04/02/08 10:38

「カンディダ」(バーナード・ショー/鳴海四郎訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。人妻のロマンスである。彼女は選択を迫られる。
どちらを選ぶべきか。
牧師をしている堅実なだんなさんか。熱烈に求愛してくる少年詩人か。
結局、人妻はだんなさんを選択する。しかし完璧に元通りになったわけではない。
変化はあった。
詩人の少年はこの失恋を経て、おとなの男性に成長したのである――。
だからどうしたとわたしも思った。だが、いったん閉じた幕が上がることはない。


「悪魔の弟子」(バーナード・ショー/中川龍一訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。テレビドラマを見ていて思うことはありませんか。
この脚本家はぜったいに視聴者をバカにしている。
お茶の間のおまえらはこんなものを見せときゃ満足するんだろうと。

そんな悪意を隠すことなく皮肉屋のショーさんが創作したのがこの作品。
通俗的な「仕掛け」を矢継ぎ早に出していく。
まずは遺産相続の場で観客の関心を安易につかむ(「リア王」!)。
そこに十年ぶりに帰宅する放蕩息子の長男。
遺書が公開されるとこともあろうか長男の独り占め(意外な展開!)。
時代はアメリカ独立戦争。
イギリス軍が攻めてくる。この放蕩息子は牧師と勘違いされてイギリス軍に捕まえられる。
さて神につかえる牧師はどうするか。
自分が本物の牧師だと名乗り出て処刑されるか。
と思いきや、自分の命が大事とさっそうと逃げ出してしまう牧師さん(観客爆笑!)。
緊迫のクライマックス。放蕩息子がまさに処刑されようとしている。
牧師ははたして現れるのか(「走れメロス」!)。
そこに登場する牧師!

当時、この「悪魔の弟子」は大ヒットしたそうです。
バーナード・ショーのひねくれた笑い顔をどうしても想像してしまう……。
04/02/06 10:08

「本の運命」(井上ひさし/文春文庫)

→本についてのエッセイ。おもしろすぎて2時間、休憩することもなく一気に読んだ。
このひと、本が好きなんだなとよくわかる。別の本で言っていた。

「人生が楽しいとか幸せとか感じるときはない。どこまでもつまらないもの。
ただ戯曲を書くための準備として、ある作家の全集なり資料なりを読み込んでいる
ときだけ贅沢を感じる。
ひとりの作家が作った小宇宙にただよっているときほどの至福はない」。

引用はうろ覚え。
井上ひさしは「小林一茶」や「樋口一葉」などの評伝劇を好んで書く劇作家。
そのときの資料調べのことを贅沢な時間といっているわけです。
当然、一ヶ月の平均書籍代は4〜50万円。狸と狐について戯曲を書こうと思ったときは、
神保町の小宮山書店に電話して神田古本屋街から関係するすべての書物を集めて
もらったとのこと。確定申告のシーズンだけど、こういうのは必要経費でどこまで
落とせるものか。いつかそんな身分になってみたいものです。

失敗談としては、明治時代の医学書を18万円で買ったらしい。
で、その半年後に復刻版がでてしまった(w その古書店は申し訳ないからと、
10万円お返ししますと言ってきたそうです。現金ではなく金券。10万円分。
そこの古書店でだけ使える。こころあたたまる話です。
04/02/06 10:08

「アジアの旅人」(下川裕治/講談社文庫)

→タイトルそのまま、アジアのエッセイ。レシートがはさまっていて、
去年の7月18日に新宿紀伊国屋書店本店で買ったらしい。
あー、そういえばあのとき妙にアジア熱が高まって、それをさますために
いろいろ旅行記を買ったなと思い出す。ときおりすべてをなげうって、
海外に出たくなる。国外逃亡。山頭火じゃないけど。
でも、まあ、そう簡単にはいかないわけで、こういうエッセイで仮想体験してごまかす。
著者にへんちくりんな詩心がないのが良かった。
04/01/31 16:24

「酒とつまみ 第4号」(酒とつまみ社[仮])

→お酒の雑誌には有名な「サントリークォータリー」があるけど、
わたしはこっちのほうが好き。サントリーのほうはいかにもお金をかけて、
有名どころの作家にお酒にまつわるエッセイを書かせているから鼻につく。
一方、こちらはおそらく採算ぎりぎり、ほとんど趣味でだしている。
ライターにギャラさえ払っていないのでは?
だからほんとに書きたいことをみなさんハチャメチャに書いている、
お酒が好きで、お酒にまつわる話をすることも好きでたまらないのがよくわかる。

(参考)http://www.saketsuma.com/
04/01/30 15:39

「幽霊ソナタ」(ストリンドベリ/高橋康也訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。とことんつまらん。さっぱりわからん。
それにしてもストリンドベリは当たり外れの激しい作家だ。


「小さいエヨルフ」(イプセン/山室静訳/筑摩書房世界文学大系90「近代劇集」)絶版

→戯曲。イプセンとストリンドベリというのは並べられて論じられることが多い。
だけど、いま見るとイプセンは残って、ストリンドベリは見事なまで消えた。
つまりイプセン作品は現在多種入手可能なのにストリンドベリはほとんど入手不可。
なぜか。イプセンのほうが教育的なせいかな。
常識的というのか。学校で教えられるというのか。
ストリンドベリはやばすぎる。
取り扱い不可、精神病患者措置入院といったおもむきがある。
ストリンドベリは創作をしなかったら間違いなく犯罪者になるタイプだから。

「小さいエヨルフ」の感想。ネタバレ。
あることろに地主の夫婦がいました。この夫婦には男の子がいます。7歳。
びっこのエヨルフくんです。ある日、旅行から帰宅した夫に妻はつめよります。
もっと私を愛して、あなたはエヨルフのことばっか、あんな子、いなければいいのに!
そういう論争をしているまさにそのときエヨルフくんは海で溺死します。
子を亡くした夫婦の争いは激しさを増し離婚直前までいきます。
ところが、一転、ふたりは愛を取り戻します。
これからはふたりで領地の貧しい子どもを養育していこう。
そういう共通の目的のもとで。
すばらしい偽善、もといボランティア精神、もとい普遍の愛ってやつですね。
感動して涙がうるうるしました(苦笑)。
子どもがいじめで自殺した夫婦が、いじめ撲滅のために各校を講演してまわるみたいで。
我が子を殺された夫婦が気持ちの悪い手記を書いて大もうけするみたいで。
だからイプセンよりストリンドベリのほうが好きなんです。


「令嬢ジュリー」(ストリンドベリ/千田是也訳/「名作集」白水社)*再読

→戯曲。別の訳で再読。
翻訳のせいで内容がここまでまったく違っているのはめずらしい。
ふたつの作品があるみたい。
どっちが正しいのだろう。こっちは重訳っぽい。
板橋憲明訳のほうが差別的で、ストリンドベリ特有のきわどい調子がよくでていてよろしい。
04/01/30 14:59

「死の舞踏」(ストリンドベリ/毛利三彌訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。この「死の舞踏」はひとにぜひとすすめたくなる大傑作。
おなじ思いをもった編集者がいるようです。
ストリンドベリ作品の中で例外的にこの「死の舞踏」だけは現在、購入可能です。
(*品切れになったようです。2008年6月記す)

「死の舞踏」というものが中世のダンスにあったそうで、
軽快で複雑なステップに夢中になっているうちに、骸骨の姿をした死神に導かれて、
墓場に連れて行かれてしまう。
そういうダンスの名前がこの戯曲のタイトルです。
それに名前負けしない、これはおそろしい戯曲です。
ほんまもんのキチガイはどえらいものを書くんだなぁと寒気すらします。
ドストエフスキー的な登場人物がわめきちらす地獄絵図です。
ストリンドベリは「一脚のテーブルと二、三脚の椅子さえあれば、
そこに人生のもっとも深刻な劇を展開させてみせる」と言ったそうですが……。
内容は延々と続く夫婦喧嘩――。
島尾敏雄「死の棘」の上をいく悪魔的な作品。
9・11自爆テロのあとにブロードウェイで上演されて、
ブロードウェイ復興のきっかけになった作品だと検索して知りました。
十分に現代的なドラマということです。
(ただし当時の評論家に、こんなだらだらとつまらない戯曲はない、
と酷評されたことも付記しておきますね)。
04/01/30 14:16

「罪また罪」(ストリンドベリ/石沢秀二訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。「ダマスカスへ」のような催眠的な(眠らせる!)作品を書くかと思えば、
この「罪また罪」のような現代日本のテレビドラマ脚本にもなりうるような
娯楽作品も書くのだから、ストリンドベリというのはふしぎなひとです。
大衆的で実におもしろい。三浦綾子の小説みたいな劇構造をもっている。

デビュー前の劇作家がいる。今日のお芝居は大成功間違いなしと言われている。
かれにはまだ籍こそ入れていないが内妻と子どもがいる。
これで芝居があたれば……。
予想通り、劇は大ヒット。男は一夜にして有名人の大金持ちになる。
浮かれた男は内妻とは別の女と相思相愛の関係になる。
しかしその女は親友(画家)の恋人であった。
かれは親友を裏切るわけである。家族(内妻と子ども)も裏切ることになる。
大金と美女、両手に花の男はひとつのことを願う。子どもが死んでくれたらと。
なんとそれまでかなってしまう。子どもは原因不明の死をとげる。
しかし酒場で女にうっかりもらした「子どもが死んでくれたら」という会話を
店員に聞かれていたことから警察から疑いをもたれる。
今度は一夜にしてすべてがパーに。劇の上演は打ち切り、収入はゼロ。
新聞では情婦とともに犯行かと書かれたので、新恋人との関係も気まずいものに。
女はモトカレとよりを戻そうとするしまつ。これで女もふいだ。
一夜で手に入れた金と名誉、女を今度は一夜でなくしてしまうわけである。
折しも、男は親友の絵がコンクールで優勝したことを知る。
親友は受賞を辞退するという。男が親友にわけを問うと――。

成功と没落というのはむかしからドラマ構造としてよく使われている。
「オイディプス王」しかり「マクベス」しかり。
いまテレビでやっている「白い巨塔」もそう。
教授へとのぼりつめるザイゼン先生に、患者を大切にするサトミ先生。
そのあいだを動き回る女がいるのも典型的である。
今日の結論。ドラマに新しいものはないけれども、おもしろいものはある。
04/01/30 13:33

「父」(ストリンドベリ/毛利三彌訳/「ストリンドベリ名作集」白水社)絶版

→戯曲。だれストリンドベリって? まずこうくるでしょう。わかります。
完全に現代では埋もれてしまったスウェーデンの作家、ストリンドベリ(1849-1912)。
その名をはじめてわたしが目にしたのは山本周五郎の「青べか物語」。
山本周五郎や葛西善蔵が愛読していたらしい。
というのもストリンドベリブームというのが、はるかむかし大正時代にあったそうで。
どんな作家と聞かれたら、うーん、現代では柳美里を思い浮かべてくれたら、
だいたいあんなイメージ。
「鶏が先か卵か先か」になるけれども、意識的にか無意識的にか男女関係の修羅場
を自分で作ってしまう、その血みどろの体験から創作をするというタイプ。
書くものはおもしろいけど、間違っても一緒に暮らしたくない。
そばによるなシッシという(笑)。
本作「父」は破綻した夫婦の物語。妻によって狂人にしたてあげられてしまう男の悲劇。


「ダマスカスへ 第一部」(ストリンドベリ/岩淵達治訳/「名作集」白水社)絶版

→戯曲。この作品を書くことによって著者は神の存在を信じられるようになったとのこと。
それは良かったですねえストリンドベリさん。でもですね、つまらないんですよ。
深遠なことを書こうとしている(あるいは書いている)のはわかるのだけど。
夢の中をただよっているような劇。男がいます、人妻を誘惑しました、旅に出ました、
生活に困窮しました、別れました、愛に開眼しました、女と再会しました、女の元亭主と和解しました。
――劇は終了しました。
04/01/25 12:23

「令嬢ジュリー」(ストリンドベリ/板橋憲明訳)

→戯曲。スウェーデン産。演劇のパンフレット。
海外劇団の来日公演のときのパンフレットだからか、日本語訳がぜんぶ載っている。
ネタバレOK? いきます。

ジュリー(25)はおてんばなお嬢さま。
召使のヤン(30)をからかいます。
というのもヤンはちょっといい男。年上の料理女(35)を内縁の妻にしている。
ジュリーは思うわけです。階層の低い人間ってなんておもしろいの。
本も読まない、芸術も知らない、そのくせ毎日それなりに楽しそうに生きている。
雑用をして、お酒を飲んで、女を抱いて、そればっかりの毎日のどこがいいのか。
そんな下僕のなかでヤンは恐れ多くも自分に気があるらしい。生意気。愛人もいるくせに。
だから、からかうわけです。
ヤンがちょっとでもその気になったら身分をわきまえよと平手打ち。
お祭りの日、父親がいないのを見計らってふたりは台所でビールを飲んでいます。
キター! 宴会をしていた下僕連中が台所に来る気配がします。
ふたりだけでお酒を飲んでいることを見られたらジュリーの名誉にかかわる大問題だ。
とりあえず僕の部屋に、ええ、何もいたしませんからと召使のヤン。
ところがどうだ。でてきたふたりの様子はがらりと変わっている。
力関係が逆転しているのです。
ふたりで海外に逃げようと令嬢ジュリー。ホテルでも開きましょうよ。
はあ? 金がないだろバカヤローと一転、強気になった召使ヤン。
責任を取りなさいよとヒステリーを起こす令嬢ジュリー。
うるせー、おれに命令するな、おれのまえであんな格好をしたこの売春婦めがと召使ヤン。
いや、売春婦でもあんなことはしねえぜお嬢さん、と卑しい下僕根性が丸出し。
心中しましょうと令嬢ジュリー。おれは生きていたいんだと召使ヤン。
父親が帰ってきた様子。令嬢ジュリーはパニック。どうしたらいいの、命令して。
ここで召使ヤンの取る態度が感動的です。納屋で死になさいとカミソリを持たせる。
令嬢ジュリーはひとり戸口からでていきます。

恋愛を闘争(力関係)と見ているストリンドベリ先生。
でもこういう物語が可能になるのはそこに階級(差別)があるからなんです。
じゃあ、現代日本。周りを見回すと平坦極まりない。
突き出たところも、くぼんだところもない。
問う。現代人は真に愛しうるか(半笑い)。
もっと差別を、もっと嘲笑を。差別用語を復活させよ(冗談ですからね)!
すべては芸術のために(本気にしないでください)!

「真の芸術家は、妻を飢えさせ、子供を裸足で歩かせ、
自分の生活のために齢七十の母親を働かせても、
自分の芸術のためでないとなれば、
自らは何もせぬものなのだ」(「人と超人」バーナード・ショー)
04/01/25 11:58

「ピグマリオン」(バーナード・ショー/倉橋健訳/「ベスト・オブ・ショー」白水社)品切れ

→戯曲。大傑作。こんなおもしろい戯曲があったとは。世界は広い。
バーナード・ショーは天才です。「読んでみて」というぐらいしか、言葉がでてこない。
読んでいて何度笑ったことか。幾度、うまいなぁと舌を巻いたことか。
完全なるエンターテイメントにして、同時に深い内容もあわせもっている。
つまりはおもしろくて、考えさせられる。大衆も学者さんもみんなニコニコ大満足。
「マイ・フェア・レイディ」の原作だからストーリーはご存知だろうけど。

――独身でお金持ちのおじさんが道端で貧しい花売り娘をひろいました。
友人と賭けをしたのです。この小汚い田舎娘を半年で社交界デビューさせられるか。
一人前のレディにすることができるかどうか。
お得意の人間描写がもうたまらない。人間をバカにしきっていて最高。
でてくるひと、ひと、みんながほんと笑えるんです。おかしいんです。
04/01/25 11:27

「人と超人」(バーナード・ショー/喜志哲雄訳/「ベスト・オブ・ショー」白水社)品切れ

→戯曲。イギリス産。ご存知、「人と超人」。国語便覧には必ず載っている名作。
哲学的喜劇。名作中の名作にしてバーナード・ショーの代表作。
……(口にしかけてやめる)……(ええい)だけどね、つまらないんだ、ほんとはね。
第三幕に登場人物が見る「夢」があるんだけど、ここを読み通すのは地獄。
まさしく悪夢。
でも腐っても名作。みなさん教養としてストーリーぐらいは知っていたいのでは?
お教えします。まず三角関係ありき。男、男、女。
男1は女に熱愛。男2は女を恐れている。
男2は女の恐ろしさを知っているがために逃亡をくわだてる。
が、失敗。ラスト、女は男2を見事ものにする。
以上がストーリー。
つぎに哲学的なテーマ。人類の目的は「子孫を残すこと」、ただそれのみにある。
よって女はより優秀な遺伝子を求めて、いったんイイオトコを見つけたら
けだもののように獲物を手中におさめる。
恋愛などロマンでもなんでもない。
ショー先生はそう口にすると皮肉な笑みを見せる。


「ウォレン夫人の職業」(バーナード・ショー/小津次郎訳/「近代劇集」筑摩書房)絶版

→戯曲。きっと「人と超人」だけでバーナード・ショーを嫌うひと、多いんだろうな。
これおもしろい。何がおもしろいって、バーナード・ショーの人間描写。
ああ、このひと人間が嫌いなんだなとびんびん伝わってくる。女が嫌い、男も嫌い。
人間なんてバカばっか。そのくせ偉そうで、いっちょまえに怒ったり泣いたり。
煮ても焼いても食えないもの。それは人間!
わかるよショーさんと苦笑いしたくなる。
わたしも人間なんて大嫌いだから。もちろん自分もふくめて。
さてさて、ウォレン夫人の職業はいやしい売春斡旋業。
彼女の一人娘はその商売で得た金で大学まで行かせてもらった。
この母と娘の葛藤が、この戯曲の中心線となる。
04/01/25 10:40

「演劇ってなんだろう」(井上ひさし/筑摩書房)

→いろいろなテーマについての多様な演劇関係者の座談会を集めたのがこれ。
劇場について、女優について、演劇プロデューサーについて、などなど。
でもほんとなんだろうね演劇って。わたしが関心をもったきっかけはシェイクスピア。
その翻訳がきっかけで福田恒存。
180度正反対の寺山修司、前衛演劇になぜかも興味をもつ。

かと思えば、福田恒存訳の「オイディプス王・アンティゴネ」に魂を激震させられ、
ギリシア悲劇をぜんぶ読むなどという愚行を敢行する。
ふとしたことからテネシー・ウィリアムズを読んだらこれがおもしろい。
シェイクスピアやギリシア悲劇がバカらしくなるくらいに。
つづいてウィリアムズのライバルであるアーサー・ミラー。
同時代作家のピーター・シェーファー。
ここらへんで劇書房の存在を知る。劇書房ベストプレイシリーズ。
日本文学者も戯曲を書いていることを知る。
木下順二、三島由紀夫、安部公房――。
演劇ってなんだろう。いつまで戯曲を読みつづけることになるのか。


「国文学 演劇 パフォーミング・アーツとして 1998年3月号/学燈社)

→いろんな学者さんが書いています。
論じられるものは手広く、シェイクスピアから現代日本の劇作家まで。
媒体の性質上、無名の学者さんが多いんだけど、みなさん文章がよろしくない。
かれらも大学では先生なんて呼ばれているんだからふしぎなもの。
プロだったらもっと読者を乗せる文章を書いてほしい。
何に乗せるかって? 感情です。
学者さんの事実報告だけの無味乾燥な文章にはうんざりしました。
04/01/25 10:07

「黄昏」(アーネスト・トンプソン/青井陽治訳/劇書房)

→戯曲。アメリカ産。覚えているかい、あの夏の日を♪
毎年のように避暑地にきた老夫婦。だんなは79歳、おくさんは69歳。
このおじいさんが辛口で辛らつ。でもたっぷりあふれるユーモア。
長いこと不和が続いていた一人娘が遊びに来る。結婚するという。
相手には連れ子がいる。ませたガキ。でもおじいさんの魅力にくっぷく。
一ヶ月のあいだ、この子をあずかってくれと老夫婦は頼まれる。
夏。太陽。おじいさん教わる釣り。おばあさん手作りのクッキー。別れ。
おじいさんと一人娘の和解――。
漫画「クッキングパパ」の世界です。うるうるきちゃいます。


「小さき神の、作りし子ら」(マーク・メドフ/青井陽治訳/劇書房)

→戯曲。アメリカ産。障害者もの。この戯曲で乗り越えられるべき壁は聴覚障害。
聴覚障害者のための学校。男性教師と女生徒との禁断の恋。
健常者と障害者のありがちな愛。愛は障害を乗り越えられるのか。
こんなんで泣くわけにはいかないね。
ずいぶんわたしもすれっからしになってしまったようです。
著者は聴覚障害をもつ妻との体験からこれを書いたとのこと。
どうりで白石昇の小説よりリアリティーがある。


「ベント BENT」(マーティン・シャーマン/青井陽治訳/劇書房

→戯曲。アメリカ産。いまパルコ劇場で椎名桔平が再演しています。
知っていましたか? ナチス政権下でおこなわれたことを。
なんでも優生遺伝子保護の考えから精神身体両障害者および同性愛者を
強制収容所送りにしたらしい。この戯曲のバックグラウンドはそれ。
第一幕は戦時下でのホモの享楽的な愛について。うってかわって第二幕は、
殺風景な強制収容所で繰り広げられるホモの感動的な愛について。
愛、愛、愛、また愛か。どの戯曲もテーマは愛。小説も詩もあるのは愛ばかり。
……へい、おまえら愛しあってるかい?(自己崩壊)
04/01/20 14:10

「仄かな言葉」(白石昇/白石昇HP)

→短編小説。九州芸術祭文学賞次席作品。
著者、白石昇は「エロ本」の翻訳でその才能にうすうす気づいていたが、
この小説を読んでそれは確信へと変わった。
冒頭、白石は主人公の少女に「めくら」で「つんぼ」という障害を与える。
絶妙である。ここにきわどい「笑い」を感じないものは小説など読まないほうがいい。
少女がひとりいる。なんの物語も生まれはしない。
そこで身体障害を神のごとくプレゼントして強引に小説をおしすすめる。
そこを安易と受け取ってしまうものには、この小説がわからない。
つまりは現代がわかっていないということである。
テレビ局が大々的に「愛は地球を救う」などと偽善をばらまくこの日本を、
白石は嫌悪している、嘲笑している、うっかり感動してしまう自分をも。
その骨太な現代批評が、この小説の屋台骨となっているのである。
そして主人公の少女が世界を認知していく様のなんとみずみずしいことか。
世界はあらかじめ存在するのではない。欠損によって初めて世界が存在するようになる。
この描写を読んでわたしは白石昇の過去を恐ろしくて聞けなくなった。
どれほどの体験をしたら、世界がこのように見えるのだろうか。
本作は地方文学賞の選考委員ごときにはとうてい見通せない奥深さがある。
無料で読めることだし、ぜひご一読をおすすめする。
あなたも同感してくれることと思う。白石昇は天才であると。
――三日に一人、生まれるかどうかの(苦笑)。

(参考)白石昇HP
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2444/
04/01/17 10:06

「現代文学の無視できない10人」(つかこうへい/集英社文庫)絶版

→対談集。お相手は荻原健一、阿佐田哲也、小池一夫、島尾敏雄、
長嶋茂雄、高橋忠之、大竹しのぶ、井上ひさし、中上健次のみなさん。
つかこうへいが島尾敏雄の「死の棘」をげらげら笑いながら読んだと言っていたけど、
激しく同意いたします。あれを読んで深刻ぶるのはどこかうそ臭いです。
DV(家庭内暴力)常習者の井上ひさし先生のことばも重い。
いつものように中上健次は威勢のいいことを言っている。
サム・シェパード(アメリカの劇作家)は自分からぱくったのだの(笑)。
04/01/17 09:45

「快速船」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。新薬が発明されました! この薬を飲んでごらんなさい。
かならずあなたの夢がかないます、ええ芥川賞でも別荘でも運命の恋人でも。
国民全員が飲んだらどうなるって? 
それは、それは、バランスというものがありまして、
各人の欲望の度合いによって調整されますけど、
でもまあこの薬を飲まなければ何も始まりません。
自己啓発運動へのパロディー。


「可愛い女」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。チェーホフに同名の小説があるけど、ちょっとだけ設定が似ている。
泥棒も警察も金貸しも裏ではグルになっているかもしれませんよ、観客のみなさん!
この演劇を観て家に帰ったらちゃんと社会批評するんですよ、いいですか。
当時、この戯曲を演出したのは千田是也さん。
かれの好きないかにもブレヒト的なお芝居。


「巨人伝説」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。安部公房らしくない。戦争を忘れちゃいけないよという作品。
読みにくいわけでもないけど、そうおもしろいものでもないです。


「城塞」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。ある精神病患者がいる。何度も過去のあるシーンを再現しなければ
気がすまないというのが症状。過去の一点で時間をとめてしまった。
とりかえしのつかない一瞬、劇的なあの一瞬、悔やんでも悔やみきれないあのひと時。
その時間を再び動かすのはストリッパーである。刺激的な快作です。


「おまえにも罪がある」(安部公房戯曲全集/新潮社)

→戯曲。どこにでもいる平凡な男。あえて平凡につとめているきらいもある。
ところがどーだい、ある日、散歩から安アパートに戻ったら見知らぬひとの死体が転がっている。
さあ、どうしたものか。何しろ今日は恋人がはじめて部屋に来る日である。
笑劇(ファルス)の典型。「ブラック・コメディ」を思わせる傑作です。


「どれい狩り」(安部公房戯曲全集/新潮社)*再読

→戯曲。再読してもおもしろいから名作に認定。再演したらいいのに。
04/01/17 09:07

「舞台と映像の音声訓練」(冨田浩太郎/未来社)

→もちろんこの年になって役者を目指すつもりなんてありません。
ただブックオフに百円で落ちていたので、役者さんの舞台裏でも斜め読みしようかと。
しかし彼はやばい方法論を提唱していますね。
なんでも今まで誰にも話したことのないような心の傷をあえて人前で表現することで、
感情の緊張がほぐれて良い演技ができるようになるんだとか。
東由多加(柳美里の師匠)みたいだ。
へたをすると精神病発症のきっかけにもなりかねないデンジャラスな訓練です。


「俳優タレント養成ガイド2003」(テアトロ)

→だからいまさら役者を目指すわけではないんです。
ブックオフにお年玉キャンペーンってありましたよね。
千円分買うとブックカバーがもらえる。
あと百円だったんです。それで購入したのがこれというわけ。
役者(志望も)って楽しいんでしょうね。写真を見るとみんな生き生きしている。
しかしその大半が養成機関卒業とともに厳しい現実と向き合わなければならない。
映画学校とかと同じです。
あちらは過去に映画を数本撮っただけの自称映画監督の食い扶持になっているわけですが。
若者に夢を売る商売には目を背けたくなる矛盾があります。
シナリオ学校しかり、小説教室しかり、漫画学校しかり……。
04/01/17 09:06

「演劇入門」(千田是也/岩波新書)品切れ

→やたらむずかしい。いますよね。演劇人や映画人で何を勘違いしたのか、
わざと表現を難解にするお方。新書なんだから、もっとわかりやすく書けと。
わたしが平明な表現になおします。こう言うております彼は。従来の演劇は良くない。
なぜなら余計なカタルシス(感情の浄化)を与えてしまい、
がために革命(社会変革)に用いるべきエネルギーを浪費させてしまうから。
ならどういう演劇がいいのか。
従来の演劇のように観客を陶酔させてはならない。
観劇することで観客をして(劇場の外の)現実社会を批評させるように
仕向ける演劇が良いのである。
かれはこういっているわけである。
無知蒙昧な大衆を演劇で教育しなければならないと。
初版は1966年。そういう時代があったということです。
それにしてもブレヒトの受売りばかりで恥ずかしくはないのでしょうか。


「演出のしかた」(倉橋健/晩成書房)

→良書。誰にでもわかる言葉で、いかに紙に書かれた戯曲を生き生きと舞台の
うえで再現すればいいかを教えてくれます。もっと早くこの本を読んでいたら、
今まで見た演劇が何倍もおもしろくなっていたのにとかなり悔しいです。
これまで読んだ演劇書のなかでいちばんためになったといっても言い過ぎではない。

さて、どのような演技が良いのか。
役になりきる演技か。
それとも役者自身の意識はいつも平静で、
計画的に観客へ情報を伝達する演技が良いのか。
すなわち役者はハムレットになるべきか。ハムレットをあやつるべきか。
答えはないと著者は言います。
04/01/07 14:31

「ふぞろいの林檎たちへ」(山田太一/岩波ブックレット)

→山田太一さんが(当時のバブル期のw)若者へ向けたメッセージ。
古本屋のまえのワゴンに50円と落書きされて落ちていたのを拾ったまで。
54ページ。自分をしっかり持ちましょうだと。なんか校長先生の朝礼演説みたいだ(w
04/01/07 14:31

「稲妻」(ストリンドベルイ/山室静訳/筑摩書房「近代劇集」)絶版

→戯曲。古本屋に「ストリンドベリ名作集」があったので買おうか迷う。
そこでこの「近代劇集」にひとつ入っていたのを思い出し、それを読んでから決めようと。
ストリンドベリはスウェーデンの劇作家・小説家。イプセンと比較されることが多い。
近代劇を築いたひととして有名らしい。この作品は晩年のもの。
孤独な老後を送る老人のまえに、5年前に離婚した元妻が現れる――。
かっちりと仕組まれた劇らしい劇。だけどこちらを揺り動かすまでの迫力はなし。
決めた。「ストリンドベリ名作集」は買わない。

(結局、数週間後に買いました、あはは)
04/01/07 14:05

「日本の現代演劇」(扇田昭彦/岩波新書)
「舞台は語る」(扇田昭彦/集英社新書)

→この二冊でやっと日本の戦後の演劇の流れがわかった。知りたかったのです。
このブログを読んでいるひとはトクしましたね。これからわたしが簡単に戦後演劇の
流れをまとめます。「1分でわかる日本現代演劇講座」♪
まず敗戦。こっぱみじんに日本という国はなぶりものにされたわけです。
これじゃいかん。欧米のすぐれた文化を一刻も早く日本に取り入れんと。
そんなかんなで盛り上がったのが「新劇」。これは戦前からあったもの。
欧米のありがたい戯曲を遅れた日本国民に見せて啓蒙してやろうという感じです。
シェイクスピアとかイプセンとか。だから新劇を観にいくというのは、
どこかお勉強をしにいくという雰囲気だったらしい。上から下にベクトルが向いている。
日本の創作劇もそんな感じ。
三島由紀夫、安部公房、木下順二、福田恒存。おかたいでしょ(笑)。
総じて新劇は「セリフ」を重視した。西欧風の言葉の劇を目指した。

それに対抗して「肉体」の重要性を主張する一派がでてくる。役者の肉体。
時は日米安保のころ。
反権力とか、とにかく若者が政治闘争していたあのうざったい時代です。
唐十郎、清水邦夫、鈴木忠志、別役実、寺山修司。
のちには商業演劇にいく世界の蜷川もそう。
この一派は「アングラ演劇」と呼ばれました。
学者や文化人が加わっている新劇を否定するわけです。
けれどもいつまでも「なんとか反対!」とか若者が怒っているはずもない。
ぷ、そんなのだっせえのという時代がきます。それが「つかこうへい」。
当時は若者のあいだで爆発的なブームになったそうです。
毒のある笑いがつかこうへいの演劇の魅力だとか。
で、次に来るのはバブルの時代で、これが前に書いた野田秀樹の時代なわけです。
野田秀樹のお芝居をわたしなりに要約すると「無意味言語の過剰氾濫による祝祭」。
バブルも消えうせ、さあ来ましたぜ平成不況。底なしの不景気、デフレ地獄。
いまは「静かな演劇」の時代だそうです。平田オリザ、岩松了。
登場人物が声高に葛藤するのではなく、あえて日常的な行為や会話を舞台で見せる。
そこから「見えないもの・聞こえないもの」を暗示するという。
私見ですが、高いお金を払ってまで「静かな演劇」など観にいきたくはありません。
はい、お疲れさま。こんな感じです、現代の演劇。
04/01/07 13:23

「野獣降臨(のけものきたりて)」(野田秀樹/新潮文庫)絶版

→戯曲。野田秀樹という名前を聞いたことがありますか?
東大法学部在学中から劇団をはじめて、
なんでも八十年代バブル期のカリスマだったとか。
当時のファンもいまこの戯曲を読み返したら、きっと赤面するはず。
全編、言葉遊びのみのお芝居。言葉のバブル。ストーリーらしいものはない。
へえ、へえ、こんな戯曲が受けた時代もあったんですね、こっぱずかしいですね。
不景気の今、野外上演してほしいです。大阪の汚い公園で。ホームレスの前で。
解説の井上ひさしによると、野田秀樹はめったに現れない天才だそうです。


「瓶詰のナポレオン」(野田秀樹/新潮文庫)絶版

→戯曲。200ページ。一時間半で読んだ。はにゃと思った。なんだこの感じは。
これも言葉遊びに終始する戯曲なのですが、ふしぎな魅力がある。
こういう雰囲気が一時代を作ったというのもわからなくもない気がしてくる。
テンポが良く、当時はかなりナウかったのではないか?
たとえば野田秀樹のお芝居を観ることが何かしら文化的なステータスであるかのような。
野田秀樹を全否定する気は失せる。ただやっぱりちょっと恥ずかしい。
04/01/02 09:10

「小林一茶」(井上ひさし/中公文庫)絶版

→戯曲。第十四回紀伊国屋演劇賞個人賞受賞作品にして、
第三十一回読売文学賞(戯曲部門)受賞作品だそうですよ、これ。
ワンパターン。まえに読んだ「頭痛肩こり樋口一葉」となんだか似ている。
まあ、戯曲の「型(かた)」なんてどれもつきつめれば同じかもしれないけど。
確実に(ご老人の)観客を楽しませるよう書かれているお芝居です。良くも悪くも。
以前、一回だけ井上ひさしのお芝居を観にいったことがある。観客は老人ばかり(w
それにしても、なんだかな。
お芝居なんてこんなものですと言われたら確かにそうだけど。
所詮は一夜の夢です、お客さんに笑ってもらえればいいんです、か。
井上ひさしの戯曲をはじめて読んだのは「天保十二年のシェイクスピア」。
それがあまりにもおもしろかったからこうして読んでいるわけですが……。
04/01/02 08:38

「友達・棒になった男」(安部公房/新潮文庫)

→戯曲。収録作品は三つ。期待していたらどれも肩透かし。とほほ。
「友達」は大都会に住むふつーの独身男性のおはなし。
かれはまあまあの会社に務め、ほどほどの婚約者がいる。
そこに登場するのは九人の大家族。九人そろって彼の部屋に乗り込む。
あなた孤独じゃないですか、かわいそうですね、大丈夫、私たちが一緒に住んであげるから。
友達、友達、安心ねと言いながら台所を食い散らかし、彼の給料は横取りする。
おもしろそうでしょ? 実際、おもしろく読み進めたら最後のほうでストーリーが破綻する。
安部公房ファンにはいかにも彼らしいとなるのだろうけど、わたしには「はあ?」。
残念というほかない。

「棒になった男」はいわゆる前衛作品。だからもちろんつまらない。
前衛がおもしろかったらまずいのです。
つまらないのを読者(観客)があれこれ意味付けしながら鑑賞するのが前衛作品。

三つ目の戯曲「榎本武楊」も失敗作。自らの歴史観を伝えるために戯曲を
書くのはおやめなさい。戯曲は観客を楽しませるために書くものです。
なんて偉そう(w ごめんなさいです。

ちなみに安部公房の小説は「砂の女」「箱男」しか読んでいません。
04/01/02 08:37

「幽霊はここにいる・どれい狩り」(安部公房/新潮文庫)絶版

→戯曲。収録作品は三つ。最初の「征服」は安部公房のいわば習作。

次の「どれい狩り」にはびっくり。日本人にもこんなおもしろい戯曲が書けたのか。
レイ・クーニーの笑劇よりも笑える。戯曲を読んでこんなに笑ったのは初めて。
わたしが今まで読んだ中でいちばん笑えた戯曲。こんな天才が日本にいたとは。
舞台はある成金の家。妻に先立たれ、息子も交通事故死。
そんなこんなで傷心の主人。
しかし保険金がたくさん入って大金持ちになっている。
それを詐欺師たちが見逃すはずもない。かれらが主人にすすめるのは高額の動物療法。
まずはライオン。ライオンの目をじっと見詰めれば精気が伝わり元気になると。
それでも効かないということで、次に出してきたのは新生物「ウエー」。
どこから見ても人間だが、詐欺師たちは太平洋の孤島で発見された新生物だと言い張る。
そこに「ご主人、だまされちゃいけませんよ」と登場する娘。女子大学生。
亡くなった息子の家庭教師をするつもりで来たが詐欺師たちを見てあきれかえる。
さあ、詐欺師と彼女が繰り広げる笑いの世界をとくとごらんあれ! 大傑作です。

三つ目の戯曲「幽霊はここにいる」は、なぜか幽霊と会話ができる男が巻き起こす
騒動を描く。「どれい狩り」ほどおもしろくはない。一回も笑わなかったです。
03/12/29 09:21

「鹿鳴館」(三島由紀夫/新潮文庫

→戯曲。かつて(今も?)三島賞の選考委員をしていた宮本輝が三島由紀夫を
こう評していた。三島の作品はガラス細工。人間がまともに生活をして50歳を
過ぎたらば、あんなものはとても読めやしない。それを公の場で発表するのではなく、
テルニストHPという自分のファンクラブHPに書き込んでしまう。その卑怯さは
いかにも作家らしいとここでは置いておいて、注目したいのはその内容なのです。
ガラス細工。よくも見事に言い切ったと思う。この「鹿鳴館」という戯曲集を
読了したのは三日前。しかしいまそれについて何がしかの感想を書こうと思っても
何も思い出すことができない。そうガラス細工のようにきらびやかであったこと以外は。


「熱帯樹」(三島由紀夫/新潮文庫)

→戯曲。あひゃ。これおもしろい! 三島さんってコンプレックス過剰で、
しかもホモで変態のキチガイだと思っていたけど、やはり世界のミシマといわれる
だけのことはあったのかもしれない。なんて今頃遅い?w こむつかしい顔をして、
三島由紀夫にはひとかどの才能があった。なんて言っちゃダメかな? えらそう?
期待していなかったからかな。この戯曲集に入っている三つとも「いける」。
ギリシア悲劇を思わせる「熱帯樹」。
精神年齢8歳の白痴青年がとってもかわいい「バラと海賊」。
劇が起こらないことを劇にした「シロアリの巣」。どれもいい。再読したいです。
03/12/29 09:18

「近代能楽集」(三島由紀夫/新潮文庫)

→戯曲。いまさら、それもわたくしごときが、三島由紀夫の「み」も語れるとは
思っておりませんが、それでも世界の名作戯曲を読み漁っている、その道半ばで、
三島戯曲がどのようにわたくしの目に映ったかぐらいは書いてもいいと思うのです。
三島由紀夫というブランドの呪縛からできうるかぎり逃れ、彼の戯曲だけを作品群から
引っこ抜く。そして置く。並べてみる。どこへ? たとえば「わが町」の右隣へ。
「欲望という名の電車」のそばに。「るつぼ」「アマデウス」「かもめ」と比較してみる。
この三島戯曲の代表作「近代能楽集」を。それがただ同じ戯曲という理由だけで。
するとミシマは恥ずかしかった。島国ニッポンそのものだった。つまり小さいのだ。
そのくせボディービルで自らを大きく見せようとするのだからさらに恥ずかしい。
言葉でわざとらしく飾り立てる。
上にあげた名作戯曲は読んだ翌日にも再読したくなった。
この「近代能楽集」を再読することはないでしょう。
03/12/22 10:57

「オットーと呼ばれる日本人 他一篇 木下順二戯曲選3」(岩波文庫)

→表題作は退屈。大東亜戦争まえにロシアのスパイをしていた日本人のおはなし。
共産主義思想に心酔しながら、それでいて日本を良くしようと努力した男のドラマ。
共産主義なんて口に出そうものならプッと鼻で笑われてしまう現代ですから、なんとも言いがたい。
こういう戯曲が意味を持っていた時代があったんですかねえ。わたしが生まれる前に。

併載されていた「神と人とのあいだ」は木下順二戯曲のなかで一番のおもしろさ。
第一部と第二部に分かれている。第一部は複数の戦犯が東京裁判で裁かれる様をリアルに描く。
第二部は外地で戦犯として裁かれるある個人に視点をすえる。その対比の妙を味わう。
第一部はつまらない、だけど、この木下順二というひとは……。
この戯曲を書くためだけに東京裁判の記録を二年だか三年だか読みつづけたらしい。
(それでつまらないんだから、なんともすごいです。何をして食べていたのだか)
第二部があって第一部が光るような仕組みになっている。


「子午線の祀り・沖縄 他一篇 木下順二戯曲選4」(岩波文庫)

→「子午線の祀り」は木下順二の最高傑作との世間的な評価があるらしい。
先ほど日本にドラマはあるのか! なんて大仰に嘆いてみたけど、
それに対する木下先生の答えがこれ。「平家物語」があるではないかと。
シェイクスピアは英国史劇を書いた。木下順二は「平家物語」を題材に取った。
ええ、「子午線の祀り」おもしろいですよ。劇的です。
これだけはまたいつか再読したいです。


「夕鶴・彦市ばなし」(木下順二/新潮文庫)

→表題作のふたつは岩波文庫にも入っている。こちらは民話劇だけを集めたもの。
三年寝太郎にわらしべ長者、みなさんおなじみの彼らと会うことができます。
さて、こうして木下順二さんの戯曲をまとめて17本読んだわけだけど、うーん。
わたしは彼から何を盗み得たのか。なにもないような気がするな。
木下順二。無害な秀才である。さあ、次は三島由紀夫。覚悟しておれ!
03/12/22 10:04

「風浪・蛙昇天 木下順二戯曲選1」(岩波文庫)

→木下順二を知っていますか? 1914年生まれ。劇作家。思想家。
わたしから言わせるとつかみどころのない秀才。がり勉くん。勉強家。
自意識のくさみが感じられない。それは育ちが良いから。でもおもしろみもない。
いっぱいお勉強をしてそこから戯曲を書くひと。
どこにも欠点がない。だから評価も受ける。日本を代表する劇作家だと。
「風浪」「蛙昇天」どちらもおもしろくはない。かといって読み通せないほどつまらないわけでもない。
「風浪」は明治初期の不平士族のおはなし。「蛙昇天」は蛙の世界の共産主義思想について。


「夕鶴・彦市ばなし 他二篇 木下順二戯曲選2」(岩波文庫)

→木下順二は日本人の劇を書こうとしたひとです。たとえば夕鶴のような民話劇がある。
農村に古くから伝わる民話を劇にしたわけです。夕鶴は「鶴の恩返し」。
日本にドラマは存在しうるのか。人間と人間の対決は神の下でしか生じないのではないか。
木下順二の戯曲が欧米の戯曲に比べて魅力がない。
その原因は作者にあるのか。それとも原因は作者が生きているこの国、日本にあるのか。
日本はドラマ(傑作戯曲)を生まない不毛な土壌なのか。
「夕鶴」の作家・木下順二のあたまにはこのようなことが去来していたはずである。
03/12/15 18:21

「ハムレット」(シェイクスピア/松岡和子訳/ちくま文庫)*再読

→福田恒存のことばを思い出す。かれはいう。
「ハムレット」には膨大な評論がついてまわるけれども、
なぜこれほどまで民衆に愛されるかといえば、結論は簡単。
自然な流れを持った芝居だからである。
どこにもよどみがない。流暢である。実に自然にわれわれの目に耳に流れ込んでくる。
今回あらためてそれを実感する。わたしがはじめてハムレットを読んだのは福田恒存訳。
「どうしようもない悲劇」だとネットに感想を書いたのを覚えている。
どうしようもない、どうにもならない悲劇。これ以外にはどうにも結末のつかない悲劇。
ハムレットもクローディアスもレイアティーズも、そしてポローニアスですらも、
めいめい各人「どうしようもない」事情を抱えている。
そして各人がまったく自由に行動しているように見えながら、
あらかじめ誰かのつくったレールに乗るがごとくの悲劇的な結末、
登場人物のほとんど全員が死を遂げるというあのクライマックスに流れていく。
それ以外には「どうにもならない」のである。
各人が自由に行動するがゆえに結果が必然的に見えるというこの矛盾。
そこにハムレットの魅力を見出したのは福田恒存である。
03/12/15 18:21

「快読シェイクスピア」(河合隼雄・松岡和子/新潮文庫)*再読

→ご存じ文化庁長官にしてカウンセラーの教祖・河合隼雄と松岡和子の対談本。
渋谷シアターコクーンで「ハムレット」(蜷川幸雄演出、藤原竜也主演)の
当日券を求める行列をしながら再読。読んだのは三回目です。
初読後これをおもしろいと書いたら2ちゃんねる文学板某住民に白痴のごとく扱われた。
その意味では想い出深い一冊。
しかし平穏だが退屈な日常を送っている研究者が書いた本なんかよりよほどこちらの
ほうが刺激的では? 河合隼雄はジュリエットに診療室で対面した少女を見る。
エリザベス朝のシェイクスピアと現代をむすびつける。
その手腕は熟練した詐欺師のように巧妙である。
03/12/15 17:43

「審判」(バリー・コリンズ/青井陽治訳/劇書房)

→戯曲。ひとり芝居。役者の加藤健一さんが好んでやったらしい。
ものすごーく苦労をしてやっと新品を入手した思い入れが深い本。
登場人物はひとり。戦地から帰還した兵士である。
かれは客席にいる観客を判事とみなし訴える。
われわれも最初は7人だった、敵兵からある館に閉じ込められ放置された、食べ物もなし水もなし、
期間にして70日、腹がへる、くじをした、あたったひとりを殺し、殺して……、
その仲間の首をしめて、その肉体を食べた、人肉で腹を満たし、血でのどを潤した、
次々に、仕方がない、生きるためには、そうして二人が残った、二人だけ発見された、
自分のほか一名はあのとおり発狂している、だからわれより他に事実を述べるものはなし、
判事(観客諸兄諸姉)に問う、あなたたちにわれと彼を裁けますか?
そしてわれら生存者二人は神前の審判でどのように裁かれるのか。
なぜ裁かれなければならないのか、いったい何の罪で。
あなたたちも自分と同じ環境に置かれたら同じことをしたのではないか。
生きるためなら仲間を殺して食わないと断言できるひとは挙手してほしい。

――そういう話。実話を元にしているとのこと。実話では生存者二人は発狂、後に銃殺。
ここに宅間守のみならず、あらゆる犯罪者を見るのは是か非か。極論になるのか。
わたしは林マスミを裁けない。わたしが彼女だったらと思うと。
被害者あるいはその家族のみが真に裁きうるのではないか。
いや、真に? 裁きとは何か? 罪とは?
03/12/15 17:20

「シェイクスピア講演」(福原麟太郎/講談社学術文庫)絶版

→戦後まもないころ、著者が外務省の役人の前で講演をした記録。
海外にでるものはすべからくエゲレスのシェークスピヤくらいは知るべし、との理由で。
おもしろかったところ――。
著者は「マクベス」と「オイディプス王」の比較から、
シェイクスピア劇とギリシア悲劇の違いに行き着く。
オイディプスは「父を殺し、母と寝る」という神託に決して逆らうことができなかった。
比してマクベスばどうか。最初の魔女の予言、
「やがては国王となるおかた」。
魔女の予言には神託のような絶対性がない。
オイディプスは呪われた自分を知る。
それは全能の神の存在(神託)を認める歓喜でもあった。
一方、マクベスは死に挑むとき、ひとつとして彼のこころに確かなるものはない。
オイディプスは我々とは縁遠い英雄である。仰ぎ見る散在である。
著者は続ける。マクベスこそがあなたでありわたしであると。


「シェイクスピアの世界」(木下順二/岩波同時代ライブラリー)絶版

→著者が講義形式でシェイクスピアについて語る。
のちに木下順二の戯曲を読むつもりなので、
シェイクスピアと氏の創作がどのようにむすびついているのかを意識して読む。
なぜ現代にシェイクスピアは現れないのか。
しかし内容はシェイクスピアの原文における詩形式の説明、
シェイクスピア批評の歴史など。
ひとつおもしろいトリビア(の泉)的なネタを入手。
「ハムレット」の第一フォリオ(シェイクスピア存命時に出版されたもの)は、
後年、ひとりの学生が古本屋のワゴンで投げ売りされていたものから発掘した。
ただ同然でそれを手に入れた学生は別の古本屋に転売。
その古本屋が価値のわかるひとで、高値で引き取ったらしい。
しまいにはそれは博物館に収められ、
あとのシェイクスピア研究に欠かせぬものになったとのこと。
さあ、「ヘエ」はいくつ? 
古本屋めぐりが楽しくなる逸話でした。
03/12/08 09:42

「リチャード三世」(シェイクスピア/木下順二訳/岩波文庫)

→福田恒存訳、松岡和子訳で読んだことあり。映画はふたつ見た。
みなさんお上品な顔をしてシェイクスピアざまーすなんて言ってるけど、ちゃうねん!
ぜんぜんちゃう、ちゃうちゃう、ちがうって。
せむしでびっこの身体障害者がどーせおれはもてないからみんなぶっ殺したろか?
と最初に宣言して、そのとおりに殺戮をつづけるのがこのリチャード三世。
ぜひ本物の身体障害者にやってほしい。乙武くんなら最高なんだけど。
三度目に読んで気づいたのはマーガレットの存在感。この老女やばすぎ。
他人の不幸をざまーみろとせせら笑う。2ちゃんねるの阪神大震災コピペを思い出した。
ほら、あの、死者が増えるたびに大笑いをしたという不謹慎なあれ。
あ、これも音読した。マクベスの1.5倍くらいの長さだから疲れたさすがに。


「十二夜」(シェイクスピア/小田島雄志訳/白水uブックス)

→松岡和子訳で読んだことあり。映画、オペラ、ミュージカルで見た。どれも良かった。
「リチャード三世」とおなじ日に読んだけど、とても同一人物が書いたとは……。
ここに登場するシザーリオがシェイクスピア作品のなかでいちばん好きなんです。
男装しているから恋する男性に告白できない美少女のシザーリオ。
逆に同性からは告白される美少年のシザーリオ。
何かを演じているときにこそ(男装!)人間は魅力的になるものなのかもしれません。
とするとシザーリオは演劇の本質を証明しているのでは? 
あるいは役者の本質を。あるいは人間の(本質を)。
03/12/08 09:41

「マクベス」(シェイクスピア/木下順二訳/岩波文庫)

→福田恒存訳で三回、松岡和子訳で一回読んだことあり。舞台では二度、映画で一回。
「人生は3Gである」というのがわたしの考え。
つまり人生はゲームであり(リセットボタンまで存在する!)、
人生はギャンブルであり(何かに賭けたいのです!)、人生はギャグである(にゃは!)。
これはマクベスが最後にいう有名なセリフ(5の5)とおんなじでは?
ぜんぶ音読する。木下順二さんの訳は声に出したくなる。
03/12/04 07:53

「アルト=ハイデルベルク」(マイヤ=フェルスター/丸山匠訳/岩波文庫)

→戯曲。岩波文庫はきらいなんです。だってエラそうだし、いかにもな古典しか
文庫にしないし、翻訳がおかしいのが多いし、(注)がやたらあって読みにくいから。
しかーし、なのだ。この作品は例外。わんわん泣いてしまったじゃないか。
ぽたぽた落ちる涙で本が汚れてしまったじゃないか。どうしてくれる岩波文庫!?
恥ずかしいな。これ読んで泣くなんて。ジイさんバアさんに人気のあるドイツの古典作品。
日本でだけ有名。ドイツでは無名らしい。
それまで窮屈な生活を送っていた王子様が留学を機につたの間の青春を謳歌、すぐさま訪れる別離、そして年月を経ての再会――。
シェイクスピア「ヘンリー四世」とそっくり。
これを舞台で見ていたらぜったいに泣かない。くさいなぁと鼻でせせら笑う。
こんなんで泣くようなアホじゃぁないよと。
でも家でひとり読んでいると、ほんとね、泣けちゃうんです。
ありがとう。410円でこんなのが読めて。きらいじゃなくなった岩波文庫。
03/11/30 09:48

「夕暮れて」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマのシナリオ本。20年前にNHKで放送されたらしい。
イプセンの「ヘッダ・ガーブラー」とおなじ系統。刺激をほしがる主婦のおはなし。
結局、不倫もしないで元のさやにしっかり収まるのはテレビだからか。NHKだからか。
山田太一ドラマの特徴のひとつはそのセリフ。何気ない言葉でドラマを進めていく。
本音を言わない。欲望をださない。生活人としての仮面をつけた登場人物たち。
03/11/30 09:48

「ブラック・コメディー」(ピーター・シェーファー/倉橋健訳/劇書房)品切れ

→戯曲。これでピーター・シェーファーの代表作はほぼ読んだことになる。
ファルス(笑劇)。洗練されたどたばた喜劇。ビンボー絵描きの男が主人公。
大事な日、婚約者の父親と会う日、大金持ちが自分の絵を見に来る日、それは起こった!
突然の停電でみんなパニック! 舞台の闇を観客には明として見せる。
取り違えは喜劇のお約束。そのおかしいことといったらない。


「地霊・パンドラの箱 ルル二部作」(F.ヴェデキント/岩淵達治訳/岩波文庫)

→戯曲。むしろオペラになったものが有名らしい。先ごろ、日本でも上演されたとのこと。
ドイツの劇作家。ブレヒトが心酔していたとか。ブレヒト嫌いなわたしはこの作品もだめ。
誰とでも寝る絶世の美女のおはなし。いかにもな男の妄想じゃんと突っ込んではいけない。
なぜなら天下の岩波文庫収録作品。よってこれは芸術だからである(薄笑い
次々に男を変えることで経済的にも恵まれのもいっとき、最終的には娼婦にまで身を落とし客の狂人に殺される。


「カッコーの巣の上を」(デール・ワッサーマン/小田島雄志・若子訳/劇書房)*再読

→戯曲。再読しても感動したから名作に認定。もう一回、読みたいです。
03/11/30 09:48

「本郷」(木下順二/講談社文芸文庫)

→エッセイのような小説のような本郷愛着の記。
しみじみと語る。本郷に育てられた自分を。
著者はネットで話題になったのを見たことがないけれども戦後日本を代表する劇作家。
翻訳文ではない日本人が書いた日本語を久しぶりに読んだ気がします。
03/11/25 06:19

「エロ本」(ノート=ウドム・テーパニット/白石昇訳/白石昇事務所)

→気鋭のタイ文学者であり、また2ちゃんねらーでもある白石昇氏の翻訳作品。
著者はタイの売れっ子芸人。映画も作るわ、本を書いたらバカ売れするわで、
まさに(そんな言葉があれば)タイドリームの体現者といってもよいおかた。
かといって日本によくあるタレント本かと思ったらこれがちょっと違うんだな。
終始一貫して疑問形なのである。
日本のゲーノージンのようにおれイズムを訴えたりはしない。
ちょっとわてはこう思うんだけど、はてどないでっしゃろと読者にツッコミを入れちゃう。
それがなんとも居心地が良い。新鮮である。あー、これがタイの感覚なんだなと思う。

タイといえば訳者の白石氏による詳細な(注)はこれだけでも一冊の本にできるレベル。
タイでいま流行っている俳優、歌手からタイ料理、お菓子、ビタミン剤まで写真つきで紹介。
タイの現在(いま)がこれ一冊でわかると言い切ってもいいくらい。

で、結局、この本は何なんだろう。どう定義したらいいのか。
タイのガイド? タレント本? エッセイ? 人生指南書? トンデモ本?
答えは、そのすべてであり、そのどれでもないのである。
確かなのはノート=ウドム・テーパニットという人間が紙面の裏で生きているということ。
有名人ゆえの苦悩をぼやいたり、
シャワーのすばらしさを考えたり、
お菓子をぽりぽり食べたり、
時にはまじめに幸福について考えちゃったりもするひとりのタイ人がいるのである。
感動するのも笑うのもすべては彼がいるからなのだ。タイという国に。
勝手に断定して申し訳ないが、著者はタイの寺山修司である。
なんとか読者を笑わせよう、怒らせよう、考えさせよう、とにかくサービス精神が旺盛!
私たち読者ができることは彼の手の上にのり踊ることである。

ふと思った。
手の上ではなく私はタイという精神的に豊かな国の上で踊っていたのではないか。
まあ、そんなことはどうでもいい。楽しく、笑いながら踊れたのだから。
このような傑作が日本で評価されていないのがふしぎで仕方がない。
最後に本書を日本に紹介してくださった白石昇氏に敬意を表したいです。
03/11/25 06:17

「嘘つき男・舞台は夢」(コルネイユ/岩瀬考・井村順一訳/岩波文庫)

→戯曲。フランス古典喜劇。ラシーヌとほぼ同時代のひと。
喜劇といっても、もちろん笑えやしない、古臭くて。
「舞台は夢」は考えさせられる。演劇ってなんだろう?
実際に起こったこと。あるいは起こらなかったこと。
それを舞台で繰り返すこと。それを演じること。見ること見られること。
ギリシア悲劇からシェイクスピア、時代を隔てて山田太一に野島伸司まで。
ひとは見たがる。何を? 何が楽しくて? 何のために?


「抜目のない未亡人」(ゴルドーニ/平川祐弘訳/岩波文庫)

→戯曲。スペイン、フランスときて今度はイタリアの劇作家でござーい♪
もてもて未亡人のおはなし。彼女にプロポーズするのは四人。
イギリス人、フランス人、スペイン人、同国のイタリア人。
いやはや、それぞれが各自(国)の流儀で口説こうとするわけです。
おフランスではこうなっているざーますよ、なんてさ。あはは。
シェイクスピア喜劇みたい。なぜってその未亡人は変装して男をテストするわけで。
さーて、どの男を選んだかは読んでのお楽しみ。え、楽しいかって? ……(無言)。


「ヘッダ・ガーブラー」(イプセン/福田恒存訳/中央公論社)絶版

→戯曲。岩波文庫で一度読んだことがある。著者はご存知近代劇の父! お国はノルウェイ。
退屈な人妻のおはなし。ネエなぁにぃか、おもしろいこと、ないかなぁ? 
みのもんたに相談することはないけれども、昼ドラも退屈。
そんな主婦が150年前くらいのノルウェイにいてもふしぎはない。子どもはなし。
自分の将来なんて先の先まで見えてしまう。夫は凡庸、平板な日常。
ヘッダは人生を生きたいのである! 福田恒存による詳細な解説がついている。
氏いわく「ヘッダはマクベス夫人ではない。女ハムレットである」。
03/11/25 06:17

「三大悲劇集 血の婚礼 他二篇」(ガルーシア・ロルカ/牛島信明訳/岩波文庫)

→戯曲。著者はスペインの劇作家。ギリシア悲劇に影響を受けたらしい。
「血の婚礼」(夫も息子も宿敵に殺された母親。最後一人の息子まで殺される受苦を描く)
「イェルマ」(どうしても妊娠できない人妻。なんでどうしてと夫の首をしめて殺害)
「ベルナンダ・アルベの家」(ブス五姉妹。姉の婚約者を妹が奪う。のち首吊り自殺)
ロルカは女の情念による悲劇を書いた。スペイン人は熱いね。三つ目のみ傑作。
03/11/20 07:10

「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)*再読

→人生を変えうる一冊なんて書いちゃって、再読してみたけれども、えーと。
そこまでではないような気もするのですが、これはいったいどういうことか。
再読して改めて魅力を再発見するタイプの本があればそうでないものもある。
ただたんにストーリーが目新しかっただけということなのかな、うーん。
ストーリーがわかっていても楽しめるというのは戯曲にとって重要なわけです。
「ハムレット」なんてみんな知っているのに観にいくわけだから。
戯曲というものは再読してみてはじめて持っているちからがわかるものなのかもしれない。
03/11/19 02:15

「小説新人賞は、こうお獲り遊ばせ 下読み嬢の告白」(奈河静香/飛鳥新社)

→ブックオフ100円本。2時間で読めて5回笑えた。それがすべて。
03/11/19 02:15

「東京の秋」(山田太一/ラインブックス)絶版

→シナリオ本。むかしはこんな文芸ちっくなものがテレビでやっていたのかと隔世の感。
03/11/19 02:15

「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」(トム・ストッパード/松岡和子訳/劇書房)品切れ

→戯曲。「ハムレット」に登場する脇役二人を主役にしてみたらどうなるか?
答え。つまらないからやめたほうがよかった。


「レティスとラベッジ」(ピーター・シェーファー/黒田絵美子訳/論創社)絶版

→戯曲。日本版は黒柳徹子が主演! おもしろいおばさんのおはなし。
日常よりも演劇が、ほんとよりもうそが好きなおばさん。現代に英雄はいない。
ならどうすればいいか。英雄ごっこをしよう! 終わりなき日常に果敢に挑んだ黒柳徹子は!?


「エクウス」(ピーター・シェーファー/倉橋健訳/テアトロ)絶版

→戯曲。どうしても読みたくてネット古書店で買ってしまった作品。
それほどでもないような。活字で読むより舞台で見たほうがいいというのか。
なぜって男女の役者が舞台上で全裸になるから。……じゃなくて見せ場の関係上(w
脱ぐというのは本当で、そのため韓国演劇では前衛演劇のさきがけになったらしい。
内容は、馬に異常な関心を持つこころの病んだ少年と精神科医の葛藤。
秘密を小出しにする技法があざといというのか、巧いというのか迷うところ。


「ロボット」(チャペック/千野栄一訳/岩波文庫)

→戯曲。SFの有名な古典らしい。人間そっくりのロボットを作り販売した会社。
みなさまの予想通りロボットたちが人間さまに反抗するわけで、さてどうなるか。
小学校のころの担任が「ロボットになるな!」と熱く語っていたのを思い出した。
著者によるとロボットの定義は自殺しようとしない、恋愛しない、感動しないの三つだそう。
03/11/09 19:45

「マーヴィンの部屋」(スコット・マクファーソン/松本永実子訳/而立書房)

→戯曲。しんみりと、じんわりと、来ます。ことばにできない感動が。
読み終わってスーパーに買い物に行きましたが、そこで来たのです。
その場で泣き出したくなるような、さみしさといとおしさがないまぜになったような。
そんな感動にすっかりやられてしまったわたしは涙を隠すのに骨をおりました。肉売場の前で。
寝たきりの父と障害者のおばの介護にあけくれるオールドミスの女性が主人公。
不運は重なるもの。白血病を宣告され、骨髄移植のために何年も会っていない妹と連絡を取る――。
読み終わってからずっと考えつづけた。なんなんだろうこのふしぎな感動は。
わかったのは、肝心なことを著者は語らせていないということ。
登場人物の誰もが言いたいことを言えないでいる。そのため逆説的に「間」が語っているのです。
何を? どうしたってことばにできないものを。それはおそらく愛なんだろうなチェッ。
登場人物が自分の思いをぶちまけることで葛藤を生みだすのが従来の演劇だとすれば、
本作は登場人物たちが思っていることを言えないがためにできてしまう「間」を見せようとする。
この「マーヴィンの部屋」は著者の第三作にして最終作品。33歳、エイズで死亡――。
03/11/09 10:07

「検察官」(ゴーゴリ/舟木裕訳/群像社)

→ご存知、名作戯曲の新訳! 国語便覧には必ず載っています。
名物にうまいもんなし、とは旅行好きの決り文句でありますが、はたして名作は?
へえ、これが名物なんだ、あの有名な、ふーん。一度食べたからもういいや。
名物を名作へ、食べるを読むへ変えれば、この「検察官」の感想になります。


「結婚」(ゴーゴリ/堀江新二訳/群像社)

→なにこれ、おもしろいじゃん。ぜったいつまらないと思っていたのに。
「検察官」の横に夫婦みたいに仲良く並んでいたから引き離すのがかわいそう。
それが買った理由。なのに、こりゃあ笑いがとまらない。
何より訳がいいのである。登場人物がみーんなかわいらしい。チューしたいぐらい。
お見合いのおはなし。といっても女はひとりで男は五人。さあ、誰を選ぶのか。
あはは。「検察官」の次に読んだからこんなにおもしろく感じたのかもしれません。
また食べ物のはなしで恐縮ですが、まあ、「検察官」と食べ合わせが良かったということか。
03/11/09 10:07

「わが町」(ソーントン・ワイルダー/額田やえ子訳/劇書房)

→戯曲。叫びたくなる。
ちょっと待ってよ、そりゃないって! もういいかげんにして!
戯曲を読むのは終わりにして早く「次」に行きたいというのに。
だって戯曲は半端じゃなく高いから……。なのに、なのに、なんでこんなにおもしろいの?
ええ、泣きました。セリフの一言ひとことがなんて重いんだろう。
これを読んだら胸がいっぱいになって、その日は他の本を読む気にならなかった。
アメリカの古典劇。調べてみたらとっても有名らしいけどみなさん知っていました?
わたしは知らなかった。世界各地でプロアマ問わずに上演されているらしい。
カントリーの平凡な生活を、なんでここまで感動的に描けるのだろう。
ひとの人生を変えうるチカラを持った書物に久々に出会いました。1800円、高くない!


「ピアノ・レッスン」(オーガスト・ウィルソン/桑原文子訳/而立書房)

→戯曲。黒人もの。中上健次の「路地」じゃないけど、なんかキュークツ息苦しい。
先祖伝来の想い出がしまいこまれたふるいピアノがあります。
弟は売ろうといいます。姉は反対しますが、かといってピアノ(黒人の歴史)に触れることはありません。
最後に姉が今までさわることのなかったピアノをひきます。
自分の娘にピアノを教えるのです。だからピアノ・レッスン。だからなに? So what?
わたしがネタバレをするのはよほど入手困難な本か、よほどつまらないかのどちらかです。
03/11/04 21:02

「ナイチンゲールではなく」(テネシー・ウィリアムズ/村田元史訳/「テアトロ」11月号)

→戯曲。テネシー・ウィリアムズが27歳のときに書いた習作。当時、上演されることはなかったらしい。
刑務所でのおはなし。搾取にリンチとやりたい放題の所長。それに対するは刑務所のドン。
さて、所長のスパイかと思われていたジムが所長秘書との愛に目覚め、刑務所のドンと結託して――。
アメリカにありがちな三流映画のような……といったら失礼かな。読みとおせるぐらいの
おもしろさはあるけど、そこどまり。この著者がのちに「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」を
書くとはとても信じられない。その飛躍には何があったのか。それを知りたい。


「週刊朝日百科 世界の文学42 テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーほか」

→アメリカの演劇史が盛りだくさんの写真とともにコンパクトに紹介されている。
読もうか迷っていた劇作家の情報があって、思っていたより役に立った。
喜志哲雄さんによると「ニール・サイモンの戯曲にはT.ウィリアムズやA.ミラー
ほどの文学性はない」。「エドワード・オールビーはアメリカ版の不条理劇」。
どちらも全集を買おうか迷っていたけど、とりあえずはやめることにする。


「カッコーの巣の上を」(デール・ワッサーマン/小田島雄志・若子訳/劇書房)

→戯曲。いいよ、これ。とってもいい。読んでいて不覚にも落涙。
そうとうスレているはずなんだけどなわたし。えーと、おはなしの舞台は精神病院。
ドラマというものは何者かが現れ日常の均衡が壊れることからスタートするものですが、
ここに登場するのがなんとも愉快なマクマーフィさん。「人生はお祭り」を地で生きるナイスガイ。
管理としめつけが大好きなオールドミスの婦長さんはとうぜん彼が気に入らない。
さてさて、どんな葛藤が繰り広げられるかはぜひご一読を。1700円と高いけど決して後悔させません。
続けてこれが原作の映画「カッコーの巣の上で」を見たけど、こちらにはがっくし。
映像、苦手です。イメージを押しつけられる感じが窮屈で。せっかくの脳内上演をぶち壊された思い。
ひとからイメージを与えられるより、自分でイメージを作るほうが楽しい……。
03/11/03 10:11

「ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン」(ピーター・シェファー/伊丹十三訳/劇書房)

→戯曲。インカ帝国を滅ぼすために探検に出かけた男たちの物語。なんかいまいち。


「レイ・クーニー笑劇集」(小田島雄志・恒志訳/劇書房)

→戯曲。収録作品は「ラン・フォー・ユア・ライフ」と「パパ・アイ・ラブ・ユー」。
登場人物全員が必死になって動き回るファルス(笑劇)。すべては観客を笑わすために!
シェイクスピアの「間違いの喜劇」を100倍おもしろくした感じといえばいいのか。
こんな演劇も可能だったのかと新たな発見をした気分。シナリオ創作の勉強になる。
2500円と高いけどお薦め。失意落胆しているときに読むと肩がほぐれそう。再読候補。


「くたばれハムレット」(ポール・ラドニック/松岡和子訳/白水社)絶版

→戯曲。お芝居の舞台裏を演劇にしてしまうというのは古く「夏の夜の夢」から。
ハムレットを演じることになった役者の成長物語。
ほら幽霊がでてきて、それは主人公にしか見えなかったりして、幽霊に色々教えてもらって、
最後はお別れという――。ありがちとか言っちゃ悪いね。可もなく不可もなく。


「アマデウス」(ピーター・シェファー/江守徹訳/劇書房)*再読

→戯曲。モーツァルトのお話。初読のときはすんごい大傑作だと思ったけどなんだかな。
うまいんだけど、おもしろいんだけど、それだけで終わっているというのか、うーむ。
役者のひとりが甘いお菓子を舞台でぽりぽり食べるのでわたしもついついお菓子を口に(w
そういうことってありません? 本にでてくる食べ物がどうしても食べたくなってしまう。
03/11/03 10:11

「完全版!! 銭道」(青木雄二/小学館)

→なに読んでんだかアハハと照れ笑いしたくなるけど、まあ、ちょっと前に
亡くなったことだし、コンビニ廉価版で安かったし、あほな大衆に受けている
のを見てみるのも悪くないと思ったから。
エラソーでごめんなさい。
03/10/30 04:11

「どん底」(ゴーリキイ/神西清訳/角川文庫)絶版

→戯曲。いわゆる名作古典。ロシアの浮浪者さんたちのおはなし。
どの文学作品も「ある時代における・ある国の」事情というものがあってはじめて
書かれるものだろうけれども、その中で古典として後世に残るものにはやはり
時代・地域に還元されない「何か」がある。その何かとは劇的ということである。


「イワーノフ」(チェーホフ/米川正夫訳/角川文庫)絶版

→チェーホフ最初の長編戯曲。文庫で旧仮名遣いは読みにくいったらありゃしない。
これも当時のロシアの事情が色濃く反映した戯曲らしい。
まあ、私たち(研究者ではない)フツーの読者はどの古典作品も今を基準にして
読むわけですが。最後に主人公が自殺して、へえ、強制終了かとあいまいに苦笑した。
かといって村上龍の「私は主人公を最後に殺したりはしない」という方針を支持しているわけではない。


「チェーホフの手帖」(チェーホフ/神西清訳/新潮文庫)絶版

→チェーホフは手帳に日々の思いを記入して、それを創作に活用していたらしい。
チェーホフ本人や研究者には重要だったかもしれませんけど日本の一読者が見てもさっぱり。


「チェーホフ短編集」(チェーホフ/原卓也訳/福武文庫)絶版

→宮本輝お薦めの短編「恋について」が入っていたので多少値は張ったけど古本屋で購入。
最近、知ったけど三浦哲郎もチェーホフを愛読しているらしい。
感想は、ブンガクしてるなぁ。ありのままの人間と、あるべき人間とのあいだにあるブンガクねえ。
大まじめに恋愛について生きる意味について書いていますよ、照れちゃうな……。


「かもめ」(チェーホフ/小田島雄志訳/白水uブックス)*再読

→戯曲。もう何回読んだんだろう。今年に入って三回目か。読めば読むほど味が出る。
チェーホフの最高傑作。これがあるからチェーホフの他の作品も読もうという気になる。
この感動を誰かに伝えたい。なんてすばらしい戯曲なんだろう。
どの人物のどのセリフにも作者の目が行き届いている。劇的になるように! 
どの恋愛も成就することがない。それゆえのさみしさ。美しさ。青春ということ。
今までは気がつかなかったある脇役(マーシャ)に今回はやたら目がいった。
03/10/26 11:44

「言語表現法講義」(加藤典洋/岩波書店)

→著者が大学で教えていた講義を書籍化したもの。
テーマは「どうすればいい文章を書けるか」。刺激的な良書です。
言葉というものに意識的に向き合う良い機会になった。
本書は著者が学生に課題をだし、提出された課題を添削するという形式で進められる。
けどね、なんだかなと思ったりもする。うまいと著者がほめる学生の文章なんて読むと。
いかにもな小論文の優秀作、模範解答例みたいで、チェッと舌打ちしたくなるのである。
たとえば「私について」書きなさいという課題。
「戦争について」でも「現代の若者について」でもそう。
なんで一言「うるせーバカ!」じゃいけないんだろう。
本書のような文章教室からは文学は生まれない。
「うるせーバカ!」から始まるのが文学なのではありませんか。
かつて中上健次はいった。

「いまの文学者にこれだけは書かなければならないというものをもったやつが
どれだけいるか。べつに書かなくても生きていけるやつらが文学者づらをして
賞に一喜一憂しているだけだ」。

おんなじ。課題をだしてまで学生に文章を書かせる必要がどこにありますか。
書きたいことがないひとは、書かなくてもいいじゃない。いわんや「いい文章」をやである。
添削というのもどうかなぁ。さっきの中上さんは若い頃にこうもいっている。
自分の小説を一字一句でも添削しようとするやつは殴りつけてやると。さすが。
さてさて、本書の最後で著者は言い訳のようにいっている。
今まで自分が書いてきたいい文章の書き方なんて忘れてください。
みなさんの書きたいという気持がいちばんです、と。
もちろん加藤典洋もわかっていたのである。
書く「技術」よりもはるかに書く「欲望」が大切なんだって。
安心してください。三日も経てばわたしは本書の内容を忘れるでしょうから。
03/10/24 13:35

『親ができる「ほんの少しばかり」のこと』(山田太一/新潮文庫)

→太一パパの子育てエッセイ。なに読んでんだか、あはは。
こんなものを書くだけのことはあって太一娘は民放テレビ局のエリート社員。
遠藤周作の息子もテレビ局のプロデューサー。
成功者は子どもまで違いますね、いひひ(下卑た笑い)。
03/10/23 07:03

「見えない暗闇」(山田太一/朝日文芸文庫)

→非常に図式的な小説。読後、思わず絵解きをして悦に入ってしまいそう。
日常と非日常、正常と異常、平静と狂気、貴重品とゴミ、公務員と暴力。
つまりは「きれいは穢(きた)ない、穢ないはきれい」(マクベス)。
そういう二項対立を明確に打ち出した作品。
山田太一さんの意欲作。なんでこれがなんの文学賞も取っていないのかふしぎ。


「見なれた町に風が吹く」(山田太一/中公文庫)

→平凡で退屈な日常を送るオールドミスがふとしたことから映画製作に加わることになり・・・
現実はとことん厳しいけど、ほんと厳しいんだけど、でもまあがんばろうよ!
という、いかにも山田太一らしい作風の小説です。
決してワンパターンとは言わないわたしは心底からの山田太一ファン。


「彌太郎さんの話」(山田太一/新潮社)*再読

→去年の三月に発売されてすぐ読んだはずなんだけどさっぱり覚えていなかった。
文句なしの傑作。上質のエンターテイメント。文庫化されたらまあ読んでみぃ(注:もう新潮文庫に入っています)。
03/10/23 07:01

「路上のボールペン」(山田太一/新潮文庫)*再読
「いつもの雑踏いつもの場所で」(山田太一/新潮文庫)*再読

→どちらもエッセイ集。何回読み返したのだろう。ほとんど内容を覚えていた。


「君を見上げて」(山田太一/新潮文庫)

→のっぽ女とちび男の純情恋愛物語。「障害」がないと恋愛諸説は盛り上がらない。
たとえば戦争あるいは身分差もしくはトラウマ。そして本作は身長差にそれを求めた。


「冬の蜃気楼」(山田太一/新潮文庫)*再読

→呪われたように演技が下手な役者と新米助監督の奇妙な友情物語。


「恋の姿勢で」(山田太一/新潮文庫)

→ありきたりな恋愛への挑戦状。会うたびに設定をかえて演技する男女の物語。
今日は僕がやさぐれた探偵、君は弱みを握られた人妻という設定でデートしよう。
こんな感じに、毎回ちがうデートを楽しむ男女。
寺山修司よりも非日常というものを見通しているのは、日常をこれでもかと凝視しているがゆえか。
03/10/15 06:35


「飛ぶ夢をしばらくみない」(山田太一/新潮文庫)
→老婆と思っていたら、あらら。どんどん若返っていくではないか。
好色な主人公はたとえ少女が12、3歳と思われようがすることはする。変態め。


「異人たちとの夏」(山田太一/新潮文庫)

→映画を見たことある。トラウマになっている。この原作本でも涙ぽろぽろ。第一回山本周五郎賞。


「丘の上の向日葵」(山田太一/新潮文庫)*再読