「贖罪」(酒井法子/朝日新聞出版)

→酒井法子は71年生まれでこちらは76年で、学年にしたら6学年あちらが上で、
はじめて認識したのはドラマ「ひとつ屋根の下」だから、
アイドルののりピーというよりも、おねえさんの女優という感覚しかなかった。
女優の酒井法子は好きでも嫌いでもなく、強烈な印象に残ったのは薬物事件で、
最近気づいたのだが悪い女の子フェチなところがあり、
酒井法子の清純や善意、優美性と同時にある本物の悪意、怨念、享楽性にしびれた。
だから、「贖罪」とか言われても、そういう酒井法子は見たくないわけで。
「贖罪」なんかしなくてもいいとね。

7歳のときにお母さんから「あなたは本当はうちの子じゃないの」
と正座して言われるなんてヘビーな人生だよなあとしか。
本当のお父さんは犬のセントバーナードをプレゼントしてくれたおじさんで、
その飼い犬の名前は「デカ」というところで狂ったように笑った。
たしかにヤクザにとって刑事の隠語は犬だが、
まじめに「デカ」とかつける親父さんのセンスのよさがドツボにはまる。
いっぽうで中学生時代、中洲のクラブに勤める3番目のお母さんの
つくってくれる卵焼き、唐揚げ、カレーライスが好きだったとか、
しみじみわかるよなあ、と熱いものが込み上げてくる。
元ヤクザの組長だった酒井法子の父親の交通事故死が自殺だったと思う根拠はここ。
酒井法子18歳、父親の酒井三根城49歳。

「事故に遭う前日、父親はわたしの部屋に泊まりに来ていた。
ご飯はもう食べ終わっていて、「トマトない?」ときいてきた。
わたしは「こんなんでいいの?」と言って、トマトを切って食べさせた。
トマトのスライスが大好きで、よく塩をつけて食べていた。
会話の中身も覚えていない。
父親がリビングのテーブルに向かい、わたしがキッチンに立っていた。
過去にもそんな場面が何度かあった」(P124)


酒井法子の話をこのように聞き取ったゴーストライターはうまいし、
それだけのりピーの語りもしんみり真実味があったのだろう。
前日に娘の部屋に来て翌日にノーブレーキで中央分離帯に突っ込むなんて、
自殺としか思えない。酒井法子のお父さんも辛い人生を送ったんだろうなあ。
哀しくなってくる。トマトのスライスというのが、なんか物悲しくて泣かせる。
酒井法子は父親の葬儀で、霊前にご飯と味噌汁、トマトのスライスをお供えしたという。
辛かったんだろうなあ。

「酒井法子 隠された素顔」(梨元勝/イースト・プレス)

→酒井法子への悪意にまみれた、うまく構成された本である。
基本的にすべての情報にソースはある。
といっても、ソースは各種週刊誌からの引用で、
直接取材体験は父親の交通事故死くらいしかないのだが、
しかしいまとなっては当時の週刊誌を調べるのは億劫なのでこういうまとめ本は助かる。
酒井法子はおもしろい、あるいは重たいなにかを持っている「黒いうさぎ」である。
ドラッグ方面ではコカインを隠さず決めていたので「白いうさぎ」と言われていたようだが。

酒井法子の父親は酒井三根城という山口組系伊豆組「酒井組」の組長。
福岡では武闘派として知られていたらしい。
組長の3番目の奥さんは酒井智子さんで、中洲でホステスをしていた。
元は銀座のホステスで、そのとき昵懇の関係にあったのが富永工業の富永保雄会長。
富永工業は建設会社。
のりピーの夫が警官に職質されて揉めたときに、
酒井法子が呼んだ「社長」というのが、この富永保雄会長らしい。
のりピーのデビューまえから富永保雄会長は酒井法子を応援していたらしい。
のりピーの俗に言うところの「ケツ持ち」が富永保雄会長。
で、この富永保雄会長の兄が富永義政元弁護士で経歴が恐ろしい。
ちなみに酒井法子の逃走ルートを提供したのが、この富永義政元弁護士とのこと。
ここから先は怖いので引用に頼る。

「義政氏は法曹界では知る人ぞ知る大物弁護士でしたが、
1997年に負債総額5648億円の超大型倒産で話題となった麻布建物の
資産隠しに関連して、公正証書不実記載・同行使で逮捕。
有罪判決を受け、弁護士資格を剥奪されています。
90年代初頭、戦後最大の経済事件として知られるイトマン事件の首謀者として
許永中とともに特別背任罪で起訴された伊藤寿永光も
かつて義政氏を頼ったひとりです。
伊藤が2003年にK-1の石井和義館長に脱税を指南したとして立件されたとき、
伊藤は義政氏が実質的に所有するみやび法律事務所内に
かくまわれていたともいわれています。
さらに義政氏は、いまから三十数年前にも歌手の小林旭の親族をかくまっていました。
当時、小林は14億円という巨額の負債を抱えて破産し、
債権者やマスコミに追われていましたが、義政氏は小林の妻子を、
例の酒井逃走ルートに出てくる箱根の別荘に滞在させていたそうです」(P66-67)


著者の文章力が低いため非常にわかりにくいが書き写してわかったのは、
要するに富永義政元弁護士は義理人情に厚い裏社会がかった多少アウトローな人。
山っ気の強い人物だということもわかる。
ちなみに現在のりピー親子が事件後ずっと住んでいるのは富永工業の所有物件で、
なぜか(保雄氏が亡くなったからか)
賃貸契約が成立しているのに去年裁判を起こされている。
酒井法子の自叙伝「贖罪」を朝日新聞出版社から出せるよう手配したのも、
この富永兄弟だとされている。なんとなくわかるのは、
裏では利権と敵対の網のような目が張り巡らされているのではないか?
音羽の講談社系と朝日系は仲が悪いような気がする。
表社会があるなら絶対に裏社会もあり、
その裏から這い上がって来た天女がわれらがのりピー、酒井法子なのではないか?
裏社会には当然、浄土真宗も日蓮宗も創価学会も幸福の科学も入っている。
のりピーのお父さんの酒井三根城組長は寺の出身だが、どこの宗派なのだろう?
葬儀は山梨県身延町の寺でやったと書いてあるから日蓮宗ではないか?

芸能界はプロレスなんか目じゃない高額の金、つまり欲望が動くから怖い。
著者によると、CMは芸能人にとっていちばん「楽に稼げる」場らしい。
ドラマや映画は時間を取られ、効率だけで考えたらあまり割がよくない。
イベントやトークショーも「楽に稼げる」割のいい仕事らしい。
出頭まえに酒井法子が携帯電話のICチップを壊したのは正しい。
売人がわかると芋づる式に買い手が判明して仲間を売ることになってしまう。
クスリの売人のなかには顧客の情報をばらさないために、
お客の携帯番号をぜんぶ暗記するつわものもいるという。
本書にはバキバキのキメキメだったのりピーの目撃談がよく引用されているが、
それを読むと(それが本当なら)酒井法子に惚れてしまいたくなるくらいかわいい。
真否はわからぬが、クラブでよくパンツ丸出しで踊っていたみたいだが、
日本のVIPクラスになるとそういう眼福を得られるのかもしれない。
著者が2週間で書き飛ばしたという本書は非常にネットで評判が悪く、
のりピーをメシの種にしておいて、非難が偉そうすぎるぞとの声が多かったが、
おそらくそういうネガティブな感情が伝わったのだろう。
梨元勝は本書を出して儲けた翌年、あっさり肺がんで死んでいる。
聖女のりピーばんざいであります。こちらのりピーの味方。

わからないのは、のりピーが失踪したくらいで、
どうして警察は酒井法子の1億5千万のマンションを家宅捜索できたのだろう?
家宅捜索されなかったら尿検査も出なかったし無罪放免だったのではないか?
これはもう夫の高相祐一がゲロった(口を割った)としか思えない。
高相祐一はやろうと思えばひとりで罪をかぶることもできたのではないか?

「碧いうさぎの涙 酒井法子のタブー」(憲旺利之/晋遊舎)

→本当のことっていったいなんなのだろう?
この本なんかおそらく酒井法子、
のりピーの薬物事件から1ヶ月もしないでつくられたはずで、
ほかの本と書いてあることがかなり異なるし、証言がいいかげんなのである。
なんでさ、20年まえの事件(父親事故死)の捜査関係者の証言がすぐ取れるの?
要するに週刊誌もそうだけど、相手が犯罪者だと名誉棄損で訴えられないから、
正しい本当の事実なんかどうでもよく、
ひたすらおもしろいことが創作されるのかもしれない。

本書は酒井法子は小学校時代いじめられており、
中学時代は地元でそれなりに名の知れたヤンキー。
喫煙や生活指導の常連だったという中学校時代の友達の証言がある。
わたしが思うに、それをやっちゃったら解放されて鬱屈したものがなくなり、
人の気持を動かすようなアイドルにはなれない。
溜めて溜めて溜めた状態が表現者としてはいいのである。

のりピー本当は根暗説というものがあり、それはそうで、
あんな複雑な家庭環境に置かれて、どうして明るくなれるんだよって話。
それからのりピー語は本人の発明か、周囲の入れ知恵かという問題がある。
ほかの本では本人の創作説を取っていたが、
本書だけ事務所の押しつけた設定という立場を取っている。
この本にはのりピー語一覧がついているので言葉フェチのわたしとしては嬉しいが、
いい大人がさ、こんな一覧をつくって空しくならないか? 
いや、それが食うってことだろうが。

のりピーの父親の交通事故死はを、本書は自殺と断定している。
オヤジさんがカタギになったのは、福岡でご法度だった覚醒剤の売買をやって、
それがばれたため組を破門になり、山梨に来てひとり死んだという説を取っている。
多額の借金もあったと。
これは当時の捜査関係者の証言らしいが、いったいどこから取ってきたんだ?
おい、著者のベテラン芸能記者の憲旺利之さんよ、
どうか教えてください。お願いします。

野島伸司が麻雀好きで、酒井法子がかいがいしくお客のお世話をして
「若奥さん」などと呼ばれていたというのは、嘘でも微笑ましいからいい。
サーファーと結婚後もママドルとして年収が2億もあったなんて本当か?
サーファーの親のコネもあり、息子は青山学院初等科に入ることがほぼ内定していたが、
夫が前夜のクラブ遊びのせいで遅刻しておじゃんになったというのもおもしろいからいい。
有名芸能人の子どもが区立小学校ってかなり恥ずかしいよね。

じつは夫のサーファー高相祐一さんが嫌いになれなくてさ。
あの人、覚醒剤で捕まったとき、イメクラ「S学園」に行こうとしていたんでしょ。
女子高生の制服を着てプレイしてくれるっていう。
店内ではなく連れ出しで2時間2万円弱ってかなり良心的なのではないか。
パンツの中に覚醒剤を入れて、さあ、やるぞって意気込んでいたら、
前夜から張り込んでねらっていた警官に職質されて、酒井法子を呼ぶとかクレイジー。
人間としておもしろいって言ったら、常識筋からお叱りが飛んでくるのか。

人の気持はわからないが、酒井法子はヤクザのお父さんが強烈すぎたのだろう。
いつも自由にプラプラしてたっていうし、女に稼がせていたみたいだし、
そういう父親を自殺みたいなかたちで亡くしちゃうと、
似たような男(高相祐一氏)を
思う存分好きなようにさせてやりたいと思うものなのかもしれない。
高相祐一さん、毎日いろんなところに遊びにすっ飛んでいて、
酒井法子の告白本によるとそのミステリアスなところに惹かれたらしい。

わたしとしては酒井法子にまったく貞操感がなかったという説もおもしろい。
子どものころから女遊びをする父を見ていると、男ってそういうものなのかと。
生みの母も貞操感のかけらもなく若い男と駆け落ちしたわけで、
そういう血の子だと考えるとロマンが広がって、もっと酒井法子を好きになる。
差別的表現にならないように注意して書くと、血が濃い子っていうか。
みんなのお姉さん、みんなの妹みたいな感じで、下の世話もしょうがないわねって。
サーファーにシャブ中にされていた説も悪くないのだが、ありきたりでね。

酒井法子が現場から逃げたのが悪いとみんなきれいごとを言っているが、
あんただったら逃げないか? 
1週間くらい逃げれば尿から覚醒剤反応が出ないんだぞ。
逃げて当然で、逃げ方がうまい、そういう酒井法子の悪いところが大好き。

それからこれは本当の闇なのだが、
逃走経路に新興宗教の真如苑(しんにょえん)の施設があったという話は
どこから出たのだろう。
真如苑は創価学会とは正反対の個人的霊性を求める系統の宗教。
渡邉裕二の本によると、酒井法子は若いころ何度か真如苑に通ったことがあるという。
これはネットで読んだおもしろい陰謀説だが、当時、押尾学も覚醒剤事件を起こしている。
押尾の家というのが創価の権力者筋らしく、
そこでおなじヤク仲間ののりピーを上げちゃえばいいと警察を動かしたって。
結果的にのりピー報道一色で、
押尾学は人がひとり死んでいるのにほとんど報道されなかった。
関係者には「のりしお事件」と言われていたらしい。のりピーと押尾で「のりしお事件」。

結局、みんなのりピーに楽しませてもらったわけよね。
テレビの視聴率も飛び上がったっていうし、雑誌だって信じられないほど売れた。
のりピー特需が発生したとも言えなくもない。
そのくせさ、あんまり正義面をして叩くものではないような気もするが、
言っておくが、覚醒剤はダメ、ゼッタイ!

「酒井法子 孤独なうさぎ」(渡邉裕二/双葉社)

→このたび2009年の酒井法子薬物事件関連本を4冊すべて1日で読んだ。
最初に読んだのは、
芸能ジャーナリストとして酒井法子を24年担当していた著者のもの。
のりピーと個人的関係もあった人らしく比較的に好意的な内容である。

ヤクザの娘くらいしかのりピーの事前情報はなかったが、
こうして調べてみるとぞくぞくするほど魅力的なのである。
ヤクザとか犯罪とか自殺といったストーリーの厚みがめっぽうある。
宮本輝の描く世界というか、冗談ではなく読んでいて人間の不可思議な宿命、
どうにもならない宿業が酒井法子という華やかな存在に顕現していて、
胸の底から言い知れぬ嗚咽(おえつ)が込み上げてくる。

正確な名前や情報を出してもいいのだが、そうするとわかりにくくなるので、
それは別のもっと詳しい本の感想として書くとして、
簡単なわかりやすいアウトラインを紹介したい。
のりピーこと酒井法子の父親は九州福岡のヤクザの組長だった。
酒井法子の法の字は父が尊敬する組長の名前から取られている。
父親はのりピーが生まれたとき刑務所の中にいた。

酒井法子の生みの母はのりピーが2歳のとき、娘を捨てて別の男と逃げてしまう。
ヤクザの父の実家はお寺だったのだが、そこに放置されたという。捨て子よ。
で、のりピーは埼玉県狭山市のおばさんの家に預けられる。
出所してきたヤクザの父親は格好いいのである。
そもそもイケメンでもてるし、ムショ上がりはハクがつく。
早速、二度目の結婚をして、7歳のときのりピーは福岡の実父のもとに引き取られる。

この二度目の結婚で弟と妹が生まれている。
のりピーは異母弟をかわいがったという。
この弟は長じて少年院への入退所を繰り返し、父とおなじようにヤクザになったという。
それでもテレビでのりピーを見ると、法子お姉ちゃんが出ていると喜んだという泣ける話。
泣けない話もあって、この弟はのりピーが逮捕される数週間まえ、
おなじ覚醒剤取締法違反で逮捕されている。
ヤクザの父親も福岡で覚醒剤の「しのぎ」をやっていたという噂もあり、
もしそれが本当ならば、禍々しい宿命の恐ろしさを感じないだろうか。

「ヤクザの基本はヒモから」と読んだことがあるけれど、
酒井法子の父親はカタギの仕事には就けない任侠の世界を生きる男だった。
博打も女遊びも好きだったことだろう。
わずか2年で2番目の妻とも離婚する。
のりピーはせっかく懐いた2番目の母の元を離れ、
また狭山のおばさんのところに行かされる。
3年後にヤクザの父親にまた新しい女ができたとかで、福岡に呼び戻される。
のりピーにとっては3番目の母だが、彼女はこの母にも懐いた。
この3番目の母とはとくに馬が合ったらしく芸能界に入ってからも仲良くしている。
薬物事件の逃亡劇につきあったのはこの3番目の母。

のりピーが偉いのはふつうこんな家庭環境だったらぐれるはずだが、
どの家でも「いい子」でいること。その反面の闇とか恐ろしすぎる。
中学時代ののりピーがヤンキーだったとか万引き常習犯だったという噂はガセだろう。
ソフトボール部で体罰教師にしごかれていた。
中学生になったら父親の職業の意味、暴力団、ヤクザという言葉の意味も知るだろう。
父親は組長だから舎弟とか若い衆、不良少年が家におおぜいたむろしているのだ。
そんな闇の中で過ごした酒井法子は光の世界、芸能界にあこがれを持つようになる。
松田聖子が好き。あんなふうにあたしも輝きたいの。
きっとこの泥の中から蓮華のように光り輝いてみせる。

オーディションに応募して紆余曲折あったがサンミュージックに所属する。
このとき14歳。寮の同室は飛び降り自殺をした岡田有希子。
なぜ芸名ではなく本名の酒井法子にしたかは諸説あるが、
福岡で酒井法子といえば、「ああ、酒井組のお嬢さんね」
と言われるくらい有名な存在だったらしい。ばれる危険がある。
しかし、光り輝く酒井法子を、かつて自分を捨てた生母や、
かつての部屋住みの若い衆に見てほしいと考えたのだったら浪花節でこれまた泣ける。

18歳の酒井法子が活躍中、福岡でヤクザをしていた父親が廃業。
母親の実家のある山梨に場を移し正業を営もうとする。
娘の出世を邪魔にしないためという説がいちばん人情噺になる。
しかし、長らくヤクザだった人がカタギの仕事はできなかったのか。
謎の交通事故死を遂げる。ブレーキをかけたあとがなかったという。
酒井法子の告白本で本当のことは見当がつくが、ここでは書かない。

22歳、大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」で女優としても大ブレイク。
このドラマをきっかけに人気脚本家の野島伸司と交際を開始する。
著者いわく、のりピーが喫煙を始めたのは野島と付き合いだしてからとのこと。
いままでのりピーを管理していたのは、
サンミュージックの溝口マネージャーだったのだが、ここから三角関係が始まる。
彼はいわば酒井法子の育ての親。
溝口マネージャーといえば、かつての岡田有希子のマネージャー。
岡田有希子が飛び降り自殺をする瞬間を見た人でもある。
タクシーで出社するとき、ビルから飛び降りるものを見た。
近づいてみたら自分の担当する岡田有希子だったという。自責の念はいかほどか。

のりピー27歳、野島伸司と破局。
傷を癒すかのように大物実業家の御曹司でサーファーの高相祐一と交際開始。
このことは溝口マネージャーもサンミュージックも把握していなかったという。
そして酒井はすぐに高相の子を宿し、デキ婚を発表するわけである。
この約半年後に溝口マネージャーは、
岡田有希子が投身自殺するまえにこもっていたトイレで首つり自殺する。
これは元カレの野島伸司が「星の金貨3」に
のりピーの出演を打診してきたからだという説がある。よりを戻したいわけである。
サンミュージックの社員としては利益を考え受けなければならないが、
酒井法子個人のことを考えたらどうなのか。
溝口マネージャーが首つり自殺したのは回答期限前日だったという。

ここからはおなじみ(?)の高相祐一との転落ストーリーになるわけだ。
さて、以上お読みくださった方は、話のおどろおどろしさにぞっとするのではないか。
捨て子、たらい回し、ヤクザ、自殺、交通事故死、また自殺、そして覚醒剤。
リアルな仏教因縁話を見せつけられたような迫力がある。
ちなみに上記した内容は、
これから紹介する他の3冊の関連本から知り得たものも入っている。

本書で知って驚いたのは、芸能記者とタレントはかなり関係が深いのか
(むかしの言葉でいうとズブズブ)。
のりピーグッズを富士山で売るという提案は著者が仕掛けたものという。
毎月1500万の売り上げがあったというが、
それを売っていたのが著者の親戚の山小屋だった。
富士山なんかに店をつくったせいで落石で死亡したのりピーファンもいたという。
著者はのりピーいちばんのお気に入りの記者だったらしく、
のりピーからいろいろプレゼントしてもらったと書いている。
花粉症のときになぜか高いプロテインを約10万円相当もらったという。
カシミアのセーターをもらったことがある。
こういうことがあったら酒井法子を持ち上げる記事を頻繁に書かざるを得ないだろう。
それを大人の著者はそう取らず、
のりピーは「仕事を超えた「情」を見せてくれる。あれにはしびれた」と表現している。
おそらく著者にも酒井法子に対して仕事を超えた「情」があったのだろう。
そういうのは悪くないと思う。

ちなみにのりピーの左足首のタトゥーの模様は、
「蓮の花の画」と「サンスクリット語(古代インド語/梵語)」とのこと。
泥の中から咲いた孤独な蓮華の花、酒井法子、のりピーの輝きはまばゆい。

「ニセモノはなぜ、人を騙すか?」(中島誠之助/角川oneテーマ21)

→テレビ「開運なんでも鑑定団」で有名なあの人の本。
本書をひと言でまとめると、ホンモノの定義は高く売れること、になるのではないか。
わが家に代々伝わるお宝だと大事にしているものでも高く売れなかったらニセモノ。
骨董は新たな生産ができないから(じつはニセモノは生産可能)
市場はニセモノだらけになる。
骨董市場はニセモノをいかにさばくかが腕の見せどころのインチキ商売に近い。
いかにニセモノをホンモノに見せかけて売るかが骨董屋の手腕である、
同時にいかにしてニセモノに埋もれているホンモノを掘り出してくるか。
数万で買ったものが数百万で売れてしまうのが骨董の世界である。
100万で購入したものがニセモノだとわかったとき、どう売り抜けるか。
信じられるのは自分の眼だけの厳しい世界だが、
どのようにして眼を鍛えるかに近道はないと著者は言う。

「いいものを見て、感動を得る。
そうして感動という土台の上に建ちあがった家は、美の殿堂になる。
しかし、感動なしに、知識という土台の上に建った家は美の殿堂にはならず、
それは欲ばりの御殿になってしまうのだ。
ここがわかるわからないの大きく違うところで、何しろいいといわれたモノを
たくさん見て、感動することが大事なことなのだ。
「見たってわかりゃしない」よ思っても、
実物をつぶさに見ることが何よりも大切だと思う。
事実、「見たってわかりゃしない」のだ。だけどめげずに繰り返せ」(P53)


骨董品にはニセモノの楽しみというものがあるらしい。
著者はある店で「国定忠治の合羽」を見つけた。
これの真贋を問うのは無粋だが、著者は冗談半分で店主にホンモノかどうか訪ねた。

「私が国定忠治の合羽だといってあんたに売る。
今度あんたは、これを別の人に国定忠治の合羽だよといって渡す。
そしてその人が国定忠治の合羽だよと別の人に渡せば、
それはもうホンモノになるんだよ」(P84)


「持ち主が三人続けてホンモノと信じていけば、ホンモノになる」ことを著者は愉快に思う。
宗教関係の秘宝や秘仏はまさにそういうところがあろう。
ニセモノだってババ抜きの要領でだれかに高く売り飛ばせたら、
その時点ではホンモノなのである。
野暮なことを言うと本書の著者である中島誠之助氏の一存がすべてを左右する。
どんなホンモノでも中島氏がニセモノと言ったら価値が大暴落するのが現実だ。
ならば話は簡単で、そう、裏金を渡せばいいのだが、
一度ホンモノの中島値札がついたものはそうそう価値は下落しないだろうと思われる。
業界にどっぷり漬かったプロは既成のホンモノをニセモノと見破ることはできない。
映画評論家は人間関係のある監督の作品をホンモノだとほめあげるしかない。
ところが、アマチュアは異なる。アマチュアはまっさらな眼でときにものを見る。

「ところが感性でものを見るということは、人が誰も認めてくれなくても、
自分がいいと思った方向に、まったく新しい枕木を置いて、レールを敷くことができる。
それが認められた時に、非常に大きく増幅して、歴史に名を残すことができる。
プロの欠陥は、現在の延長線上でものごとを考えるから、
失敗することがないかわりに、大きく伸びることがなかなかできないといえる。
アマチュアは、戦えば戦うほど失敗する。
しかし、永続してそれを続けていくことで、大きな勝利を得ることができる。
それはやはり自分の信念を、感性を磨くということだ。
人がなんと言おうと、自分はこれがいいのだという信念をもってほしい」(P184)


とはいえアマチュアは結局たとえば中島氏のようなプロ権威のまえに敗れ去るしかない。
焼き物はトレンチ調査をすれば考古学的な客観に近い時代考証が可能である。

「ところが絵や掛け軸は、地面をトレンチするものではないし、
持ち主の手から手へと所在地が動いているので、伝来のほどが実証し難くなり、
ニセモノが存在しやすくなる。
だから美術界で絶大な影響力のある学者が、
「この絵は、尾形乾山の真筆」と断定したなら、仮にそれがニセモノであっても、
その学者が生きている間は、「尾形乾山のもの」と言い続けないと、
部下の助手だとか准教授は学界という組織のなかで栄達ができない。
だから有名な学者が世を去ると、
しばしば考察が変わるのはそうした理由なのである。
断定した学者が高名なら高名なほど、権威があればあるほど、
その説は正しいですと通さねばならない風潮が日本にはある」(P138)


残念ながらホンモノもニセモノも権威のお墨付きしだいというのが現実なのだろう。
みんな権威システムをわかっているから、権威には媚びるしヘイコラするし、
こっそりそうと周囲にはばれないよう裏金を渡すものもいるはずである。
権威に逆らうものが目指すのも、別の筋立ての権威である。
いまはむかし威勢よく反権力、反権威を標榜していたものたちが、
より性質(たち)の悪い権威になっている気がする。権威は冒険や冒険者を嫌う。
しかし、井上靖の小説に登場する人物ではないが、
これはホンモノだと既成権威に逆らって言ってみたいじゃないですか。
掘り出し物を探すというのは、ぞんがい深みのある趣味であり遊びではないか。
わたしも劇作家のユージン・オニールやストリンドベリというホンモノを
古書の山を分け入って掘り出したときは嬉しかった。
アル中のオニール、女性蔑視のストリンドベリ、
どちらももう陽の目をみることはないだろうがたしかなホンモノである。
自由律俳人の山頭火は存命時は浮浪者のルンペンだったが、
没後に文豪レベルにまで昇格した。揮毫も高い値がつくからホンモノだろう。
山頭火はニセモノがそのままホンモノに変わりうるという人生の不可思議を証明した。
だが、やっぱり山頭火はニセモノ臭がプンプンしており、
そのニセモノっぽいところがホンモノの証拠という怪しさを内に秘めている。
これまた怪しい河合隼雄に言わせると、
「ホンモノはニセモノを厚遇しないと出て来ない」そうである。

アマチュアはあまり骨董に深入りしないほうがいいと、
著者は(新参をはばむ)陰湿な市場のからくりを赤裸々に語る。

「仮に時価相場が一千万円ある美術品をオークションにかけるとしよう。
その品を欲しい業者同士が競り合わないで、安く落手できるように談合する。
そして、二百万円で競り止めて、後日利益を折半されてしまえば、
出品依頼人は八百万円の大損だ。
あるいはニセモノを嵌めようと思ったら、二、三人の業者でもって
十万円しかしないものを、五百万円まで競り上げて、それにのってきて、
その上の値段を言った甘い人に落手させればいいわけだ。
競りにはこういう騙しのテクニックがある」(P203)


骨董世界は「ホンモノをわかる自分」を売買する自己陶酔の激しい世界なのだろう。
あるいはほしいのはその骨董ではなく「ホンモノを知る自分」なのかもしれない。
より高価な「自分」を買うために骨董市場では札束が飛び交うのであろう。
富や財産に恵まれたものは骨董という「自分」に金を使うことに楽しみを見出す。
相続税対策として骨董はどうなのだろう?
税務署の査定のときはニセモノ判定で、
相続後にホンモノに昇格すれば節税効果は最高である。
そしてホンモノよりも美しいニセモノがあらわれたら、
いったいどちらがホンモノなのだろう?
「言葉」は現実世界のニセモノであり、同時に現実を突き詰めたら「言葉」しかなく、
このとき「言葉」はニセモノでありながらホンモノになる。

(関連記事)
「ウソの論理」(ひろさちや/中公文庫)

「ひとりぼっちを笑うな」(蛭子能収/角川oneテーマ21)

→難解書物を読むなかでの箸休めの一書。
元シナセンの蛭子さん「ローカル路線旅バス乗り継ぎの旅」を降板したらしいね。
なんか人気番組だったらしいけれど、本人としては
「他の番組と変わることなく、いつもどおりの自然体で旅をしているだけなのになあ……。
そして、その場その場で思ったことを、正直に言っているだけなのに」
なにがいったいおもしろいんだろうと不思議がっている。
この路線にぼくも乗れないかなあ、というか乗りつつあるというか。
元シナセンの蛭子能収は知人からこういうことを言われ心外だと思う。
「みんな、本当は蛭子さんみたいに、自分勝手、自由気ままに振る舞いたいんですよ」
元シナセンの蛯子は自分では周囲に十分に気を遣っているのに、
この言われようはなんだ。そう不快感を吐露している。
ぼくも周囲に気遣いはしているつもりだが、そうではないんでしょう?
いやさ、おれだってテレビの食レポで海老フライ専門店に行って、
いざ現物を見て「うわっ、小さあ」とかいってロケを台無しにしたりはしないよ。
しかし、シナセンに行って講師に受賞歴を聞いたり、
ぼくとどっちがおもしろいシナリオを書けるか勝負しませんか?
なんて、言っちゃうのは蛭子能収っぽくて恥ずかしい。
元シナセンの出身漫画家である蛭子能収は芸能界の常識、
楽屋あいさつをしなかったらしい。その理由はこうだ。

「別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし
むしろ僕があいさつに行くことによって、相手の自由な時間を奪ってしまうことが怖い。
それと、僕からすると積極的なあいさつというものは、
やっぱりどこか主張している感もあるので、そのような行動を控えてしまうんです」(P89)


わかるなあ。ぼくなんかも朝日賞のテレビライター山田太一さんのファンでねえ。
そりゃあ、お話したかったけれど、相手の貴重な時間を奪っちゃうわけでしょう。
そう思ったらできないよ。
ところがところが、自分はファンとして山田太一と長時間話したという、
(そしておそらく山田のコネで引き上げてもらった)沖縄の男性が、
山田太一が半身麻痺になってしまったいま、
師匠の真の言葉を広めるのは自分しかいないと思ったのか、
宣教師的態度で「自分は山田太一の真の言葉を伝える」なーんていう
トークショーを有料で6月16日にやるそうで、来ないかという宣伝コメントが来た。
それまるで宗教みたいじゃん。あなたが一番弟子なんですか?
で、山田太一と一度も言葉を交わしたことのないおれはあんたに指導されるの?
宗教ってこうして始まるんだなあと薄気味悪いものを感じた。

ひとりぼっちのさみしがりやだから、そういう商売につきあったほうがいいのかなあ。
名刺を配って交友関係を広げるみたいな。
しかし、交友社交というのは自由の敵でもある。

「長いこと、自由であることを第一に考えていると、
いわゆる「友だち」と呼ばれるような人は、あまり必要ではなくなります。
むしろ、友だちがたくさんいると、面倒くさいと感じることが多々あるくらい。
友だちはいい存在である一方で、ときに自由を妨げる存在になるからです」(P138)


「考え過ぎかもしれないけれど、僕が自由や時間を奪われるのを嫌うように、
逆に誰かを誘うということは、
その人の自由や時間を奪ってしまうということになるかもしれない。
それは本望ではありません」(P139)


出版業界って出版パーティーとか受賞パーティーが多いんでしょう?
そういうものの参加率で選考委員や受賞作が決まったりするとか聞く。
偉くなれば偉くなるほど、どんどん自分の自由に使える時間がなくなるのである。
しかし、そういう社交を完全に遮断してしまうと今度は仕事が回ってこなくなる。
本人が参加しない(笑)山田太一トークショーとか行って、
絶賛記事をブログに書いたらおいしいことがいろいろあるのかなあ。
関係ないけど、山田太一さんのご葬儀の委員長って「北の国から」の人なの?
寺山修司の葬儀委員長は山田太一だったけれども、
大学(学校)を卒業して社会に出たら男同士の友情は純粋性がだいぶ薄まる。
元シナセンの蛭子能収はそのことを正直に書いている。

「つまり、たとえ親友だったとしても、いつまでも親友とは限らないんですよ。
親友だからといって、必ずしも常に腹を割って話せるわけではない。
とくに、そこに職業とか年収の差、または家庭環境などが関与してくると、
気を遣うし、意識せずともどこかギクシャクしてしまう。
若いころは、好き勝手に、そして自由になんでも話すことができたのに、
本当に難しいものです。悲しいけれど、それが現実なのかもしれないな」(P150)


たぶんこれは男同士(女同士)の友情の場合で、
男女間の友情だったらそういうつまらない壁は乗り越えられる気がする。
いや、男同士でも歳の差があっても、あんがいうまくいくケースはある。
ぼくは派遣で知り合った大宮のAさん59歳といまだに交際があるのが不思議である。
おなじく派遣で知り合って、ありがたくも友だちになろうとおっしゃってくださった、
同世代の世田谷本部長とは無理だったようだ。
会社を辞めたとかひさびさにメールが来て、じゃあ遊びましょうよと返信したらそれっきり。
いまは再就職して優秀な彼のこと、妻子のためにバリバリ働いていることだろう。

6月はある結果待ちなところがあり暇になるっぽい。
ある人との電話で話題にあがった芥川龍之介とか読めるくらいに暇。芥川は怖い。
というか、中高の教科書以来だが、
あんなものを学生に読ませても意味はわからないだろう。
暇だから山田太一の側近のトークショーに行くのもいいのかなあ。
運転免許の更新は忘れてはいかん。
おれさ、20年ペーパーなんだけれど、
ボランティアで実技講習してくれる暇な老人とかいませんか?
その代わり過去の自慢話、武勇伝は感心しながら拝聴することを約束します。

「トークセミナー『性愛』大論点」(三枝威彰ほか/小学館文庫)

→各界の成功者が、お互いを立てあってベシャクったところの男女論。
去年ある老嬢から、
自分は男に生まれたかったという話を長々と拝聴させていただく機会があった。
女はダメ。女だといくらがんばってもダメ。女では出世できないじゃない。
苦労人の彼女はバツイチで娘さんを女手ひとりで立派に育て上げた。
離婚の理由は、相手のセックスが強すぎたから。
年下の男だったが夜ごと毎晩、こっちが壊れれしまうくらい身体を求められる。
それが、とにかくいやだった。別れた。
こう語る女性のお嬢さんは商業高校を卒業後、大企業の印刷会社に就職。
仕事一筋、ずっとおなじ会社で働いているらしい。男とは縁がなくいまだ独身。
30代後半大企業正社員。
お見合いをしてみないかというようなことを示唆されたが、
そんな真っ当な人と当方が合うはずはなかろうとこわごわ辞退させていただいた。
なにより、めんどくせっ、というこちらの怠惰な精神が問題だった。

結局、男ってなに? 女ってなに? という問題にいま好奇心を抱いている。
・男は力仕事をしなければならない。しないと男らしくないと非難が集中する。
・男はいい会社に入っていい妻をめとりはらませ、妻子を養うのが義務である。
・男は弱音を吐いてはならず、なにごとも辛抱、忍耐しなければならない。
・女は男をサポートするのが義務で、男の仕事を家事育児雑用で支えるべし。
・女の人生は男で決まる。いかに男に好かれるかが勝負の分かれ目。
・女は男の性的消耗品。おのれの性欲より男の性欲を重んじなければならない。

いまの職場では男性よりも圧倒的に女性のほうが強い。
なぜなら女性はかなりの割合で旦那もちのパート主婦。
お金が必要なのは男女ともにおなじだが、
主婦は旦那の定収入という太いパイプがある。
しかし、男の派遣やメイトはこれで生活していかなければならない。
実家住まいならいいだろうが、ひとり暮らしでこの収入だと貧窮は避けられない。
かような理由で、いまの職場ではババアもといおねえさまが強くなるわけだ。
女はカネの事情に敏感だから、格下と見たら男をなめてかかってくる。
「供給」をやっているとき、短期バイトの気の強そうなおばさんに、
バンバンと番重(お菓子を入れる箱)をたたかれたことがある。
ここのお菓子がもうすぐなくなるぞ、と言いたいのはわかるが、口で言えよ。
おれら「供給」はてめえら亭主持ち富裕ババアの奴隷ではないからな。
「バンバンはないでしょう? 口で言ってください」
と短期バイトのおばさんに伝えたが、意味は伝わらなかったと思われる。
あたしはちゃんとした正社員の亭主も子どもも複数いる正規日本人。
どうせこんなところで力仕事をやっている非正規のあんたなんかたかが知れている。
あんたはサルみたいなもんで、言葉をかける必要はないのよ。
おばさんからは「供給」の仕方もからかわれたなあ。
「供給」には男性陣みんながしている身体に負担がかかる雄々しい(男っぽい)
方法と、これだったらあるいは女子でもやれるかという楽な方法があるのだ。
「あんた腱鞘炎なの?(どうしてみんなとおなじように男らしくしない?)」
と聞かれて、「こうしたほうが楽なんです」と答えたら鼻で笑われたような気がする。

男は男らしくしろよ!

男らしいってどういうことだろう?
力仕事をいやがらずにやって、
嫌いな新人には大声で怒鳴って威張るのが男らしい男なのだろうか?
職場にやたら女から慕われ、
女々しいおれさまを怒鳴ってくる愛すべきパチンカスがいるけれど、
ああいうのが男らしいと女から評価されるのだろうか。
本当の男らしいってどういうことだろう?
男の男たるゆえんは体力や罵声、強靭性にあるのではなく、
むしろ思念にあるのではないか。いわゆる「男のロマン」と呼ばれるやつのことだ。

「……男を支えているのはそうしたロマンチシズムであると思うんです。
負ける、死ぬとわかっていても、
それでも行かざるをえないのが男というかな。
男からロマンをとったら、もう何も残らない。
ただのぬけがら、粗大ゴミそのものだと思うんですね」(P105)


女性ってよくも悪くも壮大なロマン(誇大妄想)と縁がないよねえ。
つねにそれは損か得か、おいしいかまずいかの視点しか持ちえないのが、
女性の愛すべきところであろう。
誤解を恐れずにいいはなつと女性は商品。女性は男性に買われる商品。

「女性には、潜在的に大切にされたい、
自分を安く売りたくないという警戒心がありますよね。
性的な関係をもったなら見返りを得るべきという刷り込みが、
マスコミや親から色々な形でなされているんだと思うんです。
それが結婚という保障であったり、
あるいは単純にプレゼントすることだったりするのですが、
とにかく求めますよね」(P63)


いや、そうではない女性もけっこういることを
わたしは人生体験から知っているのだが、しかし一般的にはそうともいえよう。
いったい女性の性欲ってどうなっているんだろう。
一般的に女は男によって性の歓びを教わることになっているが、
じつはそうではないでしょう?
どんな厳格な家に育った少女も14歳ころおのずから自然に性に芽生える。
公立中学校っておもしろい。
なぜなら、選抜された高校大学と違って賢愚、貧富がさまざまだから。
公立中学校なんて男は顔がすべてである。
クラスの最高権力者だったイケメンが
まじめな優等生の同級生女子にこんな悪ふざけをしていたのをおぼえている。
怖いものがないイケメンは偶然を装って学生カバンを女子の股間に押し当てるのである。
ゆっくりピストンさせる。そのまま無言で押し黙っていた優等生女子。
しばらくしてから「なにするの?」と精一杯粋がって抗議する。
イケメンは「毎晩やっているんだろう」と返した。
成績優秀の女子はまさに顔を赤くしてその場から逃げ出したものである。
当時うぶだったわたしはこのシーンの意味をわからなかった。
しかし、長いこと記憶していたから、決してそこまで純真な中学生ではなかったのだろう。
夜ごといけない、いけないと思いながら、自慰にふけっている女子中学生とかいいよねえ。
よくパンチラする子とかいたけれど、あれはわざとだったのだろう。
修学旅行のときの内輪話で聞いたら、男子はみんなその子に注目していた。
女の性欲は男ほど可視化されていないぶん、それだけおもしろいし関心がある。
性交中、女が気持よがったってそんなものの大半は相手を喜ばせる演戯ではないか。
男が女を落として寝てやって攻略したという満足感もどこかしら演技的欺瞞の香りがする。
本当の快楽は男や女という区分を超えたところにあるのではないかと有名AV監督はいう。
代々木忠の言葉である。セックスにおいて――。

「いや、だから、その〝壊れる”っていう自分は、まだ本当の自分じゃないんですよ。
自分だと思い込んでいるけれども、そう思ってる自分というのは、
じつは「人からよく見られたい」と世間に合わせて作ったものだったり、
見栄やプライドが捨てられなかったりする自分だったりするわけだから、
言ってみれば〝制度の世界で造られた自分”ですよね。
それは、言葉を変えれば〝自我(エゴ)”でしかない。
そうした、無意識のうちに作り上げてしまった、
エゴに隠れている本当の自分自身を解放してあげるのが、
[AV監督という]ぼくの仕事でもあるわけです」(P120)


女は女らしくすべきか? 男は男らしくすべきか?
男は男らしくしろという社会的圧力は異常なほど強い。

「男のほうが、肉体的な刺激や快楽で勝負しちゃってる傾向が強いと思いますね。
女性は心で感じるんだという、本当のところがわかっていない。
男らしさとかSEXの強さという世間一般の概念にとらわれ過ぎているんです。
そういう意味では、男のほうが自由じゃない。
男がカッコつけてたり、強がってるのは結局、自分の弱さを隠しているわけでしょう。
本当はそれを隠さずに出しちゃったほうが、女性は安心すると思うんだけど、
それをわかろうとしない男というのは本当に多いですね」(P131)


かぎりなくインチキくさい宗教学者の中沢新一も本書に登場している。
おれもさ、どっか世界の僻地に行ってね、
そこの宗教指導者と酒でも飲み交わしてマブダチになり箔(はく)をつけて、
日本に帰国してから新興宗教のトップになりたいなあ。
チベットで箔をつけて帰ってきた宗教学者の中沢新一いわく――。
チベット密教の修業はセックスと類似性がある(似ている)。

「チベット密教の方法にも、どこか似ていますね。
向こうでは、瞑想するときに女に変身するんですよ。
それで〝大楽(だいらく)”という状態を作り出すんです。
それは性器は使わないんですが、
イメージの世界で完全に女性の神様になってしまうことで
オーガズムを体験する。ぼくも嫌いじゃないから、その訓練というのを体験して、
いまでもときどきやっているんですが……」(P154)


いまの日本って恋愛(性愛)しかないような気がする。
テレビドラマもマンガも大衆娯楽小説も、主題のほとんどはそれ。
マッチポンプだわな(自分で火をつけて消すこと)。
テレビで恋愛(性愛)バンザイをさんざんやらかして、
その影響を受けた庶民が真似をして、
結果やっぱり数字(視聴率)を取れるのは恋愛(性愛)ものだと大企業も判断する。
大企業も広告代理店もテレビ局も視聴者も
みんな恋愛(性愛)という阿片(あへん/麻薬)のとりこ。
わが人生での最大の後悔は、
インドで何度となくすすめられた麻薬や覚せい剤をやらなかったこと。
落ちぶれたいまなら烈しい恋愛をふくめどんな阿片も吸引する準備ができている。
カモン、カモンの状態なのだが、男はゴーゴーというのが社会規範。
男は男らしくとか女は女らしくとかうんざりだけれど、現実がそうならば従うほかあるまい。



ここ↓のマドレーヌはおいしいから食べて。

「セックスレス亡国論」(鹿島茂・斎藤珠里/朝日新書)

→ラカンじゃなかったかと思うけれど、
紅毛人のお偉いさんが、みな「他人の欲望」を生きているだけじゃないかと、
まあ有名な言葉だがそんなことを言っていたような気がする。
恋愛とかセックスとかいまは「自分の欲望」ならぬ
「他人の欲望」に成り果てているのではないか。
テレビドラマや映画、大衆雑誌、娯楽小説を読んで性愛というものにあこがれをいだく。
自分も「他人の欲望」を解消したいという思いである。
男が無修正AV動画をみて、いろいろな性交渉にあこがれるなんてその典型だろう。
おそらく現代日本の恋愛、性愛、性的関係は、
グルメ情報(願望)とおなじように「自分の欲望」ではなく「他人の欲望」の模倣。
みんながいいって言っているから恋愛や性愛、肉交渉を求め、
しかしそれらがテレビドラマのように得られず苦しむものも少なくないのではないか?
しかし、あなたやわたしは本当のところなにを求めているのか?
正真正銘「自分の欲望」といえるものはなにか?
みんなから好ましく思われる人を好きになり、
みんながそうしているからという理由でありきたりな恋愛模倣行動を繰り返し、
みんながしているように「他人の欲望」のままに最後に性器を接続するのではないか?
そして、みんなのようにそれを快楽と錯覚して満足するのではないかしら。
そして、そうしてみんながしているように結婚して子どもを産み、
男は仕事、女は育児&家事(&パート仕事)。
女のほうの苦労が多いような気がするけれど、これは宿命と思っていただくほかない。

セックスレスが増えると子どもが産まれず国が亡びる?
べつに国が亡びたっていいではないか? そんなことはわれわれには関係あるまい。
国が亡びるから恋愛しろ? 働け? セックスしろ? 出産しろ?
あなたもわたしもお国のために生きているわけではないことを忘れないでおきましょう。
なんのために生きるのか? 
答えは人によってさまざまでそれぞれ「正しい」のでしょうけれど、
わたしは「他人の欲望」ではなく「自分の欲望」を見極めたいがために、
いまのところいやだなあと内心どこかで思いながらも生きているところがある。
どうしてギャンブル依存症(パチンカス)やアル中は問題視されるのに、
セックス依存症(恋愛体質)のみ肯定的な価値判断をされるのかわからない。
まあ、酒でもパチンコでも女でも男でも教祖でも、好きなものがあるってことはよろしい。
ゲームが好きでそれで当面生きているというのもぜんぜん悪くないし、
むしろきつい肉体労働をいとわずしているのならばどこかのカスおっさんよりも偉い。
セックス(恋愛)依存症はパチンカスやアル中、ヤク中とおなじ病気といえなくもあるまい。
いいか、仕事依存症、労働依存症、ワーカーホリックもパチンコ狂いとおなじだからな。
しかし、それが悪いというわけでもない。
ことさら称賛されるべきかはわからないけれど。

もうすぐ(会社から)消えるから書いちゃおう。
いまの職場でさ、だれかは書かないけれど、
ラインに立っている女性労働者ふたりの雑談を
耳にしたときはけっこう興奮しちゃったかも。
男性派遣労働者の品定めをしていたのである。
「どっちがあれ(セックス)がうまいだろう」――。
女性の性欲は最後まで隠しておいたほうがいいような気がする。
あからさまにあってもないふりをしておいたほうが亡国しないかも、あはっ。
いや、セックスレスでこの国が亡んでもぜんぜんかまわないのだが。
女子中高生の性欲ってどうなっているんだろう?
ない人はまったくないって聞くしね。これは男子も同様で個人差の世界。
性に目覚めたうぶな女子中高生とかプランタニエでええなあ。



聞いた話だと、埼玉コージーコーナーのマドレーヌは投げても壊れないのも魅力のひとつ。
買え、買ってけろ、お買い求めください。お金がほしい。

「オール・アバウト・セックス」(鹿島茂/文春文庫)

→仏文学者の鹿島茂教授のご著作を拝読する。
セックスにまつわる本の雑誌連載書評を1冊の書籍としてまとめたものである。
当たり前のことだが、自分のセックス経験、セックス嗜好は書いていない。
たとえば、いままで何十人(何百人?)の女子大生を食ったとかさ。
いや、著者はインテリだし、長らく女子大の教授だったから、
ある変態性に芽生えたということは本書から読み取れる。
たぶん大学教授の著者は、女子大生から無数の恋愛相談を受けたことだろう。
そのなかには自分が好意を持っていた学生もいたはずである。
彼女がバカな男に寝取られていると知ったときのマゾ的な快感。
これこそ最高の性的快感ではないかと、
宗教人類学者の植島啓司とおなじように著者も思っているのではないかとうかがわれる。

もう人生沈没寸前なのだが、いちおう早稲田一文卒なのである。
文学部なんてほとんどオスはいない高偏差値のメスの盛り場である。
ある子から初体験の想い出を聞いたなあ。
なんでも早稲田近くの小料理屋でバイトをしていた。
そこで知り合った高卒の自衛官に処女をささげたとか。
男はきっと未通女(おぼこ)の早稲女を食ったとほうぼうで自慢したことだろう。
彼女は彼女であたしは愛されていると満足げであった。

一般的な話をすると――。
男は女を支配したい(その象徴がフェラチオ)。
女は男に支配されたいが、支配されたくないふりをしなければならない。
ある女性の作家がこう書いているという。

「十六から十七歳くらいのときに、ムチャクチャ痴漢にあってまして、
そのときに私の体が女だからだ、と気づくんですね。
私が嫌悪していたものが、なんだ実は〝ゴチソウ”じゃないかって(笑い)」(P158)


そうそう、女であることはゴチソウなんだよ!
わたしの夢は来世でゴチソウたるそこそこかわいい女の子に生まれて、
わざとパンチラしたり胸チラしたりすることなのかもしれない。
あんがい痴漢に性的快感を教えてもらう女学生に生まれ変わったりして。
基本的に男はS(エス)で女はM(エム)とみて間違いなかろう。
ある女性作家はセックスよりもエム的な行為にむしろより上質な快楽を感じるらしい。

「挿入されると、感じますが、感じ方が、何か違うんです。
性的快楽というより、彼の思いのままにされている快楽の方が勝っているんです。
惨(みじ)めな姿勢で好き勝手にされているという快感.
私はずっと声を上げていましたが、タオルが次第に濡れてくるのがわかります。
抗議の言葉一つ上げられないことを思い知らされ。
それがますます、私をMの快楽に押しやるのです」(P112)


話は変わるけれど、Mの快楽で生きている労働者って多そう。
苦しまされると萌える男女労働者のあわれさと高貴さよ。
あんがい人が働く理由ってMの快楽のためではないかしら。
わたしはたぶんSだが、SはSでもMを直接的にいじめるわけではなく、
放置プレイを味わっていただきたいという特殊なサディストだと思う。

日本って各国に比べていちばんフェラチオが安い国なのだとか。
わたしは常日頃から来世は女になりたいと願望しているが、フェラチオはしたくない。
いまはどうやら男らしいのだが、フェラチオは無理っしょ、
という異性への思いがある。べつにしてくださらなくても。
あれって愛情確認みたいなものだよね。
そんなに女っていいのだろうかという非生物学的な思いもなくなない。
それほど女って目を血まなこにしてまで求めるものなのか。
それは威張りたがる男よりも優しい女のほうがいいけれど、
女にもやたら威張りたがるいまは性的価値のない怖いおばさんという人種がいるし。

性的嗜好がけっこう似ていると思う団鬼六の処女作は以下のようなものらしい。
あらすじ紹介である。

きっぷがよくて美人の水茶屋の女お町は、
盗っ人を捕らえたために、その情婦の恨みを買う。
情婦の配下に誘拐された恩人の娘を救い出そうと
敵地に単身乗り込んだお町は廉恥心を失わず、サディスティックな責めに耐える。
それが余計に男たちの欲望を刺激する……(中略)
SM作家やアーティストというのは、
少なくともそのデビューにおいては、
他人を喜ばせるというためよりも
自分の欲望に満足を与えるために筆を執っているのである」(P51)


どうしようもなくセックスはよくわからん。
こちらとしてはどうしても無理というおばさんが、
夜ごとご主人さまとの営みで女の歓びに打ち震えているかもしれないわけだから。



埼玉コージーコーナーのケーキやお菓子はだれがつくっているのか知っている?
本当のこと、知りたい?

「悪女入門」(鹿島茂/講談社現代新書)

→フランス文学者である国民的人気学者の鹿島氏のご著作を拝読する。
フランス文学者とはなにか? 大学のフランス文学部教授であるということ。
教授ってなに? お偉いさんってこと。
大学でフランス文学を研究して教えているから著者はその筋の権威である。
だけどさ、フランス文学(小説、戯曲、詩)を研究するってどういうことなのだろう?
原文でおフランスものの作品を読むということだろう。
いったいそんなことをして、なんのためになるのだろう?
原文でおフランス作品やその評論を読むことのどこがご立派なのか?
大学でフランス文学を教えるってどういうこと?
文学(小説、戯曲、詩)は他人から教えられるものではなく、
それぞれ勝手に好きなものを好きなように読んで楽しむものでしょう?
旧「もてない男」の小谷野敦さんも言っているが、
文学研究ほどわけのわからないものはない。
本書は国民的なフランス文学部教授の著者が、
女子大で女子大生に向けて、こうしたら男にもてると講義した内容がオリジナル。
こうしたら恋愛上手になり、こうしたら男にもてるの根拠はフランス文学オンリー。
ものども頭(ず)が高いぞよ、おフランスさまはこうおおせである。
というのが外見はフランス文学入門書、
正体は(20年近くむかしの)女子大生向け恋愛指南本の本書の内容だ。
おら、いなかもんじゃけん、さっぱりわからん。
なしておフランスものが「正しい」のかのう。
ここは日本じゃなかばってん?

「文藝春秋」ともベタベタの関係だから、著者はおフランスの最高権威なのだろう。
ちなみにわたしが世界でいちばん嫌いな国はフランス。
おフランスさまによると――。
「悪女」とは「ファム・ファタル」のこと。
「ファム・ファタル」とは――。

「恋心を感じた男を破滅させるために、
運命が送りとどけてきたかのような魅力をもつ女」(P10)


わかりにくいよねえ。それは、つまり――。

「意地悪く言ってしまえば、失うべき何物も所有していないそこらのダメ男が、
なじみのスナックのあばずれ女に入れこんで、
新聞の三面記事にでも出てきそうな事件をひき起こしたとしても、
また安っぽい男性タレントが淫乱な女性タレントにのめり込んでも、
その女をファム・ファタルとは呼ぶべきとはないということです」(P12)


はあ? ファム・ファタルとかわけわっかんね。
おれ、いま失うものはなにもないし、ならファム・ファタルも寄ってこないだろう。
以下にわが国におけるフランス文学の権威であられる鹿島茂教授の
お言葉をせんえつながら引用させていただく。
著者のお言葉がなぜ「正しい」かといえば、おフランス文学をいっぱい読んだから。
そして大学教授で著書多数で、マスコミからひっぱりだこだから教授は「正しい」。
みなのもの、ご託宣をありがたく聞きたまえ。
そしてわずかでも本書の紹介者に好感を持ってくだされ。

「女と猫は呼ぶと来ないけど呼ばないと近よってくる」(P42)

「恋愛においては、羞恥心を最も効果的に使った女性が
最終的に勝利を収めるということを忘れないようにしてください」(P66)

「そうです、ほとんどの女性が誤解していますが、
男をひきつける女の魅力とは、美貌でもスタイルでも、
ましてや心や頭でもないのです。
男がかくあってほしいと願う女に自分を重ね合わせる変身能力、
これこそが一般に「女の魅力」と呼ばれているものの根源です。
この能力を欠いている女性は、たとえどんな美人であっても決してモテません。
また美人でない人が整形して美人になっても、
この変身能力を獲得しないかぎり、モテるようにはなりません。
イメージ動物たる男は、あるがままの女ではなく、
自分の心の中の女に向かって欲情するものだからです」(P85)


ここまではたまたまフランス文学の権威と意見が一致した。
だが、以下はそうではないのではないか、
と2017年まで生き延びた昭和51年生まれの男は思う。

「男というのはなんとも哀れな生き物で、
常に自分をほかの男と比較して、その優劣に一喜一憂しているのです」(P29)


正しくは「鹿島茂教授はというのはなんとも哀れな生き物で、
常に自分をほかの男と比較して、その優劣に一喜一憂しているのです」かもしれない。
「女はめんどうくさいから嫌い」
これは職場の大先輩である男らしいSさんがロッカールームでおっしゃっていたことで、
入ったころは男から何度も大声で怒鳴られ(あいつ女にはやさしいのにケッ)
大嫌いだったが、いまではとても親しみを感じる彼とももうすぐお別れである。
フランス文学とは縁のない日本の庶民の色恋事情にたまらなく興味がある、
あと少しだけ女社会で働けるようなので自己研究を深められればと思っている。



男って自分を甘やかしてくれる女性を好むんじゃないかしら。
スイーツといえばマストなのは銀座コージーコーナー。
埼玉コージーコーナーではなく、銀座コージーコーナー♪
おすすめ↓買ってネ。



(関連記事)
「SとM」(鹿島茂/幻冬舎新書)