「文章を書くこころ」(外山滋比古/PHP文庫)絶版

→そうだよなあ、と思ったことをまとめてみる。

・制限文字数が短い文章ほど書くのに時間がかかる。
長い文章は思ったよりもずっと書きやすい。短くまとめるのが難しい(P18)。

・読んでくれる人がいることで文章が上達する(P38)。

・「熟したテーマは向うからやってくる」(バルザック)
テーマが熟してくると、放っておいてもテーマが書いてほしいと呼びかけてくる(P57)。

・せっぱつまって早く書かなければならないときほど、かえっていい文章になる。
時間をかければいいというものではない(P62)。

・わかりやすい文章を書くコツは、おなじ言葉を繰り返さないこと。
400字の原稿用紙なら1枚の中におなじ語を用いない覚悟が必要(P122)。

・接続詞はなるべくカット。いきおいよく飛ぼう(P126)。

・音読しながら書くと、耳ざわりな文章を避けられる。「〜〜が〜〜が」など。
名文を音読することで耳が鍛えられる。結果として文章もうまくなる(P152)。

初めて知ったようなことはひとつもない。
どれも日ごろ文章を書きながら気にかけていることである。
初心忘れるべからずと、あえて箇条書きにしてみた。
「創作のとき」(叙情文芸刊行会・編/淡交社)

→インタビュー集。とびきり成功した表現者から創作のコツを聞く。
登場するのは白石かずこ、福島泰樹、吉本隆明、寺山修司、俵万智、荒俣宏、
沢木耕太郎、山田太一、池澤夏樹、池田満寿夫、つかこうへい、吉村昭、井上靖、
村上龍、藤原新也、谷川俊太郎、鴻上尚史、辺見傭のみなさん。

いくつか共通しているところがあるのでまとめてみたい。
むろん、真似をしても、みんながみんな成功できるわけではないけれども。
列記してみれば、どれも当たり前のことかもしれない。

・やりたいことをやる。
・そのためになにが自分にとっておもしろいかを発見する。
・だれにとっても表現するという行為は楽しい。
・書きたいものを書けばいい。賞賛はあとからついてくるもの。
・たとえ認められなくても、表現を楽しめばいいではないか。
・有名になったらなったで嫌なことも多い。
・書きたいものを書いているうちに、本当に書きたいものがわかる。
・それが純文学か娯楽小説かは書き手の資質による。
・楽しんで書くのがもっとも重要である。
・表現は、呼びかける行為に似ている。だれかになにかを伝えたいから書く。

あと思ったのは、自信を持つことについて。
成功者はみな一様に自信家である。
いうまでもなく、この自信は多くの人から認められたことに起因する。
自分に自信を持つことが、表現するうえでどれだけ重要か。
成功がさらなる成功を呼ぶという現象は、表現者の自信の倍増で説明がつく。
最初の一歩が肝心なのだろう。

ファンとしては山田太一の言葉を一箇所くらい引いておかねばなるまい。
寺山修司について聞かれて。ふたりは大学時代からの親友である。

「……寺山さんという人が、学生時代に、もしいなかったとしたら、
ずいぶんつまらない学生時代を送ってしまったと思います。
彼が同級生にいたことは、僕にとってすごく僥倖(ぎょうこう)でした。
彼は東北の出身ということの影響かもしれないけれども、
東京で一旗上げてやろうという野心がすごくあって、才能ももちろんありましたから。
でも、そういう前衛的な才能のそばにいると、
そのカラクリが見えてしまうという面があるんです。
だから反発もすごくありました。
僕が非常に小市民的なものに光を当てようとするのは、
もしかすると寺山に対する反発からなのかもしれないと思ったりもします。
華やかなことをしようとする寺山に対して、何かそうじゃないんじゃないか、
といつも思っていたという面はあると思います。
もちろん華やかな部分の面白さもわかったし、
素敵な友達だったことに変わりはないんだけれど。
友達というのは反発もし合いますからね。そういう影響を受けたんでしょうね」(P178)
「大人のための文章教室」(清水義範/講談社現代新書)

→本書の効能を知りたかったらアマゾンのレビューを見るべし。
文章力がついたかどうか一目瞭然のはずである。
なんて、皮肉を言ってはいけませんね。
アマゾンのレビューなんて2ちゃんねるの書き込み以下ですから。

この本は、えとあのその、なんと言えばいいのか。
模範の文章を、作者自身がお書きになっているのですが、ううん。
まさかプロの作家先生の筆なる文章を素人のわたしが、そのう。
模範文が、模範文が、模範文が……。

清水先生はとてもいい人なのでしょう。
けれども、思ったのは性格の悪い人間ほどおもしろい文章を書くのではないか。
だから、先生はとっても立派な人なんです。
105円で買って1時間で読んだ新書にこれ以上意見すべきではないと思う。
「すぐに稼げる文章術」(日垣隆/幻冬舎新書)

→アマゾンの素人レビューを叩いているところが笑えた。
ほんとアマゾンのレビューってひどいもんね。
あんなもんを参考にして本を買うものの気が知れない。
わたしがアマゾンのレビューを読むのは当該書籍を読了後。
もちろん、半笑いでだよ。
どんなおバカな感想文があるのかなと。
バカがインテリぶって書いた文章ってバカ丸出しだと思わない?
いっぱしの知識人ぶって覚えたての難解語を用いるかわゆさよ。
テキトーな脳内統計だけど、アマゾンのレビューで参考になるのなんて、
1割いかないと思うね。

で、本書がアマゾンレビューを叩いているからか知らんけど、
この本もアマゾンのおバカさんたちからすごい攻撃を受けている。
どれもピリッとしないんだよな。
へたくそな批判でかえってお里が知れますよというか。
いくつかあったのがタイトルへの批判。
「すぐに稼げる」とついているが、本文では1万時間以上の努力を推奨している。
これが詐欺だのなんだのと鬼の首でも取ったかのようにはしゃいでいる。
アマゾンのレビュアーって白痴が多いんですか。
「すぐに稼げる」なんて惹句を真に受けるおまえらはあたま大丈夫かい?
へんな宗教とか詐欺商法で大金を失っても知らんよ。

「インパクトのある文章の正体とは、
読んだ人の3割から反発を招く文章だと考えてください。
逆に言うと、3割程度の人から反論や反発が来ない文章というのは、
たいした中身ではないということです。たいしたことのない文章とは、
つまり、たいして人には読まれないということですね」(P135)
「まだ見ぬ書き手へ」(丸山健二/朝日新聞社)絶版

→この小説作法の最大の特徴は、ひとりの作家もひとつの作品も登場しないところである。
みずからの作品もふくめて既存の文学作品が取り上げられることはない。
読者には一流の書き手を目指してほしいから、というのがその理由である。
いまあるような文学作品を超えるものを読者は目標にしてほしい。
したがって、丸山は作家に憧れるタイプの書き手には厳しい。
既存の作品で満足しているのなら、おまえが書く必要はないではないかというのだ。
極めて硬派の、精神論めいた小説作法書である。
丸山は酒をのむ小説作者など認めはしない。その理由はこうである。

「薬物やアルコールは確実に脳細胞を死滅させ、
死んだ細胞はほとんど再生しないそうです。
薬物やアルコールに手を出さなくても、脳細胞は毎日減ってゆくのです。
ましてやそれらを体内にせっせと取り込む者の脳細胞は……、
言わずもがなでしょう。
文学と酒は切っても切り離せないものである、
などとうそぶきながら飲み続けている書き手は、現在でも大勢います。
酒に縋ってしか生きてゆけないほど繊細な神経の持ち主である創作者は、
たしかにそれなりの作品を生み出すことができます。
しかし、それを超える作品は絶対に無理なのです。
酒はサラリーマンの飲み物です。
他人に雇われ、こき使われ、対人関係のうんざりする泥沼に投げ込まれ、
人生の鍵を握られてしまった人々にとっては、それはまさしく命の水なのです。
でも本物の自由を生き、
未知なる創造の道をどこまでも突き進もうとする者にとっては、
シアン化カリウムと何ら変わらないのです」(P144)


なんともストイックだが、これは全編にわたって共通する姿勢である。
ひと言でまとめるならば、丸山は努力せよ、と主張しているのである。
がんばればいい小説ができると信じて疑わないのである。
人気作家が銀座でのんだ翌朝、
二日酔いのあたまで書いた小説の質が良いはずはないと丸山は信じている。
丸山健二は努力、努力、努力の作家である。
本書にも10年後、20年後という表現がよく出てくる。
作家志望たるもの何十年後を見据えて小説を書いていかなければならぬらしい。
著者が実践していることでもあるようだから恐れ入るほかない。
この「がんばれ、がんばれ」は10代や20代の読者のこころには響くのだろうが、
30を過ぎたものにとっては作者のゆがみに辟易してしまう。
これまた中年に近づきつつある読者のいやらしい読みかたになるが、
23歳で芥川賞を受賞したことがどれほど丸山の人生観を狂わせたかと思うとぞっとする。
若年で名誉ある文学賞を受賞した作者はいろいろなやっかみを経験したことだろう。
ことの必然、23歳の芥川賞作家は、
この名誉がすべて自分の努力の結果だとかたくなに信じ込むしかなかった。
丸山健二が努力第一主義になったのは、このへんに理由があるのではないか。

丸山の女性観もゆがんでいておもしろい。紹介する。酒のつぎは女である。
「女性にも気をつけてください」と著者は言う。なぜなら――。

「もしあなたが小説家でなかったのなら、
彼女たちは果たしてあなたに近づいてきたでしょうか。
あなたが普通の勤め人をしていたら果たしてどうだったでしょうか。
その辺りのことをよく頭に入れておいてください。
彼女たちの目的、本当の狙いは、あなたをだしにして、
現実から遊離した、文学的な、絵空事の大恋愛なるものを、
さながら小説の主人公のように演じてみたいのです。
そうやって灰色だった自分の人生に色をつけたがっているのです。
いちいち相手になってやる必要はありません」(P131)


注意してください。小説家に近づいてくる女が「彼女たち」と複数形になっている。
さぞかし23歳の芥川賞作家は女からもてたのだろう。
もててもてて仕方なかったのだと推測される。
しかし、人生は奇妙なもので、女からもてることが逆に女性観をゆがませる。
丸山健二などはその典型であろう。
もてないことから女嫌いになるのはよく知られているが、
丸山のように極度にもてることも女性嫌悪に通じてしまうのだから皮肉である。
引用文の最後がよろしい。「いちいち相手になってやる必要はありません」だと!
世のもてない男どもが殺意をいだくに十分な挑発的な発言といえよう。

本書は小説家を夢見る学生さんが読むのに適している。
たぶんに啓蒙されることがあると思われる。
だが、人生に絶望した三十路のアル中が読むには、いささか純粋すぎるようである。
「2週間で小説を書く!」(清水良典/幻冬舎新書)

→本書を読んで自分には小説を書く才能がないのだと思い知らされた。
意見と描写は違うのだという指摘がいちばん印象深い。
意見を書くのはかんたんだが描写はそうではないと清水良典はいう。
なぜなら――、と文芸評論家でもある著者は時代をさかのぼる。

「百年前の明治時代には、文章を読み書きできるのは一握りのエリートだけだった。
だから、小説を書く人は、人類の代表のように重いテーマに苦悩したり、
人道への警鐘を鳴らしたりしたのである。
その真似事のような文章を、こぞって学校は生徒に書かせるようになった」(P70)


読書感想文や小論文のことである。

「その甲斐あって、文章を書く力はある程度みんな備わっているのだが、
そこからすっぽり抜け落ちているものがある。
これらの書く力は、全て考えや意見(オピニオン)を書くことばかりなのである。
しかし、小説を書くのに最も大切な書く力とは、具体的な人物や行動や風景を、
目の前にあるかのように再現する力、すなわち<描写>力である」(P71)


これほど真っ当な教唆を、
まさか本書のように安易なタイトルの新書から得られるとは思わなかった。
仰せのとおりなのである。小説は描写であるとはよくいわれる。
じゃあ、描写ってなんなのだろうと思う。
我われがふつうに書いている文章はなんなのか。
読書感想文や小論文の延長線上にある意見(オピニオン)だったのである。

過日、ある大学病院の眼科を5年ぶりに受診したことをブログに書いたが、
たしかにあの記事はオピニオンでまったく描写がなっていない。
大学病院がどのような建物だったかぜんぜん書いていないし、
対面した女医さんがどんな顔をしていたのかも読み手にわかるように書いていない。
いろいろな理由があるが、どれも描写が書けない言い訳になってしまう。
大学病院と書いたら、だいたいどんな感じかわかるのではないかという甘えである。
同様、若い女医さんと書いたら、あとは読み手がめいめい想像すればいいという判断だ。
しかし、これを書かなかったら小説にならない。
読み手に病院や女医のイメージを伝えるのが小説ということだ。愕然とした。

駅から病院へ行くまでの道程でもさまざまなものを見ているはずである。
そういったことをわたしはひとつも書いていない。むしろ、書けない。
書くことに興味が持てないのである。
読む場合もおなじで、ながながと描写が続くとわたしは退屈してしまう。

「私たちは<描写>の文章を書くための訓練や指導を一度も受けた経験がない。
学校教育はオピニオンを要求しても、描写力は必要としなかった。
だから小説を書こうという人は、
自力で描写力を身につける訓練を自分に課さないといけない。
本書に載っている実践練習の大半は、
じつは描写力を増すためのトレーニングにほかならないのである」(P71)


至極もっともである。極めて正しい指導というほかない。
清水良典は大学で創作のクラスを10年受け持ってきたという。
この文芸評論家が学生に課している課題のひとつが「コップ」である。
どこにでもあるコップに八分目まで水を入れる。
このコップを文章で描写するのが小説家志望に課せられた訓練である。
コップの思い出に逃げてはならない。目の前のコップをただ描写する。

白状すると、いまわたしの横には水の入ったコップがある。
さっきからずっとコップを見つめているが、少しも描写ができない。
かなしいかな、「コップがある」としか書けないのである。
才能がないのをぎりぎりで認めたくないので、
負け惜しみに小説家・宮本輝の言を引いておく(対談集「道行く人たちと」)。

「だっていまの作家の多くが、たとえば、飛行場からモノレールに乗って
浜松町に着くまでの間のことを十何ページにわたって書いたりするんですよ。
そんなものは、モノレールに乗った、浜松町に着いたでいいじゃないですか」(P184)
「何がなんでも作家になりたい!」(鈴木輝一郎/河出書房新社)

→このような実用書を欲していたのである。
ぶっちゃけ、作家って、どーなのよ、という本。
いくら作家だって税金払わなくちゃなんないでしょう。おカネが肝心。そこんとこ、どーよ?
切実なタイトルにふさわしい内容にいたく感動する。
小説作法はかなり読んできたつもりだが、税金対策に触れられていたのは本書が初。
たいへん勉強になった。小説家は税法上では漁業の分類に入るとのこと。
年々売上の異なる業種として判断される。
したがって過去5年の所得を平均して課税されるとのこと。
文庫化や重版の収入は不労所得と見なされ税率が上がるらしい。
確定申告のためには領収書の収集・保存がもっとも重要。
業界のルールも教えられる。フカスことがポイントだという。
腰が低いと舐められるから、どんな相手にも強気の姿勢でいくべし!
出版社にとって作家は商品にほかならない。
この事実を認められないものは職業作家になれないという。

「誰かにあなたの心の叫びを聞いてもらう手段として小説を選ぶのならば、
職業小説家を目指すべきではありません」(P131)


「ぼくを含めて、小説家を指向する人は、資質的に、夢見がちで社会性に乏しく、
享楽的です。くどいようでも重要なので何度でも書きます。
小説家の世界はユートピアではありません。
職業特性として『人間関係が楽』『達成感が圧倒的』であるだけです。
遊び気分でなれる人がいるのは事実ですが、あなたが天才である確率は、
そうでない確率よりはるかに低いことを忘れずに」(P158)
「週末作家入門」(廣川州伸/講談社現代新書)

→50歳を過ぎた著者の尊敬する作家は村上龍(笑)。
※以下、一文ごとに文末へ(笑)をいれてお読みください。
「限りなく透明に近いブルー」のサイン会で、
若き芥川賞作家と対面したのが表現をする原体験のひとつらしい。
本書のテーマは、売れる本の書きかた。なぜなら売れた本はすばらしいからである。
これは著者のマーケティング理論から導きだされた結果。
よくある成功本のひとつである。
物書きのなかの数少ない成功者の具体例が多数、紹介される。
成功者の何十倍、何百倍、いや何千倍も成功できなかったものはいるに違いないが、
著者は失敗者、落伍者に目を向けることはない。
なぜならかれはかたくなに信じているからである。
工夫すればだれでも成功できると。この本では工夫の仕方を教えているという理屈だ。
成功した物書きのケースしか紹介されることがない。
成功するにはわけがある。方法をこの本から学べというつもりらしい。
講演会の講師ばかりしている著者が物書きの成功者なのかは知らないが、
おそらく著作のなかでこれがいちばん売れたものであろう。
廣川州伸はおもしろい成功法則を本書で記していたので紹介する(222ページ)。
自著を自分で買えというのである。出版社から割引で買うのではなく書店で買え!
こういった努力をすれば著書に重版がかかることもあるという。
初版どまりの本をだした著者は出版社からお払い箱である。
だが、このような努力をしたら成功に近づくと著者は鼻高々である。
買った自著は決して無駄にならない。だれでもいいからプレゼントすればいいとのこと。
廣川州伸はもしかしたら村上龍を超える天才かもしれない。
「プロの小説家になる 作家養成塾」(若桜木虔/KKベストセラーズ)

→本書を読んで自分がなぜ小説を書けないのかよくわかった。
この小説作法の売りは、プロ寸前の小説が全文掲載されていること。
上段はプロ一歩手前の小説、下段が若桜木虔のダメだしという構成である。

これまでかなり難解な小説論や文学論にも目を通してきたが、なんのことはない。
小説とは描写なのである。
いかに読者の脳内に人物、風景、せりふ、心理を言葉によってイメージさせるか。
言葉による情報伝達で読み手をもてなすのが小説なのである。
すなわち、描写が小説の命ということだ。
風景描写、服装描写、表情描写、口調描写、心理描写、感覚描写――。
わたしはこの描写がどうしてもできない。不得手である。
だから、書くものが小説らしくならないのである。
目が極端に弱いのが原因だと思う。視覚が劣っている。
ひとと逢っても、どんな服装をしていたかまるで憶えていない。気にしていない。
風景を見ても、からきし見とれるということがない。いきおい記憶にも残らない。
絶景を言葉で描写したいと欲したことはない。
恥ずかしいが、ひとの顔がみなおなじに見えるのである。
芸能人はまったく識別できない。
これはいまから努力してなんとかなる問題だろうか。
先天的な能力が欠けているという気がしてならない。
耳はいいのである。ひとから話を聞いたら、驚くくらい憶えている。
反面、目がてんでダメである。ひとの顔をあまり注意して見ていない。
読者が小説の世界に入るとき、まず重んじるのが顔だと思われる(とくに女性読者は)。
わたしはその顔の描写がぜんぜんできない。
美人とか、美人ではない、といったような、月並みで凡庸な描写しかできない。
どうして書くもの書くものがエッセイになってしまうのか。
原因は描写の欠如であった。そして、わたしはどうにも描写が苦手である。
これはもう小説を書くことを断念すべきなのだろうか。
かんたんなことなのである。小説は描写だ。これに長いこと気がつかなかった――。

小説家志望向けの読書法というのがたいへん参考になった(41ページ)。
・主人公のキャラクター造形の手腕(いかに早く主人公をイメージさせるか)。
・ひとつのシーンをどのくらいの枚数を用いて書いているか。
・場所や日時が変わる場合、シーンの切り替えにどういった工夫をしているか。
・緊張シーンとゆったりシーンの比率、配合(メリハリのつけかた)。
・会話と心理描写の分量、巧拙に注意する。

作家になってからのことも説明されていて納得した。
新人賞を取るためにはオリジナリティあふれる斬新な小説が必要。
けれども、いざプロになったらばワンパターンでも読者はついてきてくれる。
水戸黄門のようなワンパターンを好む読者はかならずいる。
西村京太郎、内田康夫、赤川次郎が長者番付常連なのはこのため。
おなじ理由で高額所得作家は冒険をしないから文学賞とは縁遠い。
作家志望者が勉強として小説を読むならばデビュー作を読んだほうがいい。
プロの作品をつまらないと思うのはいいが、あの退屈はプロだから許されるのである。
いったんプロになったらプロだからと許されることがけっこうある。
だが、新人にたいしては文学賞選者も編集者も読者も非常に手厳しい。
新人賞取得と作家生活の継続はまったく別物と考えてもいい。
――作家の裏側の赤裸々な告白です。
「プロ作家養成塾」(若桜木虔/ベスト新書)

→とても参考になった。論評すべきことはなにもない。
以下は教わったことを自分なりの言葉でまとめたノートのようなもの。

・回想シーンは避ける。現在でないと緊迫感が弱まるため。

・「〜〜」と言った、とやらない。「」で会話というのはわかっている。
つぶやいた。ささやいた。どなった。ののしった。など「言う」に代わる言葉を用いる。
思いつかないならば表情を描写しながら「と言った」とやるといい。
真っ赤な顔で言った。眉間にしわをよせて言った。おどけて言った。などなど。

・読者は生活に疲れ果てている。気楽に楽しめるものを書かなければならない。

・非日常的な行動から書き始めると読者をうまく物語に誘導できる。
走っている。喧嘩している。盗んでいる。尾行している。などなど。

・エンターテイメントを書くのはサービス業とおなじ。いかにすれば読者は満足するか。
「意外なテーマ」「話が起伏に富み退屈しない」「共感する人物設定」「的確な描写」

・言葉をもって読者に情景をイメージさせるのが小説。
登場人物の容貌、骨格、服装を効果的に提示する。
人間関係、居住関係もなるべく早めに読者へ伝達しなければならない。

・小説の分量と、タイムスパン、登場人物数は相関する。
たとえば原稿用紙50枚なら2日以内、登場人物は3人以内。
500〜1000枚もあるならば5年以内、登場人物は10人以内(詳細は123ページ)。

・売れなければ話にならない。手にとってもらえるようにタイトルを工夫する。

・読者は主人公になりかわっていろいろな出来事を疑似体験したいのである。
そのために必要なことは――。
「視点の固定」「共感をよぶ心理描写」「時系列の遵守」「情報の効果的提示」。

・人物と人物を新しく知り合わすと描写に手間取る。はじめから友人という設定にすべき。
同様、人物を新しい環境に投げ込まない。いつものところで動かす。
以上は物語の停滞を防ぐため。物事がぽんぽん起こらないと読者は退屈する。

・5W1H(いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように)を小説の冒頭で、
可能なかぎり速やかに読者のあたまに植えこまなくてはならない。