04/07/02 11:47

「創価学会とは何か」(山田直樹/新潮社)

→これを読むと創価学会って怖いんですね。
悪戯電話とかやめてください。悪口は書きませんから(たぶん)。
本書はアンチ学会本。政治的な創価学会の力を警戒せよというのが主張のメイン。
もう創価学会が日本を動かすようになっているとのこと。
というのも、自民党だって創価学会の力を借りないと与党を維持できないから。

あはは。すごいや創価学会。
仏壇の中に次のように書いた紙を入れて勤行(ごんぎょう)するらしい。
「御祈念 打倒仏敵四人組(日顕・山友・竹入・新潮社)」。
ならなんで宮本輝は新潮社から本をだしつづけているのだろう。ふしぎである。
あと、げんなりしたこと。
宮本輝「優駿」の主人公の名前は「博正」というんだけど、
これ池田大作氏の長男の名前なんだね。笑えません。

04/07/02 11:19

「錦繍」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→宮本輝の小説でいちばん再読の回数が多いのがこれです。
どれだけ感銘を受けた小説でも5回も6回も読めばおのずと仕掛けが見えてくるもの。
エピソードもストーリー展開もほとんど記憶してしまっている。
実はそうとうにきわどい小説だと思う。信仰告白というのか、なんというのか。

たとえば犯罪被害者というものがいる。
この小説はその人たちに、あなたは自分のせいでそうなったのだと
罵倒しているようにも読めるわけである。
それはあなたの業(ごう)だ、あなたが悪かったからそうなったのだと。
宮本輝はこの小説で「因果」(仏教用語)を展開させている。
悪い「(結)果」(犯罪被害や障害児誕生)が出たということは、
必ず悪い「(原)因」があったに違いない。
ふつうはこんなこと言えないでしょ?
不幸な人に向かって、あなたが悪い、自業自得だ、なんて言えますか?
でも宮本輝は言えるんです。なぜなら信仰があるから。創価学会への。
そこが宮本輝を天才たらしめている根本だと思う。

宮本輝は「因」が「果」になるゆえんの「縁」を小説に書くわけです。
そして主張する、現在の重視を。今刻々と流れていると「時」を見よ。
これらも「因」である、
だから良い「因」をなせば必ず良い「果」(功徳)が得られる(=創価学会思想の根本)。
わたしが冒頭にこの「錦繍」を「きわどい」と形容した理由を
わかっていただけましたか。
おそらく宮本輝の小説の中でこれはもっとも宗教的な小説でしょう。
表層的な「感動」の底をじっと見つめていると恐ろしい「地獄」が見えてくる、
そういう小説です。

亜紀母子が満天の星空を見ていたとき、有馬はネズミを食い殺す猫を見ていた。
この場面に「錦繍」の魅力が象徴されている。

04/07/02 10:55

「幻の光」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→最愛の夫が原因不明の自殺、そこからどう主人公の女性は立ち直っていくか。
できすぎていると思った。そりゃ、そう書いちゃ、そのとおりだけど、うーん。
ふつうの小説家がスタート地点から小説を書き始めるとすれば、
宮本輝はゴール地点から書いているようなところがある。
宮本輝自身は中上健次との対談では次のような言い方をしているけれども。

「だから人間は、反対のことをやっていると思うのね。
心から花が生じるとか、心から月が生じるとか。
僕は、違うと思っている。『花こそ心よ、月こそ心よ』
そういう気持ちですね。
おそらく多分、いまの作家たちは、自分の心から花をつくろうとか、
自分の心から月をつくろうとしていると思う。
だから、小説がおもしろくないんです」(「道行く人たちと」)


04/07/02 09:28

「月光」(井上靖/文春文庫)

→先日のちょっとした小旅行のおり、往復の電車で読んだ本。青春恋愛小説。
といっても「セカチュウ」とは似ても似つかぬ。出版されたのは昭和35年。
「貞淑」だの「家柄」だの、今では聞きなれない言葉がずらりとせいぞろい。

主人公は結婚適齢期の女性。ふたりの男性から求婚されて迷っている。
ひとりは幼馴じみ。
「サザエさん」にでてくるノリスケさんみたいな感じ。
もうひとりは会社の同僚。
「美味しんぼ」にでてくる山岡士郎タイプ。豪放磊落(ごうほうらいらく)。
三人がそれぞれ自らの誠実を問い、愛に悩み、幸福を指向するその葛藤――。
ほのぼのとした気持ちになった。こんな時代があったのかと。
この小説を自分の恋愛と照らし合わせながらまじめに恋愛をした世代。
今はもうおじさん、おばさんなんだろうな。
もしかしたら、もうおじいさん、おばあさんかも。
電車に揺られながら、窓外に広がるのどかな田園風景にしばし見入った。

04/06/27 13:20

「優駿(上)(下)」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→小説を読むというのはほんとうに楽しいことなのだと改めて実感させられた。
読みやすい文章、時間を忘れさせる物語、魅力的な登場人物――。
この「優駿」は至れり尽せりの感があります。
最初にこの小説を読んだときは圧倒的な感動に押しつぶされたかのようで、
ただ涙にまみれ、「生きよう、生きよう」と随喜の嗚咽をもらすのみだった。
恥ずかしいけどほんとうなんです。

今回の再読では残念ながらそこまでの感動は味わえなかった。
こういう小説を書けるひとは幸せだなぁと
観客席のいちばん後ろから舞台の上を見やる気分。
けっして自分が立つことのない舞台を、羨望の思いで、ため息をつきながら。
たしかにすばらしい舞台(小説)ではあったけど、それは舞台の上だけの話だから。
そう出口に近いいちばん後ろの席でわたしは思った。

ひとつ再読して気づいたことがある。これはネタバレになるから注意して。
宮本輝は最後にオラシオンを勝たせていないこと!
初読のときはまったく気づかなかったけど。
オラシオンは実際は負けているのに「運」のおかげて勝利したことになっている。
やはり宮本輝という作家の宿命を見据える視線には恐ろしいものがある。

04/06/23 20:00

「火の鳥4 鳳凰編」(手塚治虫/朝日ソノマラコミックス)*再読

→今回「仏教つながり」で読んだけど、手塚漫画のなかでこれがいちばん好き。
これほどの恐ろしい物語を作ることのできた手塚治虫の天分を思うと寒気がする。
そして、ここまで到達できた文学作品がどれほどあったろうかとも思う。
何度、読んでも感動する。物語の力に満ち溢れている。

04/06/23 17:13

「新潮四月臨時別冊 宮本輝」(新潮社)*絶版

→ずっと探していて、いざ見つけたら安心してしまって長いこと積んでいた本。
アルバム(家族写真まで)、小説の書評、ご友人のエッセイ、充実した年譜などなど。
宮本輝の素顔がわかる特集本です。
若い頃の写真を見ると、げっそりとやせ細っていて目がぎらぎらでなんだか怖い。
それはそれとして、やはり宮本輝は批評できない作家なのだと改めて思った。
福田和也をはじめとして多数、宮本輝の小説を論じていたけど、どれも不満。
年譜もふくめ創価学会への言及はなし。
瀬戸内寂聴が「宮本さんは仏教徒で……」と書いていたのが唯一。

こたえたのは「宮本輝の編集するページ」。
その中の「オレの嫌いなもの」。
どういう人間が嫌いかということを十四、箇条書きにしている。
たとえば「人の幸運や幸福をねたんで、やっかむ輩」など。
わたしだ……。
これだけではなくその十四箇条すべてに当てはまる。
十四箇条に続けて「まだまだあるだろうが、つまるところ、デリカシーがなく、
姑息で勇気がなく、人を許さないくせに自慢や自己弁護ばかりするやつのことである」。
ごめんなさい、宮本輝さん……。
会ったらいきなり怒鳴りつけられそうだ……。
大好きなんだけどな宮本輝。
04/06/21 09:47

「道頓堀川」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→これを最初に読んだのはたぶん高校生のとき。
それからもう何度読んだのか。今回で4度目かな。
作品は変わることがないが、読み手は変わる。

数年前は宮本輝の小説から生きる希望をもらっていたけど、
いま氏の小説を読むと絶望してしまう。生きていくのがいやになる。
むかしは宮本輝の小説が「ほんとうのようなウソ」に見えた。
よくもこの残酷な現実から美しい造花を作るものかと感嘆、感動した。
でもいまは宮本輝の小説が「真っ赤なウソ」にしか見えない。
少しもほんとうらしく見えない。
もっと言ってしまえば、それは「南無妙法蓮華経」(創価学会)の世界でしょと。
わたしの住むところとは別世界に思えてしまう。
かといって「南無妙法蓮華経」とはいえない。いえないことに絶望する。
相変わらず宮本輝の小説は読み物として十分おもしろい。
才能に畏怖するのはいまも同じである。
しかし、読後、小説と現実の落差に絶望してしまう。
小説が美しいものであればこそ、それに反比例して醜くなる「こちら側の現実」。
するとひたすら「現世利益」をのぞむ小説内の人物にも距離感を覚えるようになる。
「南無妙法蓮華経」といえぬものはどうしたらいいのか。

混乱した文章でごめんなさい。うまく整理できませんでした。

04/06/21 09:22

「螢川・泥の河」(宮本輝/新潮文庫)*再読

→山頭火の句を思い出した。

「生死の中の雪ふりしきる」

この句の前書きに「生を明(あか)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という
「修証義」からの引用がある。生とは何か、死とは何か。
山頭火の歩いたこの道を宮本輝も歩いたのだと思う。
その歩みは、どこへ向かうのか。
今回、宮本輝のデビュー作ふたつを久しぶりに再読してそぼくに感じたのは、
「よくひとが死ぬなぁ」ということ。
短編にもかかわらず二作とも二人の人間が小説内で死ぬ。
「泥の河」にいたっては、いきなり死の描写からはじまるくらいである。
「死」から小説をスタートさせた宮本輝は「性」に行き着く。
「泥の河」では盗み見る性交、「螢川」では螢が踊り狂うなかできらめく思春期の性。
のちに展開する宮本文学の枠組みがこの「螢川・泥の河」にしっかりと凝縮している。
そんなことを思いました。

04/06/21 08:51

「青が散る」(宮本輝/文藝春秋)*再読

→まいったなと思った。かなわないなと思った。
もう五度目か六度目の再読だけれども、いっこうに色あせない。
こんな美しい小説を一作でも書いた作家なら、
たとえ創価学会信者だろうが、
芥川賞選考でお茶目な選評をだそうが、
いまは説教マシーンに成り果てようが、
そんなことはすべて帳消しになると思うのである。
ただこの「青が散る」一作で。
こんな美しい小説を書けるひとがいるなんて。
宮本輝は誰がどういおうが天才である。
中上、龍、春樹など宮本輝のまえにでたらなんと軽く見えることか。

文庫には解説がつく。宮本輝の文庫本の解説を見てください。
ひとつとして「まともな」解説がない。どういうことか。
宮本輝の小説は批評できないのである。分析できない、他と比較できない。
ただ美しいと感嘆するほかないのである。
また宮本輝自身もそれ以外は読者に求めていないでしょう。
批評ではなく感嘆符を要求する小説、
そんな小説を書ける作家は宮本輝のほかにいません。

今日から買った本のタイトルと金額を公開してみることにします。
スーパーなどで気になりませんか? 他人のカゴの中(笑)。
続けるかどうかは未定です。


「長靴をはいた牡猫」(ティ-ク/大畑末吉訳/岩波文庫) 157円

「ブリタニキュス」(ジャン・ラシーヌ/内藤濯訳/岩波文庫) 157円

「インド民話集」(渋沢青花/現代教養文庫) 150円

「中国の屏風」(サマセット・モーム/小池滋訳/ちくま文庫) 200円

「私の文章作法」(清水幾太郎/中公文庫) 105円



いちおう今回のはすべて絶版・品切れです。
昭和22年3月6日、生まれる。本名は宮本正仁。

→中学生の宮本少年、父の浮気癖、それによる母のアル中に悩む。
→読書に逃避。母から10冊の古本を買ってもらい耽読する。
→母が自殺未遂。その日、井上靖の『あすなろ物語』を読み感銘を受ける。
→母のアル中は治らず、苦しむ母はさまざまな新興宗教に手を出すようになる。
→母、創価学会に入会。
→高校生になった宮本はそんな母を憎悪し、学会も嫌悪する。
→宮本、大学受験に失敗。
→予備校には通わず、図書館で世界の文学作品(主に仏、露)を耽読。
→無名の新設大学、追手門学院文学部英米語学文学科に一期生として入学。
→テニス部に入る。読書からテニスに関心を移す。
→1学年下に在学していた、現在の妻、大山妙子と交際を開始。
→父、逝去。宮本母子は借金取りに追われるようになる。
→なんとか大学を卒業。小さな広告代理店(サンケイ広告社)に就職。競馬にハマる。

→紆余曲折はあったものの、大山妙子との結婚にこぎつける。
→突然「不安神経症」を発症する。勤務もままならなくなる。
→病気を治すために、母のすすめで創価学会に入会。
→折伏に走り回る。同僚の女性事務員の勧誘に成功。
→創価学会中等部を担当。中等部主催の演劇会で脚本を書く。処女作。
→池田大作の次の言葉にインスピレーションを受ける。
→「サルトルは言った。文学はアフリカの飢えた子供に何ができるのか?」
→宮本、自分が小説で素晴らしい学会の教えを広めようと決意する。
→会社に辞表をだす。タイを舞台にした小説(「無限への羽根」)を書き始める。落選。
→作家デビューするまでの無職の3年間は老母の収入のみで生活していた。
→創価学会文芸部の要職にいた、池上義一と知り合う。
→池上の主催する同人誌「わが仲間」に加わる。池上の仕事を手伝うことも。
→池上の指導のもと『泥の河』『蛍川』と書きつぐ。
→『蛍川』で芥川賞。『泥の河』で太宰治賞。文壇デビュー。
→不運にも結核を発病。入院生活を余儀なくされる。
→病床、池田大作から励ましの手紙をもらい、いたく感動する。
→真摯に自身と他者の「貧・病・争」へ目を向け、人間観・人生観を深める。
→名作『青が散る』『錦繍』『優駿』を次々と発表する。

→学会員の支持もあり流行作家となる。
→収入の大幅アップ。名声と社会的地位の獲得。
→平穏で安定した家庭生活。ふたりの息子(陽平・大介)も順調に成長する。
→芥川賞選考委員に就任。いまや文壇(あるのか?)の権威となる。
→息子の大介を幻冬舎へ入れる。
→還暦を迎え講演会で勝利の大切さを語る。

→紫綬褒章受章。おめでとうございます。
04/06/18 09:31

「酒と酒飲み 知りたかった博学知識」(博学こだわり倶楽部/KAWADE夢文庫)

→タイトルそのまま。お酒にまつわるどーでもいい(かつ眉唾な)知識を紹介。
お酒を飲みながら「へえ、へえ」などと読み、翌朝になったらきれいさっぱり忘れている。
どーしょもないね、わたしもこの本も……。

04/06/16 14:28

「風呂で読む山頭火」(大星光史/世界思想社)*再読

→風呂で読んだ。
読んで乾かして読んでをもう何回、繰り返したのだろう。
いちおう読書的にはつながっている。
というのも、山頭火は得度した禅僧だから。曹洞宗派も仏教の一派。
仏教の唯識思想から山頭火の俳句を見てみるとおもしろい。
唯識思想というのは、外界のすべてを心の現象に帰す仏教の考え方。
たとえば花を見る。しかしこれは花が実在しているということではない。
ただ目という機関を通して花のイメージが心に写っているに過ぎないのだとする。

「分け入つても分け入つても青い山」

山頭火の代表句である。
木々豊かな山が続いている景色をうたったものだが、
消しても消しても煩悩がでてくる山頭火の心象と読むこともできる。
景色と心象が絶妙のバランスを取ったとき山頭火の句はきらりと輝く。
禅の思想である。唯識思想である。
山頭火の句において一瞬は永遠であり、永遠が一瞬となる。




「國文學 1995年1月号 山頭火と放哉 ―― 流転と演戯」(學燈社)絶版

→まえにも指摘したけど、雑誌國文學に書いている研究者って文章がへた。ゆるい。
こんなんで大学教授とかやっているなんて信じられないと毎回のように思う。
ま、それはそれとして、山頭火と放哉である。
上野千鶴子が山頭火とその愛読者をバカにして放哉こそ天才であると主張していた。
この上野千鶴子だけじゃなく、現役の歌人、俳人にもそう思っているひとが多いらしい。
山頭火は大衆的。放哉のよさはクロウトしかわからないというのがその主張。

ふーんとしらける。
たしかにこちらは西行も芭蕉もよく知らない。ただの山頭火好き。
俳句史における山頭火の位置なんてどーでもいい。
ただただ山頭火の句が好きである。わかりやすいから、楽しいから。
放哉の句はへんに疲れる。西行や芭蕉はお勉強という感覚以外では読めない。
べつによろしい。バカにしたかったらしてください。大衆でけっこうと開き直る。
04/06/16 13:43

「仏教入門」(三枝充悳/岩波新書)*再読

→数年前これを読んだときは感動した。
仏教の考え方というのは実におもしろいものだとしみじみと……。
仏教思想というものが、この一冊でずいぶん深くまで理解できたと満足した。

今回、再読。あはは、まったくわからない。なに書いてんの、このひと?
まずいぞ。
連日連夜のアルコールのせいで脳細胞がかなりやられてしまったのかもしれない。
ほんと、やばい。これはもう仏様にすがるより他ない。南無阿弥陀仏だコノヤロー。
えーい、なんにでも帰依するぞ、法華経にだって。南無妙法蓮華経だモッテケドロボー。




「寂聴の仏教入門」(瀬戸内寂聴・久保田展弘/講談社)絶版

→岩波新書に頭をかかえて、こんなのに手をだすなんて。
しかもブックオフ百円コーナーで買っていたりするのだから、もう救いようがない(笑)。
でもね、対談形式の入門書ほどわかりやすいものが他にあると思いますか。
始終、話し言葉だからすらすらと頭に入ってくる。
仏教用語には下に「注」をつけて解説してくれる編集さんの親切もある。
瀬戸内寂聴の本を読むのは初めて。今までイメージだけで嫌っていた。
瀬戸内寂聴いわく、四諦八正道(などの仏教用語)の説明をするのは大嫌い。
そんなものを知ったからって、いま苦しんでいるひとがどうなるわけでもないんだから。
お釈迦様はたしかに弟子相手にそういう哲学的なことも言ったでしょうけど、
同時に不幸にもだえる庶民の苦しみを救いつづけたことを忘れてはならない。
同感、同意。
子どもに先立たれた母親に、それは十二支縁起でうんぬんと説明してどうなる?

04/06/16 13:07

「図解雑学 仏教」(広沢隆之/ナツメ社)

→はじめて仏教にふれたのは大学一年のときに受講した「東洋思想」。
大学生だぁと張り切っていたがあまりのつまらなさに寝入ってしまい、
そのうち授業にも顔をださなくなったけれども、なんとか単位はいただけた。

つぎに仏教へ関心をもったのは大好きだった(過去形!)宮本輝が
創価学会員だと知ったとき。
創価学会は日蓮を大聖人とあがめる仏教系の一派だから、
じゃあ、仏教ってそもそもなんだろう、日蓮ってどんなひとだったのかと調べた。

で、今回が三回目。
「図解雑学 聖書」の続きという流れもある。
結果。さすがの図解雑学シリーズでも仏教はやはり難しいのねとため息。
独特な仏教用語がたくさんでてくるのが原因のひとつ。
もうひとつは、日本に伝来してからの宗派の多さ。
鎌倉新仏教の開祖と宗派とか、そうそう受験生のとき必死で覚えたや……。

仏教の特徴は心の重視にある。たとえばあなたが不幸だとする。
仏教は説く。それはあなたが不幸だと心で思うからだ。
心のありようを変えてみなさい。ほら、環境は同じでも心しだいで不幸は消えるでしょ?
これが基本線。難しく表現するなら三法印、四諦八正道、十二支縁起、六道輪廻――。

ひとつ疑問。
そもそも人間の「さとり」を目的としたインド仏教が、
根本分裂、部派仏教、大乗菩薩思想の誕生、中国、朝鮮、日本と流れると、
どうして現世利益や死者供養をメインとした仏教になってしまったんでしょうかね?

04/06/09 11:20

「インドは今日も雨だった」(蔵前仁一/講談社文庫)

→旅エッセイ。インドには一度行ったことがある。一人旅。
いろんな国の人と話せたりしておもしろかったな。
あー、もう一度行きたい、だけど一歩踏み出せない、だからかわりにエッセイを読む。
うざい自己主張も、旅なれた人特有の腐臭もない、実に手軽なエッセイだった。
ほんのわずかのあいただけインドに行ったような気分になった。
それこそこのエッセイに望んでいたもの。だから満足、満足、余は満足じゃ。

04/06/06 10:15

「日本の名随筆 別巻40 青春」(椎名誠―編/作品社)

→近所の古本屋に百円で落ちていたので、お酒を飲みながら二時間で読んだ。
至福のときである。
横にはウイスキー、開くは上質のエッセイ(アンソロジー)。
だけど、買った金額は百円だから肩の力を抜いて読める。
汚しても気にならないし、飛ばし読みをするエッセイがあってももったいなくない。
何も考えずに文章を楽しめるのはこういった時間だけかも。
ほかの読書では常に緊張しているから。
何かに使えないかという盗人(ぬすっと)気分、
どうしておもしろい(つまらない)のかを知りたい分析者気質。
読むのが娯楽ではなくなっている。鉱脈を見つけようとするあさましい血眼の目。
やだやだ自己嫌悪。

04/06/05 08:54

「サン・ルイス・レイ橋」(ワイルダー/松村逹雄訳/岩波文庫)品切れ

→小説。ワイルダーの出世作となった。
関心のあるテーマと密接に関係した作品。つまり人生は偶然か必然か。

1714年、ペルーで有名なサン・ルイス・レイ橋が崩壊し5人の死者をだした。
そのときある修道士は考えた。なぜ死んだのはこの5人だったのか。
キリスト教によれば、世に起こることはすべて神のご慈悲である。
ならこの5人も死ななければならない理由があったはずである。
あのとき、あの場所に偶然居合わせたのには意味がなければならないということになる。
修道士は調査し一冊の書物にまとめたが教会はそれを認めず著者とともに焼き払った。

さて日本、2004年。テレビで毎日、交通事故のニュースが放送される。
なぜあのひとたちが? なぜわたしやあなたではなく?
この疑問に向き合ったのがこの小説なのである。
ワイルダーがこの小説でどんな答えをだしたのかは読んでのお楽しみ。
気になる? それにほんとに読んだひとがいたら怒られそう。
というのも、……ワイルダーは答えなんて書いていないのである。
引用。

「われわれには結局何もわからないのだ、神々の前には、われわれ人間は、
夏の日にいたずら小僧の手で殺されるトンボのようなものに過ぎないのだ、
という者もあれば、また反対に、スズメのようなものがその羽根一枚を
すり取られるのにさえ、そこに必ず神の御手の働いていないことはない、
という者もいる」(11ページ)


前者のトンボの比喩はシェイクスピア「リア王」の中の有名なセリフを意識している。
後者のスズメは「ハムレット」で語られるセリフ。
ワイルダーはリアの絶望とハムレットの達観を提示して筆を置く。問いのみが残る。

人生は偶然か必然か?

04/06/05 08:18

「ソートン・ワイルダー一幕劇集」(時岡茂秀訳/劇書房)絶版

→戯曲。アメリカ産。一幕劇が5つ入っている。
有名なのは「ロング・クリスマス・ディナー」。
わずか一幕(30分!)である一家の90年もの出来事を描いてしまおうという実験作。
舞台下手は誕生の扉で、生まれるとここから出て来る。
舞台上手は死の扉で、死ぬとここから出て行く。
舞台上は常にクリスマス・ディナーの真っ最中。
毎年、きまってやってくるのがクリスマス。
下手から出たと思ったら上手に消えていくものもいる(=死産)。
生まれて死ぬ、人間はただそれだけの存在なんだと当たり前のことを改めて想起する。
ワイルダーは従来の自然主義演劇やその物語性をこういった形で否定した。
おもしろいひとである。





「結婚仲介人」(ソーントン・ワイルダー/水谷八也訳/新樹社)

→戯曲。アメリカ産。訳注がなければとほんとに思う。
ほらいるじゃん、独創性を主張したがる学者さんって。
だけど、もちろん創作の才能はない。あったら学者なんかやっていないわけだから。
すると、どうなるか。1ページに5コも6コも訳注をつけて自己アピールとあいなる。
まるで子どもが他人のおもちゃにつばをつけて、これボクのだよというみたい。
そんな幼児性をもっているのがこの戯曲の翻訳者、水谷八也。
せっかくのおもしろい戯曲を訳注でめちゃくちゃにしてしまった男、水谷八也。
都市の名前がでてきたら10行くらい使って、
その特徴(外見・歴史)を書かないと気がすまない。
訳注なんて無視して読み進めばよかったんだけど、なんか気になって……。

内容は典型的なファルス(笑劇)。3組のカップルがめでたく結ばれる。
それまでには「立ち聞き」「取り違え」といったファルス固有のシーンがこれでもかとある。
観客のみなさん、ちょっとでもいいから冒険してみましょうというのがテーマ。
いつか訳注を飛ばして再読してみたい。じつにいい戯曲だから。

04/06/03 09:14

「寺院の殺人」(エリオット/高橋康也訳/白水社「現代世界演劇3」)絶版

→戯曲。イギリス産。いちおうキリスト教つながりということで。
テーマはキリスト教。またあの、国の法か神の法か、というテーマ(おそらく)。
読後、良かったと胸をなでおろす。エリオット全集の戯曲の巻を買わなくて良かった~。
どこかの古本市で1800円くらいであり、だいぶ迷った記憶がある。
その翻訳が福田恒存だったということもあって。うん、エリオットは退屈であります。

04/06/03 09:14

「図解雑学 聖書」(関田寛雄=監修/ナツメ社)

→ナツメ社の「図解雑学シリーズ」はいいよ!
いぜんギリシア悲劇を読み始めたとき、これはギリシア神話の知識が不可欠だと悟った。
そこでほんといろいろギリシア神話入門書を読み漁ったけど、
その中でいちばんわかりやすかったのが「図解雑学 ギリシア神話」だった。
おそらく執筆者は編集者からサルにわからせるつもりで
書いてくださいと頼まれているはず(笑)。
左ページは本文で、右ページはそれを図解したもの+関連写真・絵という構成。
講義にたとえたら左ページは先生の口述、右ページは板書みたいなものかな。
この「図解雑学 聖書」でも、知る喜び、わかるという快楽を十全に味わった。
このシリーズは売れる(売れている?)と思う。

買うのはかなり恥ずかしいけれども。




「キリスト教ハンドブック」(遠藤周作・編/三省堂)*再読

→5、6年前に遠藤周作に傾倒していたころ、キリスト教の本をたくさん読んだ。
これはそのときの一冊。
あ、聖書本体はもちろん読んでいない(読めませんって)。
キリスト教か……。
十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かって歩く男か。
その男は愛を説いていたか。
……体質的に受けつけないところがある。
あ、この本の感想か。わかりにくい、それだけ。書いているのは遠藤周作じゃないし。

04/05/31 08:12

「怒りをこめてふりかえれ」(ジョン・オズボーン/青木範夫訳/筑摩書房「現代劇集」)絶版

→戯曲。1956年、イギリスでこの劇が初演されたとき、すごい衝撃を与えたとのこと。
シェイクスピア登場以来の英国演劇史上の「事件」とまでのちには語られたらしい。
信頼している学者の小田島雄志さんもこの劇を絶賛している。
なんでもこの劇の主役、ジミー・ポーターは現代のハムレットであるという理由で。
だけど、うーん、わたしだけなのかな。
これ決しておもしろくはないと思うんだけど。
普遍的なおもしろさ(古典的といってもよい)はないと思うんだけどな。

労働者階級出身の青年、ジミー・ポーターくんが妻に怒りまくる。
というのも、妻のアリソンさんが中流階級出身だから。
その発言、行動すべてが気に入らないというのである。
我慢できなくなった妻が実家に逃げたら、今度は妻の友人と愛人関係へ。
それでもジミー・ポーターくんの怒りは収まることがない。
最後は戻ってきた妻と仲直りして、動物園ごっこ。
ぼくは熊だぞ、きみはリスだ、食べちゃうぞー♪
どうしていきなりラブラブになるのかさっぱり(苦笑)。
未熟で不快で退屈な戯曲だと思う。

最後に演劇史的知識の確認。
オズボーンはウェスカー、ピンターらとともに「怒れる若者たち」といわれた。




「ルター」(ジョン・オズボーン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版

→戯曲。読むまえからつまらないだろうなと予測を。
歴史上の有名人がタイトルになっている(いわゆる)評伝劇でおもしろいものを知らない。
バーナード・ショーの「聖女ジョーン」はその典型。
なんでだろう。
「神が作った劇=人間の運命→評伝劇」と「人間が作った劇」とのはざまで首をかしげる。

ルター。宗教改革かぁ。
世界史を高校時代ほとんど勉強しなかったからよく知らないんだ……。
免罪符の発行? 堕落した教会?
だけど、ほんとキリスト教ってすごい。
二千年ものあいだ、あれだけ多くのひとをとりこにしているのだから。
イエスは天才的な詐欺師と言わざるを得ない。
あ、戯曲はやっぱりおもしろくなかった。
読み飛ばしました、オズボーンつながりで。

04/05/31 07:12

「花咲くチェリー」(ロバート・ボルト/木村光一訳/白水社「今日の英米演劇3」)絶版

→戯曲。イギリス産。
ギリシア悲劇は神に近い英雄の受苦を描いた。
シェイクスピア悲劇では王や王子が大立ち回りをして死んでいった。
現代劇――。家族に見放されたセールスマンの父親がみじめにうつぶす。
アーサー・ミラー「セールスマンの死」とそっくりな戯曲。ダメ親父の物語。

いつかリンゴ農園を開くのが夢のこのダメ親父は会社をリストラされ、
妻からも愛想をつかされる。
じつにうまい作劇術で、観客(読者)をあきさせない。
イギリスのチェーホフと言われているとのこと。
良い戯曲を読んだなぁという、しっかりとした満腹感がある。




「すべての季節の男」(ロバート・ボルト/小田島雄志訳/河出書房「現代世界戯曲集」)絶版

→戯曲。イギリス産。
古くはギリシア悲劇「アンティゴネ」から西洋にはひとつのテーマがある。
従うべきは神の法か、人の(=国の)法かという問題である。
日本には基本的にこのテーマはないんだけれども、
例のオウム事件を考えるとそうでもないのかな。
麻原(=神)がサリンをまけという、
日本国憲法はそれを犯罪だという、その間の葛藤。

この戯曲の舞台は、シェイクスピアが「ヘンリー8世」に書いた時代。
イギリス国王の離婚がローマ法王から認められないので、
ローマ教会と絶縁して別個にイギリス国教会を作るという――。
主人公のトマス・モア(国王の側近)は迷う。
ローマ法王(カトリック=死後の法律)か、イギリス国王(現在の法律)か。
トマス・モアは神の法を選択して国王から処刑される。

こういうのを読むと、西洋文学への溝の深さをいやがおうにも実感させられる。
日本人は西洋文学なんてわかりっこないんじゃないかという絶望である。
命を捨ててまで従う神のいる国の文化(西洋文学)を
神仏ごちゃまぜの日本人がわかるものか。
この作品は「わが命つきるとも」というタイトルで映画にもなったらしい。

04/05/31 06:32

「花粉熱」(ノエル・カワード/鳴海四郎訳/白水社「現代世界戯曲選集5」)絶版

→戯曲。イギリス特有の風俗(風習)喜劇というジャンルに属する作品。
英国人は芝居に哲学など求めていない。ただ一晩の笑いがあればと出かけていく。
そんな姿勢がよくわかる作品。おかしくて、笑えて――。

奇妙な四人家族がいる。女優の母親、小説家の父親、息子に娘。
四人がそれぞれに休日に友人を招待したが、
その友人たちはこのおかしな一家に翻弄される。
なんでもかんでもお芝居をはじめてしまうからである。
翌朝にこの四人の訪問者がこれはたまらんと逃げ出していくまでを描く。
見事な戯曲です。拍手ぱちぱち。




「にわとり」(ショーン・オケーシー/菅原卓訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版

→戯曲。アイルランド産。
よくわからなかった、何が起こっているのか、どこがおもしろいのか。
悪魔がでてきたりするんだけど、いないっしょそんなもん。
イギリス人はアイルランド人を差別していた(いる?)というけど、
こんなのを読まされるとわたしもアイルランド人を(略)。
退屈な戯曲を読んだときのやりきれなさはなんとも言いようがない。

04/05/31 06:04

「深い青い海」(テレンス・ラティガン/小田島雄志訳/白水社「今日の英米演劇1」)絶版

→戯曲。イギリス産。
福田恆存がある本ですすめていた。まれに見る傑作。
こんなにおもしろい戯曲が日本人にほとんど知られていないのはさみしいかぎり。
たくさん戯曲を読んでいても、ここまでの良品にはそうは出会えない。

さて、良い戯曲とはなにか。
なによりおもしろいこと、先が気になってしかたがないような戯曲。
そしてバランス。
朝がきてひとが動き出す、
もっとも活動的な昼、
疲れて眠りにつく夜。
「起承転結」だの「序破急」(by世阿弥)だのといわれている、
あの生命特有のリズムを持つ戯曲である。
ことが起こり、それが展開して、最後には収束(解決)するひとつの事件=芝居=戯曲。
そんな事件をわたしは目撃したいのである。
何も起こらない毎日を淡々と生きるものとして。
始めも終わりもない退屈な日常にいやいやしながら。

本作品はある集合住宅(アパート)で自殺未遂者が発見されることから始まる。
彼女が自殺を試みたのは失恋が原因である。
なんとか彼女を助けようとするアパートの住民たち。はたして彼女はどうなるのか――。
こんな戯曲が読めると思うと生きているのも悪くはない気がする。

04/05/25 13:28

「聖火」(モーム/菅原卓訳/白水社「現代世界戯曲選集」第5巻)絶版

→戯曲。イギリス産。
サマセット・モーム。
日本では小説家としてしか知られていないけど、
イギリス演劇史のうえではけっこう重要な役割を果たしていたりする。
ウェルメイドプレイの系譜。
だけどモームの戯曲で邦訳があるのは(調査すると)おそらく六作だけ。
そのなかの貴重な一作がこれ。昭和29年刊行。そこそこぼろぼろ。300円で購入。

買ってきた日に読んだんだけど、これがおもしろいんだなぁ~。
久しぶりの傑作戯曲。優れた戯曲を読むと幸福な気分になる。
だれにでも笑いかけたい気分。
下半身付随で寝たきりの長男が原因不明の死亡。
さて犯人は母親か妻かそれとも自殺か――。
巧みなストーリー構成、どきどきさせるサスペンス、意外な落ち、豊かな人間描写。
わたしだけが知っている名作です。

04/05/25 13:28

「織工」(ハウプトマン/久保栄訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。
ハウプトマン(1862-1946)はドイツの近代劇の創始者。
演劇史的にいうと近代劇といえばイプセン。
その影響のもとにストリンドベリやらバーナード・ショーがでてきた。
そのドイツ版がこのハウプトマン。代表作がこれ。

内容。
悲惨な労働条件の中、困窮する織工たちは団結して工場主に反旗を翻す――。
だからといって決して革命賛歌の劇ではなく、
暴徒となった織工たちを客観的に(ある意味では冷徹なまでに突き放して)
見る作者の視線がある。
作品としておもしろいかと聞かれたら否だけど、演劇史的観点からは興味深い。
王様の葛藤とか貴族の恋愛遊戯ではなく、
ついに資本主義社会を描く戯曲が現れたのかと思うと。
薄いし、読んでおいても損はない古典。




「沈鐘」(ハウプトマン/阿部六郎訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。壮絶につまらない。今年のワースト1はこれに決定。
イプセンの「ペール・ギュント」と同じで、
何かの民話が下敷きになっているはずである。
まったくわからん。
2時間で読み飛ばせたのは外出する時間が迫っていたから。
イプセンの「ペール・ギュント」もそうだけど、復刊リクエストがでているんだよね。
教えてあげたい。つまらないからおやめなさいと。

04/05/25 12:32

「戯れに恋はすまじ」(ミュッセ/進藤誠一訳/岩波文庫)

→戯曲。フランス産。
ミュッセ(1810-57)はシェイクスピアから影響を受けたとのこと。
ミュッセってどんな人かと聞かれたら、そうだな、うーん。
大恋愛をしたせいで、恋愛ものばかり書いていた人って感じかな。
大作家じゃないよ小物、極小(苦笑)。
でもまあ、おフランスものだから、
好きな作家にミュッセとかあげたらちょっとセレブかも。
テーマは恋愛と嫉妬の関係。
ほら、あるじゃん。
好きなひとへのあてつけにわざと好きでもないひととデートして見せつけるとか。
そうあれあれ。
だけどストリンドベリの半分の迫力さえない。上品なんだな、ミュッセは。

内容。
王子様は婚約者がつれない態度を取るので、村娘を愛しているようなふりをしました。
ほら見たことか、嫉妬にかられた婚約者と王子様は大恋愛へ。
しかし王子様の愛を本気にしていた村娘はだまされていたと知り自殺する――。
だーかーら、「戯れに恋はすまじ」! チャンチャン♪




「マリアンヌの気紛れ 他一篇」(ミュッセ/加藤道夫訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。フランス産。
恋愛、恋愛って、もうミュッセうざすぎ(ため息)。
とくに西洋は神への愛と人間の愛がごちゃまぜになっているからしつこいんだ。
コックさん、油を使いすぎだよって感じ。

おまけ(他一篇)についていた「バルブリーヌ」のほうがまだ読めた。
シェイクスピア「シンベリン」と同じで、
貞節な妻が夫の留守中になびくかどうか、夫と友人が賭けをする――。

04/05/25 11:47

「反劇的人間」(安部公房とドナルド・キーン/中公新書)絶版

→対談本。対談にも良い悪いがあるのをご存知ですか。
Aがあることを言う。
このAの発言に刺激されて、Bは今まで考えてもいなかったことを言ってしまう。
いわばAに言わされる。
この繰り返しで、話が思いもよらなかったところに飛ぶ。
これが良い対談なわけである。

一方でこういう対談がある。
Aの発言とはまったく無関係に、以前からの主張をBが言う。
そのBの発言とは、なんの関係もなく次にAが話す。
こんなのは二冊の口述筆記本を交互に読んでいるのとかわりない。
悪い対談の典型である。
つまり芝居と同じということになる。
うまい俳優というものは、相手のセリフをよく聞くといわれている。

さて、この「反劇的人間」は、うーん、良い戯曲にはなっていなかった。
そうなのだ。良い対談とは良い戯曲と同義である。