「捨ててこそ生きる 一遍 遊行上人」(栗田勇/NHK出版)

→2ヶ月以上まえに読んだ本で、いろいろ忙しくて本当に時間が取れなかった。
本書はとてもぜいたくな1冊で、国宝の絵巻物、一遍聖絵が丁寧にコピーされている。
いままでいろいろな関連書で一遍聖絵を鑑賞したがこの本がいちばんよい。
一遍聖絵に僧が入水自殺をするシーンがあることを本書で知った。
絵巻物の該当部分を拡大して、
あれは入水自殺だと教えてもらわないとふつうの人は気づかないのである。
一遍上人は踊り念仏を始めたとされる鎌倉時代のマイナーな坊さん。
日本全国を遊行(旅)して南無阿弥陀仏の札を配ってまわった。
後年は弟子(女もいた)が旅をともにすることになり自然発生的に踊り念仏が生まれた。
踊り念仏とは、いまで言えばAKB48のような集団ダンスである。
一遍につきしたがったのは、各地域で集団生活を送ることができないあぶれもの。
たとえば、チョーがつくほどの美少女は、
男たちの関心をひとり占めするから女連中から嫌われる。
あたまが少しおかしい人はおもしろいんだけれど輪を乱す存在とも言えよう。
そういうカタギには生きられないものが一遍の遊行(旅)につきしたがった。

一遍の踊り念仏はストリップショーに近かったという説があり、わたしもそうだったと思う。
べつの本で資料を見たが、踊り念仏をする女性は着物をミニにしているのである。
盆踊りの起源は踊り念仏とも言われているが、男女は高台のうえで踊る。
下から見上げる観衆からは踊るタレントの男根や女陰がちらちら見えたことだろう。
こういう興行をして一遍は貨幣を得たものと思われる。
そうでないと配る念仏札を製造する元金がどこから出ていたのかわからない。
一遍の布教は念仏札を配ることであった。
たいていの人には無料で配っただろうが、
一遍の威光に降参して寄付金を差し出したものも少なからずいたことだろう。
一遍は教団をつくる意図はなかったが、没後に弟子たちが群れて教団化した。
それが時宗(時衆)でいまでも本当に細々と神奈川の藤沢に残っている。
わたしは時宗の檀家ではなく、ただの一遍の心酔者だが、
むかし念仏札を無料でもらったことがあり、それは財布にたいせつにしまっている。
この念仏札は売ってくれと言われても困る。
かといって、いまもいまライターがあれば燃やしても構わない。

とまあ、一遍のかんたんなポップ(宣伝)を書いたけれど、
果たしてみなさまのご関心をキャッチ(捕獲)できたでしょうか?
歴史上にいたお坊さんのなかでいちばんわたしが好きなのは一遍上人だ。
むかし暇にまかせて岩波文庫の「一遍上人語録」を百回以上読んだことがある。
一遍上人の教えは、本書で栗田勇氏も指摘しているが「捨ててこそ」。
ひと言でわかりやすくまとめろと言われたら「善悪を捨てよう」になる。
あれは善(正しい)でこれは悪(正しくない)という考えを捨てる。
一遍は自分の言ったことも捨ててくれてけっこうとまで言っている男。
自分の教えが正しいわけではない。唯一絶対の真実は南無阿弥陀仏。
阿弥陀仏に南無(お任せ)する。
善も悪も自分で判断しないで南無阿弥陀仏(阿弥陀仏にお任せする)。
わたしは一遍の南無阿弥陀仏の熱狂的ファンだから、かなりフリーである。
一遍に刺激されて、善も悪もよくわからないんじゃないかと思っている。
このため、当方はどこの宗教団体にも入ることができる。
善悪を捨てたら、どの団体もそれぞれ正しいことに気づくわけだから。
どこの団体が正しいわけではなく、どの団体もそれぞれに正しいことがわかる。
ならば、創価学会、顕正会、浄土真宗、親鸞会――ぜんぶに入ることができる。
かわいい女の子に勧誘されたらキリスト教のどっかに入ってもいい。
いちおう新約聖書はむかし熟読したことがあるし、聖書も正しいと思うので。

一遍の魅力を広く紹介したのは栗田勇氏(「一遍上人 ~旅の思索者~」)。
わたしも氏の著書からだいぶ影響を受けたものである。
本書は氏の一遍論考エッセイの集大成と言ってよい。
わたしとは意見が違う部分もあるが、
作者が一遍を作者なりによく理解(咀嚼/そしゃく)しているのがよくわかった。
著者とわたしの一遍の見方のどちらが正しいというわけでもなく、
どちらも正しくないし、あるいはどちらも正しいのだろう。
おそらく一遍ファンの先達の著者はそのことに同意してくださるであろう。
わたしはブログ「本の山」にいままで一遍のことをたくさん書いてきた(好きだから)。
ブログのカテゴリーに「一遍上人」をつくってしまったほどである。
いったいこれからわたしはなにを書いたらいいのだろう?
というのも、わたしは個人的に一遍のファンというだけ。
べつにみなさまが一遍を好きになってくださらなくてもぜんぜん構わない。
日蓮大聖人のほうが何倍もいいと思われてもOK。
田舎坊主で子孫が腹黒い親鸞のほうが好きだと言われてもOK。
そう断ったうえで、一遍の教えをとことんわかりやすく紹介してみるか。
むかしは偏差値40の女子高生にでもわかる文章を目指していたのだが、
最近は知的障害者にもわかる文章を書けないかなと思っているが、うーん。

一遍はまあ、こう言ったわけである。
あれ? 善とか悪とかってあるっけ? 正解とか誤答とか、そんな違いはある?
東大生と知的障害者ってべつに変わらないじゃん。
社長も部長も工場長も正社員もバイトも、みんなおんなじなんじゃないかなあ。
このようなことを一遍は以下のように言っている。
このブログ記事のなかで一遍の言葉を引用するのはここだけだから、許して!

「念仏の行者は智恵をも愚痴(ぐち)をも捨(すて)、善悪の境界(きょうがい)をもすて、
貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるゝ心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、
又諸宗の悟(さとり)をもすて、一切のことをすてゝ申(もうす)念仏こそ、
弥陀超世の本願に尤(もっとも)かなひ候へ」(P18)


人間って善人ぶりたがるし、だれかを悪人だと決めつけたがる。
でも、一遍は善も悪も捨てようと言っているわけだ。
われわれは得(出世)を善だとみなし、損(病気)を悪だと思っている。
でもでも、一遍は善(得)も悪(損)も捨てようと言っている。
そんなもの机上の空論じゃないかと言われたら、たしかにそういう部分もあろう。
でもでもでも、一遍本人はかなりのところまで善悪を捨て切っていたと思う。
どうしたら善悪を捨てられるのか? どういう考えをしたら善悪を超えられるのか?
善悪というのは損得、貧富、美醜、賢愚、正否、貴賤のことと言ってよい。
どのようなロジック(論理/言葉の筋道)で善悪を捨てられるのか?
ここで一遍の持ち出してくるのが「死(極楽浄土)」である。
「死の世界(浄土/永遠/絶対)」からこの世を見たら「善悪(相対)」は捨てられる。
善人だと思われていた人が死んだら大悪人だとばれることってあるじゃん?
このたとえでもいいのだけれども、死から見たら善も悪もなくならないか?
善悪なんて口うるさい世間がギャアギャア言っているだけとは考えられないか?
損得勘定ばかりで生きていてもあの世まで財産は持っていけない。
美人東大生だって交通事故で死んでしまえば美醜も賢愚もないわけでしょう?
いくら大会社の会長だ社長だと威張っていても死後の世界でおなじように威張れるか?
あんがいこの世で威張った人は地獄の閻魔(えんま)さまから叱責されるのではないか?
死を身近なものとして念頭に置いていると善悪をある程度は捨てられるのである。
わかりやすくいえば、人間はいつ死ぬかわからないってこと。
そして、死んだらどうなるかはいくら科学が発達してもわからない。
死んだら無になると信じている人もいようが(それはそれでいいけれど)、
死んだら無になることを科学的に証明することはできない。

一遍の説いた教えは南無阿弥陀仏である。
南無妙法蓮華経でもいいが、自分は南無阿弥陀仏だと言っている。
南無阿弥陀仏と一遍でも唱えたら、みんな死後に極楽浄土に往ける。
これがどうして救いかというと、
いま難病で苦しんでいても死んだらすばらしい浄土に往けるわけだから。
そうであるならば、いまの苦しみも多少安らぎを見せることだろう。
いつ死ぬかはクヨクヨ悩まず南無阿弥陀仏(阿弥陀仏にお任せする)。
なにが善でなにが悪かも南無阿弥陀仏(阿弥陀仏にお任せする)。
だとしたら、南無阿弥陀仏は「わからない」という意味とも言えよう。
南無阿弥陀仏と唱えるのは「わからない」と唱えているようなもの。
「死」も「死後の世界」も「善悪」も「わからない」ことの表明が南無阿弥陀仏。
一遍はどのようにしてこのような南無阿弥陀仏にたどり着いたのか。
一遍とて迷っていた時期があったのである。
一遍の布教は念仏札を旅の途中で配ることであった。
熊野本宮神社に向かっているときに参拝客のひとりから念仏札を拒否された。
「おれは信心がないから、その札はただでもいらねえ」と言われてしまった。
このとき一遍は迷う。
たしかに信心がない人に念仏札をすすめてもゴミを押しつけるようなもの。
賦算(ふさん/念仏札配布)は迷惑行為なのではないか?
なんのために自分は念仏札など配っているのだろう?
みんな救われていることを教えるためだが、それは自力で教えられるものか?
苦悩で悶々としていると夢に熊野権現(神さま)が現われたという。
熊野の神さまは仏僧の一遍に夢のなかでこう教えた。
栗田勇氏の名文を自分勝手な補足しながら引用する。

「すでに阿弥陀様が永劫の昔に[全員を]救うということを約束なさっている。
だから[個々の運命も往生もあらゆることが]すでに決まっている。
信、不信をえらばず、浄、不浄を嫌わず、その札を配るべしと。
一切選ぶ必要はない。これは革命的な考え方です。
つまり、自力か他力か、どこまでが阿弥陀仏にまかせられるのか、
ということを考えることそれ自体も捨ててしまう。信も念も捨てて、
ひたすら口に「南無阿弥陀仏」の名号を称えることだけだ、と」(P84)


自力(努力)か他力(運命)かというところであたまを悩ます人も多いだろう。
わたしもこれはそうとう考えたし、いまでよくわからないところである。
人生(仏道)は自力(努力)なのだろうか、他力(運)なのだろうか?
一遍はそういう「自力か他力か」という二項対立的な思考法を捨てろと言う。
自力も他力もどちらも捨てて南無阿弥陀仏と唱えていればよろしい。
人生は自力でもあるし他力でもあるし、自力でもないし他力でもないし、
しいてこの問題についてなにか言うとしたら南無阿弥陀仏(=わからない)。
人生の転機に選択肢のようなものが現われる。
そのような大ごとだけではなく、日々の生活が選択の繰り返しとも言えよう。
どちらが善か悪か、損か得かでわれわれは迷うのである。
しかし、一遍は南無阿弥陀仏で善悪も損得も捨てちまえと過激な主張をしている。

繰り返しになるが、南無阿弥陀仏とは死を身近に思うこと。
毎日、明日死んでしまうかもしれないと思うことが一遍の念仏である。
これは間違いではなく今日死んだ人は、
昨日まさか明日死ぬことになるとは思っていなかったのだから。
明日あなたが絶対に死なないとは言い切れない。そして人の死亡率は100%である。
明日死んでしまうかもしれないのなら、
今日の善悪や損得などどうでもよくならないか?
明日死んでしまうと思うと苦手な同僚のよい面にも気づき、
それどころか「死後の世界」から見たらひとりひとりがとても懐かしく感じられないか?
醜いと感じていた人の美しさにも気づくこともあろう。
愚かだと思っていた人の賢さに驚くようなこともないとはかぎらない。

世間常識(善悪・損得・貴賤・美醜・賢愚)というのは窮屈なものとも言えよう。
一遍の「捨ててこそ」の念仏を唱えると、毎日が自由になり楽しくなるのである。
目先の損得や世間の目(=善悪)、将来の不安など南無阿弥陀仏でぶっ飛ばせ!
そうしたら楽しくなる。笑顔も浮かぼう。ときに踊り出したくなることもあろう。
それがわたしの大好きな一遍という坊主の説いた踊り念仏である。
周囲の評判を気にして善人を気取って目先の損得のことばかり考え、
他人と自分を比べてばかりいたら毎日がストレスの連続で息苦しくないか?
あいつはおれよりも悪い。あいつはおれよりも偉いのが悔しい。
あいつはバカなのにおれよりも出世している。
あの子はあたしよりも美人でいいなあ。金持のボンボンはいいよなあ。
チクショー、今日1万円もパチンコですってしまった。
ヤバイ、会社でミスをして50万の損失を出してしまった。
たしかに生活していくというのはそういうことだが、
しかしそうではない、
善悪を超えた「捨ててこそ」の一遍踊り念仏世界もあるのである。

一遍というのは一度逢ったら一生忘れられないようなやつだったのではないか?
そういう人がたまさかいるものである。
われわれは毎日多くの人と交差して、なかにはもう一生逢わない人もいる。
けれども、あの人のことは忘れることができないという経験があるのではないか。
そういうことは旅先で起こることが多い。
旅をしたときバスや列車で同席して何気ない会話を交わした人のことが忘れられない。
妙にこちらの印象に残る人というのが旅先で登場する。
一遍は遊行上人とも言われたくらい旅をしつづけた坊さんだ。
いったいどれほどの人の記憶に強烈な印象を刻み込んだことだろうか。
一遍の教えは、「教えたよ→ハイわかりました」というものではない。
なぜなら「善悪を捨てよう」という言葉の意味ならだれでもわかるだろう。
しかし、実際に善悪を捨てるのがどれほど難しいか。
われわれは一遍の教えをあたまで理解していても、
どうしようもなく相手の肩書や商品の割引、相手の顔に左右されてしまう。
ならば、一遍の教えに意味がないと言われたらたしかにそうだろう。
だが、一遍の存在にものすごい意味があったのではないか。
「捨ててこそ」の念仏をする一遍の存在感はすさまじかったのではないか。
一遍は本当に善悪・損得・貧富・貴賤・美醜・賢愚を念仏で捨てていた。
そういう人に逢うと、自分もちょっと真似をしてみようかと思うものなのだ。
とはいえ、世間的善悪、家計簿的損得、社会的上下感覚を捨てたものは狂人である。
万引をしたら捕まるし、計算しなかったら破産するし、社長を敬わなかったらクビだ。
だから一遍は、新興宗教の教祖にはよくあることだが、狂ったやつだったのである。
踊り念仏の一遍上人はスーパーフリーなきちがいカリスマだったのだと思う。
実際、ある武士から「この僧は日本一の狂惑のものかな」と言われている。
酔っぱらった武士からきちがいあつかいされた一遍はどれほど本物だったのか。
一休禅師の本も出している栗田勇は(「一休 その破戒と風狂」)、
以下のような指摘をしている。

「考えてみると、この「狂惑」とは、
人間が自分のあり方にたいする深い反省を自覚するときに現われてくるものであって、
伝教大師最澄が入山のとき、
自分を最も狂にして最も愚かなるものであるといった話や
一休禅師などの「風狂」といったような姿も思い起こされてくる。
「狂」には確かにある種のモノマニアック[偏執狂的]な純粋性というものがあって、
その純粋性は日常生活から見ると、ときに「狂」に見えてしまう。
しかしある種の日常性を突き破ったエネルギーというもの、
それはやはり、人が人間を超えたものを見たときに、
その日常性の裂け目から噴き出してくる素顔というようなものであろうか。
醒めているということは俗に狂惑に見えるものなのである」(P114)


さすがに一遍ほどではないが、
わたしも自分が狂っているのではないかという恐怖感がある。
人はどうして狂うことをこうまで恐れるのだろうか?
わたしは最近「一(ささいな出来事)」のなかに「遍(普遍的なもの)」が見えるという、
統合失調症的(精神分裂病的)な妄想体験を多くしている。
なにを高僧ぶっているのか笑われそうだが、
「一(一瞬)」のうちにひそむ「遍(永遠)」が見えるような病的妄想にとらわれている。
著者の指摘で気づいたが、一遍上人の一遍という名前は意味があったのである。
一遍の――。

「この「一」と「遍」というのも「一」即「遍」ということで、
「遍」というのは普遍性とか「遍(あまね)し」の意味である。
この世に生きとし生けるもの、存在するすべてに共通する、普遍的なものと考えていい。
それを普遍していくと、現世にあるすべてのもの、現世そのものが、
この名号[南無阿弥陀仏]の力に抱きとられていて
御仏の本体そのものの現れと一致するというのである」(P70)


「一遍」つまり「一即遍」(これを華厳経では「一即多」という)ならば、
小さな「一」のなかに「(普)遍」を見てしまうのは決して病的妄想ではなく、
ひとつの仏教サングラスをかけて世界を見ていたようなものなのかもしれない。
当面はいまのところは精神科を受診しなくてもいいような気がして安心した。
こういう記事を書くとおまえはインテリぶっているとか、
また批判コメントがつくのだろうなあ。
そもそも最後までだれもお読みにならないから大丈夫かしら。
生活べったりの人には世間的善悪や金銭的損得を捨てるなど思いもよらないことだろう。
すると自称庶民らしい偏狭な「おれは間違っていないモード」が発動して、
このブログの書き手は精神病だ、犯罪者だ、悪人だとヒステリーを起こす。
あいつはインテリぶったわれわれ庶民の敵だみたいなさあ。
一遍みたいに尊敬されたいとは思わないけど、もう批判コメントはいやずら。
本音を言うと一遍の小指の先くらいでいいから、人から尊敬されてみたいかも。
貴重な休日に一銭にもならないこんな文章を書いてなにをやってんだか。
まあ、そういう無駄なことをするのが文化であり、宗教行為なのだろうけれど。
これから人生どうしたらいいのだろうといまだに思い悩んでいる。
しかし、どうしたらいいかというのも善悪の問題。
善悪など投げ捨てて南無阿弥陀仏でいいのかもしれない。よくないのかもしれない。
というのも、これもまた善悪の問題だから。

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「一遍上人語録 付・播州法語集」(大橋俊雄:校注/岩波文庫)

「一遍辞典」(今井雅晴:編/東京堂出版)

→労作だとは思うが、著者が一遍の根本思想を理解していないことに驚く。
「正しい」かどうかは結局、肩書勝負になるから「正しい」のは著者だろうけれど。
踊り念仏を始めた鎌倉時代の坊さん、一遍のやばさは自殺を肯定したところだ。
正確には、自殺など存在しないとした。
自死遺族の悲嘆というのは強烈なものだが、
これを癒すものがあるとすれば一遍の仏法しかいまのところ考えられない。
南無阿弥陀仏の救いとはどういうことか?
死んだら極楽浄土に往生できるという、ただそれだけのことである。
だったら、早く死んだほうがいいって話でしょう?
法然も親鸞もなんだかんだいって南無阿弥陀仏に徹しきれなかったのではないか。
ふたりともやたら長生きしているから、
こいつらにとって念仏は商売道具でしかなかったのではないかとさえ邪推してしまう。

一遍の名言に「とく死なんこそ本意なれ」というものがある。
「早く死ぬのが本望だ」という意味だ。
死んだら阿弥陀経に描かれている極楽浄土に往生できるのなら、
「とく死なんこそ本意なれ」は必然の帰結と言えよう。
いまの日本の一般常識では自殺はよくないものとされている。
著者は通俗的な常識に縛られて狂的な一遍の信仰をまるで理解していない。
当時はおそらく自殺などという言葉はなく、捨身往生と言われていた。
身を捨てて極楽浄土に往生することである。
今井雅晴博士は言う。

「鎌倉時代後期に全国の布教活動をした一遍のまわりには、
古代以来の捨身往生肯定の世界が広がっていたようである。
一遍はこの世界に身を置きつつも、
捨身往生は救済につながるものではないと否定している」(P141)


どこにそんなことが書かれているのか、ぜひぜひご指摘いただきたい。
本書には著者の住所が書かれていたが、
「もてない男」の小谷野敦さんではないが、手紙を書いたら返事が来るだろうか?
一遍が捨身往生を肯定していたと解釈できる部分ならいくらでもある。
今井雅晴博士はなぜか法然や日蓮を持ち出してくる。

「ところで法然や日蓮ら、鎌倉新仏教の祖師たちは、
一様に捨身往生を否定している。
その理由は、第一に、彼らは現世における命を尊重していること、
第二に、彼らは他力の信仰を標ぼうしていること。
みずから命を断つことによって極楽往生しようというのは、
あくまでも自力行とみなさなければならないからである」(P141)


え? 日蓮の仏法は他力ではなく、法華経に帰れという自力信仰ではないか?
日蓮が現世における命をそこまで尊重していなかったという証拠もある。
以下は、日蓮が信徒に書いた手紙の一節である。

「とにかくに、死は一定なり[死は決定している]。
其時[絶命時]のなげきは、たうじ(当時)[元寇や飢饉]のごとし。
をなじくは[どうせ死ぬのだから]、かりにも法華経のゆへに命をすてよ。
つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ」


さらに今井雅晴博士はみずから命を断つのは自力行だと書いている。
博士は一遍の他力信仰をまったく理解しておられないのだろう。
木に実がなり熟してそれが落ちるのは、自力ではなく他力(自然)でしょう?
花が咲き散るのも自力ではなく他力である。
果実が熟し落ちたり花が散るのと捨身往生(自殺)はおなじなのである。
自殺というのはじつは自殺ではなく、花がその命を終えて散っているようなもの。
散る「とき」が来たら散るほうがよけいな延命を施されるよりもよほどいい。
「青が散る」美しさは「散る」ことによっているのである
しつこいようだが、花が散るのは自力ではなく他力である。
一遍の和歌にこういうものがある。

「さけばさきちるはおのれと散(ちる)はなのことわりにこそ身は成(なり)にけれ」
(咲くときは咲き散るときは散る花、そういう自然の理に自分は従いたい)


いくら自殺したって未遂に終わってしまう死ねない人がいるのを著者は知らないのか?
自分で自分を100%殺すことなどできるはずがないのである。
すべては他力だと信じられたら捨身往生(自殺)を遂げるものは、
彼(女)の宿業ゆえなのだからまったく自力の行ないではない。
一遍は富士川で入水往生したあぢさかの入道を絶賛している。
にもかかわらず、一遍をまるで理解していない博士はこんなことを書く。
今井雅晴氏にとっては一遍仏法は自分が真に「生きる」ためのものではなく、
出世や商売のための道具に過ぎなかったことがよくわかる。

「富士川で入水往生したあぢさかの入道の行為は、
決して誰にでも認められるものではない。
一遍の答えである「たゞ念仏申してし[死]ぬるより外は別事なし」
における〝死”が、単純な肉体的な死でないことは明白だろう。
これを入道は肉体的な死と勘違いした」(P28)


わたしは勘違いしているのは今井雅晴氏のほうではないかと思う。
氏は日本語を読めないのだろうか。一遍はこう言っているのである。

「又云、およそ一念無上の名号にあひぬる上は、
明日までも生(いき)て要事なし。
すなはちとく死なんこそ本意(ほい)なれ。
然るに、娑婆(しゃば)世界に生て居て、念仏をばおほく申さん、
死の事には死なじと思ふ故に、多念の念仏者も臨終し損ずるなり。
仏法には、身命を捨(すて)ずして証利を得る事なし。
仏法にあたひなし。身命を捨(すつ)るが是あたひなり。
是を帰命と云(いう)なり」


一遍は法然や親鸞よりもさらに過激な信仰を持ったカリスマだったのである。
いまこの瞬間に死んでもいいなんてやつがいたら、ビビらないものはいないだろう。
この迫力にひかれて一遍につきしたがった男女が時衆と呼ばれる人たちだ。
みんな一遍と一緒にいると楽しくて、思わず踊りだしてしまうものもいたのだろう。
本当に狂ったやつというのはおもしろいし、
深く傷ついた人を癒すのは「逝っちゃった」信仰なのだと思う。
一遍はこの世に生きながらすでにあの世に「逝っちゃった」人だったのだろう。
一遍は教科書にも載っている偉人だから「長生きはやっぱりいいわねえ」
などと言うと思ったら大間違いだぜ、そこのおばさん。一遍は51歳で死んだ。

「一遍上人語録 付・播州法語集」(大橋俊雄:校注/岩波文庫) *再読

→むかし暇にまかせて「一遍上人語録」を百回以上読んだことがある。
そうなると、ほとんどすべて内容を覚えてしまう。
その段階までいって一遍の思想を自分の言葉で書いてみたくなった。
2013年8月4日に書いた「一遍上人語録」の感想が以下である。

「一遍上人語録」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-3321.html

ああ、だれもしないでしょうがクリックなんてなさらないで結構ですよ。
うちのブログの最長記事ですから、よほどの暇人以外は読めないと思います。
目が痛くなるからきっと健康にもよくない。
さて、もうあのときの感想ですべてを書き尽くしてしまったような気がするのである。
いまわたしに自信のようなものがあるとしたら、
鎌倉時代のマイナー仏僧である一遍を自分ほど理解しているものはいまいという、
ある種の錯覚(誤解/うぬぼれ)のためといってもよい。

2015年になって「一遍上人語録」について書きたいことはなにかあるのか。
いまわたしは多くの人たちと一緒にアルバイトとして書籍倉庫で働いている。
そうなると一遍の言葉が彼(女)らにはとっては意味がないことに気づく。
わたしが救われたような言葉はほかの人たちにはまったく意味がないのだと思う。
とはいえ、だれも読んでいないブログで語りかけたいとも思ってしまう。
一遍という人はなかなかいいことを言っているのだから。

わかりやすく言うならば、「最後の目」で見てはどうか、と一遍は言っているのだと思う。
難しい言葉をすべてはしょったうえで自分の言葉で説明すれば「最後の目」で見る。
明日ここのバイトを辞めるんだと思って職場の光景を見たらどれほど美しく見えるか。
もうこの人ともあの人とも会わないと思ったら、どんな嫌いな人でも許すことができる。
やたら重いだけのオリコンももう持つことがないのだと思うととても懐かしくなる。

感傷といえば感傷なのだが、一遍の南無阿弥陀仏はそのような感傷だと思う。
究極の真実のひとつは、人はいつ死ぬかわからないということである。
まさかないとみな信じているだろうけれど、
あなたやわたしだって明日死んでしまうかもしれないのである。
明日は来ないかもしれないのである。交通事故、心臓発作、無差別殺人いろいろある。
そう考えてみれば、いまのこの瞬間に見ている光景がどれほど美しく、
ありがたいものに思えるか。
もうこの光景を未来永劫見ることができないかもしれないのである。
そのときいつも行くスーパーの店員、職場の同僚がとても美しく見えないだろうか。
ささいな日常の細かなものがすべて「ありふれた奇跡」に思えないだろうか。

「死」というものを強く強く意識して生きるのが一遍の南無阿弥陀仏なのだと思う。
「死」からこの世を見る。一遍の南無阿弥陀仏とは「死」のことである。
いまのわたしが一遍の思想を一行で要約したら「善悪を捨てよう」になる。
われわれは常に善悪を考えるようにできている。
ついつい善をしたいと思ってしまう。あいつは悪人だと裁きたくなってしまう。
しかし、「死」から見たらなにが善でなにが悪かなんてわからなくならないだろうか。
どうせ死んでしまうのに、あくせく金を稼いでどうする。
どうせ死んでしまうのに、あいつは悪人だから会社を辞めさせろと上に告発してどうなる。
どうせ死んでしまうのに、おれは紫綬褒章作家まで登りつめたと自慢してどうなる。
おれはトヨタの社長だと言っても、あたしは大物芸能人の妻よと言っても、
みなに平等に訪れる「死」から見たらそれがなんになろうか。

しかし、そんなことを言えるのはお気楽な世捨て人くらいというのもまた「正しい」。
人は生きていかなければならないし、
生きていくというのは富や美、出世や健康を求める行為にほかならない。
とはいえ、そういうものをあきらめてしまう生き方もあるのである。
職場のある先輩から人生来歴をうかがい、
この人はわたしなんかよりはるかに
一遍の南無阿弥陀仏をわかっていると感激したものだ。
「わずらわしい人間関係はいやだ」とその人は言った。
一遍が好きだった空也という坊さんの言葉にこういうものがある。

「名を求め[名声・肩書を欲し]衆を領すれば[人の上に立てば]身心疲れ、
功を積み[がんばって]善を修すれば[世間的にいいとされることをしたら]
希望(けもう)多し[この世への期待が大きくなるがどうせ報われない]。
孤独にして境界なきにはしかず[孤独に徹し人と自分を比べないのが一番]。
称名して[念仏して]万事をなげうつにはしかず[すべてを捨てるのがいい]」(P132)


とはいえ、それがなかなかできないのが人間というものなのだが。
一遍だってなんだかんだいって最後には名声を得ているのである。
出世を本当に求めなくなったら出世してしまうようなところがあるのかもしれない。
しかし、どうせ出世したところで人間は孤独である。
結婚したっていくら友人がいたところで人はみんなひとりぼっちだ。
一遍の和歌にこういうものがある。

「おのづから相あふ時もわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」(P59)

人生の出会いや別れが「おのづから」であるという考え方がまずいい。
人に出会ったり別れたりするのは、
偶然でも必然でもなく「おのづから(自然)」なのかもしれない。
そして、どんなにいい人に出会っても「おのづから」別れてしまう。
そうかと思ったら「おのづから」べつの人と出会うこともあるかもしれない。
しかし、結局のところ人間はだれしも「ひとりはいつもひとりなりけり」――。

明日死んでしまうかもしれないと強く思うことだ。
実際そうならないとも限らないのだから。
どうしてみんな自分が平均寿命まで生きられるなんて信じているのだろう。
不摂生な生活をしているから、あと数年くらいだと思っている。
正しくは思っているではなく、あと数年で「おのづから」死にたい。
一遍の思想は、「死」こそもっとも幸いという逆転発想である。
南無阿弥陀仏と唱えたら死後にこの世よりもはるかにいいところに往ける。
そう考えると踊りだしたくならないだろうか。
明日死んでしまうかもしれないと考えたら、
今日会う人たちや目にする光景がどれほど美しく見えるか。
どうせ人は死ぬのだし、死んだら極楽に往けるのなら、
いまの苦しみや辛さなど屁ほどのものでもない。
人はみんな死ぬ。死んだら天皇も社長も富裕層も貧困層も底辺もなーんにもなくなる。

懸命に南無妙法蓮華経と唱えて現世における出世や勝利を求めるのもいいが、
人生長くてもたったの百年で、
死んでからは百年どころではない長い長い時間が待っているのかもしれないのだ。
しかし、南無妙法蓮華経もまたいいと思う。
どうしてたった一回きりのこの人生で幸福を願わずにいられようか。
成功して勝利して人の上に立つのはいい気分だろう。
そっちもまた「正しい」のだと思う。
一遍の思想は「正しい」ことや「善悪」は自分にはわからないというものだった。
なにもかもわからないことを示すために一遍は南無阿弥陀仏と言った。
明日死んでしまうかもしれないのだから、一遍は楽しく笑い、そして踊った。
おそらくAKBの元祖であろう踊り念仏の発案者として広く知られているのが一遍である。

「中世を旅する聖たち展 一遍上人と時宗」(神戸市立博物館)

→昭和63年に神戸市立博物館で開かれた展覧会の図録である。
わたしが古本祭や古書市を好むのは、
こういった思いもよらぬ希少本をときに安価で入手できるからである(500円でした)。
そのような偶然性を愛さなかったら、なんとこの世界は味気ないものになるか。
展覧会の図録というのは(定価で買ったことはありませんが)本当に貴重なものだと思う。
恥ずかしながら芸術鑑賞みたいなことは正直、
生まれがクソ庶民なためでしょうかほとんど縁がなかったが、
たとえ展覧会に行ってもひとつのものをじっと見つめていられない事情くらいはわかる。
図録だったらたしかにコピーだが、気になるものを何度でも見ることができるのだ。
古本祭や古書店のワゴンで投げ売りされる展覧会図録がいかにありがたいか。

一遍の最初の弟子、他阿真教は斜視だったのではないか。
このため、悪人のように一部で思われるのかもしれない。ちなみに、わたしも斜視。
65ページに掲載された「遊行上人縁起記」は、ある真実を語っているような気がする。
日蓮宗の(自分たちを絶対正義と疑わぬ)連中が、時衆の道場に攻めてきている。
あたかも「勘弁してください」と拝むように泣いている時衆の尼さんと、
男根主義というほかない傲慢な日蓮宗徒の視覚的な差は、
根源的な自力と他力の宗派の相違を如実に表現していよう。
とはいえ、時衆とても一遍以降は女人を重んじなかったのはこの図録からうかがえる。
同65ページの「魔仏一如絵」の絵もいい。
踊り念仏をする時衆の尼さんが、いまで言うところのミニスカートなのである。
タイムマシーンが発明されるまで真実は断じてわからないが、
日本ミニスカートの元祖はもしかすると一遍時衆集団なのかもしれない。
一遍もわいせつな踊り念仏もミニスカートも、ひたすらどこまでもいい。好きなのだ。
本書にめぐりあえた偶然に感謝したい。
「絵で見る一遍上人伝」(長島尚道・編著/常楽寺/ありな書房)

→「一遍聖絵」の主要場面をカラーで紹介してくれるたいへんありがたい薄手の書物。
岩波文庫にもコピーは少し載っているけれど、あれでは白黒でぜんぜんわからない。
本書がとても貴重に感じられたのはこのため。
禁酒時、毎晩のように時宗の念仏テープを聴きながら本書をゆっくりひもといたもの。

一遍のどこがすごいかと言ったら、まったく肩書で勝負していなかったところだと思う。
残念ながら本書には掲載されていなかったが、
たしかうちらの時代の歴史教科書にも載っていた「一遍聖絵」の有名な場面に、
時衆結成以前の一遍がひとりで武家屋敷を訪問する場面がある(岩波文庫版に掲載)。
あれはいまで言うところの「飛び込み営業」なのである。
いきなり知らない人の家にアポなしで訪問して商談をまとめることだ。
一遍は酒宴中の武家屋敷のなかへひとりで入っていき、
まんまと念仏札を主人に渡したわけである。
「一遍聖絵」に詳細こそ書いていないが、
そのとき一遍が相当額の謝礼を受け取ったと思って間違いあるまい。
一遍の身分は私度僧(自称僧侶)。当時は乞食となんら変わりない身分。
いまで言うニセ医者、占い師、スピリチュアルカウンセラーみたいな存在だ。
そのうえ「飛び込み営業」をするセールスマンでもあった。
だが、抜群に「飛び込み営業」がうまかったのだろう。
そうでなければ無一文の身にもかかわらずひとりで各地を旅できるわけがない。

個人的な体験だが、異国をひとりで旅していると、直感的にこの人は偉いと思うことがある。
むろん、言葉は通じないから相手の詳しい地位(身分)はわからないけれども。
世の中には肩書に関係なく、オーラのようなもので、この人はすごいと思わせる人がいる。
そういう人物の存在がわかるのは、こちらが無目的な長期旅行をしたからだと思う。
人には旅をすることで鍛えられる日常的な肩書(身分)とは領域を別にする、
非日常的な威光のようなものがある気がしてならない。
「飛び込み営業」がたぶんめっぽうにうまかった一遍も、そのような威厳があったのではないか。
おそらく運もよかったのだろう。
酒宴のただなかなら人は旅芸人のような連中にも気前よく金銭を振舞うものである。
一遍は自分のような存在を求めている場所を探すのがうまかった。
あるいは捨て身で生きているから、自然にそういうところへ流れていけたのかもしれない。
我執がなく自然にまかせていると、ある種の必然として食いぶちくらいは得られるのだろう。

肩書にこだわらない一遍のすごみはほかのシーンからもうかがえる。
これは本書にもきれいなカラーで掲載されているが、
一遍は亭主の留守に他人の家に上がり込み女房を出家(剃髪)させてしまったことがある。
初対面の女性をその場で出家させるくらいだから、
一遍は人を狂わせる力のようなものがあったのだろう。
さて、問題はここからである。激怒した亭主が刀を持って一遍を追ってきたのである。
憤怒のあまり抜刀した男と向き合う一遍の態度には寸分たりとも隙のようなものがない。
「殺せるなら殺してみろ」
男は反対に一遍の迫力にひるみ、妻とおなじようにその場で出家(剃髪)したという。

当時の中心地域、鎌倉へ時衆集団とともに入ろうとしたときもそうである。
一遍などまったく無名の人脈もなにもない乞食坊主に過ぎないのだ。
この道は本日通行禁止だと馬上の武士から恫喝(どうかつ)される。
「おまえはなにものだ? 売名行為が目的の田舎坊主は去れ!」
「念仏布教がしたいのみ。かなわぬならここで死ぬから切ってくだされ」
武士は身命を捨て切った一遍に恐れをなして、
郊外ならば布教してもいいと逆に逃げ腰になったという。
なんの後ろ盾(肩書)もない乞食坊主にみなが圧倒されたのは、
言葉にはできないけれども一遍から言い知れぬすごみのようなものを感じたからだろう。
現代の高僧がいったん豪華絢爛な法衣を脱いだら、だれもそうとはわからぬのとは正反対だ。
旅のさなかでは、だれしも肩書のないところでの一瞬の勝負をしなければならない。
一遍を鍛えたのは孤独な旅であったのだろう。
瞬間的な勝負では、肩書はまったく意味がない。
捨て身で一心不乱の一遍がやたら強かったのはこのためではないかと思う。
おそらく「飛び込み営業」の達人である一遍は、
天皇の血筋という噂があったがために空也を尊敬していたわけではないのではないか。
「一遍上人と遊行寺」(日本仏教研究所編/日本仏教の心9/ぎょうせい)絶版

→本郷の古書店でこの本を見つけたときは、たいへんな掘り出し物と思ったものである。
昭和56年発行の箱入り大型本で定価5千円を千円で購入することができた。
いかにも希少本っぽいたたずまいがあった。
高額の理由はテープが付属していることで、消失していないのも嬉しかった。
テープは時衆(時宗)の行事を録音したもので、実際の念仏を耳にすることができた。
時衆では念仏を合唱のようにいろいろなメロディーやリズムで称名していることを知る。
何度も聞いて多様な念仏の発声方法を覚えてしまったものである。

さて、一遍の周辺人物でいちばん胡散(うさん)臭いのは他阿真教である。
他阿は他阿弥陀仏の略称で、真教は時衆の二祖となり教団を確立、拡大させた人物である。
このたび大して当てにはならない当方の悪人センサーが、
まことに失礼な話だが他阿真教に反応してピカピカ光ったのだ。
どうでもいいが、この悪人センサーは自分が悪人であることから発達したと思っている。
なにやら他阿真教に腹黒さを感じてしまったのである。
他阿真教は詳しいことはわかっていないが、元は浄土宗鎮西派に学んだ僧侶だったらしい。
40歳のときに38歳の一遍に弟子入りしている。
以降、51歳で一遍が死ぬまで遊行の旅に付き添ったとされる。
一遍に教団継続の遺志がなかったにもかかわらず、
他阿真教は一遍没後30年にわたり時衆の絶対権力者として君臨し、
教団拡大に成功している。晩年には貴人とも交流があったという。
67歳のとき遊行をやめ弟子に他阿号(遊行上人の地位)を譲渡し寺に居住、
83歳で没している。
一遍の異母弟の聖戒が「一遍聖絵」を完成させたのが1299年である。
まるで対抗するように1307年、
他阿真教は一遍の伝記に自分の伝記を付け加えた「遊行上人縁起絵」を作成させている。
これは一遍あるいは他阿真教の弟子が編集したことになっているが、
どう考えても他阿真教が自分を一遍同様に神格化するために作らせたものだろう。
時衆では一遍よりも二祖の他阿真教が偉いとされていた時期もあったようだ。
蓮如に先がけて手紙での布教をしたことでも知られている。

ことさら俗っぽい意地悪な見方をするならば、
無名の田舎坊主に過ぎなかった他阿真教は一遍を踏み台にして成り上がった、とも言えよう。
一遍の異母弟の聖戒とは不仲とまではいかないけれど派閥が違っていたようだ。
他阿真教は少なくとも聖戒よりも自分を重んじるタイプであったふしがうかがえる。
しかし、他阿真教をたとえば蓮如のような腹黒い悪人と断定したいわけでもない。
なにしろ日本で最初に一遍のすごさを認め弟子入りした人物なのである。
人を見る目があったことだけは疑いえない事実であろう。
推測だが、他阿真教は一遍の長所も欠点もわかったのではないか。
純粋な信心から捨て身で念仏札を配る一遍に感動はしたが、
そのやり方ではうまくいかないことも同時に他阿真教は見破ったのではないか。
他阿真教はよくも悪くも、世渡り上手な面があったのではないかと思われる。
おそらく他阿真教は一遍の弟子であったと同時によき参謀役であり懐刀だったのだろう。
ひとたび他阿真教が一遍の右腕になってから、時衆の飛躍ぶりは目覚ましい。
熱狂的な一遍だけではうまくいかないところがあったのだろう。
一遍と他阿真教がセットになってはじめてうまくいく。
だれかがカリスマになるためには、汚れ役を引き受けるものが必要なのではないか。
一遍時衆集団が無一文で無鉄砲な全国遊行をできた背景には、
他阿真教の経済的な補佐が不可欠だったのだと思う。
一遍が断った布施を他阿真教があとでこっそりもらっていたこともあったのではないか。
踊り念仏プロデュースは、他阿真教のスポンサーとの交渉があってはじめて成立した。
もしそうであったとしたら一遍のみならず他阿真教も大した人物である。
一遍を男にした陰の立役者が他阿真教だとしたら、一遍没後の出世は当然とも言えよう。

それにしても一遍と他阿真教、このふたりはどれほど強い因縁で結ばれていたのだろう。
どんなにすばらしい人でも、だれかによさを認められなければそれで終わりなのだ。
現実として一遍は3年ものあいだ、だれからも評価されずにひとりで旅をしていた。
言葉は悪いが、きちがいの乞食坊主が変な札を配っていやがるとバカにされていたのだろう。
だれも一遍のすすめる念仏のすばらしさを理解できなかった。
そこに他阿真教が現われて、この人のここがすばらしい、この人は偉大だと弟子入りしたのだ。
水戸黄門とてひとりだったら、もうろくした老いぼれに過ぎないのである。
心底から当人を尊敬した弟子や子分が「ひかえよ」とやらないと世間には通じない。
世間というものは、だれかから認められている人しかなかなか評価しない。
このため、一介の乞食坊主に過ぎなかった一遍に弟子入りした他阿真教が偉いのである。
以降、世の人は他阿真教から一遍のどこがすごいかを教わることになる。
一遍自身も自分の布教に以前よりも自信を持つことができるようになったことだろう。
わたしがいま「一遍上人語録」を夢中になって読むことができるのも、
鎌倉時代に他阿真教が最初に一遍という人に参った、まさにそのおかげなのである。
そうだとしたら、たしかに一遍の異母弟の聖戒よりも他阿真教は偉いことになろう。

他阿真教はとにかく権力者と渡り合うのがうまかったようである。
一遍の存命時は遠慮していたであろう俗物根性を没後は惜しげなく発揮している。
当時勢力拡大していた武士階級と他阿真教はたくみに手をつなぐ。
武士というのは人を殺してなんぼの世界である。
たくさん人を殺したものほど出世できるような環境で生きているのが武士と言えよう。
しかし、いくら武士とはいっても、人を殺すのは後生が悪いのではないか、
という恐れがあったようだ。そこに他阿真教はうまくつけこむのである。
武士のみなさん、大丈夫。人を殺してもうちの念仏を称えれば死後も安心、バッチグー。
この問題に関係して他阿真教が偉い武士に書いた手紙が本書に掲載されている。
この本の執筆者は全員時宗(時衆)関係者であるのに、
こんなあからさまに身内の恥をさらしてしまっていいのだろうかと泡を食った。
どこか腹黒い浄土真宗に対してマイナー教団ならではのよさであろう。
以下は他阿真教が、殺人の罪悪感に脅えるスポンサーの武士に送った手紙からの抜粋。
内容はしつこいようだが、人を殺してもうちの念仏を称えれば大丈夫、である。

「或は軍人にのぞみて怨敵とたたかはんときは、
かならず敵をほろぼさんとおもふこころ強勢なるべし。
これはみなたちまち悪道に堕すべき業因なり。
しかりといへども信心念仏の行者は、口に名号をとなへて命終すれば、
称名の声にこのつみを滅ぼして必ず往生を遂べし。
命をうしなはんほどなるたたかひのうちに、念仏せんほどのものは
比類なき行者なるゆへに、さだむで摂取の益に預るべし」(P58)


まあ、なんというか、その、ひどい手紙だよなァ。
なんでも南北朝戦乱の時代には、いつ死んでも地獄に堕ちないように
「陣中時衆」とやらをともなっていた武将もいたそうである。
言ってしまえば、時衆の連中は、死後の恐怖を商売にしたのである。
もっとも従軍坊主本人が強く死後の極楽往生を信じていることが必須条件だったであろう。
時衆の寺で主君に殉死するため切腹した武士もいたとのことだから、
まさか殺人をOKと宣言してしまった時衆が自殺(切腹)ごときを罪悪とはしないだろう。
利権のうまみがたっぷりある時衆トップの座は早くから権力闘争が激しかったようだ。
他阿真教は二祖で、三代目は智得という坊主らしいのだが、さっそく跡目争いが起きている。
どれだけ時衆トップの座が当時おいしかったかのいい証拠であろう。
うまく北条高時の支持をとりつけた坊さんが智得をほとんどいじめ殺したようだ。
時衆正史ではこの坊さんが極悪人ということになっているが、
宗門外の我われの目から見たら、まあどっちもどっちだろうと言うほかあるまい。

遊行による賦算(ふさん=念仏札を配る)も時代を経るごとに変わっていったという。
どんどん権力者とズブズブの関係になっていったらしい。
権力者としては死後の不安がなくなり、時衆としては地位向上、商売繁盛だから、
共存共栄と言ってしまえばそれまでだが、それは一遍のやり方ではないのではないか。
戦国時代には時衆のトップともなれば天皇や織田信長とも面会できたらしい。
それどころか報酬をもらえるくらいに時衆の連中は偉くなっていたそうだ。
もとより、遊行も一遍のような食うや食わずの捨て身の旅とは程遠い。
各地の道場から道場へおもむく安全な大名行列のような遊行に変化していた。
江戸時代には行く先々で時衆トップは豪華な接待を受け、
貢物をもらってから場所を移動したという。
他宗派の信徒の「あれは開基一遍の遊行とぜんぜん違うじゃないか」(大意)
という記録も残存しているとのことである。
それにしても宗門の過去の恥(でしょう?)をこうして自分たちから率先して
公開してしまう時衆の正直ぶりには感心する。ちょっと帰依したくならないでもない。
ちなみに浄土真宗や日蓮宗ではNGの般若心経も時衆はOKである。
書き忘れていたが、江戸時代から時衆は時宗と呼ばれるようになったとのこと。
いまの時宗はまさかそんなことは言わないだろうが、
かつては殺人OK、自殺OK、贅沢OK、なんだってOKだった時衆はよろしい。
実のところ、わたしは2年まえ現在の時宗トップの真円さんから賦算を受けている。
いまもそのときいただいた念仏札はたいせつに財布にしまってある。
金運はちっとも上がらないが、まあ念仏信心はそういうものではないのだろう。
(当方は時宗の檀家でもなんでもなく、区分されるならばいわゆる無宗教ですよ)

*遊行寺を参詣したときの記事↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-2649.html

「花に問え」(瀬戸内寂聴/中公文庫)

→瀬戸内寂聴さんの小説を読むのは初めてだが、こういう小説を書く人だったのか。
小説は異性の描写を見ると、作者の世界がよくわかる。
どんな天才作家でもさすがに異性の本音はわからないのではないかと思う。
だとしたら、もうそこは実体験や妄想をフル活用して創作するしかない。
このため、異性の描写こそ作者の夢のようなものがもっとも出てしまうのである。
「こうであってほしい」という夢である。
こういう事情で男は女の小説を読んで「女はバカだ」なんて不遜なことを考えニヤニヤし、
女は女で「先生の近作、とてもおもしろかったです」なんて口では言いながら、
裏では「フン、男なんてどいつもこいつも甘いもんね」などとアッカンベーするのである。
いやいや、女の本音はもちろんわからないけれどもさ。

谷崎潤一郎賞を受賞した本作は、かなり意図して純文学風というか、
学術論文風というか、まあお堅く書かれていて、きっといつもの作風ではないのだろう。
京都の旅館の女将が出家するまでの物語だ。
ここに大きく一遍が関係してくるため、小説は随所で一遍論のようになる。
旅館は女将の母親が始めたものだが、母は男妾(ヒモ)として若い売れない画家を飼っていた。
母の死後、主人公はこの画家と関係を持ち、ガンで早世するこのヒモ男を看取る。
この生活力のない、だがしかしイケメンでインテリ風な男が一遍の大ファンだったという。
親子どんぶり(母娘連続姦淫)をニヒルにもやりとげる芸術家肌のヤワ男を
果たして読者が好きになれるかが第一の勝負だが、
おそらく女性はこういうちょいワルでどこか影のある男を一般的に好むのではないか。
さて現在進行形の物語は、この女将が車で旅行中、
偶然にお遍路をしている青年僧侶を拾う。この青年が一遍の遠い子孫だと言うのだ。
小説は女将の身辺告白および回想、死んだヒモの一遍ノート、
インドへ行った青年からの手紙と3つの視点で進んでいく。
この三様のお話における共通点が一遍で、
物語の進行とともに鎌倉時代の一遍のすがたが明らかになってくるという構図だ。

ときおり話が専門的になるが、寂聴さんの筋運びは天才的にうまいので読者を飽きさせない。
わたしもインドを3ヶ月ふらふら徘徊したことがあったので、
小説の世界に入っていくのが容易でとても楽しむことができた。
インド最南端のコモリン岬が重要な場所になってくる。
結末近く、恋人を事故で亡くした青年僧侶は、ここで現代の踊り念仏を見た思いがする。
ヒッピー風の白人旅行者が月夜、いきなり音楽を演奏して踊り始めたという。
その場にいたものは日本人青年もふくめ全員その踊りに入っていった。
その踊りには人種の差や国籍の相違などを感じさせない熱狂的陶酔があったとのこと。
寂聴さんがこのシーンをいちばん書きたくて「花に問え」を執筆したのだと感じ、
作者の熱い思いにこちらも落涙したものである。

「花に問え」で展開された寂聴さんの一遍論考は、
どの学者のものよりも鎌倉時代の捨聖(すてひじり)をよくとらえているような気がした。
寂聴さんは実際に家や子どもを捨てている(らしい)から、
そこらの学者連中とは凄味がまったく違うのである。
一部とても参考になったところを自分の勉強のため抜粋させていただく。

「一遍だって、称名念仏だけをすすめていたけれど、
彼につき従って流浪する男女の群れを見たら、一遍に呪力がなかったら、
どうして彼等がああまで追随していくだろうかと思うのです。
すべて、あらゆる宗祖は革命家だと、あの晩あなたは断乎おっしゃいました。
(中略) あらゆる宗祖はたしかに革命家です。
既成の宗教や道徳や、法律までも破壊する力を、宗教は持っています。
どんな怪しい町の新興宗教にも、まだ若い純真な男女が必ず何十人か、
あるいは何百人かつき従っていくのも、善かれ悪しかれ、宗祖と名乗る男や女に、
ある種のカリスマ性があるからでしょう。
カリスマ性にはエロスが絶対必要です。エロスは放恣に放散するより、
禁欲することによって、純度と濃度が高まるのは多くの例を見ればうなずけます。
一遍の画像を見れば彼が如何に男らしい性的魅力に富んでいたかがわかります。
呪力はエロスの魅力かもしれません。
一遍の賦算の熱情は、世間の凡夫から見れば狂的にさえ見えます。
このチケットを受けとれば、必ず阿弥陀仏に救いとられて
極楽へ往生するなどといって、見知らぬ誰彼にもそのチケットを押しつけて
全国を遊行するなんて、正気の沙汰とも思えません」(P99)


「一遍の「南無阿弥陀仏」の六字念仏は、宇宙の生命への暗号であり、
もっと平たくいえば宇宙の生命と人間をつなぐ宇宙語である。
真言とか陀羅尼も宇宙語なのだ。それを訳したところで無意味である。
真言や陀羅尼や六字名号を称えているとその快いリズムに呼吸が
自然に整えられていき、肉体的にも快感がみなぎってくる。
宇宙の生命のリズムと人間の呼吸のリズムがぴったりと一つになって、
恍惚の三昧境に身も魂も引きこまれていくのである。
感覚的に快美でなければ、情緒的に甘美でなければ、人は宗教に憧れるものか。
悟りを開くとは、その一瞬に、身口意の何れでも表現出来ないエクスタシイの波に
心身が巻きこまれるものなのだろう。
宗教的天才だった各宗祖たちは、生きながらそれを体得する。
おれのような凡夫は到底そんなきらびやかなエクスタシイを
味わうことは許されないだろう。それでも、もしかしたら、死の瞬間、
あるいは死んで向こうへ渡ったその瞬間、それが訪れ、甘美な陶酔に
包みこまれるのではないかというかすかな期待を捨て去ることが出来ない」(P119)


「ところで、この踊りの陶酔の中で、
ぼくは一遍の踊る宗教の秘密がとけたようにおもったのでした。
何者にも束縛されないで無心に手足を振りはね踊ることは、
自分という肉体を解放しきることです。
セックスも何よりの自己解放の行為でしょが、
セックスには対象の感覚を計るという面倒さがあります。それに比べたら、
ああいう自然発生的な、きまりもない踊りはほんとうに自分を解放してくれます。
いつの間にか勝手に足がはね、手で宙をかいているのです。
歓喜踊躍というのは誇張ではありません」(P228)


だれよりも一遍を好きな自信はあったが、さすがに寂聴さんには負けたと思う。
理由は、男は女よりも男を好きになれないからである。
寂聴さんは一遍を女人として好きなのだから、この熱愛にはどうしてもかなわない。

「わが屍は野に捨てよ 一遍遊行」(佐江衆一/新潮文庫)絶版

→一遍をモデルにした時代小説。
一般読者はなまじ学者の本よりも、こういう娯楽小説から入ったほうがいいのかもしれない。
著者は実によく勉強しておられるので、いろいろ参考になった。
学者も逃げる「六十万人頌」の解釈を見事に我流でなさっているのにはうなった。
もっとも感心した指摘は、一遍が遅咲きの偉人だったということだ。
これは一遍の身になって小説を書いた男にしかわからないことかもしれない。
30代後半の一遍はひとりで無一文の旅をしていたのだ。

「その後、日向国を通って北上し、大友氏の領地、豊後国に入った。
一遍に帰依する者はひとりとてなく、その苦しく辛い遊行も三年目の秋になっていた。
一遍、数えて三十九歳である」(P177)


大志を抱いているにもかかわらず、
39歳にもなってまったく世から認められぬ男の悲哀を著者は寄り添うように描写する。
さすが芥川賞に5回も落選した著者ならではの感受性と言えよう。
このために最初の弟子志願者および帰依者との対面が感動的になることも、
娯楽小説の道を進むことになった著者はよく知っている。
わからなかったのは、一遍がやたら性欲の強い人物として描かれていることだ。
これは濡れ場を好む層を考えての読者サービスなのだろうか。
それとも著者の自己イメージを投影しているのか。
あるいは事実で、禁欲社会にいるとかえって性欲を強く意識するのだろうか。

著者と意見の食い違うところは一遍の自殺観である。
著者は一遍は自殺を禁じていたという見方を持っている。

「みずから「死」を選ぶのは自力であるから、許されない」(P245)

浄土教の絶対他力信仰によるならば、
死に様もまた過去世で決められていると考えるはずだが。
「一遍聖絵」を読んでなお、
一遍は自殺批判者だったと曲解できる作者の想像力にはむろん敬意を表する。
この小説は読者を選ぶ純文学ではなく、いわゆる大衆小説だから、
「自殺はいけない」という多数派の倫理規範におもねって、
あえて佐江衆一氏は事実を改変してこのような娯楽作品を生み出したのかもしれない。
小説はつまらない研究などではないのだから、
読者が楽しめるのならばなにをしてもいいとわたしは思う。
勉強になるのみならず、たいへんよくできた娯楽小説でした。

「捨聖・一遍上人」(梅谷繁樹/講談社現代新書)絶版

→著者はご存命で現在は知らないが出版当時、女子大の教授で時宗寺のご住職とのこと。
重要なのは「一遍上人全集」の編者のひとりであること。
そう、一遍研究の権威のおひとりであられる。
氏のご発言がもっとも一遍に関しては「正しい」ことになるお立場におられる先生だ。
「一遍上人全集」は現代語訳もついているので買おうか迷ったが(高いんすよね)、
あえて解釈のあまりついていない岩波文庫版で繰り返し読み込むことにした。
というのも、たしかに「正しい」のかもしれないが、
現代語訳を読んでしまうとこちらでいろいろ考える余地がなくなってしまうからだ。
小声で言うと、その現代語訳が絶対的に正解かはわからないのではないかと思う。
答えを先に押しつけられると、こちらに解釈の自由がなくなってしまう。
仏教における個人の救済は、そんなものはないのかもしれないが、
あるのだとしたら極めて個人的な新解釈の発見によるところが大きいような気がする。
失礼ながら梅谷氏編集の「一遍上人全集」にまだ目を通していない理由だ。

梅谷繁樹氏によると、「一遍上人語録」も怪しいものらしい。
というのも、「一遍上人語録」は一遍が書いたものではない。
しょせん弟子の聞き書きで、そのうえ出版は江戸時代とだいぶ遅れての話だ。
このため、後世の宗門的都合による教えの挿入の可能性を疑うと切りがなくなる。
梅谷氏にしたがうならば、一遍の「百利口語」は後世の創作とのことだ。
ほかの和讃のなかにも本人の作か疑われるものがあるという。
一遍の権威である梅谷氏の指摘なのだから、かなりのところ「正しい」のだろう。
しかし、それを言い始めてしまうと一遍自身も怪しいことになってしまう。
一遍は先達の空也の語録のようなものを指針として遊行していたようだ。
とはいえ、空也と一遍は時代が離れている。
一遍が生きるよすがとした空也の言葉が後世の創作だったという可能性もありうる。
そもそも「正しい」ことはない。少なくとも人間にはわからない。
正義や邪義を言うな。これが一遍の教えだったはずだ。
けれども、そう、そこが一遍の言葉でないという危険性もあるわけだ。
こうなるともうなにがなんだかわからなくなる。
考えてみたら、一遍もわからなかったはずである。だから、まかせた。信じた。

「又云、信といふは、まかすとよむなり。
他の意(こころ)にまかする故に、
人の言(ことば)と書(かけ)り」(「一遍上人語録」)


基本に立ち戻るならば、一遍の言葉だから「正しい」という姿勢はおかしい。
一遍によれば南無阿弥陀仏とは、「なにが正しいかわからない」という意味ではないか。
一遍も空也の言葉が「正しい」かどうかはわからなかったが、信じてまかせた。
果たして一遍の「正しい」教えをわかるとはどういうことなのか。
本当に一遍のことがわかったら大学教授や住職という地位を捨てて、
一遍のように全国を遊行してまわるのが「正しい」のか、それとも違うのか。

さて、踊り念仏のストリップ疑惑は男心を引き寄せるものがある。
梅谷住職は聖職者であられ、わたしのように煩悩にまみれてはいないだろうが、
それでも研究者としてストリップ疑惑に誠実に向き合っている。
わたしはストリップに近かったとしても構わないと思うが、
ご住職はあくまでもタテマエ論を支持するお立場とのことである。
もちろん、いまは梅谷氏の考え方も変わっているかもしれないし、
究極的な真相はタイムマシンが発明されるまではわからない。

「このように見てくると、この舞台は見物効果満点で、ショーに近いとも見られる。
中世末の『洛中洛外図』の「面白の花の都や」の先駆と見る人もいるほどである。
論者によっては、男女、とくに女(尼)が根を隠さずにおどるということで、
見物人に歓迎され、非難もされたのであろうと言う。
また、別の論者はこうした念仏勧進とひきかえに、木戸銭を徴収しただろうと言う。
たしかに、各種の桟敷が無料でないなら、
舞台(おどり屋)もタダでは建てられないだろう。
一遍は時衆を養う衣食の費用もいったはずである。
この考え方に一理あるが、タテマエ論で言うと、喜捨・布施によったものと見ないと、
捨聖一遍を中心とした時衆は
それこそ信仰の場から離れて売僧(まいす)になりはてたであろう」(P84)


現代でもAKB48にある意味で救われている底辺孤独層がいることは
(俗にキモオタなんて言われていますね、あはっ)、
一遍の権威・梅谷繁樹氏のご論考になにかの影響を与えはしないでしょうか。
タテマエではなくホンネのお話をうかがってみたいところです。
ぜんぜん関係ない話ですが、いくら浮世離れしたわたしだってAKB48のフルネーム、
ううん、たぶん5人くらいは言えます。

「一遍 大地を往く」(鎌田茂雄/集英社)絶版

→これまでたくさん読んできたし、これからも恥ずかしながら読むだろうけれど、
だれかの書いた解説書を読んでも仏教はわからないと思う。
学問的仏教はともかくとして信心というのは個人的な賭けの要素が強いので、
人から教わったものをそのまま暗唱して「はい、正解です」というわけにはいかない。
たぶん解説書を10冊読むよりも、原本を10回読むほうが実りがあるような気がする。
しかし、そうなのである。仏教はとにかくわかりにくいんだ。
わからないのをわからないままに何度も読めばしだいにわかってくるものなのだが、
このせわしない世相にそんなことをやれる暇人は少ないだろう。
ちゃちゃっと絵つきの解説本を読んで、わかったことにしてしまいたい。
忙しい人はそれでいいのだと思う。
一遍の言葉なんて百遍読んでも結局わからないところもあるのだから。
元東京大学教授で故人の鎌田茂雄も実のところ、
一遍のいわゆる「六十万人頌」を理解できなかったのだろう。
一般向け解説書である本書においても、かなり適当にごまかしている。
とはいえ、こちらも独自に一遍を読み込んだ結果、ごまかされていることに気づいたのだ。
あっ、本当は高名な東京大学教授の先生でも理解できないのか、と。
最初の段階ではごまかされていることにも気づくとことができなかった。

仏教でもなんでもそうだけど、
勉強すると自分が他人より偉くなった気がしてしまうのが大きな問題なのだろう。
これはもうどうしようもないことなのかもしれない。
努力して勉強すると、自分が正義のように思えてくるどうしようもなさが
我われにはそなわっているのではないか。
受賞歴華やかなお偉い東京大学教授はその典型のようだ。
仏教学がご専門の鎌田茂雄教授はまず一遍の言葉を権威として引き合いに出す。

「「ほとけをおもひ経をおもふ、ともすれば地獄のほのほ」
という一遍の言葉を現代の高僧や仏教学者に聞かせたいものです。
一遍がもっとも拒否したのは似非(えせ)です。
一遍の恐るべき直観力は、ほんものとにせものがはっきりと分かったことです」(P108)


まるで仏教学者のなかで鎌田教授だけがほんものである、といったような口ぶりだ。
ボクは東大教授だから偉いんじゃなくて、
一遍のようにほんものがわかるから偉いんだぜ、と言っているのに近い。
しかし、おのれの幼稚的部分を一般書に恥ずかしげもなく書き込む姿勢は、
ある意味で東京大学教授らしく潔いと言えなくもない。
ちなみに、一遍のすごさは「ほんものとにせものがはっきり分かっこと」ではなく、
「領解すべからざる法」である念仏以外はすべてにせものと言い切ったことだと思う。
一遍は自分という存在さえもにせものと思っていたようなところがある。
つまり、「おれもにせもの、おまえもにせもの」だ。
とはいえ、こうして意見が食い違うと肩書の関係上、
圧倒的に東大教授の勝ちになるのはこの世のシステムとして仕方がない。

鎌田教授も一遍踊り念仏のきな臭さ、不穏なところに気がつかれたようだ。
かなりおもしろい仮説めいたものを書いている。
教授のこの妄想にはわたしも賛成したい。
一遍の踊り念仏には鎌田教授の妄想に近いところがあったのではないか。
実際はタイムマシンがない。
よって、だれにも真相はわからないのだから楽しい妄想は許されると思う。
さて、踊り念仏が自力の禅よりもどこがよいのか。

「しかしながら天台止観や坐禅(ざぜん)によって
煩悩をおさえることができるのは、よほど能力のある人に限られます。
普通の人では静かに坐禅をしても思いや情念が荒れ狂い、
あまりに集中すれば発狂寸前にいたるのです。
それよりは思いきり、あらん限りの思いを外に発散した方がよい。
わめきたい言葉のかわりに「南無阿弥陀仏」といった方がよい。
思いきり悪口をどなるかわりに、「南無阿弥陀仏」といって踊り狂った方がよい。
それが思いを外に発散させ、結果的には煩悩を沈静できることになるのです。
さらに男女が裸で一糸まとわず、性器をそのままかくすことなく、
誰はばからずに集団で踊りまくるのは、さらに効果を高めることができましょう。
情感が高まれば好きあった男女がそのまま抱きあうことも起こるかもしれません」(P71)


おい、鎌田さん、鎌田、鎌田、キョージュ、そう、おまえだよおまえ!
そんな暑苦しいスーツは脱いじまえよ! たくさん首にかけた勲章も捨てちゃえ! 
おい、キョージュ、素っ裸になって踊ろうぜ!
なに恥ずかしがってんだ!? 猿股も脱げよ、みんなついてるもんはおんなじだよ!
ほら、キョージュ、おい、どうしたんだ、自分は一遍を理解したほんものなんだろう?