、それだけで終わっているというのか、うーむ。
役者のひとりが甘いお菓子を舞台でぽりぽり食べるのでわたしもついついお菓子を口に(w
そういうことってありません? 本にでてくる食べ物がどうしても食べたくなってしまう。
03/11/03 10:11
「完全版!! 銭道」(青木雄二/小学館)
→なに読んでんだかアハハと照れ笑いしたくなるけど、まあ、ちょっと前に
亡くなったことだし、コンビニ廉価版で安かったし、あほな大衆に受けている
のを見てみるのも悪くないと思ったから。
エラソーでごめんなさい。
03/10/30 04:11
「どん底」(ゴーリキイ/神西清訳/角川文庫)絶版
→戯曲。いわゆる名作古典。ロシアの浮浪者さんたちのおはなし。
どの文学作品も「ある時代における・ある国の」事情というものがあってはじめて
書かれるものだろうけれども、その中で古典として後世に残るものにはやはり
時代・地域に還元されない「何か」がある。その何かとは劇的ということである。
「イワーノフ」(チェーホフ/米川正夫訳/角川文庫)絶版
→チェーホフ最初の長編戯曲。文庫で旧仮名遣いは読みにくいったらありゃしない。
これも当時のロシアの事情が色濃く反映した戯曲らしい。
まあ、私たち(研究者ではない)フツーの読者はどの古典作品も今を基準にして
読むわけですが。最後に主人公が自殺して、へえ、強制終了かとあいまいに苦笑した。
かといって村上龍の「私は主人公を最後に殺したりはしない」という方針を支持しているわけではない。
「チェーホフの手帖」(チェーホフ/神西清訳/新潮文庫)絶版
→チェーホフは手帳に日々の思いを記入して、それを創作に活用していたらしい。
チェーホフ本人や研究者には重要だったかもしれませんけど日本の一読者が見てもさっぱり。
「チェーホフ短編集」(チェーホフ/原卓也訳/福武文庫)絶版
→宮本輝お薦めの短編「恋について」が入っていたので多少値は張ったけど古本屋で購入。
最近、知ったけど三浦哲郎もチェーホフを愛読しているらしい。
感想は、ブンガクしてるなぁ。ありのままの人間と、あるべき人間とのあいだにあるブンガクねえ。
大まじめに恋愛について生きる意味について書いていますよ、照れちゃうな……。
「かもめ」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)*再読
→戯曲。もう何回読んだんだろう。今年に入って三回目か。読めば読むほど味が出る。
チェーホフの最高傑作。これがあるからチェーホフの他の作品も読もうという気になる。
この感動を誰かに伝えたい。なんてすばらしい戯曲なんだろう。
どの人物のどのセリフにも作者の目が行き届いている。劇的になるように!
どの恋愛も成就することがない。それゆえのさみしさ。美しさ。青春ということ。
今までは気がつかなかったある脇役(マーシャ)に今回はやたら目がいった。
03/10/26 11:44
「言語表現法講義」(加藤典洋/岩波書店)
→著者が大学で教えていた講義を書籍化したもの。
テーマは「どうすればいい文章を書けるか」。刺激的な良書です。
言葉というものに意識的に向き合う良い機会になった。
本書は著者が学生に課題をだし、提出された課題を添削するという形式で進められる。
けどね、なんだかなと思ったりもする。うまいと著者がほめる学生の文章なんて読むと。
いかにもな小論文の優秀作、模範解答例みたいで、チェッと舌打ちしたくなるのである。
たとえば「私について」書きなさいという課題。
「戦争について」でも「現代の若者について」でもそう。
なんで一言「うるせーバカ!」じゃいけないんだろう。
本書のような文章教室からは文学は生まれない。
「うるせーバカ!」から始まるのが文学なのではありませんか。
かつて中上健次はいった。
「いまの文学者にこれだけは書かなければならないというものをもったやつが
どれだけいるか。べつに書かなくても生きていけるやつらが文学者づらをして
賞に一喜一憂しているだけだ」。
おんなじ。課題をだしてまで学生に文章を書かせる必要がどこにありますか。
書きたいことがないひとは、書かなくてもいいじゃない。いわんや「いい文章」をやである。
添削というのもどうかなぁ。さっきの中上さんは若い頃にこうもいっている。
自分の小説を一字一句でも添削しようとするやつは殴りつけてやると。さすが。
さてさて、本書の最後で著者は言い訳のようにいっている。
今まで自分が書いてきたいい文章の書き方なんて忘れてください。
みなさんの書きたいという気持がいちばんです、と。
もちろん加藤典洋もわかっていたのである。
書く「技術」よりもはるかに書く「欲望」が大切なんだって。
安心してください。三日も経てばわたしは本書の内容を忘れるでしょうから。