04/07/02 11:47

「創価学会とは何か」(山田直樹/新潮社)

→これを読むと創価学会って怖いんですね。
悪戯電話とかやめてください。悪口は書きませんから(たぶん)。
本書はアンチ学会本。政治的な創価学会の力を警戒せよというのが主張のメイン。
もう創価学会が日本を動かすようになっているとのこと。
というのも、自民党だって創価学会の力を借りないと与党を維持できないから。

あはは。すごいや創価学会。
仏壇の中に次のように書いた紙を入れて勤行(ごんぎょう)するらしい。
「御祈念 打倒仏敵四人組(日顕・山友・竹入・新潮社)」。
ならなんで宮本輝は新潮社から本をだしつづけているのだろう。ふしぎである。
あと、げんなりしたこと。
宮本輝「優駿」の主人公の名前は「博正」というんだけど、
これ池田大作氏の長男の名前なんだね。笑えません。

04/07/02 11:19

「錦繍」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→宮本輝の小説でいちばん再読の回数が多いのがこれです。
どれだけ感銘を受けた小説でも5回も6回も読めばおのずと仕掛けが見えてくるもの。
エピソードもストーリー展開もほとんど記憶してしまっている。
実はそうとうにきわどい小説だと思う。信仰告白というのか、なんというのか。

たとえば犯罪被害者というものがいる。
この小説はその人たちに、あなたは自分のせいでそうなったのだと
罵倒しているようにも読めるわけである。
それはあなたの業(ごう)だ、あなたが悪かったからそうなったのだと。
宮本輝はこの小説で「因果」(仏教用語)を展開させている。
悪い「(結)果」(犯罪被害や障害児誕生)が出たということは、
必ず悪い「(原)因」があったに違いない。
ふつうはこんなこと言えないでしょ?
不幸な人に向かって、あなたが悪い、自業自得だ、なんて言えますか?
でも宮本輝は言えるんです。なぜなら信仰があるから。創価学会への。
そこが宮本輝を天才たらしめている根本だと思う。

宮本輝は「因」が「果」になるゆえんの「縁」を小説に書くわけです。
そして主張する、現在の重視を。今刻々と流れていると「時」を見よ。
これらも「因」である、
だから良い「因」をなせば必ず良い「果」(功徳)が得られる(=創価学会思想の根本)。
わたしが冒頭にこの「錦繍」を「きわどい」と形容した理由を
わかっていただけましたか。
おそらく宮本輝の小説の中でこれはもっとも宗教的な小説でしょう。
表層的な「感動」の底をじっと見つめていると恐ろしい「地獄」が見えてくる、
そういう小説です。

亜紀母子が満天の星空を見ていたとき、有馬はネズミを食い殺す猫を見ていた。
この場面に「錦繍」の魅力が象徴されている。

04/07/02 10:55

「幻の光」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→最愛の夫が原因不明の自殺、そこからどう主人公の女性は立ち直っていくか。
できすぎていると思った。そりゃ、そう書いちゃ、そのとおりだけど、うーん。
ふつうの小説家がスタート地点から小説を書き始めるとすれば、
宮本輝はゴール地点から書いているようなところがある。
宮本輝自身は中上健次との対談では次のような言い方をしているけれども。

「だから人間は、反対のことをやっていると思うのね。
心から花が生じるとか、心から月が生じるとか。
僕は、違うと思っている。『花こそ心よ、月こそ心よ』
そういう気持ちですね。
おそらく多分、いまの作家たちは、自分の心から花をつくろうとか、
自分の心から月をつくろうとしていると思う。
だから、小説がおもしろくないんです」(「道行く人たちと」)


04/07/02 09:28

「月光」(井上靖/文春文庫)

→先日のちょっとした小旅行のおり、往復の電車で読んだ本。青春恋愛小説。
といっても「セカチュウ」とは似ても似つかぬ。出版されたのは昭和35年。
「貞淑」だの「家柄」だの、今では聞きなれない言葉がずらりとせいぞろい。

主人公は結婚適齢期の女性。ふたりの男性から求婚されて迷っている。
ひとりは幼馴じみ。
「サザエさん」にでてくるノリスケさんみたいな感じ。
もうひとりは会社の同僚。
「美味しんぼ」にでてくる山岡士郎タイプ。豪放磊落(ごうほうらいらく)。
三人がそれぞれ自らの誠実を問い、愛に悩み、幸福を指向するその葛藤――。
ほのぼのとした気持ちになった。こんな時代があったのかと。
この小説を自分の恋愛と照らし合わせながらまじめに恋愛をした世代。
今はもうおじさん、おばさんなんだろうな。
もしかしたら、もうおじいさん、おばあさんかも。
電車に揺られながら、窓外に広がるのどかな田園風景にしばし見入った。

04/06/27 13:20

「優駿(上)(下)」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→小説を読むというのはほんとうに楽しいことなのだと改めて実感させられた。
読みやすい文章、時間を忘れさせる物語、魅力的な登場人物――。
この「優駿」は至れり尽せりの感があります。
最初にこの小説を読んだときは圧倒的な感動に押しつぶされたかのようで、
ただ涙にまみれ、「生きよう、生きよう」と随喜の嗚咽をもらすのみだった。
恥ずかしいけどほんとうなんです。

今回の再読では残念ながらそこまでの感動は味わえなかった。
こういう小説を書けるひとは幸せだなぁと
観客席のいちばん後ろから舞台の上を見やる気分。
けっして自分が立つことのない舞台を、羨望の思いで、ため息をつきながら。
たしかにすばらしい舞台(小説)ではあったけど、それは舞台の上だけの話だから。
そう出口に近いいちばん後ろの席でわたしは思った。

ひとつ再読して気づいたことがある。これはネタバレになるから注意して。
宮本輝は最後にオラシオンを勝たせていないこと!
初読のときはまったく気づかなかったけど。
オラシオンは実際は負けているのに「運」のおかげて勝利したことになっている。
やはり宮本輝という作家の宿命を見据える視線には恐ろしいものがある。

04/06/23 20:00

「火の鳥4 鳳凰編」(手塚治虫/朝日ソノマラコミックス)*再読

→今回「仏教つながり」で読んだけど、手塚漫画のなかでこれがいちばん好き。
これほどの恐ろしい物語を作ることのできた手塚治虫の天分を思うと寒気がする。
そして、ここまで到達できた文学作品がどれほどあったろうかとも思う。
何度、読んでも感動する。物語の力に満ち溢れている。

04/06/23 17:13

「新潮四月臨時別冊 宮本輝」(新潮社)*絶版

→ずっと探していて、いざ見つけたら安心してしまって長いこと積んでいた本。
アルバム(家族写真まで)、小説の書評、ご友人のエッセイ、充実した年譜などなど。
宮本輝の素顔がわかる特集本です。
若い頃の写真を見ると、げっそりとやせ細っていて目がぎらぎらでなんだか怖い。
それはそれとして、やはり宮本輝は批評できない作家なのだと改めて思った。
福田和也をはじめとして多数、宮本輝の小説を論じていたけど、どれも不満。
年譜もふくめ創価学会への言及はなし。
瀬戸内寂聴が「宮本さんは仏教徒で……」と書いていたのが唯一。

こたえたのは「宮本輝の編集するページ」。
その中の「オレの嫌いなもの」。
どういう人間が嫌いかということを十四、箇条書きにしている。
たとえば「人の幸運や幸福をねたんで、やっかむ輩」など。
わたしだ……。
これだけではなくその十四箇条すべてに当てはまる。
十四箇条に続けて「まだまだあるだろうが、つまるところ、デリカシーがなく、
姑息で勇気がなく、人を許さないくせに自慢や自己弁護ばかりするやつのことである」。
ごめんなさい、宮本輝さん……。
会ったらいきなり怒鳴りつけられそうだ……。
大好きなんだけどな宮本輝。
04/06/21 09:47

「道頓堀川」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→これを最初に読んだのはたぶん高校生のとき。
それからもう何度読んだのか。今回で4度目かな。
作品は変わることがないが、読み手は変わる。

数年前は宮本輝の小説から生きる希望をもらっていたけど、
いま氏の小説を読むと絶望してしまう。生きていくのがいやになる。
むかしは宮本輝の小説が「ほんとうのようなウソ」に見えた。
よくもこの残酷な現実から美しい造花を作るものかと感嘆、感動した。
でもいまは宮本輝の小説が「真っ赤なウソ」にしか見えない。
少しもほんとうらしく見えない。
もっと言ってしまえば、それは「南無妙法蓮華経」(創価学会)の世界でしょと。
わたしの住むところとは別世界に思えてしまう。
かといって「南無妙法蓮華経」とはいえない。いえないことに絶望する。
相変わらず宮本輝の小説は読み物として十分おもしろい。
才能に畏怖するのはいまも同じである。
しかし、読後、小説と現実の落差に絶望してしまう。
小説が美しいものであればこそ、それに反比例して醜くなる「こちら側の現実」。
するとひたすら「現世利益」をのぞむ小説内の人物にも距離感を覚えるようになる。
「南無妙法蓮華経」といえぬものはどうしたらいいのか。

混乱した文章でごめんなさい。うまく整理できませんでした。

04/06/21 09:22

「螢川・泥の河」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→山頭火の句を思い出した。

「生死の中の雪ふりしきる」

この句の前書きに「生を明(あか)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という
「修証義」からの引用がある。生とは何か、死とは何か。
山頭火の歩いたこの道を宮本輝も歩いたのだと思う。
その歩みは、どこへ向かうのか。
今回、宮本輝のデビュー作ふたつを久しぶりに再読してそぼくに感じたのは、
「よくひとが死ぬなぁ」ということ。
短編にもかかわらず二作とも二人の人間が小説内で死ぬ。
「泥の河」にいたっては、いきなり死の描写からはじまるくらいである。
「死」から小説をスタートさせた宮本輝は「性」に行き着く。
「泥の河」では盗み見る性交、「螢川」では螢が踊り狂うなかできらめく思春期の性。
のちに展開する宮本文学の枠組みがこの「螢川・泥の河」にしっかりと凝縮している。
そんなことを思いました。

04/06/21 08:51

「青が散る」(宮本輝/文藝春秋)*再読

→まいったなと思った。かなわないなと思った。
もう五度目か六度目の再読だけれども、いっこうに色あせない。
こんな美しい小説を一作でも書いた作家なら、
たとえ創価学会信者だろうが、
芥川賞選考でお茶目な選評をだそうが、
いまは説教マシーンに成り果てようが、
そんなことはすべて帳消しになると思うのである。
ただこの「青が散る」一作で。
こんな美しい小説を書けるひとがいるなんて。
宮本輝は誰がどういおうが天才である。
中上、龍、春樹など宮本輝のまえにでたらなんと軽く見えることか。

文庫には解説がつく。宮本輝の文庫本の解説を見てください。
ひとつとして「まともな」解説がない。どういうことか。
宮本輝の小説は批評できないのである。分析できない、他と比較できない。
ただ美しいと感嘆するほかないのである。
また宮本輝自身もそれ以外は読者に求めていないでしょう。
批評ではなく感嘆符を要求する小説、
そんな小説を書ける作家は宮本輝のほかにいません。

今日から買った本のタイトルと金額を公開してみることにします。
スーパーなどで気になりませんか? 他人のカゴの中(笑)。
続けるかどうかは未定です。


「長靴をはいた牡猫」(ティ-ク/大畑末吉訳/岩波文庫) 157円

「ブリタニキュス」(ジャン・ラシーヌ/内藤濯訳/岩波文庫) 157円

「インド民話集」(渋沢青花/現代教養文庫) 150円

「中国の屏風」(サマセット・モーム/小池滋訳/ちくま文庫) 200円

「私の文章作法」(清水幾太郎/中公文庫) 105円



いちおう今回のはすべて絶版・品切れです。
昭和22年3月6日、生まれる。本名は宮本正仁。

→中学生の宮本少年、父の浮気癖、それによる母のアル中に悩む。
→読書に逃避。母から10冊の古本を買ってもらい耽読する。
→母が自殺未遂。その日、井上靖の『あすなろ物語』を読み感銘を受ける。
→母のアル中は治らず、苦しむ母はさまざまな新興宗教に手を出すようになる。
→母、創価学会に入会。
→高校生になった宮本はそんな母を憎悪し、学会も嫌悪する。
→宮本、大学受験に失敗。
→予備校には通わず、図書館で世界の文学作品(主に仏、露)を耽読。
→無名の新設大学、追手門学院文学部英米語学文学科に一期生として入学。
→テニス部に入る。読書からテニスに関心を移す。
→1学年下に在学していた、現在の妻、大山妙子と交際を開始。
→父、逝去。宮本母子は借金取りに追われるようになる。
→なんとか大学を卒業。小さな広告代理店(サンケイ広告社)に就職。競馬にハマる。

→紆余曲折はあったものの、大山妙子との結婚にこぎつける。
→突然「不安神経症」を発症する。勤務もままならなくなる。
→病気を治すために、母のすすめで創価学会に入会。
→折伏に走り回る。同僚の女性事務員の勧誘に成功。
→創価学会中等部を担当。中等部主催の演劇会で脚本を書く。処女作。
→池田大作の次の言葉にインスピレーションを受ける。
→「サルトルは言った。文学はアフリカの飢えた子供に何ができるのか?」
→宮本、自分が小説で素晴らしい学会の教えを広めようと決意する。
→会社に辞表をだす。タイを舞台にした小説(「無限への羽根」)を書き始める。落選。
→作家デビューするまでの無職の3年間は老母の収入のみで生活していた。
→創価学会文芸部の要職にいた、池上義一と知り合う。
→池上の主催する同人誌「わが仲間」に加わる。池上の仕事を手伝うことも。
→池上の指導のもと『泥の河』『蛍川』と書きつぐ。
→『蛍川』で芥川賞。『泥の河』で太宰治賞。文壇デビュー。
→不運にも結核を発病。入院生活を余儀なくされる。
→病床、池田大作から励ましの手紙をもらい、いたく感動する。
→真摯に自身と他者の「貧・病・争」へ目を向け、人間観・人生観を深める。
→名作『青が散る』『錦繍』『優駿』を次々と発表する。

→学会員の支持もあり流行作家となる。
→収入の大幅アップ。名声と社会的地位の獲得。
→平穏で安定した家庭生活。ふたりの息子(陽平・大介)も順調に成長する。
→芥川賞選考委員に就任。いまや文壇(あるのか?)の権威となる。
→息子の大介を幻冬舎へ入れる。
→還暦を迎え講演会で勝利の大切さを語る。

→紫綬褒章受章。おめでとうございます。
04/06/18 09:31

「酒と酒飲み 知りたかった博学知識」(博学こだわり倶楽部/KAWADE夢文庫)

→タイトルそのまま。お酒にまつわるどーでもいい(かつ眉唾な)知識を紹介。
お酒を飲みながら「へえ、へえ」などと読み、翌朝になったらきれいさっぱり忘れている。
どーしょもないね、わたしもこの本も……。

04/06/16 14:28

「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読

→風呂で読んだ。
読んで乾かして読んでをもう何回、繰り返したのだろう。
いちおう読書的にはつながっている。
というのも、山頭火は得度した禅僧だから。曹洞宗派も仏教の一派。
仏教の唯識思想から山頭火の俳句を見てみるとおもしろい。
唯識思想というのは、外界のすべてを心の現象に帰す仏教の考え方。
たとえば花を見る。しかしこれは花が実在しているということではない。
ただ目という機関を通して花のイメージが心に写っているに過ぎないのだとする。

「分け入つても分け入つても青い山」

山頭火の代表句である。
木々豊かな山が続いている景色をうたったものだが、
消しても消しても煩悩がでてくる山頭火の心象と読むこともできる。
景色と心象が絶妙のバランスを取ったとき山頭火の句はきらりと輝く。
禅の思想である。唯識思想である。
山頭火の句において一瞬は永遠であり、永遠が一瞬となる。




「國文學 1995年1月号 山頭火と放哉 ―― 流転と演戯」(學燈社)絶版

→まえにも指摘したけど、雑誌國文學に書いている研究者って文章がへた。ゆるい。
こんなんで大学教授とかやっているなんて信じられないと毎回のように思う。
ま、それはそれとして、山頭火と放哉である。
上野千鶴子が山頭火とその愛読者をバカにして放哉こそ天才であると主張していた。
この上野千鶴子だけじゃなく、現役の歌人、俳人にもそう思っているひとが多いらしい。
山頭火は大衆的。放哉のよさはクロウトしかわからないというのがその主張。

ふーんとしらける。
たしかにこちらは西行も芭蕉もよく知らない。ただの山頭火好き。
俳句史における山頭火の位置なんてどーでもいい。
ただただ山頭火の句が好きである。わかりやすいから、楽しいから。
放哉の句はへんに疲れる。西行や芭蕉はお勉強という感覚以外では読めない。
べつによろしい。バカにしたかったらしてください。大衆でけっこうと開き直る。
04/06/16 13:43

「仏教入門」(三枝充悳/岩波新書)*再読

→数年前これを読んだときは感動した。
仏教の考え方というのは実におもしろいものだとしみじみと……。
仏教思想というものが、この一冊でずいぶん深くまで理解できたと満足した。

今回、再読。あはは、まったくわからない。なに書いてんの、このひと?
まずいぞ。
連日連夜のアルコールのせいで脳細胞がかなりやられてしまったのかもしれない。
ほんと、やばい。これはもう仏様にすがるより他ない。南無阿弥陀仏だコノヤロー。
えーい、なんにでも帰依するぞ、法華経にだって。南無妙法蓮華経だモッテケドロボー。




「寂聴の仏教入門」(瀬戸内寂聴・久保田展弘/講談社)絶版

→岩波新書に頭をかかえて、こんなのに手をだすなんて。
しかもブックオフ百円コーナーで買っていたりするのだから、もう救いようがない(笑)。
でもね、対談形式の入門書ほどわかりやすいものが他にあると思いますか。
始終、話し言葉だからすらすらと頭に入ってくる。
仏教用語には下に「注」をつけて解説してくれる編集さんの親切もある。
瀬戸内寂聴の本を読むのは初めて。今までイメージだけで嫌っていた。
瀬戸内寂聴いわく、四諦八正道(などの仏教用語)の説明をするのは大嫌い。
そんなものを知ったからって、いま苦しんでいるひとがどうなるわけでもないんだから。
お釈迦様はたしかに弟子相手にそういう哲学的なことも言ったでしょうけど、
同時に不幸にもだえる庶民の苦しみを救いつづけたことを忘れてはならない。
同感、同意。
子どもに先立たれた母親に、それは十二支縁起でうんぬんと説明してどうなる?

04/06/16 13:07

「図解雑学 仏教」(広沢隆之/ナツメ社)

→はじめて仏教にふれたのは大学一年のときに受講した「東洋思想」。
大学生だぁと張り切っていたがあまりのつまらなさに寝入ってしまい、
そのうち授業にも顔をださなくなったけれども、なんとか単位はいただけた。

つぎに仏教へ関心をもったのは大好きだった(過去形!)宮本輝が
創価学会員だと知ったとき。
創価学会は日蓮を大聖人とあがめる仏教系の一派だから、
じゃあ、仏教ってそもそもなんだろう、日蓮ってどんなひとだったのかと調べた。

で、今回が三回目。
「図解雑学 聖書」の続きという流れもある。
結果。さすがの図解雑学シリーズでも仏教はやはり難しいのねとため息。
独特な仏教用語がたくさんでてくるのが原因のひとつ。
もうひとつは、日本に伝来してからの宗派の多さ。
鎌倉新仏教の開祖と宗派とか、そうそう受験生のとき必死で覚えたや……。

仏教の特徴は心の重視にある。たとえばあなたが不幸だとする。
仏教は説く。それはあなたが不幸だと心で思うからだ。
心のありようを変えてみなさい。ほら、環境は同じでも心しだいで不幸は消えるでしょ?
これが基本線。難しく表現するなら三法印、四諦八正道、十二支縁起、六道輪廻――。

ひとつ疑問。
そもそも人間の「さとり」を目的としたインド仏教が、
根本分裂、部派仏教、大乗菩薩思想の誕生、中国、朝鮮、日本と流れると、
どうして現世利益や死者供養をメインとした仏教になってしまったんでしょうかね?

04/06/09 11:20

「インドは今日も雨だった」(蔵前仁一/講談社文庫)

→旅エッセイ。インドには一度行ったことがある。一人旅。
いろんな国の人と話せたりしておもしろかったな。
あー、もう一度行きたい、だけど一歩踏み出せない、だからかわりにエッセイを読む。
うざい自己主張も、旅なれた人特有の腐臭もない、実に手軽なエッセイだった。
ほんのわずかのあいただけインドに行ったような気分になった。
それこそこのエッセイに望んでいたもの。だから満足、満足、余は満足じゃ。

04/06/06 10:15

「日本の名随筆 別巻40 青春」(椎名誠―編/作品社)

→近所の古本屋に百円で落ちていたので、お酒を飲みながら二時間で読んだ。
至福のときである。
横にはウイスキー、開くは上質のエッセイ(アンソロジー)。
だけど、買った金額は百円だから肩の力を抜いて読める。
汚しても気にならないし、飛ばし読みをするエッセイがあってももったいなくない。
何も考えずに文章を楽しめるのはこういった時間だけかも。
ほかの読書では常に緊張しているから。
何かに使えないかという盗人(ぬすっと)気分、
どうしておもしろい(つまらない)のかを知りたい分析者気質。
読むのが娯楽ではなくなっている。鉱脈を見つけようとするあさましい血眼の目。
やだやだ自己嫌悪。

04/06/05 08:54

「サン・ルイス・レイ橋」(ワイルダー/松村逹雄訳/岩波文庫)品切れ

→小説。ワイルダーの出世作となった。
関心のあるテーマと密接に関係した作品。つまり人生は偶然か必然か。

1714年、ペルーで有名なサン・ルイス・レイ橋が崩壊し5人の死者をだした。
そのときある修道士は考えた。なぜ死んだのはこの5人だったのか。
キリスト教によれば、世に起こることはすべて神のご慈悲である。
ならこの5人も死ななければならない理由があったはずである。
あのとき、あの場所に偶然居合わせたのには意味がなければならないということになる。
修道士は調査し一冊の書物にまとめたが教会はそれを認めず著者とともに焼き払った。

さて日本、2004年。テレビで毎日、交通事故のニュースが放送される。
なぜあのひとたちが? なぜわたしやあなたではなく?
この疑問に向き合ったのがこの小説なのである。
ワイルダーがこの小説でどんな答えをだしたのかは読んでのお楽しみ。
気になる? それにほんとに読んだひとがいたら怒られそう。
というのも、……ワイルダーは答えなんて書いていないのである。
引用。

「われわれには結局何もわからないのだ、神々の前には、われわれ人間は、
夏の日にいたずら小僧の手で殺されるトンボのようなものに過ぎないのだ、
という者もあれば、また反対に、スズメのようなものがその羽根一枚を
すり取られるのにさえ、そこに必ず神の御手の働いていないことはない、
という者もいる」(11ページ)


前者のトンボの比喩はシェイクスピア「リア王」の中の有名なセリフを意識している。
後者のスズメは「ハムレット」で語られるセリフ。
ワイルダーはリアの絶望とハムレットの達観を提示して筆を置く。問いのみが残る。

人生は偶然か必然か?

04/06/05 08:18

「ソートン・ワイルダー一幕劇集」(時岡茂秀訳/劇書房)絶版

→戯曲。アメリカ産。一幕劇が5つ入っている。
有名なのは「ロング・クリスマス・ディナー」。
わずか一幕(30分!)である一家の90年もの出来事を描いてしまおうという実験作。
舞台下手は誕生の扉で、生まれるとここから出て来る。
舞台上手は死の扉で、死ぬとここから出て行く。
舞台上は常にクリスマス・ディナーの真っ最中。
毎年、きまってやってくるのがクリスマス。
下手から出たと思ったら上手に消えていくものもいる(=死産)。
生まれて死ぬ、人間はただそれだけの存在なんだと当たり前のことを改めて想起する。
ワイルダーは従来の自然主義演劇やその物語性をこういった形で否定した。
おもしろいひとである。





「結婚仲介人」(ソーントン・ワイルダー/水谷八也訳/新樹社)

→戯曲。アメリカ産。訳注がなければとほんとに思う。
ほらいるじゃん、独創性を主張したがる学者さんって。
だけど、もちろん創作の才能はない。あったら学者なんかやっていないわけだから。
すると、どうなるか。1ページに5コも6コも訳注をつけて自己アピールとあいなる。
まるで子どもが他人のおもちゃにつばをつけて、これボクのだよというみたい。
そんな幼児性をもっているのがこの戯曲の翻訳者、水谷八也。
せっかくのおもしろい戯曲を訳注でめちゃくちゃにしてしまった男、水谷八也。
都市の名前がでてきたら10行くらい使って、
その特徴(外見・歴史)を書かないと気がすまない。
訳注なんて無視して読み進めばよかったんだけど、なんか気になって……。

内容は典型的なファルス(笑劇)。3組のカップルがめでたく結ばれる。
それまでには「立ち聞き」「取り違え」といったファルス固有のシーンがこれでもかとある。
観客のみなさん、ちょっとでもいいから冒険してみましょうというのがテーマ。
いつか訳注を飛ばして再読してみたい。じつにいい戯曲だから。

04/06/03 09:14

「寺院の殺人」(エリオット/高橋康也訳/白水社「現代世界演劇3」)絶版

→戯曲。イギリス産。いちおうキリスト教つながりということで。
テーマはキリスト教。またあの、国の法か神の法か、というテーマ(おそらく)。
読後、良かったと胸をなでおろす。エリオット全集の戯曲の巻を買わなくて良かった~。
どこかの古本市で1800円くらいであり、だいぶ迷った記憶がある。
その翻訳が福田恒存だったということもあって。うん、エリオットは退屈であります。

04/06/03 09:14

「図解雑学 聖書」(関田寛雄=監修/ナツメ社)

→ナツメ社の「図解雑学シリーズ」はいいよ!
いぜんギリシア悲劇を読み始めたとき、これはギリシア神話の知識が不可欠だと悟った。
そこでほんといろいろギリシア神話入門書を読み漁ったけど、
その中でいちばんわかりやすかったのが「図解雑学 ギリシア神話」だった。
おそらく執筆者は編集者からサルにわからせるつもりで
書いてくださいと頼まれているはず(笑)。
左ページは本文で、右ページはそれを図解したもの+関連写真・絵という構成。
講義にたとえたら左ページは先生の口述、右ページは板書みたいなものかな。
この「図解雑学 聖書」でも、知る喜び、わかるという快楽を十全に味わった。
このシリーズは売れる(売れている?)と思う。

買うのはかなり恥ずかしいけれども。




「キリスト教ハンドブック」(遠藤周作・編/三省堂)*再読

→5、6年前に遠藤周作に傾倒していたころ、キリスト教の本をたくさん読んだ。
これはそのときの一冊。
あ、聖書本体はもちろん読んでいない(読めませんって)。
キリスト教か……。
十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かって歩く男か。
その男は愛を説いていたか。
……体質的に受けつけないところがある。
あ、この本の感想か。わかりにくい、それだけ。書いているのは遠藤周作じゃないし。

04/05/31 08:12

「怒りをこめてふりかえれ」(ジョン・オズボーン/青木範夫訳/筑摩書房「現代劇集」)絶版

→戯曲。1956年、イギリスでこの劇が初演されたとき、すごい衝撃を与えたとのこと。
シェイクスピア登場以来の英国演劇史上の「事件」とまでのちには語られたらしい。
信頼している学者の小田島雄志さんもこの劇を絶賛している。
なんでもこの劇の主役、ジミー・ポーターは現代のハムレットであるという理由で。
だけど、うーん、わたしだけなのかな。
これ決しておもしろくはないと思うんだけど。
普遍的なおもしろさ(古典的といってもよい)はないと思うんだけどな。

労働者階級出身の青年、ジミー・ポーターくんが妻に怒りまくる。
というのも、妻のアリソンさんが中流階級出身だから。
その発言、行動すべてが気に入らないというのである。
我慢できなくなった妻が実家に逃げたら、今度は妻の友人と愛人関係へ。
それでもジミー・ポーターくんの怒りは収まることがない。
最後は戻ってきた妻と仲直りして、動物園ごっこ。
ぼくは熊だぞ、きみはリスだ、食べちゃうぞー♪
どうしていきなりラブラブになるのかさっぱり(苦笑)。
未熟で不快で退屈な戯曲だと思う。

最後に演劇史的知識の確認。
オズボーンはウェスカー、ピンターらとともに「怒れる若者たち」といわれた。




「ルター」(ジョン・オズボーン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版

→戯曲。読むまえからつまらないだろうなと予測を。
歴史上の有名人がタイトルになっている(いわゆる)評伝劇でおもしろいものを知らない。
バーナード・ショーの「聖女ジョーン」はその典型。
なんでだろう。
「神が作った劇=人間の運命→評伝劇」と「人間が作った劇」とのはざまで首をかしげる。

ルター。宗教改革かぁ。
世界史を高校時代ほとんど勉強しなかったからよく知らないんだ……。
免罪符の発行? 堕落した教会?
だけど、ほんとキリスト教ってすごい。
二千年ものあいだ、あれだけ多くのひとをとりこにしているのだから。
イエスは天才的な詐欺師と言わざるを得ない。
あ、戯曲はやっぱりおもしろくなかった。
読み飛ばしました、オズボーンつながりで。

04/05/31 07:12

「花咲くチェリー」(ロバート・ボルト/木村光一訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版

→戯曲。イギリス産。
ギリシア悲劇は神に近い英雄の受苦を描いた。
シェイクスピア悲劇では王や王子が大立ち回りをして死んでいった。
現代劇――。家族に見放されたセールスマンの父親がみじめにうつぶす。
アーサー・ミラー「セールスマンの死」とそっくりな戯曲。ダメ親父の物語。

いつかリンゴ農園を開くのが夢のこのダメ親父は会社をリストラされ、
妻からも愛想をつかされる。
じつにうまい作劇術で、観客(読者)をあきさせない。
イギリスのチェーホフと言われているとのこと。
良い戯曲を読んだなぁという、しっかりとした満腹感がある。




「すべての季節の男」(ロバート・ボルト/小田島雄志訳/河出書房「現代世界戯曲集」)絶版

→戯曲。イギリス産。
古くはギリシア悲劇「アンティゴネ」から西洋にはひとつのテーマがある。
従うべきは神の法か、人の(=国の)法かという問題である。
日本には基本的にこのテーマはないんだけれども、
例のオウム事件を考えるとそうでもないのかな。
麻原(=神)がサリンをまけという、
日本国憲法はそれを犯罪だという、その間の葛藤。

この戯曲の舞台は、シェイクスピアが「ヘンリー8世」に書いた時代。
イギリス国王の離婚がローマ法王から認められないので、
ローマ教会と絶縁して別個にイギリス国教会を作るという――。
主人公のトマス・モア(国王の側近)は迷う。
ローマ法王(カトリック=死後の法律)か、イギリス国王(現在の法律)か。
トマス・モアは神の法を選択して国王から処刑される。

こういうのを読むと、西洋文学への溝の深さをいやがおうにも実感させられる。
日本人は西洋文学なんてわかりっこないんじゃないかという絶望である。
命を捨ててまで従う神のいる国の文化(西洋文学)を
神仏ごちゃまぜの日本人がわかるものか。
この作品は「わが命つきるとも」というタイトルで映画にもなったらしい。

04/05/31 06:32

「花粉熱」(ノエル・カワード/鳴海四郎訳/白水社「現代世界戯曲選集5」)絶版

→戯曲。イギリス特有の風俗(風習)喜劇というジャンルに属する作品。
英国人は芝居に哲学など求めていない。ただ一晩の笑いがあればと出かけていく。
そんな姿勢がよくわかる作品。おかしくて、笑えて――。

奇妙な四人家族がいる。女優の母親、小説家の父親、息子に娘。
四人がそれぞれに休日に友人を招待したが、
その友人たちはこのおかしな一家に翻弄される。
なんでもかんでもお芝居をはじめてしまうからである。
翌朝にこの四人の訪問者がこれはたまらんと逃げ出していくまでを描く。
見事な戯曲です。拍手ぱちぱち。




「にわとり」(ショーン・オケーシー/菅原卓訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版

→戯曲。アイルランド産。
よくわからなかった、何が起こっているのか、どこがおもしろいのか。
悪魔がでてきたりするんだけど、いないっしょそんなもん。
イギリス人はアイルランド人を差別していた(いる?)というけど、
こんなのを読まされるとわたしもアイルランド人を(略)。
退屈な戯曲を読んだときのやりきれなさはなんとも言いようがない。

04/05/31 06:04

「深い青い海」(テレンス・ラティガン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版

→戯曲。イギリス産。
福田恆存がある本ですすめていた。まれに見る傑作。
こんなにおもしろい戯曲が日本人にほとんど知られていないのはさみしいかぎり。
たくさん戯曲を読んでいても、ここまでの良品にはそうは出会えない。

さて、良い戯曲とはなにか。
なによりおもしろいこと、先が気になってしかたがないような戯曲。
そしてバランス。
朝がきてひとが動き出す、
もっとも活動的な昼、
疲れて眠りにつく夜。
「起承転結」だの「序破急」(by世阿弥)だのといわれている、
あの生命特有のリズムを持つ戯曲である。
ことが起こり、それが展開して、最後には収束(解決)するひとつの事件=芝居=戯曲。
そんな事件をわたしは目撃したいのである。
何も起こらない毎日を淡々と生きるものとして。
始めも終わりもない退屈な日常にいやいやしながら。

本作品はある集合住宅(アパート)で自殺未遂者が発見されることから始まる。
彼女が自殺を試みたのは失恋が原因である。
なんとか彼女を助けようとするアパートの住民たち。はたして彼女はどうなるのか――。
こんな戯曲が読めると思うと生きているのも悪くはない気がする。

04/05/25 13:28

「聖火」(モーム/菅原卓訳/白水社「現代世界戯曲選集」第5巻)絶版

→戯曲。イギリス産。
サマセット・モーム。
日本では小説家としてしか知られていないけど、
イギリス演劇史のうえではけっこう重要な役割を果たしていたりする。
ウェルメイドプレイの系譜。
だけどモームの戯曲で邦訳があるのは(調査すると)おそらく六作だけ。
そのなかの貴重な一作がこれ。昭和29年刊行。そこそこぼろぼろ。300円で購入。

買ってきた日に読んだんだけど、これがおもしろいんだなぁ~。
久しぶりの傑作戯曲。優れた戯曲を読むと幸福な気分になる。
だれにでも笑いかけたい気分。
下半身付随で寝たきりの長男が原因不明の死亡。
さて犯人は母親か妻かそれとも自殺か――。
巧みなストーリー構成、どきどきさせるサスペンス、意外な落ち、豊かな人間描写。
わたしだけが知っている名作です。

04/05/25 13:28

「織工」(ハウプトマン/久保栄訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。
ハウプトマン(1862-1946)はドイツの近代劇の創始者。
演劇史的にいうと近代劇といえばイプセン。
その影響のもとにストリンドベリやらバーナード・ショーがでてきた。
そのドイツ版がこのハウプトマン。代表作がこれ。

内容。
悲惨な労働条件の中、困窮する織工たちは団結して工場主に反旗を翻す――。
だからといって決して革命賛歌の劇ではなく、
暴徒となった織工たちを客観的に(ある意味では冷徹なまでに突き放して)
見る作者の視線がある。
作品としておもしろいかと聞かれたら否だけど、演劇史的観点からは興味深い。
王様の葛藤とか貴族の恋愛遊戯ではなく、
ついに資本主義社会を描く戯曲が現れたのかと思うと。
薄いし、読んでおいても損はない古典。




「沈鐘」(ハウプトマン/阿部六郎訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。壮絶につまらない。今年のワースト1はこれに決定。
イプセンの「ペール・ギュント」と同じで、
何かの民話が下敷きになっているはずである。
まったくわからん。
2時間で読み飛ばせたのは外出する時間が迫っていたから。
イプセンの「ペール・ギュント」もそうだけど、復刊リクエストがでているんだよね。
教えてあげたい。つまらないからおやめなさいと。

04/05/25 12:32

「戯れに恋はすまじ」(ミュッセ/進藤誠一訳/岩波文庫)

→戯曲。フランス産。
ミュッセ(1810-57)はシェイクスピアから影響を受けたとのこと。
ミュッセってどんな人かと聞かれたら、そうだな、うーん。
大恋愛をしたせいで、恋愛ものばかり書いていた人って感じかな。
大作家じゃないよ小物、極小(苦笑)。
でもまあ、おフランスものだから、
好きな作家にミュッセとかあげたらちょっとセレブかも。
テーマは恋愛と嫉妬の関係。
ほら、あるじゃん。
好きなひとへのあてつけにわざと好きでもないひととデートして見せつけるとか。
そうあれあれ。
だけどストリンドベリの半分の迫力さえない。上品なんだな、ミュッセは。

内容。
王子様は婚約者がつれない態度を取るので、村娘を愛しているようなふりをしました。
ほら見たことか、嫉妬にかられた婚約者と王子様は大恋愛へ。
しかし王子様の愛を本気にしていた村娘はだまされていたと知り自殺する――。
だーかーら、「戯れに恋はすまじ」! チャンチャン♪




「マリアンヌの気紛れ 他一篇」(ミュッセ/加藤道夫訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。フランス産。
恋愛、恋愛って、もうミュッセうざすぎ(ため息)。
とくに西洋は神への愛と人間の愛がごちゃまぜになっているからしつこいんだ。
コックさん、油を使いすぎだよって感じ。

おまけ(他一篇)についていた「バルブリーヌ」のほうがまだ読めた。
シェイクスピア「シンベリン」と同じで、
貞節な妻が夫の留守中になびくかどうか、夫と友人が賭けをする――。

04/05/25 11:47

「反劇的人間」(安部公房とドナルド・キーン/中公新書)絶版

→対談本。対談にも良い悪いがあるのをご存知ですか。
Aがあることを言う。
このAの発言に刺激されて、Bは今まで考えてもいなかったことを言ってしまう。
いわばAに言わされる。
この繰り返しで、話が思いもよらなかったところに飛ぶ。
これが良い対談なわけである。

一方でこういう対談がある。
Aの発言とはまったく無関係に、以前からの主張をBが言う。
そのBの発言とは、なんの関係もなく次にAが話す。
こんなのは二冊の口述筆記本を交互に読んでいるのとかわりない。
悪い対談の典型である。
つまり芝居と同じということになる。
うまい俳優というものは、相手のセリフをよく聞くといわれている。

さて、この「反劇的人間」は、うーん、良い戯曲にはなっていなかった。
そうなのだ。良い対談とは良い戯曲と同義である。

04/05/25 11:26

「緑色のストッキング・未必の故意」(安部公房/新潮文庫)絶版

→戯曲。収録作品は四つ。タイトルになっている二作のほかには、
「愛の眼鏡は色ガラス」「ウエー(新どれい狩り)」。
この文庫本はどうしてもほしくてネットで買ったんだけど高かったな……。
定価520円のを980円で。送料を入れたら1300円近くもかかった。
それほどの価値はあったのかと考えると、うーん。

安部公房(戯曲)の特徴は「ありえねー」状況に凡人を送り込むところにある。
そこでの凡人のリアクションを喜劇として見せる。
観客は大笑いして帰宅すると、あれっと思う。
永遠に続くように思われていた日常生活が別の相貌を帯びて見えるからである。
というのが安部公房戯曲(小説も?)の根本。
カフカ「変身」の系列上にあることはわたしが指摘するまでもない。

よってその戯曲がおもしろいかどうかは発想の巧拙にのみかかる。
卑近な例をあげると、ドラえもんの作者と作品誕生の経緯が似ている。
子供の発想。あんなこといいな、できたらいいな♪ という。
結果、成功しているのは「緑色のストッキング」「ウエー(新どれい狩り)」。
残り二つは失敗。

安部公房戯曲の最高傑作「人間狩り」を改作した「ウエー」には期待していたけど、
なんかな(まあ笑えるが)。元のままのほうがおもしろいのにと残念。

04/05/20 10:59

「悪口学校」(シェリダン/菅泰男訳/岩波文庫)

→退屈な戯曲。イギリス産。
戯曲は勝手に上演時間(この本なら二時間半)を設定して一気に読むようにしている。
だけど、この戯曲は一幕目でストップした。
サロンもの。つまりお金持ちのおじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんが、
愛してるだの恋してるだの嫉妬だの破産だのというふうに繰り広げる喜劇。
屏風シーンが有名とのこと。
ある人が屏風の中に隠れて会話を聞いているのに、
そうとは知らないものがうっかりしたことをしゃべってしまうという。
典型的なお客に受ける(笑わすことができる)シーンというのがいくつかある。
催笑作劇法とでもいうのか。その古典的な一方法を学んだと納得する。




「人の世は夢」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)

→退屈な戯曲。スペイン産。
人生は夢のようなものだと不遇な王子が悟り、
今まで自分を虐待してきた父親の王様と和解する物語。
学者さんだったら言いそうなことをたまには書いてみよう。
ギリシア悲劇の場合、神の予言(預言)はかならず的中する。
だが17世紀に書かれた本作では王子は暴君になるという予言はあたらない。
ここに人間中心主義、または人間性への信頼を見て取れる。
だからなに? 
と問われたら「べつに」と答えるしかないけれど、学問なんてそんなもの(ごーまん!)。


「サラメアの村長」(カルデロン/高橋正武訳/岩波文庫)

→退屈な戯曲。スペイン産。
自分の娘を軍人にレイプされた村長(身分は農民)が
仕返しにその軍人を縛り首にする。
だが、村長は罰せられず反対に国王から誉められる。
何気にレイプシーンがえろい。
というのが、学者ではないふつうの読者の読み方。

04/05/17 11:38

「ケペニックの大尉」(ツックマイヤー/杉山誠訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。ドイツ産。
ちょっと関係のない話を。
これが入っている筑摩書房世界文学大系90「近代劇集」。
古本屋前のワゴンでよくお見かけするあれです。
これまでの読了報告に頻繁に登場した。
すごいんだこれ。活字が三段組み。わかるかなぁ。
ページにずらっと文字ばかり。
そのおかげでページを食う戯曲を9つも一冊の本に入れることに成功。
だけど、とっても読みにくい。目が痛くなる。
今回ここに収録されている戯曲をぜんぶ読み終わったわけですが、
この一冊を読了したのは日本でわたしのほかにあと何人くらいいるのでしょう(苦笑)。

この「近代劇集」に入っている中でいちばん無名なのが「ケペニックの大尉」。
べつに読まなくても良かったんだけど、どうもそういうのって落ち着かなくて。
で、読了。国家風刺劇。
前科者の乞食が大尉の軍服を着たらみんなへいこらするという。
注目点はひとつだけ。この大尉の軍服が真の主役で、着る人の変遷が筋と重なるところ。


「トロイ戦争は起こらない」(ジロドゥ/鈴木力衛他訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。フランス産。ギリシア悲劇の変奏戯曲。
ラシーヌといい、アヌイといい、サルトルといい、
フランスの劇作家ってほんとギリシア悲劇が好きだよね。
ギリシア神話的な知識がないとつらいかも。

たとえば太平洋戦争、日米開戦直前、真珠湾攻撃はとめられたのか?
というのが、この戯曲の(いわば)普遍的なテーマになる。
複数の人間がなんとかトロイ戦争をとめようとする。
さあ、どうなるか。
「トロイ戦争は起こらない」のか? 読んでのお楽しみです。

04/05/17 10:57

「リリオム」(モルナール/徳永康元訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ハンガリー産。ひさびさにおもしろい戯曲に出会った。
バカだから、こういうのが単純なのが好き。難しいのはだめ。
うんうん、音楽は中島みゆき。主役のリリオムは柴田恭平しかいないっしょ(若い頃のね)。
この配役からもわかるように、驚くくらいこの戯曲は日本の大衆娯楽映画っぽい。
チンピラやくざの柴田恭平。
いけないと知りつつほれてしまうのは田舎から上京してきた娘さん。
ふたりは結婚する、ああ、美しき純愛よ。
だけど柴田恭平はまじめに働くことなどせず、妻につい手をあげてしまう毎日。
おれはね、かたぎにゃなれないの、
大物だから、いつかでっかいことを……そんな口癖。
妻の妊娠を知った柴田恭平は喜ぶ。ここらで、一発、どかんと。
悪友にすすめられて銀行強盗を企てる柴田恭平だが――(予告編終わり)。




「西国の伊達男」(シング/山本修二訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。アイルランド産。訳は古いけど、おもしろいんだなぁ。
これも偶然、主役は柴田恭平できまり。
伊達男で軽薄そうで笑顔が甘い、若い頃の柴田恭平(笑)。
田舎町の酒場にふらりと立ち寄った柴田恭平に町の女は大騒ぎ。
聞くと柴田恭平は故郷の町で父親を殺してきたというじゃないか。
うーん、影があって最高とこうなる。
町一番のいい女(若い頃の倍賞美津子)もこの放浪の殺人者にベタぼれ。
だけど、実のところ柴田恭平は故郷の町ではまったくのダメ男。
女から相手にされたこともない。
口八丁手八丁でほらをふく柴田恭平。
そしてそして、なんと実は死んでいなかった彼の父親が息子を探しにやってくる
――(予告編終わり)。

上の「リリオム」もそうだけど、ちょっと設定を変えれば現代でも通用する。
そこが古典の魅力なのだと思う。
たとえばこの「西国の伊達男」だったら。
舞台は公立中学校。
転校生がやってくる。うわさではまえの学校で傷害事件を起こしたとか。
クラスの女子は大騒ぎ。
いじめられっ子だった転校生が一転、新しい学校ではモテモテに。
ところがいとこが転校前の学校にいるというクラスメイトが現れ――。
なんてね。

04/05/17 10:15

「南京虫」(マヤコフスキー/小笠原豊樹訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。ロシア産。喜劇です喜劇、大笑いしましょうぜ、あはははは。
というのもね、いまのロシア人なんて南京虫とおなじなんですから(これがテーマ)。

ここにロシア人がいます、20世紀のはじめ、もう共産主義がスタートしています。
若い男です、おめでてーことに本日結婚します。
だけどあたしらロシア人というのはどうもまぬけで酔っ払って火災がおきちまいました。
彼以外はみーんなお陀仏、ひとり彼だけは生きたまま氷の下で冷凍保存されました。

50年が経過。ときの共産党政府は発見されたかの冷凍保存男を解凍することに!
めでたく彼は一匹の南京虫とともによみがえりました。
ところがたいへん、この男は酒は飲む、淫猥な歌はうたう。
50年後の進化した共産主義社会ではだれも酒なんか飲まないというのに。
そこで男は南京虫とともにオリに入れられ動物園へ。
まえの立看板にはこう書かれていたそうです。
危険、近寄るな!
さあ、笑ってください。
風刺がきいてるってえことで、上演当時はロシアで大人気だったそうですから。
だめ。もっと大声で。手もたたいて。よし、わたしが見本を。
あー、おもしろい、あははあはは、ぱちぱち拍手、ぱちぱちあはは。

ウラーウラー!

04/05/17 10:14

「作者を探す六人の登場人物」(ピランデッロ/岩崎純孝訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。イタリア産。
タイトルを見たらわかると思うけど演劇論を内包した戯曲。

ドラマという言葉のギリシア語的起源は「なされたこと」という意味。
だから史劇というのは、本来のドラマの意味に忠実なことになる。
そんな堅苦しいことを言わなくても、
テレビドラマでも再現ドラマというのはよくありますよね。
夫がガンで死ぬまでの妻の愛情の記録とか、
北朝鮮よ娘を返せとか、
あ、「三億円事件」というのもありました。
ドラマというのは本来がそういったものであるということ。
ここまでいいですか。
ドラマの本質は、起こったことの再現にある。

で、この戯曲の新しい(おもしろい)ところは、
「事件」と「芝居」の間隙を突いているところ。
幕が開くと役者が演出家のもとで新作の舞台稽古をしている。
そこに登場するのが「作者を探す六人の登場人物」=「ある不幸な家族」。
かれらは自分たちの物語を芝居でやってくれませんかと演出家に頼む。
演出家は承諾する。かれらの物語がおもしろかったからである。
だが、問題が生じる。
かれらが再現する事件と、役者が演技する芝居が食い違うのである。
どちらに真実があるのか。
実際に起こった事件か。名役者の名芝居か。
知的な意味で非常に興味深い戯曲。
だけど、あはは、あんま知的じゃないからな読み手は……(苦笑)。

04/05/14 12:31

「エレファント・マン」(バーナード・ポメランス/山崎正和訳/河出書房新社)絶版

→戯曲。アメリカ産。
解説で山崎正和さんが大傑作とたたえていたから買ったんだけど。
生まれつき奇形のゾウ(みたいな)人間の生涯。
医者との親交や何やかんや。
モデルは実在したとのこと。読み終わってもどこがおもしろいのかさっぱり。
そこで解説を入念に読んだら、うーん、なるほどね。
このみんなから汚いものと見られている象人間(ぞうにんげん)を美男の俳優が素でやる。
そこにこの戯曲の眼目があるのか、ふーん。
わかりますか?
美男の俳優が周囲からは奇形とあざけられるこの意味が。
観客の型にはまった凡庸な価値観を揺さぶろうとの魂胆。
美と醜の逆転ということである。
そういえば数年前に藤原竜也がこれをやったとか。




「蜜の味」(シーラ・ディレーニー/小田島雄志訳/晶文社)

→戯曲。イギリス産。こじゃれたセリフのやりとりがちょっと目につく程度の戯曲。
激しい葛藤も、大立ち回りも、なーんにもなし。
テーマはしいていえば母と娘の対立かな。
娼婦をしている母の再婚に悩むエリーは黒人兵士と恋愛、妊娠、振られてしまう。
出産直前に母親が離婚してエリーのもとに戻ってくる。
解説を読んでこの戯曲の注目点は作者にあることがわかる。
18歳の少女が書いたとのこと。
叶恭子が同名のエッセイを幻冬舎から出しているらしい。
そっちを読めばよかったかな(笑)。




「傷心の家」(バーナード・ショー/飯島小平訳/新書館)絶版

→ご存知、バーナード・ショーの戯曲。
こんなのが出ていたのね。知らなかった。
チェーホフの「三人姉妹」に影響を受けてこれが書かれたらしい。
ショーの戯曲を読んでいつも思うのは「あとちょっと」というようなもったいなさ。
あとちょっとでおもしろくなるのになんでしないんだろうというやりきれなさ。
皮肉屋で人間の描写がとてもおもしろい。
なのになんで思想を語らせてしまう?
このへんちくりんな思想がなければさぞ上質な喜劇になったと思うんだけど……。
「人間をバカにする」から戯曲創作までの手順には見習うべきことが多いのは事実。

04/05/14 11:44

「セイムタイム・ネクストイヤー」(バーナード・スレイド/青井陽治訳/劇書房)

→戯曲。アメリカ産。ウェル・メイド・プレイというやつ。
日本でも加藤健一事務所が何度も再演している。
だから期待はしていたんだけど、うーん、小粒なんだよね。
そこそこも楽しめない、「そこ」くらい、そんな感じ。
なんで現代にはストリンドベリやオニールが現れないのか。
小説で言えば、なんで現代にドストエフスキーやトルストイは現れないのか。
そんなことを漠然と思った。

ストーリーは、偶然から一夜をともにした男女。
どちらも結婚しているから不倫関係になる。かれらは一年に一度会おうと約束した。
で、25年間にわたるふたりの関係を描く。
暇つぶしに読むくらいなら。




「毒薬と老嬢」(ジョセフ・ケッセルリング/黒田絵美子訳/新水社)

→戯曲。アメリカ産。職人にあこがれることがある。
どーせ人生なんて退屈なものだし、生活はわずらわしく同じことの繰り返し。
どーせ何も変わらないし、自分は一生自分のままだし、こんなものこんなもの。
だったら一夜限りでいい、おなかいっぱい笑わせてやろうという職人がいる。
人生の意味なんてどうでもいい、社会変革も知ったことか、
だけど笑わせてやる今晩だけは。
そういう職人魂をこの戯曲から感じる。そしてそれにあこがれる自分もいる。
これを舞台で見たら爆笑間違いなし。
帰宅して、あー楽しかったとよく眠れること請け合い。

主人公は、孤独な老人を安楽死させてやるのが趣味の老姉妹。
次々に事件が起きて「ありえないって」と
思っているひまもない(舞台で見たらなおさら)。
こういうのを書くひとこそ本物の厭世家なのかもしれないとふと思った。

04/05/11 09:45

「ユビュ王」(アルフレッド・ジャリ/窪田般彌訳/白水社「現代世界演劇11」)絶版

→戯曲。ここから現代演劇が始まったと言われている。
不条理演劇の祖をベケットではなくこの「ユビュ王」だとする演劇論を読んだこともある。
新しいとされた(現代劇の開祖!)理由は、近代劇を否定したことにある。
たとえばイプセン(近代劇)なんかはまじめで詩的で美しい劇を書いたわけ。
でもこの「ユビュ王」ではきれいな言葉は使われない。
うんことかまんことかばっか。
ストーリーもシェイクスピアの「マクベス」をパロディーにしたもの。
ぜんぜんリアルじゃなくて、おまえらまじめにやれと野次りたくなるくらいいいかげん。

はあ。こんなものを新しいと絶賛するなんて人間(フランス人)という人種は……。
こんなものをいまだに前衛劇のはしりだとか絶賛するひともいるんだからわからない。




「椅子」(イヨネスコ/大久保輝臣訳/「現代世界戯曲集」河出書房)絶版

→不条理演劇。登場するのは老夫婦。だんなさんが世界を救う方法を見つけたとのこと。
それを発表するからと住んでいる孤島に客を呼ぶ。
どんどん客が来るけれども
そのすがたは見えない(が、老夫婦の会話はまるで客がいるかのように進む)。
おもしろろいと思った。へえ、こんなやりかたがあったのかと。
実際に舞台で見たらそこそこ新鮮かもしれない。
次々に増えていく舞台上の椅子――。
ラストはネタばれになるから書かない。うん、悪くなかった。

04/05/11 09:11

「魚の祭」(柳美里/角川文庫)*再読

→柳美里の戯曲がふたつ収録されている。「魚の祭」と「静物画」。
戯曲を読みなれたいまだったらこのおもしろさがわかるかもと6年ぶりに再読。
だめだなやっぱ両方とも。なんでこんなものが上演できるのだろう。
だれかつまらないよと教えてあげないのだろうか。役者さんでも演出家でも。
演劇人はわたしとはちがう思考回路をしているのだろうか。
お金を払ってこんなものを見せられたら帰りに作者を殴りつけたくなる。

04/05/11 09:11

「水辺のゆりかご」(柳美里/角川書店)*再読

→大学生のときに最初にこれを読んで尋常ならぬ衝撃を受けて以来、
何度この本を読み返したのだろう。
文学部だったせいか文学を学問対象(古臭い・難しい)としか思えなかった
当時のわたしにこの「水辺のゆりかご」がはたした役割は大きい。
それからずっと柳美里の小説、エッセイは読みつづけているけど
これが最高傑作だと思う。
なんでこんなにきれいな言葉が書けるのだろうと嫉妬すらしてしまう。
柳美里はいまいちばん気になる作家である。




「私語辞典」(柳美里/角川文庫)*再読

→柳美里がエッセイに書く不幸な物語というのはおそらく9割は虚構(ウソ)。
よくもこんな現実よりも強い虚構を作り出せるものだと怖くなる。才能に畏怖する。
そして笑える。柳美里のエッセイほど笑えるものはない。またまた柳さんたらーと。
柳美里の物語を読んで同情するのは小説家というものを知らないからである。

笑え柳美里を。柳美里は笑える作家である。




「魚が見た夢」(柳美里/新潮文庫)

→エッセイ集。ふと本屋に寄ったらこんなものが文庫ででていたのね。
ついでだからと購入した。柳美里のエッセイほどおもしろいものはない。
小説はだめ。
学歴(高校中退)のせいか、文学をとんでもなく壮大なものと考えている。
文章が大仰で読みにくい。
その点、エッセイは肩肘はらずに書いているので柳美里の味がよくでている。
残酷で美しい柳美里の言葉――。
小説なんて書くのをやめてエッセイに専念したらいいのに。

04/05/07 14:46

演劇の起源は宗教的な儀式・祭礼にある。
つまり演劇とは、人間の神々(=運命・偶然)への働きかけからスタートしたのである。
雨が降らないときや、獲物がとれないときには神々に祈りの舞いを奉納する。
あるいは春、豊作に恵まれたらば、神々への感謝を歌と踊りで示す。
仲間が死んだときには嘆き、新しい子が誕生したときには寿(ことほ)ぐ。
すべてを支配するもの=神々へ人間がささげるものとして演劇は2500年前に始まる。


(1)<神々 vs 人間>

アテネ国家が成立すると、この宗教的な祭儀を国家が中心になって行なうようになる。
ギリシア悲劇の誕生である。
アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスが知られている。
どの作品も神話から題材が取られている。
神々に翻弄される人間のすがたを描くものが多い。

ギリシア悲劇が衰退すると、喜劇が盛んになる。アリストパネスが喜劇の祖である。
アリストパネス喜劇は権力あるもの(国家や悲劇詩人)を
批評・風刺するところに特徴がある。
中心がギリシアからローマに移ると、ギリシア劇から影響を受けたローマ劇が生まれる。
このローマ劇も衰退すると、それからルネサンスまでの1000年あまり演劇は沈黙する。
中世の暗黒時代である。キリスト教会は演劇の上演を禁止した。
この間、プロパガンダ(宣伝)的な聖史劇、奇跡劇、道徳劇が教会の管理下で行なわれた。


(2)<人間 vs 人間(→神)>

15世紀にイタリアでコメディア・デラルテ(即興仮面喜劇)が流行する。
16世紀はご存知、シェイクスピアがさっそうと登場し、これまでの演劇の沈黙を破る。
イギリスのエリザベス朝時代はシェイクスピアのみならず、
数多くの傑出した劇作家を生み出した。
シェイクスピアは(現実社会ではなく)歴史書や昔話から
生き生きとした劇中人物を創造した。
かれの手によるハムレットやマクベスは絶対的な唯一神の下、
悩み葛藤し行動して死んでいく。
同時期、スペインではカルデロンが活躍した。

シェイクスピアから遅れること50年(宗教戦争のため)、フランスでも演劇の熱が高まる。
コルネイユ、モリエール、ラシーヌの時代である。
三人ともギリシア・ローマ劇から影響を受けている。
これら古典劇を研究する学者から「三一致の法則」が主張されたのはこの時代である。
「三一致の法則」とは、良い演劇は常に「筋」はひとつ、「時間」は一昼夜、
「場所」は一箇所でなければならないというものである。
18世紀にゲーテ、シラーなどドイツのロマン主義作家がこれを否定した。
このロマン主義の時代が終わると、演劇はいっとき衰退する。
スター中心の安易な演劇がしきりに行なわれた。


(3)<人間 vs 人間(→社会)>

近代劇は最北のノルウェーからもたらされた。
イプセンは近代社会に生きる人間の問題を劇の中で追及した。
スウェーデンからはストリンドベリ、ロシアからはチェーホフ、
イギリスからはバーナード・ショーといっせいに演劇界のバラが開花する。
これらの劇はルネサンス時代の単純な人間賛歌とは異なり、
近代資本主義の発達にともない複雑化する社会の中で悩む人間を
テーマにするものが多い。
これにシンクロ(同調)してアントワーヌがパリに「自由劇場」を創設する。
背景には舞台美術、照明、音響の発達がある。
アントワーヌは演出を重視し、演劇の(スター主義ならぬ)アンサンブル化を提唱した。
アンサンブルとは、演出家を中心として舞台にかかわるもの皆で(役者+裏方+劇作家)
ひとつの作品を生み出そうとすること。
いわゆる「演出の時代」はここに端を発している。
イプセンやストリンドベリの複雑な戯曲はこのような環境の下で上演された。

アメリカではオニールが登場し、のちにウィリアムズ、ミラーが活躍する足場を作った。
ドイツの共産主義者、ブレヒトは演劇史が生んだ奇形児である。
ブレヒトはこれまでの演劇を全否定し、観客を陶酔させない
=社会を変革するための政治劇を発表するなど、独自の演劇論を展開した。


(4)<人間 vs ????)>

第二次大戦(原子爆弾、アウシュヴィッツ)後、新しい演劇がパリで上演された。
ベケット「ゴドーを待ちながら」である。
無意味な会話のやりとりは人間の底に潜む不条理性を描いていると絶賛された。
ベケット、イヨネスコを創始者とする不条理演劇は世界各地に広まった。
フランスのジュネ、イギリスのピンター、アメリカのオールビーらである。
日本でも別役実が影響を受けている。


さて、ドラマとは人間の葛藤である。
(1)まず人間は神々と折り合いをつけることから演劇活動をはじめた。
(2)シェイクスピアは唯一神の下で葛藤する人間を詩的に描き出した。
(3)近代劇は神から離れつつある人間の問題を葛藤として提出した。
(4)自分がどこにいるのか、何と向き合っているかわからなくなった現代人は
不条理演劇に喝采をあげた。問題はここにある。
ここに演劇史上初めて劇中にドラマ(葛藤)がなくなってしまったのである。
演劇は自然をうつす鏡とハムレットに言わせたのはシェイクスピアである。
とすれば、不条理演劇に氾濫する意味を失った言葉と目的をもたないこっけいな動作は
どんなわれわれの現実をうつしているというのだろうか?
04/05/06 14:09

「演劇の歴史」(フィリス・ハートノル/白川宣力・石川敏男訳/朝日出版社)絶版

→著者はイギリス人=どこかでシェイクスピアがいちばんと思っているふしがある。
上に感想を書いた「世界演劇史」がドラマ(戯曲=劇作家=言葉)中心に
論じていたのに比して、
こちらはプレイ(上演=役者=動き)の歴史をギリシア悲劇から現代演劇まで紹介する。
舞台や役者の写真が盛りだくさん。だけど、ごめんなさい、わたし興味ないんです。
いやね、古今東西の美男美女をこれでもかと見せつけられてもね……。
それに外人さんの名前は覚えにくいから。

この本の長所は内容ではなく「付録」にある。
終戦後からこの本の出版された昭和56年までに国内で刊行された海外戯曲が
翻訳者名とともにリスト化されている。
この本を古本市で買ったのが二ヶ月前。それからこのリストにどれだけお世話になったか。
まあ、わたしにとっちゃ内容のほうが「おまけ」みたいなもんです。

それと白川宣力! 石川敏男もだ! 
訳が変だぞ、日本語として読めない!

04/05/06 13:33

「世界演劇史」(ロベール・ピニャール/岩瀬孝訳/白水社文庫クセジュ

→著者はフランス人=どこかでフランス演劇がいちばんと思っているふしがある。
今現在、書店でふつうに買えるまともな演劇史の本はこれくらい。
もはや古典といってもいいくらい何度も版を重ねている。
読もう読もうと思いながらも、文字が小さくてぎっしりつまっっているのがいやで
ずっと敬遠していた。いざ読んでみるとなかなかの良書。
よくもまあ、これだけの薄い本にあれだけの内容を詰め込んだなと驚くくらい。
もっとも入門書ではない。あらかじめ名作とされる戯曲を(わたしのようにエッヘン)
読んでいないとまるっきりついていけないはず。そこが放送大学用教材とのちがい。

ハッ。 と目を見開かされたのは、エリザベス朝時代の観客はシェイクスピアも
ボクシングもおなじような欲望から見にきていたという記述。
相手をパンチでKOするのにスカッとするのと、
役者が名セリフをバシッと決めるのとの相似性。
つまるところ観客は刺激を欲しているのである。
わたしは格闘技(プロレスふくむ)を好きなように演劇を好きなのだと気づかされる。

04/05/01 10:58

西洋の演劇が「ドラマ」(戯曲=言葉)中心であったのに対して、
日本の演劇は「プレイ」(上演=役者=動き)を重視する傾向が古来ある。
西洋演劇史が前時代の演劇の否定から連綿と形成されているのとは対照的に、
日本の演劇はつねに前時代の演劇の影響のもとに新しい演劇が生まれている。

日本における演劇のはじめは神話にある。
岩戸に隠れてしまったアマテラスオオミカミを
おびきだすために行なわれたアメノウズメノミコトのストリップショーである。

さて、日本の四大古典劇といえば舞楽、能楽(能+狂言)、人形浄瑠璃、歌舞伎である。

1)舞楽は大和時代に大陸から伝わった歌と踊りで(ダンスミュージック)、
貴族からもてはやされた。

2)能は室町時代に武家から保護を受けた。
猿楽(物真似芸)から発展したもので、ここにして戯曲文学が誕生したと言われる。
能は「幽玄」な歌舞(ソング+ダンス)を目指した。
世阿弥の「花伝書」は役者の心がけを書いたもので有名(役者中心の日本!)。

狂言は能と同時に上演されることが多い。
歌舞中心の能に対し、狂言はせりふと動きの寸劇(コメディー、ファルス=笑劇)である。

3)浄瑠璃は江戸時代に成立した。
根にあるのは琵琶法師の「平家物語」か。
つまり語りものである。三味線の渡来とともに発達した。
これ(語り+音楽)に人形による動きをつけてみたものが人形浄瑠璃。
町民に人気を博した。
語り手として竹本義太夫、作者として近松門左衛門が有名。
ここにしてはじめて劇作家と役者が分離したといえる(能は未分離)。

4)歌舞伎は人形浄瑠璃と同様、江戸時代に町民から支持された。
歌舞伎の始まりは出雲の「お国」という巫女(みこ)が京都でやった念仏踊り。
「歌舞伎」は「かぶく」を語源にもつ。
「かぶく」とは変わっているという意味。変なもの見たさが始まり。
風紀を乱すとの理由で女集団による歌舞伎は政府に禁止された=「女方・女形」の誕生。
鶴屋南北、河竹黙阿弥といった劇作家が有名。

人形浄瑠璃が衰退していった一方で、
人形浄瑠璃から長所を盗んだ歌舞伎は江戸時代を通して人気があった。
明治には天覧劇(陛下来場!)も開かれ地位が向上した。

1~4の演劇はどれも消えることなく、変化はしているものの、
現在も伝統演劇として残っている。
04/05/01 09:46

「東西演劇の比較」(毛利三彌・西一祥編著/放送大学教育振興会)絶版

→放送大学教材。これはいい! こんな本が埋もれているなんて放送大学!
考えてみたら、定年後の脳細胞が半分くらい壊死したご老人用に書いているのだから、
わかりやすいのも道理か。
あとワイドショーに脳みそをふやふやにされた主婦とか。
まず日本の演劇の歴史。つぎに西洋演劇史。最後に比較。どれも実にわかりやすい。
知りたかったことがどれも解決した。日本の演劇はどこから起こったのか。
ギリシア・ローマ時代のあとシェイクスピアまでなぜ1500年近く演劇は沈黙していたのか。
その間にどのような演劇があったのか。などなど。
こんな良書がごく限られたひとにしか読まれていないのは残念というほかない。

04/05/01 09:46

「ピグマリオン」(バーナード・ショー/倉橋健訳/白水社)絶版*再読

→最初に読んだときの感想を読み返すと大絶賛している。
で、再読してみたんだけど、まあ、かなり笑えるんだけど、うーん。
人生の一冊とかにするには今一歩、力強さがないというのか。
ショーの作品の中でこれがいちばんおもしろいことには変わりはない。
戯曲の楽しさというより、小説的な楽しさがあるような気がする。




「絞首台のユーモア」(リチャードソン/倉橋健訳/「現代世界戯曲集」河出書房)絶版

→これね、この全集、昭和44年の出版なのにぴかぴか新品同様。
どこかのお金持ちのおじさまが書斎に飾るために買ったのかな。
読まれないままおじさまが亡くなって、遺族が売り払いそれがわたしのもとへ……。
千円で買った。でも戯曲が11個も入っているからなかなかお得かもしれない。
なんでこれを読んだかというと翻訳者つながり。
倉橋健さん。
ある翻訳者が訳しているのはおもしろいものが多いという法則ってありませんか。
だけど、これは失敗。無名の作品はやはりつまらないのかと落胆。

04/05/01 08:56

「三省堂百科シリーズ8演劇」(河竹繁俊/三省堂)絶版

→昭和30年出版、定価百円。50年近くまえの本なんだねこれ。百円で買ったけど。
大学生のころなんかはさ、一冊でも本を読むと(新書レベルでも)知らないことばかりで、
自分がたいそう賢くなったような気がしたものだけど、最近はぜんぜん。
さらっと読んで、ぽいって感じ。だけどこの本、悪くない。
実にわかりやすい言葉で日本と西洋の演劇について教えてくれる。
特に日本の演劇について書かれたものがためになった。古臭いのはご愛嬌。
著者はいう。
私たちは国家や社会、家族のためになる演劇を愛し、
ともによりよき文化人になりましょう!




「演出のすすめ方」(野田雄司/青雲書房)

→演劇人っておかしな人種だなぁと、これを読んでしみじみ思う。
演劇人の特徴。
1、実は読書があまり好きではない。
2、世界におけるわが演劇などと肥大しがちな思考法。
3、演劇が社会のためになると信じている。
4、貧乏が誇りである。
5、自分が大好きである。

この本は最低。
やたら本を読めとすすめるのだけど、そのすすめる本がどれも香ばしい……。
あ、このひとろくな本を読んでいないとわかってしまう。
そのくせ生意気に木下順二先生の悪口をいったり。きみなんか足元にも及ばないのに。
立腹しつつ90分で読了するは188ページ。
ブックオフ百円本だからとぐっとこらえる。




「演出のしかた」(倉橋健/晩成書房)*再読

→久しぶりに演劇を観にいくことになってので、予習というのかなんというのか。
この本はいい。タイトルはああだけれども、演劇の楽しみ方の本としても読める。
倉橋健さん、早稲田の教授だったんだよね文学部。いちど講義を聴いてみたかった。

04/04/22 07:47

「ウォーク・ドント・ラン」(村上龍 vs 村上春樹/講談社)絶版

→村上龍27歳、村上春樹30歳のときの対談本。
復刊ドットコムで復刊希望が出されるも作者が復刊をこばんだという伝説あり。
これを読んだらその理由がわかる。消したいよねこれは過去の汚点だから。
読書量&人生経験を身長にたとえたら、まわりがみんな背が高い(文壇!)なかで
チビのふたりが必死になって背を高く見せようとしている、そんな対談。
気のきいたことを言おう言おうとどちらも汗がでまくりなのがよくわかる。

僕、文芸誌なんて読んだことないです、僕もですその感性わかります……。
ふたりの話はまったくかみあわない。
どっちかが何かを言う、「それわかります」と引き取り、別の話をはじめるというループ。
この本をぜひ「13歳のハローワーク」「海辺のカフカ」を
手にしている中学生やOLに読んでいただきたい。

対談のはじめは「田舎者コンプレックス」の告白(龍も春樹も!)。
読みながら「痛いなぁ」と赤面したり吹き出したりもうたいへんなトンデモ本。
内容を一部紹介。
龍、僕小説を書けなくなったら貯めた印税があるから
ハワイで気楽にサーファー屋でもやろうかと思っているんです。
いまはアルマーニを着て美食をあさる龍。
僕ククレカレー毎日食べています、女房が食事を作ってくれないから、
でもククレカレーおいしいです、僕中産階級だから。
春樹、僕頭を下げるのって大嫌いなんです、だから作家になったのかもしれません。
春樹、誰とでも寝る女の子が大好きなんです、横にいると癒されるから。
これ以外にも笑えるところは数知れず。読むべき。龍や春樹の実像がよくわかるから。

読了して思ったこと。人間ってふしぎな生き物。
こんなありふれた兄(あん)ちゃんふたりも、本が売れてまわりから天才扱いされると、
ちゃんとそれに見合った演技をできるようになるんだなぁ……。
ブックオフ百円本。二冊持っているから誰かにプレゼントしたい。

04/04/22 07:13

「これが答えだ!」(宮台真司/飛鳥新社)*再読

→宮台真司入門書。じつは元・宮台信者だったりする。
5年ぶりに読んだらなんとも恥ずかしい。

宮台真司は現代を「成熟社会」を定義する。
欠乏や夢を国民全員が共有できた「過渡的な近代」が終わった。
すなわち「終わりなき日常」が始まったと読者の不安を煽る。
宮台真司のすべての主張はすべてこの「成熟社会」からスタートする。
いまは有史以来特別な時代である。
だから援助交際OK、
だから専業主婦を廃止せよ、
だからドラッグを解禁せよ、
だから人生に意味ではなく強度を求めろ、うんぬん。

でもさ、あはは、古典的な文学作品をたくさん読んでるうちに、
現代もギリシア時代もさほど変わらないような気もしちゃうわけで。
相も変わらず人間は愛して憎んで喜んで悲しんで自殺して他殺してということに気づくと、
まあ、宮台真司が笑えるわけである。
宮台真司の決定的な特徴をひとつあげよといわれたら、まったく文学を読んでいないこと!
いままでの論客ってバカにするにせよなんにせよ、
いちおう文学というものを念頭においていた。
だが、宮台真司は最初から文学作品に価値など見出していない。
ここが宮台真司の長所でも短所でもある。

いまは信者ではなくなったけど宮台真司が嫌いになったわけではない。
煽り方がうまいなと感心する。あと造語能力は天才レベル。
現代の寺山修司と評したら言い過ぎかもしれないけれども。
かれの愛読者がどんどん自殺しているという。
若者をがけっぷちに追い詰め背中を押す男、宮台真司にはこれからも注目したい。